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 禅における内部と外部―1973年度エラノス講演― 井筒俊彦

   禅における内部と外部―1973年度エラノス講演―

井筒俊彦

 

   一 東アジアの画と書

 

 内部と外部、あるいは内部世界と外部世界との間の区別と関係の問題は、東アジア的精神性の形成過程において並外れて重要な役割を演じてきた。その考えは、事実、宗教的思考、哲学、絵画、書道、建築、造園、剣道、茶道等々といった多様な分野における東アジア文化の最も特徴的な多くの側面の発展、形成、洗練に、多大な寄与をもたらしてきた。

 わたは、禅仏教において内部と外部との間の区別がどのように扱われているのか議論する前に、予備的考察として、絵画と書道の分野から、同様の顕著な例をいくつか取り上げてみたいと思う。

 中国絵画の最初期の、そして最重要な理論家の一人、五世紀の謝赫(しゃかく)は、著書『古画品録』において、絵画の有名な「六原則」〔「六宝」〕を確立した人物であり、「気韻生動(生き生きと脈打つ精神的韻律)」という標題で、内部と外部との間の相互作用の問題を提起した。「六原則」〔「六宝」〕のうちの最初の原則であるこの「気韻生動」は優れた絵画の中には、人間の内的リズムと外部の<自然>の生命的リズムとの間の、完璧な調和的照応が実現されなければならないということを示している。それは、結果的にいわく説明しがたい精神的韻律が絵画の全体に浸透し、最も繊細なやり方で絵画に生命を与え、描かれる対象が何であっても、それに形而上学的意義を分け与えるという方法で、実現されなければならない。画家がこの原則の現成(げんじょう)に成功すると、その作品は、生命のリズミカルな脈動において自身を表現する、ある種特殊な精神的エネルギーに満ちる。それは、宇宙的<生命>そのもののリズムが全体にみなぎる作品となり、その中で、人間の精神は<天地>の内的リアリティと直接的に交感する。「気韻」あるいは「「精神的韻律」は、このように人が精神的生命力をまるごと用いて絵画制作するという、人の能動的な参加を通じてのみ実現されるものである。それは、描かれた物の自然な気韻に帰せられるべきものではない。白黒二色の風景画〔水墨画〕(それは通常、この原則の実現の例として挙げられる)は、この点で非常に誤解されやすい。例えば、遠く離れた、霧の中に霞んでいる山、あるいは雲のかかった、峰々のふもとの岩が織りなす渓谷に注ぐ急流といったものは、絵画の気韻が<自然>という外部世界にある気韻の反映、あるいは転移でしかないという印象をたやすく私たちにもたらす。しかしながら、実際のところは石、草、野菜―例えばキュウリやナスーといった身近な客体でさえ、山や川を描いた広大な風景に劣らない気韻を、絵画的に表象することがあるのだー画家が、描こうとしている物の本質を見ることに対して精神エネルギーをいかに集中させるのか、自分の精神をいわば物の精神に調和させ、そして筆の力を通じて作品にいかに注入させるかを知っている限りにおいては、もし画家が之に成功したら、その時は結果として、客体の精神は、画家の内的精神の脈動と完璧に調和しながら紙幅の上で動き、生きているように表現されるだろう。

 ここで内部と外部との根源的な弁証法を明らかにするという観点から、そのプロセス全体を再構築してみたい。今、東アジアの画家が竹の水墨画を描こうとしていると仮定しよう。画家は最初、その似姿を表象することには関心がない。というのも、彼はまず真っ先に、竹の内的リアリティに貫入し、そしてその「精神」がまるで竹の自然な流出であるかのように筆から流れ出るようにさせることに関心を払っているからだ。

 東アジアの美学の伝統では、画家が題材の「魂」と完全に自己同一化すること、すなわち画家が題材の精神的本質と完璧に一つになることが、この種の絵画での高度な、いかなる達成のためにも絶対必要条件と見なされている。

 描きたい対象と徹底的に一つになるために、画家は、精神的な落ち着きを不可避的に邪魔する心の動揺からの完璧な離脱を最初に達成しなければならない。集中した心の深い静寂状態でのみ、画家はすべてに浸透する宇宙的<生命>の波動mysteriumに貫入し、<自然>の働きと自分の精神とを調和させる事が出来るからである。それゆえ、東アジアの画家の間では、優れた絵画を作り出す前提条件として、「静坐」の実践が重要視されたのである。例えば、宋代の有名な風景画家、米元暉(べいげんき)はこう述べている、「私が僧のように脚を組み、静かに坐って、すべての雑事を忘れ、己を広大な青い空に調和させている時、(外部の)物は、私に触れてきたり、私を刺激したりはしない。

 ここで、竹の画を描こうとしている画家の例に戻ると、画家が最初にしなければならないことは、瞑想うぃ通じて、精神的な「動揺のない状態」を、深い内的静寂の状態を実現させ、そうして自分の心を全面的に自由にして、阻碍のないようにさせる事である。

 次に、そのような「純化された」心の状態で、画家は竹と向き合う。彼は一心にそれを注視する。その物質的形態を越えてその内部まで注視する。自身の脈動と同一化したものとして、自分自身の中に竹の脈動の神秘的な共振を感じるまで、竹の生きた精神に自分自身をまるごと投げ入れるのだ。そして、画家は内部から竹を把握する。あるいは、東洋美学の特徴的な表現を用いるなら、彼は「竹になる」のだ。そして、その時にのみ、かれは筆をとって、紙幅に、意識的努力なしに、いかなる反省もなしに、把握したものを描くのである。それはどのような作品になるだろうか。内部と外部の点からこのような行為の結果について分析してみよう。

 一まず初めに、このようなやり方で描かれた竹は必然的に、竹の生命リズムと調和した画家自身の精神の内的リズムの、直接的な表現である。それは、画家の精神的リアリティの絵画的自己表現であるという意味での、画家の精神の風景である。この意味では、竹の絵は、内面の外面化である。

 二しかしながら、ある種の実存的共感を通じて画家によって最初に捉えられたものは、竹(それはもともと自然物、つまり外的世界の物である)の内的リアリティであるのだから、絵画は、芸術家の筆を通じての外的世界の自己表現の鼓動と共に脈打ち、そしてそれを示しているように感じられる。<自然>は、画家の芸術的行為を通じてそれ自身の「内部」を外面化するのである。

 三こうしてここに、二重の内面の外面化が観察されることになる。画家は自分の「内面」つまり自分の心の状態あるいは精神的リアリティを外面化し、その一方、<自然>の方は、画家の筆を通じて自身の「内面」つまり全宇宙に浸透し、<自然>を貫いている内的リズムを外面化するのである。

 ただ注意したいのは、このように二重の外面化のプロセスとして分析できることは、実際には単一・単独の行為として行われているという事だ。すなわち画家が自分の内面を表現する行為そのものがそもそも、<自然>がそれ自身の内面を表現する行為に他ならないという事である。その結果として私たちは、上で「気韻生動」あるいは「生き生きと脈打つ精神的韻律」として言及したものを得るのである。

 

 書道という東アジアの芸術には、非常に単純でより直接的なやり方での内面の外面化のプロセスが認められる。中国文化の歴史を通じて、絵画と書道とが常に密接に関係してきた事は偶然ではない。事実、この二つの芸術は互いに最も親密な関係性をもって中国では発展して来たため、両者はしばしば一つの芸術と見なされて来たのである。というのも、東アジアの書道は心の絵画であるからだ。

 だが、書道の「対象」が表意文字、つまり本質的には抽象的であり、従ってもともと単独では、自然物を特徴づける生命リズムがすっかり欠けている記号ないし象徴であるという点で、書道は絵画とは異なる。その対象は、いわば冷たく、生命のないものなのだ。生命のない、死んだ記号が生き、そして生物の鼓動を打ち始めるのは、書家の精神的エネルギーが吹き込まれる時だけである。換言すれば、その記号が審美的な表現となるのは、達人が手にした筆の創造的行為を通じてのみである。表意文字は、純粋な抽象にまどろんでいる状態から起こされ、芸術家の精神の注入を通じて、一気に生命を脈打たせる事になる。その時、表意文字はもはや抽象的記号ではなくなる。それは人間の心の外面的顕現になるのだ。

 この転成のプロセスでは、東アジアの絵画の典型に認められたものと同じ内面の外面化が認められるが、しかしそれは絵画の場合よりも遥かに曖昧ではない形で認められ得る。このことは、漢字を構成している一画一画が分離して‘おり、またその一画一画が単独では意味が欠けているという事に概ね起因している。垂直、水平、斜め、上昇あるいは下降、あるいは点といった構成要素の一画一画は、それらが構成する全体、つまり一文字が確定的な意味を有するということ以外には何も意味しないのである。

 しかし、これに関して最も注目すべきは、一文字の構成要素としての一画一画は確定的なものを何も示さないのだが、それが書道芸術においては、十分に意義のある表現豊かなものへと突然転成するという事である。というのも、書道の達人が書く時には、一画一画はその芸術家の心の状態の直接無媒介な自己表現であるからだ。彼の心のなんらかの表現を伴わない筆の動きはないのである。筆は、それを用いる人の心の動きの一つ一つに忠実に従い、それを反映させている。そして、筆の動きの一つ一つは、瞬間瞬間の心の内的構造の直接的な発現なのである。東アジアの書道が、書家の心の肖像あるいは自画像と見なされている事は理由のない事ではない。そういうものとして、書道は常に、きわめて特別な精神芸術の一種として評価されて来たのである。

 だが、私たちの論点にとって取り分け重要なことは、「書道は心の絵画である」という言明が意味するものが、単に書き手の心理的細部が紙幅を筆が動くにつれて、露わになっているという事ではないと云うことだ。憂鬱な気分の人が書いた線や画は、意気消沈して弱々しいものになりがちだと云うのはごく当然の事である。たまたま幸せで陽気な人は自ずから活力と生命力に満ちた文字を書く。心が動揺していたり、怯えていたりする人が描く線は、ほとんど必然的に不安定で震えている。だが、東アジアの書道の観点からして、それより遥かに重要なのは、作品が高潔な人物の自己表現であるべき事、作品は精神的に訓練された人の内面状態の外的顕現であるべきだと云う事である。書道は、高度に訓練された「内面」の直接無媒介の外面化でなければ、「心の絵画」としての精神芸術では有り得ないのである。

 このことで、私は、東アジアの書道の伝統的形式においては、「書の悟り」と呼ぶのが最もふさわしいものが有り得るのだと云う事実を述べている。何年も何年も精力的に努力し、厳しい訓練を積んだ後―それは筆の技術だけではなく、心の純化と、深い内的落ち着きに達しようとする事でもあるー、浄化された「内面」全体が突然、筆先を通じて恰も物質のように流出し、文字列の形で紙幅に「内面」を現成させていくように感じる決定的な瞬間が書家に訪れる。そのような状況では、彼は全く何も為すことが出来ない。筆を動かそうとする時に命じているのは、むしろ彼の「内面」なのである。書の悟りのそのような「瞬間」を一度経た後にのみ、その人は本物の書家になるのだ。その瞬間までは、美しく力強く筆を動かす事にどれほど熟達し巧みであったとしても、彼は単なる学人、見習いなのであって、師ではないのだ。そして、書が「内面の外面化」としての典型的な東アジアの芸術になるのは、そのような精神訓練のレベルに於いてなのである。

 事実、そのような経験を一度経た者によって描かれている東アジアの書の作品にはどれにも、外面的な形で直接にまた自然に内面を表現している、その人の精神状態が例外なく認められる。このことは、禅の書においては最も容易に見てとれる。しかし、書の他の流派でも、内面の外面化は、その「内面」の内容がそれぞれの場面で、どれほど異なっていたとしても、明確に認めることが出来る。

 日本の書の最も基本的な形態、例えば、ひらがなで書かれた和歌の書は、禅とは関係がない。そして、かな文字の書道的美しさは、漢字の美しさとは顕著に異なる。日本の書では、美しさは主に優美に流れる線によって形作られる。線のゆっくりとしたリズミカルで優美な流れは、日本人には、内面的ポエジーの形態をとった、書家の内面的ポエジーそのものなのである。線そのものは、深く詩的である。線が詩情なのである。そしてこの意味で、日本の書は、内面の外面化の優れた例証である。なぜなら、禅の書の「内面」とは全く異なっていようとも、ここでもその「内面」は厳格厳密に訓練を経たものだからである。

 ここまで私は、東アジアにおける精神文化の形成において、内面と外面との区別が演じてきた重要な役割を理解してもらうために、その内面と外面の問題を、東洋美術の典型的な二つの形態に関連づけて簡潔に扱ってきた。この予備的考察をもって、これから私たちの特別な主題、禅仏教における内部と外部との間の区別と関係性に向かいたいと思う。

 

   二 禅における疑似問題

 

 内部と外部との区別は、人間の心に固有のある種の幾何学であるようだ。ガストン・バシュラール(1884―1962・フランスの哲学者)が曾て述べたように、「内部と外部の弁証法」は私たちの心の最も基礎的で初源的な地層に属している。それは私たちの思考の根深い習慣なのである。事実、私たちは何処にでも内部と外部との対立を見出す。「家の中」対「家の外」、「国内」対「国外」、「地球の内」対「地球の外」、「内的(秘教的esoteric)意味」対「外的(通俗的exoteric)意味」、私たちの「内側」としての自我あるいは心、対、私たちの「外側」としての外界あるいは<自然>、私たちの「内側」としての魂、対、私たちの「外側」としての身体、等々。内部と外部の対照的・幾何学的イメージに基づく日常的存在論は、それゆえ思考の最も基礎的なパターンの一つを形成する。それによって、私たちの日々の振舞いは大きく規定されている。「それ(内部と外部の弁証法)は」とバシュラールは言っている、「イエスとノーも弁証法の鋭さを有しており、それはすべてを決定する。注意を払わない限り、それは肯定的思考と否定的思考のすべてを支配するイメージの基礎になる」。

 

 禅もまた内部と外部についてしばしば語る。禅の教えと修行においては、両者の区別が多く用いられ、その大半の場合、「内部」は心あるいは意識に当てはまり、「外部」はー客体に対立する主体として立っている人間の自我に対立するー<自然>の世界に当てはまる。禅文献にはその例は数多くある。臨済禅師(?―867)の『臨済録』から、いくつかの例を取り上げてみよう。

 

  もし昔の師のようになりたければ、外を見てはいけない。お前たちが抱いた考えから輝き出る純粋性の光は、お前たち自身の内のダルマカーヤDharmakaya〔法身〕(究極的<リアリティ>)なのだ。

 

  私がただ願うのは、お前たちが外界の客体の後を追うのをやめることだ。

 

  お前たち自身の内にあるものではなく、近隣者を夢中になって見渡したりして、大きな誤りに陥ってはいけない。・・ただお前たち自身の内側を見るのだ。

 

 議論の余地なく禅の中核であり本質であるディヤーナdhyana〔禅定〕の実践とは通常「外側の」事物の後を私たちの心が追いかける事を止めて、心そのものの「内面的」リアリティへと心を「内向」させる事にあると理解されている。その事を省みるだけで、この区別の禅仏教における並外れた重要性は十分分かる事だろう。

 

 しかし、禅の観点から厳密に言うならば、内部と外部の問題は、それがどのような形態であろうとも、疑似問題にすぎない。なぜなら、悟った人の眼から見れば、内部と外部とは互いに区別されるべき二つの領域ではないからである。区別には何のリアリティもない。それは、心の弁別活動に特有の、思考の構築物にすぎないのである。ヌーメナルなもの〔叡智によって知られる性質のもの〕と現象との妨げのない相互貫入〔理事無礙〕として、さらには現象的事物間の相互貫入(事事無礙)として、華厳形而上学が示すものを自分の精神的な眼で見た者にとって、その区別は無意味であり、外部に対して立っている内部について語ることは馬鹿げた事でさえあるだろう。

 このように、内部と外部の問題は疑似問題なのである。なぜなら、この問題の提起において、私たちは無理矢理に、おわば独立した二つの領域を設定し、両者を対立的に立たせ、両者の関係を議論するが、一方で実際には作られるべき、そのような区別などないからである。それが疑似問題であるのは、何もない処に提起された問題だぁらであり、そして人は、それをリアルな問題であるかのように議論するからだ。問題全体は、特徴的な禅の表現を用いるなら、「実際には何もない処に、不必要な混乱を生じさせている」という事である。

 だが、次のことを覚えておくべきである。つまり禅は、内部と外部の問題の他にも、多くの疑似問題を、特定の目的の為に利用しているのだ。疑似問題は方便として、誤まった思考の解消へと導く教えの手段として用いられ得るのである。毒をもって毒を制すのだ。禅の古典的な文献は、この意味での、疑似問題に満ち溢れている。

 事実、弟子が訪問僧から悟達の禅師へと向けられたものとして、有名な公案集やその他の禅の文献に残されている殆んど全ての問いは、疑似問題なのである。

 

 「犬には仏性があるか」。

  (すなわち、犬のいうな動物には、悟って仏陀になるための内在的能力はあるのか)

 

 「趙州とは誰か」。

  (趙州禅師本人に向けられた問い)

 

 「禅の祖師がはるばるインドからやって来たことの意義とは何か」。

  (すなわち、菩提達磨はインドから何をもたらしたのか。仏教の本質とは何なのか)

 

 「あなたは誰なのか」。

  あるいは「私は誰なのか」。

 

 悟りに達した禅師(例えば、趙州のような)の立場からすると、この種の問いは単純に意味がない。それらは「不必要な混乱」なのである。

 しかし現実的には、これらのそして類似の疑似問題が、禅では意図的・意識的に利用される。そして、それらが利用される方法は、禅に極めて特徴的であり、禅独特のものである。まず簡単にこの点を説明しよう。

 通常の会話あるいは対話では、問いを尋ねる人は最初から、彼が問いを差し向けた人からの合理的な答え、自分の問いと調和するような答えを期待している。このような問いと答えの一般的なパターンは、問答として知られている禅の対話では全く適用されない。

 禅の文脈では、問いは、答えを与えられる為ではなく、徹底的に拒絶される為に提示されるのだ。合理的な答えを期待して、「犬には仏性があるか」と尋ねる者は、禅の理解を全く持ち合わせていない。すでにある程度の禅の知識に達していて、自分の師に「犬には仏性があるか」と尋ねる僧は、もっぱらいかにして師がこの問いを粉砕するかを、自分自身の眼で、あるいは自分の身心全体で目撃することを目的としている。人と人との間の実存的緊張の只中にあって、弟子は、師が疑似問題をいかにして瞬時に無効化するかを観察し、その観察によって、師の精神的境位の片鱗を把握しようと努め、それによって、もし可能ならば同じ状態に達する為のチャンスを得ようとするのである。あるいは、問いを尋ねる僧がたまたま悟った人であるまらば、彼はそれによって、師の精神的覚知の深さを測ろうとする。

 いずれの場合でも、このような問いと答えのパターンは構造的に、答える師(A)と尋ねる弟子(B)との間の次元的な不一致が現実にあることを前提としている。換言すれば、AとBとが、精神的覚知の異なる二つの次元に立っているという想定に基づいている。Aは、Bと同じ覚知のレベルに立ちながら、Bの問いに答えを与えるとは想定されていない。問いはBのレベルで発せられたものであり、一方、それに対する答えはAのレベルで与えられるーこれが、禅問答の通常の形式である。別の表現をするなら、Aによって与えられた答えは、通常の意味でのBへの答えにはならない。むしろ、本当の禅問答でのリアルな答えとは、AとBとの間に横たわる精神的不一致を暴くと同時に無効化するものである。

 このように、Bの問いへの答えとしてAから何が出てくるかは分からないのである。

 

  ある僧が一度、雲門(864―949)に尋ねた、「仏陀たちはどこからやってくるのですか」。(すなわち、仏性の究極的真理とは何か。)

  雲門は答えた、「ほら!東山は水上を流れて行く(『雲門広録』上「大正蔵」四七・五七五下」。

 

  ある僧が趙州(778―897)に尋ねた、「菩提達磨がインドから中国にやってきた本当の意義とは何か」。

  趙州は答えた、「庭の柏の木!(『趙州語録』「続蔵」六八・七七c二)」

 

 これら各々のケースの答えは、明らかに無意味であり、Bを混乱困惑させてしまう。答え

はしばしば、棒や蹴り、平手打ち、叫び等々の鋭い一撃の形でも与えられる。しかし、答えが言語的なものであれ非言語的なものであれ、どのような形であろうとも、基礎的構造は常に同じままである。すなわち、AとBとの間の不一致を無効化することによって、A自身が立っている精神的次元をBに目撃させ、もし可能ならばBにその精神的次元を体験させるために、Aは生死をかけた挑戦をするのである。

 もう一つ、私たちの主題にかかわる例を出そう。

 

  ある僧が趙州に尋ねた、「趙州とは誰なのか」。

  師は答えた、「東門、西門、南門。北門(『趙州語録』「続蔵」六八・七九c一三)」

 

 この答えは、通常の文脈では当然全くナンセンスなものだろうが、それこそこの特別な文脈では、リアルで優れた答えなのである。

 Aが与えた答えが、あたかもBの問いと同じレベルに立っているかのようなケースもある。その場合、状況全体は非常に誤解しやすいものになりがちである。趙州の有名な「無」を例に取ろう。

 ある僧が一度、趙州に尋ねた、「犬には仏性があるか」。それに対し、師は答えた、「無!」もし、この答えが、僧が発した問いと同じレベルで与えられていると仮定するなら、この「無!」はほとんどおのずから、「いや、犬には仏性がない」という意味になるだろう。こうなると、趙州の意図は全く見失われてしまうことになる。だが実際には、師の答えは、第一に、僧が起こした疑似問題を無効にするだけでなく、その僧の実存的意識そのものを無効化することを目的としているのだ。一撃で、趙州と僧との間の精神的不一致が無に帰することを目的としているのである。そして、そのようなものが、禅の文脈において、すべての疑似問題に与えられた答えの最も真正な形なのである。

 禅は、疑似問題を立てることを、無意味で使い物にならないとは見なさない。全く逆に、学人が多くのケースで禅的体験に導かれるのは、疑似問題が立てられ、そして一度立てられたなら、即座に暴力的に無効化させられるという、一見したところ迂遠な方法を通じてなのである。このプロセスは、私が前に、形而上学的観点から明らかにしたことと対応している。そこでは、絶対的に非分節的な<無>が分節されて、感覚的に具体的な形態になり、それから即座に、つまり分節の瞬間に否定される。したがって元の<無>は、ほんの一瞬、ちらとだけ露わになるというプロセスを私は分析した。現段階で問題となっていることは、ちょうど同じ構造を有している。ここでも疑似問題は、最初にBによってBの精神的次元から提示される。次に、その問いが提示された瞬間、Bの眼に向けてAの内面状態が露わになり晒されるように、Aの精神的次元から発する言語的なものか、その他のものかの一撃をもって、Aによって即座にその問いが無効化されるのである。

 

 すでに述べたように、内部と外部の問題もまた典型的な疑似問題の一つである。禅は、内部と外部との間を明確に切り分けた区別を作り出すことから始め、両者をはっきりと対立させ、それから実際にはそんな区別などないのだと断言することによって、全く唐突に初学者に衝撃を加えるのである。

 悟りの体験を描写するにあたって、禅師たちはしばしば、「内部と外部tおは均(なら)されて一枚になる」〔内外打成一片〕という表現を用いる。悟りの瞬間の覚知の状態が「絶対的な、内部と外部との統一状態」おして描かれることも少なくない。そこで一つ典型的な例を挙げるなら、無門禅師(1183―1260)は、弟子たちがいかにして「『趙州の無』の公案を通過する」べきか提言する中で、次のように述べている。

 

  この障壁を通過しようとするなら、身心全体を一個の<疑い>の玉に変えて、「この『無』   とは何か」という問いに集中せよ。この問いに日夜集中するのだ。・・ただこの問題に集中し続けるのだ。するとまもなく、赤く熱せられた鉄の玉を口に入れて、喉に詰まり、呑み込むことも吐き出すことも出来なくなったかのような感覚を持ち始めるだろう。(そのような絶望的な状態の時)、得て来た不必要な知識のすべてと覚知の誤った形式のすべては、次々に洗い流されるだろう。そして、果実が次第に熟するように、お前の時間も熟し、自然に、お前の内部と外部とは最終的に均されて一枚になるだろう。〔八万四千毫竅、通身起箇疑団、参箇無字、昼夜提撕、莫作虚無会、莫作有無会、如呑了箇熱鉄丸、相似吐又吐不出、蕩尽従前悪知悪覚、久久純熟、自然内外、打成一片〕(『無門関』「大正蔵」四八・二九三a三)

 

  正確に言えば、ことの最初から、リアルな区別はなかったのだから、「内部と外部とは均されて一枚になる」は、リアリティの誤った描写に他ならない。しかしながら、その表現を禅修行の過程で実際に体験するものの描写と見なすなら、そこにはある程度の真理が含まれているということも否定できない。

  事実、悟りにまだ達していない者の観点からすると、彼の内部と外部とは明らかに二つの異なる体験領域である。私はこのテーブルを見る。見ている主体である「私」は、見られている対象であるテーブルとは隔たっている。一方は内部で。他方は外部である。区別がそのリアリティを喪失し、そのため内部と外部とが絶対的・形而上学的統一体に転成するという瞬間的プロセスは、この禅独特の表現、「内部と外部とは均されて一枚になる」によって忠実に再現されている。

  したがって、内部と外部との間の区別と関係の問題は、それが明白に疑似問題であるにも拘らず、禅仏教においては意味ある哲学的問題として扱われる権利を得るのは、悟りに向かう途上の、悟っていない者たちの為の問題としてのみである。だが、このような意味でこの問題を扱うに当っては、洞察眼を開け続けたまま、問題の最初から最後までの全体を見渡さなければならない。そしてそのような眼は、必ずや、すでに悟りに達した者の眼でなければならない。

  私たちの状況は、この方法では、いささか複雑なものとなる。禅の観点から内部と外部の問題を扱うためには、外界がはっきりと自分の心とは区別されて二つの分離した存在者として存在していると考える、普通の人間の素朴な世界体験から私たちは始めなければならず、それと同時に、内部と外部との間の関係の問題が究極的に、悟りの体験によっていかに解決されるべきかという事を意識し続けなければならないのだ。これが、本章の残りの部分で沿っていく手順である。

 

  三 悟りの体験

 

この問題の議論は、洞山守初(910―990)と雲門禅師(864―949)との最初

の出会いに関する説話を考察することから始めたいと思う。その当時、洞山はまだ若い禅の修学者であった。後に彼は、唐代の最も卓越した禅師の一人となる。

 洞山が雲門に教えを受けにやって来た時、雲門は彼に尋ねた、「お前は何処から来たのだ?」問答はここから始まる。

 

  洞山「私は査渡から来ました」。

  雲門「夏は何処で過ごした?」

  洞山「湖南地方の某所です」。

  雲門「私はお前に棒で三十打つのを許す(お前はそれに十分値する)。帰ってよろしい」。

 

 次の日、洞山は雲門の処にやって来て再び尋ねた、「三十回叩くに値するほど悪いことを、昨日、私は何かしたのでしようか」。すると、師は鋭い叱責の一声を浴びせた、「この愚かな米袋め!そんなやり方で、お前は国中を放浪しているのか?」〔近離甚処、僧云査渡。師云夏在甚処。僧云、湖南報慈。師云、甚時離彼。僧云、去年八月。師云、你三頓棒。僧至来日、却上問訊云、昨日蒙和尚放三頓棒、不知過在什麼処。師云、飯袋子。江西湖南便漝麼去〕(『雲門広録』下「大正蔵」四七・五七二a二三)

 洞山と雲門との間のこの対話には、典型的な禅がある。だが、どうして洞山は、師の眼には三十打の棒打ちに値したのであろうか。この問題についてしばし考えてみよう。

 

 「お前は何処から来たのか?」 これは、禅師が新たにやって来た僧にしばしば差し向ける、一見素朴な質問の一つである。言語的なものか非言語的なものかに拘らず、与えられた答えによって、師がすぐさま新参者を見抜くことが出来る。さらに質問しなくても、師は、その僧が立ってゐる精神修行の段階が分かるのである。僧がどのように答えようと、あるいは口を開いて言葉を発する前からでさえも、問いに答える僧の心的態度は、自分自身といわゆる「外部」あるいは客体世界との間の関係をどのように見ているかを、師の眼に露わにする。

 「お前は何処から来たのか?」 この一見したところ実に慣習的な問いに見える単純な言葉は、こうして禅の文脈では並外れた重きをなす。というのも、その問いは、その人自身の存在の基礎に、自分自身の実存のリアルな場所に関わっているからである。別の表現をすれば、「お前は何処から来たのか?」は、内部と外部の点から十分、再形式化できるものである。「お前は元々、内側から来たのか、外側から来たのか?」 すなわち、「お前に家は何処にある?」 あるいは「お前は本当は何処に住んでいる?」ということだ。

 師の言葉(「お前は何処から来たのか?」を、私がやって来た場所の地理的位置について尋ねたものとして、「私は東京から来ました」と言うと仮定しよう。禅文献によるなら、数え切れない程の僧が、この落とし穴にはまってきた。「だが、お前が意味しているのはどんな類の『東京』なのか」。師は通常、わざわざそのような形で問い掛けたりはしない。だが、もし言語的な形式を取ったとしたら、師の態度は必然的にそのような形になるはずである。そして、師によってこの二番目の問いが、暗示的にしろ明示的にしろ問われるや否や、外部的な「東京」は、即座に内面化される。こうして内面化された「東京」はまさに、禅が通常もっと特徴的な表現、「両親が生まれる以前の、自分の本来の<顔>」〔父母未生以前本来の面目〕によって示すものであるだろう。

 外部、すなわち地理的な場所としての東京から私は来たという、普通の感覚での言明は、禅の対話では全く意味ないものである。私が東京からやって来たという事実は、精神的な意味で、すなわち精神的覚知の次元で遂行されるものとして理解されなければならない。この「やって来る」における私の一歩一歩が、禅にとっては、自己実現self-realizationの一歩なのである。禅師は、最初から、外的な地理には関心がない。師にとって本当に重要なのは、私の内的地理、つまり自分が東京から来たことが、どの程度精神的出来事として私には分かっているのかと云う事なのである。

 しかし、内面化された東京を、「外的」世界に対立している「内面」場所と見なすような間違いをしてはならない。そのように理解された内的場所は、単にまた別の外的場所であるだろう。本当に意味するのは、内部と外部とに二分化される以前の、根源的な非差異状態で、そのリアリティが示される精神的領域なのである。

 若い洞山が棒で三十回叩かれるに値したのは、彼が雲門の問いを、外的地理として受け取ったからである。また彼の答えが、内的世界に殆んど関わらず、もちろん、ましてや内的・外的地理の区別さえ越えた所にある非差異の精神的領域には関わっていなかったからである。

 こうして、禅が内部と外部との区別を立てることから始まること、しかしこの区別そのものが究極的には廃棄されなければならないものと、見なされるべき事は明らかになるだろう。

 ここで出発点に一度戻り、内部と外部の始めの分節が無効化されて、二つの存在論的領域が「均されて一枚になる」プロセス全体を再び見てみよう。

 

 内部と外部との関係の点から、私たちが正しく禅体験と呼べるようなもの(すなわち、悟りの状態の個人的実現personal realization)分析するに当っては、私たちは、二つの理論的可能性を見出す。それを次のように描いてみたい。

  一 外部になる内部、あるいは内面の外部化。

  二 内部になる外部、あるいは外的世界の内面化。

 最初の場合(それは、「人が物になる」という言い方で一般的に述べられる)、人は、自分の「私(内部)」が自身の実存的自己同一性を失い、完全に「外部」の客体と融合して同一化することを、突然体験する。人が花になる。人が竹になる。しかしこの体験は、自分の同一化した一つの花や竹が、精神的覚知において<存在>世界全体を含んで見られるまでに更に進んで行かない限り、正当な禅体験としては認められない。そこまで至った段階dえは、「私」は宇宙の極限まで拡大する。すなわち、「私」はもはや独立した存在者としての私ではない。それはもはや客体的世界に対して立っている主体ではないのである。

 二番目のケース、つまり外部の内面化においては、自分にとってそれまで「外部」と見なされてきたものが、突然、心に入ってくる。そして、いわゆる「外部」の世界で生じ、観察されるものはすべて心の作用として、心独自の自己判断として見られるようになる。「外部」の出来事の一つ一つは、「内部」の出来事として見られるようになる。人は、「外側」からやって来る一切の事物に抵抗を示すような実存的不透明性を喪失して、自分の身心が完全に透明になったという否定しがたい実感に満たされたように感じる。寒山(十六世紀)の表現を用いるなら、人は自分が「永遠に輝き、穏やかに輝ける偉大な一全体」であると感じる。その心は今や、<自然>の光輝と美の一切を伴って山河大地が自由に反射している全包囲的な鏡に喩えられるべきものである。こうして「外部」の世界は、異なる次元で「内部」の景色として再創造されるのである。だが、そのような状態の人の心はもはや個人の個別的な心ではない。それは今や、仏教が<心>と呼ぶものなのである。

 これら二つの(見た目には対立しているが、しかし究極的に実際には同一の)禅体験の解釈においては、より詳細な解明が求められる。それをこれから行っていく。

 だが、さらに細部に入って行く前に、数頁を割いて、ある特殊な精神体験について議論したいと思う。その体験は、禅に典型的なものであり、また事実、内部と外部との基礎的関係にかかわる、悟りの構造を小規模ながら提示している。

 

 内部と外部との照応は、今簡単に触れた第一の可能性から近づこうと、あるいは第二の可能性から近づこうと、究極的には両者の完全な統一化へと導いていくのだが、その内部と外部との照応は、内部と外部との間で瞬間的な交感が実現される決定的瞬間を「生きる」体験において、最も簡明で集中的な形で、はっきり認められる。カチッというスイッチに入る音が、ある特別な精神面に作り出されるだけで、悟りはすでにそこにあり、十全に現成(げんじょう)しているのである。

 精神的出来事としてのこの「クリック」が人に到来する特殊な様式は、香厳(きょうげん)禅師(―898)が如何にして人生で初めての悟りを体験したかを物語る有名な説話に見事に例示されている。

 悟りに達する為の絶望的で無駄な努力を何年も行った後、香厳は、完全な絶望状態で、<リアリティ>の秘密を見る事は現世では出来ない運命であり、それゆえ、修行の代わりに価値のある仕事に専念した方が良いと結論づけるに至った。彼は有名な師(慧忠国師)の為の墓守りになろうと決意し、自分の為に茅葺き小屋を建て、人々から完全に離れてそこに隠遁した。ある日、地面を掃いていると、小石が竹にこつんと当たった。当然、全く思いがけず、石が竹に当る音を耳にして、心の中に、それまで無想だにしなかった事が起った。それが先に言及したカチッというスイッチの入る音であった。そして、それが悟達だったのである。覚醒は、彼の自我と客体世界全体とがすっかり打ち砕かれて無差異の状態になった体験として、彼に訪れたのである。

 これについて、香厳は、次のような有名な偈を作った。

 一撃、所知を忘ず

 更に修治を仮らず

 動容に古路を揚ぐ

 悄然の機に堕ちず

 処処に踪跡無し

  (竹を打つ石の鋭い音!

   そして、私が学んだものはすべて一度に忘れた。

   修行の必要は何もなかった。

   日々の生活の一つ一つの動きを通じて

   私は永遠の<道>を顕現させる。

   隠された罠にもう陥るまい。

   後に何の痕跡も残さず、私はどこへでも行こう。)

 

 数多くの禅者が、全く些細なーそのように部外者には見えるー知覚の刺激によって、この種の<覚醒>に至ったことが記録されている。その刺激は鳥の声、花の開花への一瞥(いちべつ)等々だ。心が精神的に熟している時には、いかなるものでも、それまで夢にも思わなかったやり方で、内的エネルギーの爆発を引き起こす火花となり得るのである。仏陀は、明けの明星を偶然見たときに、<覚醒>を突然経験したと言われている。無門禅師(1182―1260)は、上述の趙州の「無!」の公案に六年間取り組んだ。ある日、食事の時を告げる太鼓の音を聞いて、彼は突然覚醒した。日本の名高い白隠禅師(1686―1769)は、ある寒い冬の夜に、深い瞑想状態で坐していたとき、夜明けを告げる鐘の音を聞いて<覚醒>を得た。彼は喜び溢れて飛び上がったと言われている。霊雲禅師(生没不詳)は、最も厳格な修行を行ったが、悟りに達することはなかった。旅の道中、彼は休憩のために腰を下ろし、何気なく遠方の山の麓の村に眼を向けた。その時は春だった。全く偶然に、満開の桃の花が彼の眼にとまった。豁然と、彼は自分が覚者であることに気づいた。この種の例は、ほとんど数限りなく挙げられる。

 この人たちには何が起ったのだろうか。この点を解明するために、香厳禅師が竹を打った小石の音を聞いて、ついに悟りに導かれたプロセスを再構築してみたい。

 香厳は地面を掃いていた。彼は作業に専念していた。彼の心はすべての雑念と観念を空にして、絶対的な集中で、地面を掃いており、何も考えず、自分の体の動きさえも意識していなかった。厳格に瞑想修行を積んだ者には、地面を掃くという行為それ自体が、実践的サマーディsamadhi〔三昧〕の一形態であった。地面を掃くことが、心の純化の象徴的な意義を有するのではない。地面を掃くという行為に、身心共にその人のすべてが浸っていると云う事が、丁度深い瞑想に専心しているのと同じ機能を果たしているのである。それは、禅が通常「無心」と呼ぶ状態の現成なのだ。

 そのような状態では、「外部」の客体としての地面、落ち葉、石についての意識はない。行為の「内面」根源として地面を掃いている「私」の意識もない。すでに、この実践的なサマーディあるいは「無心」の状態で、禅は十分に実現されている。事物と区別されたものとしての「私」の意識は無いのであるから、内部と外部との区別はここには無い。そこにあるのは香厳だけだ。あるいは、そこには世界があるだけだ。そのような状態での香厳は、香厳である一方で、<一切>であるのだ。香厳と世界は、こうして完全に一つになっている。しかしながら、これはまだ悟りの状態ではない。

 これがすべて特別に「悟り」として実現される為には、この内部と外部との絶対的な統一体が、必ず根源的・絶対的な単一状態にある意識の輝かしい光の内へと持たらされなければならない。香厳禅師の場合、彼が竹に向って掃いた小石も音によって火花は用意された。この感覚的な刺激によって、彼hあサマーディの状態から目覚めたのである。全く不意に、彼は大地と地面の葉に気づいた。彼を含む世界全体が、彼へと回帰してきた。しかしながら香厳にとって、それは単に外界が何処からともなく現れただえの事ではない。かれの古い自我の蘇生でもない。それはむしろ、内部と外部へと分岐する以前のリアリティの顕現あるいは蘇生なのである。換言すれば、地面を掃いている事に夢中になっている間に内部と外部とはすでに「一枚」であったのだということ、そしてそれが<リアリティ>の根源的な存在様態なのだと云うことを、香厳はまさにその瞬間、閃光の只中で分かったのである。禅が理解するものとしての悟りの瞬間は、人が主客二分を超越している精神的平面で主体と客体の覚知を取り戻す時に訪れるのだ。

 したがって、サマーディの只中に居た香厳禅師が竹に当たった小石の音を耳にした時、彼は自分自身が、竹に当たった小石の音であったのである。そして、その音は宇宙全体であったのだ。白隠が寺の鐘が鳴る音で瞑想から目覚めた時、彼が聞いたのは、鳴っている彼自身の音であった。宇宙全体が鐘の音だったのである。そして白隠自身、鐘の音を聞く鐘の音だったのだ。同様に、霊雲が遠方の桃の花をみたことで悟った時、かれは桃の花であったのだ。宇宙は芳香であり、そして彼自身、芳しい宇宙だったのである。

 これらのケースにおいて実際に体験され実現されるものは、「外部」世界に存在している事物と、それを外側から眺めているものとして通常考えられている人間主体との双方を含んだ、一切事物の存在論的透明性の突発的実現として描写するのが恐らく最適かも知れない。「外部」の事物と人間の「内部」との双方が、自身の存在論的不透明性を剥ぎ取り、全面的に透明となって互いに浸透し合い、溶け合って一つになるのである。

 その他数多くの神秘主義の伝統と同じく、禅においても、そのような状況がしばしば存在の本質的光輝として描写されている事は何ら偶然ではない。「光」は、超感覚的にして超知性的な心の次元において見られる。事物の特殊な性質に対するメタファーでしかない。だが、そのメタファーは極めて的確なものであるため、多くの神秘家たちは、人間の「私」と「外部」世界の事物との相関関係、および異なる事物同士の相関関係を、異なる諸々の光の相互貫入として実際に体験したのだ。主体と客体、内部と外部は、ここでは二つの異なる光と見なされ、それぞれの光は独立した光のままではあるものの、双方の側からのわずかな妨げもなしに自由に貫入し合うため、双方は溶けて、純粋に光り輝く全体として己自身を照明している、あらゆる者に浸透する一つの<光>となるのである。

 

  四 内面の外部化

 

 以上の予備的考察を以て、禅体験あるいは禅の<存在>ヴィジョンと正しく呼び得るものを解釈する上述の二つの理論的可能性、すなわち一、内面の外部化、二、外部の内面化、についての議論へと向かいたいと思う。私がこの見かけ上対立的な二つの方法を「理論的」可能性として扱うのは、いずれを選んだとしても、確実に丁度同じ結果に導かれるからである。内面を外部化しても外部を内面化しても、結局のところ同一の<存在>ヴィジョンに至るであろう。だが、歴史的事実の問題としては、二つの方法のうちの最初の方法を取る禅師もいれば、二番目の方法を選ぶ禅師もいる。まずは、内面の外部化を議論してみよう。

 

 禅の文脈における内面の外部化は、「外部」の客体と出会っている人間の側の自我意識の喪失から出発する。経験的自我主体―それは、仏教によれば、まさしく私たちの心眼を覆い隠す原因であり、そのため<存在>の形而上学的基礎の認識を妨げるものであるーの意識を喪失して、人は客体の中に沈潜する。禅の典型的な表現を再び用いるなら、「人が物になる」。例えば、「人が竹になる」、あるいは「人が花になる」。道元禅師は、『正法眼蔵』の有名なくだりでこう述べている。

 

  迷いは、あなたが自我主体を確立し、その自我を通じて客体へ働きかけることにある。反対に、悟りは、事物をあなたに対して働きかけるがままにさせ、その事物があなた自身を照らすがままにさせる事にある。・・・ものを見る時には、あなたの身心を丸ごと其の行為の中に置きなさい。音を聞く時には、あなたの身心を丸ごと其の行為に置きなさい(自我が喪失し、見ている、あるいは聞いている者の中へと沈潜するようなやり方で)。その時、ただその時にのみ、根源的なありのままの状態の<リアリティ>を把握する事が出来るようになる。そのような場合、物の精神的把握は、何かのイメージを映している鏡、あるいは水面に反射する月とは全く異なるものとなるだろう。(鏡とそこに映ったもの、あるいは月と水は、二つの存在者のままに留まり、各々は自身の自己同一性を維持しているのだ)。(あなた自身と物との精神的統一がなされている場合には、反対に、)二つのうちの一方がもし顕現するなら、他法は完全に隠れ、後者は前者の中に沈潜している(いわば、ここで特に問題にしている状況では、「私」が完全に消滅し、物だけが顕現したままになっている)。仏の<道>において修行するとは、あなた自身の「私」を正しく扱う修行することに他ならない。あなた自身の「私」お忘れることに他ならない。あなた自身の「私」お忘れる事とは、「外部」の物にあなたが照らされる事を意味する。物に照らされると云うことは、あなた自身の(いわゆる)自我と、他の物の(いわゆる)自我との間の区別を抹消することを意味する。

 

 <自然>の一切事物との深い精神的共感が、人間の自我の客体への全面的沈潜―あまりにも完全で全面的な為、「客体」という語がその意味的基盤を喪失するような沈潜―とおう形で体験された内面の外部化を特徴づけるものである事は、明白であろう。より限定的な美的鑑賞の分野においても、この種の共感は、例えば魅力的な音楽を熱心に聴いている時に、普遍的に体験している。

 

  あまりに深く聞こえた音楽、

  そのため、それは全く聞こえず、自分が音楽になっている。

  音楽が続いてる間は・・   (エリオット「四重奏」)

 

 ウイリアム・ジョンストン教授が的確に述べているように、「この種の典型的な、夢中になった瞬間の音楽は、あまりに深く聞こえる為、もはや聴いているいる人と聞こえる音楽とは存在しない。音楽に対する『私』はない。そこにはただ主体と客体のない音楽があるだけだ」。換言すれば、宇宙全体が音楽に満たされているのであり、宇宙全体が音楽なのである。同じことは少し異なる形でも表現できる。「私」が死んで、音楽の形で生き返ったのだ、と。この種の美的体験では、それを禅と呼ぶか否かに拘わらず、禅がすでに実現されていると言えるだろう。しかし、禅は、ただ音楽を聴いている間だけでなく、あらゆるものに関してちょうど同じ状態でなければならないと要求する。人は竹にならなければならない。山にならなければならない。鐘の音にならなければならない。それは、禅が「事物の本質を見る」〔見性〕という表現で意味するものである。

  しかし、これに関連して覚えておくべき最も重要なことは、人が単に自分自身を喪失して、音楽、竹、花その他のものに「なる」ことでは、語の十分な意味での禅体験を為さないと云うことである。「客体」と完全に一つの状態にある間、その「客体」が何であろうと、自分がその事物の観想の中に全面的に吸収されていることで、それは実現されており、ほとんど禅の門口にいる。だが、厳格に言えば、この状態はまだ禅ではない。それが何か他のものになる時に、禅体験へと発展していくだろう。禅の伝統的理解での悟りが現成するにはまだ遠い。

 例えば、私が一心に花を見つめていると仮定しよう。さらに、そうしながら、私が自分を忘れて、上で説明したような仕方で花の中に入り込んだと仮定しよう。私は今や花になっている。私は花である。私は花として生きている。だが、禅の観点からすると、これは精神修行の最終段階と見なされるべきものではないのである。禅は、東洋哲学の伝統的述語で主客未分の状態と呼ばれるものに達するまで、さらに進まなければならないことを強調する。つまり、花への私の実存的沈潜が、私自身の意識も、花の意識さえも絶対的にない状態になるまで、完全・完璧でなくてはならないのだ。心理学的にはある種の無意識であるような、この絶対的統一の精神状態は、「私」の痕跡がないのと同じように、花はなく、音楽はない。ここで実際に現成するものは、絶対的に無差異的で無分割的な<何か>である。それは、主体も客体みおない純粋にして単一の<覚知>である。

  しかし、これさえも、まだ禅の修行において到達すべき究極段階ではないのだ。悟りの体験があるためには、人はこの純粋な<覚知>から目覚めなければならない。絶対的な無分割的な<何か>は、「私」と、そして例えば花として再び己自身を分割する。そしてこの二分のまさにその瞬間、花は唐突に思いがけなく、絶対的な<花>として顕現するのである。画家は自分の絵の中に絶対的な<花>を描く。詩人は、誌の中でこの絶対的な<花>を詠う。花は、今や自身を<花>として、絶対的な<花>として再確立したのである。その<花>は、普通の花が咲いている圏域とは本質的に異なる精神的圏域の中で咲いている花である。しかし、この二つは同一の花である。この状況は、たとえ同じ曾ての山河であっても、「(悟りの状態で現れる)山河は、普通の山河と混同してなならない」と道元が述べた時に示したものである。

 しばしば引用される青原禅師(十一世紀)の言葉において他に、この禅の世界観が確立されていくプロセスを、よりよく、またより禅の典型的なやり方で提示するものはない。彼はこう述べている。

 

  三十年前、この老僧(つまり私)が禅の修行に入る前、私は山を山として、川を川とし  て見ていた。

  その後、悟った師たちに会う機会があって、彼らの指導のもと、私はある程度の悟りに達することができた。この段階では、私が山を見ると、それは山ではなかった。川を見ると、それは川ではなかった

  しかし、最近、私は最終的な静寂の立場に落ち着いた。以前最初に見たように、今の私は山をただ山として、川をただ川として見る。

 

三つの特徴的な段階へと見事に分析された、<リアリティ>についての禅特有の見解がここに見られる。

一 最初の段階では、普通の人間の世界体験に対応しており、そこではしる者と知られる者とは二つの分離した存在者として互いにはっきりと区別され、またそこでは、例えば山は、「山」と呼ばれる客体物として、知覚する「私」にとって見られている。

二 中間段階は、私が絶対的な統一状態、主客未分の精神状態として先ほど説明したものと対応している。この段階では、いわゆる「外部」の世界は、その存在論的堅固さを剥奪されている。ここでは「私は山を見る」という表現は厳格には間違った言明である。というのも、見る「私」も見られる山も存在しないからである。もしここに何かがあるとすれば、それは、世界全体としての己自身を永遠に照らしている<何か>の絶対的に無分割的な覚知である。そのような状態では、山はもちろん山ではない。そのような状態で見られている山は、ただ「言語に絶した」―あるいは「言語と思考を越えた」ものである。なぜなら、それは「無」であるからだ。その体験的事実への理性的反省によって言えるのは、山は無山だ、ということだけである。

三 最終段階、それは無限の自由と落ち着きの段階であり、この段階では、無分別な<何か>はその根源的一性の状態の只中で主体と客体とに己を分割する。その一性は、見かけ上の主客二分化にも拘らず、損なわれないままの状態である。そしてその結果、主体と客体(「私」と山)とは互いに分れ、そして互いに融合する。その分離と融合は、根源的に無分割的な<何か>の同一の行為である。したがって、「私」と山とが<何か>から出て来るその瞬間、両者は互いに溶け合い一つになる。そして、この一つの物は、絶対的な<山>として自らを確立させる。しかしながら、その絶対的な<山>は、今述べたような複雑な性質を己の内に隠しつつ、それはただの山である。上述の趙州の「庭の柏の木」は、この種の「外部」のものの典型的な一例だ。そしてそのようなものが、事実、私たちが禅において理解する、内面の外部化の性質なのである。

 

   五 外部の内面化

 

 さてここで、先ほど議論したのとは逆のこと、つまり外部の内面化、<自然>の世界(いわゆる「外部」の世界)が内面化され、「内的」風景として確立されるようになる精神的プロセスに戻ることにしよう。前に示したように、根底にある精神的出来事そのものはどちらの場合でも同一である。それ以外はあり得ない。と云うのも、互いに正反対に対立しているような、二つの異なる禅体験などあり得ないからである。禅はその歴史を通じて、常に一つであり続けて来たが、しかし主に理論的想定のレベルでは相違する形態を作り出して来た。相違は、人が実際に悟りの瞬間を体験する方法と、その後に何が起るのかと云う事とに関しても現れてきた。これから議論する外部の内面化は、只このような意味で、内面の外部化とは異なっているだけである。

 私たちが先ほど考察した内面の外部化の場合、基調となっているものは、人間の側での<自然>の事物すべてとの浸透的共感である。人が自分の「私」を喪失し、自分自身を放棄して「外」の物へと融合し、それから「外」の物を見失い、そして最終的には<存在>世界全体の具象的顕現として、特定の「外」の物の形態で蘇生するようになる。と云うのがその基本的範式だ。要するに、人が物になり、そして物であるのだ。そして、物であることによって、<一切>なのである。

 外部の内面化の場合、対照的に、自分にとって「外部」であると考えていた物が、法有等は「内部」にあると突然実感するようになる。世界は私の外側には存在していない。それは私自身の内にあるのであり、それは私なのだ。人間がそれまで自分の外側で行われていると想像していたものがすべて、実際には内的空間で行われていたのである。だが、本当の問題は、この「内的空間」をどのように理解したらいいのだろうか、と云うことである。人間の心は、一切の事物が存在し、「内的」な物と「内的」な出来事として生じる内的空間を構成しているのだろうか。こうして私たちは直接的に、禅が理解する<心>の問題へと導かれていく。

 慧能の「風にはためく幡」の有名な公案が、この場合に相応しい例証として、ここに挙げられるだろう。

 五祖弘忍(601―674)の元で悟りに達した後、慧能は南方に行って、広州に留まった。そこで、ある日、ある寺で仏教の講義を聴いていた。突然、風が起り、寺門の旗がはためきだした。公案に関連する事件が起こったのはその時であった。公案は次のように述べている。

 

  六祖がそこに居た時、風が旗をはためかせ始めた。そこには二人の僧が居て、二人はそれについて議論を始めた。一人が言った、「見ろ!旗が動いている」。もう一人が言い返した、「違う!動いているのは風だ」。

  彼らの議論は真理に達することなく、際限なしに続いた。

  (突然、慧能が、その実りのない議論に割って入って)こう言った、「風が動いているのではない。旗が動いているのではない。尊敬すべき同胞たちよ、実際に動いているのは、あなた方の心だ!」二人の僧は仰天して立ちつくした。

 

 ここには外部の内面化の最も顕著なケースがある、と云うように見えるだろう。風が心中

で吹いている。旗が心の中ではためいている。全ては心の中で起っている。心の外側には何

もない。風にはためく旗は、外界で起っている出来事である事を止める。出来事全体(そし

て暗示的には、宇宙全体)は内面化され、内部空間にあるものとして表象される。しかし実

際には、ここで問題にしている「内面化」の構造は、禅の教えの前提的知識を何も持たずに、

この公案を読む者がそう思うほど単純なものではない。少し違った角度からこの点を解明

してみよう。

 同じ『無門関』のある一節では、まだ学人だった趙州が、師の南泉(748―834)に尋ねている。「<道>(つまり絶対的な<リアリティ>)とは何ですか?」そして次のような答えを得ている。「普通の心、それが<道>だ」〔平常心是れ道〕。このよく知られた格言、「普通の心、それが<道>だ」には、この公案を批評する無門禅師の詩的解釈が添えられている。

 

  春に百花有り秋に月有り、

  夏に涼風有り冬に雪有り。

  若し閑事の心頭に挂くる無くんば、

  便ち是れ人間の好時節

  (春の芳しい花、秋の銀月。

   夏のそよ風、冬の白雪!

   もし心がくだらない問題に煩わされないなら、

   毎日が人々の人生の幸福な時であり。)

 

 それならば、中では春には花が咲き、秋には月が輝き、夏には涼しい風が吹き、冬には雪が白いと云うこの「普通の心」とは一体何なのだろうか。四季に特徴的なこれらのものは、「普通の心」の内的風景として無門が提示したものであり、それは丁度、心の内的な働きとして慧能が提示した旗のはためきと同様である。

 まず明らかな事は、ここで語られている「心」は悟った人の心、悟った心だと云う事だろう。南泉の「普通」の心は、この意味では、普通の心ではない。全く逆である。語の通常の理解での、自我実体の経験的意識からは遠く離れていて、「普通の心」が意味するものは、主客未分の分岐を越えた精神状態で実現される<心>(術語的には「無心」と呼ばれる)であり、宇宙全体の極限にまで拡張した心なのである。それは、私たちの経験的意識の場所としての普通の心なのではない。それが意味するものは、<リアリティ>であり、<存在>の基礎なのであり、それが永遠に己自身を覚知しているのである。

 だが、この<心>に関して奇妙なことがある。それは、<心>が、私たちの経験的意識と完全に同一化された場合を除いては、具体的に機能しない(できない)と云うことである。<心>は、現象に於てだけ昨日するヌーメナルな何ものかsomeshing noumenalである。南泉が「普通の心」と呼んでいるのは、まさにその意味においてである。そして、ただこの意味に於てのみ、旗のはためきや春の花の開化は、「内的」出来事として説明し得るだろう。このように理解すると、事実、「心」の外側には何も存在しないし、「心」の外側では何も生じない。現象としてのいわゆる外界に存在するものはすべて、「心」の、ヌーメナルなものthe noumenal〔叡智によって知られる性質のもの〕の顕現形態でしかない。外界で生じる如何なるものも、「心」のヌーメナルなものの動きである。「心」と云う単語の語頭を大文字のMで記した意味はそこにある。〔本訳では<心>と記した〕。

 このように理解された<心>の構造は複雑なものである。なぜなら、見かけ上、自己矛盾的性質のものであるからだ。一方では、超感覚的で超理性的な<存在>の次元にあるのだから、経験的意識とは全面的に異なっているが、しかし他方でそれは、経験的意識と不可分に完全に同一であるのだ。南泉の「普通の心、それが<道>である」は、心のこの後者の側面を述べている。

 「山河大地―存在するもの、生じるものすべてはー、例外なく自分自身の心である」。こういう古い禅の言明がある。この言葉を批評して、日本の鎌倉時代末期の夢窓国師(1275―1351)は、次のように述べている。食べ、飲み、手を洗い、衣服を脱ぎ着し、床に入る等々といった日常的行為はすべて、禅の修行には全く関わりのない世俗的な行為であると考えがちな僧侶たちが居る。彼らは、自分が真剣に禅の修行に取り組んでいるのは、ただ坐禅している時だけだと考える。そのような人々は、夢窓禅師によれば、由々しい過ちに陥っている。「なぜなら、彼らは、心の外側の事物を認めているからだ」。つまり、彼らは自分の心の外側に世界が存在していると信じているからだ。彼らは、「山河大地は自分自身の心である」と云う言明の本当の意味を理解していない者たちである。換言すれば、そのような人々は、個人の「普通」の心として如何なる瞬間にも活動している<心>の性質に全く無知なのである。

 

  ある僧が一度、趙州禅師に尋ねた、「私の心とはどんな類のものですか?」

  これに対して、趙州はその僧に、こう尋ねる事で答えた、「もう食事は済んだのか?」

  僧「はい、食べました」

  趙州「それなら、茶碗を洗いなさい!」

 

 僧は腹が空いて、食事を摂る、食べ終われば、茶碗を洗う。趙州は、そのような自然な日常行為すべての只中で、如何に<心>が活動しているのかを示す。つまり、最もありきたりな行動を通じて機能している各々の心の中で、<心>は間違いなく活動していると云うことである。このように、「普通の心」とは無限の精神的エネルギーの場であり、一旦、個人の境界が取り除かれると、自ずから宇宙全体の極限まで広がるエネルギーなのである。

 南泉や趙州と云った悟達した禅師の観点からすると、「普通の心」は何ら特殊なものではない。彼らにとって、「普通の心」は只の普通の心である。しかし、その背後には<心>の覚知がある。「無心」の覚知を通じて達成されるのは、普通の心であるー私たちが前に、内面の外部化の議論で語った普通の山が、無山の段階を経た後に到達した、ただの普通の山であったように。換言すれば、南泉の「普通の心」は元から与えられている私たちの経験的意識ではないのである。それは悟りの実際体験を通じて実現された「普通の心」なのである。

 禅を学ぶ者にとって、この点を把握するのがどれほど難しかったかを示す例は、古い禅の記録に多くある。

 

  ある僧が一度、長沙禅師に尋ねた、「山河大地を転成(内面化)させて、私自身の心に還元することは、どうしたら可能でしょうか?」

  長沙「山河大地を転成させて、私自身の心に還元することは、一体どうしたら可能だろうか?」

  僧「私には理解できません」。

 

 この有名な問答の中で、僧は「一切は<心>である」という格言の確かさを問うている。その時、彼は明らかに、素朴なリアリズムの立場をとっている。僧にとって「心」とは、<心>の段階を経る以前の普通の心である。その心は「客体」として心の外部にある山や川に対立して立っている経験的意識である。長沙の答えは修辞疑問であり、その意味は、「外部」の世界をそのような心の内的空間にもたらす事は全く不可能だと云うことである。僧はその点を理解できなかった。

 長沙自身が理解する「心」が外界に対して立っている内的世界では無いと云うことは、次の有名な問答によって明らかに示される。

 

  ある僧が長沙に尋ねた、「私の心とはどのような類のものですか?」

  長沙「宇宙全体がお前の心だ」。

  僧「もしそうなら、私自身を容れる場所が無くなってしまいます」。

  長沙「全く逆だ。それこそが、お前にとってのお前自身を容れる為の場所だ」。

  僧「ならば、私にとっての私自身を容れる場所とは何なのですか?」

  長沙「無限の海!水は深い、底知れず深い!」

  僧「私の理解を越えています」。

  長沙「巨大な魚と小魚を見ろ。思いのままに上や下に泳いでいる!」

 

 僧と長沙との間には、明らかに根本的な理解の欠落がある。と云うのも、僧は心について、自分自身の個人的・経験的意識について語っているのだが、その一方、長沙は<心>について語っているからである。経験的心と宇宙的<心>との実際的な同一性を強調すると云うよりむしろ、師はここで、意図的に前者と後者と区別し、僧が自分自身の心であると考えている者とは、実際には大小の魚、つまり存在する一切のものが、それぞれ自分に固有の場所を見つけて、限りない実存的自由を享受している、底知れぬ深さの無限の海のような<何か>であることwp、その僧に分からせようとしている。

 同じ考えは、次のような宏智(わんし)禅師(1091―1157)の詩的表現でも与えられている。

  水清(す)んで底に徹(とお)って〔水清徹底兮〕

  魚の行くこと遅々〔魚行遅々〕

  空闊(ひろ)くして涯(かぎ)りなければ〔空闊莫涯兮〕

  鳥の飛ぶこと杳々(ようよう)なり〔鳥飛杳々〕

 

そして道元

  うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、

  鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。(「現成公案」)

 

 事実、これらの言葉ほど美しく<心>の「内的」風景を描き出しているものは他にないだろう。そして、「山河大地」が「心の内側」だと言い得るのは、ただ<心>の形而上学的次元に於てのみである。と云うのも、個々の物はそれぞれ此処では<心>のあれこれの側面であり、そして個々の出来事はそれぞれ<心>のあれこれの動きであるから’だ。そして、そのようなものが、禅が理解する外部の内面化なのである。

 

 しかし、最後に私は、最初に強調した処に読者の注意を戻さなければならない。すなはち、内部と外部の問題は結局の処、禅の観点からすると疑似問題に過ぎないのだ。内部と外部との間の区別が一度作られると、両者がどのように互いに関係しているのかと云う問題は、内面の外部化と外部の内面化の見地から展開されるだろうし、恐らくそうしなければならない。しかし、厳密に言えば、そのような区別はないのである。区別そのものが妄想なのだ。ここでもう一度、前に何の説明もなしに引用した公案を再び引かせてもらいたい。

 

  ある僧が一度趙州に尋ねた、「趙州とは誰ですか?」

  趙州が答えた、「東門、西門。南門、北門!」

 

 つまり、趙州は完全に開かれている。<街>のすべての門は開かれており、何も隠すものはない。趙州は<街>の丁度真ん中に、つまり<宇宙>の真ん中に立っている。人は彼をどの方向からでも会いに来ることが出来る。「内部」と「外部」と隔てる為に一度人工的に建てられた<門>は、今や広く開かれている。そこには「内部」はない。「外部」もない。そこにはただ趙州が居るだけだ。そして彼は全くの透明なのである。

 

*1973年度エラノス講演より

 

これは筆者が井筒論文と禅との聯関について改めて考究し、自身暖皮にも少なからずに井筒氏筆致の薫習を体現すべくに公開するものであり、一部修訂を加えた。(タイ国にて・二谷)