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現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵 第三十七 春秋  註解(聞書・抄)

正法眼蔵 第三十七 春秋  註解(聞書・抄)

 

 洞山悟本大師、因僧問、寒暑到來、如何廻避。師云、何不向無寒暑處去。僧云、如何是無寒暑處。師云、寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨。

詮慧

〇この草子に、「春秋」の名目あれども、春秋の詞なし。そのゆえは、春秋ならべての春秋にあらず。寒熱にてならぶべし。「寒暑」が寒く暑き本意にてなし。世間に云う寒暑にてなからん上は、名目の「春秋」とても、四季と立てたる春秋とのみ思うべからず。此の道理を思う時は、「春秋」と云う名目が、詞に見えぬぞ、草子の義に叶わぬぞ、などと云うべからず。寒暑の道理にて、仏法を説くゆえに、季節に付けて「春秋」とは云うなるべし。但し又寒暑に付かば、夏冬とも、冬夏とも云わんこそ、いま少し取り寄せたる風情なるべけれども、必ずしも寒暑春秋が大切ならぬ上は、ただ風情(に)詞の打ち聞きたるが、「春秋」と云うは、艶に聞こゆる時に、名目は「春秋」とあるかと心得べし。

〇凡そは「寒暑到来せんに、如何廻避せんと僧問する答えに、師云、何不向無寒暑処去」とあり、「寒暑なからん処」は、春秋こそ極熱極寒あるまじければ、春秋ともなどか思いよらざらん。其の上仏道には、都て寒熱もあるまじ。又「守珣和尚詞、寒時向火熱乗涼」とあり。是れ小児子言語嫌わる。誠(に)有謂、但一生免得避寒暑と云う所を、一生は尽生なりなどと解脱せば、其期なかるべきにあらずとも心得、叢林に一生を尽さん。迷なるべからずと見えたり。すべて段々に或いは偏正を立て、或いは殺闍梨と談じて、令避寒暑、又「刻船求剣は、至今猶在冷灰中」ぞなどと云うも、「瑠璃古殿に照明月、忍俊韓獹空上階」とあるも、「羚羊掛角無蹤跡、獵狗遶林」ぞ。或いは又獵狗ぞなどと云う、「滄溟瀝得乾、我道巨鼇能俯拾、笑君沙際弄釣竿」ぞ、両家著碁ぞとあるも、所詮無能所無彼此謂われなれば、春秋をも世間に心得まじ。この謂われどもを以て、可了見者歟。盤珠に走も、林遶狗と云うも、皆同心なり。

〇此の「春秋」の名目は心得んと思わば、無寒暑所を知るべし。無寒暑の処を知らんと思わば、洞山の偏正の義を知らんと思わば、洞山の本意を知るべし。洞山の偏正の時、諸教に談ずる偏正とは多く変わるべし。高祖の仏法は偏正の五位と心得るは、轅を北にして如向越なるべし。重顕和尚垂手は、正偏何必在安排とあり。必ず安排あらんは、偏正なるべきか。此の草子の名「春秋」とあり、能々可了見也。寒熱につかば、冬夏と云うか、不然者無寒暑と云うか。将又正偏義と云うべきかとも、方々に可了見なり。

経豪

  • 祖師の仏法の詞に関わらぬと云うは、則ち是等なるべし。此の問答、常義には「寒暑到来せん時は、いづくへか去るべき」と問いたるを、寒暑もなき夏は、深山深谷冷水などとの暑さを去りぬべき所、又寒時は暖かに、寒嵐も激しからぬ所のあらんずるに向うべしと被仰たるを、その寒暑なき所はいづくぞと問いたるように重々聞きたり。如此心得は、非祖師問答、只凡情なるべし。非仏法、頗る沙汰しても、不可有其詮事歟。此の答に「寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨」とあり。此の答の詞ぞ、少し不善通ように聞こゆる。但し是も世間の情に仰せて心得は、寒が甚だしくして殺闍梨、熱も難堪忍。依りて殺闍梨とも、一旦は被心得ぬべけれども、是も頗る風情過ぎて聞こゆ。但し皆是等の凡見を離れたる上は勿論事也。奥御釈に委しく聞こえたり。

 

 この因縁、かつておほく商量しきたれり、而今おほく功夫すべし。佛祖かならず參來せり、參來せるは佛祖なり。西天東地古今の佛祖、おほくこの因縁を現成の面目とせり。この因縁の面目現成は、佛祖公案なり。

詮慧

〇「西天東地の仏祖多く此の因縁を現成の面目とせり」と云う、此の事前後相違と聞こゆ。そのゆえは悟本大師の見処は、悟本大師已後の面目とこそすべけれ、震旦の祖だにも悟本大師已前は面目とし難し。謂わんや西天をや、謂わんや仏をや。但し過去の諸仏は、釈迦牟尼仏言の弟子也と云う悟本大師の見は向上向下に可用と也。且(しばら)くは神通の時、大潙の遠孫也と云う、此心なるべし。

経豪

  • 如文。「西天東地古今の仏祖、多く此の因縁を現成の面目とせり」とあり、此の先の高祖与僧問の道理を、今は仏祖の面目と可談也。「この因縁の面目現成は、仏祖公案也」とあり、非可疑。

 

 しかあるに、僧問の寒暑到來、如何廻避、くはしくすべし。いはく、正當寒到來時、正當熱到來時の參詳看なり。この寒暑、渾寒渾暑、ともに寒暑づからなり。寒暑づからなるゆゑに、到來時は寒暑づからの頂□(寧+頁)より到來するなり、寒暑づからの眼睛より現前するなり。この頂□(寧+頁)上、これ無寒暑のところなり。この眼睛裏、これ無寒暑のところなり。

詮慧

〇今の「如何廻避」の心は、寒暑不可限。三界到来せん時、如何廻避せんと云わんが如し。又諸法到来せん時は、実相の所に向いて、廻避せよとも云うべし。廻避は殺の所にて廻する也。ゆえは寒暑の外に我なき所を殺著闍梨とは云う也。一切衆生とは仏性の為に殺とも、諸法は実相の為に殺せらるとも云うべし。

〇「正当寒到来時、正当熱到来時の参詳看」と云う、ただ寒也全機現、熱也全機現と云う心也。三界を火宅と云いて嫌う時あり、唯心と云いて取る時あり。又三界の内に有情非情を置きて、有情を正法と取り、非情を依法と取る。如此自他を作る時は、吾我もあり、名利もあり、寒熱も境に作りて、廻避の所を求むる時こそあれ、無寒暑の所が、殺闍梨なれば、依正を置かず只熱時熱なり。

〇三界無安、猶如火宅と嫌う。衆苦ひまなく、穢悪充満す。三界唯一心と談ずる時、三界の法皆唯心とす。又不如三界見於三界とも談じ、豈離伽耶、別求常寂光土、非寂光外別有娑婆とも談ず。善悪の心地を並べて談ずると聞こゆ。しかにはあらず、無寒暑の所は、頂□(寧+頁)上眼睛裏也。

経豪

  • 是は如前云、只「寒暑到来せん時、如何廻避せんと問いたる」とは、不可心得。此の道理を詳しくすべしとはある也。「正当寒到来時、正当熱到来時」を詳(つまび)らかにすべしと也。「此の寒暑、渾寒、渾暑共に寒暑づから也」とは、此の「寒暑、渾寒、渾暑」と云わるる上は、寒も法界を尽し、熱も尽法界道理が、「寒暑づから」と云わるる也。「頂□(寧+頁)眼睛を以て寒暑」と談ず也。此の「頂□(寧+頁)眼睛裏を無寒暑」とは云うべき也。かかる寒暑を去る所を不審したる問いにあらざる条、此詞已分明也。「寒暑、渾寒、渾暑」と三句に係れたるを、只「寒暑、渾寒渾暑」と二句に読みてもありなんと云う義もありぬべし。且つ係る沙汰もありき、但し三句も二句も其理不可違、只同心なるべし。

 

 高祖道の寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨は、正當到時の消息なり。いはゆる寒時たとひ道寒殺なりとも、熱時かならずしも熱殺道なるべからず。寒也徹蔕寒なり、熱也徹蔕熱なり。たとひ萬億の廻避を參得すとも、なほこれ以頭換尾なり。寒はこれ祖宗の活眼睛なり、暑はこれ先師の煖皮肉なり。

詮慧

○「殺闍梨」と云う「闍梨」は僧を指す。「殺」と云うは、証すと云う心なるべし。

○「寒時たとい道寒殺也とも、熱時必ずしも熱殺道なるべからず」と云う、「道」の字、前後に置き替わる事、「殺」の字の中終になり。「寒熱」の字、初中になる事、無別義。前後中間に関わらざるゆえに、又寒熱を必ず(しも)二に説き表わさんと思わざるゆえに、「熱時必ずしも熱殺道なるべからず」と云う。寒熱不用也、所詮仏法の能所彼此の差別なき所を、寒暑の到来廻避などと説くなり。

○「寒はこれ祖宗の活眼睛也、暑は是先師の煖皮肉也」と云う、寒熱の大切にあらずと云う。此心に明らけし、所詮「祖宗の眼睛也」となり。「先師」と指すは、必ず(しも)其の人を定めたるには非ず。「煖皮肉」を取らんゆえ也。

経豪

  • 本の詞に、寒時寒殺闍梨と云うとも、又必ず(しも)熱時熱闍梨とあるを、熱殺と云わずともと云う心也。此の時、熱殺すべき闍梨もあるべからずと也。至りて親切の義也。只熱時法界を尽心なるべし。
  • 是は無別子細。寒なる時節は全寒なるべし、熱なる時節は全熱なるべしと云う也、苦き瓠(ひさご)は蔕(ほぞ)を通しても苦き也。いづくまでも通して、無際限事を如此云う也。苦瓠蓮根苦と云う此心なるべし。
  • 是は「万億の廻避を参得す」と云うとも、寒暑の外なる廻避の所あるべからず。ゆえに「以頭換尾なる」道理なるべし。此理を以て思えば、我等仏にあらず、はるかに隔てたる凡夫とこそ、てづからすまへ、隔つれども、寒暑の廻避の所が、やがて仏なるべし。「以頭換尾」の理にてもやあるらん。返々貴慿敷事也。此道理能々閑可了見者也。
  • 「祖宗の活眼睛、先師の煖皮肉」、古き詞を被引寄たるなり。実(に)凡見の寒暑を思い付きたる心地にてこそ、此の詞も被驚られ。今の寒暑の所談の上にては、尤も此の「暑尤も先師の煖皮肉なるべき」道理、不可驚疑者也。

 

 淨因枯木禪師、嗣芙蓉和尚、諱法成和尚、云、衆中商量道、這僧問既落偏、洞山答歸正位。其僧言中知音、卻入正來、洞山卻從偏去。如斯商量、不唯謗涜先聖、亦乃屈沈自己。不見道、聞衆生解、意下丹青、目前雖美、久蘊成病。大凡行脚高士、欲窮此事、先須識取上祖正法眼藏。其餘佛祖言教、是什麼熱椀鳴聲。雖然如是、敢問諸人、畢竟作麼生是無寒暑處。還會麼。玉樓巣翡翠、金殿鏁鴛鴦。

 師はこれ洞山の遠孫なり、祖席の英豪なり。しかあるに、箇々おほくあやまりて、偏正の窟宅にして高祖洞山大師を禮拝せんとすることを炯誡するなり。佛法もし偏正の商量より相傳せば、いかでか今日にいたらん。あるいは野猫兒、あるいは田厙奴、いまだ洞山の堂奥を參究せず。かつて佛法の道閫を行李せざるともがら、あやまりて洞山に偏正等の五位ありて人を接すといふ。これは胡説亂説なり、見聞すべからず。たゞまさに上祖の正法眼藏あることを參究すべし。

詮慧 浄因枯木禅師段

○「和尚」と云うは、枯木禅師法成の事也。

○「偏正」と云うは、たとえば物の端と中とを云う。権実を並べて出だすが如し。いま洞山の五位とて、此の偏正を出だして云う(偏中正、正中偏、偏中偏、正中正、偏正)。

○この義きわめて疑わし。又雲門の三句などと云うも、世間に談ずるが如くならば、仏法とも難取、雲門・意旨難知也。三句とは随波逐浪、函蓋乾坤、截断衆流(『雲門広録』下「大正蔵」四七・五七六b二一・注)なり。抑も偏中正と云うは、正因了因縁因の三仏性(『真言宗教時義』「大正蔵」七五・三七九c一〇・注)と云う事あり。是にあたるべき歟、教に偏正の義を立つ、こなたにも其理こそ変われども、云うまじきにてはなし。然而五位を立つるを、洞山の本意と云う事あるまじ。五位を立てて云わん、不可用也。

〇「洞山答帰正位」と云う、是は何ぞ不向無寒暑処去と云う詞を指す也。是も「衆中の商量」にてこそあれ、「帰正位」と云うも、難用。「落偏」と云う詞に対して云う時に、正位なるべからず。

〇「其僧言中知音、却入正来」と云う、「其僧」と云うも、洞山に問答の僧の事也。「言中知音」と云う事、無別義。ただ詞と云うなり。「入正」と云えと、正法にはあらず。「衆中の商量」なれば、偏正の正なるゆえに難取。

〇「洞山却従偏去」と云う、「従偏もてゆく」と心得は、傍人詞也、非可用也。

〇「不見道、聞衆生解」と云う、此れ云う人は、枯木禅師也。

〇「玉樓巣翡翠、金殿鏁鴛鴦」、此の句は頂□(寧+頁)眼睛と云う程の事也。枯木の見処を述ぶるに、「玉樓金殿」と云う也。以正偏義、不可談。衆中の意巧也。以洞山五位、偏正の義を云わば、一向邪なるべし。今の洞山は更非洞山の本意也。

〇無寒暑処とて、いかなる所を出る事なし。たとえば神通を云うとき、手巾来、一椀水をも神通と云う程に、「玉樓金殿」をも、今の「五位」をも、無寒暑と指す也。無別義也。寒暑一方に不可取事、「玉樓金殿とも、翡翠鴛鴦」とも云うなり。

経豪

  • 是は洞山の詞に付けて、五位と云う事を立て談之。此の事を大いに被嫌也。洞山の在世に全不被立五位、末の師共是に注釈を下して立五位、不可用也。其れを枯木禅師の示衆に此事を被示也。縦い洞山の詞、五位の浅深あるに似たれども、今の人の了見には不可似者也。「其」と云うは、所詮正をば君に喩え、偏をば臣に喩えんは、浅深軽重等を断ずるなり。是を被嫌也。誠(に)争か祖師の仏法に、浅深軽重あるべき。

又此の洞山の五位を悪しく心得所を、「不唯謗涜先聖、亦乃屈沈自己」すとは被嫌也。次第浅深を立つる事は、実(に)打ち聞くは美しう、心得安き様なる所を、「聞衆生解、意下丹青、目前雖美、久蘊成病」と避けらる。いろどり美しき様なれども、積りては病に成るとは、違解脱理所を如此被釈也。「先須識取上祖正法眼蔵」とは、洞山の寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨の道理を知るべしと也。又「椀鳴声」などと云う詞、何ぞやと覚えたれども、椀に熱き湯を入れて、鳴声何ともない体也。今五位を各々立つる事、是程事也と被嫌詞也。「玉樓巣翡翠、金殿鏁鴛鴦」と云う詞、又不審なる様也。御釈も不分明は、覚束なし。但し「玉樓金殿の姿も、翡翠鴛鴦の姿」も、共に瑞厳殊勝なれども、美しき姿は只同事也、其心地歟。又今「玉樓翡翠、金殿鴛鴦を、無寒暑の所」と談ぜん、更不可相違。如何祖師西来意と問せし時、庭前柏樹子と答せしに、聊かも不可違道理なり。

  • 是は法成和尚を讃嘆詞也、已下如文。返々「偏正」の局量を被誡也。「野猫児、田厙奴」とは、卑しき者の事也。文に分明也、無殊子細。「只上祖の正法眼蔵を参究すべし」となり。

 

 慶元府天童山、宏智禪師、嗣丹霞和尚、諱正覺和尚、云、若論此事、如兩家著碁相似。儞不應我著、我即瞞汝去也。若恁麼體得、始會洞山意。天童不免下箇注脚。裏頭看勿寒暑、直下滄溟瀝得乾。我道巨鼇能俯拾、笑君沙際弄釣竿。

 しばらく、著碁はなきにあらず、作麼生是兩家。もし兩家著碁といはば、八目なるべし。もし八目ならん、著碁にあらず、いかん。いふべくはかくのごとくいふべし、著碁一家、敵手相逢なり。

 しかありといふとも、いま宏智道の儞不應我著、こゝろをおきて功夫すべし。身をめぐらして參究すべし。儞不應我著といふは、なんぢ、われなるべからずといふなり。我即瞞汝去也、すごすことなかれ。泥裏有泥なり。蹈者あしをあらひ、また纓をあらふ。珠裏有珠なり、光明するに、かれをてらし、自をてらすなり。

詮慧 宏智禅師段

〇「若論此事・・笑君沙際弄釣竿」、「若論此事」と云う(は)、熱時闍梨の事也。

〇「你不応我著」と云う如詞、「なんぢわれなるべからず」と也。「我著(即?)瞞汝」と云う(両人の義必ず一家著碁と心得べし。我が瞞汝故に我一人也)。

〇「天童不免下箇注脚」と云う(此の天童はやがて正覚和尚事也)、「下注脚」とは「直下滄溟」已下の詞を指すなり。仍「不免裏頭看勿寒暑」と云う、「滄溟瀝得乾」と云う、無寒暑の心也。海瀝(したた)り乾けば、鼇(かめ)も拾い取らる。水なければ、砂子(いさご)ばかりなるに、釣竿を弄すれば、笑うべしとなり。無別義。

〇「八目なるべし、もし八目ならん、著碁にあらず」となり、八両半斤などと云う程の詞也。両家と云えども一家なる道理也。「著碁一家、敵手相逢」と云うも、一人著碁を打たんには、敵手なければ、一人が手は相逢なればなり。凡そ此の「著碁」を世間の如く、著碁と心得べからず。その上は又「八目と定めんは、今の囲碁にあらず」と也。

〇「泥裏有泥」と云う、泥の中に泥のあらん、能所各別し難し。これ「我即瞞汝」と云う心地也。我われなる程の詞なり。正中偏、偏中正なるべし。

〇「あしをあらい、纓をあらう」(纓(えい)は冠の紐・注)と云う、これは泥に付けたる詞也。しかれども、又思う所なきにはあらじ。賢人聖人に事よせて、世間の詞を引き寄するなるべし。文選の第十七日、漁父一首、屈原与漁父問答するに、漁父歌日、滄浪之水清兮、可以濯我纓、滄浪之水濁兮、可以濯我足(『文選正文』七「国立国会図書館デジタルコレクション」・注)此事を引き寄せて、被書載歟。

〇「珠裏有珠」と云う、光と珠とを各別に置かぬ詞也。「彼を照らし、自を照らす」と云うも、自他を照らすにてはなし。光と光と、珠と珠と云わんが如し。彼と云い自と云うは、「你不応我著、我即瞞汝去也」と云う程の義也。

経豪

  • 「若論此事」と云う、「此事」は洞山の五位を指すなり。「如両家著碁相似」と云う詞ふと出で来たり、被驚よう也。「著碁」とは、碁也。所詮此の心地は、碁は二人して打てども、只「八目」とは、八の字ぞ心得られぬようなれども、只二人打つとも、目は一也と云う方を取るなり。「你不応我著、我即瞞汝去也」とは、汝は汝なるべし。「我即瞞汝去也」と云う時は、我外に汝なく、「你不応我著」なる時は、汝外に我なき道理也。「如此体得すれば、始会洞山意」とある也。寒時寒殺闍梨理に符合者也。「天童不免下箇注脚」とは、天童と宏智の事を注脚する事、免くべからずと被仰なり。仍此詞を被下なり。「裏頭看勿寒暑、直下滄溟瀝得乾。我道巨鼇能俯拾、笑君沙際弄釣竿」とは、「裏頭を見(看)るに」とは、此理を見ればと云う詞也。「直下も乾きて水もなし、沙際に弄釣竿」とも、「拾(すく)うべき物もなし」と云う也。是解脱したる心なるべし。
  • 如前云、「両家著碁」の道理、両人相対に似たれども、只打つ時は目一也と云う方を取るなり。「八目ならんは、著碁にあらず」と云うは、八目の方を談ぜん時は、著碁と云う義はあるべからずと也。例(へは)一法独立の姿也。「你不応我著、我即瞞汝去也」の道理なるべし。抑も「云うべくは、如此云うべし」と云う詞をば、上に可付歟、下に可付歟と云う事、先々沙汰ありき、下に付くべき定めに落居せり。然者「云うべくは如此云うべし、著碁一家、敵手相逢」と可談なり。但し私に案之、上も下も其理不可違歟と覚ゆ。先々如此定む上は勿論事也。「両家著碁」の理は、如前云、「著碁一家、敵手相逢」の心地は、両家の只目なる方の理を取り、今は一家にて敵手相逢の姿を以て、法をあらわさるる道理なるべし。但し「両家と云い、一家と云い、八目と云い、敵手相逢」と云えばとて、努々其義不可各別、只一法の上に「両家。八目」を談ず也、「一家敵手」の詞を談ず也。見不見、悟不悟、会不会程(の)道理なるべし。
  • 如前段云、汝は汝、我はわれなる道理を如此云うなり。
  • 此の喩えは「汝与我、泥裏有泥」とは云わるる也。「あしをあらい、纓をあらう」も泥なり。所詮一物の外又余物不交道理を云わん為なり。「珠裏有珠」と云うも、只「泥裏有泥」の理なり。「光明するに彼を照らし、自を照らす」と云うも、全光明の道理なるべし。凡そ今の正法眼蔵の詞に如此喩え共を引かるる事もあり。又世間出世の詞に渡りて、被書載事多之。其文に向いて、仮令「直下滄溟瀝得乾、我道巨鼇能俯拾、笑君沙際弄釣竿」と云う詞を、此の一一の文字に向いて、一つ一つ是は如何なる事ぞと心得んとすれば、中々障礙ともなりぬべし、又其の煩いもありぬべし。只「直下滄溟瀝得乾」と云うも、「笑君沙際弄釣竿」と云う詞も、所詮一法究尽の道理を云う詞ぞと、押しひたたけて心得れば、無煩事也。所詮能々閑可功夫参学事也。返々不可倉卒事也。

 

 夾山圜悟禪師、嗣五祖法演禪師、諱克勤和尚、云、盤走珠珠走盤。偏中正正中偏。羚羊掛角無蹤跡、獵狗遶林空踧蹈。

 いま盤走珠の道、これ光前絶後、古今罕聞なり。古來はたゞいはく、盤にはしる珠の住著なきがごとし。羚羊いまは空に掛角せり、林いま獵狗をめぐる。

詮慧 夾山圜悟禅師段

〇「盤走珠・・獵狗遶林空踧蹈」、この義先ず世間の詞に大いに違す。大方は蹤跡なきゆえを説く事なれば、盤と珠との能所表裏はいかでもありぬべし。又蹤跡なき事を謂わんには、珠も盤もなしと云うべき也。珠にも跡なし、盤にも跡なきがゆえに、又跡ありとも、などかは謂わざらん。鳥道と云う事もあり、悪(わろ)き珠にこそ跡はあれ。善き珠の謂われとして、跡がなければ、跡なきこそ、やがて枯れ跡なれ。

〇圜悟の「盤走珠、珠走盤。偏中正、正中偏」の詞は、一向無跡の詞也。是れ熱時熱殺闍梨の心地を述ぶる也。今又此義を重ねて、我見処と述ぶるには、「羚羊掛角」の詞也、是無蹤跡なり。かもしし(羚羊)は角を岩に掛けてぬる(寝)者なるゆえに、足の跡を残さざる事を、「無蹤跡」と云う也。この羚羊(しし)の跡なければ、「獵狗遶林に空踧蹈す」と云う、「踧躇」はありきたづぬる也。寒暑蹤跡、又以如此、但し「羚羊掛角」とても、などか跡なからん。必ず(しも)足の跡地に付かずとても、角の跡石になからんや。ゆえに先師は「羚羊いまは空に掛角せり、林はいまは獵狗をめぐる」と被下語るる也。「盤走珠」の理符合すべし。

〇「光前絶後」と云うは、前後共に無跡也。「盤走珠」の詞の親切なるを挙ぐる詞也。

経豪

  • 至りて善き珠は晩上に住著なしとて、留まる事なく回るなり。其れを云う詞に、「珠盤に走る」と云うを、今夾山は「盤珠に走る」と云う詞を被云出。是を「光前絶後、古今罕聞也」とは被讃嘆也。いかにも「正」は勝り、「偏」は劣也と思う所を、返々被嫌なり。「偏中正、正中偏」とは、只偏正共に無差別所を如此云う也。「羚羊掛角無蹤跡、獵狗遶林空踧蹈」とは、かもしし(羚羊)と云う物は、跡を人に知らせじとて、角を岩木なんどに懸けるなり。是は跡なく解脱したる心地に仕う詞也。「獵狗遶林空踧躇」と云うも、たとえば猟師の狗なんどが、鳥鹿等を嗅ぎて廻れども、あたる物なき風情を云う詞也。是も同じ解脱の詞なるべし。
  • 是は先師御詞也。盤珠に走ると云う程の道理なるべし。実(に)羚羊空に掛角せる姿も、犬こそ林を廻りつるに、「林いま猟狗をめぐる」道理、尤盤走珠同心なるべし。

 

 慶元府雪竇山資聖寺明覺禪師、嗣北塔祚和尚、諱重顯和尚、云、垂手還同萬仭崖、正偏何必在安排。琉璃古殿照明月、忍俊韓獹空上階。

 雪竇は雲門三世の法孫なり。參飽の皮袋といひぬべし。いま垂手還同萬仭崖といひて、奇絶の標格をあらはすといへども、かならずしもしかあるべからず。いま僧問山示の因縁、あながちに垂手不垂手にあらず、出世不出世にあらず。いはんや偏正の道をもちゐんや。偏正の眼をもちゐざれば、此因縁に下手のところなきがごとし。參請の巴鼻なきがごとくなるは、高祖の邊域にいたらず、佛法の大家を覰見せざるによれり。さらに草鞋を拈來して參請すべし。みだりに高祖の佛法は正偏等の五位なるべしといふこと、やみね。

詮慧 資聖寺明覚禅師段

〇「垂手還同・・忍俊韓獹空上階」

〇「垂手」とは、人に物を示す心也。化導の心也、洞山の事を指すなり。

〇「還同万仭崖」と云うは、無辺際事也。化導際限なかるべし。

〇「正偏何必在安排」と云う、「何ぞ必ずしもと云えば、正偏を並べ置く義にてはなし」と聞こゆれども、すべて偏正の詞を取るよりを嫌うなり。偏正の義を嫌うと云うは、偏正と云う事のあるまじきにてなし。洞山に五位を立てて、是を洞山の本意と称する事を不用也。この段に云う、偏正は洞山の詞を取りて云う時に嫌うなり。已前に克勤和尚の云う所の偏中正、正中偏は、盤走珠の意に引きかけて、我云い到す義なれば不嫌之。洞山に五位有ると云う心地の正偏を不用と也。ただ一時の説法に偏正の詞の出で来たらんは、なかるべきにあらず。洞山の見処と、取り積むる事を嫌う。

〇「琉璃古殿照明月、忍俊韓獹空上階」と云う、「琉璃も明月も」共に照らす、無蹤跡心地を述ぶ。「獹(いぬ)が空(むな)しく階の上に上(のぼ)る」と云うも、林を猟狗めぐると云う詞あり、これ同程の詞なるべし。所詮いたづらと云うも、空しくと云うも、無蹤跡心地也。

〇今の明覚禅師の詞、熱時熱殺闍梨の義に心得合すべき也。永平寺和尚、此の段を別に褒めらるる義のみ得ぬは、垂手偏正等の詞を、必ず(しも)守るべき事ならずとなり。

経豪

  • はじめの詞は、雪竇を被讃嘆なり。「垂手還同萬仭崖」と云う事は、たとえば「垂手」は物を道引く(導?)心地、又衆生を済度するなどと云う心地と聞こゆ。「万仭崖」と云うは、高き岸なんどを云うべき歟。是れ則ち引導の心地に当たるべき歟。然而今の所談しかあるべからず、「垂手」の詞も、能々可存知事也。垂手も只手を下して、衆生を引導するとは不可心得也。「垂手」の詞も、無辺際道理なるべし。
  • 「僧問山示」とは、僧の問い(寒暑到来如何廻避せんの詞を指す也)、「山示」とは、洞山の答えの詞を云う也。是は寒暑到来の詞を、只普通の問いの詞に不可心得。今の「垂手不垂手」の詞も、出世不出世にあらずと云うも、今所談の寒暑の詞に同じく可心得と云う也。又「偏正の道」を、差別浅深を立て、不可心得となり。
  • 是は洞山の偏正の詞は、浅深差別なると心得て、此の「偏正の眼を用いざれば、この因縁に下手の所なきが如し」と心得は、「参請の巴鼻なき也、高祖の辺域に到らず、仏法の大家を覰見せざるによれり」と被嫌なり。
  • 「草鞋を拈来して」とは、只能々不等閑可参学と云う心地也。已下如文。「正偏等の五位」の浅深差別あると云う見解を大いに被嫌也。

 

 東京天寧長靈禪師守卓和尚云、偏中有正正中偏、流落人間千百年。幾度欲歸歸未得、門前依舊草芊々。

 これもあながちに偏正と道取すといへども、しかも拈來せり。拈來はなきにあらず、いかならんかこれ偏中有。

詮慧 長霊禅師段

〇「偏中有正・・門前依旧草芊々」師々は多しと云えども、其の義は一也。「偏中有正、正中偏を、流落人間千百年」と云うは仕う。「欲帰帰未得」と云うは、帰るべき所がなければ、不帰也。三界唯心の時、無帰所が如し、仏法詞如此可心得也。

〇「門前依旧草芊々」たりと云う、未得帰と云う時、「草芊々」とは云わるる也。帰ると云わん時は、門前に草なかるべき也。「帰」と云う詞に付けて、「草」の有無あるべし。帰らば後(あと)ありて、草蓋うべからず。不帰は無蹤跡ゆえに、「草芊々」と云うべき也。

〇洞山の見処を、「偏正」と拈来すべきにあらず。但し「拈来なきにあらず」とは、「偏中有」の義をも、今談ずる事を云う也。

〇長霊の詞には、「偏中有正」とこそあるを、「正」の字を略して、「偏中有」と許り、先師被仰する事は、此の「有」の字(は)有無の有にてなし。「偏」に可対「正」ならぬ心なり。凡そ「偏正」の義様々あるべし。教に談ぜんには、たとえば大乗を正に置きて小乗を偏と取るべし。大乗を説かん時、小乗の聞くべき機あらば、大乗の中に小乗をも並べ説き、大乗の菩薩も其の砌(みぎり)に望まば、又彼に聞かしめん時、「偏中有正」なるべし。今はその義ならぬ。偏正を説くゆえに、只「偏中有」とばかりあり。大方は又偏も正もあるべからざる事は、偏中に正あるならば、偏と取り難し。偏中有偏は又正と取り難し。悉有仏性と談ずる時と、始有差別。

経豪

  • 「偏中有正、正中偏」と云う事は、所詮偏正取捨の心地を捨てて、偏正只一なる道理を被明也。又「流落人間千百年、幾度欲帰、帰未得」とあれば、只我等が人間に千百年ありて、流落したるように聞こえれども不爾、「流落人間理り、幾度欲帰、帰未得」とあり。実(に)何人へ可帰、帰るべき道理のなき所が仏法の理にてあるなり。「流落人間千百年」などと云うも、数に関わりて心得。又「人間も流落」の詞も、仰凡見不可心得也。尽十方界の道理を、「流落人間」とも、此の上に又「千百年」と云う道理をも可談なり。
  • 「草芊々」とは、只草の外に物なき道理なるべし。「草芊々」と云えば、いづくまでも草なるべし。余物交わるべき物なき道理也。是解脱の詞也。
  • 是は「偏正とは道取すと云えども」、浅深取捨の義にあらざれども、しかも此の詞を「拈来せり」と云う心也。「拈来はなきにあらず、いかならんかこれ偏中有」とは、例の如何ならんか是れの詞、非不審。偏中有が非私道理、如此云わるるなり。

 

 潭州大潙佛性和尚、嗣圜悟、諱法泰、云、無寒暑處爲君通、枯木生花又一重。堪笑刻舟求剣者、至今猶在冷灰中。

 この道取、いさゝか公案踏著戴著の力量あり。

詮慧 大潙仏性和尚段

〇「無寒暑・・求剣者、至今猶在冷灰中」「為君通」と云うは、熱時熱殺闍梨と云うぞ。通ずる詞にてはある。

〇「枯木の生花」とは、無寒暑の所を「生花」と云う。

〇「刻舟求剣」と云う、いたづらなる事を云う。たとえば、三界唯一心の時は、舟の端(はた)得りたらん、得らざらんも同事歟。剣の落ちたる所も定め難し、一心なるゆえに。

〇「冷灰中」と云うは、たとえば冷たきは灰の中にて火を求めん同事と也。但し「枯木に生花」と云う時は、剣をも尋ね得、冷たき灰にも火あるべし。「枯木に花さく」と云うは、廃衆二乗成仏を許さるる事を喩えて云う。此義については、又枯木すべて花咲かずとも云うべきなり。其の故は法華経の時、廻心向大してこそ、成仏すれ。もとの二乗ながら不可成仏。さあらん時は、枯木なるべからず、生木なるべし。

経豪

  • 二乗をば、枯木死灰に喩える定め事也。「枯木」はいたづら物と思うに、「花さく」と云えば、あづかりつる徒物の又よくなるように覚ゆ。剣を落としたりし水上にて、後に求めん(と)する印に、舟の端(はた)を刻みたりし事ありき、愚痴なる喩えに被引事歟。但し今の二乗も、枯木死灰と被嫌とも、法華開会の時は、皆当成仏とて、却国国名号を被授時は、更二乗とて別に非可棄置。其の定めに無寒暑の道理の方より見れば、枯木とて蹔も可嫌所なし。「刻舟求剣所」もいたづらに非可捨、死灰も全くいたづらなるべし。洞山詞に、何不向無寒暑所と云えば、寒暑の悪しき所を去りて、無寒暑の善き所へ向かうと被仰たるように心得て、今の「枯木生花」詞も、「刻舟求剣」詞も、「在冷灰中」詞も、善悪取捨の心地に心得べきを、今の無寒暑の所が、やがて寒暑にてある道理を心得ように、枯木死灰の当体、刻舟求剣所も、やがていたづらなる物にあらず。寒時寒殺闍梨の道理に可心得合也。
  • 公案踏著戴著」とは、褒められたる詞なり。「聊か」とあれば、抜群の義にはあらざる歟。

 

 泐潭湛堂文準禪師云、熱時熱殺寒時寒、寒暑由來總不干。行盡天涯諳世事、老君頭戴猪皮冠。

 しばらくとふべし、作麼生ならんかこれ不干底道理。速道々々。

詮慧 湛堂文準禅師段

〇「熱時熱殺・・老君頭戴猪皮冠」此の「寒暑の由来」とは、洞山の詞を云う。

〇「不干」と云うは、犯さずと也。但し今の犯さずは、物を置いて置かさざるにてはなし。寒熱にも犯さるるにてはなし。ただ熱時熱殺闍梨と説くは、同物の上に、その物を説く心地也。ゆえに「行尽天涯諳世事」と云う。坐禅すれば殺人する程の詞なり。

「不干底の道理は、戴猪皮冠」にてあるなり。如此云う心地は、一頭水牯牛出来、道吽々也。又熱と熱殺と寒との由来、「作麽生ならんか、不干底の道理を速道々々」と云わるるなり。

〇「老君頭戴猪皮冠」と云う(は)、天涯と世事と頭と戴と同じき詞を云う也。

経豪

  • 「不干底」とは犯さぬ詞也。寒時は寒時にて尽し、熱時は熱時にて尽す上は、実(に)何れか犯すべきぞや。物を犯すと云うは、相対の上に、是が彼を犯すと云う事は有る也。一法究尽の上は、実(に)「不干底の道理」なるべし。「行尽天涯諳世事」とは、仮令尽十方界などと云う心地歟。天を行尽したらん、実(に)法界を尽したる道理なるべし。此の姿「諳世事」心地なるべし。「老君頭戴猪皮冠」と云うは、此の「老君」には、孔子老子老子歟、又只老者歟。二義あるべし、追可一決事也。是も先々此詞沙汰不委。然而三界の詞に一心うぃ付け、仏性の手に狗子を付けたる程の心地を如此可云歟。
  • 「作麽生」の詞、如例即不中道理也。「速道々々」も、非待詞。作麽生詞、不干底の道理(を)、「速道々々」と云わるる也。

 

 湖州何山佛燈禪師、嗣太平佛鑑慧懃禪師、諱守珣和尚、云、無寒暑處洞山道、多少禪人迷處所。寒時向火熱乘涼、一生免得避寒暑。

 この珣師は、五祖法演禪師の法孫といへども、小兒子の言語のごとし。しかあれども、一生免得避寒暑、のちに老大の成風ありぬべし。いはく、一生とは盡生なり、避寒暑は脱落身心なり。

詮慧 仏燈禅師段

〇「無寒暑処・・一生免得避寒暑」これ「小児子の言語の如し」と嫌わるる上勿論也。「一生免得避寒暑」と云う、これ迷い也。ただし「一生」と仕うは、尽生なれば解脱の期なかるべきにあらずとも心得ぬべし。叢林に一生を尽さん者、迷いなるべからざるか。

〇「後に老大の成風」と云う、後には脱落せんずると也。

経豪

  • 是は「寒時向火熱乗涼」と云う詞を、「小児子の言語の如し」とは避けらるる也。「一生免得避寒暑」の詞を、「後に老大の成風ありぬべし」とは、避けらるる也。実(に)「寒時向火熱乗涼」の詞、非仏法歟。
  • 是は開山御釈なり。「一生」の詞、「避寒暑」の詞を、如此可心得と被釈なり。

 

 おほよそ諸方の諸代、かくのごとく鼓兩片皮をこととして頌古を供達すといへども、いまだ高祖洞山の邊事を覰見せず。いかんとならば、佛祖の家常には、寒暑いかなるべしともしらざるによりて、いたづらに乘涼向火とらいふ。ことにあはれむべし、なんぢ老尊宿のほとりにして、なにを寒暑といふとか聞取せし。かなしむべし、祖師道癈せることを。この寒暑の形段をしり、寒暑の時節を經歴し、寒暑を使得しきたりて、さらに高祖爲示の道を頌古すべし、拈古すべし。いまだしかあらざらんは、知非にはしかじ。俗なほ日月をしり、萬物を保任するに、聖人賢者のしなじなあり。君子と愚夫のしなじなあり。佛道の寒暑、なほ愚夫の寒暑とひとしかるべしと錯會することなかれ。直須勤學すべし。

詮慧

〇「知非にはしかじ」と云う、悪ろき事を知ると也。

経豪

  • 「鼓両片皮」とは、つづみ(鼓)をば両方皮を張りて打つ也。其の定めに偏正の徳(得?)失を定め、寒暑を二を置いて心得を、如此云也。。此の心地にて「頌古を供達すと云えども、高祖の辺事をば覰見せず」と被嫌也。
  • 已下詞如文。
  • 高祖洞山の辺事を覰見せず、仏祖の家常の寒暑を如何なるべしとも知らずしては、頌古拈古せざらんにはしかじと云う也。已下如文。能々実直須勤学すべき事なり。

春秋(終)

2022年10月15日(乾季のタイ国にて記)

 

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。