正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

鎌倉仏教と現代  末木  文美士  駒澤大学仏教学会主催 公開講演会

駒澤大学仏教学会主催 公開講演会

末木  文美士

鎌倉仏教と現代

批判仏教の問題提起を受けて

はじめに

末木でございます。このような形でお話する機会を与えて頂きまして、光栄なことと思っております。また、お忙しいところお集まりいただきまして有難うございます。

駒沢大学は、私も、いろいろこちらの先生方のご研究を勉強させていただいたり、またご一緒に研究会などで勉強させていただいたりしておりますので、まるで身内のようで、他人の大学という感じがしません。そんなことで今回もお話を頂きまして、気楽な気持ちでお引き受けしたのですが、期日が近づくにつれまして、この話の内容を後でテープに起こすとか、 いろいろ偉い先生方が来られると言うことをうかがって、大変なことになったと、いささか緊張しております。

今回、お話するのは、こちらの駒沢大学で袴谷憲昭先生等によって提起された「批判仏教」ーそうまとめてしまってよいのか分かりませんが、新しい仏教に対する見方が提示されています。その展開の過程で、私の考え方も批判されたり、また私の方からもそれを批判したりということがありました。そこで、こちらでお話するのですから、その問題をもう少し掘り下げてみたいと思いまして、こういうテーマを掲げました。

日本の学界は、論争が育ちにくいと言われていまして、論争をすると、お互いに非難の応酬で、派閥を作ってなんの進歩もないということがしばしばあります。その中で、袴谷先生達には、私はいろいろ批判を受けることによって、非常に勉強させていただきましたし、また私の方から投げ返したボールを、袴谷先生達にはまた正面から真剣に考えていただいています。そういう意味では、私にとって、この論争は、いわば敵対関係ではなく、かといって馴れ合いでもなくて、真剣に議論を深めていくことのできる、有難い場になっておりまして、非常に感謝しております。

今日取り上げますのは、まず袴谷さんー袴谷先生とお呼びするべきかも知れませんが、多少親しみを込めまして、以後袴谷さんと呼ばせていただきますが、最近出しました『法然明恵』 (大蔵出版、一九九八) のなかで、私の説に対して、批判を加えておられます。それに対して、お応えする義務もあろうかと思います。また松本史朗さんが、最近提出されている 「批判宗学」 の問題も考えてみたいと思います。さらに、これまで存じ上げなかったのですが、ジョアキン・モンテイロさんが 『天皇制仏教批判』 (三一出版、一九九八) という非常に優れたご本を出されておりまして、その中でも私の著作をよく読んで、私の説を採用していただくと同時に、また批判を出していただきました。そういう問題にお応えしながら、併せて、この機会に少し私自身が最近考えていることを述べさせていただき、改めてそれに対してご批判頂くことができればと思っております。

 

第一節 諸氏の説の検討

 

 

  1,基本的な二項対立

まず、袴谷さんの『法然明恵」の提起している問題と、それに対する私の考え、及び袴谷さんの私に対する批判に対してのお応えということから少し入りたいと思います。袴谷さんの基本的な考え方は、次のような二項対立で示されると思います。

(A) 他力主義ー平等主義ー論理主義ー排他主義ー「二種深信」―専修念仏

(B) 自力主義ー差別主義ー事実主義ー包括主義ー「本覚思想」ー顕密二宗

これは、袴谷さんご自身が本書の二六四頁で示されている対立図式です。 (A)が法然の考え方で、それは他力主義であると同時に平等主義であり論理主義であり、そして理想主義であり、排他主義であり、また二種深信に立っている専修念仏の立場だというのです。 (B) は明恵側の立場で、それは自力主義であり、差別主義であり、事実主義であり、現実主義であり、包括主義であり、本覚思想に基づいており、また顕密二宗の立場だとされます。このように両方を非常に明解に位置づけておられます。

 ここにもう少し、袴谷さんが本書中で使用しながら、この図表の中に収めなかった項目を付け加えておきます。

(A) 法然菩提心否定ー正統ー偏執ー選択の論理

(B) 明恵菩提心肯定ー異端ー一味ー融和の論理

苦行主義―作善主義(除穢主義)

法然の方は菩提心否定の立場、それが仏教としての正統の立場になり、 偏執の立場であり、論理としては選択の論理になります。明恵の方は、菩提心を肯定し、仏教としては異端である。それは一味主義であり、融和の論理であり、そしてまた苦行主義、あるいは作善主義、除穢主義と特徴付けられます。非常に明快な二項対立です。

そこで、このような袴谷さんの明解な二元論が成り立つかという問題を考えてみましよう。まず法然に関して、その問題点を考えてみます。何か私の立場は、法然明恵も皆一緒にしてしまうかのように見られることがあるようですが、私は法然の独自性を決して認めないわけではありません。後ほど少し触れますが、決してそうではなくて、それぞれが個性を持った思想家であると考えます。

 

   2、法然をめぐって

私自身の法然の『選択集』の解釈は、最近出しました 『鎌倉仏教形成論』 (法蔵館、一九九八) の中で論じましたが、他の研究者の方の説よりも、法然のラディカルな性格をむしろ強く解釈しています。ですから、その意味では法然明恵は非常に違うということは、私にも全く納得のいくことです。しかし、法然という人は非常に複雑な人ですので、どうも袴谷さんのように綺麗に図式化はできないのではないかというのが私の感じているところです。

第一に、いわゆる仏性に関する問題ですが、袴谷さんや松本さんは、仏性とか如来蔵は、本来の仏教ではない、と否定します。では、法然の場合どうかと言いますと、やはり法然は基本的に仏性論の前提の上に立っています。このことは、『選択集』の第一章に道綽の『安楽集』という本を引用している、その引用をご覧いただければ分かります。

安楽集の上に日く、問うて日く、一切衆生は皆仏性あり。遠劫よりこのかた、まさに多仏に値えるなるべし。何に因ってか今に至るまで、よって自ら生死に輪廻して火宅を出ざるや。

という問いを出しています。それに対して

大乗聖教に依るに、まことに二種の勝法を得て、以て生死を排わざるによる。是を以って火宅を出ざるなり。何者をか二と為す。一には謂わく聖道、二には謂わく往生浄土なり。云々 (「昭和新修法然上人全集」 三一一頁)

という具合に論じていきます。この問答は、一切衆生には仏性がある、あるにも関わらず、 なぜ生死の輪廻から抜け出ることができないのか、という問題設定から出発しています。その意味で、あくまで仏性論を前提として議論が進められていると言えます。そうだとしますと、袴谷さん的に、もし仏性という考え方を仏教の正統説でないとするならば、法然の立場も仏教の正統説と認めることはできなくなってしまうのではないか、と考えられます。

第二に、袴谷さんの立場は、三昧とか夢とかいう要素を強く否定します。このご本の中でも夢の問題を論じていますが、明恵の夢と対立して法然の夢というのは、あくまで往生の理想を説くことにあるのだと、言っています。ところが、ではそれほど法然における三昧体験や夢の体験が、明恵と違うかと言いますと、 必ずしもそうは言えません。法然には『三昧発得記』とかあるいは 『夢想記』とかいう著作がありまして、その中に自分の三昧体験、夢の体験を記述しております。実は戦後の研究において、法然はそういう非合理的な考え方をするはずはない、ということで一度否定されました。しかし、それを否定する要素はまったく文献的にはありません。むしろ 『選択集』を見ますと、いちばん最後のところに、善導の三昧発得、そして善導が阿弥陀仏を夢見たことが、非常に重要なこととして取り上げられています。そうとすれば、法然もまた三昧とか夢とかというものを非常に重要視していたと考えるべきでしよう。どうも明恵の夢あるいは三昧と、法然の立場は、それ程極端には違わない面があるように思えます。

第三に、袴谷さんは、「絶対他者」という考え方を、仏教の本来の立場に繋がるもので、またそれは日本の思想史の中でその後キリスト教によって、継承されると言いますか、新たに提起されるというふうに捉えておられるようです。では、その場合、仏教とキリスト教をどう分けるのか。仏教というものは結局キリスト教になってしまうのか。あるいはまた、その 「絶対他者」の考え方が「縁起」 の思想であると言いますが、「縁起」から本当に「絶対他者」が必然的に出てくるのか、ということが問題になるであろうと思います。「他者」 については後ほど考えてみたいと思います。

第四に、袴谷さんは法然が仏教としての正統であり、明恵が異端だと言いますが、それほど明白であろうか、ということが問題にされると思います。たとえば一例としまして、山口瑞鳳先生の『チベット』という本の中に、こう言われています。

いま、如来蔵思想や浄土教思想を取り上げて、それらの捉え方の隔たりを見れば、この相違が具体的に知られるであろう。中国や日本では、しばしば経典の所説を人間が本来、仏となる資質を実体的に具えているという趣旨で捉え、それを根拠として、自らの救済のためにさえ無限の修道を願わしくないものとして厭い、もっとも確実・安易な手だてによって仏の資質に立ち返ることを願う。これがすなわち一般的な理解でいう頓悟であり、即身成仏といわれるものである。また、念仏住生の場合、菩提を志す仏教徒に 「救う者」としての無限の誓願を立てよと奨めた経典の教えが取り上げられ、それを一八〇度転換して「救われる者」としての立場から読み込む。すなわち、自らの理想としてその後ろ姿を追いかけていたはずの一切智者に対して、逆に彼に向かって立ちはだかり、その誓願を証として取り上げ、「救い」を期待するまでに至ったのである。(同書下巻、一八〇ー一八一頁)

ここでは、中国や日本、とくに日本の仏教をチベットの仏教と正反対のものとして論じておられます。山口先生の見方によれば、法然のような他力的な救済の浄土教というのは、如来蔵思想等と同じように、中国や日本の非常に変質した仏教であって、チベットの仏教とはまったく違うものだと位置づけられています。実はこの山口先生の浄土教の捉えかたに対して、私は少し疑問を持っていますが、少なくともこういう見方もあるということは言えると思います。そうとすれば、袴谷さんのように、簡単にそれが正統であるとは言えないのではないでしようか。

 

   3、明恵をめぐって

では、もう一方の明恵の側はどうでしようか。実は、袴谷さんの本を読みましていちばん引っかかった問題がありました。袴谷さんは、『法然明恵』 のいちばん最初のところで和辻哲郎を引用して、従来の日本の仏教の捉え方は、多く日本の仏教を「一つの仏教」として見ていた、いわば融和の仏教である。それに対立する「もう一つの仏教」、つまり法然のような考え方は十分に認められていなかったかのように書いておられれます (同書、第一章一)。このような言い方は非常におかしいし、問題があると思います。

確かに、日本の仏教はすべて融和する一つの仏教であるというような主張が戦前からなされて来て、それが戦争協力につながっていく。戦後も保守的な仏教観の一つの流れとしてあることは事実ですし、またそれを批判することは非常に重要なことであると思います。しかし、戦後の仏教研究の研究史を振り返った場合、むしろ中心となってきたのは、逆に新仏教を中心として見る見方であります。それが、いわゆる新仏教中心論と言われるような、家永三郎さんや井上光貞さんの系統の考え方として展開してきて、それに対してむしろ旧仏教の重要性の再認識は非常に遅れます。

従って、戦後研究史の中心はむしろ法然系の仏教を正統と見る見方で、当然そうした研究史は袴谷さんもよくご存じのはずです。それをいわばあえて隠して、もう一方の側だけを極端に大きく捉えて、それを批判するのは非常におかしい。

私は、袴谷さんという方は非常に誠実な研究者であって、信頼出来る方だと思っているのですが、ここでのやり方は、当然常識的にも認めなければならない研究史をあえて隠して、事態を誤認させるような、非常に戦略的、政治的かけひきのようなやり方で、研究者としての誠意が疑われても仕方がなしように思います。

袴谷さんは、明恵の研究の方が進んでいたかのように見ているようですが、それはまったく嘘で、研究が進んでいるのは法然の方で、明恵に関する研究は極めて遅れています。た

とえば、法然に関しては非常に優れた全集が戦前から出ておりまして、戦後にはさらに 『昭和新修法然上人全集』 というのが刊行されております。もちろんこれもまだ問題があり、さらに校訂の必要があると言われていますが、それでもそうやって何度か全集が出されるだけ研究が進んでいます。それに対して、明恵に関しては、そもそも全集が出ていない。全集が出ていないどころか、その著作の中のかなりの部分がまったく未刊行であり、ほとんど研究が手も着けられていないような状態です。「高山寺資料叢書』 (東京大学出版会) で『明恵上人資料』が少しずつ出されていますが、まだ何巻も続けていかなければ、明恵の著作自体がそもそも公刊されないような、そういう状態です。そうである以上どちらが研究が進んでいるかということは明白です。

それだけに明恵の思想理解は非常に難しい。まだ全貌が明らかでないし、研究も非常に少ない。また密教と華厳がどう関わるかとか、非常に難しい問題が多いのです。そういう点を袴谷さんはほとんど故意に無視しています。ですから袴谷さんの論によると、明恵の思想は非常に単純明快に見えますが、私にはそれほど簡単に理解できるとは思えません。

特にこの明恵の考え方を本覚思想といふうに規定できるかというと、非常に疑問であると思います。私はこのことを以前出した 『日本仏教思想史論考』 (大蔵出版、一九九三) の中で取り上げました。明恵は若い頃の著作、たとえば 『金獅子章光顕抄』 とか、あるいは 『華厳唯心義』の中で、当時の華厳の一派に対して非常に痛烈な批判を行っています。その分析も実はまだ十分に行われていないのですが、どうやら、当時の華厳宗の中に、修行を不要とするような論があったようで、それに対して明恵は強烈な批判を行っています。その延長上に『摧邪輪』という法然批判が書かれるわけです。

そういう系列で見た場合、明恵法然批判は、むしろ明恵による本覚思想批判、つまり修行不要論に対する批判の流れの中で位置づけられるべきものです。従って、むしろ法然の方こそ、いわば修行不要を唱える、つまり簡単な念仏だけで、修行しなくていいという本覚思想に類似するような思想として、批判対象になっていたのではないか。そういう文脈で捉えるべきだはないかというふうに私は考えて、提示しているのですが、残念ながら、袴谷さんはその点に関して、まったく触れておりません。

また、明恵の本覚思想的な考え方を代表すると言われるものに、「あるべきやうわ」というものがあります。これは、たとえば武士は武士の「あるべきやうわ」とか、僧は僧の「あるべきやうわ」とそれぞれの自分の分に応じた生き方をするのがよいのだ、と言うもので、現状の秩序を認めるという点で、しばしば本覚思想的であると言われています。これに関

しては、最近、フランスのフレデリックジラールさんが非常に面白い、重要な説を提示しておられます。いま試みに、『明恵上人遺訓抄出』の該当箇所を見てみましよう。

和尚云ハク、人アルへキヤウハト云ウ、七文字ヲタモツべキ也云々。

意ハ三業四儀、アルへキヤウニフルマへト云也。

というふうにありまして、じつはその次が重要なのです。

又云、我ハ後世タスカラムト云者ニアラス、タダ現世先ツアルへキヤウニテアラント云者也、云々、意ハ指タル行業モナク懈怠ニシテ、ユへナク後世タスカラント云トモカナハシ、タダ現世ニ行業モアリ精進勇猛ナラハ、後生ハタトへタスカラシト云トモ無力出離スへキナリ、懈怠ニシテ罪業ヲノミツマンモノ、ユへナク後生タスカラント云ムカ、無力三途ニ堕センガ如シ、(『明恵上人資料』 一、六七〇上ー六七一頁)

ここでは「あるべきゃう」というのは、本来あるべき修行をしなければいけない。ということで、それぞれの分に応じてというようなことは全然言われていません。むしろ精進勇猛でなければならないという、修行の必要性を強調しています。ジラールさんによると、それが「あるべきやう」の原型で、古い資料では、「あるべきやう」というのは、大体このような方向で使われていて、決して分に応じてというようなことを言っているのではありません。明恵没後に書かれた資料の中で、だんだんそういう考え方が、明恵の考え方として書かれるようになっていったのだと、ジラールさんは言っておられます。

そういうふうになってきますと、後にたとえば鈴木正三なんかによって提示されるような、それぞれの分に応じて生きるべきだという考え方を、どうも明恵自身の あるべきやうわ」の考え方に引き戻すことはできない。明恵の立場は、だいぶ違うように考えなければならないのではないか。このように非常に重要な問題が提示されています。

このように、明恵の思想に関しては、まだ最近ようやくそういう重要な問題が論じられるようになってきたばかりの段階でありまして、それをあまり早急に単純化して論ずることは、私には非常に危険なことであるとに思われます。

明恵一人の思想を理解するだけでも、そういう困難がつきまとうわけですが、まして簡単に、旧仏教とか、顕密仏教というように、ひとまとめにして論ずるということは、これは絶対にできない。個性のある思想家というのは、それぞれの形で思想を展開しています。それを余りに単純化するのは、非常に危険なことではあるまいかと考えます。

 

   4、平雅行説をめぐって

さて、そうなってきますと、その辺にまた私が批判される問題が出てきます。私の立場は、 本来価値を立てて価値判断をしなければならない問題を逃げているのではないか、そして、あれもいい、これもいいという、結局どちらでもいいという、そういう立場になってしまうのではないか。これは袴谷さんだけでなくて、ジョアキンさんからも同じように批判されています。袴谷さんのご本ですと、三五一頁以下で取り上げられています。

その中で特に、袴谷さんは平雅行さんの説との関係を論じていますので、その問題について触れておきましよう。平さんは、ご存知のように、故黒田俊雄先生が提示された顕密体制論をより発展させた優れた歴史研究者ですが、実は私は平さんとも論争を続けています。平さんの立場は、顕密仏教と異端派を厳しく峻別する立場でありまして、袴谷さんはそれに対して、どちらを正統派と見るかという点で顕密体制論を平さんの説をかなり認めるという論じ方をしています。お二人とも、二項対立を厳しく立てるという点で、かなり近いところがあると思います。

それに対して、 私の立場ははっきり対立することになります。ここは顕密体制の問題を論ずる場ではありませんので、それは別の機会に致しまして、簡単にだけ袴谷さんにお答えしておきたいと思います。

まず、私と平さんの論争についてです。昨年(一九九七年)、平さんから私を批判する論文が提示されており (「仏教思想史研究と顕密体制論ー末木文美士氏の批判に応える」、『日本史研究』四二二)、それに対して、私は今のところまだきちんと答えておりません。袴谷さんからご本の中で、なぜ答えないのかというお叱りを頂いています。じつはお答えることはできるのですが、ただそれには、事前に私の方の手の内をすべて出しておく必要があり、 そうしないと、きちんとした答えが出せないという事情があって、それで返答が遅れております。というのは、問題になっているのは、具体的にいうと、一つは法然の『選択集』理解の問題であり、もう一つは親鸞理解の問題です。『選択集』理解に関しては、少し前に出しました『鎌倉仏教形成論の中で私の考え方を提示しました。 それから親鸞の解釈に関しては、これも最近出ました 『解体する言葉と世界』 (岩波書店、一九九八)という本の中に、「宗教と倫理の狭間ー親鸞における悪」という論文を書き下ろして入れまして、そこで私の理解を提示しました。一応それだけ提示しましたので、来年あたりには平さんに対して応答できるであろうと考えております。

次に、その問題と関連して、袴谷さんが言っておられる問題に対して、お答えできることに対してはお答えしておきたいとと思います。まず一つは、袴谷さんが次のように言われているところです。

かかる研究方法に対しても、平博士は、「もとより私たちが、飛躍か否定かを論じてきたのは、あくまで思想の本質論のレベルでの話である。その点を措けば、法然らに顕密仏教との連続面があることぐらい、自明のことではなかろうか。ちなみに彼らは日本語を話し、漢文で思想表現を行い、仮名で手紙を書き、墨と筆と紙を使って文字を表記した。仏教用語を頻用し、経典に絶対的信頼を寄せ、弥陀を信じ極楽を望み念仏を唱えて、夢告と信心を重視した。しかも彼らは法名をもち、剃髪をして袈裟を着用し、弟子と信者をもっていた。 いずれも顕密仏教と法然親鸞との共通点だ。連続面の存在など当然のことである。末木氏の連続面の強調が、こうした水準のものでないことを祈るばかりだ。」と述べておられるが、私も全く同様に考えている。 (前掲書、三五三頁)

これは、私が顕密仏教と法然などの考え方の絶対的対立を、いわば流動化させて、必ずしも二項対立という形で見ないということに対する批判です。ですが、こういうふうに言われてしまうと、私の方には答えようがない。私の言っていることがこの程度のこと、つまり、法然明恵も二本足で歩き、日本人であるから共通だ、というようなレベルのことだと、頭から馬鹿にされてしまったら、これはもう反論もなにも成り立たなくなってしまいます。私の考えがその程度のレベルであるかどうかは、是非第三者の研究者の方々に判断していただきたいと思います。

もっとも、「日本語を話し、漢文で思想表現を行い」云々を、それほど「自明のこと」として切って捨ててよいかも問題です。例えば、我々ならば、漢文で思想表現を行なわない。しかし、中世の彼らは行なった。それはなぜか。そうした一見「自明」 に見えることを、 一々問い直してゆくことも、今後の研究を進めてゆくに当って重要なことです。

ところで、この両者の連続性を言う、いわば連続説とも言うべき見方に対しては、ジョアキンさんも取り上げて問題とされていますが、私が言っているのは単純な連続ではなく、それぞれが強い個性を持っていることを認めます。法然の思想の個性も、私ははっきりと認めていますし、もう一方では明恵の個性も認めなければならないと思います。ただ、それを決定的な二元対立、 二項対立として見るという、そういう考え方がおかしいのではないかと言っているのです。

袴谷さんの取り上げている問題としては、さらに次のような箇所があります。

中世を支配したイデオロギーはなにかといったような問題に対しても、その「思想」 の本質を剔るような議論をすべきであるのに、平博士の御指摘によれば、末木博士は、平博士に対して、「本覚思想は密教ではない」ことを主張されているようである。確かに、「密教」は「本覚思想」の一部でしかないという意味でなら「本覚思想は密教である」という命題は成り立たないが、「顕密二法」で呼ばれる「顕教」と「密教」の「思想」的本質がなにかと問われた場合には、「密教」は、私の規定する意味で、「本覚思想」の用語を用いるとするならば、正真正銘の「本覚思想」と言えるのではないだろうか。末木博士の平博士に対する議論は、どうもそのような肝腎な点をはぐらかしているようにしか私には思えないのである。(同書、三五四頁)

 

このように、私の議論が的を得ていないと言っておられます。私の顕密体制論に対する一つの批判のポイントは、確かにここで指摘されているように、本覚思想が密教ではないという点にあります。それは何故かと言いますと、本覚思想は確かに密教と関係が深いものではありますが、しかしそれとは一線を画した顕教的な思想のなかで展開していくものです。なぜここが重要かと言いますと、そのことに依って顕と密の関係がどうかという、そういう形で問題が提示されるわけです。そうでなくて全部同じ本覚思想であり、密教だというふうに言ってしまったら、その中で、では顕と密がどういうふうに関係しているかというような、 そういうきちんとした分析がなし得なくなってしまう。ですから、私は両者の区別をきちんとすべきだ、と主張しているわけです。

しかし、そういうことが、肝腎な点をはぐらかしていると言われてしまった場合、では肝腎な点とは何なのか。私はそれを非常に肝腎な点だと考えるのですが、これはもう捉え方の違いとしか言えません。またここで、袴谷さんは言っていますが、「私の規定する意味で、「本覚思想」の用語」というふうに言っていますが、学会での用語はある程度共通でないと議論が成り立たないと思います。そうでないと、同じ本覚思想という言葉を使いながら実は全然違うことを意味している場合が起こってしまう。ですから、そのあたり言葉に対してもっと慎重にあるべきではないかと思います。袴谷さんは日頃から言葉を重視すると言っていますが、こうしたところは、あまりに言葉を粗雑に扱いすぎているように思えます。

その他、取り上げていけばいくらでも問題とすべきところがありますが、 もう一点だけ上げておきます。

私が本論文中〔本書、三二二ー三二三頁〕でも扱った、中世の国家体制を支えたイデオロギーを「顕密体制」と呼ぶべきか「本覚思想」と呼ぶべきかという問題についても、末木博士は巧みにその「思想」的論点を外されているように思われる。(同書、三五三頁)

そもそも顕密体制というのは社会体制論の問題であって、それ自体はイデオロギーの問題ではありません。むしろ黒田さんにしても、本覚思想は顕密体制のイデオロギーであると規定しています。もちろんそう言えるかどうか問題になりますが、ともかく、社会体制の概念である顕密体制と、思想史的概念である本覚思想をごっちゃにして、「顕密体制と呼ぶべきか、本覚思想と呼ぶべきか」と言われても、これはそもそも議論にならないのではないかと思います。

 

   5、文献学と哲学

以上のように個別的に問題を取り上げていきますと、どうしても些末なことにこだわることになってしまって、袴谷さんが言っておられるように、肝腎な点がぼけてしまう感があります。そこで、後ほど私自身の立場を、はっきりお話したいと思います。ただ、ここでもう一度申し上げておきたいのは、私自身は、そういう二項対立、あるいは二分化という形をとらないということを基本に置きたいということです。それは、そういう二項対立は、あらかじめある対立を前提としてしまって、その前提の上で議論を進める危険が強いと思われるからです。むしろその前提そのものを疑う、前提そのものが成り立つかどうかということを、一つ一つの資料に当たりながら検討していくのが、研究者のつとめであって、始めから結論が分かっているのであれば、研究にはならないであろうと思うのです。

その問題と関係しまして、実はこれは、松本史朗さんによっても提示され、またジョアキンさんによっても取り上げられている方法論的な重要な問題として、文献学と哲学との関係をどういうふうに捉えるかという問題があります。私自身はもともと文献学の出身ですが、しかし私自身の志向するところとしては、 むしろ文献学をもとにしながら、それを自分の哲学としてもう一度構成しなおしたい という考えを強く持っております。しかしその場合、安易に文献学と哲学とをごっちゃにしてしまうのは、やはり非常に危険なことであろうと思います。文献学の基礎というのは、そこに文献があって、それを読んでいくことによって、どういう世界が築かれていくかということを、まずその対象の側から出発していかなければならないのです。

それはたとえば、考古学の遺物、遺跡を考えてみても分かります。遺跡があったら、それが王様の屋敷であるか、それとも庶民の家であるかというようなことは関係なく、ともかくまず掘って、それがどういう建物であって、どういう構造をもっているかということを、きちんと解明しなければなりません。そうでなければ、当時の社会はどうなっていたかということも分かってきません。それは文献の場合でも同じで、たくさんある文献をまず読んで、 そこからどういう世界が描かれてくるのか、ということから出発していかなくてはならないだろうと思います。そこにあらかじめ、価値判断を入れてしまったら、文献を冷静に読んでいくということはできません。

もちろん文献学と哲学は決して峻別できるものではなくて、常に文献学を行うなかにも、哲学的判断は入っていきます。ですから純粋に客観的な文献学というものは成り立たない。これは松本史朗さんの言われる通りで、私も賛成なのですが、にもかかわらず、ある程度の両者の立場の違いはあるのではないかと思います。文献を扱っていく場合は、なるべくその文献に対して、能うる限り好意的に見ていくべきではないかと、私は思うのです。たとえば、冷戦時代のアメリカでは、敵としての共産圏を研究する学問というのがありましたし、もっと前、第二次大戦中にはアメリカの日本学は、敵国である日本を知るための学問として成り立ってきたといういきさつがあります。しかし、敵をどう打ち倒すかということを目指している学問、そういう態度では、やはり対象のいちばんの魅力は分からないのではないかと思います。 できうるかぎりその文献を、いわば内在的に読み込んでいくことができなければ、その文献の構造は理解できないのではないかと思います。ですから、文献を読む場合、どうしても価値判断を後回しにする、ということにもなります。しかし、そのことは私が決して哲学を無視するという意味ではありません。そのことはまた後で少しお話したいと思います。

二、松本史朗氏の批判宗学

袴谷さんのご本を論ずるので、少し時間が長くかかってしまいました。次に、松本史朗さんの「批判宗学」という考え方について、簡単にだけ述べておきます。簡単にだけという

のは、本当は重要な問題がたくさんあるのですが、ただ、現在のところ、まだご本という形ではまとまっておらず、いくつかの論文として提示されて、またそれに対しては、同じ駒沢大学のなかでも、それを批判するようなお考えも出ているとうかがっております。そういうものを見極めてからでないと、議論ができないところがあろうかと思います。ですから、これについては簡単にだけ触れておきたいと思います。

松本さんの批判宗学の根本のところは、「伝統宗学から批判宗学へ」、『宗学研究』 四〇、 一九九八)というご論文の最後に六項目にまとめておられます。私が特に共感を覚えるのは、いちばん根本の立場として、「いかなる対象も絶対視・神秘化することなく、絶えず自己自身を否定しつつ、宗門の正しい教義を探求すること」というふうに言っておられるところです。ただ、「宗門の正しい教義を探求すること」というのは、これは宗学としては当然のことであろうかと思いますが、私のように宗門の外にいる人間にとっては、立場が相違してき

ます。

もっとも、「いかなる対象も絶対視・神秘化することなく、絶えず自己自身を否定」していった場合、それが果たして宗門という枠の中で捉えきれるのかという疑問があります。 ところが、後の方で挙げておられる項目を見ていきますと、非常にドグマ的な形で提示されるところが出てきます。例えば「批判宗学密教の否定である」というように、「こういうものである」というような形で断定しています。しかし、自己否定して行くのであれば、そういう立場そのものも常に批判の対象にさらされていくはずです。「道元の目指したものを目指す」とも言っていますが、なぜ道元が目指したものを目指さなければならないのか、今度はその根拠そのものが、問題とされなければなりません。

 ちなみに、私はやはり宗学というのは大事な学問であると思います。現実に宗派が存在して活動している以上、その中でその思想的根拠をどこに見出していくべきか、という探求は、 それぞれの宗派できちんと進めていかなければならない問題であろうと思います。その場合、宗派というのは、単なる思想の問題だけではなくて、同時に教団という組織の問題を抱えています。その問題を結局、松本さんの「批判宗学」はほとんど念頭に置いていないのではないか。これは袴谷さんとか、ジョアキンさんなんかの場合もそういう感じがあります。ストレートに思想の問題として提示するのですが、現実の教団をどうするかという、その具体的な提言に必ずしもなっていません。

外から勝手なことを言うのはいけないかもし知れませんが、例えば曹洞宗で言えば、道元だけではなくて、もう一方では瑩山系統によって密教が入ってきて、そのことによって、民

衆のなかに定着していったという歴史を持っていますし、現在においてもそういう要素が非常に重要な面として入っていると思います。その要素を具体的に、どういうふうに扱うのか。それを否定するのか。もし本当に否定するとしたら、では祈禳仏教や葬式仏教に経済的基盤を拠っている現在の宗派はどうなるのか。全面的に否定するのか、それともなんらかの形で生かすのか。 そのところがどうしても分からない。 そういう教団論が入ってこないと、どうもやはり宗学とはならないのではないかと思います。

後でジョアキンさんのところでも触れますが、思想というのはやはり、現実の社会の中で動いていくものですから、単に抽象論であってはいけないと思います。現実の社会の中で、どのように具体的な指針を見出しうるかということが非常に重要で、袴谷さんでも松本さんでもジョアキンさんでも、 そこがどうも欠けている。 それが非常に大きい問題なのではないかと思います。

 

三、ジョアキン・モンティロ 「天皇制仏教批判」

さてそこで、次にジョアキンさんの 『天皇制仏教批判』 の問題を考えてみたいと思います。不勉強で、これまでジョアキンさんという方を存知あげませんでしたが、今回のご本を

拝見しまして、非常におもしろいご本であると思いました。ジョアキンさんの優れているところは、方法論がはっきりしているところです。

私は、伝統宗学から本質的に訣別し、そして、近代仏教学の方法論をふまえながらも信仰と思想の主体性を確立化できる、新しい立場としての批判仏教学を求めているのである。 (同書、六八頁)

伝統宗学から果たして本質的に訣別できるかは、難しい問題かと思いますが、少なくとも近代仏教学の方法論を踏まえた上で、自分の主体的な思想、立場を確立していくという手続きは、私は非常に適切であると考えます。一方では、仏教学の文献学的な方法をきちんと踏まえながら、もう一方でいわばそれを現代の立場からいかにして哲学的な問題として提示できるか、という両面の緊張関係を持っているように思います。「文献学的な研究の成果を踏まえて現代における一哲学として仏教の思想を確立したい」(同書、二四一頁)という意向は、私も非常に共鳴できるところがあります。袴谷さんの場合、文献学と現代の問題を、あえていえば無理矢理くつつけてしまっているところがあって、それが非常に分かりにくしているところがあると思います。ジョアキンさんの場合は、二つの方法の違いを明確に認識しているように思われます。

ジョアキンさんの研究は重層的な構造をなしていまして、一方で著者自身の浄土真宗における経験を踏まえながら、それが日本の社会の中で天皇制の問題に結びついていく。その問題から今度は、いわゆる清沢教学という、近代教学をどう批判していくかという問題がでてくる。その問題がさらに根底において親鸞をどう理解するかということになり、さらに進んで、仏教そのものをどう理解するかという問題に発展してゆきます。それぞれのレベルがきちんとわきまえられて、一つ一つ手続きが踏まれているように思います。ただ、その扱っているそれぞれの問題に関しては、やはりいろいろと問題があるように思います。たとえば、仏教そのものをどう理解するとかいう点に関して、

具体的にいえば〈縁起〉という立場に基づいてインド思想一般が主張するところのアートマン (霊魂) を否定し、そして、ある一種の社会契約説的な傾向を以てインドのカースト制を支えた〈社会有機体説〉を否定した思想だと考えるのである。(同書、三八頁)

と言っています。社会契約説というのを一つのポイントとして置いているところが、袴谷さんなどと違うところであろうかと思いますが、これを果たして仏教の根本の思想として提示できるかどうかというと、疑問に思います。「それは、ロックやルソー以来のヨーロッパの社会哲学とくらべれば極めて弱いのであり、仏教の思想においては社会を一領域として考える観点が欠落しているのである」 (同書、三九頁)とジョアキンさん自身が認識しておられるように、これを仏教の中心として見るのは、かなり苦しいところがあるのではないかと思います。

もう一つは、社会契約説というのが果たして今日、社会を考えていく上で根本に置けるかどうかという点もやはり問題点になろうかと思います。

ともあれ、こういう立場に立って、それに反する立場を、大乗主義であるとか、和諍論であるとか言っています。如来蔵思想とか、本覚思想とか、差別思想、不平等論などすべて天皇制の仏教であるとして批判の対象としています。その場合、非常に大きな問題は、天皇制をどう理解するのか、そしてその天皇制と仏教の関係をどう理解するのかという、根本の問題に関して、分析がきわめて不十分であるということです。

本覚思想とは天皇制と皇国史観の哲学的基礎付けである。ここで指摘されている本覚思想とは〈本覚・始覚〉の両方を含んだ如来蔵思想一般なのではなく、日本の〈天台本覚思想〉という具体的な限定性を持つ本覚思想なのである。(同書、六三ー六四頁)

とありますが、これは非常に奇妙な発言です。天台の思想が近代の日本の天皇制の理論付けに中心的な役割を果たしたなどと、これは実証的に絶対にありえない珍説です。こういう非常に重要なところで、何を言おうとしているのかまったく分からないし、十分な論証もなく断定がなされていて、どうも奇妙です。これは非常に重要なことでありまして、特に天皇制の問題は、仏教だけでなくて他の領域、特に政治学の領域などで厚い研究史があり、さまざまに議論されてきている問題ですから、従ってそういう人達とかみ合った議論ができなければならないのですが、そのいちばん根本になるテーゼがあまりに独断的で、現実離れがしていると、そもそもそういう方面との議論がかみ合わなくなってしまう。ですから、そういうところをきちんと押さえないといけないのではないかと思います。

ジョアキンさんの私に対する批判(同書、七〇ー七四頁) はこの本覚思想の問題と関連しています。その前のところに田村芳朗先生の説を批判していまして、要するに、田村先生が本覚思想とそれに反対する思想との間を明確化しえずに、両者を連続的に捉えている。それによって、結局天皇制仏教になってしまうのだ、という批判であって、その延長上に、私の立場も結局、同じような立場に陥るのではないかというふうに論じておられます。連続説については、袴谷さんのところで触れました。天皇制の問題は、後でもう少し考えてみたいと思います。

そういう天皇制の問題を出発点として、近代の浄土真宗の根底となった清沢教学を批判していくわけですが、この批判は重要なポイントを突いているところがあると思います。 ただ、だからと言って清沢教学が全面的に否定されるものであるかと言うと、私にはそうは思えません。確かに清沢教学の流れの中から、非常に強い戦争協力の動向が出てきたことは事実で、 そういう意味で言えば、その源泉となる清沢教学を批判的に見なおすということは非常に重要なことであろうと思います。しかし、同時にまた清沢教学は、近代という時代

の中でいかに仏教が対応できるかという重要な問題に対して、一つの非常に先鋭的な答えを出した教学でもあります。今日、清沢教学に対する批判は、あらゆる方面で強くなって、清沢批判の方がかえって主流になりつつようですが、私は近代において清沢派の果たした役割というのは、やはり十分に認識する必要があるのではないかと考えています。そこからさらに親鸞の理解の問題にも展開していきますが、時間もだいぶもう経ってしまいましたので省略させていただきます。

第二節  私自身の立場と方法

一、政治の問題をどう見るか

以上のような方々の批判を受けながら、では私自身がどういう立場に立つか、さきほどの言い方で言えば、文献学的な問題と私自身のいわば哲学的な、現代という場での自分の立場をどのように考えるかということに付いて、少し述べることにしたいと思います。

基本的に言いますと、私はもともと政治的な問題、あるいは社会的な問題というのは、はっきり言って苦手でありまして、むしろそういうものに対する不信感から仏教に入って行ったわけです。ですから、そういう問題を私に求められても困るところがあるのですが、 ただ、そういう問題からやはり逃げられないということは、この頃非常に感じています。私なりに考え直してみたいと、強く考えています。その場合、基本的に言えば、やはり現代という時代をどういうふうに捉えるかということに帰着すると思います。

その場合、いちばん根底にあるのは、戦後展開してきた思想史の流れ、つまり、戦後の進歩派からやがて全共闘になり、そしてその全共闘が結局破れ、さらには戦後の左翼運動の根底をなしていたマルキシズムが崩壊していくという、そういう時代状況をどう読むかという問題になると思います。そういう時代状況の中で、それほど単純にこちらが正しくてこちらが間違っている、とは言えなくなっている。「これが正しいのだ」という思想を私はむしろ信用できない。正しさが崩壊した中で迷っている、現代はそういう時代であろうと思います。

ですから、袴谷さんやジョアキンさんから見れば、どうしても私のような立場は歯がゆいことになってしまうだろうと思います。私は、政治的な問題に関するラディカリズムを取ることができない。むしろ漸進主義と言いますか、現実の中で可能な手続きを踏みながら少しずつよくしていくべきではないか。それを一気に革命でも起こして、極端な形で正しさを主張し、正しさを実現しようというような考え方に対しては、私は非常に警戒感を持っています。

ですから、ジョアキンさんが取り上げた天皇制の問題に関しても、私は袴谷さんやジョアキンさんのように天皇制否定という立場はとりません。天皇制を否定するということは、当然現在の憲法を否定するということであり、いわゆる改憲論の立場に立つということになります。その場合、では、どのような具体的な手順で憲法改正天皇制の廃止を行おうとするのか。先程松本さんの宗門の問題に関して触れましたが、これはもっと大きい日本社会全体の問題になります。たとえばジョアキンさんの天皇制批判からは、そのヴィジョンが見えてこないのです。天皇制否定を実現しようとすれば、猛烈な抵抗が起こると思いますし、それでもやろうとすれば武力革命のような形で天皇制を打倒しようとするのか、それとも他の方法が何かあるのか。天皇制がなくなった場合、天皇制が果たしていた役割をいったい何が果たすのか。そういうふうなことをやはりきちんと明解に提示しないかぎり、批判だけというのはあまりに無責任ではないのか。もちろん批判するのは重要だし、よいことだと思います。しかし、ある立場を主張する以上、それが具体的にどういうふうに実現していけるのかという手順を同時に示していく責任があると思います。

ですから、私はそういうラディカルなことはちょっと実現できないのでないかと思いますし、むしろ今の段階では護憲論の立場を改めて認識し直してもよいのではないかと思います。今さら護憲など偽善だ、自衛隊を海外派遣するようになりながら、武力を持たない等という、そんな憲法はおよそ意味がないと言われるかもしれません。天皇は象徴であると言っても、ではその象徴とはいったい何なのか、わけの分からないところがあります。にもかかわらず、それを直ちに否定して書き換えるのではなくて、むしろその枠の中でまだ努力できるのではないかというのが、基本的に私が今考えていることです。ですから、ラディカリズムの立場から見れば非常に歯がゆいし、駄目だと批判されてもやむをえないし、それでもいいと思います。むしろ私はそういうラディカリズムに対して、ではそれをあなた方はどういうふうに実現するつもりですか、と問いかけたいと思います。

それからもう一つ、批判仏教的な考え方は、民衆の思想に対する侮蔑、軽蔑がある。たとえば民衆社会の中に根ざしている密教的な考え方とか、あるいは神仏習合的な考え方に対して強く批判する。そういう意味で言えば、一種の啓蒙主義であると言ってもいいと思います。確かに私はある面ではそういう啓蒙の役割を認めますが、しかし、それを極端に推し進めていくのが果たしていいのかどうか。そういう民衆の中にはぐくまれてきた思想を軽蔑して、無理矢理いわば上から思想を強引に押しつけることになるのではないか。実際、神仏分離というのはそういう過程でなされて来ています。江戸時代まで民衆の中で定着してきた神仏習合を、明治になって強引に分離をする。その過程で、島地黙雷など浄土真宗の考え方、密教否定の一種のプロテスタント的な宗教観が非常に大きい役割を果たして来たということは、今日認められるようになっていますが、そういう考え方と共通するところがあるのではないかと思います。そのことはまた、先程言いましたように、教団という現実の問題を無視しているのではないか、ということと関係します。そこに祈禳仏教やら、葬式仏教があるのですが、そういう現実は確かに非常に歯痒いことかも知れません。しかし、それを単純に全面否定するのではなくて、少しずつよい方向を探っていく、そういう態度が必要なのではないかと思うのです。

ジョアキンさんに関して言えば、浄土真宗でいちばん天皇制とパラレルな問題というのは、血統主義、つまり親鸞の門流が門主として立っているというその問題だと思います。まさにそれこそ天皇制仏教と言ってもいいシステムです。その問題に関してジョアキンさんはほとんど触れていないというのは非常に不思議です。よく存じませんが、近代教学への絶望から大谷派を脱けられ、現在本願寺派に属しておられるということですが、本願寺派も同じように血統主義を採っています。その問題に対してどう考えるのか、どうもよくジョアキンさんのお考えが分かりません。

二、他者の問題

次に、袴谷さんやジョアキンさんが提出された「絶対他者」という問題を考えてみたいと思います。「他者」とは何か、そこから倫理がどのように出てくるか、という問題です。私自身はじつは最初浄土教から仏教に接近しました。非常に恥ずかしい経験ですが、私は法然とか親鸞のものを勉強しましが、本様に心からそれを信じて念仏を唱えることは出来なかった。自分自身の中のその忸怩たる思いが、その後の私の仏教研究を支えて来ているのです。浄土よりも禅に接近していったのは、そういう過程を踏まえてのことです。

ですから、「絶対他者」を立てることこそ正しい仏教であるかのように言われると、では私なんかいったいどうしたらいいのかという、そもそもそこで行き詰まってしまう。そもそも今日、「他者」というものが、それほど明確に提示できるのでしようか。むしろ「他者」が曖昧化されてくる。その場合の「他者」は、「絶対他者」だけではなくて、我々が社会の中で対している「他者」さえも、かつてのように明確な輪郭を持たなくなって、非常に不確かなものになって来ているのではないでしようか。ですから、「絶対他者」を前提とした上で議論するのではなくて、むしろそもそも「他者」とは何か、「他者」をどう捉えるか、やはりそこから議論していかなければならないのではないでしようか。

私自身の「他者」論は、今回出ました 『解体する言葉と世界』 の中の、「他者への隘路」という論文とも言えないような雑文で、『法華経』 を手がかりとして少し論じてみました。私は、「他者」の問題は菩薩論において出てくるのではないかと思います。原始仏教の縁起論からは必ずしも他者論は出てこない。袴谷さんの言われるように、縁起論の必然的展開として他者論が出てくるとは、私には思えない。菩薩には利他ということが言われていて、そこではじめて「他者」が中心的な問題となってきます。私に言わせれば、そんな人のためにやるなんて、正直言ってあまりピンと来ない。人のためにするよりも、自分のことをまずやりたい。「人のため」なんて言う人ほど胡散臭いし、信用出来ないと思っています。

にもかかわらず、自分というものを考える時に、常に自分は他者との関わりの中に置かれている。それが菩薩の利他論の存在論的な意味であると思います。利他というのは実践論の立場ですが、利他が言われるためには、自己が他者と関わっていなければならない。その前提がなければ、利他は成り立ちません。他者は、自己の存立にとって必然的な要因です。そのことがはじめて菩薩論において主張されてくる。それ以前の初期仏教の実践は、必ずしも他者と関わらなくても、一人だけでも実践できるのです。しかし、菩薩はそうはいかない  このことが、他者を考えていく場合の出発点になるのではないかと、私は思うのです。

では、「他者」というのはどういう性質を持つのかというと、一方では「他者」は「私」と対立する存在である以上、「私」とは異なる存在である。当然のことですが、「私」と同一化できない存在です。「私」とは異質のものとして現れます。しかしもう一方で、「他者」が全く「私」と異質のものであったら、「他者」を理解することが出来ない。「他者」を理解できる、お互いの理解が生じるということは、そこにお互いに共通する何かが想定されているのではないか。そういう二面があると思うのです。

ですから、仏性をどう理解したらいいかと言えば、まさに相互了解性の原理として考えることができるだろうと思います。そう考えれば、仏性という考えが出てこなければならない必然性が分かります。にもかかわらず、全てが同質性の面だけで捉えられたら、全てが同じ存在になってしまう。そうなると、 仏性、あるいは如来蔵思想は、法身の普遍性の問題に解体していきます。そうすると、今度は「自己」に対する異質なる「他者」が出てこなくなってしまう。

ですから、仏性はつねに不安定であり、自己否定的な思想です。一方では、同質性の原理として立てられると同時に、他方では、完全に同質化しえないものとして、つねに否定されていく。仏性は、そういう矛盾と自己否定を持っていると思います。だからこそ、禅の思想の中で、仏性が言われるのと同時に、常に無仏性が言われなければならない必然があります。そう考えてゆくことにより、仏生という考え方をもう一つ深めて捉えることができるのではないかと思います。

こう見ていくと、「絶対他者」は果たして可能かということが問題になります。「絶対他者」 と言うと、「私」には全く了解不可能な存在になってしまいます。しかし、十界互具の考え方でも知られるように、たとえ仏であっても、やはり凡夫と共通しうる要素がなければおかしいと思います。そうであれば、どうも私には一切自己との相互了解性を断絶した「絶対他者」というものは、考えにくいのではないかと思うのです。

三、倫理の可能性

こうして、「他者」という問題がある程度考えられるようになると、次の問題は、そこから倫理が可能になるかということです。袴谷さんやジョアキンさんは他力主義を唱えられるのですが、ところが他力主義というのは、私にはじつは非常に疑問があるのです。他力主義というのは、要するに仏に全てを任せるということですが、仏に全てを任せたら自分の行為の責任は誰がとってくれるのか、仏がとってくれるのか。そんな馬鹿なことはないと思います。やはり選ぶのは自分、あらゆる行為を行うのは自分であり、その責任はやはり自分がとらなければならないと思うのです。そういう意味でいえば他力というのはおかしい。あくまで自分の主体、自分の行為でなければならないと思います。

じつはここで非常に面白いのは、ジョアキンさんの本の中で、しばしば法然の選択ということが言われていますが、ジョアキンさんは意図的にそれを読み替えています。法然の『選択集』においては、全て選択の主体は仏です。凡夫が選択の主体になるということは一切ありません。このことは、以前私は論文に書きました (「慈悲と選択」『 日本仏教思想史論考』所収)。ところがジョアキンさんは、選択を全て凡夫の側のこととして読んでおられる。つまり人間の側が選択するという形で読み替えています。ですから、ジョアキンさんの立場は、実は他力ではなくて自力、それを自力と呼んでいいかどうか分からないのですが、少なくとも主体性の立場と取らないとやはり理解できないと思います。ただ、ジョアキンさんがその読み替えについて、著書の中で一言も断っていないのは問題だと思います。

ではそうであれば、他力はどこで出てくるのか、他力は否定されるのかと言うと、そうではありません。他力は常に自力を推し進めていく中で、その自力のいわばぎりぎりのところで、自力が突き当たる、そして自力が崩壊していく、そこに出てくるものだと思います。そのことは親鸞が三願転入の論理で最も明確に論じています。親鸞は、ある時点で他力に転換してそれ以後は自力でなくなるとは、決して言っていません。他力への転換を「いま」という言い方で表現している。つまり、常に「いま」他力への転換というのが行われていくのです。一瞬一瞬自分の主体的な活動がなされていく、その中でその主体性がぶち当たって、 そこで出てくるのが他力です。親鸞の三願転入はそう読むべきであり、自力と他力の関係はそう見ていくべきであると思います。ですから、自力を否定した他力主義というのは、自己の行為主体性を否定し、自己責任を回避する危険な考え方であると思います。

それと関係しまして、しばしば仏教者には、経典を根拠にし、あるいは祖師の言葉を根拠にして、経典の中でこう言っているからこういう行為をするのだ、あるいは親鸞がこう言っている、道元がこう言っているからこういうふうに言い、行為をするのだ、という論理が見られますが、それも私はすごく疑問に思います。それはいわば責任転嫁だと思います。ある行為をする、ある行為を欲するのは、やはり自分です。もし経典や祖師の言葉に絶対的根拠があるとすれば、ある行為の責任は、経典や仏陀や祖師が取ってくれることになる。自分は単に機械的仏陀が言ったことをするだけだ、ということになってしまいます。そんな馬鹿なことはありません。その言葉を読み解いていく自己の主体性、そして自己責任というものは、徹底的に自分に戻ってくるものではないかと思います。

では、そう考えていった場合、そこから今度はどう社会倫理へ展開していくかというと、 じつはそのへんが難しいところで、私自身まだ今のところ、そこへ結びついていく道筋がよく見えていません。先ほど申しましたように、他者に対する倫理的な必然性は、例えば菩薩の持っ利他性のようなところへ求められ、そこを手引きにして考えていくということもできるのではないかと思います。しかしその場合でも、他者の利益を求め、その判断をなし、その行為をなすのは、やはり自分の責任になります。経典でこうしなさいと言っているからこうしますと言うのは、言い逃れになるのではないかと思います。その過程でつねにそれを「私」というもので押さえ、責任をとる主体としての「私」を考えていかなければならないのではないか。それがいわば倫理というものを考えていくひとつの原点になるのではないかと思います。

もちろん、だからといって経典が無意味になることでは全然ありません。自分の問題を投げ込んで経典や祖師の言葉を解釈して、そこから何か引き出してくることは可能ですし、重要なことだと思います。しかし、そこに絶対的な根拠があるわけではありません。つねにそういう形で問われていくものとして経典や祖師の言葉があるのであって、問いかけていく私というのは、いわばそれが自力とすれば、仏の言葉、祖師の言葉はそれに応える他力と言ってよいものでしよう。それは常に自力、自己責任による問いかけがあって始めて応答してくる、そういう性質のものではないかと思います。

いささか時間を超過してしまいましたし、また最後のあたりの問題は、私自身いわば今考えている過程の問題でありまして、十分まとまりませんでした。みなさんからのご批判を頂くことを希望しております。どうもありがとうございました。

 

司会 吉津宜英先生

どうも末木先生ありがとうございました。今日のは、なかなか刺激的なご発表でございましたから、たくさんご質問があろうかと思うのですが、じつはここで先生が取り上げられました、当事者の方がお二人おられます。そのお二人の方に、またこれは時間で本当に申し訳ないのですが、先生のお話の中で先生が批判に対して批判され返しました、そこのポイントのあたりを絞ってですね、それぞれご質問していただけたらというので、一応お二人の方に、本当は手を上げて頂くのは、本当は質問は自由で宜しいのでございますが、これは司会の独断で、これに対してご批判がありましたら、今日は批判と言うことがテーマでございますから、批判は甘受いたしますけれども、それでは私はこの中に取り上げられました順序でご了解いただけますでしようか。それではまず、松本先生お願いいたします。

質問 松本史朗先生

袴谷先生がいらっしやらないのでしようか?ということで、ちょっとお話ししたいと思います。私は大変に、こういう言葉は末木先生はお嫌いかも知れませんが、私は非常に素晴らしい御講演だったというふうにお聴きしました。 まず第一に 「批判仏教の問題提起を受けて」と書かれていまして、いろいろな従来の仏教理解に対する批判、そして特に末木先生の説に対する批判というものに明確に答えられる、というそういう姿勢というのは、私は全く日本の仏教学界では少ないと思っておりまして、まずその極めて学問的な姿勢というものに敬意を表したい、と思います。

「批判仏教」という言葉で、袴谷先生と私とモンティロさんの説について言及されてわけですが、私に関して言いますと、「批判仏教」というふうに言われてもどうもあまりhapp yではないんですね。私自身が「批判仏教」という言葉を提唱したことはありませんし、ちょっとこれからお話しますけれども、袴谷先生の理解、それから関連して平先生の理解については非常に批判的な考えを持っています。ですからその面でも非常に先生のお考えと私の考えていますことは一致する面が多いというふうに思います。特に袴谷先生のご本について問題にされまして、私もじつは今年の暮れ、あるいは来年の始めにですね出ます仏教学部の論集に、この袴谷説批判と言いましようか、書評と、それから平先生のですね法然親鸞理解に対する批判の論文を書いているものですから、それで非常に一致する面があるかと思います。

まず一言申し上げますと、他力主義、自力主義という二項対立ということには私は全く賛成できないんですね。他力主義と自己責任ということ、先生が言われたことは私は全くその通りだと思っていますけれども。特に親鸞と『歎異抄』のその相違の問題ですね、これは非常に重要なことでして、造悪無碍というのをどういうふうに評価するか、ということと関わっておりまして、私はとてもその造悪無碍というのは評価できるものではないというふうに考えています。『歎異抄』をストレートに理解いたしますと、そこから造悪無碍が出てきて、平説ではそれを肯定するわけなんですが、そういう考え方は非常にまずいんだろうと思っています。特に袴谷先生は、法然とそして善導を並べて他力主義だといわれますが、善導の『観経疏』には、自力という一言葉も他力という言葉も一回も現れて来ないわけです。これは鎮西の人々が指摘している通りです。ですから私は善導はですね、この自力、他力という曇鸞の言葉をあえて避けたんだろうというふうに見ているわけです。それから『選択本願念仏集』でもこの曇鸞の『論注』の引用で一回だけ出てくるだけですね。末木先生はその他力ということに関して、私よりも肯定的であるということは存じ上げています。つまり「選択集』だけでは法然の思想というのは捉えられないと。そういう意味で他力に関して全面否定ではないということだと思いますけれども、 私はその他力を強調する文章を含む法然の著書と言われますものは非常に疑わしいのではないか、というようにすら考えているわけです。

いろいと申し上げたいことはたくさんあるのですが、二項対立というようなことがありました。私はやはりテキストを正確に読むと言うことがなんと言っても重要なわけでして、その点で非常にですね、今日いらっしやらないということですが、袴谷先生の浄土教文献に対する読み方というのには疑問を持っております。ですからテキストをまず読んでその思想をどういうふうに考えるか、ということでは全く (末木) 先生が言われることと、私は一致しているのではないかというふうに思います。

それから具体的な点ですが、如来蔵思想と法然の関係ですね。末木先生は法然は仏性を前提にしていると言われましたが、私もその通りだというふうに思います。それから菩提心を否定してはいないということも、やはり言えるのではないかと思います。それから法然浄土教がですね、仏教として正統であるというのは、あまりにもこれは飛躍した議論であろうというふうに思います。山口先生の浄土教理解が正確かどうかということについて疑念を表明されましたけれども、私も全くそのように思っています。ただ浄土教の成り立ちから考えて、これをもって仏教の正統的な考えとするということはとてもできないだろうというふうに考えております。

それから一つだけ (末木) 先生の考え方と私が違うということを申し上げれば、本覚思想ということでして、私は今では本覚思想という言葉を厳密に定義することはできないだろうと思っているわけです。(末木) 先生は明恵は本覚思想を批判したんだというような見解を述べられた時にですね、それは修行無用論だと言われたわけですが、私はこの思想の理解の議論の時に、修行という話をしますと非常に理解するのが難しくなると思うのです。修行無用論を専ら自分で唱えたという人々は、余り多くないと思うのですね。ですから、修行無用論という観点で本覚思想を押さえられるかどうかというようなことは、これは先生ご専門ですから、テキストに基づいておっしやっていられることはよく分かりますが、それについては、私もさらに勉強したいというふうに思っています。

それから、時間がないので、私の「批判宗学」と言った事に対してご意見を戴いた事について一言申し上げたいと思いますが。一番始めに何故、道元の目指したものなのか、ということがありました。私自身としてはこれは、道元の思想というものを、絶対的なものというふうに捉えるべきではないという考えから言っているわけでして。ですから「正法眼蔵』後期の十二巻本に到っても、それをもって最高の仏教思想であるとか、最高の思想であるというふうに考えるのではなくて、道元が生涯の思想的な努力の、その目指したものを我々も目指すべきではないかというふうに考えただけのことでございます。

それから私が「批判宗学」 の提言ということをしたときに、教団論の視点が欠けているというご批判なんですが、それは確かにその通りだろうと思います。ただ現実の教団があってですね、現実の教団は葬式をしていて、ある場合には護摩を焚いていて、というところから話をしますと、やっぱりこれは道元はいったい何を説いたのかという、我々としては一番関心のある議論がですね、どうも否定されてしまうというかそういうことがあるものですから、先生のご批判全くその通りで、教団に対する具体的なヴィジョンなんていうものは私は有していないと、まさにその通りなんであるんですけれども。まず私たち、いや私が考えておりますことは、道元の思想をいかに捉えるかということなものですから、それについてだけ話をしたということになります。

それから先程も言いましたけれども、やはり一番最後で言われた「私」の問題ということは、全くその通りだと思います。つまり経典にこうあるから、ということを根拠にしてそれに従って生きるとか、あるいは言明する、というのはやはり責任を逃れることになるのではないかというふうに考えております。以上つまらないコメントでした。大変に私は有意義に共感をもって聞かせて戴きました。ありがとうございました。

司会 吉津宜英先生

御質問のようなコメントを頂いたように感じましたので、時間も押しておりますから、 末木先生何か一言ありましたら。

講師 末木文美士先生

ではひとつだけ。本覚思想の定義の問題ですが、おっしゃる通り私自身も非常に曖昧なところがあります。教義的に天台の中で発展する、いわゆる天台本覚思想と呼ばれているものは、ある程度定義ができるわけですが、それから周辺的な問題になった場合、どこまで本覚思想と呼べるのかというのは、私自身も非常に曖昧です。仰しやる通り、とくに修行無用論などを本覚思想と言っていいのかと言われると、確かにもう少し考え直すべきところがあると認めます。

八、 九章あたりの実践の問題を論じているあたりがどう組こまれてくるかというのは、確かに理解しにくし) ただ、法然がそこを中心として議論しているというよりは、その問題は法然以後の門下、それこそ親鸞などにおいて深められるもので、法然自身では必ずしも中心的な問題になっていなかったのではないか。少なくとも 『選択集』を中心として見た場合そうではないかと、私は考えております。

司会 吉津宜英先生

まだまだ質問往復を聴きたいほどなんでございますが、時間も大切な面でございます。 これをもちまして末木文美士先生のご講演を終了いたします。どうもありがとうございました。

 

(付記) この講演は一九九八年一〇月二六日に行なわれた。その後、一年を経て、その間に関連する論文や書評がいくつか現われた。

前川健一「『法然明恵ー日本仏教思想史序説』」 (『仏教文化』三八、一九九八)

松本史朗「袴谷憲昭『法然明恵 日本仏教思想史序説』」 (『駒澤大学佛教學部論集』二九、一九九八)

同「選択本願念仏説と悪人正因説」 (同)

袴谷憲昭「法然親鸞研究の未来ー松本史朗博士の批判に対する自叙伝的返答」 (『駒澤短期大學佛教論集』五、一九九九)

これらを踏まえて私見を述べるべきであろうが、いまはその余裕がないので、 お許し頂きたい。

なお、平氏の批判に対する私見は、 「鎌倉仏教研究をめぐってー平雅行氏に再度答える」 (平井俊栄博士古稀記念論文集『三論教学と仏教諸思想』 (春秋社、一一〇〇〇予定) に述べた。

 

駒澤大學佛敎學部論集第三十號 平成十一年十月」よりダウンロードしたpdf論文を

ワード化し掲載するものである。(タイ国にて2022、二谷 記す)