正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

東洋思想 井筒俊彦

東洋思想 井筒俊彦 古来、東洋には多くの思想潮流、思想伝統が現われて、それぞれ重大な文化史的役割を果たしてきた。それら相互間に生起した対立、闘争、影響、鍵概念の借用・流用、移植と摂取の歴史。時代と場所を異にする多くの思想伝統が、直接間接、多…

 禅における内部と外部―1973年度エラノス講演― 井筒俊彦

禅における内部と外部―1973年度エラノス講演― 井筒俊彦 一 東アジアの画と書 内部と外部、あるいは内部世界と外部世界との間の区別と関係の問題は、東アジア的精神性の形成過程において並外れて重要な役割を演じてきた。その考えは、事実、宗教的思考、…

禅的意識のフィールド構造 井筒俊彦

禅的意識のフィールド構造 井筒俊彦 本稿の原テクストは、一九六九年度のエラノス講演<The Structure of Selthhood in Zen Buddhism >であって、禅における主体性の特殊なあり方の分析解明を主題とする。私がエラノスの講演者の列に加わったのは一九六七年のことだから、この学会との私の関連から言えば、</the>…

公案を通じての思考と非思考 井筒俊彦

公案を通じての思考と非思考 井筒俊彦 一 思考に対する不信 これまで度々「公案」について言及して来たが、しかしその言葉の体系的な説明はまだ与えていなかった。公案とはどんな類のものなのか、そしてそれは如何に正しく扱われるべきかと云う正確な知識な…

「理事無礙」から「事事無礙」へ 井筒俊彦

一 「理事無礙」から「事事無礙」へ 井筒俊彦 一 この講演のテーマとして私が選びました「事事無礙」は、華厳的存在論の極致。壮麗な華厳哲学の全体系が、ここに窮まると云われる重要な概念であります。しかし「事事無礙」という考え自体、すなわち経験的世…

十二巻本『正法眼蔵』―『大修行』と『深信因果』の関係

十二巻本『正法眼蔵』―『大修行』と『深信因果』の関係 石井修道 ここでは十二巻本で論争の発端となり、最も重要な問題として取り上げられている『大修行』と『深信因果』の問題であろう。両巻に共通の公案に「百丈野狐の話」があり、その解釈が全く異なる事…

十二巻本『正法眼蔵』の性格―重視説として

十二巻本『正法眼蔵』の性格―重視説として 『八大人覚』の「奥書」の意味する処を、筆者(石井修道・注)の結論‘を踏まえて、その文を大幅に補って解釈すると、ほぼ次のようだと考える。 原本の先師の『八大人覚』の奥書に言う、「建長五年(1253)正月…

十二巻本『正法眼蔵』―『八大人覚』の「奥書」をどう読むか

十二巻本『正法眼蔵』―『八大人覚』の「奥書」をどう読むか 石井修道 十二巻本『正法眼蔵』の問題で、その性格を考えるのに重要な手掛かりを与えてくれるのが『八大人覚』の懐弉の「奥書」である。残念ながら、この「奥書」は永光寺本にはなく、秘本にある「…

神道伝承者としての明恵上人 平泉澄

神道伝承者としての明恵上人 平泉澄 神道と仏教との関係を考察するに、それは宗派により、人により、時代によって、種々の相違があって、一概に之を論ずる事が出来ない。即ち仏教の中に、神道に反対し、之を排除しようとする者もあれば、神道を認めて、之と…

歴史神学者平泉澄(二・完) 植村 和秀

歴史神学者平泉澄(二・完) 植村 和秀 はじめに 第一章 歴史神学をもたらすもの 第一節 日本国家の精神的機軸 第二節 ナショナリズムの変質とその日本的変奏(以上、第三七巻第四号)第二章 国史学の神学的代位(以下、本号) 第一節 理性と信仰 第二節 教…

林下幽閑の記 平泉澄

林下幽閑の記 平泉澄 形の上より之を見れば、私は今日最も不幸な者の一人とも考へられるであらう。前には勅任官であつた。今は一野人である。前には十分に俸禄を給せられてゐた。今は収入皆無である。曾ては賓客の来訪頻りであつて、しかも其の中には大臣あ…

明治の大御代 平泉 澄

明治の大御代 平泉 澄 明治天皇の知ろしめた明治時代は、わが国の歴史に於いて、内治外交ともに、最も光彩陸離たる、いはば黄金時代であつた。古くは延喜・天暦の御代が、聖代としてたたへられて、その聖代に復す事が、政治の理想とせられたが、明治の大御代…

旧家 平泉澄

旧家 平泉澄 アッチラ(五世紀中頃のフン族)の劫掠(きょうりゃく)とサラセン(イスラム帝国)の侵入とは、恐るべき脅威として、西欧の記録する所である。しかるに我等は、残虐なる事それに幾倍する侵寇(しんこう)を受けた。わづかなる例外を除いて、都…

後鳥羽天皇を偲び奉る                         平泉澄

後鳥羽天皇を偲び奉る 平泉澄 一 後鳥羽天皇はまことに御不運の御一生を御送り遊ばされました。一天万乗の君として、思ひも寄らず逆賊の為に遠く隠岐の小島に遷幸遊ばされ、孤島の御幽居十有九年の長きに亙り、遂に其の儘彼の島に於いて崩御遊ばされました御…

大正・昭和戦前期における徳富蘇峰と平泉澄

大正・昭和戦前期における徳富蘇峰と平泉澄 ―その史学史的考察― 高野山大学助教 坂口 太郎 目 次 問題の所在と本書の視角・方法 第一節 日本近代史学史をめぐる研究史と本書の課題 第二節 本書の視角と方法 序章 注 『近世日本国民史』と初期平泉史学の時代…

正法眼蔵身心学道について    竹 村 仁 秀

正法眼蔵身心学道について 竹 村 仁 秀 永平高祖道元褝師は主著「正法眼蔵」の中に「身心学道」の一巻を著わし、仏家修行者の真実の学道について説示しておられる。 学道と云うならば、平常は心の学道の如く考えられ、学道その物をして心の成長、発展の問題…

『正法眼蔵』 「諸悪莫作」 論考    佐 藤 悦 成

『正法眼蔵』 「諸悪莫作」 論考 佐 藤 悦 成 はじめに 『正法眼蔵』「諸悪莫作」の巻に記される莫作の形成は、道元禅師の証す単伝の正法が、如何にして禅師自身に体得され、その思想の原点が那辺にあるかを理解せねば通俗的・表象的理解に留まることになろ…

『正法眼蔵諸悪莫作』 と褝戒思想     黒 丸 寛 之

『正法眼蔵諸悪莫作』 と褝戒思想 黒 丸 寛 之 日本曹洞禅における褝戒思想は、江戸中期に卍山が『禅戒訣』『対客閑話』を著してより、賛否両説の種々の論議を重ねた後、面山の『大戒訣』、指月の『禅戒篇』等を経て、万仭の『褝戒鈔』に至って大成されたと…

『正法眼蔵抄』 と天台本覚法門    山 内 舜 雄

『正法眼蔵抄』 と天台本覚法門 山 内 舜 雄 一 先に、道元褝と天台本覚法門との関係を詳究したのであるが(1)、その目途とするところは、道元禅の特質を、どの程度まで日本天台へと遡及させることが可能か、ということであった。 すなわち、道元禅師叡岳…

正法眼藏抄の成立とその性格    鏡 島 元 隆

正法眼藏抄の成立とその性格 鏡 島 元 隆 一 正法眼蔵抄は道元禅師の弟子、詮慧が道元禅師から直接聞いたものを書き留めた聞書を基にして、詮慧の弟子の経豪が更に註釈を加えたものといわれ、畧して御抄と称されるものであるが、正法眼蔵の註釈書としてはも…

『正法眼蔵抄』「諸悪莫作聞書」に関する問題について    倉 石 義 範

『正法眼蔵抄』「諸悪莫作聞書」に関する問題について 倉 石 義 範 『正法眼蔵』の最古の注釈書「正法眼蔵抄」の中に、「私云」を冠する注釈が見られる。 この形式をもっ注釈を含む巻を挙げると、仏性、諸悪莫作、説心説性、仏道、他心通のそ れぞれの巻であ…

『正法眼蔵』 「諸悪莫作」 論考     佐 藤 悦 成

『正法眼蔵』 「諸悪莫作」 論考 佐 藤 悦 成 はじめに 『正法眼蔵』「諸悪莫作」 の巻に記される莫作の形成は、道元禅師の証す単伝の正法が、如何にして禅師自身に体得され、その思想の原点が那辺にあるかを理解せねば通俗的・表象的理解に留まることになろ…

『説心説性』『自証三昧』考      石  井  修  道

『説心説性』『自証三昧』考 石 井 修 道 一 は じ め に 大慧宗杲(一〇八八―一一六三)を批判した道元の著作に『説心説性』と『自証三昧』の二巻があることはよく知られている。その説示は共に吉峰寺であり、年次の記載に寛元元年と寛元二年の一年の差があ…

道元禅師における「説心説性」の定義について     石 井 清 純

道元禅師における「説心説性」の定義について 石 井 清 純 道元禅師(一二〇〇―一二五三)は、『正法眼蔵』「説心説性」巻において、「説心説性」という言葉の解釈を媒体に、大慧宗杲(一〇八九―一一六三)批判を展開している。しかし、その一方で、大慧の語…

『礼拜得髄』 考       石井修道

『礼拜得髄』 考 石井修道 一 はじめに 『礼拜得髄』は 一種類の写本が現存し、 一般に (a)短文本と (b) 長文本と通称されて区別されている 短文本は七十五巻本の第二十八に編集され、長文本は永平寺所蔵の二十八巻本 (秘密正法眼蔵と呼ばれる) に収められて…

「現成公案」 の意味 石 井 清 純

「現成公案」 の意味 石 井 清 純 「現成公案」なる語は、中国唐代の禅者、睦州道明(生没年不詳)をその嚆矢とする。そしてこの語は、その後、多くの禅宗祖師によって拈弄され、燈史や語録の中に散見され、さらに日本において、曹洞系の禅を伝来した、道元禅…

『正法眼蔵』「現成公案」の巻の主題について 石 井 清 純

『正法眼蔵』「現成公案」の巻の主題について 石 井 清 純 はじめに 『正法眼蔵』「現成公案」の巻は、天福元年(一二三三)八月に著された。道元禅師の著作の中でも初期の選述にあたる。そして、この巻が七十五巻本の第一番目に位置し、かつ『正法眼蔵聞書抄…

現成公案の意義 古 田 紹 欽

現成公案の意義 古 田 紹 欽 一 道元は正法眼藏の隨處に現(見)成の語を用ひたが、公案との關係に於て 「見成の公案」 (正法眼蔵、坐禪箴・諸惡莫作) とか、「見成する公案」(同、空華・授記)とか、「見成せる公案」(同、諸悪莫作)とか、「公案の見成」(同)と…

道元禅師の「海印三昧」観について 菅 野 優 子

道元禅師の「海印三昧」観について 菅 野 優 子 一 研究の目的 道元禅師(一二〇〇―一二五三)の著作『正法眼蔵』「海印三昧」巻(以下、「海印三昧」巻と略記)に、二度引かれる句が存在する。その句は、次のように見られる。 佛言、但以衆法、合成此身。起…

『正法眼蔵有時』 考 鈴木 格禅

『正法眼蔵有時』 考 鈴木 格禅 一 『正法眼蔵有時』は、古来より難解な巻として知られ、また、「存在と時間」に関する哲学的思惟の、一つの極限を示す眼蔵中の白眉として、珍重せられてきた。 しかしそれが、単に「存在と時間」 の問題を解明する思弁の書で…