正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

修訂版 正法眼蔵 第一「現成公案」を読み解く

修訂版 正法眼蔵 第一「現成公案」を読み解く

二谷正信(正韻信道)

   はじめに

この巻は「七十五巻」本・「六十巻」本ともに巻頭に列し、内容は難解な古則の解釈や煩雑な語彙の使用もなく、鎮西(太宰府)の俗弟子である「楊光秀」なる学人に書き与えたものである。とするが、奥書では建長壬子(四年・1252)拾勒と示される事情から道元禅師(以下、道元と略称す)遷化の前年に、「百巻」本の首巻として天福元年(1233)より三十年の暦日差を以て集録(拾勒)されたものである。

この「楊光秀」なる人物は恐らく大陸出身者であり、天福元年四月には興聖寺に於ける最初の提唱である『摩訶般若波羅蜜』巻の示衆があり、「当巻」は同年の中秋(八月十五日)の頃に書き与う。とすることから、楊光秀なる人物は在俗とは云いながら、夏安居では詮慧などの出家僧に見劣りしない学道態度であったからこそ、「楊光秀」の要求に応じ漢文体でしめされた法語を与え、後に和文体に書き改め拾勒されたものであろうか。

因みに『永平広録』八の法語五では文暦元年(1234)から嘉禎元年(1235)にかけては、「太宰府野公大夫、乃儒林之学士也」と儒教の学人も参随し、同じく『広録』十の偈頌六十二では「与野助光太宰府」と題する記録を参照すれば、天福元年前後にかけては儒学者たちにも仏法の門戸を開放し、宗教の枠を越えた活鱍々なる状況が伝来したようである。

   一

諸法の佛法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり死あり、諸佛あり、衆生あり。萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなく、さとりなく、諸佛なく、衆生なく、生なく滅なし。佛道もとより豊儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、艸は棄嫌におふるのみなり。

自己をはこびて萬法を修證するを迷とす、萬法すすみて自己を修證するはさとりなり。迷を大悟するは諸佛なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。諸佛のまさしく諸佛なるときは、自己は諸佛なりと覺知することをもちゐず、しかあれども證佛なり、佛を證しもてゆく。身心を擧して色を見取し、身心を擧して聲を聴取するに、したしく會取すれどもかがみにかげをやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず、一方を證するときは一方はくらし。

「当巻」の文言は、どの一節を抜き書きしても記憶に残影し、又ほかの文献にも章句が多く引用されるが、一節ごとに詳述する。

「諸法の仏法なる時節、即ち迷悟あり、修行あり、生あり死あり、諸仏あり、衆生あり」

「諸法」は『摩訶般若波羅蜜』に示す如く「四大五蘊(地水火風・識受想行識)+十八界(六根(眼耳鼻舌身意)・六境(色声香味触法)・六識(眼耳鼻舌身意))これらが仏法である。と提示されるが、謂う主旨は眼前に現成するする事実(諸法実相)が、真実の表意態であると解き明かされるわけです。その諸法実相の時節そのものが、「迷・悟・修行・生・死・諸仏・衆生」であると七種を列挙されるが、実際には八万四千(無際限)の時節があるのである。

「万法ともに我にあらざる時節、迷いなく、悟りなく、諸仏なく、衆生なく、生なく滅なし」

「万法」とは諸法と同義であり、その万法には「吾我」を持ち込まなければ、「迷・悟・諸仏・衆生・生・滅」と謂う観念はなく、前句でのありと、対句形態で示されるが、謂うなれば即心是仏に対する非心非仏のような類語である。

仏道もとより豊倹より跳出せる故に、生滅あり、迷悟あり、生仏あり」

「豊倹」は豊かと質素の意。「生仏」は衆生と仏。であるが『宏智広録』二「家門豊倹、臨時用」(「大正蔵」四八・二〇・b一一)、『同録』一「光明一点、乃生仏之枢機」(「同」四八・一二・a五)と検出可能である。「仏道」は万法・諸法に通脈し、本来の豊倹のあり・なしの二項分立の世界から跳び出すのであるから、諸法の形態としての「生・滅・迷・悟・衆生・仏」あり。と説かれるは、第一段に通ずるもので、この第一・第二・第三段で以て「正法眼蔵」に通属し、「当巻」での主意を示される提唱スタイルであります。

「しかもかくの如くなりと云えども、華は愛惜に散り、草は棄嫌におうるのみなり」

前句では「生あり死あり→生なく滅なし→生滅あり」と説いたにも拘らず、花は愛しいと思いつつもなくなり、草は棄て嫌うにも生じてある。とは後ほど示される得一法・通一法の理法である。

「自己を運びて万法を修証するを迷とす、万法進みて自己を修証するは悟りなり。迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり」

「自己↔万法」は別物ではなく、「自己」という我を据え「万法」という尽界を把捉しようとするから、永劫に「迷」となる。逆に尽界(万法)は自己そのものであるから遠大なる「悟り」である。この場合の「自己」とは仏法そのもので、「運ぶ」とは移動ではなく「尽十方界自己なる道理」(『御抄』「曹洞宗全書」注解一・五上)を「はこぶ」とするは経豪の解き明かす理法である。

さらに謂うなら、「悟上に得悟する」とは仏向上を云い、さらには「迷中又迷」の学人(漢)あり。とするが、悟上が善で迷中が悪である。と位置づけるのではなく、共々が万法に於いての現成公案である。

「諸仏のまさしく諸仏なる時は、自己は諸仏なりと覚知することを用いず、しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく」

ここで云う「諸仏」とは尽十方界それ自体を諸仏の真実態とするわけであるから、尽界が尽界を覚知できるはずはない。諸仏は諸仏を認知できないとは云っても、常に動的平衡を繰り返しながらの活計を「証仏なり、仏を証す」と言う。

「身心を挙して色を見取し、身心を挙して声を聴取するに、親しく会取すれども鏡に影を宿すが如くにあらず、水と月との如くにあらず、一方を証する時は一方は暗し」

「身心」とは全身であり且尽界であり更には諸仏とも通ずるものであり、その「身心」で以て眼で見る対象である「色」・耳で聴く対象を見聞(聴)するとは、鏡と影・水と月との関係性ではないのである。つまりは相対的・主観客観視して物事を判断してはならない。この状況を「一方を証すれば一方は暗し」と随所に援用されるフレーズで以て表現されるが、後出で説く「得一法・通一法・遇一行・修一行」とも代替可能であろう。

   二

佛道をならふといふは、自己をならふなり、自己をならふといふは、自己をわするるなり、自己をわするるといふは、萬法に證せらるるなり。萬法に證せらるるといふは、自己の身心、および陀己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。

人はじめて法をもとむるとき、はるかに法の邊際を離却せり、法すでにおのれに正傳するとき、すみやかに本分人なり。

人船にのりてゆくに、目をめぐらしてきしをみれば、きしのうつるとあやまる。めをしたしくふねにつくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を亂想して、萬法を辨肎するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして、箇裏に歸すれば、萬法のわれにあらぬ道理あきらけし。

たき木、はいとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを灰はのち薪はさきと見取すべからず、しるべし薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありといへども、前後際斷せり。灰は灰の法位にありて、後あり先あり、かの薪はいとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのちさらに生とならず、しかあるを生の死になるといはざるは、佛法のさだまれるならひなり、このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる佛轉なり、このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり、たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。

人の悟をうる、水に月のやどるがごとし、月ぬれず、水やぶれず、ひろくおほきなる光にてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天もくさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。悟の人をやぶらざること、月の水をうがたざるがごとし。人の悟を罣礙せざること、滴露の天月を罣礙せざるがごとし、ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を撿點し、天月の廣狹を辨取すべし。

仏道を習うと云うは、自己を習うなり、自己を習うと云うは、自己を忘るるなり、自己を忘るると云うは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるると云うは、自己の身心、および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ」

仏道⇆自己⇆万法」の一味態を、自己・他己の身心に成りきるを「脱落」の語で以て示されるが、脱落とは精神的な自我忘却ではない。「悟迹の休歇」とは、悟ったあと方が残らない事を言い、その「悟迹を長長出」とは無辺際・無始本有を云うものであろうが、これは『真字正法眼蔵』五一則での「牛頭未見四祖時」話頭とも聯関するもので、無所得・無所悟を謂わんとするものである。

「人始めて法を求むる時、遥かに法の辺際を離却せり、法すでに己れに正伝する時、速やかに本分人なり」

これは先の仏道を習うを承けて、学人が初発心時に於いて仏法を究尽する時には、眼前する現成の真実に目を向けるばかりの状態を「法の辺際を離却」と言うわけであるが、心外無法を謂うものだが、求尽する法と一体不可分(正伝)する時には頓に、尽界と啐啄する如くの本来面目(本分)人と為るのである。

「人舟に乗りて往くに、目を巡らして岸を見れば、岸の移ると錯まる。目を親しく舟に就くれば、舟の進むを知るが如く、身心を乱想して、万法を辨肎するには、自心自性は常住なるかと錯まる。もし行李を親しくして、箇裏に帰すれば、万法の我にあらぬ道理明らけし」

これは日常底での身近な喩えを、「人・舟・岸」を例言として解き明かされるもので、これを現象学的身体論や認知心理学などで説明することも可能であるが、ここでは経豪和尚が適確な註解として「実にも岸を見るは、岸の移るように見、然而岸移らず船の進むが如く、身は無常、自心自性は常住の法と錯まる事。行かぬ岸を行くと見る程の邪見也。所詮、身心二つを各別と談ずべからず。常住と談ぜん時は、身心と共に常住なり。更に相違すべからずの法に此の道理を述べらる」(「曹洞宗全書」注解一・八下)と『御抄』にて説明されるが、一つの固定軸を設定し物事を見るとは万劫の繋驢橛に落ち込み、身動き取れぬ状況を危惧されるものであろう。この橛に捉われない為には「生活態度(行李)を改めなさい」と提言するものである。

「薪、灰となる、更に帰りて薪となるべきにあらず。しかあるを、灰は後、薪は先と見取すべからず、知るべし薪は薪の法位に住して、先あり後あり、前後ありと云えども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、後あり先あり、かの薪、灰となりぬる後、さらに薪とならざるが如く、人の死ぬる後、さらに生とならず」

この処も「舟・岸」の喩えの如く、「薪と灰」の前後関係で示され、一般的に合点しやすく例言としても引用される箇所であるが、この喩えは生死の全機を云うものであろう。薪を生・灰を死と捉えるメタファー(暗喩)技法を用いて、時間の矢の不可逆性を「前後際断」の語法で以て仏法の究理を説かれるのである。因みに人の体細胞の入れ替えは赤血球では数秒で何百万・身体では一日に4%の細胞・7年経てば骨細胞まで総入れ替えを為し、前後を振り返る余裕など細胞の世界では微塵もない。

「しかあるを、生の死になると云わざるは、仏法の定まれる習いなり、この故に不生と云う。死の生にならざる、法輪の定まれる仏転なり、この故に不滅と云う。生も一時の位なり、死も一時の位なり、喩えば冬と春との如し。冬の春となると思わず、春の夏となると云わぬなり」

「生→×死」を不生・「死→×生」を不滅と位置づけるが、この場合の不は絶対的真実を謂うもので、生は生きり・死は死きり。つまりは全機の道理であります。生の全機を「仏法の定まれる習い」と、また死の全機を「法輪の定まれる仏転」と対句で示されるが、美しい定理である。生も死も永続性はなく、その時々の在り方を「くらゐ(位)」と名づけ、季節の変遷を例えで以て、「冬と春」の関係を冬から春に変化するのではない事法を一法究尽の理法と解かしめるものだが、西有老人は「豆と豆腐」の例で説明(『啓迪』三二六頁)するが、妙案である。

「人の悟を得る、水に月の宿るが如し、月濡れず、水破れず、広く大きなる光にてあれど、尺寸の水に宿り、全月も弥天も草の露にも宿り、一滴の水にも宿る。悟の人を破らざる事、月の水を穿たざるが如し。人の悟を罣礙せざる事、滴露の天月を罣礙せざるが如し、深き事は高き分量なるべし。時節の長短は、大水小水を撿点し、天月の広狹を辨取すべし」

ここでは人と仏法との不可分を謂わんとするもので、ある人が悟りを得たとしても何ら自然現象に影響を及ぼすものでは無いことを、「水に月が影印しても、月が濡れる事はなく、水面が破損する事もない」。とは日常底・日々好日を説き、驕慢をも諫める趣向もあろうか。

その月の光は広大ではあるが、一尺(30㎝)一寸(3㎝)の水面に映り、満月でも天全体でも、草露や一滴水にも宿る事実と云うのは、ある人の悟りが他の人の悟りを破損する事がないと云うことは、月が水に穴を開けないようなものである。とは水全体が月であり、月全体が水と同化した状況を謂う。人が悟りを罣礙(邪魔)しない事と、一滴の露の水にも天の月を映す事に何の罣礙もない。とは人法無礙の道理を示されるものである。

「深い・高い」の分量は只同寸法で、悟りの時節がいつであるかは、大水小水の道理を撿点し、天月の広狹をも心得うべし。との論述は、やや言葉足らずの感が否めない説明であろうか。

   三

身心に法いまだ參飽せざるには、法すでに足れりと覺ゆ。法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずと覺ゆるなり。例えば船に乗りて山なき海中に出でて、四方を見るに、ただまろにのみ見ゆ、更に異なる相、見ゆることなし。しかあれどこの大海、まろなるにあらず方なるにあらず、残れる海徳、盡すべからざるなり。宮殿のごとし、瓔珞のごとし、ただわが眼の及ぶところ、しばらくまろに見ゆるのみなり。かれがごとく、萬法もまたしかあり。塵中格外、多く様子を帯せりといへども、參學眼力のおよぶばかりを見取會取するなり。萬法の家風を聞かんには、方圓と見ゆるより他に、残りの海徳山徳多く極まりなく、四方の世界あることを知るべし。傍らのみかくの如くあるにあらず、直下も一滴もしかあると知るべし。

魚の水を行くに、行けども水の際なく、鳥、空を飛ぶに飛ぶと云へども空の際なし。しかあれども魚、鳥、未だ昔より水、空を離れず。ただ用大の時は使大なり。用小の時は使小なり、かくの如くして頭頭に邊際を盡さずと云うことなく、處處に蹈翻せずと云ふことなしといへども、鳥もし空を出づれば、忽ちに死す。魚もし水を出づれば、忽ちに死す。以水爲命知りぬべし、以空爲命知りぬべし。以鳥爲命あり、以魚爲命あり、以命爲鳥なるべし、以命爲魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修證あり、その寿者命者あることかくの如し。しかあるを水を究め空を究めてのち、水空を往かんと擬する鳥魚あらんは、水にも空にも道を得べからず、處を得べからず。この處を得れば、この行李従ひて現成公案す。この道を得れば、この行李従ひて現成公案なり。この道この處、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、先よりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆゑに、かくの如くあるなり。

 

「身心に法未だ参飽せざるには、法すでに足れりと覚ゆ。法もし身心に充足すれば、一方は足らずと覚ゆるなり」

ここは先の「人、はじめて法を求むる時」に照応する箇所であるが、「身心」つまり全体的に仏法の参究が不充分な時には、驕慢心が作用して法が充分に得たような気になるもので、逆に年月を経て、仏法が充足する時には、頭(こうべ)は垂れるものである。筆者が味わった例示では、○○大学の〇〇学科を優秀な成績を修めた数年にも満たぬ僧衣生活の人物から、社会生活では有り得ない侮蔑を受けたが、法の参飽されない漢は自信と驕慢の区別が出来ないようである。

「例えば船に乗りて山なき海中に出でて、四方を見るに、ただ円にのみ見ゆ、更に異なる相、見ゆる事なし。しかあれどこの大海、円なるにあらず方なるにあらず、残れる海徳、尽すべからざるなり。宮殿の如し、瓔珞の如し、ただわが眼の及ぶ処、しばらく円に見ゆるのみなり。かれが如く、万法も又しかあり」

この例言は、実際に九州から寧波までの東シナ海域を実体験されての喩言で、海の真中では眼に礙られるものは無い為に、円(まろ)以外には想像できないものである。しかしながら円や四角と断言は許されず、一水四見のように海を「宮殿・瓔珞」のごとし。とも云えるが、自身の眼識に従うかぎり、しばらく円と見るものではあるが、万法に於いても然りである。

「塵中格外、多く様子を帯せりと云えども、参学眼力の及ぶばかりを見取会取するなり。万法の家風を聞かんには、方円と見ゆるより他に、残りの海徳山徳多く極まりなく、四方の世界ある事を知るべし。傍らのみかくの如くあるにあらず、直下も一滴もしか有ると知るべし」

「塵中」とは世間、「格外」とは出世間を指し、そこに集う人々には多様な様子を持っているが、そこでは参学の眼力の及ぶ範囲を識得するのであるが、これは人間は考える以上の物事は考え及ばない、と云うことであります。

「万法の家風」を覚知するには、先程の一水四見的見方で以て、「四方の世界あることを知るべき」であり、この四方の世界は外部に在るのではなく、自身の脚跟下にも一滴の水にも「海徳・山徳」がある事を知るべきであろう。

「魚の水を行くに、行けども水の際なく、鳥、空を飛ぶに飛ぶと云えども空の際なし。しかあれども魚、鳥、未だ昔より水、空を離れず。ただ用大の時は使大なり。用小の時は使小なり」

ここでは「魚=水・鳥=空」の一体不可分を説く例示ではあるが、述べんとする主意は学道人と仏法との一味態であり、仏法とは諸法実相でありますから、現成する実相は活計そのものであるから蔑ろに対処してはいけない、旨を解き示すわけである。但し其の状況に応じて魚鳥の例で云えば、大きく泳ぐ時小さく泳ぐ時・大きく飛ぶ時小さく飛ぶ時と、臨機応変に状況変化に合わせなければならない。とは、固定観念に縛られる無縄自縛に陥らない旨を暗示されるものであろう。

「かくの如くして頭々に辺際を尽さずと云う事なく、処々に蹈翻せずと云ふ事なしと云えども、鳥もし空を出づれば、忽ちに死す。魚もし水を出づれば、忽ちに死す。以水為命知りぬべし、以空為命知りぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり、以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修証あり、その寿者命者あること、かくの如し」

「頭々」はひとつひとつに自身の能力(辺際)を尽くさない事はなく、「処々」とその時々に於いて全力(蹈翻)を尽くさない事はないけれども、鳥は空を離れば即死し、魚は水から出れば直死する事は、魚は水を以て命と為し、鳥は空で以て命と為すと知るべきである。

この道理からは「以鳥為命・以魚為命・以命為鳥・以命為魚」なる表現もできよう。つまりは「魚と水・鳥と空」とは依正の関係ではなく、ともに尽十方界の上に於ける共助・共生の間柄なのである。

「このほかにも更なる進歩あり」とは、たとえば以水為水とも以鳥為鳥とも表明可能であり、「さらに修証あり」とは、以打坐為悟とも意向があろうし、その修証の実修する処では「寿者命者」の活計があるのである。

「しかあるを、水を究め空を究めて後、水空を往かんと擬する鳥魚あらんは、水にも空にも道を得べからず、処を得べからず。この処を得れば、この行李従いて現成公案す。この道を得れば、この行李従いて現成公案なり。この道この処、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、先よりあるにあらず、いま現ずるにあらざるが故に、かくの如くあるなり」

もし魚が水を究明し鳥が空を究尽して後に、水に泳ぎ空を飛ぼうとする魚鳥が居たとしたら、その魚鳥は水にも空にも活路を見い出し得ない。とするが、この喩えは看話禅を唱える者に対する揶揄とも受け止められる。

このように一心に究尽する処を得られれば、この日常(行李)底が眼前現成する真実の表われであり、この真実路を自覚できれば現成公案となるのである。

この真実路・真実処は、大小・自他の問題でも、前からの問題でも急に出てきた事でもなく、日常底そのことが真実である現成である。との論述であります。

   四

しかあるがごとく、人もし佛道を修證するに、得一法、通一法なり、遇一行、修一行なり。これにところあり、みち通達せるによりて、しらるゝきはのしるからざるは、このしることの、佛法の究盡と同生し、同參するゆゑにしかあるなり。得處かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。證究すみやかに現成すといへども、密有かならずしも現成にあらず、見成これ何必なり。

麻浴山寶徹禪師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、風性常住、無處不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。師いはく、なんぢたゞ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらずと。僧いはく、いかならんかこれ無處不周底の道理。ときに、師、あふぎをつかふのみなり。僧、禮拝す。

佛法の證験、正傳の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに、佛家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を參熟せり。 

 

「しかあるが如く、人もし仏道を修証するに、得一法、通一法なり、遇一行、修一行なり。これに所あり、みち通達せるによりて、知らるる際の知るからざるは、この知る事の、仏法の究尽と同生し、同参する故にしかあるなり。得処必ず自己の知見となりて、慮知られんずると習う事なかれ。証究速やかに現成すと云えども、密有必ずしも現成にあらず、見成これ何必なり」

法に於いては大小・自他・前後の関係なしに、学人がもし、仏道の修行と同時に仏の実証が行得することを、「得一法通一法(一法を得れば一法に通ず)・遇一行修一行(一行に遇った時は一行を修得す)」と表現するが、これは「得坐禅通作仏」(「曹洞宗全書」注解一・一五上)と云うは詮慧の言である。

「これに所あり」の所とは、得一法通一法の通達する処を「みち(路)」と云うものであるが、修行者自身には、その範囲が知り難いのは、この知ると云う行持と、「仏法の究尽の同時性と同参」とは、謂うなれば現今の宇宙空間は膨張し続ける為、観測(修行)者は決して宇宙の際を知るべからず。を喩うもの歟。

「得処」とは遇一行・修一行を得ても、それを決して自分自身の知見と、錯覚してはならない。と驕慢を誡めるものである。尽十方界での実証の究極である得処は、速やかに現成しているのであるが、密有(一切衆生悉有仏性の有)は必ずしも現成しているものではない。仏法の道理である何必(是什麽物と同義)は、人間の知見や判断などでは捉えられないものである。

「麻浴山宝徹禅師、扇を使う因みに、僧来たりて問う、風性常住、無処不周なり、何を以てか更に和尚扇を使う。師言く、汝ただ風性常住を知れりとも、未だ処として到らずと云う事なき道理を知らずと。僧云く、如何ならんか是れ無処不周底の道理。時に、師、扇を使うのみなり。僧、礼拝す」

「当巻」の締め括りとして、馬祖道一(709―788)法嗣者である麻浴宝徹(8世紀中葉―9世紀中葉)による具体的な修証例が示される。因みに『聯灯会要』四蒲州麻浴宝徹禅師章では「師使扇次。僧問、風性常、無処不周、和尚為甚麼、却使扇。師云、汝只知風性常動、且不知無処不周。云作麼生是無処不周底道理。師却扇。僧作礼」(「続蔵」七九・四五c一八)と多少異同が見られる。

宝徹禅師が扇を使いし時、僧が来て問う、風の本体は常住であり、無処不周であるが、何で更に和尚は扇を使うか。師が言うには汝は只、風性常住は知りつつも、未だ処として到らずと云う事は無い道理を知らず。僧云く、如何ならんか是れ無処不周底の道理。その時、師は扇を使うのみ。僧は礼拝す。

「仏法の証験、正伝の活路、それかくの如し。常住なれば扇を使うべからず、使わぬ折も風を聞くべきと云うは、常住をも知らず、風性をも知らぬなり。風性は常住なるが故に、仏家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり」

ここで道元は麻浴宝徹による、扇を介しての修証一等・得一法通一法・遇一行修一行を、「正伝の活路・仏法の証験」であると讃するが、謂うなれば僧は世間の風体を問うに対し、宝徹は仏家の風性で以て答話した古則である。

僧に対しては、風性は常住と云い扇を使わず、扇を使わなくても風は聞こえる。との僧の識得では、「常住をも風性をも知らぬなり」と、僧の未道得を嘆く文意であります。これは道元発心の縁語でもある本来本法性にも聯関され得る重要な課題であったのであろう。

最後に道元は、大地の黄金(穀類の繁茂)なるを現成せしめ、長河(揚子江)の水が蘇酪(上等の飲み物)を参熟せしむるは、仏家の調度である風性常住の為さしめる現成公案である。と解き明かすものである。

(終)

2021年4月25日 夕刻 5時すぎ

サムットプラカーン県(タイ国)にて 擱筆

 

※酒井得元老師提唱録、音声は提唱の冒頭部分です。最初から最後まで提唱をお聞きになりたい方は以下のアドレスまでご連絡ください。喜んで資料提供致します。karnacitta5746@yahoo.co.jp

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/sakaitokugen

正法眼蔵最古註解書(詮慧・経豪)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/01/01/000000_1

※酒井得元 現成公案  眼蔵提唱

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/12/13/152142

※石 井 清 純―「現成公案」 の意味

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/10/29/111110

※石 井 清 純―『正法眼蔵』「現成公案」の巻の主題について

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/10/29/111002

※古 田 紹 欽―現成公案の意義

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/10/29/110826

※水野弥穂子 これは水野弥穂子氏(『正法眼蔵』㈣「岩波文庫」解説)校注本巻末に記されたものを抜書したものであるが、一部修訂した。

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/08/05/085933

井筒俊彦「意識と本質」。「意識と本質」本文中より禅に関連する六・七章を抜き書きしたものである。

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/08/11/095215

※ダンマパダ(法句経)を読み解く    二谷正信

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/07/17/154119

※如淨語録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/nyojou-goroku

※宝慶記

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/houkyouki

※真字正法眼蔵 三百則

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/08/14/000000

※永平広録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/eiheikouroku

正法眼蔵随聞記

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2021/02/07/213417

 

   ―2025年(タイ仏暦2568)端月 吉日 六十八翁 擱筆

修訂版 正法眼蔵 第二「摩訶般若波羅蜜」を読み解く

修訂版 正法眼蔵 第二「摩訶般若波羅蜜」を読み解く

                              二谷正信(正韻信道)

     はじめに

「当巻」は「七十五巻本」に従うならば『現成公案』巻に続く第二巻であるが、その眼蔵大系からすると「現公」冒頭部「諸法の仏法なる時節」の諸法の具象例を「摩訶般若」冒頭にて「五枚の般若と十八枚の般若」を諸法と説く処に「正法眼蔵」全体を通脈する文体構造であろう歟。

また「奥書」に示される年時に従うなら天福元年(1233)に示衆し、懐奘による書写は10年以上経た寛元二年(1244)であることには何らかの事情が介在するのか。たとえば此の巻は「般若心経」という宗学者なら誰もが学ぶべき教材である故に、当初は「般若経」をベースに提示された草稿本が在ったが、訂正本にて「先師古仏云」が加味された為(時期は不詳)に懐奘に提出する時期が遅れ、結局越前吉峰寺にての書写作業となったものと推察する次第である。「先師古仏云」については文中にて詳述する。

「摩訶」とはmahaの音写語であり「大いなる・偉大なこと」に意訳されるが、梵本にはなく、般若に対する形容詞である。「般若波羅蜜」はprajna-paramitaの原語からすると般若波羅蜜が相当であるが、ここでは言語論を解くものではないので、略して一般読みにしたのであろう。

また我々は普段に「心経」と呼び慣わすが、梵本ではprajnaparamita-hrdayan samaptamとするので経sutraのカテゴリーではないのである。

   一

觀自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり。五蘊は色受想行識なり、五枚の般若なり。照見これ般若なり。この宗旨の開演現成するにいはく、色即是空なり、空即是色なり、色是色なり、空即空なり。百草なり、萬象なり。般若波羅蜜十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり、眼耳鼻舌身意、色聲香味觸法、および眼耳鼻舌身意識等なり。また四枚の般若あり、苦集滅道なり。また六枚の般若あり、布施淨戒安忍精進靜慮般若なり。また一枚の般若波羅蜜而今現成せり、阿耨多羅三藐三菩提なり。また般若波羅蜜三枚あり、過去現在未來なり。また般若六枚あり、地水火風空識なり。また四枚の般若、よのつねにおこなはる、行住坐臥なり。

「観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり」

「観自在」avalokitesvaraは観世音とも観音とも訳されるが、私のメモには観世音の場合は智慧を重視し、観音と訳す場合では大悲を強調するとある。「行深般若波羅蜜多時」gambhirayam prajnaparamitayam caryam caramanoこの提唱で謂う所は、摩訶般若の実際を表す者が「観自在菩薩」で、そこで深く深般若波羅蜜多を行ずる時には、「渾身」つまり体全体で以て五蘊pamca skanhas、5つの感覚は皆空と照見するのである。と冒頭にて「般若心経」を分節されます。

なお「渾身」の語は梵文にはなく道元自身の詞であるが、「渾」は後に説かれる先師古仏段にてのキーワードに連なる語である。また五蘊と空の間には自性svabhavaの語があるが玄奘(602―664)訳では抜け落ちるが、これは訳者の意図的な作業である。

五蘊は色受想行識なり、五枚の般若なり。照見これ般若なり。この宗旨の開演現成するに云く、色即是空なり、空即是色なり、色是色なり、空即空なり。百草なり、万象なり」

五蘊」の内訳を「色rupa(物質)・受vedana(感受作用)・想samjna(表象作用)・行samskara(意志作用)・識vijnana(認識作用)」と説明し、この五蘊は五枚の般若の真実態であると説く処から、この「巻」の眼蔵たる由縁であります。『般若心経』で説く五蘊の主意は、五蘊は実態なきものと説く処から「空」が生まれるわけですが、「眼蔵」では五蘊の感覚作用こそが現成する般若(智慧)とするものであり、さらには「照見」をも般若の範疇とするものである。

「色即是空」rupa sa sunyata「空即是色」sunyata tad rupan。ここまでが小本『般若心経』からの引用で、また最後部にて引用に供される。「般若経」は六百巻もの膨大な字数の経文を有するが、とどのつまりは「色↔空↔色」の等価を資するものであろう。

上の等式を更に煎じ詰めるなら、「色是色・空即空」であるとは一方究尽の理法であり、つまりは眼前現成する諸法を「百草・万象」と識得するものである。

般若波羅蜜十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり、眼耳鼻舌身意、色声香味触法、および眼耳鼻舌身意識等なり。また四枚の般若あり、苦集滅道なり。また六枚の般若あり、布施・浄戒・安忍・精進・静慮・般若なり」

「十二入」とは旧訳であり新訳では十二処とするが、ここでの「十二入」の内訳は眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六根+色境・声境・香境・味境・触境・法境の六境を「十二枚の般若波羅蜜」つまり実態なきものと認ずるものです。さらに六識である眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識を+して「十八枚の般若」と称するものである。

次に四諦である「苦duhkha集samdaya滅nirodha道marga」これは上座部で説く涅槃への道程であるが、大乗学派は「苦集滅道」的な階梯思惟を打ち砕く為「般若経」で以て、空の理法で「苦集滅道は無い」と説く経緯を有するが、道元は「苦集滅道」に従来の考えを踏襲せず「四枚の般若」とするは特筆に価いする。

次いで六波羅蜜である布施dana波羅蜜・浄(持)戒sila波羅蜜・安忍(忍辱)khyanti波羅蜜・精進virya波羅蜜・静慮(禅定)dhyana波羅蜜・般若prajna波羅蜜。これも先ほど同様、これまでの従来的解釈では寺院にお布施し自身は持戒を保ち、精進辦道すれば般若波羅蜜つまりサトリに到彼岸する。と云われてきたものを、実は一つ一つの行持そのものが般若(智慧)の現成である事と解き示すものである。

「また一枚の般若波羅蜜而今現成せり、阿耨多羅三藐三菩提なり。また般若波羅蜜三枚あり、過去現在未来なり。また般若六枚あり、地水火風空識なり。また四枚の般若、世の常に行なわる、行住坐臥なり」

「阿耨多羅三藐三菩提」anuttara samyaksambodhiは三世諸仏は般若波羅蜜多に依る故に阿耨多羅三藐三菩提を得る。とあるように、最終的般若波羅蜜を捉まえて「一枚の般若波羅蜜」と言う。

「過去・現在・未来」は『金剛般若経』で説く「過去心不可得・現在心不可得・未来心不可得」(「大正蔵」八・七五一b二七)を踏まえての言句であろうが、これも先の阿耨菩提と同じく全体俯瞰した仏語としての「般若波羅蜜三枚」と認ずるものである。

「地(大地)水(流体)火(欲求)風(自由)」の四大根本要素+空(虚空)+識(意識)。これらの要素の集合で世界lokaが成り立つ。とするエレメント自体を「般若六枚」とする。

「行・住・坐・臥」とは普段の日常であるが、この四要素で以て全体俯瞰する観察法で「四枚の般若」とするわけであるが、これまで説いた各様態を「般若」の智慧・真実と説くは、別の角度から表現すれば、「諸法の仏法なる時節」(「岩波文庫」㈠五三)に通脈するものであろう。

   二

釋迦牟尼如來會中有一苾蒭竊作是念、我應敬禮甚深般若波羅蜜多。此中雖無諸法生滅、而有戒蘊・定蘊・慧蘊・解脱蘊・解脱知見蘊施設可得、亦有預流果・一來果・不還果・阿羅漢果施設可得、亦有獨覺菩提施設可得、亦有無上正等菩提施設可得、亦有佛法僧寶施設可得、亦有轉妙法輪・度有情類施設可得。佛知其念、告苾蒭言、如是如是。甚深般若波羅蜜、微妙難測。而今の一苾蒭の竊作念は、諸法を敬禮するところに、雖無生滅の般若、これ敬禮なり。この正當敬禮時、ちなみに施設可得の般若現成せり。いはゆる戒定慧乃至度有情類等なり、これを無といふ。無の施設、かくのごとく可得なり。これ甚深微妙難測の般若波羅蜜なり。

経文の出典は『大般若経』二九一からの「爾時会中有一苾蒭―以下略」(「大正蔵」六・四八〇b一九)からです。爾時→釈迦牟尼如来に改めるのみですが、「大正蔵」での見→知見・告苾蒭→告苾蒭言・波羅蜜微妙→波羅蜜微妙へと改変するは意識的に行われたようである。

釈迦牟尼如来会中有一苾蒭竊作是念、我応敬礼甚深般若波羅蜜多。此中雖無諸法生滅、而有戒蘊・定蘊・慧蘊・解脱蘊・解脱知見蘊施設可得」

釈迦如来の会の中に一人の比丘(苾蒭)有り。竊(ひそか)に是の念(おもい)を作す。我(私)は深般なる若波羅蜜多を敬礼す。此の(甚深般若波羅蜜多)中には、諸法(四大五蘊・六根・六識・六界など)の生滅は無しと雖も、而も戒蘊・定蘊・慧蘊・解脱蘊・解脱知見蘊の(あつまり)としての法身(五分法身)の施設を得る。

「亦有預流果・一来果・不還果・阿羅漢果施設可得、亦有独覚菩提施設可得、亦有無上正等菩提施設可得、亦有仏法僧宝施設可得、亦有転妙法輪・度有情類施設可得。仏知其念、告苾蒭言、如是如是。甚深般若波羅蜜、微妙難測」

また預流果(よるか)srotapatti-phala須陀洹果(しゅだおんか)とも云い、聖者の初歩位・一来果(いちらいか)sakrdagami-phala斯陀含果(しだごんか)聖者の第二位・不還果(ふげんか)anagami-phala阿那含果(あなごんか)聖者の第三位・阿羅漢果arahattva-phala聖者(声聞)の最高位の施設の得るべきが有る。また独覚菩提(一人で法の真理をさとる)の施設の得るべきが有り、また無上正等菩提(阿耨菩提と同義)の施設の得るべきが有り、また仏法僧の三宝を施設の得るべきが有り、また転妙法輪の説法や有情の類いを済度の施設の得るべきが有る。釈迦仏は其の念(おもい)を知りて、比丘(苾蒭)に告げて言く、如是如是(sadhu sadhu)。甚深なる般若波羅蜜は微妙で測り難し。

而今の一苾蒭の竊作念は、諸法を敬礼する処に、雖無生滅の般若、これ敬礼なり。この正当敬礼時、因みに施設可得の般若現成せり。いわゆる戒定慧乃至度有情類等なり、これを無と云う。無の施設、かくの如く可得なり。これ甚深微妙難測の般若波羅蜜なり」

これが「般若経」に対する拈語になるものですが、経文での僧(比丘)は般若波羅蜜多に敬礼していながら、諸法の無を説く処を能所の分立と見立て、「諸法」=「敬礼」=「般若」の一味態を解き明かす所を「雖無生滅の般若、これ敬礼なり」と表態するもので、この所を『御抄』では「苾蒭も是念も敬礼も皆般若と談ずる也。是は雖も無も諸法も生も滅も皆般若と之を談ず」(「曹洞宗全書」注解一・一九下)と経豪和尚も述べられ、「諸法」と「般若」の同体を「この正当敬礼時、般若現成せり」と、諸法般若を解き明かすものである。

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/01/02/000000_1

次いで「戒定慧・解脱蘊などの五分法身・預流果などの四果・仏法僧宝などの度有情類等」を無と位置づけるが、この無は有仏性・無仏性などと云う「無」と等しく解するのであるが、西有氏は『啓迪』にて「実に妙じゃ、再三撈摝せよ」(二四八頁)と、無に対する意味づけを考慮されるものだが、道元禅師は、この「無の施設可得」そのものが「甚深」=「微妙難測」=「般若波羅蜜」と、形容詞そのものをも般若と談ずるのである。

   三

天帝釋問具壽善現言、大徳、若菩薩摩訶薩、欲學甚深般若波羅蜜多、當如何學。善現答言、憍尸迦、若菩薩摩訶薩、欲學甚深般若波羅蜜多、當如虚空學。しかあれば、學般若これ虚空なり、虚空は學般若なり。

先来からの経典続文になります。

「天帝釈問具寿善現言、大徳、若菩薩摩訶薩、欲学甚深般若波羅蜜多、当如何学」

天帝釈は具寿善現(須菩提)に問うて言く、大徳、若し菩薩摩訶薩が、欲学甚深なる般若波羅蜜多を学ばんと欲せば、如何に学するか。

「天帝釈」indraは元々バラモン教ヒンドゥー教に見られる武神であり、仏教では守護神として梵天と共に天部衆に属す。須弥山上の忉利天に住し居城を善見城という。人間界での名を「憍尸迦kausika」とする。「具寿善現」は須菩提subhutiの訳名であり、具寿は尊称。釈迦十大弟子の一人、解空第一。

「善現答言、憍尸迦、若菩薩摩訶薩、欲学甚深般若波羅蜜多、当如虚空学。しかあれば、学般若これ虚空なり、虚空は学般若なり」

善現(須菩提)が答えて言うには、憍尸迦(天帝釈)よ、甚深なる般若波羅蜜多を学せんと欲わば、当に虚空の如く学すべし。

そういうわけであるから、「学般若」⇆「虚空」である。とは般若は真実・智慧・諸法で、虚空とは無尽蔵を意味するので、互いに無罣礙なる無所得・無所悟を謂わんとするものである。

天帝釋、復白佛言、世尊、若善男子善女人等、於此所説甚深般若波羅蜜多、受持讀誦、如理思惟、爲佗演説、我當云何而守護。唯願世尊、垂哀示教。爾時具壽善現、謂天帝釋言、憍尸迦、汝見有法可守護不。天帝釋言、不也、大徳、我不見有法是可守護。善現言、憍尸迦、若善男子善女人等、作如是説、甚深般若波羅蜜多、即爲守護。若善男子善女人等、作如所説、甚深般若波羅蜜多、常不遠離。當知、一切人非人等、伺求其便、欲爲損害終不能得。憍尸迦、若欲守護、作如所説。甚深般若波羅蜜多、諸菩薩者無異、爲欲守護虚空。しるべし、受持讀誦、如理思惟、すなはち守護般若なり。欲守護は受持讀誦等なり。

出典籍は先来からの『大般若経』二九一(「大正蔵」六・四八〇c二)である。

「天帝釈、復白仏言、世尊、若善男子善女人等、於此所説甚深般若波羅蜜多、受持読誦、如理思惟、為他演説、我当云何而守護。唯願世尊、垂哀示教」

天帝釈は、また仏に白して言う、世尊、若しも仏教徒である善男子善女人等が、於此(ここ)で説く所の甚深般若波羅蜜多に於いて、受持読誦し、理の如く思惟し、他人の為に演説せんには、我れ当に云何に守護すべきか。唯世尊、哀れみを垂れて教え示すを願わん。

「爾時具寿善現、謂天帝釈言、憍尸迦、汝見有法可守護不。天帝釈言、不也、大徳、我不見有法是可守護」

その時、具寿善現(須菩提)は、天帝釈に謂って言く、憍尸迦(天帝釈の名)、汝は法の可守護すべきが有るを見るや不や。天帝釈言く、見ません(不也)、大徳(須菩提)。我れは法の是れ守護す可き有るを見ず。

「善現言、憍尸迦、若善男子善女人等、作如是説、甚深般若波羅蜜多、即為守護。若善男子善女人等、作如所説、甚深般若波羅蜜多、常不遠離。当知、一切人非人等、伺求其便、欲為損害終不能得。憍尸迦、若欲守護、作如所説。甚深般若波羅蜜多、諸菩薩者無異、為欲守護虚空」

善現(須菩提)言く、憍尸迦(天帝釈)、若し(仏教徒である)善男子(優婆塞)善女人(優婆夷)等が、是の如くの説(受持読誦・如理思惟)を作すなら、甚深なる般若波羅蜜多は、即(これ)を守護と為す。若し善男子善女人等が、所説の如く作さば、甚深なる般若波羅蜜多は、常に遠く離れず。当に知るべし、一切の人と非人と呼ばれる彼等が、其の便りを伺い求め、終には損害を得るは能わず。憍尸迦、若し(般若波羅蜜多を)守護せんと欲わば、所説の如く作すべし。甚深般若波羅蜜多は、諸菩薩と異なること無く、守護(守護しようと思うこと)が虚空と為す。

「知るべし、受持読誦、如理思惟、即ち守護般若なり。欲守護は受持読誦等なり」

これが「般若経文」に対する拈提であるが、真理の経典を「受持読誦」し、「如理思惟」することが、般若(智慧・真実・諸法)を守護することである。とは、守護の道理を如何が守護すべし。と説く「如何」には什麽物をも包含する「受持・読誦・如理・思惟・為他・演説」等々が現在しているわけであるから、その総称としての般若を守護すると云う論理であります。

   四

先師古佛云、渾身似口掛虚空、不問東西南北風、一等爲佗談般若。滴丁東了滴丁東。これ佛祖嫡々の談般若なり。渾身般若なり、渾佗般若なり、渾自般若なり、渾東西南北般若なり。

ここで扱う古則は先師と仰ぐ天童如浄による「風鈴」と題する偈頌が元になる。

「先師古仏云、渾身似口掛虚空、不問東西南北風、一等為他談般若。滴丁東了滴丁東」

この出典籍とされる『如浄語録』https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/nyojou-gorokuでは「口掛虚空、不東西南北風、一等与談般若。滴丁東了滴丁東」(「大正蔵」四八・一三二b一五)と、多少の異同がある。「当巻」示衆年は天福元年(1233)であるから、如浄語録が到来するのは仁治三年(1242)であるから、「如浄本」は参照できない。

参照した資料となれば在宋時での如浄との問答集である『宝慶記』二十九則での「適承和尚風鈴頌、末上句云、渾身似口掛虚空。落句云、一等与他談般若」を見てのものであろうか。同じ『宝慶記』のなかでは、「和尚の風鈴の頌は、最好中之最上で、諸方の長老は、縱い三祇劫を経ても、亦及ぶこと能わず也」と絶賛するわりには、「上堂説法」・「眼蔵提唱」では「当巻」のみでの風鈴頌を援用されるものであるが、『虚空』巻のみに「先師天童古仏道、渾身似口掛虚空。あきらかにしりぬ、虚空の渾身は虚空にかかれり」(「岩波文庫」㈢四一一)と初句のみ援用されるが、この巻は寛元三年(1245)大仏寺での示衆とされるが、この時点では『如浄語録』は確認できるにも拘わらず、「通身是」ではなく「渾身似」を使用される。

この意味する処は、如浄の説話では各種の発話バリエーションがあり、『如浄語録』での「偈頌」を編集した侍者である徳禅が見聞した風鈴頌は「口掛虚空、不東西南北風」であり、道元が見聞した時には「口掛虚空、不東西南北風」であったのであろう歟。

そのバリエーションとして『永平広録』九頌古五十九則では㈠「渾身似口掛虚空、不問東西南北風、一等与他談般若」とともに、㈡「渾身是口判虚空、居起東西南北風。一等玲瓏談己語」の二種が提示される。

「滴丁東了滴丁東」に関しては、風鈴の擬声語であるが『御抄』では「チイチイトウトウ」(「曹洞宗全書」注解一・二二上)、「岩波文庫」㈠六八の水野注では「ていちんとんりゃん」と記され、ほかには「チンテントン」・「てきていとうりょう」と様々に記される。

いま一つ気になることは、先の『宝慶記』同所にて「堂頭和尚慈誨云、謂虚空者般若也」の一文である。これは先ほどの「虚空は般若なり」に通ずるものであるが、如浄言を元に『般若経』文を選択したようにも見られるが、偶然の一致の仕業であろう歟。

「これ仏祖嫡々の談般若なり。渾身般若なり、渾他般若なり、渾自般若なり、渾東西南北般若なり」

これが風鈴頌に対する評著で、「虚空=仏祖=般若」の構図を「仏祖嫡々の談般若」と位置づけ、同義句として「渾身・渾他・渾自・渾東西南北」の各々に般若を附すことで、般若の全身般若になり切るを指し示すものと考えられる。

   五

釋迦牟尼佛言、舎利子、是諸有情、於此般若波羅蜜多、應如佛住供養禮敬。思惟般若波羅蜜多。應如供養禮敬佛薄伽梵。所以者何。般若波羅蜜多、不異佛薄伽梵、佛薄伽梵、不異般若波羅蜜多。般若波羅蜜多、即是佛薄伽梵。佛薄伽梵、即是般若波羅蜜多。何以故。舎利子、一切如來應正等覺、皆由般若波羅蜜多得出現故。舎利子、一切菩薩摩訶薩・獨覺・阿羅漢・不還・一來・預流等、皆由般若波羅蜜多得出現故。舎利子、一切世間十善業道・四靜慮・四無色定・神通、皆由般若波羅蜜多得出現故。

しかあればすなはち、佛薄伽梵は般若波羅蜜多なり、般若波羅蜜多は是諸法なり。この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不淨、不増不減なり。この般若波羅蜜多の現成せるは佛薄伽梵の現成せるなり。問取すべし、參取すべし。供養禮敬する、これ佛薄伽梵に奉覲承事するなり。奉覲承事の佛薄伽梵なり。

まずは経文の出典は『大般若経』一七二(「大正蔵」五・九二五a八)であり、「仏言」→「釈迦牟尼仏言」と改め、一方「応如供養礼敬思惟仏薄伽梵」→「応如供養礼敬仏薄伽梵」と一部欠落が確認できるが、これは書写ミスなどではなく、前句の「思惟」と重言になることから、意識的にスムーズに解読できるようにと削除したものと考えられる。

釈迦牟尼仏言、舎利子、是諸有情、於此般若波羅蜜多、応如仏住供養礼敬。思惟般若波羅蜜多。応如供養礼敬仏薄伽梵」

釈迦牟尼仏言く、舎利子(sariputra)、是の諸の有情は、此の般若波羅蜜多に於いては、仏の住するが如くに、般若波羅蜜多を供養し礼敬し思惟し、仏薄伽梵(bhagavatの音訳で仏の通号であり、以下世尊とする)を供養し礼敬するが如くにすべし。

「所以者何。般若波羅蜜多、不異仏薄伽梵、仏薄伽梵、不異般若波羅蜜多。般若波羅蜜多、即是仏薄伽梵。仏薄伽梵、即是般若波羅蜜多。何以故」

所以者何(つまりは)、般若波羅蜜多は、仏世尊とは異ならず、仏世尊は、般若波羅蜜多とは別ではない。般若波羅蜜多は即ち是れ仏世尊であり、仏世尊は、即ち是れ般若波羅蜜多である。何れの故で以てか。

「舎利子、一切如来応正等覚、皆由般若波羅蜜多得出現故。舎利子、一切菩薩摩訶薩・独覚・阿羅漢・不還・一来・預流等、皆由般若波羅蜜多得出現故。舎利子、一切世間十善業道・四静慮・四無色定・神通、皆由般若波羅蜜多得出現故」

舎利子(舎利弗)、一切の如来である応正等覚は、皆般若波羅蜜多に由りて、出現するを得るが故に。舎利子、一切の菩薩摩訶薩(大心有情)・独覚(一人でさとる人・縁覚も同)・阿羅漢(四果の最高位)・不還(第三果・前出)・一来(第二果・前出)・預流(初果・前出)などは、皆般若波羅蜜多に由りて、出現するを得るが故に。舎利子、一切の世間の十善業道(不殺・不邪婬・不妄語・不両舌・不悪口・不綺語・不貪・不瞋・不邪見)・四静慮(色界の四禅定)・四無色定(無色界の四空定)・神通(天眼・天耳・他人・宿命・神境)なども、皆般若波羅蜜多に由りて、出現するを得るが故に。

「しかあれば即ち、仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり、般若波羅蜜多は是諸法なり。この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不浄、不増不減なり。この般若波羅蜜多の現成せるは仏薄伽梵の現成せるなり。問取すべし、参取すべし。供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり。奉覲承事の仏薄伽梵なり」

これまで述べてきた事実からして、「仏薄伽梵(世尊)―般若波羅蜜多―是諸法」の関係は、異句同義語化された一味同態であり、「この諸法」とは冒頭で示された五蘊や十八枚の般若と称する六根・六境・六識等を「是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減」(sarva-dharma sunyata-laksnaantpanna aniruddha amala-vimala-anuna naparipurunah)なり。と冒頭での「色即是空、空即是色」に聯関させる文体構成は、起承転結ならぬ結起承結とでも謂った構文に仕上げられます。

「当巻」の締め括りとして、この般若波羅蜜多である是諸法が現成する事実を、仏薄伽梵(世尊)が現成するなり。と述べられるが、謂う所は眼前(尽十方界)に現成する事物・事象の真実底を般若とも仏とも称するものであり、この真実を問い・参じなさい。と、眼の前の事実を把握しなさい、との言であります。

経文の如くに、甚深なる般若波羅蜜多を供養(pujana)し、礼拝し、敬う事は、仏世尊に奉覲(拝見)し承事(おつかえ)する。とは、仏世尊を真実・奉覲承事を是諸法と解しても差し障りなかろう。言句のベクトル向きを替え、「奉覲承事の仏薄伽梵なり」と重用するは、一方向性に偏向させずの配慮と推察するが、「奉覲承事」なる詞は『般若経』典などに頻出すると思いきや、「大正蔵データベース」(sat)にて検索するに、『四童子三昧経』(「大正蔵」一二・九三五中)のみで、道元禅師による造語として扱っても善さそうであります。

なお本文ではサンスクリット読みをローマンナイズで記載するも、長音記号等の処理ができなかった。これは筆者のパソコン不慣れであります。

(終)

 

2021年4月3日

暑気を迎えたパトゥンタニにて

午前11時前 タイ国にて擱筆

 

※酒井得元ー摩訶般若波羅蜜 提唱録(文字起こし)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/12/13/151920

※「御聴書抄」―詮慧・経豪による最古の註解書

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/01/02/000000_1

※賴住 光子―『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻に関する一考察

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/05/13/112844

※如浄録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/nyojou-goroku

※宝慶記

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/houkyouki

※真字正法眼蔵 三百則

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/08/14/000000

※永平広録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/eiheikouroku

※酒井得元老師提唱録、下の音声は提唱の冒頭部分です。最初から最後まで提唱をお聞きになりたい方は以下のアドレスまでご連絡ください。喜んで資料提供致します。karnacitta5746@yahoo.co.jp

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/sakaitokugen

※水野弥穂子 未完の大著 (正法眼蔵) これは水野弥穂子氏(『正法眼蔵』㈣「岩波文庫」解説)校注本巻末に記されたものを抜書したものであるが、一部修訂した。

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/08/05/085933

 

    ―タイ仏暦2568年(2025)2月2日 六十八老漢 擱筆

修訂版   正法眼蔵 第三「仏性」を読み解く

修訂版   正法眼蔵 第三「仏性」を読み解く

                          二谷正信(正韻信道)

   はじめに

道元禅師(以下禅師の尊号は略す)の「仏性」に関する論評は、内外の知識人らにより論じ尽くされていると謂った感がない訳では無いが、あらためて小拙の一言を呈する次第である。

奥書によれば『仏性』巻は仁治二年(1241)十月十四日の興聖寺に於いて提唱され、後に懐奘に草稿を手渡し、二年後の仁治四年(1243)一月十九日に書き写し、道元遷化後五年の正嘉二年(1258)四月二十五日に修訂したテキストが、現在伝わるものである。

此の再治の期間は判然とはしないが、僧団による越前への移錫は寛元元年(1243)七月十六日と『建撕記』(「河村本」四五頁)に記されることから、再治期間と天台僧徒からの弾圧による破壊とが一致する事実は、道元の観る世界からは能所による観法は、介在する余地が無いことを意味するものであろう。

釈迦牟尼仏言、一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易。

これ、われらが大師釈尊の獅子吼の転法輪なりといへども、一切諸仏、一切祖師の頂□(寧+頁)眼睛なり。参学しきたること、すでに二千一百九十年(当日本仁治二年辛丑歳)、正嫡わづかに五十代(至先師天童浄和尚)、西天二十八代、代々住持しきたり、東地二十三世、世世住持しきたる。十方の仏祖、ともに住持せり。

世尊道の一切衆生、悉有仏性は、その宗旨いかん。是什麽物恁麽来の道転法輪なり。あるいは衆生といひ有情といひ群生といひ群類といふ。

悉有の言は衆生なり、群有也。すなはち悉有は仏性なり。悉有の一悉を衆生といふ。正当恁麽時は、衆生の内外すなはち仏性の悉有なり。単伝する皮肉骨髄のみにあらず、汝得吾皮肉骨髄なるがゆゑに。

しるべし、いま仏性に悉有せらるる有は、有無の有にあらず。悉有は仏語なり、仏舌なり。仏祖眼睛なり、衲僧鼻孔なり。悉有の言、さらに始有にあらず、本有にあらず、妙有等にあらず。いはんや縁有・妄有ならんや。心・境・性・相等にかかはれず。しかあればすなはち、衆生悉有の依正、しかしながら業増上力にあらず、妄縁起にあらず、法爾にあらず、神通修証にあらず。もし衆生の悉有それ業増上および縁起法爾等ならんには、諸聖の証道および諸仏の菩提、仏祖の眼睛も業増上力および縁起法爾なるべし。しかあらざるなり。尽界はすべて客塵なし、直下さらに第二人あらず。直截根源人未識、忙忙業識幾時休なるがゆゑに。妄縁起の有にあらず、徧界不曾蔵のゆゑに。徧界不曾蔵といふは、かならずしも満界是有といふにあらざるなり。遍界我有は外道の邪見なり。本有の有にあらず、互古互今のゆゑに。始起の有にあらず、不受一塵のゆゑに。条々の有にあらず、合取のゆゑに。無始有の有にあらず、是什麽物恁麽来のゆゑに。始起有の有にあらず、吾常心是道のゆゑに。まさにしるべし、悉有中に衆生快便難逢なり。悉有を会取することかくのごとくなれば、悉有それ透体脱落なり。

仏性の言をききて、学者おほく先尼外道の我のごとく邪計せり。それ、人にあはず、自己にあはず、師をみざるゆゑなり。いたづらに風火の動著する心意識を仏性の覚知覚了とおもへり。たれかいふべし、仏性に覚知覚了ありと。覚者知者はたとひ諸仏なりとも、仏性は覚知覚了にあらざるなり。いはんや諸仏を覚者知者といふ覚知は、なんだちが云々の邪解を覚知とせず、風火の動静を覚知とするにあらず。ただ一両の仏面祖面、これ覚知なり。

往々に古老先徳、あるいは、西天に往還し、あるいは人天を化道する、漢唐より宋朝にいたるまで、稲麻竹葦のごとくなる、おほく風火の動著を仏性の知覚とおもへる、あはれむべし、学道転疎なるによりて、いまの失誤あり。

いま仏道の晩学初心、しかあるべからず。たとひ覚知を学習すとも、覚知は動著にあらざるなり。たとひ動著を学習すとも、動著は恁麽にあらざるなり。もし真箇の動著を会取することあらば、真箇の覚知覚了を会取すべきなり。仏之与性、達彼達此なり。仏性かならず悉有なり、悉有は仏性なるがゆゑに。悉有は百雑砕にあらず、悉有は一条鉄にあらず。拈拳頭なるがゆゑに大小にあらず。すでに仏性といふ、諸聖と斉肩なるべからず、仏性と斉肩すべからず。

ある一類おもはく、仏性は草木の種子のごとし。法雨のうるひしきりにうるほすとき、芽茎生長し、枝葉花菓もすことあり。果実さらに種子をはらめり。かくのごとく見解する、凡夫の情量なり。たとひかくのごとく見解すとも、種子および花果、ともに条々の赤心なりと参究すべし。果裏に種子あり、種子みえざれども根茎等を生ず。あつめざれどもそこばくの枝条大囲となれる、内外の論にあらず、古今の時に不空なり。しかあれば、たとひ凡夫の見解に一任すとも、根茎枝葉みな同生し同死し、同悉有なる仏性なるべし。

釈迦牟尼仏言、一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易」

この引用経典は涅槃経文(三十六巻本『大般涅槃経』二五慧厳訳「大正蔵」一二・七六七a二九)ではあるが、ほかには曇無讖訳(四十巻本『同経』二六・五二二c二四)にも同文が見られ、ともに「獅子吼菩薩品」に収められる。前記の前後の文句では「衆生具足安住尸波羅蜜故。故師子吼。師子吼者名決定説。一切衆生悉有仏性如来常住無有変易。善男子。声聞縁覚雖復随逐如来世尊 無量百千阿僧祇劫」と記されるを、引用したものである。

この『仏性』巻は十四段に分けるものであるが、冒頭段では主に「悉有仏性」に対する考察となるが、ここでのキーポイントは唯心論的な仏性実体論を説くのではなく、本来空性からのアプローチで以ての「仏性論」を説かんとする主旨である。因みに「無有変易」の読みを、ほとんどの解説書は「むうへんやく」とルビを打つが、禅宗門では読み癖で「むうへんい」と発音するようである(『啓迪』一八一頁参照)。

「これ、われらが大師釈尊の獅子吼の転法輪なりといへども、一切諸仏、一切祖師の頂□(寧+頁)眼睛なり」

「獅子吼の転法輪」との表述は、前記で示された「獅子吼とは決定の説と名づく」から捩った引用表記となります。次いで「釈尊」=「一切諸仏」=「一切祖師」との等同性を提示し、その具象を「頂□(寧+頁)」「眼睛」の部位で以て代替する用法である。

「参学しきたること、すでに二千一百九十年(当日本仁治二年辛丑歳)、正嫡わづかに五十代(至先師天童浄和尚)、西天二十八代、代々住持しきたり、東地二十三世、世世住持しきたる。十方の仏祖、ともに住持せり」

先述するように、この文言は再治本のものであり、「東方→東地」「五家祖師→十方の仏祖」と書き改めたものである。

「2190年は日本の仁治二(1241)年に当たる」とするが、この表述は『安居』の巻(寛元三(1245)六月十三日大仏寺示衆)でも「しかありしよりこのかた、すでに2194年(当日本寛元三年乙已歳)なり」(「岩波文庫」㈢四二六)と示される。この数字は釈迦入滅を穆王の五十二年壬申の歳の二月十五日。との『景徳伝灯録』一の紀元前949年入滅説(「大正蔵」五一・二〇五c一九)を援用される数字である。

「西天二十八代」とは、インド初祖の摩訶迦葉から菩提達磨までの28人。「東地二十三世」とは、震旦初祖の達磨から先師の如浄までの23人を示すが、これは『仏祖』の巻にても「如浄大和尚東地廿三代」(「岩波文庫」㈢一六五)とするが、『仏道』の巻にては「西天二十八代、東地二十二祖」(「同」㈢二八)とする所を勘案すると、代と世と祖の使い分けの算術が見受けられるようである(拙著「正法眼蔵仏道を読み解く」参照のこと)。

「世尊道の一切衆生、悉有仏性は、その宗旨いかん。是什麽物恁麽来の道転法輪なり」

草稿本では「その宗旨いかなるべきぞ一切衆生は→その宗旨いかん」(、削除・以下同)。

これから提唱の本体に入ります。先に提示した『涅槃経』にいう「一切衆生悉有仏性=是什麽物恁麽来」との同等性を唱え、その意味する処(宗旨)は法輪が転じ続けるを道う。謂う所は「一切⇆衆生⇆悉有⇆仏性⇆什麽」の円環性で以て、突出した事々を示す真実態を嫌い、一切が如来常住の無有変易を謂わんとするものである。

因みに「是什麽物恁麽来」の語源は、六祖慧能(638―713)が南嶽懐譲(677―744)に問うた語句であるが、これは単なる素姓を聞き及んだのではなく、「このように来たっている」(仏性)とは何だ。とも置き換え可能なもので、道元は当巻以外でも『恁麽』『古鏡』『画餅』『仏経』『法性』の各巻で拈提にて示される。

「あるいは衆生と云い、有情と云い、群生と云い、群類と云う。悉有の言は衆生なり、群有也。すなわち悉有は仏性なり、悉有の一悉を衆生と云う」

「悉有の言は衆生なり」の草稿本では「悉有の言まさに審細にすべし。悉は悉皆の宗旨あり、悉は知なる道理もあるべし、悉は照なりと説著せる道理もあり。たとひ悉皆なりともたとひ悉知なりとも悉照なりとも、いまの衆生を悉有する道理には違せざるべし、悉有の言を(衆生なり群有なり。)すなはち衆生と学する道理もあり、いまは仏性を一切衆生に悉有ならしんるなり、(悉有は仏性なり、悉有の一悉を衆生といふ)」(()は加筆・以下同)このように、大幅に訂正を加えて、我々が眼にする眼蔵文になったものですが、悉有に対する意味説明を当初は試みるも、簡潔化を計る意図が見られ、思考過程が垣間見え興味深いものである。

南嶽の什麽(真実態)物に対する即答が出来ず、八年後に示した「説似一物即不中」の具象なる「一物」を、「衆生―有情―群生―群類」の什麽物を現前させるもので、謂わば南嶽を代弁するかのようである。

さらに「①一切➁衆生➂悉有➃仏性」を一旦解体し、新たに➂+➁「悉有の言は衆生なり」と新たな意味構築をされ、さらに「群有」なる語を付加することで、一物の一類にされます。そこで改めて➂+➃「悉有仏性なり」と従来からの悉く仏性有りを抛却し、悉有=仏性の同時同態に導かれます。次いで➂+➁「悉有の一悉を衆生」と、什麽物の一類とするわけである。

「正当恁麽時は、衆生の内外すなわち仏性の悉有なり。単伝する皮肉骨髄のみにあらず、汝得吾皮肉骨髄なるがゆえに」

 この箇所も草稿では「正当恁麽時は衆生の内外これ(すなはち仏性の悉有なり。あらたに単伝する皮肉骨髄あるべからず(のみにあらず汝得髄なるがゆへに、汝得吾骨なるがゆへに、汝得吾肉なるがゆへに、汝得吾皮なるがゆへに(皮肉骨髄なるがゆへに)」と、先ほど同様に、文章の簡素化が計られる。

 当巻に於ける序言の小結語として「正当恁麽時」まさにその時には、衆生の内も外も、即ち仏性そのものであり悉有である。と断言される所に道元の本源底が感ぜられるものである。

 「単伝」とは聞き慣れない語句で、伝とは相対する事物事象が在って、伝するのではあろうが、真に相承する場合では「単伝する皮肉骨髄」と「汝得吾皮肉骨髄」は相互補完的関係を示すものである。

 因みに最古の註釈書である詮慧の『聞書』では「単伝と云うは、何れこそ承け伝うと云わず、衆生の内外仏性の悉有なる単伝なり。汝にあらず、誰にあらずとも云わる、ゆえに単伝する皮肉骨髄なり。汝すなわち誰なり、誰又汝なり、ゆえに衆生に仏性ありと云う、ゆえに汝得吾皮肉骨髄也」(「曹洞宗全書」注解一・二九下・は筆者以下同)と註解される見解では「仏性―悉有―単伝」する連続態と捉えるようです。さらに弟子の経豪による『抄』では「単伝する皮肉骨髄のみにあらずと云うは、物を相対せず、隔つる所なく、やがて其の理の上に単伝する皮肉骨髄とは可云歟」(「前掲書」二六)と書き添えられる。

 今一つ筆者、酒井得元(1912―1996)老師のテープを随聞する度に、「単伝という詞は面白い言葉で、道元禅師独特のおことばと、受けとってよろしい」との言辞ではありますが、『大正大蔵経データベース』SATにて検索すると260箇所ヒットし、『圜悟語録』では12所、『碧巌録』でも8所に亘り見出される状況下では、宋代の禅家人たちも単伝語は口外されていたものと思われる。また『七十五巻・十二巻』正法眼蔵に於いては45箇所で確認されるを記す。

「知るべし、いま仏性に悉有せらるる有は、有無の有にあらず。悉有は仏語なり、仏舌なり。仏祖眼睛なり、衲僧鼻孔なり」

 悉有は以下草稿本では「有無の有に相似せる論におよばず。もし有無の有に相似せしめんとするは随語の情解に堕在せるなり。いまだ解脱の学にあらず、悉有よく(仏語を参学すべし。さらに外道および論師の少見をならふべからず(なり仏舌なり仏祖眼睛なり衲僧鼻孔なり)」このように悉有の当体は「仏舌・仏祖眼睛・衲僧鼻孔」であると、多義なる修飾語を削除した文章に仕立て上げられたものである。ここで示す連関句は「①一切➁衆生➂悉有➃仏性」での関係性を説くものである。

「悉有の言、さらに始有にあらず、本有にあらず、妙有等にあらず。いわんや縁有・妄有ならんや。心・境・性・相等にかかわれず」

 縁有妄有以下の草稿本は「縁有妄有にかかはれんや、悉有はるかに、かくのごとくの境界にあらざるなり(ならんや)、心境性相等にかかはれず

 先述は悉有の具体事例を眼睛等に示し、今回は悉有の本源は「始有・本有・妙有・縁有・妄有」と呼称される謂わば仏教学用語を以ての説明を「あらず・」と断言されますが、この意趣は言語の固定化・概念化を嫌い、十成を忌む仏道から導かれたものとも考えられる。また「心・境」(主体と外部)や「性・相」(本体と外相)などの名目ともどもに、悉有とは拘わらない。

「しかあればすなわち、衆生悉有の依正、しかしながら業増上力にあらず、妄縁起にあらず、法爾にあらず、神通修証にあらず」

 草稿本では「神通修証にあらず」の語はなく、再治本により添語された語句である。

 ここでは「①一切➁衆生➂悉有➃仏性」での➁―➂に該当する衆生―悉有の関係性を示すものである。

 悉有仏性は仏言として皆が合点するところであるのに対し、「衆生悉有」も仏言として「依正」つまり環境と身体との一体不可分の連続態としての衆生―悉有―依報正報であると。そこでは先述同様に「業増上力・妄縁起・法爾・神通・修証」(業に増上されるもの・間違った縁起生・自然としての法・不可思議力・修行とさとり)と云った個別概念は介在しないのである。

「もし衆生の悉有それ業増上および縁起法爾等ならんには、諸聖の証道および諸仏の菩提、仏祖の眼睛も業増上力および縁起法爾なるべし。しかあらざるなり」

 草稿と再治との違いは「法爾等ならば」→「法爾等ならんには」のみである。

 この所も先の述語の語調を変え、「業増上・縁起・法爾」等を以てしても、「諸聖の証道・諸仏菩提・仏祖眼睛」などは何ら解決されない。との釈ですが、証道・菩提・眼睛を只管打坐に置き換えて考えますと、坐禅と業増上・縁起・法爾とは別物である事に気づかされます。

「尽界はすべて客塵なし、直下さらに第二人あらず。直截根源人未識、忙忙業識幾時休なるがゆえに」

 草稿文では、先の文と此の文の間には「いたづらに小見孤疑のやから仏見法見をもて、しばらく仏辺究竟所ととするがゆえに、かくのごとく邪解のあるなり。すでに業増上力にあらず、いはゆるいかなる業、いかなる業を増上せしむべきに世(尽)界はすべて」と、「小見孤疑」に対する文字の削除をする。

 「尽界はすべて客塵なし」の「尽界」は悉有と同義語であり、「客塵」の客は外界、所縁の境を云い、塵とは六塵を指すが、ここでは尽界(悉有)に於いては外部よりの煩悩の塵はなし。との意である。

 「直下さらに第二人あらず」の「第二人」とは、『辦道話』第十七問答では「問うて云く、―略―釈迦大師は明星を見し時、道を証し云々。示して云く、古今に見色明心し、聞声悟道せし当人、ともに辦道に擬議量なく、直下に第二人なきことを知るべし」と示される、この「第二人」である。また『永平広録』八・小参8では「古聖(黄檗)道、決定不流至第二念、就中方入我宗門」(酒井得元「正法眼蔵」仏性の巻64頁参照)との古則に対する道元の拈語である「決定不流至第一念、決定不流至無念、諸人恁麼參学始得」をみれば、第二念をも第一念をも、さらには無念をも超過するように恁麽し、尽界を参学すれば客塵の入り込む余地はない。との言辞でありましょう歟。

 「直截根源人未識」直に根源を截るも人は未だ識らず。は『証道歌』の「直截根源仏所印」(「大正蔵」五一・四六〇a二七)に由来するもので、「忙忙業識幾時休」忙忙たる業識は幾時か休せん。は『景徳伝灯録』十一「仰山」の「業識忙忙無本可據」(「大正蔵」五一・二八三a二二)に依拠すると思われる。この「直截・忙忙」なる語句は悉有の動的状態を謂わんとするもので、その一形態に「尽界客塵なし」を表態するのであろう。

「妄縁起の有にあらず、徧界不曾蔵のゆえに。徧界不曾蔵と云うは、必ずしも満界是有と云うにあらざるなり。遍界我有は外道の邪見なり」

 さらなる悉有の動的なる状態は「徧界不曾蔵」つまり尽界ですから客塵なしの如く、「妄縁起」という塵の有は入り込む余地はない。

 「徧界不曾蔵」(悉有)は「満界是有」ではない、と云う。徧界と満界は同義語ですから、是有が附属されることで、主客が生じ満界なる状態が保持されないと。

 是有は我有と異句同義ですから、能所が生じ得る関係性を「外道の邪見なり」と断言する。

「本有の有にあらず、互古互今のゆえに。始起の有にあらず、不受一塵のゆえに。条々の有にあらず、合取のゆえに。無始有の有にあらず、是什麽物恁麽来のゆえに。始起有の有にあらず、吾常心是道のゆえに」

 「本有(本来有なる存在)の有・始起(始めて起こった存在)の有」ともに教学(学問仏教)にて説明される語法であり、「互古互今・不受一塵」ともに徧界・満界に通底するものですから、「あらず・あらず」と云われるものです。

 悉有は一つ一つ(条々)の事実ではなく、全部合わせた(合取)もので、「什麽物」とは、ある特定の事物を指すものではなく、全体を指すものですから、「始起有の有」との概念化では表示できない。

 「吾常心是道」これは『馬祖広録』の示衆語として有名な常心是道(『続蔵』六九・三a一三)の平を吾に代替し独自の造語で以て、悉有の遍在性を提示される。

「まさに知るべし、悉有中に衆生快便難逢なり。悉有を会取することかくの如くなれば、悉有それ透体脱落なり」

 「悉有の中では、衆生には逢い難し」とは、悉有という全体性の只中に於いては、衆生や仏の区別不可の状態を「快便難逢」なる語句を用いるが、この「快便難逢」語は『碧巌録』五四則にて圜悟の著語(「大正蔵」四八・一八八b二二)として見出されるものです。使用頻度は決して多くはないものですが、道元の四字熟語として自身に身体言語化される状況が窺われる次第である。元来の意は「船便に乗り遅れるぞ。チャンスを逸したらおしまいだ」(『現代語訳碧巌録』中、二七七頁、参照)である。

 また本文での解釈では「相対を絶して個々独立している事を示す語に用いる。一切衆生と仏性とは相対せず、衆生が即仏性であるから、衆生が仏性を有するという関係性はなく、衆生衆生として絶対の独立存在であって、決して仏性と逢い得ない」(『禅学大辞典』一四五頁参照)との見方もある。

「仏性の言を聞きて、学者多く先尼外道の我の如く邪計せり。それ、人にあはず、自己に逢わず、師を見ざる故なり。いたづらに風火の動著する心意識を仏性の覚知覚了と思えり」

草稿では「仏性の言をききて学者おほく先尼外道の我ごとく邪計せるがごとし()。それ人をみず師にあはざるによりてなり(にあはず自己にあはず師をみざるゆえなり)。いたづらに風火の動著する心意識は(仏性の覚知覚了とおもへるいくばくの邪見ぞ()。

 ここでは仏家の説く仏性と外道が云う我(アートマン)との違いを、人間の意識作用が仏性で謂う処の覚知覚了(さとり)と同質であると、仏道を学ぶ常識人を、此の処では「学者」と見なすものである。

 「先尼外道」については『辦道話』第十問答にて、「かの外道の見は、わが身、うちにひとつの霊知ありー中略―かの霊性はー略―ながく滅せずして常住なりといふなり。かの外道が見、かくのごとし」と示されるように、周囲に参ずる皆共々の疑問を仏法と外道との違いとして書き留めたものである。

 近代哲学の祖とも云うべきデカルトによる「われ思う(cogito)故に(ergo)我在り(sum)」のわれにも通じ、『現成公案』に示す「万法ともにわれにあらざる時節、、まどひなくさとりなく、諸法なく衆生なく、生なく滅なし」にも通属される「われ」であろうか。

 「風火の動著する」とは、四大元素(地・水・火・風)を略して風火とし、その四大が因縁所生で以て、色・受・想・行・識の五蘊として生命活動ができる。その意識作用を「我」と称し仏性と唱える識者は二十一世紀の現在にも在す。

「誰か云うべし、仏性に覚知覚了ありと。覚者知者はたとい諸仏なりとも、仏性は覚知覚了にあらざるなり。いわんや諸仏を覚者知者と云う覚知は、なんだちが云々の邪解を覚知とせず、風火の動静を覚知とするにあらず。ただ一両の仏面祖面、これ覚知なり」

 草稿では風火以下「風火の動静を覚知と相承することはなきなり。ただこれ即即の諸法を覚知とは単伝直指せるなり(するにあらずただ一両の仏面祖面、これ覚知なり)」

 前句からの続きで以て、仏性と心意識の混同を嘆く文体で、一体誰が仏性と覚知覚了を結び付けたのか。諸仏を覚者知者と、よしんば呼んだとしても、仏性と覚知覚了は全く関係ないものである。仏の覚者知者と先尼が云々する覚知とは概念が違うのである。風火の動静は単なる一過性の電気信号であり、一人二人の現在する仏面祖面なる全体性(悉有・尽界・徧界・満界)を仏性の覚知と謂わしめるものである。

「往々に古老先徳、あるいは、西天に往還し、あるいは人天を化道する、漢唐より宋朝にいたるまで、稲麻竹葦のごとくなる、多く風火の動著を仏性の知覚と思える、憐れむべし、学道転疎なるによりて、今の失誤あり。いま仏道の晩学初心、しかあるべからず」

 草稿では「唐家」→「漢唐」と改める程で、微細な箇所は省略す。

 引き続き前来からの「仏性―覚知」の問題を、単にインド留学や学問の世界にて、名声を得た先輩・先人たちは、太古の漢(紀元前後)や宋朝(1200年)に至るまで数多(稲麻竹葦)存在したが、多くは風火の動著(はたらき)イコール仏性の知覚(あらわれ)と誤まれるは、仏道を学ぶ機縁が転(うた)た疎(おろそ)かなるは、気の毒と云うほかない。いま仏道を習う我々(晩学・初心)は、、前言のような輩の真似をしてはいけない。

「たとい覚知を学習すとも、覚知は動著にあらざるなり。たとい動著を学習すとも、動著は恁麽にあらざるなり。もし真箇の動著を会取することあらば、真箇の覚知覚了を会取すべきなり」

 前言からの考察です。よしんば覚知を学び習うとも、覚知は風火のはたらき(動著)ではないのである。仮に風火の動著を学習するにしても、動著とは恁麽にあらざるなり。とは、自我の感覚で受け止めてはいけない。ほんとう(真箇)の風火動著の実態を理解(会取)することが出来るならば、同時に真の覚知覚了をも理会でき得るはずである。所謂は心意識のような、活動の一面を風火の動著と見るのではなく、個別を超越した尽界に通底する姿を、悉有仏性として捉えよ。と次から説かれる次第である。

「仏之与性、達彼達此なり。仏性かならず悉有なり、悉有は仏性なるがゆえに。悉有は百雑砕にあらず、悉有は一条鉄にあらず。拈拳頭なるがゆえに大小にあらず。すでに仏性と云う、諸聖と斉肩なるべからず、仏性と斉肩すべからず」

 草稿では「悉有は一条鉄にあらず。(拈拳頭なるがゆへに大小にあらずすでに仏性といふ諸聖と斉肩なるべからず(仏性と斉肩すべからず)。すでに恁麽ならば余類に説似すべからざるなり。諸聖並及余類の境界にあらざらんは、これ箇箇現成人人具足なるべし」

 「仏之与性、達彼達此」の読みは、仏と性は、(仏は)彼(性)に達し、(性は)此(これ)に達している。つまりは仏性の全体性を謂うものである。この「達彼達此」の語は、義雲(永平五世・宝慶二世)による正法眼蔵仏性に対する著語で以て、仏性の要旨を示されます。

因みに頌で以て、「威音世界非幽遠(威音世界は幽遠に非ず)、直至今其理自彰(直に今に至て其の理は自ら彰る)。本分性光莫疑怪(本分の性光は疑怪莫し)、大千界日出扶桑(大千界の日は扶桑より出ず)」と示されるが、酒井得元老師の提唱スタイルは、義雲による『永平正法眼蔵品目頌』(「大正蔵」八二・四七六a二二)を以て眼蔵の概要を示され、本文に入るものでした。

 続いて「仏性かならず悉有、悉有は仏性」なる語で以て、日本語訳訓読法(悉く仏性有り)から、和漢折衷的解釈法に意識の変容を促すものです。

 そこで悉有(全体性)を定義するにつけて、「百雑砕・一条鉄・拈拳頭・諸聖・斉肩・仏性・斉肩」にはあらず。とするは、達彼達此に示さるる如く、悉有と彼此というカテゴライズ(概念)化できない事情を喩うもの。

 「諸聖」に対し詮慧は『聞書』にて分聖と極聖と云う概念を「分聖は一分の煩悩を断じて一分の悟りを得るより分聖と云い、極聖は残る所なく断じて、残る所なく理を表すを云うなり」(「曹洞宗全書」注解一・三三頁)と読み解かれる。

「ある一類おもわく、仏性は草木の種子の如し。法雨のうるい頻りに潤ほす時、芽茎生長し、枝葉花菓もす事あり。果実さらに種子を孕めり。かくの如く見解する、凡夫の情量なり」

 このフレーズも仏性の例示に持ち出される喩えのようである。仏性を存在論的に論証しようとする考えで、謂うなれば運命決定論的なものでしょう歟。

 種子(髄)→果実(骨)→枝葉花菓(肉)→芽茎(皮)と、このように入れ子構造的に発展段階的に理解するもので、最奥にあたる髄の部位が仏性の本源で、これを生長させるには「法雨」つまり和尚の説法を聴聞したり、午前2時起きの荒行を実践すれば、因縁所生で以て発芽する。これを「凡夫の情量」つまり、普通人の発想であろうと説き示されるものである。

 現代的に更に云うなら、種子の内部構造は、種子→胚乳→子葉→胚軸となり、各種の胚軸を採集し、遺伝子解析し、各種に共通する「AACTTGAA」(たとえ)なるものが仏性の本源である。という結論のようであるが、この仏性種子論では、道元が鳥瞰する「仏性」とは次元が異なるようである。

「たといかくの如く見解すとも、種子および花果、ともに条々の赤心なりと参究すべし。果裏に種子あり、種子見えざれども根茎等を生ず。集めざれどもそこばくの枝条大囲となれる、内外の論にあらず、古今の時に不空なり。しかあれば、たとい凡夫の見解に一任すとも、根茎枝葉みな同生し同死し、同悉有なる仏性なるべし」

 一歩譲って仏性種子論を理解するにしても、種子や花果の存在は絶対的な真実であることを、「条々の赤心なりと参究すべし」と眼前現成する箇々(条々)の姿を、西有禅師に謂わせるなら全身仏性(『啓迪』一九九頁)と表現される。

 「内外の論」とは、仏性の存在を果実の中の種子とするか、一粒の種から生じた枝葉を重要視するか。と云った、視点の違いを内外の論と呼ばしめるが、そのような瑣末な論事ではなく、「古今の時に不空なり」つまり、仏性は昔も今も現れ通しである。

 ともかくも、凡夫の様々な考え方に従ったとしても、根や茎や枝や葉は、どれもこれも尽十方界で生かされ死ぬる現実を、「同生・同死・同悉有なる仏性」と表態されるのである。

 なお草稿では「同生し同死し悉有なるなるべし」を再治では「悉有なる仏なるべし」と、同生・同死に合わせ同悉有と同文にし、単なる仏ではなく、全体性を意味する仏性と、文体の体裁を整えられる。

   第二段 涅槃経、欲知仏性義

仏言、欲知仏性義、当観時節因縁。時節若至、仏性現前。

いま仏性義をしらんとおもはばといふは、ただ知のみにあらず、行ぜんとおもはば、証せんとおもはば、とかんとおもはばとも、わすれんとおもはばともいふなり。かの説・行・証・忘錯・不錯等も、しかしながら時節の因縁なり。時節の因縁を観ずるには、時節の因縁をもて観ずるなり。払子・拄杖等をもて相観するなり。さらに有漏智・無漏智、本覚・始覚、無覚・正覚等の智をもちゐるには観ぜられざるなり。

当観といふは、能観・所観にかかはれず、正観・邪観等に準ずべきにあらず、これ当観なり。当観なるがゆゑに不自観なり、不他観なり。時節因縁聻なり、超越因縁なり。仏性聻なり、脱体仏性なり。仏仏聻なり、性性聻なり。

時節若至の道を、古今のやから往々のおもはく、仏性の現前する時節の向後にあらんずるをまつなりとおもへり。かくのごとく修行しゆくところに、自然に仏性現前の時節にあふ、時節いたらざれば、参師問法するにも、辦道功夫するにも、現前せずといふ。恁麽見取して、いたづらに紅塵にかへり、むなしく雲漢をまぼる。かくのごとくのたぐひ、おそらくは天然外道の流類なり。いはゆる欲知仏性義は、たとへば当知仏性義といふなり。当観時節因縁といふは、当知時節因縁といふなり。いはゆる仏性をしらんとおもはば、しるべし、時節因縁これなり。

時節若至といふは、すでに時節いたれり、なにの疑著すべきところかあらんとなり。疑著時節さもあらばあれ、還我仏性来なり。しるべし、時節若至は、十二時中不空過なり。若至は、既至といはんがごとし。時節若至すれば、仏性不至なり。しかあればすなはち、時節すでにいたれば、これ仏性の現前なり。あるいは其理自彰なり。おほよそ時節の若至せざる時節いまだあらず、仏性の現前せざる仏性あらざるなり。

「仏言、欲知仏性義、当観時節因縁。時節若至、仏性現前」

 この経文は冒頭の「一切衆生」に従うならば、慧厳訳三十六巻本『大般涅槃経』二六での、「欲見仏性、応当観察時節形色、是故我説、一切衆生悉有仏性」(「大正蔵」十二・七七七a四)が底本となり、『聯灯会要』七潙山章「経云、仏性義当観時節因縁時節若至、其理自彰。便知己物、不従外得」(「続蔵」七九・六四a一六)から改変された語である。

 一般的訓読みでは、「仏性の義を知らんと欲(おも)わば、当に時節の因縁を観ずべし。時節若し至れば、仏性現前す」と読み下されるが、この読みでは仏性は時間の経過と共に出現しますから、道元は承知しません。

「いま仏性義を知らんと思わばと云うは、ただ知のみにあらず、行ぜんと思わば、証せんと思わば、説かんと思わばとも、忘れんと思わばとも云うなり。かの説・行・証・忘・錯・不錯等も、しかしながら時節の因縁なり」

 これより各文節を解体し、我々(凡夫)の日常底(概念化)の意味(義)を破砕し、新たに仏法観的意味付けを附し、文体の再構築を図られます。

 仏性の意味(義)については知のほかにも、「行・証・説・忘」これら共々に仏法と聯関させて思い、「かの説・行・証・忘・錯・不錯等も、しかしながら時節の因縁」と、仏性の包括性(全体性)を指摘されるが、この場合の「しかしながら」とは現在の「そうではあるが・しかし」との接続詞用法(中世末期以降)ではなく、道元の生きた中世中期に於いては、「すべて・そのまま全部・要するに・つまり」といった副詞用法として理解する必要がある。

「時節の因縁を観ずるには、時節の因縁をもて観ずるなり。払子・拄杖等をもて相観するなり。さらに有漏智・無漏智、本覚・始覚、無覚・正覚等の智を用いるには観ぜられざるなり」

草稿では「払子・拄杖等をもて相観するなり。さらに有漏智・無漏智」の文字はなく再治にて付加されたもので、智(知)の多能義を示すものである。

 これは文頭での「当観時節因縁」に対する拈語ですが、普通は時節因縁を観ずるには第三

者が機縁となるものですが、ここでは主客を置かず「時節の因縁を観ずるには、時節の因縁をもて観ずるなり」と、同句を繰り返すことに、仏法の奥義を示す態度が表態されるが、謂うなれば、一方を証すれば一方は暗し。と同フレーズとも云えそうである。

 時節因縁の現場では「有漏智無漏智、本覚始覚、無覚正覚」などの細分化したる学問仏教語は不用であり、「払子や拄杖」などの日々の好事物を以て、時節の因縁を観ずる。のである。

「当観と云うは、能観・所観にかかはれず、正観・邪観等に準ずべきにあらず、これ当観なり。当観なるがゆゑに不自観なり、不他観なり。時節因縁聻なり、超越因縁なり。仏性聻なり、脱体仏性なり。仏仏聻なり、性性聻なり」

 草稿では「かかはるべきにあらず」→再治「かかはれず」に改められ、「時節因縁聻なり超越因縁なり仏性聻なり脱体仏性なり」とー部が付加される。

 ここでは「当観時節因縁」を解体し、時節因縁を略し、「当観」の在り方を考察する。「当観」を訓読みの、「まさに観ずべし」となると、見るもの・見られるもの、との関係つまり、主客を設定することで、自我中流の観法に陥ることから、「当観(とうかん)」と中国語法そのままで表出させる。

 時節因縁が「能観所観」つまり主客に分化されないことで、「正観邪観」との二項分立にも至らずを、「これ当観なり」。と、物の見方・観点の重要性が語られる。

 さらに「当観」の多義性を説かれますが、酒井得元老師は当観とは「当観が、その時その時点に於ける尽十方界真実人体の現生(げんなま)のあり方」(「正法眼蔵」仏性の巻・九七頁)と読み解かれる。つまり当観(尽界)であるから自他の観がない「不自観・不他観なり」となり、次いで「当観時節因縁」の後部の「時節因縁」+「聻」を添語するが、この聻の意は「そのもの・それ自体」とし、時節因縁の語感を強調する助詞的ハタラキがあります。「時節因縁聻」の対句として「超越因縁」。同様に「仏性聻」の対語で「脱体仏性」。次いで「仏仏聻・性性聻」と仏性本体の意味解体となります。

 このように一見すると、文字の羅列の如く見られる文体を、時に人は「道元言語ゲーム」と揶揄する輩もあるようだが、語言の概念化を破するには、具象事例を列挙するより方途がないのである。

「時節若至の道を、古今のやから往々の思わく、仏性の現前する時節の向後にあらんずるを待つなりと思えり。かくの如く修行しゆく所に、自然に仏性現前の時節に逢う、時節至らざれば、参師問法するにも、辦道功夫するにも、現前せずと云う。恁麽見取して、いたづらに紅塵に帰り、むなしく雲漢をまぼる。かくの如くの類い、おそらくは天然外道の流類なり」

 世間に於ける普段の考えでは、「時節若至の道」と記述されるが、ここでの道は、「ことば・いう」との意で用いるが、元来は「噵」→「道」に時代と共に変化したようである。「古今のやから」とは前記で云う、凡夫に適来し、普通人の意であろう。こういう人々は仏性の現前するを受動的に待つのみである。

 修行の結果として仏性現前し、運悪く時節の至らぬ時は、いかように参師問法などの修行をしても、仏性は現前しない。と、世俗の生活に戻り、天空の彼方(雲漢)を眺めるだけであるが、このように仏性を考える類いの行人は、天然外道の仲間(流類)であろう。

「いわゆる欲知仏性義は、たとえば当知仏性義と云うなり。当観時節因縁と云うは、当知時節因縁と云うなり」

「欲知仏性義=当知仏性義」―「当観時節因縁=当知時節因縁」の関係性を図示すれば、欲知=当知=当知⇆仏性・時節因縁―義となる。仏性とは悉有・徧界・満界と同態であるから、悉有聻とも徧界聻とも満界聻とも謂い得るも可能である。

「いわゆる仏性を知らんと思わば、知るべし、時節因縁これなり。時節若至と云うは、すでに時節至れり、なにの疑著すべき所かあらんとなり。疑著時節さもあらばあれ、還我仏性来なり」

 草稿では「いはゆる仏性をしらんとおもはばしるべし、時節因縁これなり。この時節いかなりとあきらめがたしといへども、仏時節因縁わずかに説著するに、これこの道得あり、しりぬこれ仏性なりといふことを。時節若至といふはすでに時節いたれりなにの疑著すべきところかあらんとなり。(疑著時節さもあらばあれ還我仏性来なり)」

 さて、仏性を知ろうと思うならば、時節因縁である、と。つまりは時節や因縁は外在物ではなく、自分自身が「時節因縁」であり「仏性」そのもの。との謂いようである。

 同じように、「時節若至」と云うのは、「時節もし至らば」と現在と未来を設定するならば、主客の論述となる為、「すでに時節いたれり」と論じなければ自己矛盾に陥る為、当然の帰結でありましょう。つまり「仏性」―「時節」―「因縁」とは悉有に於いては異語同義の仏語として聯関できます。

 このように論理化してみると、「なにの疑著すべき所があろうか」となり、「疑著時節さもあらばあれ」とは、仏性を疑うなら、それならそれで仕方がない。との意ですが、ここでの「疑著」の著は助辞としての用法であるから、何ら訳する必要はなく、喩えば道著や道取も同義である。「還我仏性来」とは、その疑ってる仏性とは、生かされ続けている生命活動つまり尽界そのものですから、その仏性をオレに還してくれ。と語気に活鱍々する勢いを感ずるが、同様な語調は『真字正法眼蔵』中二〇八則にて雲門が云い放った「還我九十日飯銭来」を捩ったものでありましょう歟。

「知るべし、時節若至は、十二時中不空過なり。若至は、既至と云わんが如し。時節若至すれば、仏性不至なり」

 草稿では「しるべし時節若至にてあれば(十二時中不空過なる仏性なり(なり)。若至は既至といはんがごとし、(時節若至すれば仏性不至なり)」と多少の字句の改変がある。

 再び「時節若至」に対する心得の、「十二時中不空過」とは24時間・一日中空しく過ごさず。と構えて修行せよ、との言です。何回でも言う事ではあるが、「若至は既至」と同義であると。今一度この処を読み解くに、「若至」と「既至」は明らかに文字面も表現態も異なるものではあるが、あくまでの仏性という事実から俯瞰した言い回しである。

 「時節若至すれば、仏性不至なり」、この場合の「不至」も前言の如くに解せば「既至」であるから、時節既至すれば仏性既至なり、と何の煩いもなく読解できるものである。

「しかあれば即ち、時節すでに至れば、これ仏性の現前なり。あるいは其理自彰なり。おほよそ時節の若至せざる時節いまだあらず、仏性の現前せざる仏性あらざるなり」

草稿では「仏性あらざるなり、仏性因縁中不依椅一物なり」と、説明的語言を削除し、「あるいは其理自彰なり」を再治では附言する。この「其理自彰」の語は冒頭での『聯灯会要』潙山の語言であり、敢えて「仏性の現前なり」に重言する形で「其理自彰」を付け加えた意義は何であろうか。

 第二段での結論は、涅槃経をベースに考察した仏性の在り方を、時節因縁・時節若至に関わりなしに、仏性の現前しない仏性はないのである。と、特定の経論に依るのではなく、時空をも超過した仏性論であります。

第三段 皆依建立

第十二祖馬鳴尊者、十三祖のために仏性海をとくにいはく、山河大地皆依建立、三昧六通由茲発現。

しかあれば、この山河大地、みな仏性海なり。皆依建立といふは、建立せる正当恁麽時、これ山河大地なり。すでに皆依建立といふ、しるべし、仏性海のかたちはかくのごとし。さらに内外中間にかかはるべきにあらず。恁麽ならば、山河をみるは仏性をみるなり、仏性をみるは驢腮馬觜をみるなり。皆依は全依なり、依全なりと会取し、不会取するなり。

三昧六通由茲発現。

しるべし、諸三昧の発現未現、おなじく皆依仏性なり。全六通の由茲不由茲、ともに皆依仏性なり。六神通はただ阿笈摩教にいふ六神通にあらず。六といふは、前三三後三三を六神通波羅蜜といふ。しかあれば、六神通は明々百草頭、明々仏師意なりと参究することなかれ。六神通に滞累せしむといへども、仏性海の朝宗に罣礙するものなり。

 ここでの拈提文の引用は『景徳伝灯録』一での第十二祖馬鳴章からの「師即為説性海云、山河大地皆依建立三昧六通由茲発現、迦毘摩羅云々」(「大正蔵」五一・二〇九c二〇)となりますが、録中では「性海」のみで「仏性海」の言は道元自身の改変でしょうが造語ではなく、『大乗瑜伽金剛経』(「大正蔵」二〇・七三七c二二)には数か所にわたり「仏性海」の語が用いられる。また当巻(3回)以外では『海印三昧』(1回)巻(「岩波文庫」㈠二六三)にても「仏性海」なる語が使用される。

 法系略図を示せば「十祖波栗湿縛(ばりしば)―十一富那夜奢(ふなやしゃ)―十二馬鳴(めみょう)―十三迦毘摩羅(かびまら)―十四那伽閼剌樹那(ナーガルジュナ・龍樹)」の十二祖・十三祖による問話である。

 「山河大地皆依建立」(山河大地に皆依って建立す)、「三昧六通由茲発現」(三昧六通は茲に由って発現す)の山河大地を以て「仏」、三昧六通は「性」。これを合わせて仏性とし、「皆依建立」と「由茲発現」は相対同意し、これらを「仏性海」と喚ぶ。

「しかあれば、この山河大地、みな仏性海なり。皆依建立と云うは、建立せる正当恁麽時、これ山河大地なり。すでに皆依建立と云う、知るべし、仏性海の形はかくの如し。さらに内外中間に拘わるべきにあらず」

 草稿では「仏性海なり、すでに建立の正当なり。さらに内外中間にかかはるべきにあらず」とするが再治にて「皆依建立といふはーかくのごとし」が加味される。

 「山河大地皆依建立」に「仏性海」を介在し、新たな意味構築を図る。「山河大地」=「仏性海」とは唐突なる論述ではなく、両句とも尽界に値遇するもので、次に説く「皆依建立」と「山河大地」も等式を付すわけである。

 この論法は余りにも強引すぎるようではあるが、この中間には「建立せる正当恁麽時」つまり大地に建立するしか方途は無いわけですから、「山河大地」=「皆依」=「建立」の等式が成立するには、何ら不可解ではないのである。

 「仏性海の形」とは、山河大地つまり無限に広がる尽十方界世界ですから、「内(中)だの外だの中間だの」という牆壁は存在しないのである。

「恁麽ならば、山河を見るは仏性を見るなり、仏性を見るは驢腮馬觜を見るなり。皆依は全依なり、依全なりと会取し、不会取するなり」

 草稿では「皆依は全依なり依全なりと会取し不会取する、皆依なり仏性はかならず山河大地に皆依なりと参学すべきなり」と改定される。

 先述の「山河大地みな仏性海なり」を承けての「恁麽ならば」ですから、「山河を見るは仏性を見るなり」とは事明です。さらに続けて「驢馬の腮(あご)・馬の觜(くちばし)」が仏であると喝破される。つまり「仏」とは満界に遍在する全存在の事物事象が対象であるから、このような「驢腮馬觜」の日常が仏性として現成するわけである。因みに『如浄語録』「天童景徳寺語録」には「仏殿、黄金妙相、驢腮馬嘴、咦、賊是小人智過君子」(「大正蔵」四八・一二七a一四)と記載あり。

 「皆依」に対する注釈は、「皆」と「全」はすべてと解されますから「皆依は全依」となり、「全依」を入れ替え「依全」=「全依」=「皆依」の等式は成立し、このように「会取・不会取」として会する。もちろん「会取」の取は先来の助詞として扱い、会得の意に解し、不の会得と解すればよい。

「三昧六通由茲発現。知るべし、諸三昧の発現未現、同じく皆依仏性なり。全六通の由茲不由茲、ともに皆依仏性なり」

 「三昧(samadhi)」の音訳は三摩地・意訳を定慧とも云う。「六通」は神足・天眼・天耳・他心・宿命・漏尽通を云う。以上の三昧六通は茲(ここ)由り、つまり仏性より発現するとの事。三昧の形態には千差万別ある故に「諸三昧」の表態に出る出ない、は全体が依っている仏性そのものである。先の六神通の仏性(由茲)不仏性(不由茲)の発現は、みな皆依の仏性によるものである。ここで由茲を仏性に不仏性を不由茲に書き分けたが、仏性不仏性・由茲不由茲は例えば紙面の表・裏の関係に喩えてもよい。表だけの紙はあり得ず、裏面だけの紙面も存在しないように、仏性・不仏性にて物の道理が成り立つ論理である。

「六神通はただ阿笈摩教に云う六神通にあらず。六と云うは、前三三後三三を六神通波羅蜜と云う」

 「六神通波羅蜜」語は再治にて加筆されたもの。「阿笈摩教」は旧訳で、新訳では阿含と云う。阿含の六神通は先ほど示す他心通など神変不思議力を云う。

 「六神通波羅蜜」の内訳は、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧それぞれが独立する波羅蜜ではありますが、道元が示す「前三三後三三」とは単なる数字の羅列を足し合わせた(3+3)ものではなく無辺際を意味するものです。布施波羅蜜には他の五つの波羅蜜が内蔵され、各々には優劣は有り得ませんから6×6=36通りの波羅蜜が存在し、その状況を前三三後三三の無辺際と述べたものであります。因みに三十七品菩提分法に於いても、37×37=1369の真実の実践つまり無辺際の行持となる次第です。また「前三三後三三」語は他にも『空華』(「岩波文庫」㈠二六八)『都機』(「同」㈡八七)各巻にて示される。

「しかあれば、六神通は明々百草頭、明々仏師意なりと参究することなかれ。六神通に滞累せしむといへども、仏性海の朝宗に罣礙するものなり」

 草稿では「参究することなかれ、六神通すでに発現する参究なり。六神通」と由茲発現に依った文面は削られる。

 「明々百草頭」の解釈は、眼前に展開する真実相を云うものですが、これは『真字正法眼蔵』上八十八則にて、龐居士(―808・馬祖の俗弟子)と娘の霊照との問答で、それぞれが「明々百草頭、明々祖師意」と問い答うの形式です。この表現は『授記』巻では「明々百草頭、明々仏師意」(「岩波文庫」㈡六七)と当巻に準じられるが、『都機』巻では「明々百草頭、明々祖師心」(「同」㈡九一)となる。因みに「明々仏師意」の表記は、SATデータベース検索にても授記のみでの使用となります。

 「六神通は明々百草頭、明々祖師意なりと参究することなかれ」とは、これまでの論述法からすると、六神通波羅蜜は無辺際を云い、明々百草頭は現成の実相でありますから、ともに仏性の化現とも受け取って良さそうですが、ここでは凡聖同居・龍蛇混雑的な考察ではなく、六神通は六神通として受け取り、百草頭は百草頭のままで受け取りなさい。との語意です。この段での結語的釈意として、これまでの悉有仏性的論法から、釘を刺して全機現的な解釈態を示すものです。酒井老師はこの解釈法を「道元禅師の鋭い批判眼が現れている」(「前掲書」一二四頁)と、読み込まれます。

 この段の結論として「六神通に滞累せしむと云えども、仏性海の朝宗に罣礙するものなり」とは、六神通という詞に足踏みしたが、どんな川でも海に流れ込むように、六神通は六神通のまま・明々百草頭は百草頭にて・明々の仏師意は仏師意として、それぞれが真実として仏性海に導かれる(朝宗)道理を「罣礙」という逆説的言い回しにて文章化されたものです。

   第四段 汝無仏

五祖大満禅師、蘄州黄梅人也。無父而生、童児得道、乃栽松道者也。初在蘄州西山栽松、遇四祖出遊。告道者、吾欲伝法与汝、汝巳年邁。若待汝再来、吾尚遅汝。師諾。遂往周氏家女托生。因抛濁港中。神物護持、七日不損。因収養矣。至七歳為童子、於黄梅路上逢四祖大医禅師。祖見師、雖是小児、骨相奇秀、異乎常童。祖見問日、汝何姓。師答日、姓即有、不是常姓。祖日、是何姓。師答日、是仏性。祖日、汝無仏性。師答日、仏性空故、所以言無。祖識其法器、俾為侍者、後付正法眼蔵。居黄梅東山、大振玄風。

しかあればすなはち、祖師の道取を参究するに、四祖いはく汝何姓は、その宗旨あり。むかしは何国人の人あり、何姓の姓あり。なんぢは何姓と為説するなり。たとへば吾亦如是、汝亦如是と道取するがごとし。

五祖いはく、姓即有、不是常姓。いはゆるは、有即姓は常姓にあらず、常姓は即有に不是なり。

四祖いはく是何姓は、何は是なり、是を何しきたれり。これ姓なり。何ならしむるは是のゆゑなり。是ならしむるは何の能なり。姓は是也、何也なり。これを蒿湯にも点ず、茶湯にも点ず、家常の茶飯ともするなり。

五祖いはく、是仏性。いはくの宗旨は、是は仏性なりとなり。何のゆゑに仏なるなり。是は何姓のみに究取しきたらんや、是すでに不是のとき仏姓なり。しかあればすなはち是は何なり、仏なりといへども、脱落しきたり、透脱しきたるに、かならず姓なり。その姓すなはち周なり。しかあれども、父にうけず祖にうけず、母氏に相似ならず、傍観に斉肩ならんや。

四祖いはく、汝無仏性。いはゆる道取は、汝はたれにあらず、汝に一任すれども、無仏性なりと開演するなり。しるべし学すべし。いまはいかなる時節にして無仏性なるぞ。仏頭にして無仏性なるか、仏向上にして無仏性なるか。七通を逼塞することなかれ、八達を摸索することなかれ。無仏性は一時の三昧なりと修習することもあり。仏性成仏のとき無仏性なるか、仏性発心のとき無仏性なるかと問取すべし、道取すべし。露柱をしても問取せしむべし、露柱にも問取すべし、仏性をしても問取せしむべし。しかあればすなはち、無仏性の道、はるかに四祖の祖室よりきこゆるものなり。黄梅に見聞し、趙州に流通し、大潙に挙揚す。無仏性の道、かならず精進すべし、趑趄すことなかれ。無仏性たどりぬべしといへども、何なる標準あり、汝なる時節あり、是なる投機あり、周なる同生あり、直趣なり。

五祖いはく、仏性空故、所以言無。あきらかに道取す、空は無にあらず。仏性空を道取するに、半斤といはず、八両といはず、無と言取するなり。空なるゆゑに空といはず、無なるゆゑに無といはず、仏性空なるゆゑに無といふ。しかあれば、無の片々は空を道取する標榜なり、空は無を道取する力量なり。いはゆるの空は色即是空の空にあらず。色即是空といふは、色を強為して空とするにあらず、空をわかちて色を作家せるにあらず。空是空の空なるべし。空是空の空といふは、空裏一片石なり。しかあればすなはち、仏性無と仏性空と仏性有と、四祖五祖、問取道取。

 この出典録は『林間録』を参照して(『宝慶記』十四にて如浄の教示あり)+『続灯録』+『景徳伝灯録』による合楺された文面であろう。

 五祖弘忍大満禅師(続灯)、蘄州黄梅人也(景徳)、人敦無父(林間)、童児得道(続灯)、乃栽松道者(続灯)、初在蘄州西山栽松(不見)、遇四祖出遊告道者(不見)、法道可得聞乎(林間)、汝已老(林間)、儻能再来(林間)、吾尚可遅汝(林間)、師諾(不見)

 五祖大満禅師(601―674)は蘄州(湖北省)黄梅の人なり。父無くして生まれ、童児にして道を得たり、乃ち栽松道者なり。初め蘄州西山に在りて松を栽ゆるに、四祖(大医道信580―651)の出遊に遇う。道者に告ぐ、吾れ法を汝に伝えんと欲す。汝已に年邁たり。若し汝が再来を待たば、吾れ尚汝を遅(ま)つべし。師諾す。

 これは説話の部類に属し、到底史実とは認められぬが、承知の如く初祖菩提達磨(―538)―二祖神光慧可(487―593)―三祖鑑智僧璨(―606)―四祖大医道信(580―651)―五祖大満弘忍(601―674)―六祖大鑑慧能(638―713)と連脈するを禅門では毎朝に呼称するのではあるが、近年の敦煌資料の分析解明の成果としては、はなはだこれらの人物が実在したのかも怪しまれる結果で、確実視される人物群は馬祖・石頭時代あたりからと云うのが実際の学者の見方であり、そこには自らの法流の正統性を導くための人間味あふれる史実があろうと推察される。

「遂往周氏家女托生。因抛濁港中。神物護持、七日不損。因収養矣。至七歳為童子、於黄梅路上逢四祖大医禅師。祖見師、雖是小児、骨相奇秀、異乎常童。祖見問日、汝何姓。師答日、姓即有、不是常姓。祖日、是何姓。師答日、是仏性。祖日、汝無仏性。師答日、仏性空故、所以言無祖識其法器、俾為侍者、後付正法眼蔵。居黄梅東山、大振玄風」

 女、周氏季子也、帰輙孕(林間)、濁港滔滔入大江(林間)、神物護持、七日不損。因収養矣(不見)、成童時七歲(林間・合成)、四祖見於黃梅道中(林間)、見一小児、骨相奇秀、異乎常童、師見問曰、汝何姓、答曰、姓即有、不是常姓、師曰、是何姓、答曰、是仏性、師曰汝無仏性、答曰、仏性空故、所以言無、師識其法器、俾為侍者。後付正法眼蔵、居黄梅東山、大振玄風(『続灯』「続蔵」七八・六四五a一一)

 遂に往周氏家の女(むすめ)に托生す。因みに濁港(汚い水路)の中に抛つ。神物護持して七日損せず。因りて収めて養えり。七歳に至りて童子と為り、黄梅の路上に於て四祖大医禅師に逢う。祖は師を見るに、是れ小児なりと雖も、骨相奇秀にして、常童に異なれり。祖、見て問うて日く、汝何なる姓。師答えて日く、姓は即ち有り、是れ常姓にあらず。祖日く、是れ何の姓。師答えて日く、是れ仏性なり。祖日く、汝無仏性。師答えて日く、仏性空なるが故に、所以に無と言う。祖、其の法器なるを識りて、侍者と為ら俾し(使役を表す動詞として使、令などと同じ用法)め、後に正法眼蔵を付す。黄梅の東山に居して、大いに玄風を

振う。

「しかあれば即ち、祖師の道取を参究するに、四祖いわく汝何姓は、その宗旨あり。むかしは何国人の人あり、何姓の姓あり。なんぢは何姓と為説するなり。たとえば吾亦如是、汝亦如是と道取するが如し」

 これより四祖・五祖に対する拈提の開始ですが、正法眼蔵特有の初一言である「汝何姓」にすべての仏意(宗旨)が包接されている。との言です。つまり問処は答処の如しの例として、泗州僧伽大師(628―710)による「或問師何姓、即答日、我姓何。又問師是何国人、師日、我何国人」(「大正蔵」五一・四三三上)を例言し、四祖の発する「汝何姓」は問う対象ではなく、「汝は何姓」であるとの答話も兼ねたるものである。との言説を呈し、それは六祖慧能(638―713)が南嶽懐譲(677―744)に云い放ったとされる「吾亦如是、汝亦如是」と言うようなもので、つまり「何姓」は仏性の表現態に含意されるものである。との拈語である。

「五祖いわく、姓即有、不是常姓。いわゆるは、有即姓は常姓にあらず、常姓は即有に不是なり」

 ここでは典型的な文節の意味解体を図り、新たに文節の構築を提示し、従来の固執的見方を抛却するものである。

  • 姓➁即➂有」→「➂有➁即①姓」と単に語順の並べ替えではなく、「姓」には名前の

意、「即」には副詞的な扱い、「有」には存在としての立場を有するわけではあるが、その意味大系を一旦仏性と云う蔵(くら)に入れ、改めて悉有を附与させた語言として「有即姓」と提示し、「➃不是⑤常姓」は和訓よみにて「⑤常姓に➃あらず」と配置されます。一見すると「姓即有、不是常姓」→「有即姓は常姓にあらず」は、意味そのものを改変したようにも見受けられるが、仏性態の上からは同意同体である。

 次いで「①姓➁即➂有➃不是⑤常姓」→「⑤常姓は➁即➂有に➃不是なり」も同様に、常姓+即有+不是と配することは、蔵(くら)にある仏性言を世俗語に帰結させる意味もあろうか。

 眼蔵の最古の註解書である詮慧グループ(「聞書」)によると「有即姓と云う事は、有をやがて姓也と、まさしく説く心也。常姓は即有に不是也と云う(は)、是不由茲なるべし。不是は常姓、常姓は不是也。不と是と常と、この三字をやがて姓とする也。姓即有と云う此の有は、有無の有にてなきゆえに、有即姓也、有即仏性也」(―部筆者「曹洞宗全書」注解一・四八上)と註釈を為し、そのあとに続く経豪グループ(「抄」)では「是すでに不是の時、仏性也。しかあれば則ち是は何なり仏なりと云えども脱落しきたり。透脱しきたるに必ず姓也とあり。是は是の時も仏性なり、不是の時も仏性なり」(「前掲書」四五上)と示されるように、永興寺に於いても難解な仏姓に対する参究が垣間見られる次第である。

「四祖いわく是何姓は、何は是なり、是を何しきたれり。これ姓なり。何ならしむるは是のゆえなり。是ならしむるは何の能なり。姓は是也、何也なり。これを蒿湯にも点ず、茶湯にも点ず、家常の茶飯ともするなり」

 「是何姓」に対する拈提であるが、単純に「是(ぜ)」も「何(か)」も「姓(しょう)」は共々に、仏性の一部であるとは片付けられぬ事態である。

 「何は是なり」と定める「何」については什麽物恁麽来の「什麽」と同義であることを念頭に入れ、この「何」は手に取れぬ物であり、男女・生仏・迷悟等の一切には名が付けようがない。これを「何」と云い定めるが、逆に云えばなんでも「何」であり、そのなんでもを「是」と認じ「何は是なり」となる(「啓迪」二一五頁参照)。

 「是を何しきたれり」とは、「何」(真実)を動詞に変換するもので、謂わば置き物から生き物の姿へと動的変化させるものであります。つまりは眼前現成する事実を「是」と認じて、「何(真実)」を仏性と言替することで、「現成する公案が仏性し続けている」とも言い得るはずである。

 「これ姓なり」とは、身体に於ける細胞の新陳代謝の如く、活動し続ける当体を「姓」とするが、ここでは仏性が標題として掲げられますから、「これ仏性なり」とも置換可能である。

 「何ならしむるは是のゆえなり」とは、真実(何)と云われる由縁は、眼前現成する事実(是)があるからである。これはなんのことはなく、「私がパソコンを見る」を例にすれば、「見る」が「何」つまり絶妙な身体の真実であり、「パソコン」が「是」として反映されている。

 「是ならしむるは何の能なり」とは、先の例えではパソコン「是」ならしめているのは、見る「何」という行為の背景には、身体―眼―脳―神経細胞―腸内細菌―各種臓器の一体不可分のハタラキ(能)があるからである。

 「姓は是也何也なり」の「姓」は先ほど言及の如くに仏性と言替すれば、「是」や「何」として表態されるは、姓の所縁であると。先に述した喩えでは、私(姓)がパソコン(是)を見る(何)と云えよう。

 「これを蒿湯にも点ず、茶湯にも点ず、家常の茶飯ともするなり」とは、「是何姓」は謂わば仏語として説明してきたが、日常語に語言変換すれば、仏性の実践は蒿湯(よもぎゆ)として煮出し、茶の湯として点じ、日常の茶飯としても「仏性」を使いこなしているぞ。との拈語になります。

「五祖云く、是仏性。謂わくの宗旨は、是は仏性なりとなり。何のゆえに仏なるなり。是は何姓のみに究取しきたらんや、是すでに不是のとき仏姓なり」

 「是仏性」の「性」は懐奘筆では「姓」と認識できるが、ここでは従来ので読み解く。(『永平寺史料全書』1・九二頁)

 「是仏性」に対する拈語では、「是は仏性なり」そのままの通読ではありますが、ここで云う「是」の範囲は四祖が云う汝・何・姓・即・有などを「是」とし、「仏性」に等価値を与えるものです。

 ついで「何のゆえに仏なるなり」の「何」も先来からの如く真理・真実と受け取れる為、「仏」と同義おして扱われる。

 「是は何姓のみに究取しきたらんや」の「是」とは諸法であるが、これは四祖の「何姓」のみに限定されるものではなく、五祖は「是仏性」と表態するが、「是仏性」=「是何姓」は表裏の関係と云ってもいい。

 「是すでに不是のとき仏姓なり」っとの表現は、「是」⇆「不是」を前述の裏表の如しの理であり、必然的に会⇆不会・悟⇆不悟・覚⇆不覚のように、「是仏性」と「不是仏性」とはセットメニューである。

「しかあれば即ち是は何なり、仏なりと云えども、脱落しきたり、透脱しきたるに、必ず姓なり。その姓すなわち周なり。しかあれども、父にうけず祖にうけず、母氏に相似ならず、傍観に斉肩ならんや」

 「しかあれば即ち是は何なり、仏なりと云えども」は先のは仏性なり、のゆえに。を承けての言であり、「脱落しきたり、透脱しきたる」とは、「是何」「是仏」に徹底することで「脱落・透脱」という一体不可分と為り、その時「必ず姓なり」の仏性態として顕現するのである。

 「その姓すなわち周なり」とは、五祖の母姓の「周」と周遍法界とでも云う「周」を掛け合わせた表現だろう。その「姓」は「父にうけず祖にうけず、母氏に相似ならず」と、家系に関わるものでも、「傍観に斉肩ならんや」と、第三者に拘わるものではない。と、五祖出生の物語性から眼前に於ける仏性現前を謂わんとするものである。

「四祖云く、汝無仏性。いわゆる道取は、汝はたれにあらず、汝に一任すれども、無仏性なりと開演するなり」

 この「無仏性」に関しては、文字通りの「無仏性」(松岡『禅文化研究所紀要』33「道元無仏性」二七〇頁)、「一切衆生悉是仏性」(西有『啓迪』二一八頁)、「廓然無聖」(酒井『正法眼蔵・仏性の巻』一四六頁)と各者さまざまに識見を述べられる。後半部では「一切衆生無仏性」が拈提として取り扱われるが、その「無仏性」との違いは如何なるもの歟。

 「汝無仏性」の「汝」は五祖を指すものではなく、「だれでもない汝」であろうが、如何なる語にも通ずるもので、限定された固有名詞に定められるものではなく、無限定な真実態と同定される為、「いかなる」が問話に対する答話と決定せらるわけである。

 無特定な「汝に一任しても」、無仏性は何処までも無仏性なり。と開放演説するのである。と拈ぜられる。

 冒頭の「無仏性」について一言。四祖は老翁の栽松道者の転生児としての五祖に対しての「無仏性」であるから、松岡の云う「仏性が無い」のではなく、単なる「無の仏性」でもなかろう。謂うなれば絶対無に於ける「無仏性」、つまり全面「無」に対したる「仏の性」とでも言い含み得るものか。

「知るべし学すべし。今はいかなる時節にして無仏性なるぞ。仏頭にして無仏性なるか、仏向上にして無仏性なるか。七通を逼塞することなかれ、八達を摸索することなかれ。無仏性は一時の三昧なりと修習することもあり」

 「今はいかなる時節にして無仏性なるぞ」と問い掛けにも似た言用であるが、前述するように「いかなる」はいかなるもと読み解き可能である為、「いかなる時節も無仏性である」と時間を定め、次いで空間に於いては「仏頭・仏向上」つまり無限態なるも「無仏性」と定める。ここの「なるか・なるか」と疑問を呈するかの詞づかいをされるが「である」との断言とと読み解くべきである。

 「七通八達」とは八九成にも通じ、自由自在と解し、広大な無仏性の場合では逼塞(ふさぐ)したり、摸索(てさぐり)する必要もなく、そもそも無反応であるから出来得るものではない。

 「無仏性は一時の三昧なりと修習すること」の「一時」は全時・全ての時間とも言い得、具体的には「無仏性とは、全ての時間に於ける三昧(坐禅)の修行を習学すること」である。と拈語される。

「仏性成仏のとき無仏性なるか、仏性発心のとき無仏性なるかと問取すべし、道取すべし。露柱をしても問取せしむべし、露柱にも問取すべし、仏性をしても問取せしむべし」

 「無仏性」のことばを「仏性成仏・仏性発心」に連結させて、「問取・道取すべし」と説くは、やや凡長な説明的説明の感もするが、「露柱」と拈ずることで、「無仏性」と日常の紐帯となる文章の形成であるが、「仏性をしても問取せしむべし」は、再治にて可筆されたもので、前句の「無仏性なるかと問取すべし」の対句としての体裁であろう。また「露柱をしても・露柱にも」と重言するは語調が悪く、「露柱にも問取すべし」は不要と思われる。

「しかあれば即ち、無仏性の道、はるかに四祖の祖室より聞こゆるものなり。黄梅に見聞し、趙州に流通し、大潙に挙揚す。無仏性の道、必ず精進すべし、趑趄すことなかれ」

 これまで難解な「無仏性論」の展開でしたが、総まとめ的述考です。四祖(580―651)「汝無仏」→五祖(601―674)「嶺南人無仏」→趙州(778―897)「狗子還有仏性也無」→大潙(771―853)「一切衆生無仏」と、各祖師方が拈挙される「無仏性の道を、必ず精進し、趑趄(ししょ)するな」と山内衆に対し、檄を述べる語勢が感ぜられる文体である。「趑趄」おは「進まず・滞る」の意ですが、躊躇する・遠慮する、との意訳できます。

無仏性辿りぬべしと云えども、何なる標準あり、汝なる時節あり、是なる投機あり、周なる同生あり、直趣なり」

 無仏性を漠然と辿ると謂いつつも、「何(か)」と云う真実の目安(標準)があり、「汝(にょ)」と云う立場(時節)があり、「是(ぜ)」と云う具体的な師資(四祖五祖)の気脈通ずる(投機)ことがあり、「周(しゅう)」と云う同じ生き方(同生)とあるが、これらは仏性に直通(直趣)である。

「五祖云く、仏性空故、所以言無。明らかに道取す、空は無にあらず。仏性空を道取するに、半斤と云わず、八両と云わず、無と言取するなり。空なる故に空と云わず、無なる故に無と云わず、仏性空なる故に無と云う」

 五祖(弘忍)が四祖(道信)に対する拈提ですが、通常の訓読みでは、「仏性空なるが故に、つまりは無と言う」となるが、この答えを是とするなら、前言は「四祖いわく、汝空仏性」でも換言可能であろうが、「空は無にあらず」とは、「空」と「無」を混同する参学者に対する忠言であろう。たとえば「般若心経」には「空」を7回謂わしめ「空」を説明する方途で19回もの「無」を説く手法の如く、「仏性空なる故に無と云う」と、五祖の言を讃ずるものである。

 「仏性空」を「半斤・八両(同じ例言)」などと説明する輩もあるが、「無と言取」するのみである。ここで「言取」の詞を用うるが、これまでなら「道取」であろうが、この「言取」に関しては43万字余ある『正法眼蔵』に於いても、此処のみの使用例であるが、中国語では多くの使用例がSAT(大正蔵データベース)にて確認される。

 さらに「空と無」の関係を、空は敢えて空と云う必要はなく、無を表現するに無を使用する必要もなく、仏性空を表示する方便として無と表態するものであり、つまりは仏性の姿を無と表明し、それは空なる故である。と読み解いておこう。

「しかあれば、無の片々は空を道取する標榜なり、空は無を道取する力量なり。いわゆるの空は色即是空の空にあらず。色即是空と云うは、色を強為して空とするにあらず、空を分かちて色を作家せるにあらず。空是空の空なるべし。空是空の空と云うは、空裏一片石なり。しかあれば則ち、仏性無と仏性空と仏性有と、四祖五祖、問取道取」

 「無」を探求するに、「無の片々」とは無の道理を云い、その実態は無辺際であります。その無の道理も「空を道取する標榜」つまり目印となります。逆に「空は無を道取する力量なり」とは、空と無の同時同等を意味する。ものと解すると、先に云う「空は無にあらず」と矛盾する様ではあるが、空と無の聯関性は八両半斤であるから、仏性空の空は無仏性の無と同時性とすれば、互いに違わずと謂えよう歟。

 「空」を探求するに、仏性空の「空は色即是空の空にあらず」とは、少しばかり仏教の教理を知ると、「般若心経」の語言を持ち出して、「色は即ち是れ空」だとすると、色を無理やり(強為)に空とするのではなく、空を分解して色を作るのでもないのである。空は何時でも何処でも空であるから「空是空なるべし」。と云うしか言い様がなく、「空是空」の空とは、「空裏一片石なり」とは奇妙な喩えを云うものである。

 「空裏一片石」の語源は、『景徳伝灯録』十五・石霜慶諸章「僧問、如何是西来意。師日、空中一片石。僧礼拝。師日、会麽。日、不会。師日、頼汝不会、若会即打破你頭」(「大正蔵」五一・三二〇c二六)からのものでしょうが、この話則は『聯灯会要』や『天聖広灯録』『嘉泰普灯録』などには不載であり、御自身の『永平広録』『三百則』等々にも文字化されない「空裏一片石」の詞である。謂う所は、「会すと虚言を云えば空中から石が頭に当たるが、不会と実言すれば西来意である」とは、会は会のままに、不会は不会として受け止める。その道理が「空裏一片石」であり、「空是空」の在り方なのである。

「しかあれば即ち、仏性無と仏性空と仏性有と、四祖五祖、問取道取」

 これまで説いてきたように、「仏性の無と仏性の空と仏性の有」とは半斤八両の喩えの如く、同じ語義として四祖と五祖は問答してきたのである。と、無仏性を言い替えるのであるが、謂うなればホログラフィー理論(影絵からの3次元復元)を用いての二次元三次元空間の同態化とも言えそうである。

   第五段 嶺南人無仏

震旦第六祖曹谿山大鑑禅師、そのかみ黄梅山に参ぜしはじめ、五祖とふ、なんぢいづれのところよりかきたれる。六祖いはく、嶺南人なり。五祖いはく、きたりてなにごとをかもとむる。

六祖いはく、作仏をもとむ。

五祖いはく、嶺南人無仏性、いかにしてか作仏せん。

この嶺南人無仏性といふ、嶺南人は仏性なしといふにあらず、嶺南人は仏性ありといふにあらず、嶺南人、無仏性となり。いかにしてか作仏せんといふは、いかなる作仏をか期するといふなり。

おほよそ仏性の道理、あきらむる先達すくなし。諸阿笈摩教および経論師のしるべきにあらず。仏祖の児孫のみ単伝するなり。仏性の道理は、仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏よりのちに具足するなり。仏性かならず成仏と同参するなり。この道理、よくよく参究功夫すべし。三二十年も功夫参学すべし。十聖三賢のあきらむるところにあらず衆生有仏性、衆生無仏性と道取する、この道理なり。成仏以来に具足する法なりと参学する正的なり。かくのごとく学せざるは仏法にあらざるべし。かくのごとく学せずば、仏法あへて今日にいたるべからず。もしこの道理あきらめざるには、成仏をあきらめず、見聞せざるなり。

このゆゑに、五祖は向他道するに、嶺南人、無仏性と為道するなり。見仏聞法の最初に、難得難聞なるは衆生無仏性なり。或従知識、或従経巻するに、きくことのよろこぶべきは衆生無仏性なり。一切衆生無仏性を見聞覚知に参飽せざるものは、仏性いまだ見聞覚知せざるなり。六祖もはら作仏をもとむるに、五祖よく六祖を作仏せしむるに、他の道取なし、善巧なし、ただ嶺南人、無仏性といふ。しるべし、無仏性の道取聞取、これ作仏の直道なりといふことを。しかあれば、無仏性の正当恁麽時すなはち作仏なり。無仏性いまだ見聞せず、道取せざるは、いまだ作仏せざるなり。

六祖いはく、人有南北なりとも、仏性無南北なり。

この道取を挙して、句裏を功夫すべし。南北の言、まさに赤心に照顧すべし。六祖道得の句に宗旨あり。いはゆる人は作仏すとも、仏性は作仏すべからずといふ一隅の搆得あり。六祖これをしるやいなや。

四祖五祖の道取する無仏性の道得、はるかに罣礙の力量ある一隅をうけて、迦葉仏および釈迦牟尼仏等の諸仏は、作仏し転法するに、悉有仏性と道取する力量あるなり。悉有の有、なんぞ無無の無に嗣法せざらん。しかあれば、無仏性の語、はるかに四祖五祖の室よりきこゆるなり。このとき、六祖その人ならば、この無仏性の語を功夫すべきなり。有無の無はしばらくおく、いかならんかこれ仏性と問取すべし、なにものかこれ仏性とたづぬべし。いまの人も、仏性とききぬれば、いかなるかこれ仏性と問取せず、仏性の有無等の義をいふがごとし、これ倉卒なり。

しかあれば、諸無の無は、無仏性の無に学すべし。六祖の道取する人有南北、仏性無南北の道、ひさしく再三撈摝すべし、まさに撈婆子に力量あるべきなり。六祖の道取する人有南北、仏性無南北の道、しづかに拈放すべし。おろかなるやからおもはくは、人間には質礙すれば南北あれども、仏性は虚融にして南北の論におよばずと、六祖は道取せりけるかと推度するは、無分の愚蒙なるべし。この邪解を抛却して、直須勤学すべし。

「震旦第六祖曹谿山大鑑禅師、そのかみ黄梅山に参ぜし初め、五祖問う、汝いづれの所よりか来たれる。六祖云く、嶺南人なり。五祖云く、来たりて何ごとをか求むる。六祖云く、作仏を求む。五祖云く、嶺南人無仏性、いかにしてか作仏せん」

 前段では四祖・五祖に於ける「無仏性」に対する問答を拈じられましたが、その続編とも云うべき五祖大満と六祖大鑑との初相見での「無仏性」についての提唱文となります。

 引用された典籍は、前来からの継続とすれば『続灯録』一・五祖章での、「有盧居士遠来、師曰、汝什麼処来。答曰、嶺南来。師曰、来作什麼。答曰、来求作仏。師曰、汝嶺南人無仏。答曰、人有南北、仏性豈有南」(『続灯録』「続蔵」七八・六四五a一八)が底本と考えられる。

 ここでのポイントは、五祖は四祖から無仏性を相伝する。この無仏性の仏法を六祖に初見から伝法する。これが邪法との差異する所であろう。(「酒井氏提唱本」一五九頁参照)

「この嶺南人無仏性と云う、嶺南人は仏性なしと云うにあらず、嶺南人は仏性ありと云うにあらず、嶺南人、無仏性となり。いかにしてか作仏せんと云うは、いかなる作仏をか期すると云うなり」

 「嶺南人無仏性」については、「仏性ありなし」を云うているのではなく、嶺南人=無仏性である。「いかにしてか作仏せん」は原文には不載ですが、その前に六祖が「作仏をもとむ」と記す所から、道元による加文を、自らが「いかなる作仏を期待するのか」と、六祖に問う型式を作り出しているが、謂わんとする主意を経豪は「いかなる作仏もあるべし、悉有の作仏もあるべし、有仏性の作仏もあるべき也」(「曹洞宗全書」注解一・五一上)と端的に指摘されるわけである。一方詮慧は「いかなる作仏を期すると云うは、阿弥陀とならん、薬師とならんとにはあらず。作仏の姿、いかにと説かるる也」(「同書」五三下)と見るべきである。と読み解かれる次第である。

「おおよそ仏性の道理、明らむる先達すくなし。諸阿笈摩教および経論師の知るべきにあらず。仏祖の児孫のみ単伝するなり」

 多くの先人達の仏性の論議存在論的である為、仏性の道理(すじみち)を明らかにされず、殊に阿含経などを参学する経文解釈者・論蔵学者の知及すべき問題ではなく、仏祖の法を学ぶ児孫のみ、自己から自己に単伝するものである。

「仏性の道理は、仏性は成仏より先に具足せるにあらず、成仏より後に具足するなり。仏性必ず成仏と同参するなり。この道理、よくよく参究功夫すべし。三二十年も功夫参学すべし。十聖三賢の明らむる所にあらず」

 いかなる文章を理解する時にも、単語や語句の意味を概念化し映像化し、次いでに蓄積された語彙群に照らして納得合点するものではあるが、しかしながら眼蔵に扱われる仏教語の理解には戸惑うばかりである。此所での「仏性・成仏」の関係も同様で、考え抜いても概念化・可視化できない自身に対して苛立ちさへ覚えるものである。

 「仏性は成仏より先に具足せるにあらず」を一般論で考えるなら「仏性」〈「成仏」となり、「仏性必ず成仏と同参」とは「仏性」=「成仏」の関係ですから、我々の頭の中での可視化する映像ではピントがずれますが、先人(西有穆山)の言を以て説明するなら「成仏より後も仏性、以前も仏性だ、故に成仏と仏性とは同参である」と説明し、「成仏より後に具足する」とは、「無始劫来具足であり、故に過去際から未来際に至るも一仏性」(『啓迪』二二四頁参照)と、仏性・成仏の異句同義語としての解釈法が見てとれる。但し仏性・成仏の同時態の時には、打坐(坐禅)の介在が必須であろう事が要件である。

 「三二十年も功夫参学すべし」の「三二十年」とは一生涯にわたり、「仏性は成仏と同参する」道理を努力すべし。との激励と受け取り、「十聖三賢」の説明としては、大乗仏教の修行態度は「信住行向地」で以て、「十信・十住・十行・十回向・十地」の菩薩への階梯であり、「十聖」とは最上階の十地の菩薩道であり、「三賢」とは下位である「十住・十行・十回向」を云うが、このような観念の成仏を考えている者には、仏性は明らめ得ない。との提言である。

衆生有仏性、衆生無仏性と道取する、この道理なり。成仏以来に具足する法なりと参学する正的なり。かくのごとく学せざるは仏法にあらざるべし。かくのごとく学せずば、仏法あえて今日に到るべからず。もしこの道理あきらめざるには、成仏を明らめず、見聞せざるなり」

 「衆生有仏性、衆生無仏性」も有無の存在論ではなく、仏(真実態)の時々の表情であります。たとえば何ら障りなくの打坐時(有仏性)もあれば、警策ばかりが気になる打坐時(無仏性)が、一炷のあわいに経巡る状態を成仏と捉えれば、「この道理(打坐)を明らめざれば、成仏を明らめず、見聞せざるなり」の述法にも整合性が導かれるものである。

「このゆえに、五祖は向他道するに、嶺南人、無仏性と為道するなり。見仏聞法の最初に、難得難聞なるは衆生無仏性なり。或従知識、或従経巻するに、聞くことの喜ぶべきは衆生無仏性なり。一切衆生無仏性を見聞覚知に参飽せざるものは、仏性いまだ見聞覚知せざるなり。六祖もはら作仏を求むるに、五祖よく六祖を作仏せしむるに、他の道取なし、善巧なし、ただ嶺南人、無仏性と云う。知るべし、無仏性の道取聞取、これ作仏の直道なりと云うことを。しかあれば、無仏性の正当恁麽時すなはち作仏なり。無仏性いまだ見聞せず、道取せざるは、いまだ作仏せざるなり」

 「このゆえ」とは「衆生有仏性、衆生無仏性」であり、有仏性も無仏性も共に仏性そのものであり成仏ですから、「五祖(弘忍)は向他道」の「他」とは限定的には六祖(慧能)ですが、これを一般化すれば、現在の我々にまで及ぶ「道」であります。改めて「嶺南人、無仏性と為道す」と、見下しの詞ではなく、「あなた(嶺南人)は成仏そのもの」であり、いかなる現成も作仏そのもの。を含有する「嶺南人、無仏性」であろう。

 「見仏聞法の最初に、難得難聞なるは衆生無仏性なり」と喝破される背景には、義价をはじめとする「日本達磨宗」徒に対する言説の意・呼びかけがあろう事は、容易に推察される。

 「衆生無仏性」を理解する一番の近道は「或従知識・或従経巻」より他はない。と、無師独悟を標榜する達磨徒に対し、徹頭徹尾なる参学を指示し、自分好みの仏性のの観方を誡められるが、果たして当時在興聖した達磨徒には、どのように聴き入れられたのか。さらに或従知識・或従経巻を「見聞覚知」に置き換え、徹底なる態度は「参飽」に示されるものである。

 五祖六祖の啐啄同期なるものは、「嶺南人、無仏性」以外にはなく、この一言により「作仏をもとむ・作仏せしむる」の契合に到ったのである。

 「無仏性の正当恁麽時すなはち作仏なり」の「作仏」とは打坐を意味し、「無仏性」の表出には作仏の実動が必要と説く。「無仏性いまだ見聞・道取せざるは、作仏せざるなり」とは、成仏の無仏性が自覚できないのは、坐の作仏(只管打坐)が不足であると、興聖山内に参ずる衆徒に語りかける提唱であります。

「六祖云く、人有南北なりとも、仏性無南北なり。この道取を挙して、句裏を功夫すべし。南北の言、まさに赤心に照顧すべし。六祖道得の句に宗旨あり。いわゆる人は作仏すとも、仏性は作仏すべからずと云う一隅の搆得あり。六祖これを知るやいなや」

 提唱後半は「人有南北、仏性無南北」を拈じられるが、段頭にても示すように『続灯録』の「人有南北、仏性豈有南北」(「続蔵」七八・六四五a二〇)を「無南北」に書き改めたもので、普段は冒頭にて拈提部を提示するが、今回は、この部位のみを単独化し示すは、何らかの意図があるものか。

 「六祖の云う、人有南北、仏性無南北」については、何を謂わんとしているのかを考察(功夫)すべきで、殊に「南北」の言に対しては真面目(赤心)に検討(照顧)しなさい。との問題提示となります。

 この六祖が云った「人有南北、仏性無南北」の句には大切な意味(宗旨)がある。それは「人は作仏し、仏性は作仏すべからず」と云う宗旨が一般に搆じ得られるが、六祖さんには、この意味をご存知か。との六祖に対する道元の問い掛けの言様であります。

「四祖五祖の道取する無仏性の道得、はるかに罣礙の力量ある一隅をうけて、迦葉仏および釈迦牟尼仏等の諸仏は、作仏し転法するに、悉有仏性と道取する力量あるなり」

 ここに来て、五祖六祖で扱われる「無仏性」は四祖五祖から導かれたものであり、また其の源流は迦葉仏・釈迦仏まで遡及させ、この段階では「無仏性」から「悉有仏性」へと転化させます。そこでは「罣礙の力量」(拘束力)が作動することで、迦葉仏から六祖までの時間空間を「悉有仏性」の理で以て「作仏・転法」したような心持ちであります。

「悉有の有、なんぞ無無の無に嗣法せざらん。しかあれば、無仏性の語、はるかに四祖五祖の室より聞こゆるなり。この時、六祖その人ならば、この無仏性の語を功夫すべきなり。有無の無はしばらく置く、いかならんかこれ仏性と問取すべし、なにものかこれ仏性とたづぬべし。今の人も、仏性と聞きぬれば、いかなるかこれ仏性と問取せず、仏性の有無等の義を云うが如し、これ倉卒なり」

 話の筋道が入り混んで来ましたが、順序立てて考察するに、「悉有の有、なんぞ無無の無に嗣法せざらん」の「無無の無」については、六祖の嗣法者の匾担暁了の法語には「師自得無無之無下無於無也(師自ら無無の無を得て、無に無ならず)、吾今以有有之有不有於有也(吾れ今、有有の有を以て有に有ならず)」(『景徳伝灯録』五「大正蔵」五一・二三七c八)との出典が確認されるが、ここでの直接の引用ではなかろう。

 悉有仏性を承けての「悉有の有」ですから、「悉無の無(無々の無)」に嗣法しても良いではないか。との問い掛けです。「無仏性の語、四祖五祖の室より」は、無仏性の本源は四祖五祖の問答から始まる。「六祖その人ならば、この無仏性の語を功夫すべき」とは、六祖ともあろう人が、仏性無南北など云うな。との叱声です。

 「有無の無は置いて、いかならんかこれ仏性と問取すべし」とは、五祖が嶺南人無仏性の問いのあとに、仏性を問取しなかったのは、力量不足の表れで、さらには「なにものかこれ仏性」と徹底なる仏性の功夫参究が片手落ち。との、六祖に対する激励にも似た、道元の声のようでもあります。

 「今の人」とは直接的には興聖に参ずる達磨徒を意識しての事であろうが、翻っては現今に於ける、道元仏性論争でも「仏性内在論・仏性顕在論・仏性修現論」と云った争論が、「打坐」を教うべき学舎にて盛んなる事を、見据えての提唱とも受け止められる次第である。

 「仏性の有り無し」ばかり問題にするが、なぜ「いかなるかこれ仏性」と問わないか。と眼前の論議ではなく、心髄に迫る「仏性」の参究がないことを、「倉卒なり」軽はずみな態度である。と六祖を叱り、山内衆に警策を入れる老婆親切語なる拈提であります。

「しかあれば、諸無の無は、無仏性の無に学すべし。六祖の道取する人有南北、仏性無南北の道、ひさしく再三撈摝すべし、まさに撈婆子に力量あるべきなり。六祖の道取する人有南北、仏性無南北の道、しづかに拈放すべし」

 「無」に附随する語には、無会・無解・無情・無常・無南北と幾多の「無」を冠する詞は有りますが、今は「無仏性の無」を参究すべし。と拈じ、今一度「六祖の人有南北、仏性無南北の言道」を「再三撈摝すべし」と提言される。この「撈」とは「水中のものを取る・すくい上げる」、「摝」とは「ふるう」の意があり、「再三撈摝すべし」とは、折り返し・繰り返し参究せよ。と、語言の裏中にある義を読み解きなさい。との語勢となります。

 「撈婆子」とは、「竹で編んだ魚を捕る道具」であるが、その道具を使う時には「力量」が必要である。とは、行という打坐を伴なわなければならない。との事実を説くもので、今一度「六祖道の人有南北、仏性無南北」については、「拈じ放じ」と間断なく参究しなさい。と行(実践)を伴なう論を説かれるものである。

「愚かなるやから思わくは、人間には質礙すれば南北あれども、仏性は虚融にして南北の論に及ばずと、六祖は道取せりけるかと推度するは、無分の愚蒙なるべし。この邪解を抛却して、直須勤学すべし」

 ここで云う「愚かなるやから」とは、次段に云う二乗外道を指し、経論師や十聖三賢をも含む学徒を云うのであろうが、彼らの思考パターンはと云えば、「人有南北」に対しては、「質礙すれば南北あり」と、からだが有って場所を塞ぐから人には南北が有る。「仏性無南北」に対しては、「仏性虚融南北論不及」仏性は影形が無いから南北なし。

 このような「無分の愚蒙」とは、自己の本分がわからない愚か者の意で、彼らのような邪解を捨て去り、「直須勤学すべし」とは、ただちに勤行(打坐)参学(功夫)の均整のとれた修行せよ。との御指示である。

   第六段 無常者仏性也

六祖示門人行昌云、無常者即仏性也、有常者即善悪一切諸法分別心也。

いはゆる六祖道の無常は、外道二乗等の測度にあらず。二乗外道の鼻祖鼻末、それ無常なりといふとも、かれら窮尽すべからざるなり。しかあれば、無常のみづから無常を説著、行著、証著せんは、みな無常なるべし。今以現自身得度者、即現自身而為説法なり。これ仏性なり。さらに或現長法身なるべし、或現短法身なるべし。常聖これ無常なり、常凡これ無常なり。常凡聖ならんは仏性なるべからず。小量の愚見なるべし、測度の管見なるべし。仏者小量身也、性者小量作也。このゆゑに六祖道取す、無常者仏性なり。

常者未転なり。未転といふは、たとひ能断と変ずとも、たとひ所断と化すれども、かならずしも去来の蹤跡にかかはれず、ゆゑに常なり。

しかあれば、草木叢林の無常なる、すなはち仏性なり。人物身心の無常なる、これ仏性なり。国土山河の無常なる、これ仏性なるによりてなり。阿耨多羅三藐三菩提これ仏性なるがゆゑに無常なり、大般涅槃これ無常なるがゆゑに仏性なり。もろもろの二乗の小見および経論師の三蔵等は、この六祖の道を驚疑怖畏すべし。もし驚疑せんことは、魔外の類なり。

「六祖示門人行昌云、無常者即仏性也、有常者即善悪一切諸法分別心也」

 この経文の出典は『景徳伝灯録』五・江西志徹禅師章に於ける「弟子嘗覽涅槃経、未曉常無常義、乞和尚慈 悲略為宣説。祖曰無常者即仏性也有常者即善悪一切諸法分別心也」(「大正蔵」五一・二三九a二)であり、行昌が涅槃経の常と無常についての、六祖に対する質問形式であります。ほかには『六祖大師法宝壇経』(「大正蔵」四八・三五九a一六)。

「いわゆる六祖道の無常は、外道二乗等の測度にあらず。二乗外道の鼻祖鼻末、それ無常なりと云うとも、かれら窮尽すべからざるなり」

 ここでは六祖と外道二乗の思考パターンの違いを述べるのであるが、前述での「愚かなるやから」を「外道二乗」と言替したものであり、提唱の主体は同じものです。

 但し「無常」の実態は六祖であろうが、外道二乗であろうとも、何ら変わり得るものではないが、ここでの「二乗外道の鼻祖鼻末」とは、生活態度の違いによる物事の相違を、「かれら(外道)窮尽すべから」と言われるのである。

「しかあれば、無常のみづから無常を説著・行著・証著せんは、みな無常なるべし。今以現自身得度者、即現自身而為説法なり。これ仏性なり。さらに或現長法身、或現短法身なるべし」

 無常(巴anicca)なる語は、筆者移住地のタイ王国に於いても、人々の間ではアニッチャと発音され、日常語として聞き及ぶが、道元の指示する「無常」の本源を身体と考えることが、この文章から読みとれる。

 「身体(無常)がみづから、無常なる状態を説き行じ証する」事実は、人体の新陳代謝を説明するオートファジー現象やアポトーシス作用により、常に我々は真実人体なる恒常性を保持できるのである。

 次いでの身体無常の説明では『観音経』に於ける三十三身変化説を援用し、「今以現自身得度者、即現自身而為説法」と―部の自身なる新語を示し、現自身が「これ仏性なり」と「無常」=「身体」=「仏性」の一体不可分を言辞し、さらに「或現長法身・或現短法身」と重言し、法体と無常との聯関を示される。

「常聖これ無常なり、常凡これ無常なり。常凡聖ならんは仏性なるべからず。小量の愚見なるべし、測度の管見なるべし。仏者小量身也、性者小量作也。このゆえに六祖道取す、無常者仏性なり」

 「小量の愚見」とは「子供(小人)邪解」の意で、これは「二乗外道・愚かなる族」をも表し、かれらの思考法は二者分立・事物の固定化が顕著であり、その最たるものが「常聖は無常、常凡は無常」と「常凡」の執着に入り込む小量見を有する輩には、行を伴なわずとも、「聖・凡・仏性」の概念が定式化されているのである。「測度の管見」とは、凡聖の規定を小量見にて憶測する見方であります。

 「仏者小量身」とは、先の小量愚見者に対しての反語で以て、「仏は小さな身量」であり、また「性者小量作」も同じく「性は小量の作用」であり、仏性の広大なる常識論を破砕し、その故に「無常は仏性である、と六祖は道取する」のである。と、外道二乗の通論を細破するものであります。

「常者未転なり。未転と云うは、たとい能断と変ずとも、たとい所断と化すれども、必ずしも去来の蹤跡に関われず、ゆえに常なり」

 「無常」の対語としての「常」を想定・構築するものであるが、これは観念的に構想するだけのもので、実際には宇宙の膨張から素粒子のコヒーレント現象まで、一瞬たりとも「常」なる時節は存在しないのである。

 「常とは未転であるが未転」と云うは、「能断と変ずとも」とは(判断する分別心と変じたり)、「所断と化すれども」(判断される善悪の一切諸法となっても)、「必ずしも去来の蹤跡」(決して過去未来の跡方とは関係しない)、「故に常なり」。

「しかあれば、草木叢林の無常なる、即ち仏性なり。人物身心の無常なる、これ仏性なり。国土山河の無常なる、これ仏性なるによりてなり。阿耨多羅三藐三菩提これ仏性なるがゆえに無常なり、大般涅槃これ無常なるがゆえに仏性なり。もろもろの二乗の小見および経論師の三蔵等は、この六祖の道を驚疑怖畏すべし。もし驚疑せんことは、魔外の類なり」

 第六段の結語として「無常と仏性」の関係性を、教学的説明ではなく、我々の眼前する真実として「草木叢林(住処)―無常仏性、「人物身心」(真実人体)―無常仏性、「国土山河」(自然)―無常仏性、「阿耨多羅三藐三菩提」(真理)―仏性無常、「大般涅槃」(常住)―無常仏性。と列挙されます。

 相対語として「二乗経論師の小見三蔵」などにはこれらの六祖の道(仏法)は想定外の事であるから、聞くにつけ驚き疑い、怖(おじ)け畏(おそ)れるに相違ない。もし驚き疑うなら、天魔外道の類いである。と、称するようなものである。このような拈提内容で、小論ではありましたが、難渋なものでした。

   第七段 身現円月相

第十四祖龍樹尊者、梵云那伽閼刺樹那。唐云龍樹亦龍勝、亦云龍猛。西天竺国人也。至南天竺国。彼国之人、多信福業。尊者為説妙法。聞者逓相謂日、人有福業、世間第一.徒言仏性、誰能覩之。

尊者日、汝欲見仏性、先須除我慢。

彼人日、仏性大耶小耶。

尊者日、仏性非大非小、非広非狹、無福無報、不死不生。

彼聞理勝、悉廻初心。

尊者復於坐上現自在身、如満月輪。一切衆会、唯聞法音、不覩師相。

於彼衆中、有長者子迦那提婆、謂衆会日、識此相否。

衆会日、而今我等目所未見、耳無所聞、心無所識、身無所住。

提婆日、此是尊者、現仏性相、以示我等。何以知之。蓋以無相三昧形如満月。仏性之義、廓然虚明。

言訖輪相即隠。復居本坐、而説偈言、

身現円月相、以表諸仏体。

説法無其形、用辯非声色。

しるべし、真箇の用辯は声色の即現にあらず。真箇の説法は無其形なり。尊者かつてひろく仏性を為説する、不可数量なり。いまはしばらく一隅を略挙するなり。

汝欲見仏性、先須除我慢。

この為説の宗旨、すごさず辨肯すべし。見はなきにあらず、その見これ除我慢なり。我もひとつにあらず、慢も多般なり。除法また万差なるべし。しかあれども、これらみな見仏性なり。眼見目覩にならふべし。

仏性非大非小等の道取、よのつねの凡夫二乗に例諸することなかれ。偏枯に仏性は広大ならんとのみおもへる、邪念をたくはへきたるなり。大にあらず小にあらざらん正当恁麽時の道取に罣礙せられん道理、いま聴取するがごとく思量すべきなり。思量なる聴取を使得するがゆゑに。

しばらく尊者の道著する偈を聞取すべし、いはゆる身現円月相、以表諸仏体なり。

すでに諸仏体を以表しきたれる身現なるがゆゑに円月相なり。しかあれば、一切の長短方円、この身現に学習すべし。身と現とに転疎なるは、円月相にくらきのみにあらず、諸仏体にあらざるなり。愚者おもはく、尊者かりに化身を現ぜるを円月相といふとおもふは、仏道を相承せざる儻類の邪念なり。いづれのところのいづれのときか、非身の他現ならん。まさにしるべし、このとき尊者は高座せるのみなり。身現の儀は、いまのたれ人も坐せるがごとくありしなり。この身、これ円月相現なり。身現は方円にあらず、有無にあらず、隠顕にあらず、八万四千蘊にあらず、ただ身現なり。円月相といふ、這裏是甚麽処在、説細説麤月なり。

この身現は、先須除我慢なるがゆゑに、龍樹にあらず、諸仏体なり。以表するがゆゑに諸仏体を透脱す。しかあるがゆゑに、仏辺にかかはれず。仏性の満月を形如する虚明ありとも、円月相を排列するにあらず。いはんや用辯も声色にあらず、身現も色心にあらず、蘊処界にあらず。蘊処界に一似なりといへども以表なり、諸仏体なり。これ説法蘊なり、それ無其形なり。無其形さらに無相三昧なるとき、身現なり。一衆いま円月相を望見すといへども、目所未見なるは、説法蘊の転機なり、現自在身の非声色なり。即隠、即現は、輪相の進歩退歩なり。復於座上現自在身の正当恁麽時は、一切衆会、唯聞法音するなり、不覩師相なるなり。

尊者の嫡嗣迦那提婆尊者、あきらかに満月相を識此し、円月相を識此し、身現を識此し、諸仏性を識此し、諸仏体を識此せり。入室瀉缾の衆たとひおほしといへども、提婆と斉肩ならざるなし。提婆は半座の尊なり、衆会の導師なり、全座の分座なり。正法眼蔵無上大法を正伝せること、霊山に摩訶迦葉尊者の座元なりしがごとし。龍樹未廻心のさき、外道の法にありしときの弟子おほかりしかども、みな謝遣しきたれり。龍樹すでに仏祖となれりしときは、ひとり提婆を附法の正嫡として、大法眼蔵を正伝す。これ無上仏道の単伝なり。しかあるに、僣偽の邪群ままに自称すらく、われらも龍樹大士の法嗣なり。論をつくり義をあつむる、おほく龍樹の手をかれり、龍樹の造にあらず。むかしすてられし群徒の、人天を惑乱するなり。仏弟子はひとすぢに、提婆の所伝にあらざらんは、龍樹の道にあらずとしるべきなり。これ正信得及なり。しかあるに、偽なりとしりながら稟受するものおほかり。謗大般若の衆生の愚蒙、あはれみかなしむべし。

迦那提婆尊者、ちなみに龍樹尊者の身現をさして衆会につげていはく、

此是尊者、現仏性相、以示我等。何以知之、蓋以無相三昧形如満月。仏性之義、廓然虚明。

いま天上人間、大千法界に流布せる仏法を見聞せる前後の皮袋、たれか道取せる、身現相は仏性なりと。大千界にはただ提婆尊者のみ道取せるなり。余者はただ、仏性は眼見耳聞心識等にあらずとのみ道取するなり。身現は仏性なりとしらざるゆゑに道取せざるなり。祖師のをしむにあらざれども、眼耳ふさがれて見聞することあたはざるなり。身識いまだおこらずして、了別することあたはざるなり。無相三昧の形如満月なるを望見し礼拝するに、目未所覩なり。仏性之義、廓然虚明なり。

しかあれば、身現の説仏性なる、虚明なり、廓然なり。説仏性の身現なる、以表諸仏体なり。いづれの一仏二仏か、この以表を仏体せざらん。仏体は身現なり、身現なる仏性あり。四大五蘊と道取し会取する仏量祖量も、かへりて身現の造次なり。すでに諸仏体といふ、蘊処界のかくのごとくなるなり。一切の功徳、この功徳なり。仏功徳はこの身現の究尽し、囊括するなり。一切無量無辺の功徳の往来は、この身現の一造次なり。

しかあるに、龍樹・提婆師資よりのち、三国の諸方にある前代後代、ままに仏学する人物、いまだ龍樹・提婆のごとく道取せず。いくばくの経師論師等か、仏祖の道を蹉過する。大宋国むかしよりこの因縁を画せんとするに、身に画し心に画し、空に画し、壁に画することあたはず、いたづらに筆頭に画するに、法座上に如鏡なる一輪相を図して、いま龍樹の身現円月相とせり。すでに数百歳の霜華も開落して、人眼の金屑をなさんとすれども、あやまるといふ人なし。あはれむべし、万事の蹉跎たることかくのごときなる。もし身現円月相は一輪相なりと会取せば、真箇の画餅一枚なり。弄他せん、笑也笑殺人なるべし。かなしむべし、大宋一国の在家出家、いづれの一箇も、龍樹のことばをきかずしらず、提婆の道を通ぜずみざること。いはんや身現に親切ならんや。円月にくらし、満月を虧闕せり。これ稽古のおろそかなるなり、慕古いたらざるなり。古仏新仏、さらに真箇の身現にあうて、画餅を賞翫することなかれ。

しるべし、身現円月相の相を画せんには、法座上に身現相あるべし。揚眉瞬目それ端直なるべし。皮肉骨髄正法眼蔵、かならず兀座すべきなり。破顔微笑つたはるべし、作仏作祖するがゆゑに。この画いまだ月相ならざるには、形如なし、説法せず、声色なし、用辯なきなり。もし身現をもとめば、円月相を図すべし、円月相を図せば、円月相を図すべし、身現円月相なるがゆゑに。円月相を画せんとき、満月相を図すべし、満月相を現ずべし。しかあるを、身現を画せず、円月を画せず、満月相を画せず、諸仏体を図せず、以表を体せず、説法を図せず、いたずらに画餅一枚を図す、用作什麽。これを急著眼看せん、たれか直至如今飽不飢ならん。

月は円形なり、円は身現なり。円を学するに一枚銭のごとく学することなかれ、一枚餅に相似することなかれ。身相円月相なり、形如満月形なり。一枚銭、一枚餅は、円に学習すべし。

予、雲遊のそのかみ、大宋国にいたる。嘉定十六年癸未秋のころ、はじめて阿育王山広利禅寺にいたる。西廊の壁間に、西天東地三十三祖の変相を画せるをみる。このとき領覧なし。

のちに宝慶元年乙酉夏安居のなかに、かさねていたるに、西蜀の成桂知客と、廊下を行歩するついでに、予、知客にとふ、這箇是什麽変相。

知客いはく、龍樹身現円月相。

かく道取する顔色に鼻孔なし、声裏に語句なし。

予いはく、真箇是一枚画餅相似。

ときに知客、大笑すといへども、笑 裏無刀、破画餅不得なり。

すなはち知客と予と、舎利殿および六殊勝地等にいたるあいだ、数番挙揚すれども、疑著するにもおよばず。おのづから下語する僧侶も、おほく都不是なり。

予いはく、堂頭にとうてみん。ときに堂頭は大光和尚なり。

知客いはく、他無鼻孔、対不得。如何得知。

ゆゑに光老にとはず。恁麽道取すれども、桂兄も会すべからず。聞説する皮袋も道取せるなし。前後の粥飯頭みるにあやしまず、あらためなほさず。又、画することうべからざらん法はすべて画せざるべし。画すべくは端直に画すべし。しかあるに、身現の円月相なる、かつて画せるなきなり。

おほよそ仏性は、いまの慮知念覚ならんと見解することさめざるによりて、有仏性の道にも、通達の端を失せるがごとくなり。道取すべきと学習するもまれなり。しるべし、この疎怠は癈せるによりてなり。諸方の粥飯頭、すべて仏性といふ道得を、一生いはずしてやみぬるもあるなり。あるいはいふ、聴教のともがら仏性を談ず、参禅の雲衲はいふべからず。かくのごとくのやからは、真箇是畜生なり。なにといふ魔儻の、わが仏如来の道にまじはりけがさんとするぞ。聴教といふことの仏道にあるか、参禅といふことの仏道にあるか。いまだ聴教・参禅といふこと、仏道にはなしとしるべし。

「第十四祖龍樹尊者、梵云那伽閼刺樹那。唐云龍樹亦龍勝、亦云龍猛。西天竺国人也。至南天竺国。彼国之人、多信福業。尊者為説妙法。聞者逓相謂日、人有福業、世間第一。徒言仏性、誰能覩之。尊者日、汝欲見仏性、先須除我慢。彼人日、仏性大耶小耶。尊者日、仏性非大非小、非広非狹、無福無報、不死不生。彼聞理勝、悉廻初心」

 この出典録は『景徳伝灯録』一(「大正蔵」五一・二一〇a二九)と考えられるが、細部に於いて多少の異同がある。たとえば、冒頭部の「梵云那伽閼刺樹那。唐云龍樹亦龍勝、亦云龍猛」は『伝灯録』にはなく、『仏祖』巻(仁治二年正月三日)にて「那伽閼刺樹那大和尚、又龍樹、又龍勝、又龍猛」と援用される次第で、また「徒言仏性、誰能覩之」は『伝灯録』では「徒言信、誰能覩之」との改変が見られる程度である。

 第十四祖龍樹尊者は、インドではナーガールジュナと云い、漢訳では龍樹と云い、また龍勝、龍猛とも云う。西インドの人であり、南インドに至る。南インドの人は、多くは福業を信じていた。尊者(龍樹)は人々の為に妙法(仏法)を説き、聞いた人々は互いに言った。人は幸福(福業)なのが世間で一番だ。仏性と言われても、誰我仏性を覩るのか。尊者が言うには、仏性を見たいのならば、先ずは我慢(わがまま)を除去せよ。彼が言うには、仏性は大か小か。尊者言う、仏性は大でも小でもなく、広い狭いでなく、福も報いもなく、不死不生である。彼は理の勝れるを聞き、悉く初心を廻し仏法に帰依す。

 「龍樹」については、生没年に関しては150年―250年頃の人としますから、日本では邪馬台国卑弥呼の時代でありますから、龍樹の著作とされる『大智度論』や『中論』『十住毘婆沙論』なども、彼の著作であるのかの真偽も甚だ疑わしい限りですが、この龍樹を中心とする学派を「中観派」と称し、特に600巻にわたる『大般若波羅蜜多経』の注釈書の作成は、中観派グループによる仕事として伝えられているものである。

 「西天竺国人也、至南天竺国」とありますが、インドの土着宗教はバラモン教であり、そこからヒンズー教・仏教・ジャイナ教等々さまざまな教えが伝播するのであるが、南インド(天竺)地方ではジャイナ宗徒が勢力を保持していた事情から、西インドから南インドに向けての布教活動の様子を、物語風に仕立てあげられた説話であろう。

 「福業」とは現世利益的な考え方で、その対極として仏教の教理としての「無福無報、不死不生」を唱えるもので、謂わば「無所得無所悟」・「全機現」的教示に廻心された。との意味であろうか。

「尊者復於坐上現自在身、如満月輪。一切衆会、唯聞法音、不覩師相。於彼衆中、有長者子迦那提婆、謂衆会日、識此相否。衆会日、而今我等目所未見、耳無所聞、心無所識、身無所住。提婆日、此是尊者、現仏性相、以示我等。何以知之。蓋以無相三昧形如満月。仏性之義、廓然虚明。言訖輪相即隠。復居本坐、而説偈言、身現円月相、以表諸仏体。説法無其形、用辯非声色」

 尊者はまた坐上にて自在身を現じたが、満月輪の如くで、一切の人は、ただ法音を聞くのみで、師の姿(相)は覩ず。集まり(衆会)の中に、長者の子の迦那提婆(十五祖)がいて、人々(衆会)に告げて言うには、この相(姿)を識別できるかどうかと。人々(衆会)が言うには、今の我等には目には未だ見ざる所、耳には聞く所なく、心には識別する所なく、身には住する所がない。提婆が言うには、これはこれ尊者(龍樹)が、仏性の相を現じ、我等に示すのである。何を以て之を示すかは、蓋し無相三昧の形は満月の如くであり、仏性の義は廓然として虚明である。と言い終ると、輪相はすぐに隠れ、また本の坐に居り、偈を説いて言う、身に円月相を現じ、以て諸仏の体を表す。説法に其の形は無く、用辯は声色に非ず。

 「尊者復於坐上現自在身、如満月輪」の所を、単に字句の羅列として眼蔵を盲読していた頃には、龍樹の身体変幻で以ての、オン・ドロン的な妖術を頭にイメージし、それを悉有仏性にリンクさせて、此の箇所を見ていた事が想い起こされる。後の拈提でも「愚者おもはくは」として説明はあるが、「坐上に於いて、自らの身の在るを現ず」とは、大衆の眼前に於いての打坐の姿を、「満月輪の如し」とするだけで、先の「無福無報、不死不生」の実践化と受け留めてよかろう。いま一つの例言は『随聞記』一・七に示される「龍門」の如くに、龍樹の坐は、坐して仏に成るものではなく、仏であるから坐した姿が「円月相」であったのである。

 「而今我等目所未見、耳無所聞、心無所識、身無所住」については、酒井得元提唱本からの援用を試みる。「菩薩摩訶薩実無所見、無所見者即無所有、無所有者即一切法菩薩摩訶薩修大涅槃、於一切法悉無所見。若有見者不見仏性、不能修習般若波羅蜜。不得入於大般涅槃、是故菩薩見一切法性無所有」(菩薩摩訶薩は実に所見無し、所見無ければ即ち所有無し、所有無ければ即ち一切法なり。菩薩摩訶薩は大涅槃を修して、一切法に於いて悉く所見無し。若し見有らば仏性を見ず、般若波羅蜜を修習する能わず。大般涅槃に入るを得ず、是の故に菩薩は一切法の性は無所有なりと見るなり)・『大般涅槃経』二十五「大正蔵」十二・七六五c一一)

 これは得元老師が昭和52年(1977)「永平寺眼蔵会」での音源を文字化したものであり、菩薩(仏)の見方と衆生(凡夫)の見方との差違を考究するには最適な資料であろう。なお『永平寺史料全書』「眼蔵会講師」一覧によれば、昭和52年(第71次眼蔵会)から昭和62年(第82次眼蔵会)までの11年間にわたり講師を務められ、その間の聴講者の数は361名(寺院185人、学人176人)が随喜する。

「知るべし、真箇の用辯は声色の即現にあらず。真箇の説法は無其形なり。尊者かつて広く仏性を為説する、不可数量なり。今はしばらく一隅を略挙するなり」

 拈提に入る前の前言とも云うべきもので、「真箇の用辯(説法)」とは、感覚(声色)に現れる即物的なものではなく、真の説法には目に見える形などは無いものである。龍樹はこれまでに数えきれぬ説法を為したが、今ここでは一例を挙げて見よう。と、この拈提に対する意気込みが感ぜられる語り口であります。

「汝欲見仏性、先須除我慢。この為説の宗旨、すごさず辨肯すべし。見はなきにあらず、その見これ除我慢なり。我もひとつにあらず、慢も多般なり。除法また万差なるべし。しかあれども、これらみな見仏性なり。眼見目覩に習うべし」

 これより拈提の開始で、龍樹の説く「汝は仏性を見んと欲うなら、先ずは須く我慢を除くべし」の大事な意味合い(宗旨)見過ごさずに、肯いなさい。欲見仏性の「見」は見る事ではなく、「除我慢」をすれば、おのずと「見仏性」するものである。

 「我慢」をアートマン(我)とマーナ(慢)に分けて、それぞれが多種多般な要素を包含するわけであるから、その除く方法も千差万別(万差)である。

 除我慢すれば「見仏性」おのずと仏性が現(見)前し、「眼見目覩」つまり見仏性を眼見とみなし、除我慢は目覩に比定されるが、数多の「我慢」の除法には対象を追い回さない、打坐法を謂わんとするものではあろうが、結論の打坐が定型化するを嫌う為、敢えてこのような謂い回しとするものであろうと推察するものである。

「仏性非大非小等の道取、世の常の凡夫二乗に例諸することなかれ。偏枯に仏性は広大ならんとのみ思える、邪念を蓄え来たるなり。大にあらず小にあらざらん正当恁麽時の道取に罣礙せられん道理、いま聴取するが如く思量すべきなり。思量なる聴取を使得するがゆえに」

 「仏性非大非小」に対する拈語で、「仏性」を哲学などの論題として、「大小の問題(道取)」として学び、「凡夫二乗(論蔵学者)」の例言としてはならない。同じように仏性は把捉できぬ程に「広大」とばかりに片寄って(偏枯)思うは、単に邪念を持ち続けているのである。

 「大にあらず小にあらざらん」は龍樹の云う「仏性非大非小」との、まさにその時(正当恁麽時)に道取(言う)と一致しない(罣礙)道理を、聴取するように思い量り、その思量と同じ聴くと云う「仏性」のハタラキを使っているのである。と、多少わかりづらい云い様ではあるが、龍樹の説く「仏性非大非小」の道取と聴取、つまり語言を聞き行動する事が、仏性の眼見目覩であるとのようである。

「しばらく尊者の道著する偈を聞取すべし、いわゆる身現円月相、以表諸仏体なり。

すでに諸仏体を以表しきたれる身現なるがゆえに円月相なり」

 ここで偈言の初二句「①身現②円月相、③以表④諸仏体」を例によって分節作業により意味解体し、新たに「④諸仏体を③以表し①身現に②円月相」なりと、諸仏体(尽十方界真実人体)そのものが完全無欠な「円月相」である。との解釈であります。

「しかあれば、一切の長短方円、この身現に学習すべし。身と現とに転疎なるは、円月相に暗きのみにあらず、諸仏体にあらざるなり」

 「一切の長短方円」とは、あらゆる現前に生ずる事物・事象を云い、「この身現に学習すべし」とは、我々の生身の人身を以て学び習わなければならない。と説かれるが、たとえば宇宙の始源の138億年先の長大な遠方を、光学・電波いづれの望遠鏡を駆使しても、その観測者は自身の眼識で以てしか学習する方途はないわけで、その逆に短小なるカラビ・ヤウ多様体やヒッグス場を導き出す数式にしても、「身現に学習」しなければ成果は得られないわけである。

 ここでは「①身現」を細分し「⑤身と⑥現」に分解させる徹底なる言語による意味の固着化を嫌い、「身体に疎く転(うたた)に辦道したならば、真実態(諸仏体)にあらざるなり」と、蔑ろに生きるな。との言でありますが、この所も坐の一字も不見ながら、これら言辞の裏中では打坐に努めよ。との提言があると思われる。

「愚者思わく、尊者かりに化身を現ぜるを円月相と云うと思うは、仏道を相承せざる儻類の邪念なり。いづれの所のいづれの時か、非身の他現ならん。まさに知るべし、このとき尊者は高座せるのみなり。身現の儀は、今のたれ人も坐せるが如く在りしなり。この身、これ円月相現なり」

 この所は数頁前でも取り上げた言説であるが、宗教と名を冠するイメージとして、数十年前(1980年代)に起こった密教ブームがある。そこでは秘儀と称される、特有な言動が宗教と思い込み、社会問題にまで発展したが、800年前の此の文章にても同様なニュアンスを与え得る「化身を現ぜるを円月相と云う」は、まさにオン・ドロン的考え方が「化身」であり、「非身の他現」の発想であろう。このような文章を見るにつけ、人間の思考法には、他人とは異なる特殊な能力を附与することへの願望と達成感は、「仏道を相承せざる儻類」たちには、「坐せるが如くの円月相が現ずる」状況は、想像だに出来ぬものか。

「身現は方円にあらず、有無にあらず、隠顕にあらず、八万四千蘊にあらず、ただ身現なり。円月相と云う、這裏是甚麽処在、説細説麤月なり」

 「身現」は普段なる打坐を示唆する無所得無所悟を旨とするわけですから、「方円・有無・隠顕・八万四千蘊」と云う修飾語は必要なく、「ただ身現」とは只管打坐(身現)そのものであります。

 「円月相」とは完全無欠なる如満月でありますから、「這裏是甚麽処在」(どこでもが処在)「説細説麤月」(半月であっても三ケ月であっても月である)なり。と説かれる。天月は日々変わり続ける無常態ではありますが、満月の本体は厳然と在るが、眺める立ち位置から、細とも麤とも映るが、何処からも甚麽なる処在である。

「この身現は、先須除我慢なるがゆえに、龍樹にあらず、諸仏体なり。以表するがゆえに諸仏体を透脱す。しかあるがゆえに、仏辺にかかわれず」

 本則での「先須除我慢」は欲見仏性に対する方途として龍樹が提示したものですが、ここでは「身現」つまり打坐に於ける必須要件として除我慢が示されます。この場合の「除」は排除の意はなく、除我慢をも包含し取り込むことで、龍樹一人(いちにん)に限定されず、即「諸仏体」の真実態として表出する。

 さらに第二句偈「以表諸仏体」を棒読みにて「以表するが故に諸仏体」と云うのは、諸仏体の真実相と一体不可分に成ったことで「透脱す」と表記し、そのように真実態には辺際が認められない為「仏辺にかかわらない」と、「身現」=「諸仏体」の不可分として読み解く次第である。

「仏性の満月を形如する虚明ありとも、円月相を排列するにあらず。いわんや用辯も声色にあらず、身現も色心にあらず、蘊処界にあらず。蘊処界に一似なりと云えども以表なり、諸仏体なり。これ説法蘊なり、それ無其形なり。無其形さらに無相三昧なるとき、身現なり」

 ここで第三・四句偈「説法無其形、用辯非声色」を取り込んでの拈提です。「仏性」を形容する詞として「満月を形如する虚明」とは、些か日本語の響きとしてはハテナが付きそうですが、これは「形如満月」を分節の対象にし、「形如する」と動詞に変換させる手法で、「虚明」⇄「満月」を同等語として対局させ、単に「円月相を並べた(排列)ものではない」とします。

 「用辯」とは説法を云い、説法も単なる音声や現象(声色)で説明できるものではなく、「身現」すなわち坐禅も、色法・心法(肉身と精神)だけで説かれるべきものでもなく、また「五蘊・十二処・十八界」と説明されるものでもない。

 蘊処界に相似するようであり、それによって諸仏体を以表しているのである。このように蘊処界の感覚器官を総動員して身現する。これが真実の表現ですから「これ説法蘊なり」と唱え、その説法自体には形はありませんから、「それ無其形なり」と偈言を読み解かれる。その定まった形が無いことを「無相三昧」と喚ぶ時、「身現」の坐となるわけである。

「一衆いま円月相を望見すと云えども、目所未見なるは、説法蘊の転機なり、現自在身の非声色なり。即隠、即現は、輪相の進歩退歩なり。復於座上現自在身の正当恁麽時は、一切衆会、唯聞法音するなり、不覩師相なるなり」

 「一衆」とは龍樹に対する人々が、いま龍樹の坐相(円月相)を望み見ると云っても、目で見えない(目所未見)のは、龍樹の説法蘊(円月相)に捲き込まれ能見所見がないからであり、それは現在の自身(現自在身)が感覚(声色)を超克(非)したからである。

 「即隠・即現」の即は隠・現を強調した接頭辞であり、「輪相の進歩退歩」とは、満月なる「輪相」「に於いても常に変化を伴い、動的平衡を維持する為には、「進歩退歩」なる無常を「隠・現・進・退」と表出させたわけです。

 龍樹が座上に於いて自在身を現じた正に其の時には、眼前の聴衆は、唯法音を聴くのみで、師(龍樹)を目にする事はなかった。つまりは龍樹と一切衆会とが能所の分別を超越し、不可分の無相三昧に入定したものである。

「尊者の嫡嗣迦那提婆尊者、明らかに満月相を識此し、円月相を識此し、身現を識此し、諸仏性を識此し、諸仏体を識此せり。入室瀉缾の衆たとい多しと云えども、提婆と斉肩ならざるなし。提婆は半座の尊なり、衆会の導師なり、全座の分座なり。正法眼蔵無上大法を正伝せること、霊山に摩訶迦葉尊者の座元なりしが如し。龍樹未廻心のさき、外道の法にありし時の弟子多かりしかども、みな謝遣しきたれり。龍樹すでに仏祖となれりし時は、ひとり提婆を附法の正嫡として、大法眼蔵を正伝す。これ無上仏道の単伝なり」

 これより龍樹を嗣いだ十五祖迦那提婆について論じられます。提婆には龍樹の御姿を「満月相・円月相・身現・諸仏性・諸仏体」と、それぞれに此れを識り得ていた。と、解説されますが、円相を識此せりだけの方が、簡潔であると思われる。

 「入室瀉缾」とは、師資相承を形容する語句であるが、弟子が師匠の室に入り、水缾から水缾に承け渡す行持を云い、高名な龍樹には多くの直弟子が在ったが、啐啄する者は提婆に肩を斉しく者は居なかった。その優秀なる証しとして「半座の尊・衆会の導師・全座の分座」さらには「霊山に摩訶迦葉尊者の座元なりしが如し」と、最高の形容で以て龍樹と提婆との関係を、釈尊と迦葉に比定し讃じられます。

 「座元」に関しては一言すれば、衆会中の第一座を意味し、結制安居では首座と呼ばれ、役職では監院和尚より原則的には発言力があり、上座とも長老とも称す。

 「龍樹未廻心・外道」とは、インドは広大な国土を持ち、龍樹の出身は西インド地方と記され、仏法の教えは元々はインダス川中流域を拠点に布教され、釈尊入滅より700年経過した龍樹の時代にも、それ程までには教線は拡大されていなかったと思われる。その時点では恐らくはバラモン的教えであった事であろうから、「外道の法に、ありし時の弟子多かりし」とは、釈尊時代の舎利弗・目蓮の如き存在であったのであろう。

 いざ仏道に廻心してからは、多くの弟子に別れを告げ(謝遣)、迦那提婆を正嫡として指名し仏法を正伝した事を、「これ無上仏道の単伝なり」と十四祖十五祖の相承を説かれる次第です。

「しかあるに、僣偽の邪群ままに自称すらく、われらも龍樹大士の法嗣なり。論をつくり義をあつむる、多く龍樹の手をかれり、龍樹の造にあらず。昔すてられし群徒の、人天を惑乱するなり。仏弟子は一筋に、提婆の所伝にあらざらんは、龍樹の道にあらずと知るべきなり。これ正信得及なり。しかあるに、偽なりと知りながら稟受するもの多かり。謗大般若の衆生の愚蒙、憐れみ悲しむべし」

 「僣偽の邪群」とは、自身には実力も才能も無いもの。で、そのような徒輩は勝手に龍樹の名を語り、自分は龍樹の法を嗣いだとか、論部や釈義を寄せ集め一冊の書物とし龍樹の著作と称するが、龍樹が手掛けたものではない。このような事例は人間が営む社会では日常茶飯である。龍樹から謝遣された弟子(5千余人)たちが、除我慢できずに人天を惑乱するのである。

 仏弟子と称する限りは富那夜奢―馬鳴―迦毘摩羅―龍樹―提婆と継承される法系を「正信得及(正しの信心で道に入る)」であるが、世間には偽書・偽作と承知しながら稟受する者が多いのも事実である。大般若(大いなる真実)を誹謗する愚弄愚蒙な連中は、憐れみ悲しむべき存在である。と、僣偽の邪群を分析されるものであります。

「迦那提婆尊者、ちなみに龍樹尊者の身現を指して衆会に告げていわく、此是尊者、現仏性相、以示我等。何以知之、蓋以無相三昧形如満月。仏性之義、廓然虚明」

 これは本則に示される龍樹に対する提婆の言の拈提作業です。

「いま天上人間、大千法界に流布せる仏法を見聞せる前後の皮袋、たれか道取せる、身現相は仏性なりと。大千界にはただ提婆尊者のみ道取せるなり。余者はただ、仏性は眼見耳聞心識等にあらずとのみ道取するなり。身現は仏性なりと知らざるゆえに道取せざるなり。祖師の惜しむにあらざれども、眼耳ふさがれて見聞することあたはざるなり。身識いまだおこらずして、了別すること能わざるなり。無相三昧の形如満月なるを望見し礼拝するに、目未所覩なり。仏性之義、廓然虚明なり」

 「天上人間・大千法界」で以て三千大千世界と称し、「仏法を見聞せる前後の皮袋」とは人類の総数と云ってもよく、「身現相は仏性なりと誰が道取する」とは「大千界にても提婆尊者のみ道取」と、十五祖提婆を讃じられるが、『伝灯録』をよく点検するに、「身現円月

+「現仏性相」との龍樹と提婆の合糅で以て、文体を構築されます。この解釈には小拙の見当違いな見落としが有るなら、是非ともkarnacitta5746@yahoo.co.jpまで教示いただければ甚幸であります。

 「余者」提婆以外の者たち(学者)は、ただ眼で見たり耳で聞いたり、心で意識したり、するものではない。と云うだけで、提婆のように具体的に「身体」=「仏性」を知らないからである。

 祖師が教えないのではなく、相手が聞く耳を持たずの状況を「眼耳ふさがれて見聞することあたわず」と表現。「無相三昧」以下は本則に沿った文章となります。

「しかあれば、身現の説仏性なる、虚明なり、廓然なり。説仏性の身現なる、以表諸仏体なり。いづれの一仏二仏か、この以表を仏体せざらん。仏体は身現なり、身現なる仏性あり。四大五蘊と道取し会取する仏量祖量も、かへりて身現の造次なり」

 「身現」は打坐であり仏性そのままを説かれる肉身ではあるが、「虚明なり廓然なり」と本則語を差し替えての説明です。「虚明」とは造作も何もなく自然体を云い、「廓然」も同様に当たり前の姿と解すればよい。

 前に説く「身現の説仏性」を入れ替え「説仏性の身現」なる「以表諸仏体なり」と偈言を附し整合性に適った文章表現とするが、「説仏性」なる語は1万4千余字の中でも、この2箇所のみであり、いかに語言の選択性に配慮する様子が垣間見られる。

 それぞれ各々の真実態を「一仏二仏」と表し、「以表諸仏体」を切り崩し、真実態の一仏二仏が、以表する仏体である。と説くは、尽界の全存在を「仏体」と位置づけるわけである。

 「仏体―身現―仏性」の同等・同時・同事性を示されるが、この処で謂わんとする要略は、仏性論考での難解な論争は右に置き、我々の生身の真実なる人体を以てしか、仏性は導き得ない事実を解くものである。

 「四大五蘊」地水火風の元素と色受想行識を以て人間を説明し、仏祖量を考える手立てではありますが、日常の些細な造作(造次)が坐(身現)として顕現するものなのである。

「すでに諸仏体と云う、蘊処界のかくの如くなるなり。一切の功徳、この功徳なり。仏功徳はこの身現の究尽し、囊括するなり。一切無量無辺の功徳の往来は、この身現の一造次なり」

 「眼蔵」の読解には俯瞰的な視野で文章を眺めないと、いま何についての提唱や拈提かが、わからなくなってくる。この「諸仏体」は偈言である「身現円月相、以表諸仏体」の処を参じているわけで、「蘊処界(五蘊十二処十八界)つまり教学で云う処の一つ一つのハタラキも仏(真実態)の功徳であり、この具象する姿が「身現(坐仏)として究尽され囊括される」のである。「一切無量無辺」とは尽十方界の異句同義語であり、この尽界の様々な在り方は、この「身現」(坐禅)としての「一造次」(一瞬のふるまい)である。

「しかあるに、龍樹・提婆師資よりのち、三国の諸方にある前代後代、ままに仏学する人物、いまだ龍樹・提婆のごとく道取せず。いくばくの経師論師等か、仏祖の道を蹉過する。大宋国むかしより、この因縁を画せんとするに、身に画し心に画し、空に画し、壁に画すること能わず、いたづらに筆頭に画するに、法座上に如鏡なる一輪相を図して、いま龍樹の身現円月相とせり。すでに数百歳の霜華も開落して、人眼の金屑をなさんとすれども、誤まると云う人なし。憐れむべし、万事の蹉跎たる事かくの如きなる。もし身現円月相は一輪相なりと会取せば、真箇の画餅一枚なり。弄他せん、笑也笑殺人なるべし。悲しむべし、大宋一国の在家出家、いづれの一箇も、龍樹のことばを聞かず知らず、提婆の道を通ぜず見ざること。いわんや身現に親切ならんや。円月に暗し、満月を虧闕せり。これ稽古の疎かなるなり、慕古いたらざるなり。古仏新仏、さらに真箇の身現に逢うて、画餅を賞翫することなかれ」

 「師資」とは師と弟子の意。「三国」とはインド・中国・日本。「前代後代」は龍樹提婆の生きた前後の時代。「身現円月相」の道理は、これまで龍樹・提婆のように説き示された事はなく、机上の学者らが、どれほど仏道の理を蹉過(ふみちがえ)したことか。と、学問仏教は発展して来ているが、実践を伴う真箇の仏道は、今(道元在宋時)に至るまで「蹉過する」と嘆かれるものです。

 仏教先進国である「大宋国」に於いても、「昔よりこの因縁」つまり龍樹の円月相を画にしようとするなら、「身に画し心に画し」とは身心打坐を意味し、さらには「空に画し壁に画する」を能わず。とは、龍樹の説話を処理する者が居なかった、との拈提です。

 単に筆で以て須弥壇(法座)の上に鏡のような一輪相をして、龍樹の象徴とするが、龍樹の時代から数百年が経過し、いまだに一輪相の図が間違いである。と云う人が居ない事は、大宋国の民にとっては憐れむことであり、万事が蹉跎(さだ・つまずく)である。とは、仏道の先輩とは云っても、このようなヨタヨタ歩きでは、と現今の宋国の状況を哀れむものです。

 もしも「身現円月相は一輪相」と会得するなら俗に云う「画餅」そのもので、「弄他、笑也笑殺人」つまり、他人を弄んでいるようで、抱腹絶倒であると、かなり辛辣に批難されます。大宋国と云っても一人として龍樹の言動を理解せず、提婆の言辞に通じていない事は悲しむ現状である。

 どうして仏道に精通する人に於いても、「身現」を自身に領せず「円月」に無知で、「満月」を欠けたものにする要因は、「稽古のおろそか」つまり打坐に精通しないからであり、昔を慕う「慕古」の心が到らないからである。

 「古仏新仏」とは興聖下に参学する人々を指し、真箇(ほんもの)の坐禅(身現)に逢ったなら、画餅を賞翫(もてあそぶ)することなかれ。と一転して、中国仏教の状況分析から、日本の学人に指針を示す拈提であります。

「知るべし、身現円月相の相を画せんには、法座上に身現相あるべし。揚眉瞬目それ端直なるべし。皮肉骨髄正法眼蔵、必ず兀座すべきなり。破顔微笑伝わるべし、作仏作祖するがゆえに」

 ここで文体のトーン(調子)が入れ変わり、偈言での「身現円月相」を画せんには、法座上に坐禅相である「身現相」があるではないか。と聴講する興聖衆に呼びかけにも問いかけにも似た肉迫すら感ずる語言であります。

 釈迦・迦葉との因縁譚を例に「揚眉瞬目」、達磨の「皮肉骨髄」そして、仏法そのものの「正法眼蔵」が顕現するには、「必ず兀座すべきなり」と、はじめて「身現相」=「兀座」を明言されます。「兀座」が伝わる処に釈尊の「破顔微笑」があり、「作仏作祖」が相伝する。との拈提です。

「この画いまだ月相ならざるには、形如なし、説法せず、声色なし、用辯なきなり。もし身現を求めば、円月相を図すべし。円月相を図せば、円月相を図すべし、身現円月相なるがゆえに。円月相を画せんとき、満月相を図すべし、満月相を現ずべし」

 「この画」とは兀坐ですから、「いまだ月相ならざる」すなわち満月相なる無相三昧でなかったならば、「説法せず、声色なし、用辯なきなり」とは、坐禅の様態を為していない。との見方です。

 「身現を求めば、円月相を図すべし。円月相を図せば、円月相を図すべし」と繰り返しの言で、書き写しの誤りのようにも思われ、次いでの「満月相を図すべし、満月相を現ずべし」も重言の用法で、此の処と次の箇所は蛇足の感がしなくもない文章である。

「しかあるを、身現を画せず、円月を画せず、満月相を画せず、諸仏体を図せず、以表を体せず、説法を図せず、いたずらに画餅一枚を図す、用作什麽。これを急著眼看せん、たれか直至如今飽不飢ならん。月は円形なり、円は身現なり。円を学するに一枚銭のごとく学することなかれ、一枚餅に相似することなかれ。身相円月相なり、形如満月形なり。一枚銭、一枚餅は、円に学習すべし」

 前述するように、説明の為の説明的な弄翫とも称すべき文章と思われる。略述すれば、単なる一輪相を画するだけなら何にもならず、画した餅のように飢えを満たすことはない。月とは完全無欠であり、月は真実態(身現)であり、単なる穴あき銭のように学んではならず、一枚の餅のように考えてはならない。身相(坐相)が円月身であり、形如(形そのまま)が満月(完全)な形である。よしんば一枚銭、一枚餅は身現円なる円として学習しなさい。と詞を加えられます。

「予、雲遊のそのかみ、大宋国に到る。嘉定十六年癸未秋の頃、初めて阿育王山広利禅寺に到る。西廊の壁間に、西天東地三十三祖の変相を画せるを見る。このとき領覧なし。後に宝慶元年乙酉夏安居のなかに、重ねて到るに、西蜀の成桂知客と、廊下を行歩するついでに、予、知客に問う、這箇是什麽変相。知客いわく、龍樹身現円月相。かく道取する顔色に鼻孔なし、声裏に語句なし。予いわく、真箇是一枚画餅相似。時に知客、大笑すと云えども、笑裏無刀、破画餅不得なり。即ち知客と予と、舎利殿および六殊勝地等に到る間、数番挙揚すれども、疑著するにも及ばず。おのづから下語する僧侶も、多く都不是なり」

 これまで述べてきた「円月相」の具体的事例を嘉定十六年(1223)の秋(7・8・9月のいづれか)の頃に於ける阿育王山広利禅寺での出来事を、仁治二年(1241)から18年前を回想しての文章であります。嘉定十六年は日本の元号では貞応二年であり、建仁寺の明全(1184―1225)と共に二月二十二日に寧波(ニンポー)に向けて船出し、四月には着岸し、同年五月中には阿育王山の老典座との問話、そして同年七月には「山僧掛錫天童。時彼典座 來得相見云、解夏了退典座帰郷去」(『典座教訓』「大正蔵」八二・三二一c一)とする事情を考えるなら、七月の掛錫以後、解夏後の八・九月ころに15㎞ほどの距離を歩いて阿育王寺まで出掛たのであろうか。

 その時に西側廊下の壁には「西天東地三十三祖」とあるから、摩訶迦葉から慧能までの三十三枚の変相(仏祖の変幻自在を表したもの)の画像を見たが、その時には案内してくれる人もなく時間もなかったのか「領覧なし」(意味がわからなかった)とする。

 「宝慶元年(1225)乙酉夏安居」と具体的日付が記され、これに従うなら2年後には再び阿育王寺を訪問したとなるが、『面授』巻では①「大宋宝慶元年乙酉五月一日道元はじめて先師天童古仏を妙高台に焼香礼拝す」(寛元元年1243十月二十日)、『仏祖』巻②「大宋国宝慶元年乙酉夏安居時、先師天童古仏大和尚に参侍」(仁治二年1241正月三日)、『鉢盂』巻③「先師天童古仏、大宋宝慶元年、住天童日」(寛元三年1245三月十二日)などを参考に熟考するならば、「宝慶元年」の夏安居(4月15日―7月15日)では敬愛する如浄会での禁足の九旬安居の途中での他出は考えられず、ここでの「宝慶元年」は道元の記憶ちがいで、前年の嘉定十七年(1224)の2月頃から3月下旬の雲遊と推察され、このトピック(出来事)は『嗣書』巻での「宝慶のころ、道元、台山鴈山等に雲遊するついでに、平田の万年寺にいたる」(寛元元年1243九月二十四日)の「宝慶」も嘉定十七年(1224)の2月から3月にかけての遊山と思われる(詳しくは拙著「嗣書」巻を参照https://blog.hatena.ne.jp/nitani3246/karnacitta.hatenablog.jp/edit?entry=26006613612452213)また①②のイベントは記述通りであろうが、③に関しても記憶ちがいか、『如浄録』の読み解き違いで、実際の上堂日は如浄晋山日の嘉定十七年(1224)7月後半から8月にかけての日時が正しいと思われる。

 二度目の訪問(嘉定十七年1224)時には、「西蜀」つまり四川省出身者の成桂(じょうけい)と云う知客(しか)和尚に阿育王寺を案内してもらった時の様子を述懐されます。因みに知客と云う役職は、禅林に於ける外来者の応対に当たる僧侶を云う。

 道元が知客に問う「これは何の変相図か(這箇是什麽変相)」。知客云く、「龍樹の身現円月相である(龍樹身現円月相)。「かく道取する顔色に鼻孔なし、声裏に語句なし」とは、成桂和尚が説明する態度には何の誠意もなく、単に型通りの事務処理的態度に、同じ雲水僧侶の立場として立腹したのであろうが、この阿育王寺を皮切りに平田の万年寺に到る雲遊の旅では、道元自身の内部に潜む高慢・驕慢の心が生ずるが、これが最初の慢心の始まりであろう。

 道元云く、「ほんとに是れは一枚の画餅そのものですね(真箇是一枚画餅相似)。その時の知客の態度には只に大笑いするだけで、笑いの裏には真実を切り裂く慧刀は無く、画餅を打破する力量は得ていなかった(「笑裏無刀、破画餅不得」)因みに笑裏無刀は笑裏有刀(『真字中五十七』の潙山元来笑裏有刀)の対語で、道元による造語であろう。

 このように田舎育ちの成桂の無学・無知を嘆かれますが、ここには道元の高邁なるが故の、見下すような姿が浮かび上がる。ことば(言語)の構造は何層にも分かれ、日本語にても東京人と北陸人とが会話流通しても、微妙なる語感の違いが生じ、殊に福井や富山などでは現今にても万葉ことばが家常語として使用されるが、この微細なニュアンスは標準語・共通語を母語とする地方人には理解不能でありましょう。この事例からも窺えるように、中国語の能力が仮に母語者と同等であっても、他人の語言の真底までは読み解けるものではないのではなかろう歟。

 そのあとも知客和尚と共に、舎利殿や六殊勝地(阿育王寺内の名所)などを案内してもらっている間も、何回か疑問を試みたが解決には及ばず、中途で会話に入る僧もあったが「都て不是なり」と、阿育寺の雲水を一蹴されます。

「予いわく、堂頭に問うてみん。時に堂頭は大光和尚なり。知客いわく、他無鼻孔、対不得。如何得知。ゆえに光老に問わず。恁麽道取すれども、桂兄も会すべからず。聞説する皮袋も道取せるなし。前後の粥飯頭見るに怪しまず、改め直さず」

 知客の成桂では話にならないので、堂頭に問うてみようとするが、知客が云うには、堂頭の大光和尚は「かれには鼻孔無く、対え得ず。どうして(龍樹身現円月相を)知り得か(他無鼻孔、対不得。如何得知)とは、いかにも野狐の禅林内での師弟関係のようである。

 「ゆえに光老に問わず」と記述されるが、『宝慶記』第十九問では「先日育王山長老の大光に謁す時、聊か難問の次いで。大光日く、仏法の道与教家の談は水火也」との拝問に対する如浄の答えは「唯大光一人妄談有るに非ず」との記載ある事情からは、「光老に問わず」と齟齬が生ずるが、ここでは問わない。

 方丈が鼻孔無しであるから、成桂も聞説する人間(皮袋)も説明(道取)できる者は居なく、ましてや阿育王山の前代後代の粥飯頭の長老たちも、この壁画を見ても怪しまず改めず。と嘆かれるが、この状況は道元が入宋当時に安居した、天童寺無際了派堂頭の山内と、酷似する光景であったのであろう。

「又、画すること得べからざらん法はすべて画せざるべし。画すべくは端直に画すべし。しかあるに、身現の円月相なる、かつて画せるなきなり。おおよそ仏性は、いまの慮知念覚ならんと見解すること醒めざるによりて、有仏性の道にも、通達の端を失せるが如くなり。道取すべきと学習するも稀なり。知るべし、この疎怠は癈せるによりてなり。諸方の粥飯頭、すべて仏性と云う道得を、一生言わずして止みぬるもあるなり。あるいは云う、聴教のともがら仏性を談ず、参禅の雲衲は云うべからず。かくの如くのやからは、真箇是畜生なり。なにと云う魔儻の、わが仏如来の道に交わり穢さんとするぞ。聴教と云うことの仏道にあるか、参禅と云うことの仏道にあるか。いまだ聴教・参禅と云うこと、仏道には無しと知るべし」

 「慮知念覚」とは、あらゆる精神作用を以て、いろいろと思索することですが、諸方の粥飯頭と称すべき長老たちには、「仏性」とは慮知念覚の対象にしか思えず、眼が醒めていない状況である。

 「仏性」については、この長老たちは通達する端緒、契機を失い、仏性を道取すべきと学習する者は稀である。それは仏道に疎く怠慢であり、仏道が廃ったからである。そうした長老たちには、一生涯「仏性」を問題にすることはなく、一度も口外なく、考えもしない事であろう。

「聴教のともがら」とは教学論者で、彼らは大いに「仏性」を論ずべきではあるが、参禅の雲衲つまり実践を旨とする学人は「仏性」は論じてはならない。このように行を持たず論ばかりに明け暮れるやからを「真箇是畜生」と断言する。この言は『宝慶記』第十問にて如浄が道元に示した語であり、『洗浄』巻(「岩波文庫」㈢一八九)にても使用される。

 「魔儻」と云うのは自身に潜む自我を云い、如来を説きながら同時に女身の快楽に耽るを「わが仏如来の道に交わり穢さんとするぞ」と叱声するものです。聴教が仏道か、参禅が仏道か。と問われ、即座に聴教だけ参禅だけ、が仏道ではないと認知すべき。との提唱で、額に公案を掲げての坐禅や、教学に終始し、行持がない仏道は、仏法と称するに値なし。との提示と受け止められるようである。

 当巻に於ける提唱・拈提は13段に構成されるが、この「龍樹の身現円月相」の段を中間に位置づけ文章のピークを為し、後半は斉安、大潙、黄檗、南泉、潙山、仰山、趙州、長沙を取り上げ、「仏性」を論じられる。

   第八段 塩官、一切衆生悉有仏性

杭州塩官県斉安国師は、馬祖下の尊宿なり。ちなみに衆にしめしていはく、一切衆生有仏性。

いはゆる一切衆生の言、すみやかに参究すべし。一切衆生、その業道依正ひとつにあらず、その見まちまちなり。凡夫外道、三乗五乗、おのおのなるべし。いま仏道にいふ一切衆生は、有心者みな衆生なり、心是衆生なるがゆゑに。無心者おなじく衆生なるべし、衆生是心なるがゆゑに。しかあれば、心みなこれ衆生なり、衆生みなこれ有仏性なり。草木国土これ心なり、心なるがゆゑに衆生なり、衆生なるがゆゑに有仏性なり。日月星辰これ心なり、心なるがゆゑに衆生なり、衆生なるがゆゑに有仏性なり。国師の道取する有仏性、それかくのごとし。もしかくのごとくにあらずは、仏道に道取する有仏性にあらざるなり。

いま国師の道取する宗旨は、一切衆生有仏性のみなり。さらに衆生にあらざらんは、有仏性にあらざるべし。しばらく国師にとふべし、一切諸仏有仏性也無。かくのごとく問取し、試験すべきなり。

一切衆生即仏性といはず、一切衆生有仏性といふと参学すべし。有仏性の有、まさに脱落すべし。脱落は一条鉄なり、一条鉄は鳥道なり。しかあれば、一切仏性有仏性なり。これその道理は、衆生を説透するのみにあらず、仏性をも説透するなり。国師たとひ会得を道得に承当せずとも、承当の期なきにあらず。今日の道得、いたづらに宗旨なきにあらず。又、自己に具する道理、いまだかならずしもみづから会取せざれども、四大五陰もあり、皮肉骨髄もあり。しかあるがごとく、道取も、一生に道取することもあり、道取にかかれる生生もあり。

 この本則の出典録は『真字中十五』「大潙嘗示衆云、一切衆生無仏性。因鹽(塩)官或示衆云一切衆生有仏性。鹽官会有二僧」であることは、後に説く「趙州、狗子還有仏性也無」の話則が同じく『真字中十四』に列記されることから、草稿時には『真字眼蔵』を座右に置きての執筆作業は明らかでありますが、元々の底本は『宗門統要集』四大潙章もしくは『聯灯会要』七大潙章(「続蔵」七九・六四c二〇)と考えられる。

 「杭州塩官県斉安国師」については、『景徳伝灯録』七では「杭州塩官(浙江省海寧県)鎭国海昌院の斉安(―842)禅師は海門郡(江蘇省)の人なり」(「大正蔵」五一・二五四a四)と記す。「馬祖下の尊宿」とは『景徳伝灯録』によれば、馬祖門下には101人の法嗣者が居り、その中の61人の実録が確認されるが、本則は不載である。

 因みに『真字中十五』則によれば、塩官の発言は、潙山霊祐(771―853)の道場内でのエピソードとして記録されることから、比較的若い時期の記録であろう。潙山は百丈懐海(749―814)の門下で、同輩には黄檗希運(―856)が居り、後に取り挙げられる如く、黄檗が南泉普願(748―834)に参学するように、当時の禅界の実状が垣間見えるようである。また塩官の同輩には麻浴宝徹・大梅法常(752―839)・南泉が居ならぶ。

 また塩官が生きた同時代には、白居易(772―846)が、822年に杭州刺史の役人として赴任し、二年後の洛陽に転ずる際には「征途行色慘風煙(中略)就中難別是湖辺」の西湖留別を味読することが出来る。

「いはゆる一切衆生の言、すみやかに参究すべし。一切衆生、その業道依正ひとつにあらず、その見まちまちなり。凡夫外道、三乗五乗、おのおのなるべし」

 まずは「一切衆生」について参学究明してみようと言われる。「業道」とは前業の結果としての生活の仕方。「依正」とは依法正法の略語で、環境と主体である。「一切衆生」には、ありとあらゆる事物事象が包含された総体ですから、その中では生まれも環境も、識見もまちまちでありますから、一括りでは説明不能ですが、「一切衆生」とすれば言明であります。たとえば「人間」には男・女・日本人・アメリカ人・乳幼児・青年・老人と様々なカテゴリーに分類されますが、総体すれば「一切衆生」であります。その「一切衆生」というパンドラの箱の中には、「凡夫・外道・三乗・五乗」と各種なる「おのおのなるべし」としての真実態が内在される。との意味合いであろう。

「いま仏道に云う一切衆生は、有心者みな衆生なり、心是衆生なるがゆえに。無心者同じく衆生なるべし、衆生是心なるがゆえに。しかあれば、心みなこれ衆生なり、衆生みなこれ有仏性なり。草木国土これ心なり、心なるがゆえに衆生なり、衆生なるがゆえに有仏性なり。日月星辰これ心なり、心なるがゆえに衆生なり、衆生なるがゆえに有仏性なり。国師の道取する有仏性、それかくの如し。もしかくの如くにあらずは、仏道に道取する有仏性にあらざるなり」

 「いま仏道に云う一切衆生」の仏道とは釈尊を頂点とする教理体系を唱える仏教を云うものではなく、普遍的事実を称して「仏道」と云う。

 「有心者‐衆生」+「心是衆生」=「無心者‐衆生」+「衆生是心」との等式が成り立つ。ここに云う「心」は精神作用を伴うマインドとは規定しない。

 ですから「①心=衆生、②衆生=有仏性、③草木国土=心、④心=衆生、⑤衆生=有仏性、⑥日月星辰=心、⑦心=衆生、⑧衆生=有仏性」このように敢えて8つにカテゴライズし、「塩官国師の道取する有仏性」であると道破するわけである。

「いま国師の道取する宗旨は、一切衆生有仏性のみなり。さらに衆生にあらざらんは、有仏性にあらざるべし。しばらく国師に問うべし、一切諸仏有仏性也無。かくの如く問取し、試験すべきなり」

 ここでは塩官斉安の「一切衆生有仏性」の未徹底を問い質す形式で以て、「一切諸仏有仏性也無」と問い掛け試道せよ。との拈提であり、参学衆にも参究せよ。との問題提示であります。

「一切衆生即仏性と云わず、一切衆生有仏性と云うと参学すべし。有仏性の有、まさに脱落すべし。脱落は一条鉄なり、一条鉄は鳥道なり。しかあれば、一切仏性有仏性なり。これその道理は、衆生を説透するのみにあらず、仏性をも説透するなり」

 「一切衆生仏性」と「一切衆生仏性」の違いを、即は接続的意味合いが生じる為、「一切衆生」≠「仏性」は別物となるが、「一切衆生」=「有仏性」であるなら仏性に包含されるから、このように「参学すべし」。と説明されるが、筆者から見れば単なる手づま使いによる錯視と思えるが、どうであろうか。

 そこで「有仏性」の有を「脱落すべし」と「有」の徹底化を図られます。ここでの脱落の意は拘泥するな。であり、その脱落の形状を「一条鉄」つまり他の物が入り込まない純物に喩え、その一本の鉄はと云うと「鳥道なり」と言い添える。これは鳥の飛び去った後には跡形がない。ことから「さとり」の例言として用いられる。これは洞山良价(807―869)が「我有三路接人、鳥道玄路展手」(「大正蔵」四七・五一一a二六)と最初に発した詞とされるが、『宏智広録』では20箇所にわたり使用され、道元『眼蔵』にての当巻以外で4回援用され、「脱落」を謂い表すには好手な語である。

 このように拘泥するな、の意を承けて「一切仏性有仏性」と説いたらどうか。と提案され、その道理(すじみち)はと云えば、「衆生に限らず仏性をも説透すべきである」と解き明かす辺りは、標題にて「仏性」を掲げるにも拘らず、仏性をも説き透かせとは、『仏道』巻(寛元元年九月十六日示衆)での「禅宗の称は、魔波旬の称ずるなり。魔波旬の称を称じきたらんは魔儻なるべし、仏祖の児孫にあらず」(「岩波文庫」㈢一五)とも通底するものであろう。

国師たとい会得を道得に承当せずとも、承当の期なきにあらず。今日の道得、いたづらに宗旨なきにあらず。又、自己に具する道理、未だ必ずしもみづから会取せざれども、四大五陰もあり、皮肉骨髄もあり。しかあるが如く、道取も一生に道取することもあり、道取にかかれる生々もあり」

 ここも塩官に対し多少の皮肉を含んだ物謂いであります。塩官国師の会得は「道得」と云うには当てはまる(承当)ことはないが、いづれは「承当」する時期がないではなかろう。

 今回の「一切衆生有仏性」の道得(提示)には宗旨(大切な意味)がないわけではない。また自分に具有する仏性の道理は、必ずしも自身が会得しなくとも、「四大五陰(蘊)や皮肉骨髄」と謂った生身の仏性が自然に会取すればこそ、生かされ続ける自己である。

 このように真実のことば(道取)を生涯にわたり説き続けることもあり、または生々世々にも到って道取する場合がある。と、塩官斉安国師の提示する「一切衆生有仏性」の位置づけを考察するものであるが、最後に酒井得元先生による塩官と道元との立ち位置を援用してみよう。

 塩官さんの一切衆生有仏性は確かに立派な言葉でした。間違ってはいない。けれどもそこに言い足りないところがある。表だけで裏があることを言っていない。この裏もあることを強調するために、この則をここに入れたんです。不完全な則を入れませんと、次に完全な無仏性を説くことができないから、塩官さんにはお気の毒ですが、無仏性を説くために、この言葉をここに持ってきたわけです。(酒井得元『正法眼蔵』「すべては仏のいのち」仏性の巻・二四四頁より)

   第九段 大潙、一切衆生無仏

大潙山大円禅師、あるとき衆にしめしていはく、一切衆生無仏性。

これをきく人天のなかに、よろこぶ大機あり、驚疑のたぐひなきにあらず。釈尊説道は一切衆生悉有仏性なり、大潙の説道は一切衆生無仏性なり。有無の言理、はるかにことなるべし、道得の当不、うたがひぬべし。しかあれども、一切衆生無仏性のみ仏道に長なり。塩官有仏性の道、たとひ古仏とともに一隻の手をいだすににたりとも、なほこれ一条拄杖両人舁なるべし。

いま大潙はしかあらず、一条拄杖呑両人なるべし。いはんや国師は馬祖の子なり、大潙は馬祖の孫なり。しかあれども、法孫は、師翁の道に老大なり、法子は、師父の道に年少なり。いま大潙道の理致とせり。いまだ曠然縄墨外といはず。自家屋裏の経典、かくのごとくの受持あり。さらに摸索すべし、一切衆生なにとしてか仏性ならん、仏性あらん。もし仏性あるは、これ魔儻なるべし。魔子一枚を将来して、一切衆生にかさねんとす。仏性これ仏性なれば、衆生これ衆生なり。衆生もとより仏性を具足せるにあらず。たとひ具せんともとむとも、仏性はじめてきたるべきにあらざる宗旨なり。張公喫酒李公酔といふことなかれ。もしおのづから仏性あらんは、さらに衆生にあらず。すでに衆生あらんは、つひに仏性にあらず。

このゆゑに百丈いはく、説衆生有仏性、亦謗仏法僧。説衆生無仏性、亦謗仏法僧。しかあればすなはち、有仏性といひ無仏性といふ、ともに謗となる。謗となるといふとも、道取せざるべきにはあらず。

且問你、大潙、百丈しばらくきくべし。謗はすなはちなきにあらず、仏性は説得すやいまだしや。たとひ説得せば、説著を罣礙せん。説著あらば聞著と同参なるべし。

また、大潙にむかひていふべし、一切衆生無仏性はたとひ道得すといふとも、一切仏性無衆生といはず、一切仏性無仏性といはず。いはんや一切諸仏無仏性は夢也未見在なり。試挙看。

「大潙山大円禅師、あるとき衆に示していはく、一切衆生無仏性。これをきく人天のなかに、よろこぶ大機あり、驚疑のたぐひなきにあらず。釈尊説道は一切衆生悉有仏性なり、大潙の説道は一切衆生無仏性なり。有無の言理、はるかに異なるべし、道得の当不、疑ひぬべし。しかあれども、一切衆生無仏性のみ仏道に長なり。塩官有仏性の道、たとひ古仏と共に一隻の手をいだすに似たりとも、なほこれ一条拄杖両人舁なるべし」

 この処は前段と同則(『真字中十五』を扱うもので、八・九段で以て一対を成す構成文体であり、当段が主眼を為すものである。「大潙山大円禅師」は潙山霊祐(771―853)の尊称であり、道元の慕古する態度は、『真字三百則』では計15則が潙山に連関するものであり、『知事清規』(「大正蔵」八二・三三四b八)にては百丈懐海(749―814)の道場での典座職から、潙山の御山に至るエピソードが語られる次第である。

 「一切衆生無仏性」と聞いて大抵は、これは素晴らしいと「よろこぶ大機の人」と、「驚き疑う人」の二つに分類される。釈尊の説く「一切衆生悉有仏性」は当巻冒頭でも示すように涅槃経の文言であり、大潙は「一切衆生無仏性」と説くが、悉有の「有」と無仏性の「無」とは全く異なる言語であり、打ち任すは釈尊言の「一切衆生悉有仏性」に軍配するだろうが、此処に於ける道元による拈提では「一切衆生無仏性」が長じているのである。

 「塩官有仏性の道、古仏とともに」とは、前段で示した『真字中十五』則に於ける、塩官の「一切衆生有仏性」と、「古仏」とは不特定な祖師を云い、「一隻の手」とは古仏が言い出した仏性を云い、このように古仏と斉安二人で以て「一条拄杖両人舁」一本の拄杖を二人で担いでいるようなもので、半人前である。と論断するものです。

「いま大潙はしかあらず、一条拄杖呑両人なるべし。いはんや国師は馬祖の子なり、大潙は馬祖の孫なり。しかあれども、法孫は、師翁の道に老大なり、法子は、師父の道に年少なり」

「一条拄杖呑両人」とは愉快な詞で、SAT(「大蔵経テキストデータベース」にてもヒットせず道元による造語ではあろうが、「一条拄杖両人舁(よ)」に関しては『汾陽語録』上(「大正蔵」四七・六〇五a一七)のみに記載がある。因みに「一本の拄杖が二人を吞み込んでしまった」とは、絶対の真実が古仏も塩官も取り込んだ。とでも言い得、潙山の「一切衆生無仏性」は真実そのものであるから、呑や吐の問題ではないとの言のようである。

 斉安国師は馬祖の晩年の直弟子であり、潙山は馬祖の孫弟子にはなるが、馬祖の法孫である霊祐は「師翁」、つまり師匠の師である馬祖の仏法に対して「老大なり」とは、熟練を重ねて円熟している。との意であり、「法子」である塩官は「師父の道に年少なり」とは、仏法には未熟である。との批判眼であり、潙山道である「一切衆生無仏性」の優位性を示される。

「いま大潙道の理致とせり。いまだ曠然縄墨外と云わず。自家屋裏の経典、かくの如くの受持あり」

 これからが拈提の本番になり、「大潙道の理致」とは潙山の詞の趣旨・道理を含するもので、「一切衆生無仏性を理致とせり」とは、一切衆生無仏性を本筋としている。

 「曠然」とは遥かな形状で、何処までも限りのない空間を曠然と称する。「縄墨」とは大工道具のすみなわを云い、転じて守るべき基準・規格を云うもので、「縄墨外」とは禅坊主にありがちな風狂的態度を指すものである。つまりは潙山霊祐の人物像は、奇妙奇天烈な指導法ではなく、地味な生活態度であった事を述べるものである。

 「自家屋裏の経典」とは、自分自身が経典そのもので、決して外部による文字列ばかりが経典ではなく、潙山という人はこのように、自分自身の真実として「一切衆生無仏性」を受持した。とする。

「さらに摸索すべし、一切衆生なにとしてか仏性ならん、仏性あらん。もし仏性あるは、これ魔儻なるべし。魔子一枚を将来して、一切衆生に重ねんとす。仏性これ仏性なれば、衆生これ衆生なり。衆生もとより仏性を具足せるにあらず。たとい具せんと求むとも、仏性はじめて来たるべきにあらざる宗旨なり」

 道元の探求心である、詞を掘り下げて究め尽すを「さらに摸索すべし」と言い替え、現今の我々にも問題提起されます。一切衆生はどうして仏性でなければならないのか。どうして仏性がなければならないのか。と、前提条件である「仏性」を問い質せ。との詰問にも見られるが、「もし仏性あるは、これ魔儻なるべし」と、「仏性」=「魔儻」との全面対決とも謂うべき筆先である。この言の意味する処は、「仏性」という執するもの・額に掲げて主張する借り物を破する意があるものと考えられる。

 「魔子一枚を将来して」とは、自身の外部に仏性を想定し、仏性という悪魔の子を将って来て、「一切衆生」という概念に貼り付けようとするのが世情であろう。「仏性これ仏性なれば、衆生これ衆生なり」とは、あたり前の言辞ではあるが、「仏性」の時節には「衆生」の時節はなく、全機現的意味合いが醸し出される語感であります。

 「衆生もとより仏性を具足せるにあらず」とは、般若経文による「一切衆生悉有仏性」の言とは矛盾するような錯覚を覚えるが、これは仏性本具説を排するものであろう。たとえば仏性を具えていようと思っても、仏性は外から入り込んで来るものではない事を、「仏性はじめて来たるべきにあらざる」と筆下し、そこが「宗旨なり」(大切な意味がある)と、有仏性と無仏性の相違点を挙げるのである。

「張公喫酒李公酔と云うことなかれ。もしおのづから仏性あらんは、さらに衆生にあらず。すでに衆生あらんは、ついに仏性にあらず」

 「張公酒を喫せば李公酔う」とは、張さんも李さんも独立した別人でありながら、両人ともに共通の「仏性」が有る無い、とは「云うことなかれ」。もし自分が仏性であるなら、そこには衆生はなく、逆に衆生であり続けるなら仏性はない。この道理(理致)は先述するように全也衆生現・全也仏性現であり、一方を証すれば一方は暗しの理法であります。ここでの言裏に潜む真理は、言説だけの理解ではなく、各人の行仏が大切である。と解されるものである。

「このゆえに百丈いわく、説衆生有仏性、亦謗仏法僧。説衆生無仏性、亦謗仏法僧。しかあれば即ち、有仏性と云い無仏性と云う、ともに謗となる。謗となると云うとも、道取せざるべきにはあらず」

 「百丈いわく、説衆生有仏性」の出典録は『天聖広灯録』九百丈章(「続蔵」一三五・六七〇a一八)ですが、百丈懐海(749―814)が云うには、「衆生に仏性ありと説くも亦仏法僧を謗し、衆生に仏性なしと説くも亦仏法僧を謗ず」と説く主意は、主客分別・能断所断・二者分立のように、「有無」の世界に滞れば論議に弄ばれる、との意が含有される。その証拠に引用録の続きには「若言有仏性、名執著謗。若言無仏性、名虚妄謗―略―則戲論謗」と言い含められる。

 「有仏性であっても無仏性であっても謗」ならば、無言説法で済むわけではあるが、人間の業果としては「言わずには居られない」立場を披露されるが、いかにも人間道元の一面が垣間見られる場面である。

「且問你、大潙、百丈しばらく聞くべし。謗は即ち無きにあらず、仏性は説得すや未だしや。たとい説得せば、説著を罣礙せん。説著あらば聞著と同参なるべし」

 ここからは道元の本領発揮とでも云うべき発言で、「百丈・大潙の両人に、しばらく質問あり。聞くべし」と、一気に400年の時空を飛び越えての問題設定であります。

 有仏性と言っても無仏性と言っても、仏法僧の三宝を誹謗することは、百丈の謂う通りではるが、百丈は果にして「仏性」そのものに言及しては居るだろう歟。と、設問方法に疑問を呈し、もし「仏性」を説いているなら「説著を罣礙せん」とは、説くことも仏性であるなら、邪魔をする「罣礙」も仏性の一面である。

 謂う所は、百丈の言う「衆生」だけでは表面のみに焦点を当てているようなもので、「説著あらば聞著と同参なるべし」と、両分に等価値を与えることが、仏法の基本ではないだろうか。と、まさに百丈と同参する道元の背筋を張った姿ではある。

「また、大潙に向いて云うべし、一切衆生無仏性はたとい道得すと云うとも、一切仏性無衆生と云わず、一切仏性無仏性と云わず。いわんや一切諸仏無仏性は夢也未見在なり。試挙看」

 今度は大潙の大円禅師に対し、正面からの真っ向勝負であります。「一切衆生無仏性」は道い得てはいるが、「一切仏性無衆生」―「一切仏性無仏性」と言明せずは片手落ち。との見解ではありますが、先ほどの百丈処にて「仏性そのものに言及しているだろう歟」と忠言することから全面に「一切仏性」を掲げ、潙山霊祐に肉迫し、最期の押し出しで「一切諸仏無仏性」の語言は、夢にも未だ見ないだろう。と、完全に百丈・潙山の両巨頭に肩をならべ、向上の大路に向かうセリフ(台詞)として「試みに挙せよ看ん」を付け加えるは、興聖門下に参随する詮慧・懐奘・義价などに対する叱咤にも似た励ましの語でありましょう。

   第十段 百丈、仏有仏性

百丈山大智禅師、示衆云、仏是最上乗、是上々智。仏道立此人、是仏有仏性、是導師。是使得無所礙風、是無礙慧。於後能使得因果、福智自由。是作車運載因果。処於生不被生之所留、処於死不被死之所礙、処於五陰如門開。不被五陰礙、去住自由、出入無難。若能恁麽、不論階梯勝劣、乃至蟻子之身、但能恁麽、尽是浄妙国土、不可思議。

これすなはち百丈の道処なり。いはゆる五蘊は、いまの不壊身なり。いまの造次は門開なり、不被五蘊礙なり。生を使得するに生にとどめられず、死を使得するに死にさへられず。いたづらに生を愛することなかれ、みだりに死を恐怖することなかれ。すでに仏性の処在なり、動著し厭却するは外道なり。現前の衆縁と認ずるは使得無礙風なり。これ最上乗なる是仏なり。この是仏の処在、すなはち浄妙国土なり。

この本則の引用典籍は、前段で示した「百丈いはく、説衆生有仏性」(「続蔵」一三五・六七〇a)と同じく『天聖広灯録』九百丈章(「続蔵」一三五・六六七b一一)からの引用ではあるが、『天聖広灯録』の内容を詳しく分析するに、第八章にては慧能・南嶽・馬祖・百丈黄檗を挙し、第九では補足的に百丈の特集に宛がう。この処での「有仏性」をキーワードに第八・九での二万余字にもわたる文面からは、七ヵ所に於いて「有仏性」を確認でき、前記三ヵ所の「有仏性」を軸に提唱が構成される。道元の文章中には随処に独自な造語や片言の経録の記録が散見されるが、標題の「仏性」に対する本則の選択や下準備に要した備忘録的なノート部類が在るなら、是非にも拝見したいものである。

百丈山大智禅師は、「衆に示して云く、仏は是れ最上乗なり、是れ上々智なり。是れ仏道立此人なり、是れ仏有仏性なり、是れ導師なり。是れ使得無所礙風なり、是れ無礙慧なり。後(ここ)に於いて能く使得すれば因果福智自由なり。是れを車と作して運載因果を運載す。生に処して生の所留を被らず、死に処して死の所礙を被らず、五陰に処して門の開くが如く。五陰に礙え被れず、去住自由にして、出入無難なり。若し能く恁麽ならば、階梯勝劣を論ぜず、乃至蟻子の身も、但だ能く恁麽ならば、尽く是れ浄妙国土にして不可思議なり」

 「百丈山」は江西省南昌府奉新県。山名の由来は、山中にある千尺の滝に因み百丈山。また群なる山からの突出する様態から大雄山とも云う(コトバンクより)。「大智禅師」は長慶元年(821)敕諡。「最上乗」とは最上の乗り物の意で、唯有一乗法と同義。五乗(人・天・声聞・縁覚・菩薩是五乗也)に勝りたる故に云う(「聞書」九〇頁上)。「上々智」は般若のハタラキであり、仏性と同義とする。「仏道立此人」の意は、仏は仏道そのもの。つまり本来人を謂う。

 「仏有仏性」の読みは悉有は仏性と同じく、仏有は仏性と読む。「使得無所礙風」(礙(さ)うる所無き風を使得する)とは、自由自在なる境涯を云い、十二時を使得して十二時に縛られぬ喩え。「無礙慧」とは、仏のハタラキを邪魔するものは一つもなく、礙わる所なき智慧也。

 「於後能使得因果、福智自由」と云うは、詮慧が説く『聞書』によると「此の後と云うは前後に非ざるの後、無礙慧の上を後と指すなり。後をばここにと読む可き歟。今ここには因果福智自由と説くなり」(「曹洞宗全書」注解一・九〇下)と註解する。「是作車運載因果」とは因果を説く詞で、車とは仏で一仏乗を指す。「処於生不被生之所留、処於死不被死之所礙」とは、我等の生死にはあらず、仏の事なり。本来の姿(真実人体)には生死の問題はなし。

 「処於五陰如門開。不被五陰礙、去住自由、出入無難」の五陰とは色受想行識の門が開放されて、身体の自在なるを云う。「若能恁麽、不論階梯勝劣」このように本来の姿を表出できる事実を以て、階級や、勝ち負けは論じられない。「乃至蟻子之身、但能恁麽、尽是浄妙国土、不可思議」とは、蟻一匹であっても我々と同様に開放世界に属するわけで、この世をば不可思議なる浄妙国土と謂わざる得ない。

「これ則ち百丈の道処なり。いわゆる五蘊は、いまの不壊身なり。いまの造次は門開なり、不被五蘊礙なり。生を使得するに生に留められず、死を使得するに死に礙えられず。いたづらに生を愛することなかれ、みだりに死を恐怖することなかれ。すでに仏性の処在なり、動著し厭却するは外道なり。現前の衆縁と認ずるは使得無礙風なり。これ最上乗なる是仏なり。この是仏の処在、即ち浄妙国土なり」

 これが百丈懐海(749―814)に対する拈語ではありますが、拈提というよりは要略と謂った類いの文章のようであります。我々の身体は色受想行識の感覚と共に常に動作し続け、動的に平衡を保持するよう常に外界(環境)とは門戸を開く複雑系を伴う開放システムであるが、この状態を「不壊身」と称するが、この生身の五陰は相互に通脈しつつ、決して邪魔(礙)することはない。

 本来の真実人体は、個の人間に対し生かし続けてやろうとか、死ななくさせよう。などとは微塵もなく、自我とは無関係に宇宙のリズムと同調し続ける事態を「生に留められず師に礙えられず、生を愛し死を恐怖するな。すでに仏性に在しているではないか」と、百丈は説いている。と文言を提示される。

 「動著・厭却」とは好き嫌いであり、それは結果に対し起こる心情でありますが、それを「外道」と断ずる。「現前の衆縁」つまり現成の公案と認ずることを「使得無礙風」つまり眼前の風景と見なさいと。これが「最上乗の是仏」であり、「すなわち浄妙国土なり」とは、百丈道処の最初と最後の語言を援用しての文体構成は、論理的であり熟考されたものである。

   第十一段 黄檗、定慧等学明見仏性

黄檗在南泉茶堂内坐。南泉問黄檗、定慧等学、明見仏性。此理如何。黄檗云、十二時中不依椅一物始得。南泉云、莫便是長老見処麽。黄檗日、不敢。南泉云、漿水銭且致、草鞋銭教什麽人還。黄檗便休。

いはゆる定慧等学の宗旨は、定学の慧学をさへざれば、等学するところに明見仏性のあるにはあらず、明見のところに、定慧等学の学あるなり。此理如何と道取するなり。たとへば、明見仏性はたれが所作なるぞと道取せんもおなじかるべし。仏性等学、明見仏性、此理如何と道取せんも道得なり。

黄檗いはく、十二時中不依椅一物といふ宗旨は、十二時中たとひ十二時中に処在せりとも、不依倚なり。不依倚一物、これ十二時中なるがゆゑに仏性明見なり。この十二時中、いづれ時節到来なりとかせん、いづれの国土なりとかせん。いまいふ十二時は、人間の十二時なるべきか、他那裏に十二時のあるか、白銀世界の十二時のしばらくきたれるか。たとひ此土なりとも、たとひ他界なりとも、不依倚なり。すでに十二時中なり、不依倚なるべし。

莫便是長老見処麽といふは、これを見処とはいふまじやといふがごとし。長老見処麽と道取すとも、自己なるべしと回頭すべからず。自己に的当なりとも、黄檗にあらず。黄檗かならずしも自己のみにあらず、長老見処は露回回なるがゆゑに。

黄檗いはく、不敢。

この言は、宋土に、おのれにある能を問取せらるるには、能を能といはんとても、不敢といふなり。しかあれば、不敢の道は不敢にあらず。この道得はこの道取なること、はかるべきにあらず。長老見処たとひ長老なりとも、長老見処たとひ黄檗なりとも、道取するには不敢なるべし。一頭水牯牛出来道吽吽なるべし。かくのごとく道取するは道取なり。道取する宗旨さらに又道取なる道取、こころみて道取してみるべし。

南泉いはく、漿水銭且致、草鞋銭教什麽人還。

いはゆるは、こんづのあたひはしばらくおく、草鞋のあたひはたれをしてかかへさしめんとなり。この道取の意旨、ひさしく生生をつくして参究すべし。漿水銭いかなればかしばらく不管なる、留心勤学すべし。草鞋銭なにとしてか管得する。行脚の年月にいくばくの草鞋をか踏破しきたれるとなり。いまいふべし、若不還銭、未著草鞋。またいふべし、両三輌。この道得なるべし、この宗旨なるべし。

黄檗便休。

これは休するなり。不肯せられて休し、不肯にて休するにあらず。本色衲子しかあらず。しるべし、休裏有道は、笑裏有刀のごとくなり。これ仏性明見の粥足飯足なり。この因縁を挙して、

潙山、仰山にとうていはく、莫是黄檗搆他南泉不得麽。

仰山いはく、不然。須知、黄檗有陥虎之機。

潙山云、子見処、得恁麽長。大潙の道は、そのかみ黄檗は南泉を搆不得なりやといふ。

仰山いはく、黄檗は陥虎の機あり。すでに陥虎することあらば、捋虎頭なるべし。

陥虎捋虎、異類中行。明見仏性也、開一隻眼。仏性明見也、失一隻眼。速道速道。仏性見処、得恁麽長なり。このゆゑに、半物全物、これ不依椅なり。百千物、不依椅なり、百千時、不依椅なり。このゆゑにいはく、

籮籠一枚、時中十二、依倚不依倚、如葛藤依樹。天中及全天、後頭未有語なり。

黄檗在南泉茶堂内坐。南泉問黄檗、定慧等学、明見仏性。此理如何。黄檗云、十二時中不依椅一物始得。南泉云、莫便是長老見処麽。黄檗日、不敢。南泉云、漿水銭且致、草鞋銭教什麽人還。黄檗便休」

 この本則の引用典籍は、前段提示と同様に、『天聖広灯録』八黄檗章であろうが字句に多少の異同がある。「師一日在茶堂内坐南泉下来問、定慧等学明見仏性、此理如何。師云、十二時中不依倚一物(始得)。泉云、莫便是長老見処麼師云。不敢泉云。漿水錢且。草鞋錢教什麼人還師便休」―部異句(「続蔵」一三五・六五八b一四)。同じ本則は『景徳伝灯録』八にも収録されるが、立場が入れ替わり南泉章(「大正蔵」五一・二五七c二六)にて示されるが、最尾の「黄檗便休」の語は不載である。

 黄檗、南泉の茶堂内に在りて坐(禅)す。南泉、黄檗に問う、定慧等学、明見仏性についての、此の(道)理は如何。黄檗云く、十二時中(一日中)、一物に依椅せずして始めて得べし。南泉云く、便ち是れは長老(黄檗)見る処ではないか。黄檗が日く、どういたしまして。南泉云く、漿水(わかし湯)銭は且く致(お)くが、草鞋銭は什麽人(どなた)に還(かえ)し教(し)めん。黄檗はそこで問答をやめた。

 黄檗(―856)は百丈(749―814)門下。南泉(748―834)は馬祖(709―788)門下であり、南泉と黄檗は馬祖門下でのいとこ関係にあたり、南泉・黄檗の年齢も一世代弱ほど離れた兄弟弟子のような間柄でしょうか。

 「定慧等学」とは戒定慧を略し、定学(禅定)と慧学(智慧)は等しく学せば「明見仏性」明らかに仏性を見る。「此理如何」とは、南泉が黄檗に尋ねた形式ではありますが、如何とはいかなるもの意味合いが包接されますから、定慧は等学であり明見仏性そのままでありますから、敢えて南泉は、黄檗坐禅している様子を見て、ことば掛けしたような雰囲気で、緊張感はありません。

 黄檗は「此理如何」のいかんを承けての「十二時中不依椅一物」とは、いかなる時も寄りかからない。とは坐禅(定)をしようとも、仏性を見ようとはしない。つまり黄檗の主張は定学を学して仏性を見る。のではなく、定は定・慧は慧の位であり、仏性は仏性のまま。只管一物を云うものであります。

 この「不依倚」に対し、先輩の南泉は「これは単に黄檗(長老)の一人見る処ではないか」とは云うが、南泉独自な物言いであり、黄檗を讃じた詞になります。

 「不敢」の敢えてせず。を意訳すれば「どういたしまして」と、黄檗の恐縮した態度を表した語句であります。さらに南泉の褒め詞として「漿水銭・草鞋銭」を例言するが、漿水(こんず)とは、旅をする時に持ち歩いた湯わかし水であり、草鞋とは履き物で、共に修行(行脚)の必需品であります。つまりは飲料水は問題にしないが、わらじ代は「什麽人還」とは、だれに銭を返還するか。との意ではあるが、南泉が云う什麽人とは黄檗本人を指し示すものである。これは南泉が黄檗に対し、俺の道場内での修行の収支は自身内で見届けたな。と、善哉とも称する類語であります。

「いはゆる定慧等学の宗旨は、定学の慧学を礙えざれば、等学するところに明見仏性のあるにはあらず、明見のところに、定慧等学の学あるなり」

 「宗旨」とは文節により様々に言えますが、ここでは定学と慧学は等学である処の「意味合い」とする。定学が慧学を邪魔せず、そこで「明見仏性」があるのではない。それでは能所の二体が生ずるわけであるから、「明見仏性」=「定慧」=「等学」は必然の理である。

「此理如何と道取するなり。たとえば、明見仏性はたれが所作なるぞと道取せんも同じかるべし。仏性等学、明見仏性、此理如何と道取せんも道得なり」

「此理如何」は南泉が黄檗に発した問いではありますが、如何には定まった答えはなく、全てを包含するわけですから、「定慧等学」を「仏性等学」に差し替えても何ら問題は生じ得ませんから、「定慧等学、明見仏性、此理如何」→「仏性等学、明見仏性、此理如何」と言い直しても道い得る。と、如何なるも仏性義を説き明かすものである。

黄檗いわく、十二時中不依椅一物といふ宗旨は、十二時中たとい十二時中に処在せりとも、不依倚なり」

 黄檗が云う「十二時中不依椅一物」の大切な意味(宗旨)は、十二時(24時間・一日)は何時でも何処でも十二時であり、絶対的真実として「不依椅」だれにも依り添わない・頼らない。と、事実の厳粛性を説く。仏法に於いては不依椅を重視するが、ほかの宗教などでは、神を依椅したり、預言者の言動を法制化したりとするが、仏道は其の点では宗教の範疇外である。

「不依倚一物、これ十二時中なるがゆえに仏性明見なり。この十二時中、いづれ時節到来なりとかせん、いづれの国土なりとかせん」

 黄檗言の「①十二時中②不依倚一物」の分節化を図り、①⇆②の可逆性を証明させ、さらに「①明見②仏性」の意味性を破し、「仏性明見」―「十二時中」―「不依倚一物」の連続態として「仏性」を明らかに解く手法であろう。「十二時中」とは時間・空間に関わらない為、「いつ時節到来いづれの国土」と限定されたものではなく、謂うなれば「いつも・いづれも」が十二時中である。

「いま云う十二時は、人間の十二時なるべきか、他那裏に十二時のあるか、白銀世界の十二時のしばらく来たれるか。たとい此土なりとも、たとい他界なりとも、不依倚なり。すでに十二時中なり、不依倚なるべし」

 黄檗の挙した「十二時」の更なる徹頭した拈語となります。この「十二時」の存在は人間世界だけにあるのか、それとも他の何処かにあるのか、白銀世界(浄土世界)にあるのか。と問い質されるが、今の流行(はやり)の用語を使えば、多次元世界をも想定した言用にも聞こえるようである。

 この十二時は此土・他界に関わりなく、独立(不依椅)した存在でありながら、私共にとっては密接なる聯関を「十二時中なり、不依倚なるべし」と、黄檗の言の刷り直しであります。

「莫便是長老見処麽と云うは、これを見処とは云うまじやと云うが如し。長老見処麽と道取すとも、自己なるべしと回頭すべからず。自己に的当なりとも、黄檗にあらず。黄檗必ずしも自己のみにあらず、長老見処は露回回なるがゆえに」

 「莫便是長老見処麽」は南泉が黄檗個人を讃じたものではあるが、長老見処を意訳すれば、「これはお前(黄檗)の見処だと言うのでは、ないだろうな」と云っているようなものである。と、文中を掘り下げて読み解かれる拈提である。

 「長老見処麽」と褒めた詞ではあるけれども、黄檗個人ではなく、「自己なるべしと回頭すべからず」と、南泉に対し忠言を呈す文体であります。

 話則では南泉と黄檗の二人の問答ですから、おのずと南泉から黄檗へと云う口調ではありますが、「自己に的当(ぴったり)ではあっても、黄檗個人を指すのではなく、黄檗と本来の自己とは必ずしも一致するものではない」とし、「長老見処」の語は真実を露呈(露回回)するものであるから。と南泉に苦言を呈したようにも見えたが、南泉言を讃じた文言であります。

黄檗いわく、不敢。この言は、宋土に、おのれにある能を問取せらるるには、能を能と云わんとても、不敢と云うなり。しかあれば、不敢の道は不敢にあらず。この道得はこの道取なること、図るべきにあらず。長老見処たとい長老なりとも、長老見処たとい黄檗なりとも、道取するには不敢なるべし」

 黄檗が答えた「不敢」の中国語を意訳すれば「どういたしまして」と云う、へりくだる言い様ではあるが、出来る事を示唆する時にも「不敢」と云う。との解説を付す辺りからも、日本語→中国語(宋土語)に変換し、自由に繰り出す言語表態の妙が読みとれる。

 「不敢と云う」と言いながら、「しかあれば不敢の道は不敢にあらず」とは、道元の解き方の特徴である。つまりは「不敢(どういたしまして)」と語言を糊付けする事は、仏道の活鱍々なる表現態を固定化する為に、「不敢の道は不敢にあらず」と敢えて言い添える方途でありましょう。「この道得はこの道取なること、図るべきにあらず」の言も同じような説明で、不敢と云う道得を以て、仏道を一括りに理解するな。を「図るべきにあらず」と柔和に説かれるものである。

 結語として、長老であろうが黄檗であろうが、名冠で以て仏法を判断してはいけない。真実の表現には「不敢なるべし」と位置づけるしかない。ことを改めて明言する。一度、固定概念を断じて、新たに固定する手法は、「眼蔵」の読み解きでは心得る必要があろう。

「一頭水牯牛出来道吽吽なるべし。かくの如く道取するは道取なり。道取する宗旨さらに又道取なる道取、こころみて道取してみるべし」

 「不敢」を説明する為に出す例言が、「一頭の水牛が鳴くモーモー」である。とは、予備知識がない者には理解し難い喩えではあろうが、「水牯牛」=「修行者」であり、利益を求めず只管(ひたすら)に人牛ともに歩む姿を打坐と同義化し、「吽吽」は謂うなれば善哉善哉とも云えよう歟。この「一頭水牯牛」を、持ち出した背景には、『真字上二』則での南泉が趙州に示した「作一頭水牯牛去」が念頭に浮かんだのであろうか。

 このように「不敢」の言い替えを「水牯牛吽吽」と道取したのであるが、道元は更なる言句の徹底を「又道取なる道取を試しに言ってみなさい」と指示される訳です。

「南泉いわく、漿水銭且致、草鞋銭教什麽人還。いわゆるは、こんづのあたひはしばらくおく、草鞋のあたひは誰をしてか、還さしめんとなり」

 「こんづ」の説明としては前述した通りではあるが、「漿の訓として、ツクリ水、ニオモヒユ」(名義抄、法上)。煮沸して作った携帯用の水(「岩波文庫」㈠一一五頁注一三参照)のようである。

 「漿水も草鞋」も行脚の必需品を指すが、取り敢えず飲料水代は置き、草鞋代は「誰」に支払うかではあるが、この誰は黄檗本人であり、謂うなれば本来人を指し、黄檗は過不足なく本来人であるから、現状のままでよろしい。との意であります。

「この道取の意旨、久しく生生をつくして参究すべし。漿水銭いかなればかしばらく不管なる、留心勤学すべし。草鞋銭なにとしてか管得する。行脚の年月にいくばくの草鞋をか踏破し来たれるとなり。いま云うべし、若不還銭、未著草鞋。また云うべし、両三輌。この道得なるべし、この宗旨なるべし」

 「この道取」とは草鞋銭の問題で、そこでの大事な意味(意旨)を、生まれ変わり死に変わりと、「参究すべし」と南泉の問いする語句の重要性を確認されるが、南泉に対し一言云わせてもらおう。と「漿水銭」の事は、なぜ関わらない(不管)か、不満を述べる部分で、この漿水銭についても「心を留めて勤学すべし」と、片手落ちなる言説の指摘であります。

 「草鞋銭」がどうして問題(管得)になるかと云うと、「わらじ代」に銭が必要であるとは、各地の道場を経巡った証拠であるからでありますが、さて此の処で、道元からの問題設定であります。

 「若し銭を還さなければ、未だ草鞋を著けず」とは、修道が徹底されれば、漿水銭や草鞋銭を気にする必要はなく、元来は素足での行道が基本であります。南方仏教の托鉢風景では、僧侶も施食者も両人ともども、素足での授受であります。また『聞書』では「若不還の処の解説では、「喩えば煩悩をも不断、菩提をも不証と云わんが如し」(「曹洞宗全書」注解一・一〇一下)と示される。

 「また云うべし、両三輌」とは、草鞋を二・三足使い果たしたか。と云うのが、南泉の言おうとしていた事ではないか、これが大切な意味(宗旨)である。と結ばれます。

黄檗便休。これは休するなり。不肯せられて休し、不肯にて休するにあらず。本色衲子しかあらず。知るべし、休裏有道は、笑裏有刀の如くなり。これ仏性明見の粥足飯足なり」

 「黄檗便休」に対する拈語でありますが、これは単に黄檗が南泉との問答をやめて「休するなり」と考えてはならない。

 「不肯せられて休し」とは、南泉に主張が受け入れなく休したのではなく、「不肯にて休するにあらず」は、自分が答えられなかったから、黙ったのではない。

 眼前の興聖衆に対し、「休裏有道」つまり打坐(休裏)する事は身体で表現(有道)することであり、「笑裏有刀」打坐(笑裏)には功徳(有刀)あり。のようである。と学人に対し、黄檗の「休」は単なる休息ではなく、只管に休する法体が「仏性明見であり粥足飯足」の充実し切った日々好日ではないか。との提唱であります。

「この因縁を挙して、潙山、仰山に問うて云く、莫是黄檗搆他南泉不得麽。仰山云く、不然。須知、黄檗有陥虎之機。潙山云、子見処、得恁麽長」

 この話則は当段冒頭話に続き、『天聖広灯録』八黄檗章(「続蔵」一三五・六五九a二)からの出典になる。「南泉・黄檗」の話を潙山(771―853)が弟子の仰山慧寂(807―883)に問う。という設定であります。余談ではありますが、彼らの活躍した時代には五宗の禅学人たちが互いに遊山・交遊する時期でしたが、馬祖の門脈では潙仰宗は衰滅し、黄檗(―856)から続く臨済義玄(―866)の流派が現在まで在する。一方石頭門脈では法眼・雲門両宗は時代に埋没し、薬山惟𠑊(745―828)の流れを汲む曹洞の流派のみが禅仏界に在るのである。

 (潙山)是れ黄檗は他(か)の南泉を搆(処理)すること得ざるか(莫是黄檗搆他南泉不得麽)

(仰山)しからず(不然)。須く知らなければならない(須知)。黄檗には虎を陥れるようなハタラキがある(黄檗有陥虎之機)。

(潙山)なんぢ(仰山)の見る処は、こんなに長じ得ている(子見処、得恁麽長)。

「大潙の道は、そのかみ黄檗は南泉を搆不得なりやと云う。仰山いわく、黄檗は陥虎の機あり。すでに陥虎することあらば、捋虎頭なるべし」

 これより解説に入られますが、大潙が仰山に質すには、結局、黄檗は南泉に牛耳込められたのか。に対する仰山の考えでは、黄檗には虎をも黙らせる機(はたらき・能力)がある。これまでは話則そのままですが、道元のコメント(著語)では、虎を黙らせたのなら、次いでに虎の頭を捋(な)でたらどうか。と、仰山の言説に添加する形です。因みに、この場合の平伏させる意味の譬喩には、他の典籍(『宏智広録』二「大正蔵」四八・二六b五)では「捋虎鬚」が援用され、「頭を捋(な)でる」語の使用は、SAT(大蔵経データベース)で検索する限りでは該当なしである。

「陥虎捋虎、異類中行。明見仏性也、開一隻眼。仏性明見也、失一隻眼。速道速道。仏性見処、得恁麽長なり。このゆえに、半物全物、これ不依椅なり。百千物、不依椅なり、百千時、不依椅なり。このゆえにいわく、籮籠一枚、時中十二、依倚不依倚、如葛藤依樹。天中及全天、後頭未有語なり」

 「潙山・仰山」さらに「南泉・黄檗」による話則のまとめとしては、①「陥虎(仰山)」+②「捋虎(道元)」では、①は違ったもので「異」、②は同じもので「類」と出来ることから、「異類中行」つまり別物同志が共に歩む行為を、黄檗の行道とするわけである。

 「明見仏性―開一隻眼」⇆「仏性明見―失一隻眼」は対句を為した文学的表現で以て、開も失も共に「仏性」の顕在であり、一隻眼は全眼の表態である。

 「仏性見処は、得恁麽長(こんなに長じ得ている)であると、速く気付きなさい。とのことを「速道速道」として提示するわけである。これまで見て来たように、半物であろうが全物であろうが、百千物でも百千時であろうとも、独立(不依椅)した仏性を示す。

 籮籠は一枚、時中は十二。依倚も不依倚も、葛藤の樹に依るが如し。天中と全天と、後頭未だ語あらず。ここでは対語で以て時や空中(間)を表態させ、これらは皆ともども仏性の見処として把握せよ。との意であり、最後の「後頭未有語」(あとには語はなかろう)は引用典籍である黄檗による語で以て結語とする。

    第十二段  趙州、狗子仏性無

趙州真際大師にある僧とふ、狗子還有仏性也無。この問の意趣あきらむべし。狗子とはいぬなり。かれに仏性あるべしと問取せず、なかるべしと問取するにあらず。これは、鉄漢また学道するかと問取するなり。あやまりて毒手にあふ、うらみふかしといへども、三十年よりこのかた、さらに半箇の聖人をみる風流なり。

趙州いはく、無。この道をききて、習学すべき方路あり。仏性の自称する無も恁麽道なるべし、傍観者の喚作の無も恁麽道なるべし。その無わづかに消石の日あるべし。

僧いはく、一切衆生皆有仏性、狗子為甚麽無。いはゆる宗旨は、一切衆生無ならば、仏性も無なるべし、狗子も無なるべしといふ、その宗旨作麽生、となり。狗子仏性、なにとして無をまつことあらん。

趙州いはく、為他有業識在。この道旨は、為他有は業識なり。業識有、為他有なりとも、狗子無、仏性無なり。業識いまだ狗子を会せず、狗子いかでか仏性にあはん。たとひ双放双収すとも、なほこれ業識の始終なり。

「趙州真際大師にある僧問う、狗子還有仏性也無。この問の意趣あきらむべし。狗子とはいぬなり。かれに仏性あるべしと問取せず、なかるべしと問取するにあらず。これは、鉄漢また学道するかと問取するなり。あやまりて毒手にあう、恨み深しと云えども、三十年よりこのかた、さらに半箇の聖人を見る風流なり」

 ここで取り扱う引用典籍である「狗子仏性」話の出典籍は『真字中十四』則であることは、第八段での「塩官、一切衆生有仏性」での出典録説明時にて示す通りであり、元々の底本は『宏智広録』二頌古十八則(「大正蔵」四八・二〇a二三)と思われる。

 「真際大師」とは諡であり、普段は趙州の従諗(778―897)和尚として親しまれ、禅門に於いては当時も、また現今下に於いても超有名人であり人気者であります。その理由は様々ではあろうが、口唇皮禅と称されるように、棒喝的風狂ではなく、日常語で以て禅の真髄を解き明かす態度に有るのだろう。しかしながら趙州の系譜の流れは早くより途絶え、杭州の多福和尚ほか五人の法嗣者(慧覚禅師・清奉禅師・新建禅師・厳陽尊者・西穆和尚)以後には弟子は育たなかったようである。

 ここで趙州が問う問題の意味する処(意趣)を明らかにすべきであり、まず「狗子」とは犬(いぬ)と確認されるが、狗一字でもイヌと読むが、犬と狗の違いはイヌ科全体を犬と称すに対し子犬などは特に「狗子」と区別するようである。

 ある僧が犬には仏性ありやなしや。と問うたと読み込まれるようではあるが、道元が看読する世界では「仏性あるべし、なかるべしと問取するにあらず」と明確に有無の存在論として読み解くは間違いで、これは「鉄漢」つまり修行者が「学道する」実践行(打坐に相当)であると受けとり(問取)なさい。と提唱される。鉄漢に関しては『圜悟録』十三では「学道は須く是れ鉄漢なるべし。手を心頭に著けて便ち判じ、直に無上菩提に趣く、一切の是非を管すること莫れ」(原漢文「大正蔵」四七・七七三c五)と示され、一途に向上する学人を謂うようであります。この鉄漢なる表現は『正法眼蔵』内では当巻以外では五巻に用言され、お気に入りのことばであったのかも知れない。

 「あやまりて毒手にあう」とは、僧が問うた「還って仏性有りや無しや」の表現を毒手と名づけ「恨み深し」とは、この問いに悩まされ続けた状況ではあるが、「三十年よりこのかた」つまり一生涯にわたり、「半箇の聖人を見る風流なり」つまり趙州の慎ましやかな修行の姿を、このように表態したものである。

「趙州云く、無。この道を聞きて、習学すべき方路あり。仏性の自称する無も恁麽道なるべし、傍観者の喚作の無も恁麽道なるべし。その無わづかに消石の日あるべし」

 ここで云う「無」のことばは、善きに付け悪しきに付け禅の公案と云えば、「趙州の無(仏性)」が話題に挙げられるが、道元も例外なしに「この無の言を聞けば、修行の方角あり」と、讃嘆されます。

 「仏性の自称する」とはユニークな表現法ですが、この場での自称とは本来のあり方を「無」と表態したものであります。「恁麽道なるべし」とは、もちろん有無の存在論では無いことは無論であります。「傍観者」とは第三者を云い、我々とは無関係な「無」も、本来のかけがえのない存在も「仏性」としての「無」であります。

 「その無に消石の日あるべし」とは、三災壊劫の時は、十二の日輪が同時に出て、一切の岩石が溶けてしまう(「出典不詳」)。たとえを云うわけですが、これは全ての事物事象の平等性を云い、「仏性」の中では差別はなく、悉有仏性の「無」を強調する文体となります。

「僧いわく、一切衆生皆有仏性、狗子為甚麽無。いわゆる宗旨は、一切衆生無ならば、仏性も無なるべし、狗子も無なるべしと云う、その宗旨作麽生となり。狗子仏性、なにとして無を待つことあらん」

 僧が質問する主旨は、仏性とは本来的には涅槃経で説かれるように、一切衆生悉有仏性であるはず。との固定観念に縛られている為、趙州の「無」の発言は許し難く、すかさず「一切衆生の皆には仏性が有るのに、狗子にはどうして無いのか」と詰め寄るように読み解けるが、道元が注目する眼点は、「甚麽無」の無に注がれる。

 この場面での大事な考え(宗旨)は、一切衆生が無であったならば、仏性も無と云い、狗子も無である。と言わなければならないはずである。そこでの論点(宗旨)は「作麽生」である。と言明されるが、作麽生は甚麽・什麽ともに類語である。つまり「作麽生」とは一つの事物に固定することは出来ませんから、尽界含有を呑み込む事ですから、狗子仏性(無)も作麽生の一類ですから、「なに(どうして)として無を待つことが有ろうか」、待つ必要などはなく、狗子は仏性無である。と断言される論述です。少々わかりづかい論調ですが、幾度も習学すれば理に適う文体であります。

「趙州いわく、為他有業識在。この道旨は、為他有は業識なり。業識有、為他有なりとも、狗子無、仏性無なり。業識いまだ狗子を会せず、狗子いかでか仏性に逢わん。たとい双放双収すとも、なおこれ業識の始終なり」

先の「甚麽無」に対する答話が、「かれ(他・狗子)に業識が有り在する為に」と、条件反射的に日本語よみに変換するを常とするが、ここでの言い様(道旨)は、いつものように「①為他有②業識在」を分節し「為他有」つまり生命体を指し、「業識なり」とは本然自来の姿(酒井「前掲書」二九三頁参照)を示す。

 「業識有・為他有」と趙州は云うが、道元の説では、「狗子無であるから、仏性無なり」と言ってみたらどうか。と、趙州の言には満足しない著語であります。

 「業識(本来姿)と概念は狗子(犬)は理解しないにも拘らず、狗子がどうして仏性に逢わん」とは、業識と狗子とは聯関するものではなく、一方を証すれば一方は暗しの例言の如くに、それぞれが独立した存在であり、論理的に解き明かす連中(大慧宗杲など)のようには考えるな。との意も含まれるのであろうか。

 「双放双収」とは、狗子と仏性との関係を結びつけたり放したりと禅門の一派では行ぜられるが、このような作為も「無」の悉有仏性の中での行仏である。を、「なおこれ業識の始終なり」の語で示されるわけである。

   第十三段 趙州、狗子仏性有

趙州有僧問、狗子還有仏性也無。この問取は、この僧、搆得趙州の道理なるべし。しかあれば、仏性の道取問取は、仏祖の家常茶飯なり。

趙州いはく、有。この有の様子は、教家の論師等の有にあらず、有部の論有にあらざるなり。すすみて仏有を学すべし。仏有は趙州有なり、趙州有は狗子有なり、狗子有は仏性有なり。

僧いはく、既有、為甚麽却撞入這皮袋。この僧の道得は、今有なるか、古有なるか、既有なるかと問取するに、既有は諸有に相似せりといふとも、既有は孤明なり。既有は撞入すべきか、撞入すべからざるか。撞入這皮袋の行履、いたづらに蹉過の功夫あらず。

趙州いはく、為他知而故犯。この語は、世俗の言語としてひさしく途中に流布せりといへども、いまは趙州の道得なり。いふところは、しりてことさらをかすとなり。この道得は、疑著せざらん、すくなかるべし。いま一字の入あきらめがたしといへども、入之一字も不用得なり。

いはんや欲識庵中不死人、豈離只今這皮袋なり。不死人はたとひ阿誰なりとも、いづれのときか皮袋に莫離なる。

故犯はかならずしも入皮袋にあらず、撞入這皮袋かならずしも知而故犯にあらず。知而のゆゑに故犯あるべきなり。しるべし、この故犯すなはち脱体の行履を覆蔵せるならん。これ撞入と説著するなり。

脱体の行履、その正当覆蔵のとき、自己にも覆蔵し、他人にも覆蔵す。しかもかくのごとくなりといへども、いまだのがれずといふことなかれ、驢前馬後漢。いはんや、雲居高祖いはく、たとひ仏法辺事を学得する、はやくこれ錯用心了也。

しかあれば、半枚学仏法辺事ひさしくあやまりきたること日深月深なりといへども、これ這皮袋に撞入する狗子なるべし。知而故犯なりとも有仏性なるべし。

「趙州有僧問、狗子還有仏性也無。この問取は、この僧、搆得趙州の道理なるべし。しかあれば、仏性の道取問取は、仏祖の家常茶飯なり」

 この本則の出典籍も前段と同じく『真字中十四』則の前半部に該当される。本来は十二と十三則は同じ本則ですから、まとめて示すべきものでしょうが、ここでは詮慧・経豪以来の方式に従うものとする。

 話頭である「趙州有僧問、狗子還有仏性也無」は同じ語話であるが、この場での僧に対する著語は、「搆得趙州」と認ずることから、外来からの参学者ではなく、趙州門下であろう。

 そうであれば、「仏性」に対する問答(道取問取)は有無の存在論ではなく、仏性そのものを論ずるは「仏祖の家常茶飯」つまり、あたり前のことである。

「趙州云く、有。この有の様子は、教家の論師等の有にあらず、有部の論有にあらざるなり。すすみて仏有を学すべし。仏有は趙州有なり、趙州有は狗子有なり、狗子有は仏性有なり」

 趙州が云う「有の様子」とは聞き慣れない語言ではあるが、生きた有を問題にするわけであるから、うごめく常態を説かんとする事から、「様子」なる語句を用いるのである。つまりは教学を扱う論師が称する「有」、また倶舎論などを扱う説一切有部で称する「有」ではない。  謂う処は、本来義である仏性は時々刻々と変化し続けるが、紙面で表現される仏性は十年過ぎても百年経っても、様子がない仏性を云うものである。

 自分から進んで「仏有」―「趙州有」―「狗子有」―「仏性有」を学すべし。とは、机上にて学するのではなく、実際に人体を動かしなさい。との示唆であります。

「僧云く、既有、為甚麽却撞入這皮袋。この僧の道得は、今有なるか、古有なるか、既有なるかと問取するに、既有は諸有に相似せりと云うとも、既有は孤明なり。既有は撞入すべきか、撞入すべからざるか。撞入這皮袋の行履、いたづらに蹉過の功夫あらず」

 僧が云う、「すでに犬に仏性が有るというならば、どうして(為甚麽)この狗の胎内(這皮袋)に、潜り込んだ(撞入)のでしょうか」についての考察ですが、まずは「既有」(すでに有る)とは云うが、「今有」(いま有る)か「古有」(むかし有った)か、に関わらず、「有」は何時いかなる時も有であり、何処であっても有の実態は変わらない現況を、「既有は諸有に相似せりと云うとも、既有は孤明」なり。と、有の孤高とした明らかさを文章化するものであります。

 僧が云う背景には、「既に仏性が有るなら、どうして畜生である犬の体内に入ったのか?」という疑念があっての質問と考えられるが、道元の指摘する処は、仏性は「入り込んだか、入り込まなかったか」ではなく、入り込むまでの行動(行履)、入り込んでからの行履(行実)が問題であり、論争ばかりに時間を費やさず、為甚麽と云う行履に努めよ。との言を「撞入這皮袋の行履、いたづらに蹉過の功夫あらず」と、時間を無駄に使わず、行実に励みなさい。との言と解釈する次第である。

「趙州いわく、為他知而故犯。この語は、世俗の言語としてひさしく途中に流布せりと云えども、いまは趙州の道得なり。云う処は、知りて故(ことさら)犯す、となり。この道得は、疑著せざらん、少なかるべし」

 趙州の「為他知而故犯」(他(いぬ)は仏性が有るを知りながら、わざとそのようにしている)とは、脱体の行履を示し、謂うなれば仏性自体のはたらきを示した詞として(『道元禅師と宏智頌古』㈡黒丸寛之著・六十頁参照)用いられたものであろうか。

 この趙州が云う「知りながら敢えて、過ちを犯す」とは世間で云われる詞ではあるが、趙州が云い放つ仏法語として、受け取ってもらいたい。との拈語である。

 云う処は「知りながら、ことさらに(真実を)犯す」(知ったから問題が起きた)との道得(言い用)には、疑わない人は少ないだろう。とは、誰だって疑問を持つだろう、と意訳できる。

「いま一字の入あきらめ難しと云えども、入之一字も不用得なり。いわんや欲識庵中不死人、豈離只今這皮袋なり。不死人はたとい阿誰なりとも、いづれの時か皮袋に莫離なる」

 ここでは僧が云い放った「どうして(犬の)皮袋に(仏性が)撞入するのか」の「入」の字の意味性の拈提であります。

 仏性が出たり入ったりと認得するは、能見所見(主観客観)を立てることは、仏性の有無の存在論に沈思する恐れがあるからであろうか。ですから「入之一字も不用得」なりと、話則自体をも解体する勢いであります。因みに「入之一字も不用得なり」の用言は、『真字中三十九』則にて「仰山問陸郎中、承聞郎中看經得悟、是否―略―郎中曰、入之一字也不用得。師曰、入之一字不爲郎中、郎中便起去」として記録される。

 次いで「欲識庵中不死人、豈離只今這皮袋」(庵中に不死の人を識らんと欲せば、豈に只だ今の這の皮袋を離れんや)の詞は『景徳伝灯録』三十石頭和尚草庵歌(「大正蔵」五一・四六一c二一)に於ける最後の語句であるが、これは前述の「撞皮袋」に関連させて、此の処に引用したものであろう。

 「不死人」とは本来人を喩え、その本来人と皮袋とは一味同態である事実を、「皮袋に莫離なる」道理と導かれるが、よくも皮袋の一語を介して「入之一字や欲識庵中」の語録等を正確に援用する読解力は類を見ないものである。

「故犯は必ずしも入皮袋にあらず、撞入這皮袋必ずしも知而故犯にあらず。知而のゆえに故犯あるべきなり。知るべし、この故犯すなわち脱体の行履を覆蔵せるならん。これ撞入と説著するなり。脱体の行履、その正当覆蔵のとき、自己にも覆蔵し、他人にも覆蔵す。しかもかくの如くなりと云えども、いまだ逃れずと云うことなかれ、驢前馬後漢

 「知と入」に対する解義として、「故犯」と「入皮袋」の両者(趙州・僧)は無関係である。つまり「故犯」であるから「入皮袋」するのではなく、それぞれが仏性の体現態を顕在化しているわけで、その反転語として「撞入這皮袋、知而故犯にあらず」と対句として説かれる。ですから「知而、故犯あるべきなり」とは「知而」も仏性であり「故犯」も、それぞれが独立した仏性体現と説く。

 次いで「故犯」は「脱体」の行履つまり真実の行持であり、仏性現前として包含(覆蔵)している。と説くあたりは、犯は普段は悪の部類に位置づけられるが、善悪の域を超過した仏性と見る眼処が、「眼蔵」で読み解かれる特徴である。

 「撞入」の事実を「脱体」としての真実の一形態でありますから、「自己にも他人にも覆蔵」と解し、すべての事象は正当覆蔵からは逃れられない事実を、驢馬の前へ行ったり馬の後ろで、ウロウロする人(驢前馬後漢)に喩えられるが、これは日常底の日々好日が「仏性」そのものであり、故犯も脱体の行履である事実を解き明かすものです。

「いわんや、雲居高祖いわく、たとい仏法辺事を学得する、はやくこれ錯用心了也。しかあれば、半枚学仏法辺事久しく錯まり来たること日深月深なりと云えども、これ這皮袋に撞入する狗子なるべし。知而故犯なりとも有仏性なるべし」

 「雲居高祖~錯用心了也」の出典録は『聯灯会要』二十二雲居章からの「示衆云、汝等直饒学得仏法辺事、早是錯用心了也。不見古人道、講得、天花落地」(「続蔵」七九・一九二a八)からの引用となります。ここで雲居道膺(827―902)が説かんとする主旨は、仮に仏法と云う学識を学んだ、という意識が生ずれば、その時点で心の用い方に錯まりが生じてしまう。

 そこで仏法辺事を「半枚(半分)の学仏法辺事」にしようとしても、錯は何処までも錯の状態であります。そこで日々の錯用は「日深月深」ではあっても、現前の仏法は「這皮袋に撞入する狗子」であり、仏法の本源は趙州が云うように「知而故犯」ではあっても、その眼前現成の犯そのままが「有仏性」であるのである。つまりは、学得する仏法から故犯の仏道へと脱体せる行履の転換を示唆する拈提であります。

   第十四段 長沙、蚯蚓両段

長沙景岑和尚の会に、竺尚書とふ、蚯蚓斬為両断、両頭俱動。未審、仏性在阿那箇頭。師云、莫妄想。書云、争奈動何。師云、只是風火未散。

いま尚書いはくの蚯蚓斬為両断は、未斬時は一段なりと決定するか。仏祖の家常に不恁麽なり。蚯蚓もとより一段にあらず、蚯蚓きれて両段にあらず。一両の道取、まさに功夫参学すべし。両頭俱動といふ両頭は、未斬よりさきを一頭とせるか、仏向上を一頭とせるか。両頭の語、たとひ尚書も会不会にかかはるべからず、語話をすつることなかれ。きれたる両段は一頭にして、さらに一頭のあるか。その動といふに俱動といふ、定動智抜ともに動なるべきなり。

未審、仏性在阿那箇頭。仏性斬為両段、未審、蚯蚓在阿那箇頭といふべし。この道得は審細にすべし。

両頭俱動、仏性在阿那箇頭といふは、俱動ならば仏性の所在に不堪なりといふか。俱動なれば、動はともに動ずといふとも、仏性の所在はそのなかにいづれなるべきぞといふか。

師いはく、莫妄想。その宗旨は、作麽生なるべきぞ。妄想することなかれ、といふなり。しかあれば、両頭俱動するに妄想なし、妄想にあらずといふか、ただ仏性は妄想なしといふか。仏性の論におよばず、両頭の論におよばず、ただ妄想なしと道取するか、とも参究すべし。

動ずるはいかがせんといふは、動ずればさらに仏性一枚をかさぬべしと道取するか、動ずれば仏性にあらざらんと道著するか。

風火未散といふは、仏性を出現せしむるなるべし。仏性なりとやせん、風火なりとやせん。仏性と風火と、俱出すといふべからず、一出一不出といふべからず、風火すなはち仏性というべからず。ゆゑに長沙は蚯蚓に有仏性といはず、蚯蚓無仏性といはず、ただ莫妄想と道取す、風火未散と道取す。

仏性の活計は、長沙の道を卜度すべし。風火未散といふ言語、しづかに功夫すべし。未散といふは、いかなる道理かある。風火のあつまれりけるが、散ずべき期いまだしきと道取するに、未散といふか。しかあるべからざるなり。風火未散はほとけ法をとく、未散風火は法ほとけをとく。たとへば一音の法をとく時節到来なり。説法の一音なる、到来の時節なり。法は一音なり、一音の法なるゆゑに。

又、仏性は生のときのみにありて、死のときはなかるべしとおもふ、もとも少聞薄解なり。生のときも有仏性なり、無仏性なり。死のときも有仏性なり、無仏性なり。風火の散未散を論ずることあらば、仏性の散未散なるべし。たとひ散のときも仏性有なるべし、仏性無なるべし。たとひ未散のときも有仏性なるべし、無仏性なるべし。しかあるを、仏性は動不動によりて在不在し、識不識によりて神不神なり、知不知に性不性なるべきと邪執せるは外道なり。

無始劫来は、癡人おほく識神を認じて仏性とせり、本来人とせる、笑殺人なり。さらに仏性を道取するに、拕泥滯水なるべきにあらざれども、障壁瓦礫なり。向上に道取するとき、作麽生ならんかこれ仏性。還委悉麽。三頭八臂。

「長沙景岑和尚の会に、竺尚書とふ、蚯蚓斬為両断、両頭俱動。未審、仏性在阿那箇頭。師云、莫妄想。書云、争奈動何。師云、只是風火未散」

 この本則話の出典は『真字上二十』則に確認できる。その底本は恐らく『聯灯会要』六長沙章(「続蔵」七九・六二c二〇)であろう。また『永平広録』では建長元年(1249)5月頃(328則)と建長四年(1252)6月頃(509則)の二度の上堂説法にて、この蚯蚓両段の則を挙拈される。

 長沙景岑(―868)は南泉普願(748―834)から法を嗣ぎ、同門には趙州従諗(778―897)、弟子には雪竇常通がいる。「竺尚書」とは竺という姓の役人の職名で、六部(史部・戸部・礼部・兵部・刑奉・工部)の門下省尚書省中書省の三長官の一人であり、首相の位に相当し、最高位は皇帝である。

 みみずを斬って二匹に為るが、両方ともに動く(蚯蚓斬為両断、両頭俱動)。

わからないが、仏性というものは、どちらに在るのか(未審、仏性在阿那箇頭)。

長沙が云うに、妄想してはならない(師云、莫妄想)。

尚書が云う、現に動いているが(争奈動何)。

長沙は云う、只に是れは未だ生命があるからだ(師云、只是風火未散)。

「いま尚書いわくの蚯蚓斬為両断は、未斬時は一段なりと決定するか。仏祖の家常に不恁麽なり。蚯蚓もとより一段にあらず、蚯蚓きれて両段にあらず。一両の道取、まさに功夫参学すべし」

 本則では尚書は頻りに「両段・両頭・阿那箇」に質すあたりは、いかにも仏性の在処が気になるようですが、道元の拈ずる処は「両段・一段」は論じるトピックではなく、「功夫参学すべし」と説かれるが、『随聞記』二の四話にて提示される「南泉・斬猫」話に於ける「南泉ただ一刀両段のみを知りて一刀一段を知らず」が想い浮かぶが、ここには共通する論旨があるようである。文章としては難解ではなく、細かな説明は省く。

「両頭俱動と云う両頭は、未斬より先を一頭とせるか、仏向上を一頭とせるか。両頭の語、たとい尚書も会不会に拘わるべからず、語話を捨つることなかれ。斬れたる両段は一頭にして、さらに一頭のあるか。その動と云うに俱動と云う、定動智抜ともに動なるべきなり」

 世間(尚書)では仏性は内在物として認識しがちではあるが、道元の拈提では仏性は眼前現成する実物であるから、両頭が仏性であり一頭も仏性そのままである。さらに「仏向上」という概念的な詞までをも「一頭」と認知する辺りは道元の筆致の極みである。

 尚書が云う「両頭」は現実の事象ですから、尚書が合点しようがしまいが関係なく、事実である「仏性」を捉えなければならず、事実である語話は忘れてはならない。

 「両段」に関しては、切断して二つにはなったが、元々は一頭であったものが、新たに一頭が生じたのか。と問い掛けるもので、動に関しては「俱動」とは同時に動いているから、「ともに動く」と云うのではあるが、例言として「定動智抜」つまり慧厳訳『涅槃経』二九で説く「善男子、如拔堅木、先以手動、後則易出。菩薩定慧亦復如是。先以定動後以智拔」(「大正蔵」十二・七九三c二六)という仏道の本来義そのものが「仏性」の顕現であるとの指摘であろうが、『真字中二十六』則にても韓愈と大巓の問答として扱う。

「未審、仏性在阿那箇頭。仏性斬為両段、未審、蚯蚓在阿那箇頭と云うべし。この道得は審細にすべし。両頭俱動、仏性在阿那箇頭と云うは、俱動ならば仏性の所在に不堪なりと云うか。俱動なれば、動はともに動ずと云うとも、仏性の所在はその中に、いづれなるべきぞと云うか」

 尚書の「未審、仏性在阿那箇頭」に対する拈提としては、逆説的表現で以て「仏性を斬って両段と為す、未審(いぶかし)、蚯蚓(みみず)は阿那箇頭(どちらにも)に在る」と尚書は言わなければならない。とコメントされる。つまり、この論理を以てすれば、仏性=蚯蚓=阿那箇頭(どれもこれも)は明らかでありまして、この表現法(道得)を審らかにしなさい。

 「両頭俱動、仏性在阿那箇頭」と尚書は云うが、「蚯蚓が俱に動くならば、仏性の所在に不満(不堪)でもあるのか」と言うのが著語であるが、これは尚書の一途な思い込み(AかBか)を諫めるものであります。

 コメントは続いて、「仏性の所在はいづれなるべきぞ」と著されるが、「いづれ」は甚麽とも什麽処とも書き表わされるが、従前の如くに疑問符ではなく、「いづれも」と解すべき語意であるから、尚書の云う阿那箇頭が仏性在に対しては、阿頭は在仏性、那頭は仏性在。としか答えようがない。この眼前現成の事実を説き明かす拈提であります。

「師いわく、莫妄想。その宗旨は、作麽生なるべきぞ。妄想することなかれ、と云うなり。しかあれば、両頭俱動するに妄想なし、妄想にあらずと云うか、ただ仏性は妄想なしと云うか。仏性の論におよばず、両頭の論におよばず、ただ妄想なしと道取するか、とも参究すべし」

 「莫妄想」とは、妄想(あれこれと考えあぐねる)することなかれ。ではあるが、この「莫妄想」が「作麽生」であると説かれる宗旨(意味)は、絶対の事実つまり眼前現成し続ける無常が、謂うなれば「莫妄想」の実態ではないだろうか。『諸悪莫作』巻にて示される「しるべし諸悪莫作ときこゆる、これ仏正法なり。この諸悪つくることなかれといふー略―この現成は、尽地尽界、尽時尽法を量として現成するなりその量は莫作を量とせり」(「岩波文庫」㈡二三二・―部筆者)とも通脈する文体である。

 「両頭俱動」が眼前現成の絶対的事実でありますから、それが「妄想なし、妄想にあらず」つまり莫妄想と称するのである。「云う、する」と、問い掛けにも聞こえる語言ではあるが、「仏性は妄想なし(莫妄想)、両頭の論ではなく、妄想なし(莫妄想)と道取する」と参究すべし。と「莫妄想」は「仏性」の異句同義語であると著語するものである。

「動ずるはいかがせんと云うは、動ずればさらに仏性一枚を重ぬべしと道取するか、動ずれば仏性にあらざらんと道著するか」

 尚書が云う「争奈動何」(動ずるはいかがせん)に対するコメントですが、蚯蚓が動いたら仏性一枚を重ねると云うのか、仏性ではないと云うのか。と、詰問されますが、趣旨は動が仏性でありことを含意されるものです。

「風火未散と云うは、仏性を出現せしむるなるべし。仏性なりとやせん、風火なりとやせん。仏性と風火と、俱出すと云うべからず、一出一不出と云うべからず、風火すなわち仏性と云うべからず。ゆえに長沙は蚯蚓に有仏性と云わず、蚯蚓無仏性と云わず、ただ莫妄想と道取す、風火未散と道取す」

 「風火未散」とは今の言葉で云うならば、新陳代謝と言い替えると理解し易い。生かされ続ける日常が「仏性であり風火である」が、これは生活スタイルの違いで、ある人は仏性と称し、ある人は風火と称し、或いは風火未散であろうが、各自の慣れ親しんだ詞で表現すればよい。

 しかしながら、「仏性と風火」は同物ではなく全機現的道理からは、仏性は何時でも何処でも仏性であり、風火も同様であるから「俱出すと云うべからず」または「一出一不出」とは言ってはならず、強いては「風火」=「仏性」と固定化させてはいけない。

 ですから長沙景岑は蚯蚓と有無の仏性は論ぜず、単に「莫妄想」と云い、「風火未散」と答えたのである。これには蚯蚓も風火未散も生命活動そのものであり、人間が関与でき得るものではない。この大自然の摂理を「莫妄想」と文字化するのである。

「仏性の活計は、長沙の道を卜度すべし。風火未散と云う言語、しづかに功夫すべし。未散と云うは、いかなる道理かある。風火の集まれりけるが、散ずべき期いまだしきと道取するに、未散と云うか。しかあるべからざるなり」

 「仏性の活計」とは、仏性の現実生活の中での生きた姿であり、仏性の本当のあり方は、長沙のことば(道)からおしはかり(卜度)、「風火未散」と云う言葉を冷静に考え(功夫)なければならない。

 「未散」と云うのは、どういう道理(すじみち)があるのか、風火(要因)が集まり、それが解散しない前の状態を「未散」と云うのであろうか、そうではないであろう。

「風火未散はほとけ法を説く、未散風火は法ほとけを説く。たとえば一音の法を説く時節到来なり。説法の一音なる、到来の時節なり。法は一音なり、一音の法なるゆえに」

 「風火未散―仏―法」=「未散風火―法―仏」は同義に準じられ、別の謂い様では「一音―法―時節到来」=「説法―一音―到来時節」つまり「法と一音」は同列に侍し、一音と法も同事時に位置づけられる。

「又、仏性は生のときのみにありて、死のときはなかるべしとおもふ、もとも少聞薄解なり。生のときも有仏性なり、無仏性なり」

 「生―仏性―有」に対し「死―仏性―無」とする考え方自体が『当巻』に於ける仏性の存在論に起因するものですから、「少聞薄解」と見なすわけでありますが、そもそも「生」「死」の問題も、主人公なる対象は存在せず、自身の生も死も、いつ生まれいつ死んだ。かは判断しかね、ましてや他身に於いておや、である。

 仏性とはON↔OFFの連環ではなく、生と認ずる時であろうが、死であろうと、こんにちの詞で言うなら、時空そのものが有仏性であり、無仏性と呼称されるものである。

「風火の散未散を論ずることあらば、仏性の散未散なるべし。たとい散の時も仏性有なるべし、仏性無なるべし。たとい未散の時も有仏性なるべし、無仏性なるべし」

 さきの語句と対句を為すもので、「風火」と「仏性」は異句同義でありますから、「風火散未散」↔「仏性散未散」を論ずべきで、片手落ちであると長沙を質すもので、先ほど同様、いかなる時節(散・未散)に於いても有仏性であり無仏性と冠されるわけである。

「しかあるを、仏性は動不動によりて在不在し、識不識によりて神不神なり、知不知に性不性なるべきと邪執せるは外道なり」

 そうであるのに、尚書と同じく普通の思い込みでは、仏性の在不在は動不動により左右され、また認識の主体の有無により神(たましい)を考え、さらには知覚の有り無しにより、これらの人々の偏考した物の見方を「外道なり」とするが、仏教学者と称される大概は外道の範疇に入ることになる。

「無始劫来は、癡人おおく識神を認じて仏性とせり、本来人とせる、笑殺人なり」

 「無始劫来」とは、人間がこの世に生まれてより此の方、先ほど述べたように癡人(外道)のほとんどは自心に絶対神を設置し、宝珠の如く奉り、仏性と云ったり本来人と称するを、「笑殺人」つまり死ぬほど(腹がよじれる程)笑ってしまう人間だ。と皮肉を込められる。

「さらに仏性を道取するに、拕泥滯水なるべきにあらざれども、牆壁瓦礫なり。向上に道取するとき、作麽生ならんかこれ仏性。還委悉麽。三頭八臂」

 さらに仏性の本源を道取するならば、「拕泥滯水」つまり泥まみれ・ずぶ濡れになり、救いようがないように見えるが、「牆壁瓦礫」と云う何時でも何処にでもある日常底そのままが、「仏性を道取」(代弁)しているのである。と説明されるが、一部の学者たちは牆壁などの引用は、道元の出身母胎である天台本覚論から読み解く向きもあるようだが、これまでの拈提・著語を分析すれば、思想論ではないことは自明である。

 最後に仏性に対する結語として、「作麽生」つまり眼前に現成する、ありとあらゆる事物・事象が、仏の真実路(向上)として道取すべきものである。と、作麽生=仏性の同等性を示すものであり、さらに「三頭八臂」とは事物・事象を具体的に例示されたものであるが、西有穆山『啓迪』によれば、「三頭八臂」とは、「尽大地みな仏性ということを示され、百千万境の一一が仏性、一段も両段も、散も未散も、暫時も不暫時も、一として仏性でないものはないと云うことを、この一語で括られるのである」(三二二頁)と語られる。

 また「三頭八臂」とは密教での忿怒像に見られる異様な形相であるが、人々が忌み嫌うものまでもが、仏性であると説く学道人は、宏智・如浄をも含め皆無である。因みに『有時』巻冒頭にて「古仏言、有時高々峰頂立、有時深々海底行。有時三頭八臂、有時丈六八尺」(「岩波文庫」㈡四二)として例示されるが、『有時・仏性』両巻の示衆年時は仁治元年(1240)仁治二年(1241)と比較的執筆初期に当たる。

 今回の『仏性』巻は『行持』巻に次いで長文であり、十四段に分割し、それぞれの仏性の実態を提唱されるわけであるが、敢えて坐は用いずして「仏性」を俯瞰的・全方位観で以て説き示すは、釈尊の対機説法そのものであります。

 最後に、今回提出した「仏性」解釈・注解には、酒井得元老師『仏性提唱録』から多くを参考・参照いただいた事を記し、擱筆とする。

(終)

 

                 ―2022年(タイ暦2565)3月18日夕方

                        バンコク近郊にて 二谷 記すー

※詮慧・経豪 正法眼蔵第三 仏性 (聞書・抄)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/01/03/000000_1

※酒井得元老師提唱録、下の音声は提唱の冒頭部分です。最初から最後まで提唱をお聞きになりたい方は以下のアドレスまでご連絡ください。喜んで資料提供致します。karnacitta5746@yahoo.co.jp

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/sakaitokugen

※松岡由香子―道元無仏

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2021/09/25/094703

※酒井得元―存在と佛性

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2021/02/20/164913

※酒井得元―佛性と時節

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2021/02/20/164806

※酒井得元―佛性の性格

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2021/02/20/163829

※米 野 大 雄―『正法眼蔵』仏性巻における心について

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/10/29/105251

※末木 文美士―駒澤大学仏教学会主催 公開講演会(批判仏教の問題提起を受けて)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/03/22/145511

井筒俊彦公案を通じての思考と非思考

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2023/08/26/180601

※ダンマパダ(法句経)を読み解く    二谷正信

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/07/17/154119

※如浄録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/nyojou-goroku

※ 宝慶記

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/houkyouki

※真字正法眼蔵 三百則

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/08/14/000000

※永平広録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/eiheikouroku

※水野弥穂子 未完の大著 (正法眼蔵) これは水野弥穂子氏(『正法眼蔵』㈣「岩波文庫」解説)校注本巻末に記されたものを抜書したものであるが、一部修訂した。

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/08/05/085933

 

   ―タイ仏暦2568年(2025)2月2日 カンチャナブリにて擱筆 齢六十八老人―

 

修訂版 正法眼蔵 第四「身心学道」を読み解く

修訂版 正法眼蔵 第四「身心学道」を読み解く

二谷正信(正韻信道)

    序言

当『身心学道』巻は仁治三(1242)年九月に提示されたものであるが、仁治三年に示された巻は『大悟』『坐禅箴』『海印三昧』『光明』『行持下』『恁麽』『観音』『授記』『全機』『画餅』『仏向上事』『夢中説夢』『道得』『阿羅漢』『柏樹子』(「七五巻本順」計十六巻もの提唱が行われたものであるが、そのなかには鎌倉幕下に対する示衆もあり、一宗教家としても翻筋斗する勢いの頃であったろう。

いま一つ附言すべき事項は、「当巻」提示文中に於いて、後に示衆される『全機』(1242・12)『古仏心』(1243・4)『発菩提心』(1244・2)などの基本概念が包蓄されている事情を推察するに、この『身心学道』巻に対する思い入れを感ずるものである。

また「身心」の読みであるが、「しんじん」と発話するは仏教語だからではなく、「身」「しん」は鼻音となる時には「連濁(れんだく)」することが多く、特に古い時代での漢語の場合では顕著のようである。また「連声(れんじょう)」の場合では、「観音(かんおん)」は「かんのん」に「反応(はんおう)」は「はんのう」にと、日本語読みには、いくつかのルールがあるようである。

    一

佛道は、不道を擬するに不得なり、不學を擬するに轉遠なり。南嶽大慧禪師のいはく、修證はなきにあらず、汚染することえじ。佛道を學せざれば、すなはち外道闡提等の道に墮在す。このゆゑに、前佛後佛かならず佛道を修行するなり。佛道を學習するに、しばらくふたつあり。いはゆる心をもて學し、身をもて學するなり。心をもて學するとは、あらゆる諸心をもて學するなり。その諸心といふは、質多心汗栗駄心矣栗駄心等なり。又、感應道交して、菩提心をおこしてのち、佛祖の大道に歸依し、發菩提心の行李を學習するなり。たとひいまだ眞實の菩提心おこらずといふとも、さきに菩提心をおこせりし佛祖の法をならふべし。發菩提心なり、赤心片々なり、古佛心なり、平常心なり、三界一心なり。これらの心を放下して學道するあり、拈擧して學道するあり。このとき、思量して學道す、不思量して學道す。あるいは金襴衣を正傳し、金襴衣を稟受す。あるいは汝得吾髓あり、三拝依位而立あり。碓米傳衣する、以心學心なり。剃髪染衣、すなはち回心なり、明心なり。踰城し入山する、出一心入一心なり。山の所入なる、思量箇不思量底なり。世の所捨なる、非思量なり。これを眼睛に團じきたること二三斛、これを業識に弄しきたること千萬端なり。かくのごとく學道するに、有功に賞おのづからきたり、有賞に功いまだいたらざれども、ひそかに佛祖の鼻孔をかりて出気せしめ、驢馬の脚蹄を拈じて印證せしむる、すなはち萬古の榜様なり。

仏道は、不道を擬するに不得なり、不学を擬するに転遠なり。南嶽大慧禅師の云く、修証はなきにあらず、汚染すること得じ。仏道を学せざれば、即ち外道闡提等の道に堕在す。この故に、前仏後仏必ず仏道を修行するなり」

この冒頭言は、各眼蔵で解き示される如く、「当巻」の標宗に当たり、主文の如くである。

「不道を擬するに不得」の不道・不得のフレーズを見聞しての第一印象は、否定的字義と思い浮かべがちだが、詮慧和尚が云うには「不道を擬するにとは、其の事に赴く義」(「曹洞宗全書」注解一・一三八上)とし、ただ道わざらんは得ざる也、学せざれば転遠なりと解されます。

「南嶽大慧・修証・汚染」は六祖慧能と南嶽懐譲との初相見から八年後の大慧禅師による言であるが、ここでは「汚染」について見てみたい。同文は『辦道話』(修証はすなはちなきにあらず、染汚することはえじ)『行仏威儀』(修証は無にあらず、修証は有にあらず、修証は染汚にあらず)『洗浄』(修証不無、染汚即不得)『遍参』(修証不無、染汚即不得)『自証三昧』(修証不無、染汚即不得)。このように他の提唱文では全て染汚を使用し、「七十五巻本」では五十三箇所にわたり染汚を援用されるが、「汚染」を使用するは当該所のみである。永平寺に蔵される「本山重要真蹟18」を見るかぎりにおいても、「汚染(三五四頁)」と確認される。但し『永平広録』では汚染と染汚の比率は9対8と為る。

「外道・闡提」に関しては、外道の解釈は一般的に、仏教以外の教学を示すが、そのような解釈では仏法も教義セクトの範疇になる為、ここでは仏教徒と称するも、我見・我執を主体に振る舞う学徒を外道と称す。闡提とは一闡提(icchantika)の音写語で、もともとの意は望む者・欲する者の意であるが、転じて仏の教えを信じず成仏する因縁を有しない徒。

「前仏後仏」とは釈迦牟尼仏(前仏)の滅後五十六億七千万年後に出来するとされる弥勒如来(後仏)を指す。

仏道を学習するに、しばらくふたつあり。いわゆる心をもて学し、身をもて学するなり。心をもて学するとは、あらゆる諸心をもて学するなり。その諸心と云うは、質多心・汗栗駄心・矣栗駄心等なり」

「身心」とは不二であり一如であるから、「心をもて学し、身をもて学す」との言い様は、方便宜的に説明するものである。

「質多心・汗栗駄心・矣栗駄心」の出典は、『摩訶止観』一上での「菩提者天竺音也、此方称道。質多者天竺音、此方言、即慮知之心也。天竺又称汗栗駄、此方称是草木之也。又称矣栗駄、此方是積聚精要者為也」(「大正蔵」四六・四a一九)と考えられる。

「又、感応道交して、菩提心を起こして後、仏祖の大道に帰依し、発菩提心の行李を学習するなり。たとい未だ真実の菩提心起こらずと云うとも、さきに菩提心を起こせりし仏祖の法を習うべし。発菩提心なり、赤心片々なり、古仏心なり、平常心なり、三界一心なり」

字義通り解せば問題ないが「感応道交」のイメージとしては、「衆生の心水・清く澄めば、法性の円心・水に宿るが如し」と能所・彼此相対するように思われがちだが、仏法に於ける「感応道交」を『御抄』では「仏性これ仏性、狗子与仏性の間(あわい)を以て感応道交と云う也」(「曹洞宗全書」注解一・一二三上)と読み解く。

「発菩提心・赤心片々・古仏心・平常心・三界一心」と「心」の普遍性を述べるもので、この段階で『発菩提心』『三界唯心』『古仏心』各巻の構想は在ったものと推察される。

「これらの心を放下して学道するあり、拈挙して学道するあり。この時、思量して学道す、不思量して学道す。あるいは金襴衣を正伝し、金襴衣を稟受す。あるいは汝得吾髄あり、三拝依位而立あり。碓米伝衣する、以心学心なり」

「これらの心」とは、質多心・汗栗駄心・矣栗駄心・発菩提心・赤心・古仏心・平常心・三界一心等の諸心を、「放下・拈挙して学道する」とは、様々な方法論で以て全体把捉しなさい。との意で、さらに同趣意の「思量・不思量」で以て俯瞰的視野から参学に努めよ。との意である。

同様に伝授に伴う調度である「金襴衣」を例に、また別形での伝授を「汝得吾髄・三拝依位而立」を、五祖から六祖への因縁に喩え「碓米伝衣」の状況は、一方通行ではなく啐啄する同期がなければならず、この同時性を「以心学心」と表するわけです。

「剃髪染衣、即ち回心なり、明心なり。踰城し入山する、出一心入一心なり。山の所入なる、思量箇不思量底なり。世の所捨なる、非思量なり」

先来からの譬喩を出家時に於ける「剃髪染衣」する事でconversion(回心)する真実態を「明心」とも表明し、シッダルタ太子の王城を踰え出る初発心時を「出一心・入一心」で以て悉埵の全体を表徴させ、山の全体を坐禅に模して「思量箇不思量底」と位置づけ、これらの事項は世間(loka)では所捨の対象であるから「非思量」を表詮を以て示されるものである。

「これを眼睛に団じ来たる事二三斛、これを業識に弄し来たる事千万端なり。かくの如く学道するに、有功に賞おのづから来たり、有賞に功未だ到らざれども、密かに仏祖の鼻孔を仮りて出気せしめ、驢馬の脚蹄を拈じて印証せしむる、即ち万古の榜様なり」

「これ」とは不思量・非思量を指し、このまなこ(眼睛)に丸め(団)込むこと「二三斛」との数量(斛=180ℓ)を示すが、「千万端」と同様に無定数を表す。つまり心の無限定数を視覚化させるわけである。

「有功に賞来たり」とは「仏性与狗子、有賞功未到とは仏性は仏性、狗子は狗子と云う程の義。功も賞も来も未到も、皆心の上の功徳荘厳」(「曹洞宗全書」注解一・一二四上)と経豪の常套句である功徳荘厳を以て語られます。

賞(実証)は有るのに功(修行)が到らなくとも、親密に真実態(仏祖)の鼻孔で以て呼吸するのも、功徳荘厳のお蔭である。「驢馬の脚蹄」は「仏祖の鼻孔」と対句として捉え、仏祖は良で驢馬は不良と認識されがちであるが、功徳荘厳の理法を以てすれば、共に真実態の調度である訳であるから「印証」せられ、永遠不変(万古)の目印(榜様)となるわけである。

    二

しばらく山河大地日月星辰、これ心なり。この正當恁麼時、いかなる保任か現前する。山河大地といふは、山河はたとへば山水なり。大地は此處のみにあらず、山もおほかるべし、大須彌小須彌あり。横に處せるあり、豎に處せるあり。三千界あり、無量國あり。色にかゝるあり、空にかゝるあり。河もさらにおほかるべし、天河あり、地河あり、四大河あり、無熱池あり。北倶盧洲には四阿耨達池あり。海あり、池あり。地はかならずしも土にあらず、土かならずしも地にあらず。土地もあるべし、心地もあるべし、寶地もあるべし。萬般なりといふとも、地なかるべからず、空を地とせる世界もあるべきなり。日月星辰は人天の所見不同あるべし、諸類の所見おなじからず。恁麼なるがゆゑに、一心の所見、これ一齊なるなり。これらすでに心なり。内なりとやせん、外なりとやせん。來なりとやせん、去なりとやせん。生時は一點を増ずるか、増ぜざるか。死には一塵のさるか、さらざるか。この生死および生死の見、いづれのところにおかんとかする。向來はたゞこれ心の一念二念なり。一念二念は一山河大地なり、二山河大地なり。山河大地等、これ有無にあらざれば大小にあらず、得不得にあらず、識不識にあらず、通不通にあらず、悟不悟に變ぜず。かくのごとくの心みづから學道することを慣習するを、心學道といふと決定信受すべし。この信受、それ大小有無にあらず。いまの知家非家、捨家出家の學道、それ大小の量にあらず、遠近の量にあらず。鼻祖鼻末にあまる、向上向下にあまる。展事あり、七尺八尺なり。投機あり、爲自爲佗なり。恁麼なる、すなはち學道なり。學道は恁麼なるがゆゑに、牆壁瓦礫これ心なり。さらに三界唯心にあらず、法界唯心にあらず、牆壁瓦礫なり。咸通年前につくり、咸通年後にやぶる、拕泥滯水なり、無繩自縛なり。玉をひくちからあり、水にいる能あり。とくる日あり、くだくるときあり、極微にきはまる時あり。露柱と同參せず、燈籠と交肩せず。かくのごとくなるゆゑに赤脚走して學道するなり、たれか著眼看せん。翻筋斗して學道するなり、おのおの隨佗去あり。このとき、壁落これ十方を學せしむ、無門これ四面を學せしむ。

これより、さらなる心学道の参究となる。

「しばらく山河大地日月星辰、これ心なり。この正当恁麼時、いかなる保任か現前する。山河大地と云うは、山河は喩えば山水なり。大地は此処のみにあらず、山も多かるべし、大須弥小須弥あり。横に処せるあり、豎に処せるあり。三千界あり、無量国あり。色に係るあり、空に係るあり。河も更に多かるべし、天河あり、地河あり、四大河あり」

「山河大地・日月星辰=心」のテーゼは、すでに『即心是仏』巻にて「心とは山河大地なり日月星辰なり」(「岩波文庫」㈠一四八)と主張し、その原典は『真字正法眼蔵』一六八則にて示される如くに、嘉禎元(1235)年撰集であるから、天童寺より帰郷した数年後には、心の構想は在したのであろう。

この山河大地はいかなる保任として現前するか。と問う形式ですが、この「いかなる」はいかなるもと解すべきは、眼蔵もしくは仏法に通底するは承知の如くである。

「山河大地」を山河と大地に分節し、「山河」は山水に比せられ、「大地」はここだけではなく、「山」と称しうるものには大須弥山・小須弥山があり、横に在る山・竪に在る山もあっていい。「地」には三千世界・無量仏国、「河」では天河・地河・四大河(「歹+克」伽・信度・縛芻・私陀)がある。

「無熱池あり。北倶盧洲には四阿耨達池あり。海あり、池あり。地は必ずしも土にあらず、土必ずしも地にあらず。土地もあるべし、心地もあるべし、宝地もあるべし。万般なりと云うとも、地なかるべからず、空を地とせる世界もあるべきなり」

須弥山の北には無熱池もあり、北倶盧洲には四つの阿耨達池(無熱池)があり、「海」も「池」もあるはずである。「地」は必ずしも土の地ではなく、「土」は必ずしも地ではない。「土地」があれば「心地・宝地」もあるはずであり、様々(万般)あってよく、「地」がないはずはなく、空を「地」とする世界もあるべきなり。と、「山河大地」の「いかなる保任」かを現前させたわけです。

「日月星辰は人天の所見不同あるべし、諸類の所見同じからず。恁麼なるが故に、一心の所見、これ一斉なるなり。これらすでに心なり。内なりとやせん、外なりとやせん。来なりとやせん、去なりとやせん。生時は一点を増ずるか、増ぜざるか。死には一塵の去るか、去らざるか。この生死および生死の見、いづれの処に置かんとかする」

山河大地に続いて「日月星辰」に対する拈語で、一水四見と同様に人界・天界の見る所は同じではなく、人間・天上・餓鬼・畜生(諸類)などが見る所も不同である。そのよう(恁麼)であるから、一心で見る所は同じ(一斉)である理屈である。

「これら」とは山河大地・日月星辰を指し、山河等は眼前現成する真実態としての「心」なのである。たとえ心の所在を「内・外・来・去」と定めることは出来ず、全体包括で「心」は捉えるべきで、一限的に説かれるものではない。

「生死」の問題は、絶対的な事とは云いつつも、地球の生命圏からすれば、生れたから一点増し、死んだから一塵を消すか、その点塵の増滅は何処に置いて勘定するのか。

「向来は只これ心の一念二念なり。一念二念は一山河大地なり、二山河大地なり。山河大地等、これ有無にあらざれば大小にあらず、得不得にあらず、識不識にあらず、通不通にあらず、悟不悟に変ぜず。かくの如くの心みづから学道する事を慣習するを、心学道と云うと決定信受すべし。この信受、それ大小有無にあらず」

「向来」とは先の生時増不増・死時去不去を指し、これらは生死の遠大な時間も「一念・二念・一山河大地・二山河大地」に収斂されるとは、天台で云う一念三千に比せられ、さらに心の様態は「有無・大小・得不得・識不識・通不通・悟不悟」にあらず。とは一方究尽の理で説明可能であります。

このような(有無・大小などに拘泥せず)心に、おのづから薫習(慣習)するを、心の学道であると、決定信受すべし。と心は行であるとの提示とも思われる。

「今の知家非家、捨家出家の学道、それ大小の量にあらず、遠近の量にあらず。鼻祖鼻末にあまる、向上向下にあまる。展事あり、七尺八尺なり。投機あり、為自為他なり。恁麼なる、則ち学道なり。学道は恁麼なるが故に、牆壁瓦礫これ心なり。さらに三界唯心にあらず、法界唯心にあらず、牆壁瓦礫なり」

「知家非家・捨家出家」の出典は『摩訶僧祇律』二八「汝等各各異性異家、信家非家捨家出家、皆同一姓沙門釈子」(「大正蔵」二二・四五五b二三)からの援用と考えられるが、『発菩提心』巻の大証国師段にても「知家非家、捨家出家、入山修道、信行法行」(「岩波文庫」㈢三二七)を用いられる。

これは道元門下に参集する学人に対する呼びかけでありますから、学人は、家は家に非ずと知り(知家非家)、捨家出家する学道は、大小や遠近の量の問題でもなく、「鼻祖鼻末・向上向下」にあまる。とは、法界を尽くしたる道理で、学道の尽界に満足し、あまる所なく不足なきを云うものである。

「展事あり七尺八尺」とは、学人が師家に請益する(展事)は無辺際(七尺八尺)なる状況を云い、「投機あり為自為他」とは、 師家が学人に対し接得(投機)するを云うが、これも無辺際を「為自為他」と表すものである。このよう(恁麽)な大小・遠近・向上向下、自他を越えた生活が学道なり。と全体俯瞰を提唱される。

学道とはこのよう(恁麽)に能所(主客)を越えたものであるから、日常底である「牆・壁・瓦・礫」を心(真実底)とすれば、三界唯心や法界唯心などとは云われないが、これは一方独立を謂わんとするもので、あらためて平常底である「牆・壁・瓦・礫」を現成公案とするものである。

「咸通年前に作り、咸通年後に破る、拕泥滞水なり、無縄自縛なり。玉を引く力あり、水に入る能あり。溶くる日あり、砕くる時あり、極微に極まる時あり。露柱と同参せず、燈籠と交肩せず。かくの如くなる故に赤脚走して学道するなり、たれか著眼看せん。翻筋斗して学道するなり、おのおの随他去あり。この時、壁落これ十方を学せしむ、無門これ四面を学せしむ」

「咸通年前後」に関しては、『圜悟語録』十九には「疎山示衆云、病僧咸通年已前、会法身辺事。咸通年已後、会法身向上事」(「大正蔵」四七・八〇四b一〇)があり、『真字正法眼蔵』二八五則も病僧(「雲門録」では老僧とする)と記載することから、「圜悟録」が原典であろう。また『一顆明珠』では「唐の咸通のはじめ」(「岩波文庫」㈠一八〇)と『行持下』に於いても同文の「唐の咸通のはじめ」(「同」㈠三七四)が使用されるが、「咸通年前後」の使用は「当巻」のみである。なお咸通とは唐の第二十代皇帝の懿宗(いそう)の治世で用いられた元号で860―874の期間である。

その咸通の前には法身辺事をつくり、咸通の後には法身向上事をやぶる。とは透脱の意であり、その只中では泥まみれずぶぬれ(拕泥滞水)であり、「心学道」という無縄で自縛しているのである。と説くが、この場合の「無縄自縛」とは将錯就錯と同様に真実と一味態であると考えるのである。

この「心学道」には磚(かわら)を投げて玉を引き寄せ(法身辺事→法身向上)、水中に入って珠を覓むる能力(是時諸人、悉共入水求覓是宝(『大般涅槃経』二曇無讖訳「大正蔵」一二・三七八a二)、玉が溶けて万物と一体となる日(法身透脱)、玉が砕けて真実となる時、極微(素粒子)の不可思議な世界が在るのである。また「露柱・燈籠は同参・交肩せず」とは一方究尽の理で、露柱で尽界・尽界燈籠なるべし。の理法である。

これら述べてきた心学道を「赤脚走」するとは、人間が背負う煩悩・妄想・名聞・利養の心を捨て切り、誰彼が見ようが見まいが惜しみなく学道しなさい。と直言されます。

その学道の方途は、「翻筋斗」すれば自然に他の衆も随うのであるが、この翻筋斗なる語は義雲(1253―1333)和尚『正法眼蔵品目頌』(大正蔵)八二・四七六a二四)にも援用されるが、「翻筋斗」とは斗を翻すの意ですから、五欲六塵を翻して解脱する意であります。

こうして翻筋斗する時、自縛していた煩悩の壁が落在し、尽十方界の真実態を学し、固定概念化した四面を隔てる門はなく、翻筋斗(全体)して真実様態を学ばさせるのである。と全体俯瞰するようにとの忠言である。

    三

菩提心は、あるいは生死にしてこれをうることあり、あるいは涅槃にしてこれをうる事あり、あるいは生死涅槃のほかにしてこれをうることあり。ところをまつにあらざれども、發心のところにさへられざるあり。境發にあらず、智發にあらず、菩提心發なり、發菩提心なり。發菩提心は、有にあらず無にあらず、善にあらず惡にあらず、無記にあらず。報地によりて縁起するにあらず、天有情はさだめてうべからざるにあらず。たゞまさに時節とともに發菩提心するなり。依にかゝはれざるがゆゑに。發菩提心の正當恁麼時には、法界ことごとく發菩提心なり。依を轉ずるに相似なりといへども、依にしらるゝにあらず。共出一隻手なり、自出一隻手なり、異類中行なり。地獄餓鬼畜生修羅等のなかにしても發菩提心するなり。

赤心片々といふは、片々なるはみな赤心なり。一片兩片にあらず、片々なるなり。荷葉團々團似鏡、菱角尖々尖似錐。かゞみににたりといふとも片々なり、錐ににたりといふとも片々なり。

古佛心といふは、むかし僧ありて大證國師にとふ、いかにあらむかこれ古佛心。ときに國師いはく、牆壁瓦礫。しかあればしるべし、古佛心は牆壁瓦礫にあらず。牆壁瓦礫を古佛心といふにあらず。古佛心それかくのごとく學するなり。

平常心といふは、此界佗界といはず、平常心なり。昔日はこのところよりさり、今日はこのところよりきたる。さるときは漫天さり、きたるときは盡地きたる。これ平常心なり。平常心この屋裏に開門す、千門萬戸一時開閉なるゆゑに平常なり。いまこの蓋天蓋地は、おぼえざることばのごとし、噴地の一聲のごとし。語等なり、心等なり、法等なり。壽行生滅の刹那に生滅するあれども、最後身よりさきはかつてしらず。しらざれども、發心すれば、かならず菩提の道にすゝむなり。すでにこのところあり、さらにあやしむべきにあらず。すでにあやしむことあり、すなはち平常なり。

「発菩提心は、或いは生死にして此れを得る事あり、或いは涅槃にして此れを得る事あり、或いは生死涅槃の外にして此れを得る事あり。所を待つにあらざれども、発心の処に礙えられざるあり。境発にあらず、智発にあらず、菩提心発なり、発菩提心なり」

これより具体的心を拈ずるが、「発菩提心」とは一般論では初段階に於いて、サトリ(菩提)の心を得る事を発願するを云うものであろうが、ここでは「生死(まよい)・涅槃(さとり)・それ以外」にも「発菩提心」が生得できる。と菩提心の遍在性を説かれる形です。

その遍満する「発心」は場所に云々されるものではなく、環境により発心(境発)するのでもなく、智慧があるから発心(智発)するのでもなく、菩提心から発するのであり謂うなれば発が菩提心なのである。

「発菩提心は、有にあらず無にあらず、善にあらず悪にあらず、無記にあらず。報地によりて縁起するにあらず、天有情は定めて得べからざるにあらず。只まさに時節と共に発菩提心するなり。依に関われざるが故に」

「発菩提心」の実態は、「有・無・善・悪・無記」にあらず。とは二項分立的見方ではない。さらには自身の業報による縁起でもなく、また天有情(天人)は定んで発菩提心しない、のでもない。時節因縁の理で以て発菩提心するのであり、自己を取り囲む環境(依報)とは関わらない。

「発菩提心の正当恁麼時には、法界悉く発菩提心なり。依を転ずるに相似なりと云えども、依に知らるるにあらず。共出一隻手なり、自出一隻手なり、異類中行なり。地獄餓鬼畜生修羅等の中にしても発菩提心するなり」

菩提心する、ちょうどその時(正当恁麼時)には、法界(尽十方界)が発菩提心なり。とは、現今で云うなら、重力波の振動が何十億光年先まで伝播するように、発菩提の心も生き物であるかの如くに、時空ともどもに伝来するは「念ずれば花ひらく」のようであります。

この波動する状況は環境(依報)を転じさせるのに似てはいるが、環境自体はその術を知らないのではあるが、自己と外部(環境)とは一蓮托生的関係とすれば、境界がなく「共出・自出の一隻手」つまり、能所の境目がなくなり、それを「異類中行」とも云い、異類中行は物の交わらざるを云い、同じではあるが、然もそれにはならぬ境涯を云う。

自己と環境とは、一体でありながら独立した存在ですから、たとえ劣悪な地獄・餓鬼・畜生・修羅などに於いても全機現の理で以て発菩提心するのである。

「赤心片々と云うは、片々なるは皆赤心なり。一片両片にあらず、片々なるなり。荷葉団々団似鏡、菱角尖々尖似錐。鏡に似たりと云うとも片々なり、錐に似たりと云うとも片々なり」

ここでは「赤心」による心学道の参究である。「赤心片々」とは、万物の一つ一つが本来面目を表示し、むき出しの真心を云うが、微細な片々が誠の「心」である。

「荷葉団々団似鏡、菱角尖々尖似錐」の出典籍は『聯灯会要』二十一夾山善会章にて「僧問、如何是相似句。師云、荷葉団々団似鏡菱角尖尖尖似錐。復云、還会麼。云不會。師云、風吹柳絮毛毬走、雨打梨花蛺蝶飛」(「続蔵」七九・一八〇c一)が挙げられるが、『大慧語録』十に於いても「円覚経云、居一切時不起妄念―略―頌云荷葉団々団似鏡菱角尖尖尖似錐。風吹柳絮毛毬走、雨打梨花蛺蝶飛」(「大正蔵」四七・八五五a二五)と、取り挙げられる。また「荷葉団々」の使用は「当巻」のみである。

「鏡に似たり片々、錐に似たり片々」とは、〇は〇のままで赤心(真実)で、△は△のままで真実(赤心)の片々であるとは、全機現の理であり一方究尽の理として理解してよかろう。

「古仏心と云うは、むかし僧ありて大証国師に問う、如何にあらんかこれ古仏心。時に国師日く、牆壁瓦礫。しかあれば知るべし、古仏心は牆壁瓦礫にあらず。牆壁瓦礫を古仏心と云うにあらず。古仏心それかくの如く学するなり」

「古仏心と大証国師」の関係は、「当巻」より半年後に提示される『古仏心』巻にて「国師因僧問、如何是古仏心。師云、牆壁瓦礫」(岩波文庫)㈠二〇三)と章立てして提示するは、すでに「当巻」にて原案が在る事情は、冒頭言にて指摘したものである。

「古仏心は牆壁瓦礫にあらず」とは、当初は戸惑いを感じた拈語ではあるが、この言い用は「いかに」を「いかなるも」と読み解くことから、牆壁瓦礫のみに古仏心を限定化させない為に、「あらず・あらず」と言い添える処を、『御抄』では「是れ則ち一法独立の姿なり」(「曹洞宗全書」注解一・一二九下)とは経豪和尚の言である。

「平常心と云うは、此界他界と云わず、平常心なり。昔日はこの処より去り、今日はこの処より来たる。去る時は漫天去り、来たる時は尽地来たる。これ平常心なり。平常心この屋裏に開門す、千門万戸一時開閉なる故に平常なり。今この蓋天蓋地は、覚えざる詞の如し、噴地の一声の如し。語等なり、心等なり、法等なり。寿行生滅の刹那に生滅するあれども、最後身より先は曾て知らず。知らざれども、発心すれば、必ず菩提の道に進むなり。すでにこの処あり、更に怪しむべきにあらず。すでに怪しむ事あり、則ち平常なり」

「平常心」に対する拈語ですが、四十三万余字ある「正法眼蔵」のなかでも六か所にわたり確認されるが、その内訳は「当巻」が五か所で、『神通』巻(「岩波文庫」㈡三三二)で一か所のみ。十二万字ある『永平広録』に於いても「平常心」なる語は六か所に見られるが、いづれも古則のなかでの事で、拈語としての「平常心」は発話されない。つまり総文字数五十五万余字のなかでは「此処」だけに限定化された文体である。

「此界」とは釈迦仏浄土、「他界」とは西方東方の無量寿仏・阿閦仏浄土を云うが、平常心とは何処の立ち位置に於いても、平常心のまま。とは、「心」に対する普遍性を云うものである。

「平常心」の立ち位置は而今を基点に、過ぎ去るを昔日・来たるを未来とするものだが、この千変万化する混沌(chaos)を平常心と謂うもので、基点は常に変化する無常(anicca)を説く。この動向を「漫天去り、尽地来たる」と示す。

「平常心」はあらゆる時処に在ることを、「千門万戸の屋裏に開門」とは、我々の体細胞のシステムが開放系に在ることを喩えるようである。

「蓋天蓋地」とは平常心の別語であるが、この実態を「覚えざる言葉の如し」とは、我々の認知できる範囲を飛び越えて、大自然そのもの。また「噴地の一声の如し」の噴地とはハクションという、くしゃみの実態は、迷とも悟とも仏とも凡夫とも断定できぬ、得体の知れない・大自然の一部でありますから、平常心(真実態)は〇〇であるとか△△である。との即答できぬ処を、「覚えざることば・噴地の一声」と表現されるのである。

「語等・心等・法等なり」とは、平常心に於いては語(ことば)は真実態から見れば平等で、心も真実底からすれば平等で、法も真実から眺めれば平等である。

「寿行生滅・刹那生滅」とは、『発菩提心』(十二巻本)では「一刹那心、能起一語、一刹那語、能説一字(略)一弾指のあひだに、六十五の刹那ありて五蘊生滅すれども(略)一日一夜をふるあひだに、六十四億九万九千九百八十の刹那ありて、五蘊ともに生滅す」(「岩波文庫」㈣一八二)と、常に活動し続ける細胞の動態を示されるが、それは最後身(輪廻転生を受ける最後の身)のみが知り得るのであろうが、知らなくとも一念発心すれば必ず菩提の道に進むのであるが、たとい疑わしき心情が起念しても、その怪しむ疑念が「平常」の心なのである。と、我々の法体は母胎に宿されているが如くに、すべてが保障されての心学道であるとの老婆親語であるようである。

    四

身學道といふは、身にて學道するなり。赤肉團の學道なり。身は學道よりきたり、學道よりきたれるは、ともに身なり。盡十方界是箇眞實人體なり、生死去來眞實人體なり。この身體をめぐらして、十惡をはなれ、八戒をたもち、三寶に歸依して捨家出家する、眞實の學道なり。このゆゑに眞實人體といふ。後學かならず自然見の外道に同ずることなかれ。百丈大智禪師のいはく、若執本清淨本解脱自是佛、自是禪道解者、即屬自然外道。これら閑家の破具にあらず、學道の積功累徳なり。□(足+孛)跳して玲瓏八面なり、脱落して如藤倚樹なり。或現此身得度而爲説法なり、或現佗身得度而爲説法なり、或不現此身得度而爲説法なり、或不現佗身得度而爲説法なり、乃至不爲説法なり。しかあるに、棄身するところに揚聲止響することあり、捨命するところに斷腸得髓することあり。たとひ威音王よりさきに發足學道すれども、なほこれみづからが兒孫として増長するなり。

提唱後半部では「身学道」についての参究となり、ここでは概論として説かれる。

「身学道と云うは、身にて学道するなり。赤肉団の学道なり。身は学道より来たり、学道より来たれるは、共に身なり。尽十方界是箇真実人体なり、生死去来真実人体なり。この身体を巡らして、十悪を離れ、八戒を保ち、三宝に帰依して捨家出家する、真実の学道なり。この故に真実人体と云う。後学必ず自然見の外道に同ずる事なかれ」

「身にて学道する」と云うと、身体を道具にし、法(ダルマ)を学するように思いがちではあるが、この「身」が学道そのもので、それを真実人体と謂わしめるのである。「赤肉団の学道」の赤肉団は赤心片々にも通ずる意味がある。この「赤肉団」の用例は他には『三十七品菩提分法』巻に「念根は、枯木の赤肉団なり、赤肉団を枯木といふ」(「岩波文庫」㈢二八六)と二例用いる外には言及されないが、「赤肉団」と聞けば『臨済録』で示される「上堂云、赤肉団上有一無位真人、常従汝等諸人面門出入」(「大正蔵」四七・四九六c一〇)が頭に浮かぶのであるが、入矢義高氏の注によれば「生まれ身の身体」と解される(「岩波文庫臨済録・二〇頁参照)。

「身は学道より来たり、学道より来たる」の身体は、修行(学道)することを前提としての調度であり、学道(修行)とは一体不可分を云う。

「尽十方界是箇真実人体・生死去来真実人体」の表記は、「当巻」(1242年9月)より一年後に示衆(1243年9月)された『諸法実相』巻で説く「圜悟禅師いはく、生死去来真実人体。長沙いはく、尽十方界真実人体。尽十方界自己光明裏」(「岩波文庫」㈡四四五)に聯関させます。

「十悪」は殺生・偸盗・邪婬(身悪業)、妄語・綺語・悪口・両舌(口悪業)、貪欲。瞋恚・邪見(意悪業)。「八戒」は在家信者が六斎日に一日一夜、出家に準じて受持する八種の戒で、不殺生戒・不偸盗戒・不婬戒・不妄語戒・不飲酒戒・不塗飾香鬘舞歌観聴戒・不眼坐高厳麗床戒・不食非時食戒を云う。「三宝帰依」とは仏buddha法dhamma僧sanghaに帰依するとは、菩提心を起こし、無上菩提を成就できると説く。帰依三宝発菩提、究竟得成無上覚、功徳無辺尽未来際。

「百丈大智禅師の日く、若執本清浄本解脱自是仏、自是禅道解者、即属自然外道。これら閑家の破具にあらず、学道の積功累徳なり。□(足+孛)跳して玲瓏八面なり、脱落して如藤倚樹なり。或現此身得度而為説法なり、或現佗身得度而為説法なり、或不現此身得度而為説法なり、或不現佗身得度而為説法なり、乃至不為説法なり。しかあるに、棄身する処に揚声止響する事あり、捨命する処に断腸得髄する事あり。たとい威音王より先に発足学道すれども、猶これみづからが児孫として増長するなり」

「百丈大智禅師―外道」の出典は『天聖広灯録』九百丈懐海章(「続蔵」一三五・六七六b一二)にて同文を確認できる。

「百丈大智云く、若し本清浄とか本解脱と、自らは是れ禅道の解と執するならば、即ち自然外道に属す」。「本清浄」とは本来本法性。「本解脱」は一切諸法畢竟解脱。「自是仏」は自己即仏の見。「自是禅道」は本来具足の法身

「閑家の破具にあらず」とは、つまり「身学道」する学人は、役に立たぬ空き家の壊れた家財道具(本清浄・本解脱・自是仏・自是禅道)のようであってはならず驕慢心を捨離し、学道する功徳の積み累なり(積功累徳)なのである。

その形態は、「玲瓏八面・如藤倚樹」と形容するが、隠れたる所なき無色透明が飛び跳ね(□(足+孛)跳)、藤づるが樹に絡んで解脱する。と、それぞれ状況が異なりますが、「身学道」する時は、順風満帆なる時もあるが、如何ともし難い状態もある。との指摘です。

「或現此身」の喩えは、『法華経』「普門品」による「応以仏身得度者即現仏身而為説法」からの改変文となりますが、これは「身学道者」に対する心構えを、「或現此身・或現他身」に於いても「為説法・不為説法」し続ける学人の態度を、ここでは百丈を讃嘆する詞として示されます。なお「或現此身」の用例は『法華転法華』巻「或現仏身、而為説法、或現此身、而為説法なる転法華あり」(「岩波文庫」㈣四四六)の一例あり。

そこでの「身学道人」の行仏に対する威儀を「棄身→揚声止響・捨命→断腸得髄」とするは、不惜身命や百尺竿頭進一歩と通ずる理法である。『御抄』では「尽十方界真実人体なる所が、揚声止響なるべし。揚声と響とを各別に置きて、揚ぐるぞ・止むぞと論ずるにはあらず。真実人体と参学する処が捨命に当たるべし」(「曹洞宗全書」注解一・一三二下)と、尽十方界での全体行持と捉えるが、この場合は聞法する雲水に対し、「棄身・捨命」の緊迫する語勢で以ての教示と受け止める事にする。

「威音王より先に発足学道」とは、現実には有り得ない事ではあるが、前後遠近を超越する心持ちで「身学道」に努めなさい。との言ですが、先には緊張する言句の棄身・捨命を放言し、次いでは「自身が仏道の児孫」としての有意義性を保ちなさい。との強軟合わせての「身学道」としての総説の言辞であります。

    五

盡十方世界といふは、十方面ともに盡界なり。東西南北四維上下を十方といふ。かの表裏縱横の究盡なる時節を思量すべし。思量するといふは、人體はたとひ自佗に罣礙せらるといふとも、盡十方なりと諦觀し、決定するなり。これ未曾聞をきくなり。方等なるゆゑに、界等なるゆゑに。人體は四大五蘊なり、大塵ともに凡夫の究盡するところにあらず、聖者の參究するところなり。又、一塵に十方を諦觀すべし、十方は一塵に嚢括するにあらず。あるいは一塵に僧堂佛殿を建立し、あるいは僧堂佛殿に盡界を建立せり。これより建立せり、建立これよりなれり。恁麼の道理、すなはち盡十方界眞實人體なり。自然天然の邪見をならふべからず。界量にあらざれば廣狹にあらず。盡十方界は八萬四千の説法蘊なり、八萬四千の三昧なり、八萬四千の陀羅尼なり。八萬四千の説法蘊、これ轉法輪なるがゆゑに、法輪の轉處は亙界なり、亙時なり。方域なきにあらず、眞實人體なり。いまのなんぢ、いまのわれ、盡十方界眞實人體なる人なり。これらを蹉過することなく學道するなり。たとひ三大阿僧祇劫、十三大阿僧祇劫、無量阿僧祇劫までも、捨身受身しもてゆく、かならず學道の時節なる進歩退歩學道なり。禮拝問訊するすなはち、動止威儀なり。枯木を畫圖し、死灰を磨甎す。しばらくの間斷あらず。暦日は短促なりといへども學道は幽遠なり。捨家出家せる風流たとひ蕭然なりとも、樵夫に混同することなかれ。活計たとひ競頭すとも、佃戸に一齊なるにあらず。迷悟善惡の論に比することなかれ、邪正眞僞の際にとゞむることなかれ。

生死去來眞實人體といふは、いはゆる生死は凡夫の流轉なりといへども、大聖の所脱なり。超凡越聖せん、これを眞實體とするのみにあらず。これに二種七種のしなあれど、究盡するに、面々みな生死なるゆゑに恐怖すべきにあらず。ゆゑいかんとなれば、いまだ生をすてざれども、いますでに死をみる。いまだ死をすてざれども、いますでに生をみる。生は死を罣礙するにあらず、死は生を罣礙するにあらず、生死ともに凡夫のしるところにあらず。生は栢樹子のごとし。死は鐵漢のごとし。栢樹はたとひ栢樹に礙せらるとも、生はいまだ死に礙せられざるゆゑに學道なり。生は一枚にあらず、死は兩疋にあらず。死の生に相對するなし、生の死に相待するなし。

圜悟禪師いはく、生也全機現、死也全機現。逼塞太虚空、赤心常片々。この道著、しづかに功夫點撿すべし。圜悟禪師かつて恁麼いふといへども、なほいまだ生死の全機にあまれることをしらず。去來を參學するに、去に生死あり、來に生死あり、生に去來あり、死に去來あり。去來は盡十方界を兩翼三翼として飛去飛來す、盡十方界を三足五足として進歩退歩するなり。生死を頭尾として、盡十方界眞實人體はよく飜身回腦するなり。飜身回腦するに、如一錢大なり、似微塵裏なり。平坦々地、それ壁立千仞なり。壁立千仞處、それ平坦々地なり。このゆゑに南州北州の面目あり、これを撿して學道す。非想非々想の骨髓あり、これを抗して學道するのみなり

これより「身学道」での参究として四にて示された「尽十方世界(真実人体)・生死去来真実人体」さらに圜悟による「生死也全機現」について、参学参究するものである。

「尽十方世界と云うは、十方面ともに尽界なり。東西南北四維上下を十方と云う。かの表裏縦横の究尽なる時節を思量すべし。思量すると云うは、人体はたとい自他に罣礙せらると云うとも、尽十方なりと諦観し、決定するなり。これ未曾聞を聞くなり。方等なる故に、界等なる故に」

「尽十方世界」の定義として、東・西・南・北・東北(うしとら)・東南(たつみ)・西北(いぬい)・西南(ひつじさる)で以て二次面を表し、さらに上・下を加味した三次面を以て「十方面」とするのである。

さらに、その尽十方世界の表と裏、時間(縦)空間(横)をも究尽する時節(現実)を「思量すべし」。と徹通した参究姿勢であります。

「思量する」とは、人体は自分と他人では別々の存在ではあるが、尽十方面上に於いては同態と諦観し決定するものである。謂う所は、我々は常に自に対する他を設定するが「身学道」を実証する尽十方(仏法)世界では、自他の主客・能所はなく平常であるとの説明です。

このような思考法は未だ曾て聞いた事がないであろうが、十方面は平等であると共に、世界も平等である故に、尽十方なりと諦観するのである。

「人体は四大五蘊なり、大塵ともに凡夫の究尽する処にあらず、聖者の参究する処なり。又、一塵に十方を諦観すべし、十方は一塵に嚢括するにあらず。或いは一塵に僧堂仏殿を建立し、或いは僧堂仏殿に尽界を建立せり。これより建立せり、建立これより成れり。恁麼の道理、即ち尽十方界真実人体なり。自然天然の邪見を習うべからず」

我々の「人体」は四大(地水火風)の要素と五蘊(色受想行識)の集合とは因縁和合である。「大塵」は四大と六塵(色声香味触法)を指すが、これらの何十兆箇もの生命体の由縁を究尽するのは凡夫には及ばず、聖者の参じ究する仕事であろう。

また六塵ある各々の一塵の中にも先ほどの東西南北四維上下があることを諦観すべきではあるが、十方は一塵に包み込(嚢括)まれるのではない。十方は十方のままで、一塵は何時何処でも一塵である。

一塵(色・香など)に僧堂・仏殿を建立。と云い出すと、破天荒に思われるが、一塵も僧堂も共に尽十方世界の一味態と比定すれば、同体であり建立可能であるなら、僧堂・仏殿に尽界を建立することも可なりである。

このような(恁麽)道理であるから、僧堂・仏殿も一塵も「尽十方界真実人体」として接合できるのである。百丈が説くような自是仏・自是禅の解者に執する自然外道や、あるがままを主張する天然見などを習学してはならない。と、仏法の高次元的論法を述べられるものである。

「界量にあらざれば広狹にあらず。尽十方界は八万四千の説法蘊なり、八万四千の三昧なり、八万四千の陀羅尼なり。八万四千の説法蘊、これ転法輪なるが故に、法輪の転処は亙界なり、亙時なり。方域なきにあらず、真実人体なり。今の汝、今の我、尽十方界真実人体なる人なり。これらを蹉過することなく学道するなり」

この尽十方界の定量を述べるには、(世)界の量を云うのではないので、広い狭いはない。尽十方界に含有する量は、八万四千(無限量)の「説法蘊・三昧・陀羅尼」なり。とのことですが、この説法蘊・三昧・陀羅尼は、真実態として捉え、無量の説法蘊が仏の説法である転法輪であるから、法輪(説法)転処は亙界(全空間)亙時(全時間)に及ぶのである。

そこには必ず「方域」(地方・地域)の違いが生ずるが、只に「真実人体」である。いま現在の汝(あなた)・吾(わたし)こそが「尽十方界真実人体」なのであり、これらを踏み違える(蹉過)ことなく学道するのである。と、尽界と我とは同時事である。との自覚を促すのである。

「たとい三大阿僧祇劫、十三大阿僧祇劫、無量阿僧祇劫までも、捨身受身しもて往く、必ず学道の時節なる進歩退歩学道なり。礼拝問訊する則ち、動止威儀なり。枯木を画図し、死灰を磨甎す。しばらくの間断あらず。暦日は短促なりと云えども学道は幽遠なり。捨家出家せる風流たとい蕭然なりとも、樵夫に混同する事なかれ。活計たとい競頭すとも、佃戸に一斉なるにあらず。迷悟善悪の論に比する事なかれ、邪正真偽の際に留むる事なかれ」

阿僧祇(asamkhya)」は梵語の音写語でインドの数詞であるが、極大にして数えることのできない数(『禅学大辞典』上七頁)と示されるが、このような説明では「大辞典」の体裁を為さない。『法華経』全文中には三十六ヵ所もの「阿僧祇」が提示されるが、そこには10~50乗以上もの時間を以て、仏法の永劫性を説く大乗経典の極みが示される。

その永劫の中で捨身(菩薩行)受身(授記)し、そこには必然的に進歩退歩の学道があり、礼拝問訊での一コマ一コマが威儀の現成であり、学道は枯木画図(坐禅)し、死灰(坐禅の姿)を磨甎(無所得無所悟)することから、少しの間も中断する事がないのである。

「暦日(人命)は短くとも、学道の修行は幽遠なり」とは阿僧祇喩えの如く、永劫を説くもの。捨家出家した姿・形(風流)は蕭然(みすぼらしい・さびしい)であったとしても、樵夫(きこり)と混同してはならない。

学道生活(活計)はたとえ逼迫(競頭)しても、佃戸(唐末に発生した小作農家)の生計と等しい(一斉)ものではなく、迷・悟・善・悪といった論議に比較してはならず、邪か正とか真か偽かと云った際限で考えてはならない。とは、「身学道」に於いての「尽十方世界」に対する見解となります。

「生死去来真実人体と云うは、いわゆる生死は凡夫の流転なりと云えども、大聖の所脱なり。超凡越聖せん、これを真実体とするのみにあらず。これに二種七種の品あれど、究尽するに、面々みな生死なる故に恐怖すべきにあらず」

普通の人(凡夫)は、「生」に対しては喜び「死」には悲しむを流転と称するが、仏(大聖)は、「生」は生に任せ「死」は死に委ねる(所脱)のである。つまり謂うなら全機の生・全機の死に徹しきる大人(だいにん)を大聖(仏)と称するのであるが、凡夫を超え聖をも越える(超凡越聖)と云うが、それを「真実体」とするだけではないのである。

「二種七種」の内訳は『御抄』では「七種生死者、分段生死、変易生死(是を云二種老死)。流出生死(迷心の始め也)、返出生死(背妄初)、因縁生死(法性為因、無明為縁)、有後生死(位属等覚)、無後生死(妙覚位)。此の五の生死を加えて七種生死とは云う也」(「曹洞宗全書」注解一・一三六上)と註解せらるるが、この文言は『止観輔行伝弘決』七之一での「七種生死。一分段謂三界果報。二流来謂迷真之初。三反出謂背妄之始。四方便謂入滅二乗。五因縁謂初地已上。六有後謂第十地。七無後謂金剛心」(「大正蔵」四六・三五八a二二)を参照したもの歟。

ともかくも分段生死・変易生死の二種の内には、分段・流果・反出・方便・因縁・有後・無後の七種の生死に分類される如くに様々あるが、究尽すると凡も聖も「生死」という日来底に於ける変化であるから、恐怖すべき事情ではないのである。

「故いかんとなれば、未だ生を捨てざれども、今すでに死を見る。未だ死を捨てざれども、今すでに生を見る。生は死を罣礙するにあらず、死は生を罣礙するにあらず」

生死に恐れなくてもよいとは、まだ生きる事を捨てなくとも、死は目前に在り、また死する事を捨てなくとも生は眼前に在るのである。所謂は、「生死」とは新陳代謝の連続態であるから、呼気・吸気も「生死」の一形態だが、普段の生活で吸気は生と感嘆し、呼気を死と落胆する人など見たことがなく、生死は日常底そのものなのである。

その通常の様子を「生は死を罣礙(じゃま)せず、死は生を罣礙するにあらず」と、生死の捉え方を述べるのである。

「生死ともに凡夫の知る処にあらず。生は栢樹子の如し。死は鉄漢の如し。栢樹はたとい栢樹に礙せらるとも、生は未だ死に礙せられざる故に学道なり。生は一枚にあらず、死は両疋にあらず。死の生に相対するなし、生の死に相対するなし」

「生死」の平常底を説明しても、程度の差こそあれ、多少の経験(活計)を積まなければ、凡夫の知り計れるものではない。いま一つ喩えを示すなら「生は栢樹子・死は鉄漢の如し」。この「栢樹古」は趙州従諗が『趙州語録』にて「還見庭前栢樹子麽」(「続蔵」六八・七八b六)と示すように、学人の心得としては眼前に現成する栢樹子の「生」の姿を真実の証しとして示し、「鉄漢」は『聯灯会要』十三李遵勗章に於ける大悟作頌としての「学道須是鉄漢、著手頭便判」(「続蔵」七九・一一六a三)を「死」の姿に一任するわけで、共に「生死」の全機現を表すものです。

栢樹はたとい栢樹に罣礙せられたとしても、生は死に邪魔(礙)される事はなく、生は生きり死は死きりであるから、共に学道である。生が一枚で死が二つと謂った死と生の相対視ではなく、生の死に相い対する見方でもないのである。そこに通底する意は、『全機』巻で説かれる「生也全機現・死也全機現」に対する拈提でもある「生は死を罣礙せず、死は生を罣礙せざるなり。生にも全機し、死にも全機するにはあらざるなり。一にあらざれども異にあらず」(「岩波文庫」㈡八四)との言句に尽くされるはずである。

「圜悟禅師云く、生也全機現、死也全機現。逼塞太虚空、赤心常片々。この道著、静かに功夫点撿すべし。圜悟禅師かつて恁麼云うと謂えども、なほ未だ生死の全機に余れる事を知らず。去来を参学するに、去に生死あり、来に生死あり、生に去来あり、死に去来あり。去来は尽十方界を両翼三翼として飛去飛来す、尽十方界を三足五足として進歩退歩するなり」

「当巻」最後部での圜悟に対する拈提作業となります。

話則の出典籍は『圜悟語録』十七拈古五十一則「挙。生耶死耶。(略)生也全機現死也全機現。不道復不道、箇中無背面。直下便承当、不隔一条線。逼塞太虚空赤心常片々」(「大正蔵」四七・七九三b二九)となります。

この言句(道著)を静かに功夫点撿してみると、圜悟は生也全機現・死也全機現・云々と云うけれども、未だ生死が全機を越えている事は知らないらしい。と著語されるが、これは圜悟の不備を指摘するのではなく、道元禅師の親切心で以て添語しようと言うのである。

生死に「去来」をも参究してみよ。との意で、去→生死・来→生死、生→去来・死→去来あると究尽し、その「去来」自身は尽十方界が母体であるから、そこに鳥の両翼ないし三翼まで備えて飛去飛来し、尽十方界を第三の足、第五の足として進歩退歩するなり。と、生死→去来→尽十方界と虚空自身が生き物の如くに、その各々が赤心(誠態)とする在り様は超凡越聖をも聯関させるものであります。

「生死を頭尾として、尽十方界真実人体はよく飜身回脳するなり。飜身回脳するに、如一銭大なり、似微塵裏なり。平坦々地、それ壁立千仞なり。壁立千仞処、それ平坦々地なり。この故に南州北州の面目あり、これを撿して学道す。非想非々想の骨髄あり、これを抗して学道するのみなり」

「生死を頭尾」とは、生死の全体性を謂うものですから、尽十方界真実人体と同義と定句し、「飜身回脳」つまり身を翻筋斗し、頭を回らし修行に努めよ。とは、生死の辺際なき道理を述べるもので、同時に翻筋斗すると「如一銭大・似微塵裏」とは先の尽十方界の極大に対し極小の喩えとして対比させる文意のようです。所謂は広狭大小に捉われのない自由無限を言わしめるものである。

また別の言いようで以て「平坦々地・壁立千仞」の対語を同義句として認じ、加えて逆バージョンを以て等価を示すものであります。ですから南州北州の各人には、それぞれの面目があるように、各自の肌身に合った学道を行ずるのであり、「非想非々想の骨髄」も尽十方界真実人体と解することで、全体把捉を以て学道しなさい。との意で「身心学道」とは「身」と「心」を二つに分割するのではなく、真実人体としての行持が学道である。を以て擱筆とする。因みに此の圜悟拈提は、補完的意味合いが濃い文章であったような気がする。

(終)

2021年3月24日

午後3時 夏日のタイにて

※酒井得元老師提唱録。下の音声は提唱の冒頭部分です。最初から最後まで提唱をお聞きになりたい方は以下のアドレスまでご連絡ください。喜んで資料提供致します。karnacitta5746@yahoo.co.jp

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/sakaitokugen

正法眼蔵第四 身心学道  註解(聞書・抄)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/01/04/000000_1

※竹村 仁秀―正法眼蔵身心学道について

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/10/29/112208

※鏡島 元隆―正法眼藏抄の成立とその性格

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/10/29/111830

※水野弥穂子 未完の大著 (正法眼蔵)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/08/05/085933

※如浄録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/nyojou-goroku

※宝慶記

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/houkyouki

※真字正法眼蔵 三百則

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/08/14/000000

※永平広録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/eiheikouroku

 

    ―タイ仏暦2568年(2025)2月4日 クワイ河畔にて 六十八老漢 擱筆

修訂版 正法眼蔵 第五「即心是仏」を読み解く

修訂版 正法眼蔵 第五「即心是仏」を読み解く

二谷正信(正韻信道)

    前文

「七十五巻正法眼蔵」の執筆する時期を概観するに、興聖創成頃の㈠天福年間(1233―4)・㈡仁治の前(1238―39)・㈢越前移錫前の仁治年間(1240―43)それに㈣吉峰・大仏寺時代にと、四期に分けての考察が可能であるが、「当巻」の執筆期は第二期に属し、この期間に提示された『一顆明珠』嘉禎四(1238)年を例に見ても、提唱文に援用される人物は限定化され、「一顆」の場合では玄沙師備のみが取り挙げられ、「当巻」では慧忠国師を取り扱われる状況は、年代区分からも初期では単純に構文化されるが、時が経つほどに文体構成も複雑化するようである。

また標題である「即心是仏」の意は、「心は是れ仏」と解すべきであり、「即」は心を強調する助字となり「即ち」とは解せずに心そのものは是れ仏である(「酒井得元提唱録」)と解し、さらには即も心も是も仏も共々に仏法に包蓄される。と考えると理解し易いようである。

また「当巻」は『身心学道』(仁治三(1242)重陽日)を承けての巻ではあるが、その間の開きは三年もの隔歳があるのであるが、「身心」に於いては「山河大地日月星辰。これ心なり」とするように徹底する心に対する保任を説かれた訳であるが、「当巻」は相補的な立場にての「心」に対する補講の意味を持たせる巻である。

     序

仏仏祖祖いまだまぬかれず保任しきたれるは即心是仏のみなり。しかあるを、西天には即心是仏なし、震旦にはじめてきけり。学者おほくあやまるによりて、将錯就錯せず。将錯就錯せざるゆゑに、おほく外道に零落す。いはゆる即心の話をききて、癡人おもはくは、衆生の慮知念覚の未発菩提心なるを、すなはち仏とすとおもへり。これはかつて正師にあはざるによりてなり。

「仏々祖々未だ免かれず保任し来たれるは即心是仏のみなり。しかあるを、西天には即心是仏なし、震旦に始めて聞けり。学者多くあやまるによりて、将錯就錯せず。将錯就錯せざる故に、多く外道に零落す」

仏々祖々が現今まで保任されて来たのは即心是仏のみであるが、西天(インド)には即心是仏の教えはなく、震旦(支那)にて始めて聞く。と意訳できるが、これに対しては聊か反論の試論あり。「仏々祖々」とは釈尊をはじめインドを起点とする仏々、さらに北伝より支那に至る祖々を包含する事であるならば、「西天には即心是仏なし」とする言辞は妥当性を欠く。この表現は「当巻」に援用される南陽慧忠、即心是仏を発話した馬祖道一、馬祖の言行を厳守した大梅法常に通脈する仏法行持を強調する本意があるのか。

『馬祖語録』では「大梅山法常禅師、初参祖。問、如何是仏。祖云、即心是仏」(「続蔵」六九・四a一九)とするが、思想史の観点からすると、馬祖一(709―788)の生きた時代に編纂された『華厳経随疏演義鈔』八(790年代成立)には「一言以、直説即心是仏、何由可伝」(「大正蔵」三六・六二b二)や『止観輔行伝弘決』序(765年成立)では「或謂即心是仏悟入之門」(「大正蔵」四六・一四一a一一)では「即心是仏」の語が表れるが、当時急速に教圏拡大をはかっていた馬祖道一の系統から発せられた語である事は間違いない(木村清孝『正法眼蔵全巻解説』五三頁参照)

教理学者や訳経僧などは、「即心是仏」の真義を見究めずに、「将錯就錯」せず。この将錯就錯の意は、「脇目もふらず、水も洩らさぬ」消息を云うのである。一途に参究しない学人の多くは、自分自身に対する呪縛から逃れられない「外道」に零落するのである。

「いわゆる即心の話を聞きて、癡人思わくは、衆生の慮知念覚の未発菩提心なるを、則ち仏とすと思えり。これは曾て正師に会わざるによりてなり」

外道(癡人)の定規として、心の働きである慮知念覚が未発菩提心の状態、つまりは耳目の学解のみで、菩提心も発せず信心もない漢人を云うものである。このような人は、これまでに正師と称すべき教導者に巡り逢わない事による結果である。

    一

外道のたぐひとなるといふは、西天竺国に外道あり、先尼となづく。かれが見処のいはく、大道はわれらがいまの身にあり、そのていたらくは、たやすくしりぬべし。いはゆる苦楽をわきまへ、冷煖を自知し、痛癢を了知す。万物にさえられず、諸境にかかはれず。物は去来し境は生滅すれども、霊知はつねにありて不変なり。此霊知ひろく周遍せり。凡聖含霊の隔異なし。そのなかに、しばらく妄法の空花ありといへども、一念相応の智慧あらはれぬれば、物も亡じ、境も滅しぬれば、霊知本性ひとり了了として鎮常なり。たとひ身相はやぶれぬれども、霊知はやぶれずしていづるなり。たとへば人舎の失火にやくるに、舎主いでてさるがごとし。昭昭霊霊としてある、これを覚者智者の性といふ。これをほとけともいひ、さとりとも称ず。自他おなじく具足し、迷悟ともに通達せり。万法諸境ともかくもあれ、霊知は境とともならず、物とおなじからず、歴劫に常住なり。いま現在せる諸境も、霊知の所在によらば、真実といひぬべし。本性より縁起せるゆゑには実法なり。たとひしかありとも、霊知のごとくに常住ならず、存没するがゆゑに。これを霊知といふ。また真我と称じ、覚元といひ、本性と称じ、本体と称ず。かくのごとくの本性をさとるを常住にかへりぬるといひ、帰真の大士といふ。これよりのちは、さらに生死に流転せず、不生不滅の性海に証入するなり。このほかは真実にあらず。この性あらはさざるほど、三界六道は競起するといふなり。これすなはち先尼外道が見なり。

此処で言わんとする処は、すでに『辦道話』(寛喜三(1231)年)にて説かれるものであり、比較的わかり易く平易な文体である。

「外道の類いと為ると云うは、西天竺国に外道あり、先尼と名づく。彼が見処の曰く、大道は我らが今の身にあり、そのていたらくは、たやすく知りぬべし。いわゆる苦楽をわきまへ、冷煖を自知し、痛癢を了知す」

謂う所の「外道」は、釈尊の中道に対し一方向に極論されるもので、有名なものでは㈠道徳否定論者㈡要素集合論者㈢唯物論者㈣宿命論者㈤不可知論者㈥苦行論者などに分類され得るものではありますが、ここで説く先尼外道は宿命論者的意味合いがありましょうか。「苦楽」の文言を「辦道」では「よく好悪をわきまへ、是非をわきまふ。痛癢をしり、苦楽をしる、みなかの霊知のちからなり」(「岩波文庫」㈠三三)と、「冷煖」は別項にて「用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし」(「同」四〇)。

「万物に礙えられず、諸境に拘われず。物は去来し境は生滅すれども、霊知は常に在りて不変なり。此霊知広く周遍せり。凡聖含霊の隔異なし。その中に、しばらく妄法の空花ありと云えども、一念相応の智慧あらはれぬれば、物も亡じ、境も滅しぬれば、霊知本性ひとり了了として鎮常なり」

先尼外道の見方では「霊知」のハタラキを重視するのであるが、「辦道」にては「かの外道の見は、わが身、うちにひとつの霊知あり(略)みなかの霊知のちからなり」(「同」三三)。「凡聖含霊」に関しては「辦道」では、「草木牆壁はよく凡聖含霊のために宣揚し、凡聖含霊はかえつて草木牆壁のために演暢す」(「同」一八)からの改変である。

「たとい身相は壊れぬれども、霊知は壊れずして出づるなり。喩えば人舎の失火に焼くるに、舎主出でて去るが如し。昭昭霊霊としてある、これを覚者智者の性と云う。これを仏とも云い、悟りとも称ず。自他同じく具足し、迷悟ともに通達せり。万法諸境ともかくもあれ、霊知は境と伴ならず、物と同じからず、歴劫に常住なり」

このように説く霊魂不滅の考えは、世界の到る所に語り伝えられるものであり、西天竺国に於いても例外ではなかった。しかるに釈尊は、このような理想(ユートピア)を説くものではなく、現実世界に眼を据えた身心一如なものである。

「いま現在せる諸境も、霊知の所在によらば、真実と云いぬべし。本性より縁起せる故には実法なり。たとい然ありとも、霊知の如くに常住ならず、存没するが故に。これを霊知と云う。また真我と称じ、覚元と云い、本性と称じ、本体と称ず。かくの如くの本性を悟るを常住に帰りぬると云い、帰真の大士と云う。これより後は、さらに生死に流転せず、不生不滅の性海に証入するなり。この外は真実にあらず。この性あらはさざるほど、三界六道は競起すると云うなり。これ即ち先尼外道が見なり」

この処は『辦道話』第十問答(「岩波文庫」㈠三一)での文章を書き改めたものになります。これにて『辦道話』を底本にした前半部を終らせます。

    二 

大唐国大証国師慧忠和尚問僧、従何方来。僧日、南方来。師日、南方有何知識。僧日、知識頗多。師日、如何示人。

僧日、彼方知識、直下示学人即心是仏。仏是覚義、汝今悉具見聞覚知之性。此性善能揚眉瞬目、去来運用。徧於身中、挃頭頭知、挃脚脚知、故名正遍知。離此之外、更無別仏。此身即有生滅、心性無始以来、未曽生滅。身生滅者、如龍換骨、似蛇脱皮、人出故宅。即身是無常、其性常也。南方所説、大約如此。

師日、若然者、与彼先尼外道、無有差別。彼云、我此身中有一神性、此性能知痛癢。身壊之時、神則出去。如舎被焼舎主出去。舎即無常、舎主常矣。審如此者、邪正莫辨、孰為是乎。

吾比遊方、多見此色。近尤盛矣。聚却三五百衆、目視雲漢云、是南方宗旨。把他壇経改換、添糅鄙譚、削除聖意、或乱後徒、豈成言教。苦哉、吾宗喪矣。若以見聞覚知、是為仏性者、浄名不応云法離見聞覚知、若行見聞覚知、是則見聞覚知、非求法也。

大証国師は曹谿古仏の上足なり、天上人間の大善知識なり。国師のしめす宗旨をあきらめて、参学の亀鑑とすべし。先尼外道が見処としりてしたがふことなかれ。近代は大宋国に諸山の主人とあるやから、国師のごとくなるはあるべからず。むかしより国師にひとしかるべき知識いまだかつて出世せず。しかあるに、世人あやまりておもはく、臨済・徳山も国師にひとしかるべきと。かくのごとくのやからのみおほし。あはれむべし、明眼の師なきことを。

大証国師と僧との出典籍は『景徳伝灯録』二八(「大正蔵」五一・四三七c一七)に示された文言と同文である(但し冒頭は南陽慧忠国師禅客)。

「大唐国大証国師慧忠和尚問僧、従何方来」

大唐国の大証国師である慧忠和尚が僧に問う、何方(いづかた)より来たか。

「大唐国」の表記は『辦道話』からの援用か。「大証国師」は代宗よりの勅師号である。「慧忠」は法名。西京光宅寺慧忠国師(―775)。大鑑慧能(638―713)の弟子『景徳伝灯録』では四十三人法嗣者の内では第十八位に列位。

「僧日、南方来」

僧の日く、南方より来ました。この場合の南方とは慧能の教化圏である広東省辺りを指すもの歟。

「師日、南方有何知識」

師(慧忠)日く、南方には何の知識(指導者)が有るか。

「僧日、知識頗多」

僧の日く、知識は頗る多し。

「師日、如何示人」

師日く、如何に人に示すか。

「僧日、彼方知識、直下示学人即心是仏」

僧の日く、彼の方の知識は、直下で学人に即心是仏と示す。

『景徳伝灯録』五慧忠章では慧忠が僧に対し「即心是仏」(「大正蔵」五一・二四四b一七)と発し、また同じく慧能法嗣者である司空山本浄章では本浄禅師(667―761)が「即心是仏」(「同所」二四二b二七)と答話することから、馬祖道一(709―788)を始源とする「即心是仏」は司空・南陽あたりの一世代前からの伝語されていたようである。

「仏是覚義、汝今悉具見聞覚知之性」

仏とは是れ覚(さとり)の義(意味)で、汝は今、悉く見聞し覚知の性(本体)を具す。

「此性善能揚眉瞬目、去来運用」

此の性(本体)は善く眉を揚げ目を瞬かせ、自由(去来)に運用を能くす。

「徧於身中、挃頭頭知、挃脚脚知、故名正遍知」

身中に徧し、頭に挃(さす)れば頭を知り、脚に挃れば脚を知る、故に正遍知(仏十号)と名づく。

「離此之外、更無別仏」

此の性を離れて外には、更に別の仏は無い。

「此身即有生滅、心性無始以来、未曽生滅」

此の身は即ち生滅有りとも、心性は無始以来、未だ曽て生滅なし。

「身生滅者、如龍換骨、似蛇脱皮、人出故宅」

身の生滅は、龍が骨を換え、蛇の脱皮に似て、人の故(ふる)い宅を出でるが如し。

「即身是無常、其性常也、南方所説、大約如此」

即ち身は是れ無常で、其の性(本体)は常(住)也、南方の説く所は、大約して此(かく)の如くである。

「師日、若然者、与彼先尼外道、無有差別」

師(慧忠)の日く、若し然らずば、彼の先尼外道と、差別有るは無い。

「彼云、我此身中有一神性、此性能知痛癢、身壊之時、神則出去」

彼(先尼外道)が云うには、我が此の身中には一つの神性が有り、此の性は能く痛い癢いを知り、身が壊(やぶ)れる時には、神(性)は則ち出て去る。

「如舎被焼舎主出去。舎即無常、舎主常矣。審如此者、邪正莫辨、孰為是乎」

舎(いえ)が焼けると舎主(あるじ)が出で去る如くに、舎は即ち無常であり、舎主は常であり、審(あきら)かに此れは、邪と正の辨(別)は莫し、孰(いずれ)を是と為す乎(や)。

「吾比遊方、多見此色。近尤盛矣」

吾(慧忠)比(かつて)遊方したが、多く此の色(考え)を見、近(いま)は尤も盛ん矣(なり)。

「聚却三五百衆、目視雲漢云、是南方宗旨」

三百から五百の衆を聚め、目に雲漢を視て云く、是れが南方(慧能)の宗旨である。

「把他壇経改換、添糅鄙譚、削除聖意、或乱後徒、豈成言教。苦哉、吾宗喪矣」

他(か)の壇経を把りて改換し、鄙譚を添糅し、聖意を削除し、後徒(後輩)を或乱し、豈(どうして)言教と成らんや。苦しい哉(かな)、吾が宗も喪ず。

「若以見聞覚知、是為仏性者、浄名不応云法離見聞覚知、若行見聞覚知、是則見聞覚知、非求法也」

若し見聞覚知を以て、是れを仏性と為すとは、浄名(維摩)は応(まさ)に、法は見聞覚知を離れ、若し見聞覚知を行ぜば、是れ則ち見聞覚知であり、法を求むるに非ずとは云うべからず。

大証国師は曹谿古仏の上足なり、天上人間の大善知識なり。国師の示す宗旨を明らめて、参学の亀鑑とすべし。先尼外道が見処と知りて従う事なかれ」

「曹谿の上足」に関しては、後年に撰集されたとされる『深信因果』にて「永嘉真覚大師玄覚和尚(675―713)は、曹谿の上足なり」(「岩波文庫」㈣二九二)と。また同じく十二巻本『三時業』では「長沙景岑(―868)は南泉の願禅師(748―834)の上足なり」(「前同」三二五)、いま一例は『辦道話』にて明全(1184―1225)に対し「全公は祖師西和尚の上足」(「岩波文庫」㈠一二)というように、提唱に於いては数多の和尚を取り扱われますが、「上足」なる語で以ての大証慧忠の存在は、道元禅師にとっても特別なものであったのでしょう。「亀鑑」とは手本・模範の意であり、興聖門下に集う参学衆に対し指標を与えられます。

「近代は大宋国に諸山の主人とある族、国師の如くなるは在るべからず。昔より国師に等しかるべき知識未だ曾て出世せず。しかあるに、世人誤りて思わく、臨済・徳山も国師に等しかるべきと。かくの如くの族のみ多し。哀れむべし、明眼の師なきことを」

「近代(ちかごろ)」とは提唱時(1239年)の12年前にあたる在宋時代を説明するもので、「諸山の主人」とは『嗣書』巻にて示される「阿育王山仏照禅師徳光(1121―1203)や無際了派(1149―1225)を指すのであろうが、穿って考えるならば仏照―無際に連なる大日房能忍をも含意するの歟。

臨済・徳山」云々に関しても、『嗣書』内に「臨済の遠孫と自称するやから、ままにくはだつる不是あり。いはく、善知識の会下に参じて、頂相壱副法語壱軸を懇請して、嗣法の標準にそなふ」(「岩波文庫」㈡三七八)の文章に示される如くである。

    三 

いはゆる仏祖の保任する即心是仏は、外道二乗ゆめにも見るところにあらず。唯仏祖与仏祖のみ即心是仏しきたり、究尽しきたる聞著あり、行取あり、証著あり。仏百草を拈却しきたり、打失しきたる。しかあれども丈六の金身に説似せず。即公案あり、見成を相待せず、敗壊を廻避せず。是三界あり、退出にあらず、唯心にあらず。心牆壁あり、いまだ泥水せず、いまだ造作せず。あるいは即心是仏を参究し、心即仏是を参究し、仏即是心を参究し、即心仏是を参究し是仏心即を参究す。かくのごとくの参究、まさしく即心是仏、これを挙して即心是仏に正伝するなり。かくのごとく正伝して今日にいたれり。いはゆる正伝しきたれる心といふは、一心一切法一切法一心なり。このゆゑに古人いはく、若人識得心、大地無寸土。しるべし、心を識得するとき、蓋天撲落し、迊地裂破す。あるいは心を識得すれば、大地さらにあつさ三寸をます。

古徳云、作麽生是妙浄明心。山河大地、日月星辰。あきらかにしりぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。しかあれども、この道取するところ、すすめば不足あり、しりぞくればあまれり。山河大地心は山河大地のみなり。さらに波浪なし、風煙なし。日月星辰心は日月星辰のみなり。さらにきりなし、かすみなし。生死去来心は生死去来のみなり。さらに迷なし、悟なし。牆壁瓦礫心は牆壁瓦礫のみなり。さらに泥なし、水なし。四大五蘊心は四大五蘊のみなり。さらに馬なし、猿なし。椅子払子心は椅子払子のみなり。さらに竹なし、木なし。かくのごとくなるがゆゑに、即心是仏、不染汚即心是仏なり。諸仏、不染汚諸仏なり。しかあればすなはち、即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり。いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるは即心是仏にあらず。たとひ一刹那に発心修証するも即心是仏なり、たとひ一極微中に発心修証するも即心是仏なり、たとひ無量劫に発心修証するも即心是仏なり、たとひ一念中に発心修証するも即心是仏なり、たとひ半拳裏に発心修証するも即心是仏なり。しかあるを、長劫に修行作仏するは即心是仏にあらずといふは、即心是仏をいまだ見ざるなり、いまだしらざるなり、いまだ学せざるなり。即心是仏を開演する正師を見ざるなり。いはゆる諸仏とは釈迦牟尼仏なり。釈迦牟尼仏これ即心是仏なり。過去・現在・未来の諸仏、ともにほとけとなるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり。これ即心是仏なり。

「いはゆる仏祖の保任する即心是仏は、外道二乗ゆめにも見るところにあらず。唯仏祖与仏祖のみ即心是仏しきたり、究尽しきたる聞著あり、行取あり、証著あり」

「仏祖の保任する即心是仏」とは、冒頭部で示された「仏々祖々、いまだまぬかれず保任しきたれるは即心是仏のみなり」に照応される。その保任する処は外道・二乗などの我執に著するものとは違い、唯仏与仏のみに伝持される全体把捉の即心是仏の処では、聞き行じ証する修行があるのである。

「仏百草を拈却し来たり、打失し来たる。しかあれども丈六の金身に説似せず。即公案あり、見成を相待せず、敗壊を廻避せず。是三界あり、退出にあらず、唯心にあらず。心牆壁あり、未だ泥水せず、未だ造作せず」

「仏百草」の「仏」は全ての事物・事象を百草になぞらえ、丈六の金身を拝む対象から外し、「説似せず」とは固定観念化を払拭する為である。「即」とは眼前現成する真実態を指し、現成は自然に一任される事から、相待・敗壊は避けられないものである。「是」とは三界(欲・色・無色)であるとするは法界を指す。この法界は宇宙一杯ですから外界との「出入」は出来ようもなく、三界を「唯心」とするなら、固定概念に把捉されるから、「唯心にあらず」と説く。「心牆壁あり」とは『古仏心』巻での大証国師章での「如何是古仏牆壁瓦礫」(「岩波文庫」㈠二〇三)を援用されるが、ほかに大証国師慧忠和尚を取り扱う巻は『身心学道』『無情説法』『発菩提心』『他神通』などが挙げられる。

「あるいは即心是仏を参究し、心即仏是を参究し、仏即是心を参究し、即心仏是を参究し是仏心即を参究す。かくの如くの参究、まさしく即心是仏、これを挙して即心是仏に正伝するなり。かくの如く正伝して今日に至れり。いわゆる正伝し来たれる心と云うは、一心一切法一切法一心なり」

「即心是仏」を「心即仏是」「仏即是心」「即心仏是」「是仏心即」と四種に分節を試みられますが、謂う所は「即心是仏→即心是仏」に正伝される「心」は「一心一切法一切法一心」であると「心」の全体性・包括性に収斂させますが、この言い用は『都機』巻にて「古仏いはく、一心一切法一切法一心。しかあれば、心は一切法なり、一切法は心なり」(「岩波文庫」㈡九〇)と説かれ、出典源を大蔵経テキストデータベース(sat)などで検索するが、この用例は「正法眼蔵」のみである。

「この故に古人云わく、若人識得心、大地無寸土。知るべし、心を識得する時、蓋天撲落し、迊地裂破す。或いは心を識得すれば、大地さらに厚さ三寸を増す。古徳云、作麽生是妙浄明心。山河大地、日月星辰。明らかに知りぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。しかあれども、この道取する処、進めば不足あり、退くれば余れり」

「古人云、若人識得心、大地無寸土」(若し人が心を識得すれば、大地には寸土も無い)。この古則は『景徳伝灯録』三十では「古徳亦云若人識得心大地無寸土。此是甚道理、直下尽十方世界」(「大正蔵」五一・四六五a二六)とされるが、『長霊守卓語録』では守卓(1065―1123)の詞として「若人識得心大地無寸土。修山主出頭不得、為什麽、不向七穿八穴処相見」(「続蔵」六九・二六三c二三)と確認できたが、出典は「伝灯録」と推察する。

「心を識得する」とは、地に対する天が無いわけであり、天地の区別がなくなるを「蓋天撲落」(天の蓋いが無くなる)し、「迊地裂破」(地面全体が裂け破れる)と表し、さらに「心を識得すれば、大地さらに厚さ三寸を増す」とは、「大地」=「心」であるから、心と意識した時点で心の分だけ三寸増す。との意であろうが、これは数量を喩えるのではなく、増滅なしの義を謂わんが為の手法であろうか。

「古徳云、作麽生是妙浄明心。山河大地、日月星辰」の出典であるが、『真字正法眼蔵』中一六八則では大潙と仰山「大潙問仰山、妙浄明心汝作麼生会。仰日、山河大地日月星辰」の問答であり、その典籍は『宗門統要集』四・八六頁である。

この則に対する拈語としては、「心とは山河大地なり、日月星辰なり」とは変哲ないものではあるが、ここで道取する処の「進めば不足あり・退くは余る」に関しては、心は山河大地そのもの・心は日月星辰そのままであるから、ほかには代替できない事実を、「不足・余物」と言ったもので、謂わば明歴々を説くようです。

「山河大地心は山河大地のみなり。さらに波浪なし、風煙なし。日月星辰心は日月星辰のみなり。さらに霧なし、霞なし。生死去来心は生死去来のみなり。さらに迷なし、悟なし。牆壁瓦礫心は牆壁瓦礫のみなり。さらに泥なし、水なし。四大五蘊心は四大五蘊のみなり。さらに馬なし、猿なし。椅子払子心は椅子払子のみなり。さらに竹なし、木なし。かくの如くなるが故に、即心是仏、不染汚即心是仏なり。諸仏、不染汚諸仏なり」

ここでは一心一切法一切法一心に対する事例として「㈠山河大地心・㈡日月星辰心・㈢生死去来心・㈣牆壁瓦礫心・㈤四大五蘊心・㈥椅子払子心」の六例を提示し、それぞれに附属する事物・事象は「なし・なし」とするは、全機現なる道理が心であるとの証左であるが、「四大五蘊心~馬なし、猿なし」で説く「馬・猿」とは意馬心猿を捩った使い方で、走り回る馬や騒ぎ立てる猿を意味する。この用例は『圜悟語録』十二「歇却心猿意馬」(「大正蔵」四七・七六八b七)に出る。

即心是仏とは「不染汚即心是仏」、諸仏は「不染汚諸仏」とも代替可能との言ではあるが、余りにも形容する語句が多くなると、言語による固定化を防ぐ為とは云え、却って文字による常習化に落在する習癖が生じそうである。

「しかあれば則ち、即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり。未だ発心・修行・菩提・涅槃せざるは即心是仏にあらず。たとい一刹那に発心修証するも即心是仏なり、たとい一極微中に発心修証するも即心是仏なり、たとい無量劫に発心修証するも即心是仏なり、たとい一念中に発心修証するも即心是仏なり、たとい半拳裏に発心修証するも即心是仏なり」

「即心是仏とは、発心修行菩提涅槃の諸仏なり」とは、世間で云われるヒエラルキー的解釈に対するアンチテーゼを含意した解き方である。所謂は、即心是仏とは一瞬の絶え間ない、真実態の実証を「発心修行菩提涅槃」に喩えるのである。

絶え間ない真実底を「一刹那・一極微中」や「無量劫・一念中」と云い換えて、そこでの発心修行そのままが、即心是仏の真実であると提示するものである。

「しかあるを、長劫に修行作仏するは即心是仏にあらずと云うは、即心是仏を未だ見ざるなり、未だ知らざるなり、未だ学せざるなり。即心是仏を開演する正師を見ざるなり」

謂わんとする処は、「即心是仏」には長短・広狭・多少と云った差別は無い。ことや、「即心是仏」を頓極頓証とばかり心得る学漢に対する非を説くものである。

「いわゆる諸仏とは釈迦牟尼仏なり。釈迦牟尼仏これ即心是仏なり。過去・現在・未来の諸仏、共にほとけとなる時は、必ず釈迦牟尼仏となるなり。これ即心是仏なり」

このフレーズは曹洞宗門では僧俗ともに読誦に親しむ『修証義』第五章最後部にて引用する所でもあるが、経豪和尚による註解では「ただ釈迦一仏を云えばとて、余仏此の外に余り残りて恨むべきにあらず。仏法の道理は一仏を説く時、諸仏ことごとく一仏になるなり。一がやがて一にて有る道理なるべし」(「曹洞宗全書」注解一・一四八上)と添えるを以て終稿とする。

 

―2021年3月9日 午前、タイ国内のコロナ状況下に於いて 擱筆

(終)

※酒井得元老師提唱録。音声は提唱の冒頭部分です。最初から最後まで提唱をお聞きになりたい方は以下のアドレスまでご連絡ください。喜んで資料提供致します。karnacitta5746@yahoo.co.jp

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/sakaitokugen

※詮慧・経豪―正法眼蔵第五 即心是仏 註解(聞書・抄)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/01/05/000000_1

※末木 文美士―即心是仏『言葉の思想史』より

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/05/13/113247

※末木 文美士―『正法眼蔵』―脱構築から再構成へ

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/05/13/113042

※入矢 義高―馬祖禅の核心

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/04/12/095157

※石井 修道―中国禅と道元

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/03/29/194000

※水野弥穂子 未完の大著 (正法眼蔵) これは水野弥穂子氏(『正法眼蔵』㈣「岩波文庫」解説)校注本巻末に記されたものを抜書したものであるが、一部修訂した。

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/08/05/085933

※如浄録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/nyojou-goroku

※宝慶記

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/houkyouki

※真字正法眼蔵 三百則

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/08/14/000000

※永平広録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/eiheikouroku

※ダンマパダ(法句経)を読み解く             二谷正信

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/07/17/154119

 

   ―2025年(タイ仏暦2568)如月吉日 擱筆 六十八老翁―

修訂版  正法眼蔵 第六「行仏威儀」を読み解く

修訂版  正法眼蔵 第六「行仏威儀」を読み解く

二谷正信(正韻信道)

    はじめに 

この巻の奥書きには仁治二年(1241)十月の中旬に観音導利興聖宝林寺にて記す。と示されることで、示衆の形態としてではなく自身の備忘録的な色彩として、「我本行菩薩道(『如来全身』寛元二年(1244)二月」・「是諸仏之所護念(『密語』寛元元年(1243)九月」・「了生達死(『生死』「秘密正法眼蔵」・「転大法輪、立地聴『眼睛』寛元元年(1243)十二月」・「互換投機、神出鬼没『阿羅漢』仁治三年((1242)五月」などを扱うわけであるが、これらは何れも「当巻」以後に提示されることから、各巻の問題がすでに、すでに用意されている事情からも特異な位置づけが与えられそうである。

    一 諸仏の威儀

諸佛かならず威儀を行足す、これ行佛なり。行佛それ報佛にあらず、化佛にあらず、自性身佛にあらず、佗性身佛にあらず。始覺本覺にあらず、性覺無覺にあらず。如是等佛、たえて行佛に齊肩することうべからず。

しるべし、諸佛の佛道にある、覺をまたざるなり。佛向上の道に行履を通達せること、唯行佛のみなり。自性佛等、夢也未見在なるところなり。この行佛は、頭々に威儀現成するゆゑに、身前に威儀現成す、道前に化機漏泄すること、亙時なり、亙方なり、亙佛なり、亙行なり。行佛にあらざれば、佛縛法縛いまだ解脱せず、佛魔法魔に黨類せらるゝなり。

佛縛といふは、菩提を菩提と知見解會する、即知見、即解會に即縛せられぬるなり。一念を經歴するに、なほいまだ解脱の期を期せず、いたづらに錯解す。菩提をすなはち菩提なりと見解せん、これ菩提相應の知見なるべし。たれかこれを邪見といはんと想憶す、これすなはち無繩自縛なり。縛々綿々として樹倒藤枯にあらず。いたづらに佛邊の窠窟に活計せるのみなり。法身のやまふをしらず、報身の窮をしらず。

教家經師論師等の佛道を遠聞せる、なほしいはく、即於法性、起法性見、即是無明。この教家のいはくは、法性に法性の見おこるに、法性の縛をいはず、さらに無明の縛をかさぬ、法性の縛あることをしらず。あはれむべしといへども、無明縛のかさなれるをしれるは、發菩提心の種子となりぬべし。いま行佛、かつてかくのごとくの縛に縛せられざるなり。

かるがゆゑに、我本行菩薩道、所成壽命、今猶未盡、復倍上數なり。しるべし、菩薩の壽命いまに連綿とあるにあらず、佛壽命の過去に布遍せるにあらず。いまいふ上數は、全所成なり。いひきたる今猶は、全壽命なり。我本行たとひ萬里一條鐵なりとも、百年抛卻任縱横なり。

「諸仏必ず威儀を行足す、これ行仏なり。行仏それ報仏にあらず、化仏にあらず、自性身仏にあらず、他性身仏にあらず。始覚本覚にあらず、性覚無覚にあらず。如是等仏、絶えて行仏に斉肩する事うべからず」

まずは標題である「行仏威儀」とは、行ずることが仏であり、そこには威儀が充足されている事象が行仏を威儀する。と説かれるわけです。

その処を「諸仏必ず威儀を行足され、行仏なり」と「行仏」=「威儀」は一味態との提示となります。謂うなれば修(行仏)証(威儀)一如に連なる先駆けの論述でもある。

「行仏」とは眼前に現成する行ずる学人をいい、「報仏(三身中の果報の仏)・化仏(教化の為の神通変化の仏)・自性身仏(自受用身)・他性身仏(他受用身)・始覚(仏性顕現する時)本覚(本来さとりの性)・性覚(見性の成仏)無覚(始覚本覚を超越した仏)」といった教学仏教で扱う観念的な仏は、行仏とは肩を斉しくすべきではない。と、仏道修行に於いては教学を捨て行ずる仏に専心すべきを冒頭にて至要されます。

「知るべし、諸仏の仏道にある、覚を待たざるなり。仏向上の道に行履を通達せる事、唯行仏のみなり。自性仏等、夢也未見在なる処なり。この行仏は、頭々に威儀現成する故に、身前に威儀現成す、道前に化機漏泄する事、亙時なり、亙方なり、亙仏なり、亙行なり。行仏にあらざれば、仏縛法縛いまだ解脱せず、仏魔法魔に黨類せらるるなり」

いま一度「行仏」の説明として「諸仏」=「仏道」である場合には、覚(さとり)を待悟するはずはなく、仏の向上に通じ達するには、唯「行仏」だけが顕在し、自性仏等のカテゴライズ化された仏らの姿は夢にも見在するものではない。

この「行仏」は一人一人(頭々)に威儀という姿で現成するのであるが、具体処として身前では威儀として、ことば(道)の処では衆生教化というハタラキで漏泄(もれ)し、「亙時・亙方・亙仏・亙行」と、時間・空間に行き渡るのである。

「行仏」でないとは仏や法に縛られて身動きが出来ないから解脱できないのであり、別に謂うなら仏という魔窟・法という魔境の類いに列せられるのである。

「縛・魔」とは観念論に陥り、「仏・法」を頭上戴冠し、落下せぬようシナリシナリと花魁道中を行ずるを、仏行と思い込む族を云い、無縄自縛とも称せられるが、『真字正法眼蔵』上・九〇則での「一句合頭語、万劫繋驢」の橛にも相当する語法である。

「仏縛と云うは、菩提を菩提と知見解会する、即知見、即解会に即縛せられぬるなり。一念を経歴するに、猶未だ解脱の期を期せず、いたづらに錯解す。菩提を即ち菩提なりと見解せん、これ菩提相応の知見なるべし。誰かこれを邪見と謂わんと想憶す、これ則ち無縄自縛なり。縛々綿々として樹倒藤枯にあらず。いたづらに仏辺の窠窟に活計せるのみなり。法身の病いを知らず、報身の窮を知らず」

「仏縛」とは菩提と云う主体を置き、知見・解会の主客分立の立場に落ち込む事ですから、「即縛」=「仏縛」が生じることになるのである。

「一念を経歴する」とは、ほんの少しの時間経過を云うもので、謂うなれば、どんな場合でも解脱の期待をするものではないのが本来の法住ではあるが、仏縛の元では間違った解会が顕現される。と「仏縛」を解き明かされます。さらに「無縄自縛」の定義を、菩提を邪見と想憶する輩・固定観念に縛られるを、無縄自縛と名づける。

無縄自縛の輩は、樹が倒れて藤が枯れる。ではなく縛々綿々と続き、徒らに仏所の辺際の寝倉(窠窟)のみで生活(活計)するのみであるが、彼らには法縛仏縛と云う病いや窮状は知らないのであろう。と、行仏に対する忠言となります。

「教家経師論師等の仏道を遠聞せる、なおし云く、即於法性、起法性見、即是無明。この教家の云わくは、法性に法性の見起こるに、法性の縛を云わず、さらに無明の縛を重ぬ、法性の縛ある事を知らず。哀れむべしと云えども、無明縛の重なれるを知れるは、発菩提心の種子となりぬべし。いま行仏、曾てかくの如くの縛に縛せられざるなり」

「教家」は教相家の略で、仏の教えを種々に分類・分析し、文字言句を究める。天台の五時八教・法相の三時教・華厳の五教など。「経師」は経を誦し解義を説く法師。「論師」は仏法を経論等の文字でのみ解し、実践の伴わない法師(『禅学大辞典』上二一七頁等参照「大修館」)。

その彼らが云うには、法性に即して、法性の見を起こす、即ち是れ無明なり(即於法性、起法性見、即是無明)と述べられるが、出典源は不明。

教家に対する拈語としては、法性の見を指摘して置きながら、法性の縛に対する見解の抜け落ちを、指摘するものであろうが、見とは意見・見識の略で、縛を付記するならば「於法性、起法性見、即是法縛」と云えば良いのであろうが、観念論に落ち込む危険性があるので、筆者が拈ずるとすれば「無明の在中に縛も内在せり」と云い添えたいものである。

いま取り扱っている「行仏」に於いては、これまで述べてきた学問的束縛には縛られない学人を指すのであろう。

「かるが故に、我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、復倍上数なり。知るべし、菩薩の寿命いまに連綿とあるにあらず、仏寿命の過去に布遍せるにあらず。今いう上数は、全所成なり。謂い来たる今猶は、全寿命なり。我本行たとい万里一条鉄なりとも、百年抛却任縦横なり」

これまでは仏縛・法縛を論ずる所に、『法華経』十六「寿量品」(「大正蔵」九・四二c二二)である「我れ本より菩薩道を行じて、成る所の寿命は、今も猶未だ尽きず、復た上の数に倍せり」を援用する意味は、菩薩の行仏道に於いては、仏寿の未尽なる仏向上態に於いては、縛せらる事がない。と謂う主意になります。

ところが拈語では、「菩薩の寿命いまに連綿とあるにあらず・仏寿命の過去に布遍せるにあらず」と、法華文が説く主意とは逆説的に拈ずるものであるが、これは聴聞衆が懐く固執する思考を打破するものであろうが、『啓迪』に於いては「これは凡夫の常見を点破する開山の剜刀じゃ」(三四三頁)と示される。

この「我本行」と云う菩薩道の生き様は、断絶がない「万里一条鉄」の状態であっても石頭和尚草庵歌に謂う処の『景徳伝灯録』三十「結草為庵、莫生退。百年抛却任縦横。擺手便行、且無罪」(「大正蔵」五一・四六一c 一九)を援用し、万里一条鉄といっても其の内実は抛却や縦横が在り、あたかも眼前現成する公案の姿を謂わんとするものです。

    二 不染汚の行仏

しかあればすなはち、修證は無にあらず、修證は有にあらず、修證は染汚にあらず。無佛無人の處在に百千萬ありといへども行佛を染汚せず。ゆゑに行佛の修證に染汚せられざるなり。修證の不染汚なるにはあらず、この不染汚、それ不無なり。曹谿いはく、祇此不染汚、是諸佛之所護念、汝亦如是、吾亦如是、乃至西天諸祖亦如是。しかあればすなはち、汝亦如是のゆゑに諸佛なり、吾亦如是のゆゑに諸佛なり。まことにわれにあらず、なんぢにあらず。この不染汚に、如吾是吾、諸佛所護念、これ行佛威儀なり。如汝是汝、諸佛所護念、これ行佛威儀なり。吾亦のゆゑに師勝なり、汝亦のゆゑに資強なり。師勝資強、これ行佛の明行足なり。しるべし、是諸佛之所護念と、吾亦なり、汝亦なり。曹谿古佛の道得、たとひわれにあらずとも、なんぢにあらざらんや。行佛之所護念、行佛之所通達、それかくのごとし。かるがゆゑにしりぬ、修證は性相本末等にあらず。行佛の去就これ果然として佛を行ぜしむるに、佛すなはち行ぜしむ。

こゝに爲法捨身あり、爲身捨法あり。不惜身命あり、但惜身命あり。法のために法をすつるのみにあらず、心のために法をすつる威儀あり。捨は無量なること、忘るべからず。佛量を拈來して大道を測量し度量すべからず。佛量は一隅なり、たとへば花開のごとし。心量を擧來して威儀を摸索すべからず、擬議すべからず。心量は一面なり、たとへば世界のごとし。一莖草量、あきらかに佛祖心量なり。これ行佛の蹤跡を認ぜる一片なり。一心量たとひ無量佛量を包含せりと見徹すとも、行佛の容止動靜を量ぜんと擬するには、もとより過量の面目あり。過量の行履なるがゆゑに、即不中なり、使不得なり、量不及なり。

これよりは慧能(曹谿)に於ける行仏の実態を明かされる。

「しかあれば即ち、修証は無にあらず、修証は有にあらず、修証は染汚にあらず。無仏無人の処在に百千万ありと云えども行仏を染汚せず。故に行仏の修証に染汚せられざるなり。修証の不染汚なるにはあらず、この不染汚、それ不無なり」

「修証は無・有にあらず」は南嶽懐譲(677―744)が曹谿(638―713)に対する八年辦道の結句として述べて言句であるが、出典として『景徳伝灯録』五南嶽章「直詣曹谿参六祖、祖問、什麼処来。曰嵩山来。祖曰、什麼物恁麼来。曰説似一物即不中。祖曰、還可修証否。曰修証即不無汚染即不得。祖曰、只此不汚染、諸仏之所護念、汝既如是、吾亦如是。西天般若多羅讖」(「大正蔵」五一・二四〇c一一)を提示できるが、この処の詳細は『遍参』巻(「岩波文庫」㈢二四一)にて述べられる。原文では汚染とする処をすべて染汚に書き改める主意が判然としないが、中国語では汚染・染汚の両用の使用例があるを記す。

無仏無人の処在」の出典源は『景徳伝灯録』三十「証道歌」に於ける永嘉「了了見無一物、亦無人無仏、大千世界海中漚」(「大正蔵」五一・四六一a二九)と推察すると、先の石頭草庵歌に於ける「百年抛却任縦横」同様、「伝灯録」を見開きながらの執筆だったのだろう歟。

その無仏無人の処には百千万の修証(真実態)が現成しているが、「行仏」の真実態をけがす(染汚)ことはない。つまりは「行仏」=「修証」=「不染汚」の等式が成り立つわけであるから、この不染汚は「不無」つまり不でありである状態で、なければならないのである。

「曹谿云く、祇此不染汚、是諸仏之所護念、汝亦如是、吾亦如是、乃至西天諸祖亦如是。しかあれば即ち、汝亦如是の故に諸仏なり、吾亦如是の故に諸仏なり。まことにわれにあらず、なんぢにあらず。この不染汚に、如吾是吾、諸仏所護念、これ行仏威儀なり。如汝是汝、諸仏所護念、これ行仏威儀なり」

この処は先に示した南嶽章での後半部「只此不汚染、諸仏之所護念、汝既如是、吾亦如是」に少々の出入りを加え、「西天般若多羅讖」は「乃至西天諸祖亦如是」と改変されます。

「汝亦如是」=「吾亦如是」が諸仏なり。とは、自他の能所に言及せず、如に包含される全てを受け入れるを諸仏と捉えるものですが、次には「われにあらず・なんぢにあらず」と否定辞に付す手法は、先ほど来から云う固着化させない辦法です。

固定観念を懐かせない再三の述法で以て、「㈠吾㈡又㈢如㈣是」→「㈢如㈠吾㈣是㈠吾」に、「㈠汝㈡亦㈢如㈣是」→「㈢如㈠汝㈣是㈠汝」と改変されることで、人間の意識下に於いての分節化を行うことで、2×2=4的な定法を嫌うものですが、意味する内容は何ら変わらない。

このように吾・汝の区別・差別なく学道するを「行仏威儀」と定言される。

「吾亦の故に師勝なり、汝亦の故に資強なり。師勝資強、これ行仏の明行足なり。知るべし、是諸仏之所護念と、吾亦なり、汝亦なり。曹谿古仏の道得、たといわれにあらずとも、なんぢにあらざらんや。行仏之所護念、行仏之所通達、それかくの如し。かるが故に知りぬ、修証は性相本末等にあらず。行仏の去就これ果然として仏を行ぜしむるに、仏則ち行ぜしむ」

「師資」とは師匠と弟子との意であるが、師が勝・資が強と称することで、「行仏」の明行足つまり仏の行じ方が明らかで充足したる仏の姿が、「吾亦・汝亦」の行仏の本源であると言われます。

「曹谿の道得」とは「祇此不染汚、是諸仏之所護念、汝亦如是、吾亦如是、乃至西天諸祖亦如是」で云う汝亦如是・吾亦如是は肯定句として表すが、「われにあらず・なんぢにあらず」と対句で表現することは、通常の提示手法で以て全体性を示すものです。

これまで述べてきたように、修証(修行と実証)とは全体把捉であるから、『法華経』「方便品」で謂う処(「唯仏与仏乃能究尽」(大正蔵九・五c一一)の一部位を取り出し得るものではなく、仏は行ずる全体性を説かしめるのである。

「ここに為法捨身あり、為身捨法あり。不惜身命あり、但惜身命あり。法の為に法を捨つるのみにあらず、心の為に法を捨つる威儀あり。捨は無量なること、忘るべからず。仏量を拈来して大道を測量し度量すべからず。仏量は一隅なり、たとへば花開のごとし。心量を擧來して威儀を摸索すべからず、擬議すべからず。心量は一面なり、たとえば世界の如し。一茎草量、明らかに仏祖心量なり。これ行仏の縦跡を認ぜる一片なり。一心量たとい無量仏量を包含せりと見徹すとも、行仏の容止動静を量ぜんと擬するには、もとより過量の面目あり。過量の行履なるが故に、即不中なり、使不得なり、量不及なり」

「為法捨身」に対する経豪和尚による『御抄』では「抑も尽十方界真実人体の身を、捨つるとは如何にと可心得ぞ。捨つる所あるべからず」(「曹洞宗全書」注解一・一五七上)と示されます。『自証三昧』巻での詮慧による註解『聞書』では「為法捨身とは、仮修証義也」(「曹洞宗全書」注解二・一二四九下)と示されるように、「為法捨身・為身捨法・不惜身命・但惜身命」と修証とは不離不即の関係でもあるが、行仏に於いては法と心とは別物ならざる、を謂うものである。

「捨は無量なること」の捨とは無量を行ずる事で、修証・仏量とも同義語に位置づけられます。その仏量を例示で示せば、「花開のごとし」。と拈語するが、仏量と花開では比較対象の域では大・小があるが、真実の一隅からすると同世界を謂うもの歟。また一本の草の姿も、厳然とした仏祖としての心(全体)量である。と法華の唯有一乗法が解き明かされます。

花開や一茎草の些細な出来事が、「行仏」という真実態の縦跡(あとかた)が認められる一片の真実であるのである。一心量(全体)は喩えば無量の仏量を包含していると徹底した見方が出来たとしても、箇々の行仏のありかた(容止動静)を量りようがなく、一心量の把捉は即不中(言い当てられない)であり、使不得(使いきれない)であり、量不及(量り及ばない)である。と述べられるが謂わんとする主旨は、全体の真実性である諸法実相の源泉である真実態を参究する手段として、公案問答等を額に掲げるような無駄足を踏むな。との言裏が包接されているようである。

    三 学人の行仏

しばらく、行佛威儀に一究あり。即佛即自と恁麼來せるに、吾亦汝亦の威儀、それ唯我能にかゝはれりといふとも、すなはち十方佛然の脱落、これ同條のみにあらず。かるがゆゑに、古佛いはく、體取那邊事、卻來這裏行履。すでに恁麼保任するに、諸法諸身諸行諸佛、これ親切なり。この行法身佛、おのおの承當に罣礙あるのみなり。承當に罣礙あるがゆゑに、承當に脱落あるのみなり。眼礙の明々百草頭なる、不見一法、不見一物と動著することなかれ。這法に若至なり、那法に若至なり。拈來拈去、出入同門に行履する、徧界不曾藏なるがゆゑに、世尊の密語密證密行密附等あるなり。出門便是草、入門便是草、萬里無寸草なり。入之一字、出之一字、這頭也不用得、那頭也不用得なり。いまの把捉は、放行をまたざれども、これ夢幻空花なり。たれかこれを夢幻空花と將錯就錯せん。進歩也錯、退歩也錯、一歩也錯、兩歩也錯なるがゆゑに錯々なり。天地懸隔するがゆゑに至道無難なり。威儀儀威、大道體寛と究竟すべし。しるべし、出生合道出なり、入死合道入なり。その頭正尾正に、玉轉珠回の威儀現前するなり。佛威儀の一隅を遣有するは、盡乾坤大地なり、盡生死去來なり。塵刹なり、蓮花なり。これ塵刹蓮花、おのおの一隅なり。學人おほくおもはく、盡乾坤といふは、この南瞻部州をいふならんと擬せられ、又この一四州をいふならんと擬せられ、たゞ又神丹一國おもひにかゝり、日本一國おもひにめぐるがごとし。又、盡大地といふも、たゞ三千大千世界とおもふがごとし、わづかに一州一縣をおもひにかくるがごとし。盡大地盡乾坤の言句を參學せんこと、三次五次も思ひめぐらすべし、ひろきにこそはとてやみぬることなかれ。この得道は、極大同小、極小同大の超佛越祖なるなり。大の有にあらざる、小の有にあらざる、疑著ににたりといへども威儀行佛なり。佛々祖々の道取する盡乾坤の威儀、盡大地の威儀、ともに不曾藏を徧界と參學すべし。徧界不曾藏なるのみにはあらざるなり。これ行佛一中の威儀なり。

これまでは「行仏」に対する総合概説的記述でしたが、これより本格的論述です。

「しばらく、行仏威儀に一究あり。即仏即自と恁麼来せるに、吾亦汝亦の威儀、それ唯我能に拘われりと云うとも、則ち十方仏然の脱落、これ同条のみにあらず」

これより、行仏の威儀に対し「一究あり」とは、行仏を究尽・究弁の方法がある。と言った書きぶりになります。一究の具体例として「即仏・即自」を挙げられ、即仏の時は究尽の行仏で即自の時は究尽の行仏が、そのままの形でやって来る(恁麼来)のであるが、そこには前述する「吾亦汝亦」の真実の威儀としては、『法華経』「方便品」(唯我知是相、十方仏)での経文を部分援用されるが、そこには当『行仏威儀』巻(仁治二年(1241)十月中旬記)より半年前に記された『法華転法華』巻(仁治二年夏安居日)での「唯我知是相、十方仏なる出現於此あり。これすなはち我及十方仏、乃知是事」(「岩波文庫」㈣四二九)と謂う、ハイブリッド的語法を援用したものと推測する。

「かるが故に、古仏云く、体取那辺事、却来這裏行履。すでに恁麼保任するに、諸法諸身諸行諸仏、これ親切なり。この行法身仏、おのおの承当に罣礙あるのみなり。承当に罣礙あるが故に、承当に脱落あるのみなり」

「古仏云く、体取那辺事、却来這裏行履」の出典源であろう『聯灯会要』二十二雲居道膺章に於ける「古人云、体取那辺事却来這辺行履。那辺有甚麼事、這辺又作麼生行履」(「続蔵」七九・一九二a五)の所の辺→裏に改変したものであろうが、「那辺の事」とは自己の正体を指し、「這裏の行履」とは自己の真実を具現化させる為の生活。と意訳し、所謂は、「那辺事を体取し、這裏に却来を行履す」とは、那辺と這裏の往来を謂う事で、現今を強調する話則と思われるが、先の「会要」での雲居による拈語に云う「所以道、有也莫將将来、無也莫将去。見在底、是誰家事」を見れば、「那這・有無」に拘わらず全体把捉の重要性が会得されます。

このように那辺・這裏と身につける(保任)処では「諸法・諸身・諸行・諸仏」と謂った仏法が親しみ一体となることを、この諸行・諸法・諸身・諸仏の行仏が、それぞれに承当(一体になる)する所に脱落の身心があるのであるが、西有氏に謂わせると「そのなり切る時が脱落で、生の時には生に背かず、死の時には死に背かず、一時一時になり切ってゆけば、これが直きに脱落である」(『啓迪』三六三頁)と、「承当脱落」の義を説かれます。

「眼礙の明々百草頭なる、不見一法、不見一物と動著することなかれ。這法に若至なり、那法に若至なり。拈来拈去、出入同門に行履する、徧界不曾蔵なるが故に、世尊の密語密証密行密附等あるなり」

この処の解釈は『御抄』を手掛かりに注釈する。「眼礙」の時節では眼の外には別物はあるはずはなく、眼前現成する「百草」の明々なる真実態を「不見一法即如来」「不見一物」が仏法の見方である、などとは固執してはならない。この行仏の実体は「這法・那法」あちらにも・こちらにも、と全体に行き渡っているのであり、この仏法上での「拈来・拈去・出入」は同門に行履するとは、真実が丸出しの「徧界不曾蔵」であるから、釈迦牟尼世尊による密語(親しいことば)・密証(親しい実証)・密行(親しく行ずる)・密附(親しく正法を附属する)等があるのである。

「出門便是草、入門便是草、万里無寸草なり。入之一字、出之一字、這頭也不用得、那頭也不用得なり」

「出門・入門、万里無寸草」の出典は『真字正法眼蔵』上八二則に「洞山夏末示衆曰゚初秋夏末゚直須向万里無寸草処去゚衆無語゚僧挙似石霜゚霜曰゚何不道出門便是草」が挙げられるが、この出典源は『圜悟語録』十八・頌古上(「大正蔵」四七・七九九c四)に同文が見られる。

一般的解釈では「出門・入門」での草は無明煩悩を指し、「万里無寸」での草を現象差別を越えた本源世界に喩えるようではあるが、道元が謂わんとするは真実態を示唆するものであり、これは前出の「明々百頭」から連なる文脈であり、尽十方界そのものが真実であり、そこに現前する事物・事象が「行仏威儀」の内容である。

「入出の字、這那頭也不用得」とは、行仏威儀の世界では「入」に対する「出」・「出」に対する「入」の立場は置かず、這頭(具体的現実)那頭(絶対的真実)は不用得(いらない)であると指示されるが、経豪『御抄』では「出門便是行仏威儀、入門便是行仏威儀、万里無寸草威儀なるべし」(「曹洞宗全書」注解一・一六〇上)と、草と行仏威儀、の関係を解かれます。

「今の把捉は、放行を待たざれども、これ夢幻空花なり。たれかこれを夢幻空花と将錯就錯せん。進歩也錯、退歩也錯、一歩也錯、両歩也錯なるが故に錯々なり。天地懸隔するが故に至道無難なり。威儀儀威、大道体寛と究竟すべし」

一般常識では「夢幻空花・錯」などは否定されるべき対象であるが、大局的視野から把捉する仏法視観では、「夢幻空花・錯・進歩・退歩・一歩・両歩」は同事同態と化し、これらの真実具現する現成態を威儀とし、亦儀威と正逆を入れ替えても、何ら現成に変化しない様態を「大道体寛と究竟」と超俯瞰視する論述です。

「知るべし、出生合道出なり、入死合道入なり。その頭正尾正に、玉転珠回の威儀現前するなり。仏威儀の一隅を遣有するは、尽乾坤大地なり、尽生死去来なり。塵刹なり、蓮花なり。これ塵刹蓮花、おのおの一隅なり」

さらに行仏の姿として、生まれるも死ぬるも、それも道に合する出入であり、その全体(頭正尾正)の動きは玉が転ずるように、常に動的でありながら平衡を保ち続ける行仏の状態を「威儀現前する」と云うのである。

「仏威儀の一隅」とは日常の行持つまり平常底を云うもので、その些細な平常心を有することが、「尽乾坤大地・尽生死去来」と全体に通行し、別の謂い様では微塵な仏国土(塵刹)・仏国土の蓮花が、それぞれの片隅を占有するのである。とは、一即多・多即一の道理で以て、行仏の威儀もしくは仏行の儀威を説かんとするものである。

「学人多く思わく、尽乾坤と云うは、この南瞻部州を云うならんと擬せられ、又この一四州を云うならんと擬せられ、ただ又神丹一国思いに懸かり、日本一国思いに巡るが如し。又、尽大地と云うも、ただ三千大千世界と思うが如し、僅かに一州一県を思いに懸くるが如し。尽大地尽乾坤の言句を参学せん事、三次五次も思ひ巡らすべし、広きにこそはとて、止みぬる事なかれ」

提唱当時の一般常識では全世界(尽乾坤)の概念は、インドの世界観(北俱盧洲ほっくろ・東勝身洲とうしょうしん・西午貨洲さいごけ・南瞻部洲なんせんぶ)や神丹一国の世界観・日本一国の世界観や三千世界観などを思い浮かべるのであるが、一回・二回の概念的な思考法ではなく三回も五回も思いを巡らし、尽乾坤や尽大地を単なる空間認識で以て、広大の一語で以て終わってはならない。と尽に対する思いを語るものです。

「この得道は、極大同小、極小同大の超仏越祖なるなり。大の有にあらざる、小の有にあらざる、疑著に似たりと云えども威儀行仏なり。仏々祖々の道取する尽乾坤の威儀、尽大地の威儀、ともに不曾蔵を徧界と参学すべし。徧界不曾蔵なるのみにはあらざるなり。これ行仏一中の威儀なり」

尽大地・尽乾坤の理を得ることで、極大と小は同事で、極小が大と同じ(『信心銘』「十方目前、極小同大。妄絶境界、極大同小」(「大正蔵」五一・四五七b二〇)であるとは、仏祖を超越した事実である。とは主観客観を持ち込まず、一方究尽の理を謂うものである。

大が有でなく、小が有でない。とは常識では有り得ないが、前所を承けての述考であるから、大小を論ずる能観所観では義著を覚えるが、威儀そのものが行仏である時には、大小の選択はないのである。

仏祖たちが道取する「尽乾坤・尽大地」の姿(威儀)は、徧界は曾て蔵せず。と参学するべきである。とは、「尽乾坤」=「尽大地」=「徧界」とは異句同義語であるを解かしめるものだが、徧界不曾蔵に安住することなく、向上の威儀を説く為に「徧界不曾蔵なるのみにはあらざるなり」と、多元的視野から「行」と「仏」との一体性である威儀(姿)と、受け取りなさい。と語拈されます。

因みに「尽乾坤・尽大地」の語を「大正蔵データベースsat」にて検索すると、圜悟克勤が多用した足跡が見られる。

    四 四生の行仏

佛道を説著するに、胎生化生等は佛道の行履なりといへども、いまだ濕生卵生等を道取せず。いはんやこの胎卵濕化生のほかになほ生あること、夢也未見在なり。いかにいはんや胎卵濕化生のほかに、胎卵濕化生あることを見聞覺知せんや。いま佛々祖々の大道には、胎濕卵化生のほかの胎濕卵化あること、不曾藏に正傳せり、親密に正傳せり。この道得、きかずならはず、しらずあきらめざらんは、なにの儻類なりとかせん。すでに四生はきくところなり、死はいくばくかある。四生には四死あるべきか、又、三死二死あるべきか、又、五死六死、千死萬死あるべきか。この道理わづかに疑著せんも、參學の分なり。しばらく功夫すべし、この四生衆類のなかに、生はありて死なきものあるべしや。又、死のみ單傳にして、生を單傳せざるありや。單生單死の類の有無、かならず參學すべし。わづかに無生の言句をきゝてあきらむることなく、身心の功夫をさしおくがごとくするものあり。これ愚鈍のはなはだしきなり。信法頓漸の論にもおよばざる畜類といひぬべし。ゆゑいかんとなれば、たとひ無生ときくといふとも、この道得の意旨作麼生なるべし。さらに無佛無道無心無滅なるべしや、無無生なるべしや、無法界、無法性なるべしや、無死なるべしやと功夫せず、いたづらに水草但念なるがゆゑなり。しるべし、生死は佛道の行履なり、生死は佛家の調度なり。使也要使なり、明也明得なり。ゆゑに諸佛はこの通塞に明々なり、この要使に得々なり。この生死の際にくらからん、れかなんぢをなんぢといはん。たれかなんぢを了生達死漢といはん。生死にしづめりときくべからず、生死にありとしるべからず、生死を生死なりと信受すべからず、不會すべからず、不知すべからず。あるいはいふ、たゞ人道のみに諸佛出世す、さらに餘方餘道には出現せずとおもへり。いふがごとくならば、佛在のところ、みな人道なるべきか。これは人佛の唯我獨尊の道得なり。さらに天佛もあるべし、佛々もあるべきなり。諸佛は唯人間のみに出現すといはんは、佛祖の閫奥にいらざるなり。

仏道を説著するに、胎生化生等は仏道の行履なりと云えども、未だ湿生卵生等を道取せず。謂わんやこの胎卵湿化生の外になお生ある事、夢也未見在なり。如何にいわんや胎卵湿化生の外に、胎卵湿化生ある事を見聞覚知せんや」

ここでは胎生(胎盤より生ずる)・化生(卵殻より生ずる)・湿生(湿気の機縁より生ずる)・化生(前生業力より生ずる)の四生でカテゴリー化された教学による仏道の弊害を避ける為に、前述に示すように三次五次と思いを巡らし、思考停止に陥らないように。との提言のようです。

「いま仏々祖々の大道には、胎湿卵化生のほかの胎湿卵化ある事、不曾蔵に正伝せり、親密に正伝せり。この道得、聞かず習わず、知らず明らめざらんは、なにの儻類なりとかせん」

ここで説く要旨では、胎卵湿化生のほかにも、仏祖の大道では尽界に真実が遍満している事実を知りも究明もしない学人は、仏道の仲間と謂えようか。との意であろうが、胎卵湿化に生ずる生命を仮に塩基配列を伴なうものと仮定すると、塩基を極限まで細分割した素粒子の世界では、地水火風の世界をも不曾蔵に正伝せる仏祖の大道と謂えるわけである。

「すでに四生は聞く処なり、死は幾ばくかある。四生には四死あるべきか、又、三死二死あるべきか、又、五死六死、千死万死あるべきか。この道理わづかに疑著せんも、参学の分なり」

これまでの胎卵湿化の四生の観念化された世界に留まらず、を説いて来たので、片手落ちにならぬ為に、「四生」があるなら「四死・三死二死・五死六死・千死万死」あるかを疑著するも、参学究明の一分である。とするが、『御抄』では「全機の死の道理さらに不可違生」(「曹洞宗全書」注解一・一六二下)と、死と生との同義分を示されます。

「しばらく功夫すべし、この四生衆類の中に、生はありて死なきもの在るべしや。又、死のみ単伝にして、生を単伝せざる在りや。単生単死の類の有無、必ず参学すべし」

これも前来の生死の一味態を述べるもので、生死とは表裏や悟不悟と同格語であり、経豪の言では「全生と取る時は生ありて死なかるべし。全死と取る時は、死のみ単伝して、生を単伝せざる道理なるべし」(「前掲」同所)と指摘する要略は、一方を証すれば一方は暗しの理に落居するものである。

「わづかに無生の言句を聞きて明らむる事なく、身心の功夫を差し措くが如くする者あり。これ愚鈍の甚だしきなり。信法頓漸の論にも及ばざる畜類と云いぬべし。故いかんとなれば、喩い無生と聞くと云うとも、この道得の意旨作麼生なるべし。さらに無仏無道無心無滅なるべしや、無無生なるべしや、無法界、無法性なるべしや、無死なるべしやと功夫せず、いたづらに水草但念なるが故なり」

ここでは先の「生死の類の有無」を承けての「無無仏・無道・無心・無滅・無法界・無法性・無」を今いちど考えなさい。という至要ですが、「無生」に対する解釈を詮慧和尚は『聞書』にて「無仏・無法・無滅の無なるべしと云う。無々生と談ずるは、ただ無仏・無法・無滅同じ事也、行仏の威儀也。無生と云うにも、仏法に談ずると小乗に談ずると遥かに異なり。小乗は僅かに三界の欲を断じては、得くべき生なしと心得るを無生と云う。大乗には諸法実相と説く、これ無生也」(「曹洞宗全書」注解一・一九〇上)と指摘されるように、無とは有無の二元分立ではなく尽界に於ける真実である。との見識である。このように「無生」の語言などを参究しない者や坐禅(身心の功夫)の功夫を怠る学徒などは愚鈍の最たる者で、このような漢は信行・法行・頓悟・漸悟と云った議論にも及べない、畜類と同名と謂ってもよい。と、宇治の興聖に参集する学人に対する叱咤激励とも言えるものです。

畜類と呼ぶ理由として、「無生」に対する「意旨作麼生」である「無仏・無道・無心・無滅」などを功夫(拈語)せずに、牛や馬などの咽喉が渇けば水を飲み草を食む、ようなものであると辛辣に愚鈍の漢を誡められます。

水草但念」の語は『法華経』三「譬喩品」での「若しは馲駝(らくだ)と作り、或いは驢の中に生れて、身は常に重きを負い、諸の杖捶を加えられ、水草を念うて、余の知る所無く、斯の経を謗ずる故に、罪を獲るは是の如し」(「大正蔵」九・一五c六)の語句を援用するものですが、いま一度深掘りして推察するに、「水草但念」に込めた語勢は、公案の問話を額に掛けての求道者に対するアンチテーゼ的趣向をも包含された文意にも首肯されそうである。

「知るべし、生死は仏道の行履なり、生死は仏家の調度なり。使也要使なり、明也明得なり。故に諸仏はこの通塞に明々なり、この要使に得々なり。この生死の際に暗からん、誰か汝を汝と云わん。誰か汝を了生達死漢と云わん。生死に沈めりと聞くべからず、生死に在りと知るべからず、生死を生死なりと信受すべからず、不会すべからず、不知すべからず」

「生死」とは日常の平常底を謂うものであり、この真実人体は日に何十億もの細胞が生滅を繰り返しながら、平穏無事を維持し続ける動的な存在である。そこで「生死は仏道の行履・生死は仏家の調度」と述べる行履も調度も日常底と比定される。他巻での用例としては『空華』巻「生死は真実人体なり」(「岩波文庫」㈠二七八)・『生死』巻「生死はすなはち仏の御いのちなり」(「同」㈣四六七)、調度についての用例では『看経』「仏家の調度・家常の調度」(「同」㈡二一一、二二九)・『神通』「仏道の調度」(「同」㈡三三一)・『仏道』「仏国の調度」(「同」㈢三八)・『仏経』「大道の調度」(「同」㈢七四)・『洗面』「清浄の調度」(「同」㈢一三五)・『三十七品』「公界の調度」(「同」㈢二九九)・『自証三昧』「相承する調度」(「同」㈢三八九)・『鉢盂』「奇特の調度」(「同」㈢四一七)・『安居』「打併調度」(「同」㈢四二二)と各巻にわたり、興聖時代から高年に至るまで「調度」なる語を愛されます。

この「生死」を実際に明らかでない学人は、誰からも「汝」という敬称では呼んでもらえず、謂わんや「生死を了達した漢(ひと)」と言われない。

またこの「生死」を観念的に捉える教学者の如くに、この現実は生死に縛られている。との言をも知るべきではなく、生死は言句通りに生死である。をも信じ受用してはならず、生死の問題は「不会・不知」と投げ出してはならない。とは『諸悪莫作』巻で説く処の「生をあきらめ死をあきらむるは仏家一大事の因縁なり」(「岩波文庫」㈡二四四)に通底する所である。

「或いは云う、ただ人道のみに諸仏出世す、さらに余方余道には出現せずと思えり。謂うが如くならば、仏在の処、みな人道なるべきか。これは人仏の唯我独尊の道得なり。さらに天仏も在るべし、仏々も在るべきなり。諸仏は唯人間のみに出現すと云わんは、仏祖の閫奥に入らざるなり」

「人道のみに諸仏出世す」とは、教家の説く処の南洲のみに釈迦牟尼が出現する。を指すものであるが、これは先述する「尽乾坤と云うは、この南瞻部州を云うならんと擬せられ」云々に通じ、「言辞柔軟、悦可衆心」(「大正蔵」九・五c七)「柔軟亦利根、而行深妙道」(「同」八a八)〔『法華経』「方便品」〕と、固定観念を廃し柔軟心を以て、「諸仏の出世」を思い巡らし、仏の真実態は尽界普く不曾蔵なる姿と認得しなければ、「仏祖の閫奥には入室できない」と指摘するものである。

    五 仏の行仏㈠

祖宗いはく、釋迦牟尼佛、自從迦葉佛所傳正法、往兜率天、化兜率陀天、于今有在。まことにしるべし、人間の釋迦は、このとき滅度現の化をしけりといへども、上天の釋迦は于今有在にして化天するものなり。學人しるべし、人間の釋迦の千變萬化の道著あり、行取あり、説著あるは、人間一隅の放光現瑞なり。おろかに上天の釋迦、その化さらに千品萬門ならん、しらざるべからず。佛々正傳する大道の、斷絶を超越し、無始無終を脱落せる宗旨、ひとり佛道のみに正傳せり。自餘の諸類、しらずきかざる功徳なり。行佛の説化するところには、四生にあらざる衆生あり。天上人間法界等にあらざるところあるべし。行佛の威儀を覰見せんとき、天上人間のまなこをもちゐることなかれ、天上人間の情量をもちゐるべからず。これを擧して測量せんと擬することなかれ。十聖三賢なほこれをしらずあきらめず、いはんや人中天上の測量のおよぶことあらんや。人量短小なるには識智も短小なり、壽命短促なるには思慮も短促なり。いかにしてか行佛の威儀を測量せん。しかあればすなはち、たゞ人間を擧して佛法とし、人法を擧して佛法を局量せる家門、かれこれともに佛子と許可することなかれ、これたゞ業報の衆生なり。いまだ身心の聞法あるにあらず、いまだ行道せる身心なし。從法生にあらず、從法滅にあらず、從法見にあらず、從法聞にあらず、從法行住坐臥にあらず。かくのごとくの儻類、かつて法の潤益なし。行佛は本覺を愛せず、始覺を愛せず、無覺にあらず、有覺にあらずといふ、すなはちこの道理なり。いま凡夫の活計する有念無念、有覺無覺、始覺本覺等、ひとへに凡夫の活計なり、佛々相承せるところにあらず。凡夫の有念と諸佛の有念と、はるかにことなり、比擬することなかれ。凡夫の本覺と活計すると、諸佛の本覺と證すると、天地懸隔なり、比論の所及にあらず。十聖三賢の活計、なほ諸佛の道におよばず。いたづらなる算砂の凡夫、いかでかはかることあらん。しかあるを、わづかに凡夫外道の本末の邪見を活計して、諸佛の境界とおもへるやからおほし。

「祖宗云く、釈迦牟尼仏、自従迦葉仏所伝正法、往兜率天、化兜率陀天、于今有在」

祖宗は云う、釈迦牟尼仏迦葉仏の所にて正法を伝えてより、兜率天に往き、兜率の天人を化導し、今在し有り。

この典籍の出処は不明ですが、父幼老卵(1724―1805)による注釈書『那一宝』でも「祖宗いはくとは無出処、無言説の言説なり」(「註解全書」三・四一三)と記され、『御抄』に於いても「入滅の釈迦、兜率天に往きて、彼天を化し御す事、于今在とあり尤も不審也」(「前掲同所」)と記す。

「誠に知るべし、人間の釈迦は、このとき滅度現の化を敷けりと云えども、上天の釈迦は于今有在にして化天するものなり」

これは右の経文の釈で、人間としての釈尊は八十歳にて滅度(涅槃)という形で後世の人を化導したと云うが、上天での釈尊は現今に於いても兜率天人を化導する。と説かれるが、この伝承は誰彼なしに禅宗界にて口伝されていたものであろう。

「学人知るべし、人間の釈迦の千変万化の道著あり、行取あり、説著あるは、人間一隅の放光現瑞なり。愚かに上天の釈迦、その化さらに千品万門ならん、知らざるべからず。仏々正伝する大道の、断絶を超越し、無始無終を脱落せる宗旨、ひとり仏道のみに正伝せり。自余の諸類、知らず聞かざる功徳なり」

聴聞衆に対して、人間としての釈尊には様々(千変万化)の言い用(道著)があり、修行(行取)があり、説教(説著)を取り挙げられるが、これは肉身を持った人間釈尊としての、一隅を照らす放光現瑞である。

兜率天上での化導には千品万門の方途が有るを知らなくてはならない。「断絶を超越する」とは、仏々を正伝する仏法に於いては、絶える行為は論外であるから、敢えて「断絶を超越・無始無終を脱落」と微妙なな表現形態を滲ませ、この仏々正伝する大道は「仏道のみに正伝し、そのほかの仲間内(諸類)では知らず聞かざる功徳なり」とは、多分に皮肉まじりの文言にも感じられる。

「行仏の説化する処には、四生にあらざる衆生あり。天上人間法界等にあらざる処あるべし。行仏の威儀を覰見せん時、天上人間のまなこを用いる事なかれ、天上人間の情量を用いるべからず。これを挙して測量せんと擬する事なかれ。十聖三賢なおこれを知らず明らめず、いわんや人中天上の測量の及ぶ事あらんや。人量短小なるには識智も短小なり、寿命短促なるには思慮も短促なり。いかにしてか行仏の威儀を測量せん」

「行仏」は坐禅とも置換可能であるから、坐禅する処では、胎卵湿化や六道等をも超出する。ことを謂うものではあるが、これは教学で解き明かす学者に対するアンチテーゼ的言い様でもあり、先ほど来からの言語の固定化を破する為の提示とも聴きとれる。

「行仏」威儀(姿)を見る時には、天上・人間と云った限定された眼色・情量を以て判断してはならず、天上界・人間界に固着された情で以て推し量る(測量)事であってはならない。

さらに仏に至るまでの階梯を十信・十住・十行・十回向・十地に、分けて称える十聖三賢の教文学者などには、「行仏」の実態は知らず明らめないであろう。ましてや人中・天上に安住する徒の推し量る所ではない。

「人量短小」=「識智短小」=「寿命短促」=「思慮短促」であるから、このような愚鈍なる者には行仏の威儀など測量できようか。の論法は、これまで述べてきた断絶を超越し、無始無終を脱落せる宗旨とは、聊か違和感に思われるものであるが、このような論述法は、人天・二乗等の見解を用いてはならない。との裏返しの表現態であるのであろうか。

「しかあれば則ち、ただ人間を挙して仏法とし、人法を挙して仏法を局量せる家門、彼是ともに仏子と許可する事なかれ、これただ業報の衆生なり。未だ身心の聞法あるにあらず、未だ行道せる身心なし。従法生にあらず、従法滅にあらず、従法見にあらず、従法聞にあらず、従法行住坐臥にあらず。かくの如くの儻類、曾て法の潤益なし。行仏は本覚を愛せず、始覚を愛せず、無覚にあらず、有覚にあらずと云う、即ちこの道理なり」

そういうわけですから、単純に人間界だけを取り挙げて仏法と云う者や、人法で以て仏法を推し量るような徒輩は、だれかれとなく、仏の御子と受け入れてはならず、彼らは単なる業の報いで生きる衆生である。とは痛烈なる批判である。

そういう彼等には、身心の全体で法を聞く事はなく、仏道を行ずる身心はなく、仏法による生滅の生き様でもなく、仏法での見聞にもよらず、法に従った日常(行住坐臥)にあらず。と、このような徒類は、これまでに、法の潤益(にんやく)がない。と論断されます。

「行仏」という仏は、始覚(行の後に覚る)・本覚(本来の覚り)と云う『大乗起信論』(「大正蔵」三二・五七六b一四)に説かれるような概念仏を愛するのでもなく、覚りが無い・覚りが有る、と謂うことではないのであり、これが行仏の日常の道理である。

「いま凡夫の活計する有念無念、有覚無覚、始覚本覚等、ひとえに凡夫の活計なり、仏々相承せる処にあらず。凡夫の有念と諸仏の有念と、遥かに異なり、比擬する事なかれ。凡夫の本覚と活計すると、諸仏の本覚と証すると、天地懸隔なり、比論の所及にあらず。十聖三賢の活計、なお諸仏の道に及ばず。いたづらなる算砂の凡夫、如何でか測る事あらん。しかあるを、僅かに凡夫外道の本末の邪見を活計して、諸仏の境界と思えるやから多し」

「凡夫」は教学者と解してよく、普通に凡夫とは「凡人」「劣った人」と解釈するが、ここでは仏祖に対する凡夫ですから、「一般人」と解しても差し支えない。その凡夫が考察(活計)する「有念・無念・有覚無覚・始覚本覚」といった学問仏教は、凡夫の仕事(活計)であり仏から仏に相伝する実学ではないのである。

次いで凡夫と諸仏とは次元が異なり、比較して論じる所には及ばず、これは十聖三賢を説く小乗門徒も同事であると。「酒井得元提唱録」では、十聖三賢や凡夫の所業は粥飯の熱気が成せるものと断じられる。

「凡夫」の具体的な姿を、ガンジス川(恒河)の砂粒を算術するような人間と規定し、そのような凡夫外道は根本枝葉(本末)を勘違いし、算砂(さんじゃ)の行為を「行仏の威儀」と、真剣に思う俗徒(やから)が多い。と嘆かれるが、只管打坐の観点からすれば、公案問話を解き諦めんとする学人に対する説教とも考えられる内容である。

    六 仏の行仏㈡

諸佛いはく、此輩罪根深重なり、可憐憫者なり。深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重擔なり。この深重擔、しばらく放行して著眼看すべし。把定して自己を礙すといふとも、起首にあらず。いま行佛威儀の無礙なる、ほとけに礙せらるゝに、拕泥滯水の活路を通達しきたるゆゑに無罣礙なり。上天にしては化天す、人間にしては化人す。花開の功徳あり、世界起の功徳あり。かつて間隙なきものなり。このゆゑに自佗に迥脱あり、往來に獨抜あり。即往兜率天なり、即來兜率天なり、即々兜率天なり。即往安樂なり、即來安樂なり、即々安樂なり。即迥脱兜率なり、即迥脱安樂なり。即打破百雜碎安樂兜率なり、即々把定放行安樂兜率なり、一口呑盡なり。しるべし、安樂兜率といふは、淨土天堂ともに輪廻することの同般なるとなり。行履なれば、淨土天堂おなじく行履なり。大悟なれば、おなじく大悟なり。大迷なれば、おなじく大迷なり。これしばらく行佛の鞋裏の動指なり。あるときは一道の放屁聲なり、放屎香なり。鼻孔あるは齅得す、耳處身處行履處あるに聽取するなり。又、得吾皮肉骨髓するときあり、さらに行得に佗よりえざるものなり。了生達死の大道すでに豁達するに、ふるくよりの道取あり、大聖は生死を心にまかす、生死を身にまかす、生死を道にまかす、生死を生死にまかす。この宗旨あらはるゝ、古今の時にあらずといへども行佛の威儀忽爾として行盡するなり。道環として生死身心の宗旨すみやかに辦肯するなり。行盡明盡、これ強爲の爲にあらず、迷頭認影に大似なり。回光返照に一如なり。その明上又明の明は、行佛に彌綸なり。これ行取に一任せり。この任々の道理、すべからく心を參究すべきなり。その參究の兀爾は、萬回これ心の明白なり。三界たゞ心の大隔なりと知及し會取す。この知及會取、さらに萬法なりといへども、自己の家郷を行取せり、當人の活計を便是なり。しかあれば、句中取則し、言外求巧する再三撈摝、それ把定にあまれる把定あり、放行にあまる放行あり。その功夫は、いかなるかこれ生、いかなるかこれ死、いかなるかこれ身心、いかなるかこれ與奪、いかなるかこれ任違。それ同門出入の不相逢なるか、一著落在に藏身露角なるか。大慮而解なるか、老思而知なるか。一顆明珠なるか、一大藏教なるか、一條拄杖なるか、一枚面目なるか。三十年後なるか、一念萬年なるか。子細に撿點し、撿點を子細にすべし。撿點の子細にあたりて、滿眼聞聲、滿耳見色、さらに沙門壱隻眼の開明なるに、不是目前法なり、不是目前事なり。雍容の破顔あり、瞬目あり。これ行佛の威儀の暫爾なり。被物牽にあらず、不牽物なり。縁起の無生無作にあらず、本性法性にあらず、住法位にあらず、本有然にあらず。如是を是するのみにあらず、たゞ威儀行佛なるのみなり。しかあればすなはち、爲法爲身の消息、よく心にまかす。脱生脱死の威儀、しばらくほとけに一任せり。ゆゑに道取あり、萬法唯心、三界唯心。さらに向上に道得するに、唯心の道得あり、いはゆる牆壁瓦礫なり。唯心にあらざるゆゑに牆壁瓦礫にあらず。これ行佛の威儀なる、任心任法爲法爲身の道理なり。さらに始覺本覺等の所及にあらず。いはんや外道二乘、三賢十聖の所及ならんや。この威儀、たゞこれ面々の不會なり、枚々の不會なり。たとひ活々地も條々聻なり。一條鐵か、兩頭動か。一條鐵は長短にあらず兩頭動は自佗にあらず。この展事投機のちから、功夫をうるに、威掩萬法なり、眼高一世なり。収放をさへざる光明あり、僧堂佛殿厨庫山門。さらに収放にあらざる光明あり、僧堂佛殿厨庫山門なり。さらに十方通のまなこあり、大地全収のまなこあり。心のまへあり、心のうしろあり。かくのごとくの眼耳鼻舌身意、光明功徳の熾然なるゆゑに、不知有を保任せる三世諸佛あり、卻知有を投機せる狸奴白牯あり。この巴鼻あり、この眼睛あるは、法の行佛をとき、法の行佛をゆるすなり。

「諸仏云く、此輩罪根深重なり、可憐憫者なり。深重の罪根たとい無端なりとも、此輩の深重擔なり。この深重擔、しばらく放行して著眼看すべし。把定して自己を礙すと云うとも、起首にあらず」

まずは『法華経』「方便品」に引く「会中有比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷五千人等、即従座起礼仏而退。所以者何、此輩罪根深重増上慢」(「大正蔵」九・七a七)の輩は、憐愍すべき者である。と経文の合楺で以て、凡夫外道の境涯を示されます。

「此輩罪根深重」を分解し、深重の罪根と云うのは端が無く、つまり無始無終に続く業報を称して、此輩の深重を担っているのが、凡夫外道と謂うわけです。この「深重擔」を放下して、あらためて眼を著けて看なさい。次いで把定(つかまえ)して自己を礙(さえぎる)しても、今起こった問題ではなく、無始無終から担わざる得ない問題なのである。

「いま行仏威儀の無礙なる、ほとけに礙せらるるに、拕泥滞水の活路を通達しきたる故に無罣礙なり」

「行仏威儀」―真実態の顕在化―「仏」と表明でき、これらは「拕泥滞水」での日常の活路に通じているから、なにものにも罣礙(じゃま)される何ものもない。と仏と行仏威儀の同等を、凡夫に比して説かれるものです。

「上天にしては化天す、人間にしては化人す。花開の功徳あり、世界起の功徳あり。曾て間隙なきものなり。この故に自他に迥脱あり、往来に独抜あり」

「行仏」の実態は、天上界で行仏すれば天人を化導し、人間界で行仏すれば人を教化する。意味するところは、上天界と人間界とには垣根がある訳ではなく、自他の能所も無い状況を、第二十七祖般若多羅による「心地生諸種、因事復生理。果満菩提円、花開世界起」(「大正蔵」五一・二一六b一五)の一句を分節に供し、「花開の功徳・世界起の功徳」が不離不即の関係で、世界は保たれていると説かれ、各界の往来には障礙なきを、ここでは「往来に独抜あり」との言語態で謂うものです。

「即往兜率天なり、即来兜率天なり、即々兜率天なり。即往安楽なり、即来安楽なり、即々安楽なり。即迥脱兜率なり、即迥脱安楽なり。即打破百雑碎安楽兜率なり、即々把定放行安楽兜率なり、一口呑尽なり」

ここで扱う「兜率天」は先来に示した「祖宗云く、釈迦牟尼仏、自従迦葉仏所伝正法、兜率天、化兜率陀天、于今有在」を引き合わせ、先の「上天化天・往来独抜」を引き継ぐ論述によれば驚くべき喩えではないが、この処の解釈は小拙には余りある事から、まず詮慧は「此の往来の儀、娑婆世界より率安楽等へ往来すと云うは、わづかの我等の見の心地に対して説く。安楽国に往来せん時は、我等依正共に往来すべきか」(「曹洞宗全書」注解一・一九一下)、また経豪の見方は「兜率天の詞を改めて、即往安楽也、即来安楽也、即々安楽也と云う。是は兜率天は界内、安楽国は界外などと、差別して思わぬべきを、兜率も安楽も只一なり」(「同所」一六六上)と道元禅師が示される如くに、兜率と安楽の「即迥・一口呑尽」の理で以て解き示される。

また「即往兜率天」は『法華経』二十八「普賢菩薩勧発品」「若有人受持読誦、解其義趣。是人命終、為千仏授手、令不恐怖。不堕悪趣、即往兜率天上、弥勒菩薩所」(若し人あって受持読誦し其の義趣を解せば、是の人は命が終わるとき、千仏は手を授けて、恐怖せず不堕悪趣に堕さず、即ち兜率天上に往く(「大正蔵」九・六一c八)。

「即往安楽」に関しても『法華経』二十三「薬王菩薩本事品」に「若有女人。聞是経典如説修行。於此命終。即往安楽世界阿弥陀仏大菩薩衆囲繞住処」(「大正蔵」九・五四c一)と引用がなされるが、この独特な語彙配列は経本を見開いての確認作業などとは考えられず、伝承の如く大蔵経を数回通読されたとするは、事実と言わざる得ない見事な文体です。

「知るべし、安楽兜率と云うは、浄土天堂ともに輪廻する事の同般なるとなり。行履なれば、浄土天堂同じく行履なり。大悟なれば、同じく大悟なり。大迷なれば、同じく大迷なり。これしばらく行仏の鞋裏の動指なり」

「安楽・兜率」「浄土・天堂」も輪廻の対象からすれば、どちらが上でどちらが下とかの論は愚考の極みで、例えばメビウスの輪では外面と思いつつ、やがて内面に移り変わるようなもので、無始無終の道理を輪廻と謂うようなもので、それは「同般」であると、認識概念の違いを説かれます。また「大悟なれば大悟・大迷なれば大迷」と一方究尽の理を用いて「大悟」=「大迷」の同般を説き、さらに大悟・大迷というのは「鞋の中(裏)で動く指」のようなものだと。大悟追及者にとっては、拍子抜けするような喩えで以て、宗門の奥理を示されます。

「ある時は一道の放屁声なり、放屎香なり。鼻孔あるは齅得す、耳処身処行履処あるに聴取するなり。又、得吾皮肉骨髄する時あり、さらに行得に他より得ざるものなり」

さらに大悟の実態を「一道の放屁声・放屎香」であると記されるが、「鞋裏の動指」より比べると、いかにも下品に聞こえ出典源が気になるが、『如浄語録』では清凉寺「請首座上堂―屎尿腥臊汗血流」(「大正蔵」四八・一二二a八)・天童寺「晋山―屎尿狼藉」(「同」一二七a二三)・天童寺「謝新旧両班上堂―尿床」(「同」一二七b二一)・「冬夜小参―仏殿階前狗尿天」(「同」一二九a六)、さらに頌古では「達磨―直指人心驢」(「同」一三一a七)などが確認できる。

「仏殿階前狗尿天」は『永平広録』(291・405)にて二回、「屎尿狼藉」(471)に関しては一回、それぞれ上堂語にて引用されるが、それは仁治三(1242)年八月十五日の「天童和尚語録」到着以後のことである。

当『行仏威儀』巻奥書に従えば、仁治二年十月は語録到着の一年前に記されたものであるから、師翁如浄からの援用は該当されず、道元の独自な表現態であろうか。

屁の放音や屎尿の匂いは、鼻孔・耳処・身処の真実人体の行履処に於いて、齅得し聴取するものである事実を「行仏による真実底」とも云い得、別の謂い用では「得吾皮肉骨髄」の状態でもある。

それは皮・肉・骨・髄は独立した存在ではなく、互いに聯関し髄肉骨皮とも骨皮肉髄とも融通性を有したものが尽十方界の真実人体であり、それは他人から得られるものではなく、自身の行得に依らなければならない。と提示されるが、行得が行仏の現成と為るのである。

「了生達死の大道すでに豁達するに、古くよりの道取あり、大聖は生死を心に任す、生死を身に任す、生死を道に任す、生死を生死に任す」

文の趣意が変わり、生死を了達した大道から見れば、「生死を心に任す」心とは法界唯心を云い、「生死を身に任す」身とは、尽十方界真実人体を説き、「生死を道に任す」道は、大道を、「生死を生死に任す」とは、全機現の儀を解かんとするものです。

ここで云う「古くよりの道取」の典籍は不明ながら、西有氏の提唱録である『啓迪』では「七仏以前の相伝の金言じゃ」(四〇四頁)を述べるが、何の根拠もない言説である。

「この宗旨あらはるる、古今の時にあらずと云えども、行仏の威儀忽爾として行尽するなり。道環として生死身心の宗旨すみやかに辦肯するなり」

「この宗旨」とは生死の動静を指し、「生死」という真実の顕現は、古今の問題ではなく、現今の問題意識を、「忽爾と行尽」するなりと云うのであり、また忽を別語の「道環」という無始無終の無際限な状況に「生死」や「身心」と謂った普遍的な語を据え、真実態の調度的意味合いに言及されます。

「行尽明尽、これ強為の為にあらず、迷頭認影に大似なり。回光返照に一如なり。その明上又明の明は、行仏に弥綸なり。これ行取に一任せり」

「行尽」とは行仏を身に行じ尽すことで、「明尽」とは行仏を心に明らめ尽す。と解するが、我々の真実人体(身心)は、だれからも強制(強為)される事なしに自由自在と手足が動き、自身の意識とは関係なしに心臓の拍動が営まれ、合点する状況を、「行尽明尽、これ強為の為にあらず」と言語的に表明するのである。今日では、サーカディアンリズムや遺伝子のハタラキ等で説明できるが、800年前の人間が科学にも通達しうる簡潔な表現を用うるは驚きである。

「迷頭認影に大似なり」とは先程からの生死の喩えを、「自分に頭のあることを知らずに迷い、鏡に映った頭を、これは影にすぎないと云うのと大いに似ている」とは、頭も影も視点が変われば影となり頭であって只一物。または「頭が無いと迷うこと自体が頭のハタラキ」であるから、右往左往するな。との見方、つまりは古則公案(頭)を頭上に載せ、真実を見ずして影を追うような修行はするな。との含意も包接した喩えのようです。

「迷頭認影」=「回光返照」は同格であり、本来の自己に一如であれ。と言われます。このように回光返照に照らされる「明上又明の明」つまり尽十方界の真実態は、行仏する処に満ち満ちる姿を弥綸と表態し、これらは実働することで我が身に具する。との意ですが、『啓迪』では「行のない学問は、ただ我見慢心を増長するばかりである」(四一〇頁)と喝破されます。

「この任々の道理、須らく心を参究すべきなり。その参究の兀爾は、万回これ心の明白なり。三界ただ心の大隔なりと知及し会取す。この知及会取、さらに万法なりと云えども、自己の家郷を行取せり、当人の活計を便是なり」

「この任々の道理」とは、「生死を心・身・道・生死にまかす」を指すものですから、「心を参究すべき」心とは全体把握に徹しなさい。との意向です。

「参究の兀爾」の註解を経豪和尚は兀爾を兀坐と解し、「兀坐なんど坐禅を云いしが如し」(「曹洞宗全書」注解一・一六八下)と提示されます。その坐禅の実態は、毎日毎日(万回)が真実の表態である「心」が明々白々である。と坐禅の語は使われなくも、暗黙裡に打坐を謂うものです。

「三界」の定義は「欲界・色界・無色界」の世間態を指すが、この「三界は心の大隔なり」とは、三界と心との同格を謂わんが為で、この心は先の「すべからく心を参究すべき」の心であり、「大隔」とは全体性を云うもので、ここでは「三界」=「心」=「大隔」の論理を示し、これらの知り及び・会得する事も「万法なり」とするが、単なる空間を指すのではなく、「万法・三界・心」のなかで兀爾と打坐することで、自己の家郷を確認することであり、それは本人(当人)の活計(いきかた)が便ち是(全体)なのである。と説示されるが、非常にわかりづらい処ではあるが、要するに坐を行ずることが肝要で、その心得は全体把捉の用語とする「心・三界・大隔・万法」をと、使い分けて解き示されるのである。

「しかあれば、句中取則し、言外求巧する再三撈摝、それ把定にあまれる把定あり、放行にあまる放行あり。その功夫は、いかなるかこれ生、いかなるかこれ死、いかなるかこれ身心、いかなるかこれ与奪、いかなるかこれ任違」

これより行取・活計の具体的な方途として、句(ことば)の中から意味(則)を取り出したり、言(ことば)の外に善巧方便を求めて、再三再四にわたり試行錯誤(撈摝)することで、「把定にあまれる把定・放行にあまる放行」というように、分限を超越した功夫があると云う事であるが、『辦道話』に示す「妙修を放下すれば本証手の中にみてり、本証を出身すれば、妙修通身におこなはる」(「岩波文庫」㈠二九)との言説にも通底するものである。そこで「いかなるか生・死・身心・与奪・任違」の実態を把放定行してみよう。との言辞になります。

「それ同門出入の不相逢なるか、一著落在に蔵身露角なるか。大慮而解なるか、老思而知なるか。一顆明珠なるか、一大蔵教なるか、一条拄杖なるか、一枚面目なるか。三十年後なるか、一念万年なるか。子細に撿点し、撿点を子細にすべし」

次いで真実の表出姿態として、㈠真実は、同じ門を出入りしていながら、互いに相逢する関係ではない。㈡真実は、一所に落在したとしても、一部が露出する。㈢真実は、大慮(仏)の理解である。㈣真実は、老大なる思慮で知るの。㈤真実は、玄沙の云う一顆明珠なの。㈥真実は、一大蔵教の教えなの。㈦真実は、一本の拄杖なの。㈧真実は、一枚の面(顔)目なの。㈨真実は、修行年限の三十年後の問題なの。㈩真実は、一念の刹那が万年の真実を包含するの。これらの事例を「子細撿点・撿点子細」にせよ。とは、主客を置かぬよう、全体俯瞰して見通しなさい。との提言となります。

真実の表し方を「」と文章化されますが、これは疑いの語法ではなく、断定辞句として用いられ、『御抄』では「疑いかと覚えたれども非爾、即不中の道理なるべし」(「曹洞宗全書」注解一・一六九下)と、真実の表現は的確性を欠くものであると追記されます。

「撿点の子細にあたりて、満眼聞声、満耳見色、さらに沙門壱隻眼の開明なるに、不是目前法なり、不是目前事なり。雍容の破顔あり、瞬目あり。これ行仏の威儀の暫爾なり。被物牽にあらず、不牽物なり。縁起の無生無作にあらず、本性法性にあらず、住法位にあらず、本有然にあらず。如是を是するのみにあらず、ただ威儀行仏なるのみなり」

真実の撿点法としては「満眼聞声・満耳見色」とは、眼を全身に喩え耳を全体に見立て、聞声・見色する。との意であるが、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)は相補的に円融通達し合うことを、生命の可塑性とも云い得るものであり、さらに長沙の云う沙門一隻眼の真実が開明する事実は、目の前の法・目前の事象ではないのである。と全体性を説くものです。

「雍容の破顔・瞬目」の雍容とは、「和らいだ姿・温和な容貌」(『禅学大辞典』下巻一二五二頁)を指すが、このような雍容の姿態を形容して「行仏威儀の暫爾」と称するのである。そのような雍容の所では、物に牽かれるのではなく物は牽かないのである。

真実の実態は、縁起(無生・無作)・本性・法性・住法位(法華の概念)・本有然(本来面目)・如是のこれらの教えではあらず。と指摘されるが、これらは教学の範囲を出るものではなく、あくまで実働に徹すべき学人に向かいて、真実の表態法は「ただ威儀行仏なるのみなり」と、行ずることの重要性を導く手法です。

「しかあれば則ち、為法為身の消息、よく心に任す。脱生脱死の威儀、しばらく仏に一任せり。故に道取あり、万法唯心、三界唯心。さらに向上に道得するに、唯心の道得あり、いわゆる牆壁瓦礫なり。唯心にあらざる故に牆壁瓦礫にあらず。これ行仏の威儀なる、任心任法為法為身の道理なり」

つまり真実とは考え抜くものではなく、行ずることである事から、法の為とか身の為とか称するが、自然の妙則に従った「心」に任しきる。生や死と云う調度を脱出させるには、ほとけに一任せり。と述べるが、「心」も「ほとけ」も異句同義語であり、その奥底には尽十方界真実が内包されているのである。

「ほとけ」に任せきった状態を「万法唯心・三界唯心」とも道取し、さらなる向上語を求めるなら「唯心」との道取あり。と述べられ、いわゆる「牆壁瓦礫」と聯関させイコールの関係性に導くのである。牆壁瓦礫とは、日常底とも平常底とも代替可能である。

「唯心」=「牆壁瓦礫」であるから、唯心でない世界では牆瓦を真実と見る世界は成り立たないのである。この平常心是道の世界が、「行仏の威儀」の姿であり、そこでは「任心任法・為法為身」の通り路(道理)があるのである。

「さらに始覚本覚等の所及にあらず。いわんや外道二乘、三賢十聖の所及ならんや。この威儀、ただこれ面々の不会なり、枚々の不会なり。たとひ活々地も条々聻なり。一条鉄か、両頭動か。一条鉄は長短にあらず両頭動は自他にあらず」

行仏は日常底を積み重ねる一種単純ではあるが、「始覚門本覚門」といった教学で説き示すものではなく、ましてや「外道・二乗」のような自我で以て真実参究する学徒や「三賢十聖」などのように概念化に及ぶ所ではないのである。これは先の「五仏の行仏㈠」の処に於いても「凡夫の活計する有念無念、有覚無覚、始覚本覚等、三賢十聖の活計、ぼ外道の本末の邪見」との言辞を再確認するものとなります。

三賢十聖などの人間には合点(会)があって次の段階に進むのであるが、ここで謂う学仏の威儀は「面々の不会・枚々の不会」なり。と、会することへの弊害つまり我執に対する魔窟を云うもの歟。仏法では八九成の「会」を謂い、決して十成の会を唱えられない。

たとえ鮮魚がピチピチ(活鱍々)と飛び跳ねる状態でも、只それだけのこと(条々聻)である。所謂は、どれだけ力んでみて合点したと声高々に唱えても、ただそれっきりを条々聻と喩えたものです。

また「行仏威儀」の実態は、「一条鉄」のようにカチカチとした堅牢なものか、それとも蚯蚓を切断した時のように「両頭動」のような変幻自在なものであるのか。との問いを投げ掛けられますが、それに対しては「一条鉄は長短にあらず」とは、一本の鉄板には必ず寸尺にて価値が生ずるが、ここでは長い短いのない鉄を真実とする。また「両頭動は自他にあらず」とは、世間では必ず自に対しては相対する他が生ずる事を以て合点するが、仏法上では「長短にあらず・自他にあらず」(コヒーレント(可干渉)状態)こそが不会の仏法であり、不置能所観と云われるものである。

「この展事投機のちから、功夫を得るに、威掩万法なり、眼高一世なり。収放をさえざる光明あり、僧堂仏殿厨庫山門。さらに収放にあらざる光明あり、僧堂仏殿厨庫山門なり」

「展事投機」とは、弟子の展ずる事に対する師の機を投ずるを云うものであるが、ここでは展事・投機ともに行仏の学人とする。これら学仏人の功夫を得ると、その姿(威)は万法を掩い(威掩万法)、(法)眼は一世に高し(眼高一世)と、威儀を顕現させるのである。これら「威掩万法・眼高一世」といった和製漢語道元禅師の創語であろう。

これらの意猛々しい真実の姿は、収放する礙えざる光明が在るのであるが、この光明の実体を「僧堂・仏殿・厨庫・山門」とするは、当巻より半年後の仁治三年(1242)六月二日に示衆される『光明』巻(「岩波文庫」㈠二九二)に確認できるという事は、当巻執筆時に於いて、すでに『光明』巻の構成文面が試行されていたものとも推察される。

『御抄』では「僧堂・仏殿・厨庫・山門の当体を指して、光明と談ずる也。此の道理こそ収放をさえぬ、光明とも云われ収放にあらざる光明ありとも云わるれ、光明究尽の道理如此なるべし。光呑万像光帰何処などと云う祖師の詞も、尤も可符合物也」(「曹洞宗全書」注解一・一七二上)と経豪和尚の弁ですが、「光呑万像」は『都機』巻(「岩波文庫」㈡八九)・「光帰何処」は『古鏡』巻(「同」㈡一九)と、各巻のみに記された仏語で以て読み解くあたりは、行仏の漢に値するほどです。

「さらに十方通の眼あり、大地全収の眼あり。心の前あり、心の後ろあり。かくの如くの眼耳鼻舌身意、光明功徳の熾然なる故に、不知有を保任せる三世諸仏あり、却知有を投機せる狸奴白牯あり。この巴鼻あり、この眼睛あるは、法の行仏を説き、法の行仏を許すなり」

次いで光明を「まなこ」の代替語で以て見れば、真実は十方に通じた「まなこ」とも、大地を全て収容した「まなこ」とも表現でき、同時に「心の前あり、後ろあり」とは一方独立を謂わんとするもので、心(生きている全体)は心それっきりを喩うものです。

「眼・耳・鼻・舌・身・意」という真実人体の実情は、真実態である「光明の功徳」が燃え盛って(熾然)いるが、そこでは南泉普願が云うように、「不知有を保任せる三世諸仏あり」(三世諸仏不知有)、「却知有を投機せる狸奴白牯あり」(狸奴白牯却知有)とするが、まずは古則の出典は『景徳伝灯録』十長沙章(「大正蔵」五一・二七五a一四)であり、ここでは三世諸仏と狸奴白牯は相対すべき法ではなく、ともどもに行仏を実参する者との意です。

「三世諸仏・狸奴白牯」は先の「展事・投機」に比してのものと考えるとすれば、「不知有を展事する・却知有を投機せる」と論じた方が、より効果的述法に仕立てられる。また「光明功徳の熾然」なる使用法は、事項での「三世諸仏、在火焔裏、転大法輪」布石とした論法とも考えられる。

「この巴鼻あり」とは、狸奴白牯に掛けてのもので、白いおうしを制御するには十方に通達した眼睛(まなこ)が必要で、このまなこが法の行仏の事実を説き許容するのであることは、法と仏・仏と法の一味態を説かしめるものである。

    六 古仏の行仏㈠

雪峰山眞覺大師、示衆云、三世諸佛、在火焔裏、轉大法輪。玄砂院宗一大師云、火焔爲三世諸佛説法、三世諸佛立地聽。圜悟禪師云、將謂猴白、更有猴黒。互換投機、神出鬼没。烈焔亙天佛説法、亙天烈焔法説佛。風前剪斷葛藤窠、一言勘破維摩詰。

いま三世諸佛といふは、一切諸佛なり。行佛はすなはち三世諸佛なり。十方諸佛、ともに三世にあらざるなし。佛道は三世をとくに、かくのごとく説盡するなり。いま行佛をたづぬるに、すなはち三世諸佛なり。たとひ知有なりといへども、たとひ不知有なりといへども、かならず三世諸佛なる行佛なり。しかあるに、三位の古佛、おなじく三世諸佛を道得するに、かくのごとくの道あり。しばらく雪峰のいふ三世諸佛、在火焔裏、轉大法輪といふ、この道理ならふべし。三世諸佛の轉法輪の道場は、かならず火焔裏なるべし。火焔裏かならず佛道場なるべし。經師論師きくべからず、外道二乘しるべからず。しるべし。諸佛の火焔は諸類の火焔なるべからず。又、諸類は火焔あるかなきかとも照顧すべし。三世諸佛の在火焔裏の化儀、ならふべし。火焔裏に處在する時は、火焔と諸佛と親切なるか、轉疎なるか。依正一如なるか、依報正報あるか。依正同條なるか、依正同隔なるか。轉大法輪は轉自轉機あるべし。展事投機なり、轉法法轉あるべし。すでに轉法輪といふ、たとひ盡大地これ盡火焔なりとも、轉火輪の法輪あるべし、轉諸佛の法輪あるべし、轉法輪の法輪あるべし、轉三世の法輪あるべし。しかあればすなはち、火焔は諸佛の轉大法輪の大道場なり。これを界量時量人量凡聖量等をもて測量するは、あたらざるなり。これらの量に量ぜられざれば、すなはち三世諸佛、在火焔裏、轉大法輪なり。すでに三世諸佛といふ、これ量を超越せるなり。三世諸佛、轉法輪道場なるがゆゑに火焔あるなり。火焔あるがゆゑに諸佛の道場あるなり。

これまでは個別具体的な古則等は用いず、概説的に説く仏法の道理であったが、これよりは雪峰・玄沙・圜悟による古則話頭で以ての拈提作業に入られます。

「雪峰山真覚大師、示衆云、三世諸仏、在火焔裏、転大法輪。玄砂院宗一大師云、火焔為三世諸仏説法、三世諸仏立地聴。圜悟禅師云、将謂猴白、更有猴黒。互換投機、神出鬼没。烈焔亙天仏説法、亙天烈焔法説仏。風前剪断葛藤窠、一言勘破維摩詰」

古則の出典籍は『圜悟語録』十九頌古下(「大正蔵」四七・八〇二b二六)からのものです。ほかには『真字正法眼蔵』二八七則にて示されるが、圜悟云々は省略される。また『永平広録』二二八則(宝治元年(1247)三月頃)を取り挙げ、卓拄杖一下の法を示されます。玄沙が云った「三世諸仏立地聴」の立地聴に関しては、小拙在タイ時代に於ける法身寺(wat dhamma kaya)に於ける、斎前の読経時に於いての両班に居並び立地聴する比丘の僧形が眼に浮かぶ。

この雪峰上堂は開炉上堂としてのものであり、『宏智広録』一にても「開炉上堂云、寒灰発焔旧家風、(略)記得、雪峰云、三世諸仏、向火焔裏転大法輪。玄沙云、火焔為三世仏説法、三世仏立地聴」(「大正蔵」四八・五b二二)として記録される。

三世諸仏は火焔のの内(裏)にて、大法輪を転ずるものである。とは仏と火の正体は、常に動的平衡でありながら、常に無常の状態を、おおきな法輪が転ずるようだ。と説くもの。

雪峰の弟子である玄沙は此の雪峰語話に対し、火焔は三世諸仏の為に説法し、その説法を三世諸仏は翹足して聴く。これは雪峰の言を主客を入れ替えての手法で、ともに三世諸仏と外界の事物・事象の一体性を謂うものであるが、前段からの展事投機(弟子と師匠)に絡ませての語話設定のようです。

次いで圜悟による拈評が、将に猴白と謂うが、更に猴黒有り。互いに入れ換えて(互換)教え(投機)合うが神出鬼没である。ここでの「猴白・猴黒」は『准海集』においての、いずれ劣らぬ奸智に長けた悪人を喩うもの。つまりは、圜悟の評では雪峰・玄沙ともに傑出した古仏であるとの意です。

僧堂裏の炉の「烈焔(烈しい焔)が亙天」とは、仏が法を説く。「亙天の烈焔」とは、法が仏を説く。これは前の語話を捩ったものです。

「風前」とは教令・勅令などを云い、「葛藤窠」とは、仏見・法見に捉われて身動き出来ぬ様態で、それを烈焔・説法で剪断する。との意。「一言」とは、三世諸仏・在火焔裏・転大法輪との雪峰の語を指し、これにより維摩詰の正体を勘破してやろう。との圜悟による頌です。

「いま三世諸仏と云うは、一切諸仏なり。行仏は則ち三世諸仏なり。十方諸仏、ともに三世にあらざるなし。仏道は三世を説くに、かくの如く説尽するなり。いま行仏を尋ぬるに、即ち三世諸仏なり。たとい知有なりと云えども、たとい不知有なりと云えども、必ず三世諸仏なる行仏なり」

三世諸仏=一切諸仏=行仏=三世諸仏は総称して「十方諸仏」であり、これらの真実態は三世(過去・現在・未来)に通底している。と云うものです。但しこの三世は而今(現在)に包含される過去・未来である事は勿論である。

仏道で三世諸仏を説く時には、十方諸仏が行仏する姿を一切諸仏などと説き尽くすのである。行仏の蹤跡を尋ねてみれば、狸奴白牯(知有)であろうが仏(不知有)であろうが、必ず真実を具現する三世諸仏としての行仏があるのである。

「しかあるに、三位の古仏、同じく三世諸仏を道得するに、かくの如くの道あり。しばらく雪峰の云う三世諸仏、在火焔裏、転大法輪と云う、この道理習うべし。三世諸仏の転法輪の道場は、必ず火焔裏なるべし。火焔裏必ず仏道場なるべし。経師論師聞くべからず、外道二乗知るべからず」

「三位の古仏」とは雪峰義存(822―908)・玄沙師備(835―908)・圜悟克勤(1063―1135)を古仏と称し、一番手に雪峰説示である「三世諸仏、在火焔裏、転大法輪」に対する拈提に入られますが、このような「火焔裏必ず仏道場」などとの仏鱍語は、経師論師・外道二乗と称される、己事究明を目指す学人には知る由もないであろう。とするコメントである。

「知るべし。諸仏の火焔は諸類の火焔なるべからず。又、諸類は火焔有るか無きかとも照顧すべし。三世諸仏の在火焔裏の化儀、習うべし。火焔裏に処在する時は、火焔と諸仏と親切なるか、転疎なるか。依正一如なるか、依報正報あるか。依正同条なるか、依正同隔なるか。転大法輪は転自転機あるべし。展事投機なり、転法法転あるべし。すでに転法輪と云う、たとい尽大地これ尽火焔なりとも、転火輪の法輪あるべし、転諸仏の法輪あるべし、転法輪の法輪あるべし、転三世の法輪あるべし」

ここでは真実態の具現した「諸仏」と六道輪廻する「諸類」とは次元が異なり、諸類では「火焔」なるべからずと断定され、そもそも火焔の有り無しを顧り照らしなさい。との忠言である。

真実を具備する「三世諸仏」の具体的な「在火焔裏」のありかた(化儀)を学びなさい。そこで火焔と諸仏との関係は一体(親切)か疎遠(転疎)なのか・環境(依報)と自己(正報)が一体なのか・または依報正報が別々であるのか。これらを考究せよ、と迫られます。この処で謂う「なる・なる」のかは前に示す如くに即不中の語義である。

「転法輪」の正体は、周辺が回るのではなく、自身が転じ(転自)対象も転じ(転機)ている事を云い、依正同時事をこのように表現する。また「展事投機」と師資相承の関係、さらに転法が在ったら逆ベクトルの法転がなければ道理に適わぬ。との提言で、これらは皆ながら能所を置かぬ一味一乗態を説く方途である。

「転法輪」を称して江湖会(結制・禁足)とも云うが、転法輪と云うには、全ての事象が包含され得る訳であるから、尽大地であろうと尽火焔であろうとも、「転火輪」との謂い様もあるであろう。また「転諸仏」さらには「転法輪の法輪」とも「転三世の法輪」と無際限に法輪を形容する語が付属される可能胎が在るものである。

「しかあれば即ち、火焔は諸仏の転大法輪の大道場なり。これを界量・時量・人量・凡聖量等をもて測量するは、あたらざるなり。これらの量に量ぜられざれば、則ち三世諸仏、在火焔裏、転大法輪なり。すでに三世諸仏と云う、これ量を超越せるなり。三世諸仏、転法輪道場なるが故に火焔あるなり。火焔あるが故に諸仏の道場あるなり」

このようであるから、真実を表徴する「火焔」は諸仏が大法輪を転ずる処の大道場である。との大道場とは実修実証する所を「大道場」と云い、空間を意味するものではない。この大道場の規模を「空間量(界量)・時間量(時量)・人間量(人量)や凡聖と謂った物指しで測れる量ではない。つまりは大道場を説明するには「三世諸仏・在火焔裏・転大法輪」と云うしかないのである。

すでに三世諸仏と云うからには、測量を超越しているのであり、「㈠三世諸仏=㈡転法輪=㈢道場=㈣火焔」であるから、「㈣火焔―㈠諸仏―㈢道場」である等式も導き出せる訳である。

   七 古仏の行仏㈡

玄砂いはく、火焔の三世諸佛のために説法するに、三世諸佛は立地聽法す。この道をきゝて、玄砂の道は雪峰の道よりも道得是なりといふ、かならずしもしかあらざるなり。しるべし、雪峰の道は玄砂の道と別なり。いはゆる雪峰は、三世諸佛の轉大法輪の處在を道取し、玄砂は、三世諸佛の聽法を道取するなり。雪峰の道、まさしく轉法を道取すれども、轉法の處在かならずしも聽法不聽を論ずるにあらず。しかあれば、轉法にかならず聽法あるべしときこえず。又、三世諸佛、爲火焔説法といはず、三世諸佛、爲三世諸佛、轉大法輪といはず、火焔爲火焔、轉大法輪といはざる宗旨あるべし。轉法輪といひ、轉大法輪といふ、その別あるか。轉法輪は説法にあらず、説法かならずしも爲佗あらんや。しかあれば、雪峰の道の、道取すべき道を道取しつくさざる道にあらず。雪峰の在火焔裏、轉大法輪、かならず委悉に參學すべし。玄砂の道に混亂することなかれ。雪峰の道を通ずるは、佛威儀を威儀するなり。火焔の三世諸佛を在裏せしむる、一無盡法界二無盡法界の周遍のみにあらず。一微塵二微塵の通達のみにあらず。轉大法輪を量として、大小廣狹の量に擬することなかれ。轉大法輪は、爲自爲佗にあらず、爲説爲聽にあらず。玄砂の道に火焔爲三世諸佛説法、三世諸佛立地聽といふ、これは火焔たとひ爲三世諸佛説法すとも、いまだ轉法輪すといはず、又三世諸佛の法輪を轉ずといはず。三世諸佛は立地聽すとも、三世諸佛の法輪、いかでか火焔これを轉ずることあらん。爲三世諸佛説法する火焔、又轉大法輪すやいなや。玄砂もいまだいはず、轉法輪はこのときなりと。轉法輪なしといはず。しかあれども、想料すらくは、玄砂おろかに轉法輪は説法輪ならんと會取せるか。もししかあらば、なほ雪峰の道にくらし。火焔の三世諸佛のために説法のとき、三世諸佛立地聽法すとはしれりといへども、火焔轉法輪のところに、火焔立地聽法すとしらず。火焔轉法輪のところに、火焔同轉法輪すといはず。三世諸佛の聽法は、諸佛の法なり、佗よりかうぶらしむるにあらず。火焔を法と認ずることなかれ、火焔を佛と認ずることなかれ、火焔を火焔と認ずる事なかれ。まことに師資の道なほざりなるべからず。將謂赤鬚胡のみならんや、さらにこれ胡鬚赤なり。玄砂の道かくのごとくなりといへども、參學の力量とすべきところあり。いはゆる經師論師の大乘小乘の局量の性相にかゝはれず、佛々祖々正傳せる性相を參學すべし。いはゆる三世諸佛の聽法なり。これ大小乘の性相にあらざるところなり。諸佛は機縁に逗ずる説法ありとのみしりて、諸佛聽法すといはず、諸佛修行すといはず、諸佛成佛すといはず。いま玄砂の道には、すでに三世諸佛立地聽法といふ、諸佛聽法する性相あり。かならずしも能説をすぐれたりとし、能聽是法者を劣なりといふことなかれ。説者尊なれば聽者も尊なり。

「玄沙云く、火焔の三世諸仏の為に説法するに、三世諸仏は立地聴法す。この道を聞きて、玄沙の道は雪峰の道よりも道得是なりと云う、必ずしもしかあらざるなり。知るべし、雪峰の道は玄沙の道と別なり。いわゆる雪峰は、三世諸仏の転大法輪の処在を道取し、玄沙は、三世諸仏の聴法を道取するなり」

これよりは、玄沙に対する拈評となりますが、世間の見方では雪峰と玄沙を比べると、玄沙は師である雪峰の説を捻じ返したから、玄沙の方が勝ると云われているが、そのような勝劣の見方ではなく、師資ともども三世諸仏を説くものであるとの拈語であります。

「雪峰の道、まさしく転法を道取すれども、転法の処在必ずしも聴法不聴を論ずるにあらず。しかあれば、転法に必ず聴法あるべしと聞こえず。又、三世諸仏、為火焔説法と云わず、三世諸仏、為三世諸仏、転大法輪と云わず、火焔為火焔、転大法輪と云わざる宗旨あるべし」

雪峰の説く主眼は転法を云うものであって、玄沙の説く聴法・不聴は論じていなく、ですから転法と聴法とを飛躍的に論じてはいけない。

また雪峰は「三世諸仏は火焔裏に在って、大法輪を転ず」と説いているのであって、「三世諸仏は火焔説法の為に」とも「三世諸仏は、三世諸仏の為に、大法輪を転ず」とも説いていないのである。ましてや「火焔は火焔の為に大法輪を転ず」とは説かない宗旨を勘案しなさい。と、ここも至極当然な論述であろうが、小拙この法座に参じ得るなら、「雪峰・玄沙ともに尽法すも、玄沙に問う。聴法を説くも未だ聞法は不聞、如何」と、問話する次第である。

「転法輪と云い、転大法輪と云う、その別あるか。転法輪は説法にあらず、説法必ずしも為他あらんや。しかあれば、雪峰の道の、道取すべき道を道取し尽くさざる道にあらず」

一見すると、「転法輪」「転大法輪」の当否を問うような書きぶりであるが、大を附すも附さざるも言辞のアヤであり、「転法輪」の本源は言語で以てするばかりが説法ではない。ことを、「転法輪は説法にあらず」と反措定句として表現するが、説法とは自分自身が説法の本源である。同じ口調で「説法は必ずしも他人の為にするものではない」。このような道理から、雪峰の道取は世間で捉えられるように、玄沙とは見劣りする話頭ではなく、云い尽された話分である。との拈評となります。

「雪峰の在火焔裏、転大法輪、必ず委悉に参学すべし。玄沙の道に混乱する事なかれ。雪峰の道を通ずるは、仏威儀を威儀するなり。火焔の三世諸仏を在裏せしむる、一無尽法界二無尽法界の周遍のみにあらず。一微塵二微塵の通達のみにあらず。転大法輪を量として、大小広狹の量に擬する事なかれ。転大法輪は、為自為佗にあらず、為説為聴にあらず」

雪峰が云い放った「在火焔裏、転大法輪」は、必然的に委悉に参じ学びなさい。と、これは相対的に玄沙と比べてはならずとの誡めを、「玄沙の道に混乱する事なかれ」と、全機現の理で解き明かすもので、雪峰の道取に通底する、「仏威儀を威儀する」とは、雪峰の態度は仏のあり方を在り方するものである。と重複し強調する語勢である。

「火焔の三世諸仏を在裏する」とは、三世諸仏のあり方そのものが火焔である。と釈し、その「火焔」の実態は「一つの無尽法界・二つの無尽法界」つまり謂うなら、マルチバース(多元宇宙論)を模した如くに、一箇の宇宙や二箇の宇宙などの周遍するだけでなく、又極小世界に於ける「一微塵二微塵」に通達するだけではない。と、火焔の実像は極微の世界から極大な世界に通底する事実を、このように表徴する。

しかしながら、「火焔」の姿は「転大法輪」を量とし、「大・小・広・狭」的な量と同じに考えてはならない。「転大法輪」とは、自他に対するものでも、誰彼を説教しようとか聴かせるものにあらず。と、あらためて雪峰の在り方を讃じられます。

「玄沙の道に火焔為三世諸仏説法、三世諸仏立地聴と云う、これは火焔たとい為三世諸仏説法すとも、未だ転法輪すと云わず、又三世諸仏の法輪を転ずと云わず。三世諸仏は立地聴すとも、三世諸仏の法輪、いかでか火焔これを転ずる事あらん。為三世諸仏説法する火焔、又転大法輪すやいなや。玄沙も未だ云わず、転法輪はこの時なりと。転法輪なしと云わず」

次いで玄沙の説く「火焔為三世諸仏説法、三世諸仏立地聴」に対する拈評でありますが、「火焔→為三世諸仏説法」と提示される事に、道元的眼蔵視観が読み取れそうである。我々の読み解き方では、「火焔は三世諸仏の為(ため)に説法す」とすると、火焔と三世諸仏との主客が生じるが、此処では「火焔は三世諸仏と為(な)し説法す」との構文からは、能所が生じない説き方である。

「未だ転法輪とも、三世諸仏の法輪を転ずと云わず」とは、玄沙には「転法輪」と説かなくても「火焔=三世諸仏=説法」の枠組みが在りますから、雪峰が示す転法輪は不要なのである。玄沙の説く「三世諸仏立地聴」には雪峰が示す転大法輪も内包される為、火焔を転じさせる説法は要らないのである。

「為三世諸仏説法する火焔」とは、本来の「火焔為三世諸仏説法」の主客を差し替えたように見受けられるが、先ほども示したように火焔=為三世諸仏=説法は一味態の関係ですから、何ら問題は生じない。玄沙は「転法輪」に関しては言及しないが、これは三世諸仏立地聴に内包される為であり、決して「転法輪なし」とは言及しないのである。

「しかあれども、想料すらくは、玄沙愚かに転法輪は説法輪ならんと会取せるか。もし然あらば、なお雪峰の道に暗し。火焔の三世諸仏の為にに説法の時、三世諸仏立地聴法すとは知れりと云えども、火焔転法輪の処に、火焔立地聴法すと知らず。火焔転法輪の処に、火焔同転法輪すと云わず」

「想料」とは想い料(はか)ってみよう。との意で、雪峰・玄沙それぞれの言い分を眺めて見たが、玄沙は愚かにも「転法輪」と「説法輪」を、はき違えしているのか。との道元の問い掛けの形で、もし玄沙が転法輪の意を解さずに、三世諸仏説法の言を言い放っているなら雪峰には及ばない。との言です。

玄沙は「火焔為三世諸仏説法、三世諸仏立地聴」は説いているが、「火焔転法輪の時には、火焔立地聴」とは説かず、また「火焔転法輪の時には、火焔は同じく転法輪す」とも云わず。と敢えて玄沙の云い残した部分の補足するようにも見られるが、このように説き明かす必要性が無かった。との玄沙を評する拈語とも聴き取れるものです。

「三世諸仏の聴法は、諸仏の法なり、他より蒙らしむるにあらず。火焔を法と認ずる事なかれ、火焔を仏と認ずる事なかれ、火焔を火焔と認ずる事なかれ。まことに師資の道なおざりなるべからず。将謂赤鬚胡のみならんや、さらにこれ胡鬚赤なり」

「三世諸仏の聴法」とは、諸仏自身としての法の在り方であるから、他人から聴かされるものではないので、「他より蒙らしむるにあらず」と、諸仏と法との同態を謂わんとするもの。

「火焔を法・仏・火焔と認ずるな」とは一著固執を忌むための方便であり、『御抄』では「火焔許りには留まらざる心地也」(「曹洞宗全書」注解一・一七八下)と読み解く。

実に雪峰・玄沙(師資)の道(ことば)は師勝資強で、軽々しく扱ってはならず、両人ともども勝劣なき旨を、「将謂赤鬚胡(雪峰)と思っていたが胡鬚赤(玄沙)であった」と。つまりは両員同人を解き、また世間に云われるような、「玄沙の道は雪峰の道よりも道得是」と謂った安易な通俗的解釈はすべきではない。と云った語感も包接するものと思われる。

「玄沙の道かくの如くなりと云えども、参学の力量とすべき処あり。いわゆる経師論師の大乗小乗の局量の性相に関われず、仏々祖々正伝せる性相を参学すべし。いわゆる三世諸仏の聴法なり。これ大小乗の性相にあらざる処なり」

玄沙の説き示した「火焔為三世諸仏説法、三世諸仏立地聴」の道(ことば)は、大いに参禅学道の手本(力量)とすべきである。経師(訳僧)論師(学僧)の説く大小乗に於ける本体(性)や様相(相)の論争議論に関わってはならず、仏祖正伝する性相つまり謂う処の「三世諸仏立地聴」の性相(全体)を参学し、大小乗云々と云っている場合ではない。との説示であります。

「諸仏は機縁に逗(投)ずる説法ありとのみ知りて、諸仏聴法すと云わず、諸仏修行すと云わず、諸仏成仏すと云わず。いま玄沙の道には、すでに三世諸仏立地聴法と云う、諸仏聴法する性相あり。必ずしも能説を勝れたりとし、能聴是法者を劣なりと云う事なかれ。説者尊なれば聴者も尊なり」

経師論師のような学問仏教の連中の考えでは、諸仏は対機説法に投ずるのみであるとのみ知りて、「諸仏聴法・諸仏修行・諸仏成仏する」などとは、経典に見当たらないから言及できないが、玄沙の道取には「三世諸仏立地聴法」と在り、諸仏聴法には火焔の本体(性)と三世諸仏の様相があるのである。必ずしも法を説く人のみを勝れたりとし、逆に法を聴く側を劣なりと言及してはならない。説く者と聴く者とは、啐啄同期的に共に「尊」となるのである。

これまで述べてきたように、仏法は俯瞰的かつ複眼視して理法に参ずるものであるから、説者と聴者に生じる能所の関係は生ずることなく、「為自為他・為説為聴」ではなく、「将鬚胡は胡鬚赤」であり、「説者尊なれば聴者も尊なり」が導き出されるのである。

    八 古仏の行仏㈢

釋迦牟尼佛のいはく、若説此經、則爲見我。爲一人説、是則爲難。しかあれば、能説法は見釋迦牟尼佛なり、則爲見我は釋迦牟尼佛なるがゆゑに。又いはく、於我滅後、聽受此經、問其義趣、是則爲難。

しるべし、聽受者もおなじくこれ爲難なり、勝劣あるにあらず。立地聽これ最尊なる諸佛なりといふとも、立地聽法あるべきなり、立地聽法これ三世諸佛なるがゆゑに。諸佛は果上なり、因中の聽法をいふにあらず、すでに三世諸佛とあるがゆゑに。しるべし、三世諸佛は火焔の説法を立地聽法して諸佛なり。一道の化儀、たどるべきにあらず。たどらんとするに、箭鋒相拄せり。火焔は決定して三世諸佛のために説法す。赤心片々として鐵樹花開世界香なるなり。且道すらくは、火焔の説法を立地聽しもてゆくに、畢竟じて現成箇什麼。いはゆるは智勝于師なるべし、智等于師なるべし。さらに師資の閫奥に參究して三世諸佛なるなり。

圜悟いはくの猴白と將謂する、さらに猴黒をさへざる互換の投機、それ神出鬼没なり。これは玄砂と同條出すれども、玄砂に同條入せざる一路もあるべしといへども、火焔の諸佛なるか、諸佛を火焔とせるか。黒白互換のこゝろ、玄砂の神鬼に出没すといへども、雪峰の聲色、いまだ黒白の際にのこらず。しかもかくのごとくなりといへども、玄砂に道是あり、道不是あり。雪峰に道拈あり、道放あることをしるべし。いま圜悟さらに玄砂に同ぜず、雪峰に同ぜざる道あり、いはゆる烈焔亙天はほとけ法をとくなり、亙天烈焔は法ほとけをとくなり。この道は、眞箇これ晩進の光明なり。たとひ烈焔にくらしといふとも、亙天におほはれば、われその分あり、佗この分あり。亙天のおほふところ、すでにこれ烈焔なり。這箇をきらうて用那頭は作麼生なるのみなり。よろこぶべし、この皮袋子、むまれたるところは去聖方遠なり、いけるいまは去聖時遠なりといへども、亙天の化導なほきこゆるにあへり。いはゆるほとけ法をとく事は、きくところなりといへども、法ほとけをとくことは、いくかさなりの不知をかわづらひこし。しかあればすなはち、三世諸佛は三世に法にとかれ、三世の諸法は三世に佛にとかるゝなり。葛藤窠の風前に剪斷する亙天のみあり。一言は、かくるゝことなく、勘破しきたる、維摩詰をも非維摩詰をも。しかあればすなはち、法説佛なり、法行佛なり、法證佛なり。佛説法なり、佛行佛なり、佛作佛なり。かくのごとくなる、ともに行佛の威儀なり。亙天亙地、亙古亙今にも、得者不輕微、明者不賤用なり。

最後の拈提作業に入られます。

釈迦牟尼仏の言く、若説此経、則為見我。為一人説、是則爲為。しかあれば、能説法は見釈迦牟尼仏なり、則為見我は釈迦牟尼仏なるが故に。又言く、於我滅後、聴受此経、問其義趣、是則為難。知るべし、聴受者も同じくこれ為難なり、勝劣あるにあらず。立地聴これ最尊なる諸仏なりと云うとも、立地聴法あるべきなり、立地聴法これ三世諸仏なるが故に。諸仏は果上なり、因中の聴法を云うにあらず、すでに三世諸仏とあるが故に」

本来は圜悟による評著でしょうが、『法華経』十一「見宝塔品」「我滅度後、若持此経、為一人説是則為難」(「大正蔵」九・三四b一)の一部を援用し、若持→若説と改変し、第二則「則為見我」(「同」三四a一四)を添語する形にして採用されます。

意訳すると、若し此の経を説かんは、則ち我を見ると為し、一人の為に説くは、是れ則ち難しと為す。となるが、これは先の「説者尊なれば聴者も尊なり」の説者尊の証明文として釈迦牟尼仏言として導入されたものであり、能説も釈迦・見我も釈迦の道理である訳である。

「於我滅後、聴受此経、問其義趣、是則為難」は前掲同所より三行あとに記された原文を援用され、この偈も聴者尊を証するものとして導入されたものである。

「聴受・是則、為難」とは、聴く側も是れは則ち難しと為す。の意で、能説者と聴説者との互換投機では勝劣はない。

「立地聴法」の姿(威儀)は、最尊である諸仏であっても、立地聴法の威儀(姿)は三世諸仏のあり方である。聴法と云うと、聴く側としての立場から(因中)物を見がちだが、すでに聴法する人を三世諸仏とするのであるから、これは仏になる前の因位を説くものではない。

「知るべし、三世諸仏は火焔の説法を立地聴法して諸仏なり。一道の化儀、辿るべきにあらず。辿らんとするに、箭鋒相拄せり。火焔は決定して三世諸仏の為に説法す。赤心片々として鉄樹花開世界香なるなり」

「三世諸仏―火焔―説法―立地聴法―諸仏」との論理を「一道の化儀」つまり、説者(三世諸仏)と聴者(立地聴)の、一条にして別異なきを云うもので、他に探し求めるべきものではない。説者と聴者とは師勝資強の喩えの如く、両方から射た箭(や)の鋒(さき)が命中するような関係である。「箭鋒相拄」は石頭希遷による『参同契』での「万物自有功、当言用及処。事存函蓋合、理応箭鋒拄」(「大正蔵」五一・四五九b一七)(万物には自づと功が有り、当に用と処を言うべし。事が存すれば函蓋は合するように、理が応ずれば箭鋒が拄(ささ)う)を捩り援用されたもので、謂う所は仏法では説者と聴者とのヒエラルキーを設定せず。との趣文です。

この相い拄うの関係を、真実態の総称としての「火焔」は常に動的に説法し、その動的な片々は赤心(まこと・真実)を帯び、「鉄樹に花が開き世界香(かん)ばし」と、やや文学的色彩に富む表現ではあるが、西有氏は「これは決して稀有のことでない。今日われ等も能所を離れ憎愛を離れ、没蹤跡に行履すれば、直に木人石女の境界である」(『啓迪』四四八頁)と、大局的見方を保ちなさい。と注意される。

「且道すらくは、火焔の説法を立地聴しもてゆくに、畢竟じて現成箇什麼。いわゆるは智勝于師なるべし、智等于師なるべし。さらに師資の閫奥に参究して三世諸仏なるなり」

「且道すらく」とは試みに道うならば。の意で、玄沙の「火焔の説法」を立地聴する時、畢竟(とどのつまり)現成するは什麽(なに)なのか。と現代の我々にも問詰する勢いであります。

「智勝于師・智等于師」(智は師に勝り・智は師に等し)に関しては、『臨済録』「行録」での「潙山云、如是如是。見与師斉、減師半徳。見過於師、方堪伝授」(「大正蔵」四七・五〇六a五)(見の師と斉しきは師の半徳を減じ、見の師に過ぎては方に伝授に堪えん)を語拈してのもので、先ほど来からの師資相承における啐啄同期的作動や、師勝資強の状況を再三再四にわたり拈語されての、「師資の閫奥に参究する事が三世諸仏の威儀である」との結語のようであります。

「圜悟云わくの猴白と将謂する、さらに猴黒をさへざる互換の投機、それ神出鬼没なり。これは玄沙と同条出すれども、玄沙に同条入せざる一路もあるべしと云えども、火焔の諸仏なるか、諸仏を火焔とせるか。黒白互換のこころ、玄沙の神鬼に出没すと云えども、雪峰の声色、未だ黒白の際に残らず。しかもかくの如くなりと云えども、玄沙に道是あり、道不是あり。雪峰に道拈あり、道放ある事を知るべし」

これは圜悟の「将謂猴白、更有猴黒、互換投機、神出鬼没」に対する評著になりますが、この「猴白・猴黒」は勿論雪峰・玄沙に喩うもので、黒が白より勝ると謂わざるは、これまでの拈提を概すれば解され、猴」白・猴黒の関係は難兄難弟とも云えそうである。「猴黒をさへざる」とは、間髪を容れぬ事で、白と云い黒と云うも一条にして二面ない状況を、「神出鬼没」と称し、単に取っ替え引っ替えしただけでのものです。

雪峰と玄沙との立場は師と弟子との関係で差違は生ずるが、行仏の立場からは同態を「玄沙と同条出・玄沙に同条入」と言語化し、さらに「火焔の諸仏―諸仏を火焔」と主述を差し替えしての、両者ともに仏人との提示である。

「黒白互換のこころ」とは黒が白に・白が黒に入れ換わる様を捉えるが、どれほど堅牢な物でも、原子・素粒子の立場からはゆらぎ(互換)が伴ってこそ真実態なのである。このような当意即妙な様態を「玄沙の神鬼に出没」と表記するものですが、これは「㈠神㈡出㈢鬼㈣没」を分節し「㈠神㈢鬼㈡出㈣没」と再構成した造語であります。一方、「雪峰の声色」とは雪峰の威儀(あり方)を云い、神出鬼没に対し「黒白の際に残らず」と、黒白に片寄らない仏道の姿勢を強調されます。

このように雪峰・玄沙を褒めちぎってみたが、玄沙にしても雪峰にしても、一口で什麽もかもは道取不可能であり、それぞれに「道是・道不是」「道拈・道放」ある事は認知すべきであろう。と、猴白猴黒から導き出された謂い分です。

「いま圜悟さらに玄沙に同ぜず、雪峰に同ぜざる道あり、いわゆる烈焔亙天はほとけ法を説くなり、亙天烈焔は法ほとけを説くなり。この道は、真箇これ晩進の光明なり。たとい烈焔に暗しと云うとも、亙天に蔽われば、我その分あり、他この分あり。亙天の覆う処、すでにこれ烈焔なり。這箇を嫌うて用那頭は作麼生なるのみなり」

ここでは雪玄に劣らず圜悟の力量を賛ずるもので、圜悟の云う「烈焔」は火焔に、「亙天」は三世諸仏に通じ、「仏説法」は転大法輪とも立地聴とも比定するものである。

圜悟が拈じた「烈焔亙天説法、亙天烈焔は法説仏」の道(ことば)は、真に仏道を学ぶ後輩たちへの光明であるとは、烈焔と掛けての縁語であろう。

たとえば「烈焔」を認識できなくても、雨雲の上には「亙天」が遍満するのであるから、自己・他己ともに亙天の徳分が在り、畢竟ずれば亙天は烈焔そのものである。「這箇」は烈焔を「那頭」は亙天を指し示し、烈焔と亙天は一体不可分ですから這箇を嫌っても、どうしようも(作麼生)ないのである。

「喜ぶべし、この皮袋子、産まれたる処は去聖方遠なり、生ける今は去聖時遠なりと云えども、亙天の化導なお聞こゆるに逢えり。いわゆる仏、法を説く事は、聞く処なりと云えども、法、ほとけを説く事は、幾重なりの不知をか煩い来し。しかあれば即ち、三世諸仏は三世に法に説かれ、三世の諸法は三世に仏に説かるるなり」

「この皮袋子」とは道元自身であり、産まれたる処(日本)は聖(釈迦仏)を去ること方に遠く(6000キロ)、生きている今は聖を去ること時に遠く(2190年・『仏性』巻より援用)と云えども、真実態である亙天による教化指導は、今時今処に於いても伝播していると。

「仏が法を説く」とは何の疑いもない処ではあるが、「法が仏を説く」とは、幾重にも、知らない辛さを味わって来たことか。と、圜悟の不憫さを憐れんでの著語となります。

同じ趣旨で以て「三世諸仏は法に説かれ・仏に説かるる」と、これは法仏一如の理を云う。

「葛藤窠の風前に剪断する亙天のみあり。一言は、隠るる事なく、勘破し来たる、維摩詰をも非維摩詰をも」

これは圜悟頌古「風前剪断葛藤窠、一言勘破維摩詰」(六にて取り挙げる)に対する評著で、「葛藤窠の風前に剪断する」は単に語句を入れ替えたもので、そこで煩悩妄想(葛藤窠)の切れて絶えた所が真実義(亙天)のみあり。と断じ、一方維摩の黙雷に対する不満と共に、圜悟の烈焔亙天、仏説法を讃ずるものです。

「しかあれば即ち、法説仏なり、法行仏なり、法証仏なり。仏説法なり、仏行仏なり、仏作仏なり。かくの如くなる、ともに行仏の威儀なり。亙天亙地、亙古亙今にも、得者不軽微、明者不賤用なり」

この巻の最終項の結語としては、法仏一如の具象を「法説仏・法行仏・法証仏・仏説法」と提示し、仏が仏を行じ、仏が仏に作る。を「行仏の威儀」と標題に聯関させます。

「亙天亙地・亙古亙今」とは三世十方世界を表意し、得者は何事につけても、いかなる問題でも決して軽微に対処せず、また明者とは自身に与えられた行仏威儀に対して賤(いやしい・さげすむ)しい用い方は、しないものである。とは道元禅師より100年後に生きた兼好による『徒然草』第一七一段に云う、「万の事、外にむきて求むべからず。好事を行じて前程問ふことなかれ」などに、通じ合う生き様であろうか。

この処を西有穆山和尚は「仏の威儀を行なって、決して我れを欺かざる所に我が行が仏威儀となる。これが法仏一体、身心一如、一道の直行で、亙天亙地あざむかざるの道理は、ここにあるのだ。不染汚の行仏とはこのことである」(『啓迪』四五九頁)と解説される。この一言を以て「行仏威儀」を終る。

(終)

 

―2021年(タイ暦2564年)2月24日午前10時半

マカーブーチャ(万仏節2月26日)を前に擱筆

※酒井得元老師提唱録。音声は提唱の冒頭部分です。最初から最後まで提唱をお聞きになりたい方は以下のアドレスまでご連絡ください。喜んで資料提供致します。karnacitta5746@yahoo.co.jp

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/sakaitokugen

※詮慧・経豪―正法眼蔵 第六 行仏威儀  (聞書・御抄)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/01/06/000000_1

井筒俊彦―禅における言語的意味の問題

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/08/01/144509

※入矢 義高―禅問答というもの

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/04/15/183840

井筒俊彦公案を通じての思考と非思考

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2023/08/26/180601

※水野弥穂子 未完の大著 (正法眼蔵) これは水野弥穂子氏(『正法眼蔵』㈣「岩波文庫」解説)校注本巻末に記されたものを抜書したものであるが、一部修訂した。

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/08/05/085933

※如浄録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/nyojou-goroku

※宝慶記

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/houkyouki

※真字正法眼蔵 三百則

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/08/14/000000

※永平広録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/eiheikouroku

 

   ―令和七年(2025)如月吉日 泰国西部クワイ河河畔にて 六十八老漢記すー 

 

 

修訂版  正法眼蔵 第七「一顆明珠」を読み解く

修訂版  正法眼蔵 第七「一顆明珠」を読み解く

二谷正信(正韻信道)

    序言

この『一顆明珠』巻は「正法眼蔵」執筆に於いては、嘉禎四年(1238)四月の興聖寺初期に記されたものである。前後の状況を時系列に見ると「天福元年(1233)興聖寺開創『摩訶般若』『現成公案』示衆・懐弉・僧海・詮慧・心地覚心(法燈国師)等参集、「文暦元年(1234)」懐弉が興聖寺の衣に改める、「嘉禎元年(1235)興聖寺僧堂建立勧進疏の撰・理観に明全所伝の戒脈を授、「嘉禎二年(1236)」興聖寺開堂・懐弉首座秉払、「嘉禎三年(1237)「出家授戒作法」の撰・嘉禎年間に「随聞記」示衆、「嘉禎四年(1238)」『一顆明珠』示衆、「延応元年(1239)『即心是仏』五月『洗面』『洗浄』十月示衆(「諸本対校建撕記」四一頁・河村孝道)と記録されるように、嘉禎四年の「眼蔵」提示は当巻のみに留まる事情は、内外にわたる煩雑なる応接によるものと推察されます。

亦ほとんどの提唱では複数人による古則・話頭を拈提されるのに対し、「当巻」では玄沙の師備のみを扱う例は珍しく、他には趙州の従諗による『柏樹子』巻や天童の如浄を扱う『梅花』巻などが知られるのみでも、特異な位置づけが与えられます。

    一 玄沙と雪峰

娑婆世界大宋國、福州玄沙山院宗一大師、法諱師備、俗姓者謝なり。在家のそのかみ釣魚を愛し、舟を南臺江にうかべて、もろもろのつり人にならひけり。不釣自上の金鱗を不待にもありけん。唐の咸通のはじめ、たちまちに出塵をねがふ。舟をすてゝ山にいる。そのとし三十歳になりけり。浮世のあやふきをさとり、佛道の高貴をしりぬ。つひに雪峰山にのぼりて、眞覺大師に參じて、昼夜に辦道す。

あるとき、あまねく諸方を參徹せんために、嚢をたづさへて出嶺するちなみに、脚指を石に築著して、流血し、痛楚するに、忽然として猛省していはく、是身非有、痛自何來。すなはち雪峰にかへる。雪峰とふ、那箇是備頭陀。玄沙いはく、終不敢誑於人このことばを雪峰ことに愛していはく、たれかこのことばをもたざらん、たれかこのことばを道得せん。雪峰さらにとふ、備頭陀なんぞ徧參せざる。師いはく、達磨不來東土、二祖不往西天。といふに、雪峰ことにほめき。

ひごろはつりする人にてあれば、もろもろの經書、ゆめにもかつていまだ見ざりけれども、こゝろざしのあさからぬをさきとすれば、かたへにこゆる志気あらはれけり。雪峰も、衆のなかにすぐれたりとおもひて、門下の角立なりとほめき。ころもはぬのをもちゐ、ひとつをかへざりければ、もゝつゞりにつゞれりけり。はだへには紙衣をもちゐけり、艾草をもきけり。雪峰に參ずるほかは、自餘の知識をとぶらはざりけり。しかあれども、まさに師の法を嗣するちから、辦取せりき。

玄沙・雪峰は師弟の関係ではありますが、玄沙には師をも乗り越える向上の志気が窺える言動であります。

「娑婆世界大宋国、福州玄沙山院宗一大師、法諱師備、俗姓者謝なり。在家のそのかみ釣魚を愛し、舟を南台江にうかべて、もろもろの釣り人にならいけり。不釣自上の金鱗を不待にも在りけん。唐の咸通の初め、忽ちに出塵をねがう。舟を棄てて山に入る。その年三十歳に成りけり。浮世のあやうきをさとり、仏道の高貴を知りぬ。ついに雪峰山に登りて、真覚大師に参じて、昼夜に辦道す」

冒頭示される略歴の出典は『景徳伝灯録』十八「福州玄沙宗一大師法名師備、福州閩県人

也。姓謝氏、幼好垂釣、泛小艇於南台江狎諸漁者。唐咸通初年甫三十、忽慕出塵乃棄釣舟」(「大正蔵」五一・三四三c二六)と考えられる。

同所を『行持』下に於いては「福州玄沙宗一大師、法名師備、福州閩県人也。姓謝氏。幼年より垂釣をこのむ。小艇を南台江にうかめて、もろもろの漁者になれきたる。唐の咸通のはじめ、年甫三十なり。たちまちに出塵をねがふ。すなはち釣舟をすてて」(「岩波文庫」㈠三七三)と対比してみるに、『行持』では原典に忠実であるが、当『一顆明珠』では多少のアレンジを以て文章立てにされたものと観られる。

すでに拙著『行持』「正法眼蔵を読み解く」玄沙章にて取り挙げた処であるが、再び注解を試みる。

「玄沙山院宗一大師」の表記は『唐福州安国禅院先開山宗一大師碑文』(以下『碑文』と略記)によれば、「因至清県界、初葺普応、次住玄沙(宝峰)」(「続蔵」七三・二五c一七)と記す処から「玄沙山」の表記に至ったのであろうか。

法諱師備」の法諱は安名・法名を示すもので、俗名の謝三郎から僧名の師備と名づけられた。とするものであろうが、一般論では落髪の師である芙蓉霊訓(「大正蔵」五一・三四四a一)が授安名したのであろうか。

「俗姓者謝」『玄沙広録』によれば「我是釣魚謝三郎」(「続蔵」七三・四c一五)と名乗っていたようである。「南台江」は福州の河川の名で、台江とも略名される。

「唐の咸通のはじめ」とは、玄沙は大和九年(835)生まれですから、三十歳の咸通五年(864)の出家(出塵)を云うわけですが、『碑文』では「咸通元年(860)に芙蓉山義通上人による教化の結果、三年後の咸通四年(863)の二十九歳の時に弘照大師(霊訓)から落髪」(『玄沙の伝記』西口芳男著・二四〇頁参照)とする資料もある。

「雪峰山に登りて昼夜に辦道す」の前段が抜け落ちるので補足すると、咸通五年の正月には、霊訓を辞し、鐘陵(江西省南昌)の開元寺にて道玄律師から具足戒を授受され、同じ年の秋には再び受業師である霊訓の教導を受ける。玄沙と雪峰の初相見は咸通六年(865)―同九年(868)の頃で、雪峰が象骨山にに移錫するのは咸通十一年(870)以降であり、玄沙の雪峰(象骨)山に登拝するのは咸通十三年(872)のことである(『玄沙の伝記』二四六頁参照)。

「ある時、普く諸方を参徹せん為に、嚢を携えて出嶺する因みに、脚指を石に築著して、流血し、痛楚するに、忽然として猛省して云く、是身非有、痛自何来。則ち雪峰に帰る。雪峰問う、那箇是備頭陀。玄沙云く、終不敢誑於人。この言葉を雪峰殊に愛して云く、誰か此の詞を持たざらん、誰か此の詞を道得せん。雪峰さらに問う、備頭陀なんぞ徧参せざる。師云く、達磨不来東土、二祖不往西天。と云うに、雪峰殊に褒めき」

前記冒頭の出典籍は『景徳伝灯録』と推測したが、この処の出典は『聯灯会要』二十三冒頭での「初謁雪峰、後欲遍歴諸方、参尋知識。攜嚢出嶺、築著脚指頭、流血痛楚。忽然猛省曰、是身非有、痛自何来、即回雪峰。峰問、那箇是備頭陀。師云、終不敢誑於人。峰一日召云、備頭陀、何不遍参去。師云、達磨不来東土、二祖不往西天。峰然之」(「続蔵」七九・二〇二c四)が該当されそうである。

「那箇是備頭陀」に関して『聞書』の注記では「備は玄沙の御名、頭陀は僧の通名也」(「曹洞宗注解」一・二〇四)と記され、この問いの主旨は玄沙自身を問い質すのではなく、「如何是仏」と同程の義と解され、一般論として扱うべし。との意のようです。なお師備を備の一字で表す場合は、尊敬の義あり(「酒井得元提唱録テープ」)とのこと。

「終不敢誑於人」に関しても詮慧和尚によると「三界唯心とも諸法実相とも、莫妄想・不釣自上の詞に同じ丈(たけ)」(「前記同所」)と解し、さらには「那箇是備頭陀とは雪峰の皮肉が云われ、終不敢誑於人とは和尚の皮肉を得たりと云う心地あるべし」と雪峰の問いに対し、玄沙の向上答話を指摘するものです。

「このことばを雪峰ことに愛して云く、誰でもがこのことばを持ってはいるが、玄沙のみが道い得ている」とは、道元の著語にあたる。

引用典籍では時間を置いて「不遍参」を問う形ですが、本話に於いては間髪置かず雪峰の「不遍参」に対する答話の「達磨不来東土、二祖不往西天」が玄沙大悟の機縁とされる語言ですが、ふたたび詮慧『聞書』を看するに「達磨不来東土の詞、仏法には不来不去と説き、法身不周遍・法界又周遍すと云う義もあるべし」(「曹洞宗全書」注解一・二〇五上)と、梵語のdharma(法)と真丹語である達磨を掛けた、詞あそび的意味合いとして解き明かす。

「日頃は釣りする人にて在れば、諸々の経書、夢にも曾て未だ見ざりけれども、志の浅からぬを先とすれば、かたへに超ゆる志気表れけり。雪峰も、衆の中に勝れたりと思いて、門下の角立なりと褒めき。衣は布を用い、ひとつを替えざりければ、もも綴りに綴れりけり。肌衣には紙衣を用いけり、艾草をも着けり。雪峰に参ずるほかは、自余の知識を訪らわざりけり。しかあれども、まさに師の法を嗣するちから、辦取せりき」

この処の出典籍は不明ながら、「門下の角立なりとほめき」は『聯灯会要』二十三玄沙章冒頭部にて「実雪峰門下、角立者」(「続蔵」七九・二〇二c一一)と記されるのみであり、評唱にあたるものである。

この処の解説を西有穆山(1821―1910)の提唱録である『啓迪』では「志一つで何でも出来る。皆はどうも気が弱いからいかぬ。気の弱いと云うのは畢竟菩提心が薄いからだ。玄沙を手本としてやってみるが良い」(三七六頁)と檄を飛ばされるあたりは、良くも悪くも禅坊主の鼻息の荒さが感得される。

「角立」とは「衆角多しといへども一麟足れり」の類で、頭に角の立ち上がった目立った人と云う事で、非凡な人を表す形容である。

「肌衣には紙衣を用いけり」で思い出すは、戦前の永平寺でも、衣資類がなく新聞紙を肌着と衣の間に入れていた修行僧が居たそうである(「酒井得元提唱テープ」より・恐らくは昭和14年秋安居での神秀一氏であろう)。

「艾草(がいそう)」とは、よもぎ(蓬)を云い、保温力があるそうである。

「雪峰に参ずるほかは、自余の知識を訪らわざり」とするが、実際には玄沙が雪峰に出会うのは、芙蓉山の登拝して六~八年後のことであり、その間には天下を遊行していたはずである(『玄沙の伝記』二五〇頁)と西口氏は説き示される。

    二 尽十方世界是一顆明珠

つひにみちをえてのち、人にしめすにいはく、盡十方世界是一箇明珠。ときに僧問、承和尚有言、盡十方世界是一顆明珠。學人如何會得。師曰、盡十方世界是一顆明珠、用會作麼。師來日却問其僧、盡十方世界是一顆明珠、汝作麼生會。僧曰、盡十方世界一顆明珠、用會作麼。師曰、知、汝向黒山鬼窟裏作活計。

いま道取する盡十方世界是一顆明珠、はじめて玄沙にあり。その宗旨は、盡十方世界は、廣大にあらず微小にあらず、方圓にあらず中正にあらず、活々にあらず露廻々にあらず。さらに、生死去來にあらざるゆゑに生死去來なり。恁麼のゆゑに、昔日曾此去にして、而今從此來なり。究辦するに、たれか片々なりと見徹するあらん、たれか兀々なりと撿擧するあらん。

盡十方といふは、逐物爲己、逐己爲物の未休なり。情生智隔を隔と道取する、これ回頭換面なり、展事投機なり。逐己爲物のゆゑに未休なる盡十方なり。機先の道理なるゆゑに機要の管得にあまれることあり。

是一顆珠は、いまだ名にあらざれども道得なり、これを名に認じきたることあり。一顆珠は、直須萬年なり。亙古未了なるに亙今到來なり。身今あり、心今ありといへども明珠なり。彼此の草木にあらず、乾坤の山河にあらず、明珠なり。

學人如何會得。この道取は、たとひ僧の弄業識に相似せりとも、大用現、是大軌則なり。すゝみて一尺水、一尺波を突兀ならしむべし。いはゆる一丈珠、一丈明なり。

いはゆるの道得を道取するに、玄沙の道は盡十方世界是一顆明珠、用會作麼なり。この道取は、佛は佛に嗣し、祖は祖に嗣し、玄沙は玄沙に嗣する道得なり。嗣せざらんと廻避せんに、廻避のところなかるべきにあらざれども、しばらく灼然廻避するも、道取生あるは現前の蓋時節なり。

玄沙來日問其僧、盡十方世界是一顆明珠、汝作麼生會。これは道取す、昨日説定法なる、今日二枚をかりて出気す。今日説不定法なり、推倒昨日點頭笑なり。

僧曰、盡十方世界是一顆明珠、用會作麼。いふべし、騎賊馬逐賊なり。古佛爲汝説するには異類中行なり。しばらく廻光返照すべし、幾箇枚の用會作麼かある。試道するには、乳餠七枚、菜餠五枚なりといへども、湘之南潭之北の教行なり。

玄沙曰、知、汝向黒山鬼窟裏作活計。しるべし、日面月面は往古よりいまだ不換なり。日面は日面とともに共出す、月面は月面とともに共出するゆゑに、若六月道正是時、不可道我姓熱なり。

この処が「当巻」の標題でもある「一顆明珠」を更なる具体例言で説き示される頁である。

「ついに道を得て後、人に示すに云く、尽十方世界是一箇明珠。時に①僧問、承和尚有言、尽十方世界是一顆明珠。学人如何会得。②師曰、尽十方世界是一顆明珠、用会作麼。③師、来日却問其僧、尽十方世界是一顆明珠、汝作麼生会。④僧曰、尽十方世界一顆明珠、用会作麼。⑤師曰、知、汝向黒山鬼窟裏作活計」

この古則の出典籍は『景徳伝灯録』十八「僧問、承和尚有言、尽十方世界是一顆明珠、学人如何得会。師曰、尽十方世界是一顆明珠用会作麼。師来日却問其僧、尽十方世界是一顆明珠、汝作麼生会。対曰、尽十方世界是一顆明珠、用会作麼。師曰、知汝向山鬼窟裏作活計」(「大正蔵」五一・三四六c一六)と考えられるが、字句の異同は「得会」→「会得」・「対」→「僧」・「山」→黒山」に差し替えられるのみであるが、山を黒山に書き改めるは『碧巌録』三「便是黒山鬼窟裏作活計」(「大正蔵」四八・一六六b一一)を援用と思われる。因みに『勅修百丈清規』五に於いても「謂黒山鬼窟」(大正蔵)四八・一一四三a一二)が確認される(「sat・大正蔵検索」。

ほかには『真字正法』上・一五・『永平頌古』四一・『永平広録』一〇七の各則に於いて提示される。なお『玄沙広録』中では「尽十方世界是箇真実人体」(「続蔵」七三・一二c一)なるフレーズは在るが、「一顆明珠」なる語句は見い出されず。

古則の内容は次のようである。

「玄沙は上堂説法にて尽十方世界是一顆明珠を示した折りに、①僧が質問した、承れば和尚は十方世界是一顆明珠と云うが、雲水としてどのように会得すべきか。②玄沙が云うには、尽十方世界是一顆明珠を会得してどうするのか。③玄沙は翌日、逆に其の僧に問い質す、尽十方世界是一顆明珠を汝はどのように会得したか。④僧が云うには、尽十方世界一顆明珠は是れ一顆の明珠を会得してどうされるのですか。⑤玄沙が云うには、知る、汝は黒山鬼窟裏に向って活計を作す」

ここでの要点は②の玄沙「用会作麼」に対し④の僧「用会作麼」を『御抄』では「是れは只、師の前に云いし同じ詞を、口まねしたるように聞こえたり」(「曹洞宗全書」注解一・一九七上)と、僧の愚妄を指摘するが、これは僧が玄沙の謂わんとする趣旨を一晩かけて会得した。と考えたい。

また「黒山鬼窟」を普通は悪い喩えで捉えられるが、先述の如く経豪は「只尽十方界を黒山鬼窟と云う可き也」(「同書」同頁)と読み解くが、『永平広録』一〇七則著語に於いても「黒山鬼窟好功夫」と拈ぜられるものと同意されます。

「いま道取する尽十方世界是一顆明珠、始めて玄沙にあり。その宗旨は、尽十方世界は、広大にあらず微小にあらず、方円にあらず中正にあらず、活々にあらず露廻々にあらず。さらに、生死去来にあらざる故に生死去来なり。恁麼の故に、昔日曾此去にして、而今従此来なり。究辦するに、たれか片々なりと見徹するあらん、たれか兀々なりと撿挙するあらん」

これより古則に対する拈提であります。

まずは「尽十方世界是一顆明珠」の言句は玄沙が最初に発句したとする。「尽十方界」に関し『十方』巻に於いては長沙景岑(―868)「尽十方界、是沙門云々」についで、玄沙宗一(835―908)「尽十方界、是一顆明珠」を取り挙げるが、尽十方界のフレーズを云い出したのは長沙ではあるが、彼には法を嗣ぐ資が出ず法脈が途絶えたが、その流れは玄沙―羅漢桂琛(867―927)―安国慧球「尽十方界是真実人体」―法眼文益(885―958)―天台徳韶(891―972)「尽十方界是金剛眼睛」へとミーム(情報伝達)の形態として受け継がれたようである。

「尽十方世界」の定義として「広大・微小、方(四角)・円・中正、活鱍々(開放系)・露廻々(無限空間)」では収まり切れない。と言うもので、概念の領域外であるとの認識ですが、数理解析的問題であるポアンカレ予想を解いた結果によると、この宇宙(尽十方世界)は円形と定義されるようである。

次いで「生死去来にあらざる故に生死去来なり」の解釈は、一見すると論理破綻のような書きぶりですが、あらざる生死去来とは、尽十方世界に於ける概念としての生死去来であるが、後述の生死去来は全体スケールとして把捉した尽十方世界の表情・表態を謂わんとしたものである。このような言語形態は生死去来を観念化・固定化させない為に、敢えて逆説的表現を用いるのである。

「昔日曾去・而今来」は生死去来を今いちど道得化したもので、生死を昔今に去来はそのまま去来に置換させ、を明珠の本源と捉える文意であるが、この語言は道元の造語と考えられ、データベース検索機能を駆使してもヒットしない述語である。

「究辦(参究辦白)」してみると、尽十方世界とは片々(ひとつひとつ)として見徹(見通す)することでも、また兀々(大きな不動物)であると撿挙(取り挙げる)することでもない。との結語に導かれるわけですが、所謂は如何や作麽に含意される真実態は、これそれ(片々・兀々)といった特定事象ではなく、眼前現成する諸法を真実と見得しなさい。との究辦であります。

「尽十方と云うは、逐物為己、逐己為物の未休なり。情生智隔を隔と道取する、これ回頭換面なり、展事投機なり。逐己為物の故に未休なる尽十方なり。機先の道理なる故に機要の管得に余れる事あり」

さらに「尽十方」の究明が続く。

「逐物為己、逐己為物」とは物を逐って自己と為し、自己を逐って物と為す」であるが、この説明を酒井得元氏は、「自己と空気(酸素)の関係で述べられる。つまり外界の空気と自己とは別物ですが、一旦体内に酸素として取り込まれた時点で、自己と同一体する」謂う所は、尽十方とは自己という主体と切り離され、外界として存在する世界ではない、と「眼蔵会テープ」からは聴聞できます。尽十方とはその連続態(未休)ということです。

「情生智隔を隔と道取する」とは臨済義玄の云う「秖為情生智隔、想変体殊、所以輪回三界、受種種苦」(「大正蔵」四七・四九七下)を指し、通俗では人情が生ずれば智慧が隔絶される。と捉えられますが、眼蔵的解釈では「尽十方界」に於いては情や智の差別は有り得ず、隔てると思案するのも「尽十方界」の中での調度であることを、「回頭換面」つまり発想の転換を計りなさい。という意であり、ことばを換えていうならば弟子と師の一体境涯の表態として「展事投機」なり。と展開されます。

先ほどの常に活動し続ける尽十方の様態を展事(弟子)投機(師)と逐己(師)為物(弟子)に置き換え、「尽十方」をdynamic equilibrium(動的平衡)的視点から説かしめ、結語として「機先・機要」つまりハタラキ(機)以前の道理であるから、機の要点を得ようとしても、尽十方の片々・兀々とした事象・事物は特定できない。という文意となります。

「是一顆珠は、未だ名にあらざれども道得なり、これを名に認じ来たる事あり。一顆珠は、直須万年なり。亙古未了なるに亙今到来なり。身今あり、心今ありと云えども明珠なり。彼此の草木にあらず、乾坤の山河にあらず、明珠なり」

この一顆の明珠という云い様は、便宜的に名づけた詞の表現(道得)であり、認じられている。一顆珠とは永遠(万年)と直結した存在、つまり「一顆珠」=「尽十方」の等価を言う。

さらに「亙古未了・亙今到来」永劫の過去から現今に到るまでを「一顆珠」と指定されるが、これは先の「昔日曾此去・而今従此来」を捩った詞づかいのようです。

次いで「身今・心今」が明珠と義されますが、身心(身体)を称して小宇宙という云い方もあるように、細胞数にしても数十兆個もの独立した生命体が相互に連関・連動し、脳細胞と腸内細菌とは互いにコミュニケートするシグナルの本源も解明されつつある現況では、まさに尽十方(宇宙)と謂えよう。

最後の例言として「彼此の草木・乾坤の山河」という特定なものを指すのではなく、眼前する事象・事物みな共々が明珠としての尽十方の実態である。と四点を取り挙げて、「是一顆明珠」の著語とされます。

「学人如何会得。この道取は、たとい僧の弄業識に相似せりとも、大用現、是大軌則なり。進みて一尺水、一尺波を突兀ならしむべし。いわゆる一丈珠、一丈明なり」

これは僧の率直な問いのようではあるが、大用現前とした大きなハタラキが眼の前に出現した、是れが大きな軌則(ことば)である。と大いに褒められますが、これは雲門文偃(864―949)や圜悟克勤(1063―1135)あたりが「大用現前、不存軌則」の用例を援用されたもので、『坐禅箴』巻に於いても「いはゆる坐禅箴の箴は、大用現前なり」(「岩波文庫」㈠二四四)と重用されます。

大用現前・大軌則を云い換えるならば、「一尺水・一尺波」=「一丈珠・一丈明」も同等であるように、一尺であろうが一丈であろうが、大きなハタラキであり如何を表徴する言句である。というのである。

「いわゆるの道得を道取するに、玄沙の道は尽十方世界是一顆明珠、用会作麼なり。この道取は、仏は仏に嗣し、祖は祖に嗣し、玄沙は玄沙に嗣する道得なり。嗣せざらんと廻避せんに、廻避の処なかるべきにあらざれども、しばらく灼然廻避するも、道取生あるは現前の蓋時節なり」

修行者(学人)は、どのように(如何)理解を得(会得)るべきでしょうか。に対する玄沙の云い分は、尽十方界は一顆の明珠ではあるが、会得してどうするのか。とオウム返しに答えた形態のように承け取められるが、「用会作麼」の内には仏→仏・祖→祖・玄沙→玄沙に嗣すると云うようにと、あらゆる要素が包接される玄沙の言語表現であると説く文体です。

謂うなれば尽十方世界は仏ばかりで他者は居ないわけですから、仏を嫌い回避しようと試みても、所詮は、尽十方世界の外部には物理的に不可能なのであります。例えば138億光年先まで辿り着いたとしても、光速で膨張し続けている先には光速度以上で進まなければ超えられないように、一時的には(しばらく)灼然(はっきり)と回避したように錯覚しても、現前の事実は仏は仏に蓋われたあり方(時節)である。との拈語で、謂う所は如何会得・用会作麼そのものが尽十方世界であり、一顆明珠との見識です。

「玄沙来日問其僧、尽十方世界是一顆明珠、汝作麼生会。これは道取す、昨日説定法なる、今日二枚をかりて出気す。今日説不定法なり、推倒昨日点頭笑なり」

「汝作麼生会」の前には「用会作麼」と答話を提示することから、昨日は定法を説き(用会作麼)、今日は不定法を説く(作麼生会)と二枚の舌頭で以て説いているのであるが、謂うなれば昨日の点頭(うなづき)をひっくり返し(推倒)笑っているようなものである。と示されるが、昨日の今日も詞の綾模様であり、尽十方世界の中での笑いの範疇である。この語法は『聯灯会要』一では釈迦仏に外道が問い掛ける形で、「外道問、昨日説何法。云説定法。外道云、今日説何法。云説不定法。外道云、昨日説定法今日何故不定。云昨日定、今日不定」(「続蔵」七九・一五b九)と示され、『三十七品菩提分法』巻にては「不生といふは、昨日説定法今日説不定」(「岩波文庫」㈢二八一)と語釈されます。

「僧曰、尽十方世界是一顆明珠、用会作麼。云うべし、騎賊馬逐賊なり。古仏為汝説するには異類中行なり。しばらく廻光返照すべし、幾箇枚の用会作麼かある。試道するには、乳餅七枚、菜餅五枚なりと云えども、湘之南潭之北の教行なり」

ここでの僧の「用会作麼」は最初に玄沙が発する用会作麼と同語である為に、「騎賊馬逐賊」(賊の馬に騎って賊を逐う)と言うべしと僧と玄沙の力量の同等を説くもので、同じように南泉普願(748―834)による「今時の師僧は須く異類中に向かって行くべし」(「大正蔵」五一・二五七c一)を借用し、「古仏(南泉)が汝の為に説くには、異類中行なり」との言を添えられます。ここでの異類中行の位置づけは、尽十方世界に於いては異類も同類も同等を謂わんとするものです。

「廻光返照」とは、「道を他に求めるのではなく、自己の本性を照見し、本来の面目を明らめること」(『禅学大辞典』上巻・九五頁)で、本来面目にはどれほど(幾箇枚)の用会作麼としての真実があるだろうか。と問われるわけです。

例えば(試道)乳餅七枚や菜餅五枚を食べるという日常生活ではあるが、その日常底が湘潭(江西)の南北に広がる黄金の国土と云う教えであり、行ずる事である。との言ですが、出典は『如浄語録』浄慈寺に於ける嘉定十二年(1219)十月一日上堂での「斎時三枚乳餅七枚菜餅」(「大正蔵」四八・一二五a二二)、『永平広録』上堂一則での「湘南潭北黄金国」と考えられます。

「菜餅」の餅は小麦粉をこねて作り、野菜を刻み込んだものを菜餅と云うが、日本の食べ物で強いて云うなら、お好み焼きという程のものです。

「玄沙曰、知、汝向黒山鬼窟裏作活計。知るべし、日面月面は往古より未だ不換なり。日面は日面とともに共出す、月面は月面とともに共出する故に、若六月道正是時、不可道我姓熱なり」

謂わんとする要点は、「黒山鬼窟裏」=「日面月面」=「時」の不換性を尽十方世界を表標する一顆明珠に置換させる思考である。

「黒山」は普通、自我の殻に閉じ籠る例言として使用されるが、ここでは無量無辺として説かれ一顆明珠と同等性を与えます。太陽(日面)も月(月面)も入れ代わることはない為、無量無辺の範疇。

「若六月」の話は、薬山惟𠑊と地方長官で俗弟子である李翺との問答話であるが『五灯会元』五・薬山章では、「朗州刺史李問、師何姓。師曰、正是時。李不委、却問院主。某甲適来問和尚姓、和尚曰、正是時、未審姓甚麼。主曰、恁麼則姓韓也。師聞乃曰、得恁麼不識好悪、 若是夏時対他、便是姓熱」が原文ではあるが補足して説明すると、「薬山は仏法的立場から李翺に姓の本源を正に是の時と答えたが、李翺には理解できず、院主から薬山の姓を「韓」と知り得たことを承けて、薬山は韓(Han)と寒(han)を捩り、もし夏の熱い時節だったら、姓を熱としようか?」と、問い質す薬山惟𠑊の愚直なまでの「正是時」の実態を一顆明珠に連結したものです。

これにて古則に対する拈語は終らせ明珠の本源体に進みます。

    三 明珠の本源

しかあればすなはち、この明珠の有如無始は無端なり。盡十方世界一顆明珠なり、兩顆三顆といはず。全身これ一隻の正法眼なり、全身これ眞實體なり、全身これ一句なり、全身これ光明なり、全身これ全心なり。全身のとき、全身の罣礙なし。圓陀々地なり、轉轆々なり。明珠の功徳かくのごとく見成なるゆゑに、いまの見色聞聲の觀音彌勒あり、現身説法の古佛新佛あり。

正當恁麼時、あるいは虚空にかゝり、衣裏にかゝる、あるいは頷下にをさめ、髻中にをさむる、みな盡十方界一顆明珠なり。ころものうらにかゝるを様子とせり、おもてにかけんと道取することなかれ。髻中頷下にかゝれるを様子とせり、髻表頷表に弄せんと擬する事なかれ。醉酒の時節にたまをあたふる親友あり、親友にはかならずたまをあたふべし。たまをかけらるゝ時節、かならず醉酒するなり。既是恁麼は、盡十方界にてある一顆明珠なり。

しかあればすなはち、轉不轉のおもてをかへゆくににたれども、すなはち明珠なり。まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。明珠はかくのごとくきこゆる聲色あり。既得恁麼なるには、われは明珠にはあらじとたどらるゝは、たまにはあらじとうたがはざるべきなり。たどりうたがひ、取舎する作無作も、たゞしばらく小量の見なり、さらに小量に相似ならしむるのみなり。

愛せざらんや、明珠かくのごとくの彩光きはまりなきなり。彩々光光の片々條々は盡十方界の功徳なり。たれかこれを攙奪せん。行市に塼をなぐる人あらず、六道の因果に不落有落をわづらふことなかれ。不昧本來の頭正尾正なる、明珠は面目なり、明珠は眼睛なり。

しかあれども、われもなんぢも、いかなるかこれ明珠、いかなるかこれ明珠にあらざるとしらざる百思百不思は、明々の草料をむすびきたれども、玄沙の法道によりて、明珠なりける身心の様子をもきゝしり、あきらめつれば、心これわたくしにあらず、起滅をたれとしてか明珠なり、明珠にあらざると取舎にわづらはん。たとひたどりわづらふとも、明珠にあらぬにあらず、明珠にあらぬがありておこさせける行にも念にもにてはあらざれば、たゞまさに黒山鬼窟の進歩退歩、これ一顆明珠なるのみなり。

これより明珠を多元的方位から分析・解析されます。

「しかあれば則ち、この明珠の有如無始は無端なり。尽十方世界一顆明珠なり、両顆三顆と云わず。全身これ一隻の正法眼なり、全身これ真実体なり、全身これ一句なり、全身これ光明なり、全身これ全心なり。全身の時、全身の罣礙なし。円陀々地なり、転轆々なり。明珠の功徳かくの如く見成なる故に、今の見色聞声の観音弥勒あり、現身説法の古仏新仏あり」

「有如無始は無端なり」とは、「有の無始の如きは無端なり」と読み替えられますが、これは先ほどは黒山を無量無辺と位置づけたように、明珠の実体を「有如無始」として表現したものですが、初期の『永平広録』六十七則には「分明挙似諸人、直到古今不悟。無始有如端的、何労吾常親切」が示される。そこには一顆の明珠しか在りえず、尽十方世界二顆明珠とも三顆明珠とも謂わないのである。

次いで「一顆明珠」に対する概念化を避ける意味づけもあり、一顆明珠の別名として「一隻の正法眼・真実体・一句・光明・全心・円陀々地・転轆々」と形容したことに対し、今現在、物を見(見色)音を聞く(聞声)ところに、観音や弥勒の菩薩が現われているのであり、この我々自身が現今の身体で法を説く姿が「古仏・新仏」の現身説法である。と参学随喜する聴聞衆に語りかけるものと、読み解くものである。

「正当恁麼時、或いは虚空に掛かり、衣裏に掛かる、或いは頷下に収め、髻中に収むる、みな尽十方界一顆明珠なり。衣の裏に掛かるを様子とせり、表に掛けんと道取する事なかれ。髻中頷下に掛れるを様子とせり、髻表頷表に弄せんと擬する事なかれ。醉酒の時節に珠を与うる親友あり、親友には必ず珠を与うべし。珠を掛けらるる時節、必ず醉酒するなり。既是恁麼は、尽十方界にてある一顆明珠なり」

一顆明珠を別語での言い替えとして、如浄が説く「渾身似口掛虚空」(『虚空』巻)のように虚空に掛かり、『法華経』五百弟子品の如く「宝珠繋其衣裏」(「大正蔵」九・二九a七)とし、或いは『摩訶止観』一下での「驪龍頷下」(「大正蔵」四六・一一a一一)の珠、または『法華経』安楽行品での「珠久在髻中」の珠。(「大正蔵」九・三九a九)これらも一顆の明珠に包含されるものと指示されます。

珠の所在は衣の裏・髻の中・頷の下とする所に意味を見い出し得るものであり、一顆明珠の真実態は自身の内側に遍満するものであり、明珠と称して外側に弄する事の弊害は、大悟を目的とする学人等を意識しての言であろう歟。

「醉酒」の喩えは、「五百弟子品」(「大正蔵」九・二九a六)からの「有人至親友醉酒而臥」を下敷きにする事は、先の「宝珠衣裏」の引用からも明らかですが、宝珠と醉酒の例えは卑近に思えなくもないですが、インドなどでは簡便に果実酒などを製造し、安価に供する姿を日常的に観られる事情は、『法華経』成立時も変わらなかったのであろう。

つまり明珠・宝珠の類いは特別視するものではなく、眼前現成する日常底そのものである。との認識を、「尽十方界にてある一顆明珠なり」と、再三にわたり説明されるわけです。

「しかあれば則ち、転不転の面てを替え往くに似たれども、即ち明珠なり。まさに珠はかく在りけると知る、則ちこれ明珠なり。明珠はかくの如く聞こゆる声色あり。既得恁麼なるには、われは明珠には非じと辿らるるは、珠には非じと疑わざるべきなり。辿り疑い、取舎する作無作も、只しばらく小量の見なり、さらに小量に相似ならしむるのみなり」

明珠の様態を、「転・不転」と一定とした姿形は留めない、常に変化し続けるを「明珠」と位置づけます。これは我々の身体を例にとって見ても、血液中に酸素を運搬する赤血球は日々2000億もの細胞が作られているらしいが、それと同時に同数個の赤血球がアポトーシス自死)やオートファジー(自食)の作用で破壊されている状況は、明珠に於ける無常(anicca)を謂うものです。

「既得恁麼」とは既成事実との意に解されますから、「明珠」は概念でも観念でもない実際的事象ですから、それらに疑念や取捨や作無作と云う見解は小人である。と断定するが、穿った見方をすれば小人に価する人間とは公案を額に掛けて、苦渋問話する宗杲に連なる学人を謂うのであろうか。

「愛せざらんや、明珠かくの如くの彩光極まりなきなり。彩々光光の片々条々は尽十方界の功徳なり。誰かこれを攙奪せん。行市に塼を投ぐる人あらず、六道の因果に不落有落を煩う事なかれ。不昧本来の頭正尾正なる、明珠は面目なり、明珠は眼睛なり」

尽十方界の功徳を以て、明珠の輝き(彩光)の様態を「彩々・光光・片々・条々」と形容されますが、無辺際なる姿を謂わんとするものです。

「攙奪行市」を分解し、その明珠の功徳は誰も奪うことは出来ず、市場で塼を投げ捨てる人が居ないように、六道の因果に落ちる・落ちないなどを心配してはならない。

「明珠」の姿は、何ものにも昧まされない「頭正尾正」であり、明珠は学人の面目であり、明珠は仏道の眼睛なり。と明珠の本来義を提示されます。

「しかあれども、我も汝も、如何なるかこれ明珠、如何なるかこれ明珠に非ざると知らざる百思百不思は、明々の草料を結び来たれども、玄沙の法道によりて、明珠なりける身心の様子をも聞き知り、明らめつれば、心これ私しに非ず、起滅を誰としてか明珠なり、明珠に非ざると取舎に煩わん。たとい辿り煩うとも、明珠にあらぬに非ず、明珠にあらぬが有りて起こさせける行にも念にもにては非ざれば、只まさに黒山鬼窟の進歩退歩、これ一顆明珠なるのみなり」

「百思百不思」の資料は『宏智広録』三拈古二「挙臥輪云、臥輪有伎倆。能断百思想、対境心不起、菩提日日長。六祖聞、慧能無伎倆。百思想、対境心数起、菩提作麼長。師云、葵花向日、柳絮随風」(「大正蔵」四八・二七c一六)を思い出されて援用されたものと推察するが、結語として説かんとする至要は、だれでもが、あーでもない・こーでもないと百思や百不思を繰り返すものであるが、玄沙の法の導きにより、明珠の取捨選択に煩わされる心配もなくなった。われわれの行持は、無量無辺の黒山鬼窟の中での生活(進歩退歩)日常底が、一顆の明珠の真実実態という事である。

これにて「一顆明珠」の内側にての日常が保任され、声高に如何是明珠を絶叫せずとも済むと同時に、日々底の断続なき行持を行持することが、学人として必須の指針が提示されたわけである。

(終)

 

―仏歴2563年(2020)朝夕涼しきバンコク北郊にて 昼前 擱筆

                                  

 

※詮慧・経豪(最古註解書)―正法眼蔵第七 一顆明珠 註解(聞書・抄)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/01/07/000000_1

※酒井得元老師提唱録。音声は提唱の冒頭部分です。最初から最後まで提唱をお聞きになりたい方は以下のアドレスまでご連絡ください。喜んで資料提供致します。karnacitta5746@yahoo.co.jp

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/sakaitokugen

※水野弥穂子 未完の大著 (正法眼蔵) これは水野弥穂子氏(『正法眼蔵』㈣「岩波文庫」解説)校注本巻末に記されたものを抜書したものであるが、一部修訂した。

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/08/05/085933

※ダンマパダ(法句経)を読み解く    二谷正信

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2025/07/17/154119

※末木 文美士―禅の言葉は思想を表現しうるか

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2024/10/08/192302

井筒俊彦―禅における内部と外部―1973年度エラノス講演―

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2023/08/26/180839

※中世古 祥道―道元白山信仰ならびに吉峰・波著・禅師峰の関係について

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/08/01/145341

※入矢 義高―禅問答というもの

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/04/15/183840

※如浄録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/nyojou-goroku

※宝慶記

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/houkyouki

※永平広録

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/eiheikouroku

※修証義を考察する ―正法眼蔵から読み解くー二谷正信

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2021/06/24/091041

※吉峰寺に関する論考―二谷正信

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2021/01/26/145956

 

   ―2025年(タイ仏暦2568)2月7日 カンチャナブリ県クワイ河河畔にて 六八齢老漢 擱筆