正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

酒井得元 坐禅箴 提唱

    坐禅箴 提唱 昭和49年5月24日 

宗門の道元禅師の坐禅が「どうあらねばならないか」と云う事が一番はっきりと言われているのがこの「坐禅箴」の巻です。坐禅箴の次は内容を補足する形式で「海印三昧」と続き、まことに具合よく配列され有難いことです。

それでは本文に入ってまいります。

 

    一段 薬山の非思量

薬山弘道大師、坐次有僧問、兀兀地思量什麽。師云、思量箇不思量底。僧云、不思量底如何思量。師云、非思量

大師の道かくのごとくなるを証して、兀坐を参学すべし。兀坐正伝すべし、兀座坐の仏道につたはれる参究なり。兀兀地の思量、ひとりにあらずといへども、薬山の道は其一なり

薬山弘道大師という方は薬山惟儼(745―828)禅師ですね。薬山禅師という人は宗門に於いては非常に重要な方で、この人は山西省の山の中の人なんですね。ここは不便な所なんですね、十七歳の時に広東省の潮陽の慧照禅師により得度いたしまして、それから禅をやり始めて湖南省の石頭希遷(700―790)禅師の所へ行き参門したわけです。その時の薬山は石頭に「三乗十二分教ほぼ知る。ここで禅を勉強したい」と頼むと、石頭は相手にせず云うには「江西の馬祖道一(709―788)の所へ行きなさい」と云った。その時の言葉が「蚊子の鉄牛に登れるが如し」と云ったそうです。蚊が鉄の牛に針を刺したが歯が立たないとの事です。

薬山は江西馬祖の所に三年ちかく居ったんですかね。馬祖は薬山に対し絶賛して居りますね。それから薬山は馬祖の道場で侍者を努めて居りました。

いよいよ嗣法の段になりまして馬祖が云うには、「おまえの本当の師匠は私(馬祖)じゃない、本当の師匠は石頭希遷だから石頭の所に行きなさい」と云いました。その時薬山は変な顔をしたそうです。

これは大切な事なんですね。実際の指導は馬祖から受けましたが、しかしながら師匠が直接教育しないで他所(馬祖)に預けたという事に大変な意味があるんですね。

薬山が馬祖の所で最初に云った「蚊子の鉄牛に登れるが如し」という事が本当の嗣法だから、石頭希遷の所に帰りなさいと馬祖道一から云われます。これは何を云ったかというと、薬山が石頭の所での最初に云った「蚊子の鉄牛」がそのまま三年後の石頭の於いても同じ「蚊子の鉄牛」が機縁となり、最初と最後の言葉が同じであることが重要なんです。

馬祖の道場を辞して後は石頭の道場で努めましたが、石頭山から薬山に移ったわけです。薬山という山は芍薬山と云ってもいいそうですね。薬草の山だそうですよ。場所は江西省で、揚子江の沿岸なんですね。

薬山が山に居りました時、地方長官の李翺嚮という人が来参しましたが薬山は読経の最中で、自分を取り合ってくれない事に腹を立て出て行こうとした時、読経が終わりまして李翺嚮は薬山の威厳に満ちた相貌に感服し三拝したそうです。その時のことばが「練得身形似鶴形」(身形を練(ね)り得て鶴形に似たり)と云ったそうです。李翺嚮の評は薬山を鶴に喩えての絶賛です。そのあとは李長官は薬山のパトロン(経済的後援者)になったといった逸話の多い薬山惟儼です。

 

この度は「坐禅箴」の巻に入ってまいりました。ずーっと、この眼蔵会は七十五巻本の順序によりまして、一番最初にこちら様で「現成公案」をやったはずで御座います。今回は十二番目の「坐禅箴」になりました。

この和尚の特に有名な話が「非思量」の話頭です。この「非思量」という言葉は薬山禅師から始まるんですが、この因縁談がこの則です。

薬山弘道大師、坐の次いで僧ありて問う、

兀々地什麼(なに)をか思量す。

師いわく、箇の不思量底を思量す。

僧いわく、不思量底、如何(いかん)が思量。

師いわく、非思量。

これは実に愉快な問答なんですが、返り点のない方がいいんです。

「兀々地思量什麼(ソモ)」となりますね。道元禅師の眼蔵解釈からしますと、この「什麼」ナニがないと眼蔵が成り立たないんですね。ナニと申しますのは質問の言葉じゃないんです。我々はうっかり「何々」と云いますが、ナニで良いんですね。普通このナニは理解できないからナニと云いますが、すでに気が付いているのね。このナニには限定的意味合いを持っていないわけでしょう。はっきり云う事は出来ないでしょう。それでいいんですね、本当は。すべては什麼なんです。私は底抜けの事実と云うんですよ。万法がナニですよ。

ですから質問の意味じゃなくて、本人は立派な答えを出してるんですよ。道元禅師の宗門には質問はないんです。臨済宗あたりでは擬団と云うものがありまして、大擬団を以て坐禅をし、大擬団を解決するとなってますけど、道元禅師の宗旨には絶対そういう事はないわけだ。

ではこの「僧が問う」となってますから、疑問詞じゃないかと思われるでしょうが、疑問じゃないんです。我々の頭は「不信に思う」と云う事は当たり前なんだ。我々の「わかった」と云うのは言葉の上で「わかった」だけですからね。本当に「わかった」んじゃありませんよ。

と云うのは、私たちは言葉の習慣を持ちましてね、この時にはこういう風にするという事がちゃんと決まってるんですよ。言語的習慣がありましてね、お経だってそうでしょう。途中で読み方を間違ったり発音を間違えると、あんまりいい感じはしないものね、それでわかるでしょうが。いつもの習慣通りで読み方をすると、非常に心安い思いがする。他の響きをされると場違いな感じがするものね。大抵の人間の相違の違いはそれぐらいですよ。どっち向いても構わないんですが、自分の習慣に従うと安気ですね。実はこれは「わかった」んじゃないんだ。言葉の辻褄が上手く合っただけなんです。

数学がそうでしょう。1+1=3ですが、私らの所では百でも千でもと幾つにでもなる。本当はそうなるんですよ。3になるなんて決まっちゃいないんですから。ところが、こいいう風に1+1=3と決めちゃっているわけですから、1+1=百じゃ満足しません。つまり納得とはこいいう事だ。

ところが大自然というものは論理がありませんよ。学問を過信しちゃいけませんぜ。私らも学問の限界がよくわかりましてね。学問も信用しませんよ。自然というものには合理・不合理がないんですよ。学問の世界に居りますと矛盾がありますが、この世の中・宇宙には矛盾がないんだ。人間世界には顔を見るのも嫌だという事がありますが、大自然の青空も元にはそんな事全然ないものね。吉良上野と四十七士が同じように見えるのね。見えるんじゃない、同じように取り扱います。ですから吉良上野だって青天井の元では大手を振って歩けますね。ところが四十七士の前へ行くと困るものね。ところが上(大自然)の方では平気で取り扱っている、助かるじゃないか。

大自然には論理も矛盾もない。人間世界でも「納得」がいったら大間違い。宗教の世界は人間世界を離れて絶対世界へ行きますから、人間世界では矛盾であっても構わないんです。そこに本当の道がある。

この「什麼」・ナニというのが本当の道なんです。本当の信仰という事になりますと、自分の納得がいく・いかんの問題じゃありませんよ。親鸞聖人がね、上手いこと言ってるでしょうが。「善き人の薦めによって念仏を称えることになった」とね。親鸞さんは法然さんに教えて貰って念仏を称えるようになったと。ところが念仏を称えた結果が、どうなるかこうなるか、そんな事どうでもいいとね。「地獄行きにてもありなん、極楽行きにてもありなん、存知せられなり」(『歎異抄』第二章)と言ってますね。この境地は素晴らしいね、あそこまで行くと。

仏法というものはそういうものなんだ。坐禅して、とうとう俺は悟った矢でも鉄砲でも持って来い、なんて云うのは大きな間違いで、底が無いのが本当なんだ。俺はもう迷わないと云うのが迷ってる証拠なんだから。こういう事を越えた所でないと本物じゃない。

坐禅を仕上げてしまったから俺はもう坐禅はいらん、そういうお粗末じゃ困るんだ。そんなのは自己陶酔に落ちたか、自己欺瞞に陥ってるかですよ。

我々の安心というものは「ナニ」という事なんです。無限の底だ、解決なし。この解決なしという坐禅ですよ。

ですから道元禅師の坐禅を学ぶには、この「坐禅箴」の初めのことばを御覧いただきたい。

「兀々地」というのは、我々の本来の姿をゴツゴッチと云うんですよ。つまり坐禅した姿、手を組み足を組んだ姿、これが大事なんですね。坐禅で一番大切なことは、坐ってからじゃなしに坐るという事が大切なんです。

坐るという事は自己を放棄した姿です。我々は坐りませんと、自己を放棄する事が出来ない。我々の自己というものは朝から晩までどういう事かと云うと、

寝てる時は生活じゃないですからね、その時には地位も名誉も財産も何もないんだから、関係ないでしょう。金庫の中に入れとかなくちゃ、盗まれてもわかりませんものね。寝顔は万国共通ですよ、勲一等であろうが寝てる時には何の価値もないですよ。勲章があるとよく寝られる、そんな事ないよ。

お酒を飲むとよく寝られると云いますが、私(酒井老師)には心臓がドキドキして駄目なんです。大乗寺の清水浩龍老師(昭和43年から昭和50年まで永平寺西堂・群馬県龍華院前住・昭和50年3月20日遷化)は酒が好きで、私も付き合いましたが往生しました。

つまり眼が醒めてる時は、あれがしたい俺はこうする、と云う事が起こります。それで終始一貫グルグル廻って居ります。これが日常生活ですよ。

ですから、日常生活だけが生命の全体じゃないわけだ。我々の生命というのは、眼が醒めておろうが寝ておろうが、そんな事お構いなし生きてます。

この生きている体の中で、眼が醒めている時に「あーしたい、こーしたい」とがんばってるのが人生ですよ。従いまして栄養失調三度程やりますと、人生失くなりますよ。植物的存在になりましてね。私はその時の経験者ですから。敗戦のお陰で、いい経験しました。人生何もないですよ、呼ばれても耳が聞こえませんし、目だって見ていません。植物人間ですよ。あとから思うと、あの時は人生なかったなあと思うんですよ。

ですから本来の自己はどういう事かと申しますと、水面に現れる泡や水しぶきが人生でありますから本来自己は大元の河そのものが本来自己でしょう。

ですから坐禅しないと本来の自分がわかりません。手を組み足を組み「じーと」とするわけだ。仕事を持たないと色々な事が浮かんで来るでしょうが。

建仁寺の竹田黙雷(1854―1930)の所で、ある女将が行ったそうだ。公案をもらったがわからなかったそうだ。そこで「じーと」坐ってたら五年前の貸しを思い出したそうです。忙しさに生活していると、そんな些細なこと思い出す暇ありませんものね。その三年前の貸し金は水面に現れた「アブク」みたいなものでしょうが。そこで手を動かし足を動かすから人生が始まるんだ。

水面ですから、波も泡も立つのが当たり前でしょう。そこで「オレ」が「オレ」がの自分が出て来て人生が始まるわけだ。

ところが坐禅をしても浮かんで来るのが当たり前で、「無念無想」になるのが坐禅ではない。

ですから「兀々地」というのは、手を組み足を組んだ本当の私たちの姿勢ですぜ。「兀々地の思量」と申しますのは頭の生理現象や。河の流れで申しますと、途中で岩にぶつかって水しぶきを上げたり、平穏な時もあったりとします。この流れそのものを「思量」と云うんです。云い換えれば「兀々地の表情」と云ってもいいでしょう。あらゆる事がある、決まった事はありません。坐禅の時にはこう考えなきゃならん、そんな事はない、いろんな考えが涌いて来る。

「兀々地思量什麼」兀々地什麼(なに)をか思量。これが本当の姿です。これを「正法眼蔵涅槃妙心」の当体と言ったらいい。「涅槃妙心」というのは感激したあなたの「お気に入り」じゃありませんぜ。脚が地に著かんとか、脚の踏む処を知らずというのはただの興奮ですから、興奮した処に本物はない。

この僧は知らずに自分で答えを出している。

「兀々地ナニをか思量する」

師いわく、「思量箇不思量底」

この思量箇不思量底は薬山禅師の「有る僧」に対する解説です。

この「思量」は生命の表現です。大河の表情と云ったらいいですね。表情の無いのは無いんだから。この「思量」は何を思量しているかと云うと、「不思量底を思量」していると。この「不思量底」の「不」は否定の「不」じゃありません。この「不」は自然の姿を「不」と表現したんです。

たとえば青空は何故青いか、これは説明できないでしょう。自然の表情があういう格好なんだから。地球は何故丸いか、だれも知らない。人間の顔見てごらん、みんな人間面してるね、この中で猫の顔は一人も居りません。似てる人は居るかもしれないが、猫じゃないですからね。生まれてこのかた、自然と人間顔、理由はないものね。このように自然の表情を「不」・「非」と云うんです。

ですから「不の思量」つまり自然の表情を思量していると、こう云ったらいい。そこで「思量箇不思量底」に対して、僧はさらに問います。

「不思量底、如何思量」不思量底、如何が思量せん。普通は「不思量底をどういうふうに思量するのか」と読解しがちですが、「不思量底は如何が思量なり」と解します。この場合「如何」と「なり」とは同じ意味で無限の意味合いがあります。無限の表情を「如何(いかん)」と表現します。「如何」は「思量」に対する形容詞です。つまり「不思量底」の本体は「如何」である。

何でも考えられるでしょう。たとえば夢では母親の顔が友達の顔になってみたり、外国人の顔になったりと変幻自在です。つまり思量という頭の働きは大波・小波のようなもので、無条件に波が立つでしょう。これを「いかんが」と云うんです。

深層心理でも何でもありませんよ。生命そのものの表情を「如何が思量」。ここでは自分が納得するものは一片もありませんよ。自分(自我)抜きの生命そのものを「如何思量」と云うんです。

最後に「師(薬山)いわく、非思量」

これは結論ではなく、とりあえず「非思量」と云ったもので、「非思量」も「不思量」も同義語です。「非思量」は「非の思量」と読み、先程の「不」と同様に、自然の働きを「非思量」という。

大師の道かくのごとくなるを証して、兀坐を参学すべし。兀坐正伝すべし、兀座坐の仏道につたはれる参究なり。兀兀地の思量、ひとりにあらずといへども、薬山の道は其一なり。

      提唱テープ欠

大師の道かくのごとくなるを証して、兀坐を参学すべし。兀坐正伝すべし、兀座坐の仏道につたはれる参究なり。兀兀地の思量、ひとりにあらずといへども、薬山の道は其一なり。

いはゆる思量箇不思量底なり、思量の皮肉骨髄なるあり、不思量の皮肉骨髄なるあり

僧のいふ、不思量底如何思量。まことに不思量底たとひふるくとも、これ如何思量なり

兀兀地に思量なからんや、兀兀地の向上なにによりてか通ぜらる、賤近の愚にあらずば、兀兀地を問著する力量あるべし、思量あるべし。

思量箇不思量底ということである。思量はどこまでも不思量底でなければならない。我々人間の小細工で考える事ではない。「皮肉骨髄」というのは全体という事ですね。「思量」も「不思量」も同じ事なんです。思量も本質に於いては不思量、不思量も現実の姿が非思量。部分的な事を云ってるんじゃありません。俺はこれを考えてるじゃなく、考えそれ自身です。

欲しいというのは一つの働きですけども、欲しいという内容になりますと、人前では云われないもんだから欲しい欲しいと悩んでる連中もいる。菓子が欲しいという者、娘さんが欲しいという者、お金が欲しい者が居りますが、この欲しいという事自体をここでは「皮肉骨髄」と云ってるわけです。その内容を問題にしてるわけではないですよ。欲しいという事が「生命の表現」なんです。

私たちの日常生活は、どこで問題にしているかというと非思量の中の皮肉骨髄の中の部分品で以てワッサモッサやってるわけでしょう。饅頭欲しいけどあいつがくれないとか、娘さんを欲しいが親が反対してくれないとかは、思量の中の皮肉骨髄で以て問題が起こっているに過ぎない。一遍忘れたらおしまいです。非思量から見てみたら何でもない事ですよ。

「僧のいふ不思量底如何思量。まことに不思量底たとひふるくとも、さらにこれ如何思量なり」

ここで区切りますよ。

不思量底というものは、いかに思量したもんでしょうかと普通は読みますが、不思量底如何思量。先ずその言葉置いといて。

「まことに不思量底たとひふるくとも」

この「ふるくとも」というのは『御抄』(「曹洞宗全書」注解一・二四一上)の方では「しばらくさて置いて」と云う意味にとったらいいとね、ここでは問題にしないと。

「さらにこれ如何なり」この如何というのは、どんな思量も有り得ると、無限にありますから。例えば思量には、牡丹餅を考える事もあるだろうし、お布施を考える事もあるだろうし、あるいは学問的な事を考える事もあるだろうし、明日の事を考える事もあるだろうし、色々ありますね、これが思量のあり方です。

ですから「如何思量」。生きてる限りは脳の新陳代謝が有りますから、次から次へと考えが浮かんできても良いわけですよ。そいう事を「如何思量」。我々の生きている生の姿を、そのまま受け取るのが禅者の立場です。

心理学者は違いますよ。条件によってどういう風な心持ちになるかと、理解しようとするんですね。それが宗教と科学との違いですね。科学の方は一つ前にある現象がわからないもんですから、納得いかないもんだから、自分の言葉の通ずる範囲に置き換える。作り換えてわかったものは、作り変えたものであって、現実じゃないんですぜ。

たとえば医者の方では、多くの材料を使ってマウスを研究する。胃袋に穴を開けて胃酸がどうとか、縷々研究論文を発表しますけれども、結局その論文はその人が自画像ですよ。頭には浮かんで来た要点を文章にしたんですから。

ところがマウスの全体はどういう事かと云いますと、生きてる事実そのものですから、研究論文のマウスはその一部でしかありませんから、マウスの真実は説明できません。禅も心理学の影響を受けたらいけませんぜ。昔インスタント禅というのが有りましてね。一週間で見性が出来るとね。今週の見性者は誰さんと誰さんとね。こんなのは宗教じゃないね。こんなのは異常心理を作る会合で、人間を何と心得ているか。

人間というものはね、注文通りになるもんじゃありません。自然を冒涜する事になりますよ。私達の人生というのは心配をしたり、喜んだり悲しんだり、滑ったり転んだりと、或いは自殺する程に悩んだりしながら、生きてるのが本当の生き方ですよ。朝から晩までニコニコするのが人生じゃないんだ。

地球の表面のように山あり谷あり砂漠ありだ。人間の人生もこういうものですよ。ですから眼蔵の『谿声山色』の巻を読みますと、うーんと唸りたくなる。道元禅師の仏法はこういうもんだと、よーくお分かり頂けると思う。自分の都合の良いように朝から晩まで喜んでるのが人生ではない、虫が好いと云うもんだ。

ですから本当の生命というものは、悲しんじゃならんと云うんじゃなくて、いろんな姿を表しながら生きていると。大河のようにある時は汚物を流し、ある時は大きな魚を泳がせる事もあるだろう、ある時は澄む事もあるだろう、これが大河というものです。

ですから、我々の先達の達磨さんだって、毎日ニコニコした人生を送っちゃ居られませんよ。自分に都合好い事ばかりが人生じゃありません。

そういう意味に於いての「如何が思量」です。

「兀々地に思量なからんや、兀々地の向上なにによりてか通ぜざる。賎近の愚にあらずは、兀々地を問著する力量あるべし、思量あるべし」

まづ「兀々地に思量なからんや」兀々地に思量があるのは当たり前です。兀々地の表現が思量ですね。兀々地の姿が思量です。生きてますからね。坐禅して居ったら衛藤即応先生(1888―1958)からこんな事云われましたよ。「君はいつも摂心やってるけどな、脚は痛くないだろうね」と、それで「脚はしょっちゅう痛くなるし、背骨も痛いです」と云うと衛藤先生が云うには「まだだめだね」と云われた事はよーく覚えて居りますよ。

その時に衛藤先生、タバコ飲みながら「坐禅儀を考えて居る」と。その時に「考えるより坐禅した方がいいんじゃないですか」と云ったもんだ。感覚が違うから仕方がない。タバコ飲みながら「非思量」・「不思量底」・「安楽の法門」と。あの先生無邪気だから、坐禅して安楽の法門に入ると、脚も痛くなくなり、小便も行かなくてと考えていたんじゃないかな。先生に「材木じゃありませんよ」と云っても通じないんだな。姿勢を保っていれば、脚の痛くなるのも当たり前。眠くなる事当たり前で、生きてるんですからね。ですから立ち上がり経行(きんひん)したりと、これが人生でしょう。

「兀々地に思量なからんや」思量というのは表情です。「兀々地の向上」と云いますのは、我々が休みなく兀々地を修行する事が「兀々地の向上」です。私たちは休みなく一生涯この坐禅をするんです。飯の食える期間は坐りなさいと云うんです。いつになったら坐禅を卒業出来ますかと聞かれたら、卒業は出来ません毎年留年だな。人生は永久に卒業は出来ませんよ。卒業と云ったら四角の箱に横たわる時でしょうね。生きながらえている事実を尊ぶんですよ。これが真実なんですよ。我々が満足してニコニコする事ばかりが人生じゃありません。

「兀々地の向上なにによりてか通ぜざる」

この兀々地の向上に何故普通の人は通じないのだろうか。

「賤近の愚にあらず」

賤近というのは卑しい人ですね。ここで云う卑しい人というのは、自分が満足しよう、自分が偉くなってやろうと思う連中ですよ。なんとか悟りを開いてやろうという人。そいう人間以外ならわかってもらえるだろうと。

「兀々地を問著する力量あるべし、思量あるべし」

問著というのは聞くと云う事じゃありませんよ。「眼蔵」では「問処はなお答処の如し」という原則があります。ですから「兀々地を答える力量がある」と云うんです。そういう兀々地をすると云うのが此処では「思量」と云うんです。『御抄』(「曹洞宗全書」注解一・二四一上)では「兀々地を問著する力量あるべし、思量あるべし」を「仏祖の坐禅の理を参学する人を云う也」と註解されます。

 

大師いはく、非思量。いはゆる非思量を使用すること玲瓏なりといへども、不思量底を思量するには、かならず非思量をもちゐるなり

非思量にたれあり、たれわれを保任す、兀兀地たとひ我なりとも、思量のみにあらず兀兀地を挙頭するなり。兀兀地たとひ兀兀地なりとも、兀兀地いかでか兀兀地を思量せん

しかあればすなはち兀兀地は、仏量にあらず、法量にあらず、悟量にあらず、会量にあらざるなり

「玲瓏」とは無色透明のことで影の無い事でしょう。何にも残留物がない、そういう事が「

玲瓏」ですね。

ですから「非思量を使用すること玲瓏なり」とは、黙って坐る只管打坐のことですよ。そこで黙って坐って居る時に、「あー素晴らしい」と云う境地が起こったとしたら、跡形が残ってしまうわ。ただ坐ってるんですから、何にも後遺症は残りませんわ。日常生活でも後遺症は残らないでしょう。生かされてもらっている事に何とも思わないでしょう。日ごろ呼吸をし、心臓が動いてますが何とも思っちゃいないでしょう。ところが鼻が詰まると呼吸がし辛くなると始めて呼吸を意識するでしょう。心臓も然りです。

うまり坐禅して居りまして何か気持ち良い事が起こりましたら、それは「玲瓏」ではありません。「非思量」の本当の姿は「玲瓏」なんです。

ですから「非思量を使用すること」とは日常生活を云い、「不思量底を思量するには、かならず非思量をもちいるなり」これは変な言葉ですけど、「不思量底を思量する」とは兀坐して坐禅する事です。

坐禅するには必ず非思量を用いるなり」とは結局本来の姿を実証する事です。日常の何ともない純粋の姿を実践した事が坐禅・兀々地です。

なぜ道元禅師がこのように言うかというと、その頃(仁治三(1242)年以前)の坐禅がいかに間違いが多かったかと云う事がわかります。

「非思量にたれあり、たれわれを保任す、兀兀地たとひ我なりとも、思量のみにあらず兀兀地を挙頭するなり」

原初的な姿が非思量ですよ。つまり自然そのものの姿・表情ですね。「たれ」は不思量・思量を指して「たれ」と言ったんだ。「たれ我を保任す」とは非思量と思量との関係を述べたものです。つまり紙の裏表と云っていいでしょう。「兀兀地たとひ我なりとも」兀兀地はたとえ非思量・不思量でありましても、兀兀地は何処までも兀々地のままを「兀兀地を挙頭するなり」と言います。それを「兀兀地たとひ兀兀地なりとも、兀兀地いかでか兀兀地を思量せん」と、全てが兀兀地に尽きてしまうわけです。

「しかあればすなはち兀兀地は、仏量にあらず、法量にあらず、悟量にあらず、会量にあらざるなり」

兀々地は説明は要りません。人はよく私に何の為に坐禅するんですかと聞く。わかりませんね、と答えると相手はわからんらしいな。その「わからん」と云うのを、わかってもらえんから困るわね。このわからず坐禅すると云う処をわかってもらえるといいんですがね。大抵の人は大義名分がはっきりしてましてね、坐禅をするとこんな功徳・御利益があると、だから坐禅すると。これじゃ「兀々地」になりませんわ。兀々地なるがゆえに坐るんですよ。坐禅した時には「あなた」が坐ったんじゃありませんぜ。兀々地が兀々地するんですから。「あなた」の正体をお考え願いたい。私ならば酒井得元という名札が付いてますね。本当の姿ならば「私」はありませんよ。本当の私の姿は兀々地です。「皆さん方」もそうですよ。そこには「名札」は付いて居りませんよ。存在する意味すら有りません。

禅者には人生論なんてありませんよ、あろうはずがありません。本当の意味というのは無意味に徹する事ですよ。

「兀兀地は、仏量にあらず」兀兀地は仏さんとして処理してはいけないし、「法量にあらず」法として処理してはいけないし、「悟量にあらず」悟りで以て処理してはいけないし、「会量にあらざるなり」会得して処理してもいけません。宇宙そのものの姿を兀兀地というわけだ。沢木老僧(1880―1965)が昔こんな事云っとったよ。「俺はな、今トルーマン蒋介石と共に坐っているんだ」と、私らその時、老僧の気持ちはわかりませんでしたけどね。この歳(酒井得元老師65歳頃)なってみると、ようやく此の「兀兀地」という意味がわかるんですよ。

俺はどういうふうに生きるかを投げ出してしまって、本当の姿は「兀兀地」であると。道元禅師の「尽十方界真実人体」の語句は、ここから出て来るんですね。これは坐禅人に於いて初めて出て来る。宇宙全体の真実が人体ですよ。人体そのものが「兀々地」

「薬山かくのごとく単伝すること、すでに釈迦牟尼仏より直下三十六代なり、薬山より向上をたづぬるに、三十六代に釈迦牟尼仏あり、かくのごとく正伝せる、すでに思量箇不思量底あり。

「単伝」というのは人からもらったんじゃないんで、自分自身を自覚する事です。「伝」は伝えるという意味もありますが、達磨の『一心戒文』を見ますと「伝は覚なり」とあります。

薬山は自分自身を兀坐として発見したんです。兀坐が成仏ですよ。お釈迦さまも兀々地ですよ。それぞれが兀々地を「単伝」したんだ。人からもらったんじゃないんですよ。

「すでに釈迦牟尼仏より直下三十代なり」と云うふうにしてずーと来たわけですね。薬山が正伝したその内容はと云いますと、お釈迦さまの正伝でもあるし、達磨大師の兀坐でもあるし、迦葉尊者の正伝でもあると云う事になりますね。

ですから曹洞宗門では『嗣書』巻に「釈迦は我に嗣法す」(実際は記載なし)とありますが、ここから来るんです。今の自分の兀坐はお釈迦さまの兀坐を実修していると。今の兀坐を昔お釈迦さまが実践したんだと。そこで、こういう特別な表現が生まれて来た。その兀坐が「思量箇不思量底」という兀坐です。

まとめますと全ては兀坐です。人間的には無意味な坐り方ですね。無内容な坐禅という事ですね。他宗からは「枯木然りの坐禅」・「時間潰しの坐禅」と云われますが、弁肯する必要はありません。ですから「黙照禅」と云われるでしょう。黙照とは馬鹿が案山子の如く坐ってるという形容です。黙照というあだ名を付けたのは大慧宋杲(1089―1163)ですが、大慧の書のなかで批難されます。同時代に宏智正覚(1091―1157)が居りますが彼はなんともなく過ごしていますが、真歇清了(1088―1151)は憎々しく思ったようです。

沢木老僧が云ってましたよ。室町時代に鍋かぶりの日親(1407―1488)という日蓮宗の坊さんの行為(投獄のあとの釈放時の態度)は大人げないとね。こちらは只管打坐ですから投獄される事もありません。

それから、こんな話も云ってました。

戦後の混乱時に、沢木老僧鹿児島へ行きまして講演会をやったそうです。その講演にはキリスト教の神父さんも居りまして、話が終わった時点で曹洞宗門の坊主が壇上に登り、その神父さんの頬をピシャリと叩くと神父さんは何するかと怒り、すかさずその坊主は反対の頬を叩くと、一層神父さんは怒ったそうだ。そしてその宗門の坊主は身を反転し聴衆に向かって「この神父は大嘘つきだ」と叫んだそうだ。「神父は先程は右の頬を打たれたら左の頬を差し出せと説教したが、この神父は御覧の通り隣人愛どころか儂を怒鳴りつけているぞ」と聴衆に云うと、会場は騒然となったそうだ。お陰でその時の講演会は滅茶苦茶になったそうです。

先程の「鍋かぶりの日親」同様、この曹洞宗門の坊主も大人気ない者だと云ったのが思い出され印象的なんですよ。

しかあるに近年おろかなる杜撰いはく、功夫坐禅、得胸襟無事了、便是平穏地也。この見解なほ小乗の学者におよばず、人天乗よりも劣なり、いかでか学仏法の漢といはん

見在大宋国に恁麼の功夫人おほし、祖道の荒蕪かなしむべし

又一類の漢あり、坐禅辨道はこれ初心晩学の要機なり、かならずしも仏祖の行履にあらず、行亦禅坐亦禅、語黙動静体安然なり。ただいまの功夫のみにかかはることなかれ。

臨済の余流と称するともがら、おほくこの見解なり、仏法の正命つたはれること、おろそかなるによりて、恁麼道するなり。なにかこれ初心、いづれか初心にあらざる、初心いづれのところにかおく。

「近年おろかなる」というのは、その頃の禅風ですね。「杜撰」とはお粗末な者です。「功夫坐禅」は坐禅を努力して、「得胸襟無事了」というのは胸がスーとする事で、擬団を解決したとか云う事があるでしょう。「便是平穏地」はすっかり良い思いになった心地です。「この見解」こういう気持ちになった事です。「小乗の学者におよばず」小乗の学者でもこんな馬鹿なことは云わないと。「人天乗よりも劣なり」人間界天上界ですね、そいいう連中よりも劣っている。「いかでか学仏法の漢といはん」こんな事が仏法であってたまるかと。よく漆桶打破とか云うでしょう。あの事を云ってるんですよ。擬団を氷解してしまったとか。こう云う連中の事を「いかでか学仏法の漢といはん」と言ったんです。

「見在大宋国に恁麼の功夫人おほし」こういう風な連中ばかり。「祖道の荒蕪かなしむべし」仏祖道が如何に荒廃していたかと。「又一類の漢あり」こういう連中もいると。「坐禅辨道はこれ初心晩学の要機なり、かならずしも仏祖の行履にあらず」初心晩学の一年生のやる事であって、仏祖の修行ではない。「行亦禅坐亦禅、語黙動静体安然なり」証道歌で云う処の言葉です。「ただいまの功夫のみにかかはることなかれ」兀坐は初心晩学がやる事で、どうでもいい事だと。

臨済の余流と称するともがら、おほくこの見解なり」悟ってしまえば何やってもいいじゃないかと云う連中ですね。「仏法の正命伝われる事疎そかなるによりて恁麼道するなり」これは本当の仏法が伝わってないからですね。このような(恁麼道)発言をしているんだと。

「なにかこれ初心、いづれか初心にあらざる」人間には初心も後心もありませんよ。去年も今年も同じように尽十方界真実人体の真実ですよ。「初心何処の処にかおく」いったい初心はどこにあるんですか。

しるべし学道のさだまれる参究には、坐禅辨道するなり

その標榜の宗旨は、作仏をもとめざる行仏あり、行仏さらに作仏にあらざるがゆゑに、公案見成なり。身仏さらに作仏にあらず、籮籠打破すれば坐禅さらに作仏をさへず。正当恁麼のとき、千古万古ともにもとより仏にいり魔にいるちからあり、進歩退歩したしく溝にみち壑にみつ量あるなり

学道の参究は坐禅辨道に決まってます。三十年飯食ったから、もう要らんという訳にはいかんでしょう。飯食ってる間は坐禅しなくちゃだめですよ。「その標榜の宗旨」というのは、ここに挙げられている宗旨はと云うことで、「作仏を求めざる行仏あり、行仏さらに作仏に非ざるがゆえに」成仏を目指しての坐禅ではなく、行仏で充分ですから行仏更に作仏に非ざると説き、「公案現成なり」とは、その身そのままが真実であると云う事やね。公案の解釈を問題の解決と思ったら大きな間違いなんです。一般には公案を公府の案牘と云うふうに愛なってますけど、曹洞宗門では公府の安牘という定義は採りません。中国明時代の中峰明本と云う人が公府の安牘と云い出しました。我々の公案の解釈は『御抄』(「曹洞宗全書」注解一・一下)の中にあります。現は「そのまま」成は「完全」ですから、公案とは「現実そのままが完全」であり「現実そのままが真実である」と解釈されます。

「身仏さらに作仏にあらず」の身仏は身仏でよく、作仏をすれば兀坐にはなりません。

「籮籠打破すれば坐禅さらに作仏をさへず」の籮籠とは手段・方法と云っていいでしょう。籮は獲物を捕る仕掛けで、籠は魚を捕る網の事ですから籮籠打破とは何の造作もしない事を云うもので、坐仏は無条件に成仏を「坐仏さらに作仏をさえず」と云います。

「正当恁麼のとき、千古万古ともにもとより仏に入り魔に入るちからあり、進歩退歩したしく溝にみち壑にみつ量あるなり」正当恁麼は以上まとめるとの意で、千古万古は永遠を云い、仏になったり悪魔になったり、進歩したり退歩したりとどれもが真実で嘘じゃない。「親しく溝にみち壑にみつ」とは兀坐が宇宙一杯の行であると云うのを、こう言われます。

第一段に於きましては、如何に兀坐が偉大であるかを述べたものです。

 

  第二段  江西南嶽問答

江西大寂禅師、ちなみに南嶽大慧禅師に参学するに、密受心印よりこのかたつねに坐禅す。

南嶽あるとき、大寂のところにゆきてとふ、大徳坐禅図箇什麽。この問、しづかに功夫参究すべし。そのゆゑは、坐禅より向上にあるべき図のあるか、坐禅より格外に図すべき道のいまだしきか、すべて図すべからざるか、当時坐禅せるに、いかなる図か現成すると問著するか、審細に功夫すべし。彫龍を愛するより、すすみて真龍を愛すべし。彫龍・真龍ともに雲雨の能あること学習すべし。遠を貴することなかれ、遠を賎することなかれ、遠に慣熟なるべし。近を貴することなかれ、近に慣熟なるべし。目をかろくすることなかれ、目をおもくすることなかれ。耳をおもくすることなかれ、耳をかろくすることなかれ、耳目をして聡明ならしむべし。

「江西大寂禅師、因みに南嶽大慧禅師に参学するに、密受心印よりこのかたつねに坐禅す。

南嶽ある時、大寂の所に行きて問う、大徳坐禅図箇什麽」

大寂禅師は馬祖道一(709―788)のことです。この人は四川省成都辺りの人であったらしいですね。大慧禅師は南嶽懐譲(677―744)のことで、長沙(湖南省)より南の方に衡山という処に南嶽という山があり、そこに居りましたから南嶽と云うんです。

「密受心印」これがよく問題になるんです。密受は、こっそり密かにもらう事では御座いません。秘密の密ではなく親密の密です。親密とは仏道が体に浸み込むことやね。生活の中に浸み込んでることですよ。この馬祖江西大寂禅師は坐禅に打ち込む事が出来たから「密受心印」だ。ある時から馬祖は南嶽の山中に伝法院と云う処に引き籠ってしまったんです。それで心配になって懐譲(南嶽大慧禅師)は馬祖の住処の伝法院に出向いた時の話です。

「大徳、坐禅図箇什麽」普通は「坐禅して箇の什麼をか図る」と読みますが、「坐禅は箇の図什麼なり」と私(酒井得元老師)は読みます。「図」とは努力・工夫する事ですね。つまり坐禅は工夫する内容が「什麼」である。「什麼」というのは生かされている事実ですよ。生きてる事によって考えさせられているんです。坐禅は「図什麼」でなければいけないと。こういう事を懐譲は馬祖におっしゃった。

「この問、しづかに功夫参究すべし。そのゆえは、坐禅より向上にあるべき図のあるか、坐禅より格外に図すべき道のいまだしきか、すべて図すべからざるか」

この「問」というのは実は「図什麼」という答えなんです。

坐禅=兀坐=図什麼ですから、宇宙一杯という事です。宇宙一杯の真実が私を現成させているんですから。生きてる事に私個人はありませんよ。私は生きてるんじゃなく、生かされているんですから。その生かされている実修を「兀坐」と云ったわけですから、「坐禅より向上にあるべき図のあるか」は坐禅より上等のものが有るだろうかと言い、「坐禅より格外に図すべき道のいまだしきか」は坐禅を超えたものが有るのかと言い、「すべて図すべからざるか」と三問ともに歟を付加しますが全て断定のことばです。「いかなる図か現成すると問著」いかなる図かは無限を言い、坐禅は無量無辺の事実を実証するわけです。「審細に功夫すべし」と。

「彫龍を愛するより、すすみて真龍を愛すべし。彫龍・真龍ともに雲雨の能あること学習すべし」

これには故事があります。葉公(せっこう)は龍が好きでいつも龍の絵を描いていると、本物の龍が葉公の前に現れると、葉公は腰を抜かしたそうです。この話の喩は偽物が好きで、本物は嫌いという喩えです。宗門でもこんな話がありますよ。わしは道元さんは好きだが、大嫌いだと。つまりは道元思想は好きだが坐禅は嫌い、これです。

ですから坐禅談義よりは坐禅を勧めることを「彫龍を愛するより、すすみて真龍を愛すべし」と言ったんですが、無所得・無所悟の話を聞き実際に只管打坐をやってみると、彫龍・真龍の違いがよくわかります。そこで宗門では「聞法」が昔から行われてきましたが、古叢林に於いてはその家風がありまして、昭和30年代当たりの大乗寺僧堂の清水浩龍老師・修禅寺の丘球学(1877―1953)老師ぐらいまでは「聞法」の伝統がありましたね。真龍・彫龍がよくわかっていたんでしょう。彫龍はニセモノ・真龍はホンモノと区分けをしてはいけないとの事です。

「遠を貴することなかれ、遠を賎することなかれ、遠に慣熟なるべし。近を貴することなかれ、近に慣熟なるべし。目をかろくすることなかれ、目をおもくすることなかれ。耳をおもくすることなかれ、耳をかろくすることなかれ、耳目をして聡明ならしむべし」

昔(大正初期)忽滑谷快天(ぬかりやかいてん・1867―1934)さんに就いて静岡県を回っていた事があるんですよ。その時に聞いた話に、無二の親友の橘成典(1859―1939・大正6年―同7年永平寺後堂・引き続き同12年まで監院を務む)さんが静岡県森町の大洞院で住職をしていた(大正五年)。この方がこんな事云ったことがある。わしらの時代には英語が流行って、皆が大学で英語やって教会にまで行ったと。忽滑谷さんと私は共に教会に通ったもんだと。忽滑谷さんは慶応に行ったけど、わしは行かなかったという話がある。その時には皆が流行ものに飛びついたと云う事を沢木興道老僧が云ってましたよ。法隆寺に居た時に橘成典さんが来て、沢木お前も英語をやれと。坐禅ばっかりやってると将来淋しい思いをすると云ったそうです。

こういう処からもわかるように、坐禅を遠方に置き英語を近に置く事もあるが、「遠に慣熟・近に慣熟」とそれぞれに彫龍にも真龍にも親しみなさいと言うんです。

「耳を重くする事なかれ、耳を軽くする事なかれ」とは周囲の評判に振り回されず、「耳目をして聡明ならしむべし」と耳目という感覚をはっきりとした態度を持ちなさいとの言です。

 

江西いはく、図作仏この道、あきらめ達すべし。作仏と道取するは、いかにあるべきぞ。ほとけに作仏せらるゝを作仏と道取するか、ほとけを作仏するを作仏と道取するか、ほとけの一面出両面出するを作仏と道取するか。図作仏は脱落にして、脱落なる図作仏か。作仏たとひ万般なりとも、この図に葛藤しもてゆくを図作仏と道取するか。

しるべし、大寂の道は、坐禅かならず図作仏なり、坐禅かならず作仏の図なり。図は作仏より前なるべし、作仏より後なるべし、

作仏の正当恁麼時なるべし。且問すらくは、この一図、いくそばくの作仏を葛藤すとかせん。この葛藤、さらに葛藤をまつふべし。このとき、尽作仏の条々なる葛藤、かならず尽作仏の端的なる、みなともに条々の図なり。一図を迴避すべからず。一図を迴避するときは、喪身失命するなり。喪身失命するとき、一図の葛藤なり。

南嶽ときに一塼をとりて石上にあててとぐ。大寂つひにとふにいはく、師作什麼まことに、たれかこれを磨塼とみざらん、たれかこれを磨塼とみん。しかあれども、磨塼はかくのごとく作什麼と問せられきたるなり。作什麼なるは、かならず磨塼なり。此土佗界ことなりといふとも、磨塼いまだやまざる宗旨あるべし。自己の所見を自己の所見と決定せざるのみにあらず、万般の作業に参学すべき宗旨あることを一定するなり。しるべし、仏をみるに仏をしらず、会せざるがごとく、水をみるをもしらず、山をみるをもしらざるなり。眼前の法さらに通路あるべからずと倉卒なるは、仏学にあらざるなり。

―この段テープ欠―

 

 第三段

南嶽いはく、磨作鏡。この道旨あきらむべし。磨作鏡は、道理かならずあり。見成の公案あり、虚設なるべからず。塼はたとひ塼なりとも、鏡はたとひ鏡なりとも、磨の道理を力究するに、許多の榜様あることをしるべし。古鏡も明鏡も、磨塼より作鏡をうるなるべし、もし諸鏡は磨塼よりきたるとしらざれば、仏祖の道得なし、仏祖の開口なし、仏祖の出気を見聞せず。

これは普通我々の読みますのは「磨して鏡と作す」となりますが、これは「まさきょう」と読んでおいた方が良い。磨いて鏡とすると云うならば、気違い沙汰ですね。ここはそういう事ではありません。「磨の作鏡」ははっきりした道理です。

亜ら「現成の公案あり」これは真理の実践なんです。「虚説なるべからず」無駄事ではない。

「塼はたとひ塼なりとも、鏡はたとひ鏡なりとも、磨の道理を力究するに、許多の榜様あることをしるべし」許多とはいろいろですね。榜様というのは、お手本とか見本とか云う事ですね。つまりは塼は塼であっても鏡は鏡であっても、相手が何であっても磨くという道理があるという真実がある事を知る必要がある。重点は磨くという事である。

「古鏡も明鏡も、磨塼より作鏡をうるなるべし、もし諸鏡は磨塼よりきたるとしらざれば、仏祖の道得なし、仏祖の開口なし、仏祖の出気を見聞せず」

磨塼という言葉が出てますけれども、磨塼とは無所得・無所悟で磨くことです。目的なく磨く事で、結果なしと云うことです。宇宙の動きはどういうふうになるって事はないものね。地球はずーと昔から回ってますよね。裏山の木は春になると緑になり秋になると枯れる。竹の子は春になって人間に食べられて又来年出てくる。いつも同じこと繰り返してます。自然は同じ事やってます。人間世界も同様です。赤ん坊は一年二年と成長し六〇歳になるといつの間にか老人顔になり、同じように死んでくね、時には例外があって良さそうだがね。こういう事実を「無所得。無所悟」と云うんです。これが「磨塼」ですよ。これは世間では虚しいことですよ、結果が出ないんですから。これが本当の姿ですよ、飽きもせずやる。

磨塼と云う和尚が神戸の般若林に居ましたね、再興した人ですよ。法華を勉強した人らしく、天下の磨塼と云われたそうで、私(酒井得元)の老僧の守口慧徹は森田悟由禅師(永平寺六十四世・天保五(1834)―大正四(1915))に就く前は磨塼さんの所に居ったと云うからね。最後は森田禅師に就いて可愛がられて、終生、森田さんの写真を掲げ拝んで居りましたがね。そこで鈴木天山禅師(永平寺六十九世・三重県四天王寺福井県宝慶寺等住持・文久三(1863)―昭和十六(1941)と仲良くなって兄弟弟子みたいになりましてね。

磨塼和尚にはこんな話が有りましたね。ある雲水が磨塼を凹ましてやろうと、独参し滔々と自分の意見を述べると、磨塼さんは感心して聞いたそうだ。得意気な雲水は鼻高々になると、

磨塼和尚はお茶を出して歓待すると、その雲水は恐縮し出されたお茶をひっくり返すと磨塼和尚は、「それだけ勉強されたんだから茶碗の一つや二つひっくり返してもいいかな」と言われたそうです。その言葉に雲水は凹んだそうですが、我々の宗門にはそういう型破りな先輩が居た事は愉快でね、この『坐禅箴』の「磨塼」と云う語を聞くと、般若林の磨塼和尚を思い出すんですよ。

「塼はたとひ塼なりとも、鏡はたとひ鏡なりとも、磨の道理を力究するに、許多の榜様あることをしるべし。古鏡も明鏡も、磨塼より作鏡をうるなるべし」

明鏡も古鏡「磨塼」という事がなけりゃいけませんわ。あなた方が此の処に存在する事も「

磨塼」なんですね。「磨塼」があなた方の本音の姿ですよ。

「もし諸鏡は磨塼より来たると知らざれば、仏祖の道得なし、仏祖の開口なし、仏祖の出気を見聞せず」

仏祖の本当のあり方は「磨塼」である。普通の解釈はムダですが、道元禅師なればこそ、この磨塼は生きますね。

大寂いはく、磨塼豈得成鏡耶。まことに磨塼の鐵漢なる、佗の力量をからざれども、磨塼は成鏡にあらず、成鏡たとひ聻なりとも、すみやかなるべし。

磨塼したんでは鏡に出来ないじゃないかという事ですけれど、これが私達には大切なんですね。磨塼して永久に鏡に成りませんもんね。それがいいんですよ。

「磨塼の鉄漢なる」鉄漢と申しますのは、永久に変わらないと云う事です。煮ても焼いても同じ顔、こういうのを「鉄漢」と云うんですね。他からの力を借用しても塼を磨いては鏡に成らず。「成鏡たとひ聻」の聻(ニイ)とは「それっきり」の意で、「すみやかなるべし」とは鏡は何処までも鏡であり続けている事です。つまりは「磨塼」と「成鏡」には関係性がないと云う事を「聻」と云う語で表したんです。

この永久に姿が変わらないと云う「尽十方界」なんです。何年経ったら功徳が有ったなんて事はなく、いつまで経っても「無所得・無所悟」です。

南嶽いはく、坐禪豈得作佛耶。あきらかにしりぬ、坐禪の作佛をまつにあらざる道理あり、作佛の坐禪にかゝはれざる宗旨かくれず。

坐禅豈(あ)に作仏を得(えて)んや。という坐禅でないと只管打坐の坐禅にはならん。只管に坐禅だ。それが宇宙の事実だ。これが本当の成仏ですよ。坐禅は仏に成るのを待ってるんじゃありませんぜ。「作仏の坐禅にかゝはれざる宗旨かくれず」とは作仏と坐禅は別物だと云うことです。作仏を求める坐禅を無駄な坐禅と云うんですよ。私達は明日の為に生きてるんじゃありませんよ。成仏の為の坐禅なら無駄な坐禅ですよ。見性する為の坐禅なら人生を無駄に費やす事になる。わが宗門では準備期間はありません。

大寂いはく、如何即是。いまの道取、ひとすぢに這頭の問著に相似せりといへども、那頭の即是をも問著するなり。たとへば、親友の親友に相見する時節をしるべし。われに親友なるはかれに親友なり。如何即是、すなはち一時の出現なり。

「如何即是」はどうしたらいいんでしょうか、と普通は読みますが「如何」を『御抄』(「曹洞宗全書」一・二四八下)では「いかなるも作仏なり」と云ってますね。

「一筋に這頭の問著に相似せりと云えども、那頭の即是をも問著するなり」

「這頭」はこの場合はという意で、質問(問著)に似ているけれども、「那頭」はあの場合で、あっちこっち質問だと言ってるんです。

宗門の安心(あんじん)は、これでいいと云う一服じゃいけませんぜ。昔大中寺に居りました時に沢木老僧に「安心と云う額を書いてくれませんか」と云ったら、「不安心と書いてやろう」と云う。変な和尚だなと思いました、不安心と書くとはね。

これにはこんな逸話があるんです。沢木老僧、法隆寺に居る時に吉田寺(斑鳩町小吉田にある浄土宗寺院・別名ぽっくり寺)という寺がありまして、それが尼寺なんですよ。その尼寺の家庭教師に頼まれたと。そこには金持ちの尼(叔母と姪)さんが寺を経営し、毎日お茶やお華を楽しんでいたそうなんですよ。ところが毎日芸事やってもつまらんから、仏法を勉強したいという事になりました理由は、安心を求めたいと思ったそうです。

その二人の師寮寺は、法隆寺の裏の三十の塔がある法輪寺の老僧のお弟子さんだったんだ。(法琳寺とも書き三井寺とも云う。創建は聖徳の子山背大兄王(やましろのおおえのおう)が推古三十(622)年、また670年説あり。昭和十九年雷火で消失、昭和五十年に飛鳥様式で幸田文氏等尽力で再建)

その老僧、雷親父みたいな恐い和尚だったそうですよ。二人の尼さんはその老僧の処に相談に行ったそうですよ、安心を授けていただきたいと。そうしたら和尚が云うには、今から安心が欲しいとはとんでもないと、わしは八十歳を過ぎても安心しまい・安心しまいと努力して居るのにと、怒られたそうです。

そういう事情で、二人の尼僧は法隆寺の佐伯定胤(1867―1952・第百三代別当)の処に相談に行くと、佐伯さんが云うには「お前さん達もそういう道心を起こしたか」と、そうしたら家庭教師を就けてやるかと云う事で、沢木老僧が二人に教えたのは『永平清規』『典座教訓』『学道用心集』を教えたそうです。その時のことばが「安心しないと努力する」だったそうだ。

それで「問著」の姿が「安心」なんです。解決しない、未解決を問著なりと言ったんです。

「、親友の親友に相見する時節を知るべし。我に親友なるは彼に親友なり」の親友とは坐禅と作仏との関係で、「如何、即是すなわち一時の出現なり」の一は無辺際を指し、無限の真実を云うものです。

 

    第四段

南嶽いはく、如人駕車、車若不行、打車即是、打牛即是。しばらく車若不行といふは、いかならんかこれ車行、いかならんかこれ車不行。たとへば、水流は車行なるか、水不流は車行なるか。流は水の不行といふつべし、水の行は流にあらざるにもあるべきなり。しかあれば、車若不行の道を參究せんには、不行ありとも參ずべし、不行なしとも參ずべし、時なるべきがゆゑに。若不行の道、ひとへに不行と道取せるにあらず。打車即是、打牛即是といふ、打車もあり、打牛もあるべきか。打車と打牛とひとしかるべきか、ひとしからざるべきか。世間に打車の法なし、凡夫に打車の法なくとも、佛道に打車の法あることをしりぬ、參學の眼目なり。たとひ打車の法あることを學すとも、打牛と一等なるべからず、審細に功夫すべし。打牛の法たとひよのつねにありとも、佛道の打牛はさらにたづね參學すべし。水牯牛を打牛するか、鐵牛を打牛するか、泥牛を打牛するか。鞭打なるべきか、盡界打なるべきか、盡心打なるべきか、打迸髓なるべきか、拳頭打なるべきか。拳打拳あるべし、牛打牛あるべし。大寂無對なる、いたづらに蹉過すべからず。塼引玉あり、回頭換面あり。この無對さらに攙奪すべからず。

「南嶽いはく、人の車を駕するが如き、車もし行かずんば、打車即是、打牛即是」おもしろい言葉ですね。「しばらく車若不行といふは、いかならんかこれ車行、いかならんかこれ車不行」いよいよ解説になるわけです。

人が車を駕するとは、人が車に乗って車が進まなかったら、車を叩いたらいいのか、こう云う事ですね。変な問題でしょう。普通は車が動かなかったら牛を叩くのが当り前でしょう。

これは「人が車を駕するようなもので、もしも車が進まなかった場合には、車を叩くのも善し牛を叩くのも善し」と読んでもいいですよ。

「車若不行」車もし行かずんば、に対し「いかならんかこれ車行」「いかならんかこれ車不行」変な問題になりましたね。この場合には「車若不行」と一つの単語にし訓読しません。車は動くばかりが車ではなく、動かない車もあるわけです。

「たとへば、水流は車行なるか、水不流は車行なるか。流は水の不行と云うつべし、水の行は流にあらざるにもあるべきなり。しかあれば、車若不行の道を参究せんには、不行ありとも参ずべし、不行なしとも参ずべし、時なるべきがゆえに」

今度は「水の流れ」に喩えての説明です。水は流れるばかりが水ではなく、流れないと云う事もあって「水」なんです。ですから水流は車行なるかと疑問符にしてますが、水流・水不流ともに車行の意味合いです。車には両面ありまして進む場合、進まない場合がありまして、その時次第で断滅の関係です。

坐禅と作仏の関係も同様に坐禅はいつでも坐禅で、坐禅が変化して作仏に変貌するものではなく、坐禅坐禅に徹しなさいと言わんが為の喩えです。

「若不行の道、ひとえに不行と道取せるにあらず。打車即是、打牛即是といふ、打車もあり、打牛もあるべきか。打車と打牛と等しかるべきか、等しからざるべきか。世間に打車の法なし、凡夫に打車の法なくとも、仏道に打車の法あることを知りぬ、参学の眼目なり」

普通の凡夫には目的がありまして、目的を達する事が人生なんですよ。仏法から申しますと目的を達するばかりが能じゃない。それが「参学の眼目」です。

「たとひ打車の法あることを学すとも、打牛と一等なるべからず、審細に功夫すべし。打牛の法たとひ世の常にありとも、仏道の打牛は更に尋ね参学すべし」

坐禅坐禅、作仏はどこまでも作仏というわけで、別物ですよ。仏になる為の坐禅じゃありませんぜ。「打車と打牛は一等なるべからず」同じじゃありませんよ。車を動かす為に世間では牛を叩きます。仏道の打牛は、車が動こうが動くまいが関係ありません。

「水牯牛を打牛するか、鉄牛を打牛するか、泥牛を打牛するか。鞭打なるべきか、尽界打なるべきか、尽心打なるべきか、打迸髄なるべきか、拳頭打なるべきか。拳打拳あるべし、牛打牛あるべし」

この「打牛」は尽十方界が回転」する「打牛」なんですね。それをこう云う風に言うわけです。仏法では牛は大変に結構なことなんですよ。お釈迦様のあだ名が牛王大沙門と云い『四十二章経』に於いても行者を「重きを負うて泥中を行くが如し」(仏言。沙門行道。如牛負行深泥中)と牛を喩えにして語られます。ここでの牛はお釈迦様を云うんですね。

「水牯牛を打牛」するとは水牯牛=お釈迦様を打牛ですから、坐禅する事を云うんですね。ですからお釈迦様でもいろいろあります。鉄牛・泥牛とね。

薬山は石頭の所で蚊子の鉄牛に登るが如しと云いましたが、実は仏法の修行、私達の坐禅の様子なんです。鉄牛には針は刺せないし歯が立たない。歯が立たないのに立ったような気になっちゃいけません。

 

そこで想い出すのが、沢木老僧から聞いた事ですが、昔「無人島」という雑誌を大谷大学の人達が出していたそうですよ。その中に妙好人のことが載っていたと。南無と云うは「命乞えの裸参りが頓死した」。それから「ツンボが立ち聞きしてアカナンダ」という心だと。

これが蚊子の鉄牛に登るが如しです。我々の手に負えるものなら尽十方界ではありません。我々自身が尽十方界ですよ。我々は聞く必要はないんです、ツンボですから。命乞えをせんでよかったのね、どうせ頓死するんだから。そういう事が「鉄牛打」です。

「泥牛を打牛する」泥牛と申しますのは龍山のことばで、「泥牛闘って海に入るも、直に今に至るも消息なし」没渉跡だ。「鞭打なるべきか」鞭で打ったほうがいいか。「尽界打なるべきか」尽十方界の打です。「尽心打なるべきか」この場合の心は、一切法これ心なりです。つまりは尽十方界が生きていると云う事実を称して心と云うんだ。ここに云うべきかは断定の語法として受け取ってください。

「打迸髄なるべきか、拳頭打なるべきか。拳打拳あるべし、牛打牛あるべし」

「迸」はホトバシルの意で髄をぶっ叩くという事ですね。真髄まで骨の髄まで叩く、という意味ですね。

「拳頭打」は頭をげんこつで打つ事であり、「拳打拳」げんこつがげんこつを打つ事であり、「牛打牛」牛が牛を打つ事です。一人芝居みたいなもんですわね。要はどんな行動でも尽十方界ので終わると。第三者的になる事はできない、そんな意味合いにお考え願いたい。

「大寂無対なる、いたづらに蹉過すべからず。拋塼引玉あり、回頭換面あり。この無対さらに攙奪すべからず」

最後に来まして馬祖は黙ってしまった。黙っちまうのが本当なんですね。『維摩経』に「入不二法門」という巻がありますが、無言無説が本当の価値ですね。また「維摩の一黙は雷の如し」と云うのは禅宗の人が讃嘆する為に付言したもので『維摩経』にはありませんぜ。無言無説が本当ですね。

「いたづらに蹉過すべからず」

普通の解釈では馬祖が物云えなくて黙ってしまった。の意ですが道元禅師の解釈では、黙った事がいいんだと馬祖に肩を持つものです。

「拋塼引玉」とは海老で鯛を釣ると同じです。「回頭換面」の意は表面通りに無対と

と見ちゃいけませんよと云う事で、この無言が大変な事ですよと。

「この無対さらに攙奪すべからず」

攙奪と云うのは、攙奪行市(ざんだつこうし)と云う言葉があります。投げ売りをする事ですね。つまり、この大寂の無対を大いに買ってやろうじゃないかと云う事です。

 

    第五段

南嶽、又しめしていはく、汝學坐禪爲學坐佛。 この道取を參究して、まさに祖宗の要機を辦取すべし。いはゆる學坐禪の端的いかなりとしらざるに、學坐佛としりぬ。正嫡の兒孫にらずよりは、いかでか學坐禪の學坐佛なると道取せん。まことにしるべし、初心の坐禪は最初の坐禪なり、最初の坐禪は最初の坐佛なり。

これからは坐禅の解説と思ってください。

「南嶽、又しめしていはく、汝学坐禅為学坐仏」

送り仮名を付けますと、汝は坐禅を学す、これ(為)坐仏を学す。を汝の学坐禅は、これ額坐仏なり。と読みます。

「この道取を参究して、まさに祖宗の要機を辦取すべし」

「祖宗」と云うのは達磨宗で、「要機」は肝心要な所という事ですね。これを「辦取」学び取ってもらいたい。つまりわが宗門の極意と云うものは、学坐禅が学坐仏という事です。

「いはゆる学坐禅の端的いかなりと知らざるに、学坐仏と知りぬ」

学坐仏がどういう事かわからなくても差し支えないんだ。坐禅をする事が学坐仏になるんだと。「学坐禅の端的いかなりと知らざるに」知らなくても差し支えないんですよ。そのままが学坐仏である事がよくわかる。

「正嫡の児孫にあらずよりは、いかでか学坐禅の学坐仏なると道取せん」

本当の仏教者でなければ、こういう事は言いません。坐禅をする事が坐仏である。坐仏という言葉は他には有りませんよ。臨済宗の語録にも坐仏と云うことばは有りませんよ。わが宗門だけの語法です。

「誠に知るべし、初心の坐禅は最初の坐禅なり、最初の坐禅は最初の坐仏なり」

最初の坐禅がそのまま坐仏なんです。坐禅を何年やったら坐仏するという事じゃありませんぜ。真似は真似事で本物なんです。我々の日常と云うのは、どんな一瞬でもかけがえのない絶対的な時間なんですよ。大智禅師(1290―1366)に「十二時法語」というのがあります。この法語を見ると、やっぱり永平さんの児孫だなと思い知れますね。法語の中には休む時には休む時の心得がありますぜ。それを仏祖に渡らせ候と云うんだ。

 

     第六段

坐禪を道取するにいはく、若學坐禪禪非坐臥。 いまいふところは、坐禪は坐禪なり、坐臥にあらず。坐臥にあらずと單傳するよりこのかた、無限の坐臥は自己なり。なんぞ親疎の命脈をたづねん、いかでか迷悟を論ぜん、たれか智斷をもとめん。

坐禅を道取するに」とは坐禅を説明するにはと云った具合で、「若学坐禅」もし坐禅を学すれば、「禅非坐臥」禅は坐臥にあらず。ただ座ったんじゃ禅には成りませんよ。坐が禅に成らなきゃならないんだ。そこが要点ですね。私達の日常生活には行住坐臥がありますね。これを四威儀と云いましてね。この日常生活の坐臥が禅じゃありません。

「いま云うところは、坐禅坐禅なり、坐臥にあらず」

坐っただけが禅ではなく、生活姿勢の坐臥では禅ではないと。

「坐臥にあらずと単伝するよりこのかた、無限の坐臥は自己なり」

「単伝」というのは眼蔵独特な用法で、「単伝」は人から物を貰うんじゃないですよ。人から貰うんでは複数ですから単伝にはなりません。亦伝える物が有ったら単伝にはなりません。単伝を天桂伝尊(1648―1735)さんは「自己が自己に単伝す」と云われます。本当の自己に成り切ることですね。

昔、私が京都の紫竹林学堂安泰寺(大正十年四月開創)に居りました時、その時の堂頭さんが衛藤即応(1888―1958)先生なんですよ。ところがそこの理事で、御開山のお弟子さんが丘宗潭(1860―1921)さんのお弟子さんの丘球学(1877―1953)さんで、その球学さんがよくそのお寺に泊まられるんですよ。そこで私達と過ごされた事がよくありましたよ。紫竹林寺でよく衛藤さんと球学さんは一緒になるんですよ。二人は仲が良いんですね。時に球学さんが「忙しい忙しい」とおっしゃる。片方の衛藤先生は、丘さんに対し「自分が忙しくしているんじゃないか」と。衛藤先生というのは不精もんでね、まったく体を動かさんもんね。いつも机に向かって煙草のんでね。そりゃ忙しくないもんね。二人の生活態度が違うでしょう。丘さんは雲水上がりでね。衛藤さんの云った事は一つの真理ですね。

満州の犬を思い出しますね。満州人が犬に車を引かせる事が居るのね。大きな犬でその鼻先に肉を付けてますから、犬は心ならずも一日中車を引くことになります。岡山県でも田起こしには牛の鼻先に、旨そうな草をぶら下げて仕事する事を老僧から聞いた事があります。

そこで「坐禅坐禅なり」ですよ。自分に親しむ為、手を組み足を組んで正身端坐をする事ですよ。あぐらをかくのは坐禅じゃありませんよ。「坐臥にあらずと単伝する」とは徹底的に自己に親しむと云う事が単伝。単伝でなければ坐禅にはなりません。

満州の犬・岡山の牛では困ります。手を組み足を組んで止静が鳴ったらよそ見をしない、これで自己を取り戻すんですよ。じーとして浮かんで来るのは生活以前の事で、生活というのは手足を動かし、それにより人生が始まりますから、じーとしているのが父母未生已然という事ですね。朕兆已然と云う事は遠い過去の事じゃなかった。我々の坐禅しているこの事実が父母未生已然の事実、この事実が大自然の姿、生命そのものの姿ですよ。坐禅した姿を尽十方界真実人体と云うんだ。坐禅は妥協しちゃいけませんぜ。

昔、こんなのが駒沢大学に居ましたね。「私は勉強する時、坐禅して勉強します」と。坐蒲を敷いて結跏趺坐して勉強するんだそうだが、それは坐禅じゃないよ。ただ足を組んでるだけで、仕事するんですからね。この人は岡山の牛をやっているんだ。そんなながら坐禅坐禅じゃありませんよ。

「坐臥にあらずと単伝するよりこのかた、無限の坐臥は自己なり」

坐禅も坐臥には違いないですが、無限の坐臥と云うことですね。「無限の坐臥」と申しますのは、我々の日常生活は有限ですが、宇宙の生命がそこに有りますから無限の生命です。本当の「自己」と申しますのは、人から横っ面張られて「俺を何だと思ってるんだい」と云うのは自己意識でありまして、貴方を生かしている大自然そのものが「自己」なんです。

私が永平寺に居る時には、なっちませんでしたぜ。堂行寮の連中普段は威張り散らすが、坐禅の時には握り飯抱えたような顔してますからね。みんな坐禅が嫌いだったな。時間潰しの坐禅と私には受け取れましたがね。

臘八接心では貼(添)菜ばかりで、朝課ではお経を長々と読み行茶の時には茶菓子と、さらに提唱があり、また大盛りの貼菜の昼食とね。私の安居した時の永平寺の接心は接心じゃないね。維那が口宣を止めると次に後堂さんの口宣と、その口宣も世間話でね。あれじゃ時間潰しの坐禅は助かるわな。夜坐の三炷目には普勧坐禅儀の長いお経だ。接心中一日三回お経読むんだぜ。

この前、沢木老僧と接心頼まれまして、神奈川県に行って来ましたよ。晋山結制の後の附録の接心ですよ。その時に晋住和尚が口宣をやりましてね。その和尚、沢木老僧に叱られましたよ。

私の孫師匠森口恵徹(1857―1937)は説教師で上手かったんだ。有名なんですよ、その時代には。二祖さんの六五〇回忌(昭和五年(1930))遠忌には永平寺の布教部長やってたんだから。

晩年には可愛がられて、京都大学の時に鳥羽の常安寺に呼ばれたんですよ。その時に参禅会があったんだ。私の師匠に云わせますとね、「老僧の坐った処見たことない」と云ってましたがね。それから坐禅が始まるんですけど、坐蒲が有るわけじゃなしに坐るんですよ。画mm来説教師ですから、一炷坐る間中喋りっ放しで、それから「和尚や、普勧坐禅儀を始めなさい」です。それを読み終えると「今日の参禅会はこれで終り」です。いつ坐禅をしたか、座禅を知らんも程があるね。

この前も静岡県にある新しい道場が出来まして、若い連中が行ったそうですよ。そうしたら、そこの和尚、私の孫師匠といっしょらしく、坐禅中ずーと喋っていたそうだ。もう困ったから帰って来たと云ってましたがね。想像がつきますね。

姿勢が崩れたらいけませんから、どこまでも端坐を全うする事です。これが坐禅のコツですよ。これを忘れたら居眠り坐禅になっちまう。私に云わせると居眠り坐禅公案禅は、ガラクタと同じようなものでしょうね。

本物の坐禅を求めて永平寺をやめて、臨済宗の寺を久松真一(1889―1980)先生に紹介されまして行きましたが、期待はずれで坐禅はしませんでしたよ。坐禅は形式的にやりますけど、朝の暁天坐禅・夜坐もありませんし、老師と云われるお師家さんは坐禅堂には出て来ませんしね。坐ったの見た事ないよ。臘八接心の最初の日の巡堂で見ただけです。単伝の坐禅がない。本当の坐禅は単伝に徹する事が生命ですよ。

「なんぞ親疎の命脈をたづねん」親しいとか疎縁とかどうでもいい。

「いかでか迷悟を論ぜん」迷いがどうだの、悟りがどうだの一切必要ありません。単伝に徹する事でいいんです。迷悟なんか問題じゃありません。

「たれか智断をもとめん」智断は解脱のことです。解脱を求める必要もない。

 

     第七段

南嶽いはく、若學坐佛、佛非定相 。いはゆる道取を道取せんには恁麼なり。坐佛の一佛二のごとくなるは、非定相を莊嚴とせるによりてなり。いま佛非定相と道取するは、佛相を道取するなり。非定相佛なるがゆゑに、坐佛さらに迴避しがたきなり。しかあればすなはち、佛非定相の莊嚴なるゆゑに、若學坐禪すなはち坐佛なり。たれか無住法におきて、ほとけにあらずと取捨し、ほとけなりと取捨せん。取捨さきより脱落せるによりて坐佛なるなり。

「若学坐仏、仏非定相」もし坐仏を学せば、仏は定相にあらず。これは若学坐仏、仏非定相と棒読みにした方がいいでしょうね。

「いはゆる道取を道取せんには恁麼なり」道取の取は強めの助辞ですから、この発言はという意で、同じ道取を繰り返しますが、こういう言い用しかしか言い用がないと云う意味合いです。

「坐仏の一仏二仏の如くなるは、非定相を荘厳とせるによりてなり」これは、だれが坐っても仏さんなんだ。若い者が坐っても坐仏、老僧が坐っても坐仏ですよ。年齢の如何、男女の如何にも関わりません。坐禅したら坐仏なんです。その根本となるものが「非定相」なんです。「荘厳」この場合は姿ですね。非定相という姿でなければならない。

「いま仏非定相と道取するは、仏相を道取するなり」仏の仏相を道うは仏の相(姿)を道うと。

「非定相仏なるが故に、坐仏さらに迴避しがたきなり。しかあればすなはち、仏非定相の荘厳なる故に、若学る坐禅すなはち坐仏なり」定相という事は黙って静かになる事ですね。「非定相」は定相に非ずと読んだら間違いで非定相でなければならない。つまり定相の根本条件が非であるとの意です。この非は非思量の非と同じ非です。人間の小細工でやってる定相であってはならない。数息観や不浄観が小細工ですよ。道元禅師の坐禅には数息観はございませんよ。全てを放棄した姿が非定相ですよ。

「坐仏さらに迴避しがたきなり」坐仏を嫌だと云う訳にはいきませんぜ。非が仏の姿ですから。仏非定相という荘厳ですから、若学坐禅を行ずることが非定相を行じ、それが坐仏であると。

「たれか無住法におきて、ほとけにあらずと取捨し、ほとけなりと取捨せん。取捨さきより脱落せるによりて坐仏なるなり」自然には取捨はありません。人間の世界に於いて取捨がある。気に入ったのは取り込み、気に入らんのは捨てるでしょうが。ですから『信心銘』(三祖僧璨撰)では「至道無難、唯嫌揀択」と申します。嫌うのはこちらの都合で嫌うんですから。自我が入ったら非じゃありません。定相も人間の小細工が入る定相ではありません。ですから只管打坐なんです。非定相を別語で只管打坐と言うんです。

 

     第八段

若執坐相、非達其理。 いはゆる執坐相とは、坐相を捨し、坐相を觸するなり。この道理は、すでに坐佛するには、不執坐相なることえざるなり。不執坐相なることえざるがゆゑに、執坐相はたとひ玲瓏なりとも、非達其理なるべし。恁麼の功夫を脱落身心といふ。いまだかつて坐せざるものにこの道のあるにあらず。打坐時にあり、打坐人にあり、打坐佛にあり、學坐佛にあり。たゞ人の坐臥する坐の、この打坐佛なるにあらず。人坐のおのづから坐佛佛坐に相似なりといへども、人作佛あり、作佛人あるがごとし。作佛人ありといへども、一切人は作佛にあらず、ほとけは一切人にあらず。一切佛は一切人のみにあらざるがゆゑに、人かならず佛にあらず、佛かならず人にあらず。坐佛もかくのごとし。

南嶽江西の師勝資強、かくのごとし。坐佛の作佛を證する、江西これなり。作佛のために坐佛をしめす、南嶽これなり。南嶽の會に恁麼の功夫あり、藥山の會に向來の道取あり。しるべし、佛々祖々の要機とせるは、これ坐佛なりといふことを。すでに佛々祖々とあるは、この要機を使用せり。いまだしきは夢也未見在なるのみなり。おほよそ西天東地に佛法つたはるゝといふは、かならず坐佛のつたはるゝなり。それ要機なるによりてなり。佛法つたはれざるには坐禪つたはれず、嫡々相承せるはこの坐禪の宗旨のみなり。この宗旨いまだ單傳せざるは佛祖にあらざるなり。この一法あきらめざれば萬法あきらめざるなり、萬行あきらめざるなり。法々あきらめざらんは明眼といふべからず、得道にあらず。いかでか佛祖の今古ならん。こゝをもて、佛祖かならず坐禪を單傳すると一定すべし。

佛祖の光明に照臨せらるゝといふは、この坐禪を功夫參究するなり。おろかなるともがらは、佛光明をあやまりて、日月の光明ごとく、珠火の光燿のごとくあらんずるとおもふ。日月の光耀は、わづかにこれ六道輪廻の業相なり、さらに佛光明に比すべからず。佛光明といふは、一句を受持聽聞し、一法を保任護持し、坐禪を單傳するなり。光明にてらさるゝにおよばざれば、この保任なし、この信受なきなり。

しかあればすなはち、古來なりといへども、坐禪を坐禪なりとしれるすくなし。いま現在大宋國の諸山に、甲刹の主人とあるもの、坐禪をしらず、學せざるおほし。あきらめしれるありといへども、すくなし。諸寺にもとより坐禪の時節さだまれり。住持より諸僧ともに坐禪するを本分の事とせり、學者を勸誘するにも坐禪をすゝむ。しかあれども、しれる住持人はまれなり。このゆゑに、古來より近代にいたるまで、坐禪銘を記せる老宿一兩位あり、坐禪儀を撰せる老宿一兩位あり。坐禪箴を記せる老宿一兩位あるなかに、坐禪銘、ともにとるべきところなし、坐禪儀、いまだその行履にくらし。坐禪をしらず、坐禪を單傳せざるともがらの記せるところなり。景徳傳燈録にある坐禪箴、および嘉泰普燈録にあるところの坐禪銘等なり。あはれむべし、十方の叢林に經歴して一生をすごすといへども、一坐の功夫あらざることを。打坐すでになんぢにあらず、功夫さらにおのれと相見せざることを。これ坐禪のおのれが身心をきらふにあらず、眞箇の功夫こゝろざゝず、倉卒に迷醉せるによりてなり。かれらが所集は、たゞ還源返本の様子なり、いたづらに息慮凝寂の經営なり。觀練薫修の階級におよばず、十地等覺の見解におよばず、いかでか佛々祖々の坐禪を單傳せん。宋朝の録者あやまりて録せるなり、晩學すててみるべからず。

坐禪箴は、大宋國慶元府太白名山天童景徳寺、宏智禪師正覺和尚の撰せるのみ、佛祖なり、坐禪箴なり、道得是なり。ひとり法界の表裏に光明なり、古今の佛祖に佛祖なり。前佛後佛この箴に箴せられもてゆき、今祖古祖この箴より現成するなり。かの坐禪箴は、すなはちこれなり。

若執坐相、非達其理。 いはゆる執坐相とは、坐相を捨し、坐相を觸するなり。この道理は、すでに坐佛するには、不執坐相なることえざるなり。不執坐相なることえざるがゆゑに、執坐相はたとひ玲瓏なりとも、非達其理なるべし。恁麼の功夫を脱落身心といふ。いまだかつて坐せざるものにこの道のあるにあらず。打坐時にあり、打坐人にあり、打坐佛にあり、學

、學坐佛にあり。

     ―テープ欠―

「たゞ人の坐臥する坐の、この打坐仏なるにあらず。人坐のおのづから坐仏仏坐に相似なりといへども、人作仏あり、作仏人あるがごとし。作仏人ありといへども、一切人は作仏にあらず、ほとけは一切人にあらず。一切仏は一切人のみにあらざるが故に、人必ず仏にあらず、仏必ず人にあらず。坐仏もかくの如し」

「ただ人」とは一般の人との意で、一般の人が胡坐をかくのが「打坐仏」と云うんじゃありませんぜ。私らの坐るというのは仏様の坐を坐るんで、自分勝手な坐りじゃないですよ。川上哲治(1920―2013)が坐禅したとか、精神修養の為に相撲取りが坐禅したとか云いますが、私たちの坐禅は信仰の坐禅ですよ。人間的効果を狙うのは坐禅とは呼べません。宗門の坐禅は何処までも坐仏の坐です。

「人坐のおのづから坐仏仏坐に相似なりといへども、人作仏あり、作仏人あるが如し」

人が自分から足を組んで仏に同じようにしたと云っても、人作仏・作仏人ありと変な言葉でしょう。「人作仏」というのは人が仏を作る。あるいは仏と作りし人。あるいは仏と作りし人。人が作仏する。こう読んでもいいですよ。いろいろ言い回しがあります。第二段に「

彫龍を愛するより、すすみて真龍を愛すべし。彫龍・真龍ともに雲雨の能あること学習すべし」とありますが、彫龍というのは人間が真似たことですよ。真龍というのは仏なんです。坐禅することが彫龍、坐仏は彫龍に相当します。彫龍がそっくりそのまま真龍に成るんですよ。どんな人間でも坐禅の真似をすれば、真似が本物に成るんです。ですから彫龍・真龍ともに雲雨の能あること学習すべしと有りますね。

「人坐」はたしかに仏じゃない。人坐がそのまま坐仏・仏坐と、彫龍と同様似ています。仏の成り具合を「人作仏」と言ったり「作仏人」と言うんだと。これは同じ意味ですよ。

「作仏人ありと云えども、一切人は作仏にあらず、ほとけは一切人にあらず」

だれもが作仏人と言うわけではありませんよ。坐れば作仏人ですが坐らなければ作仏人じゃありません。仏は一般人ではありませんから、一切人にあらずです。

「一切仏は一切人のみにあらざるが故に、人必ず仏にあらず、仏必ず人にあらず。坐仏もかくの如し」

一切仏に成るには手続きがあります。そのままでは仏じゃありませんぜ。その手続きは坐仏という手続きです。坐仏という条件が備わってこそ仏に成る。

これまでが坐禅の概略の説明でした。

「南嶽江西の師勝資強、かくの如し。坐仏の作仏を証する、江西これなり。作仏のために坐仏をしめす、南嶽これなり」

南嶽(懐譲)は師匠・江西(馬祖)は弟子の関係を「師勝資強」と云ったんです。『景徳伝灯録』五・南嶽章そのまま読んでも、このような解釈は出来ませんよ。永平門下人は『坐禅箴』巻に示されるよう読解し、親しむよう願いたいものです。

「坐仏の作仏を証する」とありますが、坐仏の作仏を実証すると置き換えると理解しやすく、実践するの意です。馬祖がそれを実行した「江西これなり」。作仏の為に坐仏を示したのが南嶽であると。二人の役割を南嶽→作仏→坐仏を江西→坐仏→作仏と配役したと。

「南嶽の会に恁麼の功夫あり、薬山の会に向来の道取あり。知るべし、仏々祖々の要機とせるは、これ坐仏なりと云うことを。すでに仏々祖々とあるは、この要機を使用せり。いまだしきは夢也未見在なるのみなり。おほよそ西天東地に仏法伝わるゝと云うは、必ず坐仏の伝わるゝなり」

南嶽懐譲の道場に、このような修行が行われていたと。薬山惟儼の道場では先程示した非思量の道取ありと。

知るべし仏祖の肝心要な処は、坐仏であると。仏祖となるには坐仏をしなければならない。そこまで到達しない者は、まだ夢にも見ていないだろう。

西天はインドで東地は支那ですね。仏法が伝わるとは坐仏が伝わります。学問では信仰が伝わりません。

私が知ってる、ある有名な世界的学者なんですけどね、その人の信仰ときたら、無邪気なもんでね。その辺の爺さん婆さんと同じような信仰なんです。そこには伝統のと云うものがわかっちゃいない。その人には坐仏が伝わらないからです。

「それ要機なるによりてなり。仏法伝われざるには坐禅伝われず、嫡々相承せるはこの坐禅の宗旨のみなり」

仏法=坐禅の連綿性を云います。私の子供の頃習ったのは、禅宗は仏法の総譜なりと思ってたんです。ところが境野黄洋(1871―1933)さんが書いた『日本仏教史小史』を見てみると、どれが仏教の本家筋かさっぱりわからんもんね。我々の日常は五十七仏を称えますが、境野さんの本には何も触れてないんです。

正法眼蔵の研究書がありますが、なかにはとんでもない語訳が有りますよ。駒沢大学では眼蔵の現代語訳演習をしますが、出来上がったものは喰わせもんばかりで、辻褄合わせの和訳ですから、さっぱりわかりません。

道元禅師の文章は非常に簡潔ですから、補足説明が大変なんです。岸沢惟安(1865―1955)さんの『正法眼蔵全講』二十四巻のような膨大な量になるんです。

「この宗旨いまだ単伝せざるは仏祖にあらざるなり。この一法あきらめざれば万法あきらめざるなり、万行あきらめざるなり。法々あきらめざらんは明眼と云うべからず、得道にあらず。いかでか仏祖の今古ならん。こゝをもて、仏祖かならず坐禅を単伝すると一定すべし」

この宗旨云々が私たちの信仰ですよ。仏教史の立場ではなく、正伝の仏法が私達の信仰ですよ。

私は三年に一回づつ立正大学に特別講義に行きますよ。東京の大学では各校が巡回して私が立正大学に行くと、立正大学の先生が駒沢大学に来て講義するんですよ。私らから見ると日蓮さんはお粗末ですが、立正大学では日蓮お上人ですからね。

この頃はクリスチャンの方も仏教を理解する為、プロテスタントの牧師さん百五六十名が総持寺に来たんですよ。それに総長の榑林皓堂(1893―1988)さんと私が講義しましたよ。次は上智大学に行かなきゃなりませんよ。この前は修道院に行きましたよ。向こうの行鉢も体験し、コーヒーもおいしかったですよ。日本人はいないんですよ。カトリックの修道士で日本に来て五年以内の人なんですよ。

その時に云うのが、「私の話は眉唾ものだから気をつけて聞け」と云うんですよ。と云うのは、宗教というのは自分が信じる宗教が一番いいと思ってるんですからね。日常品の箒ならデパートの特売場で間に合わせられますが、これが宗教・信仰になったら百円均一では済まないでしょう。

教会の話の時でも「私の云う事は自分の宗教が一番いいものと信じていると、他の宗教はボロカスだと思っているから、そのつもりで聞いてくれ」と云うんですよ。向こうさんもニコニコしながら、その通りという顔してますがね。

万法あきらめざる・万行きらめざると繰り返し強調されます。「法々あきらめざらん」とは坐禅が坐仏であり仏坐である事を指します。「いかでか仏祖の今古ならん」の今古は永遠の意で、「仏祖かならず坐禅を単伝するお一定すべし」と皆さん単伝してください。

「仏祖の光明に照臨せらるゝと云うは、この坐禅功夫参究するなり。愚かなるともがらは、仏光明をあやまりて、日月の光明ごとく、珠火の光燿のごとくあらんずると思う。日月の光耀は、わづかにこれ六道輪廻の業相なり、さらに仏光明に比すべからず。仏光明と云うは、一句を受持聴聞し、一法を保任護持し、坐禅を単伝するなり。光明にてらさるゝにおよばざれば、この保任なし、この信受なきなり」

「仏祖の光明」と云うことが出てまいりました。我々が坐禅するというのはなか々の事ですね。縁がないわね。この道元禅師の坐仏・仏坐の坐禅をやろうと思っても余程運が良くなければ出会えませんわ。私ら寺出身ですから、自分で選んで曹洞宗の坊主なったんじゃないよ。私が坐禅始めたのは中学(旧制)の時ですよ。四年生・五年生になりますと、校長が修身の授業やりましてね。その校長は坐禅マニアで修身の時間に坐禅をやらせるんですよ。柔道場は畳敷きですからそこへ連れて行きやるんですが、私らは修身の時間はお説教と云ってましたがね。六祖さんの話もお寺さんからではなく、その校長から聴いたもんね。その校長は鎌倉の釈宗演(1860―1919)のお弟子さんだったんだね。その奥さんが寺の娘だったそうだ。その校長が禅宗ゼンシュウと云うから、家に帰ってこの辺に禅宗の寺が有るかと聞いたら「うちが禅宗だ」と云ったね。私ら寺に居っても坐禅したのを見た事ないしね、私は自分で選んだ訳でもないのに、気が付いたら坐禅してた。余程運が良いのね。

「仏祖の光明に照臨せらるゝと云うは、この坐禅功夫参究するなり」

たしかに仏さんの恵みとしか考えなきゃ、坐禅功夫なんて考えられませんもんね。

「愚かなる輩は、仏光明を誤りて、日月の光明ごとく、珠火の光燿の如くあらんずると思う」

なんだか仏光明と云うとカーッと照らすような気がするのね。「珠火の光燿の如くあらんずると思う」大抵宗教の物語はそうじゃないですかね。

「日月の光耀は、わづかにこれ六道輪廻の業相なり」

六道輪廻と申しますのは、六道と云うと地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天と申しまして、その間を巡る業相と云いまして、人間的なものですね。異常心理と云っていい。幻覚症状と云ったらいい。私の叔母が死ぬ時には、阿弥陀仏の来迎図が見えたらしく、二十五菩薩名を唱えながら死んでったそうです。山越えの弥陀図の古いものには、印相の所から糸が垂れていて、死ぬ間際にその糸を握りながら阿弥陀様と共に、西方浄土に往くという信仰が平安朝から有ったそうです。

「さらに仏光明に比すべからず。仏光明と云うは、一句を受持聴聞し、一法を保任護持し、坐禅を単伝するなり。光明に照らさるるに及ばざれば、この保任なし、この信受なきなり」

道元禅師の仏光明という一句を受持聴聞とは仏祖のおことばを頂戴する事で、一法を保任護持し、そして坐禅を単伝する事だと。よく聴聞し如法に坐禅する、これが仏光明に照らされて居ればこそ坐禅が出来る。つまり仏の恵みによって正しい坐禅が出来るという事です。有り難いことですよ。

「しかあればすなはち、古来なりと云えども、坐禅坐禅なりと知れるすくなし。いま現在大宋国の諸山に、甲刹の主人とあるもの、坐禅をしらず、学せざるおほし。あきらめしれるありと云えども、すくなし。諸寺にもとより坐禅の時節さだまれり。住持より諸僧ともに坐禅するを本分の事とせり、学者を勧誘するにも坐禅をすゝむ。しかあれども、しれる住持人は希なり」

「古来なり」とは昔からと云う事で、達磨さんが支那に来たのが五百年代ですから、道元禅師在宋期は千二百年代ですから、七百年近く経ってるわけです。

大抵は坐禅を解脱の手段として考える。坐禅坐禅として取り扱う事がなかったら、「坐禅坐禅なりと知れる少なし」と言ったんです。

当時の「大宋国の諸山」と申しますと五山十刹と云われる寺々の主人達は悟り禅をやってたから「坐禅を知らず」と言います。その時分は看話禅の真っ盛りですからね。その中には坐禅の要術を心得ていた人も「あきらめしれるありと云えども、すくなし」と。

このすくなしの中には如浄禅師も入るわけです。そのまた師匠の真歇清了という人もその中に入るわけですね。宏智禅師もそうです。ほんのわづかであったと、そういう意味合いです。

どの寺でも坐禅する時間が決まってたんですね。清規というものが有りましたから。その時分の清規は『禅苑清規』だったでしょうね。道元禅師が帰朝されてから勅修清規が出まして(元の至元四年(1338)百丈山の徳輝が編集)、螢山清規は勅修清規が元になるでしょう。

坐禅を本分の事」として坐禅を勧めていたけれども、本当の坐禅を知ってる連中は、ほんのわづかであったと。

「この故に、古来より近代に至るまで、坐禅銘を記せる老宿一両位あり、坐禅儀を撰せる老宿一両位あり。坐禅箴を記せる老宿一両位あるなかに、坐禅銘、ともにとるべきところなし、坐禅儀、いまだその行履にくらし。坐禅をしらず、坐禅を単伝せざるともがらの記せるところなり。景徳伝灯録にある坐禅箴、および嘉泰普灯録にあるところの坐禅銘等なり。あはれむべし、十方の叢林に経歴して一生を過ごすと云えども、一坐の功夫あらざることを。打坐すでになんぢにあらず、功夫さらにおのれと相見せざることを。これ坐禅のおのれが身心をきらふにあらず、真箇の功夫こゝろざゝず、倉卒に迷醉せるによりてなり。」

昔から道元禅師の時代までに坐禅銘を書いた老宿一両位あり、坐禅儀を撰した一老宿が居た。坐禅箴を書いた一老宿が居る。坐禅銘は採るべき所なく、坐禅儀は坐禅の仕方を書いたものですが、「その行履にくらし」とは坐禅の実際がわかっちゃいないと。「坐禅をしらず、坐禅を単伝せざるともがらの記せるところなり」小説家や新聞記者のような者が、何も知らずに文章の継ぎ足しでやるようなもんです。

坐禅儀」というものには、仏心智才と長蘆宗賾の坐禅儀が有ります。「坐禅銘」は仏眼清遠(『嘉泰普灯録』)・天台大静(『諸祖師偈頌』二)・同安常察(『諸祖師偈頌』一)道元禅師は後に言う宏智禅師撰の「坐禅箴」を推奨する為のものです。

「景徳伝灯録にある坐禅箴」景徳伝灯録は三〇巻あります。宋の景徳元年(1004)に出来ております。この語録集は千七百人を取り扱っています。臨済の人たちが云う1700の公安というのはこの事ですね。

「嘉泰普灯録にあるところの坐禅銘」嘉泰普灯録というのも三十巻で、嘉泰四年(1204)成立です。仏心智才の坐禅儀があります。

 

「あはれむべし、十方の叢林に経歴して一生をすごすといへども、一坐の功夫あらざることを。打坐すでになんぢにあらず、功夫さらにおのれと相見せざることを。これ坐禅のおのれが身心をきらふにあらず、真箇の功夫こゝろざゝず、倉卒に迷醉せるによりてなり。かれらが所集は、たゞ還源返本の様子なり、いたづらに息慮凝寂の経営なり。観練薫修の階級におよばず、十地等覚の見解におよばず、いかでか仏々祖々の坐禅を単伝せん。宋朝の録者あやまりて録せるなり、晩学すててみるべからず。

坐禅箴は、大宋国慶元府太白名山天童景徳寺、宏智禅師正覚和尚の撰せるのみ、仏祖なり、坐禅箴なり、道得是なり。ひとり法界の表裏に光明なり、古今の仏祖に仏祖なり。前仏後仏この箴に箴せられもてゆき、今祖古祖この箴より現成するなり。かの坐禅箴は、すなはちこれなり。」

    ―テープ欠―

    第九段

 坐 禪 箴           勅謚宏智禪師 正覺 撰

佛々要機、祖々機要。不觸事而知、不對縁而照。不觸事而知、其知自微。不對縁而照、其照自妙。其知自微、曾無分別之思。 其照自妙、曾無毫忽之兆。 曾無分別之思。 其知無偶而奇。曾無毫忽之兆、 其照無取而了。水清徹底兮、魚行遲々。空闊莫涯兮、鳥飛杳々。

いはゆる坐禪箴の箴は、大用現前なり、聲色向上威儀なり、父母未生前の節目なり。莫謗佛祖好なり、未免喪身失命なり、頭長三尺頸長二寸なり。

何だかキツネに撮まれたような変な文ですね。

「大用現前」とは大変な事だという事ですね。仏法が丸出しだと云ってもいいですね。それから「声色向上威儀なり」声色向上と云いますと、私たちの感覚ですよ。感覚を超越した所のあり方が「威儀」です。我々の感覚世界を超えた所の真実世界という処です。

「父母未生前の節目なり」父母未生前と云いますのは、人間以前の姿ですかね。つまり坐禅の姿を父母未生前の姿と云います。本来の姿のことを云うんです。それから「莫謗仏祖好」仏祖を謗ずること莫くんば好し。趙州のことばの中にこの言葉が有るんです。いろんな説法をいたしましても、その説法がうっかりいたしますと、仏祖を冒瀆する事になる。ですからしゃべらん方がいいんだ。ところがこの坐禅箴は仏祖を冒瀆していないと云う事ですから、及第を言ってるんです。これには『禅林類聚』の中にあることばで、趙州の弟子のなかで「光孝慧覚禅師というのが、法眼文益(885―958)の処に到りまして、法眼が「お前何処から来たか」と聞くから「趙州」と答えた。そうすると法眼は「この頃趙州の処では庭前の栢樹子と云うが本当か」と聞くと、慧覚は「そんな事ございません」と云うんだ。法眼はさらに「如何是祖師西来意に対し、いつも趙州は庭前の栢樹子と云う有名な話を何故お前は知らないんだ」と再問すると、慧覚は「趙州にはそんな庭前の栢樹子というものはない」と云い、さらに「和尚(法眼)先師を謗ずる事なくんば好し」と、私の師匠(趙州)を馬鹿にするなと云ったと。このような故事から「莫謗仏祖好」としたんですが、最高の褒めことばです。

それから「未免喪身失命」の喪身失命とは命が失くなる事で、凡夫が仏に成ること・解脱を云うんです。つまりこの宏智の坐禅箴は身心脱落そのものと云う意味です。

それから「頭長三尺頸長二寸」というのは、頭の長さが三尺で首の寸法が二寸。異様な形という事ですが、三尺・二寸は寸法うぃ云うのではなく、無限の姿を言ってます。もともとこれは曹山録のなかに、「如何是沙門行」と云ったら、「頭長三尺頸短二寸」と云ったと。つまりは、祖師西来意は無限大のものであると云うものである。これも坐禅箴を讃嘆した言葉です。

いはゆる坐禪箴の箴は、大用現前なり、聲色向上威儀なり、父母未生前の節目なり。莫謗佛祖好なり、未免喪身失命なり、頭長三尺頸長二寸なり。

佛々要機。佛々はかならず佛々を要機とせる、その要機現成せり、これ坐禪なり。

祖々機要。先師無此語なり。この道理これ祖々なり。法傳衣傳あり。おほよそ回頭換面の面々、これ佛々要機なり。換面回頭の頭々、これ祖々機要なり。

これから宏智の坐禅箴の拈堤です。

「佛々は必ず仏々を要機とせる」当たり前の事でしょう。仏は何処までも仏でなきゃいけませんわね。仏は仏であると云う要機によって仏に成っていると。その要機の肝心要が坐禅である。

「祖々の機要」これは仏祖を分けたもので本来は一つなんですが、文学的表現で仏と祖に分けての説明です。

「先師無此語」先師に此の語無しとは、法眼和尚の処に趙州のお弟子さんが往った時に、法眼が「お前さんは趙州さんの所から来たけど、趙州さんには庭前の柏樹子があるそうだが本当かい」と聞いたら、趙州の弟子の慧覚は「そんなものはありません」と答えたが、法眼さん納得せず、「如何是祖師西来意と聴いたら庭前の栢樹子と云うのは皆承知だ。知らないのはお前だけだ」と。それに対し慧覚は「先師に此の語無し」と答える。

この「先師無此語」どういう事かと云うと、先師はだれでもいいんです。趙州に限りません。機要についての発言がない。仏坐には言葉は有りません。大自然には説明がありません。事実そのものを「先師無此語」と云ってるんです。

九段目に「若執坐相、非達其理。若し坐相を執すれば、其の理に達せず」とありましたが、本当に坐禅をした時には、お前の理解はないんだと。納得ではないんだと非達其理。納得しようがしまいが坐れるものでなければならない。この実態を「先師無此語」と言ったんだ。

「この道理これ祖々なり」坐禅そのものが仏祖で機要ですね。「法伝衣伝あり」仏法には法伝と衣伝両方あるんですね。仏法を伝えるのと袈裟を伝えるのは一緒なんですね。仏教徒のある所で袈裟のない所はないものね。仏教徒は皆袈裟を掛けてる。仏法が伝わるとは袈裟が伝わる事なんですね。坐禅は単なる坐禅ではなく仏坐なんですね。坐禅はそっくり仏に供養しきったものなんですね。坐禅は自分がするんでなくて、仏様がやっていると。体はそうであっても裸では居られませんから、仏様と同じものを着なきゃ仏坐にはなりませんから、お袈裟が必要なんです。ですから「正法眼蔵」には『袈裟功徳』巻と『伝衣』巻があるんです。宗門だけですよ、大衣を拝むのは。お袈裟を頭の上に頂くのは他の宗旨には無いことですよ。わが宗門のお袈裟は装飾ではありませんし、信仰ですから『袈裟功徳』巻のようなものがあるんです。

「おほよそ回頭換面の面々、これ仏々要機なり。換面回頭の頭々、これ祖々機要なり」

「回頭換面」は首を回すことで、「換面回頭」も同じことで、人間が変わる様を云うもので、凡夫が仏に変わる事を「仏々要機、祖々機要」と言ったんです。坐禅した様子を回頭換面もしくは換面回頭と形容したんです。

不觸事而知。知は覺知にあらず、覺知は小量なり。了知の知にあらず、了知は造作なり。かるがゆゑに、知は不觸事なり、不觸事は知なり。遍知と度量すべからず、自知と局量すべからず。その不觸事といふは、明頭來明頭打、暗頭來暗頭打なり、坐破嬢生皮なり。

「不觸事而知」事に触れずして知る、有名なことばですよ。よく坐禅をして居りまして漆桶打破したとか、坐禅したら悟りが開けて宇宙全体わかったとか、そんな事を「不触事而知」と云うんじゃありませんよ。

「知は覚知にあらず、覚知は小量なり」覚知は寒い暑いの感覚の事です。考えることも「覚知」です。この覚知は感覚器官の中の問題で、小さいものです。

「了知の知にあらず、了知は造作なり」了知の了は了解のことです。了知も覚知も同じようなものです。

「かるが故に、知は不触事なり、不触事は知なり」体全体、生きてる事実を知と云ってるんです。我々の生きてる姿が自然の姿で、これを知と呼ぶんです。病気の診断は、医者ではなく体がやってます。医者は事後判定ですが、体は時々刻々と自然と共に知で生き続けています。このことを「事に触れずして知る」と言います。

「遍知と度量すべからず、自知と局量すべからず」遍く知るなんて事は云えません。自分がわかったと云う事はないので、自知と局量すべからず。

「その不触事といふは、明頭来明頭打、暗頭来暗頭打なり、坐破嬢生皮なり」明頭来云々は臨済録に出てまいります普化和尚の伝言で、「明るければ明るいまま、暗ければ暗いまま」の意で、朝になれば眼が醒め、夜になれば眠くなるといった本来の在り方を云ったもので、

坐破嬢生皮とは、生身の体で以て坐禅する事が不触事で、打坐が宇宙いっぱいに通ずる事を云います。

不對縁而照。この照は照了の照にあらず、靈照にあらず、不對縁を照とす。照の縁と化せざるあり、縁これ照なるがゆゑに。不對といふは、遍界不曾藏なり、破界不出頭なり。微なり、妙なり、回互不回互なり

「不対縁而照」縁に対せず照らす。これは同じ事を云ってるんです。先の不触事而知に対する対句で、縁は所縁ですから対象なしに照らすの意です。ここの照はサーチライトで照らすんじゃありませんぜ。「霊照」は霊体が照らし出す事でもなく、「不對縁」を照らすと云うことです。不対縁とは我々の生きている・生かされてる事が照であると。我々の本来の面目・姿を照と云うんだ。坐禅をしなければ本来の姿はないわけです。ですから只管打坐した坐禅を不対縁と云う。

「照の縁と化せざるあり、縁これ照なるが故に」

対立関係がありませんから、縁はないですよ。縁と照とは同じものです。我々は相手なしに黙って坐禅している。これを照と云うと。

「不対と云うは、遍界不曾蔵なり、破界不出頭なり。微なり、妙なり、回互不回互なり」

宇宙一杯が「遍界不曾蔵」で、不曾蔵とは曾(かつ)て蔵(かく)さずですね。宇宙は何処まで往っても遍界なんです。どんな場でも遍界なんです。つまりどのような人間でも坐禅すれば、宇宙いっぱいの坐禅なんです。本来の姿は個人持ちは御座いません。私たちの命は個人ではなく、遍界そのものなんです。遍界が私達に物云わせ考えさせてるんです。遍界そのものが自己で、これを不対と云うんです。黙って坐る事が遍界不曾蔵です。遍界と云うと高い山登って「あー広いなー」とそんなチッポケな事云うんじゃありませんよ。富士山から東京まで見えますが、お前さんの視界だけしか見えませんよ。見えた範囲で感心してるんですからね。その見ていると云う事が、宇宙一杯の力によって、私たちはその遍界を見ているんですから。

「破界不出頭なり」そこには境涯はありません。世界崩壊ですよ、自由自在ですね。界は破れ頭は出さず、ですから何処にも出る余地は有りませんぜ。

「微なり、妙なり、回互不回互なり」

ところがこの微細なものが、遍界不曾蔵で坐ってるんですから、大したもんですね。そういう味わいの事を「妙なり」と言うんです。回互不回互つまり坐禅は個人一人きりで孤独なんですが、その極限が不回互で、ところがその不回互でありましても、その極限が遍界不曾蔵に置いているわけですから、回互不回互と言うんです。遍界は無限ですから、その事を「回互不回互」と言ったんです。

其知自微、曾無分別之思。思の知なる、かならずしも佗力をからず。其知は形なり、形は山河なり。この山河は微なり、この微は妙なり、使用するに活潑々なり。龍を作するに、禹門の内外にかゝはれず。いまの一知わづかに使用するは、盡界山河を拈來し、盡力して知するなり。山河の親切にわが知なくば、一知半解あるべからず。分別思量のおそく來到するとなげくべからず。已曾分別なる佛々、すでに現成しきたれり。曾無は已曾なり、已曾は現成なり。しかあればすなはち曾無分別は不逢一人なり。

この「知」と云いますのは、不触事而知の知ですから対象なしです。坐禅そのものが知そのものである。つまり遍界不曾蔵で宇宙いっぱいを知る事になる。そういう意味の「知」です。

「其知自微」其の知自づから微なり。この知というものは微妙なもので、私達の感覚ではどうする事も出来ないわけですから、微と云います。

「曾無分別之思」曾(かつ)て分別の思なし。そこには人間の入る余地がない。私たちの感覚で以て判断したり分別する事は絶対に出来ません。

「思の知なる、必ずしも他力をからず」無分別之思・普通は分別の思なしと読みますが、無分別之思としましょう。其の知は微妙なもので、昔から無分別之思であったと。無分別を世間ではデタラメやる事を云いますが、仏教ではこの無分別が重要なことなんです。私たちの生きてる姿が無分別なんです。無分別の思は知で、「他力をからず」とは、それ自身の生きてる力の事を知と言ったわけですから、「他力をからず」。

「其知は形なり、形は山河なり」其の知は形(ぎょう)なり。つまり私たちは人間の形をし、眼鼻があり、呼吸している。その姿が「知」なんです。感覚の知ではなく宇宙生命そのものが知ですよ。この体が知で形なんです。ですから山の形も知で、川の姿も知。我々の体も山の形も知であるからには同じなんだ。猫の「ニャーン」も知だね。「形は山河なり」山河の姿と私の存在は同じなんだ。私一個の小さな存在がノミと同じなんだ。私のこの小さな存在が、太陽と同じことやね。私が風邪ひいて咳すると太陽が黒点作ってデリンジャー現象起こして、電波障害起こし大騒ぎする。あれも太陽の風邪かも知れませんがね。その位のもんですよ。そのハタラキを「知」と呼ぶんです。

「この山河は微なり、この微は妙なり、使用するに活潑々なり」

このハタラキは非常に微妙なものです。私たちが微なら山河も微です。このあり方を妙と云うんです。「使用する」とはそのハタラキの事ですね。実にイキイキした状態が「活潑々」です。山に樹木が生えている姿が活潑々ですよ。我々から云うと病気をしたり、風邪をひいたり、不景気な顔になったり、愚痴を並べてみたり、これらも自然の生き生きした姿活潑々ですよ。これが知です。

「龍を作するに、禹門の内外に関われず。いまの一知わづかに使用するは、尽界山河を拈来し、尽力して知するなり。山河の親切にわが知なくば、一知半解あるべからず」

昔の支那の物語では禹門は黄河の上流なんですがね、そこが急峻で谷に成ってるんですね。

その谷に鯉が登るんですよ。大抵の魚は登れないんですが、登りきった鯉は龍に成るんですが、それが登龍門の話です。龍に成るには禹門という関所が在りまして、そこを通過しなければ龍にはしてやらんと。仏法にはそんな関所は有りませんせんぜ。だれでもが坐禅してもらえれば仏ですよ。それを言ったんですね。

「今の一知わづかに使用するは、尽界山河を拈来し、尽力して知するなり」

一知わづかにと申しますと、ほんのわづかな営みを小さな男がするだけで、その坐ったという事が尽十方界ですね。宇宙いっぱいの事をやってるんですよ。

ですから「尽界山河を拈来して」宇宙を生かしている生の事実を受け止めたものが坐禅。平生、我々そんな事は問題にしないで明け暮れて居ります、これを人生という。「尽力して知するなり」努力して坐禅する事ですね。

「山河の親切にわが知なくば、一知半解あるべからず」

「山河の親切」とは、自然にピッタリの事を親切と言います。つまり尽十方界にピッタリですよ。つまり坐禅をする事により自然と一体になる。これが「知」です。「一知半解あるべからず」一知半解と申しますのは大きさに関わりません。「一知」というのは尽界を云うわけですね。我々が黙って坐って事が尽界そのままになりますから。尽界そのものの親切によって私達は生きて居ります。そのことを山河の親切にわが知があるんです。それで日常生活やっているわけです。どんな小さな日常生活の営みも、宇宙の智慧によってやってるわけですね。

我々は主客顛倒して居ります。本来の主人公はと云いますと、「俺が俺が」じゃなくて我々が知らない自然の力に依って物を見させてもらている、経済問題も考えさせてもらっている、宇宙のことも考えさせてもらっている、と云う「一知半解」。これも元は何処かと云えば宇宙いっぱいの智慧から出て居る。

「分別思量のおそく来到すると嘆くべからず。已曾分別なる仏々、すでに現成しきたれり。曾無は已曾なり、已曾は現成なり。しかあればすなはち曾無分別は不逢一人なり」

この「分別思量」と申しますのは、私達の知覚の事を云いますが、我々は中々分別は出来ません。分別が到来しない事もありますわね。そんな事は心配しなくていいですよ。本来は我々の体がわかってるから、心配しなくていいんだ。物がわからなくても生きていけますよ。猫が胃袋の構造・ジアスターゼの役割を知らなくても、我々より丈夫ですよ。

本来の智慧と云うものがありますから、宇宙とそっくりそのまま共通の智慧が有りますから、それがやってくれますから大丈夫。そういう所を「分別思量のおそく来到すると嘆くべからず」と。

「已曾分別」は昔ながらの分別で、本来の智慧と云ったらいいね。仏は本来の智慧です。いつでも現成してるんです。われわれの本来は仏です。体の方でちゃんと感覚してますよ。いちいち寒暖計を見ないと着物を着れないと云う事ありませんもんね。私の部屋には温度計なんか有りませんでしたよ。暑けりゃ暑く、寒けりゃ寒いだけで、それで済んでましたよ。ですから本来の智慧が体には有りますから、「已曾分別なる仏々、すでに現成しきたれり」です。

「曾無は已曾」曾無は曾て分別の思無しの曾無で、曾無も已曾も同じことで、本来の智慧です。「已曾は現成なり」我々の面目はすでにある、いうでもある。「しかあればすなはち曾無分別は不逢一人なり」曾無分別は本来の知ですから、人様からお厄介になる必要はない事を「不逢一人」と言ったんです。元々本来自然に具わっていると云う事です。有難いことですよ。我々には何の不足が有りますかね。世間の顔みると、みんな不足ったらしい面してるもんな。不足を云えると言うことが授かってるんだものね。不平を言える事が有り難いことやね。

其照自妙、曾無毫忽之兆。毫忽といふは盡界なり。しかあるに自妙なり、自照なり。このゆゑに、いまだ將來せざるがごとし。目をあやしむことなかれ、耳を信ずべからず、直須旨外明宗、莫向言中取

則なるは、照なり。このゆゑに無偶なり、このゆゑに無取なり。これを奇なりと住持しきたり、了なりと保任しきたるに、我卻疑著なり。

「其照自妙」其の照自づから妙なり、これはいいですね。「曾無毫忽之兆」曾て無毫忽之兆なりと読みます。昔から毫忽の兆なんかありゃしないと。「毫忽といふは盡界なり」毫忽といふのはほんの僅かと云う意味ですが、毫忽という事が尽界なり。大きな声出す時だけが大変じゃなく、小さな咳払いと同じ構造なんですよ。

「しかあるに自妙なり、自照なり」こういう事が自妙と云う事ですね。自然そのものが現われているから自照と云ったわけです。「この故に、いまだ将来せざるがごとし」どっからも貰わなくてもいいですよ。みんなそれぞれが備わっています。不平云う処、ありゃしませんよ。不自由も感ずるまで恵まれてるんじゃないかと。恵まれてなかったら不平も云えません。

「目を怪しむことなかれ、耳を信ずべからず、直須旨外明宗、莫向言中取則なるは、照なり。この故に無偶なり、このゆえに無取なり。これを奇なりと住持しきたり、了なりと保任しきたるに、我却疑著なり」

我々は自分の感覚器官だけで以て右往左往して居りますけれども、目が見えなくても狼狽える事はない。自分の耳で聴いたばかりが、いいんじゃないですから。それ以外のものが有る。感覚が全てではないと云う事ですね。「直須旨外明宗」は須らく旨外明宗すべし。旨外とは世間以外のことですね。世間の常識で判断してはいけません。それ以上のものを明らめていかなければならない。「莫向言中取則」言中に取則すること莫れですね。言葉だけで判断してはいけません。こういう事が「照」であると。

「この故に無偶なり、この故に無取なり」偶とは並ぶ形、独立の形を偶と云う。坐禅には相手がありませんが、宇宙と共に坐ってるんだ。余所から見たら不満足のようだけれども、これ位完全なものはありません。他に取り込むものもありませんし、必要もありません。

「これを奇なりと住持しきたり、了なりと保任しきたるに、我却疑著なり」一人きりが完全である事を奇特なものと戴き、信じ保任することです。つまり坐禅する事が宇宙いっぱいの真実と了解したことです。この了解は自己合点の了解ではなく、「我却疑著」として疑問として残っているんです。この疑著は解決できないものです。

水清徹底兮、魚行遲々。水清といふは、空にかゝれる水は清水に不徹底なり。いはんや器界に泓澄する、水清の水にあらず。邊際に涯岸なき、これを徹底の清水とす。うをもしこの水をゆくは行なきにあらず。行はいく萬程となくすゝむといへども不測なり、不窮なり。はかる岸なし、うかむ空なし、しづむそこなきがゆゑに測度するたれなし。測度を論ぜんとすれば徹底の清水のみなり。坐禪の功徳、かの魚行のごとし。千程萬程、たれか卜度せん。徹底の行程は、擧體の不行鳥道なり。

「水清徹底兮」水清うして底に徹すとは、底が見える事では御座いません。時間がありませんから、宏智さんの本文だけ説明しますよ。底が抜けることです。底がないんです。我々の坐禅は底なしの坐禅で、影がないんです。それが只管打坐の坐禅と云うんだ。

「魚行遅々」魚は何処に行くとか目的なしで、ゆったりしてる。これが我々の坐禅の姿ですよ。我々の本当の生き方は「水清うして底に徹し、魚行いて遅々たり」

空闊莫涯兮、鳥飛杳々。空闊といふは、天にかゝれるにあらず。天にかゝれる空は闊空にあらず。いはんや彼此に普遍なるは闊空にあらず。隱顯に表裏なき、これを闊空といふ。とりもしこの空をとぶは飛空の一法なり。飛空の行履、はかるべきにあらず。飛空は盡界なり、盡界飛空なるがゆゑに。この飛、いくそばくといふことしらずといへども、卜度のほかの道

取を道取するに、杳々と道取するなり。直須足下無糸去なり。空の飛去するとき、鳥も飛去するなり。鳥の飛去するに、空も飛去するなり。飛去を參究する道取にいはく、只在這裏なり。これ兀々地の箴なり。いく萬程か只在這裏をきほひいふ。

「空闊莫涯兮」空というものは果てしがないもんですから、「鳥飛杳々」鳥飛んで杳々たりと。無限に坐ってる姿を云うわけです。

時間がありませんから、これで以て宏智禅師の偈頌を終わることにします。

宏智禪師の坐禪箴かくのごとし。諸代の老宿のなかに、いまだいまのごとくの坐禪箴あらず。諸方の臭皮袋、もしこの坐禪箴のごとく道取せしめんに、一生二生のちからをつくすとも道取せんことうべからざるなり。いま諸方にみえず、ひとりこの箴のみあるなり。

先師上堂の時、よのつねにいはく、宏智、古佛なり。自餘の漢を恁麼いふこと、すべてなかりき。知人の眼目あらんとき、佛祖をも知音すべきなり。まことにしりぬ、洞山に佛祖あることを。いま宏智禪師より後八十餘年なり、かの坐禪箴をみて、この坐禪箴を撰す。いま仁治三年壬寅三月十八日なり。今年より紹興二十七年十月八日にいたるまで、前後を算數するに、わづかに八十五年なり。いま撰する坐禪箴これなり。

宏智禅師偈頌に対する道元禅師の拈語です。

この「道取せん事うべからざるなり」のうべからざるなりとは、この坐禅を無限に行じて往かなければならないと云う事です。わかったと云うことは有りませんぜ。「わかった」と云ったら間違いですよ。ほかにこのような宏智禅師の坐禅箴はありません。

「先師」とは如浄禅師。「よのつね(尋常)に云わく、宏智古仏なり」これは最高の形容ですよ。「洞山に仏祖あること」とは洞山門下だけに、こういうような仏祖が在り得て他にはなかった、と云うことです。つまりは洞山門下だけが、仏法の正伝であることを言われるものです。

宏智禅師の坐禅箴に触発されて道元禅師も坐禅箴を創作したと。宏智禅師の坐禅箴を作り変えたと云う人が居ますが、作り変えたんじゃないですよ。ある先生の研究では、宏智さんの坐禅箴は此の箇所が重要、道元さんの坐禅箴はこっちに重点があると比較をしますが、私の見解では優劣の差異はありません。

「仁冶三年」と申しますと千二百四十二年でありますから、道元禅師数え年四十三歳の時のものです。「紹興二十七年」と申しますと千百五十七年ですね。この年は宏智禅師亡くなられた年です。その間は僅か八十五年であると。

坐 禪 箴

佛々要機、祖々機要。不思量而現、不回互而成。不思量而現、其現自親。不回互而成、其成自證。其現自親、曾無染汚  其成自證、曾無正偏 曾無染汚之親、其親無委而脱落。曾無正

偏之證、其證無圖而功夫。水清徹地兮、魚行似魚。空闊透天兮、鳥飛如鳥。

仏々の要機、祖々の機要。不思量にして現ず、不回互にして成ず。不思量にして現ず、其の現自づから親なり。不回互にして成ず、其の成自づから証なり。曾て正偏無し。曾て染汚無きの親、其の親無委にして脱落なり。曾て正偏無きの証、其の証無図にして功夫なり。水清うして地に徹し、魚行いて魚に似たり。空闊うして天に透ず、鳥飛んで鳥の如し。

宏智禪師の坐禪箴、それ道未是にあらざれども、さらにかくのごとく道取すべきなり。おほよそ佛祖の兒孫、かならず坐禪を一大事なりと參學すべし。これ單傳の正印なり。

 正法眼藏坐禪箴第十二

宏智禪師の坐禪箴に不足はないけれども、こういうふうにも言う事が出来ると。おほよそ仏祖の児孫、必ず坐禅を一大事なりと参学すべし。これ単伝の正印なりと。

これを以て三日間の坐禪箴の巻提唱を終わります。

 

この提唱録は数年前に横浜の方より譲り受けたテープをもとに、自身の勉学用に作成したものであり、文中に於ける字句は正確さを欠くものと思われるが、御容赦願いたい。