正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

公案を通じての思考と非思考 井筒俊彦

公案を通じての思考と非思考

井筒俊彦

 

一 思考に対する不信

 

 これまで度々「公案」について言及して来たが、しかしその言葉の体系的な説明はまだ与えていなかった。公案とはどんな類のものなのか、そしてそれは如何に正しく扱われるべきかと云う正確な知識なしに、禅のリアリティは理解され得ないと云う観点から、私は本章で、公案の本質的構造と、禅の文脈でのよく知られた実際の使用について解明を試みようと思う。とりわけて扱う問題は、禅が伝統的に理解して来た瞑想と知的思考との間の関係に関してである。最初に断っておくと、「知的思考」と云う言葉は、ここでは思考力の活動あるいは論証的知性の弁別機能の意味で使われる。そう理解するなら、問題が提出されるや否や、答えー唯一の与えられるべき正しいと思われる答えーが、すぐに見つかるかのようである。と云うのも、実践的であれ理論的であれ、禅に関する何らかの知識を持つ者は皆、瞑想と知的思考と云う二つの用語が絶対に両立し難いものだと云う事に疑う事なく同意するからである。

 事実、禅は、心の中に絶えず生じて飛び回り、心の平静を乱すような乱雑な思考と観念の形態は言うまでもなく、知性主義、言語表現主義。概念主義の形態をすべて蔑視する。ただ、「師」すなわち、すでに達した者が、心的な空白と沈黙の状態に留まると云う訳ではない。全く逆である。彼らは、思考機能の完全な所有状態にあり、それを彼らは自由に自発的に行使するのである。換言すれば、彼らもまた、ある意味で、思考するのだ。しかしながら注意すべきは、彼らの思考は、私たちが日常的環境で親しんでいる物とは全く異なる意識の別のレベルで、完全に異なる形態で展開すると云う事である。問題のこの側面については後ほど扱う事にしたい。「弟子」すなわち、まだ悟りに達していない者に関しては、彼らは師から、思考する事を厳格に禁じられている。真剣に考えれば考えるほど最終的な「突破」を体験するのは絶望的になる、と彼らは教えられている。瞑想と云う禅の修行の最初の一歩は、弟子の心に深く根ざしている思考の、慣習的なパターンをすべて心から消し去る事である。

 従って、自我の固有領域において、十分に有効で確固たる物であろうデカルト的な「コギトcogito」は、禅の観点からすると、私たちを直接的に、人間実存のリアリティ覚知へと導く者からは遠く隔たっている。逆にコギトは、実存に関するあらゆる錯覚の根源そのものと考えられている。コギトは、私たちを本当にあるがままのリアリティの、直接無媒介的把握から遠くへ導く障礙なのである。

 

 一般的に、理性的推論あるいは思考への、根深く根絶不可能な不信が禅には内在している。禅は疑惑の眼を以て哲学を見、哲学を知性の弁別機能の典型的な例と見做す。知的思考に対するこの否定的態度は、禅にとって問題となるものが、第一に、あるいは専ら、初源的な非差異状態にあるリアリティの直接体験なのだと云う事によって、容易に説明できるように思われる。それは、禅の術語では、しばしば「両親が生まれる以前の自分の本来の<顔>」〈父母未生以前本来の面目〉と呼ばれている。「本来の<顔>」の純粋性は、論証的知性の差異化し弁別する活動によって穢されている。それゆえ、あらゆる種類の抽象的・理論的思考を生来的に嫌うのである。

 さらには、抽象的思考、とりわけ哲学に対する禅の不信には、歴史的な基礎がある。歴史的に禅は、インドと中国で発展してきた大乗哲学の膨大な体系に対する、激しい反動として中国で起こったものである。その大乗哲学の膨大な体系において、仏教思想家たちは極めて複雑で、亦しばしば些末な抽象的議論に没頭していたのであった。それらの議論を単純に論証的知性の無駄な足手まといに他ならないと見做す禅は、哲学的思考の巨大な諸体系を閉め出すこと、そして仏教を、最も単純で、最も根源的な形態、謂わば、禅の観点では、歴史的な仏陀自身の根本的・個人的体験であるものへと引き戻そうとする事によって始まった。この態度は、時代を通じて完全な形で保たれて来たし、反知性主義は常に、中国であっても日本であっても、すべての禅の教えの核心であり続けてきた。

 禅者は、仏教のあらゆる歴史的形態を、仏陀自身の悟り体験へと還元し、その元来の形態において再体験し、知性の限界を越えた処にある、魂の領域における精神的、生の深みに垂直に降下する事を目指す。禅者が修行において、また原則的に、禅の教えの中心部分の理解において、如何なる知性の使用にも反対しなければならない事は、ごく当然のことであろう。『法華経』には、次のような一節がある。「この(ダルマDharma〈法〉)は、思考と知性の行使を通じて理解されるべきではない」。禅者にとって、これはまだ控え目な表現である。より積極的に、方法的・体系的に、一切の知的思考が排除されなければならない。如何に微細な形であろうとも、知性が活動しているままである限り、仏陀本来の悟り体験を、再体験する事は決して望めないのである。それ以外で有り得ないことは、禅が仏陀本来の体験と見做すものとは、第一に、超意識の次元への覚醒、あるいは知性の弁別活動を通じて、多様な事物・事象へ分節される事に先立つ、純粋な「ありのまま」での〈存在〉の存在論的覚知である事から明らかだ。

 

 事実、中国で禅が興って以来、禅師たちは皆、絶え間なく、思考の徹底的な放棄を、弟子たちに要求してきた。絶対に考えるな! 何も理解しようとしてはならない。理解されるべきものは何もないのだ。思考する代わりに、それでは弟子たちは、悟りに達する為に何をすべきなのか。内面的な集中力の全体を、絶えず押し寄せる思考の波に対して戦う事に、そして最終的には、すべてのイメージ、観念、概念を自分の意識から消し去る事に、集中させなければならない。ただその時にのみ、心の最深底において開かれた、魂の全面的に新しい領域に立ち会う事が出来るにだ、と弟子は言いつけられる。

 半ば伝説的な中国禅の初祖、菩提達磨は、中国の後継者である慧可(487―593)に、絶対的な〈リアリティ〉の領域(道)に入るには、どうしたら良いのかと尋ねられた時、次のように述べたと言われている。

 

 外に諸縁を息(や)み

 内心に喘ぐこと無く

 心牆壁の如くして 

 以て道に入る可し

  (外界における動揺はもはやなく、

   内面的に心の動揺はもはやなく、

   心が直立した壁のようになるとき、

   ただその時のみ、〈リアリティ〉の領域に入ることができる。)

 

 これは、瞑想修行への強い勧告に他ならない。菩提達磨はここで彼の将来の後継者に、心が直立した岩壁のように転成した、動ずる事のない瞑想を通じての、魂の修行の絶対的な必要性を力説している。

 因みに菩提達磨は、伝説によると、湖南地方の少林寺に隠居して、洞窟の中で、高い岩壁に向かい合って坐り、九年間続けて瞑想したと云う。それはともかく、禅が、最初からまた常に、瞑想に基づく、そして瞑想以外のものでないような一宗教―もしそのようなものを「宗教」と名づけるならーであり続けた事は明らかである。禅における瞑想修行は、坐禅と呼ばれるものであり、それはすなわち、ディヤーナdhyana〔禅定〕あるいは瞑想の状態で坐ることである。より具体的には、坐禅とは、心の深い一点集中状態で、蓮華坐もしくは半蓮華坐で坐る事を意味する。

 一言加えれば、瞑想そのものは、少なくともある程度、ほとんどの宗教において観察され得る共通の現象である。また、仏教の宗派で瞑想修行を免ずるものは一つもない。だが、仏教の禅宗を特徴づけるのは、その歴史的起源と基礎的構造との両者において、全面的に瞑想に基づく宗教であるということである。菩提達磨の言葉に私たちが丁度見たように、禅者の第一の、あるいは唯一のとも言える関心とは、「絶対的な<リアリティ>の領域に入る」ことであり、、そして絶対的な<リアリティ>の領域に入る事は、瞑想状態で坐る事を通じてのみ現成可能なのである。禅の観点から見れば、私たちは一歩先に進んで、瞑想状態で坐る事が絶対的な<リアリティ>の領域に入ることであると言わなければならない。この意味は後ほど、十三世紀の創始者道元に代表される日本の曹洞禅の立場を論議する際に明確になるだろう。そうすると問題は、インドのヨーガの多様な体系から禅を区別するものは一体何なのか、と云う点におのずからなって来るだろう。この事は、中国と日本における歴史過程で発展して来た禅の瞑想テクニックの特徴について後に説明する際に明らかになるだろう。今しばらくは、禅の反知性主義的側面への注目に専念して見よう。

 

   二 論証的思考の排除

 

 興味深いことに、禅者たち自身が何らかの「哲学」として、禅を理解する事を嫌うにも拘らず、禅の、この反知性主義の背景には、明確に描かれた哲学がある。いずれにせよ、それは、形而上学的で心理学的な基礎的観念であり、また語の通常の理解での「哲学」ではないにも拘らず、形而上学深層心理学の巨大なスケールの体系へと発展し、作り上げられ得るような基礎的観念である。この基礎的な観念あるいはヴィジョンは、これから見るように、禅の修行と思想の構造全体の根底にあるのだが、それは初祖菩提達磨に帰せられる有名な詩句の中で最初期の明確な公式が与えられている。また菩提達磨は、この句において、中国における禅宗の基礎の最初の宣言をしたと言われている。その詩句の後半は次の通りである。

 

  直指人心 (直接の<心>を指し示す。

  見性成仏 己の<性>に見入ることで<仏性>に達する。)

 

 この二行が示す考えは次の通りである。すなわち、人間各々の実存的深みには、術語的に<性(しょう)>―<仏性>とも呼ばれるーとして知られているヌーメノンnoumenon<叡智によって知られるもの>が隠されたままになって居り、その突然の実現こそが、仏性に達すること、つまり、悟りあるいは仏教的意味での覚醒に他ならないと云うことである。<性>は、あらゆる現象の究極的土台としてのヌーメノンである。それは、<存在>そのものの形而上学的深奥であり、一切事物の<一性Unity>である。ここでの「一性Unity」という語は、多数の事物を一つの場所に「統一する」という意味ではなく、初源的な無差異、すなわち自我存在者と客体世界とへ二分される以前の一切事物の形而上学的<基礎>―「両親が生れる以前の自分の本来の<顔>」―という意味である。

 このような場合に、私たちが、各々の実存的深みに隠れたままでいる<性>を語ることが出来るのではない。それは、<存在>世界全体に浸透し行き渡っている。それは、超個体的なのだ。しかし、このヌーメノンについて興味深いことは、ただ具体的な個別の事物においてしか「実在exist」(あるいは「出=在ex-ist」)出来ないと云うことであり、具体的な個人の意識においてしか実現され得ないものであると云うことである。個人各々は、この意味で二重人格者である。人は同時に、個人であり、超個人である。すなわち、狭い個人的な境界を無限に乗り越えていく宇宙的な実在エネルギーが集中する個的な一点として、人は実在しているのである。しかしながら、通常、人はこの事に気づかない。つまり、今ここでの彼自身の肉体の中の超個人的なヌーメノンについての覚知は彼の内にはないのである。この実現は思考によって妨害されているのだ。ほんのわずかな論証的知性の活動でさえも、初源の<非差異体>の直接無媒介的把握を全く不可能なものにしてしまう。と云うのも、論証的知性が機能し出す瞬間に、<非差異体>は必然的に差異化されてしまうからだ。ヌーメノンは、現象に転じる。「私」つまり経験的自我は、外界に対立して立っている分離した存在者としての「私」の意識になり、「私」と「非私」の結果的な二元論が割り込んできて、根源的な無差異を汚染するのである。

 

 思考を経ることで、根源的な無差異から差異化へと微(かす)かに移行するその様をよりよく描いているものは、『臨済録』の有名な一段をおいて他にない。唐の傑出した禅師、臨済(―866)は、その中で「無位の真人」と呼ぶものを描写している。「無位」―それは謂わば、境界設定が無い事である。これは、菩提達磨が<性>と<心>として、上に引用した句で示したものに対する典型的な中国的表現である。興味深いことに、菩提達磨の句に於ては抽象的観念の形態で現われたものを、臨済は生気漲る実に生き生きした人間の形で提示している。つまり、経験的自我に限定されるのではなく、経験的自我の中で、経験的自我を通じて己を顕現させる<真人>として提示しているのである。その段落は次の通りである。

 

 上堂して言った、「この肉体には無位の真人がいて、常にお前たちの顔から出入りして居る。まだこれを見届けて居ない者は、見ろ、見ろ」。その時、一人の僧が進み出て問うた、「その無位の真人とは、一体何者ですか」。師は席を下りて、僧の胸倉を掴んで言った、「さっさと言え!言え!」僧はもたついた。師は僧を突き飛ばし、「何と見事なカチカチの糞の棒だ!」と云うと、そのまま居間に帰った。<上堂云。赤肉団上有一無位真人。常従汝等諸人面門出入。未証拠者看看。時有僧出問。如何是無位真人。師下禅床把住云。道道。其僧擬議。師托開云。無位真人是什麼乾屎橛。便帰方丈>(「大正蔵」四七・四九六c一二)

 

 一瞬、僧は縮み上がるか躊躇した。彼は師の暴力的な促しに対し、適切な答えをする為に、一瞬自省した。これが論証的思考が活動した瞬間だったのだ。その瞬間に、無位の<真人>は使い物にならない乾屎橛に変ってしまった事に注目すべきである。

 

 如何なる形態で現れようとも、理性的推論あるいは思考は常に、何かの意識となる「私」(自我存在者)を含んでいる。それは、「・・の意識」の基礎構造の内にある。考える自我と考えられる対象とは互いに分離している。両者は、相対して立っている。「・・の意識」は二元論である。だが、何よりも禅が関わっているものは、「・・の意識」ではなくして、純粋で単純な「意識」の現成である。言語形態では似ているものの、「純粋で単純な意識」と「・・の意識」とは別物の世界である。前者は、考える主体がなく、また考えられる対象がない、絶対的・形而上学的<覚知>である。それは私たちの「外界」についての覚知ではない。むしろそれは、私たちの中で、私たちを通じて己を覚知するようになる<存在>世界全体である。そして、菩提達磨が<心>や<性>の語でもって、また臨済が無位の<真人>という特異な表現で言及しているのは、この<存在>の形而上学的覚知についてなのである。ここで問われている形而上学的な状態は、純粋な主体性として解釈されるかも知れない。それはまた、純粋な客体性としても解釈され得る。実の所、それは主体性と客体性両者の上に、両者を越えてある。しかしその形而上学的状態は、絶対的な<主体>の形態と現象的事物の形態とに於いて、如何なる瞬間にも、それ自身を実現しようとしている状態である。何故禅がすべての思考形態」を、悟りへの到達に対する致命的な障碍と見なすかも、今やまさに納得できることだろう。論証的思考は、なんとしても抑制されなければならない。悟りの考えを頭の中に抱くことでさえも、修行に於いては恐ろしい障碍として働く。大慧(1089―1163)は『書簡』の中で、次のように記している。「もし悟りに達しようとほんのわずかの努力でもしようとするなら、悟りに達することは決して出来ないだろう。そのような努力は、無限の空間を自分の手で摑もうとすることに比せられる。全くの時間の無駄だ!」

 十七世紀日本の有名な禅者、鈴木正三(1579―1655)は、仏性への到達について尋ねられて、次のように述べている。

 

  仏性への到達は、まさに「空になること」を意味している。「私」「他者」「真理」「仏陀」の一点もない、(無差異の)初源的な状態へと帰ることを意味している。すべてを突き放し、すべてから手を洗い。自分のために、自由の無限空間を作り出すことを意味している。自分の心の内に何か残っている間は、それが悟りについての考えであっても、このことは現成できないものだ。

 

 この種の、心を空にするということは、達成するには容易な仕事ではない。なぜなら、そ

れは単に思考が起こることを抑制すると云う問題ではないからだ。思考が起こることを阻

止しようと意識的に努めることは、それ自体が一つの思考なのだ。妄念を喚起することを控

えようとする考えそのものもまた妄念なのである。もう一人、日本の禅者、盤珪(1622

―1693)は、この点を次のように説明している。

 

もし、<不生>の状態へと達しようと欲して、怒り、憤り、後悔、渇望などが起こる

のを控えようとするなら、それらの感情を控えようとするその意図が、元の一つの心を二つの心に変えてしまう。それは、同じ速さで走っている他の人を追いかけるようなものだ。意識的に粗野な思考を起こすことを控えようと努め続ける限り、その思考は止むことはない。なぜなら、思考を起こす事とそれを止めるべきだと云う思考とが、際限なく、互いに対する絶望的な戦いに加わるからである。・・・あなたが為すべき唯一重要なことは、二つの心に分離されようとする事から、一つの心を保つことである。

 

 思考と観念のこのような徹底した除去が成し遂げられるのは、ただ厳格で方法的な心の訓練を通じてのみである事は明らかだろ。と云うのも、要求されているのは、すべての雑念から心を純化ざせる事だけではなく、 その心それ自身の為に、心を純化させる事でもあるからだ。心は、もし訓練されないままならば、そのような方向に向かうことは望めない。そのような心の純化を遂行する為の最も効果的な方法として、禅は、歴史的な発展において、二つの異なる瞑想修行を案出して来た。その一つは、曹洞宗独自の瞑想方法。「黙照」であり、もう一つは、臨在宗独自の公案修行である。だが、これら二つの坐禅形態の内的構造を考察する前に、私たちはもう少し、禅における心的純化の積極的側面に関する議論に時間を費やさなければならない。と云うのも、ここで問題にされている修行方法は、実際には、静寂な無活動と云う純粋に消極的な状態、あるいは意識の全面的空白の誘発を修行において目指すことからは、かけ離れているからだ。全く逆に、第一にそれが目指すものは、充実した心の養成、覚知のダイナミックな強化であり、それは、心を緊張と集中の状態に保つことを許すーあるいは強いるーものなのである。このように、禅の瞑想修行の明確に積極的な側面は存在する。そして、このことの理解が、禅の理解における最重要点へと私たちを直ちに至らせるのである。

 

   三 非思考的思考

 

 これまで私たちは、専ら禅の否定的側面、取り分け知性に対する禅の否定的態度に注目してきた。この否定は、不動の事実である。反知性主義が禅の修行と、禅の思考との最も顕著な特徴の一つである事は否めない。

 だが、論証的思考の除去(それ自身で、ある消極的な状態、すなわち意識の全面的な停止を導き得る)は、禅の瞑想の実践的修行において計画されたものであって、そのため、それは心を意図的に一点集中させる漸次的な心の統一化のプロセスと同調していなければならない、と云う事を私たちは忘れてはならない。そして、この後者のプロセスは、純粋に否定的な意味での「心なし」の代わりに、「充実した心¥のみを導き得る。瞑想訓練の間、心をはっきりとした覚知の状態に保ち、そうする事によって、ダイナミックな集中力が結集されなければならない。そしてこの事実は、心理的な静寂の状態で坐り、生起するすべての思考とイメージから心を空にして、漸次的に無心の空白状態に、下降して行くことを学ぶと云った受動的内省のテクニック(西洋での「静寂の祈り」の例)と、坐禅とを区別する。瞑想の、こ          の二つのテクニックの違いは、私たちが禅の伝統的な公案修行に含まれる「生死の    戦い」と呼ばれるものを 観察するだけで、眼に飛び込んでくるものである。すべての公案は、弟子の心を著しく敏捷で活動的に保つために、見事に案出されている。与えられた公案に取り組んでいる間、弟子は思考の欠けた放心状態のままで、明らかな落ち着きの内に穏やかに安心して安らぐ事を必ずや阻止される。もしそのような落ち着きを体験するなら、さらに自分自身を引き締め、心そのものの、そのような落ち着きの状態を突破しなければならない。

 禅は否定的な性質の言葉と表現との使用を好む。禅的思考のキータームの多くは、「無」「居」「空」「無心」「最初から何もない」と云ったように、事実、言語的には否定的なものである。これらの否定的表現からは、心理学的に捉えるなら、もし無感動や麻痺でないならトランスや無意識と云ったものを連想しがちである。しかしながら、そのように心を受動的に非活動化することは、禅が達しようとするものとは正反対のものなのである。無心が意味するものは、心が機能停止した純粋に否定的な状態ではない。上で指摘したように、無心とは充実した心である。それは、充実した心の極限へと達すべきある特異状態、心の異常なほど強められた活動によってもたらされる見かけ上の無活動状態なのである。逆説的に聞えるかも知れないが、思考の完全な停止が、≪思考≫を活動させるのだと言ってもいいだろう。すなわち、イメージと概念のレベルでの思考の停止が、心の潜在領域において別種の「思考」を活動させているのである。この意味で禅的瞑想は、明らかに叡智的noetic性質のものである。禅的瞑想は、活動的な覚知、すなわち意識の超概念的次元における<存在>の形而上学的知識へと達する為の特異なタイプの「思考」(あるいは≪思考≫)を伴っていると云う点で、叡智的特性を持っているのである。

 禅のよく知られた反知性主義の文脈の只中にあって、ある種の特別な思考について語り得る可能性があるということは、非常に重要で興味深いことである。ただ確実に、それは普通に思考として理解されるものでは無いyぷな特異な性格のものである。と云うのも、「思考」はー少なくとも西洋のデカルト的伝統においてはー、明晰で判明な諸観念の意識的操作であるからだ。

 

 ここで、≪思考≫の内的構造に眼を転じてみよう。まず、≪思考≫として指示されているものが、私たちの新しく発明した概念ではないのだと云う事実に注意を払いたい。それは逆に、禅仏教の歴史において十分確立された概念なのである。ただここでも禅は、「不思量not-thinking」あるいは「思考thinking」の代わりに「非思考a- thinking」という否定的な表現を好んで用いてきたのではあるが。この問題に関する標準的典拠は、唐代の傑出した禅僧薬山(745―828)と訪問僧との間の有名な問答である。

 

 一度、薬山禅師は、深い瞑想状態のい坐していた。その時、ある僧がやって来て尋ねた、「岩のようにじっと坐って、あなたは何を思考しているのですか?

 師は答えた、「絶対に思考できないもの(不思量)、『思考されない』ものを思考している。

 僧「絶対的に思考できないものをどうして思考できるのか?」

 師「非思考的思考(非思量)、『思考ではない思考』によってだ」。

 

 この問答を評して道元は、この薬山の場合、僧が考えたような「思考」と「絶対的に思考できないもの」との間の矛盾は何もないと考察している。と云うのも、道元が言うには、ここでの「思考」は、観念と概念の通常の思考ではなく、深い思考、「リアリティの精髄へと下降する深い思考」を意味するからだ。同様に、ここで問題にされている「思考できない」ものは、思考の把握を逃れる、通常の心的対象としては受け取れないものである。それは寧ろ、リアリティの精髄に属する「思考できない」ものなのである。そのような意味で思考出来ないものについて考える深い思考は、考える主体が考えられる客体としての何ものかを考え、主体と客体の両者が、意識の同一レベルに留まっているような思考の、通常のパターンとは決して同じではない。この意味での深い思考は、思考ではない。それは「非思考」であるのだ。それは、思考ではない思考であると言っても良いだろう。なぜなら、対象としての何かについて思考する行為ではないからだ。

 通常の形では、私たちの思考は、考えられるべき客体なしには機能することが出来ない。この意味で心は、空虚の中では働き得ない。思考は常に、「・・についての」思考、「・・に関する」思考である。それは何か手放さずに置くものを必要とする。さきほど引用した問答においても、薬山の最初の言明は、言葉の上では、「・・に関する」思考として≪思考≫を提示している。それは、恰も思考が方向づけられている、ある明確な対象を有する通常の思考パターンを、彼が意図しているかのようである。しかしながら、その「対象」は、考えられないものと云う性質を持ってしまうので、この場合の思考は、明確に限定づけられた対象の無いまま宙に浮いてしまう。薬山の理解している≪思考≫は、対象なしの思考である。

 しかし、対象なしの思考は、同時に主体なし、すなわち考える主体なしの思考である。絶対的な「対象」なしの思考は、禅に従うなら、考える主体の中に、「主体」意識すなわち自我意識が留まる限り、現成不可能なものである。≪思考≫は対象なしであり、主体なしであり、それはまさに薬山が「非思量」という術語で、すなわち「思考ではない思考」で意味したものなのである。

 ただここで非常に重要なことは、禅の観点からすると、「対象と主体のない≪思考≫」とは、対象と主体双方の意識が除去された思考活動を意味するする訳ではないと云うことだ。そのような場合には、≪思考≫は単に特殊な心理学的事態になってしまうだろう。むしろ禅が意図するのは、<存在>そのもの、あるいは純粋な<実在Existence>がそれ自身を主体と客体、知りものと知られるものーあるいは「私」と世界とも言い得るだろうーに分ける以前の、当の<存在>そのもの、あるいは純粋な<実在>のダイナミックな形而上学的覚知である。この点は、もう一つの同じく有名な問答の中で最もよく示されている。そこでは禅師が、どうしたら悟りに達する事が出来るかと尋ねた弟子の一人に答えている。「悟りには達せられるものである」と彼は言う、「ただ<無>を見ることによって」と。

 

 弟子は師に問い続ける、「あなたは無と言いました。しかし、それはすでに見られる『何か』(すなわち考えられる対象)ではないですか?」

 師「そこには確かに『見る』ことはある。しかし、その対象は『何か』を構成しないのだ!」

 弟子「もしそれが『何か』を構成しないなら、『見る』こととは何なのですか?」

 師「絶対的に対象がないところを見ること、それが本当の『見る』ことだ」。

 

 この言及は、サマーディsamadhi(三昧)の見かけ上の無思考に関するものである。意識の表面では、もはや動いている思想ではない。なぜなら、二分化する知性は完全に機能停止しているからだ。しかし、そのような状態の心はもはや、語の通常の意味での「心」ではない。それはむしろ、「対象がない処を見る」―それに私たちは「主体のない処」を付け加えなければならないーと此処で呼んでいる照明された<覚知>として、己を自発的に開現させる<存在>の充溢である。「主体も対象もない処」とは、絶対的な「空」に他ならない。しかし、注意すべき重要な点は、ここで問題となる「空」が、意識において何も存在しないと云う心理状態なのではないと云うことだ。それは寧ろ、空の形而上学的状態であり、主体的にも客体的にも一定の事物に限定されないのであるから、その状態は当に<存在>の充溢なのである。

 従って、禅における瞑想修行の最重要点をなす≪思考≫(あるいは、思考の非思考形態)は、いわゆる無意識の潜在領域さえ越えた、己の実存的深みへと直に跳び入ることに存する。しかし、そうする事によって、人はもはや自分の存在の深みを突き止めるのではない。実際には、意識の経験的平面を過ぎゆくイメージと概念の流れによっては、永遠に触れられないままでいる<存在>そのものの、形而上学的基礎の深みを探る当てているのである。ここで現成しているのは、我と汝I-and-Thouでも、私とそれI-and-itでもない。と云うのも、そこには主体的存在者としての私も、客体的存在者としての汝やそれも、もはや存在していないからだ。そこに留まって居るのは只の≪存在IS≫、自ら光輝く「is」であり、それこそ正しく≪思考≫なのである。

 

   四 曹洞禅と臨済

 

 禅史の初期段階においては、その最初期から瞑想そのものは常に実践されて来たものの、そこには瞑想修行の体系的方法はなかった。唐代末期まで、禅者は各人、自分独自の方法で訓練した。しかし、前節で説明したように、歴史の流れの中で、弟子志望者が≪思考≫あるいは非思考である思考を自身の内で活動させる事を手助けする為の特別な訓練方法が案出された。その訓練方法は、「坐禅ののみ」(只管打坐)の方法と公案という方法として、それぞれ知られる二つの主な種類からなる。前者は、曹洞宗を特徴づけ、後者は臨済宗を特徴づける。禅は、中国で当時栄えたライバル同士の二宗派のルートを通じて、鎌倉時代(十二―十三世紀)に中国から日本に紹介され、両宗派はそれぞれ異なる精神修行の方法を提供した。この二宗派は日本において今日まで存続しており、そして二つの訓練方法はいまだに数千の場所で実践されている。

 

 日本で道元(1200―1253)が創始した曹洞宗は、中国の唐代の二人の偉大な師、洞山良价(807―869)と彼を引き継いだ弟子、曹山本寂(840―901)にまで遡る。「黙照禅」という名のもとにこの宗派は知られるようになったがこの普及した名称が明確に示しているように、曹洞宗は何よりもまず瞑想状態で坐ることの重要性を強調する。悟りは、弟子の全面的な参与とその全人格の転成を通じてのみ、達成できると云うのがその基礎的考えである。悟達は、突然起こるものでは有り得ないし、そうあるべきではない。それは、精神的成熟の漸次的プロセスでなければならない。瞑想状態で長期間坐る事によってのみ、人格の全面的な転成は遂行されうる。そのような落ち着いた心の照明〔黙照〕の漸次的プロセスの最後に、またその結果として、<自己>の本当の性質すなわち<存在>の本当の性質が実現され得る。このような立場の為、「頓悟」の宗派として知られる臨済宗とは対照的に、曹洞宗は「漸悟」の宗派として知られている。

 臨済宗は、その名称が示すように、殴打と叫びの使用を通じて弟子を訓練する暴力的方法で知られる唐代の有名な禅師、臨済義玄(?―867)にまで遡る。しかし現在、その特徴的な公案訓練によって私たちが知っている臨済禅は、むしろ宋代のこの宗派の傑出した師、大慧に遡るものである。彼は代表的な公案を集成し編纂して、それらを訓練過程において体系的な方法で使用できるようにした。栄西(1141―1215)によって日本に紹介された臨済禅は、この独特な形態のものであった。

 臨済宗は、曹洞宗の「漸悟」と対照的に、「頓悟」を主張する。曹洞宗が静的ならば、臨済宗は本質的に勢いよく動的である。臨済宗は、何にもまして行動とダイナミズムを強調し、平穏な瞑想状態で坐ることを拒絶し批難する。瞑想修行をすっかり拒絶すると云うのではない。全く逆である。しかし、弟子を訓練する為の実践は、静的瞑想の「黙照」の類ではない。臨済宗の観点からすると、ただ全てのイメージと思考を空にした心で、落ち着いて穏やかに坐っていることは、空虚という「悪魔の陥穽に陥ること」に他ならない。

 曹洞宗の静的瞑想に対して、臨済禅は動的な瞑想、すなわち瞑想中に、活発で動的な心の活動を観察する独特なタイプの瞑想を主張する。公案は、この独特な目的の為に用いられる。弟子は、師から与えられた公案を、瞑想を通じて解決するよう厳格に命じられる。彼は瞑想状態で坐っている間、「身心ともに」その問題に取りかかるよう命じられる。当然、瞑想はある種の精神的な戦場となる。公案は、「疑念の鉄球」〔疑団〕へと成長し、弟子の心的資質をすべて消耗させる。不意に、疑念の球は粉々に砕け、<性Self-nature>が実現される。このように臨済宗の場合、悟りは漸次的・段階的には到来し得ず、ただ不意突然の精神的出来事としてのみ到来し得るのだと考える。

 

 ここで私たちは、曹洞宗臨済宗によって考え出された瞑想修行の内的構造の一層詳細な考察に向かおう。まずは曹洞宗の立場から扱っていきたい。

 上に記したように、瞑想に関する曹洞宗の立場は、一般的に「坐禅のみ」〔只管打坐〕あるいは「黙照」として知られている。青原行思(?―740)にまで歴史的に遡及できる曹洞宗の立場は、著しく静寂主義に彩られている。それは「<心>の根源的純粋性」の落ち着いた静寂な観想の重要性を強調する。この立場は、意識が「表層レベル」と「深層レベル」から成る、大まかに二層構造のものである、という基本的な理論的仮定の上に立っている。ただこれは比喩的な言い方にしか過ぎず、禅に忠実な見解では、意識の中に区別されるべき実際の「階層」など、無いのだと云うことは言うまでもない。禅の理解する所の意識は、何らかの構造を有する存在者ではないのである。だが、実際的な説明の為には、二層構造理論はとても都合が良いのである。「表層レベル」が意味するものは、止むことのない動揺によって特徴づけられた、私たちの通常の目覚めている意識である。その動揺は、イメージ、観念、思考形態の制御不能な増殖によって、とりわけ外界の対象の後を追って、決して止むことのない論証的思考の活動によってもたらされる。「深層レベル」は、「表層レベル」で観察され得る止むことのない動揺にも関らず、平穏で乱されないままに留まっている同じ意識を指し示す。禅は好んでこの意識構造を、表層では波が揺れ動いているが、深層には永遠に平穏な領域がある、海のイメージによって表象する。

 そのようなイメージを念頭に置くなら、曹洞宗が理解する坐禅の第一の目的が、心的エネルギーの全てを統一の強烈な集中状態に運び、そのことで、今や完全に一点に集中したが、通常の状態では不可視に留まり、思考形態の「波」の下に沈んでいる「深層レベル」を、直に目撃する事なのだと理解する事は容易であろう。

坐禅のみ」〔只管打坐〕タイプの瞑想は、肉体的には、結跏趺坐あるいは半跏の姿勢で脚を組み、背筋をまっすぐ立て、リズミカルに腹の底から規則的に息を出し入れし、「岩のようにじっと不動のまま」、しっかり落ち着いて坐ることが基本である。

 

 このようにしっかり据え置いた体で、人は、内面的な一点集中、油断なく注意深いままに保たれた心を強化し続けなければならない。しかし奇妙なことに、この一点に集中した意識は、焦点を合わせるべき明確なものを何も持つべきではないのである。つまり、集中の具体的対象が、実際には何も用意されていないのだ。頼るべき物を何も持たず、心は謂わば空虚に取り残されている。その集中は、臨済宗タイプの坐禅に於いてあるような、公案の解決へ向けて全ての注意を傾ける事に支えられるべきものではない。あるいは、何らかの形やパターンの持続的な映像化や、心眼の前に何らかの明確な考えを抱く行為によっても支えられていない。息を数えたり、出る息、入る息を追うような最も基本のヨーガのテクニックにさえも依存することはない。ただ高度な集中の状態のみが持続されるべきであり、心は謂わば、より深くに沈み、思考と概念の領域を越え、それから幻影visionsの潜在領域を越えて、<存在>の純粋に一点集中された覚知に入るまで深く沈んでいくのである。

 そのようなことが要するに、曹洞宗の、「坐禅のみ」の宗派の瞑想修行の根底にある基本的考えである。そして、そのような坐禅の理解は、道元の見解に於いて頂点に達した。彼は、日本の曹洞禅の創始者であり、瞑想状態で坐ることに於いて、<仏性>そのものの現成、つまり<存在>の本来的に非差異的な一性を見たのである。道元にとって坐禅は、悟りに達する為に、人工的に案出されたテクニックではない。事実、道元によって確立された禅の最高度の原則とは、悟りと修行とは丁度一つであり同じものだ、と云うものである〔修証一等〕。瞑想状態で坐ることで、気づいているか否かに拘らず、人は悟っているのである。と云うのも、そのような状態で坐ることは、単に肉体的な姿勢ではないからである。寧ろそれは、最高度にある実存的充溢の最も澄んだ覚知なのである。「彼〔悟った人〕は坐る事そのものである。そして「彼」は<存在>の覚知である。「彼」は普遍的な<生>の生きた結晶点なのである。道元は述べる。

 

  坐禅はただ落ち着いて坐ることにある。それは何かを求める為の手段ではない。坐る事そのものが悟りなのだ。もし、普通の人が考えるように、修行が悟りと異なっているなら、この二つは互いの意識になってしまうだろう(すなわち、人は坐禅に取り組んでいる間に、悟りを意識するようになり、悟りの状態に達した後に自己訓練のプロセスを意識し続けたままだろう)。このような類の意識によって穢されたような悟りは、本当の悟りではない。

 

 明らかに、「黙照」タイプの瞑想は、本質的に静的性格のものであり、純粋な静

寂主義を導きがちである。静寂主義は禅の精神に反するとして、臨済宗は強くこのような傾向に対抗する。そうする中で、臨済宗は、六祖慧能のダイナミズムを支持する。

 何宗の教えの継承において慧能を継いだ南嶽禅師は、次のようなやり方で弟子の一人を諭したと言われている。

 

  お前は坐禅の師になりたいのか、それとも仏性に達しようとしているのか! もしお前の意図が禅そのものを学ぶことであるなら、(お前は知るべきだ、)禅は坐ったり横たわったりすることではない。脚を組んで坐った姿勢で仏性に達しようとするのか? しかし、仏陀には特定の形はない。・・瞑想状態でただ脚を組んで坐ることで仏性に達しようとすることは、仏陀を殺すことに他ならない。お前がそのような坐った姿勢に好んで留まる限り、お前は決して<心>に達することは出来ない。

 

 この点で六祖の教えに忠実に従う臨済宗は、曹洞宗の瞑想方法に非常に強く反

対する。その為、上述の臨済宗の禅寺大慧は次のように言っている。

 

  客と話している時には、ただお前のエネルギーを客との話に集中するのだ。瞑

想状態で静かに坐っていると感じるなら、お前のエネルギーを静かに坐る行

為に集中させて坐るのだ。だが、坐っている間に、坐る事を何か崇高なものと

決して見なしてはならない。近頃、「黙照」状態で静かに坐る事が禅の究極な

のだと云う教えで、弟子たちを迷いに導いているような、誤まった禅師たちが 

たくさん居る。

 

「誤った禅師たち」と云う表現で、大慧が曹洞宗の禅師たちの事を述べている事は

極めて明らかである。

 それにも拘らず、臨済宗は瞑想を免除する訳ではない。まったくその反対である。臨済宗の人々にとっても、瞑想状態で坐ることは、悟りに進んでいく為の全プロセスの中枢なのである。しかし、臨済宗の瞑想の内的構造は、曹洞宗のそれとは全面的に異なっている。臨済宗が理解する坐禅とは、全ての思考を空にした心で、落ち着いた静寂な瞑想状態で坐る事ではない。寧ろ、坐禅は、生気溢れる実存的<問題>あるいは<考え>に専ら強く意識を集中させて、その事で心がすっかりその<問題>に、<考え>になる事ににある。それはつまり、「私」が、自らを消失させながら、謂わば全面的にその<考え>へと転成される事だ。要するに、これが≪思考≫、すなわち「非思考である思考」についおての臨済宗の理解である。そして、この実存的な転成は、公案という手段によってもたらされるのだ。

 

   五 公案

 

 もともと唐代では、同類の事件を解決する為に依拠すべき先例を定めた、その法的論拠を指す法律用語であった公案は、宋代後期に、瞑想の為の特別な問題や題目を意味する禅の術語として用いられるようになった。公案修行は、十一世紀に大慧によって標準化され、それ以来、過去八世紀の間、中国と日本の臨済宗において継承され続けてきた。多くの公案集が編纂されたが、『碧巌録』(1125年編纂)と『無門関』(1228年編纂)は、中でも最も名高い。

 公案は、すべて瞑想の題目になるように意図されたものであり、次のようなものから人為的に作られたものである。➀唐代と宋代初期の師と弟子との有名な古い問答、➁仏典の断片、➂師たちの言説の重要な一節、そして➃師たちの様々な局面に関する説話。

 公案は、内容がどれほど多様であっても、瞑想の題目と見なされる限り、すべて同一の構造を持つ。その各々は、パラドキシカルで、ショッキングな、あるいは不可解な言語表現であり、禅が理解するものとしての究極的<リアリティ>についての表現である。それは、言語形式による<存在>の直接的な力強い提示を意味し、その<存在>とは、前章で説明したように、根源的な<非差異体>のむき出しになった個的結晶である。師によって弟子に与えられる問題としては、多くの場合、それは故意に意味のないものである。知性の到達する領域をはるかに越えて、肉体と心と云う全人格を含んだ、実存的理解の特別な段階を弟子の内に目覚めさせる為に、論証的思考を最初から困惑させるような、やり方で公案は作られている。

 だが、公案を混乱した非理性的なものや、意味の無いものとだけ考えるのは誤りである。公案が元々、初期の問答、説話等から構成されたものである事を念頭に置くなら、虚構か現実かに拘らず、私たちが公案を歴史的文脈に返し、そのような角度から近づく事が出来さえすれば、その公案の各々が禅哲学の縮図とも見なされ得るような特殊な意味があるのだ。

 従って、公案は原則的に二次元構成であると云う事になる。そこには二つの全く異なる次元があり、それぞれに於いて公案は異なって扱われ得る。そして、この事実の考察は非常に重要な事である。なじなら、二つの次元は混同されがちであり、事実、しばしば混同されて来たし、その混同が臨済禅の正しい理解にとって、致命的なものになってしまうからである。

 二つの次元の一つ(第一次元と呼ぶことにしたい)に於いては、初見では如何に無意味に見えようとも、公案は、意味のある発言や説話として取り扱うべきものである。この次元に於いては、公案は知性によって完全に掌握可能な堅固な、哲学的意味を確かに持っている。この意味での公案は、知的解釈を許すようなある種の「歴史的」記述である。最初は、如何なる知的アプローチも越える事の出来ない障壁を、表しているように見えるかも知れないが、しかし、その障壁は、究極的には乗り越えられ得る類のものなのである。

 上で分けた二つの次元の内、第二の次元では対照的に、公案は如何なる意味においても意味ある発現や説話ではない。少なくとも、そのようなものとして取り扱われる事は想定されない。この次元に於いては、公案は全く非理性的な問題であり、それは精神障害の状態に、ほとんど等しい恐るべき内的緊張状態を心に通過させ、そうして心を最終的な「突破」に導く為に、思考の慣習的パターンへと通ずる可能な道をすべて次から次へと塞いで、心を袋小路へともたらす事が最初からも目論まれている。各公案はこの側面においては、ある種、弟子に心理的なショックを与える為に、人為的に工夫された手段である。しかし、これに関して注目すべきは、私たちの心は、知的理解のレベルで働く事にしっかり慣らされて居り、また何らかの言語的な発言や言明の中に、「意味」を見出すまで決してじっとして居る事がない為、暴力的で強烈な心理的ショックとしての公案に、私たちの心が取り組み始める事は、殆ど不可能に近いものに見えると云う事である。従って、あらゆる禅師の厳しい警告は、「思考」に対するもの、公案の意味を「理解」しようとする弟子の側のあらゆる試みに対するものである。

 

 ここで、概観してきた公案の二つの異なる次元を例証しよう。例に挙げるのは、次の有名な公案、趙州の「庭の柏の木」〔庭前の柏樹子〕である。

 

  一度、ある僧が趙州に尋ねた、「祖師が西方からやってきた意義(つまり禅仏教の究極的真理)とは何か、私に教えてください」。

  趙州は答えた、「庭の柏の木だ!」

 

 「庭の柏の木」と、菩提達磨によってインドから中国にもたらされた仏教のリアルで生き生きとした本質との間に、如何なる関係が在るというのだろうか。普通の状況では、趙州の答えは無意味であり、意味の完全な欠如に見えるだろう。しかしながら、禅哲学(つまり第一次元)の観点からは、趙州の言葉は確かに、僧の問いに対する答えとして、意味あるものなのだ。簡潔に述べるなら、趙州の<柏の木>は、前述の<無位の真人>と同じものを当に指しているのである。両者がただ違うのは、後者では初源的な<非差異体>が純粋に主体性として提示されている一方、前者では同じ<非差異体>が純粋な客体性として自己顕現していると云う事である。前に考察したように、禅が想定する初源的な<非差異体>は、それ自身、主体性と客体性とを越えたものであるが、しかし同時に、場合に応じて、己を絶対的<主体>として、あるいは絶対的<客体>として、あるいは両者つまり<主体・客体>としても、自由に自己顕現できり性質のものなのである。

 

 重要なのは、<非差異体>が、本来の無差異状態では、出=在ex-ist出来ないと云う事である。出=在する為には、必ず己自身を差異化しなければならない。つまり主体的にであれ客体的にであれ、何ものかとして己自身を具体的に結晶化させなければならないのである。そして、<非差異体>が己自身の全体を挙げて差異化する、つまり余す所なく、無数の事物の一つ一つへと差異化するのであるから、無分節と分節の点を除けば、それら各々の事物は<非差異体>とは異なるものではない。

 世界全体が<柏の木>なのだ。趙州は<柏の木>である。僧もまた<柏の木>である。結局の処、そこには<柏の木>の<覚知>以外には何もない。なぜなら、この形而上学ゼロポイントでは、まさに<無差異>状態にある<存在>そのものが、同時に単一かつ普遍な<柏の木>としての己自身を照明しているからである。

 

 また少し異なる形式で、禅的形而上学の同じ側面を例示している、もう一つの公案を解釈して見よう(もちろん第一次元で)。その公案は、単文のとても簡単な命令文で成り立っている。

 

 隻手あり、その声を聞け。(片手の音を聞け!)

 

禅文献で通常言及される大半の公案は、中国起源のもので、唐代の禅師の言行に

関するものなのだが、それとは異なり、この短い公案は、日本臨済宗のあらゆる禅師の中でも最も偉大な、十八世紀の白隠(1686―1769)によってあたらしく工夫された、オリジナルの瞑想題目である。白隠禅師の〔隻手の音声〕として広く知られるその公案は、実際の禅の訓練において大変効果があると判明した為、日本では、趙州の無と、ほとんど同じ位の人気を獲得するようになった。

 さて、白隠は弟子に、片手の発する音を聞けと要求する。もし両手を打ち合わせれば、音は自然に生み出される。では、片手の発する音とは何なのだろうか。普通の状況では、これは単にナンセンスな問いであろう。しかし、<柏の木>の場合と同様、この公案には、「第一次元」の知性へと開かれるであろう形而上学的な隠れた意味が伏在している。

 この哲学的意味をよりよく把握する為、最初に、世界に於ける風の遍在に関する有名な禅の説話を読むことを提案したい。登場人物は、唐代の麻谷(まよく)禅師と、ある僧である。

 

 ある時、麻谷禅師が扇を使っていると、僧がやって来て言った、「風性(風そのもの、あるいは風のヌーメナルなリアリティ)は永遠に遍在するのだから、風が及ばない場所は全世界の中の何処にも在りません。そうだとすれば、何故あなたは扇を使うのでしょうか?」

 麻谷「お前が知っているのは、ただ風が世界中に広がっていると云う(理論)だけだ」。

 僧「ならば、世界中に広がっている風の本当の意味とは何なのでしょうか?」

 師はただ扇をぎ続けるだけだった。

 僧は拝礼した。

 

風性」とは、実のところ、「仏性」「性」「心」等々のような、より一般的な名

称の元に私たちが知っているものと本質的に異なるものではなく、それら全ては、禅の理解する<絶対者>、すなわち、主体・客体の二分化以前にある本当にありのままの<リアリティ>、まだ差異化されていない¥が、しかし同時に現象的な風として、己自身を差異化させようとしている初源的な<非差異体>を指し示している。

「風性」は、世界の四隅まで広く行き渡っている。それに満たされていない場

所など一つもない。そして、禅の典型的な考え方に従うなら、それこそまさしく、

人が扇を用いる所では、何処でも実際に涼しい「風」がある理由だ。だが、最も重

要な点は、永遠に至る所にある「風性」は、人が自分を扇がない限り、今ここでは

現成しないと云う事であり、普遍的な<風>は、人が扇を用いると云う唯一の行為

を通じてのみ、出=在できるのだと云う事である。こうして、<非差異体>は己自

身の差異化を通じてのみ出=在するのだと云う、前述の馴染みの形而上学的理論

に私たちは再び連れ戻される事になる。

 

ここで白隠の「片手」の公案に戻ろう。麻谷の「風」の公案を理解した後では、

「片手」の内的構造の把握は極めて容易なものとなろう。「風性」が至る所にあるように、片手の音―謂わば「音性」―は永遠に至る所にある。この場合に「片手の音」として提示される「音性」は、何処にでもあり、何時でも何処でも人が両手を打つ事を選択するなら、経験的に耳にし得る音として、如何なる瞬間にも己自身を現成しようとして居るのである。禅はさらに進んで、音が経験的に現成する前でさえ、片手の段階でさえも、<心>はその音を聞いて居るのだと言う。こうして、「片手の音」あるいは「音性」において、私たちは、物理的に聞こえる音として己自身を分節しようとする特別な存在論的傾向の<非差異体>に、再び出会う事になる。この場合の禅は、「音性」が微かに動き始め、そして分節に向かう固有の性質を開現させる丁度その瞬間の、「音性」を「見る」ことにある。これが、片手の音が意味する処なのである。ただし、両手が実際に打ち合される時、分節はすでに行われ、「音性」は物理的に聞こえる音の背後に自らを隠してしまうのだ。

 また別の日本の高名な禅師、盤珪が、寺の鐘が鳴る前に、その音を聞く事を次のように評しているのは、この状況に拘わる事である。

 

 聞け、鐘が今鳴っている。あなた方はその音を聞いている。

 (正しく言うなら)あなた方は全く永遠に止むことなく、鐘が打たれる前でさえも、そして音が実際に聞こえる前にも、鐘の音に気づいているのだ。鐘が鳴る前の鐘の音への透明な覚知、そのような覚知は、私が未生の<仏心>と呼ぶものである。ただ鐘が鳴ってから鐘に気づくようになるのは、単にすでに行われたものによって残された痕跡を追っているに過ぎない。その時、あなた方は、すでに、第二の立場に陥っている(つまり、あなた方はもはや、<非差異体>の最初の立場にはいない)。

 

 純粋な絶対的<主体>―盤珪の「未生の<仏心>」―は、常に目覚めたままであり、絶え間なく鐘の音を聞き続けている。そのため、鐘が打たれると、私たちはすぐさま、つまり一瞬の遅れもなしに、鐘の音としてその音に気づくようになるのだ。ここに反省の余地はない。そして、禅の見解では、このような文脈での絶対的な<主体>は、全面的にその音(あるいは「音性」)と同一化されている。絶対的<主体>が音なのである。

 

 これらのそして他の同様の解釈は、しかしながら、結局のところ公案の「第一次元」に属する問題である。つまり、厳格な禅の観点からすると副次的な問題である。実際のところ、私たちはそのような知的理解の次元の存在を単純に否定する事は出来ない。だが、禅師たちの方法論的観点からすると、つまり上に言及した公案の「第二次元」に関するなら、あらゆる知的解釈は、本質的に不必要で、無駄で、有害なものとして、無条件に拒絶されなければならない。

 事実、公案の完璧な知的理解の獲得によっては、人は重要なものには何も到達しないのである。逆に公案は、人が知的理解を深めれば深めるほど、その精神から、禅の訓練の唯一の目標である直接無媒介的把握から、ますます必然的に遠ざかっていくような性質のものなのである。したがって、禅の観点からすると、知性による如何なる公案のどのような理解も、それがどれ程深く正確なものであっても、禅修行を遂行する者の道に妨害しか作り出さないのである。

 注意すべきは、禅における公案のあらゆる知的理解の拒絶は、絶対的で徹底的なものであると云う事だ。公案を理解しようとする精神的態度そのものが、最初から拒絶されなければならないものなのである。と云うのも、知性が機能する意識のレベルこそ、当に何としても乗り越えられなければならない類のものであるからだ。これが、禅があらゆる哲学的思索Philosophierenを無条件に拒絶する主な理由である。人は、公案の知的解釈に基づいて深い哲学体系を作り上げていくことに成功するかも知れない。だがその時には、人は弁別的知性の次元に尚留まっている。<無分節体>の直接無媒介的把握―それこそ禅が専ら関心を寄せるものであるーに向けての人間の全面的転成としては、何も達成されていないのである。

 

「第二次元」での公案、すなわち、修行の実践手段としての、「方法」としての公案は、知性によっては理解されるべきものではない。それは逆に、禅の学人の思考が絶対に機能しないような実存的状況へと、ほとんど力づくで追い込む目的の為に、特別に工夫されたテクニックとして扱われるべきものである。その原理と一致して、学人は瞑想状態で坐り、日夜与えられた公案に精神を集中させ、公案について考えたり、その意味を理解しようと努めたりするのではなく、ただ単にそれを全面的に完全に解決するように教えられる。しかし、最初から解決不能を意図している問題を、如何にして解決する望みが在ると云うのだろうか。それこそ、学人が最初から立ち向かわなければならない問題なのである。公案を解決する為の唯一頼りになる方法は、臨済禅での伝統的な見方では、「公案になる」こと、完璧にその公案と一つになる事である。例えば、<趙州の柏の木>の解決は、自分が<柏の木>になることにある。<白隠の片手>の解決は、自分が「片手の音」になることにある。だがしかし、より具体的に言って、人が「公案になる」事とは、どういう意味なのだろうか。「公案になること」は、実存的プロセスを暗示しているようだ。ならば、そのプロセスの内的メカニズムとは、どのようなものだろうか。

この基本的な問いに対する答えとしては、<趙州の無>が、臨済宗において伝統的に、学人の修行の為の最良の手段として、用いられてきたと云う事を考えるのが最もいいであろう。公案そのものは、「趙州狗子」あいし「趙州無字」として広く知られているが、それは次のようなものだ。

 

ある僧が一度、趙州禅師に尋ねた、「犬には仏性がありますか?」

師は答えた、「無!」

 

この公案の「第一次元」の理解、つまり、この公案の哲学的な「意味」は、もう多くの説明なくして明らかだろう。<仏性>(すなわち<絶対者>)は普遍的に全ての事物に内在しているのだ、と云う見解を持っている大乗仏教形而上学を前提にして、僧は趙州に、犬のような動物でさえも<仏性>を有しているのか否かを尋ね、それによって趙州の禅の把握の深度を測ろうとしている。例の通り、師は、僧に対して直接的に<無>を、超概念的リアリティそのものを指摘して見せる事で、その僧が問う時に立っている概念レベルを粉々も砕く。彼が示しているように見える<絶対者>は、犬が「有している」か「有していない」かを超越している。「有している」か「有していない」かの問題は、趙州の立っている次元では、単純に存在していない。そのような問題は、ただ知的分別のレベルに固執している限、その問題のリアルな解決には達し得ない。それゆえ、趙州は、肯定的であるにしろ否定的であるにしろ、僧の問いに答えを与える代わりに、その僧の鼻先に、<無>という形で、<仏性>そのものを、すなわち初源的な<非差異体>を唐突に突きつけるのである。この意味での<無>は、<柏の木>や「片手の音」と丁度同じ役割を演じている。

ちなみに、この説話には、その前公案状態でのもう一つの、より基本的なーあついは、より原初的なと言おうかー次元がある事にふれて置く事も有益かもしれない。元の形では、公案の限定的な形式を与えられる以前、そしてそのようなものとして用いられる以前には、より教義的な性質の、より長い説話であったのであり、その中で趙州は、二つの異なる機会に、二人の異なる僧から尋ねられた丁度同じ質問に対して、肯定と否定という二つの矛盾した答えを与えるものとして描かれている。公案になる前の説話の好例として、ここに、元の形の原初の部分を再現して見たい。そこでは趙州は否定的な立場をとっている。

 

  ある僧が趙州に尋ねた、「犬には仏性がありますか、ありませんか?」

  趙州「無い!」

  僧が「(仏典に従うなら)すべての有情には仏性が授けられています。ならば、どうして犬に仏性が分け与えられていないと云う事が有り得ましょうか?」

  趙州「犬は犬自身のカルマによって存在しているからだ」

 

 趙州の最後の言明は、私たちの言葉では次のように説明出来るかも知れない。犬のカルマkarma〔業識性〕を通じて(つまり、犬として己自身を現成しようとする本来的な存在論的傾向を通じて)、<仏性>が、個別一匹の形を帯びたと云う事によって、(遍在する)<仏性>は全面的に無効化されている。私たちの側に、個別的に差異化された犬についての意識がある限り、<非差異体>の超時間的・超空間的<覚知>の痕跡はない。この解釈がただしいか否かに拘わらず、説話全体が仏教教義の一側面に触れており、そしてこの特定の状況での趙州の無は、犬における<仏性>の実在を否定する通常の「無」として受け取られるべきものだと云う事は確かである。そのことは、道元が述べているように、本質的に絶対的な<非限定体>である仏性は、元の純粋状態のままでは、限定されたものとして存在しないし存在できないのだ、という事をおおよそ意味する。従って、この説話はすでに前公案状態で、何が公案状態での上述の第一次元を構成するかをはっきり示しているのである。

 

しかし、繰り返し指摘して来たように、そのような理解は、「第二次元」の観点からすると、不必要な知的な罠に他ならない。この後者の次元に於て、「無」は、全面的に異なる機能を果たさなければならない。公案の資格での説話は、心理的迪ニックとして働かなければならないのであり、「無」は禅の学人の心理メカニズムの全面的な転成を誘発する推進力として、扱われるべきものなのである。

公案の意味を解こうと努める代わりに、学人は、主体性がすっかり溶解し、<無>へと転じるまで、その<無>を観照し続けるよう厳格に命じられる。学人がしなければならない事は、<無>について考える事なしに、把握不可能な<無>に向かい合う事である。『無門関』の有名な撰者、無門禅師は、こう勧告している。「この<無>を絶対的な空や無と間違えてはあらない。それを『ある』や『ない』のいずれとしても受け取ってはならない」。換言すれば、趙州の<無>は、犬における<絶対者>の実在の否定として受け取るべきものではないのである。問題は、如何なるものの実在あるいは非実在も越えてある。心の全く異なる次元で、<問題>は、「呑み込んでしまい、どう努力しても吐き出す事の出来ない赤く熱い鉄球の如きもの」へと転成されなければならない。

深い一点集中の状態に落ち着いて、学人は身心全体が消失し、<無>という言葉によって示された特殊な状態になるまで、つまり趙州自身が、主体と客体への意識の分岐を越えて<無!>という言葉を発したと想定されるのと同じ意識レベルに達するまで、静かに或いは大声で<無>という言葉を自分自身に向けて繰り返しながら、粘り強く一心不乱に<無>を凝視し続けなければならない。そのような張り詰めた集中状態において<無>という単一の言葉を唱える事が、マントラの唱名と殆んど同一の心理的効果を生み出す事は疑い得ない事である。だが、<無>という言葉の特定の意味内容はまた、学人の内に、主体と客体とが合体して、純粋な<覚知>の絶対的な単一体になった特殊な心理状態を誘発する事に大いに貢献する。と云うのも、<無>を自分の前に凝視すべき「もの」として置き、その<無>を客体化する事から始めたかも知れない学人は、<無>の意味構造そのものが、客体としての把握を不可能にするのだと云う事、そして己の意識に革命を起こす事によってのみ、また<無>が「ありのまま」での形而上学的リアリティ、<存在>の絶対的に非差異的な充溢という意味での≪無≫として現成する、全面的に新しい次元を<無>の為に開く事によってのみ、その<無>は獲得され得るのだと云う事を、遅かれ早かれ理解しなければならないからだ。学人はその時、「自分」が最早そこには存在しない事を、「私」も「非私」も存在せず、二元性の微塵もない。ただの<無>しか無い事を理解するだろう。

これが公案の手段的(第二次元)側面の概略である。このような短い説明でも、二つの異なる次元から私たちが公案を考える時、同一の公案がどれほど異なって現れるかが明らかになっただろう。「第一次元」では、<無>はヌーメナルthe noumenal〔叡智によって知られる性質のもの〕、形而上学的なものであり、それ自体単独で禅の形而上学である処の<無>の現成である。「第二次元」では逆に<無>は手段であり、それによって禅の学人が、己の意識の「深層レベル」と私たちが前に呼んだもののヴェールを剝ぐ事に向けて修行する為のものである。だが、この事は同時に、公案のこれら二つの「次元」相互の緊密な結びつきを明るみに出す。と云うのも、ヌーメナルなものとしての<無>が今ここで現成するのは、<無>の方法論的な使用によって、そのようにヴェールを剥がされた意識の「深層レベル」に於てのみだからである。

 

本章では、曹洞宗臨済宗によって歴史的に発展してきた禅の瞑想テクニックの説明を試みてきた。その中での私たちの主な目的は、坐禅あるいは瞑想状態で坐ることが、禅では、全面的な精神的空白を導くという意味での、心の空化の為のテクニックではない事、逆に、主体と客体とが互いに差異化されないようなある意識レベルで、最大限に張り詰め集中して働く心の活動を含意するものであると云うこと、そして最後にそのような心の働きが、非常に特異なタイプの「思考」と見なすに値するものだと云うこと、そう云った(私たちが前の各章で確証した)事実をさらに解明すると云うものであった。これは、¥臨済禅での公案と云う手段の使用に於て最も明らかな事であるが、曹洞宗の「坐禅のみ」〔只管打坐〕の方法に於いても、「深い思考」として私たちが前に示したものは、喩え余りはっきりしない形態であっても、間違いなく働いているのである。

 

原題は、「日本の禅仏教における瞑想と思考作用」Meditation and Intellection in

Japanese Zen Buddismという題名で、『観照と行為の伝統様式』から出版された論文である。

 

これは筆者が井筒論文と禅との聯関について改めて考究し、自身暖皮にも少なからずに井筒氏筆致の薫習を体現すべくに公開するものであり、一部修訂を加えた。(タイ国にて・二谷)