正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻に関する一考察     賴住  光子 

正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻に関する一考察

賴住  光子   

 

 ここに考察する『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻は、『正法眼蔵』全巻のうちで最も早く書かれている。その奥書には「爾時天福元年夏安居日在観音導利院示衆」とあり、天福元(一二三三)年に示衆されたことが分かる。この年、道元は、京都深草極楽寺跡に興聖寺(観音導利興聖宝林禅寺)を建立した。嘉禄三(一二二七)年に宋から帰国する際に、道元は、嗣法の師天童如浄から「国に帰りて化を布き、広く人天を利せよ」(1)という言葉を託されたと伝えられる。当初は、旧知の建仁寺に仮寓していた道元だが、その後、深草安養院に移り、天福元(一二三三)年には、師如浄の言葉を実現すべく、日本初の本格的な修行道場を開創するに至った。この年、早速に夏安居が行われ(2)、そこで示衆されたのが、この「摩訶般若波羅蜜」巻ということになる。「般若波羅蜜」という、まさに大乗仏教の修証論の基本概念から、道元は『正法眼蔵』執筆に着手したということができる。

 この巻に引き続いて、同年「中秋のころ」に書かれたのが「現成公案」巻である。その後は、五年ほど間があいて嘉禎四(一二三八)年に「一顆明珠」巻が興聖寺で示衆されている。このような『正法眼蔵』の執筆状況から、道元教団開創の最初期に相次いで書かれた「摩訶般若波羅蜜」巻と「現成公案」巻とは、とりわけ密接なつながりを持っていることが推測される。

 また、この「摩訶般若波羅蜜」巻は、七五巻本でも六〇巻本でも、「現成公案」巻と「仏性」巻に挟まれた第二巻に位置している(3)。「摩訶般若波羅蜜」巻は、この二つの重要な巻の間にあり、両者をつなぐ役割を担わせられているということができよう。本稿では、「摩訶般若波羅蜜」巻の内容を検討するとともに、『正法眼蔵』全体の構成の中でどのような意味を担わせられているのかについても考えてみたい。

 さて、「摩訶般若波羅蜜」巻においては、日本をはじめとする東アジア世界において最も用いられている経典の一つである『般若心経』(般若波羅蜜多心経)を基盤としながら(4)、仏道修行において目指される智慧の完成(般若波羅蜜)とは何かという問題が追及される。まず、巻全体の構成とその概要を確認しておこう。

(1)    導入部:『般若心経』の言葉を用いながら、「空」なる「般若波羅蜜」がどのような形で修行者に立ち現れてくるのかを説明する。

(2)    『大般若経』(『大般若波羅蜜多経』二九一、著不著相 品、大正六、四八〇頁b~c)からの引用とそれに対する解釈:「般若波羅蜜」についての一人の僧と釈迦との対話・帝釈天須菩提との対話の二つの対話をめぐって、「施設可得」(=「無の施設」)と「虚空のごとく学す」について説明する。

(3)    如浄の風鈴頌の引用とそれに対する解釈:般若を説くことについて検討する。

(4)    『大般若経』(『大般若波羅蜜多経』一七二、讃般若品、 大正五、九二五頁a)からの引用とそれに対する解釈:「般若波羅蜜」と仏との一体性について説明する。 つまり、導入部で提示された「空」からの立ち現れ(現成)について、(2)で「無の施設」をもとにその機序、構造を説明し、(3)で立ち現れの体現(自利)と伝達(利他)を明らかにする。それを受けて(4)で立ち現れを体現する修行者はその限りで仏であるという修証一等が示されていくのである。

 以下、それぞれの部分について検討していきたい。

【1】導入部に対する検討

 本巻のテーマとなる「摩訶般若波羅蜜」についての一般的な意味を、確認しておこう。「般若」というのは、サンスクリット語のprajñāの音写であり、禅宗では伝統的に、修行によって得た無分別智を意味する。さとりの智慧であり、「空」を体得する智慧である。「波羅蜜(多)」は、サンスクリット語のpāramitāの音写であり、現在は「完成」と訳されるのが一般的であるが、伝統的には「到彼岸」「度」と訳されてきた言葉で、「さとり」の智慧によって、煩悩の此岸から菩提の彼岸へと渡ることを意味する。

 まず、「摩訶般若波羅蜜」巻冒頭部の原文を見てみよう。 

 

観自在菩薩の行深、般若波羅蜜多時は、渾身の照見、五蘊皆空なり。五蘊は色受想行識なり、五枚の般若なり。照見これ般若なり。この宗旨の開演現成するにいはく、色即是空なり、空即是色なり。色是色なり、空即空なり。百草なり、万象なり。

 般若波羅蜜十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり、眼耳鼻舌身意、色声香味触法、および眼耳鼻舌身意識等なり。また四枚の般若あり、苦集滅道なり。また六枚の般若あり、布施、淨戒、安忍、精進、静慮、般若なり。また一枚の般若波羅蜜而今現成せり、阿耨多羅三藐三菩提なり。また般若波羅蜜三枚あり、過去、現在、未来なり。また般若六枚あり、地水火風空識なり。また四枚の般若、よのつねにおこなはる、行住坐臥なり。(全上一一)(5)

 

 ここで、道元は、『般若心経』を下敷きにし、そのほぼ全体に渡って用語を採りつつ、独自の般若理解を展開している。まず注目されるのが、最初の一文である。この文章が『般若心経』の「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。」を下敷きにしていることはすぐに見て取れるだろう。近代以前の諸写本には、もちろん読点は施されていないが、近代以降の刊行本において、本文校訂の際に付けられた読点としては、一般的には、「観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり」とされる場合がほとんどである(6)。その場合、意味的には、「観自在菩薩が、深遠な般若波羅蜜を実践している時、全身の力をこめて五蘊皆空を明らかに見極める。」と理解される。

 たしかに、玄奘訳『般若心経』の冒頭の一句の標準的な漢訳読み下しは「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊皆空なりと照見して」であり、これを、「摩訶般若波羅蜜」巻の冒頭の一文に反映すれば、確かに、「観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり」という読点の打ち方となる。しかし、道元自身が、「摩訶般若波羅蜜」巻冒頭の文章に込めた意味は、この読点の施し方によって適切に表されていると言っていいのだろうか。吟味が必要であろう。

 さて、まず前提として考えておかなければならないのは、道元が「観自在菩薩」をどのようなものとして意味付けていたのかということである。この「摩訶般若波羅蜜」巻においては、この冒頭の一句以外には「観自在菩薩」は登場しないが、観自在菩薩と同体である観音菩薩について、『正法眼蔵』において、道元が修行者として捉えていることが分かっている。たとえば、『正法眼蔵』「観音」巻では、観音という語の特徴的な用例があり参考になる。

 

 雲巌道の遍身是手眼の出現せるは、夜間背手摸枕子を講誦するに、遍身これ手眼なりと道取せると参学する観音のみおほし。この観音たとひ観音なりとも、未道得なる観音なり。

(全上一七二)

 

 この文章の中で、雲巌曇晟と道吾圓智の千手千眼観音をめぐる問答を取り上げて、道元は次のように展開する。雲巌が言った「遍身是手眼」(全身が手眼である)という言葉は、

「夜間背手摸枕子」のことを意味している。この言葉は、「夜に手を後ろにまわして枕を探る」ということで、修行が目に見える目的をもったものではなくて、修行することそれ自体のうちで充足しているという修証一等を意味していよう。しかしながら、この「遍身是手眼」については、ただ言葉通りに受け止めて事足れりと「参学」している「観音」が多く、これらの「観音」は、まだ正しく真理を表現出来ていない「観音」だと道元は断じる。この「参学」する「観音」が修行者のことを指していることは明白である。つまり、道元にとって「観自在菩薩」とは衆生を救済してくれる帰依の対象ではなくして、修行者の文脈で語られる存在であると考えることができよう。

 このような道元の観音理解を補強するものとして、『永平広録』第一〇巻に収録された「昌国県補陀洛迦山に詣で因みに題す」と題された以下のような偈頌がある。

 

  聞思修より三摩地に入れば、自己端厳にして聖顔を現ず。

 為に来人に告げて此の意を明らかにせん、観音は宝陀山に在らず。(7) 

 

この偈頌は、道元が在宋時に観音菩薩の在所に比定されていた、昌国県補陀洛迦山(浙江省舟山群島)の観音霊場を訪れて作成したものとされている。意味は、「仏の教えを聞き認識し修行して三昧の境地(三摩地)に入るならば、自分自身が厳かなありようになり、顔も観音の聖なる顔になる。この地に来る人にこの意味を明らかにしよう。観音は、補陀落山などにはいない。つまり、自分自身が観音に他ならないのだ。」ということになる。道元はこの偈頌においても、観音というのは自分から離れた帰依の対象などではなくて、禅定を修する修行者自身であると主張しているのである。

 以上、『正法眼蔵』や『永平広録』の観音の用例を手がかりとして、道元にとって、「摩訶般若波羅蜜」巻冒頭の「観自在」とは、修行者に他ならないということが明らかになった。この観音の理解を踏まえて、冒頭の一文の読点を、文の前半と後半に分けて考えてみよう。

 まず先に、問題としたいのは、後半の「渾身の照見五蘊皆空なり」の読点である。この文は、一般的には、「照見五蘊皆空」と読点を打たずに続けて読まれ、「五蘊皆空」ということがらを明らかに見るという意味で理解されている。確かに、典拠とした『般若心経』では「五蘊皆空」ということがらを観自在菩薩が照見するという意味になっている。しかし、道元もそれをそのまま踏襲していると考えてもいいのだろうか。そこには、再考の余地があるように思える。このことを考える手がかりとなるのが、「渾身」と「五蘊皆空」という言葉である。まず、「五蘊皆空」から考えてみよう。

 「五蘊皆空」の「五蘊」とは、色(物質)・受(感受作用)・想(概念・表象作用)・行(精神作用)・識(認識作用)であり、人間をはじめあらゆる存在者を、そのものとして成り立たせている構成要素である。そしてこの構成要素が空であると言われる。「空」とは、何もない空虚ということではなくて、そのものとして不変的、固定的に存在してはいないということである。(それは、同時に、関係の中でそのものとして存在しているということ、すなわち、縁起を意味する。)「五蘊皆空」という言葉は、存在者を構成要素に分解することで、その固定的実体性を否定し、さらにその構成要素のそれぞれも、「空」であって不変の実在ではないとすることによって、徹底的に存在の無根拠性(=無本質性)を主張するのである。存在者の無根拠性を自覚し「空」を体得することこそが、「般若波羅蜜」(智慧によるさとりへの到達)なのである。そして、「空」が不変の本質の不在(=無我)を表わすならば、それは分節以前の無分節と言うことも可能である。その意味で「般若」の智慧の体得とは、無分節への還帰すなわち、固定化された分節の打破と言えるのだ。

次に「渾身」について考えてみよう。この言葉は、次節の如浄の風鈴頌の引用の部分で使われている。風鈴頌の詳しい説明は後述するとして、「渾身」という言葉に道元が託している意味を、ここでは必要な範囲で確認しておこう。

 如浄の偈は、風鈴に禅の修行者の在り方を託し「渾身口に似て虚空に掛り(中略)般若を談ず」と言う。修行者は、全身で「空」なる在り方(他との関係の中で成立しており、不変の固定的実体ではない、「空―縁起」なる在り方)を実現し、その「空―縁起」を把握する智慧(般若)を他者に対して説き続けているというのだ。そして、この如浄の偈を受けて、道元は「渾身般若なり」(全上一二)と述べている。つまり、道元は、「空―縁起」を全身で体現することによって、修行者自身が「般若の智慧」そのものになっていくと言っているのである。如浄は、「般若を談ず」と言ったが、道元は、般若を談じ、表現することは、自分自身が般若そのものになっていくことであると展開する。そのような自分自身のあり方を「渾身」という言葉は含意しているのである。「渾身般若」という言葉に端的に表されているように、「般若」とは、自己に宿る智慧というものでも、自己が獲得すべき対象物でもない。自己が修行によって自己の本来性としての「空 ―縁起」を自覚的に表現する時、自己と般若とは一体のものなのである。

 

 以上述べたことを踏まえて、「渾身の照見五蘊皆空なり」という文章の成り立ちを考えるならば、一般に考えられている、『般若心経』に準拠したのとは違う読みの可能性が開けてくる。一般的な読み方では、「渾身の」の「の」を、状態などの特性を表す連体修飾格の格助詞と捉え、「渾身の照見」、すなわち「全身の力をこめて見極める」という意味であるし、さらに、「五蘊皆空」を「照見する」対象と捉える。そして、主語である観自在菩薩が、全身全力をあげて、仏道の真理としての「五蘊皆空」について明らかに見極めると理解する。しかし、必ずしもこのような理解が最も適切であるというわけではない。

 なぜならば、上述の「風鈴頌」から見て取れるように、「渾身」という言葉が、主体としての修行者(=観自在菩薩)が対象としての「五蘊皆空」という真理を「照見する」というような図式自体を拒むからなのである。「渾身」とは、まさに修行者が空そのものを体現して、すなわち、ありとあらゆるものとの関係性の中で、固定的な自我というものを立てずに、全身心をあげて仏道修行をなすと言う場合の、「身」を指す言葉である。そこには、主体としての「身」と、「照見」される対象としての「五蘊皆空」という二元対立は存在しない。つまり、「渾身の照見」と言っても、それは主体としての「渾身」が対象を「照見」するということではない。如浄の「風鈴頌」に対する説明で道元自身が「渾身般若なり」と述べていたように、修行する身、そして道元の場合は、身と心は一体のものであるから、修行する身心それ自体が、主客に分節していないという意味で無分節の根源である真理それ自体であるということになるのだ。(このことについて、「虚空」巻では、同じく如浄の「風鈴頌」の「渾身口に似て虚空に掛れり」という一節を引き「虚空の渾身は虚空にかかれり」(全上五六三)と説明している。修行する身心(渾身)は、根源としての「虚空」(空―縁起)から立ち現れているのである。)

 以上を踏まえて、「渾身の照見五蘊皆空なり」に読点を施すとするならば、それは「渾身の照見、五蘊皆空なり」でなければならない。なぜならば、「五蘊皆空」とは、「照見」される対象ではなくして、「渾身」それ自身の状態の表現だからなのである。「渾身の照見」の時、つまり、全身心が全身心をあげて修行し、正しく世界に対する(さとる)時、修行者は「五蘊皆空」を対象的に見るのではなくて、自ら「五蘊皆空」となり、「五蘊皆空」を生きるのである(8)。そのとき修行者(=観自在菩薩)は、まさに「般若波羅蜜」を成就するのである。(なお文法的に説明するならば、「渾身の照見、五蘊皆空なり」と読点を打つ場合、「渾身の照見」の格助詞「の」は、後ろの動作性名詞が表す動作・作用の主体を示す連体修飾格となり、また、「渾身の照見」が主部、「五蘊皆空なり」が述語になる。ただし、動作・作用の主体と言っても、それは、主客二元対立の枠組みの下で考えられているのではないことには留意すべきである。)

 そして、「渾身の照見五蘊皆空なり」が、「渾身の照見、五蘊皆空なり」と読点を施されるならば、この文の前半の「観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は」にも、改めて読点を施す可能性が開けてくる。「渾身の照見」と「観自在菩薩の行深」とが対句的に対応すると考え得るのである。『般若心経』の原文では、「行深般若波羅蜜多時」であり、「深き般若波羅蜜を行じし時」と読まれるのであるが、「観自在菩薩」が「行を深めていく」「深く徹底的に修行する」と取り、それが「般若波羅蜜」なのだと解釈することも可能なのではないだろうか。(文法的には「観自在菩薩の行深」の「の」は「渾身の照見」の場合と同じく、動作・作用の主体を示す連体修飾格になる。)

 ここで言われる「行深」という言葉については、確かに『正法眼蔵』や『永平広録』等にも用例のない言葉ではあるが、類似した言葉としては「深深海底行」がある。たとえば、「有時」巻冒頭では、薬山惟儼の言葉「須向高高山頂立、深深海底行」を下敷きにして「有時高高峰頂立、有時深深海底行。」(全上一八九)と言われる。この「深深海底行」は深い海の底を行くということであるが、「海印三昧」巻冒頭の「諸仏諸祖とあるに、かならず海印三昧なり。この三昧の游泳に、説時あり、証時あり、行時あり。海上行の功徳、その徹底行あり。これを深深海底行なりと海上行するなり。」(全上一〇二)になると、「深深海底行」の「行」は修行の意味で使われている。「行時」の「行」が敷衍されて、「海上行」「徹底行」「深深海底行」と言い換えられており、こうなると「深深海底行」は、「深く徹底した修行」という意味を担わせられることになる。この「海印三昧」巻における、「深深海底行」のイメージを「行深」に重ねることも可能ではないだろうか。

 このように、「観自在菩薩の行深、般若波羅蜜多時」と「渾身の照見、五蘊皆空なり」について、「観自在菩薩の行深」と「渾身の照見」とを対にして読んで、両者ともに修行者が全身心を挙げて修行することと解し、「般若波羅蜜多」と「五蘊皆空」とは、「空―縁起」の把捉による開悟成道であり、自ら「空―縁起」を生きることであると解することができる。その時、人は、無分節の根源的な次元を自覚し続けるのである。(なお、「般若波羅密多時」の「時」は、「空― 縁起」を把捉する自覚点を意味する。)

 以上述べた冒頭の一文の解釈は、このあとの「摩訶般若波羅蜜」巻の執拗低音として響き続けることになる。

 まず、この一文のあとに続く「この宗旨の開演現成するにいはく、色即是空なり、空即是色なり。色是色なり、空即空なり。百草なり、万象なり。」という一文を考えてみよう。「この宗旨」とは、直前の「般若波羅蜜」や「五蘊皆空」ということの要旨、深義を意味し、それを明らかに表わす言葉が、「色即是空」以下だというのである。このうちで「色即是空」と「空即是色」はもともと『般若心経』にあった言葉で、それぞれ「色」(物質、特に人間の肉体)が「空」であり、本来、無我、無根拠、無分節なるものであるということと、その本来「空」であるものが、関係の中で、結び付き合いはたらき合って様々な存在として現成しているということを意味している。そして、この二つの言葉をベースにしながら、道元はさらに「色是色なり、空即空なり。百草なり、万象なり。」と畳み掛ける。「色是色」というように「A是A」という語法は、道元が『正法眼蔵』の他の個所でも使用しており(9)、具体的な個物が、そのものとして絶対的に存在することを意味する。この「色是色」という言葉は、「色即是空」「空即是色」を否定するものではないが、特に「空」なる個物のその具体的絶対性を強調した言葉になる。そして、次の「空即空」は、「色是色」の裏返しであり、空も空として絶対性を持つということを言わんとしている。そして、「百草なり、万象なり。」の「百草」も「万象」も、「色是色」と同様に、絶対性を帯びた具体的個物であるということができるのだ(10)。この文章を通して道元は、「般若波羅蜜」「五蘊皆空」という、無我、無根拠、無分節を端的に示すいわば否定面より、個物の絶対的な立ち現れという肯定面を、つまり、「空」より「有」を強調しているのである。

 

 以上のような、「空」より「有」を強調する道元の方向性は、「五蘊」「十二入」「十八界」「四諦」「六波羅蜜」「阿耨多羅三藐三菩提」「三時」「六大」「四威儀」などの存在の構成要素、成立原理、修行と悟り等に対してすべて、個物を数える「枚」という数詞を付けて、それぞれ「五枚」「十二枚」「十八枚」「四枚」「六枚」「一枚」「三枚」「六枚」「四枚」の「般若波羅蜜」と呼ぶところにも表れている(11)。(なお、この部分でも、さらにこのあとの節でも、全仏教に渡る基本概念が列挙されるが、これは、道元が、念願であった日本初の修行道場、興聖寺を建立し、初めての夏安居での示衆において仏教の基本概念と、その位置付けを弟子の僧たちに教え示していると考えられよう。)

 さて、ここで「~枚」と列挙されているものは、『般若心経』中の「是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界」(十二枚や十八枚に対応)、「無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故」(四枚に対応)、「得阿耨多羅三藐三菩提」(一枚に対応)を踏まえているのであるが、注目すべきは、『般若心経』においては、空の立場から、「無い」「無所得」と言われていた、「十二入」「十八界」「四諦」などが、道元にあっては「~枚」というかたちで「施設」(具体的な形として表わすー後述)されていることである。これは、道元と『般若心経』とが全く相容れない異なったことを述べているということではない。同じく、「空」の思想に基づきながらも、『般若心経』の方は、われわれが不変の対象と執着しているものが実体ではないという消極面を強調し、道元の方は、実体ではなく、無我、無根拠、無分節なる「空」から様々なものが立ち現れてくるという積極面を強調しているのである。

 ここで、「枚」を付けて呼ばれているものを吟味してみると、まず、「五蘊」は、人間の心身を構成する要素であり、修行者の心身を指す。修行において、修行者の身心は、般若、すなわち真理を体現するものとして存在するのである。そして、その心身の具えるさまざまな感覚、知覚、認識作用それ自体(六識)、作用を起こす器官(六根)、作用の対象(六境)などのそれぞれも皆、真理を体現するものとして存在する。

 そして、そのような修行者に対する教えとして「四諦」「六波羅蜜」が挙げられる。これは、いわゆる小乗仏教の教えと大乗仏教の教えを代表するものであり、そのそれぞれが、真理の表現である(12)。さらに、それらの教えに従って得られる悟り(「阿耨多羅三藐三菩提」)も、人間の認識の基本的なカテゴリーである三時(過去・現在・未来)も、また、あらゆる存在の構成要素としての六大(地・水・火・風・空・識)も、真理を体現するものである。

 このように、修行者の個的具体的な身心からはじまって、仏道の教えや悟り、認識の基礎範疇や存在者総体に至るまで、あらゆるものを包括的に列挙して、それが真理を体現するものであると述べたその最後に、「よのつねにおこなはる、行住坐臥」、すなわち、道元にとって日常的である、坐禅を中心とする僧堂における生活の中の一つ一つの行為こそが、真理を体現するものであると言われている。つまり、「観自在菩薩の行深」「渾身の照見」という、仏道修行者(=観自在菩薩)の「行」からはじまった文章が、自らの身心を起点として、その身心が担うべき仏道の教え、悟り、認識範疇、存在様態を経て、最後にまた、日常的な修行生活へと一巡し、冒頭の行へと還帰していくと考えられる。道元は、「摩訶般若波羅蜜」巻の冒頭部分において、行の重要性とその行を支える身心、教法、悟り、認識範疇、存在様態等を明らかにしたと言える。

 そしてこれら、「枚」で表された諸存在は、次節においては、「無の施設」と呼ばれることになる。ここで、今後の叙述の軸となる「無の施設」について検討しておこう。「無の施設」とは、空なる智慧であり、無自性、無我、無根拠、無分節という意味で「無」と呼び得る「般若」「空」が、静止的なものではなくて、そこから自らを展開させ、分節し、さまざまなものを立ち現わし(現成し)得るということである。「施設」は、「現成」である。本来「空」でありつつ、具体的な個物が個物として絶対性を帯びて立ち現れることを、道元は、たとえば「空華」巻では次のように述べている。

 まさにしるべし、空は一草なり、この空かならず華さく、百草に華さくがごとし。この道理を道取するとして、如来道は空本無華と道取するなり。本無華なりといへども、今有華なることは、桃李もかくのごとし、梅柳もかくのごとし。梅昨無華、梅春有華と道取せんがごとし。(全上一一一)

 「空」とは、「摩訶般若波羅蜜」巻ではまさに「般若」と呼ばれている。この「空」は、単なる何もない空虚ではなくて、「この空かならず華さく」「本無華なりといへども、今有華なる」と言われているように、さまざまな存在を、今、ここに、立ち現わせ「現成」させるのである。ここで言う「華」と呼ばれているものが、「摩訶般若波羅蜜」巻では、「~枚」と呼ばれ、「無の施設」と呼ばれている具体的存在者であると言っていいだろう。

 

【2】『大般若経』著不著相品からの引用とそれに対する

    道元の解釈

 

 次に、般若波羅蜜をめぐる『大般若経』からの引用と、それに対する道元の解釈を見ておこう。ここでは、『大般若波羅蜜多経』二九一、著不著相品からの一続きの引用文が、二つに分けて挙げられ、それぞれについて道元の短い注釈が付されていく。まず、『大般若経』の引用の前半部(釈迦と一人の僧との対話)から見ていくことにしよう。

 

 釈迦牟尼如来の会中に一の苾蒭あり。竊かに是の念を作す。「我れ甚深般若波羅蜜多を敬礼すべし。此の中に諸法の生滅無しと雖も、而も戒蘊、定蘊、慧蘊、解脱蘊、解脱知見蘊の施設可得有り。また預流果、一来果、不還果、阿羅漢果の施設可得有り、また独覚菩提の施設可得有り。また無上正等菩提の施設可得有り。また仏法僧宝の施設可得有り。また転妙法輪、度有情類の施設可得有り。」

 仏、其の念を知して、苾蒭に告げて言く。「是の如し、是の如し。甚深般若波羅蜜は、微妙なり、難測なり。」(全上一一)

 

 まず、文脈を追っておこう。釈迦の法座の中にいた一人の「苾蒭」(=比丘・僧)が、密かに思った(「竊作念」)。「私は深遠な般若波羅蜜に対して敬礼をしよう。般若波羅蜜は空であり、単なる生滅を超えているのであるから、般若波羅蜜の中には、本来は、諸法(諸の教え・存在者)はないはずなのであるが、しかし、そこには、「五分法身」「四果」「独覚菩提」「無上正等菩提」「三宝」「転妙法輪」「度有情類」などを立てることができるのだ(13)。(「施設可得」)」と。釈迦は、この僧の考えを知って、僧に告げた。「その通りである。非常に深い般若波羅蜜は、不思議で奥深く精妙なものであり、人間の有限な知恵では捉えられないものである」と。

 この引用に登場する比丘は、般若波羅蜜に対して敬礼したいと考える。敬礼するからには、当然に敬礼の対象がなければならないが、「般若波羅蜜」というのは、本来、対象化できるものではないのだから、敬礼は不可能であるはずだ。しかし、比丘の「竊作念」(密やかな思い)によれば、本来分節できない真理を分節し、そして、そこに敬礼の対象を立てることができるという。「施設可得」とは、そのものとして立てるということであり、前段において、道元が「般若波羅蜜」を「~枚」として表現したことは、『大般若経』のこの部分を自分なりに敷衍したと考えることができる。

 つまり、「般若波羅蜜」とは、「空―縁起」という無分節、無我、無根源であるが、単なるスタティックな無分節ではなくて、無分節を踏まえて分節してくるという側面も持っているということである。存在者が、「五蘊皆空」として、「空」、無分節にもたらされてそれでゴールに到達するということではなくて、そこからさらに無分節を踏まえた分節が起こると言っていいだろう。敬礼する比丘と、敬礼される具体的な対象である、「五分法身」(仏や聖者)以下の諸法とは、本来、一如のものであるとはいえ、それぞれに分節し、その間には「敬礼」が成り立つのではあるが、その敬礼によって、自己も他も根源的無分節に還帰するのである。そして、引用した比丘の言葉の最後の部分では、「転妙法輪、度有情類の施設可得有り。」と言われ、説法と衆生済度もこの分節に基づいて可能になることが示される。説く側と説かれる側、説く主体と説かれる教法、救済する側と救済される側という分節が、説法や救済の成立には不可欠なのである。

 なお、注目しておきたいのは、ここの部分では、「五分法身」や「四果」や「独覚菩提」といういわゆる「小乗仏教」の聖者への「敬礼」に言及しているということである。これは、前段において道元が、「四諦」という小乗仏教に遡る教理に対しても、大乗仏教固有の「六波羅蜜」や「阿耨多羅三藐三菩提」と並んで、般若波羅蜜の現れとして「~枚」と数えあげていることとも関わってくる。このように、いわゆる小乗仏教の教義やさとり、聖者をも「施設可得」なるものとして挙げ、それを自己の枠組みに包摂しようとしているところに、道元が、この「摩訶般若波羅蜜」巻を、「現成公案」巻とならんで、『正法眼蔵』の出発点においた意味が見てとれるのである。

 次に、以上の『大般若経』の引用に対する道元の解釈を見てみよう。

 而今の一苾蒭の竊作念は、諸法を敬礼するところに、雖無生滅の般若、これ敬礼なり。この正当敬礼時、ちなみに施設可得の般若現成せり。いわゆる戒定慧乃至度有情類等なり。これを無といふ。無の施設、かくのごとく可得なり。これ甚深、微妙、難測の般若波羅蜜なり。(全上一一~一二)

 まず、「而今の一苾蒭の竊作念は、諸法を敬礼するところに、雖無生滅の般若、これ敬礼なり。」という文章を考えてみよう。まず、見て取れるのは、もとの『大般若経』にあった「一苾蒭の竊作念」に「而今」という言葉が付加されているということである。この「而今」は「今」を意味する言葉であるが、道元にあっては、修証一等の修行をなす「今、ここ」という意味を担って用いられることの多い言葉である。前段でも、「また一枚の般若波羅蜜而今現成せり、阿耨多羅三藐三菩提なり。」と言われていた。ここでは、「般若波羅蜜」の「而今現成」として最高の「さとり」が捉えられている。「而今」が付されることによって、ある僧のひそかな思い(「一苾蒭の竊作念」)が、実は、真理の現成という重みをもったものであることを暗示している。

 そしてその「念」の内容を現すのが、「諸法を敬礼するところに、雖無生滅の般若、これ敬礼なり。」である。「諸法を敬礼する」のは、ここでは比丘であるが、その時には、「雖無生滅の般若」が、「敬礼」することになるというのである。ここでは「雖無生滅の般若」と言われている。「無生滅」と言ってもいいところをあえて「雖無生滅」としているのは、逆接の意味を添える「雖」の字を付けることで、「般若」が「敬礼」される側から「敬礼」する側へと、いわば一八〇度転換するその落差を印象付けているということができる。

 そして、この生滅を超えた「般若」とは、これまでの説明を使うならば、無分節の真理とも「空―縁起」とも言える。この「般若」が、一人の比丘として「敬礼」するというのである。本来は、一つである「般若」が、「敬礼」する主体と「敬礼」される対象とに分節しつつ、それぞれが「般若」であり続けているということをこの言葉は示していると言えよう。「この正当敬礼時、ちなみに施設可得の般若現成せり。」というのは、まさにこのことである。「敬礼」ということが成り立つ時に、そのものとして具体的な姿を取る(「施設可得」)「般若」が「現成」するのである。この無分節の「般若」の分節が「現成」と言われる事態である。そして、この「般若」の「現成」については、「無の施設」とも言いかえられている。「無」とは無分節の般若であり、「施設」とはその無分節を踏まえての分節なのだ。

 さて、以上に続く『大般若経』著不著相品の引用の後半部(帝釈天須菩提との対話)とそれに対する道元の解釈を見ておこう。

 天帝釈、具寿善現に問て言く、「大徳、若し菩薩摩訶薩、甚深般若波羅蜜多を学せんと欲はば、まさに如何が学すべき。」

 善現答えて言く、「憍尸迦、もし菩薩摩訶薩、甚深般若波羅蜜多を学せんと欲はば、まさに虚空の如く学すべし。」

 しかあれば、学般若これ虚空なり、虚空は学般若なり。

(全上一二)

 この部分の解釈は、すでに論じたことと重なるので、要点のみ確認することとしたい。

 まず、仏法の守護神である帝釈天(=俗名をとって憍尸迦とも言われる)が、須菩提(=具寿善現とも)に質問する。須菩提は、釈迦の弟子のうちでも解空第一とされたことから般若経典の対告衆とされることの多い人物である。帝釈天は、須菩提に対して「菩薩はどのように深遠な般若波羅蜜多を学ぶべきか。」と尋ねる。それに対して須菩提は、「虚空のように(「如虚空」)学べ」と答えた。このやり取りにたいして道元は、「しかあれば、学般若これ虚空なり、虚空は学般若なり。」と解釈する。

 ここで「虚空」と言われているのは、『大般若経』の主題となっている「空」であると捉えることができよう。つまり、「般若」を学ぶということは、対象としての般若を客観的、分析的に認識するということではないのだ。「空」を学ぶとは、自己もまたそこに基づいているところの根源的無分節としての「空―縁起」を自覚することなのである。「虚空」(無分節)は、無分節の自覚(学般若)を通じて明らかになっていくのである。

 一点、付言しておきたいのは、この部分に対する道元の解釈が前の部分に比べ量的に大幅に少なくなっており、ほとんど一言添えただけという程度にとどまっていることだ。道元としては、「般若」に関連しては、「無の施設」つまり、無分節から具体物の分節が立ち現れてくることに力点をおいて解釈しているので、「無の施設」の反面である「無分節」への還帰については、「無の施設」ほどには強調していないのである。たとえば、導入部分の道元の説明でも、「色即是空なり、空即是色なり、色是色なり、空即空なり。百草なり。万象なり。」とあるように、「空」と「色」の一体性についての説明が、最終的には「百草なり。万象なり。」とまとめられ、さらにこの直後の文脈としては「~枚」といわれる「無の施設」が続くなど、具体的個物への分節に力点が置かれていることが分かる。つまり、分節から無分節への還帰は、無分節から分節への「現成」の反面として重要であるが故に、それに関わる『大般若経』の文章を引き続いて引用はしているものの、無分節から分節への「現成」ほどには力点を置いていないので、この部分の『大般若経』の引用に対する道元の解釈は、比較すると少ないものになっているのである。 次に、以上に続く部分とそれに対する道元の解釈を引用する。

 天帝釈、また仏に白して言さく、「世尊、若し善男子善女人等、此の所説の甚深般若波羅蜜多に於て、受持読誦し、如理思惟し、他の為に演説せんに、我れまさに云何が守護すべき。ただ願はくは世尊、哀を垂れて示し教へましませ。」

 爾の時に具寿善現、天帝釈に謂つて言く、「憍尸迦、汝、法の守護すべき有ると見るや不や。」

 天帝釈言く、「不なり、大徳、我れ法の是れ守護すべき有ることを見ず。」 善現言く、「憍尸迦、若し善男子善女人等、是の如くの説をなさば、甚深般若波羅蜜多、即ち守護すべし。若し善男子善女人等、所説の如くなさば、甚深般若波羅蜜多、常に遠離せず。まさに知るべし、一切人非人等、其の便を伺求して、損害を為さんと欲んに、終に得ること能はじ。憍尸迦、若し守護せんと欲はば、所説の如くなすべし。甚深般若波羅蜜多と、諸菩薩とは、虚空を守護せんと為欲ふに異なること無し。」

 しるべし、受持読誦、如理思惟、すなはち守護般若なり。欲守護は受持読誦等なり。(全上一二)

 この部分についても、すでに論じたことと重なる点が多いので、要点のみ確認することにする。

 まず、帝釈天が、今度は釈迦に対して「もし仏道に帰依する人々(「善男子善女人」)が、深遠な般若波羅蜜に依拠して、教え(般若についての教え、端的にはこの『大般若経』)を受け記憶し(受持)、読誦し、真理に基づいて(「如理」)思惟(無分別智に基づく認識)し、他者のために教えを説くならば、私は、この人々をどのように守護したらいいのか。」と、仏法の守護神の立場から質問した。それに対して、釈迦に代わって弟子の須菩提が反対に帝釈天に質問して、「(あなたは守護したいというが)存在(「法」)として何か守護すべきものを見ることができるのか。」と言った。それに対して帝釈天は、「見ることはできない。」と答えた。それを聞いて須菩提は、「もし、仏道に帰依する人々が、守護すべきものは何もないと説くならば、この人々は深遠な般若波羅蜜を自覚し、それを体現、実践する人ということになる。だから、もし、あなた(帝釈天)がこの人々を守護するならば、それは直ちに深遠な般若波羅蜜を守護することになる。もし、そうならば、その人々は、深遠な般若波羅蜜から離れず、それと一体になっている。そうなると、どんな者であろうと、その人々を害することができなくなる。つまり、般若波羅蜜と菩薩(修行者)とは一体のものなのだ。だから人々を守護しようとすることは、虚空を守護することになるのだ。」

 帝釈天須菩提とのやり取りの中で、まず注目したいのは、ここでは、「般若の教えを実践する人々は、般若そのものとなっているから、客体としては認識の対象にはならず、それ故に、守護の対象にもならないが、般若と一体になっている修行者は、あらゆる存在者と般若においては一致するのであるから、一体である相手を害することなどは不可能になる。それ故に、帝釈天がわざわざ守護する必要性はなくなる。そのことは般若を守護し、虚空を守護するということと同じである。」と説明されていることである。つまり、この『大般若経』の引用においても、直前の引用部分と同様に、分節された具体的個物は、実は「般若」という無分節において一体であるという、分節から無分節へという方向性が示されている。上述のように、道元は無分節から分節へと、分節から無分節へという二つの方向性を念頭におきつつ、この「摩訶般若波羅蜜」巻においては、前者、すなわち「無の施設」を重視しているが、この『般若経』の引用では、直前の引用と同様に、分節から無分節へということが言及されており、道元の解釈も、「しるべし、受持読誦、如理思惟、すなはち守護般若なり。欲守護は受持読誦等なり。」と一文を添えるに留まっている。しかし、ここで注目されるのは、直前の『大般若経』の引用に対する道元の解釈の中で「学般若」と呼ばれていたものを、ここでは、「守護般若」「受持読誦」「如理思惟」とし、般若に対する主体的な態度、実践を問題にしていることである。とはいえ、ここではこれ以上は述べられず、次の風鈴頌へとつながっていくのである。

 

【3】如浄の風鈴頌の引用とそれに対する道元の解釈

 

 入宋した道元が最後に見つけた嗣法の師、天童如浄の「風鈴頌」について、道元は、入宋時の学道の記録である『宝慶記』で「伝灯・広灯・続灯・普灯、及び諸師の別録を披くに、未だ曾て和尚の風鈴の頌に如くものの有ることを得ず。」(全下三八五)と述べ、高く評価している(14)。「摩訶般若波羅蜜」巻では、この「風鈴頌」が引用され、そのあとで道元が解釈を展開する。本文を確認しておこう。

 先師古仏云く、「渾身似口掛虚空、不問東西南北風、一等為他談般若、滴丁東了滴丁東。」(渾身口に似て虚空に掛り、東西南北の風を問はず、一等他の為めに般若を談ず。滴丁東了滴丁東。)

 これ仏祖嫡嫡の談般若なり。渾身般若なり、渾他般若なり、渾自般若なり、渾東西南北般若なり。(全上一二)

 この頌では、禅院の屋根の下の四隅に付られている金属製の風鈴が、理想的な禅者の在り方と重ねられて讃嘆されている。まず、「渾身」とは全身でという意味で、風鈴がその全体を挙げ、全身を口にして「虚空」に下がり、そして吹く風が、東西南北、どこからの風であろうとも、「一等」に、他者のために「般若」を述べ伝えている(15)。「滴丁東了滴丁東」というのは、風鈴の発する金属音をあらわす擬声語である(16)。 ここでは、禅院の風鈴が全身を挙げて「虚空」に掛かって、その音で「般若」を語り、人々を教え導いているということが語られている。「虚空」とは「空」に通じ、存在が固定的な実体ではなくて、他との関係の中で成立している(縁起)ということを意味し、さらには、存在の根源に見出される無分節のはたらきを示唆している。そして、「般若を談ず」とは、風鈴に修行者の在り方を託して、修行者自身が、全身を挙げて行をなしつつ「空」である自分の在り方に徹し、さらに、自己の「空―縁起」の在り方を、他者に対しても語り伝えている、ということを示している。ここでは自利と利他を兼ね備えた禅者の在り方が「無情説法」として語られているのである。

 そして、道元は、この「風鈴頌」に対して「これ仏祖嫡嫡の談般若なり。渾身般若なり、渾他般若なり、渾自般若なり、渾東西南北般若なり。」と述べる。「仏祖嫡嫡の談般若なり」というのは、全身で般若の風を受けてそれを分節して語るありようを指しており、諸仏も祖師たちも、皆、般若を語り続け、家系が嫡子から嫡子へと粛々と受け継がれていくように(「嫡嫡」)、仏法も、代々、正しく伝えられるのである。その時は、「渾身般若なり」と言われるように、全身をあげて行じ、力をこめて「般若」を語り自ら「般若」を体現し続けるのである。このことが成り立つ時には、自己の身心と他者の身心は深層において相互相依的にはたらきあって一如をなしている。この自他一如を表現するために、道元は「渾身般若なり」をさらに敷衍して、「渾他般若なり、渾自般若なり」と展開する。これは、「渾身般若」の身とは、自他一如の立場からは、自でもあり他でもあるということを意味している。そして最後に「渾東西南北般若なり」と言われるのは、その自他は、世界のありとあらゆる存在とも連動して相互相依的にはたらき合っているということを含意している。世界全体ということを、「東西南北」すなわち「東も西も南も北も」ということで表しているのである。このように自身「虚空」でありつつ「虚空」を語る在りようこそが、「般若波羅蜜」の現成なのであった。

 以上のことは『正法眼蔵』中の「虚空」巻でも「しかあればすなはち、仏祖はともに講経者なり。講経はかならず虚空なり。虚空にあらざれば、一経も講ずることをえざるなり。心経を講ずるにも、身経を講ずるにも、ともに虚空もて講ずるなり。虚空もて思量を現成し、不思量を現成せり。(中略)作仏作祖、おなじく虚空なるべし。」(全上五六三)と言及されている。ここでは、「空」(「虚空」)を説く『般若心経』

(「心経」)を講説する(「講経」)にあたっては、自分自身が「空」を体現して説くべきであるとされる。空を体現するとは、まさに、無分節からの分節(「空」からの現成)である自己を自覚して、「空」に基づいて表現して行くということである。このようにして仏祖は代々「空」を説くことによって、法を伝えているのである。

 

【4】『大般若経』讃般若品の引用とそれに対する道元の解釈

   

 まず、本文を確認しておこう。

 

 釈迦牟尼仏の言く。「舍利子、是の諸の有情、此の般若波羅蜜多に於て、仏の住したまふが如く供養し礼敬すべし。般若波羅蜜多を思惟すること、応に仏薄伽梵を供養し礼敬するが如くすべし。所以は何。般若波羅蜜多は、仏薄伽梵に異ならず、仏薄伽梵は般若波羅蜜多に異ならず。般若波羅蜜多は即ち是れ仏薄伽梵なり。仏薄伽梵は即ち是れ般若波羅蜜多なり。何を以ての故に。舍利子、一切の如来応正等覚は、皆般若波羅蜜多より出現することを得るが故に。舍利子、一切の菩薩摩訶薩、独覚、阿羅漢、不還、一来、預流等は、皆般若波羅蜜多によりて出現することを得るが故に。舍利子、一切世間の十善業道、四静慮、四無色定、五神通は、皆般若波羅蜜多によりて出現することを得るが故に。」

 しかあればすなはち、仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり、般若波羅蜜多は是諸法なり。この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不淨、不増不減なり。この般若波羅蜜多の現成せるは、仏薄伽梵の現成せるなり。

 問取すべし、参取すべし。供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり。奉覲承事の仏薄伽梵なり。(全上一二~一三)

 

 まず、『大般若経』讃般若品からの引用の概要を確認しておく。釈迦牟尼が、智慧第一を謳われた弟子舎利弗に対して次のように言った。「生きとし生けるものたちは、般若波羅蜜多に対して、仏がおられるかのように供養し、礼敬すべきである。般若波羅蜜多について無分別智によって把握(「思惟」)するにあたっては、仏を供養し礼敬するようにすべきである。なぜかというと、般若波羅蜜多は、仏に異ならず、仏は般若波羅蜜多に異ならないからだ。般若波羅蜜多は仏そのものであり、仏は般若波羅蜜多そのものなのだ。なぜかというと、一切の仏は、皆、般若波羅蜜多から出現しているからだ。さらに、一切の菩薩、そして独覚、阿羅漢などのいわゆる小乗仏教の聖者たちも、皆、般若波羅蜜多から出現しているからなのだ。一切世間の十善業道、四静慮、四無色定、五神通などの小乗仏教以来の基本教理も皆、般若波羅蜜多から出現しているからなのだ(17)。」

 ここで、道元は、すでに第二節の『大般若経』著不著相品からの引用で言及されていた「敬礼」(=礼敬)に関して、重ねて讃般若品からも引用を行っている。「敬礼」とは、「仏薄伽梵(18)」(=仏)という具体的なものに対する帰依であるのだが、前述のように、その具体的な仏とは、実は、「般若波羅蜜」という根源的な無分節の一つの立ち現れ(現成)に他ならない。「般若波羅蜜」と仏とは、本来、同体なのである。同体でありつつ、般若波羅蜜の現れ、分節したものが仏ということになる。さらに、「仏薄伽梵」のみならず、菩薩や独覚、阿羅漢などのいわゆる小乗仏教の聖者たちも、皆、般若波羅蜜の立ち現れに他ならず、また、十善業道、四静慮、四無色定、五神通などの小乗仏教以来の基本教理も皆、般若波羅蜜の立ち現れであると、『大般若経』は言うのである。

 そして、これらの引用を解釈するとともに、「摩訶般若波羅蜜」巻全体のまとめとして、道元は、まず「仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり、般若波羅蜜多は是諸法なり。」と展開する。『大般若経』原文には「般若波羅蜜多は即ち是れ仏薄伽梵なり。仏薄伽梵は即ち是れ般若波羅蜜多なり。」と書かれていて、「般若波羅蜜」と「仏薄伽梵」との一体性が述べられているだけで、「諸法」については言及されてはいない。それに対して道元は、「仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり」として、「仏薄伽梵」という個別的な対象は、実は無分節の「般若波羅蜜」をその根源としていると言った上で、さらに、「般若波羅蜜多は是諸法なり」と言っている。つまり、「般若波羅蜜」から「諸法」が立ち現れると言っている。この「諸法」の意味について考えてみよう。

 確かに、第二節の『大般若経』著不著相品からの引用には「諸法」という言葉が出てきてはいる。「我れ甚深般若波羅蜜多を敬礼すべし。此の中に諸法の生滅無しと雖も、而も戒蘊、定蘊、慧蘊、解脱蘊、知見蘊の施設可得有り。(後略)」とある。ここで言う「諸法」は、『般若心経』の「是諸法空相。不生不滅」に基き、「諸存在」という意味を響かせつつも、「戒蘊、定蘊、慧蘊、解脱蘊、知見蘊」からはじまって「無上正当菩提」などの、仏道における教理に関わって述べられており、その意味で「法」は直接的には「教法」とか「教え」を意味していると考えてよいだろう。それに対して、道元が、ここ第四節で言及する「法」は、結論を先取りして言えば、「教法」ではなくて、「存在」を意味している。この点に道元の独自性が現れていると言ってよいだろう。

 では、なぜこの「諸法」を「教法」ではなくて「存在」と解釈できるのかというと、「仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり、般若波羅蜜多は是諸法なり。」と言った直後に、道元が、「この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不淨、不増不減なり。」と続けているからである。この言葉は、明らかに『般若心経』の「是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減」を踏襲している。『般若心経』の文脈においては「諸法」は、五蘊(色・受・想・行・識)そして五蘊によって成立している具体的存在者、個物を意味している。そして、『般若心経』のこの文脈を重ね合わせることで、道元は、「般若波羅蜜」から、諸存在が立ち現れるという意味を、『大般若経』の引用文に上書きすることが可能となっているのである。また、第一節で道元が、「般若」を「~枚」として表現する時に、「三時」や「六大」などについても「阿耨多羅三藐三菩提」などと並べているところにも、具体的個物の現成を重視する道元の思惟の特性が現れている。つまり、ここでも、根源的無分節からの立ち現れ(現成)という論点がまたしても現れてくるのである。

 このような、無分節なる「空」(=「般若波羅蜜」)としての根源からの立ち現れということは、これに続く「この般若波羅蜜多の現成せるは、仏薄伽梵の現成せるなり」という一文にもよく現れている。「現成」という言葉は、原典の『大般若経』には見られない言葉であり、道元が追加した言葉なのである。

 そして、全巻を道元は、「問取すべし、参取すべし。供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり。奉覲承事の仏薄伽梵なり。」と締めくくる。この「奉覲」「承事」とは、『正法眼蔵』にしばしば出てくる言葉であり、「奉覲」は仏にお目にかかることであり、「承事」は仏に随順し奉仕することを意味しており、いずれの言葉も、仏道を体する師と出会い、その教えを受け継いでいくというニュアンスを持つ(19)。そのことを踏まえてこの部分を解釈してみよう。

 まず、道元は「問いなさい。参究しなさい」と言う。この言葉は、道元が「摩訶般若波羅蜜」巻を「示衆」した僧たちに呼びかける言葉であると言える(20)。つまり、これまで説明してきたことを踏まえ、道元自身の弟子の僧たちに自ら熟考することを促しているのである。そしてそのように呼びかけた上で、「供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり。奉覲承事の仏薄伽梵なり。」と全巻を結ぶ。これは、道元が、この「摩訶般若波羅蜜」の巻全体を通して主張したい結論であると考えることができる。

 道元は、これまで本稿において説明したとおり、すでに『大般若経』の「是の諸の有情、此の般若波羅蜜多に於て、仏の住したまふが如く供養し礼敬すべし。」(讃般若品)や「我れ甚深般若波羅蜜多を敬礼すべし。」(著不著相品)を引用し、それぞれ、「般若波羅蜜」に対して「供養」「礼敬」することは、諸法や仏という具体的なものに対して「供養」「敬礼」することであると述べている。つまり、無分節なる「空―縁起」である「般若波羅蜜」が、具体的事物事象と「現成」してきており、その具体的事物事象に対して、自分自身も「般若波羅蜜」の「現成」である修行者たちが「供養」「敬礼」するのである。無分節からの「現成」としての修行者が、同じく「現成」し立ち現れている仏を「供養」「礼拝」する。そのことを通じて、自己も仏も、無分節の真理である「般若波羅蜜」という根源を共有するという意味で一つのものとして結び付いていることを自覚するのである。

 最後に、「問取」し、「参取」すべきこととして、提示された「仏に奉覲承事するなり。奉覲承事の仏薄伽梵なり。」について、考えてみよう。道元は、結びの言葉として、修行者たち(この中でも特に、「示衆」の対象である弟子たち)に、彼らが日常的に行っている「供養礼敬」という実践について、それは、仏にまみえ仕えることに他ならないと告げる。上述のように、『大般若経』が語る「般若波羅蜜」に対する「供養」「礼敬」を、道元は、具体的個物の現成という視点から、仏に対する「供養」「礼敬」へと展開させた。このことを反映する言葉が、「(般若波羅蜜を供養礼敬するとは)仏に奉覲承事するなり。」であり、その上で、最後に「奉覲承事の仏薄伽梵なり。」と言われる。この「奉覲承事の仏薄伽梵なり。」の文は、仏に「奉覲承事」する修行者こそが、実は仏そのものであるということを意味している。仏とは、自己の外にある礼拝対象であるかのように思えたとしても、実は、自己と同一の「無分節」の根源からの立ち現れであり、その意味で、自己は根源を志向する実践である修行においては、仏と同体なのである。まさに、これは、道元思想の中軸でもある「修証一等」の主張である。

 以上、「摩訶般若波羅蜜」巻の内容について説明した。前述のように、本巻は、七五巻本でも六〇巻本でも「現成公案」巻と「仏性」巻の間に置かれており、短い巻ながらも、独自の存在感を放っている。拙論を結ぶにあたって、本巻が、『正法眼蔵』の構成全体の中でどのような役割を果たしているのかということを、特にその前後の巻である、「現成公案」巻や「仏性」巻との関係に着目して考察してみたい。 まず、「現成公案」巻との関係から考えてみよう。「現成公案」巻は、道元の手によって『正法眼蔵』全巻の劈頭に置かれており、またその奥書によれば、鎮西(大宰府)の俗弟子の楊光秀に与えられている。俗人に与えたということは、俗世から仏道世界への移行が意識されていると考えられ、「出家」巻で結ばれる『正法眼蔵』七五巻の構想において要ともなる巻である。拙論においてもかつて論じたように、その冒頭の数節には、『正法眼蔵』の基本的な枠組みが提示されるなど、『正法眼蔵』の精髄を簡潔に表している(21)。

 拙論の要点を記しておけば以下のようになる。「現成公案」巻の冒頭「諸法の仏法なる時節、すなはち迷・悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。万法ともにわれにあらざる時節、まどひなく、さとりなく、諸仏なく、衆生なく、生なく、滅なし。」(全上七)のうちの、「諸法の仏法なる時節」は、「人が仏道の教えにふれ、仏道を志すその端緒」を意味する。その時、人は、仏道の観点から事物事象に対するようになる。その人にとっては、克服すべき迷い(=「生死」)と目指すべき「さとり」があり、自らの衆生としての在り方の彼方に、仏や「さとり」が臨み見られる。人はこのような出発点から修行を始めて、ある時に、自己が、あると執着していたものはすべて実体性がないと気付く。これが、仏道における「さとり」である。自己も他の存在も、あらゆる分節されたものは、実は皆、無分節なる根源的次元からの立ち現れだったのである。自らの根源に、自他が相互相依的に一体化する無分節の次元(「空―縁起」の次元)が自覚される。その時、自己が目指していたもの(=「さとり」)は実は自己の基盤であったという循環構造があらわになる。この「空―縁起」の次元とは、無分節という意味で、迷悟も生死も衆生と仏もない「万法ともにわれにあらざる時節」なのである。

 さらにこの二つの次元を超えてさらに第三の次元が開けて来る。その次元について道元は、先の引用に続けて「仏道もとより豊・倹より跳出せるゆゑに、生・滅あり、迷・悟あり、生・仏あり。」(全上七)と言っている。つまり、無分節でありあらゆる二元相対を超えているからこそ(「豊・倹より跳出せるゆゑに」)、そこから分節の世界がもう一度立ち現れてくる(「生・滅あり、迷・悟あり、生・仏あり」)というのである。「空」なる無分節の世界から立ち現れる分節の世界は、具体的な世界であり、出発点(=諸法の仏法なる時節)における世界と外延を同じくしつつも、そこには執着されるべき何物もなく、すなわち固定的実体は存在せず、あらゆるものが相互相依的に結び付き合い、はたらき合っている。つまり、ここにおいては、自己が生きるこの世界こそが「さとり」の世界であるのだ。

 このことについて別の角度から説明すると以下のようになる。あらゆる存在は、本来的に固定的実体を持たず、ありとあらゆるものと相互相依的に結び合いはたらき合って全体をなしている。そのはたらき合いを担う、相対的に自立的なものはあるが、それは他との偏差において仮に存在するものであり、そのもの自体が常に他との関係において移り変わっている。この意味で、世界は多様性が多様性として常に流動しつつ成り立つ、「空―縁起」の世界であるともいえる。

 しかし、世俗世界は、この流動を固定化させそこに名を付する。名付けられた当のものは常に移り変わっているにもかかわらず、名それ自体は恒常的なものであるので、名付けられた物自体も恒常的なものだと捉えられてしまうのである(=「自心自性は常住なるかとあやまる」)(全上八)。仏道修行とは、この恒常性を打破し、名付け以前の世界、つまり、流動的世界へと還帰する実践であると言える。また、日常世界が、分節を固定化することによって成り立つ世界であるとするならば、名付け以前の世界は無分節の世界であると言える。

 そして、「さとり」とは、名付け以前の世界に還帰することをゴールとするものではない。つまり、無分節の体験を通じて、ふたたび、分節の世界が立ち現れてくる(=立ち表していく)のである。その世界は、分節されつつ分節が固定されていない分節即無分節、無分節即分節の世界と言い得る。「現成公案」とは、端的にいうとこのような世界が立ち現れ、個々の具体的存在が、分節即無分節、無分節即分節として成立することを言うのだ。

 以上の論点を踏まえて、「摩訶般若波羅蜜」巻を見直してみよう。この巻の主題である「般若波羅蜜」とは、無分別智の成就であり、「無分節」「空―縁起」という言葉で言い表すことができる。そして、道元は、「般若波羅蜜」から具体的個物が立ち現れてくることを重要な論点として打ち出していた。この論点は、まさに「現成公案」と重なる。道元は、「現成公案」と構造的には同じ内容について、大乗仏教の基本経典である『般若心経』に出てくる「般若波羅蜜」という概念を手がかりとして説明しているということができるのである。立ち現れる個物の具体性の表現が、「~枚」であり、「無の施設」という概念なのである。

 また、この二つの巻の結び付きを語る内容としては、「現成公案」巻の最後の部分で言及される麻浴山宝徹禅師の「風性常住」の公案と、「摩訶般若波羅蜜」巻の「風鈴頌」の呼応がある。宝徹禅師の「風性常住」の公案では、「仏性」が「風性」に託され、「風性常住」であるという真理は、自分で扇ぎ続けることでしか顕現されないと主張される。「仏性」があるということは、自己が修行し続け、修証一等の「さとり」を立ち表し続けることによってしか確証されないのである。それに対して、「風鈴頌」では、四方からの風を受けて風鈴が鳴り続けることのうちに、「空」(=「虚空」)に立脚して、他者に「空」を説き続け、自ら「空」を主体的に実践する修行者の在り方(=師如浄の生き方)が見て取られる。ここでは、「空」(=虚空)は、風の動きとして表現されてくる。「空」とはスタティックな単なる無分節ではなくて、常に分節化する動きをはらむ、はたらきの充溢なのである。そして、風は自己の外側にあるのではない。自己が鳴り続けることによってしか、風は現れてはこない。それ故に、両者はともに、「風」を実現することとして、自己の主体的実践を宣揚するのである。「風」(=空)を主要なモティーフとして、両巻は呼応し合っていると言うことができるのだ。 以上を踏まえた上で、両巻の違いについても検討しておこう。「現成公案」巻は、先述のように、俗人に与えた法語であった。それに対して「摩訶般若波羅蜜」巻の方は、興聖寺開創後、はじめての夏安居の際に僧たちに「示衆」したものであり、大乗仏教の基本経典である『般若心経』に依拠している。「現成公案」巻の方は、俗人に、仏道世界の消息を伝えるという大きな目的を持ち、その世界の成り立ちを示し、またそれとの関わりで「修証」とは何かを明らかにしている。それに対して、「摩訶般若波羅蜜」巻の方は、僧たちが日常的に行っている「供養」「礼拝」などが、実は「般若波羅蜜」に対して「供養」「礼拝」しているのであり、仏もまた世界のありとあらゆる存在も、みな「般若波羅蜜」の「現成」であることが示される。

 両者の狙いの違いを示すのが、他者に法を説くという利他行への言及の有無である。「現成公案」巻では、「修証」や「仏道をならふ」ということを探究するというかたちで、自己の修行の問題に焦点を当てて道元は語っているのであるが、しかし、他者へ法を伝えるという問題は明示的には語られていない。これは俗人を仏道へと導くために書かれたものであるという本巻の性質に由来するものであろう。それに対して、僧たちに「示衆」された「摩訶般若波羅蜜」巻では、「風鈴頌」で明らかなように、自己の「さとり」を他者へと伝えるという利他の実践が問題となってくる。また、「摩訶般若波羅蜜」巻の巻末で、仏に「奉覲承事」することにより、自己自身が「奉覲承事」する仏となると言われるように、法を伝えていく仏祖の系譜の問題に言及されるのも、この巻が、僧たちに向けて語られているという消息を物語っているだろう。

 そして、俗人に向けた「現成公案」巻と、僧に向けた「摩訶般若波羅蜜」巻という、短く比較的読みやすい二巻を導入部とするかたちで、「仏性」巻が説かれることになる。「仏性」巻は、内容的にもヴォリューム的にも『正法眼蔵』中屈指の巻である。そこでは、経典や語録から「仏性」にまつわる要文が数多く取り上げられ、解釈される。その際、それらの要文には独創的な解釈が施されて、道元独自の思想が、その真骨頂とも言うべき磨き抜かれた文体によって展開されるのだ。 

さて、「摩訶般若波羅蜜」巻のテーマである「般若波羅蜜」は、「仏性」巻では「仏性」として探究されている(22)。この「般若」と「仏性」との共通性を探ってみると、両者が「種子」というイメージで一般に理解されているということが指摘できる。たとえば、「般若」に関して、道元は、他の巻では「宿殖般若の種子」という言い方をすることが多く(23)、それは、「仏性」が一般的に「種子」と理解されたことと重なっている。もちろん、道元は仏性に対しては「種子」として捉える考え方を明らかに否定してはいるのだが、しかし、仏性が「種子」として埋め込まれたものという一般的イメージを前提に、それを否定するかたちで道元の立論がなされているということは言えるのである。「般若」も「仏性」も「種子」という内在的真理を連想させる言葉である点では共通しているということができよう。しかし、「摩訶般若波羅蜜」巻における「般若」という言葉は、「仏性」巻における「種子」としての「仏性」理解の否定と軌を一にして、あらゆる存在者の根源にあり、かつ、それらを現成させる「無分節」という意味を担わせられている。つまり、「般若波羅蜜」の「種子」イメージを超えた本質的理解が、「仏性」巻におけるより根源的かつ包括的な「仏性」解釈の先駆けとなっているということができるのである。

 以上述べたように、「摩訶般若波羅蜜」巻は、「現成公案」で言及された、無分節からの「現成」の問題を、「般若波羅蜜」からの諸法の立ち現れとして説き明かしている。それとともに、「般若波羅蜜」は「仏性」へと展開する。その際、

般若波羅蜜」巻で示された独自の「般若波羅蜜」解釈は、「仏性」巻における内在的な「種子」としての「仏性」から、より包括的かつ根源的無分節としての「仏性」という解釈を先取りしたものであったと言えるのである。『正法眼蔵』の構成において、「摩訶般若波羅蜜」巻はこの意味できわめて重要な巻であると言えるのだ。

 

【付記】本稿では、学術的立場からの論考であることに鑑み、はなはだ僭越ながら道元禅師の尊称を省略させていただいた。

 本稿は、二〇一五年一月二六日開催の駒澤大学仏教学会平成二六年次大会公開講演会における「『正法眼蔵』「現成公案」巻の思想」の発表内容を踏まえ、「現成公案」巻と密接な関係をもつ「摩訶般若波羅蜜」巻について論じたものである。当日の講演内容の概略に関しては、拙著『正法眼蔵入門』(角川ソフィア文庫、平成二六年)一九~五四頁を参照されたい。

(1)    大久保道舟『修訂増補 道元禅師伝の研究』(名著刊行会、昭和四一年)一六八頁、『建撕記』(延宝本、訂補本)(河村孝道『諸本対校 永平開山道元禅師行状建撕記』、大修館書店、昭和五〇年、三一頁)参照。

(2)    道元の教団では、道元が中国で身をもって実修してきた夏安居が四月中旬から七月中旬にかけて行われており、その詳細は、『正法眼蔵』「安居」巻(寛元三年夏安居六月一三日に大仏寺で示衆)や『永平広録』に散見する結夏上堂や解夏上堂の記事から窺うことができる。「安居」巻で道元は、『禅苑清規』二、結夏章に基づいて夏安居の詳しい日程や方法を説明し「安居せんは、仏祖の児孫としるべし。安居するは仏祖の身心なり、仏祖の眼睛なり、仏祖の命根なり。」(全上五八四)と述べている。

(3)    七五巻本については、「八大人覚」巻奥書の懐奘の記述や、「現成公案」巻奥書の「建長壬子拾勒」という記載から、道元の親撰本と一般に考えられてきた(ただし後半は非親撰とする説が近年有力視されている)。六〇巻本については親撰説も非親撰説もあり定まっていない。両者の配列は共通の部分も多く、特に第一「現成公案」巻から第二七「夢中説夢」巻までは数巻の異同はあるもののほぼ一致する。『正法眼蔵』の諸本についての文献研究の近年の状況については、角田泰隆『道元禅師の思想的研究』(春秋社、二〇一五年)五一~一三二頁が参考になる。

(4)    『般若心経』本文に関しては、中村元紀野一義訳注『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫、一九六〇年)を参考にした。なお、『般若心経』については、日本では書写や読誦の功徳が喧伝され、また内容的考究も盛んに行われてきた。主な伝統的解釈書としては、智光『般若心経述義』、真興『般若心経略釈』、空海『般若心経秘鍵』、源信『講演心経義』、蘭渓道隆『般若心経注』、一休宗純『般若心経解』『般若心経提唱』、盤珪永琢『般若心経鈔』、白隠慧鶴『般若心経毒語』(『毒語心経』)などが挙げられる。

(5)    『道元禅師全集』上(筑摩書房、昭和四四年)一一頁を意味する。以下同じ。本文引用にあたっては、段落分け、句読点、漢字体等を適宜改変し、漢文は諸本を参考にして私見により読み下した。

(6)    前掲『道元禅師全集』(筑摩書房)、『道元禅師全集』(春秋社)、岩波思想大系、岩波文庫(水野弥穂子校注)など主だった『正法眼蔵』本文は、皆、「観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり」とする。また、水野弥穂子訳注『原文対照 道元禅師全集第一巻』(春秋社、二〇〇二年)では「「観自在菩薩」の「行深般若波羅蜜多時」は、渾身の「照見五蘊皆空」なり。」として、この言葉が『般若心経』の引用であることを強調している。

(7)    『永平広録註解全書』下(同刊行会、昭和三八年、鴻盟社)六一八~六二〇頁参照(ただし私見により、読み下しを改変)。なお、門鶴本には「聞思修、本より証心の間、豈に洞中に聖顔の現ずることを覓めんや。我、告げ来る。人須らく自ら覚るべし、観音、宝陀山に在らず。」(前掲書六一八頁、前掲『道元禅師全集』下一九三頁)とある。どちらにしても、観音は修行者自分自身であり、外に帰依する他者を求めてはいけないという趣旨では一致している。

  なお、天桂伝尊は、『般若心経止啼銭』において「観自在トハ異人ニアラズ。汝、諸人是レナリ。何ヲカ観自在云フ。眼ヲ開ケバ森羅万象アリアリとアラワレ、耳ニ通ズルコトハ無量ノ音声間断ナシ。六根ミナ是ノ如ク千万無量ノ事、一事ニ対スレドモ、一ツトシテ見ヌ事ナク聞ヌ事モナシ。此ノ心ノ自在ナルコト、言詮ノ及ブベキナシ。(中略)是ノ如クニ観ズルコトノ自在ナルユヘニ、各人ノ自己ヲサシテ観自在菩薩ト云フナリ。」(国立国会図書館近代デジタルライブラリー所収、天桂伝尊述『般若心経止啼銭』、明治九年。コマ番号一三、一四。私見により一部表記を改変)と述べ、観自在菩薩を各個人だと解しており、参考になる。

(8)    諸注釈もこの「照見」については対象的なものではないことを指摘している。たとえば、古註のうちで『正法眼蔵私記』(雑華蔵海[一七三〇~一七八八]作)は、「今の照見も、能見所見の義に非ず、以般若談照見、故照見定般若なりと被説、五蘊色受想行識等、皆般若と談なり、打任ては此五蘊を皆空なりと観音照見し給ふ様に心得ぬべし。然者、人法二になりぬべし、更非此義、照見も五蘊も渾身も般若と談ずるなり、又観自在とも可談なりと」(ママ)能所にあらざるをあかさんとして照見これ般若なりといへり」(『正法眼蔵註解全書』第一巻(同刊行会、昭和三一年、一五八頁)とあり、参考になる。また、酒井得元(『正法眼蔵〔真実の求め〕摩訶般若波羅蜜の巻』大法輪閣、平成一一年、六五~六六頁)に「ですから、般若波羅蜜のところには、これ(能所・主客)はありません。だから「照見」というのは、向こうを見るという関係ではない。(中略)それで、「渾身の照見」と言いますと、この身体全体だ。「照見の渾身」これだ。私たちの身体というものは尽十方界の真実です。個人ではありません。個人はその一部分です。「照見」は、申しますと、その時の活動全体だ。この活動全体は「五蘊皆空」であると、(中略)普通は、『般若心経』は、「五蘊皆空なりと照見する」とこういうふうに読む。ところが『眼蔵』ではそういうふうに読まないで独特の読み方ですね、「渾身の照見」とこう言う。「渾身の照見」ということで、意味が全然違って来ましてね、尽十方界そのもののあり方が、これがその時のあり方、活動が「渾身の照見」ということになる。その「照見」の実態はどういうことかと申しますと、「五蘊皆空」である。」とある。酒井氏は、「照見」が対象的観照ではなく、全身体をあげての活動(修行)であると指摘し、さらに「渾身の照見」と独立させる読み方を提示しており、参考になる。

(9)    たとえば、「山水経」の末尾では「古仏云、「山是山、水是水。」この道取は、やまこれやまといふにあらず、山これやまといふなり。しかあれば、やまを参究すべし、山を参窮すれば山に功夫なり。」(全上二六七)と言われている。

(10)「百草」の出典は、龐居士とその娘霊照尼の問答中の「明々百草頭、明々祖師意」(『統要集』三、龐居士章、『真字正法眼蔵』上八八)(全下二一五)である。

(11)「五蘊」とは色・受・想・行・識であり、「十二入」とは眼・耳・鼻・舌・身・意などの器官すなわち六根と、色・声・香・味・触・法などの対象すなわち六境をあわせたものであり、「十八界」とは、十二入に眼・耳・鼻・舌・身・意識などの六識を加えたものである。さらに、四諦とは苦諦・集諦・滅諦・道諦であり、六波羅蜜は、布施・淨戒・安忍・精進・静慮・般若である。過去・現在・未来は三時であり、地・水・火・風・空・識は六大、行・住・坐・臥は四威儀である。これらは、全仏教に渡る基本概念である。

(12)道元は、「仏教」巻では「一者声聞乗、四諦によりて得道す」(全上三一〇)と述べており、道元においては四諦の教えはいわゆる小乗仏教のそれとしてイメージされていたことが分かる。

(13)戒蘊、定蘊、慧蘊、解脱蘊、解脱知見蘊は「五分法身」であり、この五つを体とした聖者や仏を意味する。預流果、一来果、不還果、阿羅漢果を「四果」と言い、小乗の「さとり」の諸段階を表す。「独覚菩提」は、いわゆる小乗の徒に属する独覚の「さとり」であり、「無上正等菩提」とは、阿耨多羅三藐三菩提ともいい大乗仏教の用語で最高の「さとり」を表す。仏・法・僧は「三宝」であり、「転妙法輪」とは他者に対する説法、「度有情類」は他者救済を表す。これらも、第一節で「~枚」と列挙されたのと同様に、全仏教に渡る基本概念になる。

(14)永井賢隆「「風鈴頌」再考」(『印度学仏教学研究』第六三号第一巻、平成二六年)の注一に風鈴頌のこれまでの主だった研究が列挙されている。

(15)「風鈴頌」のなかの「一等為他談般若」については、『宝慶記』では「一等与他談般若」(全下三八五)となっており、「他と」又は「他のために」と読まれ得る。また『御抄』には「一等為他談般若、と言はるヽ、他は東西南北の風歟、また風鈴の当体歟」(前掲『正法眼蔵註解全書』第一巻一六五頁)とあり、「他と」(彼と)という意味になる。その場合、「彼」は、吹く風であり、どのような風が吹いてきても風鈴が鳴り続け、風と般若を談じているという意味にとる。また、『如浄語録』には「通身是口掛虚空、不管東西南北風、一等与渠談般若、滴丁東了滴丁東。」(大正四八・一三二b)とあり、「与渠」(=彼と)は、『御抄』のように「風鈴と東西南北の風が般若を談じる」という意味になる。ただし、『永平広録』第九頌古五八「卍山本」には

「他の与(た)めに」とある。また、『永平広録』の古注には「他は衆生」とある(前掲『永平広録註解全書』下四〇三頁)。また、『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻本文に引用された「風鈴頌」を「他の為に」にと読んでいる場合もある(衛藤即応校注『正法眼蔵』上巻、岩波文庫、昭和一四年)。

  私自身は、本来の如浄の「風鈴頌」では「他と」であり、「他」は「東西南北の風」を意味していたが、道元はそれを「他の為めに」と解し、その場合「他」は衆生を意味することになると考えた。第二節の引用の中に「為他」を「他のために(演説する)」とあるのと連動すると解したのである。

(16)古註では、「チチンツンリャン、チチンツン」などと読まれている。前掲『正法眼蔵註解全書』第一巻一六五頁参照。

(17)十善業道は、十善戒とも呼ばれ、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見を指す。四静慮は、色界の四種の禅定で初禅(離生喜楽)、二禅(定生喜楽)、三禅(離喜妙楽)、四禅(非苦非楽)を指す。四無色定は、無色界の四種の禅定で、空無辺処定、識無辺処定、無所有処定、非想非非想処定を指す。五神通は、禅定によって身に付く神秘的な能力で、天眼通、天耳通、他心通、宿命通、如意通を指す。なお、『正法眼蔵』中に「四禅比丘」巻、「阿羅漢」巻、「神通」巻などがある。「四禅比丘」巻で、道元は四禅を得たことを四沙門果を得たと誤解して増上慢に陥り堕地獄した比丘を批判し、「阿羅漢」巻では、声聞の四果を得た阿羅漢とは別に仏果を得た阿羅漢がいると主張する。「神通」巻では、「神通」とは、「かくのごとくなる神通は仏家の茶飯なり」と巻頭で言われ、さらに「神通并妙用、運水及搬柴」(神通や妙用とは、修行者の日常において水を汲み薪を運ぶなかに現れてくる)という龐居士の言葉が引用されることからも分かるように、何か特別な超能力ではなく、修行において自由自在を得ることを意味するとされる。

  ここでは、これまでの節と同様に、いわゆる小乗仏教以来の「十善業道」「四静慮」「四無色定」「五神通」について言及している『大般若経』の記述を、道元が引用している。「摩訶般若波羅蜜」巻において、道元はたびたび小乗仏教の用語を肯定的な文脈で用いている。このことは、これから道元が『正法眼蔵』で展開していく主張が、小乗仏教をも含めて全仏教を踏まえたものであることを示す役割を果たすと思われる。

(18)「薄伽梵」は          bhagavatの音写で、世尊ともいい、諸の徳を有する者を意味する。仏の十号のうちの一つ。

(19)たとえば、「奉覲」について代表的な用例としては、「面授」巻の「迦葉尊者したしく世尊の面授を面授せり、心授せり、身授せり、眼授せり。釈迦牟尼仏を供養恭敬、礼拝奉覲したてまつれり。(中略)釈迦牟尼仏、まさしく迦葉尊者をみまします、迦葉尊者、まのあたり阿難尊者をみる、阿難尊者、まのあたり迦葉尊者の仏面を礼拝す、これ面授なり。阿難尊者、この面授を住持して、商那和修を接して面授す。商那和修尊者、まさしく阿難尊者を奉覲するに、唯面与面、面授し面受す。かくのごとく、代代嫡嫡の祖師、ともに弟子は師にまみえ、師は弟子をみるによりて、面授しきたれり。一祖、一師、一弟としても、あひ面授せざるは仏仏祖祖にあらず。」(全上四四七)がある。他にも『正法眼蔵』中の「奉覲」の用例が、「古鏡」「伝衣」「仏道」「陀羅尼」「面授」「仏祖」「法華転法華」などの諸巻にみられる。また「承事」の用例としては『仏本行集経』からの引用ではあるが、「供養諸仏」巻に「我れ往昔を念ふに、転輪聖王の身と作りて、三十億の仏に値ひたてまつりき。皆な同じく一号にして、釈迦と号けき。如来及び声聞衆まで、尊重し承事し、恭敬し供養して四事具足せり。所謂る衣服、飲食、臥具、湯薬なり。」(全上六五二)とある。

(20)『正法眼蔵』諸巻の末尾の多くに示される「示衆」については、書いたものを弟子たちに読ませたり、読み上げて口頭で伝えたりすることとされているが、その実態については詳しい資料が残されていない。なお、巻末の部分において、道元が「参究すべし」などと弟子に呼びかけるのは、たとえば、「心不可得」「恁麼」「行持下」「古鏡」「渓声山色」「仏向上事」「諸悪莫作」

「春秋」「葛藤」「栢樹子」「三界唯心」「密語」「仏経」「法性」

「他心通」「王索仙陀婆」「出家」「発菩提心」「深信因果」「一百八法門」「八大人覚」などの諸巻で見られる。

(21)詳細については、拙著『正法眼蔵入門』(角川ソフィア文庫、平成二六年)一九~五四頁を参照されたい。

(22)田中晃『道元禅の世界』第二巻(山喜房仏書林、平成五年)は、「摩訶般若波羅蜜」巻についての考究を結ぶ最後の一文で

般若波羅蜜はやがて仏性として道元禅の根幹をなすのである。」(一四六頁)と指摘している。

(23)たとえば、『正法眼蔵』そのものではないが、『正法眼蔵』と関係の深い「弁道話」では「人まさに正信修行すれば、利鈍をわかずひとしく得道するなり。我が朝は仁智のくににあらず、人に知解おろかなりとして仏法を会すべからずとおもふことなかれ。いはんや人みな般若の正種ゆたかなり。ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし。」(全上七四五)と言われ、『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻でも「われらなにのさいはひありてか、如来世尊の衣法正伝せる法にあふたてまつれる。

宿殖般若の大功徳力なり。」(全上六二八)と言われている。

 

駒澤大學佛教學部論集 第四十六號 平成二十七年十月

 

(これは右のpdf論文をワード化したものである。二谷記す。2022タイ国にて)