正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵仏教

正法眼蔵第三十四 仏教

    序

諸佛の道現成、これ佛教なり。これ佛祖の佛祖のためにするゆゑに、教の教のために正傳するなり。これ轉法輪なり。この法輪の眼睛裏に、諸佛祖を現成せしめ、諸佛祖を般涅槃せしむ。その諸佛祖、かならず一塵の出現あり、一塵の涅槃あり。盡界の出現あり、盡界の涅槃あり。一須臾の出現あり、多劫海の出現あり。

「諸仏の道現成、これ仏教なり。これ仏祖の仏祖の為にする故に、教の教の為に正伝するなり。これ転法輪なり」

冒頭で説く「諸仏の道現成、これ仏教なり」は、前巻「道得」での「諸仏諸祖は道得なり」と近似した文体である事は、奥書からも「道得」は仁治三年(1242)十月五日に書き上げ、当巻「仏教」は同年十一月七日示衆と、その期間は一か月であることから、ともに似通った言句の言い回しの表句と考えられます。

また「当巻」は義雲編輯とされるか「六十巻本正法眼蔵」には含まれず、「三十三道得」の次には「三十四発菩提心」が列次される状況です。さらには「六十巻本」から「仏教」が除外された理由としては、編輯当時の嘉暦(1326―1329)年代の日本仏教界情勢としては、「教外別伝」を説く社会環境に合致しないからとされる。

「諸仏の道現成、これ仏教なり」の諸仏は真実を表現する代用語で、その真実底の道(得)現成つまり眼前表現する事物・事象が仏教であるとの指摘です。

普通「転法輪」と云うと、仏→衆生の為に法を説くと考えられがちだが、「仏祖→仏祖・教→教」と何の媒介も伴わない一法究尽が「正法」であり「転法輪」と位置づけるのである。

「この法輪の眼睛裏に、諸仏祖を現成せしめ、諸仏祖を般涅槃せしむ。その諸仏祖、必ず一塵の出現あり、一塵の涅槃あり。尽界の出現あり、尽界の涅槃あり。一須臾の出現あり、多劫海の出現あり」

「法輪」は説法とも云い得、「眼睛」は視覚作用が他の認識器官よりも多くの情報を処理する器官である為に要所と解し、この法輪(説法)の眼睛裏(要所)に於いては、「諸仏祖を現成・般涅槃」させると示されますが、謂う所は冒頭でも説かれるように、諸仏の現成が般涅槃であると言うものです。

「一塵の出現・涅槃」「尽界の出現・涅槃」「一須臾の出現・多劫海の出現」が諸仏祖との言説ですが、一塵と尽界は極小と極大の相対する世界と捉えがちですが、諸仏祖の真実底が具現する法界の視点からすれば、「一塵―尽界」「出現―涅槃」いづれも対語と判断されがちですが、仏法の俯瞰からすれば異句同義語として処理され、経豪和尚による『御抄』では「仏祖の上の荘厳功徳なり」(「註解全書」三・五四一)との常套語で説き示されます。

 

    一

しかあれども、一塵一須臾の出現、さらに不具足の功徳なし。盡界多劫海の出現、さらに補虧闕の經営にあらず。このゆゑに朝に成道して夕に涅槃する諸佛、いまだ功徳かけたりといはず。もし一日は功徳すくなしといはば、人間の八十年ひさしきにあらず。人間の八十年をもて十劫二十劫に比せんとき、一日と八十年とのごとくならん。此佛彼佛の功徳、わきまへがたらん。長劫壽量の所有の功徳と、八十年の功徳とを擧して比量せんとき、疑著するにもおよばざらん。このゆゑに、佛教はすなはち教佛なり、佛祖究盡の功徳なり。諸佛は高廣にして、法教は狹少なるにあらず。まさにしるべし、佛大なるは教大なり、佛小なるは教小なり。このゆゑにしるべし、佛および教は、大小の量にあらず、善惡無記等の性にあらず、自教教佗のためにあらず。ある漢いはく、釋迦老漢、かつて一代の教典を宣説するほかに、さらに上乘一心の法を摩訶迦葉に正傳す、嫡々相承しきたれり。しかあれば、教は赴機の戲論なり、心は理性の眞實なり。この正傳せる一心を、教外別傳といふ。三乘十二分教の所談にひとしかるべきにあらず。一心上乘なるゆゑに、直指人心、見性成佛なりといふ。

「しかあれども、一塵一須臾の出現、さらに不具足の功徳なし。尽界多劫海の出現、さらに補虧闕の経営にあらず」

先述するように、仏法界に於いては「一塵・一須臾・尽界・多劫海」と云った意味機能を伴う分節態から、敢えて無分節態での意味機能を解体するものです。別の云い方をすれば、仏性海に収斂させる作業と為りますから、そこには「補虧闕」と言う作業(経営・いとなみ)は必要ないのです。

「この故に朝に成道して夕に涅槃する諸仏、未だ功徳欠けたりと云わず。もし一日は功徳少なしと云わば、人間の八十年久しきにあらず。人間の八十年をもて十劫二十劫に比せん時、一日と八十年との如くならん。此仏彼仏の功徳、わきまえがたらん。長劫寿量の所有の功徳と、八十年の功徳とを挙して比量せん時、疑著するにも及ばざらん」

このように、諸仏の道現成には過不足はない為、早朝に悟り(成道)、夕方には寂滅(涅槃)する諸仏には過不足は無く、その功徳に欠ける要素はないのです。仏性海中では万物が完全無欠なのです。

一須臾・多劫海を同類と説かれ、論語・「里仁」からの「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を仏教的に改変し一日を論じる事情から、人間界の一日と八十年、さらに人界の八十年と十劫二十劫とを比較対照する事に意味はないのである。

「此仏彼仏(人間界の仏・多劫海の仏)の功徳や「長劫寿量」の仏の功徳と、釈尊の八十年の功徳とを天秤に掛ける議論自体、疑うにも及ばないものである。

「この故に、仏教は便ち教仏なり、仏祖究尽の功徳なり。諸仏は高広にして、法教は狹少なるにあらず。まさに知るべし、仏大なるは教大なり、仏小なるは教小なり。この故に知るべし、仏および教は、大小の量にあらず、善悪無記等の性にあらず、自教教他の為にあらず」

「仏教」を「教仏」と単純に差し替えたものではなく、これまでの手法で以て表裏の状態を言い表す為に「仏教は便ち教仏なり」との論法ですが、「仏経」の読みを仏は教なり、「教仏」は教は仏なりと意味づけるも可能です。つまりは一日の功徳も八十年の功徳も十劫二十劫の長劫寿量の功徳も「仏祖究尽の功徳」に収斂されます。仏祖とは「全自己の仏祖」という言辞を『看経』巻でも説くように、我々の本来面目的な万法に証せらるる「自己究尽の功徳」とも云えるわけです。

「諸仏や法教」は数値で測られるものではなく、「高広・狹少」の範疇ではなく、敢えて言うなら「仏大―教大」「仏小・教小」と伸縮自在である事が、仏祖究尽の功徳と云えるものかも知れません。この大小の意味を「仏と教の隔てなき事を表わさんが為なり」(「註解全書」三・五四四)とは経豪和尚の言です。

ですから仏および教の真実底に於いては、「大小」では量れず「善悪・無記」等の問題ではなく、ましてや自ら教える(自教)と他に教える(教他)ための小道具ではないのである。

「ある漢云く、釈迦老漢、かつて一代の教典を宣説するほかに、さらに上乗一心の法を摩訶迦葉に正伝す、嫡々相承し来たれり。しかあれば、教は赴機の戲論なり、心は理性の真実なり。この正伝せる一心を、教外別伝といふ。三乗十二分教の所談に等しかるべきにあらず。一心上乗なる故に、直指人心、見性成仏なりと云う」

ここで問われる「ある漢」とは誰を指すのかを探ってみると、『自証三昧』巻で扱う大慧宗杲あたりの「直指人心・見性成仏」を唱えるを想像されるが、四十万字余ある「正法眼蔵」を検索しても「直指人心・見性成仏」の語法は『恁麽』巻の外には見当たりません。「恁麽」にては南嶽と薬山との「三乗十二分教某甲粗知。嘗聞南方直指人心、見性成仏、実未明了。伏望和尚、慈悲指示」を取り挙げられますが、「恁麽」を標題とする為に「直指人心」等の説明はありませんが、参照としてのものです。

「ある漢」とは在宋時代の一場面で、釈尊(釈迦老漢)は生涯の説法とは別に、「上乗一心の法」(「大正蔵」五一・二四六馬祖章)を魔訶迦葉に正伝した。という伝承を語るものですが、先の「「上乗一心の法」は南宗禅で援用されてきたもので、『景徳伝灯録』では「達磨大師南天竺国より来たり、躬(みずから)中華に至り、上乗一心之法を伝う」とする処を、「摩訶迦葉に正伝し、嫡々相承し来たれり」と申し送りしていたと言うのである。

そういうことであるから(しかあれば)、仏教は赴機(機は教を聞く相手、つまり修行者)の為の戲論であり、心は理性(法性)の真実なりと。(この理性の語は天台・華厳系で用いられたもので、事相と相対するものである(或順事相者違理性、順理性者違事相)「信心銘・夜塘水・上」)

この真実底を彼ら(ある漢)は「教外別伝・直指人心・見性成仏」を「一心」と名付け、「三乗十二分教」の談ずる所とは違うと、誇らしげに云い放つ彼らの言説を打論するを「当巻」の主旨とするものです。

この道取、いまだ佛法の家業にあらず。出身の活路なし、通身の威儀あらず。かくのごとくの漢、たとひ數百千年のさきに先達と稱ずとも、恁麼の説話あらば、佛法佛道はあきらめず、通ぜざりけるとしるべし。ゆゑはいかん。佛をしらず、教をしらず、心をしらず、内をしらず、外をしらざるがゆゑに。そのしらざる道理は、かつて佛法をきかざるによりてなり。いま諸佛といふ本末、いかなるとしらず。去來の邊際すべて學せざるは、佛弟子と稱ずるにたらず。たゞ一心を正傳して、佛教を正傳せずといふは、佛法をしらざるなり。佛教の一心をしらず、一心の佛教をきかず。一心のほかに佛教ありといふ、なんぢが一心、いまだ一心ならず。佛教のほかに一心ありといふ、なんぢが佛教いまだ佛教ならざらん。たとひ教外別傳の謬説を相傳すといふとも、なんぢいまだ内外をしらざれば、言理の符合あらざるなり。

佛正法眼藏を單傳する佛祖、いかでか佛教を單傳せざらん。いはんや釋迦老漢、なにとしてか佛家の家業にあるべからざらん教法を施設することあらん。釋迦老漢すでに單傳の教法をあらしめん、いづれの佛祖かなからしめん。このゆゑに、上乘一心といふは、三乘十二分教これなり、大藏小藏これなり。しるべし、佛心といふは、佛の眼睛なり、破木杓なり、諸法なり、三界なるがゆゑに、山海國土、日月星辰なり。佛教といふは、萬像森羅なり。外といふは、這裏なり、這裏來なり。正傳は、自己より自己に正傳するがゆゑに、正傳のなかに自己あるなり。一心より一心に正傳するなり、正傳に一心あるべし。上乘一心は、土石砂礫なり、土石砂礫は一心なるがゆゑに、土石砂礫は土石沙礫なり。もし上乘一心の正傳といはば、かくのごとくあるべし。

「この道取、未だ仏法の家業にあらず。出身の活路なし、通身の威儀あらず。かくの如くの漢、たとい数百千年のさきに先達と称ずとも、恁麼の説話あらば、仏法仏道は明らめず、通ぜざりけると知るべし」

「この道取」とは直指人心・見性成仏などを吹聴する者の云い分は、「仏法の家業(なりわい)・出身の活路(はたらき)・通身の威儀(ありかた)」がなく、これらの杜撰の漢では、数百年・数千年前に先達と称しても、「上乗一心や一心を教外別伝」と心得る漢は、「仏法・仏道」を明らかに出来ず、通じていないと知るべきである。

「故はいかん。仏をし知らず、教を知らず、心を知らず、内を知らず、外を知らざるが故に。その知らざる道理は、かつて仏法を聞かざるによりてなり。いま諸仏と云う本末、いかなると知らず。去来の辺際すべて学せざるは、仏弟子と称ずるに足らず」

「直指人心・見性成仏」を主張する漢の、仏道を明らめず通ぜざりける理由は、「仏・教・心・内外」つまり仏の教えを知らず、上乗一心の心を知らず、心内の内を知らず、教外の外を知らないからである。

その知らない道理は、仏法を聴聞する機縁がなかった事や諸仏の辺際を参学しない者は、仏弟子と呼ぶには不足である。

「ただ一心を正伝して、仏教を正伝せずと云うは、仏法を知らざるなり。仏教の一心を知らず、一心の仏教を聞かず。一心の他に仏教ありと云う、なんぢが一心、未だ一心ならず。仏教の他に一心ありと云う、なんぢが仏教いまだ仏教ならざらん。たとい教外別伝の謬説を相伝すと云うとも、なんぢ未だ内外を知らざれば、言理の符合あらざるなり」

上乗一心の「一心を正伝」して、(教は赴機の戯論)と「仏教を正伝」せずと云う漢は、「仏教を知らない」のである。つまり「仏教の一心」を知らず、「一心の仏教」を問法せず、「一心の他に仏教あり」と云う。ここで云う一心は『伝心法要』で説く処の「一心」であり、尽十方界の同義語でもあるが、尽十方界の一心の外(ほか)に仏教ありと云う、その汝が思う一心は未だ(尽十方界の)一心ではないのである。

「仏教」も「一心」も、尽界の場に於いては真如としての振る舞いで以て、同義態と為る事実を認得していないのである。

たとえ「教外別伝」という謬った説を相伝すると云うのは、認得しない漢が教外別伝の何が内で何が外かを知らないからであり、言理(ことばの理路)の符合(ぴったり合う)がないのである。

「仏正法眼蔵を単伝する仏祖、いかでか仏教を単伝せざらん。いわんや釈迦老漢、なにとしてか仏家の家業にあるべからざらん教法を施設することあらん。釈迦老漢すでに単伝の教法をあらしめん、いづれの仏祖か無からしめん。この故に、上乗一心と云うは、三乗十二分教これなり、大蔵小蔵これなり」

教外別伝を誇らしげに自称する漢は「三乗十二分教」が如何なるものかも勉学せず、「釈迦老漢」を蚊帳の外に置いて「上乗一心」を吹聴するは御門違いも甚だしく、上乗一心―三乗十二分教―大蔵小蔵(大乗小乗)は同列同次元に在ることを示すものです。

「知るべし、仏心と云うは、仏の眼睛なり、破木杓なり、諸法なり、三界なるが故に、山海国土、日月星辰なり。仏教と云うは、万像森羅なり。外とい云うは、這裏なり、這裏来なり。正伝は、自己より自己に正伝するが故に、正伝の中に自己あるなり。一心より一心に正伝するなり、正伝に一心あるべし。上乗一心は、土石砂礫なり、土石砂礫は一心なるが故に、土石砂礫は土石沙礫なり。もし上乗一心の正伝と云わば、かくの如くあるべし」

「仏心」と云うと抽象概念で捉えがちですが、仏の教えは具体的でなければ学問仏教に埋没する為、「仏の眼睛・破木杓・三界諸法」である為、「山海国土・日月星辰」が仏心であると。つまりは大自然の運行そのものが「仏心」であると、説くものです。(『御抄』では仏心を「仏体を以て談ずる心なり」(「註解全書」三・五五〇)と示され、酒井得元氏は「仏は心なり、心は仏なり」と解釈され、「心の外に仏はない」との見解です)

同じように「仏教」とは「万像森羅」であると、これは三界諸法の言い替えです。

「外」とは万像森羅の体を指して外と言い、「這裏」は万像森羅を指し、「這裏来」の来は去来の来ではなく、這裏の来の意である(『御抄』前掲同所)。

同じく経豪和尚による「正伝」の解釈は、「自己より自己に正伝する」は「自他ありて、是が彼に正伝するにてなし」と、さらに「正伝の中に自己あるなり」は「正伝が自己なるが故に、此の如く云わるるなり」(前掲同所)との註解を書き添えられます。

「一心より一心に正伝、正伝に一心あるべし」とは、正伝を以て一心と置き換えての言ですから、「正伝」と「一心」の同義態を示すものです。

「上乗一心ー土石砂礫、土石砂礫―一心」とは、前句の「仏心と云うは、山海国土、日月星辰なり」と対を為すもので、取りも直さず「土石砂礫は土石沙礫」であり、「上乗一心の正伝」とは土石が土石に、砂礫は沙礫に正確に伝達されることで、茶飯の日常底が上乗一心であるとの提唱になります。

しかあれども、教外別傳を道取する漢、いまだこの意旨をしらず。かるがゆゑに、教外別傳の謬説を信じて、佛教をあやまることなかれ。もしなんぢがいふがごとくならば、教をば心外別傳といふべきか。もし心外別傳といはば、一句半偈つたはるべからざるなり。もし心外別傳といはずは、教外別傳といふべからざるなり摩訶迦葉すでに釋尊の嫡子として法藏の教主たり。正法眼藏を正傳して佛道の住持なり。しかありとも、佛教は正傳すべからずといふは、學道の偏局なるべし。しるべし、一句を正傳すれば、一法の正傳せらるゝなり。一句を正傳すれば、山傳水傳あり。不能離卻這裡なり。釋尊の正法眼藏無上菩提は、たゞ摩訶迦葉に正傳せしなり。餘子に正傳せず、正傳はかならず摩訶迦葉なり。このゆゑに、古今に佛法の眞實を學する箇々、ともにみな從來の教學を決擇するには、かならず佛祖に參究するなり。決を餘輩にとぶらはず。もし佛祖の正決をえざるは、いまだ正決にあらず。依教の正不を決せんとおもはんは、佛祖に決すべきなり。そのゆゑは、盡法輪の本主は佛祖なるがゆゑに。道有道無、道空道色、たゞ佛祖のみこれをあきらめ、正傳しきたりて、古佛今佛なり。

「しかあれども、教外別伝を道取する漢、未だこの意旨を知らず。かるが故に、教外別伝の謬説を信じて、仏教をあやまる事なかれ。もしなんぢが云うが如くならば、教をば心外別伝と云うべきか。もし心外別伝と云わば、一句半偈伝わるべからざるなり。もし心外別伝と云わずは、教外別伝と云うべからざるなり」

「教外別伝」を主張する者(漢)には、上乗一心が土石砂礫の意味(意旨)は未だに知らずに居るから、教外別伝なる謬った説明を信じて、仏教を間違ってはならない。

もし汝が云うように教のほかに上乗一心の心が必要ならば、「心外別伝」と云うべきを云わないならば、教外別伝とも云ってはならない。

ここに説かれる教外別伝の導き方には、多少こじ付けがましい処が無いでもないが、この段に於ける肝要部分です。

摩訶迦葉すでに釈尊の嫡子として法蔵の教主たり。正法眼蔵を正伝して仏道の住持なり。しかありとも、仏教は正伝すべからずと云うは、学道の偏局なるべし。知るべし、一句を正伝すれば、一法の正伝せらるるなり。一句を正伝すれば、山伝水伝あり。不能離却這裡なり」

前半部は文の如くに解され、「一句を正伝すれば、一法の正伝」「一句を正伝すれば、山伝水伝」とは、只尽界を正伝すると云う意味である。

不能離却這裡」(這裡(ここ)を離却(はなれる)するは不能(できない))とは、釈尊摩訶迦葉との絶対的関係を、このように言い替えられますが、経豪和尚の言に依ると「釈尊釈尊に正伝し、迦葉は迦葉に正伝する道理」(「註解全書」三・五五一)と説かれます。謂うなれば、「山伝水伝」(山は山に伝し、水は水に伝す)の絶対現成の漢文表現です。

釈尊正法眼蔵無上菩提は、ただ摩訶迦葉に正伝せしなり。余子に正伝せず、正伝は必ず摩訶迦葉なり。この故に、古今に仏法の真実を学する箇々、ともにみな従来の教学を決択するには、必ず仏祖に参究するなり。決を余輩にとぶらわず。もし仏祖の正決を得ざるは、未だ正決にあらず。依教の正不を決せんと思わんは、仏祖に決すべきなり。その故は、尽法輪の本主は仏祖なるが故に。道有道無、道空道色、ただ仏祖のみこれを明らめ、正伝し来たりて、古仏今仏なり」

前半部「決を余輩にとぶらわず」までは文意のままに解しますが、この処での肝要句は「必ず仏祖に参究するなり」を強調するものです。仏祖とは個々の釈尊摩訶迦葉等を比定するよりも、法身が仏祖であり真実相に参究しなさい、との忠言にも聞こえます。

先には「仏祖」を法身と位置づけようとしましたが、他にも云い替えるなら全自己が仏祖とも云えます。つまりは万法に証される本来面目の自己です。

この仏祖(全自己)の正決(正しい決択)が得られないなら、「いまだ決にあらず」とは正しい正伝とは云えないとの事です。教えに依る(依教)正不(正しいか正しくないか)は仏祖(本来面目)によって決めるべきである。

その仏祖の更なる置換する語として、道元禅師は「尽法輪」と定置されます。尽法輪とは尽法界、つまりは全存在が仏祖の本主であると解き明かされます。

「道有道無、道空道色」(有と道い無と道い、空と道い色と道う)これは何を言わんとするかは、尽法輪を表徴する語として、「有・無・空・色」を以て尽十方界を表す試みです。

この事実は仏祖のみが明らかにし、正伝し続ける時空を称して「古仏今仏」と言うのである。

 

    二

巴陵因僧問、祖意教意、是同是別。師云、雞寒上樹、鴨寒入水。この道取を參學して、佛道の祖宗を相見し、佛道の教法を見聞すべきなり。いま祖意教意と問取するは、祖意は祖意と是同是別と問取するなり。いま雞寒上樹、鴨寒入水といふは、同別を道取すといへども、同別を見取するともがらの見聞に一任する同別にあらざるべし。しかあればすなはち、同別の論にあらざるがゆゑに、同別と道取しつべきなり。このゆゑに、同別と問取すべからずといふがごとし。玄沙因僧問、三乘十二分教即不要、如何是祖師西來意。師云、三乘十二分教總不要。いはゆる僧問の三乘十二分教即不要、如何是祖師西來意といふ、よのつねにおもふがごとく、三乘十二分教は條々の岐路なり。そのほか祖師西來意あるべしと問するなり。三乘十二分教これ祖師西來意なりと認ずるにあらず。いはんや八萬四千法門蘊すなはち祖師西來意としらんや。しばらく參究すべし、三乘十二分教、なにとしてか即不要なる。もし要せんときは、いかなる規矩かある。三乘十二分教を不要なるところに、祖師西來意の參學を現成するか。いたづらにこの問の出現するにあらざらん。玄沙いはく、三乘十二分教總不要。

この道取は、法輪なり。この法輪の轉ずるところ、佛教の佛教に處在することを參究すべきなり。その宗旨は、三乘十二分教は佛祖の法輪なり、有佛祖の時處にも轉ず、無佛祖の時處にも轉ず。祖前祖後、おなじく轉ずるなり。さらに佛祖を轉ずる功徳あり。祖師西來意の正當恁麼時は、この法輪を總不要なり。總不要といふは、もちゐざるにあらず、やぶるにあらず。この法輪、このとき、總不要輪の轉ずるのみなり。三乘十二分教なしといはず、總不要の時節を覰見すべきなり。總不要なるがゆゑに三乘十二分教なり。三乘十二分教なるがゆゑに三乘十二分教にあらず。このゆゑに、三乘十二分教、總不要と道取するなり。

これより話頭二則の提唱で以て、仏教乃至三乗十二分教についての提唱作業に入ります。

「巴陵因僧問、祖意教意、是同是別。師云、雞寒上樹、鴨寒入水」

この出典籍は『景徳伝灯録』二二・巴陵顥鍳章(「大正蔵」五一・三八六上)からで、雲門文偃(匡真)の法嗣二十五人の中に岳州巴陵顥鍳大師として採録され、兄弟弟子には香林澄遠・双泉師寛などが列します。因みに次には「三乗十二分教」についての話頭ですが、この則の次句では「三乗十二分教即不疑。如何是宗門中事。師曰。不是衲僧分上事」なる話頭が見られます。

この則の一般的解釈は「祖意」は禅門、「教意」は教学で、この二つの宗門は同じか別かの問いに対しては、雞(にわとり)を祖意・鴨(かも)は教意と釈し、寒は環境と解すると、同じ環境に於いても各々の方途があり、良し悪しは判断できない事を云うものである。生物生態学では「棲み分け理論」として知られる。

「この道取を参学して、仏道の祖宗を相見し、仏道の教法を見聞すべきなり。いま祖意教意と問取するは、祖意は祖意と是同是別と問取するなり」

これから拈提に入り一般的解釈との違いが説かれる。

この短い問答ではあるが参究学道して、仏道に於ける祖宗(本筋)と相見し、仏道の教示法を見聞すべきである。

僧が「祖意教意」つまり禅門と教学とを一括りに問うように見えるが、祖意は祖意の意であり、大枠としての祖意(禅門)は同じであるが、禅門を構成する人間各位は、皆それぞれ生まれ育ちや、考え方などは別々である、という意味合いを「祖意は祖意と是同是別」と問取するとの拈提です。

「いま雞寒上樹、鴨寒入水と云うは、同別を道取すと云えども、同別を見取する輩の見聞に一任する同別にあらざるべし。しかあれば即ち、同別の論にあらざるが故に、同別と道取しつべきなり。この故に、同別と問取すべからずと云うが如し」

「同別を道取する」とは、寒に於いては双方とも同じで、雞と鴨では別である、を言うものです。その同じか別かを判断する輩(ともがら)の見聞(解)に一任する問題ではないはずである。雞は何時でも何処でも雞であり、鴨は何処でも何時でも鴨である事実は変わらないのである。

そういうわけですから(しかあれば即ち)同じか別かの論議ではないので、同とも別とも道取しなければならない。ですから(この故に)同別の問いを発する僧の問取自体が成り立たないのである、と言うのが、この話頭に対する道元禅師の拈提です。

さらに云うなら、「如何」や「什麽」「恁麽」の問い掛けに対する答話は、時々処々により変位するものであり、仏法の解会は二者択一的な思考法を嫌うのである。

「玄沙因僧問、三乗十二分教即不要、如何是祖師西来意。師云、三乗十二分教総不要」

この話頭の出典籍は『景徳伝灯録』二十五・百丈道常禅師章(「大正蔵」五一・四一六下)と考えられますが、『真字正法眼蔵』上・四五則にも援用されます。ただし原文は「僧挙人問玄沙曰。三乗十二分教即不問。如何是祖師西来意。玄沙曰。三乗十二分教不要。其僧不会」であり、「即不問→即不要」「教不要→教總不要」に改変されますが、因みに『玄沙広録』(「続蔵」七三・二一中)では「問、十二分教不要、如何是祖師西来意。師日、三乗十二分教不要」と記録されますから、「伝灯録」+「玄沙録」との合楺とも考えられます。

百丈道常(―991)は北宋に在し、法眼文益(885―958)三十人の法嗣者の一人ですが、法脈を辿れば法眼―羅漢―玄沙と行きつきますから、法類である百丈道常の語録に採録され、代々語り継がれた様子が窺えます。

「いわゆる僧問の三乗十二分教即不要、如何是祖師西来意と云う、世の常に思うが如く、三乗十二分教は条々の岐路なり。そのほか祖師西来意あるべしと問するなり。三乗十二分教これ祖師西来意なりと認ずるにあらず。いわんや八万四千法門蘊即ち祖師西来意と知らんや」

この僧の問いの「三乗十二分教即不要、如何是祖師西来意」の一般的見方は、三乗十二分教である大蔵経の経典のほかに、祖師西来意が有るはずとの問いの設定です。

当初から「三乗十二分教」と「祖師西来意」は同じではなく別物との認得で、ましてや「万四千法門蘊」の説法が即ち「祖師西来意」とは、この僧が知らないであろう。との解釈ですが、先の巴陵の例からすると「三乗十二分教」は教意で「祖師西来意」が祖意と比定すれば、「同別」の聯関も策定されます。

「しばらく参究すべし、三乗十二分教、何としてか即不要なる。もし要せん時は、如何なる規矩かある。三乗十二分教を不要なる処に、祖師西来意の参学を現成するか。いたづらにこの問の出現するに有らざらん」

この僧は「教外別伝・不立文字」を信奉する、いわゆるの禅僧の一般的見解である「三乗十二分教」の外に「祖師西来意」を求めるが、この三乗十二分教は「即不要」を参学究明してみなさい、との言辞です。もしも「三乗十二分教」が必要であるなら、どのような規矩(きまり)が有るのかも、同時に考えてみよ、との含意もあります。

いま一度、「三乗十二分教」の不要とする問いに、「祖師西来意」の参学が現成するのか。と、僧の「不要」が、この話則に於けるキーワードであるとの拈提で、その理由を、玄沙に問う力量の有する学僧である為、「いたづらに」この「三乗十二分教即不要」の問いが出現するはずは無いだろう、との認識です。

「玄沙云く、三乗十二分教総不要。この道取は、法輪なり。この法輪の転ずる処、仏教の仏教に処在することを参究すべきなり。その宗旨は、三乗十二分教は仏祖の法輪なり、有仏祖の時処にも転ず、無仏祖の時処にも転ず。祖前祖後、同じく転ずるなり。さらに仏祖を転ずる功徳あり。祖師西来意の正当恁麼時は、この法輪を総不要なり」

ここで指摘しておかなければならない事項は、原文の『景徳伝灯録』では「教不要」→「教総不要」と敢えて「総」の字を付加する点に道元流言説が見て取れることです。思うに、総は問いの即に対する語と考えられます。因みに問いの「教即不問」→「教即不要」と答話に合わせて整合性を為した改変です。

また「総不要」の不は否定辞として扱うのではなく、絶対不としての不でありますから、「すべて必要である」との語釈と為ります。

そこで拈提による「この道取」つまり総不要は「法輪なり」と述べられます。法輪(dharma cakra)仏の説法を意味しますが、同時に遍満在とも解せますから、全体つまり尽界をも法輪と見なせます。

「この法輪の転ずる処」は尽界そのものですから、その所を「仏教の仏教に処在する」と述べられるわけです。もちろん仏教の語意はブッダ・スートラですが、「眼蔵」に於いては限定的カテゴライズされた語釈とは取らず、尽界に充満する真実相を仏教にメタファー化させた言い回しを「仏教の仏教に処在する」と表し、そこを参究すべきである、との説示です。

その意味する処(宗旨)は、三乗十二分教(全体)は仏祖(真実)の法輪(説法)である。その法輪は「有仏祖・無仏祖の時処にも転ず」の有無は、勿論あるなしの相対的「有無」と位置づけるものではなく、「有の仏祖・無の仏祖」と解するものである。同じように「祖前祖後」にも法輪を転ずるとは、有仏無仏の有無と同程度の前後の意である。

仏祖の法輪処を「有仏祖無仏祖処・祖前祖後処」と説きましたが、限定概念を嫌う為に、「さらに仏祖を転ずる功徳あり」と、法輪の及ぶ時処を「仏教の仏教に処在する」と同等範疇に拡大し、「祖師西来意の正当恁麼時」とは、問いである祖師西来意そのものが「法輪」であり、その法輪は三乗十二分教そのものであり、「総不要」と別称するのである。

「総不要と云うは、用いざるにあらず、破るにあらず。この法輪、この時、総不要輪の転ずるのみなり。三乗十二分教なしと云わず、総不要の時節を覰見すべきなり。総不要なるが故に三乗十二分教なり。三乗十二分教なるが故に三乗十二分教にあらず。この故に、三乗十二分教、総不要と道取するなり」

そこで「総不要」の説明としては、「用いないのではなく、破るのでもない」と、前述のように総不要は「総ての絶対不の要」との熟語として扱うことで、法輪と総不要を同義態語に為し、「総不要輪」が法輪の場に転ずるとの拈提ですが、此の場面が玄沙話則に於ける微細な説得になります。

次に「三乗十二分教」の立ち位置を説明されます。三乗十二分教は要らないと云っているのではなく、「総不要」という事実の時節をよく見なければならない(覰見)。

「総不要なるが故に三乗十二分教」とは、「三乗十二分教総不要」である総不要を主語に置換させたものですが、次に言う「三乗十二分教なるが故に三乗十二分教にあらず」を『御抄』では「三乗十二分教の道理が至極する時」(「註解全書」三・五六二)と説明されるが、この矛盾する語句の言い回しに苦労する跡が見られます。この解釈には、最初の「三乗十二分」は総不要と同義性で、いま一つは「三乗十二分教」を概念化(カテゴリー)の対象から捨象する為に、「三乗十二分教にあらず」と警鐘するもので、この類の手法は時折見られます。さらに詮慧和尚の言によれば「たとえば春松は有にあらず、無にあらず、作らざる也と。諸悪莫作の草子にあるが如し、又大悲菩薩の用許多とも云わんが如し」(「註解全書」三・五八五)と解説されます。

締め括りとして、玄沙の説く「三乗十二分教総不要」の真意は、「三乗十二分教は仏祖の法輪である故に総じて不の要である」との解釈で、「教外別伝・直指人心・見性成仏」などを標榜する漢が説く「三乗十二分教は総べて不要」などと説くは、玄沙師備の本意にあらず、の意味合いが包含された拈提となります。

「当巻」は此の拈提を以て、「仏教」に対する基本的見方・見識の差異を、在宋時代の風潮とし、さらには提唱当時の山内衆、特に波着寺系徒に向けての老婆心語と見なす事と見受けられます。主要部は述べられ後半は教学的知見が語られます。

 

    三

その三乘十二分教、そこばくあるなかの一隅をあぐるには、すなはちこれあり。三乘 一者聲聞乘 四諦によりて得道す。四諦といふは、苦諦集諦滅諦道諦なり。これをきゝ、これを修行するに、生老病死を度脱し、般涅槃を究竟す。この四諦を修行するに、苦集は俗なり、滅道は第一義なりといふは、論師の見解なり。もし佛法によりて修行するがごときは、四諦ともに唯佛與佛なり。四諦ともに法住法位なり。四諦ともに實相なり、四諦ともに佛性なり。このゆゑに、さらに無生無作等の論におよばず、四諦ともに總不要なるがゆゑに。二者縁覺乘 十二因縁によりて般涅槃す。十二因縁といふは、一者無明、二者行、三者識、四者名色、五者六入、六者觸、七者受、八者愛、九者取、十者有、十一者生、十二者老死。この十二因縁を修行するに、過去現在未來に因縁せしめて、能觀所觀を論ずといへども、一々の因縁を擧して參究するに、すなはち總不要輪轉なり、總不要因縁なり。しるべし、無明これ一心なれば、行識等も一心なり。無明これ滅なれば、行識等も滅なり。無明これ涅槃なれば、行識等も涅槃なり。生も滅なるがゆゑに、恁麼いふなり。無明も道著の一句なり、識名色等もまたかくのごとし。しるべし、無明行等は、吾有箇斧子、與汝住山なり。無明行識等は、發時蒙和尚許斧子、便請取なり。三者菩薩乘 六波羅蜜の教行證によりて、阿耨多羅三藐三菩提を成就す。その成就といふは、造作にあらず、無作にあらず、始起にあらず、新成にあらず、久成にあらず、本行にあらず、無爲にあらず。たゞ成就阿耨多羅三藐三菩提なり。六波羅蜜といふは、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禪那波羅蜜般若波羅蜜なり。これはともに無上菩提なり。無生無作の論にあらず。かならずしも檀をはじめとし、般若ををはりとせず。經云、利根菩薩、般若爲初、檀爲終。鈍根菩薩、檀爲初、般若爲終。しかあれども、羼提もはじめなるべし、禪那もはじめなるべし。三十六波羅蜜の現成あるべし。籮籠より籮籠をうるなり。波羅蜜といふは、彼岸到なり。彼岸は古來の相貌蹤跡にあらざれども、到は現成するなり、到は公案なり。修行の彼岸へいたるべしとおもふことなかれ。彼岸に修行あるがゆゑに、修行すれば彼岸到なり。この修行、かならず徧界現成の力量を具足するがゆゑに。

「その三乗十二分教、そこばくある中の一隅を挙ぐるには、即ちこれあり。三乗。一者声聞乗、四諦によりて得道す。四諦と云うは、苦諦集諦滅諦道諦なり。これを聞き、これを修行するに、生老病死を度脱し、般涅槃を究竟す。この四諦を修行するに、苦集は俗なり、滅道は第一義なりと云うは、論師の見解なり。もし仏法によりて修行するが如きは、四諦ともに唯仏与仏なり。四諦ともに法住法位なり。四諦ともに実相なり、四諦ともに仏性なり。この故に、さらに無生無作等の論に及ばず、四諦ともに総不要なるが故に」

「三乗十二分教」の分類にも経典により多少の出入りがあるので、その中から一例を挙げて説明されるとの事です。先ずは三乗の分類での一つ「声聞乗」ですが、声聞(sravaka)乗の説明としては、各種の仏教辞典では「声聞は自利のみの四諦八正道による、阿羅漢果を得る事を目的とする劣機な人」(『禅学大辞典』上巻・五八七)との記載ですが、道元流の認得では「四諦ともに唯仏与仏なり」と、小乗大乗・劣機勝機の観念は微塵もありません。

四諦」の内容は「苦集滅道諦」を示すが、この目的は「生老病死」の四苦を脱し、涅槃に至るを願うものですが、学問仏教(教学)に於いては「苦・集」の前句は俗的、「滅道」を第一義と定める趣向もあるが、これは大智度論や起信論等を学する「論師」の見解と為ります。

達磨の「皮肉骨髄」論の如しで、「四諦」には優劣なく「唯仏与仏」であると。四諦とは「法住法位・実相・仏性」の尽地尽界尽時尽法の全体性である。

さらに「四諦」の実態は「諸悪莫作」で説く「無生や無作」等の概念論ではなく、四諦の現成は「総不要」なる現成態である。

「二者縁覚乘 十二因縁によりて般涅槃す。十二因縁と云うは、一者無明、二者行、三者識、四者名色、五者六入、六者触、七者受、八者愛、九者取、十者有、十一者生、十二者老死。この十二因縁を修行するに、過去現在未来に因縁せしめて、能観所観を論ずといえども、一々の因縁を挙して参究するに、即ち総不要輪転なり、総不要因縁なり。知るべし、無明これ一心なれば、行識等も一心なり。無明これ滅なれば、行識等も滅なり。無明これ涅槃なれば、行識等も涅槃なり。生も滅なるが故に、恁麼云うなり。無明も道著の一句なり、識名色等もまたかくの如し。知るべし、無明行等は、吾有箇斧子、与汝住山なり。無明行識等は、発時蒙和尚許斧子、便請取なり」

「縁覚」(pratyeka buddha)は、自らが縁起(十二因縁)の法を観察して悟る者(『禅学大辞典』上・一〇八頁)であるが、十二因縁の内訳は㈠無明(avidya)㈡行(samskara)㈢識(vijnana) ㈣名色(nama-rupa)㈤六入(sad-ayatana)㈥触(sparsa)㈦受(vedana)㈧愛(trsna)㈨取(upadana)㈩有(bhava)⑾生(jati)⑿老死(jaramarana)と位置づけられますが、これらの「十二因縁」それぞれを「能観所観」(主観客観)で参究するのではなく、先の玄沙の如くに「総不要輪転」と全体を見通す因縁が必要で、十二因縁も業感縁起としての時間的因果関係として捉えるのではなく、相依相資的な論理関係として見るべきである。

「無明・行・識等も一心なり」の一心とは、「都機」「即心是仏」等で説かれる「一心一切法一切法一心」と同義であり、総不要の言にも置き換え可能です。同じ趣旨で「無明」を滅と捉えれば「行・識」等も滅であり、「涅槃」を策定すれば同様に「行・識」等が涅槃と為ります。このように「無明」も道著(表現)の一句であり、「識・名色」等も独立した一句の表現態ですが、表明したい所は、十二の各項目は発展段階的把捉ではなく、それぞれの無明・行・識等が完全な道著の表出態を説かんとするものです。

この十二因縁は、一過去(無明・行)二因。二現在(識・名色・六入・触・受)五果。三現在(愛・取・有)三因。四未来(生・老死)二果。五・一+二=過去・現在一重因果。六・三+四=現在・未来一重因果。五+六=三世両重因果。と示され(『禅学大辞典』上・四九一頁参照)、このように過去二因(無明・行)によりて現在の五果(識・名色・六入・触・受)を得、現在の三因(愛・取・有)未来の二果(生・老死)を得ると教学では説明される。

「吾有箇斧子、与汝住山」「発時蒙和尚許斧子、便請取」の話は何を物語っているかと云うと」『景徳伝灯録』五・青原行思章「汝達書了速迴、吾有箇鈯斧子、与汝住山。遷至彼未呈書、便問、不慕諸聖不重己霊時如何―中略―遷日、信亦不通書亦不達。師曰、作麼生。遷挙前話了、却云、発時蒙和尚許鈯斧子。便請取。師垂一足」(「大正蔵」五一・二四〇中)(汝、書を達して了りて速やかに迴れ、吾れに箇の鈯斧子有り、汝に与えて住山せしめん。遷、彼れ(南嶽懐譲)に至り、未だ書を呈せずして便ち問う、諸聖を慕わず、己霊を重んぜざる時は如何―中略―遷日く、信も亦通ぜず、書も亦達せずと。師(青原行思)曰く、作麼生と。遷、前話を挙し了って、却って云く、発する時、和尚の許の鈯斧子を蒙る、便ち請取せんと。師一足を垂る)の話頭の最初と最後の言辞を呈するものですが、青原行思と石頭希遷の信頼関係を示すものです。最初の「吾れに箇の鈯斧子有り、汝に与えて住山せしめん」の斧子とは吉州(江西省)青原山の管理権を譲るとの意があります。次の「出発の時、和尚(青原行思)は斧子(管理権)の許可を蒙りました、頂戴いたします」と云うと、師匠の行思は「座椅子(キョクロク)から足を垂れる」と記しますが、この行為が師から弟子への許しであり、引継ぎ、信頼関係を象徴するものです。

拈提部に戻ると、十二因縁である「無明」や「行」などは、段階的に修行し最終的に「老死」を脱すると見るのではなく、「無明」は無明に任せ修行し、「行」の時には行そのものを修行する。云うなれば、無明の全機現・行の全機現の修証が肝要で、結果を求めない無所得無所悟の実参を提示する喩えと思われます。

なお、中村元(1912―1999)氏によると、『スッタ・ニパータ』の古層部である偈文では縁起の語は見られず、十二の数も最初期から十二因縁(縁起)があったのではなく、後代になるほど付加されたとされる。

三者菩薩乗、六波羅蜜の教行証によりて、阿耨多羅三藐三菩提を成就す。その成就と云うは、造作にあらず、無作にあらず、始起にあらず、新成にあらず、久成にあらず、本行にあらず、無為にあらず。ただ成就阿耨多羅三藐三菩提なり。六波羅蜜と云うは、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅那波羅蜜般若波羅蜜なり。これはともに無上菩提なり。無生無作の論にあらず。必ずしも檀を始めとし、般若を終わりとせず。経云、利根菩薩、般若為初、檀為終。鈍根菩薩、檀為初、般若為終。しかあれども、羼提も始めなるべし、禅那も始めなるべし。三十六波羅蜜の現成あるべし。籮籠より籮籠を得るなり。波羅蜜と云うは、彼岸到なり。彼岸は古来の相貌蹤跡にあらざれども、到は現成するなり、到は公案なり。修行の彼岸へ到るべしと思う事なかれ。彼岸に修行あるが故に、修行すれば彼岸到なり。この修行、必ず徧界現成の力量を具足するが故に」

「菩薩」の観念は上座・大乗ともに存するが、上座部の菩薩は主に上求菩提(自利)を指し、大乗部に於いては下化衆生(利他)の菩薩を云うのが一般的である。

六波羅蜜の教行証」とは六つの波羅蜜の全体を云うのであり、その時点で阿耨多羅三藐三菩提(anutara-samyak-sambodhi)つまり迷いを離れて覚智円満に完成(成就)すると言うものです。

そこで、ここでは成就についての拈語で、「造作・無作・始起・新生・久成・本行・無為」という能所観的見方ではなく、いづれの条件は附随せず「ただ阿耨菩提を成就なり」と、六波羅蜜と阿耨菩提との同時態を説くわけです。所謂は、六波羅蜜の各真実行は全機現であり置換不可とのことです。

ここで説かれる各波羅蜜の内訳は梵語を基底にした檀(dana・檀那・布施)波羅蜜・尸羅(sila持戒波羅蜜・羼提(ksanti・忍辱)波羅蜜・毘梨耶(virya・精進)波羅蜜・禅那(dhyana・静慮)波羅蜜・般若(prajna智慧波羅蜜なり。と紹介され、この「六波羅蜜」に於いても「十二因縁」と同じく段階・階級的条目ではなく、それぞれの条項が「無上菩提」であり「無生・無作」の論にあらず、とは前句の「その成就と云うは造作にあらず、無作にあらず」云々の言句を承けてのものです。教学にて学習するように、必ずしも布施波羅蜜から実修しなくても、持戒波羅蜜を当初に置いて布施波羅蜜というように、決定論ではないのである。

「経に云く」として「利根菩薩」「鈍根菩薩」が用言されますが、『大智度論』八三(「大正蔵」二五・六三九下)にも両句が引かれますが、「利根菩薩、般若為初、檀為終。鈍根菩薩、檀為初、般若為終」の言句は創出したもので、そこでは第三羼提(忍辱)波羅蜜に於いても第五禅那波羅蜜に於いても初句に唱えても何ら障りはないと言われます。一つの波羅蜜に六条の波羅蜜が包含されますから、「三十六波羅蜜の現成」と説かれます。

「籮籠」の籮は魚を捕獲する網・籠は鳥を入れるかごを意味し、繋縛を表わす詞ですが、ここでは手段・手法の意に解し籮籠と云う道具を使用して、波羅蜜より六波羅蜜を得るを、説くと解します。

因みに『摂大乗論』(「大正蔵」三一・一〇五下)に於いて随所に、これまでの所説が見られることから参照を要す。

小論部結語として「波羅蜜」は梵語paramitaの音訳で普段は到彼岸とされますが、ここでの意訳は「彼岸到」と訳されます。到彼岸とすると「彼岸に到る」との意味合いが強くなり、此岸と彼岸との二分世界を往き来する感を持つが、道元禅師も其の文字配列には充分承知の上で、「彼岸到」と訳され、そこで彼岸の定義としては「古来の相貌(かおかたち)や蹤跡(あとかた)」ではないのである。とのことですが、『御抄』では「彼岸は去来の相貌蹤跡にあらず」(「註解全書」三・五六九)と去来とします。恐らくは「去来」が正しく、こう解釈するとこれまで云われる彼岸の固定観念で相貌や蹤跡を見てはならない、との拈提です。

「到る」とは仮定の説話ではなく、「現成」という現在進行形である動的恒常態を指し、そこには能所観は介在しませんから平等・守分の義である「公案」も到と位置づけます。つまり「到」とは修行して到るのではなく、現今の「現成公案」が到そのものとの言い分になります。ですから「修行すれば彼岸到なり」と、修証一等の理を説かれます。この修証一等の修行は、必然的に徧(十方)界に於ける現実成態(現成)の力量は完全円満である為に具足するのである。

    

    四

十二分教。一者素纜、此云契經。二者祇夜、此云重頌。三者和伽羅那、此云授記。四者伽陀、此云諷誦。五者憂陀那、此云無問自説。六者尼陀那、此云因縁。七者波陀那、此云譬喩。八者伊帝目多伽、此云本事。九者闍陀伽、此云本生。十者毘佛略、此云方廣。十一者阿浮陀達磨、此云未曾有。十二者優婆提舎、此云論議。如來則爲直説陰界入等假實之法、是名修多羅。或四五六七八九言偈、重頌世界陰入等事、是名祇夜。或直記衆生未來事、乃至記鴿雀成佛等、是名和伽羅那。或孤起偈、記世界陰入等事、是名伽陀。或無人問、自説世界事、是名優陀那。或約世界不善事、而結禁戒、是名尼陀那。或以譬喩説世界事、是名阿波陀那。或説本昔世界事、是名伊帝目多伽。或説本昔受生事、是名闍陀伽。或説世界廣大事、是名毘佛略。或説世界未曾有事、是名阿浮達摩。或問難世界事、是名優婆提舎。此是世界悉檀、爲悦衆生故、起十二部經。十二部經の名、きくことまれなり。佛法よのなかにひろまれるときこれをきく、佛法すでに滅するときはきかず。佛法いまだひろまらざるとき、またきかず。ひさしく善根をうゑてほとけをみたてまつるべきもの、これをきく。すでにきくものは、ひさしからずして阿耨多羅三藐三菩提をうべきなり。この十二、おのおの經と稱ず。十二分教ともいひ、十二部經ともいふなり。十二分教おのおの十二分教を具足せるゆゑに、一百四十四分教なり。十二分教おのおの十二分教を兼含せるゆゑに、たゞ一分教なり。しかあれども、億前億後の數量にあらず。これみな佛祖の眼睛なり、佛祖の骨髓なり、佛祖の家業なり、佛祖の光明なり、佛祖の莊嚴なり、佛祖の國土なり。十二分教をみるは佛祖をみるなり、佛祖を道取するは十二分教を道取するなり。しかあればすなはち、青原の垂一足、すなはち三乘十二分教なり。南嶽の説似一物即不中、すなはち三乘十二分教なり。いま玄沙の道取する總不要の意趣、それかくのごとし。この宗旨擧拈するときは、たゞ佛祖のみなり。さらに半人なし、一物なし、一事未起なり。正當恁麼時、如何。いふべし、總不要。

十二分教(dvadasanga-buddhasasana)は十二部経とも云われ、仏の教法を形式や内容を勘案して十二種に区分したもので、ここでは最初に梵語サンスクリット語)を音写語で、次に漢訳語で示されます。

「一者素(sutra)此云契経。二者祇夜(geya)此云重頌。三者和伽羅那(vyakarana)此云授記。四者伽陀(gatha)此云諷誦。五者憂陀那(udana)此云無問自説。六者尼陀那(nidana)此云因縁。七者波陀那(apadana)此云譬喩。八者伊帝目多伽(itirttaka)此云本事。九者闍陀伽(jataka)此云本生。十者毘仏略(vaipulya)此云方広。十一者阿浮陀達磨(adbhuta-dharma)此云未曾有。十二者優婆提舎(upadesa)此云論議

この処の出典籍は『妙法蓮華経玄義』(「大正蔵」三三・七五二下)と考えられます。(但し素呾纜は修多羅・達磨は達摩)

如来則為直説陰界入等仮実之法、是名修多羅(如来は則ち為に直に陰界入等の仮実の法を説く、是を修多羅と名づく)。或四五六七八九言偈、重頌世界陰入等事、是名祇夜(或いは四五六七八九言の偈は、重ねて世界陰入等の事を頌す、是を祇夜と名づく)。或直記衆生未来事、乃至記鴿雀成仏等、是名和伽羅那(或いは直に衆生未来の事を記し、乃至鴿雀(イエバト・スズメ)の成仏等を記す、是を和伽羅那と名づく)。或孤起偈、記世界陰入等事、是名伽陀(或いは孤起偈(独立した偈)で、世界陰入等の事を記す、是を伽陀と名づく)。或無人問、自説世界事、是名優陀那(或いは人の問う無く、自ら世界の事を説く、是を優陀那と名づく)。或約世界不善事、而結禁戒、是名尼陀那(或いは世界不善の事に約して、禁戒を結す、是を尼陀那と名づく)。或以譬喩説世界事、是名阿波陀那(或いは譬喩で以て世界の事を説く、是を阿波陀那と名づく)。或説本昔世界事、是名伊帝目多伽(或いは本昔世界の事を説く、是を伊帝目多伽と名づく)。或説本昔受生事、是名闍陀伽(或いは本昔受生の事を説く、是を闍陀伽と名づく)。或説世界広大事、是名毘仏略(或いは世界広大の事を説く、是を毘仏略と名づく)。或説世界未曾有事、是名阿浮達摩(或いは世界未曾有の事を説く、是を阿浮達摩と名づく)。或問難世界事、是名優婆提舎(或いは世界の事を問難す、是を優婆提舎と名づく)。此是世界悉檀、為悦衆生故、起十二部経(此れは是れ世界悉檀(ほかに各々為人悉檀・対治悉檀・第一義悉檀・教義の解説)なり、衆生を悦ばす為の故に、十二部経を起す)」

この文言の出典も先と同様『妙法蓮華経玄義』(「大正蔵」三三・六八八中)です。

「十二部経の名、聞く事まれなり。仏法世の中に弘まれる時これを聞く、仏法すでに滅する時は聞かず。仏法未だ弘まらざる時、また聞かず。ひさしく善根を植えてほとけを見奉るべき者、これを聞く。すでに聞く者は、久しからずして阿耨多羅三藐三菩提を得べきなり」

文意のままに解せます。「十二部経」は仏の対機応法な説き方ですから、機縁が生じたなら阿耨菩提が授記されると。

「この十二、おのおの経と称ず。十二分教とも云い、十二部経とも云うなり。十二分教おのおの十二分教を具足せる故に、一百四十四分教なり。十二分教おのおの十二分教を兼含せる故に、たゞ一分教なり。しかあれども、億前億後の数量にあらず」

ここでの十二部教の説き方も先の六波羅蜜と同様に、発展段階的に「十二」を把捉するのではなく、一の素呾纜のなかには残りの「十一」も包摂・包含されると観ますから、「十二」×「十二」で「一百四十四」の分教、つまり世界(尽十方界)には無限の分教が在る事実を、「十二分教を兼含せる故に、億前億後の数量にあらず」と拈提されるわけです。この処の説明を詮慧和尚の『聞書』では「十二分教各々の名ある時は、総属別名の義也」と述べ、さらに「天台に云う所の兼単但対帯の義で、兼は別円の二教を並べて説く、是を兼と云う。単は只小乗の義ばかりを説く、故に単と云う。対は対四教機説の勝劣ありと云わず。帯は畢竟皆空の妙理を説き、通別の両教を帯す、故に帯と云う也」(「註解全書」三・五八七)と述べられます。

「これみな仏祖の眼睛なり、仏祖の骨髄なり、仏祖の家業なり、仏祖の光明なり、仏祖の荘厳なり、仏祖の国土なり。十二分教を見るは仏祖を見るなり、仏祖を道取するは十二分教を道取するなり」

これら百四十四それぞれの条目は皆「仏祖」という真実態である為、「真実(仏祖)の骨髄・家業・光明・荘厳・国土」なりと、これらの語句で以て世界(尽界)を表明されるもので、つまりは「十二分教」=「仏祖」=「真実態」の等価原理が成立する事実を、「仏祖を道取するは十二分教を道取するなり」と位置づけられます。

「しかあれば即ち、青原の垂一足、便ち三乘十二分教なり。南嶽の説似一物即不中、則ち三乗十二分教なり。いま玄沙の道取する総不要の意趣、それかくの如し。この宗旨挙拈する時は、ただ仏祖のみなり。さらに半人なし、一物なし、一事未起なり。正当恁麼時、如何。云うべし、総不要」

ここで取り挙げられる「青原の垂一足」「南嶽の説似一物即不中」の例示は、前段での「十二因縁」説明時での結論部に於ける「吾有箇斧子、与汝住山」および「発時蒙和尚許斧子、便請取」の話頭を承けてのもので詳細は省きますが、この語話自体は青原行思と石頭希遷との遣り取りですが、その筋道は青原が石頭を南嶽の道場に遣わした事情から、青原の代表的体現である「青原の垂一足」つまり全てを一任した態度を示すもので、他方南嶽の畢竟語である「説似一物即不中」は尽界に在する全ての事物・事象は現成公案の真実相を示唆するものですから、ともに「三乘十二分教」の全てと符合するわけです。

いま本則で取り挙げた玄沙が道取した「三乘十二分教総不要」の総不要の意趣(意味)は、前述の如く全てを表態する道得であるとの再確認する文言です。

ですから、この宗旨の「三乘十二分教」を挙拈する時は、ただ仏祖の真実のみである。とのことで、そこでは全てが仏祖としての現成公案ですから、「半人や一物」は居なく仏祖以外の一事も起らない(一事未起)のである。正にそのような時に当たっては(正当恁麼時)どのように(如何)言うかと問われれば、「総不要」つまり全てを戴いておきなさい。と老衲(道元)は玄沙和尚と同見解であるとの拈提内容です。ですから、僧が玄沙に問うた「如何是祖師西来意」の如何は、「如何なるか」ではなく、「如何なるも」で有る事実を「総不要」に置き換え、いかなる現成も真実相の「祖師西来意」との答話内容となります。

 

    五

あるいは九部といふあり。九分教といふべきなり。九部。一者修多羅、二者伽陀、三者本事、

四者本生、五者未曾有、六者因縁、七者譬喩、八者祇夜、九者優婆提舎、この九部、おのおの九部を具足するがゆゑに、八十一部なり。九部おのおの一部を具足するゆゑに九部なり。歸一部の功徳あらずは、九部なるべからず。歸一部の功徳あるがゆゑに、一部歸なり。このゆゑに八十一部なり。此部なり、我部なり、拂子部なり、拄杖部なり、正法眼藏部なり。

釋伽牟尼佛言、我此九部法、隨順衆生説。入大乘爲本、以故説是經。しるべし、我此は如來なり、面目身心あらはれきたる。この我此すでに九部法なり、九部法すなはち我此なるべし。いまの一句一偈は九部法なり。我此なるがゆゑに隨順衆生説なり。しかあればすなはち、一切衆生の生從這裏生、すなはち説是經なり。死從這裏死は、すなはち説是經なり。乃至造次動容、すなはち説是經なり。化一切衆生、皆令入佛道、すなはち説是經なり。この衆生は、我此九部法の隨順なり。この隨順は、隨佗去なり、隨自去なり、隨衆去なり、隨生去なり、隨我去なり、隨此去なり。その衆生、かならず我此なるがゆゑに、九部法の條々なり。入大乘爲本といふは、證大乘といひ、行大乘といひ、聞大乘といひ、説大乘といふ。しかあれば、衆生は天然として得道せりといふにあらず、その一端なり。入は本なり、本は頭正尾正なり。ほとけ法をとく、法ほとけをとく。法ほとけにとかる、ほとけ法にとかる。火焔ほとけをとき、法をとく。ほとけ火焔をとき、法火焔をとく。是經すでに説故の良以あり、故説の良以あり。是經とかざらんと擬するに不可なり。このゆゑに以故説是經といふ。故説は亙天なり、亙天は故説なり。此佛彼佛ともに是經と一稱し、自界佗界ともに是經と故説す。このゆゑに説是經なり、是經これ佛教なり。しるべし、恒沙の佛教は竹篦拂子なり。佛教の恒沙は拄杖拳頭なり。おほよそしるべし、三乘十二分教等は、佛祖の眼睛なり。これを開眼せざらんもの、いかでか佛祖の兒孫ならん。これを拈來せざらんもの、いかでか佛祖の正眼を單傳せん。正法眼藏を體達せざるは、七佛の法嗣にあらざるなり。

これまでは『法華玄義』を典拠に「十二分教」を説いてきましたが、この最後の段では『法華経』方便品を底本に「九分教」を説かれる次第です。

「あるいは九部と云うあり。九分教と云うべきなり。九部。一者修多羅、二者伽陀、三者本事、四者本生、五者未曾有、六者因縁、七者譬喩、八者祇夜、九者優婆提舎」

この文言は『法華経』方便品からの「或説修多羅、伽陀及本事、本生未曾有、亦説於因縁、    

譬喩并祇夜、優波提舍経」(「大正蔵」九・七下)を参照したものです。

「この九部、おのおの九部を具足するが故に、八十一部なり。九部おのおの一部を具足する故に九部なり。帰一部の功徳あらずは、九部なるべからず。帰一部の功徳あるが故に、一部帰なり。この故に八十一部なり。此部なり、我部なり、払子部なり、拄杖部なり、正法眼蔵部なり」

冒頭での「九部、おのおの九部を具足するが故に、八十一部なり」の論述は、これまでの「六波羅蜜は三十六波羅蜜」「十二分教は一百四十四分教」と同手法ですが、次に説く「帰一部の功徳」とは例えば修多羅を説く時は、他の八部が修多羅に兼含される状況を言うのであり、一部と九部と八十一部は数の違いではなく、「一」に兼含された別称を拈提では「此部・我部」との彼此岸と相応させ、さらに「払子部・拄杖部・正法眼蔵部」などの調度とも置換可能を示す独自な解釈態です。

「釈伽牟尼仏言、我此九部法、随順衆生説。入大乗為本、以故説是経。知るべし、我此は如来なり、面目身心現れ来たる。この我此すでに九部法なり、九部法即ち我此なるべし。今の一句一偈は九部法なり。我此なるが故に随順衆生説なり。しかあれば便ち、一切衆生の生従這裏生、則ち説是経なり。死従這裏死は、即ち説是経なり。乃至造次動容、便ち説是経なり」

「釈伽牟尼仏言、我此九部法、随順衆生説。入大乗為本、以故説是経」(我が此の九部の法は、衆生に随順して説く。大乗に入るはこれ(為)本なり、故を以て是経を説く)の出処は、先と同じく『法華経』方便品(「大正蔵」九・八上)からです。

「我此は如来なり」とは「我此九部法」を言い替えたものですから、我此=九部=法の一体性を表明し、「随順衆生説」の随順も衆生も独立語として捉え、此の随順と衆生とは各々は別体ではなく、「以随順衆生」とも「以衆生随順」とも表現できることから、「此親切の随順なるべし」とは経豪和尚の説き方(「註解全書」三・五八二)です。

「生従這裏生、死従這裏死」の喩えは生死の二項分立思考ではなく、生死を超克した九部法が「説是経」と連動したものが仏法である、とのように捉えられます。また、この言句は『諸悪莫作』巻で説く処の「生死去来、真実人体」とも連脈する語呂とも見られます。

「化一切衆生、皆令入仏道、すなはち説是経なり。この衆生は、我此九部法の随順なり。この随順は、随他去なり、随自去なり、随衆去なり、随生去なり、随我去なり、随此去なり。その衆生、必ず我此なるが故に、九部法の条々なり」

ここも「方便品」(「同」九・八中)からの抜き書きで、「一切衆生を教化し、皆を仏道に入らしむ」ことが説是経との拈語で以て、衆生を一部法と捉え「我・此・九部法」をも兼含するとの見方です。

さらに「随順」を大随法真(神照大師)が述べた(『真字正法眼蔵』上・二四則参照)「随他去」に置き換え、固定概念化を払拭する意味で「随自去」とも云い得、「化一切衆生、皆令入仏道」から衆生を抽出し「随衆去・随生去」とし、さらには本則の「我此九部法」から我此を拈出し「随我去・随此去」なりと、この論法・論述法は「随順」の意味解体を行い、結語で「その衆生、必ず我此なるが故に、九部法の条々なり」と、改めて「衆生と我と此と九部法のそれぞれ」の関係性を提示するものですが、述べられる事柄は最初の「この衆生は我・此・九部法の随順なり」を再説した言説です。

「入大乗為本と云うは、証大乗と云い、行大乗と云い、聞大乗と云い、説大乗と云う。しかあれば、衆生は天然として得道せりと云うにあらず、その一端なり。入は本なり、本は頭正尾正なり。ほとけ法を説く、法ほとけを説く。法ほとけに説かる、ほとけ法に説かる。火焔ほとけを説き、法を説く。ほとけ火焔を説き、法火焔を説く」

「入大乗為本」の入大乗の「入」は小乗より大乗に入る、といった相対的見方ではなく大乗を以て入とする意があり、拈提では入は「証とも行とも聞とも説」とも云い替え可能とは、大乗には「法がほとけ」の意が兼含されるからである。

また「得道」を金科玉条の如くに云うものではなく、「入大乗為本」の入は証や行や聞や説をも包含し本(もと)に還元されますから、「頭正尾正(ずしんびしん)」と説かれるものですが、この意味は入は浅く本は深いとの意味合いではなく、頭正尾正は同等であるとの拈語です。

この頭正尾正を別語で圜悟克勤が説法した「烈焔亘天仏説法。亘天烈焔法説仏」(大正蔵)四七・八〇二中)から「ほとけ法を説く、法ほとけを説く。法ほとけに説かる、ほとけ法に説かる」さらに「火焔ほとけを説き、法を説く。ほとけ火焔を説き、法火焔を説く」と圜悟の語をそのまま引用されます。つまりは、「九部法」の勝劣なきを説かんとするものです。

「是経すでに説故の良以あり、故説の良以あり。是経説かざらんと擬するに不可なり。この故に以故説是経と云う。故説は亙天なり、亙天は故説なり。此仏彼仏ともに是経と一称し、自界他界ともに是経と故説す。この故に説是経なり、是経これ仏教なり。知るべし、恒沙の仏教は竹篦払子なり。仏教の恒沙は拄杖拳頭なり。おおよそ知るべし、三乗十二分教等は、仏祖の眼睛なり。これを開眼せざらん者、いかでか仏祖の児孫ならん。これを拈来せざらん者、いかでか仏祖の正眼を単伝せん。正法眼蔵を体達せざるは、七仏の法嗣にあらざるなり」

「是経すでに説故の良以あり、故説の良以あり」の是経とは本則の「我此九部法、随順衆生説、入大乗為本」を指し、これを「説く故という良以(まことに所以)があり、故が説くという良以がある」とは、是経ならぬ時を説かないようにしようとも出来ない(不可)のである。この処を本則では「以故説是経」と云うのである。

「故説は亙天なり、亙天は故説なり」の例えは、先の圜悟の「烈焔亘天仏説法。亘天烈焔法説仏」から援用する形で頭正尾正を説く方途です。

「此仏彼仏・自界他界ともに是経」も同様な論述法で、能所観を以ての視界は是経(大乗)ではないことを力説する形です。こういうわけで(この故に)「説是経」と説くのである。

「是経と一称し」との一称は「方便品」の「一称南無仏」(「大正蔵」九・九上)からと思われるが、特に『法華経』からの援用には長期記憶からの引き出しを用いた様子が窺われる次第です。

「是経」というのは仏教で、つまりは自界他界をも兼含するもので、尽十方界が仏教とも言い得るわけです。これを別の表現態では、「恒沙の仏教は竹篦払子なり」と。つまりは、ガンジスの砂の数ほどの仏教などと抽象的なものではなく、日常底を竹篦払子に喩えるのです。この言い用の主述を入れ換えて「仏教の恒沙は拄杖拳頭なり」と、こちらも仏教という無量底には日常態の調度に根差ざす、を説くのです。

ここでの日々底の仏法が次の『神通』巻に連脈する要因と考えられます。

結論部に於いては、この巻で論じてきた「三乗十二分教等は、仏祖の眼睛なり」と。つまりは、あらゆる要素(三乗十二分教)は真実(仏祖)の具現であることを、このように示され玄沙に対する僧の問いである「三乗十二分教」を蔑ろにし、「祖師西来意」の一言を求める宗風をも諌められた言辞と考えられます。

このように全体に視界を開眼できない者は、どうして「仏祖の児孫」と自称されようか。また、この話頭を取り挙げ(拈来)ない者が、どうして「仏祖の正眼」を単伝できようか。この「正法眼蔵」を体達しない者は「七仏の法嗣」ではない。との厳しい口調で提唱・拈提を締め括られます。