正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵授記

正法眼蔵第二十一 授記

    序言

佛祖單傳の大道は授記なり。佛祖の參學なきものは、夢也未見なり。その授記の時節は、いまだ菩提心をおこさざるものにも授記す。無佛性に授記す、有佛性に授記す。有身に授記し、無身に授記す。諸佛に授記す。諸佛は諸佛の授記を保任するなり。得授記ののちに作佛すと參學すべからず、作佛ののちに得授記すと參學すべからず。授記時に作佛あり、授記時に修行あり。このゆゑに、諸佛に授記あり、佛向上に授記あり。自己に授記す、身心に授記す。授記に飽學措大なるとき、佛道に飽學措大なり。身前に授記あり、身後に授記あり。自己にしらるゝ授記あり、自己にしられざる授記あり。佗をしてしらしむる授記あり、佗をしてしらしめざる授記あり。まさにしるべし、授記は自己を現成せり。授記これ現成の自己なり。このゆゑに、佛々祖々、嫡々相承せるは、これたゞ授記のみなり。さらに一法としても授記にあらざるなし。いかにいはんや山河大地、須彌巨海あらんや。さらに一箇半箇の張三李四なきなり。かくのごとく參究する授記は、道得一句なり、聞得一句なり。不會一句なり、會取一句なり。行取なり、説取なり。退歩を教令せしめ、進歩を教令せしむ。いま得坐披衣、これ古來の得授記にあらざれば現成せざるなり。合掌頂戴なるがゆゑに現成は授記なり。

「授記」の意味する一般的所見では、「仏が仏弟子に対し、将来必ず菩提果を受けるを説くもの」つまりは仏になる確約を意味しますが、「当巻」では「授記作仏」の言に示されるように、授記は尽界と包接する真実態として取り挙げるものです。

梵語ではvyakarana(和伽羅那)であるが、『仏教』巻では「十二分教、三者和伽羅那、    此云授記、或直記衆生未来事、乃至記鴿雀成仏等、是名和伽羅那」(「岩波文庫」㈡三〇六)と十二分教の一つと説明されます。

法華経』に於ける「授記品」第六(「大正蔵」九・二〇下)では摩訶迦葉には光明如来須菩提には名相如来、大迦旃延には金光如来、大目犍連には多摩羅跋旃檀香如来と成す授記が語られるものです。

「仏祖単伝の大道は授記なり。仏祖の参学なき者は、夢也未見なり」

提唱はじめに記す冒頭言に「当巻」の主旨が表明されると同時に、眼蔵提唱全般に通脈する開句の一語となります。

「その授記の時節は、未だ菩提心を起こさざる者にも授記す。無仏性に授記す、有仏性に授記す。有身に授記し、無身に授記す。諸仏に授記す。諸仏は諸仏の授記を保任するなり」

「授記の時節」の時節を事実と意訳することで、授記という眼前現成する真実相に於いては、発菩提心であろうが未発菩提心であろうが、対人の発未発の意味合いでは無い為、ある時は発の菩提心、ある時は未発の菩提心の現実ですから、未発菩提心者にも「授記」の真実相は授受されるのである。

先に発菩提・未発菩提は能所・主客を越えた真実態であると説く処から、尽界に於いては「無仏性・有仏性」や「有身・無身」の差違は、法界に還元されますから、『御抄』では「祖門の授記の道理にては此如云い、授記は只同事也」と説明を加えられます。

その所を「諸仏に授記し、諸仏は諸仏の授記を保任するなり」と表記しますが、「諸仏」は尽界に於ける真実体相とも云えますから、眼前現成する事物・事象は諸仏の授記を身に付けて(保任)いる。との冒頭言になるわけです。

「得授記の後に作仏すと参学すべからず、作仏の後に得授記すと参学すべからず。授記時に作仏あり、授記時に修行あり。この故に、諸仏に授記あり、仏向上に授記あり。自己に授記す、身心に授記す。授記に飽学措大なる時、仏道に飽学措大なり。身前に授記あり、身後に授記あり。自己に知らるる授記あり、自己に知られざる授記あり。佗をして知らしむる授記あり、佗をして知らしめざる授記あり」

この処の解釈の要所は、「仏と授記と自己(本来面目)」には前後関係も、能所・主客のするされるの連関性は無く共に真実態としての存在ですから、「授記・作仏」「授記・修行」「諸仏・授記」「仏向上・授記」「自己・授記」「身心・授記」「授記・飽学措大」「身前・授記」「身後・授記」と、思いつくままの仏語・身体語言を並列し、共々に真実態語としての授記との同事・同体・同時性が示される個所です。特に強調されるのは、「授記時に修行あり」との言句に「正法眼蔵」全体に通底する仏向上の理が窺い知れます。

「まさに知るべし、授記は自己を現成せり。授記これ現成の自己なり。この故に、仏々祖々、嫡々相承せるは、これただ授記のみなり。さらに一法としても授記にあらざるなし。いかに況や山河大地、須弥巨海あらんや。さらに一箇半箇の張三李四なきなり」

授記(すべての存在が、成仏の約束を与えられ生き続ける)の事実としては、「自己を現成し、現成の自己なり」とは、本来面目の真実相が現に成じている。との事ですから真実相の連続態を、ここでは「仏々祖々、嫡々相承」する具体事例を「授記のみなり」と位置づけたものです。

今は仏々祖々と大上段に構えましたが、微小な細菌でも「法としての授記でない事はない」のである。ましてや「山河の大地や須弥の巨海」が、現成する真実の授記でないはずはなく、さらには一人半人(一箇半箇)の張三李四(世俗人)であろうと、「授記」である成仏を与えられて真十方界の人体として生かされているのである。

「かくの如く参究する授記は、道得一句なり、聞得一句なり。不会一句なり、会取一句なり。行取なり、説取なり。退歩を教令せしめ、進歩を教令せしむ。いま得坐披衣、これ古来の得授記にあらざれば現成せざるなり。合掌頂戴なるが故に現成は授記なり」

次には参学究尽する授記の具象事例を六識等の感覚器官にまで日常態化させ、「道得・聞得・不会・会取・行取・説取」にまで授記に連関させ、更に叢林での「退歩・進歩・得坐・披衣」のように経行・打坐の様態を授記にと、このように搭袈裟し「合掌頂戴」する現成は古来からの得授記にほかならない。と、尽界に現成する悉皆を「授記」とみるものです。

ここでの要略を経豪和尚『御抄』では「著衣喫飯言談等、皆是法性也と云いしが如し」(「註解全書」五・二一)と解し、『法性』巻での馬祖録「長在法性三昧中、著衣喫飯、言談祗対。六根運用、一切施為、尽是法性」(「岩波文庫」㈢九六)からの考察と思われます。

これにて「授記」に対する本源的解説を終え、本則に対する拈提形式へと進行させます。

 

    一

佛言、それ授記に多般あれども、しばらく要略するに八種あり。いはゆる、瓔珞第九、八種授記あり。一者、自己知、佗不知。己知佗不知者、發心自誓未廣及人、未得四無所畏、未得善權故。二者、衆人盡知、自己不知。衆人盡知、己不知者、發心廣大得無畏善權故。三者、自己衆人、倶知。皆知者、位在七地、無畏善權、得空觀故。四者、自己衆人、倶不知。皆不知者、未入七地、未得無著行。五者、近覺、遠不覺。遠者不覺者、彌勒是也。諸根具足、不捨如來無著之行故。六者、遠覺、近不覺。近者不覺者、此人未能演説賢聖之行、師子膺是也。七者、倶覺。近遠倶覺者、諸根具足、不捨無著之行、柔順菩薩是也。八者、倶不覺。近遠倶不覺者、未得善權、不能悉知如來藏、等行菩薩是也。餘經又云、近知者。從現佛得記也、如彌勒等。遠知者。不從今佛、從當佛得記。如佛語弊魔、彌勒當與汝記。遠近倶知者。今當佛倶與記也。近遠倶不知者。今當佛倶不記也。かくのごとくの授記あり。しかあれば、いまこの臭皮袋の精魂に識度せられざるには授記あるべからずと活計することなかれ、未悟の人面にたやすく授記すべからずといふ事なかれ。よのつねにおもふには、修行功滿じて作佛決定する時授記すべしと學しきたるといへども、佛道はしかにはあらず。或從知識して一句をきゝ、或從經巻して一句をきくことあるは、すなはち得授記なり。これ諸佛の本行なるがゆゑに、百草の善根なるがゆゑに。もし授記を道取するには、得記人みな究竟人なるべし。しるべし、一塵なほ無上なり、一塵なほ向上なり。授記なんぞ一塵ならざらん、授記なんぞ一法ならざらん、授記なんぞ萬法ならざらん、授記なんぞ修證ならざらん、授記なんぞ佛祖ならざらん、授記なんぞ功夫辦道ならざらん、授記なんぞ大悟大迷ならざらん。授記はこれ吾宗到汝、大興于世なり、授記はこれ汝亦如是、吾亦如是なり。授記これ標榜なり、授記これ何必なり。授記これ破顔微笑なり、授記これ生死去來なり。授記これ盡十方界なり、授記これ徧界不曾藏なり。

ここでは『妙法華経文句』釈授記品(「大正蔵」三四・九七中)の本文を引用しますが、底本では「瓔珞第九、八種授記。己知他不知。衆人尽知、己不知」と一者・二者は記されませんが、ここでは老婆親語で以て記し供されます。また本巻では自己と記録されますが、底本ではは省略されますが、字句の出入りはほとんどありません。

「仏言、それ授記に多般あれども、しばらく要略するに八種あり。いわゆる、瓔珞第九、八種授記あり。一者、自己知、佗不知。己知佗不知者、発心自誓未広及人、未得四無所畏、未得善権故」

「自己知、佗不知」とは、自己も我らが吾我に対する自にあらず。知も慮知の知にあらず。「一者」は「釈授記品」には不記で、便宜的に付け加えられたものです。「四無所畏」は「能持・知根・決疑・答報」無所畏を云う。「善権」は善巧方便と同義語で、権は方便の意。

「二者、衆人尽知、自己不知。衆人尽知、己不知者、発心広大得無畏善権故」

「衆人尽知、自己不知」の衆は諸仏とも一仏とも云い、多少の義にあらず。「自己不知」の自は原文では無し。

三者、自己衆人、倶知。皆知者、位在七地、無畏善権、得空観故」

「自己衆人、倶知」とは、知の上の自己与衆人である。「自己衆人」の自と人は原文には無く、己衆とす。「位在七地」とは菩薩の十地中七位。「空観」は般若の空。

「四者、自己衆人、倶不知。皆不知者、未入七地、未得無著行」

「自己衆人、倶不知」とは不知の心地なり。「自己衆人」の自と人は原文なし。「無著行」は菩薩の十行の第七位で、執著障礙のない行動。

「五者、近覚、遠不覚。遠者不覚者、弥勒是也。諸根具足、不捨如来無著之行故」

「近覚、遠不覚」近きは覚(さと)り、遠きは覚らず。「弥勒」は釈迦滅後の出世仏。「諸根」は眼耳鼻舌身意根。「近覚、遠不覚」とは、本来面目である自己の中で知不知を論ずるは遠近を差別し、覚不覚の語句は世間の言葉である。

「六者、遠覚、近不覚。近者不覚者、此人未能演説賢聖之行、師子膺是也」

「遠覚、近不覚」は先と同義である。「師子膺」とは仏の弟子(これは「岩波文庫」㈡六二水野氏からの引用)。

「七者、倶覚。近遠倶覚者、諸根具足、不捨無著之行、柔順菩薩是也」

「柔順菩薩」とは法華各品で説く柔軟に通ずる歟。

「八者、倶不覚。近遠倶不覚者、未得善權、不能悉知如來蔵、等行菩薩是也」

「如來蔵」は仏性・清浄心性と同義語で、心が如来法身を蔵すとする。以上、八種の「授記」は無差別を云うものである。

「余経又云、近知者。従現仏得記也、如弥勒等。遠知者。不従今仏、従当仏得記。如仏語弊魔、弥勒当与汝記。遠近倶知者。今当仏倶与記也。近遠倶不知者。今当仏倶不記也」

余経に又云う、近きを知るとは、現仏に従い(授)記を得るは、弥勒等の如し。遠きを知るとは、今は仏に従わず、当仏(弥勒)に従い(授)記を得る。仏、弊魔に、弥勒は当に汝に(授)記を与うと語る如し。遠近倶に知るとは、今当仏は倶に(授)記を与う。近遠倶に知らずとは、今当仏は倶に不記なり。

「かくの如くの授記あり。しかあれば、い今この臭皮袋の精魂に識度せられざるには授記あるべからずと活計する事なかれ、未悟の人面にたやすく授記すべからずと云う事なかれ。世の常に思うには、修行功満じて作仏決定する時授記すべしと学し来たると云えども、仏道はしかにはあらず。或従知識して一句を聞き、或従経巻して一句を聞く事あるは、便ち得授記なり。これ諸仏の本行なるが故に、百草の善根なるが故に」

先に述べられたように一口に「授記」と云っても、様々に分類されるものですが、ここでは授記とは絵空事ではなく、修行成就し後の褒美としての授記では仏道ではないのです。大悟なら授記が有り、未悟なら授記すべからず。とはならず、この肉身(臭皮袋)の気持ち(精魂)で判断(識度)できないなら、授記不可などとの考え(活計)をしては、仏道とは言えないのである。臭皮袋であろうが、未悟大悟に拘わらず、皆授記の対象である。

さらに或従知識・或従経巻という一期一会も「得授記」であり、この或従経巻・知識が「諸仏の本行」つまり本来の修行であり、あらゆる良縁を「百草の善根」であると説くわけです。

「もし授記を道取するには、得記人みな究竟人なるべし。知るべし、一塵なお無上なり、一塵なお向上なり。授記なんぞ一塵ならざらん、授記なんぞ一法ならざらん、授記なんぞ万法ならざらん、授記なんぞ修証ならざらん、授記なんぞ仏祖ならざらん、授記なんぞ功夫辦道ならざらん、授記なんぞ大悟大迷ならざらん」

授記を言語化し、授記を得た人は皆が、真実を究め尽した「究竟人」であるはずである。その授記の内実は「無上・向上・一塵・一法・万法・修証・仏祖・功夫辦道・大悟大迷」などの、臭皮袋から仏果位、ないし一塵から万法を通脈する学人でなければ、授記は覚つかないのである。

「授記はこれ吾宗到汝、大興于世なり、授記はこれ汝亦如是、吾亦如是なり。授記これ標榜なり、授記これ何必なり。授記これ破顔微笑なり、授記これ生死去来なり。授記これ尽十方界なり、授記これ徧界不曾蔵なり」

「吾宗到汝、大興于(於)世」は黄檗臨済印可を、つまり授記を与えたもので、『行持』上巻(「岩波文庫」㈠三三六(於))に取り挙げられます。この因縁譚を簡略に記すと「臨済黄檗山に在する時、黄檗と杉松を栽える次いでに、黄檗臨済に問う。深山裏に、そんなに栽えてどうするか。臨済が云うには、一つには山門の境致を為し、二つには後人の標榜を作す。黄檗が云うには、吾が宗は汝に到り、大いに世に於いて興らん」(『臨済録』「大正蔵」四七・五〇五上)となり、「授記これ標榜なり」とは黄檗臨済との因縁話を指し、「授記これ何必なり」の何必とは「何ぞ必ずしも何々ならん」と云った説明不可能な事実を言い表す表現で、『現成公案』『谿声山色』『柏樹子』各巻でも表態した言句となります。さらに六祖の「汝亦如是、吾亦如是」、摩訶迦葉の「破顔微笑」、圜悟の「生死去来」、玄沙の「尽十方界」、石霜の「徧界不曾蔵」などと明言されますが、詮慧の『聞書』では「坐禅坐仏なる程の事なり」(「註解全書」五・一〇一)と解き、経豪の『御抄』は「ここに百千無量の詞を挙げんも、皆授記の理あらわるべきなり」(「同書」三一)と註されますが、筆者の見方は、衆内の旧達磨宗徒に対する説法義にも聞き取れ、看話的視点から無所得の禅観を促すパラダイム説法と聴聞する次第です。

 

    二

玄沙院宗一大師、侍雪峰行次、雪峰指面前地云、這一片田地、好造箇無縫塔。玄沙曰、高多少。雪峰乃上下顧視。玄沙云、人天福報即不無、和尚靈山授記、未夢見在。雪峰云、儞作麼生。玄沙曰、七尺八尺。いま玄沙のいふ和尚靈山授記、未夢見在は、雪峰に靈山の授記なしといふにあらず、雪峰に靈山の授記ありといふにあらず、和尚靈山授記、未夢見在といふなり。靈山の授記は、高著眼なり。吾有正法眼藏涅槃妙心、附囑摩訶迦葉なり。しるべし、青原の石頭に授記せしときの同參は、摩訶迦葉も青原の授記をうく、青原も釋迦の授記をさづくるがゆゑに、佛々祖々の面々に、正法眼藏附囑有在なることあきらかなり。こゝをもて、曹谿すでに青原に授記す、青原すでに六祖の授記をうくるとき、授記に保任せる青原なり。このとき、六祖諸祖の參學、正直に青原の授記によりて行取しきたれるなり。これを明々百草頭、明々佛祖意といふ。

本則出典籍は『聯灯会要』二三・玄沙章(「続蔵」七九・二〇二下)と思われ、一字一句差異はありません。因みに『景徳伝灯録』十八・玄沙章(「大正蔵」五一・三四五下)から参照のため跋文すると「師(玄沙)一日随侍雪峰遊山、雪峰指一片地曰、此処造得一所無縫塔。師曰、高多少。雪峰乃顧視 上下。師曰、人天依報即不如和尚、若是霊山受(授)記大遠在」このような字句の出入りがあります。また『真字正法眼蔵』六〇則にも同則あり。

「玄沙院宗一大師、侍雪峰行次、雪峰指面前地云、這一片田地、好造箇無縫塔」

玄沙師備、雪峰義存に侍して行く次いでに、雪峰が目の前の地面を指して云った、この一画の土地は、一つの無縫塔(墓標)を造るに恰好の土地だ。

「雪峰義存」(822―908)には法嗣者十四人在り、第一座「玄沙師備」(835―908)は師資相承の語が適合する師弟関係である。「無縫塔」とは比丘の墓石であるが、一塊の石で造り卵形の塔でストゥーパと同義であり、無縫は無執著。無辺際の暗喩である。

「玄沙曰、高多少。雪峰乃上下顧視」

玄沙が日うには、無縫塔の高さはどれぐらい(多少)ですか。雪峰は乃ち顔を上下にした。

「高多少」は単なる高低ではなく、尽界の無辺際を云い、雪峰の「上下」も無辺際を示唆するものです。

「玄沙云、人天福報即不無、和尚霊山授記、未夢見在。雪峰云、你作麼生。玄沙曰、七尺八尺」

玄沙の云うには、無縫塔(ストゥーパ)の建立は人界天界での福徳の果報が無いではないが、和尚(雪峰)は霊山での授記は、未だ夢にも見ざる在り。雪峰云うには、你(玄沙)はどうだ。玄沙日く、七尺八尺。

一見すると玄沙の言は、師の雪峰を見下したものとも見受けられるが、経豪和尚の言を借りて説明するならば、「霊山授記と談ずる時、和尚は霊山授記に隠れて、未夢見在の道理なるべし。つまり一方を証すれば一方は暗き道理なり」(「註解全書」五・三六)との言を参考に記すものです。

玄沙の雪峰が云うお前ならどうだ。に対する「七尺八尺」の言は、尺寸の数量を云うものではなく、先の「高多少」を数量で答えた形になっていますが、「多少」も「七尺八尺」も無辺際ないし無限定に譬えられるものです。

「いま玄沙の云う和尚霊山授記、未夢見在は、雪峰に霊山の授記なしと云うにあらず、雪峰に霊山の授記ありと云うにあらず、和尚霊山授記、未夢見在と云うなり」

これは先程の、一方を証すれば一方は暗しを云い、「和尚(雪峰)の霊山の授記は未夢見在」と云う在り方であり、「未だ夢にも見ざる在り」などとは解釈してはいけない、との著語です。つまり、未夢見在の未は如何や甚麽とも通底通脈する「未」であり、否定辞ではなく無限定・無際限を表徴するものですから、授記「なし・あり」には同定できないのです。

「霊山の授記は、高著眼なり。吾有正法眼蔵涅槃妙心、附嘱摩訶迦葉なり。知るべし、青原の石頭に授記せし時の同参は、摩訶迦葉も青原の授記を受く、青原も釈迦の授記を授くるが故に、仏々祖々の面々に、正法眼蔵附嘱有在なる事明らかなり」

最初の句は、霊山の授記は、吾有正法眼蔵涅槃妙心、附嘱摩訶迦の高著眼なり。と高著眼と吾有を入れ替えると理解し易くなります。「高著眼」とは鳥の視野のような俯瞰的洞察を云うもので、このような観点(高著眼)からすると、「青原(行思)」→石頭(希遷)」の授記は史実として肯われますが、「青原→摩訶迦葉」の授記は時間的にも空間的にも有り得ぬ事実ではありますが、ここでは「授記」という事象に於ける同態性を説かんとするもので、仏道は超論理性での説明とは異なります。

右に挙げる事態からも、さらに「青原→釈迦」の授記への道理も頷け、これらの逆ベクトルの時間でも可能な状態を「仏々祖々の面々に、正法眼蔵附嘱有在」との著語拈提です。

「ここをもて、曹谿すでに青原に授記す、青原すでに六祖の授記を受くる時、授記に保任せる青原なり。この時、六祖諸祖の参学、正直に青原の授記によりて行取し来たれるなり。これを明々百草頭、明々仏祖意と云う」

ここでは曹谿つまり六祖慧能と青原との順当な師資相承の授記の模様が説かれ、この現成を「明々百草頭、明々仏祖意」と表現されますが、これは、あらゆる眼前する現況は明々なる仏祖意であると解釈されるものですから、百草と仏祖は一物で明々百草仏祖とも云い得るものです。

 

しかあればすなはち、佛祖いづれか百草にあらざらん、百草なんぞ吾汝にあらざらん。至愚にしておもふことなかれ、みづからに具足する法は、みづからかならずしるべしと、みるべしと。恁麼にあらざるなり。自己の知する法、かならずしも自己の有にあらず。自己の有、かならずしも自己のみるところならず、自己のしるところならず。しかあれば、いまの知見思量分にあたはざれば自己にあるべからずと疑著することなかれ。いはんや靈山の授記といふは、釋迦牟尼佛の授記なり。この授記は、釋迦牟尼佛の釋迦牟尼佛に授記しきたれるなり。授記の未合なるには授記せざる道理なるべし。その宗旨は、すでに授記あるに授記するに罣礙なし、授記なきに授記するに剩法せざる道理なり。虧闕なく、剩法にあらざる、これ諸佛祖の諸佛祖に授記しきたれる道理なり。このゆゑに古佛いはく、古今擧拂示東西、大意幽微肯易參。此理若無師教授、欲將何見語玄談。

「しかあれば即ち、仏祖いづれか百草にあらざらん、百草なんぞ吾汝にあらざらん。至愚にして思う事なかれ、みづからに具足する法は、みづから必ず知るべしと、見るべしと。恁麼にあらざるなり」

先には六祖と青原との授受記の間柄を明々なる百草であり、明々なる仏祖と位置づけた訳であるから、仏祖各位は百草の真実態でない訳はないのである。百草なる真実相には、六祖が汝亦如是・吾亦如是と云うように、真実底では汝・吾との二項分立は行わないのである。

このように自己に具足する法は、諸仏祖の法と何ら変わるものではなく、自分自身を愚かと思ってはならず、人々具足する法は明々なる百草頭・明々なる仏祖意の複雑に絡み合うものであるから、我が知り見るなどと思うは愚かな事である。

「自己の知する法、必ずしも自己の有にあらず。自己の有、必ずしも自己の見る処ならず、自己の知る処ならず。しかあれば、今の知見思量分に能わざれば、自己にあるべからずと疑著する事なかれ」

前言を補う形で、自己(我)の覚知(視・聴・触・味・臭・覚)する法のみが、必ずしも本来の自己(面目)の有のの存在ではなく、自己の有(本来自己)ばかりが、自我の見識ではないのである。現在の知識や思考の範囲外を理由に、本来の自己を過小評価するべきではないと、玄沙の云う「未夢見在」の具体的参究例として示すものです。

前にも未夢見在には言及しましたが、この場合では自己(本来人)と非自己(自我)の峻別は出来ない事実を謂わんとするものです。

「霊山の授記と云うは、釈迦牟尼仏の授記なり。この授記は、釈迦牟尼仏釈迦牟尼仏に授記し来たれるなり。授記の未合なるには授記せざる道理なるべし。その宗旨は、すでに授記あるに授記するに罣礙なし、授記なきに授記するに剰法せざる道理なり。虧闕なく、剰法にあらざる、これ諸仏祖の諸仏祖に授記し来たれる道理なり。この故に古仏云く、古今挙払示東西、大意幽微肯易参。此理若無師教授、欲将何見語玄談」

霊鷲山(Gijjhakuta・耆闍崛山)での授記は、釈迦仏→摩訶迦葉へと行持されたとされるが、ここでは釈迦仏→釈迦仏へと授記し来たる。との解釈を「自己仏が自己仏に授記し、自己が自己に相見するを授記の時節」(「啓迪」一三七)と、西有氏は解説されます。また「授記の未合」とは機縁が合わない状況下では、啐啄同期迪契合とはならないのである。

このように説いてきた意味(宗旨)は、授受する者の同時成道であるから過不足なく行持される事実を「諸仏祖の諸仏祖に授記される道理」と導き、雲頂山の僧「徳敷」による詩十首の最後の「古今大意」の「一古今以払示東南、二大意幽微肯易参。三動指掩頭元是一、四斜眸拊掌固非三。五道吾無笏同人会、六石鞏彎弓作者諳。七此理若無師印授、八欲将何見語玄談」(『景徳伝灯録』二九「大正蔵」五一・四五六中)「古今払(子)を以て東南を示す、大意幽微にて、肯(うべな)い参じ易からんや。指を動かし頭を掩うも、元は是れ一にして、眸(ひとみ)を斜にして掌(たなごころ)を拊すも、固(もと)より三に非ず。道吾(薬山惟𠑊の弟子の道吾円智を指す)は笏(こつ)無ければ、同人会し、石鞏(馬祖道一の弟子の石鞏慧蔵を指す)は弓を彎けば、作者諳んず。此の理は、若し師の印授が無ければ、何れの見(識)を将ってか、玄談を語らんと欲す」の内から一・二・七・八の句を取捨改変し、前半部の拈提に付け加えたものですが、此の偈頌で謂わんとする趣旨は、「玄沙も雪峰の教授あってこそ玄沙たらしめる」の意が含有されると思われますが、原文の東南印授の文句は、どうも気に入らなかったようで、東西・教授へと改めたのは、中国人による方角感覚から日本人慣れした東西に、また印授から教授への改変は、印可証明というような語感を嫌い教授と書き改めたものと考えられます。

談義座にて、筆者もし意見を許されるなら、この教授を授受へと変更させ、玄沙・雪峰の同態同期を強調する所存です。

 

いま玄沙の宗旨を參究するに、無縫塔の高多少を量するに、高多少の道得あるべし。さらに五百由旬にあらず、八萬由旬にあらず。これによりて、上下を顧視するをきらふにあらず。たゞこれ人天の福報は即不無なりとも、無縫塔高を顧視するは、釋迦牟尼佛の授記にはあらざるのみなり。釋迦牟尼佛の授記をうるは、七尺八尺の道得あるなり。眞箇の釋迦牟尼佛の授記を點撿することは七尺八尺の道得をもて撿點すべきなり。しかあればすなはち、七尺八尺の道得を是不是せんことはしばらくおく、授記はさだめて雪峰の授記あるべし、玄沙の授記あるべきなり。いはんや授記を擧して無縫塔高の多少を道得すべきなり。授記にあらざらんを擧して佛法を道得するは、道得にはあらざるべきなり。自己の眞箇に自己なるを會取し聞取し道取すれば、さだめて授記の現成する公案あるなり。授記の當陽に、授記と同參する功夫きたるなり。授記を究竟せんために、如許多の佛祖は現成正覺しきたれり。授記の功夫するちから、諸佛を推出するなり。このゆゑに、唯以一大事因縁故出現といふなり。その宗旨は、向上には非自己かならず非自己の授記をうるなり。このゆゑに、諸佛は諸佛の授記をうるなり。おほよそ授記は、一手を擧して授記し、兩手を擧して授記し、千手眼を擧して授記し、授記せらる。あるいは優曇華を擧して授記す、あるいは金襴衣を拈じて授記する、ともにこれ強爲にあらず、授記の云爲なり。内よりうる授記あるべし、外よりうる授記あるべし。内外を參究せん道理は、授記に參學すべし。授記の學道は萬里一條鐵なり。授記の兀坐は一念萬年なり。

「いま玄沙の宗旨を参究するに、無縫塔の高多少を量するに、高多少の道得あるべし。さらに五百由旬にあらず、八万由旬にあらず。これによりて、上下を顧視するを嫌うにあらず」

これは玄沙の「高多少」の無辺際の器量を讃嘆するもので、『長阿含経』等に説く五百由旬(無間地獄の広さ)や八万由旬(須弥海底の須倫城の広さ)も及ばない無縫塔の高さは、高多少としか云いようがなく、雪峰の「上下顧視」は単なるパフォーマンスではなく、「上下」も共に無限定を表意するものですから「嫌うにあらず」と、未夢見在に対する一般的見方を充分承知の上での、このような言明と為ります。

「ただこれ人天の福報は即不無なりとも、無縫塔高を顧視するは、釈迦牟尼仏の授記にはあらざるのみなり。釈迦牟尼仏の授記を得るは、七尺八尺の道得あるなり。真箇の釈迦牟尼仏の授記を点撿する事は、七尺八尺の道得をもて撿点すべきなり」

ここでは雪峰の・釈尊・玄沙それぞれの立場での授記を説明するものですが、玄沙の解く処の「七尺八尺」の語言を讃ずる拈提も形です。

「しかあれば即ち、七尺八尺の道得を是不是せん事はしばらく置く、授記は定めて雪峰の授記あるべし、玄沙の授記あるべきなり。いわんや授記を挙して無縫塔高の多少を道得すべきなり。授記にあらざらんを挙して仏法を道得するは、道得にはあらざるべきなり」

前の言句を承けて、授記には釈尊摩訶迦葉だけのものではなく、雪峰の無縫塔高の授記や玄沙の七尺八尺の授記それぞれが真実義の授記を為すわけではあるが、授記のない仏法を言うは有り得ないとの言ですが、授記は単なる行法ではなく、眼前現成する諸法が真実相であるとする事実を「授記」であり「仏法」と道得するのである。

「自己の真箇に自己なるを会取し聞取し道取すれば、定めて授記の現成する公案あるなり。授記の当陽に、授記と同参する功夫来たるなり。授記を究竟せん為に、如許多の仏祖は現成正覚し来たれり。授記の功夫する力、諸仏を推出するなり。この故に、唯以一大事因縁故出現と云うなり。その宗旨は、向上には非自己必ず非自己の授記を得るなり。この故に、諸仏は諸仏の授記を得るなり」

「自己の真箇」とは本来面目人を示唆し、そこでは「自己」=「授記」=「現成公案」は一線上に配する真実態の表徴でもあります。

「授記の当陽」での当陽の意は、「天子が南に正しく面して位置すること(「漢字源」)」とあるが、単に授記の当体と云った意味であり、授記の当体は授記に同属参随するといった意味合いである。「授記を究竟」するとは、真実相を究め尽すは仏祖の確約を意味しますから、多く(如許多)の仏祖がやがては、授記の究竟に到りますから、「現成正覚し来たる」と記し、諸仏と授記の同態なる道理を「諸仏を推出する」なりと説きます。

この諸仏と授記の一体なる道理を、「方便品」での「唯だ一大事因縁を以ての故に出現した」(唯以一大事因縁故出現)と定め、その謂う処(宗旨)は、授記の真実の向上には、必ず「非自己は非自己の授記を得る」のであるから、「諸仏は諸仏の授記を得る」なりと連脈するのである。つまりは、「自己」―「非自己」―「諸仏」―「仏祖」は授記の一表出形態である、との著語です。

「おおよそ授記は、一手を挙して授記し、両手を挙して授記し、千手眼を挙して授記し、授記せらる。或いは優曇華を挙して授記す、或いは金襴衣を拈じて授記する、共にこれ強為にあらず、授記の云為なり。内より得る授記あるべし、外より得る授記あるべし。内外を参究せん道理は、授記に参学すべし。授記の学道は万里一条鉄なり。授記の兀坐は一念万年なり」

ここでは授記に於ける外見的要因の「一手・両手・千手眼」さらに「優曇華・金襴衣」等を取り挙げて、これらは附随物ではなく、それぞれが授記の本質であるとは、ある限定された一場面だけが、真実底の授記ではなく、一瞬一刻の現成する日常底が実相底の「授記」との意味合いです。これは外からの強制(強為)ではなく、自然の成り行き(云為)であり、内下の優劣より在るものではない。とは、尽十方界の俯瞰的視野で物事を把捉しなさい、との拈語のようです。

雪峰・玄沙による話頭に対する拈提の最後の「授記の学道は万里一条鉄」とは、授記という実践する学道の要諦は、万里(尽十方)に鉄が敷かれているように、すべて(尽十方界)が真実の表態との意で、さらに「授記の兀坐は一念万年」とは、一念の刹那と万年の永劫とは連脈する事実を解くもので、授記の無辺際の道理を説かんとするものですが、一法究尽の理で解くものとも言えます。

 

    三

古佛いはく、相繼得成佛、轉次而授記。いはくの成佛は、かならず相繼するなり。相繼する少許を成佛するなり。これを授記の轉次するなり。轉次は轉得轉なり、轉次は次得次なり。たとへば造次なり。造次は施爲なり。その施爲は、局量の造身にあらず、局量の造境にあらず、度量の造作にあらず、造心にあらざるなり。まさに造境不造境、ともに轉次の道理に一任して究辦すべし。造作不造作、ともに轉次の道理に一任して究辦すべし。いま諸佛諸祖の現成するは施爲に轉次せらるゝなり。祖師の西來する施爲に轉次せらるゝなり。いはんや運水般柴は、轉次しきたるなり。即心是佛の現生する轉次なり。即心是佛の滅度する、一滅度二滅度をめづらしくするにあらず、如許多の滅度を滅度すべし、如許多の成道を成道すべし、如許多の相好を相好すべし。これすなはち相繼得成佛なり、相繼得滅度等なり。相繼得授記なり、相繼得轉次なり。轉次は本來にあらず、たゞ七通八達なり。いま佛面祖面の面々に相見し、面々に相逢するは相繼なり。佛授記祖授記の轉次する、回避のところ、間隙あらず。

これまでは授記の概説、玄沙・雪峰による話頭を題材に説いてきましたが、これからは法華経典を中心に五問設置し、授記に対する考えを述べられます。

「古仏云く、相継得成仏、転次而授記」

この出典籍は『法華経』序品(「大正蔵」九・五中)で「供養諸仏已、随順行大道、相継得成仏転次而授記、最後天中天、号曰燃燈仏」(諸仏を供養し已って、随順して大道を行じ、相継いで成仏するを得、転次して授記す、最後の天中天をば、号を燃燈仏と曰く)と、このように「序品」最後部からの引用です。

「云くの成仏は、必ず相継するなり。相継する少許を成仏するなり。これを授記の転次するなり。転次は転得転なり、転次は次得次なり。喩えば造次なり。造次は施為なり。その施為は、局量の造身にあらず、局量の造境にあらず、度量の造作にあらず、造心にあらざるなり」

「法華」本文では、随順に相継し成仏すると説かれますが、「成仏」と「相継」には間隙を入れない拈語ですから同時成道を意味するわけで、「少許」は多少の少ではなく、「少許を成仏する」とは授記と成仏の同時同態の一味性説くものです。

この「授記」の真実態は、間断なく動き続ける状況を「転次するなり」と言い、「転次」の具体的形容を「転得転」「次得次」と表現されますが、転が転を得、次が次を得るとは、そのものに成りきるを「転次」を例に主客を設定せず考察するものです。

転次の具体的現況は「造次なり」。と造次顛沛と云われる、ほんの少しの時間に喩え、その造次とは「施為」という、行い・仕業を言うのである。と著語されますが、謂う処は刹那の時間でも真実相の施為(おこない)が授記の実相と為るとの事実を説くものです。

その授記の行為は、限られた(局量)身心(造身)・境界(造境)・造修(造作・造心)ではないとの事ですが、限定した見方ではなくおおきな視野で以て、事物の事象を観察・把捉せよとの提言のようです。

「まさに造境不造境、ともに転次の道理に一任して究辦すべし。造作不造作、ともに転次の道理に一任して究辦すべし。いま諸仏諸祖の現成するは施為に転次せらるるなり。祖師の西来する施為に転次せらるるなり。いわんや運水般柴は、転次し来たるなり」

先に造身・造境・造作・造心にあらず。と掲げましたから、「造境不造境・造作不造作」と表だけでなく裏面をも言及するは「眼蔵」の必須要件であり、表裏ともどもに窮理辦道しなさい、との言です。

「諸仏諸祖」つまり仏祖が現成するのは、授記の真実態での施為(仕業)であり転次であり、同様に「祖師西来」の真実態でもあり、日常底の「運水般柴」も共々に、常に動的平衡状態で現常を維持し続ける行為を「転次し来たるなり」と、法華の文句で言い切るわけです。

「即心是仏の現生する転次なり。即心是仏の滅度する、一滅度二滅度を珍しくするにあらず、如許多の滅度を滅度すべし、如許多の成道を成道すべし、如許多の相好を相好すべし。これ即ち相継得成仏なり、相継得滅度等なり。相継得授記なり、相継得転次なり。転次は本來にあらず、ただ七通八達なり。いま仏面祖面の面々に相見し、面々に相逢するは相継なり。仏授記祖授記の転次する、回避の処、間隙あらず」

「即心是仏の現生・滅度」とは、転次つまり成道義に於ける生滅であり、そこには多く(如許多)の滅度・成道・相好あり。とし、一滅度二滅度では及ばないと言われますが、謂う処は真実人体の恒常性を云わんとするものです。そのホメオスタシス(恒常性)を此の処では、「相継得成仏」と言い、その道理の上に「相継得滅度・相継得授記・相継得転次」等が現生する。との語り口です。この相継得成仏は諸法に現生滅度するもので、これだけに限定されるものでは在りません。

「転次は本來にあらず」とは、転次の道理は仏面祖面に相逢・相継と言い切ることから「本来にあらず」であり、「ただ七通八達なり」とは、達彼達此と同義です。

仏祖の授記(仏授記・祖授記)という真実相態の転次は、回避しようにも回避の間隙が見当たらず、常態的に滅度し現生するホメオスタシス迪平衡態を保持し続けている。といった現代的解釈を付加する。

 

古佛いはく、我今從佛聞、授記莊嚴事、及轉次受決、身心遍歡喜。いふところは、授記莊嚴事、かならず我今從佛聞なり。我今從佛聞の及轉次受決するといふは、身心遍歡喜なり。及轉次は我今なるべし。過現當の自佗にかゝはるべからず、從佛聞なるべし。從佗聞にあらず。迷悟にあらず、衆生にあらず、草木國土にあらず、從佛聞なるべし。授記莊嚴事なり、及轉次受決なり。轉次の道理、しばらくも一隅にとゞまりぬることなし。身心遍歡喜しもてゆくなり。歡喜なる及轉次受決、かならず身と同參して遍參し、心と同參して遍參す。さらに又、身はかならず心に遍ず、心はかならず身に遍ずるゆゑに身心遍といふ。すなはちこれ徧界徧方、徧身徧心なり。これすなはち特地一條の歡喜なり。その歡喜、あらはに寤寐を歡喜せしめ、迷悟を歡喜せしむるに、おのおのと親切なりといへども、おのおのと不染汚なり。かるがゆゑに、轉次而受決なる授記莊嚴事なり。

「古仏云く、①㈠我今㈡従仏聞、②㈠授記㈡荘厳事、③㈠及転㈡次受決、④㈠身心㈡遍歓喜

本則出典籍は『法華経』五百弟子受記品(「大正蔵」九・二九中)からの最後部からの「今仏覚悟我、言非実滅度、得仏無上慧、爾乃為真滅。我今従仏聞、授記荘厳事、及転次受決、 身心遍歓喜」(今仏は我を覚悟して、実の滅度に非ず、仏の無上慧を得て、爾して乃ち為れ真の滅なりと言う。我れ今仏に従いて、授記荘厳事、及び転次に受決するを聞き、身心遍く歓喜)を引用するものです。

この「五百弟子品」では、釈尊が阿若憍陳(五比丘の一人)等五百の声聞に対し授記し、彼らは身心遍歓喜する。との古典的経文解釈に滞らず解明されます。

「云う処は、授記荘厳事、必ず我今従仏聞なり。我今従仏聞の及転次受決すると云うは、身心遍歓喜なり。及転次は我今なるべし。過現当の自佗に拘わるべからず、従仏聞なるべし。従佗聞にあらず。迷悟にあらず、衆生にあらず、草木国土にあらず、従仏聞なるべし。授記荘厳事なり、及転次受決なり。転次の道理、しばらくも一隅に留まりぬる事なし。身心遍歓喜しもてゆくなり」

拈提に於いては、四句偈文の二句目を最初に据えて「②㈠授記―①㈠我今―③㈠及転―④㈠身心」と連関させるものですが、授記の実態は段階的経緯ではなく、尽界如是たらんとするを言わんとするものです。「及転次は我今なるべし」とは、第三句㈠と第一句㈠を合糅しただけではなく、即今恁麽を謂わんとするものです。

この「我今」は而今現成の我でありますから、過現当(過去・現在・未来)の自己他己に拘わらざるは勿論であります。我今は従仏聞ですから、勿論「従佗聞・迷悟・衆生・草木国土」とは区別しなければなりません。

②「授記荘厳事」→③「及転次受決」→④「身心遍歓喜」と連脈する道理を説かれるものですが、ここでの荘厳事とは眼横鼻直であったり柳緑花紅といった而今現成なるを云うもので、そこでは一瞬たりとも停滞は許されず、動的平衡の常態が「身心遍歓喜しもてゆく」なりと言語化するものですが、これは無常の喩えでもあるものです。

歓喜なる及転次受決、必ず身と同参して遍参し、心と同参して遍参す。さらに又、身は必ず心に遍ず、心は必ず身に遍ずる故に身心遍と云う。即ちこれ徧界徧方、徧身徧心なり。これ便ち特地一条の歓喜なり。その歓喜、露わに寤寐を歓喜せしめ、迷悟を歓喜せしむるに、おのおのと親切なりと云えども、おのおのと不染汚なり。かるが故に、転次而受決なる授記荘厳事なり」

ここでは第四句㈡の「歓喜」と第三句の「及転次受決」を分節解体し、新たに「身と心と同参して遍参す」と再構築する方法論は、「眼蔵」(禅仏教)流の論述法ですが、まさに人体での細胞自食(オートファジー)から細胞再生を繰り返す様態と酷似する形態のようです。

さらに「身は必ず心に、心は必ず身に遍ずる」と同様句を重ね、これを「身心遍」と名付けますが、別語で云うなら尽天尽地とも置換でき、元和尚は「徧界徧方・徧身徧心」とも表現されます。

このように界にも方にも徧し、身にも心にも徧するを「特地一条の歓喜」つまり特別のよろこび。と形容されますが、この言い様を『御抄』では「余物の交わらぬ道理」(「註解全書」五・六九)と説明されます。

この特地一条の歓喜と寤寐(寤は起床・寐は就寝)、歓喜と迷悟の相互親切つまり一体性と見るから「おのおのと不染汚」なりと位置づけるわけです。謂う所の不染汚とは分別の対象にならない、主観客観が持ち込まれない境涯です。

この道理を「転次而受決なる授記荘厳事」なりと、「法華文」の第二句と第三句を入れ替え、これまでの従来の意味する文節を②→①→③→④と再構築し、さらに第三句と第一句を解体し③㈠→①㈠→①㈡と文節し、次に②→③→④と読み解き、先と同じく第四句を解体し④㈡→③と説き、最後に③→②と縦横無尽に「法華五百弟子」文に於ける授記に対する多少、入り昆んだ拈提でした。

 

釋迦牟尼佛、因藥王菩薩告八萬大士、藥王、汝見是大衆中、無量諸天龍王夜叉乾闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽、人與非人、及比丘比丘尼優婆塞優婆夷、求聲聞者、求辟支佛者、求佛道者、如是等類、咸於佛前、聞妙法華經一偈一句、乃至一念隨喜者、我皆與授記。當得阿耨多羅三藐三菩提。しかあればすなはち、いまの無量なる衆會、あるいは天王龍王、四部、八部、所求所解ことなりといへども、たれか妙法にあらざらん一句一偈をきかしめん。いかならんなんぢが乃至一念も、佗法を隨喜せしめん。如是等類といふは、これ法華類なり。咸於佛前といふは、咸於佛中なり。人與非人の萬像に錯認するありとも、百草に下種せるありとも、如是等類なるべし。如是等類は、我皆與授記なり。我皆與授記の頭正尾正なる、すなはち當得阿耨多羅三藐三菩提なり。

釋迦牟尼佛告藥王、又如來滅度之後、若有人聞妙法華經、乃至一偈一句、一念隨喜者、我亦與授阿耨多羅三藐三菩提記。いまいふ如來滅度之後は、いづれの時節到來なるべきぞ。四十九年なるか、八十年中なるか。しばらく八十年中なるべし。若有人聞妙法華經、乃至一偈一句、一念隨喜といふは、有智の所聞なるか、無智の所聞なるか。あやまりてきくか、あやまらずしてきくか。爲佗道せば、若有人の所聞なるべし。さらに有智無智等の諸類なりとすることなかれ。いふべし、聞法華經はたとひ甚深無量なるいく諸佛智慧なりとも、きくにはかならず一句なり、きくにかならず一偈なり、きくにかならず一念隨喜なり。このとき、我亦與授阿耨多羅三藐三菩提記なるべし。亦與授記あり、皆與授記あり。蹉過の張三に一任せしむることなかれ、審細の功夫に同參すべし。句偈隨喜を若有人聞なるべし。皮肉骨髓を頭上安頭するにいとまあらず。見授阿耨多羅三藐三菩提記は、我願既滿なり、如許皮袋なるべし、衆望亦足なり、如許若有人聞ならん。拈松枝の授記あり、拈優曇華の授記あり。拈瞬目の授記あり、拈破顔の授記あり、靸鞋を轉授せし蹤跡あり。そこばくの是法非思量分別之所能解なるべし。我身是也の授記あり、汝身是也の授記あり。この道理、よく過去現在未來を授記するなり。授記中の過去現在未來なるがゆゑに、自授記に現成し、佗授記に現成するなり。

本則出典は前後ともに『法華経』十・法師品(「大正蔵」九・三〇中)冒頭部で、原文は「爾時世尊」から始まりますが、法華文からの引用の場合には必ず「釈迦牟尼仏」が説法する方途は元和尚の尋常スタイルです。

釈迦牟尼仏、因薬王菩薩告八万大士、薬王、汝見是大衆中、無量諸天龍王夜叉乾闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽、人与非人、及比丘比丘尼優婆塞優婆夷、求声聞者、求辟支仏者、求仏道者、如是等類、咸於仏前、聞妙法華経一偈一句、乃至一念随喜者、我皆与授記。当得阿耨多羅三藐三菩提」

釈迦牟尼仏、薬王菩薩に因せて八万の大士に告ぐ、薬王、汝は是の大衆の中の、無量諸天(deva)・龍王(naga raja)・夜叉(鬼類・yaksa)・乾闥婆(伎楽神・gandharba)・阿修羅(戦闘神・asura)・迦樓羅(金翅鳥・garuda)・緊那羅(歌神・kinnara)・摩睺羅伽(大胸腹行神・mahoraga)・人(manus)と非人(amanus)、及び比丘(乞士・bhikkhu)・比丘尼(bhikkhusni)・優婆塞(清信士・upasaka)優婆夷(清信女・upasika)声聞(聞く人・sravaka)を求める者・辟支仏(独覚・pratyeka buddha)を求める者、仏道を求める者を見るが、是の如き等の類いは、咸(ことごと)く仏前に於いて、妙法華経の一偈一句を聞き、乃至一念をも随喜する者には、我は皆に授記を与う。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。

「しかあれば即ち、今の無量なる衆会、或いは天王龍王、四部、八部、所求所解、異なりと云えども、誰か妙法にあらざらん一句一偈を聞かしめん。如何ならん汝が乃至一念も、佗法を随喜せしめん」

「法師品」での拈提では「無量なる衆会」の内訳を、諸天・龍王を「天王・龍王」に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を「四部」に、夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦樓羅・緊那羅・摩睺羅伽・人・非人を「八部」衆に再構成し、それぞれの求める所も解する所(所求所解)にも差違は有るが、法華会上に自づと集う神人として、法華文の一句一偈を聴き、乃至一念も他法に先がけて聴聞する態度を善き哉と註釈する姿勢は、ほかの禅僧と呼ばれる人物にはない配慮です。

「如是等類と云うは、これ法華類なり。咸於仏前と云うは、咸於仏中なり。人与非人の万像に錯認するありとも、百草に下種せるありとも、如是等類なるべし。如是等類は、我皆与授記なり。我皆与授記の頭正尾正なる、即ち当得阿耨多羅三藐三菩提なり」

「如是等類」とは先の天王・龍王・四部・八部を示し、此の神人たちは法華衆会の類(なかま)であるとの見方です。「咸於仏前」を「咸於仏中」に言い替えるは、仏の一員に為る事を暗喩するものです。「人与非人」と我々の意識以前に、自己と非自己なる本能的自我があるにしても、眼前現成する真実相態は尽十方界に遍満するは「如是等類」と見なす方途論でありますが、現代生命論でも人体の構成は単なる「自己・非自己」の二元論ではなく、100兆個もの腸内細菌と脳内神経細胞とは連脈するシステムを有する事実は、穿った見方をすれば「法師文」で説く処の如是等類に同定されるものとも考えられる。

再び「如是等類」を法華文から考察するに、釈迦牟尼仏が言うように法華衆会に参集する諸天・龍王・・八部衆・四衆ともどもに対し「我皆与授記」を宣言されますが、その船体を称して「頭正尾正」と言い、その宣告と同時に咸於仏中の状態を「法華文」では「当得阿耨多羅三藐三菩提」とするを、元和尚も随喜されるわけです。

道元禅師が此の箇所で説きたい要旨は、仁治三年(1242)四月二十五日『授記』巻執筆当時(「テキスト建撕記」四三頁参照)には、早期に道元門下に帰宗した懐弉グループ・天台より帰依した詮慧門徒・また前年からの日本達磨宗徒・由良の心地覚心(法灯国師)・そして儒林の学士(大宰府・野公大夫、野助光、楊光秀など)・さらには幕下の士大夫(相将)など、まさに所求所解の異なる参学者に対し、咸於仏中に於ける「如是等類」をを堅持しなさい。と、つまりは叢林の象徴である和合僧に努めよ、との提言とも承けとられるようです。

釈迦牟尼仏告薬王、又如来滅度之後、若有人聞妙法華経、乃至一偈一句、一念随喜者、我亦与授阿耨多羅三藐三菩提記」

釈迦牟尼仏は薬王に告ぐ、又如来滅度の後に、若し人有って妙法華経を聞き、乃至一偈一句、一念を随喜する者には、我れは亦た阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く。

「今言う、如来滅度之後は、いづれ時節到来なるべきぞ。四十九年なるか、八十年中なるか。しばらく八十年中なるべし

如来滅度之後」を単純に如来(仏)の死後と考えると、説法「四十九年」も在世「八十年」の時節表現も辻褄が合わなくなるが、釈迦仏の場合は法身仏としての「常在霊鷲山、及余所住処」を謂うもので、とりあえずは「八十年中」説を言うものです。

「若有人聞妙法華経、乃至一偈一句、一念随喜と云うは、有智の所聞なるか、無智の所聞なるか。誤りて聞くか、誤まらずして聞くか。為佗道せば、若有人の所聞なるべし。さらに有智無智等の諸類なりとする事なかれ。云うべし、聞法華経はたとい甚深無量なる幾諸仏智慧なりとも、聞くには必ず一句なり、聞くに必ず一偈なり、聞くに必ず一念随喜なり」

ここでは「妙法華経」を誰が聞くかの問題提起として、有智者or無智者かの問い掛けで、そこでは錯誤で聞き取るのか、そうでないのか。このように設定し、聴法者もしくは現今の我々にも随喜を促す方途です。因みに『恁麽』巻では「智は、人に学せず、智は有念にあらず無念にあらず、智必ずしも有にあらず無にあらざれども、一時の春松なる有あり、秋菊なる無あり」(「岩波文庫」㈠四一二)と解き示し、智に対する有無の便宜的・方便的意味合いを示されます。

「為佗道せば」とは、有智・無智の問題ではなく、「若有人」つまり先の天王・龍王・四部・八部を含む生命体そのものが「所聞なるべし」と、若有人の説似一物即不中を解くもので、「有智無智等の諸類」に限定した説き方は「する事なかれ」と厳しく言及されます。

ここで「聞法華経」に対する基本的姿勢を、聴法する学人に対し、「法華」を究尽するには八万余字の甚深無量の諸仏智慧であっても、「聞くには必ず一句、一偈、一念随喜」からの聞法が肝要との言です。

「この時、我亦与授阿耨多羅三藐三菩提記なるべし。亦与授記あり、皆与授記あり。蹉過の張三に一任せしむる事なかれ、審細の功夫に同参すべし。句偈随喜を若有人聞なるべし。皮肉骨髄を頭上安頭するに暇(いとま)あらず」

一句・一偈・一念の少分と甚深無量の諸仏智慧との同等を説くもので、人界に於ける価値観では一と百は比較の対象にされますが、尽界に於いては真実相態としての認得ですから「我亦与授阿耨多羅三藐三菩提記」であり、また「亦与授記」であり「皆与授記」と略すも可能です。

「蹉過の張三」の蹉過は間違い・踏み違えの意で、張三は張家の三男坊の意で、自分の事しか考えられない凡夫を示しますから、そのような「蹉過の張三に一任せず」に、「審細の功夫」つまり一念随喜するような修行(功夫)に同事参学(同参)すべし。と基本姿勢を示されます。この張三に関しては、序の冒頭にんて「一箇半箇の張三李四」と引き合いに出されますが、この時は「張三・山河大地・須弥巨海」を同等な一法としての存在として扱われます。

「句・偈」を法、「随喜」は人と捉えるのではなく、機法一体と把捉するから「若有人聞」なるべし。と法と人とのボーダー(境界)を取り払う手法で、聞く人の全身が一句・一偈・一念ですから、「皮肉骨髄」も全身を喩うるわけですから、一句・一偈が具足され、人人の頭上に豊かに具わる事実を「いとまあらず」つまり、得否をいう暇(いとま)はない。と解されるものです。別に謂うなれば「頭上安頭」を粥足飯足とも置換できます。

「見授阿耨多羅三藐三菩提記は、我願既満なり、如許皮袋なるべし、衆望亦足なり、如許若有人聞ならん。拈松枝の授記あり、拈優曇華の授記あり。拈瞬目の授記あり、拈破顔の授記あり、靸鞋を転授せし蹤跡あり。そこばくの是法非思量分別之所能解なるべし。我身是也の授記あり、汝身是也の授記あり。この道理、よく過去現在未来を授記するなり。授記中の過去現在未来なるが故に、自授記に現成し、佗授記に現成するなり」

この部位は「法華法師十」の一節の拈提ではあるが、冒頭の「見授阿耨多羅三藐三菩提記は、我願既満なり、如許皮袋なるべし、衆望亦足なり、如許若有人聞ならん」は、「法華授学九」冒頭「若仏見授阿耨多羅三藐三菩提記者我願既満衆望亦足。爾時学無学声聞弟子二千人」(「大正蔵」九・二九中)からの援用になるわけですが、なに故に「法師品」中にも渓三箇所「阿耨菩提」に対する経釈が有るにも拘わらず、ここに「授学人記品」を援用するかは、次に続く拈提で「方便品・序品」等を使用する事に関聯があるものでしょう歟。

次に授戒会に於ける調度品としての「松枝・優曇華・瞬目・破顔」を列記し、具体的蹤跡としての大陽警玄(明安)と浮山法遠との「靸鞋を転授」(「続蔵」七九・二九六上)した足跡が在るとの言及です。

「そこばく」とは、「たくさん・たいそう・若干」等の意を含む副詞の古語に当たりますが、ここでは、これまで述べてきた数多くの「是法非思量分別之所能解」(「大正蔵」九・七上)という人知を超えた「授記あり」を説かれ、また「法華序品」での妙光菩薩→釈尊を「我身是也」、求名菩薩→弥勒を「汝身是也」(「大正蔵」九・四中)の授記あり。と説話上からの授記の様子を語られます。

「この道理」とは我身汝身の授記の意であり、この道理が「過去・現在・未来」を聯関せしめ「授記するなり」とは、真実態の現成が授記の代語として表明されることで、自己が自己に授記するを「自授記」と表し、自己が佗己に授記するを「佗授記」と共に真実相を表態の言明ですから「現成するなり」と、ここでの拈提をまとめられますが、詮慧和尚は「自授記は我願既満なり、佗授記は衆望亦足なるべし、是の授記中に剜来するなり」(「注解作業」五・一〇六)と咀嚼されます。

 

維摩詰、謂彌勒言、彌勒、世尊授仁者記、一生當得阿耨多羅三藐三菩提、爲用何生得受記乎。過去耶、未來耶、現在耶。若過去生、過去生已滅。若未來生、未來生未至。若現在生、現在生無住。如佛所説、比丘、汝今即時、亦生亦老亦滅。若以無生得受記者、無生即是正位。於正位中、亦無受記、亦無得阿耨多羅三藐三菩提。云何彌勒受一生記乎。爲從如生得受記耶、爲從如滅得受記耶。若以如生得受記者、如無有生。若以如滅得受記者、如無有滅。一切衆生皆如也、一切法亦如也。衆聖賢亦如也。至於彌勒亦如也。若彌勒得受記者、一切衆生亦應受記。所以者何、夫如者不二不異。若彌勒得阿耨多羅三藐三菩提者、一切衆生皆亦應得。所以者何、一切衆生即菩提相。

維摩詰の道取するところ、如來これを不是といはず。しかあるに、彌勒の得受記、すでに決定せり。かるがゆゑに、一切衆生の得受記、おなじく決定すべし。衆生の受決あらずは、彌勒の受記あるべからず。すでに一切衆生、即菩提相なり。菩提の、菩提の授記をうるなり。受記は今日生佛の慧命なり。しかあれば、一切衆生は彌勒と同發心するゆゑに同受記なり、同成道なるべし。たゞし、維摩道の於正位中、亦無受記は、正位即受記をしらざるがごとし、正位即菩提といはざるがごとし。また過去生已滅、未來生未至、現在生無住とらいふ。過去かならずしも已滅にあらず、未來かならずしも未至にあらず、現在かならずしも無住にあらず、無住未至已滅等を過未現と學すといふとも、未至のすなはち過現來なる道理、かならず道取すべし。しかあれば、生滅ともに得記する道理あるべし、生滅ともに得菩提の道理あるなり。一切衆生の授記をうるとき、彌勒も授記をうるなり。しばらくなんぢ維摩にとふ、彌勒は衆生と同なりや異なりや。試道看。すでに若彌勒得記せば、一切衆生も得記せんといふ、彌勒、衆生にあらずといはば、衆生衆生にあらず、彌勒も彌勒にあらざるべし。いかん。正當恁麼時、また維摩にあらざるべし。維摩にあらずは、この道得用不著ならん。しかあればいふべし、授記の一切衆生をあらしむるとき、一切衆生および彌勒はあるなり。授記よく一切をあらしむべし。

最後の本則出典籍は『維摩詰所説経』菩薩品四(「大正蔵」一四・五四中)からのもので一字一句改変なしで、維摩に対する厳しい評価の拈提に仕上げられます。因みに、これまでの提唱にて取り挙げられた「居士」は『谿声山色』巻にて「東坡居士」、『神通』巻での「龐居士」などは高評価を与えられますが、「維摩居士」に対しては『三十七品』巻にても「道未尽・学未到」(「岩波文庫」㈢・二九六)と言うように、世間の常とは違うようです。

維摩詰、謂弥勒言、弥勒、世尊授仁者記、一生当得阿耨多羅三藐三菩提、為用何生得受記乎。過去耶、未来耶、現在耶。若過去生、過去生已滅。若未来生、未来生未至。若現在生、現在生無住。如仏所説、比丘、汝今即時、亦生亦老亦滅。若以無生得受記者、無生即是正位。於正位中、亦無受記、亦無得阿耨多羅三藐三菩提。云何弥勒受一生記乎。為従如生得受記耶、為従如滅得受記耶。若以如生得受記者、如無有生。若以如滅得受記者、如無有滅。一切衆生皆如也、一切法亦如也。衆聖賢亦如也。至於弥勒亦如也。若弥勒得受記者、一切衆生亦応受記。所以者何、夫如者不二不異。若弥勒得阿耨多羅三藐三菩提者、一切衆生皆亦応得。所以者何、一切衆生即菩提相」

冒頭の「維摩詰、謂弥勒言」は原文では「維摩詰来、謂我言」であり、我を弥勒に置き換えます。

弥勒(呼び掛け)、世尊は仁者(貴殿)に授記するは、一生涯で当に阿耨菩提を得るは、何(いづれ)の生を用し受記を得ると為す乎(か・や、語調を強める助字)。過去耶(や・か、疑問を示す助字)、未来耶、現在耶。若し過去生なら、過去生は已に滅す。若し未来生なら、未来生は未だ至らず。若し現在生なら、現在生は住する(所)無し。仏の所説の如くならば、比丘(弥勒)よ、汝の即今の時は、亦生であり亦老であり亦滅である。若し無生を以て受記を得るなら、無生は即ち是れ正位。正位の中に於いては、亦受記は無く、亦阿耨多羅三藐三菩提を得るも無し。どうして(云何)弥勒は一生(中)に(阿耨菩提の)記を受く乎。如の生より受記を得ると為す耶、如の滅より受記を得ると為す耶。若し如の生を以て受記を得る者(は)、如には有生は無し。若し如の滅を以て受記を得る者、如には滅も有るも無し。一切衆生は皆が如であり、一切法も亦如也。衆の聖賢も亦如であり、弥勒に至るまで亦如である。若し弥勒が受記を得る者ならば、一切衆生も亦受記を応ず。所以者何(つまり)、夫(そ)の如は不二不異である。若し弥勒が阿耨菩提を得る者ならば、一切衆生も皆が亦得るに応ず。所以者何、一切衆生は即ち菩提の相である。

維摩詰の道取する処、如来これを不是と言わず。しかあるに、弥勒の得受記、すでに決定せり。かるが故に、一切衆生の得受記、同じく決定すべし。衆生の受決あらずは、弥勒の受記あるべからず」

維摩居士(vimalakirti gahapati)説く主旨を、釈迦如来は否定はせず、弥勒の受記を得ると同時に、一切衆生の得受記が同時同事と解釈する法は、大乗の極みであり俯瞰視すれば仏法そのもののダルマ観である。ですから、「衆生」と「弥勒」の名称・役割に差異は有りますが、「衆生の受決」がなければ「弥勒の受記」も存在しない論法です。

「すでに一切衆生、即菩提相なり。菩提の、菩提の授記を得るなり。受記は今日生仏の慧命なり。しかあれば、一切衆生弥勒と同発心する故に同受記なり、同成道なるべし。ただし、維摩道の於正位中、亦無受記は、正位即受記を知らざるが如し、正位即菩提と云わざるが如し。また過去生已滅、未来生未至、現在生無住とら云う」

本則最後で「一切衆生、即菩提相」と宣言するわけで、一切衆生とは人間ばかりが対象ではなく、現成する事物・事象すべてと認められますから、つまりは真実(菩提)は真実の授記を得る。と言い表されるわけです。その真実態である受(授)記は、現今の衆生と仏(生仏)を繋ぐ慧命である。

このように弥勒を含む一切衆生は菩提の真実相であるから、両者は「同発心・同受(授)記・同成道」と定義されるものですが、別の表現法ではLexical(単語の)の意味性を剥ぎ取る作業とも置換できます。

ここで維摩に対する忠言が、「於正位中、亦無受記」とする維摩の失言を取り挙げ、「正位即菩提」と説明すべきであるのに「過去の生は已に滅し、未来の生は未だ至らず、現在の生は無住とら云う」と読み解きますが、ここでの維摩に対する忠言は過去・現在・未来の三世の聯関性の無さを「知らざるが如し」と言うものです。また先の「とら云う」のらはは接辞語で特別な意味はなく、詮慧和尚による『出家』聞書(「註解全書」九・一〇二」に於いても「或内秘菩薩行、外現是声聞とら云う」と、同様な語法が語られますが、この謂い様は複数句を言い含む時の語法であるようであるが、ほかには『大悟』『古鏡』『春秋』『眼睛』各巻にて確認できる。

「過去必ずしも已滅にあらず、未来必ずしも未至にあらず、現在必ずしも無住にあらず、無住未至已滅等を過未現と学すと云うとも、未至の即ち過現来なる道理、必ず道取すべし。しかあれば、生滅ともに得記する道理あるべし、生滅ともに得菩提の道理あるなり。一切衆生の授記を得る時、弥勒も授記を得るなり」

これは先の「過去生已滅」に対する拈提・註解で、先程の説明のように限定した見方ではなく、固定化しない柔軟な観点で「過去・現在・未来」を把捉すべきと。その具体例の「未至」には過去・現在・未来の三世界が包含される道理を、必然的に説明(道取)しなければならない。との維摩居士への助言としての著語の意味も含まれます。

このように述べてきたように、「生滅ともに授記や菩提を得る道理がある」とは、世間で解する生や滅の範疇ではなく、単語の意味性を剥ぎ取り真実相から俯瞰する仏法観では、「一切衆生弥勒」も同体として共に「授記を得るなり」と、位置づけられるわけです。

「しばらくなんぢ維摩に問う、弥勒衆生と同なりや異なりや。試道看。すでに若弥勒得記せば、一切衆生も得記せんと云う、弥勒衆生にあらずと云わば、衆生衆生にあらず、弥勒弥勒にあらざるべし。いかん。正当恁麼時、また維摩にあらざるべし。維摩にあらずは、この道得用不著ならん。しかあれば云うべし、授記の一切衆生をあらしむる時、一切衆生及び弥勒はあるなり。授記よく一切をあらしむべし」

この最後部で、「授記」全体ならびに「維摩と授記」に対する拈提の締め括りです。

維摩に問う」とのことですが、直接的には提唱当時の観音導利興聖宝林寺に在した学道参随者に対するもので、巨視的に把捉すれば仁治三年(1242)頃の日本仏教界、とりわけ渡来僧勢力の席巻する京・鎌倉での中国僧の自国語による接化指導を、内容は理解せず単なるパフォーマンス的なる禅型を合点する、在来僧たちの未熟さに対する意味合いにも含意されると考えられます。さらに、この「維摩に問う」は二十一世紀に生きて、学人を自称する我々に対する設問とするならば、まさに「未至の即ち過現来なる道理」であり亦「過去必ずしも已滅にあらず」云々に通底する仏法観であります。

この問いの内容は「弥勒衆生と同なりや異なりや」を表明してみろ。との提示ですから拙考を披歴すると、同とも云わじ、異とも云わじ。弥勒弥勒衆生衆生なりと答え、拈提の解説に進みます。

「若弥勒得記せば、一切衆生も得記せん」は、先の「弥勒の得受記、すでに決定せり。かるが故に、一切衆生の得受記、同じく決定すべし」を言い替えたもので、弥勒衆生との同事・同性を喩える表現で、弥勒衆生が別々と云うなら、設問自体の「道得」(ことば)も「用不著ならん」(必要ない)と断言されます。

そこで結論としての授記と一切衆生との関係を、授記→一切衆生の時、同時に弥勒も在しますから、授記=一切を在らしむ。ことから「授記」は単なる授受の戒法ではなく、尽十方界の在らゆる実相態を「授記」と認得するとの、提唱・拈提として擱筆と致します。

 

なお、この「巻」は先々月中旬からの作業を経て成ったものである。『聞書』および『御抄』の詮慧・経豪両和尚による註解作業の労をねぎらい一言す。「雪峰の這片田地好造箇無縫塔の詞も一句道得、玄沙の高多少も一句道得、雪峰の乃上下顧視も一句道得、玄沙の人天福報即不無、和尚霊山授記未夢見在も、重一句の道得、雪峰の你作麼生も、重なる一句の道得、玄沙の七尺八尺も又、重なりたる一句の道得と心得るように、維摩詰の詞も道得の一句なるべし」(「註解全書」五・一〇七)と詮慧は註解。一方経豪は「しばらく汝維摩に問うとは、例の開山の詞なり。所詮、此の道理は弥勒衆生一なるべし。異也やと云う道理もあるべし、是什麽物恁麽来の道理なるべし。―略―弥勒の時は衆生弥勒に蔵身し、衆生なる時は弥勒衆生に蔵身する方よりは、弥勒衆生にあらず、衆生弥勒にあらずと云う理、不可被棄也」(「前掲書」九二)と解する両頭による単伝する観法を記す。