正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵神通

正法眼蔵第三十五 神通

    序

かくのごとくなる神通は、佛家の茶飯なり、諸佛いまに懈倦せざるなり。これに六神通あり、一神通あり。無神通あり、最上通あり。朝打三千なり、暮打八百なるを爲體とせり。與佛同生せりといへどもほとけにしられず、與佛同滅すといへどもほとけをやぶらず。上天に同條なり、下天にも同條なり、修行取證、みな同條なり。同雪山なり、如木石なり。過去の諸佛は釋迦牟尼佛の弟子なり、袈裟をさゝげてきたり、塔をさゝげきたる。このとき釋迦牟尼佛いはく、諸佛神通不可思議なり。しかあればしりぬ、現在未來も亦復如是なり。

「かくの如くなる神通は、仏家の茶飯なり、諸仏いまに懈倦せざるなり」

冒頭部に於けるこの「かくの如くなる神通は、仏家の茶飯」のことばは、当巻での「大潙・仰山・香厳」の仏神通、「龐居士」の運水・搬柴、「洞山・雲巌」の神通妙用等々の、古則話頭に対する拈語の総称としての主要旨であると多くの識者の説く処であるが、「七十五巻本」に於ける「正法眼蔵」の連続性を考えると、この冒頭語は前巻「仏教」最後部にての「恒沙の仏教は竹篦払子なり。仏教の恒沙は拄杖拳頭なり」と説く日常底の調度品の使い分けが、当『神通』巻の「かくの如くなる神通」に連脈すると見るものです。因みに「仏教」の示衆年月日は本山版では仁治二年十一月十四日で、「神通」の奥書は仁治二年十一月十六日の時間的スケールからも、その連続態の整合性が窺えるものである。

このように日常の調度を「茶飯」と位置づける事を「仏家」と称するのである。

「これに六神通あり、一神通あり。無神通あり、最上通あり。朝打三千なり、暮打八百なるを為体とせり。与仏同生せりと云えどもほとけに知られず、与仏同滅すと云えどもほとけを破らず。上天に同条なり、下天にも同条なり、修行取証、みな同条なり。同雪山なり、如木石なり」

「六神通」には『長阿含経』では一者神足通・二者天耳通・三者知他心通・四者宿命通・五者天眼通・六者漏尽通(「大正蔵」一・五八上)。「一神通」とは万法帰一の道理を指すもので、つまりは生き続ける真実のあり方を一神通と云うもので、その一神通の千変万化を無量神通とも称します。また「無神通」とは無の絶対的神通を云い、さらに「最上通」と使い分けのようにも聞こえますが、ただ神通の上に「六・一や無さらに最上」等の言句(ことば)をつけて説く事で、「諸仏いまに懈倦せざるなり」を承ける文体構成です。これらを総称して「朝打三千・暮打八百」つまりは、朝暮三千八百の念起念滅という日々の常態の為体(ていたらく・ありかた)が神通の当体であるとの提言です。

「与仏同生・与仏同滅」とは仏との一体性を喩うるもので、「仏と同じく生せりと云っても仏に知られず」また「仏と同じく滅すと云っても仏を破らず」とは全自己が仏であり、仏が全自己との意と為ります。ここの譬えを経豪和尚は「一方を証すれば一方は暗き心也」(「註解全書」三・六一〇)と『御抄』にて説明されます。

「上天」は天上界、「下天」は人間界をと心相(託胎・出胎・出家など)の姿を指し、また「修行取証」(修証不二をいう)も同条なりと、これらは神通の真実底に収斂される旨を説くものです。同じように「雪山も如木石」も単なる自然現象ではなく、尽界に表出する真実相である「神通」との冒頭言である。これまでの序文が当『神通』巻に於ける総体的要旨と為るものです。

「過去の諸仏は釈迦牟尼仏の弟子なり、袈裟を捧げて来たり、塔を捧げ来たる。この時釈迦牟尼仏云く、諸仏神通不可思議なり。しかあれば知りぬ、現在未来も亦復如是なり」

「過去の諸仏は釈迦牟尼仏の弟子なり」の文言は、『嗣書』巻で説かれる「釈迦牟尼仏云く、過去諸仏は、これ我釈迦牟尼仏の弟子なり」(「岩波文庫」㈡三七三)を参照したもので、その過去仏(その真実態)が釈迦仏の弟子に相見する時には、「袈裟や塔」を捧げ来る事を、「諸仏神通不可思議」と釈されますが、この出典は恐らく『大智度論』四十(「大正蔵」二五・三五二中)を閲覧されてのものと思われます(その前項目に六神通等が散見される)。この意味する処は、釈迦牟尼仏の実体を不可思議と位置づけるものです。

このように過去の諸仏の神通不可思議を説きましたから、「現在はた未来」も神通不可思議である事実を「亦復如是」なり。とこのように、神通に対する捉え方・掴みどころを序論にて説かれる次第です。

 

    一

大潙禪師は、釋迦如來より直下三十七世の祖なり、百丈大智の嗣法なり。いまの佛祖、おほく十方に出興せる、大潙の遠孫にあらざるなし、すなはち大潙の遠孫なり。大潙あるとき臥せるに、仰山來參す。大潙すなはち轉面向壁臥す。仰山いはく、慧寂これ和尚の弟子なり、形迹もちゐざれ。大潙おくるいきほひをなす。仰山すなはちいづるに、大潙召して寂子とめす。仰山かへる。大潙いはく、老僧ゆめをとかん、きくべし。仰山かうべをたれて聽勢をなす。大潙いはく、わがために原夢せよ、みん。仰山一盆の水、一條の手巾をとりてきたる。大潙つひに洗面す。洗面しをはりてわづかに坐するに、香嚴きたる。大潙いはく、われ適來寂子と一上の神通をなす。不同小々なり。香嚴いはく、智閑下面にありて、了々に得知す。大潙いはく、子、こゝろみに道取すべし。香嚴すなはち一椀の茶を點來す。大潙ほめていはく、二子の神通智恵、はるかに鶖子目連よりもすぐれたり。佛家の神通をしらんとおもはば、大潙の道取を參學すべし。不同小々のゆゑに、作是學者、名爲佛學、不是學者、不名佛學なるべし。嫡々相傳せる神通智恵なり。さらに西天竺國の外道二乘の神通、および論師等の所學を學することなかれ。いま大潙の神通を學するに、無上なりといへども、一上の見聞あり。いはゆる臥次よりこのかた、轉面向壁臥あり、起勢あり、召寂子あり、説箇夢あり、洗面了纔坐あり、仰山又低頭聽あり、盆水來、手巾來あり。しかあるを、大潙いはく、われ適來寂子と一上の神通をなすと。この神通を學すべし。佛法正傳の祖師、かくのごとくいふ。説夢洗面といはざることなかれ、一上の神通なりと決定すべし。すでに不同小々といふ、小乘小量小見におなじかるべからず、十聖三賢等に同ずべきにあらず。かれらみな小神通をならひ、小身量のみをえたり。佛祖の大神通におよばず。これ佛神通なり、佛向上神通なり。この神通をならはん人は、魔外にうごかさるべからざるなり。經師論師はいまだきかざるところ、きくとも信受しがたきなり。二乘外道經師論師等は小神通をならふ、大神通をならはず。諸佛は大神通を住持す、大神通を相傳す。これ佛神通なり。佛神通にあらざれば、盆水來、手巾來せず。轉面向壁臥なし、洗面了纔坐なし。この大神通のちからにおほはれて、小神通等もあるなり。大神通は小神通を接す、小神通は大神通をしらず。小神通といふは、いはゆる毛呑巨海、芥納須彌なり。また身上出水、身下出火等なり。又五通六通、みな小神通なり。これらのやから、佛神通は夢也未見聞在なり。五通六通を小神通といふことは、五通六通は修證に染汚せられ、際斷を時處にうるなり。在生にありて身後に現ぜず、自己にありて佗人にあらず。此土に現ずといへども佗土に現ぜず。不現に現ずといへども、現時に現ずることをえず。この大神通はしかあらず。諸佛の教行證、おなじく神通に現成せしむるなり。たゞ諸佛の邊に現成するのみにあらず、佛向上にも現成するなり。神通佛の化儀、まことに不可思議なるなり。有身よりさきに現ず、現の三際にかゝはれぬあり。佛神通にあらざれば、諸佛の發心修行菩提涅槃いまだあらざるなり。いまの無盡法界海の常不變なる、みなこれ佛神通なり。毛呑巨海のみにあらず、毛保任巨海なり、毛現巨海なり、毛吐巨海なり、毛使巨海なり。一毛に盡法界を呑卻し吐卻するとき、たゞし一盡法界かくのごとくなれば、さらに盡法界あるべからずと學することなかれ。芥納須彌等もまたかくのごとし。芥吐須彌および芥現法界、無盡藏海にてもあるなり。毛吐巨海、芥吐巨海するに、一念にも吐卻す、萬劫にも吐卻するなり。萬劫一念、おなじく毛芥より吐卻せるがゆゑに。毛芥はさらになによりか得せる。すなはちこれ神通より得せるなり。この得、すなはち神通なるがゆゑに、たゞまさに神通の神通を出生するのみなり。さらに三世の存没あらずと學すべきなり。諸佛はこの神通のみに遊戲するなり。

これより古則話頭を提示し、各祖師方の神通の心持ちを註釈拈提の形で説き明かされます。

まずは「大潙禅師」(潙山霊祐)と弟子の「仰山慧寂」の会話から始まり、そこに同じく弟子の香厳智閑が二人の会話に分け入るという設定の話頭です。

この出典籍は第一に『宗門統要集』四(「禅学典籍叢刊」第一巻)、第二に『聯灯会要』七(「続蔵」七九・六五下)、さらに『景徳伝灯録』九・潙山章(「大正蔵」五一・二六五下)などが考えられ、また『真字正法眼蔵』上・六一則にも取り挙げられます。

「大潙禅師は、釈迦如来より直下三十七世の祖なり、百丈大智の嗣法なり。今の仏祖、多く十方に出興せる、大潙の遠孫にあらざるなし、即ち大潙の遠孫なり」

「大潙禅師」つまり潙山霊祐(771―853)は、釈迦如来より直下三十七世としますが、ほかの箇所でも同様ですが釈迦牟尼仏はカウントせず摩訶迦葉を第一とし、大鑑慧能は三十三―南嶽三十四―馬祖三十五―百丈三十六―潙山三十七世とカウントされ、百丈大智(懐海749―814)の法嗣者三十人の筆頭位に列します。「伝灯録」によると二十三歳で百丈会下に入門し、初相見に於いて入室を許された逸材であったようです。

「大潙の遠孫にあらざるなし」と、このテキストではなしとしますが、ほかのテキストでは「大潙の遠孫にあらざる、即ち大潙の遠孫なり」とありますが、『啓迪』では「なしの二字を加えてみようという説もあるが、これはない方がよい」(四七四頁)と断言されます。

『辦道話』にても「大宋には臨済宗のみ天下にあまねし」と認識するわけですから、「今の仏祖、多く十方に出興せる」は、臨済の遠孫にほかなりませんから、「大潙(潙仰宗)の遠孫ではないから、遠孫にあらざる」と表記する事で整合性が保たれます。

「即ち大潙の遠孫なり」とは矛盾するような言い回しですが、雲門の法系であろうが法眼の法脈であっても、釈迦仏の法道を単伝するものですから、「大潙の遠孫」であっても「曹洞の遠孫」と表しても差し障りなく、この場は大潙(潙山)のトピックですから「大潙の遠孫なり」との文体に仕上げます。

これより話頭の日本文に漢文体である『真字正法眼蔵』を並記させます。

「大潙あるとき臥せるに、仰山来参す。大潙すなわち転面向壁臥す」

大潙一日臥次゚仰山来゚師乃転面向壁臥。

「仰山いわく、慧寂これ和尚の弟子なり、形迹もちいざれ」

仰曰゚某甲是和尚弟子゚不用形迹゚

「大潙おくるいきおいをなす。仰山すなわちいづるに、大潙召して寂子とめす」

師作起勢゚仰便出゚師召曰寂子゚

「仰山かへる」

仰迴頭゚

「大潙いわく、老僧ゆめをとかん、きくべし」

師云゚聴老僧説箇夢゚

「仰山こうべをたれて聴勢をなす」

仰低頭作聴勢゚

「大潙いわく、わがために原夢せよ、みん」

師曰゚爲我原看゚

「仰山一盆の水、一條の手巾をとりてきたる。大潙ついに洗面す。洗面しおわりてわづかに坐するに、香厳きたる」

仰取一盆水一条手巾来゚師遂洗面了纔坐゚香厳入来

「大潙いわく、われ適来寂子と一上の神通をなす。不同小々なり」

師云゚我適来与寂子作一上神通゚不同小小゚

「香厳いわく、智閑下面にありて、了々に得知す」

厳曰゚某甲在下面了了得知゚

「大潙いわく、子、こころみに道取すべし」

師曰゚子試道看゚

「香厳すなわち一椀の茶を点来す」

香厳乃点一椀茶来

「大潙ほめていわく、二子の神通智恵、はるかに鶖子目連よりもすぐれたり」

師歎曰゚二子神通智慧゚過於鶖子目連゚

話の文意は、大潙がある時昼寝していると、仰山がやって来た。大潙はすかさず壁の方に寝姿を反転した。仰山が云うには、私は和尚の弟子ですから、気遣いは無用です。大潙は起きようとすると、仰山は部屋を出ようとしたので、大潙は寂子と呼ぶ。仰山はふり返る。大潙が言うには、老僧が夢の話をするから、聞きなさい。仰山は頭を垂れて聴くポーズをした。大潙が言うには、私の為に夢判断(原夢)をしなさい。仰山は洗面器(盆)の水と、一本(条)の手ぬぐい(手巾)を持って来る。大潙はそこで顔を洗い、洗面し終わり坐っていると、香厳が来た。大潙が言うには、私は先ほどから(適来)寂子と一上(一番)の神通をしていた。不同小々(小々に同じからず)なり。香厳が云うには、私は下面(あめん・こちら)に在りて、了々(すべて)に得知す。大潙言わく、子(なんぢ)試みに道ってみなさい。香厳すぐに一椀の茶を点じ来た。大潙がほめて言うには、二人(子)の神通智恵は、鶖子(舎利弗)や目連よりも勝れたものである。舎利弗は智恵第一・目連は神通第一と称す。

「仏家の神通を知らんと思わば、大潙の道取を参学すべし。不同小々の故に、作是学者、名為仏学、不是学者、不名仏学なるべし。嫡々相伝せる神通智恵なり。さらに西天竺国の外道二乗の神通、および論師等の所学を学することなかれ」

「仏家の神通」とは大潙の言動である「仰山の盆水来、香厳の点茶来」に参じ学すべし。との事ですが、別の表現をすれば「仏陀の四客」にも通じ、師資相承する同期態、また『宝鏡三昧』での「臣は君に奉し、子は父に順ず」との意思とも通じ合う状況のようです。

「作是学者、名為仏学、不是学者、不名仏学」

(作是の学者は名為の仏学、不是の学者は不名の仏学)との読みは棒読みで意味を成さないとの評もあるでしょうが、従来通りに(是の学を作す者を、名づけて仏学と為し、是の学にあらざれば仏学と名づけず)と読んだのでは、「不同小々」つまり外道二乗等の小乗仏法とは同じでない、を承けての「作是不是・名為不名」ですから、ここでは相対的観点ではなく、「不是」も「不名」も絶対肯定としての不是であり不名と名詞化した、いわゆる仏法語としての位置づけと見るべきです。

この事実が釈迦如来より直下三十七世に伝持する「嫡々相伝の神通智恵」と定義し、この「大潙・仰山・香厳」の行実が其の神通智恵であり、小乗法の神通や教論学徒の及ぶ所ではない、との述法です。

「いま大潙の神通を学するに、無上なりといえども、一上の見聞あり。いわゆる臥次よりこのかた、転面向壁臥あり、起勢あり、召寂子あり、説箇夢あり、洗面了纔坐あり、仰山又低頭聴あり、盆水来、手巾来あり。しかあるを、大潙いわく、われ適来寂子と一上の神通をなすと。この神通を学すべし」

ここでは、大潙と仰山二人の立ち居振る舞いを挙げますが、香厳の「一椀の茶を点来」ともどもの問答進退、つまり日常底の「神通を学すべし」と提起し、これより神通の本来義が拈提されます。

「仏法正伝の祖師、かくの如く云う。説夢洗面と云わざる事なかれ、一上の神通なりと決定すべし。すでに不同小々と云う、小乗小量小見に同じかるべからず、十聖三賢等に同ずべきにあらず。彼らみな小神通を習い、小身量のみを得たり。仏祖の大神通に及ばず。これ仏神通なり、仏向上神通なり。この神通を習わん人は、魔外に運かさるべからざるなり。経師論師は未だ聞かざる処、聞くとも信受し難きなり。二乗外道経師論師等は小神通を習う、大神通を習わず。諸仏は大神通を住持す、大神通を相伝す。これ仏神通なり。仏神通にあらざれば、盆水来、手巾来せず。転面向壁臥なし、洗面了纔坐なし」

「仏法正伝の祖師」とは大潙の潙山霊祐が、「説夢洗面」と云わない事はなく、この一連の日常態を「一上の神通であると決定すべし」(一上は一神通+最上通の合成語)と説かれます。

潙山はすでに慧寂と一上の神通をなし、この神通は「小乗・小量・小見」や「十聖三賢」と称される修行者(有所得・有所悟)と同列にすべきではない。悟りに固執する彼らは、みな奇を衒う小神通を習学し、小身量を得るのみで、「仏祖の大神通」には及ばない。との認識ですが、云うなれば大潙の神通は、無量神通で際限がない事を言わんとする処です。

この無量神通を「仏神通・仏向上神通」と名付け、この日常態の仏神通を習学する修行者は、邪魔外道によって動揺させられるものではない。

「経師論師」も大潙の「仏神通・仏向上神通」を未だ聞かず、たとえ聞いても馬耳東風で信受できないとの見解です。先には「小乗・小量・小見・十聖三賢」を魔外つまり二乗外道と、ここでは経師論師の教学の専門家も加えて、「小神通を習い、大神通を習わず」と、大乗と小乗との差違を説くものです。

対比として「諸仏は大神通を住持・相伝」するを仏神通と呼称します。この仏神通でなければ、「盆水来・手巾来・転面向壁臥・洗面了纔坐」の日常茶飯は出来るものではない。つまり、日常生活の基本的動作がなければ、尊大な理想を掲げても泡沫夢幻で、実体が伴なわない譬えを説くものです。

ここまでは、仏神通と小神通との概説的説明に留まります。

「この大神通の力に覆われて、小神通等もあるなり。大神通は小神通を接す、小神通は大神通を知らず。小神通と云うは、いわゆる毛呑巨海、芥納須弥なり。また身上出水、身下出火等なり。又五通六通、みな小神通なり。これらのやから、仏神通は夢也未見聞在なり。五通六通を小神通と云う事は、五通六通は修証に染汚せられ、際断を時処に得るなり。在生にありて身後に現ぜず、自己にありて佗人にあらず。此土に現ずといえども佗土に現ぜず。不現に現ずといえども、現時に現ずる事を得ず」

これから具体的に小神通を明かし、大神通との違相を解かれ、拈提の山場となります。

ですから、この日常茶飯の大神通に包接されて、小神通が在るのである。そこで小神通の具体例として「毛呑巨海・芥納須弥」(一本の毛が大海を呑み、芥子の実が須弥山を納める)さらに「身上出水・身下出火」(身の上から水を出し、身の下から火を出す)を挙げられます。毛呑巨海の出典は『臨済録』(「大正蔵」四七・五〇三中)からです。これは後に「同録」からの話頭での提唱拈提が見られるからであるが、『宏智広録』に於いても三か所「毛呑巨海」が見られ、「神通」なる語は十八か所に確認されるが、臨済からの引用と為るものです。「身上出水」の出典は『法華経』妙荘厳品(「大正蔵」九・六〇上)となります。

ふつう、「一本の毛が大海を呑み込む」とは常識はずれで、不可思議の代表のように考えがちですが、謂わんとする所は、一本の毛の真実相と巨海の真実相とは、真実態としては変わりなく同時性である、との意です。また「芥子の実が世界(須弥)を納める」も同程の義です。「身上出水・身下出火」も実際に頭から水が湧き出したり、足元から火が出現したら驚くものですが、パラダイム転換を以てする視点で水は汗・火はエネルギーとして捉えれば、何ら不可思議性はなく日常茶飯の出来事と成ります。このように五通・六通(天耳・天眼通など)も日常の普遍と考えれば「みな小神通」と把捉されるものです。

「毛呑巨海や身上出水」を自慢するやからは、仏の大神通(盆水来・手巾来など)は夢にも未だ見聞した事がない(夢也未見聞在)であろう。この五通・六通を小神通と断言する根拠は、「修証に染汚せられ、際断を時処に得るなり」。つまりは、五通・六通の一時的通力を我執に取り込むから、真実相から離れ染汚せられるのであり、本来の通力は無辺際の連続態であるものが、ある時は得通、ある時は失通との間隙が生じるを言うものです。

この五通六通なる小神通は、生きてる間(在生)には有るが死んだ後(身後)には現ぜず、「自己にありて他人にあらず」との一方的顕現。「此土に現じ他土に現ぜず」「不現に現ず」と云っても、「現実には出現しない」との、小神通の偏頗なる理法の説明です。

「この大神通はしかあらず。諸仏の教行証、同じく神通に現成せしむるなり。ただ諸仏の辺に現成するのみにあらず、仏向上にも現成するなり。神通仏の化儀、まことに不可思議なるなり。有身より先に現ず、現の三際に関われぬあり。仏神通にあらざれば、諸仏の発心修行菩提涅槃いまだあらざるなり。今の無尽法界海の常不変なる、皆これ仏神通なり」

大潙仰山等が行ずる「盆水来、手巾来」の大神通は、これまで説いてきた五通六通の次元ではなく、「諸仏の教行証」つまりは、諸仏の真実相が教であったり行であったり証でありますが、「教行証」は別物ではなく、教の中に「行証」を兼含し、行の中に「教証」を包接し、証の中には「教行」を包含するのであるから、この諸仏の教行証は、「神通という事象として現成する」のである。因みに「教行証」を取り挙げるものに『諸悪莫作』『仏教』『説心説性』『密語』『菩提分法』各巻がある。

この大神通は「諸仏の周辺に現成するばかりではなく、仏の先々の仏向上にも現成する」とは、永劫に「神通仏の化儀」として現成するを意味し、この大神通を現成せしめる尽界の真実態の不可思議を説かれるものです。ここに来て始めて「神通仏」なる語句が導かれますが、これは十一回使用される「仏神通」に対する縁語とも考えられます。つまり「仏は神通なり」のテーゼを「神通は仏なり」のアンチテーゼに変換させ、意味の再構築を行うものです。いうなれば「即心即仏」→「非心非仏」の喩えの如くに。

「有身より先に現ず」とは、神通仏の化儀、つまり経豪和尚のことばを借りるならば、尽十方界真実人体の事実を「有身(肉身)より前に大神通が現成している」と述べ、「現の三際に関われぬあり」とは、過去・現在・未来の三際に関わらぬを神通と云う。

「仏神通」であるから、発心・修行・菩提・涅槃を感得できるのである。謂う所は、日常底の行持を発心と云い、盆水来を修行と名づけ、日々好日底が菩提・涅槃と自認することです。

さらに「無尽法界海の常不変」とは聞き慣れない語言ですが、海を無尽法界つまり尽十方界に喩え、常不変の状態を「仏神通」なりと加えるものです。

毛呑巨海のみにあらず、毛保任巨海なり、毛現巨海なり、毛吐巨海なり、毛使巨海なり。一毛に尽法界を呑却し吐却する時、ただし一尽法界かくの如くなれば、さらに尽法界あるべからずと学する事なかれ。芥納須弥等もまたかくの如し。芥吐須弥および芥現法界、無尽蔵海にてもあるなり」

この本則拈提の終段として、先ほどの小神通の「毛呑巨海」「芥納須弥」についての考察です。

「毛呑巨海」とは常識ではナンセンスなものですが、例えば精子の数ナノメートルの鞭毛一本にしても、驚くべきタンパク質分子モーターがあり毎分二万回転が出来る事実からも、一本の毛と巨海の構造は同等同質と同定されるものです。この事実を一毛は呑むばかりではなく「毛保任巨海」(一毛が大海を保任する)とも「毛現巨海」(一毛が大海を現ずる)とも表現でき、さらには「毛吐巨海」(一毛が大海を吐く)とも「毛使巨海」(一毛が大海を使う)ともと、これらの例言は道元独自なもので、一毛の言態に於いても無尽(巨海)の真実態と何ら差違するものではない、事実を述べんとするものです。

これまでの「一毛」と「尽界」との様子を「一毛に尽法界を呑却し吐却」する時に、尽法界を使い尽くすわけではなく、多元宇宙理論のように限りない法界が存する実態を、学ぶべきとの提言ですが、この「一毛」と「尽法界」は主客を離却したもので、「呑却」も「吐却」も共に神通と見なし、神通が神通を呑み吐きする道理により、その内に現成する事象が尽法界と位置づけられますから、無限の尽法界を兼含するものです。

「芥納須弥」(芥子の実が法界を現ず)と、このように芥子の一粒が無尽蔵海、つまり尽法界と同等同質と同定されるわけです。

「毛吐巨海、芥吐巨海するに、一念にも吐却す、万劫にも吐却するなり。万劫一念、同じく毛芥より吐却せるが故に。毛芥はさらに何よりか得せる。即ちこれ神通より得せるなり。この得、便ち神通なるが故に、ただまさに神通の神通を出生するのみなり。さらに三世の存没あらずと学すべきなり。諸仏はこの神通のみに遊戲するなり」

「一毛・巨海」「一念・万劫」を比較対象の概念で捉えるのではなく、「只同位の語であり、三界唯一心」(「註解全書」三・六四七)であるとは直接提唱を聴聞した詮慧和尚の言ですが、法嗣である経豪の解釈では「毛吐巨海、芥吐巨海みな是神通なり。吐と云うも一念も万劫も神通なり。故に長短を論ずべからず、只仏道の現ずる所、是則解脱なり、大神通なり」と、詮慧の言明を詳説したものです。つまりは、尽十方世界から眺望すれば「万劫」も「一念」も「呑」や「吐」も共に同等同質に同定されるを、「万劫一念、同じく毛・芥より吐却し、

神通より得せる」と記録されるわけです。

「神通より得せる」の得とは、一毛や芥子を成り立たせる真実底を「神通なるが故に」と、先の「盆水来・手巾来」の神通から無尽蔵海・尽法界の「神通」に等価したわけです。

この本則拈提の終句としては、「諸仏という真実現成態は、無尽蔵海なる尽法界神通のみに

遊戲するなり」と、尽十方界に現出するものが諸仏であるとの言明で、「遊戲」とは放蕩する事ではなく、日々努力精進する現況が「神通」との意に汲めます。

 

    二

龐居士公は、祖席の偉人なり。江西石頭の兩席に參學せるのみにあらず、有道の宗師おほく相見し、相逢しきたる。あるときいはく、神通幷妙用、運水及搬柴。この道理、よくよく參究すべし。いはゆる運水とは、水を運載しきたるなり。自作自爲あり、佗作教佗ありて水を運載せしむ。これすなはち神通佛なり。しることは有時なりといへども、神通はこれ神通なり。人のしらざるには、その法の廢するにあらず、その法の滅するにあらず。人はしらざれども、法は法爾なり。運水の神通なりとしらざれども、神通の運水なるは不退なり。搬柴とは、たき木をはこぶなり。たとへば六祖のむかしのごとし。朝打三千にも神通としらず、暮打八百にも神通とおぼえざれども、神通の見成なり。まことに諸佛如來の神通妙用を見聞するは、かならず得道すべし。このゆゑに一切諸佛の得道、かならずこの神通力に成就せるなり。しかあれば、いま小乘の出水、たとひ小神通なりといふとも、運水の大神通なることを學すべし。運水搬柴はいまだすたれざるところ、人さしおかず。ゆゑにむかしよりいまにおよぶ、これよりかれにつたはれり。須臾も退轉せざるは神通妙用なり。これは大神通なり、小々とおなじかるべきにあらず。

新たに龐居士に対する本則拈提となりますが、本題に入る前に居士の生きた時代状況と人となりを概観します。

龐居士(ほうこじ―808)の生きた時代は、八世紀後半から九世紀初頭の中唐と呼ばれる時代であり、その前の盛唐期の仏教では大きな変革が生じ、その基点が安史の乱(755―763)と呼ばれる政変であった。

安禄山以前の仏教は、王侯貴族の庇護のもと高遠な教理の探究であったが、以後の仏教界は藩鎮の台頭に伴って、長安・洛陽の二大都市から地方に分散し、特に禅家に於いては龐居士の時代、江西の馬祖(709―788)湖南の石頭(700―790)が多くの禅客を輩出した。

居士は湖南省の人で、代々儒家であったようで、『祖堂集』(四・一五三頁)では丹霞天然(738―823)と共に科挙の試験の為入京する様子が記述される。『随聞記』では居士の無所得の意気を「龐公は俗人なれども僧に劣らず、参禅の始め家の財宝を持ち出して海に沈めんとす」とのエピソードを紹介されますが、実際にはこのような話は後代の作者が維摩居士との聯関から加飾されたものであろう(入矢義高・「龐居士—その人と禅」参照)。との見方もあります。

「龐居士蘊公は、祖席の偉人なり。江西石頭の両席に参学せるのみにあらず、有道の宗師多く相見し、相逢し来たる。ある時云く、神通幷妙用、運水及搬柴。この道理、よくよく参究すべし」

本則話頭の出典籍は『景徳伝灯録』八(「大正蔵」五一・二六三中)ならびに『聯灯会要』六(「続蔵」七九・五五中)と思われます。

因みに『真字正法眼蔵』には三か所(上五・同八八・同九九)龐蘊居士が取り挙げられます。「龐居士蘊公」の言い方は、「伝灯録」では「襄州居士龐蘊」と記載されますから、龐と蘊を分けて敬称を以て「龐居士蘊公」とし、「祖席の偉人」」なりと最大限の文飾です。『三十七品菩提分法』巻では「龐蘊居士が祖席に参歴せし、薬山の堂奥を許されず、江西に及ばず。ただわづかに参学の名を盗めりと云えども、参学の実あらざるなり」(「岩波文庫」㈢二九六)との文言からは、別人が記した文章とも疑いたくなるものです。

「江西石頭の両席に参学」の江西とは馬祖道一(709―788)を、石頭とは石頭希遷(700―790)を指すものですが、石頭に参じた年を貞元元年(785)とされますが、その時に呈した偈が「日用事無別、唯吾自偶諧。頭頭非取捨、處處勿張乖。朱紫誰爲號、丘山絶點埃。神通并妙用、運水及般柴」(「大正蔵」五一・二六三中)「日用の事は別無し、唯だ吾れ自ら偶諧(うまく事が運ぶ)するのみ。頭頭(日常の営み)、取捨に非ず、処処、張乖(事がうまく運ばない)勿し。朱紫(人の好む色)誰か号を為す、丘山(山中)、点埃を絶す(塵ひとつない)。神通并びに妙用、水を運び及(ま)た柴(まき)を般(はこ)ぶ」であり、最後句の「神通并妙用、運水及般柴」の道理を「よくよく参究」しなさい、との問題提起となります。

因みに、石頭に呈した「水を汲み、薪を運ぶ」という日常底を禅修養の要態としたのは、馬祖禅の核心を為す日常即妙用つまり「作用即性」なので、石頭禅の特長は「本来性の探究」と云えよう。「語録」では石頭を辞して江西省の馬祖道一に「不与万法為侶者、是什麽人」と問い、馬祖の「待汝一口吸尽西江水、即向汝道」(汝が一口に西江の水を吸い尽くすを待って、即ち汝に向かって道わん)の言下に頓領し二年を経て、馬祖の末席の法嗣者と為るのである。

「有道の宗師多く相見し、相逢し来たる」とするが、『聯灯会要』では丹霞天然との往来を多く記し、他には「大同済禅師」「薬山」「僧縁化」(「続蔵」七九・五六上)等を記録しますが、他にも「斉峰・百霊・松山・石林」(「龐居士語録」上・六〇)等々の禅客に「相見・相逢」したようです。

「いわゆる運水とは、水を運載し来たるなり。自作自為あり、他作教他ありて水を運載せしむ。これ即ち神通仏なり。知る事は有時なりと云えども、神通はこれ神通なり。人の知らざるには、その法の廃するにあらず、その法の滅するにあらず。人は知らざれども、法は法爾なり。運水の神通なりと知らざれども、神通の運水なるは不退なり」

「運水」とは日常生活を営む為の必須要件ですが、小拙(1957生年)が日本で生まれ育った時には水道栓を回せば運水が出来ましたが、三十年以上前に訪れたバングラデシュカトマンズ盆地では、当時各家々には水道設備はなく、朝一番の井戸汲みの重労働が女・子供達の日常であった事を思い出すと、「自作自為」(みづからもし)あり、「他作教他」(人をしてもせしめる)せしむる事が神通仏との定言ですが、各人が「仏」(真実態の現成)であるから「神通」と為るのである。

日常の動作が「神通仏」である事実を知るのはある時(有時)の偶然でも、「神通」という行為自体は以前からのものですから、「神通はこれ神通なり」と記すわけです。

同じような論調で以て、人が知らない場合でも、神通という法が廃れるのでもなければ、神通法が滅するのでもない。また他人は「神通の妙用」を知らなくても、法(存在)自体には変わりない事から「法は法爾なり」と記し、「運水」をただの単純作業としか見れず、神通であると自覚できなくても、「運水が神通」なる道理は、知不知に関わらないから「不退なり」と文章化するものです。

現代の脳科学からも指摘できる所ではあるが、「運水」にしろ「般柴」にしろ、見るからに日常の光景であり摩訶不思議は感じられませんが、脳の中では「水を運ぶを思い浮かべ、手足を動かし、水場まで行き、目的に応じた場所に運ぶ」といった指令は、脳の各部位に細分化され、わずかな電気信号で以て相互に連絡し合う一連のシステムを考えただけでも、人間術とは思えぬ巧妙なシステムの上に為るものである。

「搬柴とは、たき木を運ぶなり。たとえば六祖の昔の如し。朝打三千にも神通と知らず、暮打八百にも神通と覚えざれども、神通の見成なり。まことに諸仏如来の神通妙用を見聞するは、必ず得道すべし。この故に一切諸仏の得道、必ずこの神通力に成就せるなり」

「搬柴」は、たき木運びと云えば六祖慧能に関連づけるは尋常である。「朝打三千、暮打八百」とは、朝から夕方まで驢馬事に追われる事を示し、「三千・八百」は大きな数を示すもので意味はなく、八万四千と同義となります。

つまり、朝の水運び夕方の薪運びは、だれもが神通とは自覚しないが、これらの日常態が「神通の見成」なのである。

「諸仏如来」とは修行する学人を指し、その学人の朝打三千暮打八百の日々底なる「神通妙用」を実際に「見聞」する学人は、必然的に得道するはずであり、ですから「一切諸仏」(精進辦道学人)人の得道は、必ず神通力の処で成就している。との解説ですが、日頃の立ち居振る舞いを綿密に行持すること自体が得道であり、神通そのものとの意味合いのようです。

「しかあれば、いま小乗の出水、たとい小神通なりと云うとも、運水の大神通なることを学すべし。運水搬柴は未だ廃れざる所、人差し置かず。故に昔より今に及ぶ、これより彼に伝われり。須臾も退転せざるは神通妙用なり。これは大神通なり、小々と同じかるべきにあらず」

「小乗の出水」とは前出の「身上出水、身下出火」を指しますが、このような奇怪な事は、時として出現するかも知れないが、「運水搬柴」のように日常に体得することが重要で、ある特定の人・特定の場処・特定の時間に於けるものでは、永続性はなく奇妙奇天烈であるから「小神通」と位置づけるわけだが、このような「小神通」を学得する人も「昔より今に及び、須臾も退転しない」大神通を「神通妙用」と認得すべきである。

この「大神通」(一上神通)は大潙の潙山霊祐が唱えるように、「小々と同じかるべき」(不同小々)ではないのである。

謂う所は、第一則話頭からの連続義を説くもので、第一則では「盆水来、手巾来」を、二則目では「運水搬柴」の神通妙用を説かれ両則ともに同趣意であり、また冒頭では「朝打三千なり、暮打八百なるを為体とせり」との言辞は、「朝打三千にも神通と知らず、暮打八百にも神通と覚えざれども」と転語される状況からも、冒頭序文から大潙の本則と龐居士の本則・拈提は一場の連続態を為すものである。

 

    三

洞山悟本大師、そのかみ雲巖に侍せりしとき、雲巖とふ、いかなるかこれ价子神通妙用。ときに洞山叉手近前而立。又雲巖とふ、いかならんか神通妙用。洞山ときに珍重而出。この因縁、まことに神通の承言會宗なるあり。神通の事存函蓋合なるあり。まさにしるべし、神通妙用は、まさに兒孫あるべし、不退なるものなり。まさに高祖あるべし、不進なるものなり。いたづらに外道二乘にひとしかるべきとおもはざれ。佛道に身上身下の神變神通あり。いま盡十方界は、沙門一隻の眞實體なり。九山八海、乃至性海、薩婆若海水、しかしながら身上身下身中の出水なり。又非身上非身下非身中の出水なり。乃至出火もまたかくのごとし。たゞ水火風等のみにあらず、身上出佛なり、身下出佛なり。身上出祖なり、身下出祖なり。身上出無量阿僧祇劫なり、身下出無量阿僧祇劫なり。身上出法界海なり、身上入法界海なるのみにあらず、さらに世界國土を吐卻七八箇し、呑卻兩三箇せんことも、またかくのごとし。いま四大五大六大諸大無量大、おなじく出なり没なる神通なり。呑なり吐なる神通なり。いまの大地虚空の面々なる、呑卻なり、吐卻なり。芥に轉ぜらるゝを力量とせり、毛にかゝれるを力量とせり。識知のおよばざるより同生して、識知のおよばざるを住持し、識知のおよばざるに實歸す。まことに短長にかゝはれざる佛神通の變相、ひとへに測量を擧して擬するのみならんや。

三則目話頭は洞山良价(807―869)と師匠である雲巌曇晟(782―841)との短い問答になります。

出典籍は『筠州洞山悟本禅師録』(「大正蔵」四七・五〇八中)からの「師侍雲巌、巌問、如何是价子神通妙用。師叉手近前而立。又問、如何是神通妙用。師便珍重出」で、そのままの引用です。

この本則も前述を承けての「神通妙用」に対する拈提であり、前々述に於ける「毛介・吐却呑却」を取り扱うことで、一連の通提を為すものです。

「洞山悟本大師、そのかみ雲巌に侍せりし時、雲巌問う、いかなるかこれ价子神通妙用。時に洞山叉手近前而立。又雲巌問う、いかならんか神通妙用。洞山ときに珍重而出」

洞山良价は二十一歳で具足戒を受け、南泉普願(748―834)・潙山霊祐(771―853)と歴参し、潙山との無情説法話をめぐり雲巌曇晟に師事し、法嗣四人の筆頭に住し、曹洞禅の祖となる。

一方の雲巌は百丈懐海(749―814)に二十年師事し、その示寂後に薬山惟儼(745―828)の十人の法嗣の一員と為る。

「珍重」とは別れの辞で、「お大事に・おやすみ」等の意で、熟語としては「不審珍重」の語句があり、「不審」とは挨拶のことばで、ご機嫌いかがですか。の意があり、禅門の古くからの慣習として、「不審珍重」と祖門に呼びかける。また、法戦式なるもので、首座と大衆との問答時にて最後に「珍重」と大衆が云い、それを承けて「万歳」(ばんぜい)と首座が呼応するが、本来の意味合いを廃し狂言(漫才)の如き様態は、宗教の空疎化を感ず。

「この因縁、まことに神通の承言会宗なるあり。神通の事存函蓋合なるあり。まさに知るべし、神通妙用は、まさに児孫あるべし、不退なる者なり。まさに高祖あるべし、不進なるものなり。いたづらに外道二乗に等しかるべきと思わざれ」

「この因縁」とは雲巌と洞山師資との啐啄同期的意味合いを、『参同契』の「万物自有功、当言用及処、事存函蓋合、理応箭鋒拄、承言須会宗、勿自立規矩」(「大正蔵」五一・四五九中)からの引用になるものですが、雲巌の「いかなるかお前さんの神通妙用」の「いかなる」に対する神通としての「叉手近前而立」を「承言会宗」(言を承けては宗を会す)とし、その両人の当意即妙を「神通の事存函蓋合」(事存すれば函蓋合す)と言い表されたわけです。

この両頭による「神通妙用」は師から弟子へと承け継がれる「児孫」である「高祖洞山」だからこそ、「不退・不進」に而立する洞山悟本大師を讃嘆するもので、このような神通妙用は、出水出火の「外道二乗」などと同等ではない旨の、詳細な神通論へと展開されます。

仏道に身上身下の神変神通あり。いま尽十方界は、沙門一隻の真実体なり。九山八海、乃至性海、薩婆若海水、しかしながら身上身下身中の出水なり。又非身上非身下非身中の出水なり。乃至出火もまたかくの如し。ただ水火風等のみにあらず、身上出仏なり、身下出仏なり。身上出祖なり、身下出祖なり。身上出無量阿僧祇劫なり、身下出無量阿僧祇劫なり。身上出法界海なり、身上入法界海なるのみにあらず」

先には「身上身下の出水出火」等は小神通なりと諌められましたが、この頁で扱う「身上身下」は仏道に於ける「神変神通」の尽十方界真実人体なる身上身下として説き明かされるものです。

先ずは、「身上身下」を別語の「尽十方界」と表し、それを『光明』巻で説く処の長沙が説く「尽十方界是沙門眼」を「沙門一隻の真実体」とするものですが、「正法眼蔵」提唱での尽十方界を検索すると八十九回の使用頻度で、巻数にすると「七十五巻本」の内、「身心学道」等々二十六巻の提唱にて、この「尽十方界」を頻出するは道元禅に於けるキーワードとも言い得るものです。

この尽十方界を表現する熟語として、「九山八海」(インドで考えられた須弥山を中心とする宇宙観)乃至「性海」(華厳で説く仏性海)「薩婆若(一切智)海水」(「大智度論」巻三七(「大正蔵」二五・三二九下)では「薩婆若是十方三世諸仏真実智慧」とす)を示されます。

「しかしながら身上・身下・身中の出水なり」のしかしながらは、古語でありまして、「すべて・そっくりそのまま・ことごとく」と訳す事で、すべてが「身上・身下・身中」の尽十方界の真実体としての活動(出水)であり、尋常の手法として「非身上・非身下・非身中」の出水なり。と、小乗神通に対し、十方界が身体であり、その真実体の活動自体を出水であるとの違いを示されます。同じように「身下出火」についても、「身上・身下・身中の出火」ならびに「非身上・非身下・非身中の出火」であると。

さらに「身上出水・身下出火」との例示でしたから、四大元素を元に「(地)水火風」等のみにあらずと、「身通妙用の如何」の範囲を身上身下の「出仏・出祖・無量阿僧祇劫・法界海」と、これらの表現態で以て「尽十方界は沙門一隻の真実体」と、無制限性を示されるわけです。

「さらに世界国土を吐却七八箇し、呑却両三箇せん事も、またかくの如し。いま四大五大六大諸大無量大、同じく出なり没なる神通なり。呑なり吐なる神通なり。いまの大地虚空の面々なる、呑却なり、吐却なり。芥に転ぜらるるを力量とせり、毛にかかれるを力量とせり。識知の及ばざるより同生して、識知の及ばざるを住持し、識知の及ばざるに実帰す。まことに短長に関われざる仏神通の変相、ひとえに測量を挙して擬するのみならんや」

さらに「世界国土を吐却七八箇、呑却両三箇」の譬えも無辺際を意味するもので、尽十方界に於ける全体を神通と捉え、また「四大」(地水火風)「五大」(地水火風空)「六大」(地水火風空識)で以て全体を表徴させ、そこでも「出」「没」なる「神通なり」との譬喩を説かれ、同様な手法で「呑」「吐」なる「神通なり」と、さらに「大地虚空」を尽十方界に置き換え、その「面々」の真実態を「呑却・吐却」している事実を、神変神通と定置するのですが、同義の句を再三に続けて説くやり方は、インド伝来の口称を引き継ぐものです。

これまで極大尽界の世界を説明してきたので、「毛呑巨海・芥納須弥」に代表される芥子の極小に大地虚空が転換され、また一毛の極細と大地虚空が同量の「力量とせり」と示すは、即ち芥毛中に尽大地、尽虚空が呑却吐却されるを「力量とせり」と言われます。

「識知(知覚認識)の及ばざる」所を、尽十方界沙門一隻の真実体と云うのであるが、認知の六識感覚だけを頼りにせず、認知の及ばない裏側をも含めた全体を、「同生し、住持し、実帰する」を、神通仏・仏神通と云うのである。

「短長」であろうが、大地虚空・世界国土であろうが、「仏神通」神変神通の千変様相であり、ただ単に、人間の意識作用(測量)の認知で以て、決められるものではない事を、「擬するのみならんや」と聴聞衆に対し問いかけの話法を用いますが、この言い回しは相手に託し、みづから考えなさい。の意も含まれた話術のようです。

これにて雲巌・洞山師資による「叉手近前而立」と「珍重而出」の何でもない行為が、認識作用の及ばない「仏神通」で有ったことへの提唱は終わります。

 

    四

むかし五通仙人、ほとけに事奉せしとき、仙人とふ、佛有六通、我有五通、如何是那一通。ほとけ、ときに仙人を召していふ、五通仙人。仙人應諾す。佛云、那一通、爾問我。

この因縁、よくよく參究すべし。仙人いかでか佛に有六通としる。佛有無量神通智恵なり、たゞ六通のみにあらず。たとひ六通のみをみるといふとも、六通もきはむべきにあらず、いはんやその餘の神通におきて、いかでかゆめにもみん。しばらくとふ、仙人たとひ釋迦老子をみるといふとも、見佛すやいまだしや、といふべし。たとひ見佛すといふとも、釋迦老子をみるやいまだしや。たとひ釋迦老子をみることをえ、たとひ見佛すといふとも、五通仙人をみるやいまだしや、と問著すべきなり。この問處に用葛藤を學すべし、葛藤斷を學すべし。いはんや佛有六通、しばらく隣珍を算數するにおよばざるか。いま釋迦老子道の那一通、爾問我のこゝろ、いかん。仙人に那一通ありといはず、仙人になしといはず。那一通の通塞はたとひとくとも、仙人いかでか那一通を通ぜん。いかんとなれば、仙人に五通あれど、佛有六通のなかの五通にあらず。仙人通はたとひ佛通の所通に通破となるとも、仙通いかでか佛通を通ずることをえん。もし仙人、佛の一通をも通ずることあらば、この通より佛を通ずべきなり。仙人をみるに佛通に相似せるあり、佛儀をみるに仙通に相似せることあるは、佛儀なりといへども、佛神通にあらずとしるべきなり。通ぜざれば、五通みな佛と同じからざるなり。たちまちに那一通をとふ、なにの用かある、となり。釋迦老子こゝろは、一通をもとふべし、となり。那一通をとひ、那一通をとふべし、一通も仙人はおよぶところなし、となり。しかあれば、佛神通と餘者通とは、神通の名字おなじといへども、神通の名字はるかに殊異なり。

四則目の話頭出典籍は『聯灯会要』一(「続蔵」七九・一四中)で、「世尊因五通仙人問云、世尊有六通、我有五通、如何是那一通。世尊召云、五通仙人。通應諾。世尊云、那一通、汝問我」からの引用です。また『永平広録』三九四則(建長二年(1250)十月以降の上堂)では同則に続き「三界世尊喚一声゚五通仙人応一声゚五通六通那一通゚有辺無辺無有辺゚盥水点茶供和尚゚永平門下又且如何゚五通仙人本期欲偸小釈迦眼睛而見小釈迦゚忽然見得大釈迦時如何゚良久云゚仙人非先所望゚乞児打破飯埦」(三界世尊、喚ぶこと一声゚五通仙人応ずる一声。五通六通、那一通゚有辺無辺、無有辺。盥水点茶(前出の仰山・香厳の故事)、和尚に供す。永平門下、又、且く如何゚五通仙人、本より小釈迦の眼睛を偸んで小釈迦(仰山)を見んと欲するを期す゚忽然として大釈迦を見得する時、如何゚良久して云く、仙人、先の所望に非ず、乞児飯埦を打破す)

「昔、五通仙人、ほとけに事奉せし時、仙人問う、仏有六通、我有五通、如何是那一通。ほとけ、時に仙人を召して言う、五通仙人。仙人応諾す。仏云、那一通、爾問我」

五通仙人と称する外道が、仏に近侍する時に、仙人が云うには、仏には六通があり、私には五通があるが、その差の一通は如何。仏は斎に仙人を召んで言う、五通仙人、と。仙人がハイと応ず。仏が言うには、その一通は、爾が我に問うた事。

この話頭は『他心通』巻での慧忠国師と西天大耳三蔵との応説を思い浮かべる則である。

「この因縁、よくよく参究すべし。仙人いかでか仏に有六通と知る。仏有無量神通智恵なり、ただ六通のみにあらず。たとい六通のみを見ると云うとも、六通も究むべきにあらず、いわんやその余の神通に於きて、いかでか夢にも見ん」

「仙人いかでか仏に六神通あると知る」と、疑問符を投げかけられますが、『法華経』全巻に於いても六か所「六神通」が記され、毎朝の朝課でも「三明六通」云々でも知られる如く、インドでは「仏有六通」は一般的であるが、いま一度、大乗に於ける仏と仙人との因縁を参学究明しよう、と拈提が開始されます。

それに対し拈提では、仏の通力は「無量神通智恵」が有るとは読まず、「仏有は無量神通智

恵」なりと読み込むことで、仏そのものが神通であり、五とか六とかの数の問題ではない事を、「六通のみを見ると云うとも、六通も究むべきにあらず」と言われ、仏とは無限定となれば、「いかでか夢にも見ん」の如くに、どうして「無量神通智恵」を原夢できようか。と、仏と仙人との次元の違いを述べられます。

「しばらく問う、仙人たとい釈迦老子を見ると云うとも、見仏すや未だしや、と云うべし。たとい見仏すと云うとも、釈迦老子を見るや未だしや。たとい釈迦老子を見る事を得、たとい見仏すと云うとも、五通仙人を見るや未だしや、と問著すべきなり。この問処に用葛藤を学すべし、葛藤断を学すべし。いわんや仏有六通、しばらく隣珍を算数するに及ばざるか」

ここから、更なる考究を以て「しばらく問う」と発問を聴聞衆・便ち現今の我々に問い掛ける設定です。

五通仙人は釈尊に事奉していたが、表面上の仏有六通だけしか見ず、真眼で以て「見仏」つまり、尽十方界真実体としての釈迦老子を見ているかとの問い掛けです。

また、「釈迦老子を見、見仏した」と云っても、五通仙人としての本来面目の自己を見ているか、と問著すべきなり。とは、尽十方界真実相を認得しなさいとの言になりますが、このように説いて来たように現成公案である尽十方界の真実態は、幾重もの機縁が生じ、葛(くず)や藤づるが絡まるような「用葛藤・葛藤断」を参学しなさい。と説くわけですが那一通の問処の答処には、定まったものはなく無量神通知恵を葛藤と置き換え、用葛藤の用も葛藤断の断も共に、無量神通知恵の時々の様態で有るわけです。

ですから、「仏に六通が有る」と断言する事は、隣人の珍宝を数える(算数・さんじゅ)行為にも及ばない事である。との解説ですが謂わんとする所は、尽十方界の真実体には五通六通と云った枠組みはなく、釈迦老子が説く「那一通」に収斂され、或いは無量神通知恵とも或いは神変神通とも、または十方界沙門一隻真実体とも呼び親しむのである。

これまでが概説的説明になり、次に那一通に対する拈提です。

「いま釈迦老子道の那一通、爾問我のこころ、如何。仙人に那一通ありと云わず、仙人になしと云わず。那一通の通塞はたとい説くとも、仙人いかでか那一通を通ぜん。如何となれば、仙人に五通あれど、仏有六通の中の五通にあらず。仙人通はたとい仏通の所通に通破となるとも、仙通いかでか仏通を通ずる事を得ん。もし仙人、仏の一通をも通ずることあらば、この通より仏を通ずべきなり。仙人を見るに仏通に相似せるあり、仏儀をみるに仙通に相似せる事あるは、仏儀なりと云えども、仏神通にあらずと知るべきなり。通ぜざれば、五通みな仏と同じからざるなり」

本則話頭での釈尊が道う「那一通、爾問我」の意味(こころ)とは、どういうものであるかを問われます。

仙人は釈尊を相手に自分に欠ける一通を問うのに対し、釈迦老子は爾問我との那一通を棒喝をも使わずに説き示すも、解会しない五通仙人を称して「通塞はたとい説くとも、仙人いかでか那一通を通ぜん」と言われ、謂うなれば釈迦と仙人との次元の違い、仙人の勘所の無さを「仙人に五通あれど、仏有六通の中の五通にあらず」と言い含むものです。

さらに主客・能所を入れ替える形で、仏通→仙通は自在に通じ破する事が出来るが、仙通→仏通は及ぶべきではない。もしも仙人が、仏の一通つまり那一通という全体に通ずること有らば、仏に通ずる事も可能であるが、五通・六通の算数をしているようでは適うはずもない事である。

仏通も仙通も形態上は「身上身下の出水火」と相似する所もあるが、仏の姿(威儀)を見て仙通と似通った所が有れば、仏の威儀であっても「仏神通」ではないと自覚すべきである。

那一通に通じなければ、、全体把捉が出来ない五通仙人は、仏と同等ではないのである。

「忽ちに那一通を問う、何の用か有るとなり。釈迦老子のこころは、一通をも問うべしとなり。那一通を問い、那一通を問うべし、一通も仙人は及ぶ所なしとなり。しかあれば仏神通と余者通とは、神通の名字同じと云えども、神通の名字はるかに殊異なり」

五通仙人が突然に「那一通を問う」のは、その自分にはない一通が、何かの用件に役立つのか、と問うているのである。釈尊の気持ち(こころ)は、六通に足りない一通ではなく、尽十方界真実体なる全体把捉する「那一通」を問うて見よ、と言われるのです。仙人にはその一通(那一通)は及ぶところなし。と、仏と仙人との次元の相違です。

ですから(しかあれば)、仏の神通と他の者との神通は、神通の名前(名字)は同じであるが、神通の字義が天地ほど殊に異なるのである。本則自体は七十文字ほどの短い話頭ですが、仏を釈迦老子と親しみを込めて呼称し、仙人との根本的差異が有る事を論証されましたが、仙人はインド古来のバラモン教徒として捉える事で、インドの土着習俗からの超脱が仏道であるとも云えるわけです。

 

    五

臨濟院慧照大師云、古人云、如來擧身相、爲順世間情。恐人生斷見、權且立虚名。假言三十二、八十也空聲。有身非覺體、無相乃眞形。儞道、佛有六通、是不可思議。一切諸天神仙阿修羅大力鬼、亦有神通、應是佛否。道流莫錯、祗如阿修羅與天帝釋戰、戰敗領八萬四千眷屬、入藕孔中藏。莫是聖否。如山僧所擧、皆是業通依通。夫如佛六通者不然。入色界不被色惑、入聲界不被聲惑、入香界不被香惑、入味界不被味惑、入觸界不被觸惑、入法界不被法惑。所以達六種色聲香味觸法、皆是空相、不能繋縛。此無依道人、雖是五蘊漏質、便是地行神通。道流、眞佛無形、眞法無相。儞祗麼幻化上頭作模作様、設求得者、皆是野狐精魅、竝不是眞佛、是外道見解。しかあれば、諸佛の六神通は、一切諸天鬼神および二乘等のおよぶべきにあらず、はかるべきにあらざるなり。佛道の六通は、佛道の佛弟子のみ單傳せり、餘人の相傳せざるところなり。佛六通は佛道に單傳す、單傳せざるは佛六通をしるべからざるなり。佛六通を單傳せざらんは、佛道人なるべからずと參學すべし。

本則話頭は『臨済語録』(「大正蔵」四七・五〇〇上)からの転用であり、一字一句そのままの引用となります。この説法は学人(修行者)に向かい、仏(釈尊)の究竟についての教示の一部です。

臨済義玄(―867)鎮州(河北省石家荘市正定県)の臨済院に住し禅風を起こし、慧照は諡号で、墓塔は澄霊と号す。臨済院は、節度使であり檀那である王常侍が寄進したものと云われます。例えるなら黄檗における裴休(宣州刺使・宣歙観察使)の如き存在であろうか。

「七十五巻正法眼蔵」に於いても十巻以上で「臨済」を取り挙げられ、臨済の語は七十か所以上にも渉り用いられる事からすると、好嫌に拘わらず臨済への意識は常に眼睛裏に在ったようである。

臨済院慧照大師云、古人云、如来挙身相、為順世間情。恐人生断見、権且立虚名。仮言三十二、八十也空声。有身非覚体、無相乃真形」

臨済義玄が云う。古人が云うには、如来の全身(挙身)の相好は、世間の人情に順う為である。人の断見の生ずるを恐れて、権(かり)に且く虚名を立つ。仮に三十二と言い、八十も也(ま)た空声と言う。有身は覚体に非ず、無相は乃ち真形なり。

「古人」とは傅大士(ふだいし・497―569)を指し、「如来挙身相—略—無相乃真形」は『梁朝傅大士頌金剛経』(大正蔵八十五・二中)の「如理実見分第五」に於ける弥勒頌日に続く偈頌を引用するものです。「断見」は常見の対語で、世界常住不変・無に執着する見解を云うが、釈尊は中道を説く。「覚体」は無相の自己を覚った仏陀を云う。

「你道、仏有六通、是不可思議。一切諸天神仙阿修羅大力鬼、亦有神通、応是仏否。道流莫錯、祗如阿修羅与天帝釈戦、戦敗領八万四千眷属、入藕孔中蔵。莫是聖否。如山僧所挙、皆是業通依通」

你が道う、仏に六通有り、是れ不可思議なり。一切の諸天である神仙や阿修羅や大力鬼も、亦た神通有り、応(まさ)に是れ仏なるべきや。道流(参学人)錯まる莫かれ、ただ(祗)阿修羅が天帝釈と戦うが如き、戦い敗れて八万四千の眷属を領(ひき)いて、藕(はす)の孔(あな)の中に入りて蔵(かく)る。是れ聖なること莫しや否や。山僧(臨済)が挙する所の如きは、皆是れ業通(宿業通)なり依通(業力・呪術)なり。

「諸天」は天上界の神々。「神仙」は仙人を指し、バラモン行者を云う。「阿修羅」は争いの神。「大力鬼」は餓鬼道の神。

「阿修羅与天帝釈」の話は、『大方広仏華厳経感応伝』(「大正蔵」五一・一七六下)や『菩薩処胎経』第七(「大正蔵」一二・一〇五一中)に確認出来ますが、ここでは最後の本則に関連する『古尊宿語録・百丈広語』(「続蔵」一一八・一六八)を筆頭に掲げます。

「夫如仏六通者不然。入色界不被色惑、入声界不被声惑、入香界不被香惑、入味界不被味惑、入触界不被触惑、入法界不被法惑。所以達六種色声香味触法、皆是空相、不能繋縛。此無依道人、雖是五蘊漏質、便是地行神通」

夫れ仏の六通の如きは然らず。色界に入りて色に惑せられず、声界に入りて声に惑せられず、香界に入りて香に惑せられず、味界に入りて味に惑せられず、触界に入りて触に惑せられず、法界に入りて法に惑せられず。所以に六種の色声香味触法に達すれば、皆是れ空相なり、繋縛すること能わず。此れ無依の道人なり、是れ五蘊漏質なりと雖も、便ち是れ地行神通なり。

「仏六通」は神境通・天眼通・天耳通・他心通・宿命通・漏尽通を云い、前五通は諸天神仙、仏のみ漏尽を有す。

「入色界不被色惑」以下は、臨済独自の解釈。「五蘊漏質」は色・受・想・行・識の身体の煩悩性。「地行神通」とは地を行く、そのままが神通に意で、雲水搬柴の神通妙用に通底。

「道流、真仏無形、真法無相。你祗麼幻化上頭作模作様、設求得者、皆是野狐精魅、並不是真仏、是外道見解」

道流、真仏は無形なり、真法は無相なり。你は祗麼(ひたすら)に幻化の上頭に模を作し様を作す。設え求め得る者は、皆な是れ野狐精魅なり。並びに是れ真仏にあらず、是れ外道の見解なり。

「道流」は修行者への呼びかけ。「真仏真法、無形無相」は既成概念の払拭。「祗麼」は、このようにの意。「幻化上頭」とは妄想の概念化。「作模作様」は分別・造作して、見当違いの修行をすること。「野狐精魅」は野ぎつねのまやかし。

「しかあれば、諸仏の六神通は、一切諸天鬼神及び二乗等の及びべきにあらず、測るべきにあらざるなり。仏道の六通は、仏道仏弟子のみ単伝せり、余人の相伝せざる処なり。仏六通は仏道に単伝す、単伝せざるは仏六通を知るべからざるなり。仏六通を単伝せざらんは、仏道人なるべからずと参学すべし」

ここで説く拈提は、直接的には臨済の言辞を評するものではなく、仏は仏に相嗣相伝し、単伝するものであるを説く一般論であり、次段の拈提に連絡する文言ですが、臨済に対する論評を聴法したいものです。

 

    六

百丈大智禪師云、眼耳鼻舌、各々不貪染一切有無諸法、是名受持四句偈、亦名四果。六入無迹、亦名六神通。祗如今但不被一切有無諸法礙、亦不依住知解、是名神通。不守此神通、是名無神通。如云無神通菩薩、蹤跡不可得尋、是佛向上人、最不可思議人、是自己天。

いま佛々祖々相傳せる神通、かくのごとし。諸佛神通は佛向上人なり、最不可思議人なり、是自己天なり、無神通菩薩なり。知解不依住なり、神通不守此なり、一切諸法不被礙なり。いま佛道に六神通あり、諸佛の傳持しきたれることひさし。一佛も傳持せざるなし、傳持せざれば諸佛にあらず。その六神通は、六入を無迹にあきらむるなり。無迹といふは、古人のいはく、六般神用空不空、一顆圓光非内外。非内外は無迹なるべし。無迹に修行し、參學し、證入するに、六入を動著せざるなり。動著せずといふは、動著するもの三十棒分あるなり。しかあればすなはち、六神通かくのごとく參究すべきなり。佛家の嫡嗣にあらざらん、たれかこのことわりあるべしともきかん。いたづらに向外の馳走を歸家の行履とあやまれるのみなり。又、四果は、佛道の調度なりといへども、正傳せる三藏なし。算沙のやから、跰のたぐひ、いかでかこの果實をうることあらん。得小爲足の類、いまだ參究の達せるにあらず。たゞまさに佛々相承せるのみなり。いはゆる四果は、受持四句偈なり。受持四句偈といふは、一切有無諸法におきて、眼耳鼻舌各々不貪染なるなり。不貪染は不染汚なり。不染汚といふは、平常心なり、吾常於此切なり。六通四果を佛道に正傳せる、かくのごとし。これと相違あらんは佛法にあらざらんとしるべきなり。しかあれば、佛道はかならず神通より達するなり。その達する、涓滴の巨海を呑吐する、微塵の高嶽を拈放する、たれか疑著することをえん。これすなはち神通なるのみなり。

「当巻」に於ける最後の本則は『古尊宿語録・百丈広語』(「続蔵」一一八・一七八)に対する拈提と為ります。少々の字句の出入りはありますが、そのままの引用文となります。()は続蔵

「百丈大智禅師云、眼耳鼻舌、各々不貪染一切有無諸法、是名受持四句偈、亦名四果。六入無迹、亦名六神通。祗如今但不被一切有無諸法礙、亦(無)不依住知解、是名神通。不守此神通、是名無神通。如云無神通菩薩、蹤跡(足跡)不可得(なし)尋、是仏向上人、最不可思議人、是自己天」

百丈大智禅師云く、眼耳鼻舌は、各々(おのおの)一切の有無諸法に貪染せず、是を受持四句偈と名づく、亦は四果と名づく。六入無迹なるを、亦た六神通と名づく。祗(ただ)今は但し一切の有無諸法に礙えられず、亦知解に依住せざるが如し、是を神通と名づく。此の神通を守らざる、是を無神通と名づく。云うが如きの無神通菩薩は、蹤跡尋ぬるは得べからず、是れ仏向上人なり、最も不可思議人なり、是れ自己天なり。

「無神通菩薩、蹤跡不可得尋、是仏向上人、最不可思議人」と謂う所に、日常底の作用即性を説く馬祖の家風を、百丈が承け継ぐものです。

「四果」は預流・一来・不還・阿羅漢果の四位を云う。「六入無迹」は六根(眼耳鼻舌身意)六境(色声香味触法)が相互渉入し、跡形も残さない境。「礙」は邪魔して止める・妨げる。

「百丈大智禅師云、眼耳鼻舌、各々不貪染一切有無諸法、是名受持四句偈、亦名四果」は次段である『阿羅漢』巻に、そのまま転用される事からも、眼蔵配列の脈絡性が読み解かれる。

「六入無迹を六神通と名づける」という方途は、臨済の云う「入色界不被色惑」に通底する仏六神である。

「いま仏々祖々相伝せる神通、かくの如し。諸仏神通は仏向上人なり、最不可思議人なり、是自己天なり、無神通菩薩なり。知解不依住なり、神通不守此なり、一切諸法不被礙なり。いま仏道に六神通あり、諸仏の伝持し来たれること久し。一仏も伝持せざるなし、伝持せざれば諸仏にあらず。その六神通は、六入を無迹に明らむるなり」

百丈の言を順逆入れ替えて、「諸仏神通」を別語で把捉するなら「仏向上人」「最不可思議人」を、別名「無神通菩薩」とも云い得、拈提文の如くに分節言語体を、諸仏神通なる無分節体に収容する作業です。

仏道の六神通」とは「六入無迹」を明らかにする事ですが、六根・六境の感覚に惑わされず、尽十方界真実体を生き続ける姿勢を諸仏の伝持する六神通と云うわけである。

「無迹と云うは、古人の云わく、六般神用空不空、一顆円光非内外。非内外は無迹なるべし。無迹に修行し、参学し、証入するに、六入を動著せざるなり。動著せずと云うは、動著する者、三十棒分あるなり」

「古人」とは永嘉玄覚(665―713)を指し、六祖慧能法嗣者四十三人の十五位に列する。「六般神用空不空、一顆円光非内外」は玄覚の著とされる『証道歌』(「大正蔵」五一・四六〇上)の一節ですが、「一顆円光非内外」は原文では「色非色」でありますが、この改変は恐らく色は六境に含まれますから、一顆明珠(円光)の無尽を言い表す為に非内外の語に差し替えたものと思われます。

この「内外に非ず」が「無迹」であるのであるが、六根・六識等に執著せず跡形を留めない状態を、「無迹に修行」と言ったり「六入を動著せず」との表現態を用いるものです。ここで動著しても、しなくても「三十棒分」を与えるのであるが、この三十棒は賞罰の義ではなく、無迹の義である。

「しかあれば即ち、六神通かくの如く参究すべきなり。仏家の嫡嗣にあらざらん、誰かこのことわり有るべしとも聞かん。いたづらに向外の馳走を帰家の行履と錯まれるのみなり」

「六神通」に対する総論としては、㈠仏家の嫡嗣でなければ六通(那一通)には達せず。㈡野狐精魅は外に向かって神通を求めるを、家に帰り着く方途(行履)であると勘違いするを外道見と云うのである。と、仏家と仙家との明白裏を説くものです。

「又、四果は、仏道の調度なりと云えども、正伝せる三蔵なし。算沙のやから、跰の類い、如何でか此の果実を得る事あらん。得小為足の類、未だ参究の達せるにあらず。ただまさに仏々相承せるのみなり」

また、一来・預流・不還・阿羅漢などの「四果」は、仏道に於いては欠くべからざる「調度」(備品)ではあるが、そこには経・律・論の「三蔵」を正伝する法師が居らず、相承される事がなく一代限りである。

黒豆法師と揶揄される「算沙のやから」や「跉跰のたぐい」(『法華経』「信解品」では逃逝)のように彷徨う連中には、「この果実」(六神通・那一通)を得る事は出来ないであろう。

「得小為足」とは、小さきを得て足れりとする小乗の漢を、つまりは算沙・跉跰徒を示唆するもので、これらの四果の連中には、師資相承は覚束なく「参究の達せるにあらず」との厳しい言です。「得小為足」の語句は『妙法蓮華経文句』や『大乗義章』等にて確認できる。

「いはゆる四果は、受持四句偈なり。受持四句偈と云うは、一切有無諸法に於きて、眼耳鼻舌各々不貪染なるなり。不貪染は不染汚なり。不染汚と云うは、平常心なり、吾常於此切なり」

「四果」⇄「受持四句偈」⇄「一切有無諸法」=「眼耳鼻舌各々不貪染」との図式が成り立ち、百丈の述ぶる所感を弁肯するもので、「不貪染」=「不染汚」=「平常心」=「吾常於此切」である所を拈提するものです。つまりは不染汚とは大仰な事柄ではなく、南泉が云う処の平常心(日常底)であり、洞山の説く吾常於此切(いつでも其の事に為り切る)が、馬祖が云わんとするものであるとの見解です。

「六通四果を仏道に正伝せる、かくの如し。これと相違あらんは仏法にあらざらんと知るべきなり。しかあれば、仏道は必ず神通より達するなり。その達する、涓滴の巨海を呑吐する、微塵の高嶽を拈放する、たれか疑著する事を得ん。これ便ち神通なるのみなり」

「六通四果を仏道に正伝」するとは先述の如くに、天上空を飛翔するような奇異な言動ではなく、平常心・吾常於此切が神通であることは、「大潙・仰山・香厳」による「盆水来・手巾来」で証明されるものです。「仏道は必ず神通より達する」とは、「一法究尽する道理を、このように云う」(「註解全書」三・六四二)とは経豪和尚の見方です。

最後にまとめとして、「涓滴(一滴)の巨海を呑吐する」「微塵の高嶽を拈放する」は、はじめの「毛呑巨海・芥納須弥」に通脈するものであり、誰が疑うことが有ろうかと、尽十方界での事象・事物は疑う事の出来ない「神通」である。