正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

德山と臨濟    衣川賢次  

德山と臨濟 衣川賢次 一.『臨濟錄』勘辨「德山三十棒」一段の解釋 師聞第二代德山垂示云 「道得也三十棒,道不得也三十棒。」師令樂普去問 「『道得爲什麼也三十棒?』待伊打,汝接住棒送一送,看他作麽生。」普到彼,如敎而問。德山便打,普接住送一送。德…

道元の霊夢の中での大梅法常との出会いと修証観               石井   修道                         石井   修道

道元の霊夢の中での大梅法常との出会いと修証観 石井 修道 道元の修証観の特色は、本証妙修とか、証上の修と呼ばれている(1)。その主張はかの『弁道話』の次のような一説に見られる。 それ、修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法に…

中国禅と道元禅 石井 修道

退任記念講演 中国禅と道元禅 ―その連続面と非連続面とについて― 石井 修道 ただいま金沢篤学部長先生からご紹介がありましたように、私は平成二十六年三月末をもって定年退職いたします。今日、最終講義の日を迎え、どういう形式で行ったらよいのかよく分か…

鎌倉仏教と現代  末木  文美士  駒澤大学仏教学会主催 公開講演会

駒澤大学仏教学会主催 公開講演会 末木 文美士 鎌倉仏教と現代 批判仏教の問題提起を受けて はじめに 末木でございます。このような形でお話する機会を与えて頂きまして、光栄なことと思っております。また、お忙しいところお集まりいただきまして有難うござ…

中國初期禪宗の無修無作説と道元の本證妙修説 石井  修道

講 演 中國初期禪宗の無修無作説と道元の本證妙修説 石井 修道 道元の修證觀は本證妙修と一般に言われるが、この問題を嚴密に檢討したのは、鏡島元隆氏の「本證妙修の思想的背景」(『宗學研究』第七號、一九六五年、後に『道元禪師とその周邊』に補訂再録、…

正法眠藏における什麼の意義         酒井 得元

正法眠藏における什麼の意義 酒井 得元 一 禪録を見ると先ず我々は第一に、中國語の用法に熟逹しなければならぬことはともかくとして、その語感にまで通ずることが何よりも肝要である。普通の漢文讀みでは通じない點が非常に多い。それは禪道の性格と、それ…

永平高祖の見性批判について    酒 井  得元

永平高祖の見性批判について 酒 井 得元 一 正法眼蔵『四禅比丘』の巻に「六祖壇経に見性の言あり、かの書、これ偽書なり。付法蔵の書にあらず、曹谿の言句にあらず、仏祖の児孫、またく依用せざる書なり。」とあるように、永平高祖は見性という語に対しては…

黙 照 禅 の 本 質    酒 井 得元

黙 照 禅 の 本 質 酒 井 得元 一 褝堂と僧堂とは同一視されている現在、これは異を唱えるのはいささか、時代錯誤の感がないわけではない。しかしこの相違いが修道の相違でもあるとあっては、簡単に見逃すわけには行かない。しかし今更に何故にそんなことに…

道元禪の信決定について   酒井 得元

道元禪の信決定について 酒井 得元 一 常識的に、信仰ということが、褝とは全く別のことのように、考えられている。つまり信仰と禅とを別の在方であるとする、これらの人達は、褝を結局、悟りを開くためのものにしてしまっている。したがって、そこでは悟り…

退任記念講演 駒沢大学と私     酒井 得元

退任記念講演 駒沢大学と私 酒井 得元 私は昭和二十四年から、この駒沢大学に御厄介になっております。それで、ちょうど三十八年間、御厄介になったことになります。今年、満七十五歳になりましたから、ちょうど私の人生の半分をこの駒沢大学で送らせて頂い…

永平広録について  酒 井 得 元

永平広録について 酒 井 得 元 一 『永平広録』 についてお話をいたします。 道元禅師の著書というものを、 大別しますと、『正法眼蔵』 と 『永平広録』 ということになります。前者の方は世間に知られていまして、 皆にも読まれ、 研究者も出ております。 …

哲学・神学から仏教へ 末木 文美士

哲学・神学から仏教へ 末木 文美士 一、哲学と神学 「現象学の神学的転回」と呼ばれる一連の動向の中で、哲学と神学の距離は一挙に縮まり、哲学の自立性に大きな疑問が付されるようになった。かつて哲学は「神学の侍女」としてその限界の中に自足していたの…

親鸞像の形成 末木 文美士

親鸞像の形成 ︱︱ 親鸞の見た親鸞︑惠信尼の見た親鸞 ︱︱ 末木 文美士 はじめに 日本佛敎の特徴といえば︑敎理な問題以に︑僧侶の肉食妻帶という現象がすぐに指摘される︒妻帶僧はチベット系佛敎の一部や︑民地時代に日本から導入された韓國佛敎の一部にも…