正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵阿羅漢

正法眼蔵第三十六 阿羅漢

    序

諸漏已盡、無復煩惱、逮得己利、盡諸有結、心得自在。これ大阿羅漢なり、學佛者の極果なり。第四果となづく、佛阿羅漢なり。諸漏は没柄破木杓なり。用來すでに多時なりといへども、已盡は木杓の渾身跳出なり。逮得己利は頂□(寧+頁)に出入するなり。盡諸有結は盡十方界不曾藏なり。心得自在の形段、これを高處自高平、低處自低平と參究す。このゆゑに、墻壁瓦礫あり。自在といふは、心也全機現なり。無復煩惱は未生煩惱なり、煩惱被煩惱礙をいふ。阿羅漢の神通智恵禪定説法化道放光等、さらに外道天魔等の論にひとしかるべからず。見百佛世界等の論、かならず凡夫の見解に準ずべからず。將謂胡鬚赤、更有赤鬚胡の道理なり。入涅槃は、阿羅漢の入拳頭裡の行業なり。このゆゑに涅槃妙心なり、無廻避處なり。入鼻孔の阿羅漢を眞阿羅漢とす、いまだ鼻孔に出入せざるは、阿羅漢にあらず。

『神通』巻に続いての『阿羅漢』巻の配列であるが、「神通」での最後の百丈本則の一部を「阿羅漢」後部に配し拈提する配慮は、時系列にも期日を置かず書き上げたかの様子ですが、「神通」は仁治二年(1241)十一月十六日の提唱で、約半年後(仁治三年五月十五日)の提唱の間には一月「大悟」三月「坐禅箴」「仏向上事」「恁麽」「嗣書」四月「行持下」「海印三昧」「授記」「観音」と九巻もの提唱を実施され「当巻」の提唱となる事情から勘案するに、当初は「百丈本則」は付されず一旦清書されたものを、『現成公案』巻奥書に「建長壬子(1252)拾勒とあるように、死する一年前の編集時に「神通」と「阿羅漢」との整合性を持たせる為に、附録した事情から「阿羅漢」の懐奘による書写は建治元年(1275)と、道元禅師二十三回忌での作業となったとする見方は、深入り過ぎるでしょうか。

「諸漏已尽、無復煩悩、逮得己利、尽諸有結、心得自在。これ大阿羅漢なり、学仏者の極果なり。第四果と名づく、仏阿羅漢なり」

法華経』第一の序品冒頭部「如是我聞。一時仏住王舍城耆闍崛山中。与大比丘衆万二千人倶。皆是阿羅漢。諸漏 已尽。無復煩悩。逮得己利。尽諸有結。心得自在。其名曰阿若憍陳如。以下略」(「大正蔵」九・一下)と二十一人の阿羅漢の名を挙げ、これら舎利弗・大目揵連・摩訶迦旃延等の「大阿羅漢」は「学仏者の極果」であり、「第四果」「仏阿羅漢なり」と小乗声聞としての最高位ではなく、仏・如来と同等としての阿羅漢を強調される提唱です。

我々も如来(tathagata)応供(arhat)正遍知(samyaksambuddha)明行足(vidyacaranasampanna)善逝(sugato)世間解(lokavid)無上士(anuttra)調御丈夫(purusadamyasarathi)天人士(sastadevamanusyanam)仏世尊(buddho bhagavan)と折々に如来十号を唱えますが、私が参籠するタイの修行寺院に於いても、毎日の日中諷経ではIti piso bhagava(世尊)arahan(阿羅漢)sammasambuddho(正自覚者)—以下略—と、世尊の異称としての仏の九徳を必誦するを記す次第である。

「諸漏は没柄破木杓なり。用來すでに多時なりといへども、已尽は木杓の渾身跳出なり。逮得己利は頂□(寧+頁)に出入するなり。尽諸有結は尽十方界不曾蔵なり。心得自在の形段、これを高処自高平、低処自低平と参究す。この故に、墻壁瓦礫あり。自在と云うは、心也全機現なり。無復煩悩は未生煩悩なり、煩悩被煩悩礙を云う」

これより拈提に入ります。

「諸漏は没柄破木杓」の諸漏は煩悩を指し、世間では役に立たないものの喩えですが、経豪和尚が説く『御抄』では「諸漏は没柄破木杓とは解脱の詞なり」(「註解全書」五・一七九)と述べられ、さらに引き続き同頁では「諸漏已尽と云う詞は諸悪莫作の詞に聊かも不可違」と。つまり「諸漏」の姿を「已尽」と談じ、已尽は解脱そのものですから、破木杓が活鱍々する如くに飛び跳ねる姿態を「木杓の渾身跳出なり」と、世俗の評価とは真逆の価値観です。

「逮得「は頂□(寧+頁)に出入」は前句と対句同義態を為すもので、「已尽」―「己利」・「渾身」―「頂□(寧+頁)」・「跳出」―「出入」と該当されます。

「尽諸有結は尽十方界不曾蔵」の解釈も諸悪莫作の言の如く、煩悩(有結)を払うのではなく、「尽諸有結」そのままが尽十方界であり、払拭する・されるの関連ではなく、蔵(かく)す処がない全面が尽諸有結であるとの拈語です。

「心得自在の形段、これを高処自高平、低処自低平と参究す」の形段とは「かたち・ありさま・なりふり」を意味し、神変不思議を現ずるを心得自在と云うのではなく、高処は高処のままで自づからであり低処も同様である。世間では高低を地ならしをし平地化に努めるが、一方究尽に努めるは仏道の理法ですから、「墻壁瓦礫あり」と各々の日常底が「阿羅漢」であり「仏」と表態するものです。なお「高処自高平、低処自低平」の出処は『仰山語録』(「大正蔵」四七・五八中)で、ほかには『真字正法眼蔵』上・二三則、『典座教訓』(「大正蔵」八二・三二〇中)等にも引用されます。

ですから「自在」とは日常底(普段)に徹しきるを「心也全機現」と、一方究尽の理で説かれる次第です。

「無復煩悩は未生煩悩なり」とは、復た煩悩無しと理会するのではなく、「無復は煩悩」と位置づけることで能所の関係性は無くなり、全機現的見方で、「未生は煩悩」と諸悪莫作の論述と同心されるものですが、経豪和尚の唇皮によれば「無復煩悩は未生煩悩なりとあり、さはさはと解脱の詞と聞こゆ」(「註解全書」五・一八一)と、「さっぱり・すっきり」といった爽快さを伴った感覚で捉えていたようです。

「煩悩被煩悩礙」とは、煩悩そのものになる事を云うもので、法眼の云う「被眼礙」(「真字」中一一則)を捩ったもので、煩悩ばかりになれば悩む素地がなく、「心得自在」の境涯である。

「阿羅漢の神通智恵禅定説法化道放光等、さらに外道天魔等の論に等しかるべからず。見百仏世界等の論、必ず凡夫の見解に準ずべからず。将謂胡鬚赤、更有赤鬚胡の道理なり。入涅槃は、阿羅漢の入拳頭裡の行業なり。この故に涅槃妙心なり、無廻避処なり。入鼻孔の阿羅漢を真阿羅漢とす、いまだ鼻孔に出入せざるは、阿羅漢にあらず」

「阿羅漢」の神通を心業、知恵は心機、禅定が行、説法の化道・放光等の那一法は「外道・天魔」の及第するものではなく、「見百仏世界等の論」を『妙法蓮華経文句』では「小羅漢は小千(世界)を見、大羅漢は大千(世界)を見、辟支仏は百仏世界を見る」(「大正蔵」三四・一四〇上)と、このような六根清浄は「凡夫の見解に準ずべからず」と捉え、胡人の鬚は赤いと謂い(将謂胡鬚赤)、さらに赤い鬚の胡人が有る(更有赤鬚胡)の道理なり。とは、羅漢と外道の世界を論ずるのではなく、すべてが、阿羅漢世界であるとの喩えの赤鬚なのです。

「入涅槃」を灰身滅智と誤認する徒輩には、「入拳頭裡の行業が阿羅漢の入涅槃」とは想像だにしない所でしょうが、入拳頭裡とは「握り拳の中に入る」で、日常底の動作を云い、奇を衒ったものではなく、この平常態を「涅槃妙心」と言ったり日頃の行住坐臥は避ける処は出来ないから「無廻避処」と表現するものです。

「入鼻孔の阿羅漢を真阿羅漢とす」も先と同様、阿羅漢が鼻の中に入るイル―ジョンではなく、自己に為りきるを真の阿羅漢と呼ばしめ、「鼻孔」つまり生命の根源を参究しない者は「阿羅漢にあらず」との、道元の基本的態度です。

 

    一

古云、我等今日、眞阿羅漢、以佛道聲、令一切聞。

いま令一切聞といふ宗旨は、令一切諸法佛聲なり。あにたゞ諸佛及弟子のみを擧拈せんや。有識有知、有皮有肉、有骨有髓のやから、みなきかしむるを、令一切といふ。有識有知といふは、國土草木、牆壁瓦礫なり。揺落盛衰、生死去來、みな聞著なり。以佛道聲、令一切聞の由來は、渾界を耳根と參學するのみにあらず。

この本則出典は『法華玄義』五「我等今日真阿羅漢、普於其中応受供養。又云、我等今日真是声聞、以仏道声令一切聞」(「大正蔵」三三・七三二中)を一部省略した引用です。

古云、我等日、阿羅漢、以一切聞

古くに云う、我等の今日は、真の阿羅漢であり、仏の道う声を以て、一切を聞く。

「いま令一切聞と云う宗旨は、令一切諸法仏声なり。豈ただ諸仏及弟子のみを挙拈せんや。有識有知、有皮有肉、有骨有髄の族、皆聞かしむるを、令一切と云う」

法華文で説く「令一切聞」をどうして(豈)諸仏やその弟子(仏道声)のみを取り挙げる(挙拈)のであるか。と、法華を説く作家に対する意見表明で、「有識有知や有皮有肉も有骨有髄」のやから、つまり尽界のあらゆる存在の皆に聴かせる事実を「令一切」と言うのであると、法華の不備を説くものです。

ここでは「識知皮肉骨髄」を文節解体し、有識・有知・有皮・有肉・有骨・有髄と設定されますが、この有は固定観念化しない無限定を表する接頭語と思われます。

「有識有知と云うは、国土草木、牆壁瓦礫なり。揺落盛衰、生死去来、みな聞著なり。以仏道声、令一切聞の由来は、渾界を耳根と参学するのみにあらず」

「有識有知」とは有知識を以てする諸仏及弟子を示唆するのではなく、「国土草木」や「牆壁瓦礫」また「揺落盛衰」といった「生死去来」の当体を以て「以仏道声、令一切聞」と言わしめるものであり、その由来する処は「渾界」つまり尽十方界を「耳根と参学するのみにあらず」とは、ほかにも眼根・鼻根・舌根・身根・意根・とも云い得るとの含みを持たせた一切聞に対する拈語となります。

釋迦牟尼佛言、若我弟子、自謂阿羅漢辟支佛者、不聞不知諸佛如來但教化菩薩事、此非佛弟子、非阿羅漢、非辟支佛。

佛言の但教化菩薩事は、我及十方佛、乃能知是事なり。唯佛與佛、乃能究盡、諸法實相なり。阿耨多羅三藐三菩提なり。しかあれば、菩薩諸佛の自謂も、自謂阿羅漢辟支佛者に一齊なるべし。そのゆゑはいかん。自謂すなはち聞知諸佛如來、但教化菩薩事なり。

この本則は「釈迦牟尼仏言」と明記されるように『法華経』方便品(「大正蔵」九・七中)からの引用で、舎利弗との問答体です。

釈迦牟尼仏言、若我弟子、自謂阿羅漢辟支仏者、不聞不知諸仏如来但教化菩薩事、此非仏弟子、非阿羅漢、非辟支仏」

釈迦牟尼仏言く、若し我が弟子、自ら阿羅漢・辟支仏なりと謂うは、諸仏如来の但だ菩薩事の教化を知らず聞かずは、此れ仏弟子に非ず、阿羅漢に非ず、辟支仏に非ず。

「仏言の但教化菩薩事は、我及十方仏、乃能知是事なり。唯仏与仏、乃能究尽、諸法実相なり。阿耨多羅三藐三菩提なり。しかあれば、菩薩諸仏の自謂も、自謂阿羅漢辟支仏者に一斉なるべし。その故は如何。自謂則ち聞知諸仏如来、但教化菩薩事なり」

「但教化菩薩事」は、十方仏と共々に唯一大事の菩薩のみを教化するを知る事であり、それを唯仏与仏と云い余仏は無く、「諸法実相」の一仏乗を教化菩薩と位置づけ、同義語として「阿耨菩提」つまり覚智円満する様態を、このように「我及十方仏」―「乃能知是事」―「唯仏与仏」―「乃能究尽」―「諸法実相」―「阿耨菩提」と教化菩薩の一仏乗に収斂する拈提です。

そういうわけで唯有一仏乗を説くものですから、菩薩や諸仏が云う「自謂」も阿羅漢や辟支仏の云う「自謂」も同じ(一斉)であるわけである。その理由(ゆえ)はどうかと云うと、「自謂」(自ら謂うこと)が便ち「諸仏如来、但教化菩薩事」(諸仏如来は、但(ただ)菩薩を教化する事)と、「聞知」聞き知ることである。との拈提で少々分かりづらい語言の言い回しですが、「法華経文」の主旨は三乗を説く弟子に対する釈迦仏が説く一乗を、我及十方仏と言ったり諸法実相と説いたりとの事で、その関捩子を拈提では、「不聞不知諸仏如来」→「聞知諸仏如来」と「不聞」と「聞」の同等性を「一斉」と並べ替えた処に道元禅師独自の経文解釈義と為るのであります。

古云、聲聞經中、稱阿羅漢、名爲佛地。

いまの道著、これ佛道の證明なり。論師胸臆の説のみにあらず、佛道の通軌あり。阿羅漢を稱じて佛地とする道理をも參學すべし。佛地を稱じて阿羅漢とする道理をも參學すべきなり。阿羅漢果のほかに、一塵一法の剩法あらず、いはんや三藐三菩提あらんや。阿耨多羅三藐三菩提のほかに、さらに一塵一法の剩法あらず。いはんや四向四果あらんや。阿羅漢擔來諸法の正當恁麼時、この諸法、まことに八兩にあらず、半斤にあらず。不是心、不是佛、不是物なり。佛眼也覰不見なり。八萬劫の前後を論ずべからず。抉出眼睛の力量を參學すべし。剩法は渾法剩なり。

この本則出典は先と同様『法華玄義』四「阿羅漢辟支仏、皆断三界見思尽。故同称醍醐。故釈論云、声聞経中称阿羅漢地為仏地。故共為一味也」(「大正蔵」三三・七三九中)を捩ったものと考えられます。なお『摩訶止観』三に於いても「阿羅漢辟支仏如醍醐。大論云。声聞経中称阿羅漢名為仏地。故三人同是醍醐」(「大正蔵」四六・三三下)と本則と同文が見られますが、『法華玄義』が先の「我等今日」と出処が近接することから、「法華」を採用したものと考えられます。

「古云、声聞経中、称阿羅漢、名為仏地」

古くに云う、声聞経の中に、阿羅漢を称えて、仏地と為すと名づく。

「今の道著、これ仏道の証明なり。論師胸臆の説のみにあらず、仏道の通軌あり。阿羅漢を称じて仏地とする道理をも参学すべし。仏地を称じて阿羅漢とする道理をも参学すべきなり」

ここで取り挙げた本則の道(ことば)は、仏道を証明するものである。経師論師と称する黒豆法師が唱える阿羅漢は、四向四果の最上位とする観念仏法では、一法究尽の法は解会しない事情を「胸臆の説」と断言するものです。そういう連中は「仏地」(仏の境地)と「阿羅漢」の同等性を、「参学すべき」であると、生身の修行する学人を直視せよとの拈提とも見受けられます。

「阿羅漢果のほかに、一塵一法の剰法あらず、いわんや三藐三菩提あらんや。阿耨多羅三藐三菩提のほかに、さらに一塵一法の剰法あらず。いわんや四向四果あらんや。阿羅漢擔来諸法の正当恁麼時、この諸法、まことに八両にあらず、半斤にあらず。不是心、不是仏、不是物なり。仏眼也覰不見なり。八万劫の前後を論ずべからず。抉出眼睛の力量を参学すべし。剰法は渾法剰なり」

ここでは阿羅漢を仏地と同参とするを参学しているわけですから、「阿羅漢果・阿耨菩提のほかに剩法あらず」とは、一方を証する時は一方は暗き道理を言わんとするものと心得ます。このように阿羅漢の時には阿羅漢だけの世界を説くものですから、「四向四果」と云った論師の胸臆など有るはずもない。

「阿羅漢擔來諸法」とは五蘊・十二処・十八界なる諸法を阿羅漢が担い来る「正当恁麼時」には、諸法は「八両・半斤」(同量の単位)といった分量で計れるような問題ではない。

(南泉の云う)「不是心・不是仏・不是物」つまり、一つの事物では諸法は説明できない事を、このように著語されますが、説似一物即不中であると各識者(西有穆山など)は説明される箇所です。このような諸法の実態は仏の眼力を以てしても、見る事は出来ない事を「仏眼也覰不見なり」と表します。

「八万劫の前後」とは、羅漢の通力は八万劫まで見通せるとの事ですが、その「前後を論ずべからず」とは、八万劫なる長大な時空を以てしても諸法は語り尽くせなく、概念化してはならない。との主旨が窺い知れます。

「抉出眼睛」とは眼睛(ひとみ)を抉(えぐ)り出すの意ですが、これは師翁の如浄和尚四十八歳の時、初住清涼寺にての「抉出達磨眼睛」を略したもので、意気盛んに「眼玉を引き出す」ようなエネルギー(力量)で「参学すべし」と興聖の学人に呼びかけ、先の阿羅漢果のほかの剰法は全体(渾)法剰であり、尽界が阿羅漢であるとの拈提の括りと為ります。

釋迦牟尼佛言、是諸比丘比丘尼、自謂已得阿羅漢、是最後身、究竟涅槃、便不復志求阿耨多羅三藐三菩提。當知、此輩皆是増上慢人。所以者何、若有比丘、實得阿羅漢、若不信此法、無有是處。

いはゆる阿耨多羅三藐三菩提を能信するを、阿羅漢と證す。必信此法は、附囑此法なり、單傳此法なり、修證此法なり。實得阿羅漢は、是最後身、究竟涅槃にあらず、阿耨多羅三藐三菩提を志求するがゆゑに。志求阿耨多羅三藐三菩提は、弄眼睛なり、壁面打坐なり、兩壁開眼なり。徧界なりといへども、神出鬼没なり。亙時なりといへども、互換投機なり。かくのごとくなるを、志求阿耨多羅三藐三菩提といふ。このゆゑに、志求阿羅漢なり。志求阿羅漢は、粥足飯足なり。

この本則は『法華経』方便品(「大正蔵」九・七下)からの引用で、釈迦牟尼仏言と説法者を明確化する本則です。

釈迦牟尼仏言、是諸比丘比丘尼、自謂已得阿羅漢、是最後身、究竟涅槃、便不復志求阿耨多羅三藐三菩提。当知、此輩皆是増上慢人。所以者何、若有比丘、実得阿羅漢、若不信此法、無有是処」

釈迦牟尼仏言く、是の諸の比丘比丘尼、自ら已に阿羅漢を得たり、是れ最後身なり、究竟涅槃と謂って、便ち復た阿耨多羅三藐三菩提を志求せず。当に知るべし、此の輩は皆な是れ増上慢人である。所以は何となれば、若し比丘有って、実に阿羅漢を得て、若し此の法を信ぜずは、是の処(ことわり)有ること無し。

「いわゆる阿耨多羅三藐三菩提を能信するを、阿羅漢と証す。必信此法は、附嘱此法なり、単伝此法なり、修証此法なり」

阿羅漢とは、無上正等正覚つまり尽十方界の真実相を、能く信ずるを阿羅漢と称され、必ずこの法を信ずる(必信此法)とは、この法を附嘱(師)し、此の法を単伝(資)するを「修証此法」と言うのであり、師資相承が行持される証明です。

「実得阿羅漢は、是最後身、究竟涅槃にあらず、阿耨多羅三藐三菩提を志求するが故に。志求阿耨多羅三藐三菩提は、弄眼睛なり、壁面打坐なり、両壁開眼なり」

実際に阿羅漢を得るとは、「最後身や究竟涅槃」と云った修行段階を言うものではなく、謂う意旨は阿耨菩提を仏向上するハタラキを「志求」とするからです。

阿耨菩提を志求する具体的事例として「弄眼睛」(眼睛を使い尽くす)であり、「壁面打坐」(無所得悟の実修)であり、「両壁開眼」(只管の開眼)などが挙げられますが、ここには「抉出眼睛」↔「弄眼睛」は如浄の継承、「両壁開眼」↔「壁面打坐」は達磨から興聖道元と連脈する「志求」が読みとれる拈提です。

「徧界なりと云えども、神出鬼没なり。亙時なりと云えども、互換投機なり。かくの如くなるを、志求阿耨多羅三藐三菩提と云う。この故に、志求阿羅漢なり。志求阿羅漢は、粥足飯足なり」

「徧界」は尽十方界を指し、普通は一枚岩と認得する処ですが、その徧界は常時一定ではなく、阿羅漢という状態もあれば、志求阿耨菩提という場合もある事を言い、「亙時なりと云えども、互換投機なり」も同様な言い分で、すべてに渉る時間(亙時)に於いて、互いに相手の機に応ずる(互換投機)とするものです。この言語表現は『行仏威儀』巻での「圜悟禅師云、將謂猴白、更有猴黒。互換投機、神出鬼没」(「岩波文庫」㈠・一六九)を引き合いにしたものです。

このように徧界不曾藏の無差別智の道理を「志求阿耨多羅三藐三菩提」と釈尊は語られ、同じく「志求阿羅漢」と拈語し、この阿羅漢を志求する精進態、つまり常に互換投機・神出鬼没する仏向上を「粥足飯足」と呼ぶわけです。この満ち足りた状態を『御抄』では「満足円満の心地で解脱の詞なるべし」(註解全書)五・一九六)との経豪和尚の言です。

 

    二

夾山圜悟禪師云、古人得旨之後、向深山茆茨石室、折脚鐺子煮飯喫十年二十年、大忘人世永謝塵寰。今時不敢望如此、但只韜名晦迹守本分、作箇骨律錐老衲、以自契所證、隨己力量受用。消遣舊業、融通宿習、或有餘力、推以及人、結般若縁、練磨自己脚跟純熟。正如荒草裡撥剔一箇半箇。同知有、共脱生死、轉益未來、以報佛祖深恩。抑不得已、霜露果熟、推將出世、應縁順適、開托人天、終不操心於有求。何況依倚貴勢、作流俗阿師、擧止欺凡罔聖、苟利圖名、作無間業。縱無機縁、只恁度世亦無業果、眞出塵羅漢耶。

しかあればすなはち、而今本色の衲僧、これ眞出塵阿羅漢なり。阿羅漢の性相をしらんことは、かくのごとくしるべし。西天の論師等のことばを妄計することなかれ。東地の圜悟禪師は、正傳の嫡嗣ある佛祖なり。

この本則出典は『圜悟録』十四(「大正蔵」四七・七七七下)からの引用で、2・3の異字はありますが、全文典籍のままです。ここでの圜悟の登場は、前述の「互換投機・神出鬼没」を承けてのものと考えられ、ここに文章体としての脈絡の一貫性を計ったものと見られます。『御抄』でも指摘されるように、この圜悟と次の百丈の両話則は、これまでの阿羅漢に対する姿勢を補足する意味から取り挙げたものとも見られます。(「ことばは多くなれども、別に子細無し」と経豪和尚指摘の如く)

「夾山圜悟禅師云、古人得旨之後、向深山茆茨石室、折脚鐺子煮飯喫十年二十年、大忘人世永謝塵寰」

夾山圜悟禅師云く、古人得旨の後は、深山・茆茨・石室に向かい、脚の折れた鐺子で飯を煮て十年二十年喫す、大きに人の世を忘れ永く忘塵寰を忘す。

「得旨」は得仏法。「茆茨」は、ちがやといばらの粗末な僧房を云う。「鐺子」は三本脚のかなえを云う。「塵寰」は俗世間の意。「謝す」は、去る・辞去するの意。

これは達磨門下の禅僧を真阿羅漢とする所行を云うものである。

「今時不敢望如此、但只韜名晦迹守本分、作箇骨律錐老衲、以自契所証、随己力量受用。消遣旧業、融通宿習、或有余力、推以及人、結般若縁、練磨自己脚跟純熟。正如荒草裡撥剔一箇半箇。同知有、共脱生死、転益未来、以報仏祖深恩」

今時は敢えて此の如くを望まず、但(ただ)只名を韜(かく)し晦(くら)まし迹(あと)の本分を守り、箇(一人)の骨律錐の老衲と作って、以て自ら所証に契い、己の力量に随って受用す。旧業を消遣し、宿習を融通し、或しくは余力有るは、推して以て人に及ぼし、般若の縁を結び、自己の脚跟を練磨し純熟す。正に荒草裡に一箇半箇を撥剔するが如し。同じく(真実の)有るを知り、共に生死を脱し、転じて未来を益し、以て仏祖の深恩に報いる。

「今時」は圜悟克勤(1063―1135)の生きた北宋時代。「韜名晦迹」とは名利を捨てる無所得悟の態度を云う。「守本分」は比丘の阿留辺幾夜宇和の本来面目。「骨律錐老衲」は衲僧の近寄り難き形容で、全身が錐のように触れば切れるような雰囲気。「消遣旧業」前世からの業(カルマ)を消しやる。「融通宿習」悪の習気を和融通達して直す。「或有余力、推以及人、結般若縁」法力の余慶を以て人を化導し、般若(智慧)の因縁を結ぶ。「荒草裡撥剔」草を撥い解き、剔は解骨の意。

「抑不得已、霜露果熟、推将出世、応縁順適、開托人天、終不操心於有求。何況依倚貴勢、作流俗阿師、挙止欺凡罔聖、苟利図名、作無間業。縱無機縁、只恁度世亦無業果、真出塵羅漢耶」

抑も已むを得ず、霜露をのがれた結果が熟して、(人に)推され将に出世し、縁に応じ順適し、人天を開托し、終に心を有求に操らず。何に況んや貴勢に依倚し、流俗の阿師に作り、挙止(動作)で凡(人)を欺き聖(人)を罔く、利(益)を苟(むさぼ)り名(声)を図り、無間業を作す。縱い機縁無くも、只恁(か)く度世(世を渡り)し亦業果無きは、真の出塵の羅漢ならん。

「霜露果熟」果物が霜や露に逢って熟するように、「出世」し「応縁」し「人天」界を「開托(拓)」開く。「終不操心於有求」無所得を云うもの。「依倚貴勢」貴人権勢に依る事なかれと権門に近づくの禁。「流俗阿師」流俗は俗人、阿師は世間人。

「苟利図名」名利を図る貪者。「只恁度世」は折脚鐺子煮飯、韜名晦迹守本分等を指す。「真出塵羅漢耶」圜悟の説く阿羅漢は無所得悟漢の本来面目人を云う。

「しかあれば便ち、而今本色の衲僧、これ真出塵阿羅漢なり。阿羅漢の性相を知らん事は、かくの如く知るべし。西天の論師等のことばを妄計する事なかれ。東地の圜悟禅師は、正伝の嫡嗣ある仏祖なり」

本則に対する拈提として、真の阿羅漢は達磨門下の禅僧を挙げ、その筆頭に「東地の圜悟禅師は、正伝の嫡嗣ある仏祖なり」とするもので、圜悟克勤の存在は道元禅師にとっては、「圜悟禅師は古仏なり。十方中の至尊なり。黄檗より後は、圜悟の如くなる尊宿未だあらざるなり。他界にもまれなるべき古仏」(「岩波文庫」㈢四〇二)と『自証三昧』巻でも示されるように、「西天の論師等のことば」とは天地懸隔の感であり、「本色の衲僧」とは圜悟であるとの評唱のようです。

洪州百丈山大智禪師云、眼耳鼻舌身意、各々不貪染一切有無諸法、是名受持四句偈、亦名四果。

而今の自佗にかゝはれざる眼耳鼻舌身意、その頭正尾正、はかりきはむべからず。このゆゑに、渾身おのれづから不貪染なり、渾一切有無諸法に不貪染なり。受持四句偈、おのれづからの渾々を不貪染といふ、これをまた四果となづく。四果は阿羅漢なり。しかあれば、而今現成の眼耳鼻舌身意、すなはち阿羅漢なり。構本宗末、おのづから透脱なるべし。始到牢關なるは受持四句偈なり、すなはち四果なり。透頂透底、全體現成、さらに糸毫の遺漏あらざるなり。畢竟じて道取せん、作麼生道。いはゆる、羅漢在凡、諸法教佗罣礙。羅漢在聖、諸法教佗解脱。須知、羅漢與諸法同參也。既證阿羅漢、被阿羅漢礙也。所以空王以前老拳頭也。

この話頭は第三十五『神通』巻最後部にて提唱された本則の前半部を引用するものですが、「神通」では「眼耳鼻舌、各々不貪」と原文を引用されるものの、当巻では「眼耳鼻舌身意、各々不貪」と改変した引用句とします。

而今の自他に関われざる眼耳鼻舌身意、その頭正尾正、計り究むべからず。この故に、渾身おのれづから不貪染なり、渾一切有無諸法に不貪染なり。受持四句偈、おのれづからの渾々を不貪染と云う、これをまた四果と名づく。四果は阿羅漢なり」

百丈は説く眼耳鼻舌身意の六根は、ただの感覚器官ではなく、全身(頭正尾正)究め尽せないものである。この現成認識を「眼耳鼻舌身意」―「不貪染」―「四果」―「阿羅漢」の構図が成り立つのである。

「しかあれば、而今現成の眼耳鼻舌身意、即ち阿羅漢なり。構本宗末、おのづから透脱なるべし。始到牢関なるは受持四句偈なり、則ち四果なり。透頂透底、全体現成、さらに糸毫の遺漏あらざるなり」

再度、眼耳鼻等の六根が阿羅漢と説き、「構本宗末」とは本を構え末をあつむの意で、頭正尾正を意味し、「始到牢関」(始めて堅牢の関に到る)とは竹破節と同じく解脱の姿を示し、「透頂透底」は頂をも透し底をも通す意で、尽十方界・無際限の意味であり、その「全体現成」を、「糸毫の遺漏」糸すじ一本も残るものなきを述べるわけで、「構本宗末」―「透脱」・「始到牢関」―「受持四句偈」・「透頂透底」―「全体現成」の姿を「阿羅漢」の当体、または「志求阿耨菩提の姿」と位置づけ、そこには細い毛も残らない而今現成が「阿羅漢」との言い様です。

「畢竟じて道取せん、作麼生道。いわゆる、羅漢在凡、諸法教他罣礙。羅漢在聖、諸法教他解脱。須知、羅漢与諸法同参也。既証阿羅漢、被阿羅漢礙也。所以空王以前老拳頭也」

拈提最後は自身の漢文体によるもので、羅漢は凡(夫)に在るは、諸法は他(羅漢)をして罣礙す。羅漢は聖(人)に在るは、諸法は他(羅漢)をして解脱す。須く知るべし、羅漢と諸法は同参也。既に阿羅漢を証すれば、阿羅漢に礙へられる也。つまり(所以)空王以前からの老拳頭である。

言う処は、阿羅漢とは単なる人格を云うのではなく、眼前現成する真実態つまり諸法(vaya dharma)を阿羅漢と象徴的に言わしめるもので、空王以前からの老人の握り拳とは現今に生きる一人一人の拳頭する修行態が「阿羅漢」であると見て擱筆とする。