正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵陀羅尼

正法眼蔵第四十九 陀羅尼

參學眼あきらかなるは、正法眼あきらかなり。正法眼あきらかなるゆゑに、參學眼あきらかなることをうるなり。この關捩を正傳すること、必然として大善知識に奉覲するちからなり。これ大因縁なり、これ大陀羅尼なり。いはゆる大善知識は佛祖なり。かならず巾瓶に勤恪すべし。しかあればすなはち、擎茶來、點茶來、心要現成せり、神通現成せり。盥水來、瀉水來、不動著境なり、下面了知なり。佛祖の心要を參學するのみにあらず、心要裏の一兩位の佛祖に相逢するなり。佛祖の神通を受用するのみにあらず、神通裏の七八員の佛祖をえたるなり。これによりて、あらゆる佛祖の神通は、この一束に究盡せり。あらゆる佛祖の心要は、この一拈に究盡せり。このゆゑに、佛祖を奉覲するに、天華天香をもてする、不是にあらざれども、三昧陀羅尼を拈じて奉覲供養する、これ佛祖の兒孫なり。いはゆる大陀羅尼は、人事これなり。人事は大陀羅尼なるがゆゑに、人事の現成に相逢するなり。人事の言は、震旦の言音を依模して、世諦に流通せることひさしといふとも、梵天より相傳せず、西天より相傳せず、佛祖より正傳せり。これ聲色の境界にあらざるなり、威音王佛の前後を論ずることなかれ。その人事は、燒香禮拝なり。あるいは出家の本師、あるいは傳法の本師あり。傳法の本師すなはち出家の本師なるもあり。これらの本師にかならず依止奉覲する、これ咨參の陀羅尼なり。いはゆる時々をすごさず參侍すべし。

陀羅尼はサンスクリット語ダーラニを音訳したもので、特に密教に於いては、咒の一字一字に無量の真義が有るとされ、誦すれば障礙が除かれ、利福が期待されるとされるが、ここで説かれる陀羅尼は、「神通陀羅尼」「人事(挨拶)陀羅尼」「礼拝陀羅尼」等を「陀羅尼」と位置づけるもので、この巻から『洗面』『仏祖』『洗浄』巻に至る提唱は、これまでの形而上的思考から形而下的思案に導くもので、「正法眼蔵」を哲学的論書と把捉する学者には、平常底の調度の振る舞いを語る事に抵抗が有るようで、これらを論じた書評はほとんど目にしない状況ですが、法の真髄は表中裏で有る事の認識が大切なようです。

「参学眼明らかなるは、正法眼明らかなり。正法眼明らかなる故に、参学眼明らかなる事を得るなり。この関捩を正伝する事、必然として大善知識に奉覲する力なり。これ大因縁なり、これ大陀羅尼なり。云わゆる大善知識は仏祖なり。必ず巾瓶に勤恪すべし」

「参学眼は正法眼なり」この一語に当巻の主旨が凝縮されるものですが、文章の構成からすると、「参学眼」↔「正法眼」↔「参学眼」との円環論ですが、その原動力は「大因縁」です。これは『面山述賛』で説く「網珠交影、灯鏡渉光」の如くの世界を云うのであろうが、この事理交錯が「大陀羅尼」と表徴され、そこには必然として「大善知識」と云われる指導者が介在し、それが「仏祖」であり、その大善知識の日常底の調度である「巾瓶」(水瓶と布巾)を携えて大善知識に勤恪する事が、陀羅尼の正体であります。

「しか有れば即ち、擎茶来点茶来、心要現成せり、神通現成せり。盥水来、瀉水来、不動著境なり、下面了知なり。仏祖の心要を参学するのみに非ず、心要裏の一両位の仏祖に相逢するなり。仏祖の神通を受用するのみに非ず、神通裏の七八員の仏祖を得たるなり」

大善知識に接する具体例を「擎(きん)茶来点茶来」と示しますが、擎茶来の出典は『景徳伝灯録』十四・龍潭章(「大正蔵」五一・三一三・中)に於ける龍潭崇信と天皇道悟との「吾未嘗不指示汝心要。師日、何処指示。悟日、汝擎茶来、我為汝接」(吾れ未だ嘗て汝に心要を指示せずんばあらず。師(潭)日く、何の処か指示せる。悟日く、汝茶を擎(ささ)げ来たらば、我れ汝が為に接(う)く)

点茶来の出典は『神通』巻での潙山霊祐・仰山慧寂・香厳智閑による話頭で、当初潙山と仰山との会話に香厳が加わる形です。

「大潙云わく、吾が為に原夢せよ、見ん。仰山一盆の水、一条の手巾を取りて来る。大潙遂に洗面す。洗面し終わりてわづかに坐するに、香厳来る。大潙云わく、われ適来寂子と一上の神通を成す。不同小々なり。香厳云わく、智閑下面に在りて、了々に得知す。大潙云わく、子(なんぢ)試みに道取すべし。香厳即ち一椀の茶を点来す。大潙誉めて云わく、二子の神通智慧、はるかに鶖子・目連よりも勝れたり」

この香厳による「一椀の茶を点来す」が出典と考えられます。ですから擎茶に対し「心要現成」と『景徳伝灯録』の語を添え、点茶来に対しては「神通現成」せりと『神通』巻を引き合いに出されます。

「盥水来」は神通での一盆の水と比定され、「瀉水来」は『真字正法眼蔵』六四則の「瓶中有水」に比定する事により、次に云う「不動著境」も「南泉一日見鄧隠峰来゚遂指浄瓶曰゚浄瓶是境゚瓶中有水゚不得動著境゚与老僧将水来゚峰遂将瓶向南泉面前瀉゚南泉即休」からのもので有り、「下面了知」は先述「神通」の香厳「智閑下面に在りて、了々に得知す」と考えれば、この「擎茶来ー下面了知」は『景徳伝灯録』と『神通』そして『神通』と『真字正法眼蔵』との対比を成す構成と成ります。

この処の趣意は、師と弟子との親密さを云うもので、その一挙手一投足が陀羅尼の本質と説かれます。

「仏祖の心要を参学するのみに非ず、心要裏の一両位の仏祖に相逢するなり。仏祖の神通を受用するのみに非ず、神通裏の七八員の仏祖を得たるなり」

「心要」はこの場合、生活態度と規定し、その仏祖の一場面だけを参学するのではなく、心要の中の様々(一両位)な真実(仏祖)と相逢しなければならない。また同じく、仏祖の日常底(神通)を受用するだけではなく、先程同様、神通の中の様々(七八員)な真実(仏祖)を得る事が出来るのである。この「一両位・七八員」の数字は、仏祖に内包されるものですから有意味性は有りません。

謂う所は、師資相承に於いては全てを委ねる事の大切さを説くものです。

「これによりて、あらゆる仏祖の神通は、この一束に究尽せり。あらゆる仏祖の心要は、この一拈に究尽せり。この故に、仏祖を奉覲するに、天華天香をもてする、不是にあらざれども、三昧陀羅尼を拈じて奉覲供養する、これ仏祖の児孫なり」

このような習慣を通じて、あらゆる仏祖の神通(真実の日常底)を一束にして究尽し、又あらゆる仏祖の心要(真実の心の働き)を一挙に究尽出来るのであり、ですから仏祖と云う真実に奉仕するに、香華を以て供養する事で不足ではないが、絶対帰依の三昧陀羅尼を拈じ、奉覲供養する事は、仏祖の児孫としての務めである。

 

いはゆる大陀羅尼は、人事これなり。人事は大陀羅尼なるがゆゑに、人事の現成に相逢するなり。人事の言は、震旦の言音を依模して、世諦に流通せることひさしといふとも、梵天より相傳せず、西天より相傳せず、佛祖より正傳せり。これ聲色の境界にあらざるなり、威音王佛の前後を論ずることなかれ。その人事は、燒香禮拝なり。あるいは出家の本師、あるいは傳法の本師あり。傳法の本師すなはち出家の本師なるもあり。これらの本師にかならず依止奉覲する、これ咨參の陀羅尼なり。いはゆる時々をすごさず參侍すべし。

「いわゆる大陀羅尼は、人事これなり。人事は大陀羅尼なるが故に、人事の現成に相逢するなり。人事の言は、震旦の言音を依模して、世諦に流通せること久しと云うとも、梵天より相伝せず、西天より相伝せず、仏祖より正伝せり。これ声色の境界に非ざるなり、威音王仏の前後を論ずる事なかれ」

「人事」とは、人間関係に関する所作を云い、ここでは礼拝を云いますから、この礼拝が大陀羅尼と示されるわけで、大陀羅尼の絶対帰依と礼拝が相逢するのである。

人事の言葉は、中国(震旦)の発音(言音)に依拠(依模)して、世間(世諦)に長く流通しているが、天界の梵天からもインドからも相伝されず、ただ仏祖より正伝されたものである。この人事は声色の感覚の世界ではなく、また威音王仏と云う時間を超越した昔を論ずる事でもないのである。

「その人事は、焼香礼拝なり。あるいは出家の本師、あるいは伝法の本師あり。伝法の本師即ち出家の本師なるも有り。これらの本師に必ず依止奉覲する、これ咨参の陀羅尼なり。いわゆる時々を過ごさず参侍すべし」

ここで論じる人事は教養ではなく、「燒香礼拝」の実践徳目である。この燒香礼拝の対象は、善知識である出家の本師であり伝法の本師と二人の場合、もしくは一人の場合も有り得るが、これらの本師に焼香礼拝の人事をするのである。これが咨問参学(問法)の陀羅尼の絶対帰依であり、時を逃さず善知識に参侍すべきである。との眼目である「燒香礼拝の人事」を提示しましたから、次項からその具象態を説かれます。

 

安居のはじめをはり、冬年および月旦月半、さだめて燒香禮拝す。その法は、あるいは粥前、あるいは粥罷をその時節とせり。威儀を具して師の堂に參ず。威儀を具すといふは、袈裟を著し、坐具をもち、鞋襪を整理して、一片の沈箋香等を帶して參ずるなり。師前にいたりて問訊す。侍僧ちなみに香爐を裝し燭をたて、師もしさきより椅子に坐せば、すなはち燒香すべし。師もし帳裏にあらば、すなはち燒香すべし。師もしは臥し、もしは食し、かくのごときの時節ならば、すなはち燒香すべし。師もし地にたちてあらば、請和尚坐と問訊すべし。請和尚穏便とも請ず。あまた請坐の辭あり。和尚を椅子に請じ坐せしめてのちに問訊す。曲躬如法なるべし。問訊しをはりて、香臺の前面にあゆみよりて、帶せる一片香を香爐にたつ。香をたつるには、香あるいは衣襟にさしはさめることあり。あるいは懷中にもてるもあり。あるいは袖裏に帶せることもあり。おのおの人のこころにあり。問訊ののち、香を拈出して、もしかみにつゝみたらば、左手へむかひて肩を轉じて、つゝめる紙をさげて、兩手に香を擎て香爐にたつるなり。すぐにたつべし、かたぶかしむることなかれ。香をたてをはりて、叉手して、右へめぐりてあゆみて、正面にいたりて、和尚にむかひて曲躬如法問訊しをはりて、展坐具禮拝するなり。拝は九拝、あるいは十二拝するなり。拝しをはりて、収坐具して問訊す。あるいは一展坐具禮三拝して、寒暄をのぶることもあり。いまの九拝は寒暄をのべず、たゞ一展三拝を三度あるべきなり。その儀、はるかに七佛よりつたはれるなり。宗旨正傳しきたれり。このゆゑにこの儀をもちゐる。かくのごとくの禮拝、そのときをむかふるごとに癈することなし。そのほか、法益をかうぶるたびごとには禮拝す。因縁を請益せんとするにも禮拝するなり。二祖そのかみ見處を初祖にたてまつりしとき、禮三拝するがごときこれなり。正法眼藏の消息を開演するに三拝す。しるべし、禮拝は正法眼藏なり。正法眼藏は大陀羅尼なり。請益のときの拝は、近來おほく頓一拝をもちゐる。古儀は三拝なり。法益の謝拝、かならずしも九拝十二拝にあらず。あるいは三拝、あるいは觸禮一拝なり。あるいは六拝あり。ともにこれ稽首拝なり。西天にはこれらを最上禮拝となづく。あるいは六拝あり、頭をもて地をたゝく。いはく、額をもて地にあててうつなり、血のいづるまでもす、これにも展坐具せるなり。一拝三拝六拝、ともに額をもて地をたゝくなり。あるいはこれを頓首拝となづく。世俗にもこの拝あるなり。世俗には九品の拝あり。法益のとき、また不住拝あり。いはゆる禮拝してやまざるなり。百千拝までもいたるべし。ともにこれら佛祖の會にもちゐきたれる拝なり。おほよそこれらの拝、たゞ和尚の指揮をまぼりて、その拝を如法にすべし。おほよそ禮拝の住世せるとき、佛法住世す。禮拝もしかくれぬれば、佛法滅するなり。傳法の本師を禮拝することは、時節をえらばず、處所を論ぜず拝するなり。あるいは臥時食時にも拝す、行大小時にも拝す。あるいは牆壁をへだて、あるいは山川をへだてても遥望禮拝するなり。あるいは劫波をへだてて禮拝す、あるいは生死去來をへだてて禮拝す、あるいは菩提涅槃をへだてて禮拝す。弟子小師、しかのごとく種々の拝をいたすといへども、本師和尚は答拝せず。たゞ合掌するのみなり。おのづから奇拝をもちゐることあれども、おぼろけの儀にはもちゐず。かくのごとくの禮拝のとき、かならず北面禮拝するなり。本師和尚は南面して端坐せり。弟子は本師和尚の面前に立地して、おもてを北にして、本師にむかひて本師を拝するなり。これ本儀なり。みづから歸依の正信おこれば、かならず北面の禮拝、そのはじめにおこなはると正傳せり。

これから具体実例を喩えに述べられます。

「安居の初め終わり、冬年および月旦月半、定めて焼香礼拝す。その法は、或いは粥前、或いは粥罷をその時節とせり。威儀を具して師の堂に参ず。威儀を具すと云うは、袈裟を著し、坐具を持ち、鞋襪を整理して、一片の沈箋香等を帯して参ずるなり」

文意のままに解せられますから、難解と思われる語句のみの解釈に留める。

「冬年」は結夏・解夏冬至・年朝・四節の冬至と年朝と解すれば、安居の初め終わりも結夏と解夏に該当されます。

「月旦月半」は一日と十五日。「袈裟を著し、坐具を持ち、鞋襪」とは著襪子・搭袈裟を云う。「一片の沈箋香」は沈香・箋香の木片を指し、沈香は水中に沈む香木で最上等品で、箋香は沈香に次ぐ名香になります。

「師前に至りて問訊す。侍僧因みに香炉を裝し燭を立て、師もし先より椅子に坐せば、即ち焼香すべし。師もし帳裏に有らば、即ち焼香すべし。師もしは臥し、もしは食し、かくの如きの時節ならば、即ち焼香すべし。師もし地に立ちて有らば、請和尚坐と問訊すべし。請和尚穏便とも請ず。あまた請坐の辞あり。和尚を椅子に請じ坐せしめて後に問訊す。曲躬如法なるべし」

「問訊」は掌を合わせ、体を曲げて頭を低く垂れる敬礼の一種。「侍僧」は侍者の意で住持に仕える僧。「帳裏」はみすが垂れた室内。

「問訊し終りて、香台の前面に歩み寄りて、帯せる一片香を香炉に立つ。香を立つるには、香或いは衣襟に差し挟める事あり。或いは懷中に持てるも有り。或いは袖裏に帯せる事も有り。おのおの人の心に有り。問訊の後、香を拈出して、もし紙に包みたらば、左手へ向かいて肩を転じて、包める紙を提げて、両手に香を擎て香炉に立つるなり。すぐに立つべし、傾ぶかしむる事なかれ。香を立て終りて、叉手して、右へ巡りて歩みて、正面に到りて、和尚に向いて曲躬如法問訊し終りて、展坐具礼拝するなり」

ここで疑問に思う事が、「一片香を香炉に立つ」「すぐに立つべし」「香を立て終りて」と小片香を垂直に真っ直ぐに立てる事に念を置くことで、線香なら垂直に立てるにしても灰に立てるので多少時間を要しても可能だが、香炉には予め火種が有るので真っ直ぐに立てる事に固執すると、肝腎の礼拝が散漫に成り兼ねない恐れがある。

「拝は九拝、或いは十二拝するなり。拝し終りて、収坐具して問訊す。或いは一展坐具礼三拝して、寒暄を述ぶる事もあり。今の九拝は寒暄を述べず、ただ一展三拝を三度あるべきなり。その儀、遙かに七仏より伝われるなり。宗旨正伝し来たれり。この故にこの儀を用いる」

「寒暄(かんけん)」の暄は暖かいの意で、日常の寒い暑いの挨拶ことばであるが、中国語では「寒冷的天気」と表し、「お寒うございます」の意になる。「一展三拝を三度」とは展坐具礼三拝し収坐具し、さらに展坐具礼三拝を九拝とし、十二拝の時には更に三拝を加える。

「かくの如く拝、その時を迎うる毎に廃する事なし。そのほか、法益を蒙ぶるたび毎には礼拝す。因縁を請益せんとするにも礼拝するなり。二祖そのかみ見処を初祖に奉りし時、礼三拝するが如きこれなり。正法眼蔵の消息を開演するに三拝す」

法益」は、仏法の利益を清浄海衆に薫習せしめるもので、仏祖録等の提唱を指す。「請益」元来は儒教からの転用語で、学人が宗師家に教示を請い、自己を益すること。「二祖そのかみ見処を初祖に」は達磨と弟子との皮肉骨髄話であり、二祖(慧可)が「礼三拝後、依位而立」すると、初祖(達磨)が「汝得吾随」と云った故事潭によるもの。「正法眼蔵の消息開演」とは請益した事である。

「知るべし、礼拝は正法眼蔵なり。正法眼蔵は大陀羅尼なり。請益の時の拝は、近来多く頓一拝を用いる。古儀は三拝なり。法益の謝拝、必ずしも九拝十二拝にあらず。或いは三拝、或いは触礼一拝なり。或いは六拝あり。ともにこれ稽首拝なり。西天にはこれらを最上礼拝と名づく。或いは六拝あり、頭をもて地を叩く。いわく、額をもて地に当てて打つなり、血の出づるまでもす、これにも展坐具せるなり。一拝三拝六拝、ともに額をもて地を叩くなり。或いはこれを頓首拝と名づく。世俗にもこの拝あるなり。世俗には九品の拝あり」

「礼拝は正法眼蔵なり。正法眼蔵は大陀羅尼なり」とは、礼拝ー正法眼蔵ー大陀羅尼の一実態を云うもので、真実を表徴するには礼拝の実践が不可欠との言い回しです。「頓一拝」とは触礼(頭を坐具上に打ちつけて一拝する事)のこと。「稽首拝」は頭を地につけて敬礼する御拝。筆者宝慶寺に在する時の北野良道和尚の拝は、叩頭拝であった事が思い出される。「世俗には九品の拝」は『周礼』六官の一つ「春官」の言に、稽首・頓首・空首振動・吉拝・凶拝・奇拝・褒拝・粛拝の九品を挙ぐ。

法益の時、また不住拝あり。いわゆる礼拝して止まざるなり。百千拝までも到るべし。共にこれら仏祖の会に用い来たれる拝なり。おおよそこれらの拝、ただ和尚の指揮を守りて、その拝を如法にすべし。おおよそ礼拝の住世せる時、仏法住世す。礼拝もし隠れぬれば、仏法滅するなり」

「不住拝」とは、住持(職)が居ない時でも、他の人が法益する時に、不住拝を行う。

「礼拝の住世せる時、仏法住世す」とは、仏法(教)の実践性を云う。

「伝法の本師を礼拝する事は、時節を択ばず、処所を論ぜず拝するなり。或いは臥時食時にも拝す、行大小時にも拝す。或いは牆壁を隔て、或いは山川を隔てても遥望礼拝するなり。或いは劫波を隔てて礼拝す、或いは生死去来を隔てて礼拝す、或いは菩提涅槃を隔てて礼拝す」

「伝法の本師を礼拝」とは、嗣法した本師に対しては、以下時と所を勘案せず礼拝しなさいと。「行大小時」は大小便のとき。

「弟子小師、しかの如く種々の拝をい到すと云えども、本師和尚は答拝せず。ただ合掌するのみなり。おのづから奇拝を用いる事あれども、おぼろけの儀には用いず。かくの如くの礼拝の時、必ず北面礼拝するなり。本師和尚は南面して端坐せり。弟子は本師和尚の面前に立地して、面を北にして、本師に向かいて本師を拝するなり。これ本儀なり。みづから帰依の正信起これば、必ず北面の礼拝、その始めに行わると正伝せり」

「奇拝」は一拝だけの礼拝ですが、『聞書』では「伝法の時の拝歟」とする。「南面北面」は磁気的な南北ではなく、師に向かう方角が南になり、逆に師に向かう方角が北になる。

 

このゆゑに、世尊の在日に、歸佛の人衆天衆龍衆、ともに北面にして世尊を恭敬禮拝したてまつる。最初には、阿若憍陳如〈亦名拘隣〉阿濕卑〈亦名阿陛〉摩訶摩南〈亦名摩訶拘利〉婆提〈亦曰跋提〉婆敷〈亦名十力迦葉〉この五人のともがら、如來成道ののち、おぼえずして起立し、如來にむかひたてまつりて、北面の禮拝を供養したてまつる。外道魔黨、すでに邪をすてて歸佛するときは、必定して自搆佗搆せざれども、北面禮拝するなり。それよりこのかた、西天二十八代、東土の諸代の祖師の會にきたりて正法に歸する、みなおのづから北面の禮拝するなり。これ正法の肯然なり、師弟の搆意にあらず。これすなはち大陀羅尼なり。有大陀羅尼、名爲圓覺。有大陀羅尼、名爲人事。有大陀羅尼、現成禮拝なり。有大陀羅尼、其名袈裟なり。有大陀羅尼、是名正法眼藏なり。これを誦呪して盡大地を鎭護しきたる、盡方界を鎭成しきたる、盡時界を鎭現しきたる、盡佛界を鎭作しきたる、菴中菴外を鎭通しきたる。大陀羅尼かくのごとくなると參學究辦すべきなり。一切の陀羅尼は、この陀羅尼を字母とせり。この陀羅尼の眷屬として、一切の陀羅尼は現成せり。一切の佛祖、かならずこの陀羅尼門より發心辦道、成道轉法輪あるなり。

この五比丘の話は、釈尊の実父である浄飯王がシッダルダの元に遣わして共に苦行し、ゴータマは苦行林を去り悟りを開くが、五比丘は当初釈尊を拒絶したが、ブッダの威風堂々たる姿に、思わず合掌帰依し最初の弟子と成ったという話を拈じられます。五比丘の梵語名は阿若憍陳如(コンダンニャ)阿湿卑(アッサジ)摩訶摩南(マハーナーマン)婆提(バッデイヤ)婆敷(ヴァッパ)となります。「必定して自搆他搆せざれども」とは、知らず知らずの間にとの意で、釈尊の仏徳が薫習して五人に伝風されたとでも云うべき現象です。

「それよりこのかた、西天二十八代、東土の諸代の祖師の会に来たりて正法に帰する、皆おのづから北面の礼拝するなり。これ正法の肯然なり、師弟の搆意にあらず。これ即ち大陀羅尼なり。有大陀羅尼、名為円覚。有大陀羅尼、名為人事。有大陀羅尼、現成礼拝なり。有大陀羅尼、其名袈裟なり。有大陀羅尼、是名正法眼蔵なり」

釈尊と五比丘による帰仏礼拝から、印度で二十八代そして震旦東土に正法が伝来された事実を「大陀羅尼」とし、『大方広円覚修多羅了義経』略して『円覚経』(「大正蔵」一七・八四二・中)の「無上法王有陀羅尼門、名為円覚」から借用し、「有大陀羅尼、名為人事・現成礼拝・其名袈裟」は『円覚経』に仮託した造語であり、以上礼拝に聯関する事象事物を「正法眼蔵」と称すると。

「これを誦呪して尽大地を鎮護し来たる、尽方界を鎮成し来たる、尽時界を鎮現し来たる、尽仏界を鎮作し来たる、菴中菴外を鎮通し来たる。大陀羅尼かくの如くなると参学究辦すべきなり。一切の陀羅尼は、この陀羅尼を字母とせり。この陀羅尼の眷属として、一切の陀羅尼は現成せり。一切の仏祖、必ずこの陀羅尼門より発心辦道、成道転法輪あるなり」

「これを誦呪して」とありますが、前述に説かれる大陀羅尼つまり礼拝の実践が誦呪と成るもので、その礼拝現成が宇宙と地続きになる事実を「尽大地を鎮護」と言ったり、「尽方界を鎮成」と表現したり、「尽時界を鎮現」と言じたり、「尽仏界を鎮作」と表現に差異化を与え、如何用にも適来し得る労する跡が見られ、「菴中菴外」(どこもかしこも)を鎮通との大陀羅尼の一元化を提示するわけです。

大陀羅尼は前述の如く尽十方界に遍満する事実を参究すべきであり、一切の陀羅尼(真実)は、この(大)陀羅尼を字母(根幹)とする。この(大)陀羅尼の眷属(従僕)として、一切の陀羅尼(事物・事象)は現成していたり、一切の仏祖はこの(大)陀羅尼門なりより、「発心・辦道・成道・転法輪」の日々底が有るのである。と大陀羅尼と陀羅尼の関係性を、この数行で説き明かされるものです。

しかあれば、すでに佛祖の兒孫なり、この陀羅尼を審細に參究すべきなり。おほよそ爲釋迦牟尼佛衣之所覆は、爲十方一切佛祖衣之所覆なり。爲釋迦牟尼佛衣之所覆は、爲袈裟之所覆なり。袈裟は標幟の佛衆なり。この辦肯、難値難遇なり。まれに邊地の人身をうけて、愚蒙なりといへども、宿殖陀羅尼の善根力現成して、釋迦牟尼佛の法にむまれあふ。たとひ百草のほとりに自成佗成の諸佛祖を禮拝すとも、これ釋迦牟尼佛の成道なり。釋迦牟尼佛の辦道功夫なり。陀羅尼神變なり。たとひ無量億千劫に古佛今佛を禮拝する、これ釋迦牟尼佛衣之所覆時節なり。ひとたび袈裟を身體におほふは、すでにこれ得釋迦牟尼佛之身肉手足、頭目髓腦、光明轉法輪なり。かくのごとくして袈裟を著するなり。これは現成著袈裟功徳なり。これを保任し、これを好樂して、ときとともに守護し搭著して、禮拝供養釋迦牟尼佛したてまつるなり。このなかにいく三阿僧祇劫の修行をも辦肯究盡するなり。釋迦牟尼佛を禮拝したてまつり、供養したてまつるといふは、あるいは傳法の本師を禮拝し供養し、剃髪の本師を禮拝し供養するなり。これすなはち見釋迦牟尼佛なり。以法供養釋迦牟尼佛なり。陀羅尼をもて釋迦牟尼佛を供養したてまつるなり。先師天童古佛しめすにいはく、あるいはゆきのうへにきたりて禮拝し、あるいは糠のなかにありて禮拝する、勝躅なり、先蹤なり、大陀羅尼なり。

「しか有れば、すでに仏祖の児孫なり、この陀羅尼を審細に参究すべきなり。おおよそ為釈迦牟尼仏衣之所覆は、為十方一切仏祖衣之所覆なり。為釈迦牟尼仏衣之所覆は、為袈裟之所覆なり。袈裟は標幟の仏衆なり」

仏祖の児孫と自認するなら、前述から説き続ける陀羅尼に内包される真実を、審細に参究すべきである。ここで唐突に釈迦牟尼と袈裟の事が提示されているようにも見られますが、先述の大陀羅尼を指示する項に「有大陀羅尼、其名袈裟なり」が伏線となり、「釈迦牟尼仏衣の覆う所は、袈裟の覆う所であり、その袈裟は仏徒衆の標幟である」と、礼拝(陀羅尼)の調度品を例示にしての提唱です。

「この辦肯、難値難遇なり。稀に辺地の人身を受けて、愚蒙なりと云えども、宿殖陀羅尼の善根力現成して、釈迦牟尼仏の法に生まれ合う。たとい百草のほとりに自成他成の諸仏祖を礼拝すとも、これ釈迦牟尼仏の成道なり。釈迦牟尼仏の辦道功夫なり。陀羅尼神変なり。たとい無量億千劫に古仏今仏を礼拝する、これ釈迦牟尼仏衣之所覆時節なり」

「この辦肯」とは袈裟之所覆を言い、その袈裟に巡り合う事自体を「難値難遇」と言われます。「辺地」である日本で人間界に生を受けて、愚蒙と云いながらも宿殖陀羅尼(般若)の善根力が現成して仏法に出逢えると。「(明明)百草」の到る処で、自他(成)の諸の仏祖を礼拝しようが、すべて釈迦牟尼仏の成道・辦道功夫であり、陀羅尼に変じて在るのである。

ここで扱う「無量億千劫」は過去から未来永劫に続く時間のカルパ(劫)を説明しているのではなく、現在つまり而今が無量を包蓄し、それに古今仏を礼拝と位置づけ、同時に釈迦牟尼仏衣の袈裟著体と認得するものなのです。

「ひと度袈裟を身体に覆うは、すでにこれ得釈迦牟尼仏之身肉手足、頭目随脳、光明転法輪なり。かくの如くして袈裟を著するなり。これは現成著袈裟功徳なり。これを保任し、これを好楽して、時と共に守護し搭著して、礼拝供養釈迦牟尼仏し奉るなり。この中に幾三阿僧祇劫の修行をも辦肯究尽するなり」

袈裟を著すると同時に、肉身的釈尊法身釈尊に帰一出来る根拠は、袈裟に対する信仰以外には有り得ません。ご自身で手縫いの如法衣を塔著する事実が、これらの文書や『伝衣』『袈裟功徳』巻執筆に連なったものと思われます。また「三阿僧祇劫の修行をも辦肯究尽」とは、先程の無量億千劫と同じ意味ですから、而今の現じる修行つまり坐禅なら只管の坐禅・語録参究なら只管の参究と云うように、無所得の見返り無しの行実を云います。

釈迦牟尼仏を礼拝し奉り、供養し奉ると云うは、或いは伝法の本師を礼拝し供養し、剃髪の本師を礼拝し供養するなり。これ即ち見釈迦牟尼仏なり。以法供養釈迦牟尼仏なり。陀羅尼をもて釈迦牟尼仏を供養し奉るなり」

釈迦牟尼仏を礼拝と云っても、鋳造仏・木造仏を対象にするのではなく、生き仏である伝法の師や受業師を拝する事は、即釈迦牟尼仏の供養で有ると説かれますが、ここまで説いて来たのですから、「常不軽菩薩」の如く、全人類を師として拝すべきなり。との一言が望まれるものです。

「先師天童古仏示すに云わく、或いは雪の上に来たりて礼拝し、或いは糠の中に有りて礼拝する、勝躅なり、先蹤なり、大陀羅尼なり」

最後に慧可の達磨に対する雪上での礼拝、また慧能の米つき作務自体が礼拝で有ったと云う如浄和尚の言葉で以て、この巻を締め括られます。