正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵眼睛

正法眼蔵第五十八 眼睛

億千萬劫の參學を拈來して團せしむるは、八萬四千の眼睛なり。

今回の提唱はほとんどが『如浄語録』からの引用で「眼睛」を参究されるわけですが、冒頭に此語で以て、「億千万劫」という無限数をして団欒(円満成就)とするは八万四千の眼晴(ひとみ)であると読解するのは誤りで、「億千万劫」・「八万四千」も共に眼睛とみなす。

 

先師天童古佛、住瑞巖時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。瑞巖點瞎重相見。棒喝交馳験衲僧。

いま衲僧を験すといふは、古佛なりやと験するなり。その要機は、棒喝の交馳せしむるなり、これを點瞎とす。恁麼の見成活計は眼睛なり。山河大地、これ眼睛露の朕兆不打なり。秋風清なり、一老なり。秋月明なり、一不老なり。秋風清なる、四大海も比すべきにあらず。秋月明なる、千日月よりもあきらかなり。清明は眼睛なる山河大地なり。衲僧は佛祖なり。大悟をえらばず、不悟をえらばず、朕兆前悟をえらばず、眼睛なるは佛祖なり。験は眼睛露なり。瞎現成なり、活眼睛なり。相見は相逢なり。相逢相見は眼頭尖なり、眼睛霹靂なり。おほよそ渾身はおほきに、渾眼はちひさかるべしとおもふことなかれ。往々に老々大々なりとおもふも、渾身大なり、渾眼少なりと解會せり。これ未具眼睛のゆゑなり。

ここでの本則は『如浄語録』・明州瑞巌録からの典籍引用ですが、示衆年時は嘉定十六(1223)年七月・八月・九月(秋)いづれかの時節と思われますが、この瑞巌寺在住はわづか一年で、次に住持する浄慈寺も同程です。「瑞巌語録」からの本則転用は前提唱の『見仏』巻・続いて提唱される『家常』巻でも本則として使用されます。

上堂示衆の読みは「秋風清く、秋月明らけし。大地山河は眼睛を露(あらわ)す。瑞巌点瞎して重ねて相見す。棒喝交馳して衲僧を験す」と読みます。

「いま衲僧を験すといふは、古仏なりやと験するなり。その要機は棒喝の交馳せしむるなり、これを点瞎とす。恁麼の見成活計は眼晴なり。

衲僧(禅僧の通称)を験(ため)すと云う事は古仏(仏の尊称)を験す。とは自身(自己)が古仏を証する・修するという意味合いで、その(験す)要機(かなめのはたらき)は棒喝という交馳(接得)であり、こういった棒喝の接化法をよく眺めて見る事を点瞎と云い、これらの現れが眼睛である。

「山河大地これ眼晴露の朕兆不打なり。秋風清なり一老なり。秋月明なり一不老なり。秋風清なる四大海も比すべきにあらず。秋月明なる千日月よりもあきらかなり。清明は眼晴なる山河大地なり」

「山河大地」とは大自然で、これ(山河大地)は「眼睛露」目の前に露わになっていて、「朕兆不打」(朕兆以前と同義)所謂、本来面目の状態であると。その大自然の情景を秋時上堂である為「秋風清」・「秋月明」と云うのであり、「一老一不老」の老は変わらない意で、老不老も大悟・不悟と同程で同義程語として取り扱ってよく、表と裏との関係を述べたものです。

「秋風清なる四大海も比すべき」

秋風清も四大海(須弥山の四方にある大海)も共に大自然ではあるが、甲乙・主客と云う比較する対象ではなく、同様に秋月の明と千の日月は比較にならぬとの事で、その秋風の「清」・秋月の「明」は単独では云い得ず、「山河」があってこそ清は成り立ち「大地」があってこそ明の影印を写し得るもので、ここでは「眼睛」を説いているわけですから、「眼睛なる山河大地」と云うわけです。

「衲僧は仏祖なり、大悟をえらばず、不悟をえらばず。朕兆前悟をえらばず、眼睛なるは仏祖なり」

「衲僧」とは先程は禅僧の総称と注釈を付加しましたが、具体的には坐禅修行(無所得・無所悟)する参学人を云うのであり、そういう学人を「仏祖」と呼ばしめ、そこ(坐禅修行)では無所得・無所悟ですから、大悟不悟を選択する余地など有りようもありません。さらに先の朕兆不打に懸けての「朕兆前悟」をえらばずとし、先項同様「眼睛は仏祖」との提唱で、眼睛=衲僧=仏祖=坐禅人と云う論理が提言されたわけです。

「験は眼睛露なり。瞎現成なり、活眼睛なり。相見僧は相逢なり。相逢相見は眼頭尖なり、眼睛霹靂なり」

ここでは衲僧を験すの「験」と、点瞎を重ねての「相見」に対する拈提ですが、この場合の「験」はためすではなく実践する事の「験」です。観念的「験」ではなく「眼睛露」と云った眼前に露わになった事物を指し、その具現的事象として「瞎」と「活」の対比語を用いた文言です。「相見」については相い逢うことであり、その時には眼頭(めじり)は尖(ほそ)く眼睛(ひとみ)は霹靂(いなびかり)なりと、文学的修辞をされます。

「おほよそ渾身はおほきに、渾眼はちひさかるべしとおもふことなかれ。往々に老老大大なりとおもふも、渾身大なり、渾眼小なりと解会せり、これ未具眼睛のゆゑなり」

外見的に身体全体と体の一部である眼を比較対照するに一目瞭然に大小に分別されるが、これまでの拈提に見えるように、学仏者は仏法的「解会」でなければ「眼睛未具」との提言です。

 

洞山悟本大師、在雲巖會時、遇雲巖作鞋次、師白雲巖曰、就和尚乞眼睛。雲巖曰、汝底與阿誰去也。師曰、某甲無。雲巖曰、有汝向什麼處著。師無語。雲巖曰、乞眼睛底、是眼睛否。師曰、非眼睛。雲巖咄之。

しかあればすなはち、全彰の參學は乞眼睛なり。雲堂に辦道し、法堂に上參し、寝堂に入室する、乞眼睛なり。おほよそ隨衆參去、隨衆參來、おのれづからの乞眼睛なり。眼睛は自己にあらず、佗己にあらざる道理あきらかなり。

いはく、洞山すでに就師乞眼睛の請益あり。はかりしりぬ、自己ならんは、人に乞請せらるべからず。佗己ならんは、人に乞請すべからず。

まづ本則の読みは

洞山悟本大師(807―869)、雲厳(782―841)の会に在りし時、雲厳の作鞋(さあい)に遇う次でに、

師(洞山良介)、雲厳に白して日く、和尚に就いて眼晴を乞わん。

雲厳日く、汝底(你の眼睛)は阿誰(だれ)に与え去るか。

師日く、某甲無(わたしのは無い)。

雲厳日く、有れば汝は什麼処(どこ)に向かって著(つ)けん。

師、無語。

雲厳日く、乞眼睛底(眼晴を乞う)は、是眼睛否(これ眼睛なりや否や)。

師日く、非眼睛(非の眼晴)

雲厳咄之(雲厳これ(非眼睛)を咄(ゆる)す。

「しかあればすなはち、全彰の参学は乞眼睛なり」

「全彰」とは、すべてがあらわれた状態を云うもので、冒頭でも言われたように「億千万劫の参学を拈来することが、八万四千の眼睛」と同程の言です。

「雲堂に辨道し、法堂に上参し、寝堂に入室する、乞眼睛なり」

先の八万四千眼睛の具体的事例を「雲堂・法堂・寝堂」に辨道する形態を「乞眼睛」との拈提です。

「おほよそ隋衆参去、隋衆参来、おのれづからの乞眼睛なり」

同じように、大衆と共に群を抜けて益なしの如くに修行(叢林生活)する事が同じく眼睛そのものだと。

「眼睛は自己にあらず、他己にあらざる道理あきらかなり」

眼睛は八万四千つまり尽十方界全彰の事象を云うわけですから、「自己・他己」といった限定的範疇ではないわけです。

「いはく洞山すでに就師乞眼晴の請益あり。はかりしりぬ、自己ならんは、人に乞請せらるべからず、他己ならんは、人に乞請すべからず」

「請益」とは学人が師家に教示を請い自己を益すとの意ですが、先にも説くように自他の領域を取り除いて「眼睛」は現出されるわけですから、このような「人に乞請(おねがいする)すべからず」の文体へと導く提唱です。

汝底与誰去と指示す、汝底の時節あり、与誰の処分あり。

「汝底与誰去也」の読みを、「なんじてい(汝底)はよすいこ(与誰去)なり(也)と棒読みにて解釈しますから、拈提では「汝底の時節あり」との注釈です。この場合の「時節」は「こと」と解釈し、汝底の法界を尽くす時節(こと)」があり、「与誰の処分あり」の「与誰」は「だれに・だれと」の意ですが、この場合は不特定多数を指示し、「だれに・だれと」とは解せずに「誰にも与と云うことにも、あたえずと云う理屈にも通ずる」・「人を置いて彼・彼女を指して云うにはあらず」(『御抄』)と指示される。つまり何を云わんとするかは、「汝」も「誰」も特定人を指示するのではなく、八万四千の如く全てを「汝」・「誰」と受け取れとのことです。

 

某甲無。これ眼睛の自道取なり。かくのごとくの道現成、しづかに究理参学すべし。

いま一度、本則と拈提との関係を見てみると、本則では洞山が雲巌に眼睛をください。と云うのを、拈提では八万四千の般若の眼晴を修行させてくれと解し、次に本則は自分の眼睛は誰に与えたか。との拈提では汝は尽十方界の真実そのままと説かれ、今回の「某甲無」に対する拈提です。

本則の解釈は某甲(それがし)にはまだ正法眼は具わっていない。ですがこの場合の無は無量無辺の無で億千万劫を表徴する無です。「これ眼睛の自道取」とは無の表現としての自己表現、「かくのごとくの道現成」とは、このような道(ことば)が出てきた事を「しづかに究理参学」しなさいとの言です。

 

雲巌いはく有向什麽処著この道眼睛は、某甲無の無は有向什麽処著なり。向什麽処著は有なり。その恁麽道なりと参究すべし。

この本則の典拠は『景徳伝灯録』・十四・雲巌章だと思われますが、そこには「設」の語があり、本来は「もしあったらどこにつけるか」となりますが、ここでの拈提では洞山が云った「無」であるから、「有は向什麽処著」なりとの解釈ですが、有と無は対立的関係ではなく絶対有・絶対無と云ったものです。什麽(どこ)も恁麽(このような・このように)も、特定な場所・物を指示するわけではないですから、尽十方という概念にも通底する真実(恁麽)という事を参究せよとの言です。

 

洞山無語。これ茫然にあらず。業識独竪の標的なり。

ここでの洞山は何も云えなかったのではなく、この「無語」という表現(標的)を云うのです。

 

雲巌為示するにいはく、乞眼睛底、是眼睛否。これ点瞎眼睛の節目なり、活砕眼睛なり。

雲巌が云う「眼睛」の意味合いは、ただ単に身体の一部を云うのではなく、尽十方界眼睛又は全眼睛的意味合いを云いますから、「眼睛否」と云うわけです。これに対しての拈語を「点瞎眼睛」・「活砕眼睛」と説かれます。点瞎とは前にも云ったように、片目で凝視して精度を増して、針の穴に糸を通すような状態のことで、このように眼睛(真実)を見極めることで、「活砕」とは、粉々に砕くことで、真実である眼睛は持ち出すことは出来ないために「点瞎」とは対比的に「活砕」と表現されたものです。

 

いはゆる雲巌道の宗旨は、眼睛乞眼睛なり。水引水なり、山連山なり。異類中行なり、同類中生なり。

前段に於ける「乞眼睛底、是眼睛否」をいま一度念押しで云うと、眼睛(真実)は乞眼睛と云うことである。「乞眼睛」とは、本則の後に云う処の「全彰の参学」・「隋衆参去、隋衆参来」等を指示するわけです。水は水を引き(水引水)山は山を連ねる(山連山)ことは、異類とも同類とも受け取る事が出来ますから「異類中行」・「同類中生」と云ったものです。

因みに異類中行の意は、「発願利生の菩薩が成仏して後、涅槃に安住せず六道輪廻に身を入れ、一切有情を済度すること」(『禅学大辞典』・大修館書店)とあり、「中行」・「中生」とは断常・有無・苦楽などの二項分立を離れた不偏中正道を云うものであり、決して有でもなく無でもないと云うわけではありません。

 

洞山いはく、非眼睛。これ眼睛の自挙唱なり。非眼睛の身心慮知、形段あらんところをば、自挙の活眼睛なりと相見すべきなり。

本則での洞山の最後の言葉の「非眼睛」は眼睛に非ずではなく、「不思量」・「非思量」」で説く冠頭詞と同様、絶対的価値を云い表すことばで、「これ眼睛の自挙唱」と云うように「これ」とは非眼睛を指示しますから、非眼睛は眼睛と自ら挙唱と云う事ですから、「非」=「眼睛」が成立し「自挙の活眼睛と相見」と云う論理から、さらに「非」=「眼睛」=「活」と云うロジックが導き出され、その表象として「身心」・「慮知」とした形で現出されるとの拈提です。

 

三世諸仏は、眼睛の転大法輪、説大法輪を立地聴しきたれり。

この拈提は『行仏威儀』巻・『真字正法眼蔵』・下・八八則の話頭「雪峰示衆云、三世諸仏、在火炎裏転大法輪。玄沙云、火炎為三世諸仏説法、三世諸仏立地聴」の「火炎裏」を「眼晴」と入れ換えたもので、これまでの説き方でもわかるように、法輪を転ず・法輪を説くとは読まず、転は大法輪・説は大法輪ですから、「眼睛」(真実)=「転」=「大法輪」はこれまでと同じ思考法で、「立地聴」・立って素直に「真実」と向き合うという意味合いです。

 

畢竟じて参究する堂奥には、眼睛裏に跳入して、発心修行、証大菩提するなり。この眼睛、もとよりこのかた、自己にあらず、他己にあらず。もろもろの罣礙なきがゆゑに、かくのごとくの大事も罣礙あらざるなり。

この段は比較的平易な文体で、とどのつまりは眼睛(真実)の裏(なか)では発心や修行ならびに証大菩提と云うように、真実の姿として表出し、そこでは自己や他己・罣礙と云った差し障り等の区分はなく全てが「眼睛」そのままという提唱で、洞山の本則による拈提は終わらせます。

 

このゆゑに、古先いはく、奇哉十方仏、元是眼中花。いはゆる十方仏は眼睛なり。眼中花は十方仏なり。いまの進歩退歩する、打坐打睡する、しかしながら眼睛づからの力を承嗣して恁麽なり、眼睛裡の把定放行なり。

ここに云う古先とは、瑯琊山広照大師つまり臨済法脈の瑯琊慧覚のことで、『空華』巻(寛元元(1243)年三月十日興聖寺示衆)にてすでに提唱拈提されています。

「十方」とは全ての意で、「仏」は真実と訳すと、それがそのまま「眼睛」と云われ、「眼中花」は今でいう飛蚊症の事で正常ではない状態(病気)を指しますが、この法座では「眼中花」も尽十方から漏れ出る事はないので、「十方仏」という真実の一員です。今現在の「進歩退歩」・「打坐打睡」つまり日常底は一切合切(しかしながら)が眼睛(真実)づから(自身)の連続性が、このように進歩退歩(行ったり来たり)や打坐打睡(坐ったり起きたり)の裡(うち)での「把定放行」(つかんだり、はなしたり)との提唱でしたが、唐突にこの話頭が挿入された感が拭えず、意図がはっきりわかりません。

 

先師古仏いはく、抉出達磨眼睛、作泥彈子打人。高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高。

これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人といふは、作人といはんがごとし。打のゆゑに、人人は箇々の面目あり。たとへば、達磨の眼睛にて人人をつくれりといふなり。つくれるなり。その打人の道理かくのごとし。

この本則は『如浄語録』・上・清涼寺語録からの引用で、晋山に臨んでの法語だと思われます。

読みは「達磨の眼晴を快出(えぐりだす)し、泥の弾子(たま)と作し打人とす。高声に云う、著(看)。海枯れて徹底して過ぐり、波浪は天を拍(たたく)ち高し」(打人の「打」は打坐・打睡と同じくそれぞれを強調する接頭語で打つの意味なし。また原文では「著」ではなく「看」になる)

「これは清凉寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば打人といふは、作人といはんがごとし」

ここに云う「清凉寺の方丈」とは如浄のことであるが、普段道元禅師は尊称で以て「浄和尚」・「天童古仏」等と言い表すが、ここでは「方丈」と親しみの込めた話しかけであるが、語録には「踞方丈」と方丈に座り込んでの法語である為に「清凉寺の方丈」という拈語にしたのでしょうか。

「打」の意味は先ほど説明したように、打は叩くの意ではありませんから、「作人と云わんが如し」と言われたのでしょう。こう云った処に接化に対する態度が汲み取れます。

「打のゆゑに人々は箇箇の面目あり。たとへば達磨の眼睛にて人々をつくれりといふなり、つくれるなり。その打人の道理かくのごとし」

「打」は決して補助語ではなく、打という作用があってこそ、はじめて個々人の面目が現れる。例えて云うならば達磨から快(えぐ)り出した眼睛で人々を作れりといふなりと、第三者的もの云いを作るなり。とは原稿読みではなく臨場感ある語調である。

この「打人」の拈提は次段に続きます。

 

眼睛にて打生せる人人なるがゆゑに、いま雲堂打人の拳頭、法堂打人の杖、方丈打人の竹篦拂子、すなはち達磨眼睛なり。達磨眼睛を抉出しきたりて、泥彈子につくりて打人するは、いまの人、これを參請請益朝上朝參打坐功夫とらいふなり。打著什麼人。いはく、海枯徹底、浪高拍天なり。

「打人」のそれぞれを雲堂(僧堂)の拳頭・法堂の拄杖・方丈の払子と区分しているようですが、達磨の皮肉骨髄と同じく、主客を述べるものではなく、これら日常底が「達磨の眼睛」と云った真実を象徴したフレ―ズに置き換えての「打人」に対する拈語です。

「達磨眼睛を快出しきたりて、泥弾子につくりて打人するは、いまの人、これを参請請益・朝上朝参・打坐功夫とらいふなり。打著什麽人・いはく、海枯徹底、浪高拍天なり」

ここで始めの本則の拈提に入り、「達磨眼睛を快出しきたりて、泥弾子につくりて打人する」を今の人(留学時の宋人、又は興聖寺・越前での参学人)は、請益(学人が宗師家に教示を請い、自己を益すること)・朝参(早晨の小参)・打坐功夫と(ら)云ふが、打著什麽人(だれを打著)と問われれば、「海枯徹底、浪高拍天」と無限の喩えを以て「什麽人」だれもが「打著」大自然の一員なりと説く拈提です。

 

先師古佛上堂、讚歎如來成道云、

六年落草野狐精  跳出渾身是葛藤

打失眼睛無處覓  誑人剛道悟明星

その明星にさとるといふは、打失眼睛の正當恁麼時の旁觀人話なり。これ渾身の葛藤なり、ゆゑに容易跳出なり。覓處覓は、現成をも無處覓す、未現成にも無處覓なり。

この本則は『如浄語録』・上・清凉寺語録の臘八上堂を典拠とします。読みは、

「六年の落草は野狐精、跳出は渾身なり是れ葛藤。

打失眼睛は覓(もと)むべき処なし、

誑人は剛(まさ)に道(い)う明星にさとると」となります。

「明星にさとるといふは、打失眼睛の正当恁麽時の旁観人話なり」

釈迦が坐禅のあとの明星を見て悟ったと云うのは、旁観人(第三者)の話で、これ(悟明星)渾身(真実人体)の葛藤(四六時中の動く様・努力)なり。ゆゑに(ですから)容易跳出と只管打坐の努力を、このように簡単(容易)に跳出(実行)でき、「覓処覓」もとむる処をもとむるは、現成をも「無処覓」処として覓むる無く未現成でも「無処覓」なり。

ここでの拈提は、『如浄語録』中に観察された「眼睛」を拈来する事で、十二月八日の成道会の法語に対する拈語ですから、「眼睛」とは「無処覓」を実践する只管打坐のポイントを述べた箇所です。

 

先師古佛上堂云、

瞿曇打失眼睛時  雪裡梅花只一枝

而今到處成荊棘  卻笑春風繚亂吹

且道すらくは、瞿曇眼睛はたゞ一二三のみにあらず。いま打失するはいづれの眼睛なりとかせん。打失眼睛と稱ずる眼睛のあるならん。さらにかくのごとくなるなかに、雪裡梅花只一枝なる眼睛あり。はるにさきだちて、はるのこゝろを漏泄するなり。

この本則も前段同様『如浄語録』・上・清凉寺語録・臘八上堂を典拠とし、『梅花』巻(寛元元(1243)年十一月六日吉嶺寺)・『優曇華』巻(寛元二(1244)年二月十二日吉峰精藍示衆)共々同文が取り上げられ、気に入った師匠の御語であったらしい。

本則の読みは、

瞿曇(釈尊)眼晴を打失する時、

雪裡(雪の中)に梅花只一枝。

而今到処に荊棘(けいきょく―いばら)成ず、

却(かえって)笑う春風の繚乱として吹くことを。

要旨は真実(眼晴)の表情は雪の中に吹く梅の花であったり、同時処に嫌われる荊があったりと乱雑極まりなく現成するが、そんな人間の思いとは裏腹に、春風は梅花も荊棘も吹き飛ばすのみ。

「且道すらくは、瞿曇眼睛はただ一二三のみにあらず。いま打失するはいづれの眼睛なりとかせん」

且道すらく(またいうなら)ば、瞿曇眼睛(仏法の真実)は一(梅花一枝)二(到処荊棘)三(春風繚乱)だけではなく、今の打失(現成)はどんな眼睛(真実の姿)であろうか。

「打失眼睛と称ずる眼睛のあるならん。さらにかくのごとくなるなかに、雪裡梅花一枝なる眼睛あり。はるかにさきだちて、はるのこころを漏泄するなり」

打失眼睛という、これこれと云った真実(眼睛)があるのだろうか。一つの眼睛の一情景に「雪の中に吹く梅の花の一枝」という「眼睛」があり、春の時節に見駆けて春の心地を漏泄するなり。との拈提で瞿曇も打失も共に無尽眼睛の一つのもの言いで、「眼睛」には「春」という時も「梅花」という情景も、連続・非連続に含有されるとの提唱でした。

 

先師古佛上堂云、霖霪大雨、豁達大晴。蝦蟇啼、蚯蚓鳴。古佛不曾過去、發揮金剛眼睛。咄。葛藤々々。

いはくの金剛眼睛は、霖霪大雨なり、豁達大晴なり。蝦蟇啼なり、蚯蚓鳴なり。不曾過去なるゆゑに古佛なり。古佛たとひ過去すとも、不古佛の過去に一齊なるべからず。

この本則は『如浄語録』・上・浄慈寺語録に記載される上堂語で読みは、

霖霪たる大雨、豁達たる大晴。

蝦蟇啼き、蚯蚓鳴く。

古仏は曾て過去せず、金剛の眼睛発揮す。

咄。葛藤葛藤。

霖霪(りんいん―なが雨) 豁達(かったつ―からりと開けているさま) 蝦蟇(がま―ひきがる) 蚯蚓(きゅういん―みみず)を意味し、啼(悲しみ嘆いて泣く) 鳴(なきごえ)の違いがあるようです。

「いはくの金剛眼睛は霖霪大雨なり、豁達大晴なり蝦蟇啼なり、蚯蚓鳴なり」

ここでは眼睛の形容詞に「金剛」を附しての本則ですが、これまでの如浄和尚の表現態は「露眼睛」・「達磨眼睛」・「打失眼睛」であったりと時々により差異は有りますが、「眼睛」の本質は同義語「尽十方界真実人体」の一つの表現でしかありません。今回の本則では、天候の形態を表現する「大雨」と「大晴」、さらに生物形態の「かえる」と「みみず」それぞれが金剛(ダイヤモンド)たる眼睛・真実世界を現前していると。

「不曾過去なるゆゑに古仏なり。古仏たとひ過去すとも、不古仏の過去に一斉なるべから

本則「古仏不曾過去」を言い換えただけで、拈提の「不曾過去」かつて過去せずとは、先に挙げた四つの事象は現在進行形である現成を説くものですから、「過時」の問題ではないから、「眼睛」であったり「古仏」と言われる所以です。

「古仏」という真実が仮に過去の出来事だとしても、不古仏(古仏の表裏の関係)の過去とは次元が異なる。との拈語ですが、ここが道元禅師の言わんとする処で、「古仏」は現在進行形と云いましたが、「たとひ過去す」と仮定しても現在で「過去す」と云うわけですから、「過去」はない事になります。

 

先師古佛上堂云、日南長至、眼睛裡放光、鼻孔裏出気。

而今綿々なる一陽三陽、日月長至、連底脱落なり。これ眼睛裏放光なり、日裏看山なり。このうちの消息威儀、かくのごとし。

この本則は『如浄語録』・上・台州瑞巌寺語録・冬至上堂からの引用です。

台州浙江省にあり寧波(ニンポ―)からは南に二百キロメ―トルの所に位置します。

本則の読みは、

日は南に長く至り、

眼睛裡に放光し、

鼻孔裏に出気す。

而今綿々なる一陽三陽、日月長至、連底脱落なり」

「綿々」とは連なる様を云い、「一陽」とは冬至を指し「三陽」とは正月(一月)を云うが、冬至は陰暦十一月を一陽来復とも云い、十二月を「二陽」・一月正月まで一陽づつ長ずるを指す言葉であり、この日月長至と云う連底(連体態)を脱落と表現し、精神的に抜け落ちるとか云った心理現象を云うのではない事は当然で、本来は一陽三陽脱落・日月長至脱落と書き加えるべきでしょうか。

「これ眼睛裏放光なり、日裏看山なり。このうちの消息威儀、かくのごとし」

眼睛は真実ですから、そこは放光・つまり冬至上堂での日が長くなる事を説くわけですから、光を放つ此の自然を眼睛裏と云い、または「日裏看山」昼間に山を看ると。

日常のありふれた事象で真実を説き明かす拈提で、こういった大自然と人体との調和底(日南長至―眼睛裡放光―鼻孔裏出気)を消息威儀と呼ばしめる拈語です。

 

 

先師古佛ちなみに臨安府淨慈寺にして上堂するにいはく、

今朝二月初一、拂子眼睛凸出。明似鏡、黒如漆。驀然跳、呑卻乾坤。一色衲僧門下、猶是撞墻撞壁。畢竟如何。盡情拈卻笑呵々、一任春風没奈何。

いまいふ撞墻撞壁は、渾墻撞なり、渾壁撞なり。この眼睛あり。今朝および二月ならびに初一、ともに條々の眼睛なり、いはゆる拂子眼睛なり。驀然として跳するゆゑに今朝なり。呑卻乾坤いく千萬箇するゆゑに二月なり。盡情拈卻のとき、初一なり。眼睛の見成活計かくのごとし。

本則の典拠は先段の如く『如浄語録』・上・浄慈寺での上堂語で読みは、

今朝二月初一なり、払子眼睛凸出す。

明なること鏡に似たり、黒きこと漆の如し。

驀然(まくねん)として勃跳(ぼっちょう)し、乾坤を呑却す。

一色の衲僧門下、なおこれ撞墻撞壁す。

畢竟如何、情を尽くして拈却して笑うこと呵呵たり。

一任す春風の没奈何。

言わんとするは、払子を使っての説法を尽十方界の真実として捉え、それは眼の前で一目瞭然としているから、「明似鏡・黒如漆」と云い、その状態(真実の表情)は踊り出したり天地を呑み込んだりしていると。

「一色衲僧門下」とはピュアな達磨門下の修行僧で、「撞墻撞壁」(撞はつくの意)つまり面壁(坐禅)をいうわけで、畢竟如何と。如何の情景を云うに呵呵と笑ったり、春は春風の任す奈何(いかん)ともせずと。

これから拈提の開始です。

「いまいふ撞墻撞壁は渾壁撞なり」

本則での「猶是撞墻」を「墻撞」と言い換え、そこに接着剤的語意で「渾」という全体を表す語で以て、面壁面墻(坐禅)を今一度確認します。

「この眼睛あり。今朝および二月ならびに初一、ともに条々の眼睛なり、いはゆる払子眼睛なり」

「今朝」・「二月」・「初一」という眼睛もあると。条々(それぞれ)のかけがえのない事実が二月一日の朝という一回限りの出来事で、その延長上に「払子眼睛」があると。

「驀然として勃跳するゆゑに今朝なり。呑却乾坤いく千万箇するゆゑに二月なり。尽情拈却のとき、初一なり。眼睛の見成活計かくのごとし」

さらに驀然勃跳と今朝・呑却乾坤と二月・尽情拈却と初一をそれぞれ「眼睛」という生き身の真実として捉える拈法は道元和尚一流の説法であり、亦このような拈提があってこそ、如浄和尚の法話も放光に満ちたものに蘇生されるものです。

 

        眼睛 終講