正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵観音

正法眼蔵 第十八 観音

第一段

雲巖無住大師、問道吾山修一大師大悲菩薩、用許多手眼作麼。道吾曰、如人夜間背手摸枕子雲岩曰、我會也、我會也。道吾曰、汝作麼生會。雲巖曰、遍身是手眼。道吾曰、道也太殺道、祗道得八九成雲巖曰、某甲祗如此、師兄作麼生。道吾曰、通身是手眼。

道得觀音は、前後の聞聲まゝにおほしといへども、雲巖道吾にしかず。觀音を參學せんとおもはば、雲巖道吾のいまの道也を參究すべし。いま道取する大悲菩薩といふは、觀世音菩薩なり、觀自在菩薩ともいふ。諸佛の父母とも參學す、諸佛よりも未得道なりと學することなかれ。過去正法明如來也。

本則話頭は『真字正法眼蔵』中・五則ないし『宏智広録』二・頌古五十四則に、更に『碧巌録』八十九則・『景徳伝灯録』十四・雲巌章等に見い出せますが、この巻の提唱はこの一則のみで、他の多くの巻では複数の語録・経典等の拈提する事を考えると、如何にこの本則は「観音」の意を表し重要であるかが察せられます。

『禅文化研究所紀要』第三十三号に末木文美士著「古則解釈の両方向、雲巌大悲手眼をめぐる碧巌録と正法眼蔵」、『現代語訳碧巌録』碧巌録研究会訳・末木文美士編が手元に有る為、右の二著ならびに酒井得元老師提唱録音等を参照し、注釈作業に入ります。

先ず本則漢文を和訳すると、

雲巌(782―841)無住大師が道吾(769―835)修一大師に問う、大悲(観音)菩薩の許多(たくさん)の手眼は何の為に用いるか。

道吾が言うには、人が夜間に手を背後にして枕を探すようなものだ。

雲巌は云う、わかった、わかった。

道吾が言う、汝(雲巌)はどのようにわかったか。

雲巌は云う、遍身(至る処)が手眼そのものだ。

道吾が言う、云うことは立派だが、祇だ八九割の出来だ。

雲巌は云う、某甲(私)にはこんな云い分ですが、兄弟子はどう(作麼生)ですか。

道吾が言う、通身(全身)が手眼そのものだ。

「道得観音は、前後の聞声まゝに多しと云えども、雲巌道吾にしかず。観音を参学せんと思わば、雲巌道吾の今の道也を参究すべし。いま道取する大悲菩薩と云うは、観世音菩薩なり、観自在菩薩とも云う。諸仏の父母とも参学す、諸仏よりも未得道なりと学することなかれ。過去正法明如来也」

観音についての論者・評者は数多居るが、雲巌・道吾の右に出る者はなく、両人の言語通底する処を参学究理しなさいと説き、大悲菩薩は観世音・観自在と呼ばれる観音様の異称と説明し、さらに過去正法明如来と位置づけます。

常識的解釈では菩薩と如来は位階が異なり、同一視界では別論に取り扱われますが、道元論的仏法眼底では過去に在する正法明という如来に内包されると云った感覚でしょうか。因みにこの過去正法明如来を、sat大正大蔵経テキストデータベースで検索すると、「千手眼大悲心呪行法」がヒットします。

 

第二段

しかあるに、雲巖道の大悲菩薩、用許多手眼作麼の道を擧拈して、參究すべきなり。觀音を保任せしむる家門あり、觀音を未夢見なる家門あり。雲巖に觀音あり、道吾と同參せり。たゞ一兩の觀音のみにあらず、百千の觀音、おなじく雲巖に同參す。觀音を眞箇に觀音ならしむるは、たゞ雲巖會のみなり。所以はいかん。雲巖道の觀音と、餘佛道の觀音と、道得道不得なり。餘佛道の觀音はたゞ十二面なり、雲巖しかあらず。餘佛道の觀音はわづかに千手眼なり、雲巖しかあらず。餘佛道の觀音はしばらく八萬四千手眼なり、雲巖しかあらず。

前段では観音を参学せんと思わば、雲巌・道吾両頭が云った「我会也、汝作麼生会」を参究すべしと云いながら、この段では拈提の主眼となる「大悲菩薩、用許多手眼作麼」を参学究理すべきと、立文字を説かれるようですが不の文字禅に至る特解な語釈法です。

「雲巌に観音あり、道吾と同参せり。たゞ一両の観音のみにあらず、百千の観音、同じく雲巌に同参す。観音を真箇に観音ならしむるは、たゞ雲巌会のみなり」

雲巌に観音ありとは、観音を保任する家門(グループ)の言い換えですが、別に観音を未夢見なる家門とも有りますが、これは二者択一の問題ではなく、それぞれの家風を云うものです。その家門の観音との種類を百千の観音と無限値を唱えることで、「大悲菩薩、用許多手眼作麼」の許多(たくさん・多く)を導入する為の伏線的語彙です。

観音は人格称を付加した修行者を意味しますから、雲巌に参集する人達(道吾も含む)をも観音と呼ばしめるものです。

「所以はいかん。雲巌道の観音と、余仏道の観音と、道得道不得なり。余仏道の観音はたゞ十二面なり、雲巌しかあらず。余仏道の観音はわづかに千手眼なり、雲巌しかあらず。余仏道の観音はしばらく八万四千手眼なり、雲巌しかあらず」

これ程まで雲巌を推奨する理由は、雲巌は観音を許多の手眼と言語表徴が出来るが、他の家門の学人は道不得と許多を使用できないからだと説明されます。

さらに観音未夢見家門は十二面・千手眼・八万四千手眼と限定値を述べるだけで、雲巌は「許多」という無限値を説き得ることを、このように差別化した論述法です。

 

第三段

いはゆる雲巖道の大悲菩薩用許多手眼は、許多の道、たゞ八萬四千手眼のみにあらず、いはんや十二および三十二三の數般のみならんや。許多は、いくそばくといふなり。如許多の道なり、種般かぎらず。種般すでにかぎらずは、無邊際量にもかぎるべからざるなり。用許多のかず、その宗旨かくのごとく參學すべし。すでに無量無邊の邊量を超越せるなり。いま雲巖道の許多手眼の道を拈來するに、道吾さらに道不著といはず、宗旨あるべし。

雲巖道吾はかつて藥山に同參齊肩より、すでに四十年の同行として、古今の因縁を商量するに、不是處は剗卻し、是處は證明す。恁麼しきたれるに、今日は許多手眼と道取するに、雲巖道取し、道吾證明する、しるべし、兩位の古佛、おなじく同道取せる許多手眼なり。許多手眼は、あきらかに雲巖道吾同參なり。いまは用作麼を道吾に問取するなり。この問取を、經師論師ならびに十聖三賢等の問取にひとしめざるべし。この問取は、道取を擧來せり、手眼を擧來せり。いま用許多手眼作麼と道取するに、この功業をちからとして成佛する古佛新佛あるべし。使許多手眼作麼とも道取しつべし、作什麼とも道取し、動什麼とも道取し、道什麼とも道取ありぬべし。

これから更なる不立文字に至る為、許多を徹底微分解体し、「観音」の本義に導化する段です。

雲巌のなにを以て真箇に観音ならしむかは問いである「大悲菩薩、要許多手眼」のいくそばくと云う不特定数が大悲菩薩つまり観音の正体というわけである。世間の観音理解では十一面・三十二相・三十三化身等と限定値に置き換え合点しがちですが、種般を決めず無量無辺を超越する尽界そのものを仏法の様態とする拈提で、雲巌が云う許多手眼に対しては道吾も道不著と、コメントを付言しなかったことが同等同量の参学見である事を、「いま雲巌道の許多手眼の道を拈来するに、道吾さらに道不著と云わず、宗旨あるべし」と言われるのです。

「雲巌道吾はかつて薬山に同参斎肩より、すでに四十年の同行として、古今の因縁を商量するに、不是処は剗却し、是処は証明す。恁麼し来れるに、今日は許多手眼と道取するに、雲巌道取し、道吾証明する、知るべし、両位の古仏、同じく同道取せる許多手眼なり。許多手眼は、あきらかに雲巌道吾同参なり。いまは用作麼を道吾に問取するなり」

雲巌は道吾より四歳年少であり、雲巌は世寿六〇歳・道吾は六十七にて示寂するが、四十年という一生涯辨道に明け暮れた感があるが(『碧巌録』八十九則・評唱には「雲巌与道吾、同参薬山。四十年脇不著席」)、「古今の因縁を商量するに、不是処は剗却し、是処は証明す」と両人の親密さを言う言葉です。つまり悪い処(不是処)を取り去り(剗却)、正しい処(是処)は明らかに証す事柄を云うものですが、『真字正法眼蔵』下・十八則には雪峰と巌頭との問答で取り扱われます。

その是処証明は拈提の主眼である許多手眼の問いを道吾は黙認する事で許多が証明され、道元禅師の最もの尊称である「古仏」を両位に与えるとの破格の賛辞です。

「許多手眼」は無限定値で、そのイクソバクが仏法を表徴するわけですが、雲巌は老婆心切血滴々に「用作麼」と兄弟子の道吾に対し問う綿密さです。

「この問取を、経師論師ならびに十聖三賢等の問取に等しめざるべし。この問取は、道取を挙来せり、手眼を挙来せり。いま用許多手眼作麼と道取するに、この功業を力として成仏する古仏新仏あるべし。使許多手眼作麼とも道取しつべし、作什麼とも道取し、動什麼とも道取し、道什麼とも道取ありぬべし」

「用作麼」を何の為にと理解する宗教学者や十聖三賢などの問いの設定とは同じではない。

雲巌が挙する問いが答え(道取)を挙来せり、また手眼(全体)を挙来せりとの言で、この

許多のはたらき(功業)が古仏新仏を真実底(成仏)に導くと訳解したのですが、わかりづらい箇所です。

用許多手眼作麼は使許多手眼作麼とも作許多手眼什麼とも動許多手眼什麼さらには道許多手眼什麼とも言い換え可能で、六祖が南嶽に云った什麼者恁麼来に対する南嶽の説似一物即不中に連なる言い分のようです。

 

第四段

道吾いはく、如人夜間背手摸枕子。

いはゆる宗旨は、たとへば、人の夜間に手をうしろにして枕子を模索するがごとし。模索するといふは、さぐりもとむるなり。夜間はくらき道得なり。なほ日裡看山と道取せんがごとし。用手眼は、如人夜間背手摸枕子なり。これをもて用手眼を學すべし。夜間を日裡よりおもひやると、夜間にして夜間なるときと、檢點すべし。すべて昼夜にあらざらんときと、檢點すべきなり。人の摸枕子せん、たとひこの儀すなはち觀音の用手眼のごとくなる、會取せざれども、かれがごとくなる道理、のがれのがるべきにあらず。

段が変わり、道吾観音の許多の手眼の使い方を問われ答えた、「人の夜間に手を後ろに回して枕を探し当てるようなものだ」についての考察です。

道吾の行為は枕を探し当てるようなものですが、含意する主旨は無所得無所悟を言わんとするものです。その証左に「日裡看山と道取せんが如し」から明らかなように、太陽のもとで山を看るとは何の工夫も用いず淡々と見ることを、只管打坐を暗喩した表現です。

「用手眼は、如人夜間背手摸枕子なり。これをもて用手眼を学すべし。夜間を日裡より思いやると、夜間にして夜間なる時と、検点すべし。すべて昼夜にあらざらんときと、検点すべきなり」

用手眼とは日常生活を云うもので、夜間に手を後ろにして枕を探す事と同義であることを心得よとは、観音の千手千眼が仏道を探し当てるのではなく、日常底の一コマ一コマが真実の仏法の実践だと言われるものです。

次に夜間と日裡看山に連関して、夜間を昼間に見据え・夜間だけに捉え・昼夜に関わりなく捉える事項を点検しなさいと説かれますが、『全機』巻や『現成公案』巻での説明の如く、夜は夜だけですから昼を想像しても日裡のようには成りません。その時その場が全機現であり只管を説くものです。

「人の摸枕子せん、たといこの儀即ち観音の用手眼の如くなる、会取せざれども、かれが如くなる道理、逃れ逃るべきにあらず」

ここでは、観音の用手眼も我々の摸枕子も共に無所得無所悟の行為ですから、只同心で能所観を除去するものです。

いまいふ如人の人は、ひとへに譬喩の言なるべきか。又この人は平常の人にして、平常の人なるべからざるか。もし佛道の平常人なりと學して、譬喩のみにあらずは、摸枕子に學すべきところあり。枕子も、咨問すべき何形段あり。夜間も、人天昼夜の夜間のみなるべからず。しるべし、道取するは取得枕子にあらず、牽挽枕子にあらず、推出枕子にあらず。夜間背手摸枕子と道取する道吾の道底を檢點せんとするに、眼の夜間をうる、見るべし、すごさざれ。手のまくらをさぐる、いまだ劑限を著手せず。背手の機要なるべくは、背眼すべき機要のあるか。夜眼をあきらむべし。手眼世界なるべきか、人手眼のあるか、ひとり手眼のみ飛霹靂するか、頭正尾正なる手眼の一條兩條なるか。もしかくのごとくの道理を檢點すれば、用許多手眼はたとひありとも、たれかこれ大悲菩薩、たゞ手眼菩薩のみきこゆるがごとし。

恁麼いはば、手眼菩薩、用許多大悲菩薩作麼と問取しつべし。

如は日本語訓読では「何々のごとし」と読む習癖が有るが、道元禅註解法では如は真実語として捉えるので、「譬喩の言なるべきか」と打ち消して、人は特定を指すのではなく如人が真実底であるわけです。また同様に平常の人歟と念押ししますが「正法眼蔵」での歟は断定に解し、日常底の平常を強調する文言にて、仏法の特為性を砕破する著語です。

「もし仏道の平常人なりと学して、譬喩のみにあらずは、摸枕子に学すべき処あり。枕子も、咨問すべき何形段あり。夜間も、人天昼夜の夜間のみなるべからず。知るべし、道取するは取得枕子にあらず、牽挽枕子にあらず、推出枕子にあらず」

ここで取り扱う平常は南泉和尚の云う「平常心是道」を平常人と言い換えたもので、仏道では日々の日常底を悟と定置し特別な大悟体験などは取り扱いませんから、摸枕子という平常の有り様を学すべきと説かれるものです。

枕にも様々な使用法や形態があっていいわけですから、枕子も咨問すべき何の形段かあり、と見られるわけです。ここでは「枕」自身も尽界の真実態としての枕子の役割を与える拈語です。

夜も同様で人間天上の夜間を見ても、高緯度地帯では白夜という明るい夜も存在し、宇宙空間では昼夜・明暗といった区別さえ出来ない漆黒の世界は、現今の映像メディヤを使えば簡単に理解できます。

次に摸枕子についての拈語で、枕をさぐるというのは、枕を取得するのではなく、枕を引っ張る(牽挽)ことでもなく、枕を押し出す(推出)のでもないと言われますが、摸は相手の無い摸ですから、その時その状況が摸全身と説くのです。

「夜間背手摸枕子と道取する道吾の道底を検点せんとするに、眼の夜間を得る、見るべし、過さざれ。手の枕を探る、いまだ剤限を著手せず。背手の機要なるべくは、背眼すべき機要のあるか。夜眼を明らむべし。手眼世界なるべきか、人手眼のあるか、ひとり手眼のみ飛霹靂するか、頭正尾正なる手眼の一条両条なるか。もしかくの如くの道理を検点すれば、用許多手眼はたとひ有りとも、たれかこれ大悲菩薩、たゞ手眼菩薩のみ聞ゆるが如し。恁麼云わば、手眼菩薩、用許多大悲菩薩作麼と問取しつべし」

今までは「如人」・「摸枕子」・「夜間」等を微分言句して来ましたが、あらためて道吾が言った夜間背手摸枕子を積分語言します。これまでは夜間に焦点が置かれましたが転じて、眼自身が夜を見るという設定を見過ごしてはならないと言われる事は、視点を入れ換えるパラダイム転換です。

手が枕をさぐるとは、何時何分に枕に手が当たる事は云えませんから際限のない問題で、修行の後の結果を求めない比喩を言われます。

手を背中にする事が有るなら、眼も背中にするハタラキが有るはずで、その見る見られるの相対世界を通り越した世界を夜眼を言い、明らかにしなさいと。

夜間背手摸枕子についての拈語でしたが、この段階では主体が手眼に遷移し、「手眼世界なるべきか」・「人手眼のあるか」「手眼のみ飛霹靂するか」「一条両条なるか」と疑問形式で問われますが、前に述べたように断定の歟であることに留意したい。この巻は観音を主眼にした提唱であるが、観音の手眼ばかりではなく、人手眼と有るように観音と人との違いをも払拭した文面になります。

最後に微分解体言語を「大悲菩薩」は「手眼菩薩」と聞こゆると文体の再構築を提示する拈提で、「大悲菩薩、用許多手眼作什麼」=「手眼菩薩、用許多大悲菩薩作麼」と置き換えられます。

しるべし、手眼はたとひあひ罣礙せずとも、用作麼は恁麼用なり、用恁麼なり。恁麼道得するがごときは、徧手眼は不曾藏なりとも、徧手眼と道得する期をまつべからず。不曾藏の那手眼ありとも、這手眼ありとも、自己にはあらず、山海にはあらず、日面月面にあらず、即心是佛にあらざるなり。

大悲菩薩と手眼菩薩は同等で互いに罣礙(じゃま)しませんから、用(許多手眼)作麼は恁麼(許多手眼)用とも用(許多手眼)恁麼と許多と同義語としての恁麼なる語も使用できる可換文です。罣礙は他に限定とも煩悩・妄想をも含意する語です。

「恁麼道得するが如きは、徧手眼は不曾蔵なりとも、徧手眼と道得する期を待つべからず。不曾蔵の那手眼ありとも、這手眼ありとも、自己にはあらず、山海にはあらず、日面月面にあらず、即心是仏にあらざるなり」

恁麼と云う真実底を表意する言下で言うと、雲巌が云う徧手眼は偏界不曾蔵の如くに開放形態ですから、徧手眼と云わなくても最初から手眼が徧ねしだと。

不曾蔵は尽界そのものですから、全存在・事象が含有されていて、一ツに限定されるものでは有りませんから、「那這手眼・自己・山海・日面月面・即心是仏」とあらゆる言句を使い、許多の恁麼を説くわけです。

    

第五段

雲巖道の我會也、我會也は、道吾の道を我會するといふにあらず。用恁麼の手眼を道取に道得ならしむるには、我會也、我會也なり。無端用這裡なるべし、無端須入今日なるべし。

このわかった(我会也)は論理的合点ではなく、前段に云う処の恁麼用・用恁麼と説く真実底の表現を此処では手眼と言い換えている訳ですから、個別な解答の理解を第一段理解とすると、全体の総合的理解が雲巌の「我会也、我会也」であると言われるのです。

無端用這裡の無端は無辺際・尽十方界・宇宙空間を云うもので、用這裡も須入今日も入口のない所から入るようなもので、逆説的には全てが関棙子(関所)で、誰彼となく仏法に入る事が出来るという言い様を独自な表現体を用います。

    第六段

道吾道の儞作麼生會は、いはゆる我會也たとひ我會也なるを罣礙するにあらざれども、道吾に儞作麼生會の道取あり。すでにこれ我會儞會なり、眼會手會なからんや。現成の會なるか、未現成の會なるか。我會也の會を我なりとすとも、儞作麼生會に儞あることを功夫ならしむべし。

道吾の你作麼生会に対する拈提ですが、雲巌の云う我会也に対して道吾も「你は会せり」と答話しても差し支えない処を、道吾と雲巌は旧知の仲ですから道吾自身の言い分を「你作麼生会」と言明した事実を、拈提では你の二重性を解説しますから、わかりづらい文面になっています。

「我会你会」は先程の道吾の言い分であり、次に手眼を分解し眼会手会とも解体し、さらに現成・未現成の「会」なるかと問われますが、歟は断定の意に取得し、現成という現実・未現成の現実又は「会」そのものだとの見解です。

この段の問いを再度言い換えたもので、雲巌の「我会」と道吾の「你会」は同等で共に道得観音を言うものです。

 

    第七段

雲巖道の遍身是手眼の出現せるは、夜間背手摸枕子を講誦するに、遍身これ手眼なりと道取せると參學する觀音のみおほし。この觀音たとひ觀音なりとも、未道得なる觀音なり。雲巖の遍身是手眼といふは、手眼是身遍といふにあらず。遍はたとひ遍界なりとも、身手眼の正當恁麼は、遍の所遍なるべからず。身手眼にたとひ遍の功徳ありとも、攙奪行市の手眼にあらざるべし。手眼の功徳は、是と認ずる見取行取説取あらざるべし。手眼すでに許多といふ、千にあまり、萬にあまり、八萬四千にあまり、無量無邊にあまる。只遍身是手眼のかくのごとくあるのみにあらず、度生説法もかくのごとくなるべし、國土放光もかくのごとくなるべし。かるがゆゑに、雲巖道は遍身是手眼なるべし、手眼を遍身ならしむるにはあらずと參學すべし。遍身是手眼を使用すといふとも、動容進止せしむといふとも、動著することなかれ。

この段は世間で云われる遍身・通身に千手千眼が有るのが観音だと解釈(講誦)する参学人が多く、これだけでは未だ「観音」の本質は云い得ていません。

「雲巖の遍身是手眼と云うは、手眼是身遍と云うにあらず。遍はたとひ遍界なりとも、身手眼の正当恁麼は、遍の所遍なるべからず。身手眼にたとひ遍の功徳ありとも、攙奪行市の手眼にあらざるべし」

遍身是手眼と手眼是身遍は一見遍身(主観)と手眼(客観)を入れ替えただけのように捉えがちですが、全身(遍身)手眼そのもの、手眼そのものが全身((遍身)の意で、手眼が体(身)に遍く付随しているのではない事の意である。

遍は遍界の意ですが、身(体)が手眼という実態であったとすると、そこには遍くとは云えなくなる。

身と手眼に遍くという功徳が有ったとしても、攙奪行市と云った強引・横暴な手眼ではないとの拈提でしたが、どこか強引な拡張解釈のような文体です。

「手眼の功徳は、是と認ずる見取行取説取あらざるべし。手眼すでに許多と云う、千にあまり、万にあまり、八万四千にあまり、無量無辺にあまる。只遍身是手眼のかくの如くあるのみにあらず、度生説法もかくの如くなるべし、國土放光もかくのごとくなるべし」

ここで云う手眼は単なる感覚器官ではなく真実態を表意するもので、その真実底を表現する時には見る・行う・説くなどと云う限定的な、手眼のハタラキ(功徳)は説く事は出来ない。

雲巌が最初に云うように、許多(多く)の手眼(真実)と云うように、千・万・八万四千の数量を飛び越え、さらに無量無辺という無限定数値をも超越した許多の再確認です。

また遍身是手眼と云う真実底を説く方法も度生説法と云う真実を衆生に告知する事も、さらには国土の荘厳も、数限りない方法が有るとの言い用で、「大悲菩薩用許多説法度生」とも「大悲菩薩用許多国土放光」とも変換可能です。

「かるが故に、雲巖道は遍身是手眼なるべし、手眼を遍身ならしむるにはあらずと参学すべし。遍身是手眼を使用すと云うとも、動容進止せしむと云うとも、動著することなかれ」

念押しの為、遍身是手眼とも手眼是身遍の違いを、手眼を遍身ならしむるには非ずと再説されます。

遍身是手眼拈提の結語としては、人体が手眼と一体に成るといっても、動容進止のように様々な日常生活の様態があるので、動著(驚く)する事なかれと平常人としての立ち居振る舞いが「観音」そのものとの拈提です。

 

    第八段

道吾道取す、道也太殺道、祗道得八九成。

いはくの宗旨は、道得は太殺道なり。太殺道といふは、いひあていひあらはす、のこれる未道得なしといふなり。いますでに未道得のつひに道不得なるべきのこりあらざるを道取するときは、祗道得八九成なり。いふ意旨の參學は、たとひ十成なりとも、道未盡なる力量にてあらば參究にあらず。道得は八九成なりとも、道取すべきを八九成に道取すると、十成に道取するとなるべし。當恁麼の時節に、百千萬の道得に道取すべきを、力量の妙なるがゆゑに些子の力量を擧して、わづかに八九成に道得するなり。たとへば、盡十方界を百千萬力に拈來するあらんも、拈來せざるにはすぐるべし。しかあるを、一力に拈來せんは、よのつねの力量なるべからず。いま八九成のこゝろ、かくのごとし。しかあるを、佛祖の祗道得八九成の道をきゝては、道得十成なるべきに、道得いたらずして八九成といふと會取す。佛法もしかくのごとくならば、今日にいたるべからず。いはゆるの八九成は、百千といはんがごとし、許多といはんがごとく參學すべきなり。すでに八九と道取す、はかりしりぬ、八九にかぎるべからずといふなり。佛祖の道話、かくのごとく參學するなり。

この段では道吾の「言(道)うことは甚だ言えり、ただ道得するは八九割(成)」の拈語になります。

先ずここで道吾が使用する「八九成」の語は、雲巌―洞山―曹山と連なる洞山門下での常套句で『撫州曹山元証禅師語録』(大正蔵四十七巻・五二七頁・下)には船子徳誠との問答場面に、「徳日。如驢覰井。師日。道則太殺道。只道得八成。徳日。和尚又如何。師日。如井

覰驢」と散見されます。

「云わくの宗旨は、道得は太殺道なり。太殺道と云うは、云い当てい云い表す、残れる未道得なしと云うなり。いますでに未道得のつひに道不得なるべき残りあらざるを道取する時は、祗道得八九成なり」

道吾が雲巌に言う太殺道ならびに祗道得八九成は、これ以上喩えようもない完全な言い様だと冒頭に説かれます。道得と未道得は別々の概念で考えがちですが、主客未分を説く仏法では道得はその時点で全機、未道得は未の現時点で完全態としますから何ら矛盾する拈提ではありません。

「云う意旨の参学は、たとひ十成なりとも、道未尽なる力量にてあらば参究にあらず。道得は八九成なりとも、道取すべきを八九成に道取すると、十成に道取すると成るべし」

完全と云っても言い尽くされていなくては参学究明ではなく、八九成であっても参究が行われれば、十成になると言う拈提ですが、斧山玄鈯和尚による『聞解』では「道得は八九成なりとも、法の道取すべき道理を残り無く、八九成に云い取るは、十成に道取すると同じ」と注解され、さらに詮慧和尚の『聞書』では「十を残したる八九にあらず」との言もあります。

「当恁麼の時節に、百千万の道得に道取すべきを、力量の妙なるが故に些子の力量を挙して、わづかに八九成に道得するなり」

当に真実底の時には、百千万の言葉で以て云う処を、実力がある故に八九割にて説く事が可能である。

「例えば、尽十方界を百千万力に拈来するあらんも、拈来せざるには勝るべし。しかあるを、一力に拈来せんは、世の常の力量なるべからず。いま八九成のこころ、かくの如し」

具体的に尽十方界を、百千万で説明(拈来)しようとしても説明しきれるものでもないが、説明しないよりはましで、それを一言にて説明する事が、道吾の言う「八九成」の意味である。

「しかあるを、仏祖の祗道得八九成の道を聞きては、道得十成なるべきに、道得至らずして八九成と云うと会取す。仏法もしかくの如くならば、今日に至るべからず」

ここで一般的識見で見る八九成の理解は、完全ではない八九成と解会するが、そのような理解では仏法は伝播しないと説かれます。

「いはゆるの八九成は、百千と云わんが如し、許多と云わんが如く参学すべきなり。すでに八九と道取す、はかり知りぬ、八九に限るべからずと云うなり。仏祖の道話、かくの如く参学するなり」

最後に八九成についての結語は、百千や許多(多く)を用いて説く事を云うのであるが、八九を完全態と錯覚し安住する事を諌める為に、「八九に限るべからず」と向上の義に絡ませての「八九成」の拈語です。

 

    第九段

雲巖道の某甲只如是、師兄作麼生は、道吾のいふ道得八九成の道を道取せしむるがゆゑに、祗如是と道取するなり。これ不留朕迹なりといへども、すなはち臂長衫袖短なり。わが適來の道を道未盡ながらさしおくを、某甲祗如是といふにはあらず。

某甲只如是は道得八九成に同意した意であるを云い、この雲巌の言葉は不留朕迹(跡方を留めず)さらに臂長衫袖短(臂が長く、ころもの袖は短い)つまりは、手が長い人の袖は短いとの意で、雲巌と道吾の問答は優劣なく互いに過不足ない事を説くものです。

決して雲巌は道吾に対し、劣意で以て「某甲只如是」と云っているのではないとの同等同位を言う拈語です。

 

    第十段

道吾いはく、通身是手眼。

いはゆる道は、手眼たがひに手眼として通身なりといふにあらず、手眼の通身を通身是手眼といふなり。しかあれば、身はこれ手眼なりといふにあらず。用許多手眼は、用手用眼の許多なるには、手眼かならず通身是手眼なるなり。用許多身心作麼と問取せんには、通身是作麼なる道得もあるべし。いはんや雲巖の遍と道吾の通と、道得盡、道未盡にはあらざるなり。雲巖の遍と道吾の通と、比量の論にあらずといへども、おのおの許多手眼は恁麼の道取あるべし。

本則最後にいう「通身是手眼」についての拈提ですが、通身と手眼との関係性は、手眼を主体にした全身(通身)ではなく、手眼と通身(全身)の不可分を通身是手眼と言うとの言で、これは先の遍身是手眼と手眼是身遍との差違と同等解釈です。

「しかあれば、身はこれ手眼なりと云うにあらず。用許多手眼は、用手用眼の許多なるには、手眼かならず通身是手眼なるなり。用許多身心作麼と問取せんには、通身是作麼なる道得もあるべし」

これまで幾度となく言われるように、身は身であり、手眼は手眼ですから、身はこれ手眼ではないと言われます。

次にこれまでの如く、用許多手眼の分解作業に入り、手眼を独立させて用手用眼に解体し、あらたに「用許多身心作麼」さらに「通身是作麼」と、文字文節の解体を通して概念化を破砕し、再度意味構築する方便は道元流拈提の特徴です。

「云わんや雲巌の遍と道吾の通と、道得尽、道未尽にはあらざるなり。雲巌の遍と道吾の通と、比量の論にあらずと云えども、おのおの許多手眼は恁麼の道取あるべし」

いよいよ此の巻の結語に導かれます。

本則の「雲巌大悲手眼」の常識的読解では、雲巌の遍身是手眼に対して師兄に当る道吾の通身是手眼が一枚上として読解する処を、「雲巌の遍と道吾の通」は言い尽くす・云い尽くさないの比較の問題ではなく、遍も通も許多の恁麽の一形態であるとの言で、見過ごされがちな「許多」に重きを置いた言明でした。

しかあれば、釋迦老子の道取する觀音はわづかに千手眼なり、十二面なり、三十三身、八萬四千なり。雲巖道吾の觀音は許多手眼なり。しかあれども、多少の道にはあらず。雲巖道吾の許多手眼の觀音を參學するとき、一切諸佛は觀音の三昧を成八九成するなり。

総論的観音についての見方ですが、最初の数行の釈迦老子云々の文面は不要だと思われます。同文言が前にも引用され、この文面からすると釈尊と雲巌・道吾との「比量の論」に解釈しかねない文意が感じられます。

終結論は前節でも言及しましたが、「許多手眼の観音を参学」せよとの事ですが、当時の興聖寺内での看話禅系の達磨衆徒に対する提唱である事を前提にすると、許多手眼の観音とは一事に固執せず、尽界に内蔵する全事物・事象が「観音」であると考えられます。

最後に末木文美士氏は前掲論文『古則解釈の両方向』結論部に於いて「道元は、中国の禅を日本の場に移植する過程で、本覚思想や『法華経』など、当時の叡山系天台の影響を大きく受け、自己を仏の世界に開放していく思想が形成された」と披瀝されますが、的を得た考察だと思われます。

 

    第十一段

いま佛法西來よりこのかた、佛祖おほく觀音を道取するといへども、雲巖道吾におよばざるゆゑに、ひとりこの觀音を道取す。

永嘉眞覺大師に、不見一法名如來、方得名爲觀自在の道あり。如來と觀音と、即現此身なりといへども、佗身にはあらざる證明なり。

麻浴臨濟に正手眼の相見あり。許多の一々なり。雲門に見色明心、聞聲悟道の觀音あり。いづれの聲色か見聞の觀世音菩薩にあらざらん。百丈に入理の門あり、楞嚴會に圓通觀音あり、法華會に普門示現觀音あり。みな與佛同參なり、與山河大地同參なりといへども、なほこれ許多手眼の一二なるべし。

この段の文言は示衆年月日の後に続くもので、奥書とも又は後書きとも解せられるものですが、おそらくは観音に関する資料が手許にあった事から、提唱後に書き足したものと思われる文言です。

「いま仏法西来よりこのかた、仏祖多く観音を道取すると云えども、雲巌道吾に及ばざる故に、ひとりこの観音を道取す」

インドから達磨以来多くの祖師方、たとえば「永嘉真覚・麻浴・臨済・雲門匡真・百丈懐海」等々が観音を拈じているが、雲巌・道吾による大悲手眼には及ぶ者はないと喝破されます。

「永嘉真覚大師に、不見一法名如来、方得名為観自在の道あり。如来と観音と、即現此身なりと云えども、佗身にはあらざる証明なり」

永嘉玄覚(675―713)は浙江省温州市永嘉県出身である為永嘉と慕われ、六祖慧能の法を嗣ぎ、号が真覚なので『永嘉真覚大師証道歌』等を永嘉集として刊行す。その『証道歌』(「景徳伝灯録」三十巻・四六〇頁・上)は冒頭に「君見ずや、絶学無為の閑道人、妄想を除かず真を求めず。無明の実性即仏性、幻化の空身即法身」から始まるものですが、此の処に引用する「不見一法名如来」の原文では「不見一法即如来」と即を名に置換した文章で、「方得名為観自在」は同文です。

「他身にあらざる証明なり」とは如来も観音も同等なる真実底を云うものです。

「麻浴臨済に正手眼の相見あり。許多の一々なり」

臨済と麻浴(谷)のエピソードは『臨済録』(「大正蔵」四十七巻・四九六頁・下)に収録されるもので、「時に麻谷出でて問う、大悲千手眼、那箇か是れ正眼。速道速道。麻谷師(臨済)を曳いて座を下らしめ、麻谷却って坐す。師近前して云く、不審。麻谷擬議す。師も亦麻谷を曳いて座を下らしめ、師却って坐す。」と、一見ふざけたような大人気ない行為のようですが、解説文では賓主互換の則として扱われ、主客の立場を自由に互換し、自らが般若の正手眼そのものを云う古則だそうですが、道元禅師はこの行動も観音の許多の一場面として捉えます。

「雲門に見色明心、聞声悟道の観音あり。いづれの声色か見聞の観世音菩薩にあらざらん」

この古則は『雲門広録』中巻にありますが、直接的には『真字正法眼蔵』下・五八則を参照に引用されたものと思われ、「雲門示衆云、聞声悟道、見色明心。作麼生是聞声悟道、見色明心。挙手云、観世音将銭来買餬餅、放下手元来是饅頭。」が原文ですが、聞声悟道は香厳撃竹の話を、見色明心は霊雲見桃花を指しますが、その両人は観音であるからそれぞれに餬餅や饅頭を買う事が出来るという話頭です。

「百丈に入理の門あり、楞厳会に円通観音あり、法華会に普門示現観音あり。みな与仏同参なり、与山河大地同参なりと云えども、なほこれ許多手眼の一二なるべし」

百丈に入理の門は『真字正法眼蔵』中・二八則には、百丈懐海の道場にて普請作務の途中、一人の僧が斎時の鼓声を聞くや否や、鋤頭を放り投げ大笑して食堂に帰る僧を見た百丈の言葉が「此れは是れ観音入理之門」から引用したものです。

『首楞厳経』巻六は観音円通章である為のものですが、『宝慶記』第六問答では「(如浄)和尚云。首楞厳は昔より疑う者が有り、此の経は後人の構歟。先代祖師は未だ曾て首楞厳を見ざる也。近代の癡暗の輩は、之を読み之を愛す。」との如浄和尚の説明がある通り、今日では偽経との説が一般的です。

法華経』普門品には「聞是観世音菩薩品、自在之業、普門示現神通力者」からの引用ですが、これあは仏と観音の区別はなく(与仏同参)、尽界に遍満(与山河大地同参)する事例が「許多手眼」という真実体現の具体例(一二)であると言われ、この『観音』巻での主旨は『碧巌録』等とは異なる視点で、許多の無辺量と手眼に代表される尽界とを合糅させた「許多手眼」とは、「一仏の究尽する時、余仏皆蔵身す」と経豪和尚は『御抄』にて註解されるのを紹介し、この巻を終えます。

 

正法眼蔵 第十八 観音

爾時仁治三年壬寅四月二十六日示