正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

『正法眼蔵』「現成公案」の巻の主題について 石 井 清 純

正法眼蔵』「現成公案」の巻の主題について

石 井 清 純

 

はじめに

 

正法眼蔵』「現成公案」の巻は、天福元年(一二三三)八月に著された。道元禅師の著作の中でも初期の選述にあたる。そして、この巻が七十五巻本の第一番目に位置し、かつ『正法眼蔵聞書抄』(聞書部分)が 「今ノ七十五帖ツラネラル、一々ノ草子ノ名字ヲアゲテ現成公按トモ云べシ」(『永平正法眼蔵蒐書大成』巻十一、八頁)とあることにより、この巻は、『辨道話』および「仏性」の巻とともに、『正法眼蔵』参究の中心的位置を担ってきた。(1)

その解釈方法は、主に、前述の『正法眼蔵聞書抄』の註釈を基調に展開しているが、この巻に関しては、近年になって、それに擬議が呈され、伝統的解釈に捕われない新たな解釈が試みられている。(2)

本論は、それらの思潮を意識しつつ、この巻の内容について、筆者なりの提言を試みることを目的としたものである。

 

 

「現成公案」巻の本文の解釈に入る前に、まずここで、その題名である「現成公案」の語の意味について考察してみることにしたい。

このような語釈については、すでに多くの論考がなされているので、まず以下にそれらの内容を挙けつつ、吟味確認する形で論を進めて行くこととしたい。

管見によれば、その嚆矢となるのが、古田紹欽博士「現成公案の意義」(『印度学仏教学研究』五ー一、一九五七年)である。

古田博士は、ここにおいて「現成公案」を、「意味内容は必ずしも明確ではないが(中略)無媒介にただちに悟入しなければならない端的のところを指示しているものと解されよう」とされる。そしてさらに、これを公案解釈の本来的な在り方とし、その対極に位置する「古則公案」という捉え方を、宋代以降の看話禅の展開の中に見るという立場を取っているのである。

この解釈は、その後の論考においても踏襲されているといえよう。

 

たとえば、鏡島元隆博士は『講座道元道元の生涯と思想』第一章「道元の思想」第三節「現成公案の意味」 (春秋社、 一九七九年)において、これを「公案とは、道元禅師の意味においては古則公案の意味ではなく、動かすことができない規範、法則、真理という意味である。従って、現成公案とは、見成せるものはすべて絶対の真理である、ということである」(一三頁)とされ、また、「すべてのものは一時のすがたであり、仮りのすがたであって、夢幻空華のごときものであるが、現成公案からすれば、この一時のすがたのほかに永遠はなく、仮りのすがたのほかに真実はないのである」(二一頁)とされていることにより明らかである。

その他にも、たとえば高崎直道博士は、『仏教の思想十一古仏のまねび<道元>』 (角川書店、一九六九年、一三九頁)において、これを『華厳経』の「法界」と同様の意味を持つとされているが、これも「顕現しているものの真実性」をこの語が示していると捉えた表現であろうし、また原田弘道氏「公案理解の一視点ー古則公案と現成公案ー」(『印度学仏教

学研究』三〇ー二、一九八二年)も、「むしろ証の無自性を介して、機縁である修(成仏)自体が、根拠としての実在性を持ったものとして自覚されてくる。そこに証と修が可逆的な相即において把握されてくるという意味で、固定的修証格別の看話禅の「古則公案」を突き抜けた独自の公案「現成公案」の世界へと展開していくのである」と、その修の段階における実在性を示したものとされている。

以上のように見ると、「現成公案」の語は、無条件に真理の当体の顕現として捉えられている印象を受ける。

じつにこのような解釈は、古田論文を受けたと共に、『正法眼蔵聞書抄』の語釈をも意識したものといえる。すなわち、そこにおいては、「公案」は「公府の案犢」の略であり、転じることのない真理と解釈され、それが絶対的に現前する様が「現成公案」であると定義付けられているのである。(3)

しかしはたして、道元禅師の用例に検討して、この解釈が妥当なものなのであろうか。

 

このことについて、まず、中国における用法について考察してみる。いまここでは、もっとも注目すべき一例のみを示すことにする。

それは、『古尊宿語録』「仏眼清遠語録」に見える次の一節である。

不見古人問。如何是祖師西来意。尊宿大驚日。作問他西来意作麼。何不問休自己意。如何是自己意。日当観密作用。如何是密作用。尊宿以目開合示之。古人多少苦口。後来子孫又不恁麼也。入門来便喝。更無如何若何。生怕休明不得。有恁麼一件事。何不識取。諸方愛教人看公案。我者裏現成 公案好看。莫教看破大小大事。 諸人十二時中祗是妄想塵労心念。智慧末能発生。所有流布皆従意思中来。要作何用。智慧如日出無不開朗。喚作無分別智現前。 須得恁麼一回了。従此去有著脚手処。 有与休語言分。若是妄想塵労。山僧於作無著脚手処。好笑好笑。

(卍続一一八・二八一a)

 

この普説では、傍線部に見えるとおり、はっきりと「現成公案」と「看公案」とが対置されている。円悟の兄弟弟子である仏眼よりこのような発言がなされているということは、いわゆるの公案禅の隆盛に対する反発の意を含んでいるとも考えられるが、では、その意味付けがどのような形でなされているかといえば、それは末尾の破線部に見えるような「自己の密作用の直指」 「無分別智の現前」という、 自己の本来性の開顕の方向を示していると思われる。すなわちこれは、むしろ古則によらない見性とでもいうべきものであろう。

それでは、 それに対して道元禅師の用例の独自性は、 どのようなところに存在するのであろうか。

これについては、 すでに先の古田論文において指摘されている。

それはすなわち、道元禅師がこの語を「~する」と動詞化したところに見いだそうとするものなのであるが、では、それがなにゆえであるかは明示されていない。

よって、いまここでは、この古田博士のご指摘と、右に見た諸論考を意識しつつ、『正法眼蔵』各巻において、この「現成公案」という語がどのような文脈で用いられるのかを見てゆくことにしたい。

まず、 それらを列挙してみる。

  • 「現成公案」の巻(春秋社版『道元禅師全集』巻一、五頁。以下、本書よりの引用は、書名を省略し巻数・頁数のみ記す) しかあるを、水をきわめ、そらをきわめてのち、水 ・そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにも、みちをうべからず、ところをうべからず。 このところをうれば、この行李したがひて現成公案す。 このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり。
  • 「諸悪莫作」の巻(巻一、三四八頁)

衆善、有・無・色・空等にあらず、ただ奉行なるのみなり。いづれのところの現成、いづれの時の現成も、かならず奉行なり。この奉行に、 かならず衆善の現成あり。奉行の現成、これ公案なりといふとも、生減にあらず、因縁にあらず。 (中略) この善の因果、おなじく奉行の現成公案なり。因はさき、果はのちなるにあらざれども、因円満し、因円満す。

  • 「密語」 の巻(巻一、四八九頁)

諸仏之所護念の大道を見成公案するに、如亦如是、吾亦如是、善自護持、いまに証契せり。

  • 「無情説法」 の巻(巻二、二頁)

説法於説法するは、仏祖付属於仏祖の見成公案なり。この説法は法説なり。有情にあらず、無情にあらず、有為にあらず、為にあらず、有為・無為の因縁にあらず、従縁起の法にあらず。しかれども鳥道に不行なり、仏衆に為与す。

  • 「十方」の巻(巻二、九五頁)

尽十方界、是自己光明

自己とは、父母未生已前の鼻孔なり。鼻孔あやまりて自己の手裏にあるを、尽十方界といふ。しかあるに、自己現成して、現成公案なり、開殿見仏なり。

  • 「三界唯心」の巻(巻一、四四四頁)

今此三界は、三界の所見なり。いはゆる所見は、見於三界な 。見於三界は、見成三界なり。三界見成なり、現成公案なり。

 

以上が、「現成公案」あるいは「見成公案」という四字熟語の用いられた例である。

まず①であるが、これは、人の行為を、鳥が飛び魚が泳ぐことに譬えた比喩の結びである。水・空の全体を究めてから行こうとすると、そのゆくべき「みち」と「ところ」を得ることができない、としたあと、 それを得れば、その行為に応じて(鳥魚が)現成公案する、とされる。 これは、その前段にある「ただ用大のときは使大なり、要小のときは使小なり。」 (巻一、五頁)を受けたものと考えられ、それゆえ、「現成公案」は、その一部分として、鳥・魚が「行為」によって自己を表現し得たことを示していることになると思われる。

なお、この部分は本論の主題に直結する一節であり、後に今一度具体的に触れることにしたい。

次に② であるが、まず、後半部の傍線部は、因と果が、ともに「奉行」の「現成公案」でありながら、それぞれ別箇に円満しているとする。すなわちこれも、限定されたなんらかの行為によって表現される「いま」が、その前後の時間的経過から孤立して完成したものであることを意味しているのではないであろうか。

さて、その後の③から⑥であるが、まず、ここに見える「現成公案」の語の統括的な解釈を試みると、それは「表現する」あるいは「体現する」という訳語がもっとも適切なのではないかと考えられる。

たとえば③は、「諸仏の護念してきたところの大道」を「吾亦如是云々」という六祖の言葉で、④は「仏祖が仏祖に附属してきたこと」を「無情説法」で、そして⑤は「尽十方界」を「自己」でと、それぞれ「普遍的仏法」とも呼べるものを、ある限定された現象で具体的に表現するときに、このの語が用いられていると考えられるのである。

  • も、⑤と同様の展開を示しているといえよう。

これは、従来より指摘されている、「今ここが真実である」という「現成公案」 の語釈とかなり類似したものである印象を受ける。但しここで注意しなければならないのは、それが無条件に、仏法全体と同一視されたものではないと思われることである。

これは、基本的に『正法眼蔵』「現成公案」の巻の基本コンセプトと一致するものと考えられるが、①の鳥魚の譬えからも理解できるとおり、それはあくまで、全体的理解ではなく、その理解を前提とした「部分」と捉えるべきものであろう。

 

これをさらに明確にする意味から、次に『永平広録』巻一・第六〇上堂を見てみることにしたい。そこには以下のように示されている。

上堂。云。諸人直須弁肯箇見成公案。作麼生是見成公案。便是十方諸仏古今諸祖是矣。而今現成。諸人見也麼。而今掲簾放簾、上牀下牀是矣。好箇見成公案、諸人為甚不会不参。山僧今日、不惜性命、不惜眉毛、為諸人再説、為諸人重説。卓挂杖一下便下座。 (巻三・四〇頁)

 

ここにおいて「見成公案」は諸仏祖そのものとされる。そしてそれは最終的に、具体的な坐禅の作法へと収東されているのである。

このように、「現成公案」ひいては「仏祖」を弁別肯定することを、具体的な自己の坐禅へと収束せしめることは、僧堂行持の一環としての上堂という、この資料の性格のよるところが大であるといわざるを得ない。しかし、それでも、この「現成公案」が、はっきりと自己における仏祖の展開という形で示されていることは注目すべきであろう。

以上、道元禅師の著作における「現成公案」の用例を吟味すると、道元禅師の「現成公案」とは、仏眼のそれとは大分ニュアンスを異とし、基本的には、ある全体的状況を、具体的な一事象を以て表現することを意味するものとして用いられているといえよう。

つまるところそれは、時間的・空間的に制限された状況を、ある具体的現象(行為)によって表現する(自己に収束する) とき、それが暫定的に全体に波及するものと捉えることを意味するのではないであろうか。それゆえ、それは動詞として用いることができるようになる。それが古田博士の指摘される「現成公案」の動詞化、という禅師の用法の独自性を生んだものと思われるのである。

この意味からすれば、「いまここに現前するものこそが真理である」という解釈は成立しうる。しかしそれは、繰り返しになるが、 けっして安易な全体肯定であるとは考えられない。それはあくまで、全体的認識ではないという自覚を全提としたものと捉えるべきであろう。そこには安易な全体肯定の入り込む余地は存在しえないのである。そこが、道元禅師の用法の独自性ということになると思われるのである。

 

二、「現成公案」の巻後半部の解釈

 

以上、「現成公案」の語釈について私見を呈示したのであるが、この解釈は、『正法眼蔵』 「現成公案」の巻の内容に大きく引かれた部分が存在していることは否定できない。そのひとつが、「一方を証すれば一方はくらし」 (巻一、三頁) という一節の存在である。

いまここで、この言葉を定義するには、当然「現成公案」の巻全体の再解釈が必要となってくるのであるが、まずここでは、道元禅師がこの巻で最終的に言わんとされたことが、端的に示されていると思われる後半部分の解釈について、少しく論じてみることとしたい。

ここで言う「後半部」とは、「人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、 水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる」 (巻一、四頁)以降を指すものである。

 

さて、この後半部の解釈に関して注目すべき考察をされるのが、朝日隆氏の「『正法眼蔵現成公案』の新しい読み方」(『宗学研究』三七号、一九九五年)なのである。

朝日氏は、その論中において、特に「現成公案」の語が後半部に集中的に用いられることに注目し、次のような推論を示している。

 

(現成公案巻の)後編のみに、「現成公案」「現成」「見成」という語が集中的に出てくるのは、道元禅師が、現成公案と行の一体性を重要視し、現成公案である修を欠くことができないと強く主張されんが為だったからではないのか。

とすれば。我々が『現成公案』を読むに際して、冒頭から読み始めるだけでなく、いったん、後半に焦点を当てて読み、そこから、前篇に遡って読む、このような読み方も、一つの工夫ではないだろうか。 (カッコ内は筆者)

 

これは「現成公案」と「修」を結びつけられているという点で、きわめて重要である。そしてさらに、この巻の前後を逆転して読むことの有効性を示唆される。

筆者は、朝日氏とまったく同意見である。

このほか、「現成公案」と修を直結させた論考に、吉津宜英博士註2論文がある。(4)

 

さて、その後半部において示される主題が、どのようなものであるのかということであるが、まずここで、結論を先取りする形になるが、私見を呈示しておくことにしたい。

それはつまり、この巻は、『正法眼蔵』において、『箭喩経』に比するべき役割を担っていたのではないかというものである。

『箭喩経』は、いたずらに、釈尊に真諦の理の開筵を求め、それがなされない限り梵行を修すること能わずとする鬘童子に対し、毒矢をいられた人が、それを抜く前に、その由来を知ろうとすると、それでは一切を知りうる前に命終わるであろうことに喩え、まず四諦を行ずべきことを説いたものとされるものである。(5)

筆者は、この「現成公案」の巻は、最終的にこの経典に類する、全体的知的理解を前提としない「行」の存在と、その重要性を強調したものと捉えられると考えている。

これは、この巻が、天福元年(一二三三)という、道元禅師の弘法活動の初期に、かつ楊光秀という、禅師の会下に常駐していない太宰府の在俗の弟子に、個人的に与えられたものであるという、この書の選述当時の性格と照らしても、あながち突飛な発想とは思われない。(6)

さて、いかなる理由によって、このような結論を導き出すことが可能となったかということであるが、それが、後半部の一貫した内容となっていると思われるのである。

そして、この後半部の内容について、詳細かつ示唆に富む論考を展開されるのが、朝日氏前掲論文なのである。

 

いまここでは、それを受けつつ、前段において考察した「現成公案」という単語の意味付けとの関連を意識しつつ、順次「現成公案」の巻の内容について考察してゆくこととしたい。

まず、「人の、さとりをうる、水に月のやどるがごとし。」 (巻一、四頁)以下のさとりの定義であるが、ここにおいて禅師は、月の水に映る様をもって例えている。これは、月の光をさとりと捉えれば、その遍満性を主張しつつ、それが本質的変化を伴うものではないことを示したものとされる点において、悟りに対する極めて禅宗的な把握がなされているといえるが、ここでさらに注目しなければならないのは、あくまで「水に映る月」という「悟」は、月そのものではありえないということである。

だとすれば、「さとり」というものが、単純に、悟る主体と一体であるとすることは否定されなければならない。それを示したものが、次段⑧の「身心に、法いまだ参飽せざるには、法すでにたれりとおぼゅ。法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。」(同右)以下ということになろう。

これはその後の、船で山なき海中に出たときの喩えを見れば明らかであるが、自己の認識が(たとえそれが悟りを前提としていたとしても)全体認識ではないことを示していると解釈できよう。

さらに、「かたはらのみかくのごとくあるにあらず、直下も一滴もしかある、としるべし。」 という一節をもって、それが、前段の水月に譬えた「悟り」に直結していることを再説している。これはつまり、単なる自己の周辺の事象に限定して解釈してしまう可能性を、 未然に防ぐ意味合いも有していよう。

そしてそれを行動原理へと展開してゆくのが、次段⑨の鳥魚の比喩である。これについては、前節において少し触れたが、ある意味では、この巻の帰着点ともなると思われる。そこにおいて示されるのは、すなわち、前段までにおいて定義された自己表現としての「悟り」 (それはすなわち全体認識ではないことを自覚することとであったが)を体現することは、 部分(自己の必要とする範囲)での「行為」 によ ってのみ、 それが可能となることを主張したものといえるのではないであろうか。

つまりこの段の論旨は次のように要約できよう。

 

鳥は空を飛び、魚は水の中を泳ぐが、それは際限のない空間である。しかし彼らはその全体像を把握しているわけではない。全体を把握してから飛び、泳ぐという行動を起こそうとしたら、それはそれを行う方法を理解することも、場所を得ることも不可能となる。

それ(行動する場所)を得るということは、行動によって「現成公案」とすることであり、行動による「現成公案」なのである。

さらにこれを人間の仏の道の修業に当てはめると、「得一法通一法なり、偶一行修一行なり。」となる。つまり仏法全体ではなく、自己の遭遇した一法に通暁し、一行を専修する、それがわずかな「部分」であったとしても、認識できる際限がはっきりしない、 (つまりその「きわ」を認識できていない)ということを認識するのが、仏法を求めることと同参するのである、と。

この段における論理展開が、筆者には、極めて『箭喩経』に近いものである印象を受けるのである。

すなわち、自己のいる世界というものを理解することが仏法の証究である、つまりすべてを理解しうることを、あくまでの究極的目標として設定しはするものの、そこに至る前段階において、認識不可能な部分 (道元禅師のいう水平線の向こう側の海徳・山徳)が歴然と存在していることを認識しつつ、なんらかの形でそこへ向かって歩むという行為を行うべきことを示していると考えられるのである。

ただ、単にここにとどまれば、それは、単なる行為(修)による全体理解(証)。への歩み寄りという、始覚門的修証観に留まってしまうことになる。

じつに、そのような解釈に堕することを未然に防ぐのが、先に見た「現成公案」の論理ということになるのではないであろうか。

そのことが再度示されるのが、先の引用のまとめとして位置する次の一節と思われる。

得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。証究すみやかに現成すといへども、密有かならずしも見成にあらず。見成これ何必なり。 (巻一、六頁)

 

つまるところ、すべてを知覚することは不可能であって、その状態においても「証究」することはあっても、それが全体現成ではなく、むしろ、それは不必要であるとするのである。

そしてそれが、末尾の「宝徹無処不周」の話によって例示され、結びとなっている。

しかし何ゆえに、修証に関して、一度、絶対的に肯定した諸法を、部分的に切り取って再評価するという、複雑な手順を踏んで修証観が展開されなければならないのであろうか。

筆者は、これを、禅師があくまで本覚的立場に立ちつつ、そこに修行という行為を絶対的必要条件として介在させようとしたからに他ならないと考える。

つまりこれが、「本来仏である」 ことを主張するあまり、修行不能に陥った本覚法門、あるいは、宋朝禅の弊風を打破し、逆にそれを、仏の教えと等しく生きるための行動原理として展開せしめるための、禅師の努力の結果といえるのではないであろうか。

そのためには、「本証」の捉え方も、安易な全体肯定であってはならないのであって、それを強調すること、そして、そのような状況下にあっても、自己自身の存在の範囲において、 その「仏」との同一性を確認するという意味においての修証の必要性を強調することが、 この巻後半の、ひいては、この「現成公案」の巻における主題ということになるのでないであろうか。

 

三、「一方を証するときは一方はくらし」について

以上、「現成公案」の巻後半部について考察してきたのであるが、右に示した解釈をするにあたって、従来より種々に論じられている「一方を証するときは一方はくらし」という前半部の一節の解釈が、大きく関与していることは否めない。

そこで、ここで、その一節及び前半部の問題となる箇所について、 私見を呈示することにする。まず問題となるのは次の一節である。

身心を挙して色を見取し、身心を挙して声を聴取するに、したしく会取すれども、かがみにかげをやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず一方を証するときは一方はくらし。 (巻一、二頁)

この末尾傍線部について、相対する二種の解釈が存在する。まず第一は、伊藤秀憲氏「一方を証すれば一方はくらしの論理」(『駒沢大学仏教学部論集』七号、一九七六年)に代表されるものである。

これは、この一節を、「一方究尽」と同意を示すものとする。すなわち、一つの法が絶対的に完結し、他の諸法を内包している状態を示すものとしてこれを解釈するものであるが、 これは、『正法眼蔵聞書抄』に基づいた、いわゆる伝統的な『正法眼蔵』解釈ともいえるものである。

それに対して異論を唱えたのが、吉津博士註(2)論文である。吉津論文では、「外境を認識するときは、自己の身心によって外境を証明、証得、修証するという一つの方向のみは明らかとなるのでるが、自己の身心の方への他の一方向は暗く、いつまでも自己は不明のままにのこされているのです。」とされる。つまり、ここにいう「くらし」とは、真理に内包されていることをさすのではなく、語彙そのままに、純粋に認識が不十分であることを指すとされるのである。

筆者は、基本的には後者の立場を指示する。しかし、その「くらい」一方をどこに置くかということについては、吉津博士とは逆の立場にある。

すなわち、筆者は、この「一方はくらし」を、自己の認識の及ばない範囲と捉え、かつそれを、山なき海中の譬えに見える、水平線の向こう側、つまり自己より遠いかなたにおくべきものと考えるのである。

確かに、「山なき海中」の喩えにおいて、「自心自性は常住なるとあやまる」とあるのを見れば、「自己がくらい」 ことをさすかのように捉えられるが、じつはここでは、その自己を認識済みである状態の上に、「くらい」何かを想定しているのである。とすれば、「一方を証するとき」の一方が、この「自己」に当たることになろう。だとすれば、「くらい」のは、 「のこれる海徳山徳」、すなわち、認識能力を超えた彼方の事象と捉えるべきものと考えることによる。

さらに、ここから「水」と「月」の喩えについて考えてみることにしたい。

 

この水月の喩えは、この巻に二か所に使用されている。

第一は、右の引用中の波線部であり、いま一つは、前節にて考察した、後半部の「悟り」 の定義の際に用いられているのであるが、この両者が、一見するとまったく逆の表現をしているかのように見受けられるところが、従来より問題とされていた。

というよりも、むしろこれらは、同じ「水」と「月」 の喩えであっても、それぞれ表現するところは相違していて、まったく逆の「悟り」と「迷い」の状態を譬えたものとされてきたのである。

しかし、 はたしてそのように捉えられるものなのであろうか。

すなわち、「現成公案」という一巻の著作の中において、かつ先にも触れた、在俗の弟子に「書き与えた」著述の中において、全く同じ「水 」と「月」との喩えを逆の意味に用いることは、極めて不自然であるといわざるを得ない。

またさらに、右の引用に明らかなように、初出の部分においては、なんら具体的な解説文は付されておらず、極めて簡潔な表現を取っている。これは、明らかに、後段に再度同じ比喩を用いることを意識し、それを踏まえつつ行われたものと解釈できよう。

ともかく、この二箇所の水月の喩は、同一内容として捉えるべきであろう。

では、それはどのように解釈することによって可能となるであろうか。ここでポイントとなるのは、先の引用の直前に位置する次の一節である。

自己をはこびて万法を修証すると迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。 (中略)諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず。 しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく。 (巻一、二頁)

 

ここで示される「自己をはこぶ」と、先の「身心を挙す」とは、どちらも自分の側から、対象世界に働きかけるということであって、同じ状況を指していると考えられる。

そしてこれは、ここにおいて「迷」とされるのである。

後半においては、「悟りとは水と月のようなものである」とされていたのであるから、ここで「迷」と定義される状況が、「水と月とのごとくにあらず」とされる。つまるところ、 この「迷」を、文字どおりに解釈すれば、なんら矛盾なく受け入れられることになるのではないであろうか。

ただし、この「迷」について、従来は、文字どおりの否定的表現とはされていなかった。 それは多分に、「身心を挙す」という表現が、いかにも積極的な修証観を示しているように受け取られることによると思われる。

確かにこれは、自己の積極的行為を示しているであろう。しかし、それがなぜ否定されなければならないかというと、それが、万法を「したしく会取見取」することを目的としたものとなるからではないであろうか。

すなわち、ここに示される「自己をはこぶ」あるいは「身心を挙す」こととは、右の引用の傍線部に反して、「自己を諸仏と覚知しようとする」方向を指しているということになろう。

つまりそれは、前節において考察したように、容易には達成し得ない状況なのであって、そのうえに立って自分の認識能力の限界を認識する、という、後半部の論旨に反して、全体を自己に内包させようとする方向を目指したものとなる。それゆえ、 ここでは退けられたものと解釈することが可能となるのではないであろうか。

このように、後段の論旨へと結びつけて解釈すれば、二箇所の水月の喩は、なんら矛盾なく受け入れられると思われるのである。

 

むすび

 

以上、極めて乱暴な論調であることを意識しつつ、『正法眼蔵』「現成公案」の巻についての私釈を試みたのであるが、結局のところ、この巻の性格は、末尾の「得一法通一法」「遇一行修一行」という、一行専修の論理を導き出すためのものであったと考えられるのである。

ただし、それが、単なる「一法究尽」的な解釈に基づく安易な全体肯定であったとは思われない。むしろ、 自分自身の限界をどのようにして見極めるか、という、極めて冷静な現実把握に基づいたものであると思われるのである。

それはまず、禅師の「現成公案」の語の用例にも示されていよう。本論の第一節において考察したとおり、この語は、道元禅師おいては、基本的には、ある全体的状況を、具体的な一事象を以て表現することを意味していると思われる。

つまるところ、時間的、空間的に制限された状況を、ある具体的現象(行為)によって認識する(自己に収束する) ことを、この語は示していると考えられるのである。

そしてさらにそれは、『正法眼蔵』「現成公案」の巻において、自己を本来的な「仏」として捉えつつ、そこに「修行」を位置づけるための論理として展開されている。というよりも、むしろ説示年代を見れば、この巻の存在によって、禅師はまずこの巻をもって、行動原理を示したといえよう。それが、先の一般論としての「一行専修」であり、延いては、僧堂における「只管打坐」へと集約されていったのではないであろうか。

その具体的形式は、「悟り」さえも、それが自己にかかわる限り、有限な認識の下に存在していると定義することにはじまる。

このような、認識対象外の事象の存在を含みつつ、それが認識されないことを認識しつつ、最終的な全体認識を目指しつつも、当面の部分(自己の命とするところ)を認識するための具体的な方法論を確立することが、暫定的な全体認識(さとり)とする。 それが、 「現成公案」の巻の主題となっているのではないか。

それゆえ筆者は、この巻は、命を落とす前に「とりあえず」箭を抜くべきことを示す『箭喩経』と類似した展開をしていると考えたのである。

ただし、その意味では、「いまここに現前するものこそが真理である」という解釈は成立しうる。しかしそれは、あくまでそれが全体的認識ではないという自覚を全提としたものと捉えるべきものであるがゆえに、そこには安易な全体肯定の入り込む余地はなくなることになろう。

さらに、これによると、道元禅師を含め、すべての人に「完成された悟り」が存在しえなくなってしまう危険性をはらむ。しかし、それは本文の冒頭の一節に示される「一切は仏法としてある(8)」という事実が全提となっているために、一応の「暫定的完結」を意味することが可能となるのではないか。

このように道元禅師は、未完成の状態での暫定的自己肯定を行うことにより、「仏としての行」の存在を位置づけたと考えられるのであるが、もちろんこれは、論中においても触れたように、それをもって最終段階とする安易な現実肯定ではあり得ない。

そこには、『永平広録』巻六・四四六上堂に「必定至尸棄仏之出世而称仏。所以行満劫満也」(巻四・三二頁)とされるような、過去七仏のように「行」と「劫」が満ちる作仏の時

期が設定されていると思われる。ある意味では、これが、こののちの、仮名『正法眼蔵』各巻の撰述動議へと連なるのではなかろうか。

また結果的に、これは未来永劫に無限にシフトして行かざるを得ない内容を含んでいる。これが晩年の著述である十二巻本の「仏に至る前段階としての菩薩」の自覚(拙稿「道元禅師における仏・菩薩・祖の定義について」(『宗学研究』三四号、 一九九二年))として展開してゆくのではないか。すなわち禅師自身を含めた門下・信徒全体に、 現時点での限界と将来的な可能性を示さんとする意向が、それをもって示されたものと考えられるのである。

以上、『正法眼蔵』「現成公案」の巻の内容について、それを禅師の修証の基本的な姿勢を示したものとして解釈を進めてみた。

しかし、これをさらに後の禅師の撰述に結びつけてゆくにあたっては、本論にて割愛した、 「前後際断」という禅師の時間の解釈についての考察は必要不可欠である。

これについては、駒沢大学仏教学会平成九年度第二回定例研究会口論発表(一九九八年六月三〇日)において若干は触れたが、今後さらに稿を改めて考察することとしたい。(9)

 

  

 

管見によれば、 この三巻を『正法眼蔵』の中心的思想を示すものとして重視することは、さほど古いことではない。西有穆山師の『正法眼蔵啓迪』がその嚆矢ではなかろうか。

➁その代表な論考は、吉津宜英博士「「一方を証すれば一方はくらし」の一句の解釈について」(『宗学研究』三五号、 一九九三年)および朝日隆氏「『正法眼蔵現成公案』の新しい読み方」(『宗学研究』三七号、 一九九五年)であろう。この両論考については、後に論中にて詳説する。また、伝統的な「現成公案」の位置づけに疑義を投げ掛けた論考に、黒丸寛之氏「道元禅研究試論」(『駒澤大学禅研究所年報』創刊号、一九九〇年)がある。

➂『永平正法眼蔵蒐書大成』巻十一、 八頁。このほか、『道元禅師全集』巻一における河村孝道博士の頭注にも「現成は現前成就。公案はゆるぎなき真実の意。現にあるすべての存在が、そのさながらの儘にかけがえなき絶対の相(完結態) としてある事実をいう。」(二頁)とあるのも、これを重視した伝統的な註記といえるであろう。

 ➃論中の本分解釈において「このみち、このところをえて修行してゆくのが、現成公案です。」とある。

 ⑤『国訳一切経』 「阿含部」六解題参照。なお、この経の存在については、駒澤短期大学の奥野光賢氏にご教示いただい

⑥この巻に関して吉津博士前出論文も、同様な性格づけをされている。さらにいえば、現在のところ、筆者は七十五巻本を道元禅師の親編とすることを無批判に容認することに抵抗を感じているが、 それにしても、この巻が道元禅への導入に当たるものと捉えるべきものと考えるものである。そして逆に、そのような意味に捉えることによってはじめて、この巻は『正法眼蔵』 (七十五巻本) の第一に置かれたことの意味付けがなされるともいえるのではないであろうか。

  • 正法眼蔵聞書抄』 (語抄部分) には「迷トス悟トスト云モ、只全悟、全迷。 両方ニハ不可心得。悟ニ対シテ迷ヲヲカズ、迷ニ対シテ悟ヲヲカザナリ。」(『永平正法眼蔵蒐書大成』巻十一、一五~六頁)とあって、「悟り」と「迷い」を同列に肯定的に捉えている。そして、たとえば榑林皓堂博士『道元禅の本流』 (大法輪閣、一九八〇年)では、一三〇頁以降において、これは全面的に肯われている。
  • 「現成公案の巻の冒頭に、

「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。

万法ともに我にあらざる時節、まどひなく、さとりなく、諸仏なく、衆生なく、生なく、滅なし。

仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。」(巻一、 二頁)とある。

⑨ 口頭発表時には、松本博士「深信因果について」(『禅思想の批判的研究』第六章、 大蔵出版、 一九九四年)における、「無常とは生と減という性質を以つ、という意味であり刹那減ではない」 (六二六頁〈註四八〉趣意)という解釈と、 星俊道氏「道元禅師における宗教的時間の特質」(『宗学研究』二三号、 一九九一一年) の、二つの法の同一性を、両者の変化量の同一性に見いだそうとする論を合糅した形で推論を展開した。

また、本論は結果的に松本史朗博士が『弾思想の批判的研究』において否定される「仏性修験論」を肯定するものである。口頭発表時に、この点について松本博士自身より質問を受けたものの、明確な返答をなし得なかった。ここに、 筆者は仏性修験論に立ち、その可能性を追及したものが本論であるということを明確に記しておくこととする。そして、それを本覚思想の中において可能とするのが、 禅師の言う「現成公案」的な現実認識ではないかと考えるものである。

 

これは『駒澤大學佛敎學部論集』第二十八號 平成九年十月からの

Pdf資料をワード化したものであり、一部修訂した。

(タイ国にて 二谷 記)