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現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第一五 光明 註解(聞書・抄)

詮慧・経豪 正法眼蔵第一五 光明 註解(聞書・抄)

大宋国湖南長沙招賢大師、上堂。示衆云、尽十方界是沙門眼。尽十方界是沙門家常語。尽十方界是沙門全身。尽十方界是自己光明。尽十方界、在自己光明裏尽十方界、無一人不是自己。仏道の参学、かならず勤学にすべし。転疎転遠なるべからず。これによりて光明を学得せる作家、まれなるものなり。震旦国、後漢の孝明皇帝、帝諱は莊なり、廟号は顕宗皇帝とまうす。光武皇帝の第四の御子なり。孝明皇帝の御宇、永平十年戊辰の年、摩騰迦竺法蘭、はじめて仏教を漢国に伝来す。焚経台のまへに、道士の邪徒を降伏し、諸仏の神力をあらはす。それよりのち、梁武帝の御宇、普通年中にいたりて、初祖みづから西天より南海広州に幸す。これ正法眼蔵正伝の嫡嗣なり、釈迦牟尼仏より二十八世の法孫なり。ちなみに嵩山少室峰少林寺に掛錫しまします。法を二祖大祖禅師に正伝せりし、これ仏祖光明の親曾なり。それよりさきは仏祖光明を見聞せるなかりき。いはんや自己の光明をしれるあらんや。たとひその光明は頂□(寧+頁)より擔来して相逢すといへども、自己の眼睛に参学せず。このゆゑに、光明の長短方円をあきらめず、光明の巻舒斂放をあきらめず。光明の相逢を厭却するゆゑに、光明と光明と転疎転遠なり。この疎遠たとひ光明なりとも、疎遠に罣礙せらるゝなり。

詮慧

〇大宋国湖南長沙招賢大師示衆云、尽十方界是沙門眼。尽十方界是沙門家常語。尽十方界沙門全身。尽十方界是自己光明裏。尽十方界在自己光明裏。尽十方界無一人不是自己。

〇「学得せる作家まれなり」と云う「作家」は学人の事也。喩えば出家在家なむど(などと・以下同)云わんが如し。学人これなりと云う也。

〇「摩騰迦・竺法蘭」(二人の名なり、印度僧始めて渡仏法也)。

〇「嵩山少室峰・少林寺」と云う「嵩山」は(山名)。「少室峰」(は)(所名)・「少林寺」は(寺名)。

〇「自己の光明を知れるあらんや」と云う此の「自己」は、尽十方界在自己光明裏の自己也、非世間自己。これ光明の自己也。凡そ光明と云えば、火光・玉光の如く思うべからず。或眼・或家常・或語・或全身等と可心得なり。所詮、尽界は光明なるべし、仏は光明なるべし。光明は仏なるべし、光明は祖師なるべし。「頂□(寧+頁)より擔来して相逢」と云うは光明を身より外に置きて、眼睛にて見るべきものと不可参学也。仏の所見に成りぬれば、六根も凡夫の六根の如き不可談事は、諸事同とは云えども、彼是身に付けても尽十方。尽十方と云う(は)、三界唯一心の文を心仏及衆生是三無差別の義と心得るにも、三界唯仏とも三界唯衆生とも心得るように六根も心得るべし。又光明遍照と翻訳することもあり、念仏を以ても光明とすべし。百草みな光ならば、五道六道も入るべし、隔てある(べ)可らず。以尽十方界、髑髏皮肉骨骸(髄)と云う故に、七尺と云うは尽十方界丈尺なり無際限也。不可唯世間尺寸。

〇「光明与光明、転疎転遠也とも疎遠に罣礙せらる也」と云うは、隔つる時は光明と光明と転疎転遠なり。明らむる時は、光明と光明と明らかなり。「罣礙せらるる」とは、光明に光明を礙えらるる心也。唯仏与仏を以て光明とせんには、諸法実相を明らむべし。仏光には常光と云う事あり、遠く照らすにはあらず、只一いろ、只二いろと云う。四五尺一丈の分際なるべし、遠く照らすには験用の義也。

〇「転疎転遠」も光明とある上は、勿論の事なれども、又疎遠はなきにあらず。

経豪

  • 是は光明の道理は、隠顕に拘わらず。頂□(寧+頁)も光明なれども、祖師西来以前は「自己の眼睛に参学せず」と云う也。本来此の光明の道理は、擔来したれども、此の道理を不知と云う也。祖師西来の後、始(めて)此の理を聞(く)なり。
  • 「光明の相逢を厭却す」とは、今の光明(は)能照所照の義にあらず、光明の外に又交わる物な処。故に「光明の相逢を厭却す」とも、「光明与光明、転疎転遠也」とも云わる也。所詮、今の光明を談ずる道理は、光明が光明を談ずるなり。光明与光明を相逢とも云う。此の道理を不知を「相逢を厭却す」と云う也。
  • 「此の疎遠たとい光明也とも」は、光明なる物が、光明也と不知所を疎遠とも仕う。然而、知らざる所も光明ならざる事なし。疎遠なる所がやがて、光明なる道理が「疎遠に罣礙せらるる」とは云わるる也。

 

転疎転遠の臭皮袋おもはくは、仏光も自己光明も、赤白青黄にして火光水光のごとく、珠光玉光のごとく、龍天の光のごとく、日月の光のごとくなるべしと見解す。或従知識し、或従経巻すといへども、こうの言教をきくには、蛍光のごとくならんとおもふ、さらに眼睛頂□(寧+頁)の参学にあらず。漢より隋・唐・宋および而今にいたるまで、かくのごとくの流類おほきのみなり。文字の法師に習学することなかれ、禅師胡乱の説、きくべからず。

詮慧

〇「胡乱の説」とは劣也と云う詞也。

経豪

  • 如文無別子細。

 

いはゆる仏祖の光明は尽十方界なり、尽仏尽祖なり、唯仏与仏なり。仏光なり、光仏なり。仏祖は仏祖を光明とせり。この光明を修証して、作仏し、坐仏し、証仏す。このゆゑに、此光照東方万八千仏土の道著あり。これ話頭光なり。此光は仏光なり、照東方は東方照なり。東方は彼此の俗論にあらず、法界の中心なり、拳頭の中央なり。東方を罣礙すといへども、光明の八両なり。此土に東方あり、佗土に東方あり、東方に東方ある宗旨を参学すべし。

詮慧

〇「光仏」と云うは、光が仏なる心也。

〇「話頭光」と云うは、所詮「仏光」也。経に「東方万八千土を照らす」(『法華経』「序品」)と云う。次の詞に諸方亦然と云えば、東方の如く南方も北方も西方も照らすべきかと聞こゆれども、先(の)東方万八千土を心得ての上の事也。此の東方を「法界の中心」と云う。「拳頭の中央也」と云う上は、仏を中央に置きて、光(が)東方を射すと不可心得。「法界の中心、拳頭の中央」と云うにて可心得。光も尽十方界、東方も尽十方界の東方なるべし、是を亦然とは解(する)也。十方仏土中唯有一乗法(『法華経』「方便品」)は、十方仏土中唯有一光明と可心得。南西北(も)又如此。

〇「光明も自己光明」とも云うは、仏光と自己光明と同歟、異なるべき由を知らず。同ならば光明も仏光も、二を並べて云うべきにあらば如何。是二に非ざる也、一にあらざる也。

〇「光明の八両也」と云うは、光明東方一方にかぎらず、仍(ち)光明の八両也と云う也。やがて東方を指して八両と仕う、半斤なる故に西方浄土も彼(岸)浄土の西ならじ。仏国にては東方と云うべき也。

〇「他土に東方あり、東方に東方ある宗旨」と云うは、此の心地同義也。

経豪

  • 「いわゆる仏祖の光明は尽十方界也、尽仏尽祖なり、唯仏与仏也」とあり。我等が日来の見解の光明に非ざる条、文の面顕然也。「仏光」と云えば猶能照の仏、所照の別あるように聞こゆ。「光仏」と云えば能所なき道理あらわれて聞こゆ、故に仏光・光仏と云う。「仏祖を光明とする也、此の光明の道理を修証して作仏・坐仏・証仏する也」。是れ坐禅の姿なり。此の光(は)照東方万八千仏土の経文なり。「是話頭光なり、此光は仏光なり」と云えり、如文。「照東方は、東方照也」とは西方より光を射して、東方を照らすと心得たり。是は東方を光と談ずる故に、照東方は東方照と云わるるなり。我等が眼所対の上にも、東方定まれる在所なし。西よりは東方と指す、東方よりは西と思う、況(や)仏法の東方(は)更(に)不可有彼此辺際。故に「東方は彼此の俗論にあらず、法界の中心なり、拳頭の中央也」と云う。四方に対して東方と云わる、此の四方(は)我に対して四方とは云わるる也。今は已に「法界の中心也、拳頭の中央也」と云う。此の中心の詞も、四方に対したる中央にあらず、全中央なるべし。「拳頭の中央也」と云う心(と)同上。又「東方を罣礙すといへども、光明の八両也」と云うは、能照の光明、所照の土が共に光明なる故に、八両とは云わるる也。其の故は十六両を一斤と云う、八両は半斤なり。八両半斤は、只同事也。故に東方与光明、只同じきが故に光明の八両とは云うなり。「此土に東方あり、他土に東方あり」とは、東方の上の此土他土なり。東方と談ずる時は、余の西南北あるべからず。此の道理を「東方に東方あり」とは云うなり。

 

万八千といふは、万は半拳頭なり、半即心なり。かならずしも十千にあらず、万々百万等にあらず。仏土といふは眼睛裡なり。照東方のことばを見聞して、一条白練去を東方へひきわたせらんがごとくに憶想参学するは学道にあらず。尽十方界は東方のみなり、東方を尽十方界といふ。このゆゑに尽十方界あるなり。尽十方界と開演する話頭、すなはち万八千仏土の聞声するなり。

詮慧

〇「仏土と云うは眼睛裏」と云うは、この裏は表裏の裏にてはなし、尽界也。

経豪

  • 「万八千と云うは、万は半拳頭也、半即心也。必ずしも十千にあらず、万々百万等に非ず」とは、万八千とは多く、半拳頭、半即心は少なしと思うべからず。数量を超越したる万々百万等なるべし。「仏土と云うは眼睛裏也」とは、他土と云えばいみじく、眼睛裏などと云えば劣也と思えり。今の眼睛裏与仏土、只同じかるべし。又「照東方の詞を見聞して、一条白練去を東方へ引き渡さんと思うが如くに、憶想参学するは、学道にあらず」と被嫌は、実にも照東方の詞をば、白き糸筋を、一筋東方へ引き渡さんずるように思いつきたり。是を「非学道」とは被嫌。仏祖所談の光明にあらずとも避けらるる也。

 

唐憲宗皇帝者、穆宗宣宗両皇帝の帝父なり。敬宗文宗武宗三皇帝の祖父なり。仏舎利を拝請して、入内供養のちなみに、夜放光明あり。皇帝大悦し、早朝の群臣、みな賀表をたてまつるにいはく、陛下の聖徳聖感なり。ときに一臣あり、韓愈文公なり。字は退之といふ。かつて仏祖の席末に参学しきたれり。文公ひとり賀表せず。憲宗皇帝宣問す、群臣みな賀表をたてまつる、卿なんぞ賀表せざる。文公奏対す、微臣かつて仏書をみるにいはく、仏光は青黄赤白にあらず。いまのはこれ龍神衛護の光明なり。皇帝宣問す、いかにあらんかこれ仏光なる。文公無対なり。いまこの文公、これ在家の士俗なりといへども、丈夫の志気あり。回天転地の材といひぬべし。かくのごとく参学せん、学道の初心なり。不如是学は非道なり。たとひ講経して天華をふらすとも、いまだこの道理にいたらずは、いたづらの功夫なり。たとひ十聖三賢なりとも、文公と同口の長舌を保任せんとき、発心なり、修証なり。しかありといへども、韓文公なほ仏書を見聞せざるところあり。いはゆる仏光非青黄赤白等の道、いかにあるべしとか学しきたれる。卿もし青黄赤白をみて仏光にあらずと参学するちからあらば、さらに仏光をみて青黄赤白とすることなかれ。憲宗皇帝もし仏祖ならんには、かくのごとくの宣問ありぬべし。

詮慧

〇「文公無対」と云うは、いかならんか是仏光と云う程の無対也。いかなるも仏光なるべき故と可心得か。

〇「回天転地の才」と云うは、知仏法事也。

〇「十聖三賢なりとも」と云うは、今の参学人、何ぞ十聖三賢に勝るべき賢聖は、身に無所犯。心に無懈怠事は、而今の学人等は不可及。同日論、然而嫡々相承する仏法は、十聖も三賢も不及也、故に如此云う也。十聖三賢この理を知ると云わば、又不可為十聖三賢。又十聖三賢と、我等が仏法を始めて習う時は、勝劣天地也。然而我等は幼少の皇子也。十聖三賢は才学身に余りたる臣下なれども、種生上下せり、不可同(の)謂われ如此。声聞持戒と菩薩の破戒と異なり。

〇「文公と同口の長舌を保任せん時、発心修証也」と云うは、「同口」とは、仏光(は)青黄赤白にあらずと心得る所を云うなり。「長舌」とは仏法を演説する所を差(指)すなり。「保任」とは、この理を尽十方界の内外に保ち任するなり。如此なる所を指して、発心とも修証とも云うなり。非如此をば、発心修証と許すべからざる故なり。

〇「卿もし青黄赤白を見て仏光にあらずと参学する力あらば、さらに仏光を見て青黄赤白とする事なかれ」と云う。是は青黄赤白を見て仏光にあらずと云わんも、仏光を見て青黄赤白とする事なかれ云わん、只仏光と青黄赤白との詞が聊か前後の替わりこそあれ。同じ詞と聞こゆれども、はるかに異なるべし。始めの詞は、或い後の詞はさとりなるもあるべし。祖師西来意を問うに、庭前の柏樹子という詞(に)、両度あり。後の詞に悟道し、丙丁童子来求火の詞も、両度同じけれども、後の詞につきてはさとりなる。文公の見解の失は仏光の外に、青黄赤白を置くに似たり。又やがて文公も仏光より外に、いづれの所にあらばか、青黄赤白なりとも、又あらずとも見るべき、一旦夜光に驚かす。龍神衛護の光と、くだすは丈夫の志気あれども、猶仏光を能所に置く誤り残るに似たり。所詮仏と青黄赤白と相対の、沙汰すべからざる者歟。

経豪

  • 始めは先(ず)韓愈文公(を)被讃嘆(する)也。如文。但此の「無対」の所不審也。其(の)力あらば如此云わましとて、先師被述其理也。「韓文公、仏光は青黄赤白にあらず」と云えば、仏光の外に青黄赤白ありと聞こゆ、是を被嫌なり。「仏光を見て青黄赤白とする事なかれ」とは、仏光は仏光なるべし、青黄赤白とすべからずとなり。『現成公案』に「宝徹禅師扇を仕いしに、風性常住。無処不周底也。和尚何として扇を仕うと云いしに、汝風性常住は知れりとも、未だ所として到らずと云うことなき道理を不知」と云いし時、「いかならんか無処不周底の道理」と云いし時、又扇を仕いし道理に、今の青黄赤白の道理も不違也。「いかならんか仏光」と問わん時、青黄赤白是也と答えんが如し。

 

しかあれば、明明の光明は百草なり。百草の光明、すでに根茎枝葉華菓光色、いまだ与奪あらず。

五道の光明あり、六道の光明あり。這裡是什麼処在なればか、説光説明する。云何忽生山河大地なるべし。

長沙道の尽十方界是自己光明の道取を審細に参学すべきなり。光明自己尽十方界を参学すべきなり。

生死去来は光明の去来なり。超凡越聖は、光明の藍朱なり。作仏作祖は、光明の玄黄なり。修証はなきにあらず、光明の染汚なり。草木牆壁、皮肉骨髄、これ光明の赤白なり。烟霞水石、鳥道玄路、これ光明の廻環なり。

自己の光明を見聞するは値仏の証験なり、見仏の証験なり。

尽十方界は是自己なり。是自己は尽十方界なり。廻避の余地あるべからず。たとひ廻避の地ありとも、これ出身の活路なり。

而今の髑髏七尺、すなはち尽十方界の形なり、象なり。仏道に修証する尽十方界は、髑髏形骸皮肉骨髄なり。

詮慧

〇「明々光明は百草也」と云うは、百草に付けて根茎已下を光と云えば、すでに与奪なり。ただ明々光明は明々百草と云うべし。

〇「五道六道の光明」とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、是六道也。五道と云う時は、人与修羅合わすなり。尽十方界の道理に付きて、五道六道の光明は説かるるなり。その故は五道六道(は)、尽十方界に漏るべからず。故に世間に談ずる五道六道の時は、光明とは難云歟。

〇「這裡是什麼処在なればか、説光説明する。云何忽生山河大地」と云うは、已前の五道六道を一光明と取らば、五道六道の詞、聞こゆべからず。故に云何忽生山河大地とは云うなり。清浄本然云何忽生山河大地と問う。答えに又、清浄本然云何忽生山河大地と云う、此の問答の心なるべし。不可生道理は、山河大地なり。されば答にも山河大地と云う。

〇「修証はなきにあらず、光明の染汚也」と云うは、此事いかなるべきぞ。修証はなきにあらず、染汚すること得じと云う。今は染汚なりと相違、如何。この修証は証なる故に、染汚すること得じと云う。今、光明の染汚なりと許すは、証を待つ修にあらず、尽十方自己光明と云う。光明なれば染汚也と許すなり。尽十方界光明に染汚せらるる其の心は、光明が光明に染汚せらると云わんが如し。坐禅坐仏なるなり。如此心得なん後は、証を待つ証なりとも云いつべし。その待つは光明の光明を染汚する程の事也。

○「烟霞水石、鳥道玄路、これ光明の廻環也」と云うは、これらをふさねて(束ねて)光明を談ずれば、廻環なり、尽十方界なり、回避の余地あるべからず。「廻避の地ありとも、これ出身の活路なり」と云うは、光明ならぬ尽十方界なし。たとい回避の地ありとも、光明出身の活路なるべし。

○「而今の髑髏七尺」と云うは、此の而今は、尽十方界真実人体の我等なり、今日の我等にあらず。七尺と指すは、尽十方界の形なる故に、尽十方界も七尺なり。

○「尽十方界、髑髏形骸、皮肉骨髄なり」と云うは、尽十方界是全身と云う上は、髑髏形骸皮肉骨髄なり。

経豪

  • 今は以百草光明と談ず。「百草の光明、根茎枝葉華菓光色、与奪あらず」とは、百草の上に例(えば)根茎枝葉華等の道理あるべし。然而これが彼を奪いてなすにあらず。只無始無終の道理なる所を、与奪あらずとは云うべきなり。
  • 是は「以五道六道談光明、なにものの所在にもあるべき道理なる故に、説光説明する」也。清浄本然ならんに、「云何忽生山河大地」と云いし答に、清浄本然ならんに云何忽生山河大地と云いし詞を被引。是は清浄本然は殊勝なるに、争(か)山河大地の悪ろき物をば、一には談ぜんぞと云う詞かと覚えたり。今の山河大地与清浄本然(の)詞、聊かも相違の法ならん道理を、如此答するなり。
  • 「長沙の詞は、尽十方界是自己の光明」とあり。是は尽十方界と自己と、猶各別なる様に聞こえたり。乃至、光明も自己の外にあるように、一旦聞こえぬべきを「光明自己、尽十方界」と云えば、光明が尽十方界なる道理、分明に聞こゆるなり。
  • 「生死去来・超凡越聖已下、乃至、烟霞水石等」、皆光明也と云わるる也。「修証」の詞、六祖与南嶽の問答には、修証はなきにあらず、染汚する事得じとあり。不染汚の修証と聞こゆ、ここには「光明の染汚」とあり。但光明に染汚せられん修証は、さらに非所可嫌。
  • 「自己の光明」とは、今の長沙の尽十方界是自己光明を指すなり。此の詞を被讃嘆なり。
  • 如文。詮は尽十方界与自己、取り放たるべからざる道理聞こえたり。然者又「回避の余地あるべからず」条勿論なり。「縦い回避の地あり」と云うとも、是尽十方界也是自己なり。
  • 今「髑髏」と云う詞の出でくるは、尽十方界是自己光明と云い、自己の詞に付けて被呼出也。以尽十方界髑髏と習うべし。今の七尺と尽十方界と、更(に)広狭多少の義あるべからず。

 

雲門山大慈雲匡真大師は、如来世尊より三十九世の児孫なり。法を雪峰真覚大師に嗣す。仏衆の晩進なりといへども、祖席の英雄なり。たれか雲門山に光明仏の未曾出世と道取せん。

あるとき、上堂示衆云、人人尽有光明在、看時不見暗昏昏、作麼生是諸人光明在。衆無対。自代云、僧堂仏殿厨庫山門。

いま大師道の人人尽有光明在は、のちに出現すべしといはず、往世にありしといはず、傍観の現成といはず。人人自有光明在と道取するを、あきらかに聞持すべきなり。百千の雲門をあつめて同参せしめ、一口同音に道取せしむるなり。

人人尽有光明在は、雲門の自搆にあらず、人人の光明みづから拈光為道なり。人人尽有光明とは、渾人自是光明在なり。

詮慧 第二匡真大師段。

○「たれか雲門山に光明仏の未曾出世と道取せん」と云うは、「尽有光明在」の詞は、いま始めて聞くにあらず。『仏性』の草子に「一切衆生悉有仏性」の時より、其の理顕わなり。人々と一切衆生と同じかるべし。人と云うは猶人・衆生に限り、一切衆生は広きに似たれども、人々と置きつる上(の)仏法の習い、一人が上も尽くさずと云う事なし。一静一動の義如此。悉の詞と尽と又同じ。「看時不見とあれば、暗昏々」尤(も)故あり。一切衆生悉有仏性に、「看時不見」は心得らるるなり。仏性を見る時は、「看時不見暗昏々」なるべし。「人々尽有光明」の詞、光明仏在世と云いつべしと、雲門の被仰詞也。

〇「人々尽有光明在は、後に出現すべしと云わず、往世にありしと云わず、傍観の現成と云わず。人々自有光明在と云いつる」時に、光明尽有人々在なるべし。

経豪

  • 是は雲門をやがて光明と談(ずる)也、故に「光明仏」と云う。誰か雲門山に光明仏の、未出世と云わんとなり。
  • 大師道の「人々尽有光明在」とは、人々を置いて此の人々の光明に、照らさるるとこそ思いつべきを、此の「人々」は已光明也。しからば「後に出現すべきにあらず、又往世に在りしと云わず」。又傍観の在りて、光明を現成すと云わず。只「人々自有光明在」と道取するなり。
  • 此の「人々尽有光明在」の詞は、雲門の詞とこそ聞こゆれ。但雲門並三世諸仏、諸代祖師の皮肉只一体なり。故に「百千の雲門をあつめて」とは云うなり。彼等一口同音に道取せしむる詞にてある也と可心得。故に「人々尽有光明在は、雲門の自搆にあらず、人々の光明みづから拈光為道なり」と云うなり。
  • 「人々尽有光明とは、渾人自是光明在也」とは、全人なり、全人光明と云う心なり。「光明と云うは人々なり」と云う顕然なり。光明を以て依報正報とするなりとあり。如文。

 

光明といふは人人なり。光明を拈得して、依報正報とせり。光明尽有人人在なるべし、光光自是人人在なり、人人自有人人在なり、光光自有光光在なり、有有尽有有有在なり、尽尽有有尽尽在なり。

詮慧

〇「人々」と云うは用巨多手眼(「観音」)の巨多を人々と挙ぐる也。背手模枕子(「観音」)に心得合わすべし。看時も暗昏々も、諸人も光明も等しき所を明かすなり。不見一法名如来(「観音」)と云う事あり。この見るは光明が見するとやせん、人々の見るとやせん。暗昏々は不見と云えばとて、悪きにはあらず、能所を止むる心なり。この道理が作麼生是光明在なり。

経豪

  • 是は日常尽有光明在とありつる雲門の詞を、例えば即身是仏の定(め)に、とかく入り違えて被書たるなり。其理は只一なるべし。能々閑可了見なり。

 

しかあればしるべし、人人尽有の光明は、現成の人人なり。光光、尽有の人人なり。しばらく雲門にとふ、なんぢなにをよんでか人人とする、なにをよんでか光明とする。雲門みづからいはく、作麼生是光明在。この問著は、疑殺話頭の光明なり。しかあれども、恁麼道著すれば、人人光光なり。

経豪

  • 実にも是は「何をよんで人々とし、光明とすべきぞ」是什麽物恁麽来の道理なり。なにもあるべし、説似一物即不中也。此の問著は疑に似たり。然而是は「疑殺話頭」とは、疑殺とは此の問著(は)普通の疑著にあらず。此の問著の理、至極の道得なる所が「疑殺話頭の光明也」とは云わるるなり。

 

ときに衆無対。たとひ百千の道得ありとも、無対を拈じて道著するなり。これ仏祖正伝の正法眼蔵涅槃妙心なり。

詮慧

〇「衆無対」と云うは、人々尽有光明なる故なり。衆の無対は劣にして、雲門の僧堂・仏殿の詞を勝なりとは云うべからず。勝劣を立つれば、無対の詞がそるるなり、可対を無対なるにはあらず。不待答有問・不依問有答、故に衆の無対は、光明仏の無対なり、衆に限らず。

経豪

  • 此の無対のすがた、打ち任せては閉口したるように、思い習わしめたり。今は百千の道得ありとも、此の無対に過ぎたる道著あるべからずと云うなり。此の無対の道理が、道著の道理なる故に、如此云わるる也。此の無対の道理、又正法眼蔵涅槃妙心也とあり。尤有其謂。

 

雲門自代云、僧堂仏殿厨庫三門。いま道取する自代は、雲門に自代するなり、大衆に自代するなり、光明に自代するなり。僧堂仏殿厨庫三門に自代するなり。

詮慧

〇「自代」と云うは、光明と云うなり。衆に代わりて自と云うにてはなし。人々も又云うと心得るなり。

経豪

  • 是は大衆に代わりて雲門の詞と聞こゆるを、今の道理は「雲門に自代するなり、光明に自代するなり。僧堂仏殿厨庫三門に自代するなり」とあり。其の故は今被呼出、雲門と光明と僧堂仏殿厨庫三門と、只一物なるべし。故に是は彼に自代し、彼は自代すと云うは、只一(の)道理かと各いわるる也。仏性が蚯蚓とも狗子とも、乃至有とも無とも云われしが如し。

 

しかあれども、雲門なにをよんでか僧堂仏殿厨庫山門とする。大衆および人人をよんで僧堂仏殿厨庫三門とすべからず。いくばくの僧堂仏殿厨庫三門かある。雲門なりとやせん、七仏なりとやせん。四七なりとやせん、二三なりとやせん。拳頭なりとやせん、鼻孔なりとやせん。

経豪

  • 雲門に自代するなり、光明乃至僧堂仏殿厨庫山門。拳頭鼻孔等に自代する也とはあれども、又しばらくここには、「雲門なにをよんでか僧堂仏殿厨庫山門とする」とて、「僧堂仏殿厨庫三門とすべからず。いくばくの僧堂仏殿厨庫三門かある」とて、「雲門也とやせん、乃至拳頭鼻孔也とやせん」とあり。僧堂仏殿厨庫三門の詞にてあるまじき所を、「いくばくの僧堂仏殿厨庫三門がある」とは云う也。今の「雲門七仏四七二三拳頭鼻孔」などと挙げられて、「せんせん」とある詞は、皆是等の義にあたるべき也。是則光明を「雲門七仏四七二三拳頭鼻孔也」と。僧堂仏殿厨庫三門の詞に取り替えても云わるべき道理を、如此云う也。此の外にも無尽の詞あるべきなり。「四七」とは二十八祖事也、「二三」とは六代なり。

 

いはくの僧堂仏殿厨庫三門、たとひいづれの仏祖なりとも、人人をまぬかれざるものなり。このゆゑに人人にあらず。

詮慧

〇「僧堂仏殿厨庫三門、たといいづれの仏祖なりとも、人々をまぬかれざる者なり。この故に人々にあらず」と云うは、尽十方界真実人体なる故に人々をまぬかれず、この故に人々にあらずと云う。参差(しんし・互いに入り混じるさま・不揃いなさま)の詞に似たり。然而親切に説く時如此。

〇三界唯心なり、故に非三界と云い、唯有一乗法なる故に、非十方仏土中と云わんが如し。

経豪

  • 是は雲門に限らず、何れの仏祖也とも、人々をまぬかれざる也と云う也。此の道理の上には又、人々にあらずと云う義もあるべし。

 

しかありしよりこのかた、有仏殿の無仏なるあり、無仏殿の無仏なるあり。有光仏あり、無光仏あり。無仏光あり、有仏光あり。

詮慧

〇「有仏殿無仏無仏殿無仏」と云うは、是二の義あるべし。一者有仏殿に仏を待つべからず、故に無仏とは云う。有仏必非可得待殿故に、無仏殿と云う。仏と殿と無差別。二者有の仏殿なるあり、無の仏殿なるあり、仏有仏無これ同じ。たとえば有仏性・無仏性の有無の如し。光明等の有無もかくの如し。所詮此の有仏殿無仏無仏殿無仏などと云うは、光明尽有人々在の心に符合するなり。

経豪

  • 此の光明の道理尤如此云わるべきなり。仏殿と談ぜば無仏なるべし、無仏殿無仏の道理あるべし。光仏をありと談じ、光仏を無と談ずる義あるべし。又仏光を有無と談ずべし、仏光・光仏、光与仏同体なる時、如此被談也。

 

雪峰山真覚大師、示衆云、僧堂前、与諸人相見了也。これすなはち雪峰の通身是眼睛時なり、雪峰の雪峰を覰見する時節なり。僧堂の僧堂と相見するなり。

詮慧 第三雪峰真覚大師段

〇「僧堂前、与諸人相見了也」。已前すでに光明を僧堂仏殿と云う、人々尽有光明在と云う。今の諸人相見の諸人は、已前の人々なり。然者相見ぞ通身是眼睛ひとつなるべし、ただ雪峰与雪峰相見なり。

 

保福、挙問鵝湖僧堂前且置、什麼処望州亭烏石嶺相見。鵝湖、驟歩帰方丈保福、便入僧堂。

帰方丈入僧堂、これ話頭出身なり。相見底の道理なり、相見了也僧堂なり。

詮慧 第四保福挙問鵝湖段

〇「什麼処望州亭烏石嶺相見」と云う。諸人相見了也程の相見なり。光明も人も望州亭も烏石嶺も、無差別故相見と云う。

〇「鵝湖驟歩して帰方丈、保福入僧堂」。是みな「相見底の道理なり」。「相見了也僧堂也」と云うなり。

経豪

  • 保福(雪峰の弟子也)問答の詞如文。望州亭は国名なり、烏石嶺は所名也。先段に雪峰於僧堂与諸人相見の道理を明かさる。今は帰方丈入僧堂(の)姿を以て、相見の道理を表わさるるなり。方丈与鵝湖の相見の道理は鵝湖与鵝湖相見なり。保福入僧堂道理、僧堂与僧堂の相見に当たるなり。「話頭出身」とは、話頭は詞、所詮能言也。世間にも物の良さをば出身すなどと云う。其れ程の心地か。詮は誉めたる心なり。

 

地蔵真応大師云、典座入庫堂、この話頭は七仏已前事なり。

詮慧 第五真応大師段

〇「典座入庫堂、この話頭は七仏已前事也」と云うは、父母未生前の面目を、坐禅の威儀と云うは、世間の詞を借りて云うべき法門にあらねば如此云也。今の入庫堂七仏の所行也。已前と指すべからざるに似たり、但仏に前後あるべからず。さればやがて入庫堂の詞の、仏舌仏語なれば、又七仏已前とも指すなり。七仏前は仏向上の義なる故に、入庫堂の入は、入住出の入にあらず。又入之一字も不用得なるべし。其故は、典座を能入にて、庫堂を所住之処と云うべからず。典座も入庫堂も無差別故に。

経豪

  • 「典座入庫堂」是相見の道理也。「七仏已前事」とは本有などと云う程の詞歟。

光明(終)

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。