正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵優曇華

正法眼蔵第六十四 優曇華

靈山百萬衆前、世尊拈優曇華瞬目。于時摩訶迦葉、破顔微笑。

世尊云、我有正法眼藏涅槃妙心、附屬摩訶迦葉

七佛諸佛はおなじく拈華來なり、これを向上の拈華と修證現成せるなり。直下の拈花と裂破開明せり。

本則の経文は『大梵天王問仏決疑経』(『続蔵経』巻八十七・インターネットで閲覧可能)もしくは『聯灯会要』一・世尊章「世尊在霊山会上。拈花示衆。衆皆黙然。唯迦葉破顔微笑。世尊云。吾有正法眼蔵。涅槃妙心。実相無相。微妙法門。不立文字。教外別伝。付属摩訶迦葉」だと思われます。

なお標題の優曇華については『聯灯会要』では「花」としますが、二巻本『問仏決疑経』では「金色婆羅華」とします。また一巻本では「蓮華」とします。

「七仏諸仏はおなじく拈華来なり、これを向上の拈華と修証現成せるなり。直下の拈花と裂破開明せり」

「七仏諸仏」は過去七仏を云うもので、「同じく拈華来」とは断絶なき地続きの一体性を云うもので、この「拈華」の真実を実践する事を「向上の拈華修証現成」と表現し、さらに向上に対し「直下の拈華」の「裂破開明」と尽界各々の姿を喝破するものです。

 

しかあればすなはち、拈華裏の向上向下、自佗表裡等、ともに渾華拈なり。華量佛量、心量身量なり。いく拈華も面々の嫡々なり、附屬有在なり。世尊拈華來、なほ放下著いまだし。拈華世尊來、ときに嗣世尊なり。拈花時すなはち盡時のゆゑに同三世尊なり、同拈華なり。

拈華裏の向上向下、自佗表裡等、ともに渾華拈なり。華量仏量、心量身量なり」

拈華という真実態を言語表現する為に「向上向下、自他表裡」と全体を言い尽くす言句になり、これらを「渾」という字句に言い換え、更に「拈華」を解語し「華拈」と一方向ならぬ為の尋法で、全体を表徴するものを「華・仏・心・身」と表します。

「いく拈華も面々の嫡々なり、附屬有在なり。世尊拈華来、なほ放下著いまだし。拈華世尊来、ときに嗣世尊なり」

今、問題にしているのは釈尊摩訶迦葉との拈華ですが、「いく拈華も面々の嫡々」とは、とりもなおさず我々日々の行持が釈尊と連続する様態を「拈華世尊来ときに嗣世尊」と言うものです。

 

拈花時すなはち盡時のゆゑに同三世尊なり、同拈華なり。いはゆる拈花といふは、花拈華なり。梅華春花、雪花蓮華等なり。いはくの梅花の五葉は三百六十餘會なり、五千四十八巻なり、三乘十二分教なり、三賢十聖なり。これによりて三賢十聖およばざるなり。大藏あり、奇特あり、これを華開世界起といふ。

「拈花時すなはち尽時のゆゑに同三世尊なり、同拈華なり」

先の文の復言で、次に拈花の説明で「梅華・春花・雪花・蓮華」等を拈(ひね)る事をいい、次に言う「梅花の五葉は三百六十余会・五千四十八巻・三乗十二分教・三賢十聖」と梅花の五葉という字句を真実態の全体と位置づけ、三百六十余会以下の全体と同性同体ならしむ構文で、さらに「大蔵・奇特・華開世界起」と全体性を象徴する語を使われます。

 

一華開五葉、結果自然成とは、渾身是己掛渾身なり。桃花をみて眼睛を打失し、翠竹をきくに耳處を不現ならしむる、拈花の而今なり。腰雪斷臂、禮拝得髓する、花自開なり。石碓米白、夜半傳衣する、華已拈なり。これら世尊手裡の命根なり。

「一華開五葉、結果自然成」

この句は達磨が慧可に説いた「吾本来茲土。伝法救迷情。一華開五葉。結果自然成」(『景徳伝灯録』三・第二十八祖菩提達磨章)を引用したもので、先程からの「拈花」を拈提する為に説く全体性を喩える言句で、「渾身是己掛渾身」は『摩訶般若波羅蜜』巻に引く如浄の語「渾身似口掛虚空」を改変させたもので、「渾身」という全体を表徴させ「桃花・翠竹」の話頭を例示させ、「拈花の而今」と昔日の説話でなく而今の現成が「釈尊の拈花」の実態を説くものです。

さらに先程の達磨の偈文を引用したことから、慧可による「腰雪断臂・礼拝得髄」さらに六祖慧能の「石碓米白・夜半伝衣」も悉く拈華の一様態である「華巳拈」と説き、これらは全て世尊の手のなかの命根であるとの「拈花」に対する提唱です。

 

おほよそ拈華は世尊成道より已前にあり、世尊成道と同時なり、世尊成道よりものちにあり。これによりて、華成道なり。拈華はるかにこれらの時節を超越せり。諸佛諸祖の發心發足、修證保任、ともに拈華の春風を蝶舞するなり。しかあれば、いま瞿曇世尊、はなのなかに身をいれ、空のなかに身をかくせるによりて、鼻孔をとるべし、虚空をとれり、拈華と稱ず。拈花は眼睛にて拈ず、心識にて拈ず、鼻孔にて拈ず、華拈にて拈ずるなり。

「拈華」は一つの事象を云うのではなく、仏法の真実具現態として取り扱っているわけですから、過去から未来に到る事実を「拈華」に表徴させる為に、「成道以前、成道同時、成道のちにあり」と文言化され、更に修飾語として拈華は「時節を超越、発心発足、修証保任」と続け、「春風蝶舞」という自然の場景と拈華という仏道の場面をリンクさせる漢詩的表現です。

また拈華を異次元から捉えた「瞿曇世尊はなの中に身を入れ、空の中に身を蔵せるによりて」と表現を変えます。このような表現は『正法眼蔵』各巻に見られるキーワード的見方で、前段で説いた「一華開五葉、結果自然成とは渾身是己掛渾身」にも通底するものだと思われます。この結果として「鼻孔をとるべし、虚空をとれり」と言われますが、先にいう「はなのなかに身を入れ」のはなとは拈華の華(花)に解されますが、「鼻孔」との拈提からすると華(花)と鼻を掛けた道元禅師のことばあそび的語調が感じられます。拈提はさらに「心識、鼻孔、華拈にて拈ず」と包囲含意するものです。

 

おほよそこの山かは天地、日月風雨、人畜草木のいろいろ、角々拈來せる、すなはちこれ拈優曇花なり。生死去來も、はなのいろいろなり、はなの光明なり。いまわれらが、かくのごとく參學する、拈華來なり。

さらに続けて天然自然の「山河大地、日月風雨」等を列挙し、それぞれ(角々)が山河は山河を拈来し風雨は風雨を拈来とする事象を総称して「拈優曇花なり」とのことで、「生死去来」という一大事も「はなのいろいろ」に包含され、すべての全機現・全現成を「拈華来」という提唱です。

 

佛言、譬如優曇花、一切皆愛樂。

いはくの一切は、現身藏身の佛祖なり、草木昆蟲の自有光明在なり。皆愛樂とは、面々の皮肉骨髓、いまし活々なり。しかあればすなはち、一切はみな優曇華なり。かるがゆに、すなはちこれをまれなりといふ。

ここで『法華経』方便品偈文「能聴是法者 斯人亦復難 譬如優曇華 一切皆愛楽 天人所希有 時時乃一出 聞法歓喜讃 乃至発一言 則為巳供養 一切三世仏」(能く是の法を聴く者 斯の人亦復難し 譬えば優曇華の 一切皆愛楽し 天人の希有とする所にして 時時に乃ち一たび出づるが如し 法を聞いて歓喜し讃めて 乃至一言を発せば 則ち為れ已に 一切三世の仏を供養するなり)からの経文を引用しますが、唐突に挿文された感がある箇所です。

「一切」についての拈提「現身蔵身の仏祖」とは全自己を表現するもので、更に「草木昆虫」と人間以外のものを「一切」に加えるものです。

さらに「皆愛楽」の拈提は「面々の皮肉骨髄」つまり先にいう「現身蔵身・草木昆虫」のそれぞれが「活鱍々」と愛楽してるとの拈提です。

「一切はみな優曇華なり」とは一切の尽界の真実底は優曇華という語で代弁できるとの意で、「これをまれなり」とは先に説いた本則に云う「天人所希有」から引いたものですが、義雲和尚(1253―1333)による頌では「希有希有」と此の「まれなり」を此の巻の要諦と位置づけます。

 

瞬目とは、樹下に打坐して明星に眼睛を換卻せしときなり。このとき摩訶迦葉、破顔微笑するなり。顔容はやく破して拈華顔に換卻せり。如來瞬目のときに、われらが眼睛はやく打失しきたれり。この如來瞬目、すなはち拈華なり。優曇華こゝろづからひらくるなり。

この段から再び本則「霊山百万衆前、世尊拈優曇華瞬目。于時摩訶迦葉、破顔微笑」の「瞬目」に対する拈提ですが、ブダガヤでの眼睛と霊鷲山での眼睛の同等性を「換却」という語で言い換え、さらに迦葉の「破顔微笑」と「拈華顔」も同様に換却(同時同体)せりと。結語として「如来瞬目」=「拈華」=「優曇華」それぞれ別次元として把捉されるが、同時同体同性として扱う拈提です。

 

拈花の正當恁麼時は、一切の瞿曇、一切の迦葉、一切の衆生、一切のわれら、ともに一隻の手をのべて、おなじく拈華すること、只今までもいまだやまざるなり。さらに手裡藏身三昧あるがゆゑに、四大五陰といふなり。

瞬目に続き「拈花」の拈提です。拈花も仏法上での取り扱い事項ですから真実を意味するもので、決して釈迦一人の歴史的事実に留まるものではありません。ですから「一切の瞿曇一切の我等只今までも止まざるなし」と言われるのです。

 

我有は附囑なり、附囑は我有なり。附囑はかならず我有に罣礙せらるゝなり。我有は頂寧なり。その參學は、頂寧量を巴鼻して參學するなり。我有を拈じて附囑に換卻するとき、保任正法眼藏なり。祖師西來、これ拈花來なり。拈華を弄精魂といふ。弄精魂とは、祗管打坐、脱落身心なり。佛となり祖となるを弄精魂といふ、著衣喫飯を弄精魂といふなり。おほよそ佛祖極則事、かならず弄精魂なり。

次に拈提する主題は「我有正法眼蔵涅槃妙心、付属摩訶迦葉」ですが、一般読みでは「我に正法眼蔵涅槃妙心有り、摩訶迦葉に付属する」となりますが、拈提では「我有は付属なり、付属は我有なり」と眼蔵独自な読みです。

「我有」の有は、今現に生きている存在を意味しますから、正法眼蔵涅槃妙心という真実を表徴する比喩語と同等同列ですから、「我有は付属なり、付属は我有なり」という言い回しになり、ベクトルを変転させ「付属は必ず我有に罣礙」と一体性を説かれます。

「我有は頂寧なり。その参学は頂寧量を巴鼻して参学するなり」

「我有」は全体を表す語ですから、「頂寧」という頭上を全体と言い換え、その参究学人は頂寧量(全体)巴鼻・捕まえて参学するなりと。

「我有を拈じて附属に換却するとき、保任正法眼藏なり。祖師西来、これ拈花来なり。拈華を弄精魂といふ」

「我有は付属なり」を再度拈提するもので、我有正法眼蔵涅槃妙心、付属摩訶迦葉の「我有」と「付属」を入れ替えるとの意です。「保任」とは保護任持お略語で大事にする事の意ですから、正法眼蔵と一体になるという事です。

そのことが「祖師西来意」つまり仏法の要点と言い「年華来」という真実であるとの拈提で、改めて「拈華」とは「弄精魂」(修行に精魂を費やす)だと現実の而今の重要性を説くものです。

「弄精魂とは、祗管打坐、脱落身心なり。仏となり祖となるを弄精魂といふ、著衣喫飯を弄精魂といふなり。おほよそ仏祖極則事、かならず弄精魂なり」

ここで初めて優曇華―拈華―弄精魂―祇管打坐―脱落身心という図式が提示され、更に「著衣喫飯」という日常底の弄精魂という修行の普遍性を説き、その事が「仏祖極則事」と導かれます。つまり修行の特殊性を打論する為このように詳論するものです。

佛殿に相見せられ、僧堂を相見する、はなにいろいろいよいよそなはり、いろにひかりますますかさなるなり。さらに僧堂いま板をとりて雲中に拍し、佛殿いま笙をふくんで水底にふく。到恁麼のとき、あやまりて梅華引を吹起せり。

初めに説く「仏殿に相見せられ、僧堂を相見する」は『光明』巻(仁治三(1242)年六月二日興聖寺示衆)での雲門匡真示衆語「人々尽有光明在、看時不見暗昏々、作麼生是諸人光明在。衆無対。自代云、僧堂・仏殿・厨庫・山門」を底本とした提唱で、言わんとする処は「仏殿は仏殿に相見し、僧堂は僧堂に相見する」道理をいうもので、その無尽の道理に花に色々備わり、色に光ますます重なると形容されたものです。

僧堂いま板をとりて雲中に拍し、仏殿いま笙をふくんで水底にふく」

この段は総じて前後の文脈からし優曇華・拈華とは脈絡が無いようですが、「弄精魂」をキーワードに据えての拈提です。

出典は『景徳伝灯録』二十九・雲頂山僧徳敷詩十首の語黙難測

「閑坐冥然聖莫知。縦言無物比方伊。石人把板雲中拍。木女含笙水底吹。若道不聞渠未暁。欲尋其響爾還疑。教君唱和仍須和。休問宮商竹与糸」

(閑坐冥然として聖も知ること莫し。縦え言うも物として伊(かれ)に比方すること無し。石人、板を把りて雲中に拍し、木女は笙を含んで水底に吹く。若し聞かずと道わば渠(かれ)を未だ暁らめず、其の響きを尋ねんと欲せば爾還って疑わん。君をして唱和せしむ、仍ち須らく和すべし。宮商に竹と糸とを問うことを休せよ)からの借用語です。

言わんとするは無所得無所悟を表徴するものと思われますが、酒井得元老師「眼蔵会提唱テープ」によると「大自然の中での修行のあり方(弄精魂)と言示され、また石井恭二氏現代語訳では「僧堂にあって板をとって雲の中に響かせ、仏殿で笙を口に含んで水底に調べを吹くごとき境地を得る」と情緒論的解釈です。

「到恁麼の時あやまりて梅華引を吹起せり」

「到恁麼」とは「僧堂いま板をとりて雲中に拍し、仏殿いま笙を含んで水底に吹く」を示し、「あやまりて」とは次段に引用する『如浄語録』に扱う「梅華引」を援用する為に、「笙」と絡ませ又「春風繚乱吹」の吹を付加した「吹起せり」の結語です。

 

いはゆる先師古佛いはく、

瞿曇打失眼睛時  雪裡梅花只一枝

而今到處成荊棘  卻笑春風繚亂吹

いま如來の眼睛あやまりて梅花となれり。梅花いま彌綸せる荊棘をなせり。如來は眼睛に藏身し、眼睛は梅花に藏身す、梅花は荊棘に藏身せり。いまかへりて春風をふく。しかもかくのごとくなりといへども、桃花樂を慶快す。

先師古仏「雪裡の梅花」は『梅花』巻(寛元元(1243)年十一月六日吉嶺寺)にて提唱された同文を本則とし拈提に入られますが、「瞿曇打失眼睛時、雪裡梅花只一枝」は先段に説く「瞬目とは樹下に打坐して明星に眼睛を換却せし時なり」を置き換えての同義語句と考慮する必要があります。

「いま如来の眼睛あやまりて梅花となれり。梅花いま弥綸せる荊棘をなせり」

ここで云う「梅花」は先に云う「明星」に置き換えられ、先段でも説くように如来の眼睛(真実態)―梅花―荊棘の一体性を示唆し、

如来は眼睛に藏身し、眼睛は梅花に藏身す、梅花は荊棘に藏身せり」

如来を同参せしめる繰り返しの言です。さらに本則にある「春風」を取り出し次段での「桃花落」を「桃花楽」と文体修正し、如来―眼睛―梅花―荊棘―春風―桃花と自然界を表徴させて「優曇華」との真実同等性の拈提です。

 

先師天童古佛云、靈雲見處桃花開、天童見處桃花落。

しるべし、桃花開は靈雲の見處なり、直至如今更不疑なり。桃花落は天童の見處なり。桃花のひらくるは春のかぜにもよほされ、桃花のおつるは春のかぜににくまる。たとひ春風ふかく桃花をにくむとも、桃花おちて身心脱落せん。

爾時寛元二年甲辰二月十二日在越宇吉峰精藍示衆

本則は『如浄語録』下「上堂。霊雲見処桃花開。天童見処桃花落。桃花開春風催。桃花落春風悪。霊雲且置。莫有与天童相見底麼。春風悪桃花。躍浪生頭角」が典拠となります。

霊雲については『渓声山色』巻(延応二(1240)年四月二十日興聖寺示衆)に次のように記される。

「霊雲志勤禅師は三十年の辨道なり。あるとき遊山するに、山脚に休息してはるかに人里を望見す。ときに春なり。桃花のさかりなるをみて忽然として悟道す。偈をつくりて大潙に呈するにいはく、三十年来尋剣客、幾回葉落又抽枝。自従一見桃花後、直至如今更不疑」

ここでの拈提は文意のままに解し、「桃花の開くるは春の風に催され、桃花の落つるは春の風に悪くまる」は『如浄語録』を訓読したもので、「たとひ春風ふかく桃花をにくむとも、桃花おちて身心脱落せん」は道元禅師の拈提で、如浄和尚が云う桃花落の「落」と身心脱落の「落」を掛けたものです。また先にも云うように「桃花楽」・「桃花落」・「身心脱落」は「ラク」を縁語とした提唱の結びとした事は、道元禅師の如浄和尚に対するノスタルジアを想わせる提唱です。