正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵龍吟

正法眼蔵 第六十一 龍吟  

    一

舒州投子山慈濟大師、因僧問、枯木裏還有龍吟也無。

師曰、我道、髑髏裏有師子吼。

枯木死灰の談は、もとより外道の所教なり。しかあれども、外道のいふところの枯木と、佛祖のいふところの枯木と、はるかにことなるべし。外道は枯木を談ずといへども枯木をしらず、いはんや龍吟をきかんや。外道は枯木は朽木ならんとおもへり、不可逢春と學せり。佛祖道の枯木は海枯の參學なり。海枯は木枯なり、木枯は逢春なり。木の不動著は枯なり。

本則は『景徳伝灯録』・十五・投子大同禅師章を典拠としますが、本則では枯木裏と有りますが底本では枯木中とあります。

舒州(じょしゅう)は安徽省に属し投子山は桐城県の東北三里に在し、投子大同(819―914)の法脈は師匠に翠薇無学(生没不詳)―丹霞天然(739―824)―石頭希遷(700―790)と辿れます。

投子山大同禅師章冒頭には、「舒州投子山の大同禅師は、本州懐寧(安徽省潜山県)の人なり。姓は劉氏。幼歳にして洛下の保唐満禅師に依りて出家す。初め安般(数息)観を習い、次いで華厳教を閲して性海を発明す。復た翠薇山の法席に謁して、宗旨を頓悟す。是れに由りて放任に周遊し、故土に帰施して、投子山に隠れ、茅を結んで居す」と紹介されます。

「枯木死灰の談は、もとより外道の所教なり。しかあれども、外道のいふところの枯木と仏祖のいふところの枯木と、はるかにことなるべし」

字義通りの解釈で、これより枯木についての拈提で外道との対比を云うものです。

「外道は枯木を談ずといへども枯木をしらず、いはんや龍吟をきかんや。外道は枯木は朽木ならんとおもへり、不可逢春と学せり」

外道(げどう)という語の響きには、いかにも悪漢(極悪非道)と云った意味合いが有るように感ぜられるが、元来は仏教以外の教学を指し軽蔑の意はない。そこで外道が云う「枯木」は単に枯れ朽ちた現象物を取り上げ、本来の「枯木」を知らず、ましてや龍の吟り(本来のあり方)などは聞くにも及ばないと。発展段階的に種子→発芽→成長→枯木→死灰。このように断滅的思考法では、枯木が春に回り逢うということもないと学する事が「外道の見」だと言われます。

「仏祖道の枯木は海枯の参学なり。海枯は木枯なり、木枯は逢春なり。木の不動著は枯なり」

これからが拈提の始まりです。仏祖(真実)が云う「枯木」は「海枯の参学」と有りますが、『遍参』巻に説かれた処で、「遍参究尽なるには脱落遍参なり。海枯不見底なり、人死不留心なり。海枯といふは、全海全枯なり」とあるように、「枯」と「木」を別物に捉えるのではなく、「全枯」・「全木」と把握せよとの言です。

「海枯は木枯」・「木枯は逢春」は先程の「枯木は海枯」の逆バ―ジョンを提示するもので、木枯逢春も先の枯木不可逢春に対するアンチテ―ゼ的含意包語です。

「木の不動著は枯なり」を『聴解』では「桃は桃のままで不動。春になれば花が開き、秋には果実が成る、これを不動としありのままが枯木なり」と解釈しますが、小拙の愚考では「枯木は海枯」→「海枯は木枯」→「木枯は逢春」と語ベクトルを変換し、さらに解語作業で以て「木枯」を「木」と「枯」に解体し「全木」・「全枯」との拈提と読み解きます。

いまの山木海木空木等、これ枯木なり。萌芽も枯木龍吟なり。百千萬囲とあるも、枯木の兒孫なり。枯の相性體力は、佛祖道の枯樁なり、非枯樁なり。山谷木あり、田里木あり。山谷木、よのなかに松栢と稱ず。田里木、よのなかに人天と稱ず。依根葉分布、これを佛祖と稱ず。本末須歸宗、すなはち參學なり。かくのごとくなる、枯木の長法身なり、枯木の短法身なり。もし枯木にあらざればいまだ龍吟せず、いまだ枯木にあらざれば龍吟を打失せず。

これから道元流独自の拈提に入ります。

「今の山木・海木・空木等、これ枯木なり。萌芽も枯木龍吟なり。百千万囲とあるも、枯木の児孫なり」

ここに云う山木・海木・空木は、先に云う海枯の一つの風景を全視点から述べたもので、これらも「枯木」と云う絶対真実を表す比喩で、山の木・海の木・空の木と云った空想概念ではありません。

「萌芽も枯木龍吟」とは、先段で二乗外道は種子→発芽→成長→枯木→死灰

という論法を抱くと説明しましたが、仏道理法で説く「皮肉骨髄」論の如くに、「萌芽」は全機現萌芽ですから、絶対的真実を表徴する枯木龍吟と同体せしめる論法になり、言句を換え「百千万囲」(我々を取り囲む全てのもの)と云う造語と思われるもので、「尽十方」語調を表出させ「枯木の児孫」に位置づけます。

「枯の相・性・体・力は、仏祖道の枯樁(棒ぐい)なり、非枯樁なり。山谷木あり、田里木あり。山谷木、よのなかに松柏と称ず。田里木、よのなかに人天と称ず。依根葉分布、これを仏祖と称ず。本末須帰宗、すなはち参学なり」

これまでの説明で見てきたように、「枯木」は絶対的仏法の別語としての前提文ですから、「枯の相性体力は仏祖道の」という語法が成り立つわけです。「相性体力」は法華経方便品で云う処の十如是の四つを列挙したもので、ともに真実のあり方を云うもので、相(形相)・性(本質)・体(形体)・力(能力)・作(作用)・因(直接的な原因)・縁(条件・間接的な関係)・果(因に対する結果)・本末究竟等相(無差別平等)という十種の存在の仕方・方法を諸法実相と捉えるもので、それらは皆共々仏祖が云う処の枯樁(朽ちた棒ぐい)であり非の枯樁であると。

先に「山木」とありましたが此処では「山谷木」と表現を換え、娑婆世界では「松柏」と呼び、「田里木」つまり人家周辺にある「木」を「人天」と称ずと。これは差異を云うのではなく、異処同義体を云うものです。

「依根葉分布」は根に依って葉は分布す。と読み、根と葉は言葉は別物ですが、一体同心のような関係で、先に云う松柏と人天との関係を『参同契』の語句で再度云うもので、「本末須帰宗」・本末須らく宗に帰すべしと。同じく『参同契』で以て本(山谷木)末(田里木)すべからく(なすべきこととして)宗に帰ることが参学なりと。

つまりは此の箇処は「枯木」についての拈提ですから、云う処は枯木的坐観・所謂は只管打坐を遠回しに云うものです。

「かくのごとくなる、枯木の長法身なり、枯木の短法身なり。もし枯木にあらざればいまだ龍吟せず、いまだ枯木にあらざれば龍吟を打失せず」

「かくのごとく」とは山木・海木・空木や山谷木・田里木を示唆し、そこには「長短」それぞれの枯木・つまり真実の世界が存在し、「枯木」がなかったならば「龍吟」と云う真実もなく失う事もないとの拈提です。

幾度逢春不變心は、渾枯の龍吟なり。宮商角徴羽に不群なりといへども、宮商角徴羽は龍吟の前後二三子なり。

しかあるに、遮僧道の枯木裏還有龍吟也無は、無量劫のなかにはじめて問頭に現成せり、話頭の現成なり。

投子道の我道髑髏裏有師子吼は、有甚麼掩處なり。屈己推人也未休なり。髑髏遍野なり。

「幾度逢春不変心」の言葉は大梅法常(752―829)が語ったものですが、『行持』巻(仁治三(1242)年四月五日興聖寺)に「摧残枯木倚寒林、幾度逢春不変心。樵客遇之猶不顧、郢人那得苦追尋。」(摧残せる枯木、寒林に倚り、幾度か春に逢うも心を変えず。樵客之に遇うも猶お顧みず、郢人(えいじん)那(な)んぞ苦(しきり)に追尋するを得んや。)とあるように、起句に「枯木」の語があり「不可逢春」を使用した連関からの引用だと思われます。

「渾枯の龍吟」の渾は尽界を云いますから、尽界が枯木龍吟・つまりは尽十方界は枯木の龍吟と云う真実で満ち満ちているとの拈語です。

「宮商角徴羽に不群なりといへども、宮商角徴羽は龍吟の前後二三子なり」

宮(きゅう)商(しょう)角(かく)徴(ち)羽(う)を五音と云い中国での音階を指し、今は「龍吟」の拈提ですから、龍の吟りを音楽に喩えての云い様で、龍吟はその音階では表現されないけれども、龍吟と云う大きな枠内に「宮商角徴羽」「前後二三子」と取り込まれているとの拈提です。

「しかあるに、遮僧道の枯木裏還有龍吟也無は、無量劫のなかにはじめて問頭に現成せり、話頭の現成なり」

ここからが本則に対する拈提の結論部です。

遮僧道の「遮」は「這」に通じ、投子慈済(大同)大師に僧が質問した「枯木裏還有龍吟也無」の最後部の「無」という疑問詞が仏法の真髄を表意するとの拈提で、「問処は答処と一等」が微塵も隠すことなく、ありのまま現成していると、無量劫の中に於いて。

「投子道の我道、髑髏裏有獅子吼は、有甚麼掩処なり。屈己推人也未休なり、髑髏遍野なり」

僧の質問に対し投子が云うには、髑髏のなかに獅子吼(釈迦説法)があると。これは先の質問に対する答話ではなく、先程云ったように僧の問いは「問処は答処に一等」である為に、投子は同義語で以て枯木を髑髏に龍吟を獅子吼に差し換えた投子の言い分です。「有甚麼掩処」は甚麼(なに)の掩(おお)う処か有らんと読解しますから、僧の云う「枯木龍吟」も投子が説く「髑髏獅子吼」も共に真実は尽界に遍満しているのだから、何で今さら掩い隠すことがあろうか、との言です。

「屈己推人也未休なり、髑髏遍野なり」

「己を屈して人を推(お)すこと也(また)未だ休せず」とは、自己主張しない事を云うもので、『御抄』(「註解全書」七・五六四)では「一方を称すれば一方はくらしと云う程の心地」と解釈され、「髑髏遍野」とは先程来云うように、ドクロを枯木同様・真実態と見なすわけですから、「山木・海木・空木等」野に遍く也との結語です。

 

    二

香嚴寺襲燈大師、因僧問、如何是道。師云、枯木裡龍吟。僧曰、不會。師云、髑髏裏眼睛。後有僧問石霜、如何是枯木裡龍吟。霜云、猶帶喜在。僧曰、如何是髑髏裏眼睛。霜云、猶帶識在。又有僧問曹山、如何是枯木裡龍吟。山曰、血脈不斷。僧曰、如何是髑髏裡眼睛。山曰、乾不盡。僧曰、未審、還有得聞者麼。山曰、盡大地未有一箇不聞。僧曰、未審、龍吟是何章句。山曰、也不知是何章句。聞者皆喪。

いま擬道する聞者吟者は、吟龍吟者に不齊なり。この曲調は龍吟なり。枯木裡髑髏裡、これ内外にあらず、自佗にあらず。而今而古なり。猶帶喜在はさらに頭角生なり、猶帶識在は皮膚脱落盡なり。

本則は『真字正法眼蔵』・上・二十八則に依ります。

香厳(きょうげん)は河南省鄧州鄧県にある山の名で、襲燈とは皇帝からの謚号(しごう)である。出身は山東青州地、師は潙山霊祐(771―853)を仰ぎ同門には仰山慧寂(807―883)・霊雲志勤・京兆米胡等が同席し、香厳撃竹の話。さらに「一撃亡所知、更不假修治。動容揚古路、不堕悄然機。」の偈頌が有名であります。

香厳智閑を取り扱うものは、『行持』巻・『谿声山色』巻・『神通』巻・『祖師西来意』巻・『王索仙陀婆』巻(仮字正法眼蔵) 『真字正法眼蔵』では上十七則・六十一則、中三十八則(金沢本)、下四十三則等があります。

本則には四人の学人が登場します。

ある僧と香厳智閑(―898)・石霜慶諸(807―888)・曹山本寂(840―901)で、法脈は香厳―潙山霊祐(771―853)―百丈懐海(749―814)、石霜―道吾円智―薬山惟儼(745―828)、曹山―洞山良介(807―869)―雲厳曇晟(782―841)となり、ある僧は法系を越え各和尚に「龍吟」の真意を訪道したようです。

香厳寺の襲燈大師智閑和尚に、因みに僧が問うた、如何なるか是れ道。

この場合の「道」は仏道の意ですが、先来の問処は答処と一様との論理からすると、「如何」の語には全体性を包含する語彙ですから、この時点で限定された概念語ではない事になります。

それに対し香厳は枯木の裡(なか)の龍吟と答えます。

僧は不会(わかりません)と云う。

本則では「不会」とされますが『聯灯会要』・八・香厳章では「如何是道中人」とあり、おそらく道元禅師みづから改変されたものと思われます。

再び香厳は「不会」に対し初答「枯木裡龍吟」と同程のバリエーションで以て「髑髏裏眼晴」と答えます。

後に僧が石霜慶諸に如何是枯木裡龍吟と問う。この僧は同一人と仮定してみると、香厳山から石霜の道場に出向き、智閑に対して行った同じ質問をしたわけです。

それに対し石霜は猶帯喜在と答えますが、猶(まだ)喜(喜怒哀楽の感情)というものが少し残っている、との答話です。

僧は再度、香厳の答話である髑髏裏眼晴を石霜に質問すると、

石霜は先程と同様、猶帯識在とまだ意識が少し残っているとの答話です。

次に場面が展開し、曹山本寂の道場での参学時に、如何是枯木裡龍吟と最初の疑問を曹山に聞きます。

曹山は血脈不断つまり血液は絶えていない。所謂はまだ生きていると。

僧は同じく髑髏裡眼晴の意を曹山に問うに、曹山は乾不尽・乾き切ってはいない、との言です。

香厳・石霜・曹山三人の和尚はそれぞれの言い分で具体的に答話するのに対し僧は、

未審・わからないと嘆き、また龍が吟ずるを聞く者はいますかとの問いに、

曹山が云うには尽大地この世の中で未だ一人も聞かない者はないと。

僧にはわからず未審・未だ審(つまびらか)でないとの意で、禅宗門下では「イブカシ」と読み親しむ語ですが、他にも「ソモ」とルビを打つ教本もあります。「そ」は代名詞+「も」は係助詞を表し、「それはそうと」・「そもそも」などと注釈されます。そもそも龍は何の章句(ことば)を吟じているのですかと。との問いに、

曹山が云うには、またこれは何の章句か知らず、龍の吟りを聞いた者は皆喪す。(死んでしまう)

「いま擬道する聞者吟者は、吟龍吟者に不斉なり。この曲調は龍吟なり」

これからが道元禅師の拈提で「擬道」の擬は「おしはかる」の意がありますから、道(い)おうとする処は、聞く者と吟ずる者との語調は不斉(ひとしくない)ですが、龍吟(真実の表徴)としての曲調に於いては範疇内であると。言わんとする処は、投子の段で説いた「渾枯の龍吟は宮商角徴羽に不群なりといへども、宮商角徴羽は龍吟の前後二三子なり」との拈提の再確認だと思われます。

「枯木裡・髑髏裡、これ内外にあらず、自他にあらず、而今而古なり」

ここに云う枯木も髑髏も尽十方・尽大地を表意する言句として使われますから、内と外・自と他と云った概念は成り立たず、而今而古つまり亘古亘今と同義語で永遠を云います。因みに裡は裏の俗字です。

「猶帯喜在はさらに頭角生なり、猶帯識在は皮膚脱落尽なり」

僧が問う枯木裡龍吟に対し石霜が答えた「猶帯喜在」の一般的解釈は、枯れた木が風に吹かれて音を出すのは、まだ少しばかり自然界との縁を表す手段として枯木の感情を表現する為であり、枯木と自然界との一体性を云うものだと思われますが、拈提では頭角生と頭に角が生ずるとの事です。「頭角」とは凡夫の有所得心であったり、煩悩の念が起こる事を示唆しますが、『御抄』(「註解全書」七・五六八)の註釈では「枯木龍吟の上の荘厳功徳」と肯定的に捉え、「龍吟」つまり尽十方真実態の一風景とのことです。「猶帯識在」の解釈も独自な表現で以て「皮膚脱落尽」との事ですが、元々は『涅槃経』からの言葉のようですが、強豪和尚は「皮膚脱落尽は解脱の姿」と説かれます。

曹山道の血脈不斷は、道不諱なり。語脈裏轉身なり。乾不盡は海枯不盡底なり、不盡是乾なるゆゑに乾上又乾なり。聞者ありやと道著せるは、不得者ありやといふがごとし。盡大地未有一箇不聞は、さらに問著すべし。未有一箇不聞はしばらくおく、未有盡大地時、龍吟在甚麼處、速道々々なり。未審、龍吟是何章句は、爲問すべし。吟龍はおのれづから泥裡の作聲擧拈なり。鼻孔裏の出気なり。也不知、是何章句は、章句裏有龍なり。聞者皆喪は、可惜許なり。

ここからは曹山の答話に対する拈提開始です。

「曹山道の血脈不断は、道不諱なり、語脈裏転身なり」

僧が曹山に問うた枯木裡龍吟に対して曹山が答えた「血脈不断」の意は、先にも云ったように「生きている」との解釈ですから、「道不諱」つまり道(い)うことを諱(い)みきらわずで、「語脈裏転身」の語脈とは「枯木裡龍吟」・「髑髏裡眼晴」を示し、龍吟や眼晴と云った真実の世界の中に「転身」・転げ回っているという拈提です。

「乾不尽は海枯不尽底なり、不尽是乾なるゆゑに乾上又乾なり」

髑髏裡眼晴の問いに対する曹山の「乾不尽」に対する拈提は「海枯不尽底」つまり海が枯れても決して底は尽きない事を云うものですが、「海枯不尽底」は前段提唱時での「仏祖道の枯木は海枯の参学なり海枯は木枯なり」に通じ、さらに『遍参』巻に説かれる「遍参究尽なるには脱落遍参なり。海枯不見底なり人死不留心なり。海枯といふは全海全枯なり」に通底される拈提だと思われ、「不尽是乾なるゆゑに乾上又乾なり」これを『御抄』(「註解全書」七・五七一)では「悟上得悟、迷中又迷のことばと同じ」と云われます。

「聞者ありやと道著せるは、不得者ありやといふがごとし」

僧が云う聞く者があるかとは、龍が実際に吟ずるのを聞く人がありますかと曹山に問うた事は、「不得者」つまり聞く事の出来ない者があるかと云うようなものだとの拈提で、龍吟が聞こえる聞こえないと云う事ではなく全てが「龍吟」だとの言明です。

「尽大地未有一箇不聞は、さらに問著すべし、未有一箇不聞はしばらくおく、未有尽大地時、龍吟在甚麼処、速道速道なり」

尽大地未有一箇不聞は曹山が先程の龍吟を聞いた事があるかとの問いを受けての答話でしたが、道元禅師はこの曹山の答話に対して更に徹底した問答を要求します。

曹山は尽大地(尽十方界)には龍吟を聞かない者はいない。と云ったのですが、尽大地だけでは未徹底で「未有尽大地)つまり宇宙が生成される以前には龍吟は甚麼(どこ)にあるかとの問いを、僧を代弁しての曹山に対する道元禅師の問いです。曹山と僧との問答に拈提者自身が時空を超越する「以尽地為龍吟、以龍吟為尽地」と肉迫した場の設定です。

「未審、龍吟是何章句は、為問すべし、龍吟はおのれづから泥裡の作声挙拈なり、鼻孔裏の出気なり」

龍吟とは未審(そもそも)何の章句(ことば)を吟じているか。と云う質問だと思われるが、拈提では「為問すべし」とあり、「如是」・「作麼生」等を冠詞せよとの意でしょうか。そこで龍吟の章句とは、泥(日常底)の中からの作声(声色)や鼻の穴からの呼気だとの拈提です。言う処は尽大地龍吟ならざる処なしとの事です。

「也不知、是何章句は章句裏有龍なり」

曹山が云う龍吟の章句(ことば)は知らずに対する拈語は、「章句裏」・ことばの中に龍(吟)は居るとの拈提で、これも先程来の繰り返しで語言を換えての云い分です。

「聞者皆喪は可惜許なり」

普通は聞く者は皆死ぬと解されるのですが、これまでの一貫した思考法は、龍吟に対しての物(者)の見方ではなく同体同義語として取り扱う事ですから、全てが龍吟の状態では聞く対象が存在しないから、「皆喪」と理解し、「可惜許」・おしいことだと拈提を終わらせます。

 

    三

いま香嚴石霜曹山等の龍吟來、くもをなし、水をなす。不道道、不道眼睛髑髏。只是龍吟の千曲萬曲なり。猶帶喜在也蝦蟇啼、猶帶識在也蚯蚓鳴。これによりて血脈不斷なり、葫蘆嗣葫蘆なり。乾不盡のゆゑに、露柱懷胎生なり、燈籠對燈籠なり。

香厳・石霜・曹山三人それぞれ龍吟を表現した処は「雲をなし水をなす」・自然活動そのものを云うものです。この状態を「不道道」・つまり雲水の活動そのものは龍を吟じていても人間の耳目には届かない事を云うもので、さらに「不道眼晴髑髏」と云い、また「宮商角徴羽」に関連させて「千曲万曲」の語で以て、龍吟の遍満性を云うものです。

「猶帯喜在也蝦蟇啼、猶帯識在也蚯蚓鳴」

石霜の答話に『眼睛』巻での如浄和尚の云う「蝦蟇啼・蚯蚓鳴」を付言した道元流の表現方式で、「なお喜を帯する在り也蝦蟇啼く」と読み、説かんとする主旨は「枯不裡龍吟」「猶帶喜在」「蝦蟇啼」の同等なる義を述べんとするもので、さらに蝦蟇の啼・蚯蚓の鳴・龍吟の吟の差別なきを説き、龍吟は上物、がま・みみずは下等という世間一般的なヒエラルキーを打破する為のもので、「これによりて血脈不断」と連続・聯関した血流の不断、つまり生命(いのち)の同等性を説く拈提・提唱だと思われます。

さらに「葫蘆嗣葫蘆」と、ひょうたんはひょうたんに嗣ぐと同時同等の言句を添えます。「乾不尽の故に」のひょうたんは、乾燥しても形状はそのままですから、永続性を説き、「露柱懐胎生・灯籠対灯籠」という禅語で、不変性の表徴としての語句で以て『龍吟』巻を終わらせます。

『家常』巻でも言及しましたが、「七十五巻正法眼蔵」配列では第五十六『見仏』巻から第五十九『家常』巻は、「禅師峰」といわれる「白山平泉寺」領域での説示であり整合性が見受けられますが、同じ「禅師峰」示衆である『龍吟』巻を第六十一に据えて、第六十に『三十七品菩提分法』巻を配列されるが、説示内容的にも「見仏」—「遍参」—「眼睛」—「家常」—「龍吟」という個別具体例を説いた後で「三十七品」という仏教の総合的項目を説いた方が体系的示唆に思われるが、はなはだ疑問が残る拾勒である。