正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵有時

    正法眼蔵第二十 有時

古仏言

有時高高峰頂立、

有時深深海底行。

有時三頭八臂、

有時丈六八尺。

有時拄杖払子、

有時露柱灯籠。

有時張三李四、

有時大地虚空。

いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。丈六金身これ時なり、時なるがゆゑに時の荘厳光明あり。いまの十二時に習学すべし。三頭八臂これ時なり、時なるがゆゑにいまの十二時に一如なるべし。十二時の長遠短促、いまだ度量せずといへども、これを十二時といふ。去来の方跡あきらかなるによりて、人これを疑著せざれどもしれるにあらず。衆生もとよりしらざる毎物毎事を疑著すること一定せざるがゆゑに、疑著する前程、かならずしもいまの疑著に符合することなし。ただ疑著しばらく時なるのみなり。

まずはこの表題の読み方ですが、宗門内の伝統的・一般的読み方は、「うじ」と呼びならわしているが、水野八穂子氏『原文対照現代語訳道元禅師全集』の「有時」巻解説では、「江戸時代の写本では(うじ)と読むことが行われたが、これは漢籍は漢音、仏典は呉音ということにこだわり、唐宋音に対する理解が少なかったからで、古写本はわざに(イウシ)の仮名を残している。このイウシの読み方は特に、南宋の禅仏教が栄えた浙江の両岸の地方の音を反映していると思われる。道元禅師、寂円禅師の間で交わされた中国語の音はイウシであったと思われる。」と解釈されます。一時期このイウシに違和感を覚えたが、中国語ピンイン発音に依ると、ヨウ(3声)シ(2声)であり、水野氏の仮説も一蹴することも憚られます。このような問題は頗る興味あり論究すべき事項ではあるが、この稿本は眼蔵解釈を通しての道元理解であるので、後々時間を設けて参学したいものである。

「古仏言、有時高高峰頂立、有時深深海底行。有時三頭八臂、有時丈六八尺。有時拄杖払子。有時露柱灯籠。有時張三李四、有時大地虚空。」

このような古則話頭はありません。道元禅師の造語ですが、それぞれの似通った語句は散見されます。例えば『景徳伝灯録』・薬山惟厳章では「太守欲得保任此事、直須向高高山頂坐、深深海底行」とあり、『海印三昧』巻には「包含の時はたとひ山なりとも高高峰頭立のみにあらず、たとひ水なりとも深深海底行のみにあらず」の拈提語があります。猶「有時」の語はこれらの語頭には有りませんが、先程の薬山章次項に「李翺(りこう)再贈詩日―中略―有時直上孤峰頂、月下披雲笑一声」の脈絡から、「有時高高峰頂立」・「有時露柱灯籠」の語句ならびに『正法眼蔵』の表題にしたのでは、とは松岡由香子氏『正法眼蔵有時巻私釈』の考察です。(以後、有時巻私釈とする)

経豪『御抄』では、有時云々を尽十方界高高峰頂立・尽十方界深深海底行と云うように、亦詮慧の『聞書』では、有時と云うは即これと云う程の心なりと註解します。また、有時の姿が時すでに有なり。有はみな時也と云い、有も時も尽十方界と採り、有と時は別ではなく、只同じ物と付け加えています。

「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。丈六金身これ時なり、時なるがゆゑに時の荘厳光明あり」

ここに云う丈六金身・荘厳光明は、ひとときの現象を云っているのではなく、「有」と「時」は別物ではなく瞬間瞬間の絶対真実性を云うのです。

「いまの十二時に習学すべし」

を考えるに、普通は午前八時になってしばらく経つと、午前九時になると云う感覚・実感で生活をしますが、仏法的見地からは、午前八時はそれ以外には時間はなく、その午前八時が全ての時間ですから、午前八時が過ぎれば午前九時という、我々が経験する時間法は採用しないことを云うものです。

「十二時の長遠短促いまだ度量せずといへども、これを十二時といふ。去来の方跡あきらかなるによりて、人これを疑著せず、疑著せざれどもしれるにあらず」

この文章は、一般的解釈で難なし。

衆生もとよりしらざる毎物毎事を疑著すること一定せざるがゆゑに、疑著する前程、かならずしもいまの疑著に符合することなし、ただ疑著しばらく時なるのみなり」

この文章もさほど難なし。つまり、衆生とは一般のただ人は疑う事はあっても、その疑いの基準値が決まっていない為、今の疑問と符合しない。仏法と世法との差異を云うのです。

 

われを排列しおきて尽界とせり、この尽界の頭頭物物を、時々なりと覰見すべし。物々の相礙せざるは、時々の相礙せざるがごとし。このゆゑに同時発心あり、同心発時なり。および修行成道もかくのごとし。われを排列してわれこれをみるなり。自己の時なる道理、それかくのごとし。

「われを排列しおきて尽界とせり、この尽界の頭頭物物を、時々なりと覰見すべし」

此処での「われ」を『御抄』では仏法上のわれとし、『聞書『』は吾我のわれにあらず、と註釈しますが、先の『有時巻私釈』では両註釈も「文字面の宗学」の感ありとし、独自の論法が展開されます。

酒井得元老師は、この「われ」を『現成公案』で云う仏道をならう「自己」に比定されます。そこで改めて「われを排列しおきて尽界とせり」とは、われ(自己)が行仏として今・現にそうであること。修行主体としてのわれを、打坐に於いて排列して尽界(万法)とした証のことがらとし、尽界(尽十方界)の頭頭物物(ひとつひとつ)を、その時々と、覰見つまり詳しく見てみなさいとの御注意です。

「物物の相礙せざるは、時々の相礙せざるがごとし。このゆゑに同時発心あり、同心発時なり。および修行成道もかくのごとし」

物物は物物を相礙(さまたげる)せず、時は時を相礙しない。このような道理であるから、同時発心(時を同じくして自己の全体が発心すること)があり、云い換えれば同心発時(自己の全体として心が時を実現している)でもある。また別の言い回しでは、同時発尽界とも云い得る。この言い様は「大地有情同時成道」が基底にあるのでしょうか。ここで以て最初の「われを排列しおきて尽界とせり」に対し、「われを排列してわれこれをみるなり」と結語し、それが自己(われ)であると懇切に説かれます。

 

恁麽の道理なるゆゑに、尽地に万象百草あり。一草一象おのおの尽地にあることを参学すべし。かくのごとくの往来は修行の発足なり。到恁麽の田地のとき、すなはち一草一象なり、会象不会象なり、会草不会草なり。正当恁麽時のみなるがゆゑに、有時みな尽時なり、有草有象ともに時なり、時々の時に尽有尽界あるなり。しばらくいまの時にもれたる尽有尽界ありやなしやと観想すべし。

「恁麽の道理なるゆゑに、尽地に万象百草あり。一草一象おのおの尽地にあることを参学すべし」

此段は前段の「自己の時なる道理」を受けてのものです。「万象百草」全ての形態が、それぞれ尽地・尽十方・尽界にあることを「参学」学びなさいと云う。

「かくのごとくの往来は修行の発足なり」

この「往来」は、提唱の最初に述べられた高高峰頂立・深深海底行・三頭八臂・丈六八尺・拄丈払子・露柱灯籠・張三李四・大地虚空を示し、これらを参学することが修行の第一歩と言われるのです。

「到恁麽の田地のとき、すなはち一草一象なり会象不会象なり会草不会草なり」

いま云う「田地」とは、修証一等の境涯を云い、その時点で一草と一象・会象と不会象・会草と不会草は対立次元から同体性に変移します。

「正当恁麽時のみなるがゆゑに有時みな尽時なり有草有象ともに時なり。時々の時に尽有尽界あるなり。しばらくいまの時にもれたる尽有尽界ありやなしやと観想すべし」

この段の解釈は文章の流れからして、正当恁麽の有時にては、一草一象と云う全ての現成を云うので、「有時尽時」と述べるのです。「有草有象」は「一草一象」に対句したもので、「尽有尽界」は前に云う「尽地」に比した語句と見なし、「尽有尽界」の絶対性を説こうとするものです。

 

しかあるを、仏法をならはざる凡夫の時節にあらゆる見解は、有時のことばをきくにおもはく、あるときは三頭八臂となれりき、あるときは丈六八尺となれりき。たとへば、河をすぎ、山をすぎしがごとくなりと。いまはその山河たとひあるらめども、われすぎたりて、いま玉殿朱楼に処せり、山河とわれと天と地となりとおもふ。

この段の文意は一般人の有時に関する理解で常識の範囲内の理解ですが、道元禅師の仏法と世法との差違を認識しての提唱文です。

「時節にあらゆる見解」の「あらゆる」は、「あるところの」と読み替え、「いまはその山河たとひあるらめども」の「あるらめども」は、「あるだろうけれども」と読み替えると文意が通底する。

 

しかあれども、道理この一条のみにあらず。いはゆる山をのぼり河をわたりし時にわれありき、われに時あるべし。われすでにあり、時さるべからず。時もし去来の相にあらずは、上山の時は有時の而今なり。時もし去来の相を保任せば、われに有時の而今ある、これ有時なり。かの上山渡河の時、この玉殿朱楼の時を呑却せざらんや、吐却せざらんや。

「しかあれども道理この一条のみにあらず―中略―われすでにあり時さるべからず」

前頁では、凡夫の見と云い放ったが、前後の道理も踏まえての発言で、われと時の不分立を殊更に説くものです。

次に「時もし去来の相にあらずは」と仮定形で捉え、再び「時もし去来の相を保任」と問いかけてきて、両義ともに「而今」であると断定し、その具体的事象として、「上山渡河」と「玉殿朱楼」という前頁での語句を採用し、「呑と吐」という地続き的(呼吸)表現をされるのだと思われます。

 

三頭八臂はきのうの時なり、丈六八尺はけふの時なり。しかあれども、その昨今の道理、ただこれ山のなかに直入して千峰万峰をみわたす時節なり、すぎぬるにあらず。三頭八臂もすなはちわが有時にて一経す、彼方にあるににたれども而今なり。しかあれば、松も時なり竹も時なり。時は飛去するとのみ解会すべからず、飛去は時の能とのみは学すべからず。時もし飛去に一任せば間隙ありぬべし。有時の道を経聞せざるは、すぎぬるとのみ学するによりてなり。

「三頭八臂はきのふの時なり丈六八尺はけふの時なり―中略―三頭八臂もすなはちわが有時にて一経す彼方にあるににたれども而今なり」

この文章、一見難解のように思えるが、何回となく眼通し前後俯瞰すると、「三頭八臂」・「丈六八尺」は仏像(日用調度)を表し、昨日今日と云う時間軸の観念に乗せ、また喩えて、山の中に分け入り、さまざまな峰を見て、時間の経緯と共に峰の景色も変わり、前後の景色と普通考えるが、山中(仏法世界)に於いては山が一つの「時」であるから、時と共に経過すると考えるなら、いつでも「而今」となるわけです。

「しかあれば松も時なり竹も時なり―中略―有時の道を経聞せざるは、すぎぬるとのみ学するによりてなり」

ここで云う「松」・「竹」は冒頭の「拄杖払子」・「露柱灯籠」に対する比喩です。ここでも世法(一般常識)を念頭に於いての拈提で、「時は飛去するとのみ」と言うように説かれます。以下の拈提も我々の常識的見解を見定め、「すぎぬるともに」一方的に考えるなとの言い様です。

 

要をとりていはば、尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時々なり。有時なるによりて吾有時なり。有時に経歴の功徳あり。いはゆる今日より明日へ経歴す、今日より今日に経歴す、明日より明日に経歴す。経歴はそれ時の功徳なるがゆゑに。古今の時、かさなれるにあらず、ならびつもれるにあらざれども、青原も時なり黄檗も時なり、江西も石頭も時なり。自他すでに時なるがゆゑに、修証は諸時なり。入泥入水おなじく時なり。いまの凡夫の見および見の因縁、これ凡夫のみるところなりといへども、凡夫の法にあらず、法しばらく凡夫と因縁せるのみなり。この時この有は、法にあらずと学するがゆゑに、丈六金身はわれにあらずと認ずるなり。われを丈六金身にあらずとのがれんとする、またすなはち有時の片々なり未証拠者の看看なり。

文意から推察すると「有時に経歴の功徳あり」から段変えの気もするが、この注釈書は『御抄』の段分けに従ったので、「要をとりていはば」から書き記しています。

「要をとりて」とは前項に対する結語で、「つらなりながら時々なり」は「尽界の頭頭物物」に連関するもので、「有時」と「吾」が能所・主客ではなく、只管打坐時に於ける所での「有時」・「吾」・「而今」等々が並立されるのでしょうか。

「有時に経歴の功徳あり―中略―経歴はそれ時の功徳なるがゆゑに」

ここに云う「経歴」の意は、年月が経めぐることと解し、「功徳」は善行や福徳に於ける優れた性質であり、サンスクリット語ではグナに相当し、他にもプニヤ(善・福徳)も類似語にあります。(『日本大百科全書』)また『仏教語大辞典』によれば、働き・効用と解釈され、こちらの方が理解しやすいかもしれません。

「古今の時かさなれるにあらず―中略―修証は諸時なり」

ここでは「時」に対する拈提です。古今ですから昔から今に至るまで、歴史から眺めた場合、箇条書き的に階層的に居ならぶ様に見えますが、その時々の一瞬が現成・現実ですから、青原も黄檗も時代は相違しますが、時々に於いて修証を備えた「諸時」と説明し、決して「有時」の「時」だけを述べたのではなく、「有」と「時」の不可分性を訴えるものです。

「入泥入水おなじく時なり。いまの凡夫の見―中略―法しばらく凡夫を因縁せるのみなり」

酒井得元老師提唱本では「入泥入水」を、泥に入ると汚れ・水に入ると清浄になると説きますが、その前に「自他すでに時なる」の語があるので、「人を救う為に泥水に入るのを惜しまぬ苦労をする」ことと解釈する。

「凡夫の見」とは、凡夫のものの考え方と解し、「および見の因縁」を、その時の状態と解します。

「これ凡夫のみるところ」の処とは、前段で云う「有時の道を経聞せざるは、すぎぬるとのみ学するによりてなり」、または前々段の「山河とわれと天と地となりとおもふ」を指すと思われます。

「法しばらく凡夫を因縁せる」とは、法(事実・真実)が凡夫の姿・形を仮に表出したと解釈できますが、『有時巻私釈』によると天然外道説もしくは天台本覚法門説と批判されます。

「この時この有は法にあらずと学するがゆゑに―中略―すなはち有時の片々なり未証拠者の看看なり」

「この時」とは「凡夫の見」の時と思い決め込んでいる状態ですが、「有時」という真実体は逃れようとも影の如く寄り添う「事実」に対して、臨済が云った「赤肉団上一無位の真人あり。常に汝ら諸人の面門より出入す。未だ証拠(さとり)得ぬ者は看よ看よ」の語句で以て、臨済の如く喝を入れるのです。

 

いま世界に排列せるむま・ひつじをあらしむるも、住法位の恁麽なる昇降上下なり。ねずみも時なり、とらも時なり、生も時なり、仏も時なり。この時、三頭八臂にて尽界を証し、丈六金身にて尽界を証す。それ尽界をもて尽界を界尽するを、究尽するとはいふなり。丈六金身をもて丈六金身するを、発心・修行・菩提・涅槃と現成する、すなはち有なり時なり。尽時を尽有と究尽するのみ、さらに剰法なし。剰法これ剰法なるがゆゑに、たとひ半究尽の有時も、半有時の究尽なり。たとひ蹉過すとみゆる形段も有なり。さらにかれにまかすれば、蹉過の現成する前後ながら有時の住位なり。住法位の活パツパツ地なる、これ有時なり。無と動著すべからず、有と強為すべからず。時は一向にすぐるとのみ計功して未到と解会せず。解会は時なりといへども、他にひかるる縁なし。去来と認じて、住位の有時と見徹せる皮袋なし。いはんや透関の時あらんや。たとひ住位を認ずとも、たれか既得恁麽の保任を道得せん。たとひ恁麽と道得せることひさしきを、いまだ面目現前を摸索せざるなし。凡夫の有時なるに一任すれば、菩提・涅槃もわずかに去来の相のみなる有時なり。

「いま世界に排列せるむま・ひつじをあらしむるも―中略―生も時なり仏も時なり」

此項はさほど難なし。「むま」とは正午で、「ひつじ」とは午後二時のことである。それらの時間は「住法位の恁麽なる昇降上下」とあるが、「法位」とは『法華経』方便品に説く所の「是法住法位、世間相常住」からの引用であり、「すべてのもののありかた」と解し、続く「恁麽」も事実そのものを表す口語文体ですから、「住法位の恁麽」とは「時」を話題にしているわけですから、「午」・「未」・「子」・「寅」これらは、「昇降上下」入れ替わりますが、すべて真実の姿型と捉え、「生」つまり衆生の時にも「仏」の時にもと念押しの説明です。

「この時、三頭八臂にて尽界を証し、丈六金身にて尽界を証す。それ尽界をもて尽界を界尽するを究尽するとはいふなり」

この「三頭八臂」・「丈六金身」は単なる偶像を云うのではなく、前に云うねずみ・とらの如くに具体的現成で示唆する為の比喩です。「尽界をもて尽界を界尽するを究尽」とは、『御抄』では発菩提心菩提心発などの類いと云われます。

「丈六金身をもて丈六金身するを、発心・修行・菩提・涅槃と現成する、すなはち有なり時なり」

ここに云う「丈六金身をもて丈六金身する」とは、丈六の金身はいつでも何処でも丈六以外では在り得ず、金身で以て発心し、丈六の金身を使用して修行し、菩提・涅槃とその時々で完全無欠を現成するので「有なり」・「時なり」と全存在表現をされるのです。

「尽時を尽有と究尽するのみ、さらに剰法なし。剰法これ剰法なるがゆゑに、たとひ半究尽の有時も半有時の究尽なり」

「尽時を尽有と究尽」の書きぶりは、前に云う「すなはち有なり時なり」を受けての言い回しで、「尽」で以て究め尽くしているわけですから、外にありあまる「剰法」はなく、「半究尽の状況でも「半」が「尽」と同等との拈提です。

「たとひ蹉過すとみゆる形段も有なり―中略―無と動著すべからず有と強為すべからず」

「蹉過」とは、踏み誤る・すれちがうの意であるが、人間的視野では間違いの感覚でも、「住法位」の視座からは「活」とした生きた現実であり、これと「無」とか「有」とか云う概念意識で判断するなとの言です。

「時は一向にすぐるとのみ計功して未到と解せず―中略―凡夫の有時なるに一任すれば、菩提・涅槃もわづかに去来の相のみなる有時なり」

此処で「未到」を取り上げますが、『有時巻私釈』では、後段の葉県帰省禅師の「有時意到句不到」の偈文に対する前置き的な意味合いがある。と指摘されるが穿鑿し過ぎではなかろうか。ただ人は過去時は解会できても、「未到」時は理解できない学人もいる。また「去来」行ったり来たりの両ベクトルの時間は理解できても、「住位の有時」という現成を「見徹」する学人はいない。

「いはんや透関の時」の透関とは、一生参学の大事畢了する時と『有時巻私釈』は注釈で云われるが、この文体の流れからは「真実を見透かす」という抽象的解釈が適意と思われる。

「たとい住位を認ずとも、たれか既得恁麽の保任を道得せん」

「住位を認ず」とは、各各それぞれの立場、つまりは人間の法位・男性という立場・何々という役付けの地位等を云い、「既得恁麽」とは、すでに恁麽(真実)を得ていることを、保任いただいている事を「道得せん」云う者はいないと解釈します。要旨は真実(目の前の事実)を自覚している者はいないだろうとの事です。

「たとひ恁麽と道得せることひさしきを―中略―菩提・涅槃もわづかに去来の相のみなる有時なり」

始めの句は「たとい住位を認ずとも」を受けての語句で、真実を云い表せても時々で表情が変わると人は模索ばかりするものだ。と解し、字句の「凡夫の有時」とは、ある時は涅槃であったり、ある時は菩提であったりと、フィルムの影写の如く思うのが凡夫だと言われるのです。

 

おほよそ籮籠とどまらず有時現成なり。いま右界に現成し左方に現成する天王天衆、いまもわが尽力する有時なり。その余外にある水陸の衆有時、これわがいま尽力して現成するなり。冥陽に有時なる諸類諸頭、みなわが尽力現成なり、尽力経歴なり。わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし、経歴することなしと参学すべし。経歴といふは、風雨の東西するがごとく学しきたるべからず。尽界は不動転なるにあらず、不進退なるにあらず経歴なり。経歴はたとへば春のごとし。春に許多般の様子あり、これを経歴といふ。外物なきに経歴すると参学すべし。たとへば春の経歴はかならず春を経歴するなり。経歴は春にあらざれども、春の経歴なるがゆゑに、経歴いま春の時に成道せり。審細に参来参去すべし。経歴をいふに境は外頭にして、能経歴の法は東にむきて百千世界をゆきすぎて、百千万劫をふるとおもふは、仏道の参学これのみを専一にせざるなり。

「籮籠とどまらず有時現成」

籮籠の「籮」は魚を捕る網、「籠」は鳥を入れるかごを指し、煩悩の比喩に用いられますが、此処では籮籠に閉じ込めようとしても、有時(真実)は眼前すると説きます。この籮籠は『坐禅箴』の第一段に「籮籠打破すれば坐仏さらに作仏をさへず」と引用例があります。

「いま右界に現成し左方に現成する天王天衆―中略―これわがいま尽力して現成するなり」

右に現れる天王天衆、左に現れる天王天衆は「わが尽力する有時」とある。「わが」は吾我の「わが」ではなく、「有時の我」つまり尽十方界自身を「わが」と呼ばせているのです。「天王天衆」だけでは片手落ちになるので、「余外にある水陸の衆有時」と「尽」を表徴し、先程と同じく説くのです。

「冥陽に有時なる諸類諸頭―中略―一法一物も現成することなし経歴することなしと参学すべし」

「冥陽」とは陰陽のことで、「右界左方」・「水陸」と説いてきますから、同様に対称語を用いるのです。ここで「経歴」と云う語が出てきますが、『曹洞宗関連用語集』(インターネット)では、「有時なる存在が、全て有時の中で差異でありながら、連続している原理を示す言葉」と定義付けされています。これは「有時」・「現成」を別語で以て、同義・同意語として「経歴」の語を使用されるものです。他にも『道得』・『坐禅箴』・『行仏威儀』等で使用されます。

「経歴といふは風雨の東西するがごとく学しきたるべからず。尽界は不動転なるにあらず不進退なるにあらず経歴なり」

先程は「経歴」の定義を見ましたが、これから経歴の具体的説明が始まります。『御抄』に於いても経歴を、「普通一般には、此処より彼処に行くことと思うが、仏法ではそうは言わない。また尽界は動かないものとは説かず、尽界=経歴」と註解します。

「経歴はたとへば春のごとし。春に許多般の様子あり、これを経歴といふ―中略―経歴いま春の時に成道せり。審細に参来参去すべし」

再度、経歴の具体例を「春」に喩えています。「許多般」とは多くの種類との意で、許多は巨多とも書き、「般」は種類・方面の意です。「外物なきに経歴」とは外の物がやって来て春になるのではなく、春は春を経歴するだけで、冬から春に時間が地続きになっているのではない。「参来参去」を審細つまびらかにしなさいとの説明です。

「経歴をいふに境は外頭にして―中略―仏道の参学これのみを専一にせざるなり」

概略的に「経歴」を説明されます。「境は外頭」の「境」は認識の対象の事で、環境と云い換えてもいいでしょう。「能経歴」の意は経歴そのもの、つまりは経歴する主体と云い換え、自分より外側の世界が百千世界・百千万劫と無限に経過するものばかりが、「経歴」・「有時」ではないと、世俗的思考に釘をさす拈提です。

 

薬山弘道大師、ちなみに無際大師の指示によりて江西大寂禅師に参問す。三乗十二分教、某甲ほぼその宗旨をあきらむ。如何是祖師西来意。かくのごとくとふに大寂禅師いはく、

有時教伊、揚眉瞬目、

有時不伊、揚眉瞬目。

有時教伊揚眉瞬目者是、

有時教伊揚眉瞬目者不是。

薬山ききて大悟し大寂にまうす、某甲かつて石頭にありし、蚊子の鉄牛にのぼれるがごとし。

大寂の道取するところ、余者とおなじからず。眉目は山海なるべし、山海は眉目なるゆゑに。その教伊揚は山をみるべし、その教伊瞬は海を宗すべし。是は伊に慣習せり、伊は教に誘引せらる。不是は不教伊にあらず、不教伊は不是にあらず。これらともに有時なり。山も時なり海も時なり。時にあらざれば山海あるべからず、山海の而今に時あらずとすべからず。時もし壊すれば山海も壊す、時もし不壊なれば山海も不壊なり。この道理に明星出現す、如来出現す、眼晴出現す、拈華出現すこれ時なり。時にあらざれば不恁麽なり。

薬山惟厳の法脈は六祖(638‐713)―青原(―740)―石頭(700‐790)―薬山(745‐828)―道吾・雲巌・船子と嗣ぎ、江西大寂つまり馬祖の法脈は六祖―南嶽(677‐744)―馬祖(709‐788)―百丈・南泉の系譜です。師匠の「無際大師」つまり石頭の指導で「江西大寂禅師」・馬祖に参師問法し、「祖師西来意」を問うとありますが、『聯灯会要』・十九・薬山章では、石頭の所で「南方直指人心。見性成仏」を問法し、同問を馬大師に「復理前問」とありますが、道元禅師は「見性成仏」なる語を恣意的に「祖師西來意」にされたのだと思います。因みに「三乗十二分教」については、『仏教』巻に一者素纜・二者祇夜・三者和伽羅那等と説明があります。

そこで馬祖が薬山に対する説法を訳すと、

有時教伊揚眉瞬目

有時は伊(かれ)をして揚眉瞬目せしむ

有時不教伊揚眉瞬目

有時は伊をして揚眉瞬目せしめず

有時教伊揚眉瞬目者是

有時は伊をして揚眉瞬目せしむる者是なり

有時教伊揚眉瞬目者不是

有時は伊をして揚眉瞬目せしむる者不是なり

と訳します。

この「祖師西來意」の実態が「有時」であることを、馬祖から聞き薬山は大悟し、馬祖に云った言葉が「某甲かつて石頭にありし、蚊子の鉄牛に登れるが如し」と云う有名な言句です。「某甲」は、それがしと訓読されますが、自分を謙遜して云うことばの意で、「蚊子」とは薬山自身のこと。「鉄牛」とは石頭のことです。

これより拈提です。

「大寂の道取するところ余者とおなじからず。眉目は山海なるべし、山海は眉目なるゆゑに」

文意はそのまま受け取り、馬祖の云う「有時揚眉瞬目」に並ぶ者はなく、「眉目」つまり「揚眉瞬目」そのことが「山海」・自然の動目と同じであるとの拈提ですが、この「山海」はやはり冒頭の「高高峰・深深海」からの連関語としてのものでしょうか。

「その教伊揚は山をみるべし、その教伊瞬は海を宗すべし」

右に云うように「有時」=「眉目」=「山海」の論法の続きですから、「眉」を上げる時を「山」に喩え、「目」を下げる時を「海」に喩えてのことです。「宗すべし」とありますが、『新選漢和辞典』によりますと、㈠おおもと・総本家㈡おさ・かしら㈢たっとぶ・頭として尊びあがめる。と注解され、この場合は「海を尊ぶべし」の意に解されると思います。

「是は伊に慣習せり、伊は教に誘引せらる」

是(これ)は伊(かれ)に慣れっこになっていて、伊(かれ)は教(せしめる)に引っ張り回されている、と訳します。この場合の「慣習」と「誘引」は同義語として扱います。

「不是は不教伊にあらず、不教伊は不是にあらず。これらともに有時なり」

「教」・「伊」・「是」・「不是」ともに段階的説明ではなく、各各独立した有時の状態を示唆した仏語・法語としての説明です。

「山も時なり海も時なり―中略―時もし不壊なれば山海も不壊なり」

ここも引き続き、山海の有時・山海が有時を「而今」・「壊」・「不壊」で究説していきます。

「この道理に明星出現す、如来出現す、眼晴出現す、拈華出現す。これ時なり時にあらざれば不恁麽なり」

締め括りの拈提です。つまり今までの道理(すじみち)からもわかるように、全ての事象は「有時」ならざるなしである為に、「明星」・「如来」・「眼晴」・「拈華」と云う成道・伝法に関連した「縁語」でもって再確認するのです。一見、言語の弄勢とも見かねない文章構成ですが、どうしてもこれ程までに説かずにはいられなかった僧団内の雰囲気があったのでしょうか。

 

葉県の帰省は臨済の法孫なり、首山の嫡嗣なり。あるとき大衆にしめしていはく、

有時意到句不到、

有時句到意不到。

有時意句両倶到、

有時意句倶不到。

意・句ともに有時なり、到・不到ともに有時なり。到時未了なりといへども不到時来なり。意は驢なり、句は馬なり。馬を句とし、驢を意とせり。到それ来にあらず、不到これ未にあらず。有時かくのごとくなり。到は到に罣礙せられて不到に罣礙せられず。不到は不到に罣礙せられて到に罣礙せられず。意は意をさへ意をみる。句は句をさへ句をみる。礙は礙をさへ礙をみる。礙は礙を礙するなり、これ時なり。礙は他法に使得せらるといへども、他法を礙する礙いまだあらざるなり。我逢人なり、人逢人なり、我逢我なり、出逢出なり。これらもし時をえざるには、恁麽ならざるなり。

又、意は現成公案の時なり、句は向上関棙の時なり。到は脱体の時なり、不到は即此離此の時なり。かくのごとく辨肯すべし、有時すべし。

「葉県の帰省禅師は臨済の法孫なり」の言句から法脈を辿ります。

黄檗希運(―856)―臨済義玄(―866)―興化存奨(830‐888)―南院慧顒(860‐930?)―風穴延沼(896‐973)―首山省念(926‐993)―葉県帰省(不詳)。また「葉県」は河南省平頂山市に位置する県だそうです。(フリ―百科事典・インタ―ネット)

次の示衆説法は『聯灯会要』・十二・汝州葉県帰省禅師章に出典あり。

原典は次のようです。

有時意到句不到、

如盲摸象、各説異端。

有時句到意不到、妄認前塵、分別影事。

有時意句倶到、

打破乾坤界、光明照十方。

有時意句倶不到、

無目之人縦横走、忽然不覚落深坑

提唱の四句を訳すると、

有時は意(こころ)が到って句(ことば)が到らない

有時は句(ことば)が到って意(こころ)が到らない

有時は意も句も両方倶に到り

有時は意も句も倶に到らない

これから、この句に対する拈提です。

「意句ともに有時なり、到不到ともに有時なり―中略―馬を句とし驢を意とせり」

これまでの拈提を聞いていると、「意句」・「到不到」ともに「有時」という解釈は難なく聞こえ、次句の「到時未了なりといへども不到時来なり。意は驢なり句は馬なり。馬を句とし驢を意とせり」の拈提で道元禅師独自の論法が開始されます。

それは長慶慧稜と霊雲志勤との問答で、長慶和尚が霊雲和尚に仏法の大意を問うに、桃華を見て悟道した霊雲禅師が、「驢事未だ到らざるに馬事到来す」の話頭を踏まえての、先の「到時未了、不到時来」の拈提が導き出されるのです。因みに先の問答(驢事未到馬事到来)は『真字正法眼蔵』・中・五十六則に出典があります。この驢事未到馬事到来の解釈はケ‐スバイケ‐スであり㈠日常態が次から次とやって来る㈡ロバ相手の相手の用事が済まないうちに、ウマ相手の用事がやって来ること。などと解されます。

先に、道元禅師独自の論法と言及しましたが、直接的に『有時』巻での帰省禅師の示衆と「驢事馬事」の古則との連関性は有りませんが、道元禅師草稿執筆中に合成され、眼蔵独特の文章体に出来上がるのでしょう。

「到それ来にあらず、不到これ未にあらず、有時かくのごとくなり」

「到」という事象は、それに向かって「来る」という経過的措置ではなく、瞬時の分割しきれない「現成」を「有時」と云う説明です。「不到これ来にあらず」は異句同義語です。

「到は到に罣礙せられて不到に罣礙せられず、不到は不到に罣礙せられて到に罣礙せられず」

到が妨げられるから不到ではなく、不到に邪魔されることはないとの意です。

「意は意をさへ意をみる。句は句をさへ句をみる。礙は礙をさへ礙をみる。礙は礙を礙するなり、これ時なり」

此処の「さへ」とは、礙の語に相当するものと思われるが、『新選漢和辞典』・小林信明編・小学館によると、㈠さまたげる・ささえる・じゃまする㈡へだてる・さえぎる。とあるが『有時巻私釈』では「ひっかかる」の意も紹介されていて、「罣礙」の意を『仏向上事』・『仏性』各巻にて説明される。この句は前句の続きですから、「意は意をさへ意をみる」を理屈(論理)で考えると理解しにくいが、「意は意だけの有時ですから、意をみるだけ」と解釈する。(以下同様)

「礙は他法に使得せらるといへども―中略―これらもし時をえざるには恁麽ならざるなり」

「他法」は他の有時の真実と解し、「礙」はさわり・「使得」は使用と解すれば、さわりは他の有時の真実に使用されているが、他法をさえぎる礙はないと解します。次の「我逢人・人逢人・我逢我・出逢出」云々の解釈は三聖慧然と興化との問答、

三聖云、我逢人即出、出即不為人・

興化云、我逢人即出、出則便為人。

を出典とするらしいが、これまでの文脈からして理解しづらい箇所である。

「又意は現成公案の時なり―中略―かくのごとく辨肯すべし有時すべし」

この結句はそれ程難なし。「意・句・到・不到」に対して各各符号する語句を付加し、それらが時々移る様を表現体としたものであろう。因みに「即此離此」の語句は『正法眼蔵』・『永平広録』等何処にも用例はないらしい。(『有時巻私釈』)

 

向来の尊宿ともに恁麽いふとも、さらに道取すべきところなからんや。いふべし、

意句半到也有時、

意句半不到也有時。

かくのごとくの参究あるべきなり。

教伊揚眉瞬目也半有時、

不教伊揚眉瞬目也錯錯有時。

恁麽のごとく参来参去、参到参不到する、有時の時なり。

  

 仁治元年(一二四〇)開冬日書興聖宝林寺

 寛元元年(一二四三)夏安居書写懐奘

「有時」に対する道元禅師の結論です。

葉県帰省の云う

有時意到句不到

有時句到意不到

有時意句両倶到

有時意句倶不到

に対し

意句半到也有時

意句半不到也有時

を示唆し

江西大寂(馬祖)の

有時教伊揚眉瞬目

有時不教伊揚眉瞬目

有時教伊揚眉瞬目者是

に対しては

教伊揚眉瞬目也半有時

教伊揚眉瞬目也錯有時

不教伊揚眉瞬目也錯錯有時

と言い改める。

前の二者は語頭に「有時」を冠するが、道元禅師は尾に「有時」を冠し、この結論に導くための喋々口は、聊か凡長を感ずるは小拙一人歟。

猶、これは大衆に直接提唱の形を採らず、草稿として書き留めたとの事。小拙この注釈で二ヶ月程の時を要したが、書き留める為だけの眼蔵執筆を、どう考えればよいのだろうか。