正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

「理事無礙」から「事事無礙」へ 井筒俊彦

 

一 「理事無礙」から「事事無礙」へ

井筒俊彦

 

   一

 この講演のテーマとして私が選びました「事事無礙」は、華厳的存在論の極致。壮麗な華厳哲学の全体系が、ここに窮まると云われる重要な概念であります。しかし「事事無礙」という考え自体、すなわち経験的世界のありとあらゆる事物、事象が互いに滲透し合い、相即渾融するという存在論的思想そのものは、華厳あるいは中国仏教だけに特有なものではなく、東西の別を越えて、世界の多くの哲学者たちの思想において中心的な役割を果たしてきた重要な、普遍的思想パラダイムであります。今日。後ほどお話ししようと思っておりますイスラームの哲学者、イブヌ・ル・アラビーの存在一性論もその典型的な一例ですし、その他、中国古代の哲人、荘子の「混沌」思想、後期ギリシャ、新プラトン主義の始祖プロティノスの脱我的存在ヴィジョン、西洋近世のライプニッツモナドロギーなど、東西哲学史に多くの顕著な例を見出すことが出来ます。これらの哲学者たちの思想は、具体的には様々に異なる表現形態を取り、いろいろ違う名称によって伝えられておりますが、それらはいずれも、華厳的術語で申せば「事事無礙」と呼ばれるにふさわしい、一つの共通な根源的思惟パラダイムに属するものであります。

 わけても、プロティノスが『エンネアデス』の一節で、彼自身の神秘主義的体験の存在ヴィジョンを描く所などに至っては、まさしく『華厳経』の存在風景の描写そのままであります。『エンネアデス』と『華厳経』の異常なまでの類似は、我が国でも、中村元教授によって夙に指摘されている所ではありますが、「事事無礙」をめぐって華厳とスーフィズムとの思想構造的対応性を論じようとする、今日の私の主題に近づく為の好適な第一歩として、ここにプロティノスの一節を引用し、それを考察する事によって、事物の相互滲透という事を、哲学者たちの思想的に分析し始める前に、予め一種の形而上的存在風景として、イマージュ的に捉えておきたいと思います。

 この引用箇所で、プロティノスは深い瞑想によって拓かれた非日常的意識の地平にと突如として現れてきる世にも不思議な(と常識的人間の目には映る)存在風景を描き出します。「あちらでは・・」と彼は語り始めます。「あちら」、ここからずっと遠い向こうの方―勿論、空間的にではなく、次元的に、日常的経験の世界から遥かに遠い彼方、つまり、瞑想意識の深みに開示される存在の非日常的秩序、ということです。「あちらでは、すべてが透明で、暗い翳りは何処にもなく、遮るものは何一つない。あらゆるものが互いに底の底まですっかり透き通しだ。光が光を貫通する。ひとつ一つのものが、どれも己の内部に一切のものを包蔵しており、同時に一切のものを、他者の一つの中に見る。だから、至る所に一切があり、一切が一切であり、ひとつ一つのものが、即、一切なのであって、燦然たるその光輝は際涯を知らぬ。ここでは、小・即・大である故に、すべてのものが巨大だ。太陽がそのまますべての星々であり、ひとつ一つの星、それぞれが太陽。ものは各々自分の特異性によって、判然と他から区別されておりながら(従って、それぞれが別の名をもっておりながら)、しかもすべてが互いが他のなかに映現している」。

 すべてのものが、「透明」となり「光」と化して、経験的世界における事物特有の相互障礙性を失い、互いに他に滲透し、互いに他を映し合いながら、相入相即し渾融する。重々無尽に交錯する光に荘厳されて、燦爤と現成する世界。これこそ、まさに華厳の世界、海印三昧と呼ばれる禅定意識に現れる蓮華蔵世界海そのものの光景ではないでしょうか。とにかく、華厳仏教の見地からすれば、今ここに引用したプロティノスの言葉は、「事事無礙」的事態の、正確な、そして生き生きとした描写に外ならないものでありまして、もしこの一節が『華厳経』のなかに嵌め込まれてあったとしても、少しも奇異の感を抱かせない事であろうと思います。

 プロティノスと華厳との此の著しい類似は、一体どこから来たのでしょうか。一つの考え方としては、先ほど一言したように、「事事無礙」を普遍的な根源的思惟パラダイムとして説明する事です。そうすれば事は簡単ですし、危険も少ない。私自身も、少なくとも今の処、そういう立場に傾いているのですが、学者の中には、もっと積極的に、プロティノスが華厳的思想を直接知っていて、その影響を受けたのではないかと考えている人もある。そう考えたくなるのも当然です。なにしろプロティノスが、インドの宗教・哲学に対して、憧憬に近い関心を抱いていた事は周知の事実ですし、それに彼がアレクサンドリア、ローマで活躍していた西暦三世紀は、インドにおける大乗仏教の活力溢れる興隆期であったという事も、今問題としている事に無関係ではなさそうです。いや、そればかりではありません、この方面の権威の一人であった、ドイツの故エルンスト・ベンツ教授が、数年前、私に個人的に話してくれた処によると、その頃の地中海の大国際都市アレクサンドリアには、すでに相当有力な仏教コミュニティーが存在していたらしいとの事で、もしそれが本当だとすれば、あれほど烈しくインドの惹かれていたプロティノスが、彼らに接触していなかったとは、到底考えられません。

 私は今、この問題に早急に判定を下そうなどとは全然思っておりませんし、またその能力も資格もございません。しかし、とにかく、プロティノスと華厳との間には、たぶん偶然の一致ということ以上に、何か不思議な縁(えにし)が有るかのような気がしてなりません。両者を結ぶその縁の具体的な形は、「光」のイマージュ、「光」のメタファーの氾濫という事です。

 『華厳経』が、徹頭徹尾、「光」のメタファーに満たされている事は、皆様ご承知の通りですが、先刻引用した『エンネアデス』の一節も、終始一貫して「光」のメタファーの織り出すテクストでした。華厳もプロティノスも、ともに存在を「光」として形象する、あるいは、「光」として転義的に体験する。「光」のメタファーとは云っても、ここでは、単に表現形式上の飾りとしての比喩ではありません。観想意識の地平で生起する、実存転義そのものとしての比喩なのです。質料的不透明性を脱却して、完全に相互滲透的となった存在は、「光」的たらざるを得ない。そのような様態における存在は、おのずから、実在転義的に「光」となって現れる。だからこそ、二つのものが有る時、「光が光を貫く」という事が、そこに起るのです。プロティノスの語る「光燦々」とは、このような意味で実在的に転義し、メタファー化した存在世界の形姿に外なりません。

 

 プロティノスと華厳。両者を、いま申しましたように、「光」のメタファーで繋いでみますと、その延長線上に、いろいろ興味ある事が見えてきます。先ず第一に『華厳経』自体、このお経の展開する存在ビジョンが、隅から隅まで「光」のメタファーの限りない連鎖、限りない交錯、限りない重層の作るなす盛観である事は、ちょっとでも『華厳経』を開いた事のある人なら、誰でも知っているはずですが、この「光」の世界全体の中心点が、眩いばかりに光り輝く毘盧遮那仏であることに、特に注目したいと思います。「毘盧遮那」、原語はヴァイローチャナVairocana(語根は「燦然と輝く」)、万物を遍照する太陽、「光明遍照」、「光」の仏、を意味します。華厳的世界の原点、『華厳経』の教主が、このように根源的「光」の人格化としての太陽仏であるという事実に、私は何となくイラン的なものを感じます。ゾロアスター教の「光」の神、アフラ・マズダの揺曳する面影を、どうしてもそこに見てしまうのです。

 古代イランの「光」の宗教が、華厳の存在感覚の形成に影響したのではないかー直接の影響とまでは言わないにしても、深層意識的に両者を結びつける何かが在ったのではないかーというのは、今のところ、単なる推測に過ぎませんけれど、だからと言って、全く無根拠な憶測だとも言いきれない処もあるのです。

 『華厳経』が、現在我々の手にあるような、一大経典の形に編纂されたのは、西北インドまたは西域に於いてであり、特に天山南路の仏教の拠点、于闐(うてん・ホータン)が、恐らくこの大事業の中心地だったのではないか、と言われております。いずれにしても、この地域はギリシャ文化とイラン文化との交流する処、わけても西域は、その全体がイラン文化の圧倒的支配圏だったのであります。ですから、ここで華厳がゾロアスター教と深密な関係に入ったとしても、なんの不思議もございません。また、そうでなくとも、中央アジアタクラマカンの縹渺たる砂の海に照りわたる太陽の光の実感が、華厳経の本尊を、無限の空間に遍満する「光」の源泉として形象させたとしても、これ又聊かも不思議ではないのであります。

 とにかく、こうして出来上がった仏教の「光」の経典、『華厳経』は、シルクロードを通って、今度は中国の国際都市、長安にもたらされたのでした。ここでも又、古代イラン的「光」のメタファーの潜勢力が、奇妙な経路で中国仏教の深みに沁み込んで行きます。今、私は中国における華厳哲学の中心人物、法蔵という人の深層意識的イラン性を想像しているのです。

 賢首大師、法蔵(643―712)。中国華厳宗の第三祖。華厳哲学の大成者。紛れもな

い中国の思想家です。が、純粋な中国人ではない。少なくとも人種的には、漢族ではない、

というべきでしょうか。とにかく、中国人として中国に生れ、中国で育ち、中国仏教の中心

地、長安で仏教学の研鑽を積んだ法蔵は、実は西域人だったのです。彼の祖父は中央アジア

康居国、ソグディアナ、で高位を占めていた人で、彼の父の代に一家が中国に移って来たの

でした。ですから、中国に生れ育ったとはいえ、法蔵はソグド人。この天才児の肉体の中に

は、古代イラン文化の心が色濃い血となって流れていたはずです。とすれば、『華厳経』の

「光」の世界像に対する彼の、あの異常な傾倒を、ゾロアスター教的「光」の情熱の密かな

薫習に結びつけて考える事も、強ち荒唐無稽な想像とばかりは言えないでしょう。

 そればかりでは有りません。先に私は、プロティノスが華厳の影響を受けていたかも知れ

ないという考えをご紹介しましたが、もしそれが本当だとすれば、華厳は、プロティノス

通して、イスラーム哲学にも、中世ユダヤ哲学にも深く関わって来る事になるのです。イス

ラーム哲学、特にスーフィズムは、プロティノスの強い影響の下に発展した思想潮流ですし、

タムルード期以後のユダヤ哲学の史的発展もまた、プロティノスを抜きにしては考えられ

ません。なかんずくユダヤ教神秘主義の主流をなすカッバーラーなどに至っては、それの基

礎経典である『ゾーハルの書』の「ゾーハル」が元々「光暉」を意味する語である事からも

分かる通り、根本的に「光」のメタファーの形而上的展開です。また、イスラームの方では、

現にこの講演の第二部で主題的にお話しする事になっている、イブヌ・ル・アラビー(11

65―1240)の「存在一性論」も、プロティノスのの影響を受けております。彼の「理

理無礙」→「事事無礙」的存在論が、華厳哲学と如何に類似しているかは、後で詳しく主題

的に取り上げます。

 しかし、「光」の世界という点で、『華厳経』にもっと近いイスラームの思想家としては、

イブヌ・ル・アラビーと同時代のイラン人、スフラワルディー(1153―1191)の名

を挙げるべきでしょう。彼の主著『黎明(しののめ)の叡智』は、グノーシス的観想体験を

通じて「存在」を「光」に実在転義しmそれに基づいて、全存在世界を多層的な「光の殿堂」

として表象するものでありまして、唯一絶対の神的光源である「光の光」の反照を受けつつ、

一段また一段と重層的に現出していく光彩陸離たる「光」の世界。まさしく、『華厳経』の

世界像そのままであります。「光の光」という形に実在転義されたイスラームの神、アッラ

ーの姿に華厳の毘盧遮那仏、あの宇宙的「光」の仏、の分身をみる事も、決して考えられな

い事ではないでしょう。

 こう申しましても、イスラームグノーシスの極致と云われ、ゾロアスター教的「光」の

宗教のイスラーム化と謂われる、このスフラワルディーの存在ヴィジョンに華厳の影響が

ある、と言う訳ではございません。ただ、両者の間には、何らかの形での、少なくとも間接

的な、密かな繋がりが有るのかも知れない、と思っているだけの事です。因みに、「光の光」

から発出した「光」が次第に純粋度を失って、ついに最下層の経験的世界の物質性の「闇」

に消えていく、「光」の多層的、段階的構造の理論的構成において、スフラワルディーは、

明らかにプロティノスの流出論の影響を蒙っております。

 

 以上、想像とも推測ともつかぬ事柄を色々と申し述べてまいりました。先に一言いたしま

した通り、華厳の「事事無礙」的思想を、一つの普遍的思惟パラダイムと考えますならば、

それが東西の哲学の至る処、歴史的に何の親縁関係のない処にも、様々な形を取って現れて

来るであろう事は、当然、予想される訳でありますけれど、猶その外に、華厳を巡って、史

的親縁性の複雑に錯綜する網が、それこそ「事事無礙」的に、張り巡らされているのではな

かろうか、その可能性は確かにある、という事を、申し上げてみたかったのであります。

 しかし、こうした事は、学問的には、ほとんど全て仮説の域を出ません。この辺で、推測

に基づく考え方は切り上げて、以下、もっと具体的に華厳哲学そのものの考察に取りかかり

たいと存じます。

 

   二

 

 日常的経験の世界に存在する事物の最も顕著な特徴は、それらの各々が、それぞれ己れの

分限を固く守って自立し、他と混同される事を拒む、つまり己れの存在それ自体によって他

を否定する、ということです。華厳的な言い方をすれば、事物は互いに礙(さまた)げ合う

ということ。AにはAの本性があり、BにはB独自の性格があって、AとBとはそれによ

ってハッキリ区別され、混同を許さない。AとBとの間には、「本質」上の差違がある。A

の「本質」とBの「本質」とは相対立して、互いに他を否定し合い、この「本質」的相互否

定の故に、両者の間には自ずから境界線が引かれ、Aがその境界線を越えてBになったり、

Bが越境してAの領分に入ったりする事は出来ない。そうであればこそ、我々が普通「現

実」と呼び慣わしている経験的世界が成立するのであって、もしそのような境界線が事物

の間から取り払われてしまうなら、我々の日常生活は、その成立している基盤そのものを

失って。たちまち収拾すべからざる混乱状態に陥ってしまうでしょう。

 森羅万象―存在が数限りない種々多様な事物に分かれ、それぞれが独自の「名」を帯びて

互いに他と混同せず、しかもそれらの「名」の喚起する意味の相互連関性を通じて、有意味

的秩序構造を為して拡がっている。こんな世界に、人は安心して日常生活を行きているので

す。つまり、事物相互間を分別する存在論的境界線―荘子が「封」とか「畛(しん)」(原義

は耕作地の間の道)とか呼んだものーは、我々が日常生活を営んでいく上に、欠く事の出来

ないものでありまして、我々の普通の行動も思惟も、すべて、無数の「畛」の構成する有意

味的存在秩序の上に成立しているのであります。

 このように、存在論的境界線によって互いに区別されたものを、華厳哲学では「事(じ)」

と名づけます。とは申しましても、華厳思想の初段階において、第一次的に「事」と名づけ

ておく、ということでありまして、もっと後の段階で、「理事無礙」や「事事無礙」を云々

するようになりますと、「事」の意味も自ずから柔軟になり、幽微深遠な趣を帯びて来ます

が、それについては、いずれ適当な場所で詳しくお話する事と致しなして、とにかく今の段

階では、常識的人間が無反省的に見ているままの事物、千差万別の存在の様相、おれが「事」

という術語の意味である。とお考えおき願いたいと思います。

 

 ところが、事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線―存在の「畛」的

枠組みとでも云ったらいいかと思いますが、―を取りはずして事物を見るということを、古

来、東洋の哲人たちは知っていた。それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。

 「畛」的枠組みをはずして事物を見る。ものとものとの存在論的分離を支えて来た境界線

が取り去られ、あらゆる事物の間の差別が消えてしまう。と云う事は、要するに、ものが

一つもなくなってしまう、と云うのと同じ事です。限りなく細分されていた存在の差別相が

一挙にして茫々たる無差別性の空間に転成する。この境位が真に覚知された時、禅ではそれ

を「無一者」とか「無」とか呼ぶ。華厳哲学の術語に翻訳して云えば、さっきご説明しまし

た「事」に対する「理」、さらには「空」、がそれに当たります。

 しかし、それよりもっと大事な事は、東洋的哲人の場合、事物間の存在論的無差別性を覚

知しても、そのまま、そこに坐り込んでしまわずに、また元の差別の世界に戻って来ると云

う事であります。つまり、一度はずした枠をまたはめ直して見る、と云う事です。そうする

と、当然、千差万別の事物が再び現われてくる。外的には以前と全く同じ事物、しかし内的

には微妙に変質した事物として、はずして見る、はめて見る。この二重の「見」を通じて、

実在の真相が始めて顕わになる、と考えるのでありまして、この二重操作的「見」の存在論

的「自由」こそ、東洋の哲人たちをして、真に東洋的たらしめるもの(少なくともその一つ)

であります。

 

  常無欲以観其妙

  常有欲以観其徼

 

 「常無欲、以て其の妙を観、常有(ゆう)欲、以て其の徼(きょう)を観る」―絶対的

無執著(存在無定立)の心をもって、(聖人は)存在を無差別相において見、同時にまた、

絶対的執著(存在定立)の心をもって、存在の境界差別を見る、と老子が言っています。『老

子』のこの文の読み方については、昔から異論がありまして、「常無、以て其の妙を観んと

欲し、常有、以て其の徼を観んと欲す」とも読まれておりますが、「常無」「常有」は大体に

おいて、仏教の「真空」「妙有」に当ると考えて良かろうと思いますので、結局、意味する

処は同じです。

 要するに、たった今お話しました東洋的哲人の、「畛」的限定をはずして事物を観想し、

はじめて観想する自由無礙の意識と、この二重操作に応じて顕現の相を変える存在の心の

あり方とを、この文は述べようとしたものに他なりません。

 ただ、二重の「見」とか二重操作とか申しましても、これら二つの操作が次々に行われる

のでは、窮極的な「自由」ではない。禅定修行の段階としては、実際上、それも止むを得な

いかも知れませんけれど、完成した東洋的哲人にあっては、両方が同時に起るのでなければならないのです。境界線をはずして見る。決して華厳だけ、あるいは仏教だけの話ではありません。例えば、イスラームスーフィズムでも、意識論的に、また存在論的に「拡散(ファルク)」―「収斂(ジャムウ)」「収斂の後の拡散」という三「段階」を云々いたしますが、ここで「収斂の後の拡散」と云うのは、修行上の談回ウィ考えての事でありまして、本当は、

「収斂・即・拡散」の意味でなければならない。そういう境位が、最高位に達したスーフィーの本来的なあり方であるとされるのです。だからこそ、スーフィズムの理論的伝統はそのような人の事を、「複眼の士」と呼んでいる。どんなものを見ても、必ずそれをー先ほどの

老子』の表現を使って言えば、―「妙」と「徼」の両側面において見る事の出来る人という意味です。しかし、すぐおわかりになると思いますが、事物を「妙」「徼」の両相において同時に見るという事は、とりも直さず、華厳的に言えば「理事無礙」の境位以外の何物でもありません。しかも、華厳哲学においても、イブヌ・ル・アラビーの存在一性論においても、「理事無礙」はさらに進んで「事事無礙」に窮極するのであります。

<後略>

 

   三

 

仏経に限らず、広く東洋哲学の諸伝統は、非常に多くの場合、思惟の窮極処において、「無」あるいは「無」に相当するものを、その思想の中に導入して来る事を顕著な特徴とします。「無」の導入は、東洋哲学の根源的パターンの一つと考えてよろしいかと思います。「無」に当るものを、『般若経』系統の大乗仏教では「空」と申します。

上来、私は事物間の境界を取り払う、「畛」的枠組みをはずす、と云うような表現を盛んに使ってまいりました。それは、要するに、存在ヴィジョンの中に「空」を導入して来ると云うこと、つまり、存在を「空」化すると云う事なのであります。ここで存在と申しますのは、前にご説明致しました「事」的存在秩序を意味します。簡単に言えば、存在論的に見た日常的「現実」の世界のことです。そういう世界の存在秩序を「空」化する、「空」によって破壊する。ですから、存在ビジョンの中に「空」を導入すると云うのは、これをもっと現代風に言い直せば、存在解体という事になりましょう。「事」的存在世界の秩序を解体する、それが仏教の説く「空」の第一の意味です。

 ところで、「事」てき存在世界とは、前述の如く、無数のものが、それぞれ(相対的に)他から独立しーつまり、互いに相異しながらー自立している分別の世界。様々に異なる事物が、緊密な相互連関性において日常的存在秩序をなしている。この存在秩序の成立根拠は、それを構成しているものが、それぞれ自立していると云う事です。AとBとが、互いに相異して、Aは何処までもAであり、Bは何処までもBであってこそ、AとBとの結びつき、存在秩序、と云うものが考えられるのですから。

ものそれぞれの自立性。AをAたらしめ、AをBから区別し、Bとは相異する何かであらしめる存在論的原理を、仏教の術語では「自性」(svabhava)と申します。「空」の導入は、まさに存在のこの「自性」的構造の中核を破壊します。その意味での存在解体なのであります。『華厳経』のいわゆる「一切は、本来、空なりと観ず」とはそのこと。我々ならば存在解体とでも云う処を、仏教は「一切皆空」と表現するわけです。

「一切皆空」という。やたらに使われすぎて、今ではまるで空念仏のように耳に響きますが、実はこの一句、元々、大乗哲学の最も根本的な立場を宣言したものであったのです。一切のものは、悉く空である、という、その「空」の語が、すべての存在者の「自性」の否定を意味する事は、先程の簡単な説明からも明らかでありましょう。裏から言えば、全てのものが「無自性(nihsvabhava)であると云う主張です。

 我々の日常的意識は、元来、素朴実在論的です。目の前に見えている全ての事物が、それぞれ、そのまま、そこに、そのもの自体として実在していると思っている。さっきもちょっと申しましたように、Aは何処までもAというものである。すなわち、このように存在を見る事に慣れている認識主体にとっては、AはAとして、自己同一的に自立する実体だ、と云う事です。Aのこの実体性、全てのものの実体性、を徹底的に否定するのが、「一切皆空」という命題の意図であり、それが又、存在「空」化、存在解体、の仏教哲学的意味であるのです。

 存在は、常識的には、それぞれが自己同一的に自立する無数の事物からなる「世界」という形の、がっしりした構造体として表象されているのですが、そこに「空」の覚知の光が差し込むと、今まで恒常不変であるかの如く見えていた、この存在の分別的秩序が揺らぎだし、解体してしまう。元々、AなるものをA性において把握し、BなるものをB性において把握し、そうする事によってAとBとの間に分け目をつける(と考えられていた)「自性」が、AとBだけでなく、すべてのものについて一様に否定される訳ですから、事物間の差異が消えてしまう事は当然です。ここで「自性」の否定というのは。今問題としている仏教思想のコンテクストでは、「自性」が実在するものではなく、「妄念」すなわち、人間の分別意識(存在を千差万別の事物に分けて見る、分けて見ずにはいられない認識主体)の所産に過ぎない、ということ。「自性」の実在性が否定されれば、ものとものとの間の境界線がなくなってしまう。『信心銘』にいわゆる「忘絶境界」(境界を忘絶す)という訳であります。そして、「境界を忘絶」され、お互いの間の分け目を消された全ての事物は、おのずから融合して、「混沌」化し、ついには、存在世界全体が「一物もない」無的空間に変貌してしまう。この無的空間を指して、禅が「廓然無聖」などと言っている事はご承知だろうと思いますが、とんかくこれが存在「空化」、すなわち、仏教的意味での存在解体プロセスの、一応の、終点です。

 

 存在解体の一応の終点と、今、申しましたが、事実、解体にはそのあとがあるのでして、実は、そこでこそ華厳哲学は、その独自性を発揮するのであります。「理事無礙」も「事事無礙」も、すべて存在解体のあとの問題、存在解体の、いわば華厳的な後始末なのです。しかし、この後始末を主題的に取り上げる前に、存在「空」化のもう一つの側面、つまり、認識主体との、それの関わりと云う重大な問題がある。

 

   四

 

 前節で私は、存在「空化」、すなわち、仏教哲学の考える存在解体が、どんな内的構造を持つものであるか、と云う事について概説的なお話しを致しましたが、このような存在解体は、我々が何もしないでジッとしていても、自然に起って来る訳ではない。存在を「空」的に見る為には、それを見る主体、つまり意識の側にも、「空」化が起らなくてはなりません。意識の「空」化が、存在「空」化の前提条件なのであります。ここで「空」化されるべき意識と云うのは、普通、仏教で「分別心」と呼ばれている我々の日常的意識のこと。「分別心」という表現そのものが示す如く、、そして又私が前節で縷々述べて参りましたように、様々な事物のひとつ一つに「自性」を認めて分別し、存在を差異性の相において見ようとするする、日常的主体に深く沁みついた認識傾向を意味します。このような意識が「空」化されなければならない。と云うのであります。

 法蔵の用語で申しますと、日常的意味は「空」化されて「無礙心」になる。「無礙心」にして始めて存在世界を「無礙境」として見る事が出来る。「無礙心」と「無礙境」とは表裏一体。それを「心境無礙」と申します。

 ところで、「無礙心」とは、文字どおり、何のさまたげも無い心、要するに、引っかかりの無い心、と云う事ですが、もしそうとすれば、「空」化以前の日常的意識の方は、引っかかりの有る心であるはずです。日常的意識が、一体どこに引っかかるのか、と云えば、それは、すでにお話した事からすぐお分かり頂けるように、存在の差別相に、そして存在差別相の中核を為す事物の「自性」に、であります。本当は実在しない「自性」を実在すると思い込み、それを中核と‘して自己同一的な実体としてのものを立て、それに引っかかって動きがとれない、これが仏教の見た日常的意識のあり方です。それを「分別心」とか「妄念」とか、云うのであります。

 「妄念」、すなわち存在分別的意識は、一体、何処から起って来るのか。この意識の成立の基盤を為す事物の「自性」妄想は何によって惹き起こされるのか。先に私は、意識の「空」化が存在「空」化の前提条件であると申しましたが、意識の「空」化は、この問いに対する正確な答えが突き止められない限り、実現不可能であるはずです。もし「自性」なるものが実在せず、従って事物の自己同一的実体性も存在論的虚像に過ぎないとすれば、そもそも何に唆されて、意識はそのようなものを分別し出すのか。それが重大な問題となって来るのであります。

 この問いにどう答えるか。答え方の如何によって、哲学が決定的に性格づけられてしまいます。仏教に限らず、一般に東洋哲学には、言語に対する根深い不信がある事は、皆様ご承知の事と思いますが、この場合、華厳も、ナーガールジュナ(龍樹)以来の伝統に従って、言語を「妄念」の源泉と考えます。人間の意識の働きは、コトバによって根源的に支配されている。コトバと云うより、もっと正確には、「意味」の支配です。この点で、華厳哲学は、唯識派言語哲学に全面的に依拠しております。

 『華厳経』(十地品)の、あの有名な「唯心偈」に「三界虚妄、但是一心作」と言われ、また法蔵は、「一切法皆唯心現、無別自躰」と一節に言っておりますが、これらの言葉は、これと同趣旨の無数の他の表現と同じく、いずれも要するに、唯識派の根本テーゼである「万法唯識」の展開に過ぎません。

 「万法唯識」。一切の存在者は、、根源的に、識の生み出す所である、と云う。この識は、委しく言えば、唯識哲学の措定する意識の構造モデルにおける第八層、いわゆる「アラヤ識」のこと。「アラヤ識」の原語alaya-vijnanaは「蔵識」、すなわち内的貯蔵庫の働きをする意識の深層レベル。意識の奥処に潜み、一切の存在者の元となる「種子(しゅうじ)」を貯えている深層領域として形象されます。様々な存在者の形を生み出す「種子」とは、もっと近代的な言葉に直すなら、潜在的、あるいは、暗在的状態における意味エネルギーとでも云ったら良いでしょう。「アラヤ識」は、つまり、潜在的意味のトポス。太古以来、個人を越えて、人類全体の経験してきたあらゆる事が、意味エネルギーに転生して、奔流の如く波立ち渦巻く、暗い、存在可能性の世界―比喩的イマージュで描いてみれば、まあ、そんな事だろうと思います。

 この深層意識的意味エネルギーは、全体が一様に等質的な存在可能性の流れではなくて、謂わば、強弱いろいろに度合いの違う、凝固性の差異によって句切られているのが特徴です。なかでも特に凝固度の高い処は、「名」によって固定されて独立し、記号学のいわゆる「シニフィアン(signifian指すもの・注)」ー「シニフィエ(signifie指されるもの・注)」結合体となって、表層意識で正式の言語記号として機能する。

 今日の記号論の常識からすれば「シニフィアン」に裏打ちされない「シニフィエ」などと云うものは、理論的に有り得ない訳ですけれど、唯識の「種子」理論を意味論的に読み直す為には、それを聊か拡張解釈して、まだ「シニフィアン」を見出すに至っていない。潜在的、暗在的「シニフィエ」と云うようなものを指して考えた方がいい。要するに、まだ「名」によって固定されていない、凝固しかけの「意味」可能体が、「アラヤ識」の中に、たくさん揺れ動いている、と云う訳です。

 このような有名無名の形で、意識の深層領域に貯えられている意味エネルギーの働きで、様々な存在形象が表層意識の鏡面に立ち現れてくる。存在形象は、すなわち、意味形象。「夢幻空華(虚華)、何ぞ把捉(はしゃく)を労せん」と『信心銘』の言う、まさに「夢幻空華」の如き意味形象を、常識的意識は実在するものとして認識するのであります。コトバのこのような意味形象喚起作用、すなわち、実在する(かくの如く見える)事物を、至る処に喚び起し、撒き散らして止まぬ作用を、唯識派の出現より前に、龍樹は「プラパンチャ」(prapanca)と呼んでいました。漢訳仏典では「戯論」という面白い訳語が当てられておりますが、「プラパンチャ」とは、元来、「多様性」「多様化」、何かが種々様々な形で現れる事、を意味します。龍樹はこう言います、「すべての(存在)分別はプラパンチャによる」。そして、さらにそれに加えて、「プラパンチャのこの働きは、人が空を覚知する時にのみ消滅する」と(『中論』十八、五・「大正蔵」三十・二三c二九・注)。「プラパンチャ」とは、ほかならぬ「空」そのものの「多様化」であったのです。

 

 こう考えて見ますと、「空」は本源的に意識と存在の前言語的あり方であり、意識論的にも存在論的にも、「コトバ以前」でなければなりません。そして「コトバ以前」が、ここでは、第一義的に「意味以前」として理解されなければならないと云う事は、すでに述べた処から明らかであろうと思います。

 ですから、本節の冒頭で問題としました意識の「空」化とは、「離言」すなわちコトバを超え、意味の存在喚起エネルギーの支配から脱却する事であります。いわゆる「言語道断」(コトバの道の断絶)の境に踏み込むことです。この事を華厳は、「世間施設の仮名字を捨離する」(日常世界において、人々が社会契約的に取り決めて立てた、仮の名を捨て去ること)などと表現しております。これは「名」によって固定され、「シニフィアン」―「シニフィエ」関係がすでに顕在的に成立している語の、はっきり限定づけられた「意味」形象を頭に置いての発言ですが、勿論、さっきお話し申し上げた処によれば、そういう意味ばかりでなく、まだ一定の「シニフィアン」を見出していない浮動的「意味」可能体までも含めて、一切の、存在形象の源泉となる「意味」エネルギーそのものが捨離されなければならない訳です。そのような形で、コトバを超え、意味の支配を超脱する、それが意識「空」化と云う事なのであります。

 存在「空」化の前提条件である意識「空」化は、従って、唯識コンテクストで申しますと、「アラヤ識」も「空」化と云う事になります。意識の「アラヤ識」的深層レベルにおける意味形象(=存在形象)の生成機能を、ピタッと停止させてしまう事。まごうかたなき「アラヤ識」の「無」化、「空」化です。唯識哲学では、しかし、これを「アラヤ識」の「空」化とはせずに、「アラヤ識」を「無垢識」に転成させる事、あるいは「アラヤ識」のさらに奥底に「無垢識」と呼ばれる是対的深層レベルを拓く事、と云うふうに考えます。

 「無垢識」(amala-vijnana)―華厳の「自性清浄心」に当るーは、文字通り、穢れ無きこころ。「妄念」が生み出すものの影さえない意識。「無垢識」は「空」意識であり、「空」そのものであって、この意識空間の形而上的清浄性を穢すものは一つもない、と云うわけです。

 ところが、意識の「空」化がここまで来て、存在が完全に「空」化されますと、そこに突然、実に意外な事態が起こって来る。つまり、今まで「三界虚妄」などと謂われていた、分別的存在世界が、逆に虚妄では無くなって来るのです。

 元来、「無垢識」は「空」化がそのままであり、いわゆる根源的「無分別智」なのでありまして、もし、この識が何かを見るとすれば、「空」だけしか見ないはずです。ところが、この「無分別智」が、「無分別」的でありながら、しかも、様々に「分別」された存在世界を見る、という事が起る。前に私は、二重の「見」と云うような事を申しました。まだご記憶の事と思いますが、「空」でありつつ、「不空」を見る。「空」と「不空」を同時に、いわば二重写しに見ると云う事でありまして、「不空」すなわち参差(しんし)たる事物の世界が、「空」を透き通して、また現われて来るのであります。「無垢識」本来の万象「空」化の光を、分別意識の平面に反映させ、一切事物を「無」化しつつ「有」化する、そういう目で現象世界を見直す、と云っても良いでしょう。コトバ(意味)を超えた所に立ちながら、コトバ(意味)の現出する多彩な事実世界を見直す、と云う事も出来るでしょう。『肇論』の、聖人を叙した有名な一節に、「処有名之内、而宅絶言之郷」(「大正蔵」四五・一五七a三・注)と云う言葉がありますが、それこそ、まさに、いま話している二重の「見」の実相です。「有名の内に処(お)いて、しかも絶言の郷に宅(やど)る」、すなわち、「名」の支配する世界、コトバの世界、意味的に分節されたものの世界、に身を置きながら、しかもコトバを絶した境位を離れない、と云うこと。「分別」と「無分別」、存在の意味的分節と無分節との同時成立。ここに、全く新しい存在の地平が拓け、以前とは、まるで違う存在風景が見えてくる。華厳独自の存在論は、そう云う処から始まるのです。

 

   五

 

 存在解体にはあとがある、と私は申しました。存在解体の後。前にも言った事ですけれど、大乗仏教に限らず、一般に東洋哲学の主流を為す思想伝統の根柢には、多くの場合、存在解体がありまして、それが色々な形で現れて来ます。しかし、東洋思想の立場から申しますと、存在解体そのものよりも、むしろ、存在解体の後で、一体、何が起るのか、と云う事の方がもっと大事なのです。勿論、哲学的な存在ヴィジョンとして、と云う事ですが。存在解体の後、存在解体の後始末。存在を解体してしまった後の、その後始末び付け方が、時代により、場所により、文化の性格によって、大きく違ってくる。私の今日の話、第一部の主要テーマである、華厳哲学の「事事無礙」も、その典型的な一例なのであります。典型的な一例というより、華厳哲学こそ、数ある東洋哲学の諸伝統の中でも、存在解体の後始末を、哲学的な意味で、最も見事に付ける事に成功した場合である、と言うことが出来ようと思います。存在解体後の存在論、それが華厳哲学の本領であります。

 

 存在解体のあとは、存在解体の跡を意味する、とも私は申しました。存在解体、すなわち存在「空」化は、禅定体験上の事実として、極限的境位においては、文字通りの「空」(虚空)であり、一物の影も留めぬ絶対「無」であるにしても、一瞬の閃光にも比すべき、この存在の絶対的、「空」化体験に続いて成立する「空」意識にとっては、解体され尽くした存在の残す崩れ跡が、ありありと見えて来るのであります。破壊され、粉砕され、無に帰した(はずの)ものたちの姿が、その傷痕を負ったままで、つまり、「無」化されながら「有」化すると云う形で、再び立ち昇って来る。元々、存在の「空」化と申しましても、ある意味では、前にもご説明しましたように、事物の自己同一的実体性が、否定される事に過ぎませんので、それらの事物が、実体性を奪われたまま、つまり、無「自性」的に生起して来ると云う事が、充分考えられる訳であります。

 「空」の立場から「不空」を見る、「無」を見て来た目で、そのまま「有」を見る、「無」と「有」とを二重写しに見ると云う、あの二重の「見」がここに現成するのです。「我、諸法の空相を見るに、変ずれば即ち有、変ぜざれば即ち無。三界唯心、万法唯識」(『臨済録』「大正蔵」四七・五〇〇a一八)と臨済が言っていますが、この意味では、普通の人は片目で世界を見ている、東洋の哲人は「複眼」で世界を見る、とも言えるでしょう。華厳哲学は、まさしく、「複眼の士」の見る存在ビジョンの存在論なのであります。

 

 このような見地に立って、「空」をもう一度見直して見ますと、「空」が決して単純に存在否定的ではなくて、存在肯定的である事が分かってまいります。「空」は、元来、字義そのものからして、何もない、がらんどう、と云う事で、存在の全面否定です。しかし「空」には、同時に、存在肯定的側面がある。絶対的な「無」には、絶対的であるだけに、却って「有」に向う顔がある、とでも申しましょうか。『老子』の一節に言われている通りです。「天地の間は、其れなお橐籥(たくやく)のごときか。虚にして屈(つ)きず、動いて、愈(いよいよ)出づ」(天地之間、其猶橐籥乎。虚而不屈、動而愈出)、と。天と地の間(全宇宙)に広がる無辺の空間は、ちょうど(無限大の)鞴(ふいご)のようなもので、中は空っぽだが、動けば動くほど(風が)出てくる、という‘のです。

 仏教の「空」の構想にも、この点では、これと全く同じ考え方が働いています。「無一物」、空っぽで、それ自体は何ものでも無いからこそ、逆に何ものでも有り得る。絶対的「無」であるからこそ、無限に「有」の可能性を秘めている。「空」概念そのものに内在する「無」「有」のこの微妙な構造的両義性を、仏教で古くから使われてきた「真空妙有」と云う言葉がよく表しています。「空」は、勿論、ものではないのですから、側面などと云うのも本当はおかしな話ですが、敢えて、構造モデル的に、「空」に二つの相反する側面、すなわち、「有」的側面(「妙有」)と「無」的側面(「真空」)とがある、とする訳です。

 だから、当然、同じ「空」哲学でも、「真空」的側面に力点を置くか、「妙有」的側面を前方に押し出すかによって、存在論の構図が著しく変ってきます。華厳哲学は、その中心部分をなす存在論に於いて、後者の立場を取る、つまり、根本的に「有」的であり、存在肯定的であります。但し、存在肯定的とは言っても、一度完全に「空」化され解体された存在の肯定し直しなのであって、解体以前の素朴な日常意識の存在肯定とは、全く思惟レベルが違います。意味的虚構としての「自性」を取り去られ、実体性を奪われた事物が、どんな新しい秩序を構成するか、それが華厳的存在論のテーマなのでありまして、要するに、さっきお話した「存在解体のあと」の存在論です。

 

 「妙有」的側面が脚光を浴びて前に現れ、「真空」的側面が背後の闇に隠れる場合、当然の事ながら、「空」は、思想的に、強力な存在肯定的原理として機能し始めます。「空」が、本来的には、否定性そのものであり、存在肯定的であった事を、恰も忘れてしまったかのように。すなわち、元来、存在「無」化のプロセスの終点として現成した「空」が、今度は、限りない存在エネルギーの創造的本源として、積極的に働きだす事になる。そのような形で、否定から肯定に向きを変え、「有」的原理に転換した「空」を、華厳哲学は「理」と呼びます。「理」は「事」と対を成して、華厳的存在論の中枢を成す重要な概念です。

 しかし、たとえ「理」という仮面を付けて、哲学的思惟の舞台に登場しても、「空」は依然として「空」。そして「空」は「空」である限り、存在否定的性質を失う事はないはずです。「理」における「空」のこの否定的契機は、存在論的無分別(無分節)という形で保持されます。すなわち、「空」は、ここでは、「コトバ以前」、つまり、コトバの深層的意味エネルギーによる存在分節の前、という資格で現われて来るのです。

「コトバ以前」と云うこと自体は、前に存在「空」化のプロセスをご説明した時、触れました。が、あの場合と今の場合とでは、その方向性が根本的に違います。前のコンテクストでは、無分節は「無」を意味した。絶対無分節、一物も分別、分節されていない、従って何ものも無い。ところが、今の場合では、無分節は、すなわち、分節可能性です。絶対無分節は、無限の分節可能性。先刻、『老子』の宇宙的鞴の比喩に関連して申し上げた事を、思い出して頂きたいと思います。それ自体が完全に中空で、空っぽだからこそ、動けば動く程、限り風が出てくる。「空」(=「理」)は、絶対無分別であるからこそ、無限に自己分節して行く可能性でもある。まだ何ものでもないから、、還って、何ものにでも成れるのです。

「無」が(「無」でああるが故に)還って「有」。「空」が(「空」であるが故に)還って「不空」。「空」(シューニャ・sunya)即「不空」(ア・シューニャ・a-sunya)という、常識的には誠に奇妙な事態が、ここに起って来ます。この考え方の底には、「如来蔵」系の思想の影響が有るのだと思いますが、とにかく、こういう考えが進展しますと、「空」(すなわち「無」)が「有」の極限的充実に転成し、ついには、ありとあらゆる存在者を、可能態において内包する「蔵(くら)」(「胎」)、一切の存在論的可能性の、貯蔵庫の如きものとして、形象化されるに至ります。

 

そう言えば、この講演の第二部でお話する予定のスーフィ哲学者、イブヌ・ル・アラビーの存在論でも、「秘めた宝」(kanz makhfi)という鍵概念がありまして、ここでも貯蔵庫のイマージュが重要な働きをして居ります。「秘めた宝」、地中深く埋め隠されて、地上の人には絶対に見えない宝物―神がその本源的「無」意識から一歩立ち出て、自らの意識に目覚めた状態、その神的自意識の形而上的構造を描くに用いた有名な比喩。それ自体においては、絶対的一であり、無分別でありながら(すなわち、不可視の、秘めた宝でありながら)、無限の現象的形態に自己展開していく、存在論的可能性(すなわち、秘めた宝)である、「無」的真実性の「有」的あり方を、神の自意識として描いたものでありまして、仏教的に申しますならば、まさに「空」の「妙有」的側面に当ります。

 

このように考えられた「空」が、すなわち、華厳哲学の「理」。無限の存在可能性である「理」は、一種の力動的、形而上的想像力として、永遠に、不断に、至るところ、無数の現象的形態に自己分節していく。無分節の存在エネルギーが自己分節する事に成立する、それらの現象的形態のひとつ一つが、それぞれもの(「事」)として我々の目に映じるのです。「空」(「理」)の、このような現われ方を、華厳哲学の術語で「性起」と申します。

 

   六

 

「理」が、すなわち、「有」的様態における「空」、本源的存在エネルギーとしての「空」、を指示する華厳哲学の術語である事は、ただ今、見た通りです。そしてまた、このように理解された「理」が、存在論的には絶対無分節者であって、それの様々な自己分節が、我々のいわゆる存在世界、万象差別の世界を現出するもの、つまり、一切存在の根基であり根源であると云う事も。

 絶対無分節者の自己分節などと申しますと、あたかも「理」が無数に分裂して、バラバラに成るかのように聞えるかも知れませんが、無論、そんな事はあり得ません。もともと「分節」とか「(妄)分別」とか云うのは、すでにご説明しましたように、窮極的には、われ意識の深層領域に潜む様々な「意味」的「種子」の喚起する虚構の区別に過ぎないのですから、現象界にどれほど多くの事物の形姿が分節し出されましょうとも、その源(もと)になる「理」そのものには何の変化もない。前にもちょっと出しましたが、仏典でよく使う通俗的な比喩で申しますなら、海面に立ち騒ぐ波浪と海水そのものとの関係のようなもの。どんなに多くの波が、現に、水面上で分節差別されていても、水それ自体は常に平等一味、という訳です。この意味で「理」は、虚空が一切処に遍在しながら無差別不分である如くに、「遍一切処、恒常不変」と言われます。

 「分別」と云うことを、以上のように理解した上であれば、我々は安んじて、ここに言う事が出来ると思います。「理」は、本来、絶対無分別であるが、しかも現象的には千差万別に分節されて現われる、と。仏教ではありませんけれど、ヒンドゥー教聖典『バガヴァド・ギーター』の一節を、私は思い出します。「無始なる至高のブラフマン」のあり方を叙した箇所です。「(かのブラフマンは、それ自体は)無分割であるが、しかも、様々な事物のなかに、あたかも分割されているかのごとくに、存立する」(Avibhaktam ca bhutesu vibhaktam iva ca sthitam)。存在分節の機微を捉えて間然するところなき短文と言えるでしょう。

 

 このように、本来は絶対に無分節である(すなわち「空」である)「理」が、一切のもの、ひとつ一つのものという形で、自己分節的に、現象してくる。そこに、我々が通常、「現実」とか経験的世界とか呼び慣わしている現象的存在次元、森羅万象の世界が生起する。要するに、「理」の「事」的顕現です。それを華厳では「性起」というじゅつで表すのであります。

 「性起」の意味を理解する上で、華厳哲学的に一番大切な点は、それが挙体「性起」であるという事です。つまり「理」は、いかなる場合でも、常に必ず、その全体を挙げて「事」的に顕現する、と云うこと。だから、およそ我々の経験世界にあると云われる一切の事物、そのひとつ一つが、「理」をそっくりそのまま体現している。という事になります。どんな小さなもの、それがたとえ、野に咲く一輪の花であっても、いや、空中に浮遊する一微塵であっても、「理」の存在エネルギーの全投入である、と考える。これが華厳哲学の特徴的な考え方であります。先ほども申しましたが、、「理」の「分節」とは云っても、何か「理」というものがあって、それが幾つかの部分に分割され、それら部分のひとつずつが、別々の「事」的個物を作り出す、と云うような事ではありません。何時でも何処でも、「理」は挙体的にのみ「性起」する、と考えるのであります。「遍一切処」―「理」が一切処に遍在するーと云うのは、この事を空間的表象で表現したものに過ぎなかったのです。世界に存在する無数の事物の、どの一つを取り上げて見ても、必ずそこに「理」がある、いや、それがそのまま「理」である、と云う事です。

 

 以上で、「理」と「事」の関係がどのようなものか、ほぼお分かり頂けた事と存じます。今お話したような形而上的プロセス、あるいは出来事によって、存在の「事」的次元が現象する。「事」は存在の差別相であり、事物分節の世界。この分節の世界は、「分節以前」としての「理」を、己れの現出の本源として反照する。この「理」「事」関係を、より華厳哲学的な言葉に写し取ってみれば、次のような事になるでしょう。すなわち、「理」は何の障礙(さまたげ)もなしに「理」を体現し、結局は「理」そのものである、と。「理」と「事」とは、互いに交徹し渾融して、自在無礙。この「理」「事」関係の実相を、華厳哲学は「理事無礙」という術語え表わすのです。

 凡夫、すなわち素朴実在論的認識主体、の目で見られた世界には差別しかない。互いに相異する無数のものが見えるだけです。前にも申しましたように、それらのものには一々「名」が付いている。「名」が付いていないまでも、少なくとも有「意味」的である。「名」を持っていても、いなくても、およそ「もの」と認められる限り、それらは、謂わば様々に違う度合における「意味」凝固体であります。ものが「意味」凝固体であると云うことは、それらがそれぞれ自己主張的であるという事。つまり、ものはみな存在論的に不透明なのです。だから、それを見る人間の視線は、そこに突き当って止ってしまって、それを透過する事は出来ない。例えば、花を見る目は、ハナという「意味」分節の壁に突き当って、その向う側に「理」(すなわち「意味」分節以前)を見る事が出来ない。このような認識主体にとっては「事」から「理」への通路が塞がれている。「事」と「理」の間は障礙されているのです。

 これに反して、仏、すなわち一度、存在解体を体験し、「空」を識った人は、一切の現象的差別の影に無差別を見る。二重の「見」を行使する「複眼の士」は、「事」を見ていながら、それを透き通して、そのまま「理」を見ている。というよりも、むしろ、「空」的主体にとっては、同じものが「事」であって「理」である、「理」でありながら「事」である、と言った方がいいでしょう。「事」が如何に千差万別であろうとも、それらの存在分節の裏側には、「虚空のごとく一切処に遍在する」無分節がある。分節と無分節とは同時現成。この存在論的事態を「理事無礙」(「事理無礙」)と云うのであります。

 

 以上で大体、「事」、「理」、「理事無礙」という華厳哲学の三つの鍵概念を説明いたしました。この三つに、これからお話する「事事無礙」を加えて、「四法界」とか「四種法界」とか申します。これら四つの概念を基礎として、その上に華厳的存在論を整然たる形で構造づけたのは、法蔵自身ではなくて、その後継者、中国華厳第四祖、清涼(しょうりょう)大師、澄観(738―839)であります。この「四法界」の思想は、法蔵およびその先行者たちによって展開されて来た思想潮流を、実に見事に体系化し、構造化したものでありまして、その後、大変有名になり、ついには、華厳と言えば一般の人はすぐ「四法界」「四種法界」を憶う、と云う程になりました。法蔵自身の作り出した体系ではないとはいえ、彼の思想はそこに充分生かされており、私の考えております「存在解体のあと」の存在論としての華厳哲学を、典型的な形で呈示するものであると考えます。

 ところで、「四法界」という名称の示す通り、ここでは、華厳的存在論の四つの基礎概念が、「事法界」、「理法界」、「理事無礙法界」、「事事無礙法界」と云うふうに、それぞれ「法界」を付して呼ばれております。なぜ、わざわざ「法界」などと云う言葉を付加するのか。何でもない事のようですが、これが中々難問でして、特に「法界」の「界」の字が何を意味するかについては、異説があって容易に決定出来ません。しかし、今、この問題の詳細に入っても仕方が御座いませんので、私自身の考えを簡単に申し述べて、早く先に進みたいと思います。

 「法界」という漢(訳仏典の)語はサンスクリットの原語に戻して見ますと、dharma-dhatuでありまして、「存在(者)の根拠」というような意味。諸法(ダルマ)を法として成立させる所以のもの(ダートゥ)、存在を存在たらしめる根拠、つまり、存在解体の後で存在を再び、新しい形で、成立させる存在論的プリンシプル、と云う事になりましょう。存在解体によって一切のものが「空」化され尽した空間に、またものの姿が現れて来て新しい構造を作り出していく、そのプロセスを分析的に把握する為の基底概念と云うことです。

 従って、このコンテクストでは、、前にもちょっと言いましたが、特に「事」原理が、微妙な二重性を帯びる事になります。「事」は、第一次的には、常識的、素朴実在論的認識主体の見る事物、「自性」を存在論的中核として自立する実体でありました。それが、今、存在解体後のコンテクストでは、第二次的に、「自性」を喪失しながらも、しかも猶ものであるようなものとして現われて来る。それがここでの「事」でありまして、またそうであればこそ、「事事無礙」と云うような事が成立するのです。「自性」すなわち本質を失った「事」は、常識的人間の立場からすれば、もはや「事」ではあり得ない。そこに、第二次的意味の「事」の異常な性格があります。「事」の「自性」喪失が、存在論的に、どれ程根本的に重大な事であるか。それは次節で明らかになるでしょう。「事事無礙法界」が次節の主題です。

 

   七

 

 華厳存在論は、「事事無礙法界」のレベルに至って、その展開の窮極に達する。この事は前に申し上げました。「事事無礙」が、なぜ華厳存在論の終点なのか。華厳の哲学的思惟は、素朴実在論的意味での「事」の否定から出発して、「空」に至り、そこから返って、「事」の復活に至る。第一次的「事」から第二次的「事」へ。哲学的思惟の展開の轍跡が、一つの存在論的円を描く。構造的には、「理事無礙」は完結の一歩手前、「事事無礙」は最終段階です。その意味でも、「理事無礙」は「事事無礙」の思想根拠でありまして、「理事無礙」の基盤がなければ、絶対に「事事無礙」と云う事はあり得ないのであります。

 

 ところで、「理事無礙」の概念をご説明した際、詳しく申し上げました通り、無分節的「理」の自己分節として「性起」する「事」は、「有」でありながら、しかも同時に「無」であると云う矛盾的性格を帯びています。「事」的世界、すなわち経験的事物の世界を構成する限りに於いて、それらの事物のひとつ一つは、確かに、そこにある。しかし、「理」的実相に於いては、それらは全て「空」であり、ないものである。ないとは、ここでは、「自性」なし、の意味です。存在解体を経たあとの事物の、それが本当のあり方なのです。

 だが、しかし、「自性」のない事物が個々のものである、と云うような事が、一体、有り得るでしょうか。元々、「自性」とは、事物相互の差異の原理です。AはAであり、BはBであって、AとBとは違うものであると云うのは、Aには A性という「自性」があり、BにはB性と云う「自性」が有るからではないでしょうか。AにもBにも「自性」がなければ、AとBとは差異性を失って、そのまま融合して一つに成ってしまうはずです。そして、そう考える事こそ、実は存在「空」化の第一歩であったのです。

 ところが華厳存在論は、「事事無礙」のレベルに至って、ものには「自性」は無いけれども、しかも、ものとものとの間には区別がある、と主張する。つまり、Aは無「自性」的にAであり、Bは無「自性」的にBであり、同様に他の一切のものが、それぞれ無「自性」的にそのものである、と云うのです。どうしてそんな事が可能なのでしょうか。Aが Aである所以のもの(「自性」)を失って、どうしてAであり得るのか。この時点で、存在論的関係性と云う、華厳的存在論ので一番重要な概念が登場して来るのです。

 すべてのものが無「自性」で、それら相互の間には「自性」的差異が無いのに、しかもそれらが個々別々であると云う事は、すべてのものが全体的関連に於いてのみ存在していると云うこと。つまり、存在は相互関連性そのものなのです。根源的に無「自性」である一切の事物の存在は、相互関連的でしか有り得ない。関連あるいは関係と言っても、単にAとBとの関係と云うような個物間の関係の事では在りません。全てがすべてと関連し合う、そういう全体的関連性の網が先ず有って、その関係的全体構造の中で、始めてAは Aであり、BはBであり、AとBとは個的に関係し合うと云う事が起るのです。

 「自性」のないAが、それだけで、独立してAである事は出来ません。それはBでもCでも同様です。「自性」を持たぬものは、例えばAであるとか、Bであるとか云うような固定性を持っていない。ただ、限りなく遊動し流動していく存在エネルギーの錯綜する方向性があるだけの事。「理」が「事」に自己分節すると云うのは、ものが突然そこに出現する事ではなくて、第一次的には、無数の存在エネルギーの遊動的方向線が現われて、そこに複雑な相互関連の網が成立する事だったのです。

 この状態においては、ものはまだ無い。ものは無くて、関係だけがある。ABCD・・・というような、いわゆるものは、すべて「理」的存在エネルギーの遊動する方向線の交差点に出来る仮の結び目に過ぎません。出来上がった結果から言えば、だから、ABCD・・・等すべてのものは、相依り相俟って、すなわち純粋相互関連性においてのみ、それぞれがAであり、Bであり、C・・・であるのです。

 従って、例えばAというもののAとしての存立には、BもCも、その他あらゆるものが関わっている。Bというもの、Cというもの、その他一切、これと全く構造は同じです。結局、全てが全てに関わり合うのであって、全体関連性を無視しては一物の存在も考える事が出来ない。あらゆるものの、この存在論的全体関連構造を、仮に図式的に視覚化すれば(図版は省略、ABC・・・互いに聯関する図様)、<中略>謂わば共時的(サンクロニック)な構造です。しかしこの存在関連においては、ABC・・・などの内の、ただ一つが動いても、もうそれだけで全体の構造が変って来るわけでして、従って、一瞬一瞬に違う形が現成する。つまり、全体を通時的(ディアクロニック)な構造としても考えなければなりません。

 しかし、とにかく、どの瞬間においても、例えばAという一つのものは、他の一切のものとの複雑な相互関連においてのみ、Aというものであり得る。と云うことは、Aの内的構造そのものの中に、反面、まさにその同じ全体的相互関連性の故に、AはAであって、BでもCでも、X、Yでもない、という差異性が成立するのです。

 ただ一つのものの存在にも、全宇宙が参与する。存在世界は、このようにして、一瞬一瞬に新しく現成していく。「一一微塵中、見一切法界」と、『華厳経』(「大正蔵」九・四一二c八)に言われています。あらゆるものの生命が互いに融通しつつ脈動する壮麗な、あの華厳的世界像が、ここに拓けるのです。路傍に一輪の花開く時、天下は春爛漫。「華開世界起の時節、すなわち春到なり」(『正法眼蔵』「梅華」、「大正蔵」八二・二一八a八)という道元の言葉が憶い出されます。

 ある一物の現起は、すなわち、一切万法の現起。ある特定のものが、それだけで個的に現起すると云う事は、絶対にあり得ない。常にすべてのものが、同時に、全体的に現起するのです。事物のこのような存在実相を、華厳哲学は「縁起」と言います。「縁起」は「性起」と並んで、華厳哲学の中枢的概念であります。

 

 「縁起を見る者は空を見る」という龍樹の有名な発言からも分かりますように、「縁起」は、「空」哲学としての大乗仏教の、そもそもの始めから、決定的に重要な働きをして来た鍵概念であったのです。「縁起を見る者は空を見る」。すなわち、「縁起」と「空」の同定です。「空」と言っても、勿論、純粋否定性としての「空」を、それ自体の形而上的抽象性において考えれば、「縁起」と同定する事は出来ません。しかし経験界あるいは現象界から翻って、そこに具体的に作用しつつある様態において見る時、「空」は「縁起」としてしか現成し得ない。つまり、前に申しましたようにのみ存在し得る、と云うことです。要するに、現象的存在次元に成立する事物相互間の差異性、相異性(分別、意味分節、存在分節)を、その本来の「空」性の立場から見たものを「縁起」とするのです。

 こう考えてみますと、「性起」と「縁起」、これら華厳哲学の二つの重要な術語が、ほとんど同じ事態を指示するものである事に、お気づきになるでしょう。同じ一つの存在論的事態を「性起」は「理事無礙」的側面から、「縁起」は「事事無礙」的側面から、眺めると云うだけの違いです。日本における華厳哲学の代表的思想家、東大寺の凝念(1240―1321)が、このような観点から見た「理」と「事」の関係を、こう説いています。「分と分と相対して互いに障礙あり。しかれども理を以て事事を融通す。理、融するを以ての故に、事事相融す」(『華厳法海義鏡』)と。現象的存在の次元における様々なものは、それぞれ己れの境界の中に閉じこもって対立し、互いに礙げ合っていて、それらが互いに滲透し合うという事はない(普通の人には、そう見える)。だが、考えてみれば、ものとものとが相互にどれほど違って見えようとも、実は、それら全てを通じて唯一不可分の「理」が遍在しているのであって、そのために、ものとものとの間の境界は透過可能なのであり、結局、すべてのものは「理」を通して互いに円融し、相即相入しているのだーと、まあ大体、そんな意味であろうと思います。「理事無礙」と「事事無礙」との表裏関係を叙して、頗る明晰かつ周到、と云うべきでありましょう。

 ついでながら、「縁起」は、原語ではpratitya-samutpada、文字通りには、「(他者)のほうに行きながら、(他者)のもとに赴きながら(pratitya)、現起すること(samutpada)」と云う意味です。「他者のほうに行く」とは、他者に依拠する、と云うこと。自分だけでは存在し得ないものが、自分以外の一切のものに依り掛かりながら、すなわち、他の一切のものを「縁」として、存在世界に起って来る、という事です。漢訳仏典では、これを簡単に「縁起」と訳すのです。すべてのものが、互いに依り掛かり、依り掛かられつつ、全部が一挙に現成する、という。前にお話した、「事」的存在の根源的関連性を、この語はよく表わしております。

 

 華厳哲学の、このような「縁起」的思惟パターンは、事物の生成現起を、原因・結果の関係で説明するアリストテレス的思惟パターンとは、全然その性質を異にするものです。後者、すなわち、因果律的な考え方は、西洋では中世スコラ哲学、東洋ではイスラームの神学で支配的な位置を占めました。簡単に言えば、ものを、その原因によって説明しようとする思惟形態です。すべて、ものの存在には、必ず原因がなければならない。例えば、Aというものが存在するとしますと、それはAの原因であるBの結果として説明される。そして、その

Bはまた、それの原因であるCによって、と云うふうに原因から原因へと遡っていって、最後にもうこれ以上は原因―結果系列が辿れない窮極の原因(X)に達します。どんなものの、どんな原因―結果系列を考えても、必ずXに行きついて終る。Xは、あらゆる原因―結果系列の線の終点、つまり全てのものの最終原因でありますが、それ自体は原因を持たない自己原因的原因なのであって、「第一原因」(アリストテレス)と呼ばれます。

 あらゆる存在者の窮極的始源として、「第一原因」は、当然、全存在界の中心点の位置を占め、これが、西洋の中世哲学やイスラームユダヤ教的スコラ哲学のコンテクストでは、『聖書』あるいは『コーラン』の神と同定されて、生ける人格神、万有の創造主の哲学的代理とされるのであります。

 結果から出発してそれの原因に至り、そこから又その前の原因に、という上昇的コースを取るにせよ、逆に「第一原因」から出発して結果から結果へ、という下降的コースを取るにせよ、いずれにしても、この思惟形態は一本線的な考え方です。これに反して華厳の「縁起」は、複線的。と云うより、限りなく重なり合い、限りなく錯綜する無数の線の、相互連関的網目構造を考えるのです。すでに何遍も言いましたように、Aという一つのものの存在を説明するのに、A以外の一切のものの同時的参与を考えるのです。

 従って、また、こうして現起する存在世界には、中心というものがない。無中心的、または脱中心的世界です。もし「中心」というなら、何処にでもちゅうのある世界、と考えてもいい。Aを取ればAが宇宙の中心、Bを取ればBが宇宙の中心、と云うふうに。あるいは、全体がそっくりそのまま中心である世界、とも言えるでしょう。しかし、それは結局、無中心と同じ事です。元々、存在解体、存在「空」化、とは、存在の無中心化と云う事でもあったのです。そんな無中心的純粋関連性の、力動的(ダイナミック)で遊動的な構造体として、華厳は存在世界を見る。そして、そのような形で見られた存在世界の構造的特徴を、「事事無礙」と云う言葉で記入し、存在テクスト化するのです。

 

 「事事無礙」。上来、私はこの語を、特に主題的に取り上げる事なしに、自由に使用して参りました。「事事無礙」がどんな存在論的事態を指すものであるか、これまで申し上げて来た事だけでも、大体の所はお分かりになったのではなかろうかと思いますが、ここで改めて、それを、もっと華厳的存在ヴィジョンに密着した形で叙述し直してみる事で、この講演の第一部を終わらせて頂きたいと存じます。

 

 すべてのものは、相依相関的に、瞬間ごとに現起する。存在のこの流動的関連性は、無限蔭に延び広がって、一塵と雖もそれから外れる事はない。と、簡単に言えば、これが「縁起」という事であります。一一のものが、すべてのものに繋がっている。この事をイマージュ的に表現する為に、一塵起って全宇宙が動く、などと申します。ただ一個に微塵が、かすかに動いても、その振動は、全体的存在聯関の複雑な糸を伝って、宇宙の涯まで伝わっていく、というのです。

 しかし、ここで華厳が考えている存在関連は、単にすべての事物が相互に繋がっている、と云うだけの事では有りません。もっと重要な事は、すべてのものが、相互滲透的に関連し合っていり、と云う事なのです。

 この講演の最初に引用したプロティノス『エンネアデス』の一節に、ひとつ一つのものが全てのものであり、全てのものが一つのものであり、すべてが全ての中にある、と云うような意味の事が言われておりました。ただ一個のアトムの中に、全宇宙が、無数の層を成して繰り込まれている。一個のアトムが全宇宙であり、全宇宙が一個のアトム。「光が光を貫いて走る」。華厳的に云うなら、「自性」をなくして「光」となった、あるいは光のように透き通しになった、全ての事物間の相互滲透性を形象的に描いたものですが、それが華厳哲学の説く「事事無礙」なのであります。

 華厳哲学の極致と称されるだけあって、「事事無礙法界」は、法蔵自身も、かれの継承者たちも、これを色々違う形で叙述しております。以下、その中の二つを取り上げて、華厳的「事事無礙」観の一端を覗いて見る事に致しましょう。ここで取り上げる一つのアプローチ、その一は世に有名な鏡灯の比喩、その二は「有力」「無力」の原理に基づく「主伴」の論理。前者は、言うまでもなく、「事事無礙」のイマージュ的再現、後者はそれの構造理論的解明であって、これら二つを合わせれば、法蔵の華厳哲学の性格を、ほぼ正確に理解する事が出来ます。

 

 先ず第一に鏡灯の比喩。すでにご承知の方も多い事と存じますので、その大要だけを、これまでお話して来た事に照らして、ごく簡単に。

 今、一つの燭台うを真中にして、全部がそれに面を向けるような形で、多くの鏡を設置するとします。燭台に火を点ずると共に、すべての鏡がその火を映して一時に輝き出す。それと同時に、ひとつ一つに映る火が自分以外の全ての鏡に映っている、その火をも含めてー限りなく映していく。と、云う具合に、鏡は鏡を映し、火は火に照らし照らされて、その相互映発は、どこまでも続く。こうして、多くの鏡に映る一つの光が、無数の光に分れ、それらの光は重々無尽に交錯しつつ、無限の奥行きを持った、光の多層空間を作り出していくのであります。

 この講演の冒頭で、私はイスラームグノーシス的思想家スフラワルディーの「光の哲学」に触れましたが、彼の描く宇宙的「光の殿堂」も、唯一の光源から発出する無数の光が重々に織りなす光明世界のイマージュでありまして、思想構造としては、今ここに略述しました華厳の鏡灯の世界と、全く同じ性質のものです。一つの「光」から分れ出る無数の「光」は、別々の「光」でありながら、しかもすべてが唯一無二の「光」。「光」と「光」が互いに映発しつつ滲透し合い、相即相入して円融無礙。そこに、炳然と現出する多層的光明世界。いずれにしても、「事事無礙」的存在ヴィジョンを、この上もなく巧みに比喩化して再現したもの、と言えるでありましょう。なお、あらゆる存在者の重々無尽の相即相入をイマージュ的に描き出すものとしては、このほかに「因陀羅網」すなわちインドラ神(帝釈天)の宮殿に懸かる宝珠の網、の比喩が古来有名ですが、鏡灯の比喩と全く同趣旨ですから、ここではこれ以上お話しない事にして、次に進みたいと思います。

 

 第二番目に取り上げたいのは、「有力」「無力」に基づく「主伴」的存在論理であります。元来、この「有力」「無力」という概念は、法蔵自身の思想大系の中では、領域的にかなり限定された形で使われているものです。つまり、すべての存在者について、「体」(そのもの自体)と「用」(それの機能)と、の二面を分け、「有力」「無力」を、特に後者、すなわちものの働きの面、に於ける原理とするのであります。すべてのものは、互いに機能的に「有力」「無力」の関係に立つ。しかも、その関係は、どれが本来的に「有力」でどれが本来的に「無力」、と云うふうに固定される事なく、「有力」「無力」、相互に転換し合って融通無礙である、と云う。しかし私は、ここで、この重要な二概念の含意を、純存在論的に読み取って、現象界に於ける存在の構造そのものの、理論的基底として組み立て直してみたいと思うのです。

 

 今、仮に、ABCという三つのものー具体的には、例えば「鳥」と「花」と「石」―があるとする。すでにご説明した「性起」と「縁起」の原理によって、ABCが、いずれも、「空」の「有」的側面である絶対無分節者の分節的現起の形であること、そしてまた、その限りに於いて、ABCが、それぞれ、違うものでありながら、しかも互いに相通して、円融的に一であること、は明らかでありましょう。と、云うことは、すなわち、ABCは、いずれも、まったく同じ無限数の存在論的構成要素(abcde・・・)から成っている、と云う事にほかなりません。A=(abcde・・・)であるなら、またB=(abcde・・・)であり、Cも同じ。

 すべてが全てを映現する、あるいは、一一のものの中に全宇宙が含まれている、と云う鏡灯的「縁起」の原則によって、これらの存在論的構成要素(abcde・・・)は、ABCのどの場合に於いても、全部が一挙に起り、互いに交流し渉入し合いながら、Aを現成させ、Bを現成させ、またCを現成させていく。

 存在を記号化し、ものをすべて、記号的機能性に於いて把握しようとする現代の記号学の立場で考えるなら、今ここで問題としている存在論的状況では、Aは「シニフィアン」、(abcde・・・)はその「シニフィエ」と云う事になりましょう。つまり、「シニフィアン」Aー「シニフィエ」aと云うような、単純な一対一の記号構造ではない、と云う事です。たしかに、常識的な存在観に基づく記号学では、事態は、原則として、このように単純化されて呈示されるでしょう。しかし、華厳的記号学―仮にそのようなものが有るとしての話ですが、―では、、記号化されたものの存在論的意味構造は、「シニフィアン」A―「シニフィエ」(abcde・・・)と云う形を取る。しかも、「シニフィアン」は違っても、「シニフィエ」の方は、いつも同じ(abcde・・・)なのです。

 複合的「シニフィエ」の構成要素は、どの場合でも、全く同じであるのに、「シニフィアン」はAであったり、Bであったり、Cであったりする。どうして、そんな事が起るのか。「シニフィエ」が全く同じであるのに、どうしてAはAであってBでもなくCでもないと云うような事が有り得るのか。みな同一の複合的構成要素から成るちは云え、それらの相互の間には、常に必ず「有力」「無力」の違いがある、と華厳哲学は考えます。構造要素群の中のどれか一つ(あるいは幾つか)が「有力」である時、残りの要素は「無力」の状態に引き落される。「有力」とは積極的、顕現的、自己主張的、支配的と云う事。従って、「無力」とは、勿論、消極的、隠退的、自己否定的、被支配的である事です。「有力」な要素だけが表に出て光を浴び、「無力」な要素は闇に隠れてしまう。普通の人には、「有力」な要素だけしか見えない。しかも、(abcde・・・)のうち、どれが「有力」の位置を占めるかは、場合場合で力動的に異なるのです。つまり、「性起」の仕方、無分節者の自己分節の仕方、が場合場合で違う。この存在分節の違いは、ひとえに、どの要素が「有力」的に現起し、どれが「無力」的に現起するか、によって決まる。「有力」的に現起したものは主となり、「無力」的に現起したものは従となる。それがすなわち「主伴」の論理であります。

 AがAであってBやCでない、BがBであってAやCとは違う、云々という、もの相互間の存在論的差異性は、「主伴」論理によって支配されます。すなわち、A がAであるのは、その構成要素(abcde・・・)のうち、例えばaが「有力」で、b以下すべての他の要素を「無力」化してしまうからであり、B がBであるのは、例えばbがたまたま「有力」で、そのために、Aの場合には「有力」であったaも含めて、残りの要素が全部「無力」状態に置かれるからである、と考えるのです。全く同じ構成要素を共通に持ちながら、ABCが互いに違うものであるという、一見奇妙な事態が、こうして説明されます。

 すべてのものは、結局、それらの共有する構成要素の、「有力」「無力」的布置いかんによって、とは明らかです。「無礙」とは、元々、障礙(さまたげ)が無いと云う事なのですから。A はAでありながら、BでもありCでもある、それでいて事実上はAであっても、BでもなくCでもない。こんな存在論的境位では、すべてのものが互いに融通無礙であることは当然ではないでしょうか。差異が無いわけではない。しかしその差異は、謂わば透き通しの差異なのです。

 我々の日常的経験の世界、すなわち存在の現象的次元では、「有力」な要素だけが浮き出ていて、「無力」な要素は、全然、目に入りません。また、それだからこそ、ものがものとして個々別々に見えている訳なのですが、だからと言って、「無力」な要素が見えないと言っても、それは我々普通の人間の場合のことで、仏教の語る仏や菩薩たち、つまり前にお話した「複眼の士」には、ものの「無力」的側面も「有力」的側面も、同時に見える。我々の認識能力は、何を見ても、それの「有力」的側面にだけに焦点を絞るように出来ているので、「無力」的側面は完全に視野の外に出てしまうのですが、「複眼の士」の目は、常に必ず、存在の「無力」の構成要素を、残りなく、不可視の暗闇から引き出して来て、如何なるものをも、「有力」「無力」両側面に於いて見る事が出来るのです。このような状態で見られた存在世界の風景を叙して、華厳は、あらゆるものが深い三昧のうちにある、と云うのであります。

 

 以上、私は、紆余曲折を経ながら、「事」に始まり「事事無礙」に至る華厳哲学の長い道を辿って参りました。法蔵の存在論そのものについては、まだたくさん申し残した事が有りますけれど、これで、とにかく、華厳の「理事無礙」→「事事無礙」を主題とする第一部を、ひとまず終る事と致しました。

 

〈後半は省略〉

 

 

これは『思想』誌上に掲載されたものを、ワード化したものであり、

一部修訂を加えたが、大意は損なわないものであり、後半部は略した。

                               (タイ国にて・二谷)