正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵 第六十九 自証三昧 註解(聞書・抄)

詮慧・経豪 正法眼蔵 第六十九 自証三昧 註解(聞書・抄)

諸仏七仏より、仏々祖々の正伝するところ、すなはち修証三昧なり。いはゆる或従知識、或従経巻なり。これはこれ仏祖の眼睛なり。

このゆゑに、曹谿古仏、問僧云、還仮修証也無。僧云、修証不無、染汚即不得。

しかあればしるべし、不染汚の修証、これ仏祖なり。仏祖三昧の霹靂風雷なり。

詮慧

〇「自証三昧」と云う自証の詞は、しばらく置く。三昧は禅定の定に付きたる義也。但こなた(此方)には然(しか)のみにはあらず。自証と云い、みずからは自らさとる所、師に不随して証すると、打ち任せては只世間の談如此。但、達磨血脈論(『少室六門』「第六門血脈論」)には数修証と悟る者の堕在因果中(「二乗外道皆無識仏、識数修証堕在因果、是衆生報」(「大正蔵」四八・三七五下・注)と云うは、修証は難用と云う。先(の)此の血脈論(は)、曩祖の御作と云う事難定。其上修して、因果の中に堕在する程の証をば、此方には不用也。上(の)非沙汰限修証と云うは、自証と心得也。

〇近代の禅僧と号する輩等、此見也。六十余会の教説(は)、ただ対機随情の説にてこそあれ、いま仏の迦葉に附属しまします、拈華ぞ破顔ぞなどと云うこそ、以心伝心の法にて教にも勝れたるれ。証を得る事は不可依師などと云う(は)、すでにこの自証三昧の義も当たるとぞ心得らん、然而甚相違なるべし。「諸仏七仏より、仏々祖々の正伝する所、則ち修証三昧也、いわゆる或従知識、或従経巻也、これはこれ仏祖の眼睛」と云う。この義(の)世間には異なるべし、修を先にして証を後に得る事なし、教行証三立ならず。凡夫にこそ修はあらめ、諸仏七仏・仏々祖々正伝なじかは修あるべき。証して後こそ仏とも云われ祖とも談ずべけれ。但この修証三昧教行証の義にあらざる故に、かく説かるる也。或従知識、或従経巻と云う、この従の字も世間には従う心地にて云う。かつは主に従うを従と云う程の義、是は世間の詞也。今は能所を置きて、彼に随と是を相対して云うにはあらず。故に或従知識或従経巻なり。これはこれ仏祖の眼睛と云う也。

〇「還仮修証也無」と云う。此のかる(仮)と云う、しばらく(と)云う心地にあらず。世間に人の物をかると云うも、借得ぬれば如自物用之半分は主なり、半又全分の義にもわたるべし。半分の智と云うは、全分を知る時こそ半分とは分かで、半分の詞に全分は知らる。されば一半の道理とも全分の道理を云う時もあり。かかる故に、かるともからずとも一方を云う事なし、無きにあらずとあり。

〇「修証不無、染汚即不得」を得ると心得る時ぞ、染汚の法にてあるべき。修証をかるやの詞を能々心得る時は染汚即不得の道理に落居する也。

〇「不染汚の修証これ仏祖なり、仏祖三昧の霹靂風雷なり」と云う、如文心得。

経豪

  • 先(ず)「自証三昧」と云う詞に付いて、打ち任せて人の習い思わしたるようは、証は他によらず、自ら悟るを自証と云うと心得。今の自証の自(は)、全他に対したる自にあらず。且くは「諸仏七仏より仏々祖々の正伝する所、即ち修証三昧也」とあり。人の思うが如くならば、自証の道理(は)、仏々祖々の正伝する所とは難云。尋常に人の思う所の自証に違たる条、今(の)御釈顕然なり。又名目には自証三昧とあり、御釈には修証三昧とあり。此の証と修との詞(は)、只同心なるべし。修して証を待つと不可心得、故に証も修も只同心なるべし。此の上は教証三昧とも、行証三昧とも、無尽に云うべきなり、更(に)不可相違。今の「或従知識・或従経巻」の姿と云うは、如何なるぞと云えば、是又打ち任せては、知識は所化の人、経巻とは黄紙朱軸の妙文。是に学人随いて参学するを、経巻知識に随いて参学すとは心得たり。今所談の義非爾。経巻これ自也、知識これ自也。経巻と知識と全く各別にあらざる道理を以て、今は経巻知識に随うとは談(ずる)也。かるが故に、いわゆる或従知識・或従経巻也とは云うなり。此の或従知識・或従経巻を以て、今は自証三昧とは云うべきなり。此の理を以て則(ち)仏祖の眼睛とは談(ずる)也。
  • 三昧は見仏の因行也と打ち任せるは談之。祖門には此の三昧の姿をやがて見仏と談(じ)、坐禅を坐仏と云いしが如し。
  • 是は六祖与南嶽の問答の詞を引載せらる、此の詞いかにと可心得乎、不審の詞かとも聞こゆ。但非爾歟、説似一物即不中と心得て後、参六祖たりし時「還仮修証也無」とあり。此の修証からずともかるとも云う義共にあるべし。是則即不中の義にあたるなり、是又不染汚の修証なるべし。今の修与証(は)浅深を立(つ)軽重を不談ゆえに如此云わるる也。
  • 如前云談ずる時、「不染汚の修証」と云わる。又以此理、仏祖とも可談也。「霹靂風雷」とは、隠れず顕わる心地なり所詮、今の解脱の理を以て、如此可談歟。

 

或従知識の正当恁麼時、あるいは半面を相見す、あるいは半身を相見す。あるいは全面を相見す、あるいは全身を相見す。半自を相見することあり、半佗を相見することあり。

神頭の披毛せるを相証し、鬼面の戴角せるを相修す。異類行の随佗来あり、同条生の変異去あり。

詮慧

〇「或従知識の正当恁麼時、あるいは半面を相見す、あるいは半身を相見す。あるいは全面を相見す、あるいは全身を相見す」(略之已下)と云う。この相見両物相見にはあらず、故に全の字を加うるなり。自他全見なり。

〇「神頭の披毛せるを相」証し、鬼面の戴角せるを相修す」と云う。この披毛頭のかみ(毛)に取りよせ、戴角は鬼に付く(は)別の義なし、神に修を付け鬼に修を付く、これにても知るべし。世間に云うが如く修証にはあらずと云う事を、例えば松を証と仕い竹を修と仕う程の事也。

〇「異類行の随佗来あり、同条生の変異去あり」。如此の処に為法捨身する事あり。千万回と云う事知らず。これ或従知識の活計なり、参自従自の消息也と云う。「異類」と云いては「随佗来」と難云。「同条生」などと云わば「変異去」と云うべからず。頗る相違の詞と聞こゆ。然而為法捨身の道理なるべし。

経豪

  • 是は或従知識の正当恁麽時、いかなるべきぞと云えば、知識とや云うべき、自とや云うべき、知識与学人至りて親しく一体にして、不各別とき如此の道理也。知識の外に別物なしと談ずる時は全知識なるべし、自と談ぜんとは、又全自の道理也。知識なるべきか自なるべきかと受けらるる所が、しばらく半面とも半身とも云わるる也。然而全く変わるべきに非ず。「相見」とは、常には両物相対して談ずるが、仏祖所談の相見の詞は、それがそれなる道理を相見と仕う也。喩えば仏性が仏性なる所、狗子が狗子なる理を以て相見と云うべし。只一物の上に置(き)て、相見の詞を断(ずる)なり。今の「半面半身・全面全身・半自半他」と云う詞、如先々云い、只一物なるべし。「披毛戴角」の詞(は)、只神頭に披毛をつけ、鬼面に戴角の詞をつくる許(り)也。さらに無殊子細也、「相証し相修す」と云えり。此証此修(は)浅深軽重なき故に、相証とも相修とも云うなり。「異類行の随他来あり、同条生の変異去」とは、是も只同物が一通り不交心地なり。「異類行の随佗来する」ときは、異類の行の外に物なく、「同条生」とは同物と云う心也、来去又只一物なり。異類の上に来と云い、同条生の上に去と仕う。此来去不可類凡見、仏性の上に有無の詞を断ぜしが如し。

 

かくのごとくのところに為法捨身すること、いく千万廻といふことしらず。為身求法すること、いく億百劫といふことしらず。これ或従知識の活計なり、参自従自の消息なり。

瞬目に相見するとき破顔あり、得髄を礼拝するちなみに断臂す。おほよそ七仏の前後より、六祖の左右にあまれる見自の知識、ひとりにあらず、ふたりにあらず。見佗の知識、むかしにあらず、いまにあらず。

詮慧

〇「為法捨身」とは仮修証義也。或従知識・或従経巻これ捨身也。重法軽自し、或朝聞法暮に死すとも可なり。となどと云うも一分の為法捨身なり、又依業得上果、是も捨身の義なるべし。尽十方界真実人体と体脱するも唯我独尊と仏の被仰も、捨身と云うべし。変異去多し「千万廻と云うこと知らず、億百劫と云う事知らず」と云うもまことに過去遠々の業報、数え尽くすべからず、相見多かりき。

〇自証の自も能所あるべからず、「参自従自」という相見の心なるべし。

経豪

  • 「為法捨身」と云う事、是又打ち任せて談ずる心地には可違也。只虎を飼い、高岸より身を投げんと如此するを、捨身の行とは思えり、今の捨身非爾べし。此の身与法の間(あわい)を能々尋(ね)見れば、身の外に法なく、法の外に身の置かれぬ所を、今の捨身とは云うべきなり。此の道理、実(に)何より始まりて、如何なりと云うべからざる所を、幾千万廻と云う事を知らずとは云う也。又「為身求法」と云うも、法と身との詞上下し、捨と求との文字の違(い)許(り)也。聊かも其理不可違也。是又「幾億百劫と云う」(は)、際限あるべからず。此の道理を以て、或従知識とは可談、故に「或従知識の活計也」とは云う也。尋常に所思の或従知識には異なるべし。又「参自従自の消息也」と云うは、此の或従知識する自は、いかなるぞと云えば、この自(は)、自他に拘わらざるなり。知識与自一物也、一体なり、自他不各別道理なり。故に自が自に従う道理なるべし、消息とは有様と云う心なり。
  • 是は釈尊与迦葉、拈優曇華の事、初祖与二祖、断臂得髄の事を被引出なり。此の瞬目破顔の道理も、如先々沙汰、只迦葉ひとり心得て、微笑し給いしとは不可心得。釈尊迦葉の一体なる理の顕わるる時、迦葉破顔とは談(ずる)也。二祖の断臂も、只徒なる臂を切許とは、不可心得。初祖与二祖の所通、非各別道理が、今は断臂とも云わるべきなり。只臂を切りたるを許(り)心得ては、頗無其詮事也。所詮(は)解脱の姿を破顔微笑とも、断臂得髄とも可談也。又「六祖の左右にあまる知識」とは、仮令青原南嶽等の下、そこばくの知識等ある事を可云歟。「見自の知識・見他の知識」とは、自他に拘われざる知識と云う也。一人二人、又昔の詞も、経巻の上の道理なるべし。

 

或従経巻のとき、自己の皮肉骨髄を参究し、自己の皮肉骨髄を脱落するとき、桃花眼睛づから突出来相見せらる、竹声耳根づから、霹靂相聞せらる。

おほよそ経巻に従学するとき、まことに経巻出来す。その経巻といふは、尽十方界、山河大地、草木自佗なり。喫飯著衣、造次動容なり。この一々の経典にしたがひ学道するに、さらに未曾有の経巻、いく千万巻となく出現在前するなり。

是字の句ありて宛然なり、非字の偈あらたに歴然なり。これらにあふことをえて、拈身心して参学するに、長劫を消尽し、長劫を挙起すといふとも、かならず通利の到処あり。放身心して参学するに、朕兆を抉出し、朕兆を趯飛すといふとも、かならず受持の功成ずるなり。

詮慧

〇『涅槃経』云「大地有情同時成道」(経典不出)と云う。成仏の仏は有と聞こゆ可見もの誰ぞや、相見という此心なるべし。「未曾有の経巻、いく千万巻となく、出現在前する也」と云う、尽十方界なる経巻なる故に出現在前と云うなり。

〇「経巻に従学する時、まさ(まこと)に経巻出来す、その経巻と云うは尽十方界・山河大地・草木自他なり。喫飯著衣・造次動容也。これ一々の経典也」と云う。この時、自証の義あらわなり。自と云わるる何物ぞ経巻なり、尽十方界なり、山河草木自他・喫飯著衣・造次動容なり。証又以如此、この証は何を待ち何を期とすべき義あるべからず。

〇「是字の句ありて宛然なり、非字の偈あらたなり」と云う。即心是仏の是非は非心非仏の非か、共に尽界詞なり。

〇「通利の到処あり」と云う。是能所なき道理なり、通彼通是の義也。

〇「受持の功成ずる」と云うは、非我非経道理を功成と説くなり。

経豪

  • 前には或従知識の詞を被釈、ここよりは或従経巻の道理を被述なり。或従経巻と云う道理を見聞する時、「自己の皮肉骨髄を参究し、自己の皮肉骨髄を脱落するとき、桃花眼睛づから突出来相見せらるる」とは、霊雲の桃華を見しは、桃華は別の物、霊雲の以眼桃華を見ると可心得歟非爾。桃華与霊雲(は)全非各別。桃華が霊雲を見るか、又桃華が桃華を見るかと云う道理あるべき也。是則即不中義也、何れの道理も皆当たるべき也。所詮、霊雲の眼睛を桃華に突き出だして為したる也、是を桃華眼睛づから、突出来とは云うべき也。眼睛与桃華能見所見なく、不各別道理が如此被談也。相見の理又如前云う(は)、突出来の上の相見なるべし、両物相対の相見にはあらざるべし。「竹声耳根づから」と云う詞、詞の面は替わりたるようなれども、只前に云う桃華眼睛の理に一分も不可違也。眼睛と耳根と桃華と竹声の詞の違いたる許也。祖師の眼睛・祖師の耳根、努々各別と不可心得あしかば、其理変わるべき勿論(の)事也。「霹靂」とは隠れず、顕わなる心地に仕うなり、今の道理隠れず、周遍したる心地なるべし。「見聞」の詞、眼睛には見の字を付けて云い、耳根には聞の字を付けて便りあるに付けて、被呼び出したるようなれども、今の見聞の詞も、只日来思い付けたりつる見聞には、大いに異なるばし。耳根是聞也、竹声是聞なるべし。彼が是を聞とも見とも云わば、能見所見・能聞所聞あるべし、然者又非仏法所談なり。
  • 「此の経巻に従学するとき」と云うは、前に参自従自と云いし程の丈に、此の従学の詞も可心得歟。経巻と云うはとて、さまざま被出也。如御釈所詮、今の尽十方界・山河大地・草木自他、乃至喫飯著衣・造次動容を以て、今は経巻と習う也。打ち任せては只黄紙朱軸等の経巻をこそ、経とは思い習わしたるつるに、今所談の経巻以外、手広に相違したるように覚ゆ。但倩案之今の色の経巻は、経巻の道理を書き付けたる許を経とのみ心得て、山河大地・草木風水・自他・喫飯・著衣等を経巻と心得る事(は)希なるなり。右に所挙の理より、始めて経巻ならぬ一物あるべからず。故に未曽有の経巻、幾千万巻となく出現在前すとは云うなり、此理尤甚深也、此理尤有其謂事也。
  • 此の「是字の句、非字の偈」と云う詞は、経巻の句を指すか。是字非字と云わるる是非、更(に)凡見の是非にあらざるべし、経巻の上の是非と可心得。此の道理を得て、「拈身心して参学す」とは、以今理拈身心して参学すべしと云う也。「長劫を消尽し、長劫を挙起すと云うとも、必ず通利の到処あり」とは、長劫と云う詞は、久(しき)に付けて云う歟。今の道理は長劫を消尽すと云うも、長劫を挙起すと云うも只同じ理なるべし、以経巻長劫を消尽すとも、挙起すとも談ずるなり帙如此云えども「通利の到処あるなり」とは、経に付けて諷誦通利と云う事あり。消尽挙起などと云えども、必ず此の通利の到処あるなりと云う也。喩えば此の道理あるなりと云う也。又拈身心して参学するに長劫を挙起するに、必ず通利の

到処あるなりと云いつる心地に不可違なり。拈身心と前には云い、後には放身心と云う(は)、拈放共に等しかるべし。経巻の上の拈放ともに非勝劣取捨義なり。「朕兆」と云うは、長劫と云いつる詞に同じ、前には通利と云い、ここには受持と説く。是又経巻の上の通利受持只同理なるべし。

 

いま西天の梵文を、東土の法本に翻訳せる、わづかに半万軸にたらず。これに三乗五乗、九部十二部あり。これらみな、したがひ学すべき経巻なり。したがはざらんと廻避せんとすとも、うべからざるなり。かるがゆゑに、あるいは眼睛となり、あるいは吾髄となりきたれり。頭角正なり、尾条正なり。

佗よりこれをうけ、これを佗にさづくといへども、たゞ眼睛の活出なり、自佗を脱落す。たゞ吾髄の附嘱なり、自佗を透脱せり。眼睛吾髄、それ自にあらず佗にあらざるがゆゑに、仏祖むかしよりむかしに正伝しきたり、而今より而今に附嘱するなり。

詮慧

〇「半万軸にたらず」と云う。飜訳本五千巻と云う時に半万とあり、但論ぞ録ぞなどを具してこそ五千ぞ七千ぞとも云え、一向経許は実にも不及五千巻者歟。

〇「三乗五乗九部十二部、是等皆学すべき経巻也。廻避せんとするにうべからざる也」と云う。是にても可心得教也とて、大小乗捨つべからず、対機随情の説とて嫌うべからず。

〇「或眼睛と也、或吾髄となり来たれり。頭角正也、尾条正也、他よりこれを受け、他に授くと云えども、ただ眼睛の活出なり」と云う。是は経巻の事也。かたがた証據とすべし、すべて自他の見あるべからず。その故は人を殺せば我寿命短捉なりと云う、盗すれば得貧報・施他財は得福徳・一句半句の法をも他に授くれば我智慧となる。授弟子時は吾皮肉骨髄を得たりと云う、又非汝非誰と云う、自他各別ならんには如此々々あるべからず。大地有情同時成道(は)、尤非無謂・椅子払子経ならずと云う事なし。坐禅坐禅の一会両会也。袈裟経の一巻十帙ありと云う、知識に従い経巻に従うは自己に従うなり。自経巻なり自知識なり遍参知識は遍参自己也と云う。拈百草は拈自己也、自と自と同参の聞説なり。一耳は聞き一耳は説くと云う。一巻の経をば十帙には巻き難し、尤不審也。但袈裟経の字に付きて巻と帙は付く、巻帙の大切にあらず数の大切ならねば、九九八十二などと云いしが如し。

経豪

  • 御釈委細也、如文。天竺に留まり、震旦より未渡の経論(は)いか程か有るらん、覚束なし。一切経とて世間にある、実(に)半万軸に不及。五千七千などと云うは、論等を相い加えて云う歟。又三乗五乗九部十二部等は仏の言説なり。祖門には不可用之、以心伝心の法これこそ祖門の所用なれとて、経教に不可随と常には云うなり、此の義返々不可然。大いに仏法の道理に違せり、可歎可歎。『仏教』の草子の沙汰の時事旧了。尽十方界是経巻也、山河大地・草木自他経巻なり、乃至喫飯著衣・動揺進止、皆是経巻也。如此ならんには、実(に)如何に経巻にあらざらんと回避すとも、総て逃るべからざる道理顕然なるべし。此の道理が顕わるる時、「或眼睛となり、或いは吾髄となり来たれり」とは云う也。「頭角正、尾条正」とは、首尾相応したる心地を如此云うべきなり。
  • 実(際)他より是を受け、是を他に授くる事常式なり。然而「眼睛の活出、吾髄の附嘱、共に自他にあらざる故に、仏祖の昔より昔に正伝し、而今より而今に附嘱する」とは、打ち任せては昔より今に附嘱すとこそ云うべけれ。但今の道理が古今を対して不談、昔なるべくは一向今、昔より至于今とは不可云。昔より今に至る道理は、昔より昔に正伝し、又而今より而今に附嘱する道理なるべし。

 

拄杖経あり、横説縦説、おのれづから空を破し有を破す。払子経あり、雪を澡し霜を澡す。坐禅経の一会両会あり。袈裟経一巻十袟あり。これら諸仏祖の護持するところなり。

かくのごとくの経巻にしたがひて、修証得道するなり。あるいは天面人面、あるいは日面月面あらしめて、従経巻の功夫現成するなり。

経豪

  • 右に所挙の経共、実(見)ざる経もやあるらん。未渡の経教多ければ覚束なし。打ち任せたる一切経等の中には不見歟。但尽十方界・山河大地・草木自他・喫飯著衣・動揺進止等・皆経ならんには、拄杖経も払子経・乃至坐禅経・袈裟経と云う道理もなからんや、更非可疑。坐禅経と云う経はあるやらん、就之、たよりなる詞共を云い付けて被釈之。「拄杖・横説縦説、空を破し有を破する」分、争(か)なからん、「払子経の雪ぞ霜ぞ」の詞ぞ、子細や有るらん覚束なし。但是も只払子白ければ、就其はしたよりに被呼出歟不審也。「坐禅経の一会両会」の詞、是も只一座二座などと云わん程の詞なるべし。「袈裟経の一巻十袟」などとあるも、必ず数に対して云うにはあらじ、袈裟経の上の一巻十袟なるべきか、所詮今の道理共を、諸仏祖は護持し経の来たる也と云うなるべし。
  • 如御釈、天面も人面も日月面も、皆従経巻の道理現成すと云う也。

 

しかあるに、たとひ知識にもしたがひ、たとひ経巻にもしたがふ、みなこれ自己にしたがふなり。経巻おのれづから自経巻なり。知識おのれづから自知識なり。

しかあれば、遍参知識は遍参自己なり、拈百草は拈自己なり、拈万木は拈自己なり。自己はかならず恁麼の功夫なりと参学するなり。この参学に、自己を脱落し、自己を契証するなり。

これによりて、仏祖の大道に自証自悟の調度あり、正嫡の仏祖にあらざれば正伝せず。嫡々相承する調度あり、仏祖の骨髄にあらざれば正伝せず。

かくのごとく参学するゆゑに、人のために伝授するときは、汝得吾髄の附嘱有在なり。吾有正法眼蔵、附嘱摩訶迦葉なり。

経豪

  • 是又御釈分明也。実に知識に随姿、経巻に随姿(は)、共に各別なるに似たれども、自他已に不各別一物也、自他則経巻なるべし。故に知識に随い経巻に随うは、皆自己に随うにてあるなり。経巻おのれずから、自知識なる道理ある故に如此被釈なり。
  • 遍参の姿も所々へ訪知識之ば、師弟自他あるに似たり。然而知識の訪う理は如何なるぞと云えば、自他なき道理を聞き、又今の遍参の姿も、此の理の上は自己の上に遍参するなり。此の道理の行く所が、拈百草の時も、拈万木の時も、皆拈自己也とは云わるべきなり。
  • 無別子細。「仏祖の大道に自証自悟の調度あり」とは、右に所挙の道理共を指也。此理実に、「正嫡の仏祖にあらずば不可正伝、仏祖骨髄に非ざれば不可正伝」事也。
  • 「為人伝授する」とは、わづかの凡見なり。自他を脱落する道理の前には、「汝得吾髄の付嘱有在の道理あるなり」。自他なき故に「吾有正法眼蔵、附嘱摩訶迦葉の道理なるべし」とは、釈尊と迦葉とは不各別、迦葉は釈尊に蔵身し、釈尊は迦葉に蔵身す、故に一体にして自他なき也。

 

為説はかならずしも自佗にかかはれず、佗のための説著すなはちみづからのための説著なり。自と自と、同参の聞説なり。

一耳はきき、一耳はとく。一舌はとき、一舌はきく。乃至眼耳鼻舌身意根識塵等もかくのごとし。

さらに一身一心ありて証するあり、修するあり。みみづからの聞説なり、舌づからの聞説なり。昨日は佗のために不定法をとくといへども、今日はみづからのために定法をとかるゝなり。かくのごとくの日面あひつらなり、月面あひつらなれり。

佗のために法をとき法を修するは、生々のところに法をきゝ法をあきらめ、法を證するなり。今生にも法をたのためにとく誠心あれば、自己の得法やすきなり。

詮慧

〇「昨日は他の為に不定法を説くと云えども、今日はみづからの為に定法を説かるるなり」と云う。仏有無大小の法を説きまします、是定法不定法なり。必ずいづれを定とし、いづれ不定とも云うべからず。衆生随類各得解なるべし。

経豪

  • 又「為説」と云う詞は、人の為に説くとこそ聞こえたれども、是又「為説必ずしも自他に拘われず」とあれば、為説と云えばとて、為他とは不可心得。「他の為の説著則自の為の説著なるべし、自と自と同参の聞説也」とあり。今の道理の上には勿論之事なり。
  • 「一耳は聞き一耳は説く、乃至一舌は説き一舌は聞く」とあり。仏祖所具の六根は只一根なるべし、六根ならべて不可具足なり。故に一耳は聞くと云わば、説く道理もあるべきなり、乃至一耳の上に、見るとも味とも思とも可談也。一舌の上の所談、又如此。この故に「乃至眼耳鼻舌身意根識塵等も如此」とは云う也。
  • 是は身が証とも云われ、心が証とも修とも談ぜられて、各々に取り放たれぬ所を如此云うなり。「耳づから舌づから」とあり、如前云う耳の上に聞説の理も、舌の上に聞説の道理もある事を被釈なり。耳の上に聞の道理と云えば、打ち任せたるように聞こゆれども、如旧見(の)此詞をも心得ば、今(の)理には返々可向背也。此の耳の上の聞は、今の以耳名聞、故に全身なるべし。能聞所聞の義を離れたるなり。又「昨日他の為の不定法、今日のみづからの為に定法」などと云えば、昨日も定不定も打ち任せたる詞に心得られぬべし。於一法上昨今の詞を談じ、於一法上定法不定法と談之、更非各別義。此の説の詞も全(て)能説所説に拘わるべからず。又此の「自他の詞」(は)、是又非各別体、昨今定法不定法程の自他なるべし。「日面月面」の詞は、只同理なる詞に仕う也。前に所云の昨今定法不定法、自他の道理、日面月面程に可心得合也。仍如此被釈之。
  • 是は無別子細。只自他不各別道理に付けて如此、重々被釈之也。具如御釈。

 

あるいは佗人の法をきくをも、たすけすゝむれば、みづからが学法よきたよりをうるなり。身中にたよりをえ、心中にたよりをうるなり。聞法を障礙するがごときは、みづからが聞法を障礙せらるゝなり。生々の身々に法をとき法をきくは、世々に聞法するなり。前来わが正伝せし法を、さらに今世にもきくなり。法のなかに生じ、法のなかに滅するがゆゑに。尽十方界のなかに法を正伝しつれば、生々にきゝ、身々に修するなり。生々を法に現成せしめ、身々を法ならしむるゆゑに、一塵法界ともに拈来して法を証せしむるなり。

しかあれば、東辺にして一句をきゝて、西辺にきたりて一人のためにとくべし。これ一自己をもて聞著説著を一等に功夫するなり。東自西自を一斉に修証するなり。なにとしてもたゞ仏法祖道を自己の身心にあひちかづけ、あひいとなむを、よろこび、のぞみ、こゝろざすべし。一時より一日におよび、乃至一年より一生までのいとなみとすべし。仏法を精魂として弄すべきなり。これを生々をむなしくすごさざるとす。

しかあるを、いまだあきらめざれば人のためにとくべからずとおもふことなかれ。あきらめんことをまたんは、無量劫にもかなふべからず。たとひ人仏をあきらむとも、さらに天仏あきらむべし。たとひ山のこゝろをあきらむとも、さらに水のこゝろをあきらむべし。たとひ因縁生法をあきらむとも、さらに非因縁生法をあきらむべし。たとひ仏祖辺をあきらむとも、さらに仏祖向上をあきらむべし。

これらを一世にあきらめをはりて、のちに佗のためにせんと擬せんは、不功夫なり、不丈夫なり、不参学なり。

経豪」

  • 是又御釈分明なり。只いくたびも身心与法、不各別一体なる道理を被釈なり。又不各別の道理の上に、此理は現前する也。「尽十方界の中に法を正伝す」とは、尽十方界与身心一体なる道理を如此被談也。「一塵法界を拈来す」と云うも、此の一塵法界と身心と、不各別一体なる姿を以て、「一塵法界ともに拈来して法を証せしむる」とは云う也。
  • 「東辺西辺」の詞(は)、各別なる両所ありと聞こゆ。又「一句を聞く」と云えば、彼(の)東西の所にて法文を説を聞と、文の面は被心得ぬべし。是は此の「東辺西辺一句を聞き、一人の為に説く」と云うは、全く東西相対し、能説所説あるにあらず、只今の道理は一自己の理を以て東辺とも、西辺とも、聞著とも説著とも仕う也。故に「一自己を以てとも、東自西自を一斉に修証するなり」とも云うなり。
  • 御釈に聞こえたり。是は打ち任せては、明らめざらん法を片端聞いて人に解説せんは、大いなる科(とが)と覚えたり、実にも人嘲を為す事也。但如今御釈云背仏法たらん邪見ならで、一文一句も正師の説を聞きたらん義を、吾は未脱の者なればとて、教えざらん事を被誡也。能々可了見事也。実にも又人仏を如形、其理を聞に似たれども、天仏の道理を知らず、乃至山を知るとも水を知らず。因縁生の法を明らむと云うとも、非因縁生の法を明らめず仏祖意と云うより、仏祖向上は猶勝れたりなどと心得ば、是等の理を明らめ、解脱したりとは難許歟。たとえば会の理をば心得たりとも、さらに不会の理を明らむべしと云う程の道理なるべし。
  • 是は如前云。法を明らめて後、他の為にせんと擬せんは不功夫也。不丈夫也、不参学也と被嫌なり。

 

およそ学仏祖道は、一法一儀を参学するより、すなはち為佗の志気を衝天せしむるなり。しかあるによりて、自佗を脱落するなり。さらに自己を参徹すれば、さきより参徹佗己なり。よく佗己を参徹すれば、自己参徹なり。

この仏儀は、たとひ生知といふとも、師承にあらざれば体達すべからず、生知いまだ師にあはざれば不生知をしらず、不生不知をしらず。たとひ生知といふとも、仏祖の大道はしるべきにあらず、学してしるべきなり。自己を体達し、佗己を体達する、仏祖の大道なり。

たゞまさに自初心の参学をめぐらして、佗初心の参学を同参すべし。初心より自佗ともに同参しもてゆくに、究竟同参に得到するなり。自功夫のごとく、佗功夫をもすゝむべし。

経豪

  • 実(に)仏祖道の習、一法一儀を参学する理より、皆自他を解脱する也、為他の志気を衝天せしむなりと云う、則此道理也。自己を参徹する時は、さきだちて参徹自己の理を具足するなり。又自他不各別道理の上には、他己を参徹すれば、自己参徹なるべき道理顕然なるべき事也。
  • 「師承に非れば不可体達す」と云うは、師無くして一人悟る事を自証自悟と、人の思い習われたる所を被制也。実にも師に不随は、「不生不知の理をも不可知、不生(不)知の理を不知。たとい生知と云うとも、仏祖の大道をば不可知」となり。唯不倉卒随正師学可と被教也。
  • 如前云未脱なればとて、明らめ畢りて後、他をも教ゆべしと思(う)事を重(ねて)被示也。但是も唯一向、此の心地許りとは不可思、自他の道理は事旧了。「初心」と云うも、今の吾我の初心と許りは不可思、仏祖の上の初心なるべし。「自功夫・他功夫」と云うも、自初心・他初心程の道理なるべき也。

 

しかあるに、自証自悟等の道をきゝて、麁人おもはくは、師に伝受すべからず、自學すべし。これはおほきなるあやまりなり。自解の思量分別を邪計して師承なきは、西天の天然外道なり、これをわきまへざらんともがら、いかでか仏道人ならん。いはんや自証の言をきゝて、積聚の五陰ならんと計せば、小乗の自調に同ぜん。大乗小乗をわきまへざるともがら、おほく仏祖の児孫と自称するおほし。しかあれども、明眼人たれか瞞ぜられん。

経豪

  • 是は如前云。「自証自悟」と云えば、師なくして自ら悟り証すと知る邪見を挙げられて被誡也。「麁人思わくは」とあり、不可正見条可謂勿論事也、具于御釈。又「積聚の五陰ならんと計せば、小乗の自調に同ぜん」とは、我等が積聚の身を以て、是を自証と心得る所を、如此被嫌なり。自証自悟、努々我等が見に不可同者也。

 

大宋国紹興のなかに、径山の大慧禅師宗杲といふあり、もとはこれ経論の学生なり。遊方のちなみに、宣州の珵禅師にしたがひて、雲門の拈古および雪竇の頌古拈古を学す。参学のはじめなり。雲門の風を会せずして、つひに洞山の微和尚に参学すといへども、微、つひに堂奥をゆるさず。微和尚は芙蓉和尚の法子なり、いたづらなる席末人に斉肩すべからず。杲禅師、やゝひさしく参学すといへども、微の皮肉骨髄を摸著することあたはず、いはんや塵中の眼睛ありとだにもしらず。あるとき、仏祖の道に臂香嗣書の法ありとばかりきゝて、しきりに嗣書を微和尚に請ず。しかあれども微和尚ゆるさず。つひにいはく、なんぢ嗣書を要せば、倉卒なることなかれ、直須功夫勤学すべし。

仏祖受授不妄付授也。吾不惜付授、只是你未具眼在。ときに宗杲いはく、本具正眼自証自悟、豈有不妄付授也。微和尚笑而休矣。のちに湛堂準和尚に参ず。湛堂一日問宗杲云、你鼻孔因什麼、今日無半辺。杲云、宝峰門下。湛堂云、杜撰禅和。杲、看経次、湛堂問、看什麼経。杲曰、金剛経。湛堂云、是法平等無有高下。為什麼、雲居山高、宝峰山低。杲曰、是法平等、無有高下。湛堂云、你作得箇座主。使下。又一日、湛堂見於粧十王処。問宗杲上座曰、此官人、姓什麼。杲曰、姓梁。湛堂以手自摸頭曰、争奈姓梁底少箇幞頭。杲曰、雖無幞頭、鼻孔髣髴。湛堂曰、杜撰禅和。湛堂一日、問宗杲云、杲上座、我這裏禅、你一時理会得。教你説也説得、教你参也参得。教你做頌古拈古、小参普説、請益、也做你得。祗是你有一件事未在、你還知否。杲曰、甚麼事未在。湛堂曰、你祗欠這一解在。加。若你不得這一解、我方丈与你説時、便有禅、你纔出方丈、便無了也。惺々思量時、便有禅、纔睡著、便無了也。若如此、如何敵得生死 杲曰、正是宗杲疑処。後稍経載、湛堂示疾。宗杲問曰、和尚百年後、宗杲依附阿誰、可以了此大事。湛堂嘱曰、有箇勤巴子、我亦不識佗。雖然、你若見佗、必能成就此事。你若見佗了不可更佗遊。後世出来参禅也。

この一段の因縁を撿点するに、湛堂なほ宗杲をゆるさず、たびたび開発を擬すといへども、つひに欠一件事なり。補一件事あらず、脱落一件事せず。微和尚そのかみ嗣書をゆるさず、なんぢいまだしきことありと歓励する、微和尚の観機あきらかなること、信仰すべし。正是宗杲疑処を究参せず、脱落せず。打破せず、大疑せず、被疑礙なし。そのかみみだりに嗣書を請ずる、参学の倉卒なり、無道心のいたりなり、無稽古のはなはだしきなり。無遠慮なりといふべし、道機ならずといふべし、疎学のいたりなり。貪名愛利によりて、仏祖の堂奥ををかさんとす。あはれむべし、仏祖の語句をしらざることを。稽古はこれ自証と会せず、万代を渉獵するは自悟ときかず、学せざるによりて、かくのごとくの不是あり、かくのごとくの自錯あり。かくのごとくなるによりて、宗杲禅師の門下に、一箇半箇の真巴鼻あらず、おほくこれ假底なり。仏法を会せず、仏法を不会せざるはかくのごとくなり。而今の雲水、かならず審細の参学すべし、疎慢なることなかれ。

経豪

  • 是は無殊子細、唯宗杲がありさまを委被釈なり。所詮宗杲自証自悟の詞を、打ち任せて人の心得たるように思いたる故に、「微和尚笑而休す」とあり、不被許之条分明也。委細見于文。宗杲杲自証自悟の詞を尋常に心得る故に、「本具の正眼自證自悟也、豈有不妄付授也」と云う。ここに和尚笑休とあり、未祖門の自証自悟に不及也。
  • 此問答具于文。「你鼻孔因什麼、今日無半辺」と云うは、仮令など鼻孔片方なきはなどと云う心地歟。是は宗杲を下して不足也と云う心地なるべし。「宝峰門下」とは、宝峰とは山名也。是も已此詞を聞きて「杜撰禅和」とあり、此の詞は宗杲をそしりたる詞也。此の文に付けて問答のようも、湛堂不被許歟。又「你作得箇座主。使下」とあり。「座主」と云うは司の事也。是も褒めず謗れる詞なり。又「十王処」と云うは、十王などと絵に書きたる所の在りけるか、此の問答又湛堂杜撰禅和とあれば、悪しここにて宗杲を不被許之条顕然に見たり。又「杲上座、我這裏禅、你一時理会得―你有欠一件事」と云う。是は文の面聊か宗杲を被許たるに似たれども、已有一件事と云う、然者ゆるすと難云。就之宗杲欠けたる事は何事ぞと申すに、又「湛堂曰、你祗欠這一解在―如何敵得生死」とあり。此の詞に付けて已(に)「正是宗杲疑処」と領納の上は勿論。此後宗杲与湛堂の問答見于文、就湛堂教訓圜悟禅師の門下へは入りたり。「勤巴子」とは圜悟禅師の事、克勤和尚とは圜悟事也。他遊せずして圜悟に付けて学せば、「後世出来参禅」と云う也。防潭の文準禅師は臨済九世なり。
  • 如御釈無殊子細。宗杲(の)嗣書をのぞむ次第(を)不被許よう、御釈分明也。又「稽古」と云うをば、法の外に人に仰せて心得る人ありて、法を学するとのみ思えり。稽古がやがて自証なる道理を、自証と会せずとは被釈也。「萬代を渉獵するは、自悟と聞かず」とは、久学は自証自悟にはあらず、今忽然として出でたるを、自証自悟と心得たる所を被嫌也。又「宗杲禅師の門下に、一箇半箇の真巴鼻あらず、多くこれ仮底也」とは、宗杲が弟子にまことしく、巴鼻ある者なき事を云う也。「仮底」とは仮なる心地、仮令許にて実人なしと云う也。又実にも会の上に不会の道理ある事を、学せざらんば、仏法を明らめたるに非ず、実人と難云乎。

 

宗杲因湛堂之嘱、而湛堂順寂後、参圜悟禅師於京師之天寧。圜悟一日陞堂、宗杲有神悟、以悟告呈圜悟。悟曰、未也、子雖如是、而大法故未明。又一日圜悟上堂、挙五祖演和尚有句無句語。宗杲聞而言下得大安楽法。又呈解圜悟。圜悟笑曰、吾不欺汝耶。これ宗杲禅師、のちに圜悟に参ずる因縁なり。

圜悟の会にして書記に充す。しかあれども、前後いまだあらたなる得処みえず。みづから普説陞堂のときも得処を挙せず。しるべし、記録者は神悟せるといひ、得大安楽法と記せりといへども、させることなきなり。おもくおもふことなかれ、たゞ参学の生なり。圜悟禅師は古仏なり。十方中の至尊なり。黄檗よりのちは、圜悟のごとくなる尊宿いまだあらざるなり。佗界にもまれなるべき古仏なり。しかあれども、これをしれる人天まれなり、あはれむべき娑婆國土なり。いま圜悟古仏の説法を挙して、宗杲上座を撿点するに、師におよべる智いまだあらず、師にひとしき智いまだあらず、いかにいはんや師よりもすぐれたる智、ゆめにもいまだみざるがごとし。しかあればしるべし、宗杲禅師は減師半徳の才におよばざるなり。たゞわづかに華厳楞厳等の文句を諳誦して伝説するのみなり。いまだ仏祖の骨髄あらず。

宗杲おもはくは、大小の隠倫、わづかに依草附木の精霊にひかれて保任せるところの見解、これを仏法とおもへり。これを仏法と計せるをもて、はかりしりぬ、仏祖の大道いまだ参究せずといふことを。

圜悟よりのち、さらに佗遊せず、知識をとぶらはず。みだりに大刹の主として雲水の参頭なり。のこれる語句、いまだ大法のほとりにおよばず。しかあるを、しらざるともがらおもはくは、宗杲禅師、むかしにもはぢざるとおもふ。みしれるものは、あきらめざると決定せり。つひに大法をあきらめず、いたづらに口吧々地のみなり。

しかあればしりぬ、洞山の微和尚、まことに後鑑あきらかにあやまらざりけりといふことを。宗杲禅師に参学せるともがらは、それすゑまでも微和尚をそねみねたむこと、いまにたえざるなり。微和尚はたゞゆるさざるのみなり。準和尚のゆるさざることは、微和尚よりもはなはだし。まみゆるごとには勘過するのみなり。しかあれども、準和尚をねたまず。而今およびこしかたのねたむともがら、いくばくの懡羅なりとかせん。

おほよそ大宋国に仏祖の児孫と自称するおほかれども、まことを学せるすくなきゆゑに、まことををしふるすくなし。そのむね、この因縁にてもはかりしりぬべし。紹興のころ、なほかくのごとし。いまはそのころよりもおとれり、たとふるにもおよばず。いまは仏祖の大道なにとあるべしとだにもしらざるともがら、雲水の主人となれり。

しるべし、仏々祖々、西天東土、嗣書正伝は、青原山下これ正伝なり。青原山下よりのち、洞山おのづから正伝せり。自余の十方、かつてしらざるところなり。しるものはみなこれ洞山の児孫なり、雲水に声名をほどこす。宗杲禅師なほ生前に自証自悟の言句をしらず、いはんや自余の公案を参徹せんや。いはんや宗杲禅老よりも晩進、たれか自証の言をしらん。

しかあればすなはち、仏祖道の道自道佗、かならず仏祖の身心あり、仏祖の眼睛あり。仏祖の骨髄なるがゆゑに、庸者の得皮にあらず。

詮慧

〇「圜悟古仏の説法を挙して、宗杲上座を撿点するに、師に及べる智未だあらず、師に等しき智いまだあらず、いかに云わんや師よりもすぐれたる智、夢にも未だ見ざるが如し。しかあれば知るべし、宗杲禅師は減師半徳の才に及ばざる也」と云う、如文可見。古き詞(に)云う、智勝于師嗣師法、智斉于師隠師半徳と云う。これは勝劣なきに似たり。

経豪

  • 是は圜悟与宗杲問答の詞を被註載なり、見于文。「京師」とは京の事歟。「天寧」とは寺の名を云う也。又「神悟」とは如文云。「圜悟の上堂、挙五祖演和尚有句無句の語。宗杲言下得大安楽法」と云う、是自称歟。「又呈解圜悟、圜悟笑曰、吾不欺汝耶」と、又宗杲を不被許之条已顕然なり。近来禅僧と号する族、十の八九は皆宗杲の門流ならぬ希也。今趣を見ては定腹立歟。外見可恐可憚、但法の浅深解脱の有無、更に私あらず。能々閑可功夫事也。
  • 是は無別子細。宗杲が不及所を顕わし、圜悟被讃嘆御釈なり、文に委見たり。
  • 是も宗杲が見の不及所を被非也。
  • 是又「宗杲を昔にも不耻」と知れる失を被明也、如文。「口吧々地」とは、口やかましき事を云う也。
  • 「宗杲が門人疎ねむべくは、準和尚をも疎ねむべきに、微和尚をば嫉み、準和尚をば妬まぬ所」、実にも難心得。「懡羅」とは恥と云う詞なり。
  • 無殊子細、如御釈。
  • 是又如文。
  • 「仏祖道の道自道他」にまことに非仏祖は知るべからず。「仏祖の身心。仏祖の眼睛・仏祖の骨髄なるが故」なり。「庸者の得皮」とは、卑しきにあらず、と云う心なり。  

自証三昧(終)

 

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。