正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵鉢盂

正法眼蔵 第七十一 鉢盂 

    一

七佛向上より七佛に正傳し、七佛裏より七佛に正傳し、渾七佛より渾七佛に正傳し、七佛より二十八代正傳しきたり、第二十八代の祖師、菩提達磨高祖、みづから神丹國にいりて、二祖大祖正宗普覺大師に正傳し、六代つたはれて曹谿にいたる。東西都盧五十一代、すなはち正法眼藏涅槃妙心なり、袈裟鉢盂なり。ともに先佛は先佛の正傳を保任せり。かくのごとくして佛々祖々正傳せり。

次巻『安居』巻との聯関性から推察すると、鉢盂つまり応量器は修行生活に於ける必需品である事から、鉢盂を代名詞としての真実態を説く巻です。

現在の実用的応量器は食事に於ける食器を示し、禅宗寺院に於いても托鉢時には目線より上に応量器を捧げ、布施物を喜捨する光景が時折見かけられるが、東南アジア諸国では早朝の托鉢風景が地域社会の日常生活であり日々底であり、鉄鉢の中に直接日食を乞食し直接鉄鉢からの食で法身を維持する行法は、仏=法=僧=在俗という王法相依を認得するものです。

「七仏向上より七仏に正伝し、七仏裏より七仏に正伝し、渾七仏より渾七仏に正伝し、七仏より二十八代正伝しきたり」

七仏は過去七仏を云うものですが歴史的蓋然性ではなく、全体の連綿とした仏法の理法を言わんが為の語法で、他にも『古仏心』巻・『嗣書』巻等に散見されますが、道元禅師は特にこの仏々祖々正伝という仏語を好まれたようです。

菩提達磨高祖、みづから神丹国に入りて、二祖大祖正宗普大師に正傳し、六代伝はれて曹谿に至る。東西都盧五十一代、すなはち正法眼藏涅槃妙心なり、袈裟鉢盂なり。ともに先仏は先仏の正伝を保任せり。かくのごとくして仏々祖々正伝せり」

先に云う仏々祖々の正伝の実例を説くもので、達磨(東土初祖)から二祖慧可・六祖慧能と正伝し、インドから日本まで都盧(すべて)五十一代道元大和尚と連脈する事実を言語化したことばを正法眼蔵涅槃妙心との提言で、その具体的伝承物を袈裟・鉢盂と位置づけるものです。

 

    二

しかあるに佛祖を參學する皮肉骨髓、拳頭眼睛、おのおの道取あり。いはゆる、あるいは鉢盂はこれ佛祖の身心なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の飯埦なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の眼睛なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の光明なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の眞實體なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の正法眼藏涅槃妙心なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の轉身處なりと參學するあり、あるいは佛祖は鉢盂の縁底なりと參學するあり。かくのごとくのともがらの參學の宗旨、おのおの道得の處分ありといへども、さらに向上の參學あり。

これから鉢盂の千変万化なる用例を列挙する段ですが、最初に説く「仏祖を参学する皮肉骨髄、拳頭眼睛」は具体的実名を挙げるのではなく不特定多数を皮肉骨髄・拳頭眼睛で以て仏祖と表徴させ、これから鉢盂という単なる調度品ではなく不可分の関係を、鉢盂=仏祖の身心(以下仏祖は省略)・鉢盂=飯埦・鉢盂=眼睛・鉢盂=光明・鉢盂=真実体・鉢盂=正法眼蔵涅槃妙心・鉢盂=転身処・鉢盂=縁底とそれぞれの仏祖が道い得ているが、「さらに向上の参学あり」と無底の鉢盂という真実体の可能性を説くものです。

 

    三

先師天童古佛、大宋寶慶元年、住天童日、上堂云、記得、僧問百丈、如何是奇特事。百丈云、獨坐大雄峰。大衆不得動著、且教坐殺者漢。今日忽有人問淨上座、如何是奇特事。只向佗道、有甚奇特。畢竟如何、淨慈鉢盂、移過天童喫飯。

しるべし、奇特事はまさに奇特人のためにすべし。奇特事には奇特の調度をもちゐるべきなり。これすなはち奇特の時節なり。しかあればすなはち、奇特事の現成せるところ、奇特鉢盂なり。これをもて四天王をして護持せしめ、諸龍王をして擁護せしむる、佛道の玄軌なり。このゆゑに佛祖に奉献し、佛祖より附囑せらる。

佛祖の堂奥に參學せざるともがらいはく、佛袈裟は、絹なり、布なり、化絲のをりなせるところなりといふ。佛鉢盂は、石なり、瓦なり、鐵なりといふ。かくのごとくいふは、未具參學眼のゆゑなり。佛袈裟は佛袈裟なり、さらに絹布の見あるべからず。絹布等の見は舊見なり。佛鉢盂は佛鉢盂なり、さらに石瓦といふべからず、鐵木といふべからず。

本則話頭は『家常』巻(寛元元(1243)年十二月十七日禅師峰示衆)でも同則が取り挙げられますが、その時には「先師古仏示衆に日く」でしたが、今回は「先師天童古仏、大宋宝慶元年住天童日上堂に云く」とありますが、『如浄語録』下を見る限りでは、天童山景徳寺での嘉定十七(1224)年晋住した時の法語でありますから宝慶元(1225)年の法語ではありません。(

ここで指摘しておきたい事は道元禅師の古則公案を援用される場合、過去に説いた『家常』巻を再確認するのではなく、原典である『如浄語録』を見ながらの原稿作成である事が窺い知られることである。

まづ本則を試訳するに

「記得す、僧、百丈に問う、如何が是れ奇特の事。

百丈云く、独坐大雄峰。

大衆、動著すること得ざれ、且く者漢を坐殺せしめん。

今日忽ちに人有って浄上座に問う、如何が是れ奇特の事。

ただ他に向かって道うべし。

甚(なに)の奇特の事有らん、畢竟如何。浄慈の鉢盂、天童に移過して喫飯す。」

「しるべし、奇特事はまさに奇特人の為にすべし。奇特事には奇特の調度をもちいるべきなり。これすなはち奇特の時節なり。しかあればすなはち、奇特事の現成せるところ、奇特鉢盂なり」

奇特事を『家常』巻では平常底・日常底・平生と解釈しますから、当巻でもこのように奇特=平生=鉢盂という条目が成り立ちます。(『御抄』(「註解全書」八・五七五)では「仏祖の行住坐臥、進止動容は皆奇特なり」との註解あり)

「これをもて四天王をして護持せしめ、諸龍王をして擁護せしむる、仏道の玄軌なり。このゆえに仏祖に奉献し、仏祖より附嘱せらる」

先には奇特を奇妙奇天烈と云った俗界語とは捉えず日常と解釈する事から、ここで「四天王・龍王」を登場させ「仏道の玄軌」と見る視点は一種の神仏習合的考察も範疇に入れるべきでしょうか。(出典は『仏本行集経』三二・八〇一下段参照・「大正蔵」三)

「仏祖の堂奥に参学せざるともがら云わく、仏袈裟は、絹なり、布なり、化絲の織りなせるところなりと云う。仏鉢盂は、石なり、瓦なり、鉄なりと云う。かくの如く云うは、未具参学眼のゆえなり。仏袈裟は仏袈裟なり、さらに絹布の見あるべからず。絹布等の見は旧見なり。仏鉢盂は仏鉢盂なり、さらに石瓦と云うべからず、鉄木と云うべからず」

ここで鉢盂と袈裟を並記されるのは冒頭部で列挙したからで共に仏行での調度であるからですが、修行の経験のない旧見者は袈裟の材を絹や木綿又は八歳の女口より出る化絲と外観ばかり見るが、仏が著ければ袈裟になり鉢盂も同様で仏が食すれば仏鉢盂になるわけです。ですから糞掃が上品清浄に転衣するのもこういう道理です。(化絲については『法苑珠林』三五・五六一中段参照・大正蔵)五三)(絹布等の見については『伝衣』『袈裟功徳』巻参見)

 

    四

おほよそ佛鉢盂は、これ造作にあらず、生滅にあらず。去來せず、得失なし。新舊にわたらず、古今にかゝはれず。佛祖の衣盂は、たとひ雲水を採集して現成せしむとも、雲水の籮籠にあらず。たとひ草木を採集して現成せしむとも、草木の籮籠にあらず。その宗旨は、水は衆法を合成して水なり、雲は衆法を合成して雲なり。雲を合成して雲なり、水を合成して水なり。鉢盂は但以衆法、合成鉢盂なり。但以鉢盂、合成衆法なり。但以渾心、合成鉢盂なり。但以虚空、合成鉢盂なり。但以鉢盂、合成鉢盂なり。鉢盂は鉢盂に罣礙せられ、鉢盂に染汚せらる。いま雲水の傳持せる鉢盂、すなはち四天王奉献の鉢盂なり。鉢盂もし四天王奉献せざれば現前せず。いま諸方に傳佛正法眼藏の佛祖の正傳せる鉢盂、これ透脱古今底の鉢盂なり。しかあれば、いまこの鉢盂は、鐵漢の舊見を覰破せり、木橛の商量に拘牽せられず、瓦礫の聲色を超越せり。石玉の活計を罣礙せざるなり。碌塼といふことなかれ、木橛といふことなかれ。かくのごとく承當しきたれり。

「おほよそ仏鉢盂は、これ造作にあらず、生滅にあらず。去来せず、得失なし。新旧にわたらず、古今にかかわれず」

先に説いた仏鉢盂は仏鉢盂の道理を承けての文言で、鉢盂という真実態を具現した調度を人間味で以て、木地は何産塗は黒か赤かの商品価をつけると、ただの器物に変化するをこのような「造作にあらず、生滅にあらず」等と相対価値から絶対価値を説くものです。

「仏祖の衣盂は、たとひ雲水を採集して現成せしむとも、雲水の籮籠にあらず。たとひ草木を採集して現成せしむとも、草木の籮籠にあらず」

「衣鉢」の材料を「雲水」としたり「草木」と喩えての事ですが、ここに言う「雲水」は修行僧をも示唆する二重語義で掛けられます。「籮籠」とは魚鳥を捕らえる網・かごを指しますが、此の箇処では衣鉢の材料に執着されるものではないと説かれます。

「その宗旨は、水は衆法を合成して水なり、雲は衆法を合成して雲なり。雲を合成して雲なり、水を合成して水なり。鉢盂は但以衆法、合成鉢盂なり。但以鉢盂、合成衆法なり。但以渾心、合成鉢盂なり。但以虚空、合成鉢盂なり。但以鉢盂、合成鉢盂なり。鉢盂は鉢盂に罣礙せられ、鉢盂に染汚せらる」

ここでの「衆法合成」の説き方は『海印三昧』巻での「但以衆法、合成此身。起時唯法起、滅時唯法滅」を借用したもので、此処で言う「水は衆法を合成して水なり、水を合成して水なり」と説く「衆法」の意は、多くを表す万法と全てを包含した只一の二義が考えられます。所謂は袈裟を作製するには布・糸・針さまざまな材料が必要ですが、一旦出来上がった御袈裟は集(衆)合物ではなく、袈裟そのままと云う全機的意味合いを述べるものです。

次に鉢盂の成り立ちを先程の『維摩詰経』からの語法で以て、「鉢盂は但以衆法、合成鉢盂」と鉢盂はもろもろ(衆)の法で以て鉢盂という現成を成り立たせている事を、語順を入れ換え「但以鉢盂、合成衆法」と同義語とし、以下「但以渾心」・「但以虚空」・「但以鉢盂」と全てにカテゴライズする仕法は常道法で、これを「鉢盂は鉢盂に罣礙せられ、鉢盂に染汚せらる」と罣礙(妨げる)も染汚(けがされる)も不具合とする意ではなく一体とする逆説語法です。

「いま雲水の伝持せる鉢盂、すなはち四天王奉献の鉢盂なり。鉢盂もし四天王奉献せざれば現前せず。いま諸方に伝仏正法眼蔵の仏祖の正伝せる鉢盂、これ透脱古今底の鉢盂なり」

先の天童古仏段にて鉢盂と四天王・龍王との連関を説いた通理から、「四天王奉献の鉢盂」という句で全体の整合性を整えられ、「透脱古今底の鉢盂」と鉢盂という真実態は古今を超脱した真実人体と「雲水の伝持せる鉢盂」とを掛けた文言です。

「しかあれば、いまこの鉢盂は、鉄漢の旧見を覰破せり、木橛の商量に拘牽せられず、瓦礫の声色を超越せり。石玉の活計を罣礙せざるなり。碌塼といふことなかれ、木橛といふことなかれ。かくのごとく承当しきたれり」

「鉄漢の旧見」とは前段にいう袈裟の材を絹布と云い、鉢盂の材を石瓦・鉄木と云う輩で、この場合はガンコ者とでも解し、さらに鉢盂の無底の真実体を云う為に「瓦礫・石玉・碌塼」と凡聖を並べ、さらに先程の「木橛の商量(華林と百丈との問答)に掛けた鉢盂の材の「木橛ということなかれ」と多少入り混んだ文体説明ですが、主旨は鉢盂という仏具は単なる調度品ではなく、日常底の真実体を具現するもので、出来映えとか出自を問題とすべきではないとの提唱です