正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第二十七「夢中説夢」を読み解く

正法眼蔵第二十七「夢中説夢」を読み解く

 

 諸佛諸祖出興之道、それ朕兆已前なるゆゑに舊窠の所論にあらず。これによりて佛祖邊、佛向上等の功徳あり。時節にかゝはれざるがゆゑに壽者命者、なほ長遠にあらず、頓息にあらず。はるかに凡界の測度にあらざるべし。法輪轉また朕兆已前の規矩なり。このゆゑに、大功不賞、千古榜様なり。これを夢中説夢す。證中見證なるがゆゑに夢中説夢なり。

 この夢中説夢處、これ佛祖國なり、佛祖會なり。佛國佛會、祖道祖席は、證上而證、夢中説夢なり。この道取説取にあひながら佛會にあらずとすべからず、これ佛轉法輪なり。この法輪、十方八面なるがゆゑに、大海須彌、國土諸佛現成せり。これすなはち諸夢已前の夢中説夢なり。徧界の彌露は夢なり、この夢すなはち明々なる百草なり。擬著せんとする正當なり、粉紜なる正當なり。このとき、夢草中草説草等なり。これを參學するに、根莖枝葉、花果光色、ともに大夢なり。夢然なりとあやまるべからず。

 しかあれば、佛道をならはざらんと擬する人は、この夢中説夢にあひながら、いたづらにあるまじき夢草の、あるにもあらぬをあらしむるをいふならんとおもひ、まどひにまどひをかさぬるがごとくにあらんとおもへり。しかにはあらず。たとひ迷中又迷といふとも、まどひのうへのまどひと道取せられゆく道取の通霄の路、まさに功夫參究すべし。

 夢中説夢は諸佛なり、諸佛は風雨水火なり。この名号を受持し、かの名号を受持す。夢中説夢は古佛なり。乘此寶乘、直至道場なり。直至道場は乘此寶乘中なり。夢曲夢直、把定放行逞風流なり。正當恁麼の法輪、あるいは大法輪界を轉ずること、無量無邊なり。あるいは一微塵にも轉ず、塵中に消息不休なり。この道理、いづれの恁麼事を轉法するにも、怨家笑點頭なり。いづれの處所も恁麼事を轉法するゆゑに轉風流なり。このゆゑに、盡地みな驀地の無端なる法輪なり。徧界みな不昧の因果なり、諸佛の無上なり。しるべし、諸佛化道および説法蘊、ともに無端に建化し、無端に住位せり。去來の端をもとむる事なかれ。盡從這裡去なり、盡從這裡來なり。このゆゑに、葛藤をうゑて葛藤をまつふ、無上菩提の性相なり。菩提の無端なるがごとく、衆生無端なり、無上なり。籠籮無端なりといへども、解脱無端なり。公案見成は放儞三十棒、これ見成の夢中説夢なり。

 しかあればすなはち、無根樹不陰陽地喚不響谷、すなはち見成の夢中説夢なり。これ人天の境界にあらず、凡夫の測度にあらず。夢の菩提なる、たれか疑著せん。疑著の所管にあらざるがゆゑに。認著するたれかあらん、認著の所轉にあらざるがゆゑに。この無上菩提、これ無上菩提なるがゆゑに夢これを夢といふ。中夢あり、夢説あり、説夢あり、夢中あるなり。夢中にあらざれば説夢なし、説夢にあらざれば夢中なし、説夢にあらざれば諸佛なし、夢中にあらざれば諸佛出世し轉妙法輪することなし。その法輪は、唯佛なり與佛なり、夢中説夢なり。たゞまさに夢中説夢に無上菩提衆の諸佛諸祖あるのみなり。さらに法身向上事、すなはち夢中説夢なり。こゝに唯佛與佛の奉覲あり。頭目髓腦、身肉手足を愛惜することあたはず、愛惜せられざるがゆゑに、賣金須是買金人なるを、玄之玄といひ、妙之妙といひ、證之證といひ、頭上安頭ともいふなり。これすなはち佛祖の行履なり。これを參學するに、頭をいふには人の頂上とおもふのみなり。さらに毘廬の頂上とおもはず、いはんや明々百草頭とおもはんや、いはんや頭聻をしらず。

 むかしより頭上安頭の一句、つたはれきたれり。愚人これをきゝて剩法をいましむる言語とおもふ。あるべからずといはんとては、いかでか頭上安頭することあらむといふを、よのつねのならひとせり。まことにそれあやまらざるか。説と現成する、凡聖ともにもちゐるに相違あらず。このゆゑに、凡聖ともに夢中説夢なる、きのふにても生ずべし、今日にても長ずべし。しるべし、きのふの夢中説夢は夢中説夢を夢中説夢と認じきたる。如今の夢中説夢は夢中説夢を夢中説夢と參ずる、すなはちこれ値佛の慶快なり。かなしむべし、佛祖明々百草の夢あきらかなる事、百千の日月よりもあきらかなりといへども、生盲のみざること。あはれむべし、いはゆる頭上安頭といふその頭は、すなはち百草頭なり、千種頭なり、萬般頭なり、通身頭なり。全界不曾藏頭なり、盡十方界頭なり。一句合頭なり、百尺竿頭なり。安も上も頭々なると參ずべし、究すべし。

 しかあればすなはち、一切諸佛及諸佛阿耨多羅三藐三菩提、皆從此經出も、頭上安頭しきたれる夢中説夢なり。此經すなはち夢中説夢するに、阿耨菩提の諸佛を出興せしむ。菩提の諸佛、さらに此經をとく、さだまれる夢中説夢なり。夢因くらからざれば夢果不昧なり。たゞまさに一槌千當萬當なり、千槌萬槌は一當半當なり。かくのごとくなるによりて、恁麼事なる夢中説夢あり、恁麼人なる夢中説夢あり、不恁麼事なる夢中説夢あり、不恁麼人なる夢中説夢ありとしるべし。しられきたる道理顯赫なり。いはゆるひめもすの夢中説夢、すなはち夢中説夢なり。

 このゆゑに古佛いはく、我今爲汝夢中説夢、三世諸佛也夢中説夢、六代祖師也夢中説夢。

 この道、あきらめ學すべし。いはゆる拈花瞬目すなはち夢中説夢なり、禮拝得髓すなはち夢中説夢なり。

 おほよそ道得一句、不會不識、夢中説夢なり。千手千眼、用許多作麼なるがゆゑに、見色見聲、聞色聞聲の功徳具足せり。現身なる夢中説夢あり、説夢説法蘊なる夢中説夢あり。把定放行なる夢中説夢なり。直指は説夢なり、的當は説夢なり。把定しても放行しても、平常の秤子を學すべし。學得するに、かならず目銖機輌あらはれて、夢中説夢しいづるなり。銖輌を論ぜず、平にいたらざれば、平の見成なし。平をうるに平をみるなり。すでに平をうるところ、物によらず、秤によらず、機によらず。空にかゝれりといへども、平をえざれば平をみずと參究すべし。みづから空にかゝれるがごとく、物を接取して空に遊化せしむる夢中説夢あり。空裡に平を現身す、平は秤子の大道なり。空をかけ物をかく、たとひ空なりとも、たとひ色なりとも、平にあふ夢中説夢あり。解脱の夢中説夢にあらずといふことなし。夢これ盡大地なり、盡大地は平なり。このゆゑに廻頭轉腦の無窮盡、すなはち夢裏證夢する信受奉行なり。

  釋迦牟尼佛言、

  諸佛身金色 百福相莊嚴 聞法爲人説 常有是好夢

  又夢作國王 捨宮殿眷屬 及上妙五欲 行詣於道場

  在菩提樹下 而處師子座 求道過七日 得諸佛之智

  成無上道已 起而轉法輪 爲四衆説法 徑千萬億劫

  説無漏妙法 度無量衆生 後當入涅槃 如烟盡燈滅

  若後惡世中 説是第一法 是人得大利 如上諸功徳

 而今の佛説を參學して、諸佛の佛會を究盡すべし。これ譬喩にあらず。諸佛の妙法は、たゞ唯佛與佛なるがゆゑに、夢覺の諸法、ともに實相なり。覺中の發心修行菩提涅槃あり。夢裏の發心修行菩提涅槃あり。夢覺おのおの實相なり。大小せず、勝劣せず。

 しかあるを、又夢作國王等の前後の道著を見聞する古今おもはくは、説是第一法のちからによりて、夜夢のかくのごとくなると錯會せり。かくのごとく會取するは、いまだ佛説を曉了せざるなり。夢覺もとより如一なり、實相なり。佛法はたとひ譬喩なりとも實相なるべし。すでに譬喩にあらず、夢作これ佛法の眞實なり。釋迦牟尼佛および一切の諸佛諸祖、みな夢中の發心修行し、成等正覺するなり。しかあるゆゑに、而今の娑婆世界の一化の佛道、すなはち夢作なり。七日といふは、得佛智の量なり。轉法輪、度衆生、すでに徑千萬億劫といふ、夢中の消息たどるべからず。

 諸佛身金色、百福相莊嚴、聞法爲人説、常有是好夢といふ、あきらかにしりぬ、好夢は諸佛なりと證明せらるゝなり。常有の如來道あり、百年の夢のみにあらず。爲人説は現身なり、聞法は眼處聞聲なり、心處聞聲なり。舊巣處聞聲なり、空劫已前聞聲なり。

 諸佛身金色、百福相莊嚴といふ、好夢は諸佛身なりといふこと、直至如今更不疑なり。覺中に佛化やまざる道理ありといへども、佛祖現成の道理、かならず夢作夢中なり。莫謗佛法の參學すべし。莫謗佛法の參學するとき、而今の如來道たちまちに現成するなり。

 

 正法眼藏夢中説夢第二十七

 

爾時仁治三年壬寅秋九月二十一日在雍州宇治郡觀音導利興聖寶林精舎示衆

寛元元年癸卯三月廿三日書冩己 侍者懷弉

 

正法眼蔵を読み解く夢中説夢」(二谷正信著)

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