正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

禅的意識のフィールド構造 井筒俊彦

禅的意識のフィールド構造

井筒俊彦

 

 本稿の原テクストは、一九六九年度のエラノス講演<The Structure of Selthhood in Zen Buddhism >であって、禅における主体性の特殊なあり方の分析解明を主題とする。私がエラノスの講演者の列に加わったのは一九六七年のことだから、この学会との私の関連から言えば、極初期の講演である。そこに述べられている思想の要点だけは、今日でもまだ聊かも変ってはいないものの、とにかく今読み直してみると、欠陥ばかり目立つ。この機会を利用して、出来る限りそれらの欠陥を訂正し、補足しようと努めた。だが結局は、原テクストの忠実な翻訳でもなく、さればと云って完全な書き直しでもなく、中途半端な処に留まることになってしまった。読者の御寛恕を請う次第である。

 

 さて、その年のエラノス学会の綜合テーマは《Sinn und Wandungen des Menschenbildes》―英語では《The Image of Man》と簡略化されていたーで、要するに様々に異なる文化パラダイム、いろいろな学問領域の枠付けの中で、「人間」の根源的イマージュがどう変って現れてくるか、またそれらのイマージュが、それぞれの文化枠の中でどのような史的変転を示すか、と云うことが、主催者側から提出された問題であった。私のほかに参加者は、スイスのヘルムート・ヤーコブゾーン(Helmuth Jacobsohn古代エジプト宗教思想)、イスラエルのサンブルスキー(Schmuel Sambursky原子物理学者)、フランスのアンリ・コルバン(Henry Corbanイスラーム学)、同じくフランスのジルベール・ジュラン(Gilbert Durand比較社化学)、ドイツのベンツ(Ernst Benz宗教学)、イスラエルのゲルショム・ショーレム(Gershom Scholemユダヤ神秘主義)、アメリカのヒルマン(James Hillmanユング心理学)、スイスのポルトマン(Adolf Portmann生物学)、オランダのクウィスペル(Gilles Quispelグノーシス)の九人で、「人間」イマージュの種々相が多彩な形で論議された。私自身は禅を選んだ。 

 中国から日本にかけて、数世紀にわたる禅思想の発展史なかで、私は特に「人間」イマージュの実存的ダイナミクスを最も鋭い形で提示する(と私の考える)臨済の「人(にん)」に焦点を合せつつ、この極めて特徴ある臨済的人間イマージュ(「赤肉団上、無位真人」)の

活鱍々地たる働きの深部に伏在して、そのメカニズムを操るところのーそして、実は、臨済だけでなく、全ての禅的精神現象に構造的に通底するところのー意識のフィールド性を論究してみようと考えたのである。

 たまたまエラノスでは、私が参加する数年前に、鈴木大拙翁が招かれて2年連続で禅について講演されていた。聴衆は多大の感銘を受けたらしく、禅に対する異常な関心が昴まっていた。しかし、翁の話を聴いた人々の大部分は、煙に巻かれたような感じで、本当は良くわからなかったのだ、と云う。わからないが、何か深いものがそこにある。あるに違いない、と感じた、と。そこの処を、何とか説き明かしてはもらえないだろうか、と云う要求も出されていた。上記のような論題を私が選んだ、それが一つの理由。だが、単にそれだけの事ではなかった。少なくとも私にとっては、東西文化パラダイムに関わる興味ある事態がそこにあった。その辺の事情を簡単に説明した上で、本題に入る事にしよう。

 

   一 「我の自覚」―問題の所在

 

 今から振り返ると、もう一昔前の古い話だが、「我の自覚」という概念が日本の哲学界を騒然たらしめた事があった。「我の自覚」―この場合の「我」とは、言うまでもなくデカルト的コギトの「我」を意味した。この概念が、西洋哲学なるものを学び始めたその頃の日本人にとって、どうしてそれほどまでに重大な問題を惹き起こしたのか。簡単に言ってしまえば、デカルト的「我」が、思想史的に、近代の始点として理解されたからである。

 西洋的「我の自覚」が、本当はデカルトを越して遠くアウグスティヌスにまで遡るものであるにしても、とにかくデカルト的「我」の発見、「我」意識の自証、から西洋の近代哲学が始まると云う事は、大雑把な見方をする限り、思想史的事実であると言わざるを得ない。と云うことは、すなわち裏側から見れば、「我」の自覚を欠く、或いは「我」の自覚の曖昧な、東洋の伝統的思想の非近代性、、前近代性を指摘する事でもある。滔々たる世界の近代化の波に乗って、近代世界に仲間入りする為には、日本の哲学は、先ず何よりも「我」の自覚を持たなくてはならない、と云う訳だったのである。そこに当時の日本哲学の直面した焦眉の問題があった。

 ここでデカルト的「我」の自覚とは、第一義的には個の自覚と云うことである。そして個の自覚とは、人間が自分の個的存在性を、その主体性の先端において覚知すること。要するに個的実存としての自我の主体的確立を意味する。そして、このような意味での自我、人間的主体性、の問題がデカルト以来、西洋哲学の基本的問題として、近代哲学の全かってん過程を支配して来た事もまた事実である。

 個的「我」の自覚、一切の他者・他己を徹底的に排除して行く処に始めて成立する自己のアイデンティティ。そこに、近代的人間の主体性を特徴づける絶対自律性が、直証的確実性を以て覚知されるはずである。もしそうとすれば、西洋哲学の、このような近代的「我」の自覚の見地から見て、日本の、或いは東洋一般の、しゅたいせいの捉え方が、著しく前近代的と感じられた事も当然でなければならない。

 茫洋として捉え処もないような東洋的我「我」。いわゆる我執の跋扈する実生活の次元は別として、少し深い処まで行くと「我」などと云うものが、有るのか無いのかすら問題になってくるような「我」。そう言えば、確かに「我」に関する伝統的東洋思想の一般的傾向としては、個的主体を確立するよりは、むしろ個我的自己を消去することの重要性が強調されてきた。自と他、自我と他我との間の境界線すら曖昧で、ともすれば両者が融合してしまいそうな「我」は、自主独立的、自律的主体性としての「我」ではあり得ない。

 とはいえ、東洋でも、無論、「我」の問題が重要視されて来なかったという訳ではない。それどころか、例えば古代インドにおけるブラフマンアートマンの窮極的相互同定と云うテーゼ一つだけ取ってみても、「我」すなわち人間的主体性がいかに東洋思想の中心問題であったかが分かる。仏教もまたその通り、分けても、本論の主題である禅に至っては、徹頭徹尾、実存的主体性が関心の焦点なのであって、「我」の真相開顕の課題を余所にしては禅そのものも無い、と云っても良い程である。ただ、その「真の自己」の探求が、上述の西洋的近代性の立場から見ると、全体的に著しく非近代的な形で行われて来た、と云うことであるに過ぎない。そして、その前近代的性格とは、今も一言した通り、東洋の精神的伝統における「我」の観念が、漠然として無限定的であって、くっきりした輪郭を持たず、特に禅などでは自我と他我との区別も明確でない(少なくとも表面的には、そのように見える)と云うこと。要するに「自我」―独立自立的な個我意識として、他者あるいは世界に対立し対抗する自己完結的「我」のアイデンティティが確立されていないと云う事にある。

 私は、どちらが良いとか悪いとか言っているのではない。ただ、「我」探求の方向が、そして「我」の定立の形が、この点では、西と東とまるで違っていると云う事実を指摘したいだけの事だ。西方では近代フューマニズム的人間像確立の基となったデカルト的「我」が、東方では、「傲物高心の者は我、壮(さかん)なり」(大珠慧海「続蔵」六三・二五c九)と云うように我執の源として否定される。道元の有名な言葉を引用するまでもなく、ここでは「我を忘れる」こと、つまり自我意識を無化することこそ、真の自己の自覚に至る第一歩とされる。主体性は、その極限的形態においては、主体性そのものを否定し脱却し、「脱我的主体性」の働きの場には、いわゆる「我」の意識はない。「物が一如」などと云う表現によく現われているように、我と物との間に明確な境界線は引かれない。我と物との区別が不定であれば、無論、「我」そのものの観念も不定になる。それが近代性の欠如として感じられるのは当然でなければならない。確かに、ある意味からすれば(すなわち、デカルト的「我」を近代性の始点とする立場に立つかぎり)このような東洋的「我」の捉え方は前近代的と言わざるを得ない。

 

 だが、ここでもう一歩立ち入って考えてみれば、事態は見かけほど単純でもなさそうだと云うことになって来る。第一、当の西洋の内部で、近代はその史的発展の過程において、何回か深刻な危機を繰り返した挙句、ついに「終焉」に達してしまった事を我々は知っている。そして、終焉に達した西洋の近代文化が、今やポスト・モダン的解体の道を急速に走りつつあること、もまた。モダンからポスト・モダンにわたるこの数百年の間に、個我の自覚としての西洋的主体性の観念は、思いもかけなかったような変転を経験した。西洋的「我の自覚」のこの変転の全道程を、現代アメリカの代表的ポスト・モダニスト哲学者、マーク・テイラー(MarkC Taylor)が、その主著『さまよう』の中で、実に鮮明に描き出している。ついでながら、テイラーには、『さまよう』以前に、同じ問題をやや違う角度から追求した『自己への旅路・ヘーゲルキルケゴール』という著書がある。もって近代的人間主体の運命に対する彼の関心の根深さを知るに足る。

 今、かなり複雑に錯綜する線を辿るテイラーの所論の筋書きを、ここで再現する余裕は、勿論、ない。ただこれから本論に述べようとする東洋、あるいは禅に特有の「我」の自覚と際立った対照を示す若干の論点を、極く単純な形で考察し直す事によって、禅意識のフィールド構造をよりよく理解する為の、いわば地均しをしておきたい。

 

 デカルトが個的実存の基盤としての「我」の観念を樹立し、それによって西洋哲学史の近代を拓いた時、事は頗る簡単であるかのように見えた。恰も神中心的な中世的世界像は解体され、今まで全てを支配してきた神に代って、人間が存在世界の支配者の位置についた、かのように。絶対超越的他者としての神のイマージュは消え、その空席に人間主体の自主独立性が据えられた。人間の自律性の自覚。それは数世紀を越えて現代のオルタイザー的「神の死」の観念に直結する。

 だが果たして神は本当に死んだのだろうか。無神論的フューマニズムは確実な根拠を獲得したのであろうか。そうでないことは、近代思想のその後の発展によって如実に示された。いや、神が死に、死んだ神に代って人間が主権者になったという、考え方自体に内蔵されている根源的矛盾は、すでにデカルト自身の思想において、余す所なく暴露されていたのだ。要するに、主権が神から人間の手に移ったと云うことは、人間の側の一種の主観的幻想に過ぎなかったのであって、実は、全てが、神的コンテクストあるいは神学的思想風土の内部での出来事に過ぎなかったのである、神の退陣も、人間の自律性の確立も。

 皮肉なことにデカルトは、コギト的「我」の存在を直証的確実性において証明した後、それに基づいて、神の存在を証明した。皮肉なことにと言うのは、神の存在が証明されれば、当然、人間主体の自主独立性は否定されざるを得ないからである。神が存在する限り、人間は神との相依相関に於てのみ存立出来るのであって、事態は従来の如く神の独裁ではないにしても、二つの主権の並立である。並立は対立となり、結局は、また元の通り神が絶対主権者になってしまう。その場合、昔の情勢との違いは、今まで顕在的だった神が、一応、背後に退いて姿を隠した、というだけのこと。顕在的であれ、隠在的であれ、神の存在が人間の自律性を脅かすことには少しも違いはない。しかもこの場合、神は絶対超越的他者として、他者性一般の代表である。自律的「我」が、一切の他者性の排除に於て始めて成立し得るものである事については、前に一言した。

 神との関連において、始めからデカルト的自我観念に内在していたこの根源的矛盾は、時と共に先鋭化し、近代哲学の史的発展がカント、ヘーゲルを経てニーチェに達する頃には、完全に危機的状況に落ち込んでいく。要するに、一旦手に入れた(と人々が思った)「我」の主権を守り通す為には、どうしても神が主権の座から曳きずり下さなければならない、と云うことだ。神が排除されなければならない。「奴隷の叛乱」が起る。元々「主体」を表すsubject(subjectum)という語は、文字通りには「下に投げつけられたもの」(=「奴隷」)を意味した。神の絶対超越的他者性が喚起する実存的恐怖から脱却する為に、「奴隷」たちは蜂起する。蜂起して彼らは己れの主人、神を殺そうとする。「神殺し」は、フロイト深層心理学のコンテクストでは「父親殺し」である。

 だが、とテイラーは言う、皮肉なことに、人間が神を殺し、神が死ぬ時、人間は自滅し、人間的主体性も死ぬ。「神だけが死ぬのではない、自己もまた死滅する」と。この結論がどこまで正しいか、私は知らない。またこうしてポスト・モダン的状況に進み入った西洋的「我」のイマージュが、今後どのような方向に進み、どのような形で自己のアポリアを解決することになるのか、それも私には予想できない。それに、第一、今テイラーに従って略述したような自我論が、西洋近代の自我論の全てではないし、また唯一の史的発展形態でもない。しかしとにかく、デカルト的「我」の自覚が、少なくともこのような方向に展開する可能性を持っていたと云うこと自体、この型の自我論を特徴づける為の有力な手掛かりになるのではなかろうか。

 が、いづれにしても、それは本論の直接関知する処ではない。本論への直接の関わりは、ここの素描した西洋的「我」の近代哲学的イマージュが、以下の諸節で問題となる禅的主体性のイマージュに対して、興味深い対照を示すであろうと云うことだけである。

 

 神の居る世界像においてはーその神が全システムの中心を占めているにせよ、周辺地域に追いやられて居るにせよ、またそれが顕在的神であるにせよ隠在的神であるにせよー人間は純粋に、完全に独立に自分では有り得ない。人がそれらを意識するとしないとに関わらず、そこでは「我」は窮極的には神という絶対他者の鏡に映った自分である。要するにimagoDeiなのであって、その意味では根源的に自己疎外された形での自分なのである。そこに西洋の近代的「我」にとっての深刻な問題があった。

 それでは、神の居ない世界―神が人間によって殺されたり、殊更に追い払われることによって居なくなった(ように見える)世界ではなしに、始めから神が居る必要のない世界―そういう東洋的世界像の全体的コンテクストの中では、「我」の自律性の問題は、一体どうなっているのだろうか。

 絶対主権者である神が存在しないからには、人間は無条件に自由であり自律的であるはずだと考えられるかも知れない。だが、このような安易な解答で満足してはいられない事は、「我」と云う観念の成り立ちを反省して見ればすぐ明らかになる。臨済の説く「随所に主となる」という人間の自由自律性は、こんな簡単な意味での自由自律性ではないのだ。

 先の述べたimageDeiとしての西洋的「我」意識の場合、「我」は神という絶対他者の鏡面に映った自分の姿を基として成立するものであった。この意味で、「我」は鏡像であり、いわば神の影、「影法師」、である。これに反して仏教的世界像においては、確かに他者としての神は居ない。だがこの場合には、自分自身が他者としての働きをする。他者としての自分が鏡となって自分を映す、その原初的鏡像が「我」の意識を生む。もしそうとすれば、テイラーの説くナルシシズムと異なるところはない。そしてナルシサスは自殺する。

 しかし、禅本来の立場からすれば、このような形で成立する「我の自覚」は真の「我の自覚」ではない、ということに注意すべきである。むしろこのような鏡像的(すなわち対自的)の真性を否定するところからこそ、禅の「我」論は始まるのだ。

 経験的意識の鏡面に現われてくるような自己を、禅は真の自己でない自己、虚構の「我」、として否定する。真の自己は、まさしくそのような鏡像的自己が否定されつくし、滅尽したしたところに始めて現成する。そういう意味で。先ず鏡像的「我」が完全に払拭されなければならない、対他的鏡像は云うまでもなく、対自的鏡像も。だが、鏡像だけを消し去ることは出来ない。鏡面に映る「我」の姿を余す所なく消し去る為には、それを映し出す鏡そのものを粉砕してしまう事が必要である。「身心脱落」―そこから全てが始まるのだ。

 「身心脱落」とは、先ず何よりも先に、人間主体の自我的構造の解体である。映される自己(鏡像)も映す自己(鏡)も共に払拭されてしまうこと、要するに謂わゆる自我が徹底的に無化されることである。鏡中無一物、鏡もまた無。だが、こうして解体された実存的主体の自我構造は、構造解体の否定性、消極性にそのまま止ってしまいはない。自己の無い、従って勿論他己も無い、この空無の空間(「廓然無聖」「不識」)が、構造解体の次の段階で、そのまま逆に自己構造化して、真の自己、「我」の自覚として甦るのである。「清風匝地、何の極まりか有らん」―さわやかな風が限りなき宇宙を遍く吹き渡る。「身心脱落」の境位で否定し尽された自己が、直ちに「脱落身心」的主体性として肯定されるのだ。この第二の境位において、「自性」の枠付けを脱け出た無「自性」的、あるいは脱「自性」的主体性が、通常の経験的現実の世界で機能する時、それはフィールド構造という名に相応しい特殊な内的構造を露呈する。それがどのような構造であるかを分析することが、本論全体のテーマである。

 

 今から約三十年前、私が日本を離れて外国の大学に籍を移した頃、人間的主体性のあり方についての禅の立場に、多くの知識人たちの関心が向きつつあることを私は発見した。みんなが鈴木大拙の著作を読んでいた。この人たちが禅の立場をどう理解したかは別として、神と人という二つの主体性の鏡映関係から生起する理論的葛藤が直接に指向する方向―今ではそれが、解体的であるにせよ、構築的であるにせよ、いわゆるポスト・モダニズム的思想展開である事が明らかになったのだが、―を離れて、何か全く別の方向に、「我」のあり方に対する全く新しいアプローチを模索しようとする人たちであった。わけても、一九六九年度のエラノス講演の聴衆の間にはそういう関心が非常に顕著だった。禅をよく知っているわけでもない、しかしそこに何か自分たちの内心の要求に呼応するものが有りそうだと感じて、禅独特の「我」の把握の仕方に強い関心を、少なくとも旺盛な知的好奇心を、抱く人々、そんな人に対して、私は禅の「我」観を説き明かさなければならなかった。この目的が私の論述のスタイルをおのずから決定した。本稿を通貫する思考方法が、終始テクスト解釈的であるのもそのためである。

 

 元来、禅は説明を嫌い、己れが解釈されることに烈しく反撥する。禅は本質的に言語を超えた体験的事実であるのに、およそ説明とか解釈とか云うものは徹頭徹尾言語的な操作だからである、と。だから禅を言葉で説明し解釈することは、どんなにそれが見事に行われようとも、所詮は第二義門に堕した作業にすぎない、と。もとより私はそれを否定しはしない。ただここで一言しておきたいのは、禅に対するこのような禅自身の言い分は、あくまで宗教的実践道としての禅の立場表明であって、禅を取り扱う哲学者にはおのずからそれとは違う言い分がある、と云うことである。禅本来の立場から見て第二義門であるものこそ、哲学にとっては第一義門なのであり、禅自身が第一義門とするものは、哲学的にはたかだか思想の前ロゴス的準備段階であり、思考の為の素材であり、第二義門であるに過ぎない。禅は体験である事は否定すべくもないが、体験だけが禅なのではない。

 他面、東洋哲学の諸伝統を、新時代の要請に応ずる形で組み直そうと志す人間にとって、禅の限りなく豊饒な思想的可能性は、無視するには余りに魅力的であり過ぎる。すでに高度に思想化され、精緻を極めた体系にまでえ哲学化されて現代に伝えられて来た他の大乗仏教諸派には見られない瑞々しい精神的創造力が禅には今なお溌剌と生きているのだから。それをどう哲学化して行くかと云うことに、私は尽きせぬ「テクスト(読み)の悦楽」を感じる。「テクスト」という語を、その原義に引き戻して考える時、―textの語源texo,texereはラテン語で「織る」の意。Texy=texture―禅的エクリチュールは実に多彩な意味形象の図柄を我々の前に織り出して見せるのであって、それをどう読みほぐしていくか、そこに一つの興味深い現代思想の課題を私は見る。

 およそこのような主旨に基づいて、私は以下、禅の根源的主体性のフィールド構造を、可能な限界までロゴス化してみようと思う。

 

  二 主・客対立の認識メカニズムを解体する

 

 禅は簡単に言えば、真の自己(「我」)を、その根源性において据え、それをそのままに現実的経験の世界に機能させようとする人間の営みである。だから主体性という事が始めから最も重要な問題であった。「直指人心、見性成仏」とは、真の自己の覚知を意味する。

 だが、主体に対する関心は、客体に対する関心と表裏一体である。もともと主・客は、本性上、相互相関的概念であって、もしもし客体を定立しないなら、主体なるものは考える必要もないし、考えることすら出来ない。主が客に対立し、客が主に対立することは必然的なのである。ことさらに指摘することまでも無いごく当り前の事だ。しかし、この一見平凡極まり無いところから、禅のすべてが始まるのである。

 

 主・客の必然的相関関係のプロブレマティークを明確な言葉で提示したものの一つに、禅思想史最初期の作品、哲学詩『信心銘』がある。その一節に日く、「能は境に随って滅し、境は能を逐って沈む。境は能に由って境たり、能は境に由って能たり。両段を知らんと欲せば、元是れ一空。一空、両に同じ、斉しく万象を含む」。

 この一節の前半は簡単だ。「主体(能)は客体(境)が無くなると共に無くなり、客体の方も主体が消滅すればそれにつれて消え去る。主体があるからこそ、それに対して客体は客体なのであり、反対に客体があるからこそ、それに対して主体は主体として定立されるのである」と。まさに主・体の必然的相互依存性(「縁起」性)を説いて頗る明快。問題はそれに続く後半である。日く、「今、私は主・体(能・境)を二項対立的な形で語ったが、これらの二項が本来何であるのか、と究めて見れば、両者は(縁起的にのみ、すなわち、相互の純関係性においてのみ存立するとという意味で)もともと同じ一つの空である。同じ一つの空ではあるけれども、(つまり、それ自体としては何らの実体的差別性を持ってはいないけれども)、しかもまた同時に、(それ自体に本具する縁起的機能を通じて、非実体的差別性を現成し、主・客二項に自己分岐する。この意味で)一空は、互いに対立する所のこれら二項と自体的に完全に同定されるのであって、従ってまた、ありとあらゆる事物事象が、例外なく、本有的に含まれているとも言い得るのである」と。禅の立場から見た主・客関係に著しくダイナミックな可塑性が、ここに示唆されている。

 今、この問題の詳細に入る事は出来ない。それこそ本稿全体の論究すべき課題なのだから。だが、話の糸口を付ける為にも、次の事だけは指摘しておきたい。

 先ず。主・客という認識論的対立二項が、本来、「空」であるち云うこと。それは、右に引用した一節の前半に明言されている通り、主と客とが完全に相関的、相互依存的であって、両者それぞれが本質的に無「自性」的であること、言い換えれば、主も客も、独立した実体性を持った存在者ではない、と云う事を意味する。

 次に、現実的には主・客両端に分れて機能している「空」が、その主・客機能面において、そのまま、全存在世界の顕現・現成である。と云うこと。全く内部分節のない「一空」が、即、参差(しんし)たる現象的存在の差別界なのである。普通、「空」とか「無」とか云うと、我々は何となく形而上的超越性を考えがちであるが、そういう超越性は、ここではっきり否定されている。そしてこのような非超越的意味に理解された「空」(あるいは「無」)を、禅は大乗仏教哲学に従って、「心」(「心性」「心法」)という術語で表現するのである。それをまた「自己」とも云う(臨済の「人」も同じ)。そういう形で禅は人間の真の自己、「我」、主体性、の在処を考えるのである。主・客的二項対立の構成要素としての主を真の主体性とは考えない。

 だから、禅本来の考え方からすれば、主・客対立における主だけを切り出して、それを何処まで追求して行っても、人は「本来の面目」に出逢うことはない。主・客対立における主ではなく、主・客の対立そのものを包み込む全体構造、すなわち「空→主・却→存在世界」全体の自覚が真の主体性なのであり、それがいわゆる「父母未生以前本来の面目」なのである。「那箇是自己」(那箇か是れ自己、どれが汝の真の自己か)という雲門禅師の問いが、「尽大地」、すなわち経験的世界の森羅万象の全て、が汝の真の自己である、という答を喚び起す、喚び起さざるを得ない、のはこの故である。(『碧巌録』第八十七則、「大正蔵」四八・二一二a一一)。全存在世界がすなわち「自己」という。一見、いわゆる汎神論のようだが、それとは根本的に異なる。そのことは今まで述べて来た処からだけでも推察されると思うが、いずれにせよ、論述の進行につれて、次第にもっと明確になっていくであろう。

 

 認識的事態における主体と客体との関係性、相互依存性はなにも禅独特の見解ではない。そのこと自体としては、むしろ、いつ何処にでも見られる常識的な見解である。特に、見方により、見る人によって同じ一つの物が色々に変って見えると云うような形では、主・客の相関性に異議を唱える人は少ない。日常的な物の考え方ばかりでなく、専門の哲学の領域でも日常的思惟を基礎にして哲学する人々は、この意味での主・客相関性を事物認識の不確実性の論拠として使う。例えばバートランド・ラッセルの<priblems of philosophy>(『哲学の諸問題』)。彼は言う。日常生活で我々はよく「机の色」などと云う表現を使う、「色」colourに定冠詞を付けて。つまり、何処でも、誰にとっても、机には一つの決まった色があるものと云うことがわかる。これが机の色である、と言えるような一定の色は何処にもない。見る角度が変れば、机の色は変る。人が二人いれば、必ず見る角度が違う。「それに全く同一の角度から見るにしても、自然光によるか人為的照明によるかで違って見えるはずだし、その人が色盲であるか、色眼鏡をかけているかによっても色は違ってくる。それどころか暗闇の中なら何の色も現われはしない」と。しごく当り前の話で、禅者であろうと誰であろうと、否定する人は恐らくいないだろう。だが、そんなことが問題なのではない。私がここで、わざわざこのような文章を引用したのは、禅の問題とする主・客相関性が、これとは全く似て非なるものである事を際立たせたいからである。

 禅もよく、一見、ラッセルと同じような形で主体と客体との関係性を問題にする。確かに、主体のあり方いかんによって、客体(すなわち物)は変って見える。しかし、と禅は付け加える、主体のあり方によって物がどんなに変った姿を現わそうとも、その主体が客体と対立するような主体である限り、物の真相は現われて来ない。主体を対客体的な認識主体のままにして置いて、どれほどその視覚を変え、視点を移し、外的状態を変えて見ても、物は絶対にその真相を顕わしはしない。存在をしてその真相を露呈させる為には、主体の立場を同一平面上であちこち移すのではなく、一挙に、謂わば垂直に転向させなければならない。言い換えるならば、主体が普通の意味での主体である事を止めなくてはならない。

 主体が普通の意味での主体を止めるとは、ここでは、対客体的認識主体が、前述の如く、「一空→主・客→世界」を己れの全体領域として現成すると云う形での脱自的主体に転成することを意味する。

 「ある僧、(興善惟寛に)問う、道は何処にか在る。師日く、只だ目前に在り。日く、我、なんぞ見ざる。師日く、汝有るが故に見ず」(『景徳伝灯録』七「大正蔵」五一・二五五b八)。存在の日常的経験に様々な形で客体認知的に機能する主体を一挙に消去することによって、そこに現成する新たな主体性を、禅は「無心」と呼ぶ。「無心」とは単に心が無い、つまり一切の意識活動の無い、謂わば死んだような心の状態を意味するのではない。主・客対立そのものの本源的空・無性の覚知であると云う処から「無心」と呼ぶだけの事である。だから、前述の「心」と云う語の了解の仕方によっては、「無心」と「心」とが完全な同義語として区別なく使われる事も少なくない。

 いずれにもせよ、「無心」的主体においては、主・客対立的認識の根本的特徴である「分別」作用は払拭され尽して影もない。それがここでの「無」の一番大切な意味である。「分別」については後に改めて主題的に述べる機会があろう。要するに、簡略して言えば、仏教術語としての「分別」は、現代の哲学的意味論で説く存在分節のこと。つまり本来、何処にも切れ目、裂け目のない存在リアリティーそれを禅では「無縫塔」などと云う(全宇宙、是れただ「箇の無縫塔」―慧忠国師)―に、コトバの意味の指示する区分、区劃に従って、縦横に切れ目を入れ、その一つひとつを本質的に独立した事物事象として定立する事である。従って、そういう意味での「分別」作用を停止した心(「無心」)は、呆然自失して一物も見ない空虚な心ではない。「無心」にはそれ独特の次元における強烈な作用があるのだ。換言すれば、「無心」とは心の無ではなくて、「無心」という一種独特の意識機能なのである。「縦(ほしいまま)に観て写し出す飛禽の跡(雪竇)。一切は無「分別」的境位を経た上で、改めて無分節的、超分節的全体性において見直おされ分節し直され理解する為には、もっと迂遠な分析的解明の道を通過する必要があろう。

 問題の核心は、「無心」と呼ばれる脱自的主体の実際に機能する場所が、通常の見聞覚知の当処であると云うことである。右の説明でも分かる通り、勿論、「無心」は通常の見聞覚知を超絶してはいる。が、見聞覚知を離れて、全く別の次元で働くわけではない。見聞覚知を超えた「無心」が生きて働く場所は、まさに見聞覚知の他にはないのだ。「但、見聞覚知の処においてのみ本心(=「無心」の働き)を読む。しかも本心は見聞覚知に属せず、また見聞覚知を離れず」(黄檗『伝心法要』「大正蔵」四八・三八〇c二)

 

 認識論的コンテクストにおいて「無心」とか「無」とか云う言葉を聞くと、多くの人はすぐ主客合一とか主客未分と云うことを考えがちである。「未だ主もなく客もない」。勿論、こういう意味での主客未分も禅意識形成の一局面ではある。が、禅本来の立場からすれば、それは単に一局面あって全てではない。ましてや禅意識の絶対的極所でもないし、根源でもない。それに、主客未分、「未だ主もなく客もない」と云っても、普通いわゆる神秘主義で問題となる主客未分とは、禅の「無心」的主体性はその内実も意義づけも微妙に違っている。

 禅にとって遥かに重要なのは、神秘主義的な主客未分そのものではなくて、主客未分に当るような状態を一契機として、主客をいわば上から包み込むような形で現成する全体的意識フィールドであり、そういう全体的意識フィールドの活作用なのである。確かに主も客も一度は無化される。その意味では、主客未分を云々することも出来よう。だが本当の問題は、一度無化され、解体された主・客関係が今度は全体フィールド的に甦って、経験的現実として働く、その働き方なのである。そしてその働きの場所は、先に引いた黄檗希運の言葉にあった通り、ただ見聞覚知の現場のみ、である。

 こう考えてみると、「無心」とは云っても、この名で呼ばれる禅意識は、いわゆる主客未分の忘我的状態とは程遠いことを我々は知る。なぜなら、それは見聞覚知の現場で躍動する心なのだから。具体的現実の事物を、それははっきり観ている。ただその観方が、普通の主・客対立的認識構造のそれとは根本的に違うだけのことだ。では、何処が違うのか。

 

 「山河不在鏡中観」、山河は鏡中の観に在らず、と雪竇が言っている。鏡の表面に映った山河は本物の山河ではない。自然の風景を映す鏡像が、どんなに本当の自然とそっくりでも、それはじかに見られた自然とは違う、というのだ。無論、「鏡」という比喩をどう取るかにもよるのだが、少なくともここでは「鏡」は。始めから私が話題にしてきた主・客対立関係における「主」を比喩的に指示している。主体(私)が客体(山河)を見る。外的相互連関性において成立している主体が己れの認識対象として、己れの前に立つ山河を見る。そういう認識関係における主体を、「鏡」に譬えるのだ。その上で、「鏡」に映った対象としての事物は、事物の真相ではあり得ない、という。この意味での鏡像を、夢の中に現われる事物の姿に譬える人もある。南泉普願の「南泉一株花」。『碧巌録』第四十則(「大正蔵」四八・一七八b一九)。世に有名な公案である。

 

 ある時、陸亘(りくこう)という唐朝の役人が、南泉和尚を訪ねて会話していた。陸亘は学識ある人だ。ふと、彼はこんなことを言った。肇(じょう)法師(『肇論』の著者、格義仏教の大立物)の言葉に、「天地と我と同根。万物我と一体(天地与我同根、万物与我一体)」とありますが、実に驚嘆すべき発言だと思います。(しかしどうも未だその深意が掴めないでおります)、と。この時、南泉は庭前に咲く花を指して、「世間一般の人がこの一株の花を見る見方は、まるで夢の中で見ているかのようだ」と言ったと伝られる。「時の人、この一株の花を見ること夢の如くに相似たり(時人見此一株花、如夢相似)」。

 いわゆる現実の世界に咲いている現実の花。世人の目に映るこの花は、まるで夢の中に咲く花のようなものだ。と云うのである。南泉はここで、先刻から私が問題としている主・客対立的関係において、「主(私)が見る「客」(花)は、私から離れて、私の向う側に、独立して存在する一個の客観的対象である。そのような形で認識された花は、花の真相を表わしてはいない。あたかも夢に見た花が花の真相を表わしていないように。つまり、この場合、私は花を直接、直に、見ていないと云うことだ。だからこそ、「天地我と同根、万物我と一体」と云う肇法師の言葉が、素晴らしいとは思うものの、同時に何となく空々しく響きもするのである。

 

 日常的な主・客対立関係における存在認識を決定的に特徴づけるものは言語である。この認識次元では、あらゆる事物事象の一つひとつが「名」を持っているのであって、「名」のないものは存在しないに等しい。逆に言えば、およそ存在するものは、全て「名」の喚起する「意味」によってがっしり固定されていると云うこと。このような状況において、「意味」は一々の事物事象の「本質」として把握される。「本質」という語に当るものを仏教では一般に「自性」(svabhava)と呼ぶ。例えば花は花の「自性」によって花である。花は、「花」という名を帯びることによって、この名の意味によって本質規定されて動きの取れないものとなる。花と云う語の意味が決定する一定の存在範囲があって、花はその範囲を出ることが出来ない(つまり、「花」が「鳥」になることは出来ない)。反対に、また、異物がこの範囲に侵入して来ることも出来ない(つまり、「鳥」が「花」と云う名を帯びることは出来ない)。あくまで「花は花」。ここに、いわゆる同一律が成立する。

 主・客対立の作り出す事物認識の場は、こうして同一律の全面的支配の下にある。「花は花」、あるいはより一般的に「AはA」。同一律の支配する世界においては、全ての物が、それぞれに自閉的である。いや、物だけではない、物をそのように同一律に見る主体そのものも、また同一律支配下にある。だから例えば「私が花を見る」という場合、見る主体である「私」も、見られる客体である「花」も、共にそれぞれがそれぞれの「自性」に固着して自閉的である。互いに相手に対して自らを閉ざした「私」と「花」とが向い合う。勿論、互いに外在的であり他者である。この相互的他者性は、主と客のそれぞれに本来的に内在する(と想定されている)「自性」に由来する。

 およそこのような認識の現場に於いて見られた「花」を、南泉は「夢の中で見る花」と言ったのだった。明らかに、常識の見方とは正反対である。常識の見方では、主・客間の相互他者関係に於いて成立する処の、有「自性」的な花、すなわち「自性」(「本質」、花性)によって己れ自身に固定された花こそ、唯一の現実の「花」であるのだから。

 と云うことは即ち、禅は、一切の事物事象が無「自性」であるとする、と云うことに他ならない。そして無「自性」性こそが存在の真相だ、と云うのである。主体も無「自性」、客体も無「自性」。一切の「本質」的固着性は、ここにはない。限りなき存在柔軟性をもって、すべてが全てに向って開けている。「私が花を見る」。ここでは「私」と「花」とは互いに他ではない。両者の関係は融通無礙。「私」と「花」との区別がないわけではない。区別はあるが、それが自閉的自己同定の(つまり同一律的な)区別ではないのである。だから、「私が花を見る」と云う認識的事態が、そのまま全体を挙げて「私」でもあり得る(全宇宙、是れ一箇の自己)。また明歴々として「私が花を見る」でもあり得る。まさに「天地と我と同根、万物我と一体」である。そしてこのような認識風景が、前述の「無心」的主体性の視野に現成する全体フィールドそのものなのである。

 

 「無心」の意識論、存在論を以上のように理解しておいて、試みに『碧巌録』第四十六則「鏡清雨滴声」を読んでみよう。因みに、この会話の主人公、鏡清道怤(きょうせいどうふ)は八世紀後半から九世紀初めにかけて活躍した禅匠で、雪峰義存の嗣。

  「鏡清、僧に問う、門外これ什麽(なん)の声ぞ。僧云く、雨滴声。清云く、衆生、顛倒し、己れに迷って物を逐う。」

 

 雨が降っている、その雨垂れの音を、ただ雨垂れの音、と思って、そう答えた僧に向って、「衆生、顛倒し、己れに迷って物を逐う」と言う。ここで鏡清の言う「己れ」と「物」が、それぞれ主・客対立的認識構造における主体であり客体であることは言うまでもない。雨垂れの音を聞く僧と、彼によって聞かれる雨垂れの音とは、互いに外在的他者である。それぞれが、「自性」固定的な自己同一性によって相手から切り離されている。世人は大抵このような顛倒した見方をする、お前もその通りだ、と鏡清は僧に言うのだ。

 もしこの僧が、主・客対立的立場でなく、主・客対立をそのまま包み込んだ「無心」的主体性の見地に立って事態に対処していたとすれば、たとえ表面的には全く同じく「雨滴声」と答えたにしても、彼は鏡清からこんな否定的批判を受ける事はなかったのであろう。「無心」的主体性の立場で聞く「雨滴声」、それは客観的外界の現象として主体に対立する雨の音ではなく、主も客も共に捲き込んだ渾然たる全体フィールドそのものが、たまたま一極限定的に「雨」としいぇ現成している、その「雨滴声」である。十方世界、ただ雨垂れの音。天地一杯のこの雨の音が、すなわち「父母未生以前本来の面目」としての「我」そのものの姿なのである。

 「山河、自己、寧(なん)ぞ等差あらんや。為什麽(なんとしてか)、却って渾(すべ)て両辺に成り去る」と圜悟克勤が問いかける(『碧巌録』第六十則「垂示」・「大正蔵」四八・一九二b九)。自然の事物(山や川)と我々の主体との間には、本来(つまり、両者がそれぞれ無「自性」的に開けているかぎり)何の差別もありはしない(「天地と我と同根、万物我と一体」)。それが何故、客観的な対象界と認識主体という二項対立形式になってしまうのか、と圜悟禅師は言うのだ。

 客観的な対象界と認識主体とを二つに分断し、さらに客観的対象界を、無数の事物事象に分割して相互に対立させるものが、この次元の存在を根本的に支配するコトバの意味分節作用であることは、前に書いた。AはそのA性(「本質」)に故に何処までもAである。もし我々が、AをAたらしめているA性を、本来的には言語的意味の喚起する虚像であるとして否定し去るなら、AはAであることに固執し停滞することを止めて、そこに自由の境位は拓かれるのであろう。

 『臨済録』の一節に言う、「道流、錯ることなかれ(君たち、間違ってはいけない)、世出世の諸法は(世間も出世間もひっくるめて一切の存在者は)、皆な自性なく、亦た生性無し(本質もないし、またそれの現象形態も本物ではない)。但だ空名有るのみにして、名字も亦た空なり。你、祗麽(しも)に他の閑名を認めて実と為す(ところが君たちは、そんな空虚な名前を有り難がって実だと思っている)。大いに錯り了れり」と。コトバによって支配される主・客対立的認識の世界にある一切の事物は、全て無「自性」。ただあるものは空名のみ。「唯有空名。幻花空花、不労把捉」(「幻花空花、把捉を労せず」の一句は、先に触れた『信心銘』からの引用)。

 

 繰り返すようだが、禅的主体としての「無心」とは、心が無い、心が働かない、ということを意味しない。何ものにも縛られない心を自在に働かせながら、存在世界に処していく事を「無心」と云うのだ。ここで何ものにも縛られないとは、すでに述べた処から明らかであるように、事物事象の(本当は実在しない)「自性」なるものを、実と間違えてそれに凝住固着することがない、と云う事に他ならない。古来禅のテクストによく引用される『金剛経』の一句、「応無所住而生其心」がそのことを、この上もなく簡潔に、かつ適確に表現している。

 「応に住する所無くして、而も其の心を生ずべし」。六祖慧能はこの一句を聞いて悟ったと伝えられている。要するに、どこにも、何ものにも凝住固着することなしに(無所住)、しかも(心の一切の働きを停止してしまうのでなく)、「無住」のままで心を起し、自在に働かせていくべきである、ということ。サンスクリットの原文では、

 

 Evam apratisthitam cittam utpadayitavyam

  Yan na kvacit-pratisthitam cittam utpadayitavyam

  (かくのごとく、固着せぬ心が起さるべきである。何かに固着したような心は一切起されるべきではない)

となっている。「固着した心」(pratisthitam cittam)―何に固着するのか。勿論、ものの「自性」に、あるいは「自性」をもつものに、である。前述の通り、例えばハナという語に対応する意味形象を存在論的「本質」(すなわち「自性」)と誤認して、そこに主体から独立した客観的なものとしての「花」を認めること。普通なら、心を起せばーこの場合「心」は主・客対立的認識構造における「主」を意味するー心は忽ち対象に引っかかってしまう。実体化された言語的意味形象の葛藤の中に捲き込まれて動きがとれなくなる。つまり心は一処に固定され、一物に固着して、無分節性の自由を失う。「応無所住・・」とは、存在の本源的無分節性の自由を保ちながら、しかも存在分節し、存在分節しながら、しかもその分節態に縛られない、そのような形で心を働かせていくべきである、と云うのだ。これが「無心」的主体の本来のあり方である。

 このような「無心」的主体の働きの特異性を、いかにも禅らしい鮮烈なイマージュに写して趙州は「急水上打毬子」(急水上にも毬子を打し、急流の上で毬をつく)と言っている。流れて止まぬ激流はいわゆる対象界、一瞬も停止せぬ毬の動きは心の働き。まさに摩拏羅尊者の偈として伝えられる「心随万境転、転処実能幽」(心は万境に随って転ず、転ずる処実に能く幽なり)という境位である。

 ここで「転ずるところ幽」であり得るのは、すべてが転じつつ、しかも転じない処があるからである。趙州の「急水」は流れ流れてしかも
流れない。分節が無化されて無分節となり、その無分節が無分節のままに自己分節する。それを「転ずる処実に能く幽」と云うのである。同一律は一旦否定されて(無)矛盾律が犯されるが、このようにして一旦否定された同一律は、また元の同一律に戻る。(A=A)→(A=non- A)→(A´=A´)。この最後の境位を、通俗的表現で、「柳は緑、花は紅」などと言う。より詳しく、この同一律変転の全プロセスを叙したものとしては、青原惟信の世に有名な述懐がある。

 

 「老僧三十年前、未だ禅に参ぜざる時、山を見るに是れ山、水を見るに是れ水。

  後来、親しく知識(奥義を究めた禅匠)に見(まみ)えて箇の入処(聊か悟る処)有るに至るに及んで、山を見るに是れ山にあらず、水を見るに是れ水にあらず。

  而今、箇の休歇の処を得て、依然として山を見るに祗だ是れ山、水を見るに祗だ是れ水なり」

 

 蛇足ながら、最初の「山は山」は主・客対立の認識的事態、「山は山にあらず」は、成立直後の(あるいは成立して間もない)「無心」的主体性の見る緊迫感に充ちた事態、二度目の「山は山」は、時が経つとともに、やや余裕の出来た「無心」的主体の自由な働きを特徴づける存在の非分節的分節の事態。

 我々の普通の理解では、人が何か(例えば「一株の花」)を認識することは、意識の鏡に対象としての「花」の姿が映ることとして形象される。前にも言ったように、この場合、主と客とは互いに他である。しかるに主と客とが共に自閉的であることを止めて、脱自的に己れを開いて互いに向き合う時、そこに面々相対する二つの明鏡に譬えられるような事態が生起する。禅的な表現では、これを「人、花を見る」↔「花、人を見る」という。ここでは人は確かに花を見ている。決して花も何も見ないのではない。だが、それが同時に、花が人を見ることでもあるのだ。互いに相手を映し合う二つの鏡の間には、いずれが主、いずれが客とも区別し難い一つの「幽なる」空間の限りない深みが開けていく。渺々として言葉にし難いこの「無心」的存在意識の風光を、宏智正覚禅師の『坐禅箴』が次のように、見事に描き出す。

 

 「・・事に触れずして知り(自分の外に客観的対象を見ることなくして認識し)、縁に対せずして照す(外境に対立することなくして、しかも了々と存在界を照明する)。事に触れずして知る、その知おのずから微なり。縁に対せずして照らす、その照おのずから妙なり。その知おのずから微、曾て分別(差別)の思なし。その照おのずから妙、曾て毫忽の兆なし。曾て分別の思なし、その知、偶なくして奇なり(対立するものはない)。曾て毫忽の兆なし、その照、取なくして了す。

   水清くして底に徹す、魚行いて遅遅たり。

   空闊くして涯(かぎ)りなし、鳥飛んで杳杳たり。」

  (仏仏要機、祖祖機要。)

不触事而知、不対縁而照。不触事而知、其知自微。不対縁而照、其照自妙。其知自微、曾無分別之思。其照自妙、曾無毫忽之兆。曾無分別之思、其知無偶而奇。曾無毫忽之兆、其照無取而了。水清徹底兮、魚行遅遅。空闊莫涯兮、鳥飛杳杳。

 

 宏智のこの『坐禅箴』をモデルとした道元の『坐禅箴』では、最後の二句が「水清くして地に徹す、魚行いて魚に似たり。空闊くして天に透る、鳥飛んで鳥の如し」となっている。無「自性」的に分節された魚は、魚であるよりも魚に似ているのであり、鳥は鳥のごとく飛ぶのである。

  (仏仏要機、祖祖機要。)

不思量而現、不回互而成。不思量而現、其現自親。不回互而成、其成自証。其現自親、曾無染汚。其成自証、曾無正偏。曾無染汚之親、其親無委而脱落。曾無正偏之証、其証無図而功夫。水清徹地兮、魚行似魚。空闊透天兮、鳥飛如鳥。

 

 「夫れ心月孤明にして、光、万象を呑む。光、境を照らすに非ず、境また存するに非ず。光境ともに亡ず。また是れ何物ぞ。」(盤山宝積)

 

   三 「我、花を見る」

 

 主・客対立的主体の構成する世界、と「無心」的主体に開示される世界と。上来、私はこれら二つの存在認識のあり方を対照的に、すなわち両者の根本的差違性に焦点を合わせつ恰も両者が互いに全く異質的であり、離絶しているかの如くに。しかしまた同時に私は、両者が実は互いに無関係なのではない、と云うことも、叙述の途中で、機会あるごとに示唆してきた。互いに無関係どころか、本当は、両者の間には、ほとんど相互同定的とも云うべき緊密な連関があるのだ。そのことは、「山は山」という単純な「自性」的同一律の次元から、「山は山にあらず」という矛盾命題の定立を経て、再び「山は山」の同一律に戻ることから見ても明らかであろう。全体を通して見れば、「自性」的同一律が、「自性」の撥無によって非「自性」的同一律となって現れるという、同一律の根本的な内的変質のプロセスに過ぎないのである。要するに、「無心」の視座が導入されることによって、主・客対立的認識構造自体が、意外な様相を呈示するに至る、と云うことでもあるのだ。以下、私は差違性から連関性に問題の中心を移しつつ、両認識次元がどういう形で結びついているかを考察し、次にそれに基づいて、本稿の題目とした禅意識のフィールド構造を解明する方向に論を進めたい。これまで、最初から、私は「フィールド」とか「フィールド構造」とか云う表現を何回も使ってきた。しかし、「フィールド」という語で自分が何を意味しようとしているのか、については、まだほとんど一言も説明していない。

 

 この目的を追求する為の分析操作として、私はここに佐藤通次(『仏教哲理』理想社1968年)によって案出された究めて有効な範式的表現法の使用を試みてみようと思う。周知のように佐藤氏は元来ドイツ語学・ドイツ文学の専門家であって、氏の提案による範式(フォーミュラ)が、仏教学の専門家や宗門の人々の間でどう評価されているのか、寡聞にして私は知らない。しかし、それはとにかく、私見による限り、氏の範式表記法は、他に類例を見ない、勝れたものである。但し、この範式を本稿のコンテクストで実際に借用するに当っては、必要に応じてかなり自由な形で細部を改変しなければならないであろう。さらに、記号表記の内的な読みそのものが、本稿でここまでに説明して来た私自身の禅に対する了解の仕方に終始することは言うまでもない。

 

 佐藤氏の範式も、日常的な感覚・知覚的認識主体の存在理解と、脱日常的な「悟り」の覚的主体の存在理解とを、一応、互いに根本的に異なる存在開顕の二つの地平として峻別し、前者をローマ字の小文字、後者を大文字で表記する。具体的に例示してみよう。

 今、私の目の前に一輪の花が咲いている。私はそれを見る、「我、花を見る」(因みに佐藤氏自身は「花」の代りに「これ」という代名詞を使う。その方が色々な点から見て正確度が高いし、便利でもあるけれども、ここでは私は前述の「南泉一株花」の公案に因んで「花」とする)。

 あの公案の僧のように、私は今、庭前に咲く花を見ている。この場合、「私」は感覚・知

覚的認識主体であり「花」は「私」の外に実在する客観的対象である。「私」と「花」とは、

ともにそれぞれ有「自性」的に独立して、互いに他である。前に詳しく説明した通り、両者

の関係は純然たる外的関係であって、内面的な結び付きではない。このような主・客対立的

認識状況を、範型的には全部小文字を使ってi see flowerという形で表記し(この際、英文

法の定冠詞、不定冠詞の別は一切考慮しない)、それをもう一段抽象化し一般化してs→oと

する。sはsubject「主体」、oはobject「客体」(対象)の略字。これに対して、大文字のI

SEE  FLOWERは、「無心」的認識の事態を表わす。すなわちⅠは「無心」的主体、あるい

は脱自的主体。SEEは「無心」的覚知(仏教的術語ではprajna「般若」の知)、すなわち前

述の「住する所なき心」(apratisthitam cittam)。FLOWERは、そのような心の非固着的働

きによって、無分節的に分節される存在の本源的形態としての「花」。「我、花を見る」とい

う認識経験の命題を、このようにi see flower―I SEE  FLOWER、小文字大文字二様の記号

で表記してみると、大文字の方が禅の特徴的見方を表していることは一見して明らかであ

ろう。しかしそれよりもっと特徴的なのは、小文字で表記された事態(i see flower)の裏側

には大文字表記の事態(I SEE  FLOWER)が伏在していること、と言うよりむしろ、i see

 flowerの全体を、I SEE  FLOWERのSEEが貫流していると云うことである。つまりSEE

を通じてi see flowerとI SEE  FLOWERとは密接に連関し、交流し合っているのである。

もっとも、前「無心」的な普通人の普通の認識経験としてのi see flowerの次元では、そこ

に働くSEEが経験の表面には全く現れていないのであるけれども。

 日常的、感覚知覚の奥に伏在して、全体の認識機構を支配しているこのSEEを、昔の禅者は「心」とか「心法(心のリアリティ)」とか呼んだ。臨済が言っている、「心法は無形、十方に通貫す。眼に在りては見と日い、耳に在りては聞と日い、鼻に在りては香を嗅ぎ、口に在りては談論し、手に在りては執促し、足に在りては運奔す。本、是れ一精明(もともと一つの無実体の自照性)、分れて六和合(六つの身体的知覚器官)となる」<心法無形通貫十方。在眼曰見。在耳曰聞。在鼻嗅香。在口談論。在手執捉。在足運奔。本是一精明。分為六和合>と。この「心法」を、根源的一心という意味で、臨済はまた「心地」とも呼ぶ。日く、「山僧が説法、什麽の法をか説く。心地の法を説く(説心地法)。便ち能く凡に入り聖に入り、浄に入り穢に入り、真に入り俗に入る」<山僧説法説什麼法。説心地法。便能入凡入聖。入浄入穢。入真入俗>。それ自体としては全く内的分析を持たないこの無差別の根源意識(「宇宙意識」とでもいうべき生命の創造力)は、あらゆる存在の次元に、限りない差別の世界を作り出しながら永遠、無始無終の自己分節を続けていく。「我、花を見る」(i see flower)が、このようなSEEの活鱍鱍地たる自己分節機能の現れの具体的な場所であることは言うまでもない。

 そして、もしi see flowerの全体を、こういう意味でのSEEが貫流しているとすれば、それは、当然、私が現に花を見ているという、このささやかな認識事態を構成する契機としての「我」(小文字のⅰ)の内部にも「花」(小文字のflower)の内部にも働いていると考えなくてはならない。すなわち、小文字の「我」の背後にはSEEがあり、小文字の「花」の背後にもSEEがある。このような姿において把握された「我」「花」は、日常的経験意識に現われる「我」「花」とは微妙に、しかし根本的に、違う。この違いを記号化するために、我々は(SEE→)iおよび(SEE→)fという表記法を使い、さらに抽象化を進めて、これを(SEE→)s→(SEE→)oとする。この場合、小文字の「エス」はsubject(主体)の略、「オウ」はobject(客体)の略。なお、SEEが括孤に入れてあるのは、日常的存在意識の次元ではSEEの働きが表面に顕われていない、つまりまだ気づかれていない、ことを表わす。括孤が取り払われ、SEEが顕在化すれば(すなわち覚知されれば)ⅰはⅠとなり、flowerはFLOWERとなる。この場合、FLOWERはflowerに対し、Ⅰはⅰに対してメタ記号的位置を占める。

 先に私は、禅意識の構造的展開過程の中間において、必然的に(無)矛盾的否定が起ることを指摘した。すなわちA=A(「山は山」あるいは「花は花」)がA=non-A(「山は山にあらず」あるいは、「花は花にあらず」)に転成するということ。今ここに導入した括弧づけのSEEは、まさにその事態を表示する。例えば(SEE→)fは、「花」がもはや「花」として自立自足できないということ、つまり「花」に「自性」喪失を表わす。「自性」的分節態であることを止めた「花」はもはや「花」ではない(A=non-A)。だが、それはまた、(SEE→)fという形で、つまり「自性」的には「花」であることを止めた非「自性」的「花」として、メタ記号的に、もとの同一律的形姿(A=A)に還帰するのである。

 第一次的な記号flowerに対してFLOWERがそれのメタ記号、同様にⅰに対してⅠがそれのメタ記号であるとすれば、第一次的な記号的事態i see flower全体に対してI SEE  FLOWERはメタ記号的事態を表わすということになろう。なお、ここで記号(的事態)というのは、例えば「花」という語が花という対象を同一律的に意味するという場合のように、コトバが、有「自性」的に分節され固定されたものやことを指示対象として持つような存在認識の次元を指す。これに対してメタ記号(的事態)とは、コトバが、言語本来の意味分節機能を越えて、上に述べたような形で第二次的に、非分節的に、働く場合を指す。(中略)

 

   四 時間軸と無時間軸との交叉点で

 法眼文益といえば、九世紀末から十世紀中葉に現われ、その著しい哲学性によって、禅思想史の流れを大きく変えた重要な人物だが、この人には世に知られた「三界唯心」と題する哲学的な頌があって、今我々が論題としつつあるSEEの構造に深く関わる思想がそこに述べられている。その大意は次の通り。「全宇宙がただ一つの心。存在するものは、ことごとく、ただ一つの識。全てはただ識のみであり、あらゆるものは一つの心である故にこそ、眼が様々な声を聞き取り、耳が様々な色を見分けることができるのだ。もし色が耳に入らぬようならば、どうして声が眼に触れることがあり得よう」。だがしかし、宇宙に遍満するこの「心」は涯しなく広漠として、限りなき可能性を内蔵する故に、たまたま色が眼に応じ。声が耳に応ずることもある。そんな時、「心」の深みから、耳が声に適応する時、一切の事物事象が分別され認知される。一切のものがこのようにして分別的に認知されないならば、どうして夢幻の如き存在の姿が現われてこよう。だがしかし、これらすべての山々、川、大地の中で、一体、何が変化し、何が変化しないのか」。

 「何が変化し、何が変化しないのか」という。変わるもの(存在の時間的秩序)と変らぬもの(存在の無時間的秩序)とが同時に、そして見分け難く融合して、成立するのだ。ここにSEEの具体的顕現様式の、一見奇妙な二重性がある。一瞬一瞬に遷流して止まぬ「事」的経験の世界と、永遠不易の「理」てき経験の世界とが、SEEの働きの中に同時現成する。記号的事態の中に、それを通じて、それと一体となって、メタ記号的事態が具体化する。言い換えれば、意識の時間軸と無時間軸とが交叉するところ、その都度その都度の「いま、ここ」の一点、がSEE現成の唯一のトポスなのである。

 無時間的現在(=現前)性と、フィジカルな時空的現象性。この二つが合致して同時に生起するところでなければ、SEEは絶対に具現しない。古来有名な禅の文句、詩歌、絵画などが、非常に多くの場合、まるで自然界の客観的描写であるかの如き観を呈するのはこの故である。禅の書物によく引かれて問題となり夾山善会の風景詩がその一例。

 

  猿は子を抱いて青嶂の後に帰り(猿抱子帰青嶂裏)

  鳥は草を衡んで碧巌の前に落つ(鳥銜華落碧巌前)

 

 この詩は、「如何なるか是れ夾山の境」という、ある人の質問に対する夾山禅師の答であることに注意する必要がある。この問いが、禅師が現に住んでいる夾山の風景を訊ねるのではないことは、禅の自己表現の形式に多少とも親しんでいる人にとっては自明のことである。夾山の山奥に隠棲している、あなたの現在の内的境位は如何なるものか、と問うているのだ。

 とはいえ、ここに描かれた自然は、決して内的境位のメタファではない。本当の自然描写である。ただ、その風景を観る禅師の目がSEEの目なのである。子を抱いて青嶂の奥に帰っていく猿も、花を嘴にくわえて碧巌の前に降りる鳥も、ここに描かれている全ての出来事を、この目は、存在の幽邃な無時間的事態の、時間的存在次元への「現前」として見ているのである。しかし、言葉の表面には、出来事の時間的、感覚的側面しか現われていない。先刻話題にした、哲学的思考の鋭さで、世に知られたあの法眼文益すら、夾山のこの詩について、迂闊にも、わしは三十年も長い間、これを自然描写だとばかり思ってきた(「我、三十年来、錯って境の会をなせり」)と告白しているほどである。いずれにしても、この種の自然描写の禅哲学的な意味は、それを意識フィールド内に正確に位置づけることによって始めて明らかになるであろう。だが、それは次節の主題であって、ここでは論じない。論述の現テクストにおいて、一番大切な点は、本節の最初から強調してきたこと、すなわち、先の臨済からの引用文で「心法」と呼ばれた「宇宙的自己」が、具体的な人間個人個人の個的自己を通じてのみ本来の機能を発揮できると云うことである。

 

  「心法、形無くして十方に通貫し、目前に現用す。」(心法、無形通貫十方、目前現用)

  「心法は無形、十方に通貫す。眼に在りては見と日い、耳に在りては聞と日い。」

   (心法無形、通貫十方、在眼曰見、在耳曰聞)

 

 要するに、先に使った範式的表示法で言うなら、主体的には(大文字の)Ⅰは(小文字の)iを通じてのみ働くという事であり、それに対応して客体的には、存在の無時間的事態は必ずフィジカルな時間的事態の形を取って現実化する、という事である。有名な龐居士(龐蘊)の言葉「好雪片片、別処に落ちず」(『碧巌録』第四十二則)がそれを見事に言い表わしている。

 「好雪片片不落別処」。降りしきる雪を見ながら龐居士が言う、素晴らしい雪、ひらひらと舞い下りつつ、しかもどこにも落ちはしない、と。しんしんと雪が降っている。外的自然の現象としては、確かに雪のひとひらひとひらが大地に向って落ちてくる。だが、前に詳しく説明したように、無時間的な「心」のメタ記号的風景としては、尽乾坤、白一色の世界、全宇宙が雪そのもの。全宇宙を挙げて雪であるような状況において、雪はどこにも落ちるべき場所をもたない。およそ動きは、いかなる動きであっても、ただ相対的な世界においてのみ起る。いわゆる参照軸の外在しない所で動きを云々する事は無意味である。それでもなお降る雪を考えると云うのであれば、すべての雪片が(つまり「心」そのものが)それら自身の場所(「心」)に向って落ちる、とでも言うほかはないだろう。「心」が「心」に向って落ちる、それは何ものも、どこにも落ちない、ということと同じである。だが、他面、現実の感性的経験としては、確かに雪は降っている。現実に地上に落ちていく雪の片々を別にしては、どこにも落ちない雪というものは現成し得ないのである。

 意識・存在のこの相互矛盾的二次元性を、龐居士はこの上もなく簡潔な形で表現している。すなわち、「好雪片片」の四字で時間的、感性的動の側面を、そして「不落別処」の四字で無時間的静の側面を。

 これと全く同性質の事態を、もっと丁寧に言い表わした別の例がある。黄龍慧南の言葉(『語録』続補)がそれである。日く、

  

  「春雨淋漓として、宵に連なり曙に徹す。点点無私にして、別処に落ちず。且らく道え、什麽の処にか落つ。自ら云く、汝の眼睛を滴破し、爾の鼻孔を浸爤す。」

 

 雪に代わって今度は降り続く春雨、ここでもまた降りしきる雨が「別処に落ちず」と言われている。その理論的根拠は、龐居士の「雪」の場合と全く同じ。SEEの開示する宇宙的石の地平では、全宇宙そのものが「雨」(大文字のRAIN)なのであって、それは何処にも落ちようがない。が同時に、もう一つの経験次元で、雨(小文字のrain)は、最も具体的に、個的人間の身体を濡らして降り注いでいる、という。無時間的「静」の次元だけではSEEは現成しない。時間的「動」の場において、それとの緊密な機能的連結において、はじめてSEEがそのフィールド性を全顕現するのである。

 

   五 禅意識のフィールド構造

 「心法無形、十方に通貫す」と臨済は言った。しかし、それ自体では全く無形(不可視、不可触)であるこの「心法」―上来、私はそれをSEEとして表記してきたーが、「十方に通貫」して働く場所は、個的人間の眼であり、耳であり、鼻、口、手、足などの身体的器官であった。すなわち、「無心」的主体(大文字のⅠ―それのそれの本源的機能性がSEEである)が現成する時、この主体は、有形・可視的な経験的主体(小文字のi)の具体性を通じて、それを通じてのみ、自己を機能的に顕現するのである。謂わば「無心」的主体が、「有心」的主体と協同して作り出す意識・存在的機能磁場がSEEである、とも考えられよう。

 だから、「無心」的主体とは、普通の意味では、主・客対立的認識機構における「主」という意味では、決して主体ではない。前にも言ったように、それは、経験的世界で働く主・客対立機構を、謂わばすっぽり包み込んで、それを上から(あるいは裏から)支配し、自由自在に操作する「何か」なのである。「棚頭に傀儡を弄するを看取せよ。抽牽都来、裏に人

あり」(看取棚頭弄傀儡、抽牽都来裏有人・舞台の上であやつり人形が様々に動作する、その動きをよく観察してみるがいい。人形たちが動くのは、みんな上から糸で引いている人が裏に居るのだ)と臨済は言う。「光影を弄する底の人、是れ諸仏の本源」(光影底人、是諸仏之本源)とも。臨済が、インド系仏教の形而上的匂いのする「心」「心法」の代りに、しばしば、より中国人的な「人(にん)」という語をSEEに当てたことは前にも書いた通りである。そういう非常に特殊な意味で、「無心」的主体(SEE)は主体(Ⅰ)なのである。

 そして、これもまた前に指摘したことだが、こうして「無心」的主体の全体的機能フィールドに取り込まれた主・客対立的主と客とは、ともに無「自性」されて、元々それらを経験的次元において根本的に特徴づけていた相互対立性を奪われ、「固着することなき心」(「無住性」)によって見られた「固着することなき(無「自性」的)主および客として、互いに限りなく柔軟な「無礙」状態に入る。この境位での主と客との、この柔軟な無礙性こそ、これから述べようとする「無心」的意識のフィールド構造成立を可能にするものである。なぜなら、無「自性」的に成立する主と、無「自性」的に成立する客とは、もはや実体的に対立する主・客ではなくて、互いに純粋機能的相互依存性において成立するーと言うより、それ自体が純粋機能性そのものであるようなー主と客であって、両者の相互流通を妨げる実体性は全然そこに存在していないからである。

 このような境位に立って見れば、我々が通常、最も具体的で最も原初的、と考えている「我」と「物」(主と客、認識主体と認識対象)は、実は、ある種の第二次的操作によって、存在経験の根源的所与から抽出されたものと謂わなければならない。原初的なのは、いわゆる現実ではない。本当に原初的なのは、いわゆる現実、すなわち感性的に認知可能な(つまり「自性」固着的な)実体的主・客に作り出す世界、の深層に伏在してフィジカルな経験の表面には現れない非「自性」的主・客の世界、すなわち主と客とがともに非固着的で、両者の間を分かつ分割線が微妙に流動的であるような、そんな意識・存在の全体的領野なのである。この全体領域が、能動的部分領域と受動的部分領域とに分割され、それぞれが自立する実体として把握される時、そこにいわゆる主・客が生起する。

 であるから、逆に言うと、表面的には自立して、互いに他者として対立する主・客も、深層においては、それぞれがSEEの全領域の自己顕示(「全機独露」)なのである。両者いずれも同じSEEの全体を挙げての顕現形態である故に、両者は互いに流通し合う。

 今、この特殊な事態を、「私は此れを見る」という単純な命題を例として、その内部構造を、先に導入した範式で表記してみよう。これを普通の認識経験の命題だとすれば、全部小文字でI see thisと表記されるわけであるが、現に問題としている「無心」的主体の活躍する次元では、当然、全部大文字のI SEE THISに変る。この場合、I SEE THISは無分節的SEEが、無「自性」的に自己分節することによって展開する機能フィールドを表わす。従って主体Ⅰも、客体THISも、ともに同じI SEE THIS全体を内に含み、それぞれがそれぞれの形での全フィールドの顕現である。すなわち、Ⅰは実はI(=I SEE THIS)であり、THISは(I SEE THIS=)THISである。

 だから、この境位で私が「私」と言う時、勿論、「私」という語は経験的主体としての「私」(小文字のi)を意味しない。私がここで意味するのは、I SEE THIS全領域そっくりそのままの、自己収約滴現実化としての私(大文字のⅠ)である。確かに、それは現に「私」として顕現し機能してはいる。だがこの「私」は、共通のフィールドであるI SEE THISを通じていつでも自由に、たちどころに「此れ」(THIS)に転成し得るだけの内的能力を具えた「私」なのである。

 

 この「無心」的主体・客体の著しくダイナミックな相関性を次の説話が明快な形で提示す

る。説話の主人公は、中国禅思想史の黄金時代を代表する禅匠、馬祖道一(709―788)

と百丈懐海(720―814)の二人。後に禅界の最高峰の一人となる百丈は、この時点で

はまだ馬祖に師事する若者としては登場する。この説話は公案史の上でも極めて重要な位

置を占める有名なもので、『碧巌録』では「百丈野鴨子」(第五十三則)と題して古来多くの

人々に親しまれてきた。『馬祖語録』にも、(百丈惟政、政上座、を主人公として)ほとんど

同じ形で記録されている。

 

  馬大師、百丈と行く次(ついで)、野鴨子の飛び過ぐるを見る。

  大師云く、是れ什麽(なん)ぞ。(『語録』所載のテクストには「大師問う、身辺什麽物

 ぞ」今、すぐそこに居たのは何物だ、とある。この種の問いは、禅の慣習としては、眼前

 に現在する事物の「何」<小文字>を問うことを通じて、SEEそのものの「何」<大文字>を指向する。百丈は、無論、それに気づかない。)

  丈云く、野鴨子。

  大師云く、什麽処(いずこ)に去るや。

  丈云く、飛び過ぎ去れり。

  大師、遂に百丈の鼻頭を扭(ねじ)る(いきなり鼻をつかんでねじり上げた)。丈、忍  痛の声を作す。

  大師云く、何ぞ曾て飛び去らん(全然、飛び去ってなんかいないではないか。『語録』「猶お這裏に在り、何ぞ曾て飛び過ぎん」)。ここに至って、百丈は豁然として大悟した、と伝えられる。

 

 この説話の第一の中心点は自分のすぐ側を野鴨が飛び去るのを眺めている年若い百丈である。この時の彼の見ている野鴨は、それを見ている彼とは独立に存立している一個の客体。我々の使ってきた表記法では小文字で書かれるべき野鴨、すなわち「自性」固着的な認識対象であって、見ている百丈も、当然、「自性」固着的な、(小文字)の「我」でなければならない。だが彼は馬祖に鼻を扭り上げられて痛いと感じた瞬間、忽然として、野鴨が彼の「心」から独立の存立している有「自性」的対象ではなかったことに気づく。空の彼方に飛び去ったものと思っていた野鴨が、実はまだ彼の元に居ること、いや、彼の「自己」そのものであったこと、をかれは悟る。

 全体的意識・存在フィールドの客体的側面(それを野鴨が具現する)が、突然、同じ意識・存在フィールの主体的側面(百丈自身がそれを具現する)の方に急傾斜し、客が主に転向する体験的現場を、この説話は生々と描いている。全体的フィールドのダイナミクスが、ここに如実に提示される。

 勿論この主・客転換が、これとは全く逆方向を取ることも有り得る。すなわちフィールドの強調点(現成点)が、主から客に移る場合だ。世に知られた趙州「庭前の柏樹子」の公案がそれの典型的な例。この公案は、今読んだ「野鴨子」よりもっと有名である。但し「野鴨子」と違って、この場合は、主体から客体への転向の動的プロセスについては一切語られていない。ただ転向の結果だけが投げ出されている。あるいは、始めから転向など全くなく、じかに客体が現成したのだとも考えることが出来よう。但しこの場合でも、本来なら主体としても現成し得るものがここでは特に客体として現成したという事ではある。とにかくI SEE THISという全フィールドが、THISの一点となって我々の眼前に屹立するのである。

 

  「趙州、因みに僧問う、如何なるか是れ祖師西来意。

   州云く、庭前の柏樹子。」(『無門関』第三十七則)

 

 ある時、ある僧が趙州に問いかける、「如何是祖師西来意」と。禅の始祖達磨がインドから中国へやって来たことの真意は、というこの問い、禅のレトリックに多少とも親しんでいる人なら、これが、禅の真精神は何かという意味の質問であることを知っている。それに対して趙州はただ一言、「庭前柏樹子」と答える。『無門関』所載の公案としてはこれで全てがおしまいだが、『趙州録』のテクストでは、これに続きがあって、この答を得た僧は趙州に抗議して言う、「和尚、境を将って人に示すなかれ」(そんな外界の事物を持ち出して誤魔化すなかれ)と。その続き、「師云く、我、境を将って人に示さず。(僧)云く、如何なるか是れ祖師西来の意(と同じ質問を繰り返す)。師云く、庭前の柏樹子(と同じ答を繰り返す)。

 この説話の内的メカニズムは、前の「野鴨子」のそれと全く同じ。それと違うところは、フィールド全体に充満する創造的生命のエネルギーが正反対の方向、つまり客体性の方向に傾き流れているだけのこと。「我、境を将って示さず」という趙州の発言は、この点について誠に示唆的だ。「境」とは外的自然界の事物という事であるから。すなわち、この発言は、趙州の意味する「柏樹」が、決して自然界の(「自性」固着的)柏の樹ではない事を明示する。この「柏樹」の中には同じフィールドの主体性の側面(非「自性」固着的な「我」)が内部構造的に組み込まれているのだ。「野鴨」の場合には、全フィールド(I SEE THIS)が、「我」の側に凝集して現われていた、I(=I SEE THIS)という形で。趙州の「柏樹子」のおいては、同じフィールド(I SEE THIS)に遍満するエネルギーがTHISの側に、(I SEE THIS=)THISという形で凝集して現われている。やや誇張した言い方をするなら、この「柏樹」は、宇宙的柏樹なのであり、それの永遠・無時間的現在・現前が、時間的、現象的次元で、「いま、ここ」に、具体的な形で具現しているのである。華厳哲学的には、まさに「理事無礙」の境位、「一塵飛んで、無限の空全体が曇り、一塵落ちて、全大地が覆われり」(牛頭法融)という次第である。

 

 以上の考察によって我々は、禅思想においては意識・存在のリアリティが、動的で伸縮自由な一種のフィールドとして考想されていることを知る。「主体」「客体」を二つの磁極とし、両者の間に流れる意識・存在的緊張のエネルギーの振幅の内に自ずから形成される不可視のフィールド。

 このフィールドの両極をなす「主体」「客体」が、普通の意味での主・客ではなく、一方は全フィールド(I SEE THIS)を挙げての「我」であり、他方もまた全フィールド(I SEE THIS)を挙げての「此れ」であることは、すでに明らかであろう。両極のいずれの側にエネルギーが流れようとも、フィールドそれ自身には何の加増も欠少も起らない。ただ、両極

間のバランスの、その都度生起し現成する具体的な場所が、純粋主体性の極点から純粋客体性の極点まで、フィールド全体を通して絶えず動いているだけの事である。この内的可動性が、フィールドに、四つの主要な現成形態を与える。

 

 意識・存在フィールにとっての四つの主要な現成形態、それを定型化し、体系化したものに、古来、臨済の「四料簡」として知られるものがある。「四料簡」とは、物事を判定的に分類するための四つの基準というような意味。この名称は『臨済録』の中には見出されないので、臨済自身の命名か否かは定かでないが、思想内容そのものは、この上もなく明晰な形でテクスト上に打ち出されている。日く、

 

  有る時は奪人不奪境。

  有る時は奪境不奪人。

  有る時は人境俱奪。

  有る時は人境俱不奪。

 

 これらは、SEEの「全機」発現の四つの基本型、言い換えれば、「無心」的主体が「有心」的主・客対立の現場を借りて作り出す意識・存在フィールドの四つの基本的な機能形態である。第一の「奪人不奪境」は全フィールドが客体(「境」)になりきってしまって主体(人)が完全に姿を消してしまう場合、第二の「奪境不奪人」は勿論それの正反対で、全フィールドの力がそっくり「人」の方に移ってしまった場合。第三の「人境俱奪」は「人」も「境」も共にその顕現性を消去されて、全フィールドが謂わば空無の場所と化して現われている場合。第四の「人境俱不奪」は、主と客とが共に、並んで現われている場合。「人」(主)「境」(客)を両極とするこれら四つの基本的な全体全体発現形態の力動的な相互関係のうちに、意識・存在フィールドの根源的柔軟性が看取される。

 「四料簡」の意味については、師家が己れの指導下にある学人の境位の深度を計る基準であるとか、師家が学人を悟りにまで導いていく為の四つの手段であるとか、云う説がかなり広く行われて来たが、私は取らない。勿論、第二次的にそういう実践上の目的でも使われて来たであろう事は否定しないけれども、とにかく第一次的には、「四料簡」の四項の間に段階的な差異が有るというような事は、到底信じられない。

 「四料簡」を、上述の如く、SEEの全機発現の基本型として考察する時、禅の問題とする意識・存在の「メタ記号的次元」×「記号的次元」的フィールド構造は、およそ次のような体系的叙述を許すであろう、と思う。ここでは、上記臨済自身の「四料簡」の順序を崩し、「人境俱奪」を出発点とする。あくまで叙述の便宜上の事であって、いわゆる「主客未分」とか「無」とか云う境位に優先的あるいは支配的位置を与えるわけではない。

 

 ➀「人境俱奪」 フィールド全体がそのまま安全な安定性を得て、しかも何処にも特に目立つ中心点がない場合。フィールドがその全体を挙げて絶対普遍的な自照性と化す。「光、境を照すに非ず、境また存するに非ず。光境俱に亡ず。また是れ何物ぞ」(盤山宝積)。主・客が無くなってしまうと云うのではない。ただ「我」(Ⅰ)も「此れ」(THIS)も、ともに意識・存在フィールドの表面には姿を見せないと云うこと。I SEE THISが、そういう形で自己否定的に自己顕現しているのだ。禅はこの状態を指して「無」「無一物」などと云う。「廓然として一物も無し、光明十方を照らす」(葉県帰省)。

 

 ➁「奪境不奪人」 今述べた「人境俱奪」は無の世界。微動だにするものなく、永遠の静謐が支配していた。だが、時とすると、この無と沈黙のただ中から、忽然として眩いばかりの「我」の意識が生起してくる。今まで全フィールドを満遍なく満たしていた生命エネルギーが、静から動の状態に転じつつ、フィールドの主体的側面に向って奔出する。フィールドは、またその全体を挙げて「主体」となり、それまであらゆる所に拡散していたエネルギーは、了々自照する「我」の一点に凝縮する。全宇宙、悉く「我」。他の何物も視界にはない。「百丈、独坐大雄峯」。高々たる孤峯頂上に全身を現わす「我」である。この時、人は「万法と侶(とも)ならざるもの」であって、「箇箇、壁立千仭」、何人も何物もこれに寄りつくことは出来ない。

 

➂「奪人不奪人」 ある時は反対に、全フィールドに遍満するエネルギーが「客体」的側面に流集し、孤立する個体の形を取って現われる。前述、趙州の「庭前柏樹子」はその典型的な例。「人」は表面から完全に姿を消し、全フィールドが「境」だけとなる。またその同じ「境」が、個物の形に凝縮する代わりに、広大な自然の風景となって展開することも、しばしば、ある。第四節において、論及する所のあった夾山善会の詩句、「猿は子を抱いて・・」は、まさしくその一例である。

 禅にはこの種の自然描写が多い。このような自然描写は、単なる自然描写ではない。勿論、第一義的には自然の風景を描いてはいる。が、同時に、表には見えない形で、「心」を描いてもいる。I SEE THISの「客体」極であるTHISしか表面に現われていないので、恰も純客観的な外的自然の描写のように見えはするが、実はそのTHISが全フィールド(I SEE THIS)の挙体顕現である故に、当然「主体」極としての「我」(Ⅰ)もそこに在るのだ。「秋深く天気爽か、万象ともに沈沈、月塋(あきらか)にして池塘は静か、風清く松檜陰(かげ)る」<秋深天気爽。万象共沈沈。月瑩池塘静。風清松檜陰>という、表面的には自然の事物事象の列挙に過ぎないかの如く見える言句に対して、圜悟克勤が、「頭頭(これらの物の一つひとつ)外物に非ず、一一本来心なり」<頭頭非外物。一一本来心>(『圜悟語録』八)と言っていることを見ても、そのことは明白である。ここで圜悟の謂わゆる「本来心」が何を意味するかは、言わずして明らかであろう。

 これと全く同じことを、もっと遥かに詩的な風景描写について、環渓惟一(南宋末期の禅匠)が述べている。「秋風地を捲き、秋水天に連なる。千山影痩せ、万木背負う善䔥然たり。魚笛数声江上の月、撨歌一曲嶺頭の烟―諸人、恁麽の告報を聞いて、切に忌む、境の話の会をなすことを(これを外的自然の描写だと理解しては、絶対に、いけない)。既に境の会をなさず、畢竟、作麽生か会せん。仏身法界に充満して、普く一切衆生の前に現ず」。要するに「心境一致」なのであって、単なる「境」ではないと云うこと。ただ、その「心境一如」(SEE=I SEE THIS)的フィールドの現成形態としては、「心」を消し、「境」のみとして現われている、と云うことなのである。

 

➃「人境俱不奪」 フィールド全体のバランスが、「主体」極にも「客体」極にも傾くことなく、しかも両者それぞれの本来の位置を占めて間然顕現する状態、それが「人境俱不奪」である。すなわちI SEE THISの両極であるIとTHISとが、全く同じ重みをもって表面に現われている。顕在化したこのI SEE THISをI see thisと誤読すれば、「もとの日常底」に還帰した、ということになろう。それがいわゆる「柳は緑、花は紅」の世界である。

 

この世界には「我」が居る、「我」に対面する「此れ」もある。だが内部構造的には、それが普通の主・客対立ではなくて、最初に述べた通り、主・客対立を包み込んだ「無心」的主体の自己顕現なのである。「如何なるか是れ祖師西来の意」(例によって例の如き問い)と質問された虚堂智愚(きどうちぐ)が答えて言った。「山深くして過客無く、終日猿の啼くを聴く」―深山‘の庵を訪れて来る客とてなく、ただ私は終日猿の啼く声を聴いている、と。ここに浮び上ってくる「主体」と「客体」とが、「尽大地是れ汝が自己」(雪峰義存)、「尽十方世界是れ爾の心」(長沙景岑)、「山河大地日月星辰、総べて汝の心を出でず。三千世界は都来(すべて)是れ汝が箇の自己なり」(黄檗希運)などという場合の我であり自然であることは言うまでもない。

この種の我と此の種の自然との、全フィールド顕現的対面は、例えば雪竇重顕の「春山乱青を畳み、春水虚碧を漾(ただよ)わす。寥寥たる天地の間、(我)独り立ちて望む、何んぞ極まらん」というような極度に詩的な形象で描かれる場合が非常に多い。が、それとは正反対に、「私は花を見る」の如く日常的な形で現われることも少なくない。要するに、I SEE THISの自己表現としては、どちらの形も内容的に全く同じことなのである。

 

以上、臨済の「四料簡」を略述した。「無心」的主体の拓く意識・存在の全領域は、これら四つの基本的顕現形態の間を自由に移行しつつ、その都度その都度の「いま、ここ」に現成する。四つのうちのどの形を取って現われようとも、同じ一つのSEEがそこにある。「法身は無相(SEEそのものには決まった一つの形があるわけではない)物に応じて形(あら)わる。般若は無知(無心的主体性の知―I SEE―は、それ自体の固着的対象をもっているわけではない)縁に対して照らす。青青たる翠竹、鬱鬱たる黄花、手に信(まか)せて拈じ来れば、随所に顕現す青青翠竹<鬱鬱黄花信手拈来、随処顕現>(『宏智広録』五「大正蔵」四八・七一b一八)。表面に現われているものが、「我れ、此れを見る」であっても、「我」だけであっても、「此れ」だけであっても、いや、そこに「我」も「此れ」も無くとも、全ては「随処に顕現」する「無心」的主体性の姿なのである。「無心」的主体性の、このようなあり方を、私はそれの「フィールド構造」と呼ぶ。

禅的意識。存在のこのフィールド性を、生きた生身の人間を通じて働くそれの機能現場で捉えて、臨済は「人」という形でイマージュ化した。「人(にん)」、より詳しくは、「無位の真人(しんにん)」。

 

「赤肉団上に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は、看よ看よ。」<赤肉団上有一無位真人。常従汝等諸人面門出入。未証拠者看看>(「大正蔵」四七・四九六c一〇)

 

「真人」が「無位」であると言われていることについては、今さら多言を必要としないであろう。それ自体は絶対無限定(無固着的)であるSEEの、フィールド的自由無礙な柔軟性を、それは意味している。

なお、この引用箇所における「真人」の描写を見て、人はよく「内なる人」を云々したり、『新訳』のパウロ的体験を引き合いに出したりするが、勿論、それは比喩的イマージュとしてのみ正しいのであって、臨済の真意は、我々のこの身心的からだ(赤肉団)の中にもう一人の霊的、あるいは純精神的な人が宿って居て、それが我々の身心機能を支配している、と云うようなことでは決してない。ただ、「内面的人間」と云うこの比喩的イマージュの長所は、それによってSEEが実際に機能するのは必ず具体的個別人間(この人)に於てである、と云う事をよく示唆する処にある。この一事を別にすれば、「無位の真人」は、前に引用した、同じ臨済の文章に出て来る(より抽象的、より形而上学的な)「心法」と聊かも異なる所はない。「心法無法、通貫十方。在眼曰見、在耳曰聞、在鼻嗅香、在口談論、在手執捉、在足運奔。本是一精明、分為六和合」。「心法」は個々人の感覚器官を通じてのみ具体的に機能する。それが、「人(にん)」的メタファ系統の言説では、「常に汝等諸人の面門より出入」する「無位の真人」として形象化されるのである。

臨済の「人」は、「無心」的主体性の開示する意識・存在リアリティのフィールド構造が、個々の人間を通じて実存体験的に生きられなければ、ならないと云う事を強調する。

                      

(『思想』一九八八年八月)

 

これは筆者が井筒論文と禅との聯関について改めて考究し、自身暖皮にも少なからずに井筒氏筆致の薫習を体現すべくに公開するものであり、一部修訂を加えた。(タイ国にて・二谷)