正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第七三 佗心通 註解(聞書・抄)

詮慧・経豪 正法眼蔵第七三 佗心通 註解(聞書・抄)

西京光宅寺慧忠国師越州諸曁人也。姓冉氏。自受心印、居南陽白崖山黨子谷、四十餘祀。不下山門、道行聞于帝里。唐肅宗上元二年、勅中使孫朝進賚詔徴赴京。待以師礼。勅居千福寺西禅院。及代宗臨御、復迎止光宅精藍、十有六載、随機説法。時有西天大耳三蔵、到京。云得佗心慧眼。帝勅令與国師試験。三蔵才見師便禮拝、立于右邊。師問曰、汝得佗心通耶。対曰、不敢。師曰、汝道、老僧即今在什麼処。三蔵曰、和尚是一国之師、何得却去西川看競渡。師再問、汝道、老僧即今在什麼処。三蔵曰、和尚是一国之師、何得却在天津橋上、看弄猢猻。師第三問、汝道、老僧即今在什麼処。三蔵良久、罔知去処。師曰、遮野狐精、佗心通在什麼処。三蔵無対。僧問趙州曰、大耳三蔵、第三度、不見国師在処、未審、国師在什麼処。趙州云、在三蔵鼻孔上。

僧問玄沙、既在鼻孔上、為什麼不見。玄沙云、只為太近。

僧問仰山曰、大耳三蔵、第三度、為什麼、不見国師。仰山曰、前兩度是渉境心、後入自受用三昧、所以不見。海会端曰、国師若在三蔵鼻孔上、有什麼難見。殊不知、国師在三蔵眼睛裏。

玄沙徴三蔵曰、汝道、前両度還見麼。

雪竇明覚重顕禅師曰、敗也、敗也。

大証国師の大耳三蔵を試験せし因縁、ふるくより下語し道著する臭拳頭おほしといへども、ことに五位の老拳頭あり。しかあれども、この五位の尊宿、おのおの諦当甚諦当はなきにあらず、国師の行履を覰見せざるところおほし。

ゆゑいかんとなれば、古今の諸員みなおもはく、前両度は三蔵あやまらず国師の在処をしれりとおもへり。これすなはち古先のおほきなる不是なり、晩進しらずはあるべからず。いま五位の尊宿を疑著すること両般あり。

一者いはく、国師の三蔵を試験する本意をしらず。二者いはく、国師の身心をしらず。しばらく国師の三蔵を試験する本意をしらずといふは、第一番に、国師いはく、汝道、老僧即今在什麼処といふ本意は、三蔵もし仏法を見聞する眼睛なりやと試問するなり。三蔵おのづから仏法の佗心通ありやと試問するなり。当時もし三蔵に仏法あらば、老僧即今在什麼処としめされんとき、出身のみちあるべし、親曾の便宜あらしめん。

いはゆる国師道の老僧即今在什麼処は、作麼生是老僧と問著せんがごとし。老僧即今在什麼処は、即今是什麼時節と問著するなり。在什麼処は、這裏是什麼処在と道著するなり。喚什麼作老僧の道理あり。国師かならずしも老僧にあらず、老僧かならず拳頭なり。

詮慧

〇「西京光宅寺慧忠国師者―三蔵無対、この野狐精、佗心通在什麼処」と云う詞(は)、一向三蔵を叱したるのみならず。その故は三界唯一心とは脱落し、諸法実相とは脱体すとも、三界を棄てよとは嫌わず。什麽処と国師に云われん野狐精非可棄也。

〇「三蔵曰、和尚是一国之師、看競渡」と云う、是は国師の心の所在を軽しめたる詞なり。但国師は「老僧即今什麼処」と問す心の所在を云わず。

〇大耳三蔵の佗心通は小乗門(の)義歟。国師の試験は大乗の心地也、乃(ち)三問(は)只同(じ)詞也。二度の答は慮知念覚の凡心に仰ぎて云い、北轅行越程の事也。第三度に至りて茫然也。

〇「玄沙徴三蔵曰」とあり、此の段は雪竇明覚禅師の詞を取らんが為、問いとなる故に挙げら(れ)る。玄沙の詞(は)、第二の尊宿の詞となりて、先に挙ぐ「只為太近」これなり。国師、時に三蔵を叱して云く、「遮野狐精、佗心通在什麼処」まことに三蔵争(いかで)か祗対せん国師の後、五位尊宿(は)詞を下す。然而、永平寺和尚(道元)一々勘破之せらる。尊宿等の見解は、三蔵の第三度無対をのみ下語して、初度第二度の見をば許すに似たり、今永平寺和尚(は)、三度ながら重ねて被勘破之。

経豪

  • 国師与三蔵問答の詞、見于文。「正法眼蔵」七十(五)帖の内、何と云いながら殊(に)『大修行』、今の『佗心通』心得にくく、見解の邪正も紛れぬべき也。其の故は、現文の面は尋常なるように見えて、しかも其の義にてはなき処が、殊(に)迷いぬべき也。能々可了見也。
  • 先(ず)此の国師と三蔵との問答の様を、打ち任せて人の心得たる三度問答の内、先(の)両度は三蔵より国師の在所を知れり、第三度ばかりを知らずと心得たり。是が大(い)なる僻見にてある也。随五位の尊宿等の、さまざま詞を付けられたるも、皆二度は三蔵云い得たり。第三度の時、国師入自受用三昧也、故に国師の在所を不知して、無対なるとのみ被云いたるように、文の面、、見(え)たり。故に先師(道元)(は)後学の錯まりを省りみて、詞に尽くして重々此の事を釈し表わさる也。但五位の尊宿等の所存(を)、余も然るには有らじなれども、現文の面に付けて、如何にも僻見(を)出で来ぬべき所を委被釈也。左に見(え)たり。
  • 「僧問趙州日―在三蔵鼻孔上」。三蔵の鼻孔上に有と趙州被仰せたり、仮令鼻孔上なむど(などと)云えば余りに近くて、不見と云う様に被心得ぬべし。

僧問玄沙

  • 「只為太近」。是はさわざわと只為太近とあれば眉毛をも不見、眼を眼は不見などと云う風情もあれば、其の心地とも覚すべし。
  • 「僧問仰山日―入自受用三昧、所以不見」。是は三度(の)問答の内、先(の)両度は是れ渉境心也。後には入自受用三昧、故に不見とあり。是は三蔵の一番(始め)の詞に、「和尚是一国之師、何得却在天津橋上、看弄猢猻」と云う詞とを、渉境心とは名づけたり。故に第三度のたび、国師自受用三昧に入る故に、三蔵国師の所在を不知して、無対なると云うと心得ぬべき也。今の「却去西川看競渡」と云うは、掛かる事を、其の時(に)国師の心地に掛かりけるを、今の三蔵は云いたりけるが、又第二度の詞に、「何得却在天津橋上、看弄猢猻」と云う詞も同(じく)国師の其の時節に、心に掛かりける事を云いけるかと覚ゆ。第三度には自受用三昧に入りたる間、却其心難伺得に依りて「無対」也と云うと(は)心得ぬべし。「猢猻」とは猿を云う也。いかさま(如何様)にも、何とも談ぜよ(とは)、当たるべからず。凡そ「佗心通」とは、打ち任せて人の思いたるは人の思う所を知るを多分、佗心通を得たる者とは心得たり。乃至五通六通、佗心宿命等を、「佗心通」とは云う歟。然者今、仏祖所談の佗心通に夢々当たるべからざる事なり。かかる故に今の問答(を)如何様と云うも、現文の面にては心得にくきを、今は仏祖上の理にて此の道理を心得合わすべきなり。
  • 「海会端曰―在三蔵眼睛裏、是も鼻孔上にあらば、什麼難見、殊不知、国師在三蔵眼睛裏」(と)云えば、鼻孔上は猶見つべし。眼睛は眼睛を不知道理なれば、如此云うかと被心得ぬべし。
  • 「玄沙徴三蔵曰―還見麼」。是は如文さわさわと聞(こえ)たり。所詮、「前両度還見麼」と云うべしとあり。此の心地は、前両度はされば見(た)か、然らざるかと云う詞也。前両度(は)見たりと云うも、はや見(た)と受けらるる詞歟。「徴す」と云う詞は呵責の詞なり。論議などをするに、答もなき所を、重ねて云えなどと責(む)心地なるべし。
  • 「雪竇明覚重顕禅師曰―敗也、敗也」とは敗れぬ敗れぬと云う詞(で)、嫌いたる詞と聞こゆ。此の詞は玄沙の、前両度還見麼の詞を讃むる心地也。此の玄沙の詞に、前両度(は)見たりと云うも、敗れぬはと云う也。
  • 如御釈。「諦当甚諦当はなきにあらず、国師の行履を覰見せざる所多し」とは、此の尊宿(は)各々此の道理を知らず、心得ざるにはあらねども、今(の)詞の面に、猶邪見の出できぬべき所を、先師(は)返々被釈述也。さらに五位の尊宿等を、下げらるるにはあらざるべし。此心を得ざらん輩、此の草子を被覧しては、此の五位の尊宿等を先師(は)一向(に)被非と心得ぬべし。甚不可然、如文無別子細、世人あやまれる処を、表さるる許也。是は先師(が)国師の三度まで只同じ詞を被出、此の本意はかかるぞと被釈顕也、起きる。御釈分明也。如此第三度まで被示時、若し三蔵(が)仏法をも得たらば、出身の道もあり、親曾の便宜もあらしめんと也。
  • 今「国師道の老僧即今在什麼処は、作麼生が是老僧と問著せんが如し」とあり、非可不審、実にも此の老僧の詞(は)、如此此理あるべきなり。只老いたる僧を何処(いづく)に在るぞと問いて、何の用か有るべき。又「老僧即今在什麼処は、即今是什麼時節と問著するなり」とは、今の即今在什麼処とあるは、什麼時節と問著するなりとあり。是又、即今在什麼処の道理(は)、什麼時節なる道理なるべし。又「這裏是什麼処在(と)道著するなり」とあり、此の詞常に祖門に用いる詞也。所詮仏法の大姿(は)、這裏是什麼処在なるべし、即不中の理也。又「喚什麼作老僧の道理あり」とは如前云い、此の老僧の姿(の)辺際なき所が如此云わるる也。

 

大耳三蔵、はるかに西天よりきたれりといへども、このこゝろをしらざることは、仏道を学せざるによりてなり、いたづらに外道二乗のみちをのみまなべるによりてなり。

国師かさねてとふ、汝道、老僧即今在什麼処。こゝに三蔵さらにいたづらのことばをたてまつる。国師かさねてとふ、汝道、老僧即今在什麼處。ときに三蔵やゝひさしくあれども、茫然として祗対なし。国師ときに三蔵を叱していはく、這野狐精、佗心通在什麼処。かくのごとく叱せらるといへども、三蔵なほいふことなし、祗対せず、通路なし。

しかあるを、古先みなおもはくは、国師の三蔵を叱すること、前両度は国師の所在をしれり、第三度のみしらず、みざるがゆゑに、国師に叱せらるとおもふ。これおほきなるあやまりなり。国師の三蔵を叱することは、おほよそ三蔵はじめより仏法也未夢見在なるを叱するなり。前両度はしれりといへども、第三度をしらざると叱するにあらざるなり。おほよそ佗心通をえたりと自称しながら、佗心通をしらざることを叱するなり。国師まづ仏法に佗心通ありやと問著し試験するなり。すでに不敢といひて、ありときこゆ。そののち、国師おもはく、たとひ仏法に佗心通ありといひて、佗心通を仏法にあらしめば恁麼なるべし。道処もし挙処なくは、仏法なるべからずとおもへり。三蔵たとひ第三度わづかにいふところありとも、前両度のごとくあらば道処あるにあらず、総じて叱すべきなり。

いま国師三度こゝろみに問著することは、三蔵もし国師の問著をきくことをうるやと、たびたびかさねて三番の問著あるなり。

経豪

  • 如文、三蔵を被嫌うなり。
  • 先(の)両度の三蔵の詞を「いたづらなる詞を奉る」と嫌う也。第三度の詞に「良久あれども、茫然として祗対なし」とは、無対と云える姿を云う也。此の時(に)国師(が)三蔵を叱する詞に、「這野狐精、佗心通在什麼処」と叱せらる、此の心地は野狐の変じたる程の事なり。佗心通は、つやつや(副詞・打消しを伴って・まったく)知らざりけるはと、叱せらるるなり。然而「三蔵云う事なし、祗対せず、通路なきなり」、不知仏法によりて如此なる也、難治の事也。
  • 無殊子細、古先の錯まる所を被釈顕なり。
  • 三蔵国師の問著の心地を、つやつや不得して、いたづらの詞を出す事を云う也。是は先師(が)、五位の尊宿を疑著する事、両般ありと被仰(ぎ)つる一(つ)を被挙也。此の次(の)二者と云うは、第二番を挙也。

 

二者いはく、国師の身心をしれる古先なし。いはゆる国師の身心は、三蔵法師のたやすく見及すべきにあらず、知及すべきにあらず。十聖三賢およばず、補処等覚のあきらむるところにあらず。三蔵学者の凡夫なる、いかでか国師の渾身をしらん。この道理、かならず一定すべし。国師の身心は三蔵の学者しるべし、みるべしといふは謗仏法なり。経論師と斉肩なるべしと認ずるは狂顛のはなはだしきなり。佗心通をえたらんともがら、国師の在処しるべしと学することなかれ。

佗心通は、西天竺国の土俗として、これを修得するともがら、まゝにあり。発菩提心によず、大乗の正見によらず。佗心通をえたるともがら、佗心通のちからにて仏法を証究せる勝躅、いまだかつてきかざるところなり。佗心通を修得してのちにも、さらに凡夫のごとく発心し修行せば、おのづから仏道に証入すべし。たゞ佗心通のちからをもて仏道を知見することをえば、先聖みなまづ佗心通を修得して、そのちからをもて仏果をしるべきなり。しかあること、千仏万祖の出世にもいまだあらざるなり。すでに仏祖の道をしることあたはざらんは、なににかはせん。仏道に不中用なりといふべし。佗心通をえたるも、佗心通をえざる凡夫も、たゞひとしかるべし。仏性を保任せんことは、佗心通も凡夫もおなじかるべきなり。

学仏のともがら、外道二乗の五通六通を、凡夫よりもすぐれたりとおもふことなかれ。たゞ道心あり、仏法を学せんものは、五通六通よりもすぐれたるべし。頻伽の卵にある声、まさに衆鳥にすぐれたるがごとし。

いはんやいま西天に佗心通といふは、佗念通といひぬべし。念起はいさゝか縁ずといへども、未念は茫然なり、わらふべし。いかにいはんや心かならずしも念にあらず、念かならずしも心にあらず。心の念ならんとき、佗心通しるべからず。念の心ならんとき、佗心通しるべからず。しかあればすなはち、西天の五通六通、このくにの薙草修田にもおよぶべからず、都無所用なり。かるがゆゑに、震旦国より東には、先徳みな五通六通をこのみ修せず、その要なきによりてなり。尺璧はなほ要なるべし、五六通は要にあらず。尺璧なほ宝にあらず、寸陰これ要樞なり。五六通、たれの寸陰をおもくせん人かこれを修習せん。おほよそ佗心通のちから、仏智の辺際におよぶべからざる道理、よくよく決定すべし。

経豪

  • 如御釈。「三蔵学者、十聖三賢、補処等覚あきらむべからず。凡夫なる三蔵学者、争か国師の渾身をしらん」と云う也。文に分明也。
  • 御釈分明也。「他神通を修得するもの、凡夫の如く発心修行せば、おのづから仏道証入する」事はありとも、「他神通を得たる輩、他神通の力に依りて、仏法を証究せる事、未曾不聞」と云う事を被釈也。打ち任せては他神通を得たるをば、如仏思習わしたり不知、此の理(の)故なり。
  • 御釈分明也。無殊子細。
  • 是は打ち任せては、他人の所念をここにて、知を他神通とは名づけたる歟。しからば是をば「他念通と云うべし」とあり。尤有謂、其の故は、此念の境に移る処を知るを他神通と云わば、尤(も)他念通と云うべき道理顕然なり。
  • 故に「念起は聯縁すと云えども」とあり、若し「未念ならん時は茫然なるべし」とあり。其の上(に)、「心必ずしも念に非ず、念必ずしも心にあらず。心の念ならん時、他神通不可知、念を心と談ぜん時、他神通不可知」(との)理、又顕然也。「心必非念、念必非心」と云わるるは、打ち任せては心の上に置いて念起する也。今、仏祖の心と念との談(ずる)様(の)事(は)旧了。
  • 心と取る時は全心(で)、三界唯一心なるべし、念なるべくば全念なり。然者、心にて念を知と不可談、又「心の念ならん時」、実(際には)、他神通いづれの所にあるべきぞや。心の上にこそ念あるべけれ、「心を念とせんとき、他神通しるべからず」、「念が又心ならんとき、他神通あるべからず」と云う也。尤有謂也。此の故に「西天の五通・六通、都無所用」とは云わるる也。非仏通は都無詮条勿論事也。

 

しかあるを、五位の尊宿、ともに三蔵さきの両度は国師の所在をしれりとおもへる、もともあやまれるなり。国師は仏祖なり、三蔵は凡夫なり。いかでか相見の論にもおよばん。

国師まづいはく、汝道、老僧即今在什麼処。この問、かくれたるところなし、あらはれたる道処あり。三蔵のしらざらんはとがにあらず、五位の尊宿のきかずみざるはあやまりなり。

すでに国師いはく、老僧即今在什麼処とあり。さらに汝道、老僧心即今在什麼処といはず。老僧念即今在什麼処といはず。もともきゝしり、みとがむべき道処なり。しかあるを、しらずみず、国師の道処をきかずみず。かるがゆゑに、国師の身心をしらざるなり。道処あるを国師とせるがゆゑに、もし道処なきは国師なるべからざるがゆゑに。

いはんや国師の身心は、大小にあらず、自佗にあらざること、しるべからず。頂□(寧+頁)あること、鼻孔あること、わすれたるがごとし。

国師たとひ行李ひまなくとも、いかでか作仏を図せん。かるがゆゑに、仏を拈じて相待すべからず。国師すでに仏法の身心あり、神通修証をもて測度すべからず。絶慮忘縁を挙して擬議すべからず。商量不商量のあたれるところにあらざるべし。

国師は有仏性にあらず、無仏性にあらず、虚空身にあらず。かくのごとくの国師の身心、すべてしらざるところなり。いま曹谿の會下には、青原南嶽のほかは、わづかに大証国師、その仏祖なり。

いま五位の尊宿、おなじく勘破すべし。

経豪

  • 此の五位の尊宿の事、如御釈は、一向(に)彼(の)尊宿等を下げられたるように聞こゆ。実にもさ(ように)見たり。但此の尊宿達、殊(に)祖門に抜群せる人々也。争(か)錯なり有らん、又国師の所在を知らざらん。只文の面のさわさわと、後学の邪見の出で来たらんずる所を、如此釈し表わさるる也。此の子細を知らざらん人、此の草子を見ん時は、先師(は)此の尊宿を一向(に)被非たりと、一筋に心得ん事(は)不可然也。此の心地を心得て可了見なり。
  • 如文。
  • 是又御釈分明也。実(に)国師の道は「老僧即今在什麼処」とあり、さらに心と念との詞なし、実尤聞知、見咎むべき事也。「国師の道処を聞かず見ず」と云いつべし、「国師の身心を知らず、道処あるを、、国師とせる故に」、「道処なきは国師なるべからざる故に」と云う也。
  • 国師の身心、大小自他に拘わるべからざる条」勿論事也、「国師の頂□(寧+頁)鼻孔ある、忘れたるが如し」と云う尤有謂。
  • 国師の行李は暇なくとも、作仏を期せざるべし、かるが故に仏を拈じて、相待するにてはなし。国師すでに仏法の身心なるべし」。打ち任せては五通六通等の「神通修証を以て、測度すべきにあらず、絶慮忘縁を挙して擬議し、商量不商量の可及にはあらざるべき」也。●国師国師なるべきに、実(に)「有仏性・無仏性にあらざるべし、虚空身にてもあらざる」べき道理は事旧了。然而国師国師なるべき理、今一重親切なるべし。「大証国師、其の仏祖なるべし」とは、国師を被讃嘆(する)詞也。
  • ここより五位の詞共を挙げらるる也。

 

趙州いはく、国師は三蔵の鼻孔上にあるがゆゑにみずといふ。この道処、そのいひなし。国師なにとしてか三蔵の鼻孔上にあらん。三蔵いまだ鼻孔あらず、もし三蔵に鼻孔ありとゆるさば、国師かへりて三蔵をみるべし。国師の三蔵をみること、たとひゆるすとも、たゞこれ鼻孔対鼻孔なるべし。三蔵さらに国師と相見すべからず。

詮慧

〇「趙州日在鼻孔上」と。永平寺御詞(に)云う「国師何としてか三蔵の鼻孔上にあらん」とあり。大象不遊兎径の心なり、其の上「三蔵鼻孔なし」とあり、勿論事也。「国師の三蔵を見る事、たとい許すとも、ただ是鼻孔対鼻孔なるべし」と云々。見る人と云い、師を見るとは云わず、其の人の心(や)、芸能等をも見たらんを見るとは云うべし。又師を見ると云うも、其の智を見るべし故に国師の三蔵を見ること、何をか見ん。只我が鼻孔をや、国師御覧ぜん故に「鼻孔対鼻孔」(と)云わるる也。

経豪

  • 是は「三蔵の鼻孔上に在」と、趙州被仰たる詞を、先被上也。「此の道処無謂(そのいひなし)」とて、被下に取りて「国師何としては三蔵の鼻孔上にあるべきぞ、若し三蔵に鼻孔有りとゆるさば、国師かへりて三蔵を見るべし」とは、国師は仏祖也、三蔵は凡夫何り。実に争か三蔵の鼻孔上に国師あらん。「三蔵いまだ鼻孔あらず」とは、三蔵に仏祖の鼻孔あるべからずとなり。「もし三蔵とは鼻孔有りとゆるさば、国師かへりて三蔵を見るべし」とは、三蔵に鼻孔あらば、国師と一体の力量なるべし。「たとい国師の三蔵を見るとゆるさば、只これ鼻孔対鼻孔」の道理なるべし。仏性が仏性を見る程の理なるべし。

 

玄沙いはく、只為太近。まことに太近はさもあらばあれ、あたりにはいまだあたらず。いかならんかこれ太近。おもひやる、玄沙いまだ太近をしらず、太近を参ぜず。ゆゑいかんとなれば、太近に相見なしとのみしりて、相見の太近なることしらず。いふべし、仏法におきて遠之遠なりと。

もし第三度のみを太近といはば、前両度は太遠在なるべし。しばらく玄沙にとふ、なんぢなにをよんでか太近とする。拳頭をいふか、眼睛をいふか。いまよりのち、太近にみるところなしといふことなかれ。

詮慧

〇「玄沙云、只為太近」と。永平寺御詞(に)云う「太近はさもあらばあれ、あたりにはあたらず、玄沙いまだ太近をしらず、第三度のみを太近」と云い、「前両度は太遠在なるべし」と云い、又「何をよんでか太近とする、拳頭をいふか、いまより後、太近にみることなかれ」と云々。

経豪

  • 此の詞は世間に(まつ)毛は、あまりに近くて不見と云う事あり、其の定めた「鼻孔上に在る故に、只為太近」と云う文の面は見えたり、故に太近の詞なきにあらず。但今如此心得るは「あたらず」と云う也。是も一筋に玄沙を被非ように聞こゆ。玄沙争(か)国師の心地に違せん、仏法の道理に尤(も)太近あるべし。去りて近にあらず、来って近にあらず。只阿耨多羅三藐三菩提を皆近と云うとあり。「太近の相見なしとのみ知りて」、やがて「相見が太近なる道理を不知」故に「仏法に置きて遠之遠」と被嫌也。
  • 是は「第三度を太近といわば、前両度をば太遠在」と云うべきかと也。実にも前両度は、すでに国師の所在を見たり、第三度のみ不見と云いたるように文面は見たり。然者「第三度は太近なるに依りて不見といわば、前両度は太遠在なるべし」やと示さるる也。又「玄沙に問うて、拳頭を云うか、眼睛を云うか」とあり、仏祖の拳頭眼睛の姿、不始于今、今「太近」の詞、近くに寄りて不見と云うは、非仏祖所談所を「今より後太近に見所なしと云う事なかれ」とは云う也。

 

仰山いはく、前両度是渉境心、後入自受用三昧、所以不見。仰山なんぢ東土にありながら小釈迦のほまれを西天にほどこすといへども、いまの道取、おほきなる不是あり。

渉境心と自受用三昧と、ことなるにあらず。かるがゆゑに、渉境心と自受用とのことなるゆゑにみず、といふべからず。しかあれば、自受用と渉境心とのゆゑを立すとも、その道取いまだ道取にあらず。自受用三昧にいれば、他人われをみるべからずといはば、自受用さらに自受用を証すべからず、修証あるべからず。

仰山なんぢ前兩度は實に国師の所在を三藏みるとおもひ、しれりと學せば、いまだ学仏の漢にあらず。おほよそ大耳三蔵は、第三度のみにあらず、前両度も国師の所在はしらず、みざるなり。この道取のごとくならば、三蔵の国師の所在をしらざるのみにあらず、仰山もいまだ国師の所在をしらずといふべし。

しばらく仰山にとふ、国師即今在什麼処。このとき、仰山もし開口を擬せば、まさに一喝をあたふべし。

詮慧

〇「仰山云、前両度是渉境心、後入自受用三昧、所以不見」と。永平寺御詞(に)云う「大きなる不是あり、渉境心と自受用三昧と、異なるにあらず」。

〇「渉境心と自受用三昧と、異なるにあらざらん」には、見不見と同じかは、分くべき仏法には元より見不見を立てず、会不会を分けず眼所聞声方得知とも説く。如何誠(に)、渉境心(と)自受用三昧(は)異なるに非ずと談ぜん時、見も不見も共に許すべき道理も有るとも、ここには渉境心に引かれて自受用三昧も異ならずと云う心地なり。仏を談ずるにも四教の仏、勝劣なきにあらず。庭前柏樹子は境と云わるる詞あり、祖意と解脱する詞あり。随語の上下あれば、自受用三昧異ならずと云えばとて、やがて見不見許せとは云い難きをや。又渉境心は三界唯一心なるべし、三界を置いて一心と云う故に。自受用三昧は心外無別法なるべし、無別法が故に。

〇趙州・玄沙の両位は前両問の詞をば云わず、三蔵の答当たるにはあらざれども、第三度の答茫然に尽きて詞を下さるると被推度云々。仰山は分明に前両度は渉境心、後入自受用三昧と云えば、其の見明らかに聞こゆ。仰山も国師の所在を知らずと云うべしと見たり。

〇「仰山に問う、国師即今在什麼処。この時、仰山開口を擬せん、一喝を与うべし」と云う。国師の所在什麽処ならんには、開口の義あるべからず、什麽処なる故に開口しても何と可答哉と云う義あり。什麽処は如何是仏とも云い、什麽物恁麽来とも云いしが如し。又渉境心と心得ん上は、自受用三昧を何と開口すとも当たるまじき上は、又喝すべきに当たるなり。

経豪

  • 仰山の詞に「前両度是渉境心、後入自受用三昧、所以不見」云々。此の詞を不是也とは云わるる也。仰山は殊(に)由々しき祖師也。仰山の詞を梵僧(は)梵語に翻飜して、西天にて披露したりける程に、此の詞を余りに賞翫して、釈尊再出世し給うかと云いけり、故に小釈迦の誉れ、西天に施すとは云う也。
  • 実(に)仏祖の所談に、渉境心と自受用三昧と異なるべからず。然者、境心と自受用三昧と異なるに依りて、不見とは云うべからざる事也。如此談ぜば非祖門仏法。「自受用と渉境心との故を立すとも、その道取いまだ道取に非ず」とは、自受用と渉境心との故、如何にも祖門の方よりは不可被立。故にその道取未道取に非とは云わるる也。「自受用さらに自受用を証すべからず、修証あるべからず」とは、自受用は深し、渉境心は浅し。かるが故に自受用三昧に入る時は、他人われを見ずなどと云う程、自受用は自受用の自受用を証すと云う義。「修証す」と云う事は、あるべからずの道理なるべし。
  • 是は「前両度は国師の所在を三蔵知り、第三度は入自受用三昧故に不知と云う見解」を被破なり。如此「仰山学せば学仏法の漢にあらず」と云う也。「大耳三蔵は、第三度のみにあらず、前両度も国師の所在をば更に不見不知也」と云う也。又「三蔵ばかり不知のみにもあらず、仰山も国師の所在を不知」と、しばらく被嫌也。
  • 是は仰山に国師の詞、「即今在什麽処」とある詞を問わせ(し)む時、「仰山もし開口して答えば、一喝を与えし」とは、一喝を与うと云う詞は、祖門(の)善悪にわたりて云い付けたる詞也。この詞は只嫌いたる詞と可心得、其の故は仰山(の)已前両度は実に国師の所在を、三蔵(が)見ると思い知れりと思う程ならば、只いわでありなんと云う心地を、「一喝を与うべし」とは云う也。

 

玄沙の徴にいはく、前両度還見麼。いまこの前両度還見麼の一言、いふべきをいふときこゆ。玄沙みづから自己の言句を学すべし。この一句、よきことはすなはちよし。しかあれども、たゞこれ見如不見といはんがごとし。ゆゑに是にあらず。

詮慧

〇「玄沙の徴に云く、前両度還見麼」と云う此の詞を、永平和尚も云うべきを云う時、聞こゆと誉め御す。但自己の言句を学すべし。「是見如不見」と云わんが如しと被仰は、我詞を加えずとなり。

経豪

  • 是は趙州・仰山等は、前両度は国師の所在を知り、第三度は在鼻孔上、或又自受用三昧に入りむ。只為太近なる故に不見などと云う所を、今の玄沙の詞に「前両度も還見麼」とあれば、前両度も等しと見たりと難定。此の詞は受けて聞く時に決定して、国師の住所を前両度見たりと取り防がたき所を、暫く「還見麼」の一言云うべきを、云うと聞こゆとは受けらるる也。但此の「還見麼」の詞、いかにと取り伏すべきぞ。若見不見に拘わりぬべき詞ならば、許し難き所を、「玄沙みづから自己の言句を学すべし」とは云う也。此の詞よくは聞こゆれども、実に国師の詞の如く、不符合は許し難き所を、ただ「是見如不見」とは云わるる也、玄沙の心地を猶探らるる也。「故に是に非ず」とは、しばらく云う也。「徴」とは、せんと云う心地歟、仮令論義等をするにも、一問答して重ねて疑いなどを為すを「徴」と云うべきか。如所領にも、物せめなんとする者をば、徴使などと名(づく)歟、せむる義に付けたる名字なり。ここの「徴」は尊宿等、面々に詞を付けらるるに、重ねて云い出す所をと云うべき歟。

 

これをきゝて、雪竇山明覚禅師重顕いはく、敗也、敗也。これ玄沙のいふところを道とせるとき、しかいふとも、玄沙の道は道にあらずとせんとき、しかいふべからず。

詮慧

〇「雪竇山明覚重顕禅師云、敗也敗也」。永平寺御詞云う、「玄沙の道とせる時ぞ敗也の詞もあるべき、玄沙の道にあらず」とせん時、しかいふべからずと被仰也。「敗也」と云うは、大耳三蔵の心を敗すると也。玄沙のまさしきさとりの詞を出ださざらん程は、争(か)敗也と云うべきと也。

経豪

  • 今の「敗也敗也」の詞は、やぶれぬと云う也。是は玄沙の詞をほむるか、但如御釈。「玄沙の所云を道とせん」時は、讃嘆尤謂あるべし。「若玄沙の道を道にあらずとせん時」は、讃嘆の詞も頗可違乎。此還見麽の詞、もし仏祖の心地にて云わば、敗也敗也なるべし。此見詞の能見所見なるべくは、しか云うべからずとある也。

 

海会端いはく、国師若在三蔵鼻孔上、有什麼難見。殊不知、国師在三蔵眼睛裏。これまた第三度を論ずるのみなり。前両度もかつていまだみざることを、呵すべきを呵せず。いかでか国師を三蔵の鼻孔上にあり、眼睛裏にあるともしらん。もし恁麼いはば、国師の言句いまだきかずといふべし。

三蔵いまだ鼻孔なし、眼睛なし。たとひ三蔵おのれが眼睛鼻孔を保任せんとすとも、もし国師きたりて鼻孔眼睛裏にいらば、三蔵の鼻孔眼睛、ともに当時裂破すべし。すでに裂破せば、国師の窟籠にあらず。五位の尊宿、ともに国師をしらざるなり。

詮慧

〇「海会端云、国師若在三蔵鼻孔上、有什麼難見と殊不知國師在三蔵眼睛裏、これまた第三度を論ずるのみ也。前両度かつていまだ見ざる事を」と云う。

〇「国師来たりて鼻孔眼睛裏に入らば、三蔵の鼻孔眼睛、共に当時裂破すべし。すでに裂破せば、国師の窟籠にあらず」と云い、「五位の尊宿、共に国師を知らざるなり」と云う。汝得吾髄是他神通也、云々。

経豪

  • 如御釈。是は「鼻孔上にあらば、何とかして見難からん、殊に不知国師は三蔵の眼睛裏に在る故に見ざる也」と云うと聞こえたり。是は第三度を論ずると聞こえたり。「前両度も曾て見ざる事を、呵すべきを呵せず」とは被下也。実にも前両度も曾て見ざらんを、第三度を論ぜん事あるべからず。「国師争三蔵の鼻孔上、眼睛裏に在りとも知らん」とは、海会端を被下心地歟。此の所存ならば、国師の老僧此今在什麽処の詞をば、聞かずと也。
  • 三蔵実に争か仏祖の鼻孔眼睛等あらん、然者国師と同じかるべし(かるべしは、形容詞ク活用で難しの意の古語)、夢也未見在なるべし。「三蔵の鼻孔眼睛裏に入らば、三蔵の鼻孔眼睛ともに裂破せん」とあり。三蔵の鼻孔と国師の鼻孔と天地懸隔の論に不及。上は「三蔵の鼻孔眼睛裏に国師入らん時は、三蔵の鼻孔も眼睛も皆裂破すべし」と云う也。是は三蔵の鼻孔眼睛等に国師入るは、三蔵(の)面は皆破れて、国師同等の三蔵なるべしと云う心地なり。「すでに又裂破せば、国師の窟籠にあらず」とは、鼻孔も眼睛も裂破せば、国師の窟籠あるべからざる道理顕然なり。

 

国師はこれ一代の古仏なり、一世界の如来なり。仏正法眼蔵あきらめ正伝せり。木槵子眼たしかに保任せり。自仏に正伝し、佗仏に正伝す。釈迦牟尼仏と同参しきたれりといへども、七仏と同時参究す。かたはらに三世諸仏と同参しきたれり。空王のさきの成道せり、空王ののちに成道せり。正当空王仏に同参成道せり。

国師もとより娑婆世界を国土とせりといへども、娑婆かならずしも法界のうちにあらず、尽十方界のうちにあらず。釈迦牟尼仏の娑婆国の主なる、国師の国土をうばはず、罣礙せず。たとへば、前後の仏祖おのおのそこばくの成道あれど、あひうばはず、罣礙せざるがごとし。前後の仏祖の成道、ともに成道に罣礙せらるゝがゆゑにかくのごとし。

大耳三蔵の国師をしらざるを証拠として、声聞縁覚人、小乗のともがら、仏祖の辺際をしらざる道理、あきらかに決定すべし。

経豪

  • 是は無殊子細。如文、国師を讃嘆(する)御詞也。「三世諸仏と同参し来たれり。空王の前の成道せり、空王の後に成道せり」などと云うは、国師の身心三世諸仏と親切なる道理を以て、如此同参とは仕う也。空王のさき空王の後の詞も今の国師の姿、前後を超越したる心地なり。空王などと云えば久しく遥かなる心地に仕う。仏性は成仏より前に具足せず、成仏已後具足するなどと云う程の詞なるべし。
  • 是は打ち任せては国土は国土にて出現し、釈迦も此の国土に出現し、十方の諸仏(は)皆此の娑婆世界を所居の国土として、面々仏祖出給うと心得たり。今(の)儀は非爾、国師与娑婆世界、釈尊与娑婆国土のあわい、更(に)非各別、尽十方界、総(すべ)にて娑婆世界は別なるにあらず。釈尊の娑婆国土なる時は、釈尊の娑婆国土にて、前後際断し、国師与娑婆世界のあわいも、又如此なるべし。故に国土を奪わず、罣礙せずとは云う也。前後の仏祖、各幾つの成道あれども、奪わず。罣礙せざると云うも、此の道理なるべし。
  • 如文無子細。

 

国師の三蔵を叱する宗旨、あきらめ学すべし。いはゆるたとひ国師なりとも、前両度は所在をしられ、第三度はわづかにしられざらんを叱せんはそのいひなし、三分に両分しられんは全分をしれるなり。かくのごとくならん、叱すべきにあらず。たとひ叱すとも、全分の不知にあらず。三蔵のおもはんところ、国師の懡羅なり。わづかに第三度しられずとて叱せんには、たれか国師を信ぜん。

三蔵の前両度をしりぬるちからをもて、国師をも叱しつべし。

国師の三蔵を叱せし宗旨は、三度ながら、はじめよりすべて国師の所在所念、身心をしらざるゆゑに叱するなり。かつて仏法を見聞習学せざりけることを叱するなり。この宗旨あるゆゑに、第一度より第三度にいたるまで、おなじことばにて問著するなり。

第一番に三蔵まうす、和尚是一国之師、何却去西川看競渡。しかいふに、国師いまだいはず、なんぢ三蔵、まことに老僧所在をしれりとゆるさず。たゞかさねざまに三度しきりに問するのみなり。この道理をしらずあきらめずして、国師よりのち数百歳のあひだ、諸方の長老、みだりに下語、説道理するなり。前来の箇々、いふことすべて国師の本意にあらず、仏法の宗旨にかなはず。あはれむべし、前後の老古錐、おのおの蹉過せること。

いま仏法のなかに、もし佗心通ありといはば、まさに佗身通あるべし、佗拳頭通あるべし、佗眼睛通あるべし。すでに恁麼ならば、まさに自心通あるべし、自身通あるべし。すでにかくのごとくならんには、自心の自拈、いまし自心通なるべし。かくのごとく道取現成せん、おのれづから心づからの佗心通ならん。

しばらく問著すべし、拈佗心通也是、拈自心通也是。速道々々。是則且置、汝得吾髄、是佗心通也。

詮慧

〇「拈佗心通也是、拈自心通也是。速道々々。是則且置、汝得吾髄、是佗心通也」。

〇此の巻、難心得事あり、其故者三蔵の詞、初度第二と無以無謂而五位尊宿無難詞、如何第三度の答なき事を被叱如何。今見永平寺御詞其難難遁一々有謂。然而此の五位の祖は、祖に取りて皆不学閑。或(いは)古仏といわれ或(いは)小釈迦とほめらる。争(か)三蔵の所存、計り知らせ給わざらん。但つらつら按此事、初度二度の答は有答已沙汰外也。仰山の被仰る渉境心なるが故に、不及被被加了見。罣礙せずとは云う也。前後の仏祖、各幾つの成道あれども、奪わず。

〇不無答第三度の義、有沙汰哉、全非五位の越度歟。且其意趣は玄沙徴する詞に、前両度還見麽云、此の一句よき詞也と誉めらる。しかあれば旁(かたがた)五位尊宿、初度二度の答を許すにあらず。然而永平寺は今残さず被𠮟るものなり。

経豪

  • 御釈に聞こえたり。所詮国師也とも、三蔵前両度は所在を知り、第三度はわづかに知られざらんを叱せんは、その謂いなし。三分の物を両分知らん、三蔵の高名なるべし、三蔵の思わん所はずかし。前両度は知られ、第三度を不被知と叱せば、誰か国師也とも信ぜんとなり。
  • 国師前両度は知られたりと思わば、三蔵かえりて国師をも叱しつべし。
  • 如文。
  • 如御釈。是は無風情数百歳の間、諸方長老此事を明らめずして過ごすを如此被下なり。
  • 実(に)「仏法の中に、他神通と云う事」を談ずべくは、尤(も)他神通も、(他)拳頭通も、乃至他眼睛通も、そこばくの通あるべき也。心せばく他神通許に限るべからず。又「恁麽ならば自心通あるべし」。自心通あるべしとは、他心通と云う道理あるべくは、自心通も自身通もあるべしと云う也。此の自他・旧見を超越する故に、如此云う也。此の自他の詞(の)相違、不可類凡見也。「すでに如此ならんには自拈、いまし(は強めの助詞)自心通なるべし」とは、已に此の自心通・自身通の道理、自他に拘わらざる。自心通・自身通なる上は、只自を自が拈ずる程の理を、如此云わるる也。如此談ずる時、今の自心通とは云うべき也とあり、能々閑了見事也。
  • 「蹔らく問著すべし、拈佗心通也是、拈自心通也是。速道々々。是則且置、汝得吾髄、是佗心通也」とは、拈佗心通也是、拈自心通也是とあれば、他心通与自心通をいづれが勝劣なるべきぞと、分別しかねたる詞かと聞こゆ、非爾。所詮、他心通と云うも、自心通と云うも、此の自他如前云、辺際に拘わらず。凡見を越えつる上は、彼も是も、皆是の理ならずと云う事なし。此の理が速道とは云わるるなり。人を置きて云うべしと責めるにあらず。又「是はしばらく置く」とは、此の是の詞が、猶紛れぬべき所を、しばらく置くとは云う歟。初祖与二祖の間の汝得吾髄の詞、更自他を相対の義にあらず。故に今の他心通と云えるも、只此の汝得吾髄程の他心通なるべしと可心得也と被釈なり。

佗心通(終)

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。