正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

2022-01-01から1年間の記事一覧

正法眼蔵身心学道について    竹 村 仁 秀

正法眼蔵身心学道について 竹 村 仁 秀 永平高祖道元褝師は主著「正法眼蔵」の中に「身心学道」の一巻を著わし、仏家修行者の真実の学道について説示しておられる。 学道と云うならば、平常は心の学道の如く考えられ、学道その物をして心の成長、発展の問題…

『正法眼蔵』 「諸悪莫作」 論考    佐 藤 悦 成

『正法眼蔵』 「諸悪莫作」 論考 佐 藤 悦 成 はじめに 『正法眼蔵』「諸悪莫作」の巻に記される莫作の形成は、道元禅師の証す単伝の正法が、如何にして禅師自身に体得され、その思想の原点が那辺にあるかを理解せねば通俗的・表象的理解に留まることになろ…

『正法眼蔵諸悪莫作』 と褝戒思想     黒 丸 寛 之

『正法眼蔵諸悪莫作』 と褝戒思想 黒 丸 寛 之 日本曹洞禅における褝戒思想は、江戸中期に卍山が『禅戒訣』『対客閑話』を著してより、賛否両説の種々の論議を重ねた後、面山の『大戒訣』、指月の『禅戒篇』等を経て、万仭の『褝戒鈔』に至って大成されたと…

『正法眼蔵抄』 と天台本覚法門    山 内 舜 雄

『正法眼蔵抄』 と天台本覚法門 山 内 舜 雄 一 先に、道元褝と天台本覚法門との関係を詳究したのであるが(1)、その目途とするところは、道元禅の特質を、どの程度まで日本天台へと遡及させることが可能か、ということであった。 すなわち、道元禅師叡岳…

正法眼藏抄の成立とその性格    鏡 島 元 隆

正法眼藏抄の成立とその性格 鏡 島 元 隆 一 正法眼蔵抄は道元禅師の弟子、詮慧が道元禅師から直接聞いたものを書き留めた聞書を基にして、詮慧の弟子の経豪が更に註釈を加えたものといわれ、畧して御抄と称されるものであるが、正法眼蔵の註釈書としてはも…

『正法眼蔵抄』「諸悪莫作聞書」に関する問題について    倉 石 義 範

『正法眼蔵抄』「諸悪莫作聞書」に関する問題について 倉 石 義 範 『正法眼蔵』の最古の注釈書「正法眼蔵抄」の中に、「私云」を冠する注釈が見られる。 この形式をもっ注釈を含む巻を挙げると、仏性、諸悪莫作、説心説性、仏道、他心通のそ れぞれの巻であ…

『正法眼蔵』 「諸悪莫作」 論考     佐 藤 悦 成

『正法眼蔵』 「諸悪莫作」 論考 佐 藤 悦 成 はじめに 『正法眼蔵』「諸悪莫作」 の巻に記される莫作の形成は、道元禅師の証す単伝の正法が、如何にして禅師自身に体得され、その思想の原点が那辺にあるかを理解せねば通俗的・表象的理解に留まることになろ…

『説心説性』『自証三昧』考      石  井  修  道

『説心説性』『自証三昧』考 石 井 修 道 一 は じ め に 大慧宗杲(一〇八八―一一六三)を批判した道元の著作に『説心説性』と『自証三昧』の二巻があることはよく知られている。その説示は共に吉峰寺であり、年次の記載に寛元元年と寛元二年の一年の差があ…

道元禅師における「説心説性」の定義について     石 井 清 純

道元禅師における「説心説性」の定義について 石 井 清 純 道元禅師(一二〇〇―一二五三)は、『正法眼蔵』「説心説性」巻において、「説心説性」という言葉の解釈を媒体に、大慧宗杲(一〇八九―一一六三)批判を展開している。しかし、その一方で、大慧の語…

『礼拜得髄』 考       石井修道

『礼拜得髄』 考 石井修道 一 はじめに 『礼拜得髄』は 一種類の写本が現存し、 一般に (a)短文本と (b) 長文本と通称されて区別されている 短文本は七十五巻本の第二十八に編集され、長文本は永平寺所蔵の二十八巻本 (秘密正法眼蔵と呼ばれる) に収められて…

「現成公案」 の意味 石 井 清 純

「現成公案」 の意味 石 井 清 純 「現成公案」なる語は、中国唐代の禅者、睦州道明(生没年不詳)をその嚆矢とする。そしてこの語は、その後、多くの禅宗祖師によって拈弄され、燈史や語録の中に散見され、さらに日本において、曹洞系の禅を伝来した、道元禅…

『正法眼蔵』「現成公案」の巻の主題について 石 井 清 純

『正法眼蔵』「現成公案」の巻の主題について 石 井 清 純 はじめに 『正法眼蔵』「現成公案」の巻は、天福元年(一二三三)八月に著された。道元禅師の著作の中でも初期の選述にあたる。そして、この巻が七十五巻本の第一番目に位置し、かつ『正法眼蔵聞書抄…

現成公案の意義 古 田 紹 欽

現成公案の意義 古 田 紹 欽 一 道元は正法眼藏の隨處に現(見)成の語を用ひたが、公案との關係に於て 「見成の公案」 (正法眼蔵、坐禪箴・諸惡莫作) とか、「見成する公案」(同、空華・授記)とか、「見成せる公案」(同、諸悪莫作)とか、「公案の見成」(同)と…

道元禅師の「海印三昧」観について 菅 野 優 子

道元禅師の「海印三昧」観について 菅 野 優 子 一 研究の目的 道元禅師(一二〇〇―一二五三)の著作『正法眼蔵』「海印三昧」巻(以下、「海印三昧」巻と略記)に、二度引かれる句が存在する。その句は、次のように見られる。 佛言、但以衆法、合成此身。起…

『正法眼蔵有時』 考 鈴木 格禅

『正法眼蔵有時』 考 鈴木 格禅 一 『正法眼蔵有時』は、古来より難解な巻として知られ、また、「存在と時間」に関する哲学的思惟の、一つの極限を示す眼蔵中の白眉として、珍重せられてきた。 しかしそれが、単に「存在と時間」 の問題を解明する思弁の書で…

『正法眼蔵抄』『授記』の巻について 石 島 尚 雄

『正法眼蔵抄』 の考察 ―特に『授記』の巻についてー 石 島 尚 雄 一、序 私は、拙稿『道元褝師と引用天台典籍の研究(1)』で、『正法眼蔵抄』の中には、『法華経』あるいは天台教学と関連性がある巻があることを摘指した。今回は、それを受けて『授記』の…

『仏祖』『嗣書』『面授』考 石井  修道

『仏祖』『嗣書』『面授』考 石井 修道 一 はじめに 曹洞宗秋田県宗務所・禅センター主催の「講座『祖録に親しむ』」で、二十八巻本正法眼蔵の講義を継続している。平成十九年十一月三十日に第十二回目を迎えた時に『嗣書』となった。講義の準備の為に桜井秀…

『正法眼蔵』仏性巻における心について 米 野 大 雄

『正法眼蔵』仏性巻における心について ―特に発心について― 米 野 大 雄 一 問題の所在 道元(一二〇〇~一二五三)は質多心・汗栗多心・矣栗多心の三心説を採用(1)したことが知られている。その中でも特に質多心に関して、慮知心・慮知念覚心という語を用い…

平泉 澄氏インタビュー

東京大学旧職員インタビュー 平泉 澄氏インタビュー(一) このインタビューは、昭和五十三年十一月二十五日から一一十七日までの三日間(二十五日は打ち合せのみ)、福井県勝山市平泉寺町の、白山神社社務所を兼ねた氏の自宅で、東京大学百年史編纂のための調…

道元と白山信仰   中世古 祥道

道元と白山信仰ならびに吉峰・波著・禅師峰の関係について 中世古 祥道 一 白山天台と平泉寺(白山神社) 平泉寺は北越を中心に荘園等を有し、確かに白山信仰の一拠点を成したが、白山との関わりはそれ程古いものでもなく、白山は当初は園城寺(三井寺)の支…

平泉澄と権門体制論     今谷 明

平泉澄と権門体制論 今谷 明 はじめに 黒田俊雄(1926~1993)の「中世の国家と天皇」が発表だれたのは1963(昭和38年)二月のことで、すでに六十年(2022年現在)が経過している。当論文の評価については、発表直後はもとより、その後も…

禅における言語的意味の問題     井筒俊彦

禅における言語的意味の問題 井筒俊彦 一 現代思想は言語に関して多くの根本的な問題を提起した。言語に対する異常な関心は、現代人の思惟を主題的に特徴づけている。「意味」はそれらの根本的問題の中でも取り分け根本的な問題である。「意味」に対する関心…

庭前の柏樹子 小川 隆

庭前の柏樹子 ―いま禅の語録をどう読むかー 小川 隆 一 月をさす指 「不立文字」を標榜する禅宗は、それにも拘らず、ではなく、それゆえにこそ、膨大な量の「語録」を生み出し、代々それを伝えてきた。特定の教条の定立を拒む以上、真実は常に 時と処に応じ…

禅仏教における意味と無意味     井筒俊彦

禅仏教における意味と無意味 井筒俊彦 一 禅的ナンセンス 本章の主題は、禅における意味と有意味性の問題である。この主題と前章で議論した主題、つまり<自己>の基本構造とは、これから見るように、互いに密接であり不可分である。あるいは、言語と意味の問…

記号活動としての言語    井筒俊彦

記号活動としての言語 井筒俊彦 ものは何でも、見る人の見方で、実にいろんな風に見えるものである。 例えば一個の桃がある。腹が空いていれば、うまそうだ、と思うだろう。画家は静物画のモデルにいいと考えるかも知れないし、俳人は、これは風情があると一…

即心是仏 ―『言葉の思想史』よりー  末木 文美士

即心是仏 ―『言葉の思想史』よりー 末木 文美士 道元の即心是仏論 とふていはく、いまわが朝につたはれるところの法華宗・華厳教、ともに大乗の究竟なり。いはんや真言宗のごときは、毘盧遮那如来したしく金剛薩埵につたへて、師資みだりならず。その談ずる…

『正法眼蔵』―脱構築から再構成へ    末木 文美士

『正法眼蔵』―脱構築から再構成へ 一 本覚思想と道元―「弁道話」 ―『仏典を読む』よりー 末木 文美士 Ⅰ 修行は必要か 修行と悟りはひとつでないと思うのは、外道の見解である。仏法では、修行と悟りはひとつである(修証これ一等なり)。いまも悟った上での…

『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻に関する一考察     賴住  光子 

『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻に関する一考察 賴住 光子 ここに考察する『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻は、『正法眼蔵』全巻のうちで最も早く書かれている。その奥書には「爾時天福元年夏安居日在観音導利院示衆」とあり、天福元(一二三三)年に示衆…

禅語つれづれ 入矢 義高

禅語つれづれ 入矢 義高 一 禅臭 現在アメリカに滞在中の一老師から、十年ほど前に「日本の禅宗はあまりに禅臭(くさ)すぎる」という慨嘆を聞かされたことがある。「禅臭(くさ)い内はまだ脈があるんだ」という風に先走って、この言葉を捻ってしまわずに、…

石門洪覺範林間錄

No. 1624-A 洪覺範林間錄序 臨川 謝逸 撰 [0245a09] 洪覺範得自在三昧於 雲菴老人。故能游戲翰墨場中。呻吟謦欬皆成文章。每與林間勝士抵掌清談。莫非尊宿之高行.叢林之遺訓.諸佛菩薩之微旨.賢士大夫之餘論。每得一事。隨即錄之。垂十年間。得三百餘事。…