正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵祖師西来意

正法眼蔵第六十二 祖師西来意

香嚴寺襲燈大師〈嗣大潙、諱智閑〉示衆云、如人千尺懸崖上樹、口樹枝、脚不蹈樹、手不攀枝。樹下忽有人問、如何是祖師西來意。當恁麼時、若開口答佗、即喪身失命、若不答佗、又違佗所問。當恁麼時、且道、作麼生即得。時有虎頭照上座、出衆云、上樹時即不問、未上樹時、請和尚道、如何。師乃呵々大笑。

而今の因縁、おほく商量拈古あれど、道得箇まれなり。おそらくはすべて茫然なるがごとし。しかありといへども、不思量を拈來し、非思量を拈來して思量せんに、おのづから香嚴老と一蒲團の功夫あらん。すでに香嚴老と一蒲團上に兀坐せば、さらに香嚴未開口已前にこの因縁を參詳すべし。香嚴老の眼睛をぬすみて覰見するのみにあらず、釋迦牟尼佛の正法眼藏を拈出して覰破すべし。

この古則の出典は『真字正法眼蔵』・上・四十四則だと思われますが、その底本は『宗門統要集』とされます。『景徳伝灯録』・『宗門統要集』・『真字正法眼蔵』等と『祖師西来意』巻には各所に多少の異同があります。例えば『祖師西来意』巻では「虎頭照上座」としますが、『真字正法眼蔵』では「虎頭上座」とし、『宗門統要集』も「虎頭上座」としますが、『景徳伝灯録』では「招上座」とします。読み方は、

人、千尺の懸崖で樹に上るが如く、口に樹の枝を銜(くわ)え、脚は樹を踏まず、手には枝を攀(よ)じらず。樹下に忽ち人有りて問う、如何是祖師西来意。当(まさ)に恁麼(その)時、若し口を開けて他に答えば、即ち喪身失命、若し他に答えざれば、又他の所問に違う。当に恁麼時、且らく道(い)うべし、作麼生(そもさん)即得(どうする)時に僧有って、衆より出でて云く、樹に上る時は即ち問わず、未上樹時、和尚の道を請う、如何。師(香厳智閑)乃ち呵呵大笑す。

而今の因縁、おほく商量拈古あれど、道得箇まれなり。おそらくはすべて茫然なるがごとし」

而今の因縁」とは上樹話を云うが、『宗門統要集』に於いては「雪竇」・「翠厳」両員商量拈古され、他にも「汾陽昭」・「保寧勇」・「智海逸」・「天童覚」・「竹庵珪」等幾多の学人の参究を示唆するものだと思われます。しかし右に挙げた和尚の拈古は的を得ず、皆香厳の話頭に茫然のようだと手厳しい語調です。

「しかありといへども、不思量をを拈来し、非思量を拈来して思量せんに、おのづから香厳老と一蒲団も功夫あらん」

「不思量・非思量」は坐禅の姿を言語表現したものですから、そこで香厳襲燈(智閑)老僧と共に「蒲団の功夫坐禅を参究してみようとの事です。因みに『坐禅箴』巻での提唱話の薬山弘道大師(惟儼)(745―828)は青原―石頭―薬山―雲厳―洞山と続く曹洞宗系であり、今回の香厳襲燈大師(―898)は南嶽―馬祖―百丈―潙山―香厳と続く臨済系脈でありますが、何ら宗派的差異は認めずの提唱です。

「すでに香厳老と一蒲団上に兀坐せば、さらに香厳未開口已前にこの因縁を参詳すべし」

香厳老僧と共に兀坐(坐禅)をしたならば、さらに上樹話頭が語られる以前の功厳の境涯を詳細に参学せよとの言です。

「香厳老の眼睛をぬすみて覰見するのみにあらず、釈迦牟尼仏正法眼蔵を拈出して覰破すべし」

ここでは香厳と釈尊、さらには我々の真実人体なる同等理をこのように説くわけです。つまりは坐禅のありようを参究する事を「覰見」・「覰破」と言うものです。

 

如人千尺懸崖上樹。

この道、しづかに參究すべし。なにをか人といふ。露柱にあらずは、木橛といふべからず。佛面祖面の破顔なりとも、自己佗己の相見あやまらざるべし。いま人上樹のところは盡大地にあらず、百尺竿頭にあらず、これ千尺懸崖なり。たとひ脱落去すとも、千尺懸崖裡なり。落時あり、上時あり。如人千尺懸崖裏上樹といふ、しるべし、上時ありといふこと。しかあれば、向上也千尺なり、向下也千尺なり。左頭也千尺なり、右頭也千尺なり。這裏也千尺なり、那裏也千尺なり。如人也千尺なり、上樹也千尺なり。向來の千尺は恁麼なるべし。

これから上樹話の拈提です。

この道「如人千尺懸崖上樹」についての参究するのですが、まづ「人」とはの問いを掲げ、

「露柱にあらずは、木橛といふべからず」

露柱とはむき出しの柱の事で、木橛(木のくい)とは言わないと云い、

「仏面祖面の破顔なりとも、自己他己の相見あやまらざるべし」

仏祖と親しく(破顔)なっても、自他という認識を誤ってはならない。(相対的自他ではなく、自己に内包される他己)

「いま人上樹のところは、尽大地にあらず、百尺竿頭にあらず、これ千尺懸崖なり」

「人」についての考察ですから「人が樹に上る処」というのは尽大地・百尺竿頭いづれでもなく、「人上樹」の処は「千尺懸崖」と説かれますが、千尺懸崖に内包される「尽大地百尺竿頭」の意です。

「たとひ脱落去すとも、千尺懸崖裡なり。落時あり、上時あり。如人千尺懸崖裏上樹といふ、しるべし、上時ありといふこと」

脱落しようがしまいが千尺の懸崖は千尺の懸崖で、落ちる時上る時はその時々の状況で決まり、今の場合は如人千尺懸崖の内での上時という状況だと云う事です。

「しかあれば、向上也千尺なり、向下也千尺なり。左頭也千尺なり、右頭也千尺なり。這裏也千尺なり、那裏也千尺なり、如人也千尺なり、上樹也千尺なり。向来の千尺は恁麼なり」

千尺を具体的に云うなら、「向上」・「向下」・「左」・「右」・「這」・「那」・「如人」・「上樹」と拘泥する事なきを「千尺」の語句で以て表すのですが、最初に言われる「なにをか人といふ」提唱ですから、「如人也千尺」と云うように人と千尺は別物ではない事を説くものです。もちろん「千尺」は長さの単位ではありません。

 

且問すらくは、千尺量多少。いはく、如古鏡量なり、如火炉量なり、如無縫塔量なり。

「且問すらくは」とは、自問自答の形式での問答で、「千尺」の量とは無辺際を云う為に、『古鏡』巻で雪峰が説く「古鏡」を、又同じく玄沙が云う「火炉」、さらに『授記』巻にて雪峰が云う「無逢塔」それぞれの語彙で以て「千尺量」を拈語します。

 

樹枝。

いかにあらんかこれ口。たとひ口の全闊全口をしらずといふとも、しばらく樹枝より尋枝摘葉しもてゆきて、口の所在しるべし。しばらく樹枝を把拈して口をつくれるあり。このゆゑに全口是枝なり、全枝是口なり。通身口なり、通口是身なり。樹自踏樹、ゆゑに脚不踏樹といふ。脚自踏脚のごとし。枝自攀枝、ゆゑに手不攀枝といふ、手自攀手のごとし。しかあれども、脚跟なほ進歩退歩あり、手頭なほ作拳開拳あり。自佗の人家しばらくおもふ、掛虚空なりと。しかあれども、掛虚空それ樹枝にしかんや。

次に「口」に関する拈提です。

「いかにあらんかこれ口。たとひ口の全闊全口をしらずといふとも、しばらく樹枝より尋枝摘葉しもてゆきて、口の所在をしるべし」

口自体を知らなくても、樹枝の方より枝を尋ね葉を摘んでいけば、自然に「口」に辿り着くとの言です。

「しばらく樹枝を把拈して口をつくれるあり、このゆゑに全口是枝なり、全枝是口なり。通身口なり、通口是身なり」

普通は樹と口は別物と考えますが、仏法的見方からすると樹枝が口を把拈(つかまえる)していると見る事も何ら不具合はなく、「全口是枝」・「全枝是口」・「通身口」・「通口是身」と無尽語法に云う事もできる。

「樹自踏樹、ゆゑに脚不踏樹といふ。脚自踏脚のごとし」

先に「全口是枝」と口と枝との一体性を説いたので、ここでは樹が自ら樹を踏むから、脚は樹を踏まず、さらに脚は自ら脚を踏むと、「樹」と「脚」との独立性を説きます。

「枝自攀枝、ゆゑに手不攀枝といふ、手自攀手のごとし」

次に枝と手との関係で、枝は幹に付属するものという範疇ではなく、それぞれは連続体の一部ですから、「枝自攀枝」枝の自ずから枝を攀(よ)づ、という思考になり「手不攀枝」手が枝をよじ登るのではなく、「手自攀手」手自体が手を攀じるという多少煩雑な語響がありますが、説かんとする主旨は「全機現」的方法論法だと思われます。

「しかあれども、脚跟なほ進歩退歩あり、手頭なほ作拳開拳あり。自他の人家しばらくおもふ、掛虚空なりと。しかあれども、掛虚空それ㘅樹枝にしかんや」

「脚跟」の跟とは踊り上がる・よろめくの意で、そこで「進歩退歩あり」と色々な様相がある事を云い、さらに「手頭なほ作拳開拳あり」と手は拳(こぶし)を作る事も開く事もできると、「脚手」の自由な働きを示すものです。

「自他の人家」とは自分・他人を区別する人を云うもので、一般人(凡人)を示唆し、そういう人達は「口㘅樹枝」の姿を「掛虚空」つまり上樹人は宙にぶら下がっていると思うと。

しかあれども(そうではあるが)掛虚空と㘅樹枝とは「しかんや」しかず、との拈提ですが、「掛虚空」の語句は『魔訶般若波羅蜜』巻に引かれる如浄風鈴頌を改変したものです。

 

樹下忽有人問、如何是祖師西來意。

この樹下忽有人は、樹裏有人といふがごとし、人樹ならんがごとし。人下忽有人問、すなはちこれなり。しかあれば、樹問樹なり、人問人なり、擧樹擧問なり、擧西來意問西來意なり。問著人また口樹枝して問來するなり。口枝にあらざれば、問著することあたはず。滿口の音聲なし、滿言の口あらず。西來意を問著するときは、西來意にて問著するなり。

これまでの拈提の如くに人と樹との一体性を

「この樹下忽有人は、樹裏有人というが如し、人樹ならんが如し。人下忽有人問」と言われます。

「しかあれば、樹問樹なり、人問人なり、挙樹挙問なり、挙西来意なり。問著人また口㘅樹枝して問来するなり」

このように人と樹は別物ではなく同時存同時在ですから、樹が樹に問じても人が人に問じても何ら不具合はなく、また樹をとりあげて(挙)問を挙し、西来意を取り上げて(挙)西来意を挙するなり。問著人(質問者)も口に樹の枝を㘅んで問い来るなりと云う事も想定される。

「口㘅枝にあらざれば、問著することあたはず。満口の音声なし、満言の口あらず。西来意を問著するときは、㘅西来意にて問著するなり」

口に枝を㘅(くわ)えていなかったら、問著(質問)することはない。「満口の音声なし」その時は口には音声はなく、また云い換えて「満言の口あらず」とし、最後に「西来意を問著する時は、㘅西来意にて問著するなり」と、西来意を言語論的に捉えるのではなく、「㘅西来意」と実践し続ける事が「西来意」との道元禅師の拈提です。

 

若開口答佗、即喪身失命。

いま若開口答佗の道、したしくすべし。不開口答佗もあるべしときこゆ。もししかあらんときは、不喪身失命なるべし。たとひ開口不開口ありとも、口樹枝をさまたぐべからず。開閉かならずしも全口にあらず、口に開閉もあるなり。しかあれば、枝は全口の家常なり。開閉口をさまたぐべからず。

ここでは「若開」おし開くならばと仮定形の裏面には「不開」もあるはずだとの如常の論考を「したしくすべし」と言われます。

「もししかあらん時は、不喪身失命なるべし」

口を開けずに他に答える事ができた時は、命を失うことはない。

「たとひ開口不開口ありとも、口㘅樹枝をさまたぐべからず。開閉かならずしも全口にあらず、口に開閉もあるなり」

口を開いていようが閉じていようが、口が枝を㘅んでいる状態には何ら違(たが)う所はありません。「開閉全口にあらず」とは「口」のある時点での身体状態を云い、「口」自体に開閉があると説きます。

「しかあれば、㘅枝は全口の家常なり、開閉口をさまたぐべからず」

しかあれば(そうですから)、枝を㘅むことは全口(尽十方界全口・枝と口の一体性)の家常(日常底)であり、開とも閉とも云う事が出来ることを『御抄』では「全口の上の功徳荘厳」と解されます。

開口答他といふは、開樹枝答他するをいふか、開西来意答他するをいふか。もし開西来意答他にあらずは、答西来意にあらず。すでに答他あらず、これ全身保命なり。喪身失命といふべからず。さきより喪身失命せば答他あるべからず。

ここは文章の如意に任せますが、「開口答他」・「開樹枝答他」・「開西来意答他」は同義語と設定することは理解できるが、「全身保命」と「喪身失命」との対比説明には釈然としない気がする文章である。

 

しかあれども、香厳のこころ答他を辞せず、ただおそらくは喪身失命のみなり。しるべし、未答他時、護身保命なり、忽答他時、翻身活命なり。

道元禅師が読み解く香厳の気持ちは、僧の問いに答えてやりたいと解しますが、「若開口」すれば「喪身失命」すること必然の理ですが、拈提では「喪身失命」は現象的一次元思案であり、仏法的解会からは「翻身活命」との事であり、この処が『祖師西来意』巻での言わんとする箇所だと思われます。

 

はかりしりぬ、人々満口是道なり、答他すべし、答自すべし。問他すべし、問自すべし。これ口㘅道なり、口㘅道を口㘅枝といふなり。

「人々」とは上樹の人と樹下の人を指し、その人々の「口」と「樹枝」との無差別意を「満口是道」と云い、互いに一体ですから問答自他相互に融通する処を「答他・答自・問他・問自」と表現されます。これを「口㘅」と道い「口㘅枝」とも云われますが、この「口で㘅んでいる」ことが坐禅を象徴した比喩語である事は云うまでもありません。

 

若答他時、口上更開壱隻口なり。若不答他、違他所問なりといへども、不違自所問なり。

若し他に答うる時とは、「口㘅樹枝」の状態での事情ですから、「口の上に更に一つの口を開くなり」となり、不答の時には他の所問に違うと、自らの所問に違わず、とありますが異語同義的関係で、「他と自」・「違他所問」は同義心的云い用です。

 

しかあればしるべし、答西来意する一切の仏祖は、みな上樹口㘅樹枝の時節にあひあたりて答来するなり。問西来意する一切の仏祖は、みな上樹口㘅樹枝の時節にあひあたりて答来せるなり。

ここで香厳上樹話に対する結論部です。

提唱拈提の分量は多くなく簡潔ですが、酒井得元老師眼蔵会講義の中でも述べられている通り非常に難解な拈提でしたが、結語の要旨は問答西来意する仏祖は皆ともども上樹口㘅樹枝の状態であると。つまりは西来意は問う答う事ではなく、樹に上り樹枝を口で㘅むこと、実践行持する事だとの道元禅師の提唱です。

 

雪竇明覚禅師重顕和尚云、樹上道即易、樹下道即難。老僧上樹也、致将一問来。いま致将一問来は、たとひ尽力来すとも、この問きたることおそくして、うらむらくは答よりものちに問来せることを。

雪竇重顕(980―1052)大師号を明覚といい雲門宗門に列(つら)なる人物で、雲門文偃(864―949)―香林澄遠―智門光祚―雪竇重顕―天衣義懐―法雲法秀と法脈が伝わります。

『明覚録』三 又は『宗門統要集』五には雪竇云として記述され、いま一人翠厳芝云と拈語があります。

ここで云う樹上は容易で樹下は難しの意は、樹上では全身保命・樹下では喪身失命の状態を云うもので、「致将一問来」と云った雪竇を揶揄する言葉「この問来たること遅くして、恨むらくは答よりも後に問来せる」と重顕を批評します。

 

あまねく古今の老古錐にとふ、香厳呵呵大笑する、これ樹上道なりや、樹下道なりや。答西来意、不答西来意なりや。試道看。

すでに道元禅師の結論は前々段もしくは「香厳のこころ答他を辞せず云々」に表明されていますが、最後に「古今の老古錐」に対し香厳の「呵呵大笑」の真意を問う文体で提唱を終わらせます。

因みに香厳の「呵呵大笑」の真意は、虎頭照上座に対し「問いをはぐらかし、それで分かったつもりか」との批判的大笑とも、また「ことさらに難かしげに捻りを加えた問題の立て方そのものを軽く払い去り、毒気を抜かれた」苦笑とも、いかようとも捉えられます。

また蘇轍(1039―1112)は『欒城第三集』九「書伝灯録後」に於いて、香厳上樹話を論評して「我れ若し此の時に当たれば、すなわち大いに口を開き、他に西来意を答えん。喪身失命を管せず、別に道理有るを管せんや」と拈語されます。(『景徳伝灯録四』監修・入矢義高 編・景徳伝灯録研究会)