正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

哲学・神学から仏教へ 末木 文美士

哲学・神学から仏教へ   

末木 文美士

一、哲学と神学

 「現象学の神学的転回」と呼ばれる一連の動向の中で、哲学と神学の距離は一挙に縮まり、哲学の自立性に大きな疑問が付されるようになった。かつて哲学は「神学の侍女」としてその限界の中に自足していたのが、近代になって誇らしくも自立を宣言した。神の関与を排除して、人間理性は自らの力で世界の秩序をすべて解明できるかのような幻想を抱くに至った。カントの理性批判は、理性自身の力によってその限界を明らかにし、暴走を止めようという作業であったが、その後のドイツ観念論の展開を通して、自我と理性は肥大化の末に崩壊することになった。ハイデガーの営みは崩壊する哲学の最後の抵抗とも言うべきものであり、「存在者」の「存在」を神秘化することで、超越的な次元を世界内に引き込もうと試みた。世界をこの世界のみの一元構造で見る限り、それがぎりぎり可能な限界であったであろう。

 

 しかし、なぜこの世界に閉鎖的に閉じこもらなければならないのか。「神の死」がニヒリズムを招くのであれば、そのような崩壊を招く「神の死」の理解には誤りがあったのではないだろうか。それほどたやすく神は死んでしまうのであろうか。科学的合理性の発展が人類の幸福を招くという近代の神話がもはや過去のものとすれば、神学の復権は必然的に起こらなければならないことである。もちろん、それは単純な中世神学への復帰ではない。否応なく近代哲学の洗礼を受けたことにより、それは全面的な再編を要請される。

 

 ジャン=リュック・マリオンの『存在なき神』Dieu sans l’être(一九八二)は、哲学から新しい神学への道筋を示す記念碑的な作品となった。そこでは、ハイデガーの「存在」概念を手掛かりとしながら、その「存在」が通用しない根源に、「神」ならぬ×神を位置づける。それは、神=存在という公理から出発するトマス派神学からも決別するものであった。×神は「存在者」として「存在」するものではない。かえって、×神は愛であり、贈与によって「存在者」をして「存在」せしめるのである。そうとすれば、神が存在するか否かは、およそナンセンスな問いであり、有神論・無神論という対立は意味をなさなくなる。「有」と「無」以前に立ち戻ることが要請される。もし立場に区別があるとすれば、神の有無ではなく、愛や贈与を認めるか、認めないかということである。

 

 それでは、そのような×神へと至る道はどこにあるのであろうか。マリオンは偶像とイコンという区別を指摘する。偶像は、まなざしを停止させるものである。「あるまなざしがもはやその彼方に行くことができないときに、そのまなざしを止め、ある偶像の内に/上に(おのれを)休らわせるのである」(永井・中島訳、一四頁)。そればかりか、偶像は鏡として、「まなざしにその射程を反射してみせる」(同、一六頁)。まなざしがそこに見るのは、鏡に反射した自己自身である。偶像においては、自己を超えたものを見ることができない。偶像は、宗教に関して言われるだけではない。唯物論は、物質世界を偶像化することで、それを超越することを不可能化する。また、人間主義ヒューマニズム)は、人間を偶像化することで自己を閉ざし、それを超える世界に背を向ける。 偶像が自己を閉鎖化するのに対して、イコンは、「見えないものを見えないままに見えるようにする」(同、二五頁)。見えざるものを無理に可視化するのではない。そこでは閉ざされた世界が開かれ、見えざるものがおのずから見えないままに自己を顕す。そうなれば、人がまなざしによって見るのではなく、「見えないもののまなざしがみずから人間を狙うのである」(同、二七頁)。即ち、×神の側から人間に対して現われてくるのである。同じものが偶像でもありうるし、イコンともなりうる。仏像が可視的な人間の姿をしているからといって、直ちに偶像とは言えない。        ここで、キリスト教にとっての最大のできごとであるキリストの立ち顕われが中心的な問題となってくる。キリストは、受肉により「見えないもの」が顕現するというだけではない。キリストは、×神の〈御言〉(le Verbe)として語る。だが、その語りは通常の人間の語りではない。「キリストは言葉を語るのではなく、おのれ(000)を〈御言〉として語る」(同、一九二頁)。キリストの語る言葉が問題なのではない。受肉したキリスト自身が〈御言〉である。これは一見突飛である。キリストの言葉を人間的レベルに置き、その意味を解釈しようとする人間主義的な立場では扱いようがない。〈御言〉としてのキリストは、人間の理解を超えて顕れる。

 

受肉した〈御言〉は、「分かち難く、語り手と記号と指示対象として与えられる」(同、一九四頁)。これが、ふつうの人間的な言葉と大きく異なるところである。人間の言葉では、語り手と語られる言葉と語られる指示対象とはそれぞれ別であって、はじめて言葉が機能する。ところが、〈御言〉においては、それらが完全に一体である。〈御言〉は、「いかなる人も十全にはそれを理解しえない」(同、一九三頁)ものであり、「語りえないもの」(同、一九五頁)であるが、「しかもその語りえないものそのものにおいて、それにもかかわらず完全におのれを語る」(同、一九五頁)。すべては顕わになっていながら、しかしそれは人間には理解しきれず、人間の言葉では語りえない。

 

 そのような〈御言〉を、どのように理解したらよいのであろうか。それは、人間の言葉にこだわる限りでの「哲学」を超えている。そこに神学の課題が生まれる。しかし、神学は、人間の言葉で×神を偶像化し、固定的な「存在者」として理解することではない。そうではなく、「おのれの言説といっさいの言語上の主導権をこの〈御言〉に委ね、〈御言〉が〈父〉によって言われるがままになるように――そしてそれと共にわれわれも――〈御言〉によって言われるがままになることなのである」(同、一九八頁)。それは、仏教的に言えば、「他力」の「自然」に身を任せることと言ってもよいであろう。 宗教において、言葉の問題はきわめて大きい。ここで重要なことは、言葉を人間のレベルだけに限ることはできないということである。まして合理的・科学的な言語体系だけを認めるのは、結局は自己の視野を狭めるだけの結果にしかならない。言葉には、それとはまったく異なったはたらきがある。言葉に叙述的(constative)と遂行的(performative)を分ける分類は、人間の用いる言葉についてのみ有効性を持つのであり、〈御言〉としての言葉を包摂するものではない。

このような〈御言〉的な言葉は、必ずしもキリスト教だけに特殊だとは言えない。指示対象と記号と発語者が合一して強力な力を発揮することは、「ことだま」のように、世界の宗教に広く見られることであり、密教マントラ真言)も同じ機能を果たす。そのような言葉を思索の対象から排除することはできない。もし言葉のあり方を網羅しようとするならば、人間の言語とともに、神の〈御言〉をも含むのでなければならない。そうとすれば、言葉の哲学は神学的要素を排除できない。

 

 だが、どのようにして、〈御言〉に身を委ねることができるのか。それは聖書のテキスト解釈によっては達せられないのか。しかし、それでは結局人間の言葉を超えられない。そうとすれば、ここで飛躍が必要となる。一見唐突に見えるが、ここで持ち出されるのが聖体の秘蹟である。「聖体の秘蹟のみが解釈学を完成させる」(同、二〇八頁)のであり、テキストを超えたところで、「〈御言〉は聖体の秘蹟においてみずから介入する」(同)と言われる。「共同体がそれ自体、そのなかで秘蹟を通じて、それゆえ現実に働いている〈御言〉によって召され、同化され、それゆえ帰依せしめられ、解釈されるがままになる」(同、二一一頁)のである。言葉は儀礼と密接に関係し、儀礼の中ではじめて機能する。

二、見えざるもの

 「聖体の秘蹟」(聖体拝領)は、パンと葡萄酒をキリストの血と肉として受けることであるが、カトリックの立場では、これは単なる比喩や象徴ではなく、司祭の聖別によって実体としての変化が生じてキリストの血と肉そのものとなり、それを受けることでキリストと同化すると解される。マリオンもその立場を堅持している。しかし、実体が変化すると言っても、もちろん見た目には何の変りもなく、その成分を分析しても血と肉ではなく、パンと葡萄酒でしかない。それを受け入れるのは、キリストが〈御言〉であること以上に難しい。それならば、「聖体の秘蹟」は、おかしな迷信的な儀礼に過ぎないのであろうか。

 

 もちろん当事者が真剣に信じ、行動していることを、外から傍観者が見て、勝手な判断を下すべきではない、というのは信教の自由の大原則である。その点からすれば、信者が勝手に信じているだけということで、公共的な問題とはならない。そこには誰もが認める普遍性はないことになる。哲学の問題か、神学の問題か、ということになれば、哲学よりも神学の問題ということになろう。だが、そう簡単に線引きをして、それで終わりとしてよいかというと、それほど単純な問題ではない。この場合も、哲学はその手前で終わり、そこから先は神学の問題だと線引きをして、神学的問題に目を瞑って済ませるわけにはいかない。

 

 哲学と神学の間に断絶を認める立場は、哲学は公共的な普遍性を追求し、それに対して神学は特殊な信仰に基づくという暗黙の前提に立っている。しかし、今日ではもはや万人が認める公共的かつ普遍的な言説空間などどこにもないことは明らかである。科学はある条件下ではじめて成り立つのであり、条件を抜きにした普遍性はないし、自由・平等・人権・平和などの近代の社会理論もまた、ある特殊な歴史的な場で生まれた理論であり、それ以上の普遍性を要求できない。哲学の普遍性も、同様にもはや成り立たない。哲学は時代や文化によって相違する。

 

 他方、神学を特殊と言い切れるかというと、それもまた疑問である。神学は世界と人間の根源に関わる。その根源の求め方が違っても、志向するところは変わらない。「聖体の秘蹟」がカトリックに特有のものだとしても、同じ発想は他にもあるのではないか。例えば、密教において、神仏を勧請し、行者が本尊と一体化することで、加持祈祷が可能となる。だが、そこに神仏が来臨したことを誰が証明できるのか。この場合も、密教の見方を認めず、そのような儀礼はナンセンスだという立場もあるかもしれない。

 

 それでは、奥能登地方で行なわれるアエノコトはどうであろうか。収穫が終わった後、家の主人は田の神を接待し、慰労する。姿が見えない神を、あたかもそこにいるかのように、風呂に入れ、食事を供する。この場合も、見えない以上、田の神などいるはずがない、それは迷信に過ぎないという立場もあり得る。だが、それが無形重要文化財であり、世界遺産ともなっているとすれば、それは公的に認められているということではないのか。神はいなくて、迷信に過ぎないけれども、その儀礼は文化的に貴重だ、とでも言うのであろうか。しかし、神はいないと考えて、それでも形式的な儀礼だけを行なうということがありうるであろうか。たとえそれが演劇的な模倣としてなされうるとしても、行なう人は実際に神を祀る思いを持たずには不可能ではないのか。

 

 『論語』に、「祭るには在すが如くす。神を祭るには神在すが如くす」(八佾)というのは、まさしくそのことを言っている。それは、いない神をあたかもいるかのようなふりをする「かのように」を意味するのではない。見えないものの現前を、見えないからといって軽視するのではなく、厳粛な重みをもって受け止めることが要請されている。ここでは、神の客観的な実在が問われているわけではない。×神の場合と異なる意味で、ここでも存在するか否かは、直接の問題ではない。×神の場合、存在以前という意味で、存在が問題ではなかった。ここでは、客観的な存在を問題にする以前に、それをどう受け止めるかという受け止め方が問題とされるのだ。

 

戦後の政教分離の体制下で、宗教美術や宗教儀礼は、その宗教的要素を括弧に入れることで、文化財として評価するということが行なわれてきた。仏像は宗教的な礼拝対象ではなく、美術品として価値があるというのである。だが、はたしてそれが仏であろうが、宇宙人であろうが、どうでもいい、などと言えるであろうか。意味を排除した「純粋美」などという基準があるはずがない。神学を排除した哲学も所詮同じような陥穽に陥っていたのではなかっただろうか。

三、「仏陀学」

 これまで、キリスト教の神学を前提として論を進めてきた。それに対して、仏教の立場では、このような問題はどう扱われるのであろうか。そのヒントとなる提案を今村仁司がしている。今村は、『清沢満之と哲学』(二〇〇四)において、清沢を哲学の観点から論じているが、そこで、「清沢が近代仏教史のなかで開拓したのは、事実上は、仏教「神学」(西欧のキリスト教神学からの比喩でいえば)である。すなわち仏陀の学、仏性の学(ブッダの概念=ロゴス)である」(同、六頁)と述べ、キリスト教神学に対応する「仏陀の学」あるいは「仏陀学」という概念を提案する〔末木、二〇〇七、第五章参照〕。これは、今村自身が示すように、ブッドロジー(Bouddho-logie)というフランス語から導かれたものである。この語は英語ではBuddhologyに当たり、通常はBuddhist Studiesと同じく仏教学を意味する。しかし、今日、「仏教学」は神学に当たるような思索的な面を弱め、文献学を方法とする客観学という性格を強くしているために、新たに仏陀の本性を探求する学を「仏陀学」として提示したのである。 

 

あるいは、それは倶舎学や唯識学のような、仏教教理学と重なるのではないか、と言われるかもしれない。確かに仏教には古くからこのような古典的な思弁的な理論体系があり、それはそれで再評価しうる面を多く持っている。しかし、今村が清沢に関してあえて「仏陀学」という新しい概念を持ち出すのは、そうした古典的な教学そのままではなく、近代哲学の洗礼を受けた上で、なお新たな仏教独自の理論構築を目指すからである。その際、「仏陀学」という言葉を用いるのは、仏陀の本性という局面を切り口として、神学的な議論を進めようという意図による。それは、従来の教理学の言葉でいれば、仏身論という分野に該当する。それ故、仏教教理学のすべてにわたるものではなく、その点に限定するのがよいかどうかは問題が残るが、その点を確認した上で、今村の提案をもう少し見てみよう。

 

 今村は、古典的な近代哲学から出発しているので、「哲学は非=理性的な(理性とは違うという意味での)信念を直接にも間接にも「語る」ことはできない」(同、八頁)として、「宗教的経験の「非合理的な、不可-思議な」性格、ありえないようにみえてやはりある経験を理性的形式を借りて語る、あるいは原理的に人間の有限な理性をもってしては「語りえないもの」をあえて語るのが仏陀の学である」(同、傍点原著者)と、「仏陀(の)学」を定義する。

 

今村は、ここではっきりと「哲学」と「仏陀学」を、領域を異にする学として捉えている。それは、哲学を理性の学として理解するからであり、ウィトゲンシュタイン的に言えば、宗教の領域はまさしく「語りえない」こととして排除される。しかし、にもかかわらず、語ることのできないはずのことを、人間は「知的行為」(同、八頁)として語らずにはいられない。後述のように、死者の問題などを考えていくと、その中間的領域が生ずることになり、両者は必ずしも絶対的に対立するものではない。ただ、いずれにしても人間の言葉で語りえないことが大きな問題となるということは、念頭に置いておくことが必要だ。

 今村はその語りを「比喩的語り」だと言う。

  仏陀学は、語りえざるものすなわち一種の「神秘」を語るとき「知的形式」を哲学から借用するが、しかしそうした借用的な語りは、そしてその知的形式は、本来の哲学的推論ではなくて、知的形式をまとった「比喩的語り」である。(同、一五頁)

 だが、「比喩的語り」であるとすれば、それは本来の語りに対して二次的な語りでしかない。それは、あくまでも人間の言葉という方向から見るから、そのように見えるということである。すでに見たように、言葉には人間の語りとは異なる語りがあり得る。そのような語りの可能性を考えれば、仏陀学はただに比喩的で二次的な語りではなく、それこそ本来的な語りの領域であるかもしれない。

 「語りえぬもの」がじつは別の形で哲学の問題とならざるを得ないことは、次節の死者の問題において明らかになる。その上で、仏陀学的な問題が哲学の問題と接続しながら、根源への探究として意味を持つことを、最後に検討したい。今村のように、哲学と仏陀学を画然とわけるのではなく、この場合も連続しつつ、その全体を哲学として理解することができるように思われる。

四、死者の哲学

 死者の問題に関しては、これまですでにさまざまな形で考察してきた〔末木、二〇〇七、二〇一二a、二〇一三など〕。ここではそれらの論述を振り返りながら、多少補って論じることにしたい。

 筆者が最初に死者の問題を論文として提示したのは二〇〇三年のことであり、それは拙著『他者/死者/私』(二〇〇七)に第二章として収録した。ようやく哲学的な問題の出発点にたどり着いた段階で、いまだ田辺元の「死の哲学」についても、上原専禄の死者論についても知らなかった。いわば先の見えない藪の中を、方向も分からぬままにかき分けて進んでいるうちに、ようやく光が見えてきたような状態であった。その後になって、田辺元上原専禄がいちはやく死者の問題を中核的に取り上げて思想を展開していることを知り、筆者の方向が間違っていないことが確信された。

 

 死者が哲学の問題となりうることは明白である。どんな人でも、死者と何らかの関わりを持たずに生きていけない。それは、死者から恩恵を受けるという面だけでなく、死者への恐れということもある。葬儀や法要という儀礼を通してだけでなく、私たちの生活は死者との関わりを考えずには成り立たない。死んだ妻が親しく感じられるという田辺の体験や、田辺がよく引く『碧巌録』の逸話、即ち修行僧の漸源が、亡くなった師の道吾に導かれて悟りに至るという話などは、誰もが納得し、また経験することであるだろう。そればかりか、戦争の死者は政治の問題ともなりうる。

 

 それに対しては、死者は存在が実証できないから問題にできない、という主張もあるかもしれない。もちろん死者は科学という枠の中には入ってこない。どのような定量的な観測や実験でも捉えられない。その点で、聖体の秘蹟と同じである。しかし、聖体の秘蹟と異なり、特定の宗教の信者にのみ通用する秘儀ではない。たとえ唯物論者であっても、遺体を単なる物質として生ゴミにすることはないであろう。哲学において死者を扱えないとしたのは、まず死後の霊魂の存在の有無という問題を解決しなければ、先に進めないと考えたためである。それによって、×神以前に、もっと身近に考えられなければならない問題が隠蔽されることになった。

 

 ここでも存在論の破綻は明白である。現存在の「存在」を問うことはできても、死者の「存在」はそもそも問題にしえない。しかし、存在しようがしまいが、死者という見えざるものは否応なく顕現し、私たちの生活に中に闖入する。そうとすれば、死者を扱う哲学が構築されなければならないのは、当然である。田辺は、「生の存在学か死の弁証法か」という選択を迫り、生の哲学としてしかありえない存在論に対して、死の哲学(実質的には、死者との実存協同を説く「死者の哲学」と言ってよい)は、弁証法としてしか捉えられないと主張した。常識的な理解では、エレアのパルメニデス存在論を問題とし、弁証法ヘラクレイトスに始まると考えられる。しかし、田辺は逆であるという。田辺はプラトンの『パルメニデス』をもとにパルメニデスを理解する。そして、その根本命題を「存在と非存在は同一にして同一にあらず」という矛盾の定式化において捉えた〔田辺、二〇一〇、二二五頁〕。田辺の弁証法ヘーゲルと異なり、矛盾が運動によって解消するということはない。矛盾はどこまでも矛盾として解消されることなく、二律背反を徹底する他ない。

 

 あくまでも「生の存在学」であったハイデガーにおいては、死はいくら先駆的に到達しようとしても、死そのものに跳びこむことはできなかった。それは、自らの死を問題とする限り、突破できない限界である。それを、田辺は死から死者に問題を転換することによって、はじめて経験的な問題として扱うことに成功した。これは画期的なことであった。それとともに、「実存協同」に見られるように、関係の中に死者を招き入れる、あるいは、生者のほうが死者との関係の中に招き入れられることになる。

 

 田辺がその「死の哲学」に到達するには、その前の段階として『懺悔道としての哲学』(一九四六)が書かれなければならなかった。田辺は、カントの理性批判を不十分として、徹底した理性批判により、哲学自体が懺悔するに至ると主張した。この破天荒の主張は、いわば×哲学という哲学の脱構築であり、従来の哲学をひとまずそっくり括弧に入れることであった。「死(者)の哲学」は、この×哲学の上にはじめて成り立つことになる。そこでは、従来の哲学の常識は通用しなくなる〔末木、二〇一四参照〕。田辺がもう一度パルメニデスに戻って、哲学史の再構築へと向かわなければならなかったのはこのためである。

 

 死者を問題化することは、従来の哲学的な常識からは不可能である。死者については、何も語りえない。死者に関する命題の真偽を問うことはナンセンスである。今村が言うように、そこでは「比喩的語り」しかなさそうに見える。だが、そうなのか。死者は間違いなく語りかけてくる。生者が死者について何か饒舌に語ることが求められるのではない。大事なのは、死者の言葉にならない言葉を聞き分けることだ。生者の側から見れば、死者については「比喩的語り」しかできないかもしれないが、死者は間違いなく語りかけてくる。それは人間の言葉とは異なっていて、生者には十全に解釈しきれないかもしれない。だからと言って、無視して済む問題ではない。

 

 このように見るならば、キリスト教において、人間と×神の間に引かれていた線が、ここでは生者と死者の間に引かれることになる。その分、その間のハードルは低くなる。死者と生者の間の断絶は、×神と人との間の断絶に比べると小さい。 ×神の受肉は躓きの石となりうるが、死者はより身近に生者に関わり、日常の中で出会われる。哲学が神学へと進むことに抵抗があるとしても、哲学の中に死者を組み込むことは、それより手近で十分に可能な問題である。

五、顕冥の哲学

 ここで、存在に代わって大きく問題となるのは関係である。近代哲学において主流であったのは、個が個として自立的に存在するという見方であった。それに対して、他者との関係の中で自己を捉えるような見方は、いまだ個の自立がなされない未成熟な状態として、否定的に見られた。しかし、そのような近代的な人間観は、今日もはやそのままでは通用しなくなっている。トマス・カスリスは、個の自立性に立つ近代哲学の自己統合性(integrity)の人間観に対して、他者との関係の中で自己を捉える他者親密性(intimacy)の見方にも同等の正当性があることを明らかにした〔Kasulis, 2002〕。一九八〇年代以降展開したフェミニズムの哲学は、関係性の中で人間を捉える見方をケアの倫理として確立し、従来型の正義の倫理に対抗させた(これらに関しては、末木〔二〇一二b〕参照)。このように、関係優位の見方は今日定着しつつある。ただ、こうした動向はいまだ生きている人間同士の関係に留まり、死者をも含む、より大きな関係論を築くに至っていない。死者の哲学は、このような関係性の哲学・倫理学をさらに大きな視座へと展開させることが可能となる。

 死者を含めて、より広くは他者の問題として捉えられる。近代の哲学は理性による公共的な相互理解を前提として進んできた。そこでは、理性的であれば、相互に完全に了解可能となるはずであり、不透明な他者性は消失する。しかし、近代の理性主義が崩壊した今日、そのような透明な了解可能性はあり得ず、むしろ相互に不透明な他者性の壁が立ちはだかる。了解不可能な他者とどのように関わることができるかが、大きな問題とならざるを得ない。その中で、死者こそは了解不可能な他者を代表する他者ということができる。

 

筆者は、合理性による公共性が成り立つ領域を「顕」、それが成り立たない他者の領域を「冥」と呼んでいる〔末木、二〇一二a他〕。「顕」と「冥」は日本の中世に実際に用いられた対概念である。その関係を図1のように図示する。今、細かい説明は略すが、注意すべき点のみ挙げておく。第一に、「冥」の領域は三層からなる。第一層の現象する他者というのは、通常他者とされる他の人、あるいは自己自身における他者性である。第二層が死者、第三層が神仏である。 ×神は、この「冥」の領域を超越するが、「冥」の領域の中から見れば無限大の彼方としか捉えられない。

「顕」と「冥」の領域の間に相互の矢印があるのは、実存協同によって、相互に行き来する状態であり、後述のように、仏教用語を使えば、「往相」と「還相」の関係になる。この往相・還相の連関において、他者に配慮しながら循環する構造を持つ衆生のあり方は、大乗仏教において「菩薩」と呼ばれるものであり、そこに大乗仏教の倫理が築かれる。

 

 ところで、キリスト教的な世界観によれば、×神は顕冥を含めた世界全体を超越するが、仏教や日本宗教においては、このような超越は説かれない。代わりにそこでは冥の世界を深化する方向が取られる〔末木、二〇一五b〕。顕冥の世界観では、個は自立的ではなく、関係性の中においてはじめて成り立つ。その関係性が成り立つためには、場所がなければならない。その場所は、ニュートン力学における真空のように、単に個を受け入れるだけの空間ではなく、それ自体が変容し、力を持つ。それはプラトンの言う「コーラ」であり、西田幾多郎における「場所」である〔末木、二〇一五c〕。「場所」は単一ではなく、重層的である。宗教的な探求は、その根源にまで遡ろうとする。それは、西田的に言えば、「無」であるが、仏教の用語では、より肯定的に「真如」「法身」などとも呼ばれる。それは今村的に言えば、「仏陀学」の領域に踏み込むことになるが、超越性を持たないだけに、キリスト教の神学以上に哲学との連続性が大きく、哲学的な問題と重なることになる。

六、仏教の立場

 具体的に、仏教の立場から顕冥の世界がどのように解されるかを見てみよう。もっとも一口に「仏教」と言っても多様であり、一概に論ずることはできない。ここでは、大乗仏教の立場で、それも日本に拠点を置いて見てみたい。その場合、もっともよい手掛かりとなるのは、親鸞である。従来の常識では、親鸞浄土門の立場に立ち、一般の仏教と異なる特殊な立場を取っていたかのように考えられてきた。しかし、主著『教行信証』は浄土門を媒介としながらも、大乗仏教の基本構造をもっともよく示すものとなっている〔末木、二〇一六、第三章〕。田辺や今村が仏教の思想を理解する手がかりを親鸞に求めたのは、必ずしも不適切ではない。

 『教行信証』の体系は、往相廻向・還相廻向の二種廻向を根本に置いている。教巻の冒頭は、「謹んで浄土真宗を按ずるに、二種の廻向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の廻向について真実の教行信証あり」(『教行信証』、日本思想大系『親鸞』、一五頁)と書き始められている。このように、教行信証の体系を往相と還相の廻向によって二分化する。教・行・信の各巻と証間の途中までが往相廻向に属する。それに対して、証巻の途中から還相廻向に入る。ただし、『教行信証』は、教・行・信・証に真仏土・化身土の巻が加わって、全六巻の構成になっているから、還相廻向がどこまで続くかははっきりしない。これは、『教行信証』が最初から今の巻立てで構想されたわけでなく、教・行・信・証に後から真仏土・化身土の巻が増広されたためではないかと考えられる。それ故、二種廻向が貫徹しているかというと問題があるが、もともとの構想は二種廻向によっていたとみて間違いはないであろう。

 それでは、二種廻向とはどのようなものであろうか。それは、もともと曇鸞の『往生論註』に出る対概念である。

 

  往相とは、己が功徳を以て一切衆生に廻施して、共に彼の阿弥陀如来の安楽浄土に往生せむと作願するなり。還相とは、彼の土に生じ已(おわ)りて、奢摩他・毘婆舎那(止観と訳される瞑想)を得、方便力成就すれば、生死の稠林に廻入して一切衆生を教化して、共に仏道に向かうなり。若しは往、若しは還、皆衆生を抜きて生死海を渡せむが為なり。(大正四〇・八三六頁上段)

 「廻向」は自らの善行の功徳を自他の悟りのために振り向けることであるが、自分のためというのは当然であるから、とりわけ他者のために振り向けることを言う。本来、仏教の原理は自らの行為の結果を自らが受ける自業自得ということであるから、自らの功徳を他に振り向けるというのはその原則に背くことになる。しかし、大乗仏教になると、他者との関係が中核に置かれるため、他者への廻向が重視されることになる。曇鸞による二種廻向は、それを浄土教の中に生かしたものであり、この世界(顕)から仏の世界(冥)に往く方向(往相)と、仏の世界(冥)からこの世界(顕)へと戻る方向(還相)という往復、あるいは循環の運動から成り立つ。そのいずれもが自己のためではなく、他者救済のためであるという。このような他者救済を目指すあり方を、大乗仏教では菩薩と呼ぶ。その運動は図2のように図示できる。

 

 親鸞は、この曇鸞の文章を信巻に引用するが、その際、廻向の主体を衆生ではなく、仏に読み替える(思想大系本、九三頁)。即ち、功徳を衆生に廻施し、往生させ、そして還相を実現させるのはすべて阿弥陀仏のはたらきだというのである。これが親鸞の他力主義である。その際、我々が死後、還相廻向の力をもって衆生にはたらきかけることが可能であるならば、我々にはすでに死者の還相廻向の力がはたらいていると考えなければならない。それは阿弥陀仏の力と一体となってはたらくと考えられる。このように、我々の往相と、死者の還相とが重なるところに、死者との実存協同が成り立つということができる。顕と冥の領域は、このように往復運動と協同関係で見なければならない。

この往相と還相の転換点に悟り(証)がある。悟りとは何か。それを親鸞は次のように説明する。

 

煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚(しょうじょうじゅ)の数に入るなり。正定聚に住するが故に、必ず滅度に至る。必ず滅度に至るは即ちこれ常楽なり。常楽は即ちこれ畢竟寂滅なり。寂滅は即ちこれ無上涅槃なり。無上涅槃は即ちこれ無為法身なり。無為法身は即ちこれ実相なり。実相は即ちこれ法性なり。法性は即ちこれ真如なり。真如は即ちこれ一如なり。しかれば、弥陀如来は如より来生して、報・応・化、種種の身を示し現じたまふなり。(同、一三九頁)

 ここでは、到達する悟りの境地がさまざまな言葉で言い換えて説明されている。それらは、次のようにまとめることができる。

 

  滅度=常楽=畢竟寂滅=無上涅槃=無為法身=実相=法性

=真如=一如

 

 これらの一連の概念のうち、滅度・畢竟寂滅・無上涅槃は究極の涅槃を表す言葉であり、常楽は常楽我浄の意で涅槃の性質とされる。無為法身はそれを仏身論的に表現したものであり、それをさらに実相・法性・真如・一如という抽象化した概念につなげている。さらに注目されるのは、親鸞がそれに続けて、「しかれば、弥陀如来は如より来生して、報・応・化、種種の身を示し現じたまふなり」と、そこから仏身の展開を論じていることである。これは、法身をベースとして、報身・応身・化身などの仏身が現れることになる。通常、阿弥陀仏は報身と考えられるので、その根底に法身=真如が置かれることになる。これはまさしく今村のいう「仏陀学」の問題になる。

 

 個体化された阿弥陀仏の根底に、個体化以前の法身=真如を見るのは、親鸞の一貫した立場であり、晩年の「自然法爾」の法語(『末灯鈔』)には、それを「無上仏」「自然」と呼び、「弥陀仏は自然のやうをしらせん料なり」(阿弥陀仏は自然の状態を知らせるための手段である)と述べている。このような法身=真如は、まさしくコーラ=場所的なものと見ることができる。

 

 この法身=真如について、親鸞はそれ以上説明していない。真如の問題は、もともと『大乗起信論』に発し、東アジアの仏教でさまざまに議論された。『起信論』では、真如の見方に不変真如と随縁真如を立て、さらにそれを衆生心に結び付けることで、世界に関する議論が同時に内面的な心の問題と一体化して考えられることになった。日本では安然の理論において、この問題は大きく展開された。安然は、『起信論』の注釈書である『釈摩訶衍論』に基づいて十識説を立てる。第八識までは唯識説で立てるものであり、潜在意識を含めた個の心の問題である。それに対して、第九識(一切一心識)は一即一切の随縁真如の立場、第十識(一心一心識)は一即一の不変真如の立場に当たる(『真言宗教時義』巻一、大正蔵七五・三七四頁下段他)。これらは心を論じながら、個を突破した「一」なる真如へと進むことになる。真如は随縁真如として世界に展開しつつ、万物に解消されない不可思議さを残す。このようなコーラ=場所=真如への沈潜は、×神への超越(×神からすれば贈与)とは異なる方向へ向けての世界の根源の探求ということができる〔末木、二〇一五a〕。

 

 ところで、このような法身=真如を求める方向に対しては、仏教の中でも批判がある。そもそもこのような発想は原始仏教にはなく、そればかりかインドの大乗でも十分に発展しなかったもので、東アジアの仏教に特徴的に発展した。東アジアの仏教では原始仏教は小乗として蔑視され、十分には研究されなかった。それでもそれに対する着目は一部にあり、特に近世になると、原始仏教に戻ろうとする動向も生じた(西村、二〇〇八)。さらに近代になると、西欧におけるパーリ仏教評価を受けて、原始仏教を見直す動きが盛んになり、かえって大乗非仏説論が大きな問題となった。また、インドの中観派を受けて、真如・如来蔵などの観念を批判する批判仏教の活動などもある。中国では欧陽竟无らが『起信論』の如来蔵説を否定し、印順などの台湾仏教もその流れを汲む。

 

 確かに、真如=法身如来蔵を受容すると、ヴェーダーンタアートマンブラフマン説や老荘系の無の思想と近似し、それらもコーラ=場所系の哲学を形成する。中国の新儒家の動向も注目される(朝倉、二〇一四)。近年、井筒俊彦らを通して再評価されている神秘主義系の思想として総括できる。それに対して、原始仏教から南伝のテーラヴァーダへの流れでは、冥の世界への展開を抑制し、個人の心の問題に集中する。また、中観派を受けた批判仏教では、コーラ=場所系の哲学を批判し、世界観を構築すること自体を疑問視する。(袴谷、一九九〇など)仏教がヴェーダーンタ老荘に同化されずに、それと異なる機能を持つとしたら、コーラ=場所系の思想へと無批判に堕ち込むことへの批判として、大きな意味を持つことになる。西田の場所に対してはすでに田辺らの批判もあり、必ずしも無条件に受け入れられるものではない。仏教には、コーラ=場所へと沈潜していく方向と、逆にそのような固定した構造を打破し、解体していく方向と、両方の方向があると考えなければならない。それを仏教の強みと考えることができよう。

(本稿は、参考文献にあげた拙著・拙稿をもとにして、最近の知見を加えたものである。紙数の制限で十分に論じられなかったところについては、もととなる拙著・拙稿を参照されたい。)

参考文献

朝倉友海〔二〇一四〕『「東アジアに哲学はない」のか?』(岩波書店

今村仁司〔二〇〇四〕『清沢満之と哲学』(岩波書店

家永三郎石田充之・星野元豊〔一九七一〕『親鸞』(岩波書店、日本思想大系11)

末木文美士〔二〇〇七〕『他者/死者/私』(岩波書店

     〔二〇一〇〕『他者・死者たちの近代』(トランスビュー

     〔二〇一二a〕『哲学の現場』(トランスビュー

     〔二〇一二b〕「新しい哲学を目指して」(『福神』一六)

     〔二〇一三〕『反・仏教学』(ちくま文庫)(『仏教   vs.倫理』

〔二〇〇六〕増補版)

     〔二〇一四〕「田辺元『懺悔道としての哲学』をめぐっ

て」(奥田慈應先生頌寿記念『インド学仏教学論集』)

     〔二〇一五a〕『草木成仏の思想』(サンガ)

      〔二〇一五b〕「宗教間対話を可能にする理論を求めて」

(『上智大学キリスト教文化研究所紀要』三三)

      〔二〇一五c〕「他者・死者と場所」(『日本の哲学』

一六)

     〔二〇一六〕『親鸞』(ミネルヴァ書房

西村玲〔二〇〇八〕『近世仏教思想の独創』(トランスビュー

田辺元〔二〇一〇〕『死の哲学 田辺元哲学選Ⅳ』(藤田正勝編、岩波文庫

袴谷憲昭〔一九九〇〕『批判仏教』(大蔵出版

Kasulis, Thomas P. [2002]Intimacy or Integrity. University of Hawai’i Press. (和訳:衣笠正晃訳『インティマシーあるいはインテグリティー』二〇一六、法政大学出版会)

Marion, Jean-Luc [1982] Dieu sans l’être. Quadrige. (和訳:永井晋・

中島盛夫訳『存在なき神』二〇一〇、法政大学出版会)

 

 

    これはインターネットにてダウンロードしたpdf論文を、ワード化し修正

    したものである。(2022年 タイ国 バンコク近郊にて 二谷)