正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵 第六十 三十七品菩提分法

正法眼蔵 第六十 菩提分法

    第一段

古佛の公案あり、いはゆる三十七品菩提分法の教行證なり。昇降階級の葛藤する、さらに葛藤公案なり。喚作諸佛なり、喚作諸祖なり。

毎巻 の如く冒頭に此の『三十七品菩提分法』巻の総意・要旨を述べられます。

「古仏の公案」とありますが、公案の定義は「公は平等、案は守分」の意とし「三十七品菩提分法の教行証なり」と説かれます。四念住・四正断・四神足・五根・五力・七等覚支・八正道支それぞれ分法を以て「教行証」のカテゴライズとしますが、「仏の一音を以ての演説法は衆生の類に随いてそれぞれに解を得る」とし、教行証を一体と見なします。

「昇降階級」と云うと上下・主従・主客関係を連想しがちですが、「葛藤公案」の言句のように三十七の各各平等の守分を説くものです。これを「諸仏祖」なりと提唱拈提です。

 

四念住四念處とも稱ず

一者、觀身不淨。二者、觀受是苦。三者、觀心無常。四者、觀法無我

觀身不淨といふは、いまの觀身の一袋皮は盡十方界なり。これ眞實體なるがゆゑに、活路に跳々する觀身不淨なり。不跳ならんは觀不得ならん、若無身ならん。行取不得ならん、説取不得ならん、觀取不得ならん。すでに觀得の現成あり、しるべし、跳々得なり。いはゆる觀得は、毎日の行履、掃地掃床なり。第幾月を擧して掃地し、正是第二月を擧して掃地掃床するゆゑに、盡大地の恁麼なり。

「観身不浄」の一般的読みは「身は不浄なりと観ず」と読ませ、身体を汚濁されたものと見なし、「不浄」に対しての「浄」と云う観法は偏法的見方で、道元禅師の見方は「観身」という熟語での捉え方です。所謂は身体を観察するとする能所の立場は用いませんから「観身の一袋皮は尽十方界」となり、尽十方界に続く語は真実人体ですから真実体と続き、路上に躍動する姿を「活路に跳跳」となし、その尽十方真実体を「観身不浄」と規定する思考法は当時の聞法衆もさぞかし驚いた事だと思われます。

「不跳ならんは観不得ならん、若無身ならん」

先に「跳々」と云ったので「不跳」の場合を考察するもので、「不跳」とは活動停止の状態ですから「観」と云う主体も「不得」となり、また「観身」の身も無いと云う事です。

「行取不得ならん、説取不得ならん、観取不得ならん。すでに観得の現成あり、しるべし、跳々得なり」

(若)無身である為に行すること、説くこと、観ることが「不得」できないと。身(からだ)が無いのですから当たり前です。「観得の現成あり」の得は観に対する助辞ですから意味はなく、観を強調するものです。ですから「観身不浄」の観を独立させての拈提で、「観得の現成」ありと説き、それは「跳々得」だとの事です。この場合の「得」も「跳々」を強調しるものです。

「いはゆる観得は毎日の行履、掃地掃床なり。第幾月を挙して掃地し、正是第二月を挙して掃地掃床するゆゑに、尽大地の恁麼なり」

ここの云う「観得」つまり「観」は観察・観ることの意ですから、日常の生活態を云うわけですから「毎日の行履(行動)、掃地掃床なり」と言うのですが、この執筆中に『真字正法眼蔵』上・八十三則「潭州雲厳山無住大師(曇晟)、一日掃地次、道吾(円智)云、太区区生。師云、有不区区者。吾云、恁麼則有第二月也。師豎起掃箒云、這箇是第幾月。吾休云。」を思い出し、このような文体構成にされたのでしょうか。

因みに雲厳の示さんとする処は、第一第二の月など無く、箒を胸の前で立てる事により、自己と掃箒との一体を説かんとするものですが、ここで説く「幾月・正是第二月」は、唯識で説く処の八識それぞれを独立体として説くもので、それらの総称を「尽大地の恁麼」と説かれます。

 

觀身は身觀なり、身觀にて餘物觀にあらず。正當觀は卓々來なり。身觀の現成するとき、心觀すべて摸未著なり、不現成なり。しかあるゆゑに金剛定なり、首楞嚴定なり。ともに觀身不淨なり。

「観身」を解体し「身観」としますが、どちらも「身体を観察」のように「見るものと見られるもの」の関係を想定しがちですが、仏法に於いては「一如」と把促しますから、このように「観身は身観なり」と説かれます。

「身観にて余物観にあらず」とは身観は他のものと代替はできませんから、余物(ほかのもの)観にあらずと言います。

「正当観は卓々来なり」の正当観は身観を云い、「卓々来」の卓々とは独立した姿を云うもので『御抄』では「兀坐の姿なるべし」と註解されます。

「未観の現成するとき、心観すべて摸未著なり、不現成なり」

仏法を論ずる時は「身心不二」が原理・原則ですが、ここで云う時には物理的事象を云うもので、「身体」が動く時「心」は現出せず摸未著・手探りする事なく不現成だと。

「しかあるゆゑに金剛定なり、首楞厳定なり。ともに観身不浄なり」

金剛定も首楞厳定も同義語で共に「定」つまり坐禅の状態を示し、金剛定である時は金剛定きりで首楞厳定の出現する余地はなく、金剛定にしろ首楞厳定にしろ尽十方界を云い換えたもので、この状態を四念住の一処である「観身不浄」であるとの拈提です。

 

おほよそ夜半見明星の道理を、觀身不淨といふなり。淨穢の比論にあらず。有身是不淨なり、現身便不淨なり。

先に「金剛定」の喩えでの説明でしたから、「夜半見明星」という釈尊成道での対句としての文学的修飾文を用い、同じように「観身不浄」と言われ、念押しできれい・きたないと云う二元項思考ではなく、「浄穢」の比較論にあらずと説き、さらに「有身是不浄」身体が有ることは是れ不浄、「現身便不浄」身体を現じているは便ち不浄との提言ですが、道元解会の要は「不浄」とある時は返り点読みは厳禁で、「不」は絶対的真実の仏法語であることを念頭に入れる事が肝要です。なお「有身」の身も「現身」の身も共に「尽十方界真実人体の身」である事は云うまでもありません。

 

かくのごとくの參學は、魔作佛のときは魔を拈じて降魔し作佛す。佛作佛のときは佛を拈じて圖佛し作佛す。人作佛のときは、人を拈じて調人し、作佛するなり。まさに拈處に通路ある道理を參究すべし。

ここに云う「魔作仏」を世間では魔(悪)と仏(良)は対立する象徴と見ますが、仏法の見方からは能所(主客)観は持ちませんから同体と観(み)ます。つまり「表裏」の関係の如くに「魔作仏」を拈じますから、「魔を拈じて降魔し作仏す」と魔を相転移した姿を「降魔」と表現したものです。同じように「仏作仏」と例示され、「魔」・「仏」・「人」を拈ずる処に通路(すじみち)があることを参究・考えなさいと。

 

たとへば、浣衣の法のごとし。水は衣に染汚せられ、衣は水に浸卻せらる。この水を用著して浣洗し、この水を換卻して浣洗すといへども、なほこれ水をもちゐる、なほこれ衣をあらふなり。一番洗、兩番洗に見淨ならざれば、休歇に滯累することなかれ。水盡更用水なり。衣淨更浣衣なり。水は諸類の水ともにもちゐる、洗衣によろし。水濁知有魚の道理を參究するなり。衣は諸類の衣ともに浣洗あり。恁麼功夫して、浣衣公案現成なり。しかあれども、淨潔を見取するなり。この宗旨、かならずしも衣を水に浸卻するを本期とせず、水のころもに染卻するを本期とせず。染汚水をもちて衣を浣洗するに、浣衣の本期あり。さらに火風土水空を用著して、衣をあらひ物をあらふ法あり。地水火風空をもちて、地水火風空をあらひきよむる法あり。いまの觀身不淨の宗旨、またかくのごとし。

ここに突然「浣衣の法」を引き合いに出しての説明ですが、これまでの論調とは異質感を覚えます。詮慧和尚も「先に浄穢の論にあらずと云い、今浣衣の喩え頗る不審也」と『聞書』にて述べられ、「浣衣の法」因縁譚として「仏在世時、舎利弗に二人の弟子あり。一人には数息観を、一人には不浄観を教示するが得法ならず、仏この二人の修行法を見直し数息観も者には不浄観を、逆に不浄観の参学人には数息観を教示すると頓に得悟し、不浄観にて得法した者の母親が浣衣せし者」と云う説話をベースに観身不浄の段に浣衣の法を引用するものかと述懐されます。

「水は衣に染汚せられ、衣は水に浸却せらるー中略―水は諸類の水とともにもちゐる、洗衣によろし。水濁知有魚の道理を参学するなり」

ここは文の如くに素読できると思われるが、水と衣との関係を「以尽界為衣、以尽界為水、此理を以て洗と談ずべき歟」と強豪和尚は指摘され、また同様に「衣と水は一物一体なり、水と魚は無差別一体」と云われます。

「衣は諸類の衣ともに浣洗あり。恁麼功夫して、浣衣公案現成なり」

前に云うように衣(袈裟)も他の衣類も洗わなければならず、このように(恁麼)功夫した時点で浣衣という公案(事象)が現成(現実)していると。

「しかあれども、浄潔を見取するなり。この宗旨、かならずしも衣を水に浸却するを本期とせず、水のころもに染却するを本期とせず。染汚水をもちて衣を浣洗するに、浣衣の本期あり」

ここでの「しかあれども」は「水濁知有魚の道理参究」を承けてのもので、そうではあるけれども浄潔を目的とするものである。その宗旨・言わんとする処は衣を水との相対的視点ではなく、ただ染汚水(本来心)で以て衣を磨塼の如くに行持することが浣衣の本期(本心)がある。

「さらに火風土水空を用著して、衣をあらひ物をあらふ法あり。地水火風空をもちて、地水火風空をあらひきよむる法あり。いまの観身不浄の宗旨、またかくのごとし」

世間では水を用いて衣物を洗うが、観身不浄に対する結論部での拈提では、「水」という固着概念を払拭するために「火風土水空」又「地水火風空」のエレメントで以ての浣衣法が、「観身不浄」の宗旨を言わんとするとの拈提です。

 

これによりて蓋身蓋觀蓋不淨、すなはち嬢生袈裟なり。袈裟もし嬢生袈裟にあらざれば、佛祖いまだもちゐざるなり、ひとり商那和修のみならんや。この道理よくよくこゝろをとめて參學究盡すべし。

「これによりて」の「これ」とは観身不浄の宗旨を指示するものだと思われますが、ここで云う「蓋身蓋観蓋不浄」の「蓋」は覆うの意ですから、「観身不浄」という概念を「身」・「観」・「不浄」に解体し、それぞれを独立させての拈提法です。パラダイムシフトとでも云っていい思考法です。

この蓋身蓋観蓋不浄つまり観身不浄とは「嬢生袈裟」と位置づけます。「嬢」とは一般には「むすめ・おとめ」を意味しますが、「㐮にはわずらわしい意味があり、嬢は煩わしい女という事で母を指す」(『新選漢和辞典』・小学館)つまり「嬢生袈裟」とは生まれながらの姿を袈裟と言い換えたものです。また「嬢生袈裟」は『袈裟功徳』巻に説かれる商那和修・鮮白比丘尼での「生まるる時より衣と俱生せり、在家の時は俗服なり、出家すれば袈裟となるー中略―生得の俗衣すみやかに転じて袈裟となる」と解釈されます。

先程は生まれながらの姿を袈裟言いましたが、別語で表現すれば「真実」とも云い換えられ、「仏祖」も真実と同義語ですから「袈裟もし嬢生袈裟にあらざれば、仏祖いまだ用いざるなり」となり、先程は商那和修と鮮白比丘尼の例示を用いましたが、ここでは商那和修一人「真実」と受け取るのではなく、全ての人を「嬢生袈裟」=「仏祖」の一員に列記する拈提です。

この今申し述べた道理を努めて参学・実際に参加してみて究尽(勉学)しなさいと。

 

觀受是苦といふは、苦これ受なり。自受にあらず佗受にあらず、有受にあらず無受にあらず。生身受なり、生身苦なり。甜熟苽を苦葫蘆に換卻するをいふ。これ皮肉骨髓ににがきなり。有心無心等ににがきなり。これ一上の神通修證なり。徹蔕より跳出し、連根より跳出する神通なり。このゆゑに、將謂衆生苦、更有苦衆生なり。衆生は自にあらず、衆生は佗にあらず。更有苦衆生、つひに瞞佗不得なり。甜苽徹蔕甜、苦匏連根苦なりといへども、苦これたやすく摸索著すべきにあらず。自己に問著すべし、作麼生是苦。

次に四念住「観受是苦」についての拈提で、世間では「受」は感覚を云い表し、日常生活は「苦」であると悲観的に捉える事が仏教の教えだと思われがちですが、拈提では「苦これ受なり」と世間とは真逆の捉え方です。つまりは此処で云う「苦」は感覚意識ではなく真実の一場面として「苦」を位置づける思考ですから「苦これ受なり」と導かれます。「受」も同様に真実の一形態との認識です。

「自受にあらず他受にあらず、有受にあらず無受にあらず。生身受なり、生身苦なり」

自他有無等相対的見方を破する為の仏法理解法です。

「甜熟苽を苦葫蘆に換却するをいふ。これ皮肉骨髓に苦きなり。有心無心等に苦きなり。これ一上の神通修証なり」

「甜熟苽」・甘く熟した苽を「苦葫蘆」・にがうりに「換却」・換えてしまうと、皮肉骨髓まで全体が苦く、有心という状態でも無心という状態でも苦くなると。こういう事が一段上の神通(日常底)修証(実修実証)であると。

「徹蔕より跳出し、連根より跳出する神通なり」

先の「甜熟苽」語句「徹蔕連根」の語は、『遍参』巻冒頭に説かれる「仏道の大道は究竟参徹なり。足下無糸去なり。足下雲生なり。しかもかくのごとくなりといへども、花開世界起なり、吾常於此切なり。このゆゑに甜苽徹蔕甜なり、苦瓠連根苦なり、甜々徹蔕甜なり」からの連関文ですが、「徹蔕・連根より跳出」とは甘い苽苦い瓠の本来自然(じねん)を云い、そのことを「神通」と呼ばしめているのです。

「このゆゑに、將謂衆生苦、更有苦衆生なり。衆生は自にあらず、衆生は佗にあらず。更有苦衆生、つひに瞞佗不得なり」

ですから将(まさ)に謂(い)えり衆生は苦なり、更に苦は衆生有り。これは衆生と苦は表裏の位置関係で二ツ揃って一ツの事理とするもので、「徹蔕・連根」の理を独特の言い回しによる比喩です。

更に「衆生は自他にあらず」と重ねて、「更有苦衆生」を先程は「さらに苦は衆生あり」と読みましたが、此処では「さらに有苦は衆生なり」と読み替え「有」・「苦」・「衆生」を同一条件にしましたから、「瞞他不得」つまり他の対象を瞞(だま)す事は出来ないとなります。

「甜苽徹蔕甜、苦匏連根苦なりといへども、苦これたやすく摸索著すべきにあらず。自己に問著すべし、作麼生是苦」

先にも指摘したように「甘いうりは蔕(へた)まで甘く、苦い匏(ひさご)は根までにがい」は『遍参』巻で説かれた仏法の要旨でしたが、『三十七品菩提分法』巻に於いても此語を使用するは、七十五巻配列考察に於いても一考すべき用例である。

ここでは甘いと苦いを対比語と見なし、苦いを苦に連動させて、苦いものばかりを摸索すべきにあらずと警鐘し、自分自身を己事究明せよとの拈提です。

最後に「作麼生是苦」と結論され、「作麼」は「什麼」・「如何」・「甚麼」にも通底する同義語ですが、「作麼」全てが苦(現実の受け取り)であると。

 

觀心無常は、曹谿古佛いはく、無常者即佛性也。

しかあれば、諸類の所解する無常、ともに佛性なり。

永嘉眞覺大師云、諸行無常一切空、即是如來大圓覺。

いまの觀心無常、すなはち如來大圓覺なり、大圓覺如來なり。心もし不觀ならんとするにも、隨佗去するがゆゑに、心もしあれば觀もあるなり。おほよそ無上菩提にいたり、無上正等覺の現成、すなはち無常なり、觀心なり。心かならずしも常にあらず、離四句、絶百非なるがゆゑに、牆壁瓦礫、石頭大小、これ心なり、これ無常なり、すなはち觀なり。

ここでの提唱は二人の祖師の拈提です。

最初に取り上げる話頭は『仏性』巻にて「六祖門人行昌云、無常者即仏性也、有常者即善悪一切諸法分別心也」と提唱されたものが引用され、拈提も類似した「常聖これ無常なり、常凡これ無常なり。草木叢林の無常なる、すなはち仏性なり。人物身心の無常なる、これ仏性なり。国土山河の無常なる、これ仏性なり」を踏まえた「諸類の所解する無常、ともに仏性なり」との拈提です。

次に説く「諸行無常一切空、即是如来大円覚」は「君見ずや、絶学無為の閑道人」で始まる永嘉真覚大師の『証道歌』の一節です。

「いまの観心無常、すなはち如来大円覚なり」

いま説く「観心無常」の「観心」は「観身」・「観受」次に説く「観法」も皆共々「生かされている事実」を云うもので、決して「心を観ずる」などと云う、第三者が心を覗き込むような状態ではない事は拈提の基本です。つまり「観心」は生きている而今の事実を指すもので、この真実態を「無常」と此処では名付け、別語で「如来大円覚」と云わしめるもので、真実態を云い表すことですから如何用な言句でも構わないのですが、ここでは「如来大円覚」と言い固定的表体を避ける為に「大円覚如来」と表裏の関係性に収斂させます。

「心もし不観ならんとするにも、隨他去するがゆゑに、心もしあれば観もあるなり」

観心ですから不観心も成り立つだろうとの事ですが、この場合も「不の観」との認識で観を否定しての「不」ではありません。「不」は独立した否定辞ではなく、絶対肯定の伴語です。「随他去」とは観と心・不観と心と云うように、状況により変化するのでこう表現されます。

「おほよそ無上菩提にいたり、無上正等覚の現成、すなはち無常なり、観心なり」

無上菩提も無上正等覚も同義語で、阿耨多羅三藐三菩提とも云い、「観心無常」を解体拈語すると「無常」=「観心」=「如来大円覚」=「無上菩提」に落居との言です。

「心かならずしも常にあらず、離四句、絶百非なるがゆゑに、牆壁瓦礫、石頭大小、これ心なり、これ無常なり、すなはち観なり」

ここで説く「心」は訳語としてのマインドではなく現成の実態を「心」と云うだけで、眼前の事象は刻々と千変万化しますから、「常にあらず」と云うを「四句を離れ百非を絶するがゆゑに」と言論的分別判断を超絶した状態に於いて、眼前の「牆壁瓦礫」を「心」と言い、「大きな石」・「小さな石」もそれぞれ「心」と言わしめ、最後に「観心無常」を「心」・「無常」・「観」に微分して同体・同時事象に説かしめる説法方式です。

 

觀法無我は、長者長法身、短者短法身なり。現成活計なるがゆゑに無我なり。狗子佛性無なり、狗子佛性有なり。一切衆生無佛性なり、一切佛性無衆生なり。一切諸佛無衆生なり、一切諸佛無諸佛なり。一切佛性無佛性なり、一切衆生衆生なり。かくのごとくなるがゆゑに、一切法一切法を觀法無我と參學するなり。しるべし、跳出渾身自葛藤なり。

四念住第四「観法無我」の拈提ですが、ここでの説き方は「観心無常」で説いた「諸類の所解する無常、ともに仏性なり」を承けての説法です。

「長者長法身、短者短法身なり。現成活計なるがゆゑに無我なり」

ここは文意のままで、長は長いまま短は短いままが「観法」との意で、その眼前の状況を「現成」と言い表徴することを「活計」と言い、そこには吾我は介在しないから「無我なり」との事ですが、『御抄』グループの解釈は「長者長法身の現成活計の時は短者短法身は隠れ、短者短法身の時は長者長法身は隠れ、これらの事象を現成活計と云い、これらの道理を無我と可云也」と釈されます。

「狗子仏性無なり、狗子仏性有なり。一切衆生無仏性なり、一切仏性無衆生なり。一切諸仏無衆生なり、一切諸仏無諸仏なり。一切仏性無仏性なり、一切衆生衆生なり」

此処で説く仏性を喩えにするソースは『仏性』巻(仁治二(1241)年十月十四日・興聖寺示衆)に説かれる趙州従諗の段に於ける提唱を踏まえてのものですが、この場合の「仏性無」・「仏性有」は二元対抗軸の関係ではなく、表裏の不可分を云うものです。

次の「一切衆生無仏性」も『仏性』巻・潙山霊祐の段・塩官斉安の段にての段にての「一切衆生有仏性」に対しての拈提です。

次に説く「一切仏性無衆生」・「一切仏性無仏性」等も皆共々同じく『仏性』巻での潙山と百丈との「有仏性・無仏性」論を踏まえての、「無我」に対する拈提ですが、二年半前の草稿を見ながらの事か、それとも記憶の糸を手繰り寄せての考察かを考えてみるだけでも文章構成のバリエーションの豊富さには驚かされます。これら一切衆生云々等を列挙し「一切法」と見なし別語で「観法無我」と参学するとの拈提ですが、ここでの「無我」は「観法」と同義語として扱い吾我に対する無我ではありません。

次に説く「跳出渾身自葛藤」の語句は『眼睛』巻での如浄和尚による上堂語句「六年落草野狐精、跳出渾身是葛藤。打失眼睛無処覓、誑人剛道悟明星」からの借用語であり、「跳出渾身自葛藤」の葛藤とは「四六時中の動く様子・乃至は努力」を云い、一瞬たりとも休まず動き続ける生命体を「一切衆生無仏性」等で表現し、「観法無我」を具体的に述べられたものです。

 

釋迦牟尼佛言、一切諸佛菩薩、長安此法、爲聖胎也。

しかあれば、諸佛菩薩、ともにこの四念住を聖胎とせり。しるべし、等覺の聖胎なり、妙覺の聖胎なり。すでに一切諸佛菩薩とあり、妙覺にあらざらん諸佛も、これを聖胎とせり。等覺よりさき、妙覺よりほかに超出せる菩薩、またこの四念住を聖胎とするなり。まことに諸佛諸祖の皮肉骨髓、たゞ四念住のみなり。

ここに云う釈迦牟尼仏言の典拠はわかりませんが、一切の諸仏菩薩は長(とこしえ)に此の法(観法無我)に安んじ、聖胎と為(な)すなり。「聖胎」とは我々の事を示唆する語句で、聖胎長養と云う言葉もあります。

「しかあれば、諸仏菩薩、ともにこの四念住を聖胎とせり。しるべし、等覚の聖胎なり、妙覚の聖胎なり」

ここでの「諸仏菩薩」とは我々学道人のことであり、四念住(観身不浄・観受是苦・観心無常・観法無我)が諸仏菩薩であり聖胎とも云い、「等覚・妙覚」はあらゆる仏菩薩の代表として取り上げるものです。因みに「等覚」とは等覚者の略で仏の異称を云い、諸仏の覚りは平等一如である事から等覚と云い、菩薩五十二位階中第五十一位を指す。「妙覚」とは菩薩位階五十二位の最後位で、等覚位を転じ煩悩を断じ尽し、智慧が円満具足位を云う(『禅学大辞典』・大修館書店)

 

四正斷あるいは四正勤と稱ず一者、未生惡令不生。二者、已生惡令滅。三者、未生善令生。四者、已生善令増長。

未生惡令不生といふは、惡の稱、かならずしもさだまれる形段なし。たゞ地にしたがひ、界によりて立稱しきたれり。しかあれども、未生をして不生ならしむるを佛法と稱じ、正傳しきたれり。外道の解には、これ未萌我を根本とせりといふ。佛法にはかくのごとくなるべからず。しばらく問取すべし、惡未生のとき、いづれのところにかある。もし未來にありといはば、ながくこれ斷滅見の外道なり。もし未來きたりて現在となるといはば、佛法の談にあらず、三世混亂しぬべし。三世混亂せば諸法混亂すべし、諸法混亂らば實相混亂すべし、實相混亂せば唯佛與佛混亂すべし。かるがゆゑに、未來はのちに現在となるといはざるなり。

さて四念住に続き四正断の拈提ですが、先の四念住は外面的な観点からの小乗法を、内外両側からの大乗的法解釈にて述べてきたが、今回は善悪という内面の問題の拈提です。

「未生悪令不生といふは、悪の称、かならずしもさだまれる形段なし。たゞ地にしたがひ、界によりて立称しきたれり。しかあれども、未生をして不生ならしむるを仏法と称じ、正伝し来たれり」

「未生悪令不生」を普通は「未だ生ぜざる悪を生ぜず」と読ませ「悪」は外界の一部に在るように認識しがちな感覚ですが、『諸悪莫作』巻(延応二(1240)年興聖寺示衆)に説く「諸悪者、善性・悪性・無記性のなかに悪性あり。その性これ無生なり。諸悪は此界の悪と他界の悪と同不同あり、天上の悪と人間の悪と同不同なり。善悪は時なり、時は善悪にあらず。善悪は法なり、法は善悪にあらず」と云うように「悪」という定義に遍満性はなく、その(土)地その(世)界によって「悪」という定義も変わってくると。

「未生をして不生ならしむる」の未生・不生の「生」は我々自身は決められぬものでは有りませんから、ここでは「未」も「不」も絶対的真実を表す定冠詞としての解会とし、「未不」の状態を仏法と見定め、正しく伝来されたとの言です。

「外道の解には、これ未萌我を根本とせりといふ。仏法にはかくのごとくなるべからず」

「外道」の語は七十五巻正法眼蔵中三十五巻に頻出し、その外道に対する形容語句は「先尼外道」・「天然外道」・「二乗外道」・「外道闡提」・「凡夫外道」・「天魔外道」・「外道六師」等々と、いかに道元禅師が外道と仏道との峻別を試みたかが伺われる。此処で云う「外道」は「我」を設定しエゴを出さないように努力する学人を想定するもので、「善悪は時なり、時は善悪にあらず」とする仏法とは各別する論法です。

「しばらく問取すべし、悪未生のとき、いづれのところにかある。もし未来にありといはば、ながくこれ断滅見の外道なり」

この問取は外道輩に対しての問いかけで、先の「未萌我を根本とせり」の我を悪と見なしての問いかけで、「悪未生の時」の悪は何処にあるのかと問いかけ、もし未来にでも有りと云うなら、因果の理を無視した「断滅見の外道」とのことです。

「もし未来きたりて現在となるといはば、仏法の談にあらず、三世混乱しぬべし。三世混乱せば諸法混乱すべし、諸法混乱らば実相混乱すべし、実相混乱せば唯仏与仏混乱すべし。かるがゆゑに、未來はのちに現在となるといはざるなり」

此処は文意のまま理解でき、仏法の解会法は現在・現実を定位に置き、決して過去・未来を現在と混同するなとの事でしょうか。

 

さらに問取すべし、未生惡とは、なにを稱ずべきぞ、たれかこれを知取見取せる。もし知取見取することあらば、未生時あり、非未生時あらん。もししかあらば、未生法と稱ずべからず、已滅の法と稱じつべし。外道および小乘聲聞等に學せずして、未生惡令不生の參學すべきなり。

此箇所も文意に従えば難なく解せられる。「さらに問取すべし」と先ほどの道元禅師の問いかけの第二弾で、未生悪「未だ悪を生ぜざる」とはどういう状態かと。だれが「まだ生じない悪」を知見する事が出来るのか。もしも「未だ生じない悪」を知見する事が出来れば、「未生時」・「非未生時」がある事になり、それは「未生法」まだ生じない法とは呼べず、「已滅の法」已に滅した法と呼ばなければならない。このような論法に陥らない為にも「外道および声聞乗」的小乗解法は使用せず、「未生悪令不生」の根本的参究を学せよとの事です。

 

未生惡令不生の參學すべきなり。彌天の積惡、これを未生惡と稱ず、不生惡なり。不生といふは、昨日説定法、今日説不定法なり。

先段では「未生悪令不生」を参学せよとの事でしたが、「未生悪」の悪は善悪の悪ではないこと明白に心得るべきで、「諸悪莫作」の悪と同義語である事を念頭に入れて置かないと、論理性に苦しむ文章です。

ですから結論部では「弥天の積悪は未生悪と称し不生悪なり」と敢えて言うわけです。再度云いますが、この拈提は四正断の中の「未生悪令不生」」についての註解ですからこのように言われるわけで、「弥天の諸善は未生善」でも何ら構わないわけです。

「不生といふは昨日説定法、今日説不定法」この句は『一顆明珠』巻(嘉禎四(1238)年四月十八日興聖寺示衆)「玄沙来日問其僧、尽十方世界是一顆明珠、汝作麼生会」に対する拈提で4「これは道取す、昨日説定法なる、今日二枚をかりて出気す。今日説不定法なり、推倒昨日点頭笑なり」と説法されます。典拠は『聯灯会要』だと思われます。

 

已生惡令滅といふは、已生は盡生なり、盡生なりとは半生なり、半生なりとは此生なり。此生は被生礙なり、跳出生之頂寧(寧+頁)なり

「已生悪令滅」普通は「すでに生じた悪を滅ならしむ」と読ませますが、言葉の解体で「已生」を考究してみると、すでに生きている・生かされている事象は時処に関わりなく全機の「生」ですから「尽生」と名付け、次に「尽生は半生」と拈提しますが「尽」に対する「半」という相対的量観ではなく、尽と同格に値する半を『御抄』では「生の上の荘厳」と解し、さらに続けて「半生は此生」と此の生であると「已生」→「尽生」→「半生」→「此生」と解体・合成する眼蔵方便法です。結語は此生とは「被生礙」つまり生を邪魔しない・さえぎらないと別語で言い、具体例を「跳出生之頂寧(寧+頁)」と表現したものです。つまり生の頭の上を踊り出る・生き生きした姿を描写したものです。

 

これをして滅ならしむといふは、調達生身入地獄なり、調達生身得授記なり。生身入驢胎なり、生身作佛なり。かくのごとく道理を拈來して、令滅の宗旨を參學すべきなり。滅は滅を跳出透脱するを滅とす。

「已生悪令滅」の「滅」についての拈提です。「調達」とは提婆達多(ダイバダッタ)に対するサンスクリット音写語で他に調婆達とも表します。

「調達生身入地獄」とは提婆達多が三逆罪を犯した為、生きながら無間地獄に落ちたと云われる説話で、三逆罪とは「破和合僧」・「出仏身血」・「殺阿羅漢」を云います。

「調達生身得授記」とは『法華経』十二・提婆達多品で説く「諸の四衆に告ぐ、提婆達多却って後、無量劫を過ぎて当に成仏する事を得べし、号を天王如来と名づく」を云います。

「生身入驢胎」は驢馬に、「生身作仏」は仏に生まれ変わるを云い、それぞれ対句を設けて説明されますが、全機の現成として把捉すると、これらは同程同理の語句となります。

このように「令滅の宗旨を参学」せよと言われ、生と同様に「滅」の具体的様子を「滅は滅を跳出透脱」つまりは滅自身を飛び越えるを滅との拈語です。

 

未生善令生といふは、父母未生前面目參飽なり、朕兆已前明擧なり、威音王以前の會取なり。

四正断「未生善令生」の拈提は簡潔明瞭です。未だ生ぜざるの喩えを「父母未生前」・「朕兆已前」・「威音王以前」の例解を与えるのですが、経豪和尚の註解では「無始無終の本有の道理」と云い、さらに未生善の「生」と「善」とは各別ではないと解する。

 

已生善令増長は、しるべし、已生善令生といはず、令増長するなり。自見明星訖、更教佗見明星なり。眼睛作明星なり。胡亂後三十年、不曾闕鹽醋なり。たとへば増長するゆゑに已生するなり。このゆゑに、谿深杓柄長なり、只爲有所以來なり。

ここで言わんとする処は「令生」と思考停止に陥るのではなく、「令増長」とする動的平衡思考に導く拈提だと思われ、「已生」・「増長」の連体・一体性を説かんとするものです。

「自見明星」は釈尊の大悟を云うもので、「更教他」と「自」に停滞させず「他」に導くことが「令増長」であるとするのです。

「眼睛作明星なり。胡乱後三十年、不曾闕塩醋なり」

眼と明星とを見る見られる関係性ではなく一体性を云い、次の「胡乱後」の話頭は『真字正法眼蔵』下・二十三則にも取り上 げたもので、馬祖道一(709ー788)が南獄懐讓(677―744)に対した語ですが、所謂は欠けたる所なき道理・満足の義を述べんとするもので「令増長」という継続の義を云うものです。因みに語録等では「塩醋」は「塩醤」としますが、「醤」は醤油つまりは発酵調味で「醋」は発酵酢です。

「たとへば増長するゆゑに已生するなり」

「已生善令増長」は善をキーワードとし前後に「已生」・「令増長」とベクトルを設定するのですが、道元流法解釈ではベクトルの固定化を嫌う為、ここでは「増長するゆゑに已生するなり」とベクトルの可逆性を示すものです。

「このゆゑに、渓深杓柄長なり、只為有所以来なり」

渓深の語は『道得』巻(仁治三(1242)年十月五日興聖寺)にて「雪峰の真覚大師の会に一僧ありて、山のほとりに行きて、草を結びて庵を卓すー中略ー一杓の木杓をつくりて渓の辺に行きて水を汲みて飲むー中略ーある時僧来たりて庵主に問う、いかにあらんかこれ祖師西来意。庵主云、渓深杓柄長」 他にも『真字正法眼蔵』中・八十三に同則が有りますが、『三十七品菩提分法』巻で説く「渓深杓意は渓の深さと柄杓の長さの同等性を「令増長」と絡ませての喩えで、「只為有所以来」の読みは「ただ(只)これ(為)あり、ゆえ(所以)に来たれり」とし、『御抄』グループは「仏法は仏法の為にある理」と位置づけ、只為有所以来をすべての仏法の理屈とします。

 

 四神足

 一者、欲神足。二者、心神足。三者、進神足。四者、思惟神足。

 欲神足は、圖作佛の身心なり。圖睡快なり、因我禮儞なり。おほよそ欲神足、さらに身心の因縁にあらざるなり。莫涯空の鳥飛なり、徹底水の魚行なり。

四神足の「神足」の意は「欲・心・進・思惟」をそれぞれ欲願・努力・心念・観察の定(坐禅)とするもので、前の四念住・四正断を智慧に四神足を定に喩えるもので、「神足」の語は梵語の訳語としてのものです。

「欲神足は、図作仏の身心なり。図睡快なり、因我礼你なり」

先に神足を定(坐禅)と言うように「図作仏」は坐禅の姿の身心で、所謂は尽界の姿を「欲神足」と言い「図睡快」とも言い、「因我礼你」と「欲神足」つまりは尽十方界を言わんとする為に以上の言句で説明されたものです。(「図睡快」・「因我礼你」の語は『家常』巻に記載。また『御抄』では此処の難解を述ぶ。)

「おほよそ欲神足、さらに身心の因縁にあらざるなり。莫涯空の鳥飛なり、徹底水の魚行なり」

先に言うように「欲神足」を「図作仏」つまり禅定を云うわけですから、一定時間は身心二面共に世縁を離脱するから「身心の因縁にあらず」と言い、さらに宏智禅師撰『坐禅箴』に説く「空闊莫涯兮鳥飛杳杳」さらに「水清徹底兮魚行遅遅」を援用し、「図作仏」の無所得・無所悟を説くわけです。

 

心神足は、牆壁瓦礫なり、山河大地なり。條々の三界なり、赤々の椅子竹木なり。盡使得なるがゆゑに、佛祖心あり、凡聖心あり。草木心あり、變化心あり。盡心は心神足なり。

四神足二番目の「心神足」についての拈提ですが、まづ「心」についての考察で『古仏心』巻(寛元元(1243)年四月二十九日六波羅蜜寺示衆)での南陽慧忠(―775)が説く古仏心に対しての「牆壁瓦礫」、さらに『即心是仏』巻(延応元(1239)年五月二十五日興聖寺示衆)での仰山慧寂(807―883)が説く妙浄明心に対しての「山河大地」を「心神足」と規定する。

また「条々の三界」つまり欲界・色界・無色界とし、さらに「赤々の椅子竹木なり」とは日常調度品です。以上掲げた三種合成した物心ともども「心神足」と把捉します。

「尽使得なるがゆゑに、仏祖心あり、凡聖心あり。草木心あり、変化心あり。尽心は心神足なり。」

「尽使得」は「ことごとく使い得たり」と読み、先に言う牆壁瓦礫等の自然物を欲界色界無色界の禅定界を椅子竹木の日常界の他に、「仏祖心・凡聖心・草木心・変化心」を尽心つまり尽十方界を以て「心神足」との拈提です。

 

進神足は、百尺竿頭驀直歩なり。いづれのところかこれ百尺竿頭。いはゆる不驀直不得なり。驀直一歩はなきにあらず、遮裏是甚麼處在、説進説退。正當進神足時、盡十方界、隨神足到也、隨神足至なり。

四神足三番目の「精進神足」で弛まない事の拈提で、「進神足は、百尺竿頭驀直歩」とは百尺の竿の先をまっしぐらに歩く事と断言され、「いずれのところかこれ百尺竿」と問題提起され、「不驀直不得」まっしぐらに行かない所はない、と後部に説く「尽十方界」そのものが「進神足」との言です。

さらに「遮裏是甚麼處在、説進説退」

この語は『行持』上巻(仁治三(1242)年四月五日興聖寺)で説く塩官斉安(―1842)の道場での黄檗(―856)と書記との問頭話「遮裡是什麼所在、更説什麼麁細」から載録し、百尺竿頭話に因んで「説進説退」としたものです。

言わんとする処は「甚麼処」で言う「甚麼」が次に説く「尽十方界」と見なし、「進退」を超克した処を仮りに「説進説退」と策定する文章です。

最後に「正当進神足時、尽十方界、隨神足到也、隨神足至なり」と、精進の範囲として「尽十方界」を改めて示し、「随神足」に「到至」の語句を付加し、足のつま先から全身を「隨神足到也、隨神足至なり」と表現されたものと思われます。

 

思惟神足は、一切佛祖、業識忙々、無本可據なり。身思惟あり、心思惟あり、識思惟あり。草鞋思惟あり、空劫已前自己思惟あり。これをまた四如意足といふ、無躊躇なり。

四神足最後の拈提で「思惟」とありますが二番目に説いた処の「心」と同義語です。

「思惟神足は拈、一切仏祖、業識忙々、無本可拠なり」

ここに言う「一切仏祖」の意は一切は仏祖と解読し、「業識」とは辞書的には無明に依り生じた不覚の心を云うが、ここでは生理現象とし日常生活を云い表した語と解し、「忙々」とは蠢く(うごめ)く様を表す語で、「無本可拠」は本(もと)拠(よ)る可き無しと読み、「思惟」の実体は醤油の醪(もろみ)のような次から次へと入れ替わる状態を「無本可拠」と表現されます。

次に醪の具体例を「身思惟」・「心思惟」・「識思惟」に置き換え、さらに「草鞋思惟」という造語で以て「わらじ」にもさらに「空劫已前自己思惟」という禅特有語で各々に息吹きを与えるものです。

以上「欲神足・心神足・進神足・思惟神足」の四神足を別語で「四如意足」と言い「無躊躇」躊躇するものではないとの結語です。

 

釋迦牟尼佛言、未運而到名如意足。

しかあればすなはち、ときこと、きりのくちのごとし。方あること、のみのはのごとし。

先に云う「無躊躇」を「未運」と置き換えたもので、「ときこと」の「とき」とは「するどき」から派生した「きり」に係るものです。

「きりのくちのごとし。方あること、のみのはのごとし」

『身心学道』巻(仁治三(1242)年九月九日興聖寺示衆)に「赤心片々といふは、片々なるはみな赤心なり。一片両片にあらず、片々なるなり。荷葉団団団似鏡、菱角尖尖尖似錐(荷葉の団団、団なること鏡に似たり、菱角尖尖、尖なること錐に似たり)。かがみににたりといふとも片々なり、錐ににたりといふとも片々なり」からの引用だと思われますが、「四神足」なり「四如意足」という禅定は如意宝珠の心地として滞る事なく、具体的には錐(きり)のように鋭く鏨(のみ)の刃先のように一筋に行う様態を云うもので、錐は錐のまま鏨は鍳のまま全機現的な生き方を「四神足」(如意足)にて説いた拈提です。

 

一者、信根。二者、精進根。三者、念根。四者、定根。五者、慧根。

信根は、しるべし、自己にあらず、佗己にあらず。自己の強爲にあらず、自己の結構にあらず。佗の牽挽にあらず、自立の規矩にあらざるゆゑに、東西密相附なり。渾身似信を信と稱ずるなり。かならず佛果位と隨佗去し隨自去す。佛果位にあらざれば信現成あらず。このゆゑにいはく、佛法大海信爲能入なり。おほよそ信現成のところは、佛祖現成のところなり。

三十七品中、四念住・四正断・四神足と十二品を説き、五根についての拈提に入ります。

まづ「根とは即ち能生の義、五根は能く一切善法を生ぜしむるを謂う」と定義され、「信」についての定義は、相手があり「信」ではなく「尽十方界を以て談ずる信」と解釈し、そこでは相対観は生じない為に、「自他」はなく自分に強制「自己の強為」はなく、自身が構える「自己の結構」はなく、他者から引きずられる「他の牽挽」はなく、自身で立てるルール「自立の規矩」はないから、『参同契』で説く東西それぞれ自己を主張する事なく、自然流で結縁(東西密相附)すると「信」を説かれます。

次に「信」の具現例で「渾身似信」つまり全身(尽十方界)が「信」を表明していると。ここで道元禅師は「渾身」を「仏果位」と同定し、「仏果位にあらざれば信現成あらず」と渾身(尽十方界)=仏=信と云う拈提ですが、詮慧和尚の『聞書』によると天台の語義を以て註解されるのを見ると、如何に道元禅師の拈提が独自の領域を踏んでの事かが思い計られる。なお「仏果位」は第十一段釈迦牟尼仏言で説いた処の「等覚よりさき、妙覚よりほかに超出せる菩薩」を指示するもの歟。

さらに続けて「仏法大海信為能入なり」と説きますが、一般的読法は「仏法の大海は信を能入と為す」としますが、この読解では大海と信を能所の関係で捉えますから、ここは「仏法なる大海は信なり能入す」と読み込む方が適正だと思われ、さらに先程からの信の定義付けで渾身=仏=信=仏祖と連なる拈提です。

 

精進根は、省來祗管打坐なり。休也休不得なり、休得更休得なり。大驅々生なり、不驅々者なり。大驅不驅、一月二月なり。

「精進根」の段に至って「祗管打坐」の語を援用します。「省来」の「省」には「自分の心や行いをよく考える」の意がありますから、「省来」とは「明らめ来たりて」が「祗管打坐」と規定し、その内容を「休也休不得」表面は休むと見えるが内奥は休む事がないと、例えば人体の新陳代謝の如くに。さらに「不得」を用いたので「休得更休得」と徹底なる言葉で「精進」を説明されます。

「大駆々生なり、不駆々者なり」は対句を成し「大駆々生」は忙しい様態を指し、対語として「不駆々者」を設定しバランスを成すもので、まとめて「大駆不駆」を別語で「一月二月」とし祗管打坐の精進根は滞留する事がないとの固定観を嫌う言い分です。

 

釋迦牟尼佛言、我常勤精進、是故我已得成阿耨多羅三藐三菩提。

いはゆる常勤は、盡過現當來、頭正尾正なり。我常勤精進を我已得成菩提とせり。我已得成阿耨菩提のゆゑに、我常勤精進なり。しかあらずは、いかでか常勤ならん。しかあらずは、いかでか我已得ならん。論師經師、この宗旨を見聞すべからず、いはんや參學せるあらんや。

ここでは「精進根」についての付属的拈提として『法華経』授学無学人記品での経文を引用しての拈語です。先ずは経文を示すと

「爾時世尊。知諸菩薩心之所念。而告之日。諸善男子。我与阿難等。於空王仏所。同時発阿耨多羅三藐三菩提心。阿難常楽多聞。我常勤精進。是故我已得成阿耨多羅三藐三菩提」(「大正蔵」九・三〇上)「爾の時に世尊、諸の菩薩の心の所念を知しめして、之に告げて日く、諸の善男子、我と阿難とは等しく空王仏の所にて於いて、同時に阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。阿難は常に多聞を楽い、我は常に勤め精進す。是の故に我は已に阿耨多羅三藐三菩提を、成ずる事を得たり」

法華経』経文では「空王仏」所での発心でしたが、拈提では「尽過現当来」と三世ながらの精進を説き、次に経文では「我常勤精進」の結果を「得成菩提」と解される処を「我常勤精進を我已得成菩提」と同格同等にし、ベクトル変換で「我已得成阿耨菩提のゆゑに、我常勤精進」との解法です。

「しかあらずは、いかでか常勤ならん」以下は文意のままに解す。

 

念根は、枯木の赤肉團なり。赤肉團を枯木といふ。枯木は念根なり。摸索當の自己、これ念なり。有身のときの念あり、無心のときも念あり。有心の念あり、無身の念あり。盡大地人の命根、これを念根とせり。盡十方佛の命根、これは念根なり。一念に多人あり、一人に多念あり。しかあれども、有念人あり、無念人あり。人にかならずしも念あるにあらず、念かならずしも人にかゝれるにあらず。しかありといへども、この念根、よく持して究盡の功徳あり。

「五根」三番目の「念根」についての拈提ですが、「心根」と称しても差し支えない語義です。

この処では「念根は枯木」と説かれますが、二ケ月前「禅師峰」での『龍吟』巻を受けての拈提と考えられます。『龍吟』巻での枯木の主要は「仏祖道の枯木は海枯の参学」に表徴されますが、『三十七品菩提分法』巻に於いては「海枯」の一様態を赤肉団つまり現成の真実人体そのままを「念根」と捉えての拈提です。

「枯木は念根なり。摸索当の自己、これ念なり。有身のときの念あり、無心のときも念あり。有心の念あり、無身の念あり。尽大地人の命根、これを念根とせり。尽十方仏の命根、これは念根なり」

「摸索当の自己」とは先に云う「枯木の赤肉団」を指示し、さらに「念」の説明にて「有身無心の念」の逆バージョンでの「有心無身の念」と措定し、さらに総合体として「尽大地人」つまり尽十方人の命根を総称して「念根」と説くものです。また続けて尽大地人と同義語として「尽十方仏」を付加するものです。

「一念に多人あり、一人に多念あり。しかあれども、有念人あり、無念人あり。人にかならずしも念あるにあらず、念かならずしも人にかゝれるにあらず。しかありといへども、この念根、よく持して究尽の功徳あり」

「一念多人・一人多念」の解釈を経豪和尚は「心得難し」と述べるが、詮慧和尚は「一多相即と云うは仏家の定まれる言葉で、尽十方界人を以て一人とも多人とも説くなり」と註解する。ここでは一念三千説を一念多人と擬人的に、また対語として一人多念と説き、さらに固着化を防ぐ為「有念人・無念人」とバリエーションを加味し、さらに固定観念を砕く為の語としての「人に必ずしも念あるにあらず」と、また「念必ずしも人にかかれるにあらず」と云うように世法の常に反した提起をし、最後に「この念根、よく持して究尽の功徳あり」と念根の重要性を説く典型的言句の解体・再構築という禅語解釈法です。

 

定根は、惜取眉毛なり、策起眉毛なり。このゆゑに不昧因果なり、不落因果なり。こゝをもて、入驢胎、入馬胎なり。いしの玉をつゝめるがごとし、全石全玉なりといふべからず。地の山をいたゞけるがごとし。盡地盡山といふべからず。しかあれども、頂寧(寧+頁)より跳出し跳入す。

「定根」の「定」は坐禅を指すと思われますが、「惜取眉毛」・「策起眉毛」もそれぞれの「坐」の状態を「惜取」・「策起」と形容し、一様でない事を云うもので、昔時の人はこの事を「見仏の因行」と規定する。

次に「不昧因果・不落因果」という先程の「惜取眉毛・策起眉毛」の対語を設定し二項分立的に説かれるようですが、「因果に昧らまされず」も「因果に落ちず」も共に「同時成道」的字義だと考えられます。

「入驢胎・入馬胎」も同様な解釈で、うまとろばは同族ですが同種ではありません。いづれも「定根」の範囲内を表徴する言句です。

「いしの玉をつゝめるがごとし、全石全玉なりといふべからず」

この場合も先程と同様に完璧な一様なものは存在しないとの比喩で、玉(ぎょく)と石との関係で玉は価値あるもの、石は無価値なものと断定されがちですが、能観所観的見方ではなく共生に視点を置く見方です。

「地の山をいたゞけるがごとし。尽地尽山といふべからず」

ここも前処と同様で地上にある山を独立させて捉えるか、地と共にある山と捉えるかの差異で、一方的見地を評する拈提です。

「しかあれども、頂寧(寧+頁)より跳出し跳入す」

跳出跳入は出入りの事ですが、先程からの比喩と同様、定中に於いては一様でなく常に「出入」ある事を云うものです。

 

慧根は、三世諸佛不知有なり、狸奴白牯卻知有なり。爲甚如此といふべからず、いはれざるなり。鼻孔有消息なり、拳頭有指尖なり。驢は驢を保任す、井は井に相見す。おほよそ根嗣根なり。

「慧根」は智慧の事ですから努めて得られるものではなく、「三世諸仏」と「狸奴白牯」を対立軸として普通は見ますが、眼蔵解釈では尽十方界の中の事象として捉えますから、「三世の諸仏が不知有でも知有」もしくは「狸奴白牯が知有でも不知有」でも何ら支障はないわけです。ですから「如此」かくのごとくと断定は出来ないとの拈語です。

「鼻孔有消息なり、拳頭有指尖なり。驢は驢を保任す、井は井に相見す。おほよそ根嗣根なり」

これは代用物はなく、只「それがそれ」と云う道理を「慧根」との事です。

 

五力

一者、信力。二者、精進力。三者、念力。四者、定力。五者、慧力

信力は、被自瞞無廻避處なり、被佗喚必廻頭なり。從生至老、只是這箇なり。七顛也放行なり、八倒也拈來なり。このゆゑに、信如水清珠なり。傳法傳衣を信とす、傳佛傳祖なり。

「信力」の「力」とは自然に具わった能力の意と規定し、詮慧和尚によると「信が五力全体に係わる」と説く。「被自瞞無廻避処」は「自己に瞞(だま)されて廻避の処なし」と和読し、「被他喚必廻頭」は「他人に換ばれれば必ず廻頭(ふりむく)する」と読みますが、「自」・「他」ともに法界を尽くす道理を言わんとするものです。

「従生至老、只是這箇なり。七顛也放行なり、八倒也拈来なり」

生より老に至る事は自然の摂理であり、その生涯の中で七顛八倒放したり拈ねったりと、どう転んでも生死の枠から離れられぬ事を「信力」と説くものです。

「このゆゑに、信如水清珠なり。伝法伝衣を信とす、伝仏伝祖なり」

「信は水の清珠の如し」とイメージ的に説明されます。「信」を把捉すること感覚する事は出来ませんから、このように無色透明な珠に喩えて、その具現化を「伝法伝衣」・「伝仏伝祖」と我々の日常底を「信力」との拈提です。その説き方は「信根」での「おほよそ信現成のところは、仏祖現成のところなり」に通底されます。

 

精進力は、説取行不得底なり、行取説不得底なり。しかあればすなはち、説得一寸、不如説得一寸なり。行得一句、不如行得一句なり。力裏得力、これ精進力なり。

「説取行不得底」の読みを普通は「行不得底を説取」と訓読するが、酒井得元老師は「説取は行不得底」と注釈されますが、得元老師の解釈法にて注釈しますと「説いても結果が得られない」という事を「精進力」とし、「行取説不得底」は逆バージョンを説くわけですから、云う処は『御抄』で説く「説と行は二つを説くように聞こえるけれども、尽界説・尽界行を説く心なり」と解釈します。

「しかあればすなはち、説得一寸、不如説得一寸なり。行得一句、不如行得一句なり」

ここに言う「説得一寸」の引用典籍は『行持』上巻(仁治三(1242)年四月五日興聖寺書)からの「大慈寰中禅師いはく、説得一丈、不如行取一尺。説得一尺、不如行取一寸」に対し道元禅師の拈提は、「これは、時人の行持疎かにして仏道の通達を忘れたるが如くなるを戒むるに似たりと云へども、一丈の説は不是とにはあらず、一尺の行は一丈説よりも大功なると云ふなり。なんぞただ丈尺の度量のみならん、はるかに須弥と芥子との論功もありべきなり。須弥に全量あり、芥子に全量あり」との事ですから、ここで言う「説得一寸、不如説得一寸」の「不如」は不是とは考えず同等との見方をするもので、紙の裏表の関係と解釈します。

「力裏得力、これ精進力なり」

「力裏得力」の解釈は難解で、経豪和尚による『御抄』では「それがそれと云う道理」と註解し、詮慧和尚の『聞書』では「火炎裏の説法を仏立地聴法す、などと云う程の説」とされるが、「力裏得力」とは「力のなかで力を得る」云うならば、太陽内部の核融合現象のように半永久的に次々とエネルギーが創出される、かの如くを「精進力」と説くものだと思われます。

 

念力は、拽人鼻孔太殺人なり。このゆゑに、鼻孔拽人なり。玉引玉なり、塼引塼なり。さらに、未也三十棒なり。天下人用著未磷なり。

「拽人鼻孔」の話頭は『虚空』巻(寛元三(1245)年大仏寺示衆)での石鞏慧蔵(生没不詳)と西堂智蔵(735―814)との問答「慧蔵云く、你作麼生捉、西堂以手撮虚空。慧蔵云く、你不解捉虚空。西堂日、師兄作麼生捉。慧蔵把西堂鼻孔拽。西堂作忍痛声日、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去」が典拠と考えられますが、「人の(が)鼻の孔を拽(ひ)くは太(はなはだ)殺人」の「殺」の意は、「人を活かす言葉」又は「念に対する能観所観を無くさせる為の言葉」とし、「このゆゑに鼻孔拽人なり」と云うように、鼻孔と人との一体性を説く事になるわけで、言わんとする要旨は尽十方界(人)を動かす事は不可能ですが、要所(鼻孔)を引っ張る事で人(尽界)も動かす事が出来る。これを「念力」との拈語です。

玉引玉なり、塼引塼なり。さらに、未也三十棒なり。天下人用著未磷なり」

さらに喩えを変えて「玉を拋げて玉を引く」・「塼を拋げて塼を引く」とするが、因果応報の理を「念力」とし、「未拋也三十棒」とは玉(善)も塼(悪)ともに抛捨しなければ、三十棒は許されないとの意で、「天下人用著未磷」の「天下人用」は「信」を表し、「磷」とは「ひすらかす」と読ませ「石がすりへらされ薄くなり」で「雲母・きらら」を云うが、「天下人用著未磷」とは「念の無際退なる」ことを云う拈提です。

 

定力は、或者如子得其母なり、或者如母得其子なり。或者如子得其子なり、或者如母得其母なり。しかあれども、以頭換面にあらず、以金買金にあらず。唱而彌高なるのみなり。

「定」とは坐禅を指し「あるいは子の母を得るが如し―中略―あるいは母の其の母を得るが如し」は本来の姿を努力すること、と捉えるものです。

「しかあれども、以頭換面にあらず、以金買金にあらず。唱而弥高なるのみなり」

頭を面(顔)に交換すること、金で金を買う事は同じに聞こえるが、各々独立した頭であり金である為にこのように表現し、唱える事を弥(ますます)高唱にしなさいとの拈語で、「定力」の際限なき事を云うものです。

 

慧力は、年代深遠なり。如船遇度なり。かるがゆゑに、ふるくはいはく、如度得船。いふこゝろは、度必是船なり。度の度を罣礙せざるを船といふ。春氷自消氷なり。

「慧」とは本来具足する智慧を云うもので、「年代深遠」は永遠無究を云い、「定力」にても問いたように際限なき事の喩えで、また此処で云う「慧」は船と度(わたり)との関係を云うもので、「如船遇度」なりと船の本質は度(渡し場)に遇(あ)い、人を乗船させる事が船の本性ですから、このように言うものです。ですから「ふるくはいはく」とは『法華経』薬王菩薩本事品にある「如渡得船」と俗諺でもこのように云うものです。

「いふこころ」つまりは「度必是船」度(渡し)は必ず是れ船とは、是即不離を云うもので能所観を介在せずの仏法の見方を説くものです。さらに「度の度を罣礙せざるを船といふ」と異句同義的に述べ、「春氷自消氷」春になれば氷は自然と消える事は、人が強制的もしくは造作するわけでもない道理を「慧力」との拈提です。

 

七等覺支

一者、擇法覺支。二者、精進覺支。三者、喜覺支。四者、除覺支。五者、捨覺支。六者、定覺支。七者、念覺支。擇法覺支は、毫釐有差、天地懸隔なり。このゆゑに、至道不難易、唯要自揀擇のみなり。

「覚」は菩提・さとりの意で、「支」は枝と同義で支える・助くる、との意ですから(三十七品)分法と云う。

「択(ちゃく)法覚支」さとりを択ぶ法は「毫釐有差」毫も釐も度量の単位で、蚕の口から出る糸十糸を一毫、十毫を一釐と云いますが、これらの差別が有ったならば天地の距離は隔たるとの『信心銘』語録からの引用ですが、「択法」法を択ぶとは取捨選択をしない事が「覚支」さとりの分であるとの事です。

次に説く「至道不難易、唯要自揀択」は「至道無難、唯嫌揀択、但莫愛憎、洞然明白。毫釐有差、天地懸隔」(信心銘)を捩ったもので、改めて道元禅師の語法の巧みさが窺われるものです。

 

擇法覺支は、毫釐有差、天地懸隔なり。このゆゑに、至道不難易、唯要自揀擇のみなり。

精進覺支は、不曾攙奪行市なり。自買自賣、ともに定價あり、知貴あり。屈己推人に相似なりといへども通身撲不碎なり。一轉語を自賣することいまだやまざるに、一轉心を自買する商客に相逢す。驢事未了、馬事到來なり。

「精進」そのものが覚(さとり)ですが、精進の精髄は「曾て市場で攙奪せず」との拈語です。この言句は玄沙師備が雪峰義存に云ったものですが、云う処の要旨は「市場(マーケット)で権力に任せて自分勝手な我が儘をしない」事を云うものです。

「自買自売、ともに定価あり、知貴あり」

ここに云う「自買自売」とはフリーマーケットにての行為ではなく、「択法」段で云う「自揀択」を「自買自売」と表現(頭頂を跳出跳入の喩え)したもので、次に云う「ともに定価あり、知貴あり」の定価の「定」は禅定の略語で価格の定価ではなく、「知貴」の「知」は智慧の意で、「貴」なりする。(酒井得元老師注解・『御抄・聴書』ならびに現代語訳等は文字面通りの解釈)

「屈己推人に相似なりといへども通身撲不碎なり」

精進と云うのは「己を屈して人を推す」のように自我を主張せず他人の為にするように見えるが、「通身撲不碎」通身とは尽十方界を通身と見立てるの喩えで、殴っても砕ける事はない。精進の説明です。

「一転語を自売することいまだやまざるに、一転心を自買する商客に相逢す」

「一転語」とは一語の力で悟らせる語・一転心とは一心の転変(『禅学大辞典』大修館書店)とするが、ここでは同じ事を云うもので、「商客」とは商人のことですから、文脈の整合性からの表現語法だと思われます。

「驢事未了、馬事到来」

日常生活の様子を「ロバの事が未だ了ぜられずに、ウマの出来事が到来す」と表現したもので、「精進覚支」とは一定期間の修養を云うのではなく、日常底の日々好日の現成が「精進」との拈提です。

 

喜覺支は、老婆心切血滴々なり。大悲千手眼、遮莫太多端。臘雪梅花先漏泄、來春消息大家寒なり。しかもかくのごとくなりといへども、活發(魚+發)々、笑呵々なり。

「喜覚支」の「喜」を善法欣楽する心とする事もあるが、この段での「喜」は「歓喜地」と云う分を云います。

「老婆心切血滴々」の語は如浄和尚のことば(『如浄語録』下・自賛)で、道元禅師の上堂説法(仁治二(1241)年・八十二則・建長三(1251)年一月十五日・四百十二則)にも使用されます。

「老婆心」は「物を憐み育む心地」を云い、赤心片々とした「真心」を指すものを「喜覚支」との事です。

「大悲千手眼、遮莫太多端。臘雪梅花先漏泄、來春消息大家寒なり」

ここで「老婆心切血滴々」の具体例を取り挙げます。「大悲千手眼」は観音さまの異称で「

千手眼」は四方八方眼配りを象徴する姿で、「遮莫太多端」は「さもあらばあれ(遮莫)はなはだ(太) 多端」と読みますが、忙しい様態を「老婆心」に喩え、また「臘雪梅花先漏泄」の意は、十二月の梅の花は春に先立って咲き出し、「來春消息大家寒」来たる春の消息を見せるが大家(みなさん)は寒いだろう。この自然の運行が「老婆心切血滴々」との具体例です。

「しかもかくのごとくなりといへども、活發(魚+發)々、笑呵々なり」

このように日常底の日々好日を「活發(魚+發)々」活き活きした姿であり、日々の笑いが「喜の覚(さとり)」であるとの拈提です。

 

除覺支は、もしみづからがなかにありてはみづからと群せず、佗のなかにありては佗と群せず。我得儞不得なり。灼然道著、異類中行なり。

「除覚支」の定義を「諸法実相と体脱するを今の除と云う。物を捨てる事ではなく、無上菩提を除覚支と云う」(『聴書』)とし、「自らが中に在りては自らと群せず、他の中に在りては他と群せず」は自と談ずる時は自のみ、他と談ずる時は他のみと「全自」・「全他」の如く除くべき事なきを「除」との拈語です。

「我得你不得なり。灼然道著、異類中行なり」の解釈は、「我れ你を得ること不得なり」(玄沙の語・『真字正法眼蔵』下・八十三則)と我や你と云った固定的事物はなく、我と云ったら全てが我・你と云ったら全てが你ですから、このように云ったもので、「灼然道著」はっきり道(い)えばと訳し、「異類中行」とは「六道輪廻に身を転じながら、利他行を行うこと」になり、全てを自他同化しながらの修行法が「除覚支」であるとの事です。

 

捨覺支は、設使將來、佗亦不受なり。唐人赤脚學唐歩、南海波斯求象牙なり。

「設使将来、他亦不受」の話頭は洞山良介と僧との六祖伝衣の商量問答で、僧が「たとえ六祖の衣をもって来ても受け取らない(原文は不要)との故事を引用したもので、「唐人赤脚学唐歩」とは唐(中国)の人間が唐風の歩き方を学ぶには他から習うことはなく、「南海波斯求象牙」は南海のペルシャ人(波斯)が象牙を求めるは、其の処の者が求めて受用すると云う。

いづれの比喩文も当たり前な日常底を云うもので全ての菩提分法に共通するものですが、ここに云う「捨」は「尽界捨」を斯く表現したものです。

 

定覺支は、機先保護機先眼なり。自家鼻孔自家穿なり。自家把索自家牽なり。しかもかくのごとくなりといへども、さらに牧得一頭水牯牛なり。

強豪和尚は「尽十方界真実人体の人を定と談じ、結果のない所を機先保護とも機先眼とも云う」と註解されます。「自家鼻孔自家穿」とは自分の鼻の孔は自分で穿(ほじく)るしかなく、他人任せには出来ない事を「定覚支」と言われ、「自家把索自家牽」もも同じように、自分の索(なわ)は自分で牽(ひ)くしかなく、自が自なる道理を述べてもので、「さらに牧得一頭水牯牛なり」と一頭の水牛を牧得(かう・やしなう)する事が成仏作仏つまり「定覚」であるとの提起で、水牯牛を導く為の拈提です。

 

念覺支は、露柱歩空行なり。このゆゑに、口似椎、眼如眉なりといふとも、なほこれ栴檀林裏爇栴檀、獅子窟中獅子吼なり。

『御抄』では「露柱歩空行」を「耳に驚くことば」と記し、さらに「祖門所談の露柱の道理は尽十方界露柱なり」と註釈されますが、道元禅師の言わんとする道理は、露柱自身も尽十方界の一員ですから我々と同様「念」の起滅も有り得、「念」は一処に滞留するものではないので、「歩いて空に行く」事が「念覚支」との道理でしょうか。

いつものように具体例で説明すると「口は椎(つい)に似たり、眼は眉の如し」と口も眼も活動していない時、口は柄のない木づちのようで、眼は眉のようで役目を果たしていないように見えても、常に念の起滅(新陳代謝)がある事を、このような「口似椎、眼如眉」との表現をし、続けて「栴檀林の裏(中)で栴檀を爇(や)き、獅子の中で獅子吼する」との提唱ですが、要旨は尽十方界の中での同時同体性を「露柱歩空行」などと説かれ、それらは「念覚支」との言うとの拈提です。

 

八正道支また八聖道とも稱ず

一者、正見道支。二者、正思惟道支。三者、正語道支。四者、正業道支。五者、正命道支。六者、正精進道支。七者、正念道支。八者、正定道支。

正見道支は、眼睛裏藏身なり。しかあれども、身先須具身先眼なり。向前の堂々成見なりといへども、公案見成なり、親曾見なり。おほよそ眼裏藏身せざれば、佛祖にあらざるなり。

「眼睛裏蔵身」の註釈を詮慧和尚・経豪和尚ともに「尽十方界沙門一隻眼なる道理を眼睛裏蔵身なり」と解し、また「見は眼に仰て能見所も見を立てるが、今の正見は仏法を云い、邪見は世間の見で、眼睛見を正見と云うべきなり」と云われます。

「しかあれども、身先須具身先眼なり」

「身の先には須らく身の先の眼を具すべし」と読みますが、「身先」とは「定覚支」に云う「機先保護機先眼」と同義語で、父母未生已然と同じ事で、つまりは「身先の眼」とは父母未生已然の眼・謂う所は尽十方界眼で見ることを「正見」との提起です。

「向前の堂々成見なりといへども、公案見成なり、親曾見なり」

「向前」とは身先・機先と同じく、ものごとの始まる以前を意味し、「堂々成見」巍々堂々とし、そのことを「公案見成」つまり現実の姿であると。ですから「親しく曾て見る」なりと言われ、「眼裏蔵身」の正見を持たない者は「仏祖にあらざるなり」との「正見」の拈提です。述べんとする主旨は、本来の姿自身を「正見道支」との事です。

 

正思惟道支は、作是思惟時、十方佛皆現なり。しかあれば、十方現、諸佛現、これ作是思惟時なり。作是思惟時は、自己にあらず、佗己をこえたりといへども、而今も思惟是事已、即趣波羅奈なり、思惟の處在は波羅奈なり。

「作是思惟時、十方仏皆現」は『法華経』方便品に説く処ですが、「以十方仏、皆現時思惟」と解し、思慮念度を思惟とする事ではなく、さらに言句を反転させ「十方現、諸仏現、これこれ作是思惟時なり」と述べますが、尽十方界そのものが「思惟」との見解です。

「作是思惟時は、自己にあらず、他己をこえたり」

「思惟」は尽十方界を指しますから、全体を一と見なすと自己も他己も区分けは無くなるとの意です。

而今も思惟是事已、即趣波羅奈なり、思惟の処在は波羅奈なり」

「思惟是事」を普通は三週間の菩提樹下にての坐禅を「思惟」とし、その後バラナシにての初転法輪を指し前後順列を設定するが、道元禅師の拈提では「思惟の処在は波羅奈なり」と順列の枠を解消した地続きの思想展開です。

 

古佛いはく、思量箇不思量底、不思量底如何思量。非思量。これ正思量、正思惟なり。破蒲團、これ正思惟なり。

この文は段落分けをしていますが、「正思惟」の続き文で、『坐禅箴』巻に取り挙げられた薬山惟儼の「非思量の話」で以て、思惟と坐禅との連関性を説くものですが、坐禅中の思考を「正思惟」とは云わぬ事は当然で、自己主張しない非の思量(坐禅)がそのまま「正思惟」との拈提です。

 

正語道支は、唖子自己不唖子なり。諸人中の唖子は未道得なり。唖子界の諸人は唖子にあらず。不慕諸聖なり、不重己靈なり。口是掛壁の參究なり。一切口掛一切壁なり。

「唖子自己不唖子」の意は唖子と呼ばれている人の自己(本来人)は唖子ではない。と云うことですが、口先の表面上からは差別の対象人となりますが、仏法の捉え方は常に尽十方界真実人体としての自己を想定する為に唖子にあらずとの解釈です。

「諸人中の唖子は未道得なり」

唖子は一般社会の中では言語表現が出来ないから「未だ道い得ず」と云い、

「唖子界の諸人は唖子にあらず」

全員が唖子という状態ならば健常人に対する唖子という観念もあろうはずはない。

「不慕諸聖なり、不重己霊なり」

「諸聖を慕わず己の霊を重んぜる」とは読まずに「不慕は諸聖なり、不重は己霊なり」と読み、「期する所、待する所なき心地」を云うものです。

「口是掛壁」口を壁に掛けるとは、もの云わぬ様態で坐禅を参究する事を更に「一切口掛一切壁」との云いようで「正語」と坐禅との同等性の拈提です。

 

正業道支は、出家修道なり、入山取證なり。 釋迦牟尼佛言、三十七品是僧業。

僧業は大乘にあらず、小乘にあらず。僧は佛僧菩薩僧聲聞僧等あり。

「正業」は正しい修行のあり方を云い、それには「出家修道・入山取証」とあり文意そのままですが、読み方は「出家は修道なり・入山は取証なり」と棒読みします。ここで云う「入山」の意は先に言う「口是掛壁の參究」と同じく「打坐」を意味し、ですから入山(坐禅)は取証との修証との修証一等が説かれます。

釈迦牟尼仏言、三十七品是僧業。」

出典は「仏言、若在比丘数、修僧業。得僧利者。是人能受供養。四果四向是僧数。三十七品是僧業。四果是僧利。(『摩訶止観』一下)と思われますが、相当に天台智顗を読み込んだものと想像されます。

「僧業は大乘にあらず、小乘にあらず。僧は仏僧菩薩僧声聞僧等あり」

「僧業」とは僧のあり方ですから、大乗・小乗・禅門・浄土門・法華門等々と宗旨はありません。詮慧和尚はこの処を『諸悪莫作』巻に引く語を借用し、「善と悪は時なり、時は善悪にあらずと云うが如く、僧は時なり大小乗菩薩声聞等は善悪なるべし」との註釈です。

このあと「正業」についての四千字弱にも及ぶ拈提というか評論が始まり、特異的な文章構成体で出家と在家との学道について述べられますが、初期興聖寺僧団での接得対象、また鎌倉帰郷以後の接得対象との中間に位置する提唱文である事も、道元禅師の思想変遷を考察する上からも興味深い拈提文です。

 

いまだ出家せざるものの、佛法の正業を嗣續せることあらず、佛法の大道を正傳せることあらず。在家わづかに近事男女の學道といへども、達道の先蹤なし。達道のとき、かならず出家するなり。出家に不堪ならんともがら、いかでか佛位を嗣續せん。

しかあるに、二三百年來のあひだ、大宋國に禪宗僧と稱ずるともがら、おほくいはく、在家の學道と出家の學道と、これ一等なりといふ。これたゞ在家人の屎尿を飲食とせんがために狗子となれる類族なり。あるいは國王大臣にむかひていはく、萬機の心はすなはち祖佛心なり、さらに別心あらずといふ。王臣いまだ正説正法をわきまへず、大悦して師号等をたまふ。かくのごとくの道ある諸僧は調達なり。弟唾をくらはんがために、かくのごとくの小兒の狂話あり。啼哭といふべし。七佛の眷屬にあらず、魔儻畜生なり。いまだ身心學道をしらず、參學せず、身心出家をしらず。王臣の法政にくらく、佛祖の大道をゆめにもみざるによりてかくのごとし。

維摩居士の佛出世時にあふし、道未盡の法おほし。學未到すくなからず。龐薀居士が祖席に參歴せし、藥山の堂奥をゆるされず、江西におよばず。たゞわづかに參學の名をぬすめりといへども、參學の實あらざるなり。自餘の李附馬、楊文公等、おのおの參飽とおもふといへども、乳餠いまだ喫せず、いはんや畫餠を喫せんや。いはんや喫佛祖粥飯せんや、未有鉢盂なり。あはれむべし、一生の皮袋いたづらなることを。

普勸すらくは盡十方の天衆生衆生、龍衆生衆生、はるかに如來の法を慕古して、いそぎて出家修道し、佛位祖位を嗣續すべし。禪師等が未達の道をきくことなかれ。身をしらず、心をしらざるがゆゑに、しかのごとくいふなり。あるいは又すべて衆生をあはれむこゝろなく、佛法をまぼるおもひなく、たゞひとすぢに在家の人の屎糞をくらはんとして惡狗となれる人面狗人皮狗、かくのごとくいふなり。同坐すべからず、同語すべからず、同依止すべからず。かれらはすでに生身墮畜生なり。出家人もし屎糞ゆたかならば、出家人すぐれたりといはまし。出家人の屎糞、この畜生におよぼさざるゆゑにかくのごとく道取するなり。在家心と出家心と一等なりといふこと、證據といひ道理といひ、五千餘軸の文にみえず、二千餘年のあとなし。五十代四十餘世の佛祖、いまだその道取なし。たとひ破戒無戒の比丘となりて、無法無慧なりといふとも、在家の有智持戒にはすぐるべきなり。僧業これ智なり、悟なり、道なり、法なるがゆゑに。在家たとひ隨分の善根功徳あれども、身心の善根功徳おろそかなり。一代の化儀、すべて在家得道せるものなし。これ在家いまだ學佛道の道場ならざるゆゑなり、遮障おほきゆゑなり。萬機心と祖師心と一等なりと道取するともがらの身心をさぐるに、いまだ佛法の身心にあらず、佛祖の皮肉骨髓つたはれざらん。あはれむべし、佛正法にあひながら畜生となれることを。

かくのごとくなるによりて、曹谿古佛たちまちに辭親尋師す、これ正業なり。金剛經をきゝて發心せざりしときは樵夫として家にあり、金剛經をきゝて佛法の薫力あるときは重擔を放下して出家す。しるべし、身心もし佛法あるときは、在家にとゞまることあたはずといふことを。諸佛祖みなかくのごとし。出家すべからずといふともがらは、造逆よりもおもき罪條なり、調達よりも猛惡なりといふべし。六群比丘六群尼十八群比丘等よりもおもしとしりて、共語すべからず。一生の壽命いくばくならず、かくのごとくの魔子畜生等と共語すべき光陰なし。いはんやこの人身心は、先世に佛法を見聞せし種子よりうけたり。公界の調度なるがごとし。魔族となすべきにあらず、魔族とともならしむべきにあらず。佛祖の深恩をわすれず、法乳の徳を保護して、惡狗の叫吠をきくことなかれ。惡狗と同坐同食することなかれ。

これからが「正業」に対しての拈提ですが、出家と在家(優婆塞・優婆夷)との絶対的相違を述べます。

「しかあるに、二三百年来のあひだ、大宋国に禅宗僧と称ずるともがら、おほくいはく、在家の学道と出家の学道と、これ一等なりといふ。これたゞ在家人の屎尿を飲食とせんがために狗子となれる類族なり。あるいは国王大臣にむかひていはく、万機の心はすなはち祖仏心なり、さらに別心あらずといふ」

ここに云う「禅宗僧」云々は『仏道』巻(寛元元(1243)年九月十六日吉峰寺示衆)にて説く「大宋の近代、天下の庸流、この妄称禅宗の名を聞きて、俗徒おほく禅宗と称じ、達磨宗と称じ、仏心宗と称ずる」にも通ずる、道元禅師の宋滞在時での多くの看話禅僧ならびに日本達磨宗法脈の参学僧に対する手厳しい言明だと思われます。

「王臣いまだ正説正法をわきまへず、大悦して師号等をたまふ。かくのごとくの道ある諸僧は調達なり。弟唾をくらはんがために、かくのごとくの小児の狂話あり。啼哭といふべし。七仏の眷属にあらず、魔儻畜生なり。いまだ身心学道をしらず、參学せず、身心出家をしらず。王臣の法政にくらく、仏祖の大道をゆめにもみざるによりてかくのごとし」

ここでも激烈な「世俗僧」への批判ですが、ここに云う「師号等」とは禅師号や大師号を指すのでしょうが、金銭での授受が有ったものかも知れず、いつの時代でも変わらぬ世情のようです。

「かくのごとくの道ある諸僧は調達なり」の「調達」とは提婆達多を云い、『正法眼蔵』七十五巻中では当巻にしか見えない語で、「四正断」中の「已生悪令滅」章に於いて「調達生身入地獄・調達生身得授記」と用例があります。

また「七仏の眷属にあらず、魔儻畜生なり」の語句は同じく『仏道』巻では先師(如浄和尚)の示衆語として「近年は祖師道が廃れて、魔儻畜生多く、頻りに五家の門風を挙す、苦哉苦哉」の語句に拈提され、「誑惑世間人のともがら、少聞薄解のたぐいなり」との同様な引用が眼に止まります。

維摩居士の仏出世時にあふし、道未尽の法おほし。学未到すくなからず。龐薀居士が祖席に参歴せし、薬山の堂奥をゆるされず、江西におよばずー中略―乳餠いまだ喫せず、いはんや画餠を喫せんや。いはんや喫仏祖粥飯せんや、未有鉢盂なり。あはれむべし、一生の皮袋いたづらなることを」

維摩居士」はサンスクリット語ではウイマラキルティと呼ばれ、和名では維摩詰が本来名ですが略して維摩と呼ばれる。現存した人物で釈迦時代に中インド毘耶離城の長者(資産家)とされる。特に不二の法門を説いた維摩経は有名で、日本では各時代毎に影響を与える。

また「維摩」と同列席としての「龐蘊居士」も実在の人物で、龐蘊道玄(―808)と云い通称龐蘊居士と呼ばれる。馬祖道一(709―788)の門下だが785年頃に石頭希遷(700―790)に参じ後に馬祖に二年参じ、さらに丹霞天然(739―824)・薬山惟儼(745―828)・大梅法常(752―839)等多くの禅者との往来が有ったとされ、特に丹霞天然との科挙受験の話は有名である。また霊照という娘も禅境に秀でたようである。

「ただわづかに参学の名を盗めりといへども参学の実あらざるなり」

『授記』巻(仁治三(1242)年四月二十五日興聖寺)での最後部に「維摩道の於正位中、亦無受記は、正位即受記をしらざるがごとし、正位即菩提といはざるがごとし」の如くに維摩を批評するが、このように「参学の名を盗めり・参学の実あらず」との激烈なる言葉遣いは、「正業」を説くにしても些かなりともヒステリックな感ある文体が気になります。

「李附馬」は李遵勗(リジュンキョク(―1038)を指し、進士に挙された後に都尉駙馬の官位についた事から附馬とされ、また『天聖広灯録』三十巻を上進したことで知られ、また谷隠蘊聡より印可された「参禅須是鉄漢、著手心頭便判、直趣無上菩提、一切是非莫管」なる鉄漢の偈で知られる。

「楊文公」は楊億(974?―1020?)を指し、字は大年で諡(呼び名)を文ですから楊文公と記し、十一歳の時に太宗皇帝御前で詩五篇を献上したと云い叡敏ぶりが窺われます。首山省念(926―993)に参じ嗣法し李維・王瑙と共に『景徳伝灯録』三十巻を撰したことで知られる。

彼らに対しても「乳餅いまだ喫せず、いはんや画餅を喫せんや。いはんや喫仏祖粥飯せんや、未有鉢盂なり。あはれむべし、一生の皮袋いたづらなることを」と道元禅師の熾烈なる言句が止みません。「乳餅」とは乳を煮沸して醋酸を加え固めた食べ物ですが、ここでは「画餅」の同義語として取り扱うもので「仏法そのもの」を云うものです。

「普勧すらくは尽十方の天衆生衆生、龍衆生衆生、はるかに如来の法を慕古して、いそぎて出家修道し、仏位祖位を嗣続すべし。禅師等が未達の道をきくことなかれ。身をしらず、心をしらざるがゆゑに、しかのごとくいふなり。あるいは又すべて衆生をあはれむこゝろなく、仏法をまぼるおもひなく、たゞひとすぢに在家の人の屎糞をくらはんとして悪狗となれる人面狗人皮狗、かくのごとくいふなり。同坐すべからず、同語すべからず、同依止すべからず。かれらはすでに生身墮畜生なり。出家人もし屎糞ゆたかならば、出家人すぐれたりといはまし。出家人の屎糞、この畜生におよぼさざるゆゑにかくのごとく道取するなり。在家心と出家心と一等なりといふこと、証拠といひ道理といひ、五千余軸の文にみえず、二千余年のあとなし。五十代四十余世の仏祖、いまだその道取なし。たとひ破戒無戒の比丘となりて、無法無慧なりといふとも、在家の有智持戒にはすぐるべきなり。僧業これ智なり、悟なり、道なり、法なるがゆゑに。在家たとひ隨分の善根功徳あれども、身心の善根功徳おろそかなり。一代の化儀、すべて在家得道せるものなし。これ在家いまだ学仏道の道場ならざるゆゑなり、遮障おほきゆゑなり。万機心と祖師心と一等なりと道取するともがらの身心をさぐるに、いまだ仏法の身心にあらず、仏祖の皮肉骨髓つたはれざらん。あはれむべし、仏正法にあひながら畜生となれることを」

前段と同様な内容で以て「ただ一筋に在家の人の屎糞を喰らわんとして悪狗・人面狗・人皮狗・生身堕畜生」と在家と出家との相違を説き、後半部は「破戒無戒の比丘となりて、無法無慧なりといふとも、在家の有智持戒にはすぐれ、僧業は智・悟・道・法が具足した学仏道場」と出家の優位を説く構文です。

「かくのごとくなるによりて、曹谿古仏たちまちに辞親尋師す、これ正業なり。金剛経をきゝて発心せざりしときは樵夫として家にあり、金剛経をきゝて仏法の薫力あるときは重擔を放下して出家す。しるべし、身心もし仏法あるときは、在家にとゞまることあたはずといふことを。諸仏祖みなかくのごとし。出家すべからずといふともがらは、造逆よりもおもき罪条なり、調達よりも猛悪なりといふべし。六群比丘六群尼十八群比丘等よりもおもしとしりて、共語すべからず。一生の寿命いくばくならず、かくのごとくの魔子畜生等と共語すべき光陰なし。いはんやこの人身心は、先世に仏法を見聞せし種子よりうけたり。公界の調度なるがごとし。魔族となすべきにあらず、魔族とともならしむべきにあらず。仏祖の深恩をわすれず、法乳の徳を保護して、悪狗の叫吠をきくことなかれ。悪狗と同坐同食することなかれ」

先ほどは在家の学道として維摩居士・龐蘊居士・李附馬・楊文公を列名しましたが、ここでは出家の学道として曹谿古仏六祖慧能を例示し「辞親尋師が正業なり」と正業の具体例を提示します。

また在家の学道は「調達・六群比丘・六群尼・十八群比丘」より劣り「悪狗の叫吠を聞くことなかれ」さらに「悪狗と同坐同食することなかれ」と唵耳なる説法です。

因みに「六群比丘」は常に徒党を組み悪行し、制戒の因を作った比丘を指し、「六群尼・十八群比丘」も同等人です。

 

嵩山高祖古佛、はるかに西天の佛國をはなれて、邊邦の神丹に西來するとき、佛祖の正法まのあたりつたはれしなり。これ出家得道にあらずは、かくのごとくなるべからず。祖師西來已前は、東地の衆生人天、いまだかつて正法を見聞せず。しかあればしるべし、正法正傳、たゞこれ出家の功徳なり。

大師釋尊、かたじけなく父王のくらゐをすてて嗣續せざることは、王位の貴ならざるにあらず、佛位の最貴なるを嗣續せんがためなり。佛位はこれ出家位なり、三界の天衆生衆生、ともに頂戴恭敬するくらゐなり。梵王釋王の同坐するところにあらず。いはんや下界の諸人王諸龍王の同坐するくらゐならんや。無上正等覺位なり。くらゐよく説法度生し、放光現瑞す。この出家位の諸業、これ正業なり、諸佛七佛の懷業なり。唯佛與佛にあらざれば究盡せざるところなり。いまだ出家せざらんともがらは、すでに出家せるに奉覲給仕し、頭頂敬禮し、身命を捨して供養すべし。

先には「曹谿古仏の正業」と在家の学道との対比でしたが、ここでは「嵩山高祖古仏」と「大師釈尊」の例示を掲げ、「出家位の諸業これ正業なり」と引き続き「正業道支」の拈提がされます。

 

釋迦牟尼佛言、出家受戒、是佛種子也、已得度人。

しかあればすなはちしるべし、得度といふは出家なり。未出家は沈淪にあり、かなしむべし。おほよそ一代の佛説のなかに、出家の功徳を讚歎せること、稱計すべからず。釋尊誠説し、諸佛證明す。出家人の破戒不修なるは得道す、在家人の得道いまだあらず。帝者の僧尼を禮拝するとき、僧尼答拝せず。諸天の出家人を拝するに、比丘比丘尼またく答拝せず。これ出家の功徳すぐれたるゆゑなり。もし出家の比丘比丘尼に拝せられば、諸天の宮殿光明果報等、たちまちに破壞墜墮すべきがゆゑにかくのごとし。

おほよそ佛法東漸よりこのかた、出家人の得道は稻麻竹葦のごとし。在家ながら得道せるもの、一人もいまだあらず。すでに佛法その眼耳におよぶときは、いそぎて出家をいとなむ。はかりしりぬ、在家は佛法の在處にあらず。しかあるに、萬機の身心すなはち佛祖の身心なりといふやからは、いまだかつて佛法を見聞せざるなり。黒闇獄の罪人なり。おのれが言語なほ見聞せざる愚人なり、國賊なり。萬機の心をもて佛祖の心に同ずるを詮とするは、佛法のすぐれたるによりて、しかいふを帝者よろこぶ。しるべし、佛法すぐれたりといふこと。萬機の心は假令おのづから佛祖の心に同ずとも、佛祖の身心おのづから萬機の身心とならんとき、萬機の身心なるべからず。萬機心と佛祖心と一等なりといふ禪師等、すべて心法のゆきがた、様子をしらざるなり。いはんや佛祖心をゆめにもみることあらんや。

ここでは仏弟子の条件を「出家受戒は是れ仏の種子であり已に得度の人」と説き、出家は政治(帝者)より上位に位置するを常態とするが、禅宗僧・禅師と自己主張する輩は「万機の身心すなはち仏祖の身心なり」と帝者に進言する禅師等は「心法の行き方、様子を知らずに仏祖心を見ることがあろうか」との道元禅師在宋当時の状況です。因みに「万機心」とは百般のまつりごとを統べる心・天子の心の事です。

 

おほよそ梵王釋王人王龍王、鬼神王等、おのおの三界の果報に著することなかれ。はやく出家受戒して、諸佛諸祖の道を修習すべし。曠大劫の佛因ならん。みずや、維摩老もし出家せましかば、維摩よりもすぐれたる維摩比丘をみん。今日はわづかに空生舎利子、文殊彌勒等をみる、いまだ半維摩をみず。いはんや三四五の維摩をみんや。もし三四五維摩をみず、しらざれば、一維摩いまだみず、しらず、保任せざるなり。一維摩いまだ保任せざれば維摩佛をみず、維摩佛みざれば維摩文殊維摩彌勒維摩善現維摩舎利子等、いまだあらざるなり。いはんや維摩山河大地、維摩草木瓦礫、風雨水火、過去現在未來等あらんや。維摩いまだこれらの光明功徳みえざることは、不出家のゆゑなり。維摩もし出家せば、これらの功徳あるべきなり。

先に「維摩・龐蘊・李附馬・楊文公」を取り挙げ在家の未得を説かれましたが、この段では維摩に言及した文言(維摩を十八回使用)で、維摩の未出家を惜しむかの道元禅師の老婆心語です。なお「空生・善現」はともに須菩提のことです。

 

當時唐朝宋朝の禪師等、これらの宗旨に達せず、みだりに維摩を擧して作得是とおもひ、道得是といふ。これらのともがら、あはれむべし、言教をしらず、佛法にくらし。あるいは又あまりさへは、維摩と釋尊と、その道ひとしとおもひいへるおほし。これらまたいまだ佛法をしらず、祖道をしらず、維摩をもしらず、はからざるなり。かれらいはく、維摩黙然無言して諸菩薩にしめす、これ如來の無言爲人にひとしといふ。これおほきに佛法をしらず、學道の力量なしといふべし。如來の有言、すでに自餘とことなり、無言もまた諸類とひとしかるべからず。しかあれば、如來の一黙と維摩一黙と、相似の比論にすらおよぶべからず。言説はことなりとも黙然はひとしかるべしと憶想せるともがらの力量をさぐるには、佛邊人とするにもおよばざるなり。かなしむべし、かれらいまだ聲色の見聞なし、いはんや跳聲色の光明あらんや。いはんや黙の黙を學すべしとだにもしらず、ありとだにもきかず。おほよそ諸類と諸類と、その動靜なほことなり。いかでか釋尊と諸類とおなじといひ、おなじからずと比論せん。これ佛祖の堂奥に參學せざるともがら、かくのごとくいふなり。

引き続き維摩に関する言説で、釈尊維摩との一黙の相違の説明です。「あまりさへ」は剰之と書き、その上に又はそれだけでなくの意で、「あまっさへ」と「あまりさへ」の促音便でも表現されます。

 

あるいは邪人おほくおもはく、言説動容はこれ假法なり、寂黙凝然はこれ眞實なり。かくのごとくいふ、また佛法にあらず。梵天自在天等の經教を傳聞せるともがらの所計なり。佛法いかでか動靜にかゝはらん。佛道に動靜ありや、動靜なしや、動靜を接すや、動靜に接せらるやと、審細に參學すべし。而今の晩學、たゆむことなかれ。

現在大宋國をみるに、佛祖の大道を參學せるともがら、斷絶せるがごとし。兩三箇あるにあらず。維摩は是にして一黙あり、いまは一黙せざるは維摩よりも劣なりとおもへるともがらのみあり。さらに佛法の活路なし。あるいは又、維摩の一黙はすなはち世尊の一黙なりとおもふともがらのみあり、さらに分別の光明あらざるなり。かくのごとくおもひいふともがら、すべていまだかつて佛法見聞の參學なしといふべし。大宋國人にあればとて、佛法なるらんとおもふことなかれ。その道理、あきらめやすかるべし。

ここでも同様に維摩を題材にした論調ですが、この段にて俗語混じりの拈提はひとまず終わります。この長文は「正業道支」を説かんが為のものでしたが、これから説く「正命道支」・「正精進道支」・「正念道支」・「正定道支」に対する拈提は、「正業道支」以前の普段の眼蔵流になりますが、先般は筆者この俗語混じり拈提文を「ヒステリック」と表現しましたが、これ程までに具体的に説かなければならなかった提唱時(寛元二年二月二十四日・1244)での諸事情があったのだろうと推測されますが、この四千弱文字の分量といい前後の語響との相違といい、執筆時には存在しなかった文言だと思われます。

またこの巻には懐弉の書写時期は記されていないが、七十五巻配列作業に於いても四千弱文字を付言しての意義はあるのだろうか。

 

いはゆる正業は僧業なり。論師經師のしるところにあらず。僧業といふは、雲堂裏の功夫なり、佛殿裏の禮拝なり、後架裏の洗面なり。乃至合掌問訊、燒香燒湯する、これ正業なり。以頭換尾するのみにあらず、以頭換頭なり、以心換心なり、以佛換佛なり、以道換道なり。これすなはち正業道支なり。あやまりて佛法の商量すれば、眉鬚墮落し、面目破顔するなり。

この段で「正業は僧業なり」の結語ですが、最初に説かれた「正業道支は出家修道なり、三十七品是僧業」を再度言うものです。「論師経師」とは仏教の論書に通ずる学者を云います。「正業」の具体例を「雲堂裏の功夫・仏殿裏の礼拝・後架裏の洗面・合掌問訊・焼香焼湯」と示しますが、何ら特別なことはなく「日常底」そのものを言うわけです。

「以頭換尾するのみにあらず、以頭換頭なり、以心換心なり、以仏換仏なり、以道換道なり」

頭で以て尾に換えるとは、悪を善に転換するような思いがけない事をすることも「正業」に有り得ても、「頭で以て頭に換え」、「心で以て心に換える」と言うように極く当たり前の日常底を言うものです。これ(以頭換頭・以心換心・以仏換仏・以道換道)らが「正業」正しいあり方であり、間違って仏法を商量(やりとり)すれば、眉鬚(まゆ・あごひげ)抜け落ち、面目破顔なりとの拈提で否定語句に解されるものですが、堕落も破顔も共に解脱の詞としての註解(『御抄』)もあります。

 

正命道支とは、早朝粥、午時飯なり。在叢林弄精魂なり。曲木座上直指なり。老趙州の不滿二十衆、これ正命の現成なり。藥山の不滿十衆、これ正命の命脈なり。汾陽の七八衆、これ正命のかゝれるところなり。もろもろの邪命をはなれたるがゆゑに。

「正命道支」とは正しい生活という一支分の意で、前段で「正業は僧業なり」の言を承けての「正命道支」に対する提唱ですから、おのづと「早朝は粥・午(うま)の時は飯」さらに「叢林に在っては精魂をそそぎ、曲彔での指導」が「正命」であるとの言です。

次に具体例で趙州従諗・薬山惟儼・汾陽善昭を取り上げ、それぞれ二十人未満・十人未満・七、八人と少数ながらの叢林生活の正しい生活の命脈が保たれた意義を強調される文言です。

 

釋迦牟尼佛言、諸聲聞人、未得正命。

しかあればすなはち、聲聞の教行證、いまだ正命にあらざるなり。しかあるを、近日庸流いはく、聲聞菩薩を分別すべからず、その威儀戒律ともにもちゐるべしといひて、小乘聲聞の法をもて、大乘菩薩法の威儀進止を判ず。

釋迦牟尼佛言、聲聞持戒、菩薩破戒。

しかあれば、聲聞の持戒とおもへる、もし菩薩戒に比望するがごときは、聲聞戒みな破戒なり。自餘の定慧もまたかくのごとし。たとひ不殺生等の相、おのづから聲聞と菩薩あひにたりとも、かならず別なるべきなり。天地懸隔の論におよぶべからざるなり。いはんや佛々祖々正傳の宗旨と諸聲聞と、ひとしからんや。正命のみにあらず、清淨命あり。しかあればすなはち、佛祖に參學するのみ正命なるべし。論師等の見解、もちゐるべからず。未得正命なるがゆゑに、本分命にあらず。

「諸声聞人、未得正命」の典拠は不明ですが、木村清孝氏によると『涅槃経』(北本)巻三十六の「戒不具足」項に於ける「是の人、身口に従うといえども正命を得ず」と比定され、この経文についての拈提では道元禅師の周囲に参ずる僧(日本達磨宗徒か)の中には声聞(小乗)・菩薩乗(大乗)の同等性を説く本覚仏論者に対する拈提です。

次に例に挙げる「声聞持戒、菩薩破戒」の典拠は『大宝積経』巻九十・優波離会第二十四

「尓時世尊告優波離。汝今当知。声聞菩薩学清浄戒。所発心所修行異。優波離。有声聞乗持清浄戒。於菩薩乗名大破戒。優波離。声聞乗人。乃至不応起一念更受後身。是名声聞持清浄戒」

(その時世尊ウパーリに告ぐ。汝今当に知るべし。声聞の菩薩は清浄戒を学す。ウパーリ。声聞乗の清浄戒を持つこと有るも。菩薩乗に於いては大破戒と名づく。声聞乗に於いては大破戒と名づく。云何が声聞人は浄戒を持つと雖も菩薩乗に於いては大破戒と名づくと為すや。ウパーリ。声聞乗の人は乃至一念も更に後身を受くと起すべからず。是れを声聞の清浄戒と名づく)

の経文引用と思われます。

「声聞の持戒とおもへる、もし菩薩戒に比望するが如きは、声聞戒みな破戒なり。自余の定慧もまたかくの如し」

「比望」つまり比較する事が仏法の思考では成立せず、無能所差別を以てすれば、「不殺生の相」も声聞は自調、菩薩は化他を優先するから、事項は同じでも結果は「天地懸隔の論」となるから、「仏々祖々正伝の宗旨」に参ぜよとの事です。

「正命のみにあらず、清浄命あり」

清浄命は先に云う『大宝積経』中に於ける清浄戒を念頭に入れた語句で以て「正命」・「本分命」と経論師の見解の相違を説くものです。

 

正精進道支とは、抉出通身の行李なり、抉出通身打人面なり。倒騎佛殿打一匝、兩匝三四五匝なるがゆゑに、九々算來八十二なり。重報君の千萬條なり。換頭也十字縱横なり、換面也縱横十字なり。入室來、上堂來なり。望州亭相見了なり、烏石嶺相見了なり。僧堂前相見了なり、佛殿裡相見了なり。兩鏡相對して三枚影あるをいふ。

正精進」の定義付けを「抉出通身の行李」とするが、通身は尽十方界を指し快出はえぐり出すの意ですから、全身の行李(行動)を正精進と云い、さらに「抉出通身打人面」は通身(全身)を人面に付け換えるとの事です。

「倒騎仏殿打一匝、両匝三四五匝なるがゆえに、九々算来八十二なり」

石井恭二氏訳によると、「馬に後向きに騎って仏殿を一巡し、二度巡り三四五度と打ち巡るのであるから、九九を八十一に算えるような並みの修行ではない」とされ、詮慧和尚の解釈は「解脱の後は八十二でも八十一でもよい」とされますが、今一つ釈然としない箇所です。

「重報君の千万条なり。換頭也十字縱横なり、換面也縱横十字なり。入室来、上堂来なり」

「重ねて君に報ずる千万条」とは辺際なき無尽を表意する言句で、さらに「換頭換面」とあらゆる方向性を示し「十字縱横・縱横十字」と無量数を以て「精進」を云うものです。「入室来・上堂来」も九九算来の一情景です。

「望州亭相見了なり、烏石嶺相見了なり。僧堂前相見了なり、佛殿裡相見了なり。両鏡相対して三枚影あるをいふ」

「望州亭・烏石嶺・僧堂前・佛殿裡相見了」のことばは『光明』巻(仁治三(1242)年六月二日興聖寺示衆)最後部に取り挙げられた提唱の雪峰山真覚大師(義存)の語句で、続く「両鏡相対して三枚影あるをいふ」は『光明』巻からの引用ですから、このような表現方法で「正精進」の精髄を説かれたものと思われます。

 

正念道支は、被自瞞の八九成なり。念よりさらに發智すると學するは捨父逃逝なり。念中發智と學するは、纏縛之甚なり。無念はこれ正念といふは外道なり。また地水火風の精靈を念とすべからず、心意識の顛倒を念と稱ぜず。まさに汝得吾皮肉骨髓、すなはち正念道支なり。

「被自瞞の八九成」とは理解しづらい表現ですが、次に説く「念よりさらに発智」の語句から推察されるように、念と智を別物とは見ず「正念」と自己を同体と見なす表現を「被自瞞の八九成」なる提唱文になったと思われますが、いつもながらの独自な解釈表現形態は続きます。

「念よりさらに発智すると学するは捨父逃逝なり」

先に云うように「念」から「智」が発生すると云うと、二項分立・主観客観的方法論となり、『法華経』信解品で説く他国愍跰窮子の喩えで、「正念と被自瞞」の同時同体の関係を説くものです。

「念中発智と学するは、纏縛之甚なり」

このように発展段階的思考法では纏(まと)わり縛(しば)られること甚しいの意です。

「無念はこれ正念といふは外道なり。また地水火風の精霊を念とすべからず、心意識の顛倒を念と称ぜず」

「無念」と「正念」という仮想カテゴリーを設定するを仏教外の論法で「外道」と見なし、同様に四大(地水火風)が結合した状態を「念」と云ったり、「心意識」の脳内に現出するを打破(顛倒)する事を念とは云わないとの一般的常識を正す拈提です。

「まさに汝得吾皮肉骨髄、すなはち正念道支なり」

「正念道支」の結論は「汝得吾皮肉骨髄」つまりは皮・肉・骨・髄と分断した思考法ではなく、身心一如的思惟を「正念道支」とのことです。

 

正定道支とは、脱落佛祖なり、脱落正定なり。佗是能擧なり、剖來頂作鼻孔なり。正法眼藏裏、拈優曇花なり。優曇花裏、有百千枚迦葉破顔微笑なり。活計ひさしくもちゐきたりて木杓破なり。このゆゑに、落草六年、花開一夜なり。劫火洞燃、大千倶壞、隨佗去なり。

この段にて「三十七道支」の拈提の最終項ですが、これまでの拈提の内容からして「正定道支とは、脱落仏祖なり、脱落正定なり」の解釈は、坐禅(定)と脱落(現成態)と仏祖(我々自身)との同筆同時同元性を云うものであり、重ねて云うに脱落のあとに仏祖になるのでも、脱落の後に正定に就くと云う事ではないこと留意の必要があります。

「他是能挙」は随他去と同義語、「剖來頂潼作鼻孔」は頭上を解体し鼻の孔とする事とは、頭と鼻の孔を同等と見なすことです。つまりは「定」というものは、これこれと云った固定観念を持ち込まず行持せよとの言です。

正法眼蔵裏、拈優曇花なり。優曇花裏、有百千枚迦葉破顔微笑なり」

正法眼蔵の中で優曇花を拈ずる」とは今までの拈語通りに釈すると、正法と優曇花は別物ではなく、正法が現在する処に優曇花は拈じられる処は正法眼蔵が在るとの意です。同様に「優曇花と迦葉の破顔微笑」の同物を説き、「百千枚」という数字で以て無量底を云うものです。

「活計ひさしくもちいきたりて木杓破なり。このゆえに、落草六年、花開一夜なり。劫火洞燃、大千倶壞、随他去なり」

「活計」とは生活いとなみを云い、間断なく生きてますから「定」という語を「木杓破」という日常語に置き換えたのです。

「落草六年」は釈尊の苦行時を云い、「花開一夜」は成道を云うものですが、時節時間の相違はなく同事を云うものです。

「劫火洞燃・大千倶壞・随他去」の語は『真字正法眼蔵』上・二十四則に載る益州大隋山神照大師と僧との問答句ですが、云う処は「只彼に任す」ことで、「正定道支の道理に任ずる」を「随他去」の語で良い換えた提唱でした。

 

この三十七品菩提分法、すなはち佛祖の眼睛鼻孔、皮肉骨髓、手足面目なり。佛祖一枚、これを三十七品菩提分法と參學しきたれり。しかあれども、一千三百六十九品の公案現成なり、菩提分法なり。坐斷すべし、脱落すべし。

これまで説いてきた四念住・四正断・四神足・五根・五力・七等覚支・八正道それぞれは、眼睛であったり鼻の孔であったり皮肉骨髄であったり手足であったり顔であったり眼であったりと、どれもが人体の構成する主要な部位であり次第階級は成り立たず、四念住より八正道に至る無階級を一菩提分法の中に三十七品存在し、1369品つまり無量底を云うわけで一菩提を修証することが「坐断」であり、行持そのことが「脱落」という「公案現成」であるとの道元禅師の提唱です。