正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵十方

正法眼蔵 第五十五 十方

拳頭一隻、只箇十方なり。赤心一片、玲瓏十方なり。敲出骨裏髓了也。

釋迦牟尼佛、告大衆言、十方佛土中、唯有一乘法。

いはゆる十方は、佛土を把來してこれをなせり。このゆゑに、佛土を拈來せざれば十方いまだあらざるなり、佛土なるゆゑに以佛爲主なり。この娑婆國土は、釋迦牟尼佛土なるがごとし。この娑婆世界を擧拈して、八兩半斤をあきらかに記して、十方佛土の七尺八尺なることを參學すべし。この十方は、一方にいり一佛にいる、このゆゑに現十方せり。十方一方、是方自方、今方なるがゆゑに眼睛方なり、拳頭方なり、露柱方なり、燈籠方なり。かくのごとくの十方佛土の十方佛、いまだ大小あらず、淨穢あらず。このゆゑに十方の唯佛與佛、あひ稱揚讚歎するなり。さらにあひ誹謗してその長短好惡をとくを轉法輪とし、説法とせず。諸佛および佛子として、助發問訊するなり。佛祖の法を稟受するには、かくのごとく參學するなり。外道魔儻のごとく是非毀辱することあらざるなり。いま眞丹國につたはれる佛經を披閲して、一化の始終を覰見するに、釋迦牟尼佛いまだかつて佗方の諸佛それ劣なりととかず、佗方の諸佛それ勝なりととかず。また佗方の諸佛は諸佛にあらずととかず。おほよそ一代の説教にすべてみえざるところは、諸佛のあひ是非する佛語なり。佗方の諸佛また釋迦牟尼佛を是非したてまつる佛語つたはれず。このゆゑに、

釋迦牟尼佛、告大衆言、唯我知是相、十方佛亦然。

しるべし、唯我知是相の相は、打圓相なり。圓相は遮竿得恁麼長、那竿得恁麼短なり。十方佛道は、唯我知是相、釋迦牟尼佛亦然の説著なり。唯我證是相、自方佛亦然なり。我相知相是相一切相十方相娑婆國土相釋迦牟尼佛相なり。この宗旨は、これ佛經なり。諸佛ならびに佛土は兩頭にあらず。有情にあらず無情にあらず、迷悟にあらず、善惡無記等にあらず。淨にあらず穢にあらず、成にあらず住にあらず、壞にあらず空にあらず、常にあらず無常にあらず、有にあらず無にあらず、自にあらず。離四句なり、絶百非なり。たゞこれ十方なるのみなり、佛土なるのみなり。しかあれば、十方は有頭無尾漢なるのみなり。

この巻と五十四『洗浄』巻との聯関性は見い出し難く、寧ろ一週間前に示された五十三『梅花』巻最後部「先師古仏、正法眼蔵あきらかなるによりて、この正法眼蔵を過去現在未来の十方に聚会する仏祖に正伝す。この故に眼睛を究徹し、梅花を開明せり」(「正法眼蔵」三・一八〇頁・水野・岩波文庫)に於ける文言を考慮すると、『梅花』→『十方』と改編され、『洗浄』と『洗面』を同列にする方が整合性が伴う気もするが、道元無謬論者からは怒声と笑声が聞こえそうな論述法であろう。

拳頭一隻、只箇十方なり。赤心一片、玲瓏十方なり。敲出骨裏髄了也」

「一つ(一隻)の握りこぶし(拳頭)、只これ(箇)が十方である。赤心の一片が、玲瓏とした十方である。骨の中(裏)の髄を敲(たた)き出し了(おわ)り」

ここに示される「拳頭一隻・赤心一片」、つまり一箇の握り拳や一片の真心(赤心)が十方世界である(『如来全身』巻に「三千大千世界は、赤心一片なり、虚空一隻なり」(「正法眼蔵」三・三五一頁・水野・岩波文庫)とは、想像だにしない所でありますが、仏法で捉える十方とは自己を中心とした外部世界の東西南北思惟上下を指すのではなく、眼前に現出する只箇の拳頭一隻や内実の玲瓏赤心一片を措いて他には尽十方世界は無く、その拳頭・赤心で以て、骨の深部の髄をも敲き出し了れり。とは何の方向性も無い状況を指すもので、つまりは一法究尽である究理を十方と捉えると談ずるものです。

この冒頭の言用が、当巻での主旨・要点になります。

釈迦牟尼仏、告大衆言、十方仏土中、唯有一乗法」

これは『法華経』方便品(「大正蔵」九・八・上)からの引用ですが、この偈文に続く「無二亦無三」からも、絶対数を一乗の法と示され、拈提に入ります。

「いわゆる十方は、仏土を把来してこれを為せり。この故に、仏土を拈来せざれば十方未だあらざるなり、仏土なる故に以仏為主なり。この娑婆国土は、釈迦牟尼仏土なるが如し。この娑婆世界を挙拈して、八両半斤を明らかに記して、十方仏土の七尺八尺なることを参学すべし」

ここでの主旨は、冒頭でも説くように、外部に十方を求めるのではなく、「仏土」=「十方」の同等性を示すものです。ですから仏土を取り挙げなければ、十方自体も有り得ないとの論述です。さらに「以仏為主」を、仏土とも娑婆国土とも釈迦牟尼仏土とも言い替え自在なる様子を、「この娑婆世界を挙拈して八両半斤」と明示されますが、八両も半斤も同じ重量値(約三百グラム)であり、娑婆国土と釈迦牟尼仏土の同等性を示唆するもので、その々論法から「十方仏土は七尺八尺」なる道理も、八両半斤と同等である事を参学しなさい。と説かれます。

「この十方は、一方に入り一仏に入る、この故に現十方せり。十方一方、是方自方、今方なるが故に眼睛方なり、拳頭方なり、露柱方なり、灯籠方なり。かくの如くの十方仏土の十方仏、未だ大小あらず、浄穢あらず。この故に十方の唯仏与仏、あい称揚讃歎するなり。更にあい誹謗してその長短好悪を説くを転法輪とし、説法とせず。諸仏および仏子として、助発問訊するなり」

ここでも前述同様に、十方を外部に求めるのではなく、十方は一法・一仏にも特定でき、十方は数理上の十とばかり限定せず、一法は全一方・一仏は全一仏と解釈すれば、「是方・自方・今方・眼睛方・拳頭方・露柱方・灯籠方」も全て全是方・全自方と解すれば、十方に置き換え可能となります。

このような観点・つまり数値の無限開放を以てすれば、十方仏土の十方仏には、大小浄穢の能所は成り立たない為、「十方の唯仏与仏がそれぞれ称揚讃歎」するなり。と説かれるわけです。

仏子の生活態度では、互いに称揚讃歎を善とし、逆に互いを誹謗したり、相手の長短好悪を説くを転法輪とするような説法はしないように。との忠告ですが、これは『法華経』一四・安楽行品(「大正蔵」九・三八・上)に説かれる「不説他人好悪長短。於声聞人亦不称名説其過悪。亦不称名讃歎其美」を参考にしたもので、諸仏及び仏子の日常態度としては、賓主の礼に則った「助発問訊するなり」と、前半は十方に対する数値の開放、後半を十方仏土に於ける日常態を説く構文になります。

「仏祖の法を稟受するには、かくの如く参学するなり。外道魔儻の如く是非毀辱する事あらざるなり。いま真丹国に伝われる仏経を披閲して、一化の始終を覰見するに、釈迦牟尼仏いまだ曾て他方の諸仏それ劣なりと説かず、他方の諸仏それ勝なりと説かず。また他方の諸仏は諸仏にあらずと説かず。おほよそ一代の説教にすべて見えざる処は、諸仏の相い是非する仏語なり。他方の諸仏また釈迦牟尼仏を是非し奉る仏語伝われず」

本則である「十方仏土中、唯有一乗法」に対する拈提を、仏土中に於ける釈迦牟尼仏の行実を述べられます。文体としては難解さはなく、仏祖の法は内実を観察する行法であり、外道魔儻のように外界に対する是非毀辱はないのである。

真丹(震旦)国に伝来する経典を披閲しても、釈尊が他者に対し優劣を説く事はなく、釈尊一代の説教には相手の是非を論じたりする処はなく、同様に他方の諸仏も釈尊を批判するような仏語は伝来しないのである。述べんとする要旨は、冒頭でも説くように十方は外界を指すのではなく、内実の真実態を説く如くに、本来の宗教性も外部に発信するのではなく、自己仏土を練磨しなさい。と言うものです。

「この故に、釈迦牟尼仏、告大衆言、唯我知是相、十方仏亦然。知るべし、唯我知是相の相は、打円相なり。円相は遮竿得恁麼長、那竿得恁麼短なり。十方仏道は、唯我知是相、釈迦牟尼仏亦然の説著なり。唯我証是相、自方仏亦然なり。我相・知相・是相・一切相・十方相・娑婆国土相・釈迦牟尼仏相なり」

二則目の本則も『法華経』方便品(「大正蔵」九・六・上)偈文を引用しての拈提に入ります。

まづ「唯我知是相」の相に対する拈提で、この相は打円相・つまり完全円満な形を示され、円相の実態を「遮竿得恁麼長、那竿得恁麼短」と提示されます。これは『景徳伝灯録』十五・清平章(「大正蔵」五一・三一八・下)での、清平令遵(845―919)と師である翠微無学(生没不詳)との問答を援用したものですが、「長は長で円相を、短は短で円相」を表意したもので、十方一円の道理を説くものです。なお「遮竿・那竿」の使用例は『画餅』巻のみに援用されます。

次に「十方仏道」についての拈語ですが、道とは言句・言語の意ですから説明と云う事で、「唯我知是相、釈迦牟尼仏亦然」の説著なりと、十方仏と釈迦牟尼仏との同義性を説かれ、さらに「唯我証是相、自方仏亦然」と再構築され、自方仏ー釈迦牟尼仏ー十方仏の非別物の道理が示され、円相の呼称を「我相・知相・是相・一切相・十方相・娑婆国土相・釈迦牟尼仏相」と、あらゆる事象を包容する、まさに本覚の理事・事理を拈出するものです。

「この宗旨は、これ仏経なり。諸仏ならびに仏土は両頭にあらず。有情にあらず無情にあらず、迷悟にあらず、善悪無記等にあらず。浄にあらず穢にあらず、成にあらず住にあらず、壊にあらず空にあらず、常にあらず無常にあらず、有にあらず無にあらず、自にあらず。離四句なり、絶百非なり。たゞこれ十方なるのみなり、仏土なるのみなり。しか有れば、十方は有頭無尾漢なるのみなり」

前述の如くに、尽界のあらゆる事物事象を包摂するを「仏経」と呼ばしめますが、第四十七『仏経』巻では「いま現成せる正法眼蔵は即ち仏経・あらゆる仏経は正法眼蔵」(「正法眼蔵」三・八〇頁・水野・岩波文庫)との重言を以て、眼前に現成する真実態(正法眼蔵)―即ー仏経(尽十方界の真実底)であるとの認識です。

「諸仏」と「仏土」は別物ではなく、諸仏が仏土であり、仏土が諸仏である。との認得ですから、「両頭にあらず」と、身土不二の道理になります。ですから「有情無情・迷悟・善悪無記・浄穢・成住・壊空・常無常・有無・自(他)」にあらずと、能所不二の例証を列挙し、「離四句・絶百非」の仏土も在り得る。と共々に解せられます。

ここでの主眼は「ただこれ十方・仏土なるのみなり」に尽くされ、「十方仏土中、唯有一乗法」を、「十方仏土中、唯有仏土」と、一乗法を仏土に、その仏土である十方を、「有頭無尾漢」と置き換えたもので、頭が有って尾の無い人(漢)とは「仏だけ有って、仏でない者が無い事」(「正法眼蔵」三・二一〇頁・水野・岩波文庫)と示され、この尽十方界は、唯仏与仏の仏土であるとの結語に導かれます。

 

    二

長沙景岑禪師、告大衆言、盡十方界、是沙門壱隻眼。

いまいふところは、瞿曇沙門眼の壱隻なり。瞿曇沙門眼は、吾有正法眼藏なり、阿誰に附囑するとも瞿曇沙門眼なり。盡十方界の角々尖々、瞿曇の眼處なり。この盡十方界は、沙門眼のなかの壱隻なり。これより向上に如許多眼あり。

「長沙景岑禅師、告大衆言、尽十方界、是沙門壱隻眼」

これより六則は、全て第十五『光明』巻での冒頭に提示された話頭で、順序も合致しますが、『光明』巻では「大宋国湖南長沙招賢大師、上堂示衆云」と記されますが、当巻での「釈迦牟尼仏、告大衆言」を承けての連続体を示すものです。また引用典籍である『景徳伝灯録』十・長沙章(「大正蔵」五一・二七四・上)ならびに『光明』巻でも「是沙門眼」とする処を、「是沙門壱隻眼」と壱隻を付加するのは、当巻示衆(寛元元年(1243)十一月十三日)より一か月半前提示の『無情説法』巻(寛元元年十月二日)に於ける、「古云、尽十方界是沙門壱隻眼」が(「正法眼蔵」三・)当巻執筆時に反映されたものと思われます。

因みに、『聯灯会要』長沙章(「続蔵」七九・六一・下)には「是沙門壱隻眼」と記載あり。

「今云う処は、瞿曇沙門眼の壱隻なり。瞿曇沙門眼は、吾有正法眼蔵なり、阿誰に附嘱するとも瞿曇沙門眼なり。尽十方界の角々尖々、瞿曇の眼処なり。この盡十方界は、沙門眼の中の壱隻なり。これより向上に如許多眼あり」

まずは「沙門」に「瞿曇」の呼称を付し、その「瞿曇沙門眼」=「吾有正法眼蔵」と十方に包摂される含みを記し、その正法眼蔵摩訶迦葉でも阿難であっても、誰に附嘱しようとも、

瞿曇沙門眼との論法で以て、尽十方界と聯関させます。

この十方尽界の内実は「角々尖々」と述べる如くに、多種多様な而今現成が存立するを「向上に如許多眼」ありと、たとえば梅花の沙門眼とも実相の沙門眼とも表意可能との拈提で、十方(尽界)の無限定なる許容を説くものです。

盡十方界、是沙門家常語。

家常は尋常なり。日本國の俗のことばには、よのつねといふ。しかあるに、沙門家のよのつねの言語はこれ盡十方界なり。言端語端なり。家常語は盡十方界なるがゆゑに、盡十方界は家常語なる道理、あきらかに參學すべし。この十方無盡なるゆゑに盡十方なり。家常にこの語をもちゐるなり。かの索馬索鹽、索水索器のごとし。奉水奉器、奉鹽奉馬のごとし。たれかしらん、没量大人この語脈裏に轉身轉腦することを。語脈裏に轉語するなり。海口山舌、言端語直の家常なり。しかあれば、掩口し掩耳する、十方の眞箇是なり。

「尽十方界、是沙門家常語」

この話頭は『光明』巻にても記載されるものですが、底本である『景徳伝灯録』十・長沙章には見当たらず、ほかの語録等でも不出ですから、この「家常語」の句は恐らく道元禅師による造語と思われます。

「家常は尋常なり。日本国の俗のことばには、よのつねと云う。しか有るに、沙門家のよのつねの言語はこれ尽十方界なり。言端語端なり。家常語は尽十方界なるが故に、尽十方界は家常語なる道理、明らかに参学すべし」

「家常」をインターネット(weblio)にて検索すると、「日常のこと・ありきたりのこと」さらに中国語訳では「世之常情」と記載され、奇しくも「日本国の俗の言葉にはよのつね」と合致する事に親近感が伴うものである。

この「世の常」を、仏法修行者(沙門)は「尽十方界」と言語表現するのである。この尽十方界と家常語との聯関性(道理)を明確に参学せよ。と比丘としての心得を説き、次項に具象事例を挙げられます。

「この十方無尽なる故に尽十方なり。家常にこの語を用いるなり。かの索馬索塩、索水索器の如し。奉水奉器、奉塩奉馬の如し。誰か知らん、没量大人この語脈裏に転身転脳する事を。語脈裏に転語するなり。海口山舌、言端語直の家常なり。しか有れば、掩口し掩耳する、十方の真箇是なり」

そこで「十方無尽」の具象事例を、「索馬奉馬・索塩奉塩・索水奉水・索器奉器」の如くと説かれます。これは尽十方界には、あらゆるものが包含されるとの喩えですが、この仙陀婆人は没量大人(仏祖)ですから、この家常と云う平常底のことばの中(語脈裏)で、転身転脳つまり馬・塩・水・器の意味を包蓄する仙陀婆の語を、自由自在に選択する事が出来ると言うのです。

ことば(語)は、口と舌で以て発話しますから、尽十方界を説く意味からも、海を口・山を舌に喩える事例は、言語端直の家常(あたり前)である。

先には、大自然の海・山を口と舌にしたので、「掩口・掩耳」(石頭が龐居士の口を掩う・夾山が船子に対し耳を掩う)と云う、師弟が得悟を示すような、小さな動作が海口山舌を掩う事も、十方の立場からすると同事であるを「十方の真箇是」。と説かれ、本覚の永劫と尽十方界の遠大の聯関を示します。

盡十方界、沙門全身。

一手指天是天、一手指地是地。雖然如是、天上天下唯我獨尊。

これ沙門全身なる十方盡界なり。頂寧眼睛鼻孔、皮肉骨髓の箇々、みな透脱盡十方の沙門身なり。盡十方を動著せず、かくのごとくなり。擬議量をまたず、盡十方界沙門身を拈來して見盡十方界沙門身するなり。

「尽十方界、沙門全身」

三番目に説く話頭ですが、『光明』巻ならびに『景徳伝灯録』では「是沙門全身」としますから、恐らくは道元禅師本人の筆記ミスだと考えられます。

「一手指天是天、一手指地是地。雖然如是、天上天下唯我独尊」

これは『聯灯会要』(「続蔵」七九・一三・うえ)世尊章「一手指天、一手指地、周行七歩、目顧四方云、天上天下唯我独尊」を捩ったものになります。

この釈尊の生誕偈をここに拈提したのは、天地は尽十方界を沙門は釈尊に、全身を天上天下に比しての提示と思われます。

「これ沙門全身なる十方尽界なり。頂寧眼睛鼻孔、皮肉骨髄の箇々、みな透脱尽十方の沙門身なり。尽十方を動著せず、かくの如くなり。擬議量を待たず、尽十方界沙門身を拈来して見尽十方界沙門身するなり」

個々人のあたま(頂寧)・ひとみ(眼睛)・鼻の孔や皮肉骨髄、それぞれが皆十方尽界であることを、「透脱尽十方の沙門身」と定置されるわけで、冒頭で示された如く、十方を外界に求めるのではなく、人体そのものが十方との見方です。

自身が尽十方界そのものですから、上方を見上げる必要もないわけです。つまり、「動著せず」であり、自身を疑うこともないわけですから「擬議量を待たず」。

「尽十方界沙門身を拈来して見尽十方界沙門身」とは、尽十方界沙門身を見と据えるもので、行とも証とも云い換え可能ですが、穿った見方をすれば、次巻での「見仏」を見越しての伏線的拈提とも推察されます。

盡十方界、是自己光明。

自己とは、父母未生已前の鼻孔なり。鼻孔あやまりて自己の手裏にあるを盡十方界といふ。しかあるに、自己現成して現成公案なり、開殿見佛なり。しかあれども、眼睛被別人換卻木槵子了也。しかあれども、劈面來、大家相見することをうべし。さらに呼則易、遣則難なりといへども、喚得廻頭、自廻頭、堪作何用。便著者漢廻頭なり。飯待喫人、衣待著人のとき、摸索不著なるがごとくなりとも、可惜許、曾與儞三十棒。

「尽十方界、是自己光明」

この則は『光明』巻と同文になります。

「自己とは、父母未生已前の鼻孔なり。鼻孔あやまりて自己の手裏に有るを尽十方界と云う。しか有るに、自己現成して現成公案なり、開殿見仏なり」

自己ー手裏ー尽十方界の関係を、自己の定義付けとして、「父母未生已前」とは生命の連続態に喩え、「鼻孔」とは出息入息の処在を示しますから、同じく生命を象徴するもの。その鼻孔が間違って生命現象が、手の中(裏)にあると自覚するを、尽十方界と位置付けますから、自己が尽十方界との論述になります。

この論述法は一年半前に示された『光明』巻(仁治三年(1242)六月二日示衆)での「自己の光明を見聞するは値仏の証験なり、見仏の証験なり。尽十方界は是自己なり。是自己は尽十方界なり」(「正法眼蔵」一・二九一頁・水野・岩波文庫)を参考にしたとすると、寛元元年(1243)十一月十三日時点に於いては手元に『光明』巻の原稿が存在した事になり、懐弉の許に手渡された時期は、寛元二年(1244)十二月十三日の書写日より遡る一年前と推定される。

「自己現成」して「現成公案」なりとは、自己の生命そのものが、現実に成ずる姿を現成公案とするものですが、強豪和尚が『御抄』で述べる「現は隠顕に有らず、成は作学に有らず、公は平等義、案は守分の義」(「註解全書」一・一八三)を参考にすると、現成公案とは人為的行法が立ち入らない世界、つまり自然の息吹きを表徴する言句とすれば、「自己現成して現成公案」とは地続きの表出法であり、そこで「開殿見仏」なりと、俄かに見仏の語が出現するようですが、これも先程見たように『光明』巻「見仏の証験」を基に、「現成公案」が開殿見仏と異句同義語に据えるもので、第五十六に配置された『見仏』巻を念中にした、連続態を為すものとも考えられます。

「しか有れども、眼睛被別人換却木槵子了也。しか有れども、劈面来、大家相見する事を得べし。さらに呼則易、遣則難なりと云えども、喚得廻頭、自廻頭、堪作何用。便著者漢廻頭なり」

「眼睛被別人換却木槵子了也」(眼睛は別人の木槵子(むくろの実・数珠の材料)に換却(交換)し了ず)とは、眼睛(ひとみ)を数珠玉に入れ換える事ですから、パラダイム転換を計り、これまでの思考法を入れ替えなさいとの比喩と見られます。

「劈面来、大家相見する事を得べし」(面を劈(ひきさ)いて来て、皆さん(大家)と相見するを得べし)も先程と同様、「従来の面の皮を除去し、この場合の大家とは尽十方界を示唆し、十方と相い見ることを得なさい」と、パラダイム転換を促すものです。

「呼則易、遣則難」の出典は、恐らく『碧巌録』七五則・評唱(「大正蔵」四八・二〇三・上)で、最後に「曾与你三十棒」と結語することから、「僧と烏臼」との問答「呼ぶは則ち易く、遣るは則ち難し」に添語し、「喚んで廻頭するを得、自ら廻頭するは、何の用をか作すに堪え。便ちこの人の廻頭なり」と読み下すことが出来ますが、言わんとする処は、先の大家つまり尽十方界に内在する、サムシング・グレート的な不可識なるものが、廻頭ならしめてる状況を言うものです。

「飯待喫人、衣待著人の時、摸索不著なるが如くなりとも、可惜許、曾与你三十棒」

飯は喫する人を待ち、衣は人が著けるを待つ。との如くに、飯も衣も其れ自体は摸索不著ではあるが、夜間は背手摸枕子でも昼間は人手眼の如くに、曾与された得力を三十棒と表出し、云うなれば「成仏作祖の道理欠けたる所なく、与えたりと云う心地也」と経豪和尚は『御抄』(「註解全書」七・三一三)にて説明されます。

盡十方界、在自己光明裏。

眼皮一枚、これを自己光明とす。忽然として打綻するを在裏とす。見由在眼を盡十方界といふ。しかもかくのごとくなりといへども、同牀眠知被穿。

「尽十方界、在自己光明裏」

これは先の自己光明に更なる考究を見込むものです。

「眼皮一枚、これを自己光明とす。忽然として打綻するを在裏とす。見由在眼を尽十方界と云う。しかもかくの如くなりと云えども、同牀眠知被穿」

眼皮は「まぶた」ですから、その薄皮一枚が「自己光明」を成じていると。つまり生命そのものだとの意です。

「忽然として打綻」とは解脱心を云い、その自覚を「在裏」と言うのである。

「見由在眼」とは、見ることは眼が在るに由る。と解し、尽十方界とは外出する境涯ではなく、見が尽十方界・眼が尽十方界である事実を説くものです。

「同牀眠知被穿」の被は、衾(ふすま)の意で掛け蒲団を意味し、「牀も中に入って眠らなければ、掛け蒲団に穴が開いているのが、わからない」ように、実際に眼で見なければ光明は識得できない事実を言い、さらには「只管打坐」の行法は人体を以て始めて会得し、いま一つは尽十方界を外に求明するのではなく、内実に在ることを説く拈提となって居ります。

盡十方界、無一人不自己。

しかあればすなはち、箇々の作家、箇々の拳頭、ひとりの十方としても自己にあらざるなし。自己なるがゆゑに、自々己々みなこれ十方なり。自々己々の十方、したしく十方を罣礙するなり。自々己々の命脈、ともに自己の手裏にあるがゆゑに、還佗本分草料なり。いまなにとしてか達磨眼睛、瞿曇鼻孔あらたに露柱の胎裏にある。いはく、出入也、十方十面一任なり。

「尽十方界、無一人不自己」(尽十方界、一人として不自己ならざる無し)

自己光明・在自己光明裏と自己についての話則が続き、引き続き「無一人不自己」と自己と尽十方界に対する話則に対する拈語です。

「しか有れば即ち、箇々の作家、箇々の拳頭、一人の十方としても自己に有らざるなし。自己なるが故に、自々己々みなこれ十方なり。自々己々の十方、親しく十方を罣礙するなり」

「一人の十方としても自己に有らざるなし」の文意解釈を『御抄』では「一人の自己としても十方にあらざるなし、と云うべきようなれども、つまりは十方と自己とが只一物」(「註解全書」七・三一八)との解説です。同じく『御抄』を参照するに「自々己々」の註解を「自々己々と砕きて云えば、自他に関わらぬ道理がさわさわと聞ゆる也。—中略—仏性の時仏々聻也、性々聻也と云し程の義也」(前掲同頁)と説かれ、また同様に「自々己々の十方、親しく十方を罣礙するなり」を、「只十方が十方を罣礙すると云う道理也」(前掲同頁)と説明されます。

「自々己々の命脈、ともに自己の手裏にあるが故に、還他本分草料なり。今なにとしてか達磨眼睛、瞿曇鼻孔あらたに露柱の胎裏にある。云く、出入也、十方十面一任なり」

「自己光明」の項にて、「自己」は生命そのもの。であると説いたように、その生命を此の処では命脈と示し、その自己の手の中(手裏)に有ることから「還他本分草料」(他(尽十方界)に本分(尽十方界)の草料を還せ)の事例は『仏性』巻での「還我仏性来」(「正法眼蔵」一・七九頁・水野・岩波文庫)に共通するものです。

「達磨眼睛」も「瞿曇鼻孔」も「露柱」も、それぞれ言語が異なるように別物と認識されますが、仏法に於いての認得では、意味分節言語を一時的に未分節言語に解体し、ここでは「露柱を尽十方界として捉え直し、達磨眼睛・瞿曇鼻孔と云われる他本分(尽十方界)を同じ未分節領域に同宿させる作業を「胎裏」にある。と表現され、さらに鼻孔は呼吸と直結しますから「出入也」と言い、十方は十方に十面は十面に一任と、尽十方界の手裏に任すとの事です。

 

    三

玄沙院宗一大師云、盡十方界、是一顆明珠

あきらかにしりぬ、一顆明珠はこれ盡十方界なり。神頭鬼面これを窟宅とせり、佛祖兒孫これを眼睛とせり。人家男女これを頂拳頭とせり。初心晩學これを著衣喫飯とせり。先師これを泥彈子として兄弟を打著す。しかもこれ單提の一著子なりといへども、祖宗の眼睛を抉出しきたれり。抉出するとき、祖宗ともに壱隻手をいだす。さらに眼睛裏放光するのみなり。

「玄沙院宗一大師云、尽十方界、是一顆明珠」

この本則話頭は、嘉定四年(1238)四月に示衆された比較的初期に書かれた『一顆明珠』巻からの引用になり、同則は『真字正法眼蔵』上・一五ならびに『永平広録』一〇七(仁治三年(1242)八月下旬から九月頃上堂)に取り挙げられます。

「明らかに知りぬ、一顆明珠はこれ尽十方界なり。神頭鬼面これを窟宅とせり、仏祖児孫これを眼睛とせり。人家男女これを頂拳頭とせり。初心晩学これを著衣喫飯とせり」

ここでの拈提も、明らかに前出の長沙景岑による話頭の拈提と同様な説き方になり、尽十方界が一顆明珠とは玄沙の云い分ですが、道元禅師の言い分は、「尽十方界一顆明珠の道理の響く所が、神頭鬼面・仏祖児孫・人家男女・頂拳頭・初心晩学・著衣喫飯」と、如何様にも言い替え自在な拈提となります。

因みに『一顆明珠』巻に於ける尽十方は「逐物爲己、逐己爲物の未休」と、一顆珠は「直須万年」(「正法眼蔵」一・一八四・水野・岩波文庫)と説かれます。

「先師これを泥弾子として兄弟を打著す。しかもこれ単提の一著子なりと云えども、祖宗の眼睛を抉出し来たれり。抉出する時、祖宗ともに壱隻手を出だす。さらに眼睛裏放光するのみなり」

如浄(先師)和尚は、これ(一顆明珠)を泥の団子(泥弾子)として雲水(兄弟)を指導(打著)した。

「単提の一著子」とは、玄沙の提唱する「尽十方界、是一顆明珠」の、たった一つの話頭ではあるが、この話頭が祖宗の眼睛をえぐり出す(抉出)と同時に、祖宗が一隻手を差し出し、えぐり出した眼睛の奥から放光するのとの、やや神秘的な印象を与える言いぶりですが、要略は、尽十方界に包含された状況を説くものです。

乾峰和尚因僧問、十方薄伽梵、一路涅槃門。未審、路頭在什麼處。乾峰以柱杖畫一畫云、在遮裏。

いはゆる在遮裏は十方なり。薄伽梵とは柱杖なり。柱杖とは在遮裏なり。一路は十方なり。しかあれども、瞿曇の鼻孔裏に柱杖をかすことなかれ。柱杖の鼻孔に柱杖を撞著することなかれ。しかもかくのごとくなりとも、乾峰老漢すでに十方薄伽梵、一路涅槃門を料理すると認ずることなかれ。たゞ在遮裏と道著するのみなり。在遮裏はなきにあらず、乾峰老漢、はじめより柱杖に瞞ぜられざらんよし。おほよそ活鼻孔を十方と參學するのみなり。

「乾峰和尚因僧問、十方薄伽梵、一路涅槃門。未審、路頭在什麼處。乾峰以柱杖画一画云、在遮裏」

この話頭は『真字正法眼蔵』上・三七則で取り扱われますが、引用底本は『宗門統要集』八からだと云われます。

「いわゆる在遮裏は十方なり。薄伽梵とは柱杖なり。柱杖とは在遮裏なり。一路は十方なり。しか有れども、瞿曇の鼻孔裏に柱杖をかすことなかれ。柱杖の鼻孔に柱杖を撞著する事なかれ」

ここでは「十方」がキーワードですから、「在遮裏は十方」さらに「一路は十方」と言うように、遮は「什麼処」にも通脈する無限定処に喩えられますから、十方を、薄伽梵とも柱杖とも措定できるものです。同義句に「説似一物即不中」を挙げることが出来ます。

十方は柱杖をも包摂すると説きましたが、龍蛇は似て非なる物で、瞿曇は何時でも何処でも瞿曇で柱杖も同様ですから、その事象を「瞿曇の鼻孔裏に柱杖をかすことなかれ」とも「柱杖の鼻孔に柱杖を撞著する事なかれ」と言います。

「しかもかくの如くなりとも、乾峰老漢すでに十方薄伽梵、一路涅槃門を料理すると認ずる事なかれ。ただ在遮裏と道著するのみなり。在遮裏はなきにあらず、乾峰老漢、はじめより柱杖に瞞ぜられざらんよし。おおよそ活鼻孔を十方と参学するのみなり」

乾峰和尚の説法は、ただ柱杖で以て画しての「在遮裏」は、柱杖の下だけに在遮裏が在るとの不満を「はじめより柱杖に瞞ぜられざらん」と述べられるもので、十方とは小手先の小道具で示すものではなく、生きた生身の生命そのものを、「活鼻孔を十方と参学するのみなり」との結論で締め括られますが、まさに「赤心一片、玲瓏十方」なる言表であります。