正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

禅仏教における意味と無意味     井筒俊彦

禅仏教における意味と無意味

                   井筒俊彦

一 禅的ナンセンス

 

 本章の主題は、禅における意味と有意味性の問題である。この主題と前章で議論した主題、つまり<自己>の基本構造とは、これから見るように、互いに密接であり不可分である。あるいは、言語と意味の問題は本質的に、<自己>の問題へと関連づけられ、究極的には還元されると言ってもいいだろう。事実、禅のどの側面を取り上げても、どの角度から接近しても、<自己>の問題へと究極的には引き戻されるに違いない。

 この基本的認識のもとに、禅が数多くの興味深い問題を引き起こす有意味性の議論へと直ちに入ろうと思う。想像できるように、問題は、あるきわめて特異な文脈の中で生じる。というのも、禅における言語は、非常に不自然な方法で用いられる傾向にあるからだ。禅の文脈においては、言葉はその自然な状態を留めない。それはしばしば、ほとんど無意味でナンセンスになるほどまでは歪められる。

 禅仏教における意味の問題は、それゆえ、かなりパラドキシカルな意味で興味深い。なぜなら、典型的な禅語のほとんどは、もし私たちが言語についての通常の理解の観点から見るなら、明らかに意味が欠けており、無意味であるからだ。言語は人同士のコミュニケーションを目的として存在している。それは言うまでもないことだ。この基本原則は、禅にも同様に適応される。禅の文脈で会話に加わっている二人の人を観察すると、彼らの間である種のコミュニケーションが行われているという印象を私たちは自然に得る。しかし同時に、非常に奇妙な事実、すなわち取り交わされる言葉が意味を形成せず、その言葉が私たちにはほとんど意味がないか無意味であるという事実が認められる。用いられる言葉が意味をなさないというのに、一体どうしてそこにコミュニケーションがあるというのだろうか。無意味な発言を通してコミュニケーションがなされる時、それはどのような類のコミュニケーションになるのだろうか。これこそ、意味あるコミュニケーションの観点から禅に近づくや否や、まず私たちに立ちはだかる最も重要な問いである。

 

 問い全体の核心に焦点を合わせるため、振舞いの前言語的レベルにおける無意味なコミュニケーション、つまりジェスチャーを通じたコミュニケーションの典型的な一例から始めよう。禅仏教では、ジェスチャーが言語と同じ役割を実践的に果たすことに注目したい。ただし、言語の方が、はるかに複雑な構造を提示する。というのも、後で見るように、言語は、分節すなわちリアリティの意味的分節のような、非常に重要な要素を含んでいるからである。それはジェスチャーの使用とは性質を異にする。だが、中心的問題の所在に関する予備知識を得るには、その単純性と非複雑性のため、ジェスチャーはおそらく言語よりも適切である。

 これから例として取り上げるのは大変有名なものである。それは公案集『無門関』第三則に見出され、また別の有名な公案集『碧巌録』第十九則にも見られる。俱胝竪指として知られる説話である。

 その説話の主人公は俱胝、九世紀の禅師である。師は、禅について尋ねられるといつでもとにかく、一本指を立てるのが常だった。何も話さず一指を立てるのが、禅に関して尋ねられた時の、いかなる問いに対しても変わらぬ答えであった。「最高の絶対的な<真理>とは何か?」答えー黙って一本指を挙げる。「仏教の本質とは何か?」答えーまた全く同様に一本指を黙って挙げる。

 世間の一般的状況で、このような行為が意味をなさないことは明らかだろう。というのも、おそらく「お前の指はどこだ?」といった問いが発せられる場合を除いて、一本指を単に挙げただけでは、問われた問いへのふさわしい答えを全く形成しないからである。その答えは理解可能ではなく、そして、それが理解可能ではないがゆえに、答えではない。そして、答えではないがゆえに、それは無意味である。しかし、一方で、俱胝禅師の挙げた指には何らかの意味が隠されているに違いない。完全な無意味ではないはずだ、と止むことなく訴えかけるものを、錯綜する心の中で私たちは感じるのだ。それでは、俱胝禅師が、黙って一本指を挙げることでおそらく伝えようとした、その隠された意味とは何なのか。それこそが問題なのである。俱胝の一指禅の意味についてはあとで説明しよう。この段階では、問い全体の核心を把握するために、予備的方法で明らかにすべきことが他にも数多くある。

 ところで、この説話は、まだ終わっていない。それには大変重要な続きがある。俱胝禅師には、若い弟子、見習いの少年がおり、彼は師につき従い、内外で師の世話をしていた。この少年は、師の振舞いのパターンを見ていたため、師の不在時に禅について尋ねる人があるといつでも、自分も一本指を挙げ始めるようになった。最初、師はそれに気づかず、しばらくは万事順調だった。しかし、運命的な瞬間がついにやってきた。師は、少年が隠れて何をやっていたか耳にしたのだった。 

 ある日、師は袖に小刀を隠して、少年が自分のところに現れるよう呼びつけ、そして言った、「お前は仏性を理解したそうだな。それは本当か?」少年は答えた、「はい、そうです」。そこで、師は尋ねた、「仏陀とは何だ?」少年は、一本指をつき立てることで答えた。俱胝禅師は、突然、少年を捕まえ、小刀で少年が立てた指を切り落とした。痛みに泣き叫びながら少年が部屋を出て行く際、師は彼を呼んだ。少年は振り返った。その瞬間、閃光のような素早さで師の問いが投げられた。「仏陀とは何だ?」ほとんど条件反射的に、と言えるだろう、少年は指を挙げようと腕を持ち上げた。そこには指がなかった。少年は即刻、悟りに達したのだった。

 この説話はおそらく虚構に違いない。しかし、虚構であるにしろ実際の話であるにしろ、これは、とても興味深く重要な説話である。というのも、物語が高度な劇的緊張を背景にして語られているからではなく、むしろ、説話全体が、禅的体験と私たちが呼ぼうとしているものの見事な演出であるからだ。禅的体験は、少年が悟りに達した最後の重大な段階のみが単独で成り立っているわけではない。まさに始めから終わりまでの物語全体に禅の精神が息づいているのである。この物語の個々の出来事は、劇的な方法で、禅的意識の展開における特定の段階を表現している。しかし、さし当たって、この説話の真の内容の分析的な解明にさらに立ち入ることは控えよう。私たちの当面の関心は、この物語のより形式的な側面にある。

 重要なのは、この説話が禅的意識の展開の劇として興味深いのはただ真に禅的文脈においてのみだということである。換言すれば、この説話はすでに禅に慣れ親しんでいる者か他の宗教的伝統でそれに類似したものに慣れ親しんでいる者にとってのみ、意味を形成し、意味あるものであり、積極的な何かを教示しているということだ。そうでなければ、説話全体はおのずから、ものにどの展開の段階も本当には理解不可能なものだという意味において、無意味なものに留まる。まず、どうして俱胝禅師は、仏教に関するいかなる質問にも、指を突き立てたのだろうか。どうして、彼は、真似をした少年の指を切り落としたのだろうか。もはや存在しない指を立てようとしたことで、いかにして少年は悟りに達したのだろうか。禅の理論と実践との内的知識をもつ者以外に、理解できることは何もない。

 したがって、禅仏教徒にとって意味あるものは、部外者にとっては全く意味がないものである。さらにはこの説話の限定的な文脈においてさえも、一本指を挙げる行為は、師の場合には意味あるものであったが、一方、それが弟子の模倣として起こった際には、その同じ行為に意味がないと判断された。再び、弟子によって行われた一本指を挙げるという同じ行為は、それが無い指を上げるという形式でなされた瞬間には、突然、決定的な重要性を担い、意味あるものに転じた。これらの考察によって、禅は、言語的か非―言語的かにかかわらず、すべてのものについて意味あるものか意味ないものかを判断しうるような明確な基準をもっているに違いない、と考えられる。またさらに、それは全く独特な基準であって、一般的な状況において普通に適応される有意味の基準とは完全に異なっているため、禅の基準によってくだされる判断が、一般的な基準に適った判断とは全く正反対のもでありうるーまたそれは確かにしばしばそうなのだーに違いないと考えられる。

 実のところ、本章は「禅仏教における有意味性にとっての判断基準の問題」と題した方がよかったかもしれない。というのも、それが実際にここまで議論したい問題だからである。換言すれば、私たちにかかわってくる主要な問題は、禅における有意味性の判断基準なるものがあるのか否か、そしてもしあるのだとしたら、私たちがその判断基準の内的構造を知りうるような信頼できる方法があるのかどうか、ということなのである。

 

二 有意味か無意味か?

 

 有意味性は、明らかに、現代の知識人にとって最も関心のある問題である。哲学の分野では、イギリス経験論およびアメリ実証主義、そして意味の問題に対する彼らの並外れた強調の結果として、私たちが語ることの有意味性(と無意味性)の概念は、主要な知的問題の一つとなった。

 非哲学的な普通の状況においてでさえ、私たちはしばしば、「意味を作ることmaking  sense〔意味をなすこと、意味を了解すること〕」の重要性に気づかされる。私たちはよく「それは意味あることだIt makes sense」、「それは意味をなさないIt makes no sense」などと言っている自分自身に気づく。そしてその種の判断は、肯定か否定か、という価値づけを常に伴う。あるいはそれそのものが一つの価値判断である。意味を作り出さないことは、無意味なことを話しているということ、不条理で馬鹿げたことを言っているということに他ならない。無意味なことを語るということは、恥ずべきことだと感じられる。そのため私たちは、自然に、無意味なことを話すのを避けるよう努める。

 いかにして無意味な話、あるいは無意味な思考に陥らずに済むかを教えるための一般的な書籍が、近年数多く書かれてきた。いくつか例を挙げると、一般意味論の学者、アーヴィング・J・リ―は「人が話し合う時に起こるトラブルを避けるためのプログラム」という重要な副題を付して、『人々とどのように話すか』と題する著作を著した。ライオネル・ルビー教授のより真面目な類の著作は『意味を作り出す技術』と題され、「論理的思考のためのガイド」というのが副題であった。これらとその類の著作は、無意味の陥穽についてきわめて細部にわたって分析しており、「ストレートな」思考と呼ばれるものへと読者を導こうとする。あるいは別の表現をすれば、これらの著作の著者は、私たちがいかに有意味に言語を使用できるかということに関心を払っている。意味を作り出すことは、今や、一つの技術である。現代の生活において、それは欠くことができないと見なされる特別なテクニックなのである。

 大変興味深いことに、そのような観点から見ると、ほとんどすべての禅語は、全くのナンセンスに分類される。すなわち、禅語は、それらの本の中で提唱されている有意味性のための判断基準を、ほとんど多くの場合、満足させるものではないのだ。さらに注目すべきことは、有意味性のための一般的な判断基準を十分満足させる一般的な言葉と叙述は、禅の観点からすると十分意味のないものでありえるし、ナンセンスですらありえるものだということである。いわゆる「ストレート」な思考といわれる「意味ある」話とは、禅の観点から見ると「歪んだもの」であり、意味のないものであると判断されうる。というのも、それらは、禅が事物のリアリティと見なすものを歪め、変形させる傾向にあるからだ。禅語の一例を挙げよう。

 

  空手にして鋤頭(すきぐわ)を把(と)り

  歩行にして水牛に騎(の)る

  人は橋上を過(わた)り

  橋は流れて水は流れず

   (空の手で、私は手に鋤を持ち、

    私は足で歩いている、しかし水牛の背に私は乗っている、

    私が橋を越えるとき

    水は流れず、流れているのは橋である。)

 

 誰でも分かるように、この言説は全体が紛れもない矛盾によって成り立っているのだが、これは禅においてはよい意味を作り出す。禅の文脈においてはとりわけ、「私の手は空であり、私は手に鋤を持っている。私は足で歩き、私は水牛の背に乗っている。水はじっと留まっているが、橋は流れている」という言い方の方が、「私の手は空ではない。なぜなら、私は鋤を手に持っているからだ。私は足で歩いている。したがって、私は水牛の背に乗ってはいない。川は流れ、橋はじっと留まっている」という言い方よりも、いっそうよい意味を作り出す。いかにして、何に基づいて、この類のナンセンスな言い方が、禅においてはよい意味を作り出すと言えるのだろうか。

 この難問に答える前に、ここに、もう一つまた別の性質の禅的ナンセンスの例を挙げてみよう。それは、前に言及した『無門関』の第十八則に記録されているきわめて短い公案である。それは次のように記されている。

 

   ある僧が禅師に問うた、「仏陀とは何でしょうか?」

   洞山は答えた、「三斤(さんぎん)の麻(あさ)だ」。

 

 洞山(守初)(910―990)は、十世紀の高名な禅師雲門(864―949)の弟子で、洞山自身も傑出した禅師である。ある日、彼は麻の重さを量っていた。その瞬間に、ある僧が彼のところへやってきて、突然、問いを言い放った、「仏陀とは何か?」 この問いは、西洋世界では「神とは何か?」あるいは「絶対的なリアリティとは何か?」と言うのに等しいような問いである。即刻、洞山は答えた、「三斤の麻!」 このタイプの例が、禅の記録には多い。さらにもう一例を挙げると、洞山の師である雲門は、ある僧にそっくり同じ問いをかけられた際に、「乾いた屎(くそ)べら!」という言葉で答えた。

 

   ある時、雲門にある僧が尋ねた、「仏陀とは何でしょうか?」

   門は答えた、「乾いた屎(くそ)べら!」

 

 これですべてだ。門外漢にとって、これらの短い対話は、全くのナンセンス以外の何ものでもないだろう。しかし、少なくとも、これら二つの禅の対話の例の根底にある、確かな規則の存在に気づかれるかもしれない。<絶対者>に関する形而上学的な問いへの答えとして、洞山も雲門も共に、対話者の鼻先に、具体的なものをただ突き出したのだ。洞山の場合には「三斤の麻」、そして雲門の場合には、乾いた、つまり使い物にならない「屎べら」という言語形式で、洞山は、たぶん、その形而上学的な問いを問われた際、麻を計っている最中だただろう。彼は、たまたま手中にある最も具体的なものによって、その場で即座に答えたのだ。

 禅は、最も具体的なものを好む。これが禅の特徴の一つである。その例は、古い禅の記録から際限なく取り出せる。有意味性の問題という点においては、現代の実証主義哲学者たちが、検証の原則がおのずから想起されるかもしれない。検証可能性は、彼らにとって、有意味性の究極の判断基準である。ただ経験によって検証されうるものだけが、リアルとして受容可能なものである。したがって、言葉や叙述に意味があるのは。ただ、指示された対象あるいは出来事の現前を検証する感覚的認識の可能性がある場合のみである。「神」あるいは「絶対者」は、無意味なものと見なされる言葉の典型である。なぜなら、そのような存在者の実在を検証するような感覚認識の可能性がないからである。

 それに対して、具体的なものをとりわけ好むことが明らかな禅は、実証主義者によって確立された検証の規則に適った振舞いをしているかに見える。禅は大胆にも、禅の学人に「仏を殺す」こと、簡潔に言えば、神を殺すことを命じる。神や絶対者について話す代わりに、禅師は、「三斤の麻」「屎べら」「寺の庭の柏の木」などといったものについて語る。これらの語句は、有意味性に対する実証主義的価値判断によるなら、完全に意味あるものだ。なぜなら、それらは、検証可能だからであり、とりわけ、それらは、感覚的な対象の現前において常に言い表されるものだからである。

 だがしかし、私たちがそれらの語句をもとの文脈に置くや否や、それらの語句は完全に意味がなく、ナンセンスなものになる。すなわち、それらの表現のどれも、対話全体の構成部分として意味を作ることがないのだ。「西から(つまり、インドから中国に)菩提達磨がきたことの本当の意義は何でしょう?」ある僧が尋ねた(A)。趙州(778―897)は答えた、「寺の庭の柏の木」(B)対話はナンセンスである。なぜなら、明らかに問いを立てた僧と答える師との間には何のコミュニケーションもありえないからだ。AとBとの間には何ら理に適った繋がりがないからである。

 

    三 禅的文脈における発話と言語

 

 その歴史的発展の中で、禅は膨大な文書記録を作り出してきた。その最初期の形式は「語録」、すなわち偉大な師たちの言葉の集大成とsて知られているものが代表的である。語録は、八世紀と九世紀に顕著に流行し始めたものである。その時代まで優勢であった、仏陀自身の口へと主要なすべての教えが帰せられている大乗経典とは異なり、語録は、禅師個人が言ったことと、その振舞いの全記録であった。さらに、一つの語録は、伝記形式で禅師の生涯の継続的で、筋の通った記述を提示することを目指すものではない。それは、日常的環境において禅師の語った事と行った事との断片的な記録の連なりにすぎない。

 語録の中核は、問答によって構成されており、その各々は、師と弟子ないし訪問僧との間の、全く具体的な状況において行われる個人的対話である。大方の場合、一つの問いと一つの答えで成り立っているというのが、問答の典型である。それゆえ、対話はほとんどが極めて簡潔で短いものである。それはリアルな言葉の戦いだ。そして、その戦いは、日本の剣道の達人同士の真剣勝負のように、ほとんど瞬時に終わる。そこにはディアレクティケーdialektike(対話・注)のための余地はない。禅の対話は、与えられたテーマの論理的発展と知的な練り上げとのほぼ限界に至るまで、際限なく続きうるプラトン的対話のように長く続くことはない。

 禅の対話は、むしろ精神的緊張の極点での、そして日常の具体的かつ唯一の状況で、二人の生きた人間の間で交わされる言葉の瞬時的閃光の内においての、究極的で永遠的な真理の把握を目的としているのだ。その瞬間的な対話は、その結果、部外者には全くのナンセンスと映るようなものを生じさせるだろう。が、それで構わない。二人の参加者の視点では、戦いは行われたのだ。永遠的な真理は、、ちらと現れたかもしれないし、現れなかったかもしれない。が、それで構わない。真理は瞬間に閃光を放つのだ。

 禅的対話の本質は、非日常的な、あるいはショッキングと言えるような形態において露顕する。それは中国式の典型的な思考であり、二度と反復しないリアルで具体的な状況下での永遠的真理の即刻即座の把握を目指すものである。この中国式の思考の特徴は、たとえ『論語』のような緊張のはるかに少ない形態でも、見出される。それは、知性と理性による抽象的で論理的なレベルで展開する思考形態とは、本質的に異なる思考様式である。逆にそれは、何らかの具体的な出来事ないし具体的なもんおが引き起こす、具体的な日常の只中で展開される独特な思考様式である。この中国の典型的な思考形態は、かつて、禅仏教の興隆に先立つ大乗仏教の影響のもとに、中国で展開された思考の論理的な論証方法によって圧倒された。それが、禅によって唐から宋へと続く期間に、再び日常の中に戻ってきたのである。語録の中に私たちが見出す代表的な対話は、禅の学人の教育と訓練の効果的な手段としての公案形式で、10世紀から十三世紀までの宋代に編纂されたものである。

 禅特有のやり方で用いられる言葉はすべて、限定的状況において発せられたものであるという事が理解されただろう。そのため、問答の中には、これまで見てきたように、通常の言語の独特な歪みあるいは変形がある。禅は、言葉を遠ざけたり、嫌悪したりしない。ただ、言語が、乱雑ではなしに、きわめて独自の方法で用いられる事を要求するだけなのである。それは「<リアリティ>の初源的次元」と呼びうる特異な根源から言葉が現れることを要求する。この<リアリティ>の次元構造については、後に分析する。この点に関して、差し当たってここでは、禅にとって決定的重要性を持つものが、言葉の発せられる根源であるという事を指摘する事で満足しておこう。意識の通常レベルに起源と基礎とを持つ言語の類は、禅にとって意味のないものである。完全な沈黙の方が、意味のない話しよりも遥かにいいのだ。有名な禅の標語「不立文字」は、言語に対する禅的態度の、この側面を指し示している。

 『構造人類学』のある箇所で、レビィ=ストロース氏は言語の使用に対する二つの異なる態度に言及しており、文化パターンという術語で両者を区別している。彼は言う、「私たち〔つまりヨーロッパ文化〕の中では、言語は、むしろ無謀な方法で用いられている。私たちはいつでも語り、多くのものについて問いかける。これは、全くの普遍的状況というわけではない。むしろ、言語との関係において慎ましい(中略)文化がある。彼らは、見境なく言語が用いられるべきだとは信じていない。ただ、参照とある種の倹約に特化された枠組みにおいてのみ用いられるべきだと信じている」。

 レビィ=ストロース氏がこれを書いた際に、東洋文化について考えていたかどうかは私にはわからない。いずれにしても、彼の提示した二つの文化パターンの二番目の記述は、禅の言語観に適応できるものである。

 

 「禅」という語は、坐禅の修行、すなわち瞑想状態で脚を交差させた坐り方の修行を想起させる。ざの状態では、声に出すことはもちろんの事、内的な、あるいは心の発話であっても、言語は機能を停止すべきものである。言語は心の集中の方法においては、単なる妨害にすぎない。言語は完全に取り除かれるべきものである。しかし、一旦瞑想状態から出ると、乱雑でないものは勿論のこと、さらには非常に特別な参照の枠組みの中で言語を用いるため、禅の学人は師から「何か言え、何か言え」と要求される。事実、ある意味において、禅仏教ほど、話すこと、語ることに大きな重要性を置く現存の宗教はない。師は止むことなく、学人に口を開いて何か言うことを促す。彼は命ずる、「何か一句を」、つまり決定的な一句を、と。学人が何か言うのを求めることは、禅の教育プロセスで絶対に必要な一部である。というのも、学人が口を開いて「決定的な一句をもたらす」瞬間、精神的な熟達の正確な程度が、師の目前に露顕されるからである。

 だが、注意すべきは、ここで学人が求められた言語的振舞いは、きわめて特殊な性質のものだということだ。それは、通常のやり方でも、沈黙を続けることでも成り立たない。要求されているのは、話すことと話さないことの次元からは、完全に異なった意識の次元から言葉が迸りでることなのだ。

 松源(崇嶽)(1132―1202)禅師の有名な「三つのキー・フレーズ」〔「三転語」〕の一つは、「話すことは、舌の動きの問題ではない」であった。また別の有名な禅師、百丈(懐海)(749―814)は、弟子たちに一度「喉と唇と口が奪われている状態で話すことは、お前たちにできるか」と尋ねたと言われている。彼はここで、弟子に、喉と唇と口を用いずに何か言うことを要求している。本当の禅の文脈において理解される言語は、発話器官が実際には活動しているにも拘らず、それが使われていないかのように、非活動に留まるような状態での発話行為に在るのだということを、この一見不条理な要求は、ただ率直に指し示しているのである。

 この点を理解するためには、大乗仏教の一派として、禅がー少なくとも、理論家の初期段階ではー<リアリティ>の二つの段階の基礎的な区別を是認している、ということを思い起こさなければならない。一つはサンスクリットのパラマールタ・サティヤparamartha-satyaに対応する「神聖なな真理(聖諦)」と呼ばれるものである。もう一つは、サンヴリティ・サティヤsamvrti-satyaに対応する「慣習的あるいは世俗的な真理(俗諦)」である。禅仏教では「第一真理〔第一義諦〕とも呼ばれる前者は、悟りの実体験を通じてのみ人に現れる<リアリティ>のきわめて特殊な観点を示す。その<リアリティ>の初源的段階の内的構造は、後で解明されることになるだろう。「第二真理〔第二義諦〕とも呼ばれる「慣習的な真理」は、逆に、普通の人の眼に現れるものとしての<リアリティ>の通常の感覚的観点を示している。

 「話」「話すこと」「言語」「対話」といった語によって、私たちが通常理解している言葉の一般的なやりとりは、禅の観点からすると、「第二義諦」に属するものであり、一方、禅の文脈においてそれらの語で理解されるものは、「第一義諦」に属している。言葉が<リアリティ>のこの後者の次元において発せられたり、やりとりされる際には、その言葉は、とても奇妙で、非日常的な状況を生じさせる。

の基本的構造は、この次元ではもはや観察不可能である。というのも、ここでは、話者と聴者との間の区別がないからである。実際に見られるものは、どこからともなく流れ出て閃光のごとく宙に光り、そして直ちに、永遠の闇に消え失せるような言葉の光景である。話は確かに生じる。しかし、それは、話者と聴者の実存がその意義を完全に失うような空虚な、場所において生じる話なのである。そこには話者も聴者もいないのだから、話す行為は、無話である。それは、語の本来の意味でのパロールを構成しないのだ。

  • 禅の文脈におけるもう一つの話の特徴は、言語が、そも最も基本的な機能、すなわち

リアリティの意味分節を奪われているということである。もちろん、言葉は実際に用いられているのだから、意味分節は依然としてはっきりしており、否定し難くそこにあるーとりわけ、<リアリティ>の初源的段階を、禅がどのように考えているかを全くわからない人の眼で眺める際には。しかし、禅の観点から見ると、意味分節は、透明で透過的な、柔軟で妨げのないものとなり、ほとんどそれが実在していないような段階にまで達する。禅語が門外漢にとって完全に無意味に見えるー例えば、川はじっと留まり、その一方で橋は流れていると断言するような、上に引用した公案のようにー理由の一つは、禅の文脈において言葉が発せられる際に、意味分節機能が蒙るこの特異な変形を正確に理解していないことにある。この点についてもう少し説明を加えよう。

例えば、私たちが「テーブル」と言えば、その言葉はおのずから分節のための通常の機能

を働かせる。つまり、その言葉が、リアリティの一部分を切り出して、他の一切と区別しながら、その名前で呼ばれる特定の物として、それを私たちの心の中に提示する。「テーブル」が「テーブル」であるのは、まさにそれが他の非テーブルとは異なるからである。そして、ある特定の実際の文脈において言葉が発せられると、その言葉は具体的にそこに実在している特定のテーブルを指し示すこととなる。同じことは、禅の観点からも言える。そこまでならば、禅はまだ<リアリティ>の二次的・世俗的次元にある。しかし、先に述べたように、禅の文脈における意味分節は、無限に柔軟である。リアリティの分節された光景は、そこでは透過的で、何の抵抗も示さない。つまり、分節の産物は、私たちの見方を妨害することはない。それは、私たちの見方をその観点に固定することを強いたりはしない。例えば、分節の産物である「テーブル」は、禅の文脈においては、日常的な会話の中でのような、堅固な意味的塊として出しゃばったりはしない。むしろ、テーブル自身を透明にするため、テーブルの形態が発現した元の根源に、私たちの視点が直接向かうことを許す。「テーブル」という分節された形態を通じて、<リアリティ>の初源的段階は、その根源的な非分節的状態で、それ自身を露わにするのである。この状況は大乗仏教においては、タタターtathata〔如性〕で、あるいは<ありのまま>ものを見る、と通常言われるものだ。注意しておきたいのは、テーブルという言葉が、<彼方の何か>を象徴的に示唆するものとして、機能しているのではないという事である。むしろ、「テーブル」はその言語形態において、それ自身が<リアリティ>の初源的段階の最も直接的な現前なのである。

  • 禅における言語使用の第三の特徴としては、禅の文脈で、ある言明の形をもって話さ

れた如何なる内容も、独立した意味的(ないし表象的)存在者を構成しないという事を指摘しよう。これは今説明した第二の特徴の直接的な帰結にすぎない。

<リアリティ>の二次的・慣習的次元において、「テーブルは四角い」、「空は青い」と言う

とき、その言明は、沈黙を背景にして突き出した、ある種の意味的存在者を聴者の心の中に作り出す。それとは逆に、<リアリティ>の一次的次元においては、そのような独立した心的単位は何も作り出されない。というのも、言明が発せられるや否や、それは<リアリティ>の初源的次元の全面的で全体的な現前なのである。「空は青い」という言明は、<自然>の客観的描写ではない。話者の心理状態の主観的表現でもない。それは、絶対的<リアリティ>そのものの瞬間的な自己現前なのである。同様に、またその言明は何も意味することはない。それはそれ自身以外の何ものも指示したり指摘したりはしないのである。

 洞山(良价)禅師(807―869)は、より詩的に、「宝鏡三昧」という名高い禅詩において、この出来事の状態を次のように表現している。

 

   銀盌に雪を盛り、

   明月に鷺を蔵(かく)す、

   類して斉(ひと)しからず、

   混りて則ち処(ところ)を知る。

    (銀盌に雪は積り、

     白鷺は、満月の明かりに隠れている

     二つは似たもの、だが、同じではなく

     融即するが、しかし互いに自身の場所がある。)

 

 「銀盌」は、初源的・無分節的<リアリティ>を象徴し、一方、雪は分節された<リアリティ>の一片を象徴している。「満月の明かり」と「白鷺」も同様である。「二つは同じ」とは、すなわち、同じ色である。その二つのものは、互いを明確に区別することはない。しかし、それらは同じものではない。つまり、「雪」は「雪」として存在し、「鳥」は「鳥」として存在している。

 禅が理解する絶対的<リアリティ>あるいは<リアリティ>の初源的段階は、本当の名前を持ってはいない。絶対性においてそれを言語的に提示することは不可能なのである。しかし、禅師が極度の精神的緊張の瞬間において「空は青い」と言えば、名づけられない<リアリティ>は、名づけられたものとなり、その特別な形態において現前するようになる。無時間的な<リアリティ>は、ある時空間において一瞬輝き、閃光を発するのだ。「青い空」という分節形態において現れる限り、それは区別可能なものである。それは他のあらゆる言明によって表現されるものと同様、根源的無分節から区別される。しかしながら、無分節的<リアリティ>の直接無媒介的で、むき出しの現前である限りにおいて、それは無分節的<リアリティ>と区別されるべきものではない。

 洞山の法嗣、十世紀の禅師巴陵(生没年不詳)は、「デーヴァ派いかなるものか」と訊かれて、「銀のお椀に盛られた雪」と答えた。デーヴァDevaは、ナーガルジュナNagarjuna〔龍樹〕(150―250頃)の弟子、カーナ=デーヴァKana-Devaを示す。カーナ=デーヴァは、その哲学的才能で注目された。「デーヴァ派」とは、したがってナーガルジュナの中道の立場を特徴づける<無>(シューンヤタsunyataka〔空〕の哲学を示している。それゆえ、この説話が示しているのは、無分節的<リアリティ>とその分節形態との関係についての、この独特な見解こそ、まさに大乗哲学の中核を成すものだということである。

 

   四 大乗仏教における意味の存在論

 

 ところで、言語への禅的アプローチには大乗仏教のマーディヤミカmadhyamika〔中観派〕の歴史的背景があるという事に注意を促すという意味で、右に述べた説話は興味深いものである。だが、禅の言語哲学は、ヴァスバンドゥ〔世親〕(400―480頃)にまで遡るヴィジュニャプティ・マートラタvijnapti-matrata<観念作用のみ>学派〔唯識派〕にも関係があるということを、記しておかなければならない。

 インド哲学一般の歴史において、言語に関する大乗哲学は、ヴァイシェーシカVaisesika〔勝論〕学派とニヤーヤNyaya〔正理〕学派が支持する意味理論とは正反対の立場をとっている。後者の理論を特徴づけるのは、語とは外界に実在する何ものかの象徴であるという観点である。それぞれの単語には、本当に実在する何かが対応している。単語がある限り、対応するこの世の客体の実在が認められる。逆に、この世で知り得るものは何れも、名づけられるものである。この観点は、ヴァイシェーシカ学派においてあまりに支配的であった為、その存在論において「実在」はパダールタpadartha〔句義〕、すなわち語の意味、あるいは語によって意味されるもの、と呼ばれた。

 したがって、この学派の思想においては、例えば「牛」という語があるという事実そのものが、それ自体で、外界に、その名で指し示される特定の実体が存在するということの、明確な証拠なのである。さらには、私たちは、その実態について、「その牛は白い」、「その牛は歩く」等々と言って、さまざまな特性を叙述するのだから、「白さ」「歩行」等々といった特性が現実世界に実在しているのも確かな事だと考えられる。また、「牛」という語が、普遍的にさまざまな様態の牛(例、歩く、走る、休む)に適用されるのだから、普遍者としての牛も、実際に実在していなければならない。普遍的な牛を馬、羊、犬等々といった他の動物の種から、区別する様々な特性も同様である。

 ヴァイシェーシカ存在論は顕著な原子論であり、すべての実在物は究極的には原子に還元され得ると考えられている(パラマーヌparamanu〔極微〕とは、極度に細かい或いは小さい事を意味する)。原子は、それ自身眼には見えない基本的実体である。例えば、牛は、そのような原子の集合体という複合的実体である。複合的実体は可視的な体である。それは、新たな独立した存在者であって、ちょうど、糸で作られている一着の服がそれ自身、糸とは異なる実体であるのと同様に、その構成部分である原子とは区別される。

 中観派唯識派は共に、言語とリアリティとの関係に関するそのような見解に、根本的に反対の立場をとる。仏教の主張では、言語はなんら存在論的意義を持たない。ある単語は、<リアリティ>の一部とは対応していない。言葉は、日常生活の便宜のために確立された記号にすぎないのだ。言葉は、<リアリティ>構造になんら関与しない。ヴァイシェーシカ派は、「ポット」や「テーブル」といった言葉に対し、外界における本当の客体・実体が対応

しているという立場をとる。仏教に従えば、これは二次的、すなわち世俗的な<リアリティ>の段階に固有の見解にすぎない。普通の人々は常にこのやり方で考え、そして、生活と言動の計画全体は、この基礎の上に形成されている。しかしながら、<リアリティ>の初源的段階の観点からすると、これはすべて誤りであり、全くのナンセンスでさえあるのだ。例えば、「テーブル」は、不変的で永遠に自己同一的本性を付与された実体などではない。換言すれば、実際には、それは「無」なのだ。というのも、それ自身において、恒久的な存在論的堅固さを何ら具えていないからである。だが、幻あるいは水面に映った月が、あたかも実在しているかのように見えているのと同様に、現象的な実在としてのそのテーブルは、本当に実在しているかのように見える。唯識派によって支持される教義に従えば、そのような<リアリティ>の間違った見方を引き起こすのは、言語である。

 言語は、概念化と不可分に結びついている。言葉の意味は、一つの概念へと普遍化され、そしてその概念のうわべの堅固さと恒常性は、容易に世界の構造の上に投影される。それゆえ、「テーブル」は、本当の堅固さと恒常性とを具えた自己実在的存在者として現れるようになる。色や形といったテーブルの特性に関しても同じことが言える。

 『唯識三十頌(しょう)』(二十)においてヴァスバンドゥ〔世親〕は、人間の心のこの自然な傾向によって生み出されるすべての「事物」は、非常に多くの誤った存在の想像的形態にすぎないのであり、本当は非実在なのだと主張した。ヴァスバンドゥの議論によれば、人間は、言葉に対応する外界の客体の実在―例えば、「テーブル」という言葉に対応する客体のテーブル—を想像することに慣れている。加えて、人は、客体のテーブルを知覚する器官として眼が実在するのだと想像する。だが、実のところ、「実在」すると本当に言うに値するものは、一瞬一瞬行為内容を変え続ける、意識の継続的な流れ(チッタ・サンターナcitta-samtana〔心相続〕としての知覚行為だけなのである。客体のテーブルも、それを認識する眼も共に、意識の流れから、分析によって主体的・客体的実在を取り出す、心の弁別機能の産物なのである。したがって、人は、意識の内容が一瞬一瞬異なるという事に、ただ無知なのである。そのため、人は、時空に於けるあらゆる違いにも拘らず、同じ物として留まる普遍者として「テーブル」を誤って据え置くのである。しかしながら、厳密に言うなら、私がこの瞬間に知覚している此のテーブルさえも、一瞬前に私が知覚した、いわば同じテーブルとは異なっているのだし、一瞬後に知覚するテーブルからも異なっているのだ。そして、客体のテーブルが瞬間ごとに異なるのと同じく、それを知覚する眼もまた瞬間ごとに異なる。言うまでもなく、丸いテーブルを知覚する眼は、四角いテーブルを知覚する眼と同じではない。したがって、客体に劣らず、その眼も、言語の分節機能の影響下に想像されて、誤って据え置かれたものなのである。そして、これら誤った存在者は、この学派ではアラヤ識として知られる<下意識>に貯えられた深い潜在力から際限なく湧き出る現象形態なのである。

 同様に、中観派創始者であるナーガルジュナは、いわゆる本質というものは、語の意味の具象化にすぎないと主張する。彼が言うには、言葉は本当の客体を指示するような性質のものではない。存在論的本質の実在を確証するものである代わりに、それぞれの語は、それ自体単なる基礎のない心的な構築物であり、その意味は他の語に対立しているという関係によって規定されている。したがって、言葉の意味は、それが一構成要素にすぎない編み目全体が、ほんの僅かでも変化するや否や、忽ち変化するのである。

 言語的慣習に基づく「世間的な慣習lokavyavahara」に従って生きている通常の人々は、言葉の意味の実体化にすぎない無数の、異なった事物で構成される世界に存在する他ない。世界を言語的に分節するこの見方は、禅が言うような際限なく開かれた、根源的に純粋な無分節状態に本当はある<リアリティ>の上に重ねられている。しかし、一般の人は、この<リアリティ>の層に気づかないのである。

 二つの次元のうちの前者、つまり、言語的に分節された世界は、全くの想像であるとナーガルジュナは論じる。本当に存在するものは、分節的な言葉の編み目を通じて分析的に把握される以前の<リアリティ>の次元である。その前言語的<リアリティ>は、<リアリティ>すなわち<無>(シューンヤター〔空〕)である。シューンヤターという語は、誤って据え置かれ固定したものなどない、絶対的な<リアリティ>の根源的・形而上学的状態を指し示している。現象の常に変化する形態の背後に、固定的な本質など絶対にないという単純な事実は、人間によって主体的に理解されるとき、最高の<真理>を成す。人間が、この最高の段階に達して、この卓越点から振り返る時には、<リアリティ>の初源的ないし「聖なる」段階と、<リアリティ>の二次的ないし「俗なる」段階との間に当初作った区別が、全くの想像に過ぎないのだと云うことを発見する。「聖」なるものさえも<リアリティ>の分節的断片であり、それは「聖」ではないものと自身とを区別しているのだ。

 『碧巌録』第一則の公案は、禅的思考の典型であり、非常に簡潔明瞭なやり方で、この状況を描いている。梁の武帝菩提達磨に尋ねた、「聖なる<真理>の第一の意義とは何か?」 これに対し菩提達磨はこう答えた、「際限ない開き! 聖なるものなど何もない!」

 あらゆる固定化の試みを退けて、その中心が何処にでもあるし、又何処にもないような際限なく開けた円環―そこでは何も固定されず、何も本質的な境界を持たない。「聖なるもの」として恒久的に固定化されるものは何もない。この簡潔な答えにおいて、半ば伝説的な禅仏教の初祖はナーガルジュナの中心的教義の縮図である。

 

   五 意味分節の問題

 

 このように特異な文脈における言語が、重大な意味論的問題を引き起こす事は当然のことだろう。前に述べたように、<リアリティ>を固定化された存在者へと分節する事は、まさに言語の性質の一部である。しかし、禅が要求するのが、一つの物へと分節する事なく、言語が使用される事である。

   首山禅師(926―993)は竹の杖を持ち上げた。

   それを弟子に見せながら、彼は言った、「僧たちよ、もし、これを竹の杖だと呼ぶなら、お前たちはそれを固定する。もしこれを竹の杖だと言わなければ、お前たちは事実に反する。言ってみろ、さあ。お前たちはこれを何と呼ぶ」。

 さきほど考察した哲学的背景に反して、首山禅師の意図はわかりやすい。もし、竹の杖を

「竹の杖」と呼べば、その語の意味を、本来なら限界のない解放状態にある<リアリティ>

を誤って分節するような、分離した、自己実在する実体へと単純に具象化してしまう。反対

に、もしそれを竹の杖と認めることを拒み、竹の杖ではないと言うなら、今ここでの<リア

リティ>は、竹の杖という現象的形態に現れているという事実に背いてしまう。

 この説話の解説として、『無門関』の著者、無門禅師(1186―1260)はこう言う。

 

    もしそれを竹の杖と言うなら、それを固定する。もしそれを竹の杖と言わないなら、

事実に背く。だから、何れかとも言えないし、何も言わない事もできない。(では、これは何だ?)即座に言え!

 

 「即座に言え!」あるいは「直ちに何か言え!」は、この性質に関する禅的文脈において非常に重要である。それは、「思慮することなく、思考することなく、決定的な何かを言え!」という事を意味する。ほんのわずかの思慮でさえも、<リアリティ>の初源的段階から人を

すぐさま遠ざけてしまうからだ。むしろ、<リアリティ>の初源的段階は、分節を越え、分節の及ばない意識の次元から噴出する一つの言葉、あるいは一つの身振りの形式で、即座に

現成(げんじょう)されなければならない。

 首山の挑戦的な問いに妥当な答えを出来た者が、弟子の中に居たのかどうか、この公案

からは分からない。だが、同書の別の公案では、似たような状況における師の問いに対して、

ある弟子が適切な答えを与えている。

 

    百丈禅師は、水瓶〔浄瓶〕を持ち出してきて、床に置き、そして尋ねた、「もしこれを水瓶と呼ばないとしたら、お前たちはこれを何と呼ぶ?」

    僧院の第一僧〔首座〕は、「それは木片とは呼べません!」と言って答えた。

    そこで直ちに、師は潙山(771―853)の方を向いて彼に答えを求めた。

    即座に、潙山は、足で水瓶を蹴ってひっくり返した。師は笑って、一言述べた、「第一僧は、この試合で、この僧にやられたな」。

 

 当時、典座―僧院での僧たちに食事の面倒を見る者―の立場にあった潙山は、この勝利の

結果として、新たに開かれた僧院の管理者に選ばれた。後に彼は第一位の師になり、中国に

おける禅の歴史に輝かしい一章を開くこととなった。

 

 ここで、潙山禅師のこの一見無意味な振舞いの意味を調べてみよう。首座の答えは、完全

に、普通の感覚に沿っている。「それは、木片と呼ぶことはできない」―それはいわば「そ

の瓶は瓶である。木ではありえない」という事だ。言明は、<リアリティ>の第二段階の観

点から意味を作っている。哲学的に、それは小乗のサルヴァースティヴァーディンSarvasti

Vadin〔説一切有部〕によって支持されたリアリズムの中心命題にまで遡る本質主義である。

その命題は、簡潔に次の形式で要約できるだろう。AはAである。A以外の何ものかでは

ないし、そうではありえない。なぜなら、それ独自の永続的な本質によって、それはそれ自

身に固定化されているからだ。容易に分かるように、この存在論的立場は、ナーガルジュナ

によって展開されたニヒスヴァバーヴァnihsvabhava〔無自性〕あるいは「無本質主義」の

命題と真正面から衝突することになる。

 <リアリティ>の第二段階に固着し続ける限り、この種の単純なリアリズムの境界から、

決して抜け出す事は出来ないという事に注意すべきである。人はこの段階に留まっている

間に、本質主義の限界に気づいて、そのような立場の魔術的な呪縛を破るために、水瓶を、

例えば神や仏あるいは無とさえ呼ぶかもしれない。だが、それでもまだ具象化された言葉の

意味領域に留まるだろう。というのも<リアリティ>の第二次元においては、「神」「無」と

いった言葉が発せられるや否や、その意味的内容は、自己本質を持つ固定的な存在者へと固

定化され、結晶化されるからである。禅は、<リアリティ>の全く異なる次元、AはAでも

非Aでもなく、だがしかし、あるいはそれゆえに、Aは否定し難くAであるような、第一

次元に跳び入るべきだと要求する。<リアリティ>のこの新しい次元における水瓶は、水瓶

でもなく、非水瓶でもなく、そのような区別を越え、その上にある。なぜなら、その次元は、

固定化された本質が、何も打ち立てられないシューンヤターsunyata〔空〕の次元であるか

らだ。しかし、まさに、この絶対的な無区別と無分節のために、あらゆるものは、いずれも、

全体的な<リアリティ>の全面的顕現であるのだ。この特異な意味において、水瓶は、水瓶

である。水瓶の中では、全面的なシューンヤター〔空〕が現成している。その水瓶は、それ

自身の本質によって支えられてはいない。それはシューンヤター〔空〕によって支えられ、

裏打ちされている。別の表現をすれば、一本の水瓶は、全宇宙を含んでいるのだ。それは全

宇宙なのである。そのような状況の水瓶は依然として水瓶なのだろうか。然りであり、かつ

また否だ。先に引用した公案の中での若い僧、潙山は非理性的に見える振舞いによって、こ

の見解に表現を与えたのである。

 

 俱胝禅師の一指禅が理解されるのは、このような<リアリティ>の見解を背景にしてであ

る。禅について、問われた如何なる問いに対しても、一本指を挙げるという風変わりな癖の

ある俱胝禅師から、そもそも話は始まった。禅師が生きていた<リアリティ>の次元におい

て、彼が挙げた指は無指だったのであり、すなわち、それは指の形態での、<リアリティ>

の次元そのものの、直接無媒介でむき出しの顕現だったのである。換言すれば、俱胝が指を

挙げた時、全宇宙はそれと共に起き上がったのである。この次元において一本指を挙げる事

は、全現象世界の瞬時的生起に他ならない。

 そうした観点から見られる現象世界の基礎的構造は、中国で開花した大乗哲学の華厳宗

によって、最も顕著なやり方で解明されてきた。この哲学が教える処によると、宇宙のそれ

ぞれのものは、絶対的<リアリティ>の独自の体現である。各々のものは、それぞれ、無上

の<光>を反射する鏡である。そして、すべての鏡は、それぞれに同じ無上の<光>を反射

させながら、鏡の一つ一つが全ての残りの鏡の反射であるような具合に、相互に反射し合っ

ている。宇宙全体は、互いに向かい合った無数の輝く鏡として表象される為、その世界は、

底知れぬ深みを持った光の、無限大の塊として見えるように形成されている。そのような

状況では、一つの鏡の極く僅かな動きさえも、光の世界全体に影響を及ぼさずにはいられ

ない。そして、現象的次元においては、全てのものは、一瞬一瞬と動き続ける為、またそれ

ぞれ単一の物の一つの動きが、事物の新たな秩序をもたらす為、新たな世界が時々刻々と

再び生れているのである。

 この華厳の観点を参照して、、『碧巌録』の有名な編者、圜悟(1063―1135)は、

俱胝の一指禅が語られている上述の公案に対する予備的批評の中で、次のように語ってい

る。

 

 〇一つの塵が舞い上がると、地球全体が、それに伴い起ち上がると言われる。

 〇花が咲く時、その動きは、全宇宙を震わせると言われる。

 〇それならば、まだ塵が起こらず、まだ花が咲かない状態とはいかなるものか?

 

 最初の二文が、<リアリティ>の現象構造に言及したものであると云う事は言うまでも

ないが、一方、三番目の文は、シューンヤター〔空〕への、上述の隠喩における無上の<光

>と比すべき<リアリティ>の、根源的で無分節な一性onenessへの言及である。それは、

それ自身を現成させる一切の現象形態を通じて、永遠に動かず変化せずにあり続けるのだ。

一本指を挙げた俱胝禅師は、彼の全人格によって、現象的なものの世界が永遠の静寂と静謐

の深みから起き上がってくる形而上学的プロセスを、ひたすら再創出していたのである。

 俱胝禅師がそのような芸当をする事が出来たのは、彼の挙げる指が無指、つまり、シュー

ンヤター〔空〕そのものであったからだ。その師を模倣した弟子も一本指を挙げた。表面的

には、その少年は師とそっくり同じ事をした。しかし、彼が突き挙げた指は、「指」以上の

ものではなかった。というのも、指を挙げている時、彼は、自分が自身の「指」を挙げてい

る事を意識していたからである。その少年は、<リアリティ>の第二次元に排他的に生きて

いたのだから、彼の挙げた指は、本質的に限定された現象的客体であった。現象的な客体と

してその指は挙げられたが、しかし、宇宙は指と共に起き上がりはしなかった。

 指を切り落とされ、師に呼ばれて、師の問い「仏陀とは何か」に答えようと振り向いて指

を挙げようとした時、彼は、その指が挙がらない事に気づいた。まさにちょうどその瞬間、

彼は最も深い意味において、彼の指の無実在を閃光の如く理解したのである。つまり、現象

的な指の代わりに、彼はそこに無指を見たのである。この無指を挙げる事によって、彼は全

宇宙を起ち上げたのだ。その瞬間、彼は<リアリティ>の不可視的次元から全宇宙が起ち上

がるのを見たのである。そのため、少年は悟りに達した。その場で彼が挙げた無指は、洞山

禅師の「三斤の麻」と趙州禅師の「庭の柏の木」と同じ性質のものである。

 沈黙、言葉のない身振りだけが、<リアリティ>の初源段階が現成するための手段ではな

い。今ここで永遠の<真理>が現成するためには、しばしば言語が、徹底的な発話が用いら

れた。その典型的な例を挙げよう。

 

  ある時、ある僧が風穴禅師(896―973)に言った。「話は、(<リアリティ>の)

超越を漏らします。一方、沈黙はその顕現を漏らします。<リアリティ>を漏らさずに、発話と沈黙とを一体化させる事が出来るというのでしょうか」。

師は答えた、「私は常に、かつて見た江南での春の風景を思い起こす。そこでは、満開の香しい中の間で、鷓鴣が鳴いていた!」〔長憶江南三月裏゚鷓鴣啼処百花香〕

 

 僧が言うには、もし私たちが<リアリティ>の初源段階を描写するために言葉を用いるなら、その根源的な無分節は、不可避的に限定的な存在者へと分節されてしまう。一方で、もし沈黙を守るなら、すべては永遠の<無>に沈んで、<リアリティ>の現象的な側面は、それによって失われてしまう。それゆえに問う、「絶対的な<リアリティ>をその両側面において提示するには、話と沈黙とをいかに一体化できるものでしょうか?」と。

 いかにして発話と沈黙とを一体化するかを僧に教えることで答える代わりに、風穴禅師は、僧の眼前に、沈黙と発話との一体化としての<リアリティ>の初源段階を直接的に提示する。彼の提示の構造を明らかにするためには、言葉の中で描かれたここでの見事な春の風景が、記憶の深みから喚起された景色であることに留意しておかなければならない。それは、詩人が立っている現時点からは時間も空間も遠く離れたところにある景色である。それは、換言すれば、非実在である。しかし、記憶の中で実際に喚び起こされるものとして、その景色は、そこに色鮮やかに生きている。鷓鴣のさえずりは、外界の現実という現在の時空間では聞こえてこない。しかし、異なる次元においては、鷓鴣は、否定しがたく香しい花々の間で鳴いている。主体の「私」を含めた、この詩のすべての要素は、この方法では、同時に不在と現前である。それは、沈黙と発話との特殊な一体化なのである。

 意味論的観点からすると、言語の分節機能がもはや通常の言語使用の場合のようには働いていないことに注目しなければならない。言語が実際に発せられるから、「私」「鷓鴣」「さえずる」「花」「香しさ」といった、数多くの明確な意味的事物・事象が作り出される。しかし現実には非実在であるそれらのすべてのものは、堅固な実体的存在者としては自らを提示しない。それらは、透明で透過的である。互いに反射し、互いに貫入し、、互いに溶け合って、<リアリティ>の初源段階の直接的な顕現に他ならない一つの全体を形成する。この意味で、分節の意味論的機能は、このような文脈においては、ほとんど無効なものへと還元される。分節がその機能的基礎を失うのだから、それは正しくは働かず、一切事物の融合という超主観的・超客観的覚知の現前において、「鷓鴣」という言葉は、外界の独立した実態を確立させる代わりに、むしろ「花」やその他のものとの同一化を意味し、そのため、それらすべては、最終的に一つに融合することとなる。本物の禅語の主なものは、究極的にはこのような性質に属している。

 

 この点を説明するため、先の例よりもいっそう典型的に禅的な例を挙げよう。それは、「野蛮人に鬚なし」〔胡子無鬚〕と題された、『無門関』第四則の公案である。「野蛮人」ないし「西方の野蛮人」とは、西方つまりインドからやってきて中国で禅仏教の潮流を開始したと伝えられる菩提達磨を示している。この禅の尊敬すべき初祖への風変わりな呼称は、菩提達磨が、傑出した、聖なる、あるいは神々しい人物であるという一般人の信念にショックを与えることを目的に用いられている。菩提達磨が他の誰とも同じく普通の人間なのだと示すことを、それは意図している。公案そのものは、惑庵禅師(1108―1179)に帰せられるきわめて短い疑問文からなる。

 

  その西方の野蛮人は、どうして鬚(ひげ)がないのか?

 

 禅のナンセンスの優れた一例と言えるだろう。何故、そしていかなる意図で、惑庵禅師は、このような無意味な問いを投げかけたのだろう。鬚のない菩提達磨の描写は、瞑想中の厳粛、厳格なこの師の一般的なイメージに逆行する。事実、中国と日本の伝統的な描写では、彼は必ず黒く毛深い鬚をたくわえている。

 だが、惑庵の言語的描写では、菩提達磨は鬚のない姿で表現されている。というのも実のところ、彼はここでは、<リアリティ>の初源段階の直接無媒介的な現成として現れているからだ。大変興味深いことに、<リアリティ>は、風穴禅師の春の光景のように沈黙と発話との一体化として表現されている。ただし比較できないほど簡潔に、直接的に。沈黙の側面は、鬚のない菩提達磨によってこの言語描写の中では表象されている。彼の顔には可視的な毛は一本もない。それは、<リアリティ>の<無>の側面、シューンヤター〔空〕の側面を示している。それは絶対的に無分節で、いかなる区別もなく「際限なく開いて」いる。発話の側面は、「鬚無し」という状態によって表象されている。「鬚」という言葉が実際に用いられている。その語は、発せられるや否や、不可避的に本来具わっている分節の機能によって、意味的な存在者を作り出す。<何か>が一つの存在者、「鬚」という客体に分節される。しかし、それは即座に否定されるのだ、「鬚無し」と。

 この両側面の組み合わせは、言語的に、その二つの本質的な形態で、<リアリティ>の初源段階を提示する。絶対的な<無>は己を、鬚の形態で閃光の只中に顕現させ、それから、根源的な闇の中へと消えていく。意味的分節は作られるが、しかし、それは即刻無効化される。それは、あたかもいかなる分節も行われなかったかのようだ。惑庵禅師が弟子に要求するのは、まさにこの束の間の瞬間において、<リアリティ>の全面的・全体的構造を、即座に把握することなのである。

 しかしながら、これを成し遂げるのは容易なことでは決してない。分節の効果が持続しているからだ。一度、「鬚」が<無>から分節されると、その語が即刻否定されても、意味的な存在者として留まり続ける傾向にある。というのも、「鬚」は、否定形において存続し続けるからである。「鬚無し」は、否定的な存在者として据え置かれている。そうすると、否定は、肯定と言説の同じレベルで同等となり、根源的な<否定>すなわちシューンヤター〔空〕は永遠に失われる。無門禅師はこの危険に言及して、この公案についての詩の中でこう述べている。

 

  愚者たちの前では

  夢を語ってはいけない。

  野蛮人に鬚がないと言うが、

  自明なものに謎を加えただけだ。

 

「無鬚」という形態で、瞬間的に<リアリティ>の初源段階を見せようとすることによって、惑庵は、一般人を必要のない知的な混乱に導いただけだ。というのも、普通の人間には、分節の効果が生じたすぐ後にそれを抹消し無効化することは大変困難なことであるからだ。しかし、そのような、分節された存在者の無効化が効かない限り、<リアリティ>の全面的に異なる次元へと跳び入って、本当は「無鬚」である「鬚」の形態で瞬間的に己を顕現させるシューンヤター〔空〕を把握することは、決して期待できない。

 インドにおける六世紀の中観派の哲学者、チャンドラキルティー〔月称〕は、『プラサンナパダー』〔浄明句論〕(十八)において、ある隠喩を通じて、この点を見事に説明している。

 彼は次のように述べている。眼病に苦しめられている男が、眼の前にちらつく、宙を漂う毛を見ていると仮定する。信頼できるかれの友は、彼が知覚しているその毛は非現実的なものだと言って、彼の疑念を払う。そこで、その男は、実際に見えている毛が現実的に実在するのではない、と信じるかも知れない。しかし、彼はまだ、そこには絶対に毛がないのだという心理を把握せずにいる。なぜなら、彼は実際に毛を知覚しているからだ。彼が完全に眼の病を治せるのは、彼が、その毛の非実在をーその時は、全くそれを知覚しないことで―理解する時だけだ。幻覚が消えることで、彼の意識は、毛が実在しているのかというように疑問が生じていた段階を越える。そこには最早いかなる幻覚もないのだから、その毛が実在するのか実在しないのかという疑問そのものが、その意味を失う。問題は単順に存在しないのだ。肯定と否定は等しく無効になる。幻覚の段階に於いてのみ確実である肯定と否定を共に越えているという意味で、これが本当の<否定>の段階である。こうして、大乗仏教において教えられる<無>ないしシューンヤター〔空〕は、そのような構造を有するのだ、とチャンドラキルティーは結論づける。

 惑庵の「無鬚」もまたちょうどこの性質に属するものであることを、これに付け加えられよう。それは、幻覚が消える当の瞬間の、間違って知覚された宙を漂う毛―「無毛」である「毛」―と共通するものである。無門禅師が正しく述べたように、意味分節を通じて菩提達磨の滑らかな顔に鬚を置くことは、透明さという顔の上に謎のシミを置くことだ。しかし、惑庵はそうしなければならなかった。そうでなければ、根源的で普遍的な「透明さ」は、それとして把握されないだろう。すぐさま無分節に変わる分節という言語機能の活動プロセスを通じてのみ、束の間の一瞥は、<リアリティ>のリアルな構造へと向けられるのだ。

 

 しかし、禅師たちは、惑庵禅師のように弟子に対して常に親切なわけではない。大部分の場合、彼らは、無効化することなく分節の側面だけを見せる。洞山が訪問僧の前に「三斤の麻」を突きつけ、趙州が「庭の柏の木」を突きつけたように、分節を無分節へと転じることは弟子たちに残されている。

 時にまた、訪問僧によって分節が作られ、師が、彼にぶっきらぼうに無分節を提示することで答えることがある。すべての禅の公案の中で最も有名な公案で、「趙州の犬」〔趙州狗子〕と題されているが、「趙州の無字」としてより知られている『無門関』第一則の公案は、その最もよい例だ。無という語は、ただ単純に否定NO!を意味する。

 

  ある僧が一度、趙州禅師に尋ねた、「犬には仏性がありますか?」

  師は答えた、「無!」

 

 この公案の「無!」という語に関して、数え切れないほどの解説が書かれてきた。数多くの相違する意見が提出されてきた。とりわけ興味深いのは、臨済宗、大慧禅師(1089―1163)が論じた方法である。彼は臨済宗の中で、この特殊な公案を悟りに達するために、最も効果的な手段として活用する伝統を確立した。その伝統は、今でも日本で続いている。「無!」という語は、ほとんど魔術的な機能のために作られており、インドの神秘主義におけるオームaumという音とどこか似ている。無!の意味ではなく、その響きには、弟子の主体性が究極的には無!そのものへと転成されるようなやり方で、その心が肯定と否定との対立を越え行くよう、導く心理的効果があると考えられている。

 だが、言語的に、趙州の無!を、これまで説明してきた無分節の次元の直接的な現前として解釈する方が、はるかに簡単である。換言すれば、趙州は、無分節の<リアリティ>を犬と仏性との二つのものへと分裂させてしまうような、僧が作った分節の効果をただちに無効化し、それらを、犬としても仏性としても区別されることのない根源的な<無>へと連れ戻すのである。

 同じく『無門関』からまた別の公案を引用することで、本章を締め括ろう。その公案では、分節が無分節に変わるプロセスの完全なドラマが認められる。後に有名な禅師となる徳山(782―865頃)という僧がいかにして初めて悟りに達したかを、その逸話は描いている。

 

  かつて、徳山は、龍潭(850頃)禅師を訪れて、教えを乞い、夜が更けるまで留まった。

  潭は言った、「夜も更けてきた。帰って、休んだらどうかね」。

  山は深々とお辞儀をして、簾を上げて出て行った。しかし、外は厚い闇に覆われていた。彼は戻ってきて、外は真っ暗だと告げた。

  彼は蝋燭の明かりを灯して、それを彼に手渡した。山がそれを手に持とうとした時、突然、潭は明かりを吹き消した。

  その時、山は悟りに達した。

 

 これまで語ってきた事の後では、この説話を細かく解説する必要はあるまい。これは沈黙

のドラマだ。いかなる言葉も、最後の決定的な瞬間には用いられていない。闇の世界を照らし、可視的なものへと分割する蠟燭の明かりが、ここでは、分節という言語の本質的機能の役割を演じている事は言うまでもない。師が、明かりを吹き消した時、一度照らされた世界は、再び、何も区別される事のない根源的な闇へと沈む。分節は無効化され、無分節へと変わる。だが、重要なのは、徳山が照らされた世界(つまり分節世界)を一瞬前に見ていたのだから、暗闇は全くの暗闇ではないと云うことだ。それはむしろ、すべての分節されたものが呑み込まれた闇なのである。それは、実在の充満としての非実在であったのだ。

 この種の文脈において発せられる言葉が、意味分節の編み目に引っ掛かったままの者には、しばしば全くのナンセンスに見えると云うのは、ごく当然なことだろう。

 

※本章の元は、一九七〇年度エラノス講演で、後に『エラノス年報』三九所収。

 

これは道元の禅理解の一助として井筒俊彦氏の論考を掲載するものである。

なお、一部修訂を加えた。(2022・二谷 タイ国にて)