正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵発菩提心

正法眼蔵第六十三 発菩提心

西國高祖曰、雪山喩大涅槃。

しるべし、たとふべきをたとふ。たとふべきといふは、親曾なるなり、端的なるなり。いはゆる雪山を拈來するは喩雪山なり。大涅槃を拈來する、大涅槃にたとふるなり。

「西國高祖曰、雪山喩大涅槃」ならびに次段の「震旦初祖日、心々如木石」の典拠は『古尊宿語録』二・百丈章最後部に「祇如今心如虚空相似。学始有所成。西国高祖云。雪山喩大涅槃。此土初祖云。心々如木石。三祖云。兀爾忘縁。曹谿云。善悪都莫思量」との記載があります。

「喩ふべきを喩ふ。喩ふべきといふは、親曾なるなり」

西国高祖とは釈尊を指しますから、インドからのヒマラヤ眺望は涅槃像の如くを、百丈懐海(749―814)はこう表現」されたと云う事を「喩ふべきを喩ひて、身辺で端的なり」との拈語です。

「雪山を拈来するは喩雪山なり、大涅槃を拈来する、大涅槃にたとふるなり」

ここは尋常の全機現的手法で、雪山は雪山ばかりで大涅槃というものが入り込む余地はなく、大涅槃は大涅槃ばかりを云うものです。

 

震旦初祖曰、心々如木石。

いはゆる心は心如なり。盡大地の心なり。このゆゑに自佗の心なり。盡大地人および盡十方界の佛祖および天龍等の心々は、これ木石なり。このほかさらに心あらざるなり。この木石、おのれづから有、無、空、色等の境界に籠籮せられず。この木石心をもて發心修證するなり、心木心石なるがゆゑなり。この心木心石のちからをもて、而今の思量箇不思量底は現成せり。心木心石の風聲を見聞するより、はじめて外道の流類を超越するなり。それよりさきは佛道にあらざるなり。

「震旦初祖曰、心々如木石」は百丈が語ったもので、達磨に関連した文献には見当たりません。「心々如木石」を一般読みでは「心々は木石の如し」との訓読みを破し、「心は心如なり」との拈語に注意を要します。

「尽大地の心なり。このゆゑに自佗の心なり。尽大地人および尽十方界の仏祖および天龍等の心々は、これ木石なり。このほかさらに心あらざるなり。」

先に「心は心如なり」と概念的定義でしたので、ここでは「心」の具体例を挙げるわけです。「尽大地」・「自己他己」はそれぞれ「心」であり、さらに「尽大地人」つまり我々自身、「尽十方界仏祖および天龍」これも我々自身が仏祖人であり、天人であり龍人との規定です。これらは皆共々「木石」と同等との拈提ですが、一見すると論理の飛躍超越を感ぜられるが、尽十方界中では存在自体が意味を体せず、全て「心如」に包摂される事実を仏法と呼ばしめるものです。

この木石、おのれづから有、無、空、色等の境界に籠籮せられず。この木石心をもて発心修証するなり、心木心石なるがゆゑなり」

「木石」は自然物ですから、「有無空色」などという概念の世界には収まらない。先程は尽大地の心から心木石を説きましたが、ここではベクトルを逆向きに換え「木石心をもて発心修証」させ、さらに「心々木石」を「心木・心石」と解体する尋常の手法です。

この心木心石のちからをもて、而今の思量箇不思量底は現成せり。心木心石の風声を見聞するより、はじめて外道の流類を超越するなり。それよりさきは仏道にあらざるなり。」

「心木心石」は日常底を喩うるもので、その形容を「思量箇不思量底」という「坐」を連関させる語句で以て表徴させ、さらに木石の「風声」つまり自然の息吹との一体性を感ずる時には、概念的に捉える「外道の流類」とは訣別され、「それよりさきは仏道にあらざるなり」とは「心木心石」の平常底を脱線するなとの言です。

 

大證國師曰、牆壁瓦礫、是古佛心。

いまの牆壁瓦礫、いづれのところにかあると參詳看あるべし。是什麼物恁麼現成と問取すべし。古佛心といふは、空王那畔にあらず。粥足飯足なり、草足水足なり。かくのごとくなるを拈來して、坐佛し作佛するを、發心と稱ず。

先には百丈による「雪山喩大涅槃・心々如木石」の拈提でしたが、此段よりしばらくは「牆壁瓦礫、是古仏心」を本則とした拈提です。『身心学道』巻(仁治三(1242)年九月九日興聖寺示衆)からの引用です。

いまの牆壁瓦礫、いづれのところにかあると参詳看あるべし」

今回も日常底・平常底の深淵さを「牆壁」(ついたて・かべ)「瓦礫」(かわら・石ころ)にある処を「参詳看」詳しく参じて看よとの事です。

「是什麼物恁麼現成と問取すべし。古仏心といふは、空王那畔にあらず。粥足飯足なり、草足水足なり」

先程から「心」の具体例を「木石」としたり「牆壁瓦礫」としましたが、今回は一つ一つうぃ云うのではなく総称として「是什麼物恁麼現成」という、六祖慧能が云う処の「什麼」に収斂された禅語を「問取すべし」との事です。この「問取」は質問の意ですが、眼蔵解釈に於いては「問い」との発語により「恁麼」が活かされる語意です。

続いて「古仏心」の説明ですが、先ず「空王那畔」という歴史的変移を破し、「粥足飯足」・「草足水足」という日々好日なる日常底を「古仏心」と定義し、かくの如く(日常底)を拈来(参究)し「坐仏作仏」祇管打坐する事そのものを「発心と称ず」と、行と(発)心との一体性をこの巻での要旨を述べられたものです。

 

おほよそ發菩提心の因縁、ほかより拈來せず、菩提心を拈來して發心するなり。菩提心を拈來するといふは、一莖草を拈じて造佛し、無根樹を拈じて造經するなり。いさごをもて供佛し、漿をもて供佛するなり。一摶の食を衆生にほどこし、五莖の花を如來にたてまつるなり。佗のすゝめによりて片善を修し、魔に嬈せられて禮佛する、また發菩提心なり。しかのみにあらず、知家非家、捨家出家、入山修道、信行法行するなり。造佛造塔するなり。讀經念佛するなり。爲衆説法するなり、尋師訪道するなり。跏趺坐するなり、一禮三寶するなり、一稱南無佛するなり。

 かくのごとく、八萬法蘊の因縁、かならず發心なり。あるいは夢中に發心するもの、得道せるあり、あるいは醉中に發心するもの、得道せるあり。あるいは飛花落葉のなかより發心得道するあり、あるいは桃花翠竹のなかより發心得道するあり。あるいは天上にして發心得道するあり、あるいは海中にして發心得道するあり。これみな發菩提心中にしてさらに發菩提心するなり。身心のなかにして發菩提心するなり。諸佛の身心中にして發菩提心するなり、佛祖の皮肉骨髓のなかにして發菩提心するなり。

 しかあれば、而今の造塔造佛等は、まさしくこれ發菩提心なり。直至成佛の發心なり、さらに中間に破癈すべからず。これを無爲の功徳とす、これを無作の功徳とす。これ眞如觀なり、これ法性觀なり。これ諸佛集三昧なり、これ得諸佛陀羅尼なり。これ阿耨多羅三藐三菩提心なり、これ阿羅漢果なり、これ佛現成なり。このほかさらに無爲無作等の法なきなり。

「おほよそ発菩提心の因縁、ほかより拈来せず、菩提心を拈来して発心するなり。菩提心を拈来するといふは、一茎草を拈じて造仏し、無根樹を拈じて造経するなり。いさごをもて供仏し、漿をもて供仏するなり。一摶の食を衆生にほどこし、五茎の花を如来にたてまつるなり」

ここでは「発菩提心」とは「菩提心を発する」としますが、『身心学道』巻では次のように定義されます。

「発菩提心はあるいは生死にしてこれを得る事あり、あるいは涅槃にしてこれを得る事あり、あるいは生死涅槃のほかにしてこれを得る事あり。処を待つにあらざれども、発心の処さへられざるあり。境発に非ず智発に非ず、菩提心発なり、発菩提心は有に非ず無に非ず、善に非ず悪に非ず無記に非ず。報地によりて縁起するに非ず天有情は定めて得べからざるに非ず。ただまさに時節とともに発菩提心するなり、依にかかはれざるがゆゑに。発菩提心の正当恁麼時には法界ことごとく発菩提心なり。依を転ずるに相似なりといへども、依に知らるるに非ず。共出一隻手なり、自出一隻手なり、異類中行なり。地獄・餓鬼・畜生・修羅等の中にしても発菩提心するなり」

と詳細に説かれます。言う処は時所を違わず現成が発菩提心とのことです。

そこで次に具体的な日常底に即した文言になり、「一茎草を拈じて造仏」と釈尊と帝釈との問答を提起し、「無根樹を拈じて造経」と七賢女と帝釈との問答を提起し(『永平広録』六十四則参照)、「いさご(砂)をもて供仏」と方便品を説き、「漿(とぎ汁)をもて供仏」と釈尊と老女との布施物を提起し、「一摶の食を衆生にほどこし」と施物の多寡を説き、「五茎の花を如来に奉る」と菩薩(釈尊)と瞿夷との因縁譚を説きます。

佗のすゝめによりて片善を修し、魔に嬈せられて礼仏する、また発菩提心なり。しかのみにあらず、知家非家、捨家出家、入山修道、信行法行するなり。造仏造塔するなり。読経念仏するなり。為衆説法するなり、尋師訪道するなり。跏趺坐するなり、一礼三宝するなり、一称南無仏するなり。」

「片善」とは少しばかりを意味し、「魔に嬈せらる」とは悪魔に弄(もてあそ)ばれて仏を礼する事も立派な「発菩提心」であると。そればかりではなく、「知家非家・捨家出家」家は非家を知って、家を捨て出家す(『身心学道』巻参照)や「入山修道」山に入って修道し、「信行法行」法を信じ行じ、「造仏造塔」・「読経念仏」・「為衆説法」利他行・「尋師訪道」行脚修行・「跏趺坐」打坐・「一礼三宝」し「南無仏と称ずる」これらが「菩提心」であると。

「かくのごとく、八万法蘊の因縁、かならず発心なり。あるいは夢中に発心するもの、得道せるあり、あるいは醉中に発心するもの、得道せるあり。あるいは飛花落葉のなかより発心得道するあり、あるいは桃花翠竹のなかより発心得道するあり。あるいは天上にして発心得道するあり、あるいは海中にして発心得道するあり。これみな発菩提心中にしてさらに発菩提心するなり。身心のなかにして発菩提心するなり。諸佛の身心中にして発菩提心するなり、仏祖の皮肉骨髓のなかにして発菩提心するなり。」

「八万法蘊」は八万四千という無数の事柄の因縁すべてが「発心」との拈提で、その中からそれぞれの例を「夢中・酔中・飛花落葉―以下略」と示し、これらは「発菩提心中から更に発菩提心する」という「菩提心」を強調する言い用です。以下同様です。

しかあれば、而今の造塔造仏等は、まさしくこれ発菩提心なり。直至成仏の発心なり、さらに中間に破癈すべからず。これを無為の功徳とす、これを無作の功徳とす。これ真如観なり、これ法性観なり。これ諸仏集三昧なり、これ得諸仏陀羅尼なり。これ阿耨多羅三藐三菩提心なり、これ阿羅漢果なり、これ仏現成なり。このほかさらに無為無作等の法なきなり。」

先程も「造仏造塔・読経念仏」等引用されましたが、改めて「而今の造塔造仏等は発菩提心」と繰り返し「中間に破廃」途中でやめるなとの忠言です。これら造塔仏の行為は「無為の功徳」(無目的の功徳)であり「無作の功徳」つまり無所得無所悟を云い、別名「真如観」と言ったり「法性観」さらに「諸仏集三昧」・「阿耨多羅三藐三菩提心」・「阿羅漢果」・「仏現成」と教学的語彙を用い表現され、これ以外には無為無作(無所得無所悟)の法は無いとの提唱です。

 

しかあるに、小乘愚人いはく、造像起塔は有爲の功業なり。さしおきていとなむべからず。息慮凝心これ無爲なり、無生無作これ眞實なり、法性實相の觀行これ無爲なり。かくのごとくいふを、西天東地の古今の習俗とせり。これによりて、重罪逆罪をつくるといへども造像起塔せず、塵勞稠林に染汚すといへども念佛讀經せず。これたゞ人天の種子を損壞するのみにあらず、如來の佛性を撥無するともがらなり。まことにかなしむべし、佛法僧の時節にあひながら、佛法僧の怨敵となりぬ。三寶の山にのぼりながら空手にしてかへり、三寶の海に入りながら空手にしてかへらんことは、たとひ千佛萬祖の出世にあふとも、得度の期なく、發心の方を失するなり。これ經巻にしたがはず、知識にしたがはざるによりてかくのごとし。おほく外道邪師にしたがふによりてかくのごとし。造塔等は發菩提心にあらずといふ見解、はやくなげすつべし。こゝろをあらひ、身をあらひ、みゝをあらひ、めをあらうて見聞すべからざるなり。まさに佛經にしたがひ、知識にしたがひて、正法に歸し、佛法を修學すべし。

佛法の大道は、一塵のなかに大千の經巻あり、一塵のなかに無量の諸佛まします。一草一木ともに身心なり。萬法不生なれば一心も不生なり、諸法實相なれば一塵實相なり。しかあれば、一心は諸法なり、諸法は一心なり、全身なり。造塔等もし有爲ならんときは、佛果菩提、眞如佛性もまた有爲なるべし。眞如佛性これ有爲にあらざるゆゑに、造像起塔すなはち有爲にあらず、無爲の發菩提心なり、無爲無漏の功徳なり。たゞまさに、造像起塔等は發菩提心なりと決定信解すべきなり。億劫の行願、これより生長すべし、億々萬劫くつべからざる發心なり。これを見佛聞法といふなり。

しるべし、木石をあつめ泥土をかさね、金銀七寶をあつめて造佛起塔する、すなはち一心をあつめて造塔造像するなり。空々をあつめて作佛するなり、心々を拈じて造佛するなり。塔々をかさねて造塔するなり、佛々を現成せしめて造佛するなり。

かるがゆゑに、經にいはく、作是思惟時、十方佛皆現。

しるべし、一思惟の作佛なるときは、十方思惟佛皆現なり。一法の作佛なるときは、諸法作佛なり。

「小乗愚人いはく、造像起塔は有為の功業なりー中略―法性実相の観行これ無為なり、西天東地の古今の習俗とせりー中略―如来の仏性を撥無するともがらなり誠に悲しむべし」

この段は「小乗愚人」と云われる俗人の考えを列挙されます。

「造像起塔は有為の功業」箱物建造は見かけ上の事だと。「息慮凝心これ無為」無念無想の境地を云う輩は「無生無作」を真実と思い込み、「法性実相の観行」瞑想的坐法を無為の法と解す。以上のような輩徒を小乗の愚人と規定し、これらは「西天東地の古今の習俗」と戒める言です。

「重罪逆罪」というは、先の小乗愚人の輩徒の行為が仏法に背く為、破壊に導く為に重罪逆罪という手厳しい言語を使われます。

これらの人達は「造像起塔」「念仏読経」せず、「人天の種子を損壊するのみ、仏性を撥無(ないものとする)する、誠に悲しむべし」とは文意のままです。

「仏法僧の時節にあひながら仏法僧の怨敵となりぬ。三宝の山に登りながらー中略―多く外道邪師に従うによりてかくの如し。造塔等は発菩提心にあらずという見解、早く投げ捨つべし」

これら小乗愚人輩は仏法を恭敬と思いながら実はその背信に気が付かず、三宝の山海に出入しても感度はなく、これは経巻知識に従わず外道邪師と云う輩徒に追従するからであると。ですから初めに言う「造塔等は発菩提心に非ずという」見解を捨てろと言われます。

「身を洗い、耳を洗い、目を洗いて見聞すべからざるなり。まさに仏経に従がい、知識に従がいて、正法に帰し、仏法を修学すべし。」

『聞書』では「洗うと云うは心を三界唯心と思い洗い、身は尽十方界真実人体と洗い、耳目等は尽十方界沙門一隻眼の心地で洗うべし」と釈されます。

「仏法の大道は一塵の中に大千の経巻あり、一塵の中に無量の諸仏ましますー中略―ただ当に造像起塔等は発菩提心なりと決定信解すべきなりー中略―これを見仏聞法といふなり」

「一塵中に大千経巻」「一塵中に無量諸仏」等は『華厳経』にも「於一毛端処。及以一塵中」「微塵不大。十方世界所有微塵。一一塵中総皆如是。如経所説」などと説かれ、「諸法実相なれば一塵実相」とは天台教義にも通じる文言で、道元禅師が大乗教学にも精通していた証である。

「造塔等もし有為ならんときはー中略―造像起塔すなはち有為にあらず」

これは小乗愚人が云う処を論破する為の逆説法にての論述になります。

改めて「無為、無漏」を強調し、「造像起塔等は発菩提心と信解」する事が「見仏聞法」との見解です。

「知るべし、木石を集め泥土を重ね、金銀七宝を集めて造仏起塔する、すなはち一心を集めて作仏するなりー中略―経にいはく、作是思惟時、十方仏皆現。知るべし、一思惟の作仏なる時は十方思惟仏皆現なり、一法の作仏なる時は諸仏作仏なり」

重ねて「造仏起塔」を説きますが、「木石」「泥土」も「金銀七宝」も「一心をあつめて造塔造像するなり」の如く「一心」に収斂されたもので、同等価値を説くものです。さらに「空々」「心々」で作仏造仏、塔々を重ねて造塔と語彙変換した説法口調で「仏々を現成せしめて造仏するなり」と結語し、『法華経』方便品で説く「作是思惟時、十方仏皆現」と思惟は十方仏であり亦思惟は皆現との解釈です。

 

釋迦牟尼佛言、明星出現時、我與大地有情、同時成道。

しかあれば、發心修行、菩提涅槃は、同時の發心修行菩提涅槃なるべし。佛道の身心は草木瓦礫なり、風雨水火なり。これをめぐらして佛道ならしむる、すなはち發心なり。虚空を撮得して造塔造佛すべし。谿水を掬啗して造佛造塔すべし。これ發阿耨多羅三藐三菩提なり。一發菩提心を百千萬發するなり。修證もまたかくのごとし。 しかあるに、發心は一發にしてさらに發心せず、修行は無量なり、證果は一證なりとのみきくは、佛法をきくにあらず、佛法をしれるにあらず、佛法にあふにあらず。千億發の發心は、さだめて一發心の發なり。千億人の發心は、一發心の發なり。一發心は千億の發心なり、修證轉法もまたかくのごとし。草木等にあらずはいかでか身心あらん、身心にあらずはいかでか草木あらん、草木にあらずは草木あらざるがゆゑにかくのごとし。

坐禪辦道これ發菩提心なり。發心は一異にあらず、坐禪は一異にあらず、再三にあらず、處分にあらず。頭々みなかくのごとく參究すべし。

この段は造塔造像の拈提は据え置き、「菩提心」の提唱ですから発心についての拈提になります。

釈迦牟尼仏言、明星出現時、我与大地有情、同時成道。

しかあれば、発心修行、菩提涅槃は、同時の発心修行菩提涅槃なるべし。仏道の身心は草木瓦礫なり、風雨水火なり。これをめぐらして仏道ならしむる、すなはち発心なり」

釈尊成道偈拈提の「発心修行菩提涅槃は同時の発心修行菩提涅槃」のことばに仏法の理念が集約されて居ります。つまりは一般的解釈法では発展段階的に発心→修行→菩提→涅槃と通史的に人生の一コマの如くに考えられますが、道元禅師が説くものは発心のなかに発心修行菩提涅槃が包含され、修行の時には同じく修行のなかに発心修行菩提涅槃が包摂され便宜的に修行と呼ばしめるもので、具現例として「草木瓦礫・風雨水火」を拈出されるものです。

「虚空を撮得して造塔造仏すべし。渓水を掬啗して造仏造塔すべし。これ発阿耨多羅三藐三菩提なり。一発菩提心を百千万発するなり。修証もまたかくのごとし。」 

ここに云う「虚空」は真実態を表徴し、「撮得」の撮は「つまむ」の意で容量の単位(0、1勺)でもあります。

次に「渓水を掬啗して造仏造塔」と先に上方の空を拈語しましたから対語として「渓水」を用い、「掬啗」の掬はすくうの意で啗はくらうの意ですから、谷川の水をすくって飲んで造仏造塔すべしと言うわけです。

ここでの「造仏造塔」は日常底に比せられるものです。これが「発阿耨多羅三藐三菩提」つまり発心の別称を用い、「一発菩提心を百千万発」の表現も先に云う「同時の発心修行菩提涅槃」と同様に解し、一と百千万を同等体との拈語で、「修証」修行とさとりも同様に別物ではないとの言です。

「しかあるに、発心は一発にしてさらに発心せず、修行は無量なり、証果は一証なりとのみ聞くは、仏法を聞くに非ずー中略―草木等に非ずはいかでか身心あらん、草木非ざるが故にかくの如し」

ここで云う「一発にして更に発心せず」は先に説いた「同時の発心修行菩提涅槃」とは異なる小乗愚人輩を指すもので、それらは「修行は無量・証果は一証」を称えるが、仏法に無縁である為、聞くこと知ること値うことかなわずと言う。さらに続けて千億発心と一発心の同時同等を述べ、草木と身心との同次元性を説く処です。

坐禅辨道これ発菩提心なり。発心は一異にあらず、坐禅は一異にあらず、再三にあらず、処分にあらず。頭々みなかくのごとく参究すべし」

坐禅と発心との言及です。

「発心は一異にあらず」発心は決まり切ったものではなく、先に云う千億発(無限)あるわけですから、限定されたものに固執固着させてはならないとの意で、「坐禅は一異にあらず再三にあらず」も同様語義です。「頭々みな参究」は一人一人が参学究明しなさいとの提唱です。

 

草木七寶をあつめて造塔造佛する始終、それ有爲にして成道すべからずは、三十七品菩提分法も有爲なるべし。三界人天の身心を拈じて修行せん、ともに有爲なるべし、究竟地あるべからず。草木瓦礫と四大五蘊と、おなじくこれ唯心なり、おなじくこれ實相なり。盡十方界、眞如佛性、おなじく法住法位なり。眞如佛性のなかに、いかでか草木等あらん。草木等、いかでか眞如佛性ならざらん。諸法は有爲にあらず、無爲にあらず、實相なり。實相は如是實相なり、如是は而今の身心なり。この身心をもて發心すべし。水をふみ石をふむをきらふことなかれ。たゞ一莖草を拈じて丈六金身を造作し、一微塵を拈じて古佛塔廟を建立する、これ發菩提心なるべし。見佛なり、聞佛なり。見法なり、聞法なり。作佛なり、行佛なり。

再度造塔仏をトピックにした段落ですが、先々段では「金銀七宝をあつめて造仏造塔」する小乗愚人衆による有為の功業に対する誤謬を説かれましたが、再び「草木七宝あつめて造塔造仏する始終、それ有為にして成道すべからずは、三十七品菩提分法も有為なるべし」をキータームにして「諸法は有為にあらず無為にあらず実相なり。実相は如是実相なりー中略―一微塵を拈じて古仏塔廟を建立する、これ発菩提心なり」と導かれます。

「明星出現時、我与大地有情、同時成道」に対する拈提です。

 

釋迦牟尼佛言、優婆塞優婆夷、善男子善女人、以妻子肉供養三寶、以自身肉供養三寶。諸比丘既受信施、云何不修。

しかあればしりぬ、飲食衣服、臥具醫藥、僧房田林等を三寶に供養するは、自身および妻子等の身肉皮骨髓を供養したてまつるなり。すでに三寶の功徳海にいりぬ、すなはち一味なり。すでに一味なるがゆゑに三寶なり。三寶の功徳すでに自身および妻子の皮肉骨髓に現成する、精勤の辦道功夫なり。いま世尊の性相を擧して、佛道の皮肉骨髓を參取すべきなり。いまこの信施は發心なり。受者比丘、いかでか不修ならん。頭正尾正なるべきなり。これによりて、一塵たちまちに發すれば一心したがひて發するなり、一心はじめて發すれば一空わづかに發するなり。おほよそ有覺無覺の發心するとき、はじめて一佛性を種得するなり。四大五蘊をめぐらして誠心に修行すれば得道す、草木牆壁をめぐらして誠心に修行せん、得道すべし。四大五蘊と草木牆壁と同參なるがゆゑなり、同性なるがゆゑなり。同心同命なるがゆゑなり、同身同機なるがゆゑなり。

これによりて、佛祖の會下、おほく拈草木心の辦道あり。これ發菩提心の様子なり。五祖は一時の栽松道者なり、臨濟は黄蘗山の栽杉松の功夫あり。洞山には劉氏翁あり、栽松す。かれこれ松栢の操節を拈じて、佛祖の眼睛を抉出するなり。これ弄活眼睛のちから、開明眼睛なることを見成するなり。造塔造佛等は弄眼睛なり、喫發心なり、使發心なり。

造塔等の眼睛をえざるがごときは、佛祖の成道あらざるなり。造佛の眼睛をえてのちに、作佛作祖するなり。造塔等はつひに塵土に化す、眞實の功徳にあらず、無生の修練は堅牢なり、塵埃に染汚せられずといふは佛語にあらず。塔婆もし塵土に化すといはば、無生もまた塵土に化するなり。無生もし塵土に化せずは、塔婆また塵土に化すべからず。遮裡是甚麼處在、説有爲説無爲なり。

釈迦牟尼仏言、優婆塞優婆夷、善男子善女人、以妻子肉供養三宝、以自身肉供養三宝。諸比丘既受信施、云何不修」本則とする拈提に入りますが、この本則の出典は不明とされますが、先に「経のいはく、作是思惟時、十方仏皆現」は『法華経』方便品 さらに「飲食衣服、臥具医薬、僧房田林等を三宝に供養」は『同経』観世音菩薩普門品からの引用と推察すると、「序品」に説かれる「諸仏所歎、或有菩薩、駟馬宝車、欄楯華蓋、軒飾布施、復見菩薩、身肉手足、及妻子施、求無上道、又見菩薩、頭目身体、欣楽施与」の経文を改変した道元禅師の自経文と思われます。 

「飲食衣服、臥具医薬、僧房田林等を三宝に供養するはー中略―三宝の功徳すでに自身及び妻子の皮肉骨髄に現成する、精勤の辨道功夫なり」

字義の如くの文であるが、菩提心とは身肉供養の如くに無所得無所悟の精勤を説くものです。

「いま世尊の性相を挙して仏道の皮肉骨髄を参取すべきなり。いまこの信施は発心なりー中略―草木牆壁をめぐらして誠心に修行せん得道すべし。四大五蘊と草木牆壁と同参なるがゆゑなり、同性なるがゆゑなり。同心同命なるがゆゑなり、同身同機なるがゆゑなり」

本則は在家衆の生人体供養を説くものでしたが、此の処では「受者比丘いかでか不修ならん」と出家衆に対する拈提で、発心→一塵=一心=四大五蘊=草木牆壁ともどもの「同参・同性・同心・同命・同身・同機」と存在の同等性を説くものです。

「これによりて仏祖の会下おほく拈草木心の辨道あり。これ発菩提心の様子なりー中略―造塔造仏等は弄眼睛なり、喫発心なり、使発心なり」

出家衆による菩提心の標的として「栽松」という仏行があり、「五祖は一時の栽松道者」(『仏性』巻(仁治二(1241)年十月十四日興聖寺示衆)、「臨済黄檗山の栽杉松」(『行持上』巻(仁治三(1242)年四月五日興聖寺書)、「洞山には劉氏翁あり栽松」(『景徳伝灯録』十七・後洞山師丱虔章参照)と、この行仏が「仏祖の眼睛を快出」眼玉をえぐり出す精髄であると。

ここに再度「造塔造仏は弄眼睛」とし、ここでの眼睛は真実を示唆し、さらに「喫発心・使発心」と発心の無量無辺を云わんとする為「喫・使」を使用される歟。

「造塔等の眼睛を得ざるが如きは仏祖の成道あらざるなり。造仏の眼睛を得てー中略―無生もし塵土に化せずは塔婆また塵土に化すべからず。遮裡是甚麼処在、説有為説無為なり」

この巻の主旨は「造塔造仏は弄眼睛」にあるので「造塔等の眼睛を得ざるが如きは仏祖の成道あらざるなり」との結語に到るは当的で、「造塔等は真実の功徳にあらず」云々以下は六段目に説く「小乗愚人いはく造像起塔は有為の功業なり、息慮凝心これ無為なり、法性実相の観行これ無為なり」を喩えを換えての拈提で、結論的に「遮裡是甚麼処在、説有為説無為」と有為無為の定義付けの愚考を説く提唱になります。

 

經云、菩薩於生死、最初發心時、一向求菩提、堅固不可動。彼一念功徳、深廣無涯際、如來分別説、窮劫不能盡。

あきらかにしるべし、生死を拈來して發心する、これ一向求菩提なり。彼一念は一草一木とおなじかるべし、一生一死なるがゆゑに。しかあれども、その功徳の深も無涯際なり、廣も無涯際なり。窮劫を言語として如來これを分別すとも、盡期あるべからず。海かれてなほ底のこり、人は死すとも心のこるべきがゆゑに不能盡なり。彼一念の深廣無涯際なるがごとく、一草一木、一石一瓦の深廣も無涯際なり。一草一石もし七尺八尺なれば、彼一念も七尺八尺なり、發心もまた七尺八尺なり。

 しかあればすなはち、入於深山、思惟佛道は容易なるべし、造塔造佛は甚難なり。ともに精進無怠より成熟すといへども、心を拈來すると、心に拈來せらるゝと、はるかにことなるべし。かくのごとくの發菩提心、つもりて佛祖現成するなり。

正法眼藏發菩提心第六十三

爾時寛元二年甲辰二月十四日在越州吉田縣吉峰精舎示衆

「菩薩於生死、最初發発心時、一向求菩提、堅固不可動。彼一念功徳、深広無涯際、如来分別説、窮劫不能尽」の本則は『大方広仏華厳経』賢首菩薩品第八の偈文を少々語彙を変えての引用です。

「あきらかにしるべし、生死を拈来して発心する、これ一向求菩提なり。彼一念は一草一木とおなじかるべし、一生一死なるがゆゑに。しかあれども、その功徳の深も無涯際なり、広も無涯際なり。窮劫を言語として如来これを分別すとも、尽期あるべからず」

此の処は経文の訓読みですが、「彼一念は一草一木と同じ」「一生一死」の拈語を加えるものです。なお原文では無涯際を無辺際に、不能尽を猶不尽との置き換えです。

「海枯れてなほ底のこり、人は死すとも心のこるべきがゆゑに不能尽なり。彼一念の深広無涯際なるがごとく、一草一木、一石一瓦の深広も無涯際なり。一草一石もし七尺八尺なれば、彼一念も七尺八尺なり、発心もまた七尺八尺なり」

「海枯れて猶底残り、人は死すとも心の残るべきが故に不能尽」は『遍参』巻に「すでに遍参究尽なるには脱落遍参なり。海枯不見底なり、人死不留心なり」との前例があり、これに対する当時の道元禅師の拈提は「海枯と云うは全海全枯なり。人死のとき心不留なり。死を拈来せるが故に心不留なり。一方の表裏を参究するなり」とを比較すると、矛盾めいた文意にも見えるが、ここでの「底」「心」は共に尽十方界中の真実体と受けての解釈です。

「一念一草一木一石一瓦」は無涯際つまり無量無辺を云うもので、「七尺八尺」は便宜的な数量に喩えるものです。

「しかあればすなはち、入於深山、思惟仏道は容易なるべし、造塔造仏は甚難なり。ともに精進無怠より成熟すといへども、心を拈来すると、心に拈来せらるゝと、はるかに異なるべし。かくのごとくの発菩提心、つもりて仏祖現成するなり」

「心を拈来・心に拈来」と一見すると能所の関係の言い分ですが、此の『発菩提心』巻提唱での主眼的実例は小乗愚人による「有為・無為」を説くものであったとすれば、「遮裡是甚麼処在、説有為説無為」に説かれるように「入於深山、思惟仏道」は易で、「造塔造仏」は難との二者択一を論破するための提唱・拈提で、それぞれの行仏仏行を「つもりて」と表徴され「仏祖現成」と結語されたものと推察されるものである。

なお此の巻は「造仏造塔」の重要性を説くものでもあったが、『建撕記』によると寛元二年(1244)二月二十九日には大仏寺法堂の地を平らげ、四月二十一日の上棟式には陰陽師の安倍晴宗が儀式を行った。との記事が見え、此の巻の示衆年月日は寛元二年二月十四日つまり志比庄での大仏寺工事の二週間前の提唱を考慮すると、この提唱の意義ならびに仏法哲理と寺院造営との関係も考察できる重要な巻である。