正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

東洋の心を語る ④三つのおごり    中 村 元

     東洋の心を語る ④三つのおごり

                       東方学院院長 中 村  元

 

                       駒沢大学教授 奈 良  康 明

 

奈良:  「東洋の心を語る」というシリーズの第四回目になります。毎回釈尊の教え、仏教というものを中心にしながら、およそ人間が人間としてある限り誰にでも当て嵌まるというような普遍的な東洋の英知というものを求めながらいろいろとお話を伺っているわけでございます。本日は、「三つのおごり」というのがテーマでございますけれども、お話を伺います方はいつもの通り東方学院院長中村元先生でございます。先生、よろしくお願い致します。

今日は「三つのおごり」というのがテーマでございますけれども、中心になりますのが釈尊という方がどんなことで悩んで、そして出家をして、そしてそれをどのように克服していかれたのか、という。これは釈尊一人のことにかかわらず、私たちにもすべての人間に共通な一つの問題がそこに出されているかと思うわけですが、そうした釈尊の悩みというものを考えていく時に、先生が、「三つのおごり」という、仏典の中からの言葉をお出しになられたわけでございますが、その「三つのおごり」という、その辺のことから一つお話を伺いたいんでございますが。

 

中村:  この「三つのおごり」と申しますのは、釈尊が若い時に、自分で人間について反省してハッと気付いたことを述べられた言葉であるとして伝えられているわけであります。釈尊は―俗にお釈迦様ですね―最初から何にも偉い立派な修行者だったわけでも何でもありませんし、普通の人として生まれたわけなんですね。そして、人間として育ち、その間にいろいろの人生の体験をされたわけですが、いろいろ若い時には悩みもあれば、苦しむこともあって、自分で考えられたわけです。その反省の結果が伝えられて、それで「三つのおごり」という句で纏められているわけですが、それは釈尊だけの観想ではなくて、それを聞いて、「あ、その通りだなぁ」と思った何億人という多くの昔のアジアの人々が、その通りだと思って、それで伝えたわけです。今、私どもがその言葉を聞いてみますと、〈あ、なるほど、人間というのはやっぱりこういうものだな〉と思って、いろいろ思い当たるところがあるわけでありまして、ですからこれからその言葉を聞いて考えてみたいと、そう思っているわけなんです。

 

奈良:  やはり人間釈尊と言いますか、釈尊という方自身が悩まれてきているわけで、それだけに私どもに大変教えられるものが多いわけで、よく「老病死に悩んで出家をされた」というんですが、じゃ、一体具体的に「老・病・死に悩んだ」というのは、どんなふうに悩んだのか、そこが問題になろうかと思いますので、一つ最初の文章を読ませて頂こうかと思います。

     「若さのおごり」

     愚かな凡夫は、みずから老いゆくものであるにもかかわらず、

     他人が老衰したのを見て、悩み恥じ嫌悪している。

     わたしもまた、老いゆくものであるにもかかわらず、

     このことはわたしにふさわしくないと言って、他人の老衰したのを見て、

     悩み恥じ嫌悪するであろう。

     わたしがこのように観察したとき青年時における若さの意気は全く消え失せてしまった。

            (『マッジマニカーヤ』)

 

これは「増支部経典(ぞうしぶきょうてん)」と日本語で訳されているインドの原始仏典の中からの引用でございますけれども、ここには若さということがテーマになってまいりますですね。

 

中村:  誰でもまず若い時代を経験するわけですね。幼い時代にはどれだけの反省があったか。やがて若い青春の時期に達しますと、そうすると、自分でいろいろ考えたり、また思い悩んだりするわけです。その時に若い人はどう思っているか、と。いろいろ悩みもあり、また不平もありましょうけど、その先のほうにはもっと年上の人がいるわけですね。その人々もかつて若かったわけです。いつの間にか年老いる。その年老いた人を見ると、そうすると、〈ああ、なんか老人というのは哀れなもんだなあ〉と思うわけですね。これは若い人から見れば当然だと思うんです。私だってやっぱり考えてみますと、若い時もあったわけですね。少し年上の方で、例えば会って見かけた時に、〈ああ、あの方、白髪が一本あるなあ〉と不思議に思ったことがあるんですね。ところがそれから何十年か経ちますと、もう自分自身が白髪でいっぱいになっている。これは人間の避けることのできない運命と申しますか定めと申しますか、気付かなければいけないことです。ところがどうかすると、若い時にはそれを見逃してしまって、自分がいつまでも若くあるかのように思って行動しているわけです。そして尊いこの若さというものを失ってしまう。これはやっぱり考えるべきことだと思うんです。そこにはおごりというものが潜んでいると、釈尊はそうみたわけですね。

 

奈良:  これは私も経験がございますけれども、若い時には歳をとった方を見て、ほんとに〈あんまり奇麗じゃないな〉といったような実感を持ったことを、私も記憶しておりますし、ほんとに若い人にはもう当然の一つの心の動きだろうと思う。通常の場合には、それで終わってしまうわけなんですけれども、つまり若さのゆえに老というものを見て、〈ああ、嫌だな〉と思う。それで終わってしまうんですが、先ほどの文章によりますと、そうした心情があったわけなんだけれども、自分もまた、〈ああなるんだなあ〉と思ったら、途端に若さの意気は消え失せてしまった、という。そこに一般に若い人が、老人のことを嫌らしいな、という、それを超えたお釈迦さん・釈尊独特の、と言いますか、釈尊の宗教的なものの見方があるわけでございますね。

 

中村:  一歩突っ込んだ反省がそこにあると思うんですね。「おごり」というものは、これは世間でもいろいろ反省なされておりまして、我が国でも俗に申しますが、「驕(おご)る平家は久しからず」なんて申しますですね。けど、それは単なる世間の一時的な現象について反省しているだけのことでありますが、そうじゃなくて、人間そのものに根ざしている問題を、と言って、反省し、それを述べたというところに深い意味があると思うんです。「おごり」という言葉、漢字では「驕慢(きょうまん)」なんて申しますがね。その「驕(きょう)」と「慢(まん)」が仏典では分けて使われているんです。いつもそうだとは限りませんけどね。後になりますと、教義体系を作る学者が出てきましょう。そうすると、人間の心理現象をこう反省しましてね、いろいろ分析するわけです。「驕」のほうは「マダ」と申しまして、自分は優れていると、そう思うことです。例えば容色が優れている。美人であるとか、あるいは自分は力があるとか、あるいは自分には財産があるとか、あるいは自分は地位、権力がある、と。そういうように思うのが、それが「驕」だというんです。

 

奈良:  「自惚(うぬぼ)れ」ということですね。

 

中村:  「自惚れ」になりますね、そうです。それからもう一つの「慢」ですね。「驕慢」の「慢」は、これは元の言葉で、「マーナ」というんですが、これはのちの教義体系によりますと、そうすると、人と比べてみて、それで自分はこれこれが優れている、と思うことだというんですね。「驕」のほうは、これは人間の悪い心、あるいは悪くなくても、煩悩に取り憑かれている心と一緒に出てくるものだ、そういう反省がなされています。それから後の「慢」のほうは、特に善いとか悪いとか言えない、どっちにも展開し得る、というおごりであると、それぞれの反省がなされています。

 

奈良:  そうしますと、「驕」と「慢」を分けますと、「驕」のほうがどうも少し質が悪いように思いますけれども、先生、そうすると、今、読みました文章で、釈尊が若い頃回顧しながら言っている言葉ですね。自分は若い時に老人を見て嫌だなあと思った。それは自分のおごりであると気が付いて、青春の意気が失われた、というんです。これの場合はどちらの、

 

中村:  これは前のほうですね。気付いていないかも知れないけど、人間の存在の奥にあるおごりなんですね。自分はお金もない。それから威張ってもいない、と。そう思うかも知れないけど、しかし人間の奥には何かしらおごりがある筈だ、と。現に若い人は気付いてもいないだろうけど、知らず知らずの間に若さというものにおごって、それで尊い青春をムダにしているということが世間にいろいろございましょう。それに気付いて述べられた言葉なんです。

 

奈良:  なるほど。その時の社会環境とか社会的地位とか、教育があるとか無いとかではなくて、およそ人が人としてある限り誰にも持っているような、人間の存在に根付いているおごり、高ぶり、それこそを釈尊が問題にされたわけですね。

 

中村:  そういうわけですね。人間存在の奥に潜んでいるものだ。気付かなくてもそれがあるから、だからそれに気付いてよく考え、自分の道を進め、という教えが出てくるわけですね。

 

奈良:  今、「老」というものに対して、「若さ」というもののおごりが今出たわけですが、同じような考え方で、「病気」と「健康」ということでやはり文章がございますので、ご紹介を致しましょう。

 

     「健康のおごり」

     愚かな凡夫は、みずから病むものであるにかかわらず、

     他人が病んでいるのを見て、悩み恥じ嫌悪している。

     わたしもまた、病むものであるにもかかわらず、

     このことはわたしにふさわしくないと言って、他人の病むのを見て、

     悩み恥じ嫌悪するであろう。

     わたしがこのように観察したとき、健康時における健康の意気は全く消え失せてしまった。

              (『マッジマニカーヤ』)

 

先ほどの続きでございましょうから、同じく『マッジマニカーヤ』という経典でございます。ここでは、先ほどの「老」と「若さ」の対立に対して、今度は、「健康」と「病気」ということですね。

 

中村:  そうですね。世の中で活動している方は、どなたでも一応健康なわけですね。だから健康の有り難さということもあまり感じないわけです。その自分の健康というものに甘えて、反省することが足りない、と。だから、自分の健康を知らず知らずの間にムダにしている。健康であるというのも実はまことに有り難いことで、いろいろの条件が整っているからこそ健康である得る。しかし、いつかは年取ればまた健康を失って老いるという運命が待っているわけですね。そう思えば、自分が健康を与えられるているということを有り難く思わねばならない。ところがおごっていると、そういう気持にならないというわけです。

 

奈良:  たしかに私ども日常の会話の中で、「老・病・死」という問題をみても、「歳をとるのは嫌ですね」とか、「病気になるのは嫌ですね」なんていうんですけれども、実はそれほど悩んでいない、と思うんですね、他人事みたいに。

 

中村:  そうです。他人事みたいに考えますわね。

 

奈良:  ところが自分が病気になってしまうと、改めて健康の時の有り難さを思い知るという。むしろそれならば、普段から健康の有り難さというものを身に自覚をしていくことが、おごり、高ぶりのないものの考え方だと、まあこういうことかと思いますんですが。

 

中村:  これしょっちゅう私も感じますね。自分で健康で動ける時には有り難さに気が付かない。それでちょっと風邪引いたりしてなかなか治らない。困ったなと思いましたね。途端に悲観してしまうわけですね。そういうことを繰り返すわけですが。

 

奈良:  「老・病」ということで、今度は「死」というものに関して同じように、文章がございますので朗読をしてみますけれども、

     「生存のおごり」

     愚かな凡夫は、みずから死ぬものであるにもかかわらず、

     他人が死ぬのを見て、悩み恥じ嫌悪している。

     わたしもまた、死ぬものであるにもかかわらず、

     このことはわたしにふさわしくないと言って、他人の死ぬのを見て、

     悩み恥じ嫌悪するであろう。わたしがこのように観察したとき、

     生存時における生存の意気は全く消え失せてしまった。

            (『マッジマニカーヤ』)

 

ここで、「老・病・死」と、それと裏腹の、「若さ」と「健康」と「生命」のギャップと申しますか、普通の私ども生きている人間のおごり、高ぶりというものの姿が、釈尊の自覚を通して明らかにされてきたわけですけれども。

 

中村:  これも深い反省だと思いますね。人が死ぬのを見ると、「あ、嫌だなあ」と思いますね。それを見ている自分はまだ生きているものですから、だから自分は死とは別のものみたいに思う。しかし実は人間の生というもの、生きているということは死に裏付けされているわけでしょう。いわば生きているという一つの事実の表と裏みたいなものですわね。裏側をみようとしない。そして生きているということだけに甘んじている。けれど、生きているということ自体が、またいろいろの条件、因縁、恵みによって可能となっているんですから、これは有り難いことですね。それを「俺は生きているんだ」というので、もうそこで無反省になっておごってしまう、と。そうすると、これは命というものを失ってしまうことになる。生きていることの意義を失ってしまうことになる。

 

奈良:  今、先生のお話のように、ほんとに「老・病・死」という自体に直面すると悩むけれども、普段はそれに気が付かないという。そこに考えてみれば、充実して生きていくという生き方が、如何に私どもに欠けていると申しますか、普段おろそかにしているということなんですが、しかし若い時には老人を見ると、「老」というものを見ると、嫌だなあ、と思うのは人情の自然だし、病気にならないと健康の有り難さを思わない。それが普通の人間なのに、釈尊は特に死にそうになったわけでもないでしょうし、二十九歳という若さで出家していく。若さの絶頂にあって、病気をしたということもあまり知られておりませんし、ましてや死というものが、「あなたは癌であと半年ですよ」なんて言われたことでもないわけなんで、そうした状況にならないのに、敢えてこうした自分の存在の内部を見つめていって、ほんとにすべての人間に普遍的な、非常に根源的な人間の迷いみたいなものに気が付いたというところに、なんか釈尊の宗教性の深さみたいなのが一つ感じられて仕方がないんでございますけれどもね。

 

中村:  これは狭い枠を超えて、どの民族の人だって、どの宗教の人だって、やはり言われてみればその通りだと思うことがあるんですね。ところが我々日常どうかすると、それを見失っているというのが実情じゃないでしょうか。

 

奈良:  そうした悩みを持ちながら、釈尊は出家をするわけでありますけれども、じゃ、一体釈尊の出家というものが、何を求めて出家したのか。その辺の大きいところから一つ文章を読んでみたいと思いますけれども、

 

     スバッダよ。わたしは二十九歳で、何かしら善を求めて出家した。

     スバッダよ。わたしは出家してから五十余年となった。

     正理(しょうり)と法の領域のみを歩んで来た。

     これ以外に〈道の人〉なるものは存在しない。

            (『大パリニッバーナ経』)

 

先生、この『大パリニッバーナ経』と申しますのは、釈尊の最晩年八十歳になられました釈尊がおそらく生まれ故郷のカピラヴァストゥに向かって旅行されていく。その旅行の途次において珠玉のようなお説法をして歩かれていく。その最後の旅の模様を大変臨場感溢れるタッチで書いたいいお経かと思うんですが、この「スバッダの教え」というのは、もうその旅行の中でも亡くなられる一番直前ですね。

 

中村:  そうなんです。釈尊が最後の旅路で、それで身体も弱って、それで休息しておられた。そこへ異教徒のスバッダという人がやって来まして、「とにかく会わせてくれ。儂は釈尊・ゴータマブッダに聞きたいことがある」なんていうことをいったわけですね。お弟子のアーナンダは会わせまいとしたけれども、釈尊は非常に思いやりのある質(たち)でしたから、「いや、そう言うな。とにかく会ってやろう。通しなさい」と言われた。そうするとスバッダが中へ入ってきて、それに対して言われた最後の説法ですね。

 

奈良:  スバッダという人は、それ以後あんまり名前が出てこないと思うんですが、釈尊の最後のお説法を聞いた人ということで名前が残っている。

 

中村:  最後のお弟子になった人ですね。その意味で非常に知られているんですが。

 

奈良:  それだけに釈尊に取りましては八十歳になる自分の一生を振り返りながら、「私は二十九歳で善を求めて出家した。そして正理と法の道のみを歩んで来たんだ」という。この釈尊の一生というものがある意味ではここに集約した形で示されているように思いますが。

 

中村:  そう思いますね。一生を回顧して、自分が今まで歩んできた道は、これは善を求めた。その「善」という言葉の意味ですがね、元の文章では、「カリヤーナ」という言葉が使われているんです。これは「善きこと」なんですね。だから道徳的に善いことも勿論意味しますが、また願わしいこと、楽しいこと、それらをすべて含めていうわけです。

 

奈良:  何でもとにかく善いこと、

 

中村:  とにかく「善いこと」。我々の日常の表現で、「よいこと」と申しましょう。「いいこと」って、それなんです。だからそこには倫理的な良いことも意味されているし、また美しいことも、それからまた能力のあること、力のあること、そういうことも含めて申します。

 

奈良:  なんか「善」と言いますと、非常に倫理的な意味で狭く取られかねないんですけれども、そういう広い、とにかく「善いこと」を求めて、と。そこに釈尊の求められたものの内容と関わってくると思うし、だんだん具体的な内容をいろいろ伺っていきたいんですが、それを考えていきます一つの手掛かりと致しまして、釈尊のおそらくこれは若い時代の述懐がございますので、ご紹介を致します。

 

     スハーナーマンよ、わたしが悟りを開くより以前に、

     「欲望は楽しみの少ないものであり、禍いがはなはだしい」ということを見通していたけれども、

     しかし、欲望以外のところに喜び、楽しみを体験しなかった。

     それよりもさらによきものに到達しなかった。

     したがって、その限りにおいて、私は欲望に魅せられないでいると称し得るものではなかった。

              (『マッジマニカーヤ』)

 

同じ中部経典でありますけれども、これは釈尊が、「私も欲望に振り回されていたんですよ」という述懐なんですね。

 

中村:  そうなんです。若い時の反省なんですよ。王宮で育ち、暮らしてきた人でしたからね。当時としては良い生活を体験した人だったと思うんです。総じて若い人にそういう傾向が見られるんでありますが、楽しいことも、あるいは快楽を求める。快楽というものがどうかすると、苦(にが)いもの、毒を含む結果になるということは、それは理屈の上では気付いていた。けれども、快楽以外に目を向けるということをしなかったという、その反省ですね。

 

奈良:  だからやはり自分の先ほどのの「三つのおごり」というものも、何かこういう自我、欲望というものが原因だ、ということはわかっているけれども、それじゃ、その欲望を然るべく処理するというのはなかなかできないんで、結局欲望に身を浸した生活をしていたんですよ、と。

 

中村:  欲望に流されていた、というんですね。

 

奈良:  それの反面に、さらに善きものに到達しなかった、と言っているだけ、なんかその奥にあるんだ、と。求めるものがあったことも、この文章の中に出てくるわけですね。

 

中村:  反省があったわけですね。さらに善きものもあるのではないか。それを自分は求めようとして、そこから求道―道を求める生活が始まるわけです。

 

奈良:  そうしたことで、釈尊は二十九歳で出家を致しまして、伝承によりますと、六年間乃至七年間苦行の生活に入った、と伝えられておりますし、さまざまな厳しい激しい苦行もやったようでございますね。結局その後で、苦行をしても悟りの智慧は開かれない、ということで、苦行を止めて、菩提樹の下で禅定によって悟りを開く、と。こういうふうに仏典の、ブッダの伝記はこう続くわけですが、「苦行」というのは、当時盛んに行われていた行法なんでございますか。

 

中村:  実際に行われていたことだと思いますね。仏典にお釈迦様はこういう苦行をなさいました、ということが出ているんで、人によってはちょっと疑うわけですね。けれど、いろいろの面で確かめられるんですね。一つは苦行仏の彫刻の像が最近我々にも見られるようになりました。

 

奈良:  パキスタンのラホール博物館に苦行者というのがありますね。

 

中村:  あれはラホールの博物館で一番有名なものですが、非常に苦行の姿がリアリスティックに出ておりますね。胸が痩せさらばえて肋骨が見えるようですね。

 

奈良:  なんかお腹のところがほんとに皮一枚で、たしか仏典に、「お腹の皮を掴もうと思ったら、骨を掴んだ」とか、なんかそんなような記述があったように記憶していますが、ほんとにそれを思い浮かべさせるような苦行像ですね。

 

中村:  そうです。それでまだその他に近年ではそれに似たような苦行仏の彫刻が見つかっております。だからその点でも確かめられる。それからアレキサンダー以後、ギリシャ人がインドへ入ってきたわけです。その旅行記というのが残っているんですね。インドの実情を伝えています。そうすると、驚いて書いているんですが、「インド人は不思議なことをする」というんですね。「断食の苦行から始まって、崖から身を投じたり、それから暑熱に身を曝したり、途方もない苦行を行っている者がいる」と書いている。だからそこからも確かめられるわけです。

 

奈良:  「六年苦行」とよくいうんですけれども、今、先生のおっしゃいましたような、いわば宗教的行法としての苦行を六年間続けるというわけではおそらくなかったと思いますんで、いわゆる出家沙門(しゅっけしゃもん)としての屋根のないところで野に伏し、洞穴の中に寝、托鉢して、人のいない林の中で瞑想するとか、私どもにとってはそれがもう苦行みたいに見えますけれども、そうした厳しい修行をして、おそらくそこで自我欲望というものを抑えていく修行はかなりされたんだろうと思うんですけれども。

 

中村:  これは原始仏典の中で、殊に古い層の聖典ですね。そこに出てくる仏教の修行者の生活というのが、今、言われたようなことですよ。野外に伏したり、それから洞穴の中に籠もったり、あるいは大きな木の下で禅定をする。今の人から見たらやっぱりこれは苦行でしょうけどね。当時のもっと酷い苦行者の実践に比べたら、よほど楽な暮らしだったと思います。

 

奈良:  そういう生活で修行しながら、もう一つ智慧が閃かないと言いますか、結局禅定の生活に入られて悟りを開いた、と。

 

中村:  そういうわけですね。

 

奈良:  じゃ、どういう禅なのか、ということで、一つ仏典をご紹介を致したいと思います。

     いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと―

     これが島にほかならない。それをニッバーナと呼ぶ。

     これは老衰と死の消滅である。

          (『スッタニパータ』一○九四)

 

原始仏典の中でも一番古い経典かと思いますが、これ重要なことがたくさん書いてあるんで、

 

中村:  そう思います。

 

奈良:  まず言葉の面からちょっと伺いたいんですが、「ニッバーナ」というのは、「涅槃」ということですね。

 

中村:  そうなんです。日本で普通いう「涅槃」ですね。サンスクリット語では、「ニルヴァナ」と申します。それがパーリ語とかその他の俗語ではいくらか崩れて「ニッバーナ」というんです。同じことです。

 

奈良:  「涅槃」―お悟りだと思いますが、「所有なく、執着して取ることがないこと。これが島にほかならない」。これはどういう意味でございましょうか。

 

中村:  これは、つまりニルヴァーナの境地を目指すわけですが、なぜニルヴァーナと理想の境地を呼ぶかと申しますと、我々の煩悩の火が吹き消されて煩悩に苦しめられなくなる状況を理想として目指したわけです。ニルヴァーナという言葉を使うわけですが、それが最後の頼りにされている。その「頼り」という抽象的な表現ではわかりにくいから、「島」と言ったわけですが、あるいは「洲(す)」と訳したほうがもっと実際的かも知れません。つまりインドのようなのっぺりと、広く広がっている大陸では、洪水が起こりますと、そうしますと一面に水浸しになるんです。人間のいるところがないわけです。そこにちょっと洲がありますと、そうすると人がそこへ非難して来て、水が引くまで待避しているわけでしょう。

 

奈良:  やはりこういう海の中の島とか、河の中の中洲。とにかく大地でありまして動きませんし、拠り所といいますか、それに頼っていれば安心である、と。そういう意味の喩えといいますか、表現だと思います。

 

中村:  そういう趣旨で、「島」とか「洲」という言葉が使われたんだと思います。

 

奈良:  そうしますと、如何なる所有もなく執着して取ることがないこと、これが人間として拠り所となるものである。もう一つ言えば、釈尊は善を求めて出家されてきたわけでございますし、その善なるものがニッバーナであろうと思いますし、それが所有もなく、執着して取ることがないこと。これ言葉としては大変簡単に見えるんですけれども、もう少しこの辺の意味をご説明頂きたいんですが。

 

中村:  この経典にはそれだけの言葉で表現されているんですね。自分のものだ、と思って執着することがなければ、苦しむことがない。けど、それは一体どういうことなんだろう、と。これは後代の仏教の哲学者がずっと追究したわけです。自分がここに、例えば財産を持っていると思いますよ。けれど、それをよく考えてみると、他の人が力を合わせて作り出してくれたものでしょう。たまたま何らかの理由によって自分に帰属しているというだけのことで、自分が死んでしまえば、それは消えてしまいますわね。それから生きている間も、それが自分だけのものだと言って誇っていいのか、奢っていいのかどうか。他の人の力がこうずっと集まってきて、自分のものというのが作り出されているんだから、もっと奥深く考えてみると、もう世のあらゆる人々のもので、あるいは宇宙万有がここに力を合わせて作り出してくれたものですね。そう思うと、自分のものだ。自分の所有だというものに対しても、見方が変わってくるわけですね。

 

奈良:  ほんとにそうでございますね。実は比較的最近でありますけれども、私のところへある中年の方がやって見えまして、この不景気の時代に大変儲かってしょうがない、と。大変意気軒昂(けんこう)たる様子で胸を叩きまして、「私は一人で生きている。誰の世話にもなっていない」と、こうおっしゃるんですが、考えてみると、随分それこそ奢った言い方だと思うんですね。

 

中村:  そういうことになりますね。

 

奈良:  その方とお話をしたんですけれども、「例えばあなたが着ていらっしゃる洋服にしても、いろんな人の手を経ているでしょう」と申し上げましたら、「いや、私が稼いだお金で、私が買ったんだから、私の物だ」という。お金で見ればそうかも知れませんけれども、反面にお金さえ出せば洋服がスッと手に入るという体制そのものが、もういろんな商売の方の、いろんな世の中の人の、流通機構であるとか、いろんな方の関わりの中で存在しているわけですね。

 

中村:  無数に多くの人の力といいますか、努力といいますか、それが集まって、それでその人の生活を可能ならしめ、意識面においては、「俺はおれ独りで生きているんだ」ということも言わしめるようになった。それだけのことで、深く突っ込んでみますと、もう如何なる人もあらゆる人々と連携ができて、その連携の上に生きているわけですわね。

 

奈良:  そうしますと、日常生活の中でも、自分ではこうだ、と思っていたものが、フッと見方を変えると、あ、なるほど。大変な執着があるな、拘っているものがあるな、ということがあろうかと思いますし、同時に釈尊の場合、「老・病・死」ということについて、大変悩まれた「三つのおごり、高ぶり」をご自身で自覚をされて、結局「老・病・死」というものに裏腹の「若さ」とか「健康」とか「生存」というものを、「私は若いんだ」と。「私は生きているんだ」という執着が、実は充実した生き方を妨げているものである。こうした考えに戻ってきておられる、と。こんなふうに考えてよろしいのでしょうか。

 

中村:  そういうことになるでしょうね。「?り」というものの根本を考えてみますと、〈自分自身の生存というものが、ありとあらゆる力に生かされている〉という、それに気付かないからだと思うんです。これを別の表現でいいますと、殊にのちの仏教になって、特に説くんですが、これは天地の恩を受けていることになるんですね。さらにあらゆる人々の恩を受ける。生きとしいけるもの、衆生の恩を受けているわけです。そこに目覚めると、そうするとこせこせしないで、執着しないで生きていくことができるんじゃないでしょうか。

 

奈良:  そうした、いわば発想の転換といいますか、そういう考え方が出てくるということの裏には、自我、欲望というものを野放図にさせないで抑えていくということがないと、そういう形での発想の転換と申しますか、自分自身を見つめていくということができないかと思いますが、やはり釈尊は苦行というものによって、そうした欲望をいろいろ訓練し、そして悟りによって智慧を得てきた。その辺が、また一つ大変難しいかと思うんですけれども、苦行を捨てて、悟りの智慧を、禅定で悟りを開かれたわけですが、やっぱりこの苦行は捨てないといけなかったんでございましょうか。

 

中村:  これは、つまり人間の身体を傷付けるような苦行は止める。けれども、「難行」という言葉もありますが、なかなか行い難いことを行う。だから実践には依然として努めよ、ということです。

 

奈良:  そうしますと、確かに野に伏し、洞穴の中に寝るというのは、当時の出家修行者の一つの生活形態であり、そうした生活の中で身を傷付けるような激しい苦行もされて、そうした苦行は結局身を傷付けるだけだ、と。それよりもむしろ自我、欲望というものを抑えながら、一つの法に導かれて生きていく。そういう生き方を釈尊はこの悟りの中から見出されたと、こうみてよろしいんでございましょうか。

 

中村:  そういうことになるんだろうと思いますね。当時苦行をやる人がたくさんいて、釈尊もそれに一時気を取られたのは何故か、ということになるんですが、現代の人だったら、最初から苦行なんてバカらしくてやらないと思うんです。ところがその時代の人が気を取られたというのは、当時インドには昔から一つの信仰がありまして、これはインドばかりではない、原始民族みんなに見られることですが、特殊な苦行や修行をすると、修行者に特殊な呪力(じゅりょく)がそなわる、霊力(れいりょく)がそなわる。不思議な力がそなわって、それで幸福を実現することもできれば、祈願を成就することもできる、と。だからこそ苦行をやるという、そういう一種の信仰があったわけですね。ところが釈尊は、考えてみて、身を傷付けるような苦行というものは、これは意味のないものだ。それよりも人間が本当に生きる道というものがあるんじゃないか、と。そのために実践する、と。そのための努力というものは、これは大いに説いたわけですね。

 

奈良:  それでは悟りを開いたからと言って、もう能事し終われり、と。これはそれで終了ということではなくて、むしろ悟りというものの智慧が開かれたからこそ、毎日の生活の中に努力をしていくという。そうしますと、悟りというものが確かに釈尊の宗教体験でありますから、ハッと思い当たられることが当然あったわけでございましょうし、同時にあと昼寝していていいということではないわけですね。

 

中村:  これは世間で誤解もあると思うんですね。俺は悟ったんだ。だから今後俺は何をやってもいい、と。そういうようなことを考える人も今までなかったわけじゃないわけですね。それは間違いなんでして、悟りというのはどこにあるのか。これは人間が本当に生きるべき道を実践すること、追究すること、道を求めること、その中に悟りがあるんだ、と考えるべきじゃないでしょうか。

 

奈良:  その辺のことを書いた経典がございますので、ご紹介を致したいと思います。

 

     〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ。

     内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。

             (『スッタニパータ』九一六)

 

「常に心して学べ」って、あるんですね。

 

中村:  そこは非常に深い意味がありますね。

 

奈良:  ここに「〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ」と。ちょっと言葉が難しいんですが、ちょっとご説明頂きたいんですが。

 

中村:  これは原文に出ている通りに直訳したわけなんですが、われがここにいるんだ、と。これは他の人からまったく隔絶したものなんだ。だから他の人の干渉も受けないし、何をやってもいいんだ、と。そう思うと、非常な間違いになるわけですね。われというものが、あらゆる因縁、力に恵まれてここにいるわけなんですから、それにやっぱり目を向けなければならない。目を開くべきなんですね。そうなりますと、間違った自己主張というものはなくなると思うんです。自我の尊重ということが、この頃言われておりますが、それは他人のそれぞれの存在も思いやりを持って考えよ、という意味では、自我を大いに認めるべきです。しかし、自我というものを勝手に主張して、他の人に迷惑をかけたり、損なったりするようなことがあってはならない。ところがこの頃は、自我の確立ということが間違った意味に理解されているんじゃないでしょうか。

 

奈良:  社会で一般に言われている用法と、仏典などに出てくる用法とは、本来含んでいる意味を少し注意して弁別しないと、混乱を起こすかもしれないな、と時々、私も思いますですね。今おっしゃいましたように、例えば「子どもが自我を確立していく時期である」というような言葉を使いますし、当然人間の心理的な発達の中では、自我というものが順調に発達しなければいけないわけでございましょうし、社会生活の中で、然るべき形で社会生活のさまざまな倫理的な枠組みの中で自我を主張していかないとやはり生きていけないだろうと思いますね。

 

中村:  そういうことになると思いますね。それについて誤解が、西洋にもあると思うんですね。この頃西洋の新しがり屋の人が、しきりに禅に飛び付きますね。禅の書物なんかよく読まれているんですが、禅の高僧の行い方を自己流に誤って解釈することがあるんですね。つまり禅の高僧の行動の中には、時には異様に見えるようなことがあるわけです。これは昔からの固定した因習に反抗していったものです。ところがかつての外国のビート族は、自分のしたい放題、勝手放題をやって、「This is Zen」とやるわけですね。これは間違いだと思うんです。

 

奈良:  どうしても自我、欲望というものを振り回している間はものの本当の姿はやっぱり見れないだろうと思いますし。

 

中村:  そして近代文明にやはりそういう過ちが付随しているんじゃないですか。近代文明は「自我の自覚から始まる」と言われていますね。それは確かにそうですが、その自我の自覚の仕方というものが、なんか自分の我が儘、欲望を勝手に通せばそれでいいんだ、という具合にとられている傾向があるんじゃないですか。

 

奈良:  そうしますと、それだけに今ずっとお話を伺ってまいりました釈尊、仏教の正しい自我のあり方をみるということが、特に現代においても必要なことになってくるように思いますけれどもね。

 

中村:  そうですね。

 

奈良:  「〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ」と。要するに、エゴですね。

 

中村:  エゴですね。「エゴ」と言ったほうがはっきりしますね。

 

奈良:  そうしたものを、これは、「さあ、もう私、無くしましたよ」ということはおそらくできないだろうと、私は思いますので、生きている限り、常にそれは出てくるわけなんで、それを出てくれば潰し、出てくれば抑制しながら心して学べ、ということかと思いますし、

 

中村:  そういうことになると思いますね。生きている限り人間が、自分はこう行きたい、あっちの方向へ行きたいと、いろいろなことを欲するわけですね。野放図にしていたらどっちへでも行くわけです。そうじゃなくて、本当の生き方というものはどうだろう、ということを自分で考えてみて、それで自ずから整えるわけですね。「制する」という表現で訳しましたけれども、あるいは「整える」と言ったほうがもっといいかも知れませんですね。

 

奈良:  整え方をもう少し具体的に示した釈尊の言葉がございます。ご紹介を致します。

 

     この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪(むさぼ)りを除き去ることが、

     不滅のニッバーナの境地である。

           (『サンユッタニカーヤ』)

 

これも原始仏典の中で比較的古いほうの仏典かと思いますが、ここはかなり具体的に書いてございますね。

 

中村:  具体的ですね。我々生きている限りいろんな対象を経験するわけです。いろんなものが向かってくるわけです。そうすると、あれもいいな、これも欲しいな、なんて思っていると、向こうからやってくるものに振り回されてしまうわけです。それに対して自分はどういう態度を取るべきかという、その自主的な態度を確立するということ、そこに理想の境地がある。それを仮に「ニッバーナ」と呼んでいるわけです。

 

奈良:  どうも仏典というのは文字通り読みますと、誤解を招きやすい表現がかなりあると、私は思うんですが、今の文章でも、「欲望を除け」とあります。ところが、現代は欲望の時代であると言われているぐらいなんで、欲望がなかったら人間生きていけないではないか。人間の欲望が文明を発展させたものである、という考え方がございますし、それはそれなりに解るんですけれども。

 

中村:  欲望をどっちへ向けるか、ということですね。確かに文明発展の原動力になるでしょうけど、しかし野放図にしていたら、また文明破壊の原動力にもなる恐れがあるんじゃないでしょうか。

 

奈良:  ですからその欲望というものを、先ほどの話で、整えていくという。これはやはり欲望というものがゼロになるわけないんですから、欲望がいい方面で働いていくのはかまわないけれども、それが人間を破滅に導く方向で働くこともございますし、個人が老・病・死に悩む場合でも、不必要な整えない欲望の働きというものは、人間の幸福な生活を破壊していくものだろうと思いますんですが、そうした欲望のあり方を書いた経典がございますのでご紹介を致します。

 

     何ものかに依ることがなければ動揺することがない。

     そこには心身の軽やかな柔軟性がある。行くこともなく、没することもない。

     それが苦しみの終滅であると説かれる。

           (『ウダーナヴァルガ』二六二○)

 

ここには欲望というものを整えていった時に動揺することがない。「心身の軽やかな柔軟性がある」―言葉とすればごく平凡な言葉なんですが、これが自分の人生にほんとに生き生きと柔軟性が働いてきたら、さぞかし楽しかろうと思うんですけれども。

 

中村:  これはいい表現だと思いますね。これが望ましい境地じゃないでしょうか。

 

奈良:  整えられない欲望、好ましからない欲望というものを振り回しますと、生かされている自分を見失って、私一人で生きている、といったような無理が出てきたり。

 

中村:  なんかとらわれていますと、そうすると相手の人にいくら迷惑をかけてもかまわない。害を与えてもかまわない。えい、これ、やってしまえ、というようなことになるわけですね。そういう現象が世間ではいくらでも見られますけど。

 

奈良:  先ほど、「〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉」ということなんですが、もう少しそれ具体的にいいますと、「私が」という、それから「私のものが」という、二つのものを常に私たちは主張している、と思うんですね。ですから、釈尊の老・病・死の悩みに致しましても、「私の若さだ」と、「私の健康だ」と、「私の命だ」と握り締めてしまう。ところが何ぞはからん、無常なる世の中でありますから、みんなそれが崩れていってしまう。そこの「私のものだ」という自我を振り回している。それが崩れてゆかざるを得ない。そのギャップが大変私どもに悩みの種になってくるかと思うんですけれども。

 

中村:  その道理に気付けば、そうすると、「私が」という「私」を生かすことができる。あるいは「私のもの」というのを生かすことができると思うんです。無理に抱え込むような立場をとっていますと、生きてこないわけですね。自由に生かし得る境地というものが柔軟心ですね、身心が柔軟になる、と。目指すところに向かって自由に生かすことができる。その境地が望ましいんじゃないですか。これ仏典によく出てくる言葉ですが、「飛ぶ鳥の喩え」というのがありますね。

 

奈良:  ございますですね。

 

中村:  願わしい境地というのをどう表現するか。鳥が大空を自由に飛翔している、と。そうすると、もう欲するがままに飛んでいるわけですが、それでもちゃんと帰る道は知っているわけですね。帰るべきところへちゃんと向かって進んでいくわけでしょう。あの自由な境地。そして跡に何も残さないですね。汚れを全然残さない。跡も残さない清々しい境地。これが仏典にも出てくるし、道元禅師の歌なんかにもございますがね。ああいう境地が実践の理想ということになるんじゃないですかね。

 

奈良:  道元禅師に、「水鳥の行くも帰るも跡絶えてされども道は忘れざりけり」という歌がございますけれども、そうすると、大変重要なことだと思うんですが、「私が」とか、「私のものだ」という、要するに自我、欲望がなかったら私どもの生活はなり立たないわけで、ところがそれをなくせ、というんではなくて、それがどういうものかを知ることによって、それを乗り越えていくということですね。

 

中村:  そうです。空を鳥が飛んでいく、というのは、非常にポエティカル(poetical:詩的な)な表現ですがね。もう少し具体的な喩えをもってきますと、例えば車の運転も同じだと思うんですね。いろいろしてはいけないことがいっぱいあるわけでしょう。けれど、それを身に付けている人は悠々とドライブして、自分がドライブしているということをわざわざ意識しなくても、決して規則に反したことはしないわけですね。世の中に生きていくのも本当に達した人であれば、そういう自由活発な境地が可能だ、と思うんですね。

 

奈良:  それぞれ社会の中で生きている場が違いますし、個人の性格も育ちもみんな違うわけですから、「こうすべし」ということは言えないけれども、それぞれの環境の中で、自分が正しいと思うことを選び取っていく。その選び取っていくのが、一々「さあ、これはいいことだからやりましょう。悪いことだから止めましょう」とか、意識して選び取っていくことは無論あるわけですけれども、それがさらに慣れてきますと、今、先生のおっしゃった自動車の運転のように、特に意識しなくても手足が自由に動いていく境地ですね。

 

中村:  そういうことなんです。それ今度逆に個人個人が主体となって決めることでしょうね。めいめい人の置かれている場所が違うわけでしょう。生い立ちも違うわけです。昔から受けている影響とか教育とかみな違うわけですが、その違いに応じて個性を生かしていくということ、これがその立場から出てくるんじゃないですか。

 

奈良:  釈尊が「老・病・死」というものに悩んで出家をされた。それは決して死ぬのが嫌だとか、病気になるのが嫌ですって、ただそれだけのことではなくて、死にたくないという気持と、死なねばならない、という意識の現実のギャップに悩む。釈尊個人の問題よりは非常に普遍的な心を問題としながら、それを自我、欲望というものを、自ずと自由に整えられるような形に身を処していくことによって、釈尊の善を求めた生活、涅槃というものがあった、とこういうことかと思います。

 

中村:  その時に自由自在の境地が実現される、ということになりましょうね。

 

奈良:  本日はどうも有り難うございました。

 

 

     これは、昭和六十三年七月三十一日に、NHK教育テレビの

     「こころの時代」で放映されたものである 。

 

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-mokuji.htm ライブラリーよりコピーし一部改変ワード化したものである。