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現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第七〇 虚空 註解(聞書・抄)

詮慧・経豪 正法眼蔵第七〇 虚空 註解(聞書・抄)

這裏是什麽処在のゆゑに、道現成をして仏祖ならしむ。仏祖の道現成、おのれづから嫡々するゆゑに、皮肉骨髄の渾身せる、掛虚空なり。虚空は、二十空等の群にあらず。おほよそ、空たゞ二十空のみならんや、八万四千空あり、およびそこばくあるべし。

詮慧 撫州石鞏慧藏禪師―始得

〇教に四教(蔵教・通教・別教・円教)の配流を立て、隔歴不同の勝劣起きなんとすれども、詮は以円至極と思う。真如法性ぞ諸法実相ぞなどと云うを、仏法の談と世間に心得たり。而今は何を仏法と定め、何を非ずと嫌うなき所を、是什麽物恁麽来とも説似一物即不中とも尽くべし。教に成仏得道(渓嵐拾葉集・大正720c27)などと云いて似有所期。宗門には諸法何れの詞にも残さず、至極の所には談ずべし。成仏祖の詞「掛虚空」の詞と同じき也、不可有別義。行住坐臥、何れに付けても仏法は示す也。掛虚空と云うに「二十空」も籠もるべけれども、又二十空の分際にては掛虚空はあるべからず。世間に云う「空」は五大の中の空也、ただ無障礙の法とのみ思う。有体説仮と云うは、有に著する也。仮諦を実有と云うは又空也、非仮非空の所を中道という。是は世間の空仮を判ずる許なり。中道の詮いかなりと聞かず、衆生処に著引之、令得出の義不離歟。

〇「虚空という事を大般若(592巻・大正7・1065c)にある二十空等の群にあらず」という。碎空(一切の物を砕く後は空なり)・体空(其体を置きながら空を談ず、通教の心地なり)、第一義空華竟空皆空などと云うは「八万四千空」とも云うが様の空を数えて「二十空」とも云う。大小乗の空、皆この内にあるべし。「八万四千空」とは、喩え塵労門とも毛穴とも云うが如し、是等の空には不可類也。「そこばくあるべし」と云う上は、際限分量あるべからず。凡そ「空」は無障礙にて住める所を空と知り奉る所を地と思う、是は空を知りたるにあらず、わづかに気力の所堪に依りて天ぞ地ぞと思(う)許(り)也。又業の各別の輩、如何見るらん難知、水を虚空と見る龍魚もあるらん、又地中・木中・火中等に住する類、空を探らん程測りがたし。反覆世界は其衆生、坂さまに立つ、我等はしばらくも是を空にして立(ち)難し。空居天は空に居する難比校者也。いま所説の空は、明くる所の公案に明かなるべし。

大般若経所説「二十空」と云うは、内・外・内外・空・大・勝義・有為・自相・本性、無変異・散・無際・畢竟・無為・共相・一切法・不可得、無性・無性自性。内空と云うは、吾我身に仰外空と云うは諸法に仰て心得なんとす可に非ず。『転法輪』の草子に「一人発心帰源、十方虚空、悉皆消殞す」などと云う。消殞の心地を以て今の「二十空」も可心得也。「皮肉骨髄の渾身せる掛虚空は二十空等の群に非ず」とあり、又数を挙ぐる時は「八万四千空あり、及びそこばくあるべし」と云う。

〇右にある「二十空」の内空は、不対外には不対内・内外空、又々同上空も不対有にも空に不対。大空も不対小、小空も又不対大空、勝義空も不対劣と可心得。又十空の内、無際空畢竟空、一切法空などと立てたり、此の上何ぞ「八万四千とも、そこばく」とも云うべき、一切に籠もらんやと覚ゆ。但諸法を取り集めて、一切と云わばこそと云う詞あり。いかなる衆生漏れて、于今不成仏哉と云う論議を設けたり。教家に是や談ずるには一切とは、仏在世一衆会を指して一切衆生とは云う。余をば込めずと答する義もあり、総て内外より次第に立ち上げて一切と云う心地なる時、「二十空等の群に非ず」と云う也と可心得。「渾身掛虚空は二十空等の群にあらず」、解脱の空なるべし。渾身と云う心は汝得吾皮肉骨髄と談ずる所を、渾身とは云う時に此の二十空より終り、無性自性空迄も皆、渾身せる掛虚空と可心得也。

経豪

  • 「這裏是什麽処在」と云う詞、常に祖門に仕付けたり、不審の詞に似たれども非爾。所詮虚空の道理なき所が、「如此這裏是什麽処在」とは云わるるなり。是什麽物恁麽来・説似一物即不中の詞に同なり。「仏祖の道現成、おのれづから嫡々する故に、皮肉骨髄の渾身せる掛虚空なり」とは、仏祖の皮も法界を尽し、肉も法界を尽し、骨も髄も各皆法界尽すべき故に、「渾身せる掛虚空なり」とは云うなり。天童の渾身似口掛虚空とありし御詞ここに被引寄なり。所詮虚空ならぬ一法不可有故なり。又「虚空は、二十空等の群にあらず。おほよそ空たゞ二十空のみならんや」とは、般若等に空を説くに付けて、或十八空二十空等を出す。有為空・無為空・畢竟空等是也、彼等を指す也。今の空の道理、実(に)二十空のみならんや、八万四千空・無尽空あるべきなり。

 

撫州石鞏慧蔵禅師、問西堂智蔵禅師、汝還解捉得虚空麼。西堂曰、解捉得。師曰、你作麼生捉。西堂以手撮虚空 師曰、你不解捉虚空。西堂曰、師兄作麼生捉。師把西堂鼻孔拽。西堂作忍痛声曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去。師曰、直得恁地捉始得。石鞏道の汝還解捉得虚空麼。なんぢまた通身是手眼なりやと問著するなり。

詮慧 撫州石鞏慧蔵禅師問西堂―汝還解捉得虚空麼。

〇之は「なんぢまた通身是手眼と問著する也」と云う。まことにいづくを虚空と定めて撮る可ぞと渾身虚空と談ぜん上は、通身是手眼なるべしと也。

〇右に這裏是什麽処在の心地を「通身」とは云うなり。「通身是手眼也と問著する」心地は、拄杖なりや払子也やと云わんが如し。

〇世間に虚空を取(撮)ると云う事不可有、取とも不可得事也。但取ること其の物なくば一得一失なるべき歟。仏道には一得一失相並事ぞや、虚空・虚空を取るとやせん。共出一隻手と云い、指を以て指頭を取ると云うにて可心得。

経豪 問答詞一々見于文。

  • 是は虚空を撮る事を解すや否と云えば、受けて問したる詞と覚ゆ、非爾。「通身是手眼也やと問著す」とは、身をば置きて其の上に眼も手も臂と取り付けたるように、打ち任せては心得るを『観音』の草子の沙汰ありしが如く、通身の道理を手眼と談ぜしように、虚空の上に解すとも、取るとも捨つとも云う程の理なり。更非疑詞故に、「通身是手眼也と問著する也」とは云うなるべし。

 

西堂道の解捉得、虚空一塊触而染汚なり。染汚よりこのかた、虚空落地しきたれり。

詮慧

〇「西堂道の解捉得虚空一塊触而染汚なり、染汚よりこのかた虚空落地しきたれり」と云う。住れる所を新ためて一の土くれと云う、これ染汚の法なり、虚空落地ともこれを云う。尽十方界の諸物虚空の染汚ならぬ法なし、一切染汚也、捉虚空又落地なるべし。

経豪

  • 是は「解捉得」やの詞が悪しくして、「虚空一塊触而染汚也」と嫌われたる詞かと聞こゆ、非爾。此の「解捉」の詞を、「虚空一塊触而染汚」とは云えども、それ知る詞にあらず。虚空の理の上に取るとも打とも放とも云う詞などかならん。此の「捉得」の詞をしばらく「一塊触染汚」とは云うなり。「虚空落地」の道理の上に、今は取と云う理も、放と云う理も、無尽の姿を染汚とも可云也、然者嫌詞にあらざる条顕然なるべし。

 

石鞏道の你作麼生捉。喚作如々、早是変了也。しかもかくのごとくなりといへども、随変而如去也なり。

詮慧

〇「石鞏道の你作麼生捉、喚作如々、早是変了也、しかもかくのごとくなりといへども、随変而如去也なり」と云う。これは「如」ならぬ法なきを喚べば早く変ずるにてあるなり。但「変」と云うも「如」ならぬ所の在るにてはなき時に、変には従えども、如もてゆくと云うなり。虚空一塊と如く「変了也」は、八万四千もあるべし。

経豪

  • 是は「喚作如々」と云わるる「如々」の詞は、此の虚空の道理が如前云。捉とも云われぬ、棄つとも握るとも、払とも様々云わるるの道理のある所を「喚作如々」とは云う也。又此の詞のとかく云わるる所を「早是変了也」とも云う也。而如此也と云えども、「随変而如去」と云うは、取とも放とも云う理の数多被談所を「変了也」とは仕也。取と談ぜん時は、此の外に物なく、棄と云わん時は棄外に、又交(わる)物なき所が、「随変而如去也」とは云わるべき也。

 

西堂以手撮虚空、只会騎虎頭、未会把虎尾なり。

詮慧

〇「西堂以手撮虚空を只会騎虎未会把虎尾也」と云う。此の事は先(ず)世間には、虚空と云いつる上は取るべき物なきを取る、取るにはすでに取る。但虚空を知る歟知らざる歟、虎の頭には乗れども劣らずと聞こゆ、虚空不会と云いつべし。但「撮虚空」と云う時は、「只会騎虎頭、未会把虎尾」と云うべき也。「以手撮虚空」と云うは、喩えば以眼見色哉と云わん程の義也。手と虚空と眼と色との間、同じかるべし、眼色を見る思えども、色まなこをもや見るらん眼と色と非同非別なるべし。やがて天眼色なるべし。尽十方界一隻眼と云う時、色いづれの所にか在る。

経豪

  • 是は不満足、不足なる詞と聞こゆ、非爾。称一方は一方は暗き理もあるべし。又会・不会の道理もあるべし。「虎頭」はいみじく(優れている)、「尾」は劣也と不可心得。手を以て虚空(を)取る様(に)許(り)知りて、仏祖の上の虚空(を)取る様不知と云いたるように聞こゆ、不然也。

 

石鞏道、你不解捉虚空。たゞ不解捉のみにあらず、虚空也未夢見在なり。しかもかくのごとくなりといへども、年代深遠、不欲為伊挙似なり。

詮慧

〇「石鞏道、你不解捉。虚空ただ不解捉のみに非ず、虚空也未夢見在なり、しかも如此也と云えども、年代深遠、不欲為伊挙似也」と云う。此の虚空の様を夢にも見ざることありと云う。但知らざれども「年代深遠也」と云うが、「不欲為伊挙似」にてあるなり。

経豪

  • 是は「虚空をとる事を不知」とさげたる詞に似たれども、是又非爾也。然而今の趣は、うつけ・うつけ、とある虚空を取る姿を蹔らく嫌わるるには似たれども、是は只此の虚空の道理。「年代深遠」とは本来の道理程の心也、初めて出で来たるにはあらず。故に「不欲為伊挙似」とあり、挙似するにあらず。「不解」とも云えば、さげたるにあらず、讃嘆の詞と可心得。

 

西堂道、師兄作麼生。和尚也道取一半、莫全靠某甲なり。

詮慧

〇「西堂道、師兄作麼生。和尚也道取一半、莫全靠某甲」。これは和尚もなか(半)ばを云うべし、それがし許にせんに、靠(よ)ること莫かれと云う。但是は石鞏も西堂もなかばは云うなり。

経豪

  • 是は西堂の石鞏に、我はかく虚空を取る、和尚は又いかにと取るぞと問いたるに、一面は聞こゆれども、西堂と石鞏との間(あわい)が、和尚とや取るべき、石鞏とや取るべきと云う道理が、「一半とも云わるべし、全靠する事なかれ」と云う詞は、吾にもあらず、他にも非ずと云う理が、如此は云わるべき歟。即不中(の)道理なるべし。

 

石鞏把西堂鼻孔拽。しばらく参学すべし、西堂の鼻孔に石鞏蔵身せり。あるいは鼻孔拽石鞏の道現成あり。しかもかくのごとくなりといへども、虚空一団、磕著築著なり。

詮慧

〇「石鞏把西堂鼻孔拽。しばらく参学すべし、西堂の鼻孔に石鞏蔵身せり。あるいは鼻孔拽石鞏の道現成あり。しかも如此也と云えども、虚空一団、磕著築著也」と云う。此の手、虚空を取るべからんに、必ず鼻孔を可取道理のみなし、虚空与鼻孔のあいだ如何なるべきぞ。西堂・石鞏・鼻孔・虚空(は)各別と難云、故に「西堂の鼻孔に石鞏蔵身せり」とも云い、「鼻孔拽石鞏」とも云うなり。たとい如此也とも所詮「虚空一団、磕著築著也」と可心得。

経豪

  • 西堂与石鞏各別にとらるる、鼻とる石鞏あるように聞こえたり。然而「西堂の鼻孔に、石鞏蔵身せり」とあれば、各別相対の義あるべからず。此の理の上には鼻孔石鞏を拽、鼻孔鼻孔をひき、石鞏石鞏を拽く道理又あるべし。「虚空一団、磕著築著也」とは、所詮今の虚空の理ならぬ事なき故に、此の虚空の一団とも云われ、此の虚空の理がいづくにも、つきあたらぬと云う事なき姿を如此云也。

 

西堂作忍痛声曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去。従来は人にあふとおもへども、たちまちに自己にあふことをえたり。しかあれども、染汚自己即不得なり、修己すべし。

詮慧

〇「西堂作忍痛声曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去。従来は人に会うと思えども、たちまちに自己に会うことをえたり。しかあれども、染汚自己即不得也、修己すべし」と云う。是れは従来の迷妄は人にあうと思う、脱落の後は自己に会うと心得るなり。「修す」とは知るべし也。

経豪

  • 「西堂の石鞏に鼻孔を被引て、作忍声姿」(は)自他各別に似たり。然而此の道理は、「自己が自己に会う」道理に可落居なり。此の自己(は)又、「染汚自己即不得の自己」なるべし、仏法の上に自己なるべき也。「修己すべし」とは、本文に不可説他失可修自徳と文の「修己の道理」(は)如此也。此の文の面にても自己に会う理なきにあらず。

 

石鞏道、直得恁地捉始得。恁地捉始得はなきにあらず、ただし石鞏と石鞏と、共出一隻手の捉得なし。虚空と虚空と、共出一隻手の捉得あらざるがゆゑに、いまだみづからの費力をからず。

詮慧

〇「石鞏道、直得恁地捉始得。恁地捉始得はなきにあらず、但石鞏と石鞏と、共出一隻手の捉得なし。虚空と虚空と、共出一隻手の得て、あらざるが故に、みづからの費力をからず」と云う。是は取る事は把り得たりとも、石鞏と石鞏と虚空と虚空と共出と云わずと也。

経豪

  • 是は如先云。「恁地捉始得はなきにあらぬ、但石鞏と石鞏と共出一隻手の捉得なし」とは、猶虚空の今の取るよう、此の理なきにはあらざれども如今云うは、「石鞏共出一隻手の捉得はなし」と云う也。如此云えばとて、実に此の理のなきにはあらず。然而例の此の道理のゆく所を、如此釈し表わさるる也。争か西堂にも石鞏にも、此の道理なかるべき「石鞏与石鞏共出一隻手」と云う道理も如前云う。「石鞏と石鞏と共出一隻手」と云わるる程の理なるべし。「未だみづからの費力をからず」とは、空界の道理、わたくしの力を費やすに非ずと云う理也。

 

おほよそ尽界には、容虚空の間隙なしといへども、この一段の因縁、ひさしく虚空の霹靂をなせり。

経豪

  • 如文。実にも「容虚空と間隙なしと云えども、此の一段の因縁ひさしく」もてあそぶ物也。仍って「霹靂をなせり」とは云うなり。

 

石鞏西堂よりのち、五家の宗匠と称ずる参学おほしといへども、虚空を見聞測度せるまれなり。石鞏西堂より前後に、弄虚空を擬するともがら面々なれども、著手せるすくなし。石鞏は虚空をとれり、西堂は虚空を覰見せず。

経豪

  • 已下如御釈。所詮「五家の宗匠と称ずる参学多けれども」、詮は「虚空を見聞測度せる恁希なりと云うなり。五家の宗匠の「虚空を見聞測度せる事の、愚かなる事を被挙也。此の「覰見の見」は、見不見の見なるべし、虚空の上の見なるべきか。

 

大仏まさに石鞏に為道すべし、いはゆるそのかみ西堂の鼻孔をとる、捉虚空なるべくは、みづから石鞏の鼻孔をとるべし。指頭をもて指頭をとることを会取すべし。

詮慧 大仏には西堂の鼻孔をとる。

〇「指頭を以て指頭をとる事を会取すべし」と云う是も更不可置能所見となり。指頭を以指頭を取ると、尤可云虚空をもとれ鼻孔をもとれ。虚空の外に取る手あまりて、聞こゆる所を避けん為に、以指頭取指頭と云うべし。此の時さわやかに能所なき也。

経豪

  • 「大仏まさに」とは、是よりは開山の御詞也。「西堂の鼻孔をとるを捉虚空なるべくは」、石鞏人の鼻孔をとらんよりは、我鼻孔をとるべしとなり。此の理は「指頭をもて、指頭をとる理を会取すべし」と云うなり。是は先師の御所存を被述也。是も如先に云う石鞏の上には此の道理のなきを、今方丈の被仰出たるにてはなし。今の理の上に響く所の、無尽の理を釈し表わさるるなり。西堂・石鞏は共に馬祖の弟子同法なり、争か共に此の理を知らざらん。

 

しかあれども、石鞏いささか捉虚空の威儀をしれり。たとひ捉虚空の好手なりとも、虚空の内外を参学すべし。虚空の殺活を参学すべし。虚空の軽重をしるべし。仏々祖々の功夫辦道、発心修証、道取問取、すなはち捉虚空なると保任すべし。

経豪

  • 是も「聊か捉虚空の威儀を知りたれども、虚空の内外、虚空の殺活、虚空の軽重等を知るべし」とあれば、是等は不知案内にて、如形一分は知りたりと御釈の面は聞こゆ、如前云虚空の理共のある事の余れる所を重ねて被述也と可心得。文の面に其詞のなき所を、不知とも不会取とも、此の理を不辦や否とも云えども、是は一向非下。此の詞の理の響く所こそ今一に釈し表わさるる道理ともなれ、但可依祖師様也。如宗杲一向被下りて如此云わるる所も可有也。依祖師随所可分別なり。打ち任せては「虚空の内外、虚空の軽重」などと云う事は、教家には不可談事歟。「仏々祖々功夫辦道、発心修証道取聞声等、、併捉虚空也と保任すべし」と云うは、所詮虚空ならぬ一法不可有と可参学也。

 

先師天童古仏道、渾身似口掛虚空。あきらかにしりぬ、虚空の渾身は虚空にかかれり。

経豪

  • 是は風鈴の頌也、風鈴の姿則虚空也。故に「虚空渾身は虚空にかかれり」とは云うなり。

 

洪州西山亮座主、因参馬祖。祖問、講什麼経。師曰、心経。祖曰、将什麼講。師曰、将心講。祖曰、心如工伎児、意如和伎者。六識為伴侶、争解講得経。師曰、心既講不得、莫是虚空講得麼。祖曰、却是虚空講得。師払袖而退。祖召云、座主。師廻首。祖曰、従生至老、只是這箇。師因而有省。遂隱西山、更無消息。

しかあればすなはち、仏祖はともに講経者なり。講経はかならず虚空なり。虚空にあらざれば一経をも講ずることをえざるなり。心経を講ずるにも、身経を講ずるにも、ともに虚空をもて講ずるなり。虚空をもて思量を現成し、不思量を現成せり。有師智をなし、無師智をなす。生知をなし、学而知をなす、ともに虚空なり。作仏作祖、おなじく虚空なるべし。

詮慧 亮座主段。

〇「隱西山更無消息、講経の間には心経と云う、何を以て講ずるぞと問いには、心を以て講ず」と云う。而心意識を工伎児・和伎者伴侶などと嫌わる。此の時は心意識をば不用とこそ云うべきに、虚空講じ得しやと云いつる時に、心意識より外の心をば亮座主知らざりける程顕然なり。祖の虚空講得せんと云う。終わりは不用して「払袖して退、従生至老只是這箇」の詞に省悟すとは云えども、其証據又不聞虚空にあらざれば、一経をも講ずる事を得ずと云う。「有師智を為し無師智を為す」と云うは、これただ有無の義也。「生知を為し学而知を為すともに虚空也、作仏作祖同じく虚空なるべし」と云うにて可心得。「従生至老」とは虚空也

経豪

  • 此の亮座主もとは講者なり、参馬祖下、旨を得たりし人也。問答の詞文に具なり。「祖なに経を講ずるぞ」と被問、折節心経をば被講けるに、ありのままに「心経」と被答たりけり。此の「什麽経」の問も、例のひたすらに不審の詞と不可心得。是什麽物恁麽来程の心地なるべし、其に「心経」と被答。是は嵩山安国師のもとより来たれりと、すぐに心得て被答し程の詞歟。此の答に付けて、祖重ねて「将什麽講ずる」ぞと被問、是も打ち任せて重問とは不可心得。其に「師将心講」と被答。実にも心を以て講ずとあり、是如尋常。又「祖曰、心如工伎児、意如和伎者。六識為伴侶、争解講得経」。工伎児・和伎者とは、世間にある、てくくつし(てずまし?)なまた(?)風情の物を云う歟。此の心一境に留まらず、如此物狂也。「六識を為伴侶心にては、争か経を講得すべきと也、其に師心すでに講不得ならば、虚空講得すべしや麽」と云うに付けて、「祖又曰、却是虚空講得せん、師、此の詞を不心得して払袖して退くを、祖召云、座主。師廻首す」と云うは、被召て帰来也。其時祖重日「従生至老、只是這箇」とあり。是は此の詞は只これ是也と云う也。一切諸法の道理、只這箇の理ならずと云う事なし。生も全機生、老も全機老なるべし。師、此の詞によりて有省とて、さとりを得て後、不及化道長老して、一寺にて振る舞う事もなくて、隠西山のち、総いかになりたりと、終不聞定子細ありけん。
  • 如御釈。所詮今の意趣は、「講経」と云うも「心経」と云うも、「身経」と云うも乃至「思量不思量」も、「有師智無師智」、「生知学而知共に、虚空を以て講ずるなり」と云う也。其と云うは、彼等の各々の姿、皆虚空なる故也。今は虚空にあらざる一法不可有、此の上は作仏祖虚空なるべき、道理可不審。

 

第二十一祖、婆修盤頭尊者道、心同虚空界、示等虚空法。証得虚空時、無是無非法。

経豪

  • 「心同虚空界」とあり、此の詞さぞかしと覚えたり。但是も打ち任せて我等が心得たるように、「心」と云えば凡夫大所具の第六の意識が、虚空の体のように、「うつけうつけ」としたる空の様に心得んは、可背今理也。是則三界唯心の心なるべし。此の「心」虚空なるべき故に如此云也。「示等虚空法、証得虚空時、無是無非法」とは、示等とは誰に何か示すべきぞ、証得虚空の時、実(に)無是無非法なるべし。此御釈委在左。

 

いま壁面人と人面壁と、相逢相見する墻壁心枯木心、これはこれ虚空界なり。応以此身得度者、即現此身、而為説法、これ示等虚空法なり。応以佗身得度者、即現佗身、而為説法、これ示等虚空法なり。

被十二時使、および使得十二時、これ証得虚空時なり。

石頭大底大、石頭小底小、これ無是無非法なり。

かくのごとくの虚空、しばらくこれを正法眼蔵槃妙心と参究するのみなり。

詮慧 第二十一祖段―墻壁心枯木心是虚空界也。如文。

〇「応以此身得度者―これ示等虚空法なり。応以他身得度者―これ示等虚空法なり」。心を虚空界に同じと云えば例えと聞こゆ。三界唯一心ならんには同じと喩うべきなし、是非心のなきには非ず。「虚空に等しむ」と云うは、心虚空なる事を云うなり。「証得虚空の時」は無是非にをこそあれ、是非を思うべからず、と云うにてなし。「示等虚空法、被十二時使及び使得十二時」、これ証得虚空法なり。

〇「石頭大底大、石頭小底小、これ無是無非法なり。如此なる虚空しばらくこれを正法眼蔵」と云う。このしばらくと云うは、又這裏是什麽処在の心地なり。虚空と正法眼蔵との問いかにと定め難し。

経豪

  • 「壁面人」とは初祖の御事歟、壁面九年し給いし御姿を指す也。「壁面人と人面壁」と云うは、只打ち返して云う許也。さらに変わり目なきなり、此れを「相逢相見」とは仕うなり。相対の義にあらず、此事先々事旧了。「墻壁心枯木心」同(じく)是虚空なるべし。「応以此身得度者」の詞(は)、『観音品』(の)詞也。かの体は別にして、彼に対して可得度者には、現彼身とあり、如此談ずれば能所彼此を不離也。是は「応以此身得度者、即現此身而為説法」とあれば能所もなし、彼此も置かれざる也。只是這箇の詞と同じき也。「示等虚空」の詞は、両人ありて、是も彼に示等すと聞こえたり、又被心得ぬべし。故に此の「示等虚空」の詞は、応以此身得度者の道理程に心得るべしと被釈也。又「応以他身得度者」等の文、是も如此身得度者、「此身」の時は此身の外、又交物不可有。「他身」と云わん時、又他身の外に余物不交道理なるべし。此の理を以て「示等虚空法」とは云う也。前の示等虚空法を被釈詞也。
  • 「十二時に使われ、十二時を使得する姿、証得虚空時なるべし」。此十二時則虚空なる故に使わると云うも、使うと云うも「壁面人・人面壁」程の心なるべし。此の道理を「証得虚空時」とは可談。「証得虚空時」と云えば、人有りて虚空理を証得すと聞こゆ、非爾。是は先程の婆修盤頭尊者の詞を一一被釈也。
  • 是は深山の懸岸に有仏性やと問せし答、如何に是深山の仏法と重問の答に、「石頭大底大・石頭小底小」と答たりき、其詞を被引出也。是は必ず石が大切なるべきにあらず、何物也とは不可相違、今の道理あるべき也。只大は大、小は小なるべし。「頭」と云う字も、ここには強不可大切。
  • 如御釈。所詮虚空ならぬ一法なき道理の上に、今蹔又、「正法眼蔵涅槃妙心」を虚空と可談なり、非可疑なり。

虚空(終)

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。