正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

禅仏教における意味と無意味     井筒俊彦

禅仏教における意味と無意味 井筒俊彦 一 禅的ナンセンス 本章の主題は、禅における意味と有意味性の問題である。この主題と前章で議論した主題、つまり<自己>の基本構造とは、これから見るように、互いに密接であり不可分である。あるいは、言語と意味の問…

記号活動としての言語    井筒俊彦

記号活動としての言語 井筒俊彦 ものは何でも、見る人の見方で、実にいろんな風に見えるものである。 例えば一個の桃がある。腹が空いていれば、うまそうだ、と思うだろう。画家は静物画のモデルにいいと考えるかも知れないし、俳人は、これは風情があると一…

即心是仏 ―『言葉の思想史』よりー  末木 文美士

即心是仏 ―『言葉の思想史』よりー 末木 文美士 道元の即心是仏論 とふていはく、いまわが朝につたはれるところの法華宗・華厳教、ともに大乗の究竟なり。いはんや真言宗のごときは、毘盧遮那如来したしく金剛薩埵につたへて、師資みだりならず。その談ずる…

『正法眼蔵』―脱構築から再構成へ    末木 文美士

『正法眼蔵』―脱構築から再構成へ 一 本覚思想と道元―「弁道話」 ―『仏典を読む』よりー 末木 文美士 Ⅰ 修行は必要か 修行と悟りはひとつでないと思うのは、外道の見解である。仏法では、修行と悟りはひとつである(修証これ一等なり)。いまも悟った上での…

『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻に関する一考察     賴住  光子 

『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻に関する一考察 賴住 光子 ここに考察する『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻は、『正法眼蔵』全巻のうちで最も早く書かれている。その奥書には「爾時天福元年夏安居日在観音導利院示衆」とあり、天福元(一二三三)年に示衆…

禅語つれづれ 入矢 義高

禅語つれづれ 入矢 義高 一 禅臭 現在アメリカに滞在中の一老師から、十年ほど前に「日本の禅宗はあまりに禅臭(くさ)すぎる」という慨嘆を聞かされたことがある。「禅臭(くさ)い内はまだ脈があるんだ」という風に先走って、この言葉を捻ってしまわずに、…