正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

禅における言語的意味の問題     井筒俊彦

禅における言語的意味の問題

井筒俊彦

 

   一

 現代思想は言語に関して多くの根本的な問題を提起した。言語に対する異常な関心は、現代人の思惟を主題的に特徴づけている。「意味」はそれらの根本的問題の中でも取り分け根本的な問題である。「意味」に対する関心は、専門的な言語学の領域を遥かに越えて、広く一般に哲学的思惟の次元に、また哲学以前の日常的思考の段階にまで広まり、現代知識人の意識の中心部に位置を占めるに至った。

 

 言語は音声的記号の体系であり、言語記号は対象志向、対象指示機能、すなわち「意味」があってこそ記号である。そして言語記号が如何にしてその対象を志向し指示するかと云うこと、つまり意味の構造の分析的解明は、現代哲学の一つの中心課題である。また科学論系統の現代アメリカ哲学や、現代イギリスの経験主義的哲学においては、言語の有意味的(ミーニングフル)なあり方とその哲学的意義とが思想家たちの関心を集め、尖鋭で精緻な分析の対象となっている。こおような思想界の動向を反映しつつ、日常的思考の領域においても意味に関する多くの通俗書が書かれ、いかにすれば言葉を有意味的な仕方で使用し得るか、どうすれば無意味な言葉を語る危険から逃れ得るかという、いわゆる正しい言語使用法―ひいては正しいものの考え方―の重要性が説かれ、その為のテクニックが教えられている。現代人にとって、無意味(ノンセンス)に言語を使い、知らず知らずに意味を為さない考えに陥るということは愧ずべき事と考えられている。いかなる形にせよ無意味を語ることは、現代社会の常識を基本的に規制する科学性に反する事だからである。無矛盾性と整合性を原理とする科学的思考は、先ず何よりも言葉の有意味的使用を要請する。

 

   二

 有意味と無意味の問題を禅はどう考えるであろうか。言葉が本質的にー宿命的にーもつ意味と云うものの構造を禅はどう理解するであろうか。

 私がこのような形で問題を提起するのは、禅自身が言語の問題を徹底的に無意味性というパラドクシカルな形で提起するからである。げ有意味的使用に対して、禅は真っ向から反抗し挑戦するかの如く見える。

 禅はその活動のあらゆる場において、無意味性という現象を重視する。「無意味」は禅の語録や公案集の至る処に顔を出す。言語以前の行動の次元においても、禅は既に無意味性に満ちている。有名な禅者たちの特徴ある行動は、常識的観点から見る限り、すべて、ほとんど例外なしに、無意味である。無意味でなければ恰も禅的行為ではないかのように彼らは振る舞う。天龍和尚や俱胝和尚の一本指。何をどう尋ねられても、彼らは必ずただ一本の指を立てるのを常とした。無意味である。しかし、禅自体の中では、俱胝和尚のこの奇行は公案として扱われるほど重要視されてきた。して見ると、禅自体の一本指は有意味的行為であるに違いない。すなわち禅には禅の立場からする独特の有意味性の規準があるに違いない。常識的見地から見て無意味であるものを有意味に転成する、その規準とはどのようなものであろうか。

 身体的行動の領域を離れて言語行動の領域に入ると、禅の無意味性はもっとむき出しな、激しい形で露呈される。「橋が流れている、川は流れない」とか「山が水上を歩いて行く」と云うような無意味な言辞が横行する、それは世界なのである。しかしこのような言葉の使い方は、常識的に言えば、言語的意味を言語そのものによって破壊する言語の自殺行為にほかならない。

 禅の最も禅らしい言語活動は問答という形をとって展開するが、問答形式では禅独特の無意味性がさらに一段とむき出しになる。無数の例が語録や公案集にある。ある時、ある僧が趙州禅師に問うた「如何なるか是れ祖師西来の意」。趙州答えて日く、「庭前の柏樹子!」祖師、達磨はどんな意図でわざわざインドから中国にやって来たのか、つまり仏法の最深の意義はどこにあるのか、と僧は問う。これに対して趙州は庭さきの木を指しつつ、ただぽつんと「柏の木!」と言った。「如何なるか是れ仏」(仏とはどんなものか、絶対者とは何か)という問いに対して、洞山守初禅師は、唐突に「麻三斤!」(重さ三斤の亜麻)と言った、と伝えられている。全く訳がわからない。趙州の答えも、洞山の答えも、それぞれの問いに対して、答えとしては意味を為さないのである。問いと答えの間に意味的聯関性がなければ対話(ディアロゴス)は対話にならない

 ディアロゴスとは一つのロゴスが二つに分かれて展開していく形である。そこには一本の筋が通っていなければならない。対話にならない対話は無意味である。そして意味が成立しなければ、言語はコミュニケーションという‘その第一義的機能を果たせない。だからこそ、禅における言葉の遣り取りは、大抵の場合、一瞬にして終了してしまう。ロゴスの線が続いて行かないから先に進みようがないのである。

 しかもなお、禅者は好んで問答する。問答は、古来、坐禅とならんで重要な精神修練の形式であり、悟りの深度を測る極めて有効な手段ですらあった。とすれば、問答する二人の禅者の間には何らかのコミュニケーションが成立しているはずである。日常的条件の下では無意味としか考えられないような言葉の遣り取りが、現に問答している二人の禅者にとっては、普通以上に有意味であるのでなければならない。このような場で成立する言語的意味とは何だろう。それが本論の主題である。

 

   三

 「言語は存在の家だ」とハイデッカー(1889― 1976)が言った。そこには言語に対する、この哲学者の深い信頼感がある。もっとも、ここでハイデッカーが考えている「言語」とは、日常的な、つまり惰性的で非創造的な言葉ではなくて、例えばヘルダーリン(1770― 1843)のような詩人によって詩的創造的に使用された瑞々しい言葉の事ではあるが。

 これに反して禅では「言無展事(洞山守初)と云う。言語は存在をそのままに、余す処なく提示する事が出来ぬ、と云うのである。ここには言語に対する根深い不信感がある。この不信の故にこそ、禅は不立文字を標榜するのだ。しかし言語に対するこの不信は日常的、慣習的言語に対するそれである事が注意されなくてはならない。非創造的言語への不信である。こう考えてみると、禅の「言無展事」はハイデッカーの「言語は存在の家だ」と云う言葉を裏側から言ったものに過ぎない事がわかる。だから、解釈の仕方によっては、このハイデッカーの命題は、禅の考えをより積極的な形で表現したものと言えない事もない。そして又このように一度は積極的な形にした考え方が、理性的に思惟を展開する目的の為に、初歩的段階としては手掛かりが得やすい。

 「言語は存在の家だ」。根源的に無限定で、絶対にあるものとして把捉しがたい窮極者―それを「存在」(ザイン)、「有」、「実在」と呼ぼうが、あるいはまた逆に「無」呼ぼうが問題ではないーは人間の言語を通じて、言語において、様々に限定されつつ自己を開示してくる。言語は存在の自己限定的開示の場所である。言語―第一次的には個々別々の語、いわゆる単語―の形で、絶対無限定的な存在(「廓然無聖」の無漏法)が自己を様々に限定し、限定された形で結晶する。山が現われ、川が現れる。限りない数の結晶体が世界を満たす。根源的非限定者との関聯において、これらの結晶体をどう処理するかが問題である。

 

 ハイデッカーは言葉の語源、すなわち歴史的根源的意味、を探る事によって、こそに露呈されている形而上学的に根源的な意味を直観しようとする。語源とは無限定者たう存在が、まさに自己を限定して限定態に移ろうとする決定的瞬間に成立するものである。ハイデッカーはこの決定的瞬間を自ら生きることによって語の内部に翻入し、それによって、本来的には把捉し難い無限定者そのものに迫ろうとする。

 禅は言語に対してこのような態度はとらない。禅者にとって個々の語の語源など問題にもならない。「言無展事」。始めから言語不信なのである。

 

 言語に対する禅の態度は著しくダイナミックで行動的である。極限的な精神的緊張の真只中に言葉を投げ込み、その坩堝の中で一挙にその意味志向性の方向を、いわば無理やりに水平から垂直に捻じ曲げる。言語は自然に与えられたままの形では全然使い物にならないのである。どうしても徹底的なデフォルマシオン(変形・歪曲)が必要となる。そしてその為には、言語を現実の生きた禅的場面で、禅的に使用する他ない。どうしてこんな事をしなければならないのだろうか。

 

 禅の言語に対するこのような特殊な態度は、もし人が存在の結晶体から出発し、結晶体においてのみ存在を見ている限り、無限定者としての存在そのものは、絶対に見る事が出来ないと云う根本テーゼに立っている。ハイデッカーの言うように、存在は言語を家として宿る。すなわち語は存在を分節された形で提示する。世界はバラバラに切り離されて、独立に存在する事物の集合体として現れる。暗闇の舞台に無数のスポットライトが照らされ、数限りないものが浮び出る。ハイデッカー的に言うと、「存在」は見失われ、「存在者」のみが顕現する。かくて世界は自己同一的事物(「山は山、水は水」)に充たされた存在領域となるのである。そしてこのような存在領域においては、それらのものを眺めつつ、それらをものとして

認知する自分も又、他の一切から切り離された一つの事物に過ぎない。我もここではものと化す。認識論的に見ると、ここに主体と客体の区別と対立が成立する。

 こうして言語は元々に無限定的な存在を様々に限定してものを作り出し、ものを固定化する。ここで固定化とは言語的意味の実体化に外ならない。

 だが、禅はものの固定化を何よりも忌む嫌う。一切のものを本来無自性と信じ、且そう見るからである。本来無自性とは、永遠不変の、固定した「本質」などと云うものを持たないと云う事である。山が山性に依ってガッシリと固定され、山以外の何物ものでもなく、また何ものでも有り得ないと云う柔軟性を欠いた存在論は、哲学的にも前哲学的にも、山の本当のあるがままに対して人を盲目にする、と仏教は考える。

 「僧肇は「天地と我とは同根、万物は我れと一体」と言っているが、私にはどうもこの点がよくわからない」と言った人に対して、南泉普願禅師は庭に咲く一株の花を指しつつ「世人のこの一株の花を見る見方は、まるで夢でも見ているようなものだ」と言った(『碧巌録』四十)。

 世人の目に映る感覚的「花」は、花性をその本質として、動きの取れぬように固定されたものである。花の花的側面だけはありありと見えているが、花の非花的側面は全く見えていないのだ。このような形で見られた花は、夢の中に現れた花のように実は取りとめもないものだ、と云うのである。

 一旦分節された結晶体となった存在は、もし、そのものとして固定的、静止的見られるならば、分節される以前の本源的存在性を露呈するどころか、逆にそれを自己の結晶した形の影に隠蔽するものである。このような場所では、人は存在を見ずに、ただ存在の夢を見る。

 禅はこの覆いを一挙に取り払う為に言語を使用する。言語の意味的志向性によって分節された存在を、瞬間的に元の非分節の姿に還らせる為に、分節的言語を逆用するのである。勿論、全然言語を使わないことー沈黙―によっても其れは為されるし、「喝」と云う非分節的音声によって為される事もあるが、それは本論文の埒外の問題である。

 意味作用が働いている限り―意味作用を失った瞬間に言語記号は記号としての生命を失って死物と化すー個々の語は現実のある一断片を切り出して、これを固定的に結晶せざるを得ない。そのような言語の本来的機能を活かしながら、しかも意味の結晶体を溶解させようと、禅はする。結晶体を結晶体の姿で見ることに留まらずに、本源的非結晶体が結晶体に転じ、そして又、忽ちもとの非結晶体に戻る微妙な全過程を、電光閃く一瞬の言語活動に捉えようとし、捉えさせようとする。自然的言語が極度に歪曲される事は当然であろう。この歪曲が普通の人の目には「無意味」と見える。

 

   四

 禅的言語の無意味を考究するに際して、先ず注意されねばならない事がある。それは、中国の宋時代以後、歴史的に形成された禅の形態においては、言語の無意味的使用が二つの違った次元で意識されていると云う事実である。その第一は、臨済禅において確立された公案組織の中で意図的に活用される無意味性(―部は二谷・以下同)。つまり、ある決定的瞬間に偉大な禅者が発した言葉が「公案」として取り上げられ、その言葉の無意味性が方法論的に使われる次元。この次元においては禅的言語は徹底的に無意味であり、無意味に留まり、無意味性に於いて深化されなければならない。第二の次元は公案以前の、公案とは何の関連もない生の姿の禅的言表であって、この次元に於いては言語は日常的自然的理性にとっては全く無意味でありながら、禅の原体験の見地から見れば、立派に意味を為すのである。

 

 先ず第一の場合を分析的に考えてみよう。趙州の「庭前の柏樹子」によって、典型的な形で例示される禅的言語は、日常的理性の圏外であって、その限りに於いて全く無意味であるが、禅、特に臨済系統の禅においては、この無意味性が方法論的に利用される。言表が無意味なればこそ、精神的訓練の場で活きた働きを為し得ると云うような次元が禅にはある。このような次元では、「庭前の柏樹子」は一つの公案となる。公案として方法論的に使われた禅的言表は無意味性に全てをかける。公案は全く無意味(と見える)言表の無意味性を著しく強調し、これを人間意識に突きつける事によって、日常的意識をその極限に追い詰め、遂には、その自然的外殻を打ち破らせようとする手段である。

 勿論、公案は無意味であると云っても、表面上は普通の言葉が使われている以上、意味の渣滓(さし)はある。「庭前の柏樹子」には庭の柏の木という意味がある。このような意味の渣滓が全体としては意味を為さない言語的状況の中に置かれているのである。修行者はこの僅かに残存する意味らしきものを最初の手掛かりとして、遂には意味の残滓すらもない絶対無意味性の次元に近付いて行く。最後に到達すべき境地は、いかなる意味も意味を為さない世界、意味を考えるという事自体が意味を為さない世界である。ここで絶対無意味性と云うのは、ある言表の意味が全然わからないと云うような次元での無意味性とは全く違う。それがどう違うかは無門慧開禅師が「趙州狗子」いわゆる無字の公案、に附した有名な評唱に痛烈に言い尽されている。日く、「三百六十の骨節、八万四千の毫窮をもって(身内にみなぎる精神力をあげて)通身に箇の疑団を

起こし(全身これ一つの疑いの固まりと化し)、箇の無字に参じ、昼夜に提撕せよ。虚無の会(老荘的無と解すること)を作すことなかれ。有無の会(有るとか無いとかいう場合の無として解すること)を作すことなかれ。箇の熱鉄丸を呑了するが如くに相似て、吐けども又吐き出さず、従前の悪知悪覚を蕩尽し、久々に純熟すれば、自然に内外打成一片して(意識の主体と客体との区別が消融して一となり)、(その状態はあたかも)唖子の夢を得るが如く(唖が自分の本当に見た夢を他人に語り聞かせる事が出来ないように)只だ自知する事を許すのみ。・・且らく作麽生か提撕せん(さあ、どうやってこの「無」という言葉にぶつかって行ったらよいか)。平生の気力を尽して箇の無字を挙せよ」と。

 「柏樹」に一応の意味があるように、「無」という語としての一応の意味がある。公案修行に於いてこの僅かな意味が最初の手掛かりとなる。「趙州日く、無!」この「無」は何を意味するか。無意味に使われた「無」の意味を敢えて徹底的に考え抜こうとする。しかし修行者がどんな意味を考え出しても、たといどれほど深遠な意味でそれが有っても、室内の参究はそれをたちどころに否定し粉砕してしまう。意味を考え出そうとしながら、還って逆に一切の意味付与から遠ざかっていく。そのように指導されるのである。そして、意味を考えに考え、遂に理性的思惟能力の窮極の限界点に至り、更に一歩を進めて絶対無意味の世界に主体的に飛躍した時、突如としてそこに悟りの境地がある。「無」という一つの意味的結晶体を通じてそれを無化しつつ自己を開示するーいわゆる「露出肝腸」―存在の本源的無限定性に実存的に出遭うのである。ここで絶対無意味とは、修行者が修行の初めに逢着した公案の言語的無意味ではない。ここで言う無意味とは、存在の結晶(分節)の完全な解消を指す。「無」とか「柏樹」とか云う限定的分節的意味作用そのものが無に帰するのである。その意味での「無意味」である。

 無字の公案の場合、絶対無限定者としての存在が、自己の限定相である「無」を無化する。そこに本源的な「無」、すなわち存在の絶対無限定性が露呈されるのである。この境位を禅では「山は山にあらず、水は水にあらず」と云う。趙州無字の公案が、古来全ての公案の中でも第一等の有効性を持つものとして、特別の位置を与えられて来たのも故なしとしない。「無」でも「柏樹」でも、公案修行の初歩的段階に於いては意味的結晶体であり、分節されたものを指示する事に聊かも違いはない。「無」から出発しても、「柏樹子」から出発しても、最後は同じく絶対無限定者に到達すべきものである。しかし、「柏」と云う語には外界に対応する感覚的対象がある。それが修行者の意識の引っ掛かりになる。これに反して、「無」は意味的には同じくものであるとは云っても、つまり同じく一つの意味的単位であるとは云っても、その内的構造自体において、既にものである事の否定である。意味的結晶体がここでは初めから非結晶体として与えられている。言語の分節作用が分節的に自らを否定しているのである。これは要するに、禅的言辞を、悟りに導く為の手段として取り扱う場合の方便的側面に過ぎないが、しかし、こう云う方便的側面に於いても、公案の適性度の決定に際して、言語の分節的機能が、積極的関わりを以てくる事に注意したい。

 しかしながら、このような観点から無字を以て、比類を絶した最高の公案と見る見方にも、聊か問題がない訳ではない。なぜなら「山は山にあらず」は、周知のように、決して禅の究極の立場を表すものではないからである。禅本来の見所から言うと、「山は山にあらず」という矛盾命題の指示する絶対無意味の次元から、人はさらに翻って又再び「山は山」という有意味性の次元に戻らなくてはならない。但し、今度は「山」と云う結晶体を動きの取れない結晶体としてただ眺めるのではなくて、根源的非結晶体が結晶体に転ずる形而上学的瞬間を通じて、「山」を見るのであるけれども。この境位に於いては「山」は山を分節的に指定し指示する、が、同時にそれは「山」と云う分節を超えて絶対非分節的な「存在」をも指示する。

 このような禅的体験の究竟の次元から見れば、「柏樹子」の方が無字よりも一歩を進めていると云えるかも知れないー少なくとも哲学構造論的には。無字は絶対無意味性まで人を連れて行く、が更に有意味性にまで人を連れ戻す事はしない。絶対無意味性から先は、謂わばこの公案の関知する処ではないのである。人がもし己が性の拙さの故に、ここで絶対無の陥穽に落ち込んでしまうなら、只それまでの事。「柏樹子」や「麻三斤」は、この点で、もっと親切である。これらの公案は新しい有意味性の地平を開示する。そこには一旦無化された柏樹が、依然として、柏樹として現存しており、絶対無限定者が刻々に「柏樹」と云う形で新しく自己限定しておく姿がありありと見える。「山は山、水は水」。無数のものたちが親し気な顔を覗かせる。駘蕩たる万物の春。禅ではこれを人境俱不奪の境地と言う。

 

 ある人が風穴禅師に尋ねた、「語黙、離微に渉って、如何にせば通じて犯さざる」と、語を使えば必然的に「存在」は分節され、ものに固定され、限定されてしまう。それを避けようとして、全然言葉を使わなければ、沈黙はよく「存在」の非限定面を指示しようが、それでは限定的側面は完全に無視されてしまう。言葉を使っても沈黙の如く、沈黙していても言葉を使う如く、「存在」の非限定面と限定面を共に生かすには、どうしたら良いかと云う質問である。これに対して風穴和尚は、ただ次の詩句を口ずさむのみであった

と云う。日く、

  長えに憶(おも)う江南三月のうち

  鷓鴣(しゃこ)啼くところ百花香し。

 非分節を分節的世界の只中に露呈させ、また分節を即座に非分節に返した見事な実例である。

 

   五

 次に、公案という修行方法の形態を離れて、生の場に於ける禅的言表の構造に考えを写して見よう。「無」や「庭前の柏樹子」の如く、たとい公案として採用されたものでも、その「公案以前」の状態は公案に於けるそれとは意味論的に異なる。勿論ある点において両者は根本的に関わり合い、共通の地盤に立っていると云う面もあるが、

 共通の面とは、公案修行の最後の段階、すなわち「山は山にあらず」から「山は山」に至る精神的過程を指す。「公案以前」の禅的言語は、その典型的な形に於いては、まさにこの過程を舞台として展開し、「山は山にあらず」「山は山」と云う、この二つの両極の間を往来する。換言すれば、「公案以前」は、既に少なくとも一応の精神修行を了り、叡智的能力が働き出した人の使う言語であって、公案修行の主要部分を構成する処の、第一次的存在分節(日常的・感覚的な事実としての「山は山」)から絶対的非分節(「山は山にあらず」)に至る過程は、「公案以前」では、単に当然の事として予想された前提に過ぎない。公案修行のこの段階に於いては、全く無意味なものだった禅的言表は、「公案以前」に於いては、一転して有意味となる。無意味どころか、悟りによって開かれた叡智的能力にとっては、一切の禅的言表の意味は透き通しである。このコンテクストでは、「無」や「柏樹子」は直接端的に有意味(「浄躶々、赤灑々」)であり、有意味性それ自体である。では、常識的には意味を為さない言表を、別の次元で根源的に有意味化する禅的コンテクストとはどのようなものであろうか。

 この問いに答える為には、先ず、今まで公案の意味論的構造解明で我々が使ってきた絶対的無意味性―絶対的無限定、絶対的非分節も同じーの概念内容を、もう一歩進んで分析してみる必要がある。何故ならこれらの語の指示する「存在」の次元(「山は山にあらず」)こそ、「公案以前」の禅的言語使用の前提であり、背景なのであるから。

 

 禅ではよく主客未分とか、主客の別を超えるとか云うが、これは主(認識主体、「我」)と客(認識の志向する対象としてのもの、事物的世界)を超越して遠い地平の彼方、茫漠模糊

たる世界に行ってしまうと云う事ではない。主と客をそれぞれに主と客として成立させる可能性を含みつつ、しかもそれ自体は主でも客でもない或る独特の「場(フィールド)」の現成を意味する。主と客、我とものとを二つの可能的極限として、その間に張り詰めた精神的エネルギーの場。それは今言ったように、それ自体では主でも客でもない。ものでもないし、またそれを見ている我でもない。つまり、そこには何もない。絶対無分節であり絶対無意味である。臨済はこれを「人境俱奪」と呼ぶ。

 しかし、この「人境俱奪」の場は何時でも何処でも、立ちどころに「主」の極に傾き得るのである。その時は、絶対無分節の場がそのままに、その全体をもって、その全エネルギーをあげて「主」に傾き「主」と云う形に結晶する。百丈懐海が言った、「私はただ独り大雄峰に端坐する」と。臨済のいわゆる「奪境不奪人」がこれである。ここでは確かに、元初の

絶対無分節は自らを分節して我に成っている。しかし、この分節は日常的認識の次元における我の分節的成立ではない。日常的次元に於いては我はものに対立している。奪境不奪人的分節に於いては我に対立すべきものは影すらない。この場合、我は場全体の精神的エネルギーの結晶であり、その限りにおいて存在界の全てだからである。百丈は、ただ独り大雄峰に坐している。周知のごとく、臨済禅師はこのような、謂わば高次の分節における我を「人」と呼んで己が思想の根幹とした。「赤肉団上、一の無位の真人あり。汝等諸人の面門より出入す」と言う。日本の禅の伝統では、この「人」を普通に分節されたものとしての人から区別する為に特ににんと読む。

 

 しかし、絶対非分節の場は限りなく力動的で柔軟であり、その働きは自由無礙である。今この瞬間に、人(にん)として主体性の極に結晶しているかと思うと、もう次の瞬間には忽ち重心を「客」の極に移してものと云う形に結晶する。「庭前の柏樹子」、「麻三斤」。この「麻三斤」は前にも言った通り、仏(すなわち絶対者)とは何かと云う問いに対して、洞山守初が答えた言葉である。「絶対者」と云う語は、ここで我々が使っている「場」と云う語にあたる。洞山は、言下に、場をものに結晶させて質問者の面前に突き出したのである。

 このような境位で、本来的に禅的な形で分節されたものは、勿論外的世界にあって「主」と対立し、その認識の対象となる只のものではない。表面にこそ現れていないが、人(にん)もそこにある。全世界がそっくりそこにある。このことを『趙州録』に見られる「柏樹子」公案の原話が実にハッキリ示している

日く、「時に僧有り、問う「如何なるか是れ祖師西来の意」(仏教から見た絶対者真理、つまり我々のいわゆる禅的無分節の場、とはどんなものか、と問いかける)。師云く、「庭前の柏樹子」(僧はこの答えに不満である)。「和尚、境を将って人に示す莫れ」(外界の事物など持ち出してきても答えにならぬ)。師云く、「我、境を将って人に示さず」(わしは外界のものの事など言っているのではない)。(そこで僧が改めて問う)「如何なるか是れ祖師西来の意」師云く、「庭前の柏樹子」。」

 この問答で質問者が理解している「柏樹」は普通に分節されたものである。それは我に対立し、他の一切のものに対立する「柏樹」である。趙州の「柏樹」は禅的に高次の分節によって成立するものである。それは我をも他の一切のものをも全てを一点に凝集した「柏樹」である。このように高次の分節によって成立したものを、臨済は「奪人不奪境」と呼ぶ。

 しかし、自由無礙な場は、また時に主も客も奪わず、主客共に成立させることもある。臨済のいわゆる「人境俱不奪」である。その例はさきに掲げた(風穴の「長えに憶う、江南三斤月のうち」)。人も境も共に生きつつ、しかも両者が全く一体化した風光を描くこの詩句には、春風駘蕩としてうららかな雰囲気が漂う。

 絶対無分節の場を人境俱不奪な、極めて特殊な分節形において体認することが、中国と日本で、極めて特徴的な自然観を生んだ。多くの詩人や画家たちがこのような見地から自然を描いた。それは風穴の「長えに憶う」のように、長閑な風景として描かれる事もあり、また夾山の「猿は児を抱いて青嶂の後に帰り、鳥は花を啣(ふく)んで碧巌の前に落つ」と云うような深山の幽邃な景色として描かれる事もある。描き方は様々であるが、いずれも人境俱不奪の示現である事に違いはない。

 ただ人境俱不奪は、他の三つの境位と違って人とものとが共にそこにある場合であって、その限りにおいては日常的な認識と同じであり、従って、それを表現する言語も、一応表面的にはそのまま意味が通る。しかし、だからこそ、実は還って分かり難い。禅的言語特有の分節が、ともすると日常言語の分節と混同されやすいのである。こういう混同が起ると、いま引用した夾山禅師の詩は、忽ち外的自然の風物の純客観的描写となってしまう。すなわち夾山という人がいて、彼が自分の住む深山の風景を眺めている事になるのである。現に法眼文益禅師はこの詩について、自分の修行時代を回想しつつ、「私は三十年間、迂闊にもこれを外的自然の描写とばかり思い込んでいた」(我れ三十年来錯って境の会をなす)と言っている。とすると、これは内的風景の象徴的な提示でありうか。勿論そうでもない。この詩は明らかにものを描いている。ただ、それらのものが同時に我でもあるのだ。時間・空間の世界に、我とものの微妙な融和として展開する、非時間的・非空間的根源存在の場の明歴々たる姿なのである。「長えに憶う、江南三月」には「憶う」という動詞に結晶した我(「人(にん)」がはっきり出ている。夾山の描く山間風景にはそれがない。けれども、我はまごうかたなく、そこの顕現している。この境位を「人、山を見る。山、人を見る」とも言う。

 

 以上のように解された絶対無分節態と、その絶対無分節者がそのまま直接無媒介的に顕現して成じた分節態との間に、本来的な禅の言語は働く。仏教の術語を使えば、聖諦(paramartha satya)と俗諦(samvrtti satya)との間の振幅が、禅的言語の展開する場面である。聖諦とは存在の絶対非分節的次元であり、俗諦とは言語的に分節された存在の次元である。洞山良价禅師の嗣、曹山本寂禅師は「正位は即ち空界にして本来無物、偏位は即ち色界にして万象形あり」と言う。聖諦と俗諦の間を往来する禅的言語は、また洞山の立てた「正位」と「偏位」の間の消息としても捉えられよう。

 禅的言語は必ず聖諦から発する。聖諦から発出した言葉は、一瞬俗諦の地平の暗闇にキラッと光って、またそのまま聖諦にかえる。この決定的な一瞬の光閃裡に禅的言語の有意味性が成立する。

 

これは井筒俊彦論文で、趙州の「庭前の柏樹子」に関連した部分を『意識と本質』からの文章であり、一部修訂を加えたものである。(二谷・タイ国にて、2022年)