正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第三十七「春秋」を読み解く

正法眼蔵第三十七「春秋」を読み解く

 

 洞山悟本大師、因僧問、寒暑到來、如何廻避。師云、何不向無寒暑處去。僧云、如何是無寒暑處。師云、寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨。

 この因縁、かつておほく商量しきたれり、而今おほく功夫すべし。佛祖かならず參來せり、參來せるは佛祖なり。西天東地古今の佛祖、おほくこの因縁を現成の面目とせり。この因縁の面目現成は、佛祖公案なり。

 しかあるに、僧問の寒暑到來、如何廻避、くはしくすべし。いはく、正當寒到來時、正當熱到來時の參詳看なり。この寒暑、渾寒渾暑、ともに寒暑づからなり。寒暑づからなるゆゑに、到來時は寒暑づからの頂寧より到來するなり、寒暑づからの眼睛より現前するなり。この頂寧上、これ無寒暑のところなり。この眼睛裏、これ無寒暑のところなり。

 高祖道の寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨は、正當到時の消息なり。いはゆる寒時たとひ道寒殺なりとも、熱時かならずしも熱殺道なるべからず。寒也徹蔕寒なり、熱也徹蔕熱なり。たとひ萬億の廻避を參得すとも、なほこれ以頭換尾なり。寒はこれ祖宗の活眼睛なり、暑はこれ先師の煖皮肉なり。

 淨因枯木禪師、嗣芙蓉和尚、諱法成和尚、云、衆中商量道、這僧問既落偏、洞山答歸正位。其僧言中知音、卻入正來、洞山卻從偏去。如斯商量、不唯謗涜先聖、亦乃屈沈自己。不見道、聞衆生解、意下丹青、目前雖美、久蘊成病。大凡行脚高士、欲窮此事、先須識取上祖正法眼藏。其餘佛祖言教、是什麼熱椀鳴聲。雖然如是、敢問諸人、畢竟作麼生是無寒暑處。還會麼。玉樓巣翡翠、金殿鏁鴛鴦。

 師はこれ洞山の遠孫なり、祖席の英豪なり。しかあるに、箇々おほくあやまりて、偏正の窟宅にして高祖洞山大師を禮拝せんとすることを炯誡するなり。佛法もし偏正の商量より相傳せば、いかでか今日にいたらん。あるいは野猫兒、あるいは田厙奴、いまだ洞山の堂奥を參究せず。かつて佛法の道閫を行李せざるともがら、あやまりて洞山に偏正等の五位ありて人を接すといふ。これは胡説亂説なり、見聞すべからず。たゞまさに上祖の正法眼藏あることを參究すべし。

 慶元府天童山、宏智禪師、嗣丹霞和尚、諱正覺和尚、云、若論此事、如兩家著碁相似。儞不應我著、我即瞞汝去也。若恁麼體得、始會洞山意。天童不免下箇注脚。裏頭看勿寒暑、直下滄溟瀝得乾。我道巨鼇能俯拾、笑君沙際弄釣竿。

 しばらく、著碁はなきにあらず、作麼生是兩家。もし兩家著碁といはば、八目なるべし。もし八目ならん、著碁にあらず、いかん。いふべくはかくのごとくいふべし、著碁一家、敵手相逢なり。

 しかありといふとも、いま宏智道の儞不應我著、こゝろをおきて功夫すべし。身をめぐらして參究すべし。儞不應我著といふは、なんぢ、われなるべからずといふなり。我即瞞汝去也、すごすことなかれ。泥裏有泥なり。蹈者あしをあらひ、また纓をあらふ。珠裏有珠なり、光明するに、かれをてらし、自をてらすなり。

 夾山圜悟禪師、嗣五祖法演禪師、諱克勤和尚、云、

  盤走珠珠走盤   偏中正正中偏

  羚羊掛角無蹤跡  獵狗遶林空踧蹈

 いま盤走珠の道、これ光前絶後、古今罕聞なり。古來はたゞいはく、盤にはしる珠の住著なきがごとし。羚羊いまは空に掛角せり、林いま獵狗をめぐる。

 慶元府雪竇山資聖寺明覺禪師、嗣北塔祚和尚、諱重顯和尚、云、

  垂手還同萬仭崖  正偏何必在安排

  琉璃古殿照明月  忍俊韓獹空上階

 雪竇は雲門三世の法孫なり。參飽の皮袋といひぬべし。いま垂手還同萬仭崖といひて、奇絶の標格をあらはすといへども、かならずしもしかあるべからず。いま僧問山示の因縁、あながちに垂手不垂手にあらず、出世不出世にあらず。いはんや偏正の道をもちゐんや。偏正の眼をもちゐざれば、此因縁に下手のところなきがごとし。參請の巴鼻なきがごとくなるは、高祖の邊域にいたらず、佛法の大家を覰見せざるによれり。さらに草鞋を拈來して參請すべし。みだりに高祖の佛法は正偏等の五位なるべしといふこと、やみね。

 東京天寧長靈禪師守卓和尚云、

  偏中有正正中偏  流落人間千百年

  幾度欲歸歸未得  門前依舊草芊々

 これもあながちに偏正と道取すといへども、しかも拈來せり。拈來はなきにあらず、いかならんかこれ偏中有。

 潭州大潙佛性和尚、嗣圜悟、諱法泰、云、

  無寒暑處爲君通  枯木生花又一重

  堪笑刻舟求剣者  至今猶在冷灰中

 この道取、いさゝか公案踏著戴著の力量あり。

 泐潭湛堂文準禪師云、

  熱時熱殺寒時寒  寒暑由來總不干

  行盡天涯諳世事  老君頭戴猪皮冠

 しばらくとふべし、作麼生ならんかこれ不干底道理。速道々々。

 湖州何山佛燈禪師、嗣太平佛鑑慧懃禪師、諱守珣和尚、云、

  無寒暑處洞山道  多少禪人迷處所

  寒時向火熱乘涼  一生免得避寒暑

 この珣師は、五祖法演禪師の法孫といへども、小兒子の言語のごとし。しかあれども、一生免得避寒暑、のちに老大の成風ありぬべし。いはく、一生とは盡生なり、避寒暑は脱落身心なり。

 おほよそ諸方の諸代、かくのごとく鼓兩片皮をこととして頌古を供達すといへども、いまだ高祖洞山の邊事を覰見せず。いかんとならば、佛祖の家常には、寒暑いかなるべしともしらざるによりて、いたづらに乘涼向火とらいふ。ことにあはれむべし、なんぢ老尊宿のほとりにして、なにを寒暑といふとか聞取せし。かなしむべし、祖師道癈せることを。この寒暑の形段をしり、寒暑の時節を經歴し、寒暑を使得しきたりて、さらに高祖爲示の道を頌古すべし、拈古すべし。いまだしかあらざらんは、知非にはしかじ。俗なほ日月をしり、萬物を保任するに、聖人賢者のしなじなあり。君子と愚夫のしなじなあり。佛道の寒暑、なほ愚夫の寒暑とひとしかるべしと錯會することなかれ。直須勤學すべし。

 

 正法眼藏春秋第三十七

 

  爾時寛元二年甲辰在越宇山奥再示衆

 

逢佛時而轉佛麟經。祖師道、衆角雖多一麟足矣。

 

正法眼蔵を読み解く春秋」(二谷正信著)

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