正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

東洋思想 井筒俊彦

 

      東洋思想

井筒俊彦

 

 古来、東洋には多くの思想潮流、思想伝統が現われて、それぞれ重大な文化史的役割を果たしてきた。それら相互間に生起した対立、闘争、影響、鍵概念の借用・流用、移植と摂取の歴史。時代と場所を異にする多くの思想伝統が、直接間接、多重多層の相互連関において織り出してきた壮大華麗な発展史的全体テクストを、我々はそこに見る。東洋思想の、この歴史的連関性の展開史を、構造的構成要素の同位的相互連関性に組み直す事が出来るなら、東洋思想は、そこに、一つの共時的構造テクストとして定立されるであろう。上記の目的の為には、このように、東洋思想全体を、一つの有機的秩序体として捉え直す事によって、全包括的・統合的な俯瞰図を描いて見る事が、どうしても必要である。こういう知的操作を通した上で、始めて我々は東洋思想を、全人類的思想の普遍性の地平において論じる事が出来るようになるのではないか。東洋思想を一つの有機的構造として組み立てる事、それこそー我々が<東洋>を、来るべき世界の思想文化パラダイムの構想の一貫として生かそうと望む場合―我々の第一に考えるべき課題であろう、と思う。

 とは言え、<東洋思想>には、さまざまな側面があり、それらの中のどの側面に焦点を合わせるか、どういう視角からアプローチするか、によって、全体像が大きく違ってくる。おずれにしても、すべてを包括的に統合しようとする試みは、所詮、著しい単純化の操作たらざるを得ないのであって、不可避的に無数の取りこぼしが残る事は目に見えている。それを承知の上で、筆者(井筒俊彦)は以下、<東洋思想>の全体像(らしきもの)を、そのごく極限された一側面において、ある特殊な角度から、略述してみようとする。

 <東洋思想>の全体的構造を根本的に規制する座標軸として、筆者は、ここで、言語と存在の原初的連関に対する、東洋の思想家たちの根深い、執拗な関心を指摘したい。そしてまた、このような主体的態度から生じてくる東洋思想の、極めて特徴ある哲学的パラダイムを解読する為の鍵言葉が俗に云う<言語不信>である、と云う事を。

 ここで言語不信と云うのは、もちろん、哲学的ないし存在論的意味機能によって、ごく簡単に言えば、次のような事態を指す。まず、コトバは、その存在分節的意味機能によって、至る所に存在者(事物事象)を生み出していく、と考えること。次に、こうして生み出された個々の存在単位は、すべて、個別的な語の意味が実体化された物に過ぎない、とすること。存在者が言語的意味の実体化に過ぎないのであれば、全ての事物事象は、臨済の言うように、「みな、これ夢幻」であって真実在ではない、と云う事にならざるを得ない。自分自身を始めとして、自分を取り巻く一切の事物事象を、そのままそこに存在する、客観的対象であると思い込んでいる人々は、だから実は、「至る所に空名を見」ているのみだ、と臨済は言うのである。<存在=空名>と云う形でフォーミュラ化する事の出来るこの見地が、東洋の存在論を根底的に規定する一つの重要な哲学的立場である事を、冒頭に指摘しておきたい。

 <存在=空名>と云うこの立場に対して、古来、東洋には、<名→存在=実在>と云う立場もある。つまり、コトバと存在との間に、一対一の実在的対応関係を認める立場である。古代インドでは、小乗仏教アビダルマや、ヒンドゥー哲学のサーンキヤ(数論〔すろん〕派)、ニヤーヤ(正理派)、ヴァイシェーシカ(勝論〔かつろん〕派)などがそれを代表する。簡単に言えば、物が実在し、それをコトバ(<名>)が実在対応的に指示すると云う立場である。

 例えばヴァイシェーシカ(Vaisesika)は徹底した実在論的思想家のグループである。この問題についての彼らの主張を要約すれば、次のような事である。個物としての牛は実在する。それは正確に対応して<牛>と云う語がある。もちろん、<牛>と云う語が、もともと概念的普遍者としての牛を意味する事は、彼らも知っていた。だが、普遍者も、個物と同じ存在度をもって、そのまま外的に実在する、と彼らは主張した。有意味的なコトバ(<名>)があれば、それがどんな<名>であれ、必ず、可感的個物ないし非可感的普遍者が、独立の外在者としてこれに対応する、と云うのである。

 <存在=空名>の立場を取る人々に言わせれば、ヴァイシェーシカ流の実在論者は、コトバの意味分節単位に過ぎないものを、誤って、直ちに外在する事物事象と考えているに過ぎない。むろん、実在論の側では、それを認めない。経験界で我々が出会う全ての事物事象は、始めからそこに、客観的に実在する存在者なのであって、外在するそれらの事物事象をコトバが指示する、それが意味(意味作用)と呼ばれる現象なのだ、と彼らは考える。この立場からすれば、コトバは存在真相の正確な鏡である。一点の陰りもない鏡が、物のあるがままの姿を歪みなく映し出すように、コトバは客観的存在リアリティの構造を忠実に映す。それが、コトバと存在との間に、本来的に成立している対応性である。

 コトバと存在との間には、このような本源的な対応関係があると云う、この実在論的立場を、非常に特徴的な形で展開したのが、孔子の思想に直接淵源する初期儒教の場合である。経験的存在世界は、本質に依拠して成立する<実有>的世界である。と云うのが、孔子の揺るぎない信念だった。彼の孫、子思の著として伝えられる『中庸』の冒頭の一句、「天の命ずる、これを性と謂う」(天命之謂性)が明言する如く、宇宙の森羅万象、その一つ一つが天の命令によって(つまり、先天的に)定められた本性を中核として存在している。経験世界の事物事象は、それぞれ、永遠不変の本質を存在根拠として持つ。要するに個々の物は、謂わば天与の本質を持つ事によって、まさにその物なのであり、同時にそれによて完全に実存性を保証される。そして、言語的意味分節単位としての<名>は、この本質(本性)と厳密な指示的対応関係にある。すなわちコトバは、本質を第一次的、直接的に指示し、本質指示を通じて、外在的存在者を第二次的、間接的に指示するのである。

 だが、孔子はコトバが実在を忠実に映す鏡であるとは言わなかった。それは彼の主たる関心事ではなかった。もしこの同じ比喩を使うとすれば、彼はきっと、コトバは実在を忠実に映す鏡であるべきである、と言った事であろう。であるとであるべきであるとの、この隙間に、孔子はある重大な政治的・倫理的含意を読み取ったのだった。

 己れの生きる現実の世界の至る所に、孔子は<名>と<実>(コトバと<実有>)との食違いを見た。彼の目に、それは深刻な文化的危機として映った。社会生活のあらゆる所に彼が目撃した分裂は、彼にとって、彼が文化の理想的パラダイムとした周王朝の<礼>秩序の内部崩壊を意味した。例えば<王>と云う<名>が、王たる者の本質を具現化していない人物(むしろ、<盗賊>と云う<名>にこそふさわしい人物)に当てられている、と云うような具合に。本質と直接かつ厳密な対応関係にあるコトバと、そのコトバが現実に適用されている対象との間に、このようなずれが生じる時、社会生活は拠るべき規範を失って混乱に陥る。<名>と<実>とが正しく対当するように言語秩序を立て直していく事、それを孔子は「名を正す」と言う。「必ずや名を正さんか」(必也正名乎、『論語』十三)。<正名>こそ、孔子の政治理念の根基であった。言語秩序の回復→存在秩序の回復→社会秩序の回復。

 <名>が正しく定まって、始めて転嫁は治まる、と云う孔子のこの言語中心的政治(倫理)思想は、やがて戦国時代、荀子(じゅんし)に至って、精緻を極めた<正名論>にまで発展する。一般に春秋戦国時代(いわゆる「諸子百家」時代)は、思想的には、まさに名実論の時代である。多くの第一級の論客が現われ、コトバとその指示対象との関係を巡って思想界は沸き立った。

 古代中国のそれとは思想文化の系統を全く異にするが、ユダヤ教イスラームに於いても名実論に当たる思想が非常に重要な位置を占める。もちろん、ここでは、濃密な神話的形象のナラティブ的展開と云う形を取るので、表面に現われた姿を見る限り、中国の名実論の概念的論理性とはまるで別物のように見えるけれども、思想の骨子は同じである。

 「神、光あれと言えば、光があった」と旧約聖書「創世記」の冒頭に言う。天地開闢、すなわち存在世界の最初の顕現、の叙述であるが、それが、神のコトバ(あるいは、根源的コトバそのものである神)による存在生起の事態、として描かれている事が注目される。ヒカリ(原ヘブライ語ではorオール)と云う<声>の発動と共に、それに応じて<光>と云うものが、それの指示対象として現出してくる。「ヨハネ伝」最初の一句(「はじめにコトバありき・・コトバは神なりき」)にある如く、神がコトバであり、コトバが根源的に神であるならばーこの点で、古代インド思想における宇宙的絶対実在<ブラフマン>が、もともとヴェーダ聖句の誦唱や祭官の呪言に内在するコトバの靈力であった事が憶い起こされようし、また日本の真言密教における大日如来のコトバ(「法身説法」)、「阿字本不生」的根源語の存在喚起性が思い合わされるであろうー神的なコトバの拡散である全ての個別的語は、必然的に自立的実在者であるはずであり、そしてまた、もしそうであるとするならば、自律的実在であるコトバから現出する事物事象もまた、すべて自律的・外在的な実在者でなければならない。

 イスラーム聖典コーラン』でも、天地創造は神のコトバによるものとされている。如何なるものであれ、「神がただひと言、あれと言えば、それはある」(十六、四十二)と。ただ、『コーラン』の場合、経験世界のすべての存在者(事物事象)も、それら各々の<名>も、神の被造物として同位・同格的であり、神の第一次的創出に係るものとされている。すなわち、コトバもものも、ともに被造物としての実在性を持つ。しかも、この場合も、<名>と<実>との間には完璧な実在的直接対応関係が成立すると云う形で、創出・制定されているのである。

 先に触れた「創世記」の一節にしても、神はヒカリと云う語で、<光>と云うものを創造したと云うのであるから、<名>と<実>との連関性は絶対に恣意的では有り得ない。この意味で、コトバの対象指示性は完全に的確である。コトバは決して人を欺かない。<名>の指さす線を辿ってゆけば、さの先に、必ず人は<実>(実在する対象)を見出す。

 この点で、上述した古代インドのヴァイシェーシカが、<事物><もの>をpadarthaと云う語で術語的に表わしている事は、興味深い。<パダールタ>(<パダ>・<アルタ>pada-artha)

とは、文字通り「語の意味」と云う事。つまり、コトバの意味が、そのまま、ものである、と云う考えであって、我々はここに、言語の実在指示性に対する深い信頼感の端的な発露を見る。始めに一言した<言語不信>の、まさに対極をなす立場である。

 <言語不信>。事実、東洋には古くから、<名>と実との関係について、言語不信とも云うべき徹底的な言語否定的立場があった。コトバの実在指示性を根底から疑い、否定する立場。ナーガールジュナ以後の大乗仏教や、老子荘子道家哲学が、それを代表する。

 我々がごく自然な形で経験する世界(華厳哲学のいわゆる<事法界>)は、無数の事物が、それぞれ本質的自己同一性を保ちつつ、自立的実在性のおいて存在している世界だと思っている。しかし、唯識哲学では、それを<遍計所執性>と呼んで、その実在性を否定する。

 <遍計所執>とは、要するに<妄念分別>と云うこと。この術語にはっきり示されているように、<分別>とは存在を、<実有>的存在分節単位としての、個別的事物事象に分割して見る見方であって、そのような<分別>によって成立する謂わゆる経験的現実は、根本的に<妄念>の所産であり、偽りの世界である、と考えるのである。

 仏教哲学と親密な関係にあるヴェーダーンタの代表的哲学者シャンカラは、これを<ブラフマン>の幻力(マーヤー)の織り出すスクリーンに現われる幻影に喩えた。<マーヤーmaya>とは、何も無い所から、様々な事物事象の形姿を、恰も砂漠の地平線上に浮かび上がる蜃気楼のように現出させる宇宙的な幻想能力である。プラトンの「洞窟の住人たち」が、一生、太陽に背を向けたまま、眼前の岸壁に映る事物の影だけを眺めて暮らし、それを現実だと思い込んでいるように、マーヤーの垂れ幕の表面に描き出される幻影の如き事物を、客観的に実在する事物と思い込んでいる人たちは、マーヤーの垂れ幕の彼方(真実在〔ブラフマン〕自体)見ようとはしない。

 何が、いったい、このような存在幻影を作り出すのか。今我々が問題にしている言語否定的立場の思想家たちは、コトバにその究極的な原因がある、と言う。彼らによれば、人間言語は、意味分節=存在分節を第一の本源的機能とする。すべての語は、それぞれ特有の意味を持つが、この意味の表示する<区画>線(荘子のいわゆる<封><畛>)によって、存在が様々の違った形に分別されるのである。「夫れ道は未だ始めより封(ほう)有らず。言は未だ始めより常あらず。是が為にして畛(しん)有るなり」(夫道未始有封。言未始有常。為是而有畛、『荘子』二 そもそも存在リアリティの真相なるものには、なんの限界もない。他方、それに対応するコトバには一定不変の意味があるわけではなく、ただ相対的、差異的にのみ事物を区別して示す。このゆえに、存在リアリティが言語化されると、そこに様々な境界線〔畛=田のあぜ〕が現われてくるのである)。

 コトバにの意味による存在のこの境界づけを、仏教哲学では<区分け>(<分別>vikapa)と呼び、漢訳仏典はこれを<妄想分別>と訳す。実際には無い存在区別を、コトバの意味ゲシュタルトが作り出していくのだ。こうして妄想的に立てられた存在の差別相が、存在の無限定的形而上性(絶対空)を覆って見えなくしてしまうのである。

 大乗仏教哲学の創始者ナーガールジュナ(龍樹)は、コトバのこういう本源的存在分節機能、言語的意味の存在ゲシュタルト喚起作用を<プラパンチャprapanca>と呼んだ。それの漢訳は<戯論>。<戯論>と云うと、何か非常に特殊な色合いを帯びるが、もとのサンスクリット語では、<多様化>とか<拡散>とか云う意味である。ただし<拡散>は、この大乗仏教哲学的コンテクストにおいては、意味分節的存在単位(<仮有>的存在者)の現象的<拡散>と云う<仮有>的事態の生起を意味する。すなわち、本来、内的<区分け>の無い無縫の存在リアリティが、様々な語の意味分割に促されて分散し散乱して、様々な事物事象の形姿を幻影的に現出させること、である。

 こうして、意味分節を根源的機能とするコトバは、渾然として無差別・無限定な存在の表層に無数の分割線を引いて、そこに<分別>的存在風景を描き出す。この立場からすれば、我々が普通ものと呼びものと考え慣わしている存在単位は、言語意味的文節単位の、謂わば素朴実在論的実体化に過ぎないと云う事になるのである。つまり、普通一般に存在界と考えられているものは、実は<名>の世界、老子のいわゆる<有名>(無数の<名>によって様々に分割された存在次元)に他ならない。「道の常(=真相)は名無し」(道常無名、『老子』三十二)、「道は隠れて名無し」(道隠無名、『老子』四十一)。<道>、すなわち存在の究極的境位は、<有名>でなくて<無名>でなくてはならない。<無名>、すなわちコトバ以前、存在の言語的分節以前のあり方、絶対無分節、そしてその意味での<無>。

 コトバ(<名>)とその指示対象(<実>)との関係に関する限り、大乗仏教老荘ヴェーダーンタも、原則的には、同じく言語否定的立場(コトバは<実有>を指示しえない)を取る、例えば、『荘子』(外篇)の一節は断言する、コトバによって伝えられるのは名と声だけであり、名と声とは事物事象の真実を伝え得ない、と。

 同様に、古代インド哲学の源泉であるウパニシャッドは次のように説く(『チャーンドーギヤ』六、一、四)。一塊の土が、色々な器物に作り変えられる、壺とか碗とか皿とか。それらは、全く同じ一つの土の変容(ヴィカーラ)に過ぎない。<変容vikara>とは、存在論的差異態、特殊態、個物態、と云う事。それらの器物は、相互に異なる独立の存在者として認知されるが、その差異は、要するにコトバ、すなわち<名称nama-dheya>の違いであって、結局、どれも土器である。「土である」と云うだけが事の真相なのである、と。この場合、「土」と云うのは、比喩構造的に、万有の根源である<ブラフマン>を指す。つまり、<ブラフマン>は、それ自体としては絶対無限定的存在リアリティなのであって、それが様々に分別(分節)され、分別されたものそれぞれが<名>を帯びる事によって、個別的なものの世界が現象する。その世界では、意味の差異に依拠する<名>の差異によって、一つ一つのものは<仮有>的自己同一性を保っている。しかし<仮有>的自己同一性は、コトバの意味的幻影に過ぎない。こうして現象的存在世界全体が、一つの巨大な、宇宙的言語幻想に還元されるのである。

 とは云っても、コトバの意味分節に依拠して生起する個々の存在単位が、それ自他でそのまま幻想であるとか、妄念の所産であるとか云うのではない。コトバで区分けされた意味分節単位し過ぎないものを、自己原因的に自立する客観的存在者(いわゆる<実態>)と誤認する事を妄念・妄想と云うのである。そのように誤認された限りに於いて、我々の経験的現実は<コトバの虚構>、偽りの存在世界に転成する。つまり、言語的意味分節に起因する、事物の<仮有>的自己同一性に<実有>的自己同一性を賦与する所に、<コトバの虚構>の虚構性がある。だから、この虚構性を脱する為には、ただ、現象的事物の自己原因的自立性(<実体>性)を否定すれば足りる。解体論的に云うなら、ものの実体性の解体である。

 すでに中世(十三世紀)のスペインのユダヤ哲学者アブー・ラアフィアが、この事を、より形象性の強い表現を使って、存在の「結ぶこぶを解きほぐす」こと、と言っている。アブー・ラアフィアによれば、日常意識の目に映る形での事物は、すべて<粗大>な事物である。<粗大>な事物の形姿が、一枚布のように広がる存在リアリティの至る所に、無数の<結びこぶ>を作り出す。それが、我々の経験世界の自然のあり方であって、それらの<結びこぶ>を解きほぐす事によって、事物は<粗大>な姿から<微細>な姿に戻り、存在はその本来の非実体的流動性に於いて覚知される事になる、と云う。

 非実体的流動性。見せかけの実体性を解体された事物事象は、固定性の拠り所を失って浮遊し、それら相互間の境界は不明確・不分明となり、ついには全てが根源的無差異性の中に消えていく。仏教的あるいは老荘的に言えば、存在が、その本源的無分節性を露呈する、のである。

 コトバの意味的差異によって、様々に分別された存在の現象的あり方は、唯識哲学の謂わゆる<遍計所執性>の世界であり、虚構の世界である。虚構の世界ではあるけれども、それがそのまま虚無であると云う訳ではない。先に一言した如く、この意味的虚構の世界も、現象現成としての存在性を持っているからである。しかも、それこそが我々にとっては、最も切実な経験的事実であるのだ。事実上、そういう形で現に経験される限りに於いて、この虚構の世界を、仏教哲学は<仮有>として定立する、半ば否定的、半ば肯定的に。

 無でありながら有、有でありながら無、と云う<仮有>のこの中間的存在性は、二つの対照的見方を可能にする。第一に、<仮有>を<実有>として見る立場。そうすると<仮有>は現象的虚構の世界となる。これに対して、<仮有>を厳密に<仮有>として見る立場もある。ナーガールジュナによれば、この第二の見方こそ、存在の唯一の正しい見方なのであって、彼はこの意味での<仮有>を<空>と呼ぶ。<空>の原語<シューニヤsunya>が、文字通りには、「からっぽ」「空虚」を意味する所から、ナーガールジュナの<空>も、通俗的には、よくそういう意味に誤解されるが、実は彼の術語としての<空>は、空虚(から)を意味するのではなく、前述の如く実体性(自己原因的自立性)を解体されてーあるいは、実体性を本来持たずにー浮遊する事物事象の原初的な<仮有>性を指示するのである。そして、このように解された<空>をナーガールジュナは構造的に<縁起>と同定する。

 <縁起pratitya-samutpada>とは、現象界に生起する一切の存在者の相互依存性と云う事である。唯識哲学は、これを<依他起性>と云う。<依他起性>、他による現象的存在のあり方。この存在ヴィジョンにおいては、本来的な意味での自なるものは存在しない。すべてのものは、それぞれ他に依存し、他との相依相関性においてのみ、仮に自として現われているだけ。<依他起>的な自を、他から切り離し、恰も他に依拠せぬ独立の自であるかのように考える、その虚構性に、前述の<遍計所執性>が成立する。我々の認識機構の性質上、<依他起>はいともたやすく<遍計所執>にずれ込んでしまうのだ。しかしまた、そうであればこそ、<遍計所執>を<依他起>に引き戻し、<転換>させるだけで、<仮有>的存在の実相が把握され、こうして<仮有>が<仮有>として把握される事において、唯識<三性論>の存在論的極致である<円成実性>が現成するのである。

 だが、この<三性論>的(あるいは<中論>的)存在論の基底にはーナーガールジュナはそれを意図的、方法論的に主題化しなかったけれどー絶対無分節としての<空>、相対的<空>に対する<空>(絶対無)の境位が措定されている事は言うまでもない。禅が、全存在世界を<本来無一物><廓然無聖>などの表現で一挙に払拭し撥無し去る時の、その<無>が即ちそれである。

 注意すべきは、ナーガールジュナ的為での<空>(=<縁起>)の世界は、形而上的絶対無限定性、今言った絶対無的<無>ではなくて、すでに存在分節の始まっている現象現成的世界だと云う事である。すなわち、様々に意味分節された事物事象は、可感的な形で、そこにある。ただ、それらの存在者は、いずれも相互依存性、純粋差異性に於いて、それらであるのであって、<実有>的自己同一性に於いて存在しているのではない、と云う事である。事物事象の<実有>的自己同一性と見えるものは、実はコトバが意味的に喚起する<妄想>に過ぎないと云う事を、仏教の<仮有>論者たちは明確に意識していた。

このような<空>的(=<縁起>)的、<依他>的)存在観が、大乗仏教の哲学を特徴づけるものである事は言うまでもないが、決して仏教だけに特有の考えではなく、寧ろそれは、東洋哲学一般の根源的思惟パターンの一つとして、色々な所に、色々な形で現われてくる。例えば荘子存在論の鍵概念<渾沌>など。<渾沌>は、単純になんにもないことではない。文字自体がその事を示している。やはり、少なくとも第一次的には、現象的世界の存在度が問題とされているのである。

 考察の出発点は、<空>の場合と同じく、意味的に分節された無数の事物の構成する世界。しかし、よく見ると、それらの事物を相互に分ける分節境界は茫漠として浮動的、どこにも明確な分割線は引かれていない。と云う事は即ち、いかなるものも、<意味=本質>的な自己同一性を持たず、例えば善悪、美醜、大小、長短の如き二項対立的相対性に於いてのみ成立する疑似的・浮動的な意味凝固性を持つに過ぎない、と云う事である。ものとものとを互いに分別対立させる存在境界は、コトバの意味分節機能に依拠する人間意識の妄想的所産である。それを取り去ってしまう事が出来さえすれば、一切は渾然たる無差別性の中に没入してしまうはずである。

 存在境界の末消は、従って、人間の存在認識機能から、その妄想性を払拭していく事によってのみ可能である、と荘子は考える。それが彼の説く存在<渾沌>化のプロセスである。このプロセスの主体的側面はここでは論じない事にして、存在論的側面だけを、ごく大まかに述べるとすると、存在<渾沌>化は、全体として、二段階に分けて考える事が出来ると思う。第一段階の<渾沌>は、あらゆる存在者が、言語意味的相依相関性によって、危うく存在性を保持している状態、完全無化への謂わば一歩手前。この段階での<渾沌>は、前述したナーガールジュナの<縁起>的<空>と、ほとんど違わない。<縁起>とは要するに、事物事象の相依相関的無自性性と云う事だかある。

 しかし荘子の説く存在<渾沌>化のぷろは、この段階に留まってはしまわない。ナーガールジュナ的<空>が、その背後に絶対<空>を想定し、それと理論的に直結していたように、荘子の<渾沌>化はさらに進んで、絶対無(絶対無分節という意味での<無>)に至る。<渾沌>は極限的に<無>なのである。そして、<渾沌>の極限としての<無>が、ここでもまたコトバ以前である事は言うまでもない。

 東洋哲学において、非常に多くの場合、コトバ以前が、存在の絶対究極的境位とされている事は周知の通りである。コトバ以前という表現には、通俗的解釈から哲学的解釈に及ぶ様々な理解の仕方があるけれども、哲学的には、それは言語的意味分節以前(老子のいわゆる<無名>の境位)、すなわち、存在論的未分節・無分節を意味する。

 この絶対無分節境位を、肯定的に、根源的<有>と措定するか、否定的に、根源的<無>と措定するかによって、東洋の形而上学は大きく二つに分かれるー<有>の形而上学と、無の形而上学と。だが、存在の始原、根源、極限を無分節と解する限り、結局は同じ所に帰一してしあうのである。

 通常、<有>の立場の代表として挙げられるウパニシャッド(『チャーンドーギヤ』六、二、一)に、「太初、有(sat)だけがあった。それは絶対無二であった」とある。根源実在、宇宙万有に太源としての<ブラフマン>についての立言であって、これだけ見ると、いかにも絶対に無化の入り込む余地のない純粋<有>的な形而上学の根本命題であるかのようだが、この<有>は、これに続く一節に於いて、次々に段階的に自己限定を重ねる事によって、存在世界を生み出してゆく太源として叙述されている。つまり<有>はここでは、まだ分化していない、自己限定以前の、存在分節以前の絶対者<ブラフマン>として理解されているのである。この事は『チャーンドーギヤ』と並ぶ、もう一つの最重要な古ウパニシャッド(『ブリハッド・アーラニヤカ』一、四

十一)の次の立言と比べる事によって、もっとはっきりする。日く、「太初、世界にはブラフマンだけがあった。それは全く独一であって、まだ分化・開展もない絶対無限定的全一なのであるから、有(sat)は<非有a-sat>(→<無>)と畢竟、同じ事である。絶対無分節の<有>は、無分節(未分節)であると云う意味で、つまり、まだそこに何ものの表徴も無いと云う意味において、完全に<無>と同定され得る<有>なのである。

 事実、ウパニシャッドの中には、<有>ではなくて、逆に<無>を存在の太源とする立場もはっきり打ち出されている。例えば『タイッテイリーヤ』(二、七)はこう断言する、「太初には非有だけがあった。そこから有が生じた」と。この立場は『リグ・ヴェーダ』まで遡る非常に古い思想である。なお、<無>を<無>と言わないで、<非有>と言っている事も、頗る示唆的である。

 <無>をコトバ(<名>)の存在分節機能と直結させて、『老子』(一)は「無名は天地の始」(無名天地之始)と言っている。コトバ以前、すなわち、意味分節が起こる前の境位こそ、<天地>(<名>によって分別された存在世界開展の始点)の根源である、という事である。この場合は、<無>は<有>に限りなく近い。と云うより寧ろ、<無>即<有>、すなわち<無>と<有>との鏡映的相互同定なのである。なぜなら、<無>を絶対無分節という意味に解する限り、それはまだ万有に分化する以前の、存在論的に未発動の状態なのであって、これから自己分化、自己限定、自己分節の動的プロセスに移ろうとしている<無>は、あらゆる存在者を潜勢的に包蔵していると云う点から見て、すでに<有>であるのだから。

 以上のような考察によって、東洋哲学の性格を根本的に規定する<有><無>の概念が、単純な<有><無>ではない、と云う事を我々は知る。いずれの場合にも、<有>と<無>の、一見それとわからぬ形での相互滲透がある。<無>の側からすれば、<無>は<無>であってしかも<有>。<無>である事が、すなわち<有>であること(「真空妙有」、「空即是色」、老子の「槖籥(たくやく)」の比喩、など)。反対に<有>の側からすれば、<有>はその存在充実の極致に於いて還って<無>(「無極而太極」)。因みに、周濂渓(しゅうれんけい)・朱子の「無極にして太極」とは、陰陽二気に原分化する以前の存在の<有>的根源である<太極>が、その究極的無分節性に於て<無極>である、と云う事である。また、ここではその理論的特殊性についての詳説は避けるが、<色即是空>も、要するに、<有>即<無>、<有>である事が即ち<無>である、と云う事に他ならない。

 東洋哲学における<有><無>の形而上学に関しては、まだまだ論ずべき事が多い。そしてまた、ここで取り上げる事が出来ないが、この形而上学との密接な連関性に於て、東洋的主体性(<我>)も、東洋哲学の構造論的概説には、欠かす事の出来ない枢要な主題である。

 

これは筆者が井筒論文と禅との聯関について改めて考究し、自身暖皮にも少なからずに井筒氏筆致の薫習を体現すべくに公開するものであり、一部修訂を加えた。(タイ国にて・二谷)