正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵画餅

正法眼蔵第二十四 画餅

    一

諸佛これ證なるゆゑに、諸物これ證なり。しかあれども、一性にあらず、一心にあらず。一性にあらず一心にあらざれども、證のとき、證々さまたげず現成するなり。現成のとき、現々あひ接することなく現成すべし。これ祖宗の端的なり。一異の測度を擧して參學の力量とすることなかれ。このゆゑにいはく、一法纔通萬法通。いふところの一法通は、一法の從來せる面目を奪卻するにあらず、一法を相對せしむるにあらず、一法を無對ならしむるにあらず。無對ならしむるはこれ相礙なり。通をして通の礙なからしむるに、一通これ、萬通これ、なり。一通は一法なり、一法通、これ萬法通なり。

この巻は『空華』巻(寛元元年(1243)三月十日示衆)に説く「仏祖の所乗は空華なるが故に、仏世界および諸仏法、即ちこれ空華なり」さらに「この空華を修行して衣座室をうるなり、得道得果するなり。拈華し瞬目する、みな翳眼空華の現成する公案なり。正法眼蔵涅槃妙心いまに正伝して断絶せざるを翳眼空華と云うなり」(「正法眼蔵」一・二七〇頁・水野・岩波文庫)との語脈に相似するもので、『御抄』に於いても「画餅・空華と等しかるべし」(「註解全書」五・四九九)と云われます。

「諸仏これ証なる故に、諸物これ証なり。しか有れども、一性にあらず、一心にあらず。一性にあらず一心にあらざれども、証の時、証々妨げず現成するなり。現成の時、現々相い接する事なく現成すべし。これ祖宗の端的なり」

この初言が当巻に於ける主要部になるものですが、「諸仏」―「証」―「諸物」の関係は、諸仏は仏と云ったカテゴライズ概念化されたものを示すものではなく、事物・事象界に於ける眼前現成する真実態を諸仏と呼び慣らすもので、これらは分節言語以前の蔵識(アラヤ識)語と云われるものと理解すべきです。

さらにこれらの蔵識語は「証」なる故にと説かれますが、この証は本証あるいは仏性とも云い替えられるもので、本来成仏を意味します。

「諸物」は単なる物質ではなく、この場合は、先の諸仏に内包されるイメージで、法・ダルマと解することで、この諸物にも先ほど同様、本来成仏なる証が付加されるわけです。

先程は、分節言語以前の総称を、蔵識語なる造語で以て説きましたが、これは単なる概念語ではなく、未分節状態の活鱍々なるものですから、「一性」とか「一心」という分類化は出来ないのです。ただし、この性は仏性ではなく心も三界唯心でもありません。

その諸仏・諸物は一性・一心でもないけれども、未分節から意味分節する時を「証」とするなら、その実証する時には、相互に独立分節した事物事象ですから、重々無尽の帝網の如く妨げず現成すると説かれ、さらに相互に接することなく独立する様態を言句を変えて説き、これが仏法の端的つまり的を得たものである事を説くもので、この巻の主観を為すものです。

「一異の測度を挙して参学の力量とする事なかれ。この故に云く、一法纔通万法通。いう処の一法通は、一法の従来せる面目を奪却するにあらず、一法を相対せしむるにあらず、一法を無対ならしむるにあらず。無対ならしむるはこれ相礙なり。通をして通の礙なからしむるに、一通これ、万通これ、なり。一通は一法なり、一法通、これ万法通なり」

「一異」とは、先の諸仏と諸物とが、一つか異なるかの二者択一の手法で以て、修行(参学)の指針(力量)とする事なかれ。と説くものです。

ここで「測度」について考察するに、詮慧和尚が特に記す『聞書』では、「達磨宗には破相論・悟性論・血脈論を立てて、先ず世界の法を破して、正(性)を悟ると云わば、すでに測度なるべし」(「註解全書」五・五三三)と、曾て同門であった達磨宗徒のこだわりを吐露される心情に、原始永平僧団内部の複雑な事情を垣間見る思いです。

ですから、「一通が纔かに通ずれば万通に通ず」との、相対を超克した語句を用い説明されます。説かんとする主意は、「一法が万法であり、万法が一法である」という円環的見方をすれば、一法と万法は互いに対立や相礙と云った、能所の関係は生じない為、「一通これ万通」「一通は一法」「一法通これ万法通」との論述になるものです。

また、この「一通万通」の関係は、『現成公案』巻での「人もし仏道を修証するに、得一法、通一法なり、遇一行修一行なり」(「正法眼蔵」一・五九頁・水野・岩波文庫)にも通底するものです。

 

    二

古佛言、畫餠不充飢。

この道を參學する雲衲霞袂、この十方よりきたれる菩薩聲聞の名位をひとつにせず、かの十方よりきたれる神頭鬼面の皮肉、あつくうすし。これ古佛今佛の學道なりといへども、樹下草庵の活計なり。このゆゑに家業を正傳するに、あるいはいはく、經論の學業は眞智を熏修せしめざるゆゑにしかのごとくいふといひ、あるいは三乘一乘の教學さらに三菩提のみちにあらずといはんとして恁麼いふなりと見解せり。おほよそ假立なる法は眞に用不著なるをいはんとして、恁麼の道取ありと見解する、おほきにあやまるなり。祖宗の功業を正傳せず、佛祖の道取にくらし。この一言をあきらめざらん、たれか餘佛の道取を參究せりと聽許せん。

これから話頭を用いての具体的事例に基づいた拈提に入ります。

「古仏言、画餅不充飢」

この話則は潙山霊祐(771―853)と弟子の香巌智閑(―898)との「試道一句来」の潙山の請に対し自らの「無一言」(「大正蔵」五一・二八四・上)を歎じて云った言句が「画餅は飢えを充たさず」で有ったわけです。

「この道を参学する雲衲霞袂、この十方より来たれる菩薩声聞の名位を一つにせず、かの十方より来たれる神頭鬼面の皮肉、厚く薄し。これ古仏今仏の学道なりと云えども、樹下草庵の活計なり」

「この道」とは、画餅不充飢のことば(道)を参学する雲水は、各地(十方)より来衆する学人は、菩薩僧であったり声聞僧であったりと、名号も位階も一つとして同じ者ではない事を喩えるもので、十方より参集する学者を言い、その中には得力量も居れば未得力量も有るとの言です。

「神頭鬼面」との形容で以て雲衲霞袂を表徴し、それらは面の皮が厚い者も薄い者もと、一様でない有様を言うものです。

これら十方各所からの、古仏今仏の学道とは神頭鬼面と同義語であり、所詮は「画餅不充飢」を役立たずと見る事情を、「樹下草庵の活計」なりと、真の意味解釈には至らぬことを説くものであるが、先程の詮慧和尚の『聞書』では、樹下草庵の活計を「しばらくの方便」(「註解全書」五・五三四)とし、曾ての同釜に対する比喩とも考えられます。

「この故に家業を正伝するに、或いは云く、経論の学業は真智を熏修せしめざる故にしかの如くいうと云い、或いは三乘一乘の教学さらに三菩提の道にあらずと云わんとして恁麼云うなりと見解せり」

経論書を学業とする神頭鬼面の古仏今仏たちには、「画餅」は一時的産物としか理解、知見解会の対象でしかない事を、「真智を熏修せしめず」とも、「三乗(声聞・縁覚・菩薩)や一乗(大乗)の教学」は、つまり指月の指としか解会しない見解であるとの、徹底した学問仏教(平安八宗)批判の文言になります。

「おおよそ仮立なる法は真に用不著なるを云わんとして、恁麼の道取ありと見解する、多きに錯まるなり。祖宗の功業を正伝せず、仏祖の道取に暗し。この一言を明らめざらん、誰か余仏の道取を参究せりと聴許せん」

前述のように、仏法を発展段階的に捉える考えは、見性を求める看話禅をも鳥瞰視した拈提のようにも思われます。

これらの説明を、仮に立てる法(画餅不充飢)は、役立たず(用不著)であるとの見解は錯まりで、祖宗(釈尊)の伝法を正伝せず、仏祖の道取に暗愚なる者が、この一言(画餅)をも明示出来ない学人が、どうして余仏他仏を参究出来ようかとの、強く否認されます。

畫餠不能充飢と道取するは、たとへば、諸惡莫作、衆善奉行と道取するがごとし、是什麼物恁麼來と道取するがごとし、吾常於是切といふがごとし。しばらくかくのごとく參學すべし。

畫餠といふ道取、かつて見來せるともがらすくなし、知及せるものまたくあらず。なにとしてか恁麼しる。從來の一枚二枚の臭皮袋を勘過するに、疑著におよばず、親覲におよばず。たゞ隣談に側耳せずして不管なるがごとし。

ここで先程の話頭に「能」を入れて、再度画餅についての考察ですが、この能を入字するこ

とで、飢を強調し、これが道元禅師の本意だとは、西有老僧(『啓迪』三九九頁)に於いて

の見方ですが、『景徳伝灯録』(「大正蔵」五一・二八四・上)ならびに『聯灯会要』(「続蔵」

七九・七六・下)では「画餅不可充飢」とし、『渓声山色』巻にては「画にかけるもちひは、

うゑをふさぐにたらず」(「正法眼蔵」二・三頁・水野・岩波文庫)と提示されることから、

この「能」は「諸悪莫作・是什麼・吾常於是切」等全体を包蓄することを説かんが為の、「不能充飢」

と考えられます。

画餅不能充飢と道取するは、たとえば、諸悪莫作、衆善奉行と道取するが如し、是什麼物

恁麼来と道取するが如し、吾常於是切と云うが如し。しばらくかくの如く参学すべし」

この画餅不能充飢は「諸悪莫作」・衆善奉行」と同等であると。詳しくは説かれないが、こ

の莫作と不能との対比ですが、『諸悪莫作』巻で説かれる如く「諸悪は莫作にあらず、莫作

なるのみ」(「正法眼蔵」二・二三五頁・水野・岩波文庫)と示されるように、莫作は独立し

たもので有るように、同じように不能も「能わず」ではなく、不能自体が独立した真実底語

で有ることを、言い示すものです。

「是什麼物恁麼来」の什麼も恁麼ともに、限定された事物事象を指すのではなく、「不能

と同じく、全体を表徴した「什麼物・恁麼」と解すれば、画餅不能充飢も一時的事象ではな

く、真実の現成として把握すれば解脱と為すものです。

「吾常於是切」の語法は、僧の「三身中那身説法」に対し、洞山良价が答えたもの(『真字

正法眼蔵』上・五五則)で、概念的な三身法身・報身・応身)ではなく、「眼前現今の切

実」なる説法を、「画餅不能充飢」と重ね合わせの拈提で以て、同期なる事実を参学すべし。

との言表です。

画餅と云う道取、曾て見来せる輩少なし、知及せる者全くあらず。何としてか恁麼知る。

従来の一枚二枚の臭皮袋を勘過するに、疑著に及ばず、親覲に及ばず。たゞ隣談に側耳せず

して不管なるが如し」

これは在宋時代に、「画餅」について言及してみた所が何ら反応が無く、学ぶという気持ち

のない者を称して、「一枚二枚の臭皮袋」と蔑称の意を込めたものです。

畫餠といふは、しるべし、父母所生の面目あり、父母未生の面目あり。米麺をもちゐて作法

せしむる正當恁麼、かならずしも生不生にあらざれども、現成道成の時節なり。去來の見聞

に拘牽せらるゝと參學すべからず。餠を畫する丹雘は、山水を畫する丹雘とひとしかるべし。

いはゆる山水を畫するには青丹をもちゐる。畫餠を畫するには米麺をもちゐる。恁麼なるゆ

ゑに、その所用おなじ、功夫ひとしきなり。しかあればすなはち、いま道著する畫餠といふ

は、一切の糊餠菜餠乳餠燒餠糍餠等、みなこれ畫圖より現成するなり。しるべし、畫等餠等

法等なり。このゆゑに、いま現成するところの諸餠、ともに畫餠なり。このほかに畫餠をも

とむるには、つひにいまだ相逢せず、未拈出なり。一時現なりといへども一時不現なり。し

かあれども、老少の相にあらず、去來の跡にあらざるなり。しかある這頭に、畫餠國土あら

はれ、成立するなり。

この処は画餅に対する形而上的・形而下的説明を、画と餅に分けて説き明かすものです。

画餅と云うは、知るべし、父母所生の面目あり、父母未生の面目あり」

絵画の餅から一気に「父母所生・未生の面目」と、仏法世界に同行を求められる思いですが、

『聞書』では「真言教に父母所生身速証大覚位と云う、此の密教の心地は、一向自胎内所生

する我等を指して云う歟」(「註解全書」五・五三五)と、密教の教理にて註解されますが、

詮慧和尚から嗣法を授受された強豪和尚による註解では、「父母所生の詞、何事ぞと覚たれ

ども、所詮は尽界、皆画餅なる道理也。其の上に尽界を以て、父とも母とも談ずべし」(「註

解全書」五・五〇八)との識見ですが、詮慧和尚は、何故ここで真言密教を例言にし、或い

は先には達磨宗を引き合いに出しての註解でしたが、提唱時に於ける、道元禅師による何ら

かの解説を元に、註解されたものとも考えられます。

また今一つ、現代思想・哲学家である井筒俊彦氏『禅的意識のフィールド構造』(三六九頁)

では父母未生について「禅本来の考え方からすれば、主・客対立における主だけを取り出し

て、それをどこまで追求して行っても、人は本来の面目に出逢うことはない。主・客対立そのものを包み込む全体構造、、すなわち全体の自覚が真の主体性であり、父母未生以前・本来の面目なのである」と、説かれる三者三様による処の紹介に留める。

「米麺を用いて作法せしむる正当恁麼、必ずしも生不生にあらざれども、現成道成の時節なり。去来の見聞に拘牽せらるると参学すべからず」

米麺(餅の材料)を用いて餅を作るわけですが、この場合には糯米が先で餅が後か。と云う事情はなく、前後際断つまり一方究尽となりますから、「生不生」は生じず現成と道成の時節であるが、眼前に去来する事物・事象だけに引きずられる(拘牽)ような参学はしてはいけないのである。

「餅を画する丹雘は、山水を画する丹雘と等しかるべし。いわゆる山水を画するには青丹を用いる。画餅を画するには米麺を用いる。恁麼なるゆ故に、その所用同じ、功夫等しきなり」

具象画であろうが山水画であろうが、その材料である絵具(丹雘)には、何ら相違はないのであるが、次に山水画には青丹、画餅には米麺を用いると言うから混乱するが、詮慧和尚に助力を求めると「仏性のように終始変わらないものの喩えに餅を画すと云い、米麺は絵具ととる也」(「註解全書」五・五三六)と解釈されるが、つまりは米麺を仏性と同義語の解脱語と見取すれば、その山水にしろ画餅にしろ画くという修行(功夫)としては等価である。と説かれます。

「しか有れば即ち、いま道著する画餅と云うは、一切の糊餅菜餅乳餅焼餅糍餅等、みなこれ画図より現成するなり。知るべし、画等餅等法等なり。この故に、いま現成する処の諸餅共に画餅なり」

ここで今一度、画餅に対する認識を再確認する必要があろう。最初にも触れられたが、「画餅は父母所生未生の面目」である事。つまり画餅とは単なる絵画の一部ではなく、修証形態の一位、真実態なる一呼称である事実を認得した上で、画餅とは「糊餅(米粉入り)・菜餅(野菜入り)・乳餅(牛乳入り)・焼餅・糍餅(きび入り)」など、皆これらは画餅(図)の真実底から現成するものですが、因みに「糊餅菜餅」については、『宝慶記』(「曹洞宗全書」下・一〇頁)第二九問いて、如浄の答話として「大乗者七枚菜餅也。小乗者三枚胡餅也」と、さらには『如浄語録』(「大正蔵」四八・一二五・上)では「十月旦上堂ー略ー斎時三枚乳餅、七枚菜餅」との文言が確認されます。

仏法の原則からすると、山水画なども先の糊餅なども等価な存在である。と言われ、さらにこれらの「諸々も餅」という存在も、画餅に包摂することが可能ですが、云うなれば餅が画と為り、画が餅と成るとでも表現しましょうか。これらの各々を『御抄』では「画餅の上の調度荘厳」(「註解全書」五・五百九)と、強豪流の説き方をされます。

「このほかに画餅を求むるには、遂に未だ相逢せず、未拈出なり。一時現なりと云えども一時不現なり。しか有れども、老少の相にあらず、去来の跡にあらざるなり。しかある這頭に、画餅国土現れ、成立するなり」

先に「画等・餅等・法等」の等価性を説きましたが、一法究尽の道理とも言い替え可能で、その現成態を「画餅を他に求めようとも、現成は画餅だけですから、相逢する対象がなく、未拈出と言われますが、画餅究尽の理法を指すものです。

「一時現」と「一時不現」は、分画して説かれるのではなく、現成の一時態から、一時不現も相互に入り込む状況の表意です。

「老少」も「去来」も、世間的意味合いから、一時現は老人で一時不現が少年と、去来も同様に思案しては、これまで考察してきた一法究尽とは噛み合わず、老は老の全機現であり、少は少の全機現で有ることが、前述の「ともに画餅なり」の主旨であり、その処(這頭)に「画餅国土」が表出し、成立する。との微に入り細に入る拈提文です。

不充飢といふは、飢は十二時使にあらざれども、畫餠に相見する便宜あらず。畫餠を喫著するに、つひに飢をやむる功なし。飢に相待せらるゝ餠なし。餠に相待せらるゝ餠あらざるがゆゑに、活計つたはれず、家風つたはれず。飢も一條柱杖なり、横擔豎擔、千變萬化なり。餠も一身心現なり、青黄赤白、長短方圓なり。いま山水を畫するには、青緑丹雘をもちゐ、奇岩怪石をもちゐ、七寶四寶をもちゐる。餠を畫する經営もまたかくのごとし。人を畫するには四大五蘊をもちゐる、佛を畫するには泥龕土塊をもちゐるのみにあらず、三十二相をもちゐる、一莖草をもちゐる、三祇百劫の熏修をももちゐる。かくのごとくして、壱軸の畫佛を圖しきたれるがゆゑに、一切諸佛はみな畫佛なり。一切畫佛はみな諸佛なり。畫佛と畫餠と撿點すべし。いづれか石烏龜、いづれか鐵柱杖なる。いづれか色法、いづれか心法なると、審細に功夫參究すべきなり。恁麼功夫するとき、生死去來はことごとく畫圖なり。無上菩提すなはち畫圖なり。おほよそ法界虚空、いづれも畫圖にあらざるなし。

次に「不充飢」に対する拈提ですが、飢と餅との関係性を示し、話則のまとめとしての箇所になります。

「不充飢と云うは、飢は十二時使にあらざれども、画餅に相見する便宜あらず。画餅を喫著するに、遂に飢を止むる功なし。飢に相待せらるる餅なし。餅に相待せらるる餅あらざるが故に、活計伝われず、家風伝われず」

最初の行句は、「飢」と「画餅」との独立を云うもので、先述での一法究尽の理法から説き明かすものですが、云うなれば『諸悪莫作』巻を例言にすれば、「諸悪なきにあらず、莫作なるのみなり。諸悪は莫作にあらず、莫作なるのみなり」(「正法眼蔵」二・二三五頁・水野・岩波文庫)等を参照すれば、不充飢と画餅との「相見する便宜あらず」の言に連脈するものです。

画餅を喫著する」とは、画餅と表意する真実底・つまり解脱を喫しても、飢を止むる効果がないとは、無所悟の境涯を示すもので、飢と餅との相待関係は、一法究尽と独立した連なりで、単伝法・つまりバトンタッチの如くの伝法ではなく、全機現的仏法を意味しますから「活計伝われず、家風伝われず」と暗喩的述法になります。

「飢も一条拄杖なり、横擔豎擔、千変万化なり。餅も一身心現なり、青黄赤白、長短方円なり。いま山水を画するには、青緑丹雘を用い、奇岩怪石を用い、七宝四宝を用いる。餅を画する経営もまたかくの如し。人を画するには四大五蘊を用いる、仏を画するには泥龕土塊を用いるのみにあらず、三十二相を用いる、一茎草を用いる、三祇百劫の熏修をも用いる」

餅については、先に糊餅・菜餅等を挙げ、一様でない様を説かれましたので、「飢」に対する真実態が「一本(条)の柱杖」であり、その真実態(柱杖)を横に担ったり豎に担ったりと、自由自在「千変万化」なりと、文字語言に対する意味分節を再構築する、典型的禅的手法になります。

さらに「餅」についても、真理の表意としての餅ですから、一ツなる全体(身心)の現成として現れ、その色法を「青黄赤白」との一身心とし、さらに形態は「長短方円」と千変万化なる自由度を与える論述です。

次に山水画を画く具体的な材料として、「青緑丹雘」の顔料や「奇岩怪石」の鉱物、さらに「七宝四宝」の宝玉を用いる。としますが、ラピスラズリを原料とする瑠璃色を表出するには欠かせず、鮮やかな朱の色彩を出すには、水銀朱を含有する土塊が必要になります。

餅を画く経営(いとなみ)も同様であり、また人を画く場合には四大(地・水・火・風の元素)五蘊(色・受・想・行・識の感覚器官)を用い、仏を画くには泥龕土塊(金泥の厨子土偶)だけではなく、三十二相(福徳)や一茎草(丈六金身)、さらには百劫(永遠)の熏修(感化)をも用いて仏を画く。と説かれますが、これらの「飢・餅・山水・人・仏」を画くには、尽十方界に遍在する什麼物をも用いなさいとの拈画になるわけです。

「かくの如くして、壱軸の画仏を図し来たれるが故に、一切諸仏はみな画仏なり。一切画仏はみな諸仏なり。画仏と画餅と撿点すべし。いづれか石烏亀、いづれか鉄拄杖なる。いづれか色法、いづれか心法なると、審細に功夫参究すべきなり。恁麼功夫する時、生死去来はことごとく画図なり。無上菩提すなわち画図なり。おおよそ法界虚空、いづれも画図にあらざるなし」

ここでは「画仏」―「諸仏」=「画餅」の異句同義性を説かれ、画仏と画餅とをチェック(倹点)し、どちらが石造の黒い亀か・どちらが 鉄製の拄杖か。さらに画仏と画餅との関係を、いづれが「色法か心法」かと問われる形式に設定されますが、これまで参究のように一法究尽・全機現的な理法を応用すれば、「石烏亀」も「鉄拄杖」また「色法・心法」もどちらも優劣は無いのでありますが、「審細に功夫参究」すべきなり。との提言です。

このように(恁麼)考察(功夫)する時には、「生死去来・無上菩提・法界虚空」つまりは尽十方界が、「画図」と言う真実底に収斂される事を説く、「画餅不充飢」に対する拈提でした。

 

    三

古佛言、道成白雪千扁去、畫得青山數軸來。

これ大悟話なり。辦道功夫の現成せし道底なり。しかあれば、得道の正當恁麼時は、青山白雪を數軸となづく、畫圖しきたれるなり。一動一靜しかしながら畫圖にあらざるなし。われらがいまの功夫、たゞ畫よりえたるなり。十号三明、これ一軸の畫なり。根力覺道、これ一軸の畫なり。もし畫は實にあらずといはば、萬法みな實にあらず。萬法みな實にあらずは、佛法も實にあらず。佛法もし實なるには、畫餠すなはち實なるべし。

雲門匡眞大師、ちなみに僧とふ、いかにあらんかこれ超佛越祖之談。師いはく、糊餠。

この道取、しづかに功夫すべし。糊餠すでに現成するには、超佛越祖の談を説著する祖師あり、聞著せざる鐵漢あり、聽得する學人あるべし、現成する道著あり。いま糊餠の展事投機、かならずこれ畫餠の二枚三枚なり。超佛越祖の談あり、入佛入魔の分あり。

節が変わり、新たに二則を提起し、画図ならびに画餅に対する拈語になります。

「古仏言、道成白雪千扁去、画得青山数軸来」(古仏言く、道に成じて白雪千扁にして去る、画し得たり青山の数軸として来たる)

この話頭の引用典籍は不明です。『祖堂集』『嘉泰普灯録』『景徳伝灯録』『続灯録』『天聖広灯録』『聯灯会要』他にも多少の語録等を検索してみたが、該当するには叶いません。

「これ大悟話なり。辦道功夫の現成せし道底なり。しか有れば、得道の正当恁麼時は、青山白雪を数軸と名づく、画図し来たれるなり。一動一静しかしながら画図にあらざるなし。我らがいまの功夫、ただ画より得たるなり」

ここでの「大悟話」とは、「白雪千片(扁)去」この眼前現成を大悟の話頭と称ずるもので、そうであるならば得道のその時には、「青山や白雪」の風景事象を、数軸と名付く。と複数に数えますが、前節と同様壱軸と単数に差し変えても支障はなく、青山・白雪を画図と見定める論拠は、前節での「生死去来は悉く画図なり」から導かれ、その論述法より「一動一静」の事物・事象も画図に収斂される。これらの事情を「画図にあらざるなし」と説かれ、その「画」という真実態のハタラキで以て、我らの今の功夫(生活)が有るのである。と画仏ー画餅ー画図ー画と、真実態語を変転させての拈提になりますが、この手法は、『梅花』巻に於ける如浄語である「春在梅花入画図」に対する拈語に当たる「今の春は画図の春なり、入画図の故に」(「正法眼蔵」三・一八〇頁・水野・岩波文庫)に、通底する語脈とも推察されます。

「十号三明、これ一軸の画なり。根力覚道、これ一軸の画なり。もし画は実にあらずと云わば、万法みな実にあらず。万法みな実にあらずは、仏法も実にあらず。仏法もし実なるには、画餅即ち実なるべし」

「十号三明」の十号とは、如来十号(如来・応供・正遍知等)を指し、三明とは天眼・天耳・宿命通を云うもので、これも一軸(条)の画(真実態)であると。

「根力覚道」とは、『三十七品菩提分法』巻にて説き処の五根(信根・精進根・念根・定根・慧根)・五力(信力等々)・七等覚支(択法覚支・喜覚支等々)・八正道(正見道・正思惟道等々)を指すもので、修行(功夫)の細目を云うものです。

この表現は、『宝慶記』に於ける「強ちに大小両乗の所説を嫌うべからず」(「曹洞宗全書」下・四頁)との如浄和尚による言句を想い出されてか、直接自身書き留めたメモ書きなどを参照しての記述とも考えられ、さらに推察するに、これを切っ掛けに後に説く『三十七品菩提分法』巻(寛元二年二月・1244)が成立したとも考えられる。

これまでは、「菩提分法」は小乗法との観点から、ほとんど日本仏教史上では無視されてきましたが、道元禅師の仏法観は小乗・大乗の枠を飛び越えるもので、この所にも壮大な「正法眼蔵構想」が読み取れる気がします。

もしこれらの一箇一箇が真実で無いと云うなら、万法も真実では無くなる。との論述は文意のままに解釈されるものですが、この処で「万法」が引き合いに出される事情は、冒頭部での「一法纔通万法通」との文言を以ての聯関性を意図しての手法で、最後に「画餅すなわち実なるべし」と、画餅は真実底なるもので有るとの結語を以て、「道成白雪千扁去、画得青山数軸来」に対する拈提を終わります。

「雲門匡真大師、因みに僧問う、如何に有らんかこれ超仏越祖之談。師云く、糊餅」

この話頭(超仏越祖)は『雲門広録』上(「大正蔵」四七・五四八・中)に頻出するものですが、「時有僧問、如何是超仏越祖之談、師云餬餅」からの原文を、「いかにあらんかこれ」と和訳し、拈提に臨まれますが、普通は「いかなるかこれ」云々と質問するわけですが、この場合の僧は「超仏越祖」を談じるよう、雲門に迫った感がしないでも有りません。

「この道取、静かに功夫すべし。糊餅すでに現成するには、超仏越祖の談を説著する祖師あり、聞著せざる鉄漢あり、聴得する学人あるべし、現成する道著あり。いま糊餅の展事投機、必ずこれ画餅の二枚三枚なり。超仏越祖の談あり、入仏入魔の分あり」

超仏越祖の談に対する糊餅の云い分を、静かに参究(功夫)しなさい。と言われ、すでに糊餅と云う真実態を現前した状況では、「説著する祖師」は雲門自身・「聞著せざる鉄漢」とは、雲門の「糊餅」を拝聞し、更なる問著をしない僧を礼賛するものです。また、この現場には居合わせず、口伝えに此の超仏越祖の談の因縁が、糊餅との言で得道する学人が居るはずである。との道元禅師による評価であります。

「糊餅の展事投機」とは、僧が超仏越祖の談を展(の)べた事に対し、雲門が示した糊餅と云う真実態の機(ハタラキ)を投じた。現成を云うのであり、その現成の様子を先程の「説著・聞著・聴得」に掛けて、餅の数詞である「二枚三枚」なりと説くのである。この「超仏越祖の談」と「入仏入魔の分」は語言変換しても何ら支障は無く、入仏も入魔も共に等価交換可能な、未分節状態の語字と為ります。

因みに、この話則に対し宏智正覚(1091―1157)の頌古百則(「大正蔵」四八・二五・中)の七十八則には、「頌曰、胡餅云超仏祖談、句中無味若為参、衲僧一日如知飽、方見雲門面不慚」(胡餅を超仏祖の談と云う、句中には味が無く若為(なんとして)参ぜん、衲僧一日如(も)し飽くを知れば、方に見る雲門の面慚じ不るを)が有る。

 

    四

先師道、修竹芭蕉入畫圖。

この道取は、長短を超越せるものの、ともに畫圖の參學ある道取なり。修竹は長竹なり。陰陽の運なりといへども、陰陽をして運ならしむるに、修竹の年月あり。その年月陰陽、はかることうべからざるなり。大聖は陰陽を覰見すといへども、大聖、陰陽を測度する事あたはず。陰陽ともに法等なり、測度等なり、道等なるがゆゑに。いま外道二乘等の心目にかゝはる陰陽にはあらず。これは修竹の陰陽なり、修竹の歩暦なり、修竹の世界なり。修竹の眷屬として十方諸佛あり。しるべし、天地乾坤は修竹の根莖枝葉なり。このゆゑに天地乾坤をして長久ならしむ。大海須彌、盡十方界をして堅牢ならしむ。拄杖竹箆をして一老一不老ならしむ。芭蕉は、地水火風空、心意識智慧を根莖枝葉、花果光色とせるゆゑに、秋風を帶して秋風にやぶる。のこる一塵なし、淨潔といひぬべし。眼裏に筋骨なし、色裡に膠離あらず。當處の解脱あり。なほ速疾に拘牽せられざれば、須臾刹那等の論におよばず。この力量を擧して、地水火風を活計ならしめ、心意識智を大死ならしむ。かるがゆゑに、この家業に春秋冬夏を調度として受業しきたる。

「先師道、修竹芭蕉入画図」

この話頭が当巻に於ける最後の則に当たるものですが、出典は『如浄語録』の再住浄慈録(「大正蔵」四八・一二六・下)からですが、原文は「上堂。六月連三伏。人間似焔爐。且道。如何是衲僧行履処。依稀寒水玉。彷彿冷秋菰。脩竹芭蕉入画図」(旧暦六月(七月中旬から八月上旬)の酷暑の頃、人間も焔爐の焔に似たり。且らく道う、如何是れ衲僧の行履処。

稀に氷の玉や、晩秋の菰の彷彿するを想像するが、修竹や芭蕉の画図に入れ)となります。

如浄の説かんとする趣旨は、『春秋』巻にて説かれる「寒暑到来、如何廻避、熱時熱殺闍梨」(「正法眼蔵」二・三四四頁・水野・岩波文庫)にも通底するもので、叶わぬ願望を望むより、現実に入り込め。との衲僧に対する叱咤激励のようです。

「この道取は、長短を超越せるものの、ともに画図の参学ある道取なり。修竹は長竹なり。陰陽の運なりと云えども、陰陽をして運ならしむるに、修竹の年月あり。その年月陰陽、測ること得べからざるなり」

長は「修竹」を短は「芭蕉」を指すものですが、ここでの芭蕉は、恐らくは水辺に生育する水芭蕉と考えられます。この十メートルの竹も十センチの芭蕉も、一幅の画図に収容される参学のことば(道取)である。との事ですが、この場合の長短は、眼前に現成する真実態を表意しますから能所観は当たらず、「長」は長として、「短」は短としての真実態を画図に収斂する参学がある。との説明です。

「陰陽の運」と説かれ、年月・歳月を云うものですが、前述した本則である「六月連三伏」は、初伏・中伏・未伏の総称であるが、これは陰陽五行説に基づく為に、陰陽の運と説き示すと考えられます。

修竹である長竹の育成は、年月(陰陽)と共に生育するのであるが、その年月の陰陽なるものは、測定不可能である。

「大聖は陰陽を覰見すと云えども、大聖、陰陽を測度する事能わず。陰陽ともに法等なり、測度等なり、道等なるが故に。いま外道二乘等の心目に関わる陰陽にはあらず。これは修竹の陰陽なり、修竹の歩暦なり、修竹の世界なり。修竹の眷属として十方諸仏あり」

「大聖」といわれる学人でも、日月の運行である陰陽は垣間見る(覰見)こと可能であるが、宇宙の運行システムである陰陽それ自体を、測度すること能わずとは、大聖も我々も陰陽も共々、法(ダルマ)の全体性から俯瞰すれば同等であり、さらには測度と云われる客体も、道理なるものまでが同等の域内、つまりは未分節なる根源域に同定されると云ってもいいでしょうか。

この陰陽は、二乗などと称される、自身の感覚意識だけで法界を見極める、陰陽ではないのである。仏法を会得する学人の修竹は、先程言われる如くに「陰陽・歩暦・世界・眷属」としての十方諸仏なのである。謂う所は、解脱語に集約される関係性と為ります。

「知るべし、天地乾坤は修竹の根茎枝葉なり。この故に天地乾坤をして長久ならしむ。大海須弥、尽十方界をして堅牢ならしむ。拄杖竹箆をして一老一不老ならしむ」

「天地乾坤」は陰陽のことですから、前述するように学人の自己の真実態である修竹と、陰陽との同等なる事情を説きますから、「天地乾坤は修竹の根茎枝葉」との同事なる事実を再度唱えます。ですから、天地乾坤自体も眼前現成する真実態ですから、「長久ならしむ」と説かれるわけですが、これをダルマ(法)と呼んでも差し支えありません。

この法(ダルマ)が大海や須弥さらには尽十方界を尽十方界ならしめるを堅牢と文字化し、次には大自然の表象から「拄杖竹箆」なる調度を例示とし、「一老一不老」の語で以て本則「修竹」に対する拈提となります。

芭蕉は、地水火風空、心意識智慧を根茎枝葉、花果光色とせる故に、秋風を帯して秋風にやぶる。残る一塵なし、浄潔と云いぬべし。眼裏に筋骨なし、色裡に膠離あらず。当処の解脱あり」

芭蕉は、地水火風空、心意識智慧を根茎枝葉」は、先の「修竹の眷属として十方諸仏あり、天地乾坤は修竹の根茎枝葉」の対句として設定するものです。

「秋風を帯して秋風にやぶる」の表現は、先に示した如浄のことば「彷彿冷秋菰」の冷秋を参照したものと思われ、「残る一塵なし」は芭蕉の種子の散布状況を述べたもので、その姿を「浄潔・眼裏に筋骨なし・色裡に膠離あらず」と、無所得・無所悟の状態を模して「当処の解脱あり」。と芭蕉に対する評価となります。

「なお速疾に拘牽せられざれば、須臾刹那等の論に及ばず。この力量を挙して、地水火風を活計ならしめ、心意識智を大死ならしむ。かるが故に、この家業に春秋冬夏を調度として受業し来たる」

当処の解脱とは、直下の解脱の意に解せられますから、「速疾・須臾・刹那」等の問題ではないのである。芭蕉のこの解脱の力量に依り、地水火風の四大元素を活性化させ、心意識智を最大限度に活性化させる為「大死ならしむ」。と当処解脱の効を説きます。

この解脱のハタラキで以て、芭蕉は植物であると同時に、仏祖の家業としての「三伏・春秋冬夏」の陰陽を仏家の調度として連綿と受業して来たのである。

これで、本則に対する「修竹」と「芭蕉」に対する把捉を終え、最後にこれまでの話頭に対する更なる老婆心語を語られます。

いま修竹芭蕉の全消息、これ畫圖なり。これによりて、竹聲を聞著して大悟せんものは、龍蛇ともに畫圖なるべし。凡聖の情量と疑著すべからず。那竿得恁麼長なり、這竿得恁麼短なり。遮竿得恁麼長なり、那竿得恁麼短なり。これみな畫圖なるがゆゑに、長短の圖、かならず相符するなり。長畫あれば、短畫なきにあらず。この道理、あきらかに參究すべし。たゞまさに盡界盡法は畫圖なるがゆゑに、人法は畫より現じ、佛祖は畫より成ずるなり。しかあればすなはち、畫餠にあらざれば充飢の藥なし、畫飢にあらざれば人に相逢せず。畫充にあらざれば力量あらざるなり。おほよそ、飢に充し、不飢に充し、飢を充せず、不飢を充せざること、畫飢にあらざれば不得なり、不道なるなり。しばらく這箇は畫餠なることを參學すべし。この宗旨を參學するとき、いさゝか轉物物轉の功徳を身心に究盡するなり。この功徳いまだ現前せざるがごときは、學道の力量いまだ現成せざるなり。この功徳を現成せしむる、證畫現成なり。

「いま修竹芭蕉の全消息、これ画図なり。これによりて、竹声を聞著して大悟せん者は、龍蛇ともに画図なるべし。凡聖の情量と疑著すべからず」

これまで説いてきた「修竹芭蕉」の全消息は、現成する真実体の「画図」であり、この修竹に「かわらほどばしり」、その竹声を聞いて大悟する者は「龍蛇ともに画図なるべし」とは、修行ーかわらー竹声ー龍蛇共々に画図の範疇である故に、一物なる道理であり、決して凡や聖と云った二分法・主客論法での情量と疑ってはならない。

「遮竿得恁麼長なり、那竿得恁麼短なり。これみな画図なるが故に、長短の図、必ず相符するなり。長画あれば、短画なきにあらず。この道理、明らかに参究すべし」

この「那竿・遮竿」による例示は、明らかに先の「香厳竹声」を承けての「翠微遮竿」であり、修竹に絡ませての喩えですが、先程の「龍蛇ともに画図なるべし」と同じ論調での、「これ(那竿得恁麼長など)らは皆、眼前現成する真実態である画図であり、長短なる真実底ですから必ずそれぞれ排除する事なく、長は長・短は短で折り合い(相符)が著くものである」という道理を、明らかに参学究明しなさいと、法界平等理法を説く処です。

「ただまさに尽界尽法は画図なるが故に、人法は画より現じ、仏祖は画より成ずるなり」

ここでの「尽界尽法」は、龍蛇や那竿等を一般化しての表現法で、画図と尽十方世界との同時現成を示唆しますから、尽法である人法も真実底の画より現成し、尽界である仏祖も真実態の画より現成するとの理屈であります。この「人法・仏祖」の言句は、少なからず蛇足とも感じられます。

「しか有れば即ち、画餅にあらざれば充飢の薬なし、画飢にあらざれば人に相逢せず。画充にあらざれば力量あらざるなり」

これから最後の結びの節と為り、「画の餅」と「画の飢」さらに「画の充」についての論考になります。

これまで説かれるように、真実底に通脈する「画が餅」でなければ、飢を充たすもの(薬)ではなく、同じく真実態の「画が飢」でなければ、真実態を付した人に相い逢うことは為らず、また真実力を具した「画が充」でなければ、修行の力量は発揮できないのである。

「おおよそ、飢に充し、不飢に充し、飢を充せず、不飢を充せざること、画飢にあらざれば不得なり、不道なるなり。しばらく這箇は画餅なることを参学すべし」

「飢に充し・飢を充せず」とは、飢を解消すること・飢を解消しない事で、何ら問題はありませんが、「不飢に充し」「不飢を充せざる」は二重否定で論理矛盾が有りそうですが、これを画餅の絶対真理の頂上から鳥瞰すれば、飢は飢で一通、不飢は不飢にて万通でありますから、飢から不飢に変転させる道理も無いわけです。

こお現成を「這箇」と表し、絶対真実なる画餅を参学しなさい。と説かれるものと思われますが、このような言語の葛藤の混み入った表現を使わざる得ない説明に、親切心語の飢充を感得する処です。

「この宗旨を参学する時、些か転物物転の功徳を身心に究尽するなり。この功徳いまだ現前せざるが如きは、学道の力量いまだ現成せざるなり。この功徳を現成せしむる、証画現成なり」

この勘所(宗旨)を参究学道する時には、「転物物転の功徳」つまり「転じ転ぜらる」の同時同等性を、仏法の功徳と称して、身心(尽十方界)に究尽するのであり、この功徳(眼前現成の同時同等性)が自覚(現前)できない時節は、学道の力量の自覚が未了であり、この仏法による功徳を現成させる力量が、実証である画餅による現成(公案)なのである。