正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵無情説法

正法眼蔵第四十六 無情説法

説法於説法するは、佛祖附囑於佛祖の見成公案なり。この説法は法説なり。有情にあらず、無情にあらず。有爲にあらず、無爲にあらず。有爲無爲の因縁にあらず、從縁起の法にあらず。しかあれども、鳥道に不行なり、佛衆に爲與す。大道十成するとき、説法十成す。法藏附囑するとき、説法附囑す。拈華のとき、拈説法あり。傳衣のとき、傳説法あり。このゆゑに、諸佛諸祖、おなじく威音王以前より説法に奉覲しきたり、諸佛以前より説法に本行しきたれるなり。説法は佛祖の理しきたるとのみ參學することなかれ。佛祖は説法に理せられきたるなり。この説法、わづかに八萬四千門の法蘊を開演するのみにあらず、無量無邊門の説法蘊あり。先佛の説法を後佛は説法すと參學することなかれ。先佛きたりて後佛なるにあらざるがごとく、説法も先説法を後説法とするにはあらず。

この巻は『密語』巻に続いての提唱ですが、共に聯関を成す相補的なもので、標題は違っても主眼とする仏法理会に於いては同義類に属するものです。

「説法於説法するは、仏祖附嘱於仏祖の見成公案なり。この説法は法説なり。有情にあらず、無情にあらず。有為にあらず、無為にあらず。有為無為の因縁にあらず、従縁起の法にあらず」

いつもの提唱時の冒頭文による主眼・要旨になります。

「説法於説法」とは説法が説法すると解し、説法を分解し説は主観・法を客観と見立てる事も可能だが、ただ説法は説法と見るべきであり、その全体事象を「仏祖附嘱」と表し、さらに「仏祖の見成公案」と云うように説法―仏祖―見(現)成公案との聯関同時同等性を無情説法と置換したわけです。「説法は法説」なる語感は単なる言句の入れ換えに観察されますが、能所(主客)の観念なき分節機能として説法・法説の一味態を言わんとする提言です。この説法の意味内容を「有情無情有為無為」には非ずと、さらに「有為無為の因縁・従縁起の法」に非ずと細分されます。

「しかあれども、鳥道に不行なり、仏衆に為与す。大道十成する時、説法十成す。法蔵附嘱する時、説法附嘱す。拈華の時、拈説法あり。伝衣の時、伝説法あり。この故に、諸仏諸祖、同じく威音王以前より説法に奉覲し来たり、諸仏以前より説法に本行し来たれるなり。説法は仏祖の理し来たるとのみ参学することなかれ。仏祖は説法に理せられ来たるなり」

「鳥道に不行」の鳥道の喩えは洞山良价(807―869)による説法語「如何是本来面目。洞山日、不行鳥道」(『景徳伝灯録』十五・洞山章)からの援用ですが、のちに取り挙げる「洞山雲巌・無情説法」話則に対する伏線的意味合いも考えられます。「鳥道不行」は解脱の境地を指しますが、その没蹤跡なる処にも留まらないから不行と説き、「仏衆に為与す」とは唯仏与仏と同意で、仏衆のために説法するとの事です。「大道十成する時、説法十成す。法蔵附嘱する時、説法附嘱す。拈華の時、拈説法あり。伝衣の時、伝説法あり」とは、大道は仏法を云い、その完全(十成)態を説法十成と徴し、具体例を拈華説法や伝衣説法と記し、それらは正法眼蔵説法と全体像を示されます。ですから諸仏諸祖は威音王以前つまり無量劫以前から真実(説法)を説いて来て、さらに云うには諸仏以前から元々修行(本行)して来ているとの、壮大な宇宙構図を見るかの言行です。「説法は仏祖の理し来たるとのみ参学することなかれ」この説法は一方向だけ仏祖が将来するものではなく、「仏祖は説法に」と相補聯関が説法の実態である。

「この説法、僅かに八万四千門の法蘊を開演するのみに非ず、無量無辺門の説法蘊あり。先仏の説法を後仏は説法すと参学することなかれ。先仏来たりて後仏なるに非ざるが如く、説法も先説法を後説法とするには非ず」

この真実態を呈する説法は無量無辺の法門と無始無終ですから、世に云われる八万四千では到底及びもつかない説法の実態です。「先仏の説法と後仏の説法」は普通は仏の連続態として同一態と見る処ですが、仏法(眼蔵)的解釈では一瞬一瞬それぞれを現成公案として把捉しますから、先仏来たりて後仏に成るのでもなく、同様に説法という現成の真実底の実態も先→後に移行するのではなく、細胞の新陳代謝の如く、停止する事はなく、常時生命活動を維持する為、動的平衡を保持し続ける宇宙的脈動と捉える事により、これが説法真実動静と考えられます。

このゆゑに、釋迦牟尼佛道、如三世諸佛、説法之儀式、我今亦如是、説無分別法。

しかあればすなはち、諸佛の説法を使用するがごとく、諸佛は説法を使用するなり。諸佛の説法を正傳するがごとく、諸佛は説法を正傳するによりて、古佛より七佛に正傳し、七佛よりいまに正傳して無情説法あり。この無情説法に諸佛あり、諸祖あるなり。我今説法は、正傳にあらざる新條と學することなかれ。古來正傳は、舊窠の鬼窟と證することなかれ。

これから五つの話則拈提に入ります。

第一則の本則は『法華経』方便品からの引用で、経典から引く場合には「釈迦牟尼仏道」との設定になります。もちろん、この引用経文も「説法」に因んでの援用です。

「しか有れば即ち、諸仏の説法を使用するが如く、諸仏は説法を使用するなり」

諸仏と説法の一心同体を説かんが為に、同義語を並語するものです。

「諸仏の説法を正伝するが如く、諸仏は説法を正伝するによりて、古仏より七仏に正伝し、七仏より今に正伝して無情説法あり」

諸仏と説法の異句同義性を説きましたが、新たに正伝を付加する事で、道元禅師独自な論述になります。この場合の「正伝」は先の使用と同義語歟と『御抄』でも解かれます。その正伝仏法が古仏―七仏―今仏との連続面を無情説法と位置づけ、つまりは法(ダルマ)が法に正伝する言い用です。

「この無情説法に諸仏あり、諸祖あるなり。我今説法は、正伝にあらざる新条と学する事なかれ。古来正伝は、舊窠の鬼窟と証する事なかれ」

この則の結語として無情説法は諸仏諸祖とも置き換え可能で、本則の「我今亦如是」から我今を取り出し説法を付加する事自体は、新とも旧ともと証すべきでない。

 

    二

大唐國西京光宅寺大證國師、因僧問、無情還解説法否。國師曰、常説熾然、説無間歇。僧曰、某甲爲甚麼不聞。國師曰、汝自不聞、不可妨佗聞者也。僧曰、未審、什麼人得聞。國師曰、諸聖得聞。僧曰、和尚還聞否。國師曰、我不聞。僧曰、和尚既不聞、爭知無情解説法。國師曰、頼我不聞。我若聞則齊於諸聖、汝即不聞我説法。僧曰、恁麼則衆生無分也。國師曰、我爲衆生説、不爲諸聖説。僧曰、衆生聞後如何。國師曰、即非衆生

無情説法を參學せん初心晩學、この國師の因縁を直須勤學すべし。常説熾然、説無間歇とあり。常は諸時の一分時なり。説無間歇は、説すでに現出するがごときは、さだめて無間歇なり。無情説法の儀、かならずしも有情のごとくにあらんずると參學すべからず。有情の音聲および有情説法の儀のごとくなるべきがゆゑに、有情界の音聲をうばうて無情界の音聲に擬するは佛道にあらず。無情説法かならずしも聲塵なるべからず。たとへば、有情の説法それ聲塵にあらざるがごとくなり。しばらく、いかなるか有情、いかなるか無情と、問自問佗、功夫參學すべし。しかあれば、無情説法の儀、いかにかあるらんと審細に留心參學すべきなり。愚人おもはくは、樹林の鳴條する、葉花の開落するを無情説法と認ずるは、學佛法の漢にあらず。もししかあらば、たれか無情説法をしらざらん、たれか無情説法をきかざらん。しばらく廻光すべし。無情界には草木樹林ありやなしや、無情界は有情界にまじはれりやいなや。しかあるを、草木瓦礫を認じて無情とするは不遍學なり。無情を認じて草木瓦礫とするは不參飽なり。たとひいま人間の所見の草木等を認じて無情に擬せんとすとも、草木等も凡慮のはかるところにあらず。ゆゑいかんとなれば、天上人間の樹林、はるかに殊異あり、中國邊地の所生ひとしきにあらず。海裏山間の草木、みな不同なり。いはんや空におふる樹木あり、雲におふる樹木あり。風火等のなかに所生長の百草萬樹、おほよそ有情と學しつべきあり、無情と認ぜられざるあり。草木の人畜のごとくなるあり。有情無情いまだあきらめざるなり。いはんや仙家の樹石花菓湯水等、みるに疑著およばずとも、説著せんにかたからざらんや。たゞわづかに神州一國の草木をみ、日本一州の草木を慣習して、萬方盡界もかくのごとくあるべしと擬議商量することなかれ。

國師道、諸聖得聞。

いはく、無情説法の會下には、諸聖立地聽するなり。諸聖と無情と、聞を現成し、説を現成せしむ。無情すでに諸聖のために説法す。聖なりや、凡なりや。あるいは無情説法の儀をあきらめをはりなば、諸聖の所聞かくのごとくありと體達すべし。すでに體達することをえては、聖者の境界をはかりしるべし。さらに超凡越聖の通霄路の行履を參學すべし。

國師いはく、我不聞。

この道も、容易會なりと擬することなかれ。超凡越聖にして不聞なりや。擘破凡聖窠窟のゆゑに不聞なりや。恁麼功夫して、道取を現成せしむべし。

國師いはく、頼我不聞。我若聞則、齊於諸聖。

この擧示、これ一道兩道にあらず。頼我は凡聖にあらず、頼我は佛祖なるべきか。佛祖は超凡越聖するゆゑに、諸聖の所聞には一齊ならざるべし。國師道の汝即不聞我説法の理道を修理して、諸佛諸聖の菩提を料理すべきなり。その宗旨は、いはゆる無情説法、諸聖得聞。國師説法、這僧得聞なり。この道理を、參學功夫の日深月久とすべし。 しばらく國師に問著すべし、衆生聞後はとはず、衆生正當聞説法時、如何。

これまでは「無情説法」に対する概説的説明でしたが、この本則から本格的拈提い入ります。

出典は『景徳伝灯録』二十八・南陽慧忠国師からと思われますが、本則と多少字句の相違が有りますから並列して示します。

「僧問、無情還解説法否」

(無情は還(はた)と説法を解すや否や)

無情既有心性還解説法否。

「國師曰、常説熾然、説無間歇」

(常に熾然に説き、説くに間歇無し)

師日、他熾然常説、無有間歇。

「僧曰、某甲為甚麼不聞」

(某甲それがし甚麼なんとしてか聞かざる)

日、某甲為什麼不聞。

国師曰、汝自不聞、不可妨他聞者也」

(汝自づから聞かざるも、他の聞くを妨ぐべからざる者なり)

師日、汝自不聞。

「僧曰、未審、什麼人得聞」

(いぶかし未審、什麼人が聞く事を得る)

日、誰人得聞。

国師曰、諸聖得聞」

(諸聖が聞き事を得る)

師日、諸聖得聞。

「僧曰、和尚還聞否」

(和尚還はた聞くや否や)

日、某甲聾瞽不聞無情説法師応合聞。

「國師曰、我不聞」

(我れは聞かず)

師日、我亦不聞。

「僧曰、和尚既不聞、争知無情解説法」

(和尚は既に聞かず、いづくんぞ無情説法を解するを知らんや)

日、師既不聞、争知無情解説。

国師曰、頼我不聞。我若聞則斉於諸聖、汝即不聞我説法」

(頼(さいわ)いに我れは聞かず、我れ若し聞けば則ち諸聖に斉し、汝は即ち我が説法を聞かざらん)

師日、我若得聞、即斉諸仏、汝即不聞我所説法。

「僧曰、恁麼則衆生無分也」

(恁麼ならば則ち衆生は無分也)

該当なし

国師曰、我為衆生説、不為諸聖説」

(我れは衆生の為に説き、諸聖の為には説かず)

該当なし

「僧曰、衆生聞後如何」

衆生は聞いた後は如何)

衆生畢竟得聞否。

国師曰、即非衆生

(即ち衆生に非ず)

師日、衆生若聞即非衆生

「無情説法を参学せん初心晩学、この国師の因縁を直須勤学すべし。常説熾然、説無間歇とあり。常は諸時の一分時なり。説無間歇は、説すでに現出するが如きは、定めて無間歇なり」

初心晩学つまり参学人であると自他認ずる者は、この挙する南陽慧忠(―775)国師の無情説法因縁話を直に須く学に勤めよと言われます。

先ずは無情という無機物は説法を理解しますか。に対する慧忠の「常説熾然、説無間歇」に対する拈提です。常と云うと寸分の間隙もなく一直線のイメージが有りますが、「常は諸時の一分時なり」との事ですが、『御抄』註解では「常は一時の現成公案なり。喩えば常なる時、無情なる時、迷なる時、悟なる時節も有りと云う程の心地」と解されます。次に説く「説無間歇」は訓読みでは間歇無しと説く。と述語に定位される「説」ですが、眼蔵流解釈法では述語から主語に切り換え、「無間歇」も主語として捉える道理を「この説の道理の前後際断する時、無間歇と云わるる」(『御抄』)と其の同等性を説かれます。

「無情説法の儀、必ずしも有情の如くに有らんずると参学すべからず。有情の音声および有情説法の儀の如くなるべきが故に、有情界の音声を奪うて無情界の音声に擬するは仏道にあらず。無情説法必ずしも声塵なるべからず」

無情と有情との差違をを明確にし、有情説法のように高座に登り法を説く音声と、無情説法との違いを述べますが、しかしながら有情説法時に於ける音声を奪って無情説法に差し換える事象は仏道ではなく、有情と無情との違いは発声の問題ではないと言われる拈提です。

「喩えば、有情の説法それ声塵に非ざるが如くなり。しばらく、如何なるか有情、如何なるか無情と、問自問他、功夫参学すべし」

ここに至り有情と無情との差違が相殺され、無情の説法という真実態の一部に有情の説法が包含されると云った意味構造が構築され、改めて「有情」「無情」の根本を自ずから問い、他にも問わしむ参学の功夫をしなさいとの提言のようです。

「しか有れば、無情説法の儀、如何にか有るらんと審細に留心参学すべきな也。愚人思わくは、樹林の鳴条する、葉花の開落するを無情説法と認ずるは、学仏法の漢にあらず」

有情は無情に包含される事を前に説きましたから、無情説法は如何なるものも可能態として有りますから、その具合を細かに綿密に心を留めて参学すべきなりとの言いきり文言になります。

これからしばらく具体例を挙げつつ説かれます。通常の認識では木々の枝が風に吹かれて鳴き、華が開き時が来れば葉が落ちる現象を無情の説法と、概略・概念的カテゴライズ(範型)する者を愚人と称じ、修行者(学仏法の漢)に値しないと断言されますが、これまでの言説を踏まえれば当然とすべき文言です。

「もし然あらば、誰か無情説法を知らざらん、誰か無情説法を聞かざらん。しばらく廻光すべし。無情界には草木樹林有りや無しや、無情界は有情界に交われりや否や」

無情説法は現成する真実底の実体との事でしたから、ここでは「誰か」は誰もが無情説法を知って聞いてるんだとの意味になります。それがわからないなら考えを転換(廻光)しなさいとの老婆心です。無情界と思い、あぐねて居る処には草木樹林は有るのか無いのか、無情界と有情界とは交錯するのか否やとの論理的論述が続きます。

「しか有るを、草木瓦礫を認じて無情とするは不遍学なり。無情を認じて草木瓦礫とするは不参飽なり。たとい今人間の所見の草木等を認じて無情に擬せんとすとも、草木等も凡慮の測る処にあらず」

学仏者が堂々と草木瓦礫を無情と認ずる事は、不遍学・不参飽つまり修行が未熟との見解です。次には人間の側からの草木は無情と認じられても草木等からの視点で見ると、有情や無情と云った二元論的麁薄な存在ではないと云った表現ですが、現代の言葉で云うなら草木も人間も同じ遺伝子情報からの存在で、さらには宇宙の構成要素とも同じ成分であるとの事実を顧みれば「凡慮の測る処にあらず」の言には、説得力があります。

「故如何となれば、天上人間の樹林、はるかに殊異あり、中国辺地の所生等しきに非ず。海裏山間の草木、みな不同なり。云わんや空に生うる樹木あり、雲に生うる樹木あり。風火等の中に所生長の百草万樹、おおよそ有情と学しつべき有り、無情と認ぜられざる有り。草木の人畜の如くなる有り」

そこで次は草木樹林に対する視点に焦点を当てると、天上界と人間界では樹林の概念が殊に異なり、中国(インド)と辺地(日本)では草木樹林の生息地は等しくはなく、同様に海の中・山の奥の草木も全て同じではない。ましてや空に生える樹木や雲に生える樹木も有り、風や火などの中で生長する百草万樹は、おしなべて有情と学ぶものも有り、無情と認められないものも有り、草木にも人間や畜生の如くのものが有るとの、当時の人が考えられる様々な草木の喩えを云うものです。

『御抄』解説では、草木の有情なる実例を次の四種の草木について述べられます。「百草万樹の中にも有情と学しつべきなり。漢朝に蓂莢(メイキョウ)草、指倭(シネン)草、神護(ジンゴ)草、寁(草カンムリ)莆(ソウゴ)草などと云う草あり。蓂莢草は月の一日より葉一枚づつ咲きて十五日に至れば都合十五葉の花が咲き、十六日よりは次第々々に一葉づつ落ちて何もなく成れり。これは堯の時代のこと。指倭草は門の下の底にあり、讒臣(ザンシン)の参内する時、土より出で足を刺し、忠臣の参内には現れず。この草は黄帝の時代のこと。神護草は二階の門の上に生えて、強盗などの悪党が入る時は、騒々しく鳴動するなり。これは伏義氏の代。寁莆草は帝の御膳に虫類が入るのを防ぐとのこと。此の如くなる葉は誠に有情無情を明らめ難し。」

「有情無情未だ明らめざるなり。云わんや仙家の樹石花菓湯水等、見るに疑著及ばずとも、説著せんに難からざらんや。たゞわづかに神州一国の草木を見、日本一州の草木を慣習して、万方尽界もかくの如く有るべしと擬議商量する事なかれ」

先に示した強豪和尚が云うように、伝説とは雖も草木にも有情無情を決め難いものも有ると。更なる喩えを仙人世界に於ける石の樹や花の果物、さらには湯水等と、我々の住する世界とは異次元の事象の説明は難からざらんやと示し、又神州(宋)一国の草木を見、日本一国の草木を慣習して、草木を理解するような商量(いろいろ考えを推し量ること)すること勿れとの拈提です。

国師道、諸聖得聞。いはく、無情説法の会下には、諸聖立地聴するなり。諸聖と無情と、聞を現成し、説を現成せしむ。無情すでに諸聖の為に説法す。聖なりや、凡なりや。あるいは無情説法の儀を明らめ終りなば、諸聖の所聞かくの如く有りと体達すべし。すでに体達する事を得ては、聖者の境界を測り知るべし。さらに超凡越聖の通霄路の行履を参学すべし」

次の拈提は、先に説いた常に説法し続けているに対し、僧は俺にはどうして無情説法が聞こえないのか。に対して慧忠は汝自身の聞かざるを、他の人の聞くのを邪魔するな。に対し僧は世の中の誰が無情の説法を聞いているのか。に対する慧忠が答えた「諸聖を得聞」に対する拈提になります。この拈提では全ての文言に対する註釈ではなく、肝要な処だけを拈ずる型になります。

ここで云う諸聖は真実の当態を示唆し、無情説法の会下(道場)では諸聖は直立して説法を聴くものである。諸聖と無情とは同類異語の関係ですから、「聞」の時は聞だけ、「説」の時は説だけの「現成」となります。「無情すでに諸聖の為に説法す」と便宜的に述べられますが、能所・主客の対立が無い存在ですから、聖や凡と云った二項分立的論法は成り立ちません。この諸聖の所聞を「かくの如く」ありと体達すべし、に云うごとくは諸聖に対する概念化を除く為の用語であります。

聖者(真実の実践者)の境界を測り知り得たならば、凡聖を超越した通霄路(天空の路)の行履を参学せよ。と諸聖と無情との聯関の拈提でした。

国師云わく、我不聞。この道も、容易会なりと擬する事なかれ。超凡越聖にして不聞なりや。擘破凡聖窠窟の故に不聞なりや。恁麼功夫して、道取を現成せしむべし」

次に慧忠が説く「我れ聞かず」に対する拈語になりますが、これは不聞と云う絶対境地を指しますから、ただ単に聞かずと容易に聞き流してはならない。凡聖を超越しての不聞なりや、次句でも不聞なりやと疑問形にしますが、眼蔵解釈では「や」は接尾助辞として捉え断定の言句とします。ですから超凡越聖が不聞との意で、擘破(ビャクハ)とはつん裂くの意で、凡聖の巣穴を引き裂く事が不聞であると。つまりは先に説いた「凡聖」という主客概念を払拭する事です。このように(恁麼)功夫(工夫)して道取(ことば)を現成するように努力しなさいとの拈語です。

国師云わく、頼我不聞。我若聞則、斉於諸聖。この挙示、これ一道両道にあらず。頼我は凡聖にあらず、頼我は仏祖なるべきか。仏祖は超凡越聖する故に、諸聖の所聞には一斉ならざるべし」

「頼」はさいわいにと読みますが、又は我によってと読ませる事も有りますが拈提では、これを頼我(ライガ)と位置づけますが、この説明は一筋縄ではいかないと。頼我の頼を接頭辞とし我自身と解する事により、「頼我は凡聖ではなく、頼我は仏祖である」と。つまりは頼我も真実世界を表意する語とするわけです。ここでの拈提の主眼は頼我―仏祖―諸聖は同義列に属する事実を一斉との語でまとめるものです。

国師道の汝即不聞我説法の理道を修理して、諸仏諸聖の菩提を料理すべきなり。その宗旨は、云わゆる無情説法、諸聖得聞。国師説法、這僧得聞なり。この道理を、参学功夫の日深月久とすべし。 しばらく国師に問著すべし、衆生聞後は問わず、衆生正当聞説法時、如何」

これは前句に続いて説かれた「汝即不聞我説法」に対する拈語になり「理道を修理して」と記しますが、普段は道理とすべき箇所ですが、理道と有意味性を持たせます。『御抄』によると「理道と云えば、理の外に物の交わらぬ所か。ざわざわと聞ゆる故に、此の如く云う歟」と解説されます。ですから先程からの不聞である諸仏諸聖の菩提(真実)を料理(はかりおさめる)すべきであると。これまでの宗旨を列挙すると無情説法―諸聖得聞―国師説法―

這僧得聞の同等性を言わんとするもので、諸聖も国師も説法も皆無情に聯関されますが、この論述法は『即心是仏』巻に通底する道理とも解され、今述べた道理を日進月歩(日深月久)の参学功夫が大事との忠言になります。

この則の結語としては、この話頭を単なる昔語りのものとせず、道元禅師が僧と入れ替わり慧忠に対し、「衆生聞後」は問わずに、「衆生正当聞説法時、如何」と慧忠に答話を求められますが、所謂は提唱を聴聞する吉峰寺山内衆に対する問い掛けになり、果ては774年の時間空間を超越した2017年の問話とする事により、この無情の説法が而今に連結される現成語に成り得るものです。

 

    三

高祖洞山悟本大師、參曩祖雲巖大和尚問云、無情説法什麼人得聞。雲巖曩祖曰、無情説法、無情得聞。高祖曰、和尚聞否。曩祖曰、我若聞、汝即不得聞吾説法也。高祖曰、若恁麼、即某甲不聞和尚説法也。曩祖曰、我説汝尚不聞、何況無情説法也。高祖乃述偈呈曩祖曰、

也太奇 也太奇。無情説法不思議。若將耳聽終難會。眼處聞聲方得知。

いま高祖道の無情説法什麼人得聞の道理、よく一生多生の功夫を審細にすべし。いはゆるこの問著、さらに道著の功徳を具すべし。この道著の皮肉骨髓あり、以心傳心のみにあらず。以心傳心は初心晩學の辦肯なり。衣を擧して正傳し、法を拈じて正傳する關棙子あり。いまの人、いかでか三秋四月の功夫に究竟することあらん。高祖かつて大證道の無情説法諸聖得聞の宗旨を見聞せりといへども、いまさらに無情説法什麼人得聞の問著あり。これ肯大證道なりとやせん、不肯大證道なりとやせん。問著なりとやせん、道著なりとやせん。もし摠不肯大證、爭得恁麼道、もし摠肯大證、爭解恁麼道なり。

洞山良价(悟本)と雲巌曇晟による無情説法話になりますが、本則の筋は前話の慧忠国師と僧による内容と同じようなものです。

本則の出典禅籍は『景徳伝灯録』十五・洞山章と他に『聯灯会要』二十などが考えられます。ほとんどは『景徳伝灯録』引用ですが、偈文は「也太奇 也太奇。無情解説不思議。若將耳聴声不現、眼処聞声方可知。」とこのように、•印の部分が『聯灯会要』では「也太奇 也太奇。無情説法不思議。若將耳聴終難会。眼処聞声方得知。」と当巻本則文と同一文になります。また古形を保つ『祖堂集』六・洞山章では「可笑奇可笑奇、無情解説不思議。若將耳聴声不現、眼処聞声方得知。」と他では見ない表現形態を見せます。

さらには当巻以外では『真字正法眼蔵』中・四十八則、また『永平広録』四百五十二則(建長三年(1251)九月十日前後)での示衆では当巻本則文を底本に、先の南陽慧忠提唱文を並記され、雲巌が説く「無情得聞」に対し「なぜ凡夫得聞を説かないのか」との拈提が示されますが、当巻示衆年月日が寛元元年(1243)十月二日。「広録」は建長三年(1251)九月十日頃上堂と考えられ、世間で口唇皮される思想変化(本覚思想からの脱却)ありとの言動は、この聯綿と通脈する八年の月日からは窺い知ることは出来ない。

本則話頭を訓読すると、

洞山「無情説法什麼人得聞」

(無情説法はどんな(什麼)人が聞く事が出来るか)

雲巌「無情説法、無情得聞」

(無情説法は無情が聞く事ができる)

洞山「和尚聞否」

(和尚は聞くや否や)

雲巌「我若聞、汝即不得聞吾説法也」

(我れ若し聞けば、汝は即ち吾が説法を聞く事を得ざらん)

洞山「若恁麼、即某甲不聞和尚説法也」

(若し恁麼ならば、即ち某甲は和尚の説法を不聞ならん)

雲巌「我説汝尚不聞、何況無情説法也」

(我れ説くも汝は尚聞かず、何(いか)に況んや無情説法をや)

洞山「也太奇 也太奇。無情説法不思議。若将耳聴終難会。眼処聞声方得知」

(也太奇 也太奇。無情説法は不思議なり。若し耳で将(も)って聴こうとすれば終(つい)に会難し、眼で声を聞く時に方に知り得る)

「いま高祖道の無情説法什麼人得聞の道理、よく一生多生の功夫を審細にすべし。云わゆるこの問著、さらに道著の功徳を具すべし。この道著の皮肉骨髓あり、以心伝心のみにあらず。以心伝心は初心晩学の辦肯なり。衣を挙して正伝し、法を拈じて正伝する関棙子あり。今の人、如何でか三秋四月の功夫に究竟する事あらん」

高祖つまり洞山のことば(道)である「無情説法什麼人得聞」の道理は一生多生と無限定の功夫を事細かにすべきである。と概説を述べますが、これは洞山が雲巌に対する問いであると同時に、さらに動著の功徳を具すべしとの禅学的仏法観を披瀝されるもので、「無情説法は什麼人(一切人)もが聞き得る」と理解しなさいとの言い用です。

「道著の皮肉骨髓」とは、この無情説法什麼人得聞の言は完全態であることを言い、「以心伝心のみにあらず」とは、心と云う限定的事象だけを取り挙げる為に否定言辞を使い、さらに「以心伝心は初心晩学の辦肯なり」とされますが、ただこれは学人の僻見を嫌う為の方便的舌法と考えられます。「衣を挙して、法を拈じて正伝す」とは、日常底を幾度も日々精進する態度を云うもので、これら日常の些細な功夫参学が正伝の関棙子(かなめ)であると。「三秋四月の功夫」の解釈は各識者で相違し、三年四年(水野弥穂子)三四月(強豪)とするが、ここは三秋四月を長い年月と解します。

「高祖曾て大証道の無情説法諸聖得聞の宗旨を見聞せりと云えども、今さらに無情説法什麼人得聞の問著あり。これ肯大証道なりとやせん、不肯大証道なりとやせん。問著なりとやせん、道著なりとやせん。もし摠不肯大証、争得恁麼道、もし摠肯大証、争解恁麼道なり」

洞山は大証(慧忠)国師による「無情説法諸聖得聞」を知っていながら、さらに雲巌に対し「無情説法什麼人得聞」を問われた因縁は、慧忠の話頭を理解しての事か、それとも理解せずとの事か。そもそも問処であるのか、答処であるのか。今一度確認の意味を込めて、もし

摠じて大証を肯わずんば、争でか恁麼道に解せん。と洞山は慧忠に親しんでいたかと我々に問い掛けるものですが、そもそも洞山は潙山霊祐の処で「無情説法」を商量するが不解の為、潙山の指示で雲巌処に出向いて、この問答が有る為に洞山の力量は如何程かの意味合いも有っての拈語になります。

曩祖雲巖曰、無情説法、無情得聞。

この血脈を正傳して、身心脱落の參學あるべし。いはゆる無情説法、無情得聞は、諸佛説法、諸佛得聞の性相なるべし。無情説法を聽取せん衆會、たとひ有情無情なりとも、たとひ凡夫賢聖なりとも、これ無情なるべし。この性相によりて、古今の眞僞を批判すべきなり。たとひ西天より將來すとも、正傳まことの祖師にあらざらんは、もちゐるべからず。たとひ千萬年より習學すること聯綿なりとも、嫡々相承にあらずは嗣續しがたし。いま正傳すでに東土に通達せり、眞僞の通塞わきまへやすからん。たとひ衆生説法、衆生得聞の道取を聽取しても、諸佛諸祖の骨髓を稟受しつべし。雲巖曩祖の道を聞取し、大證國師の道を聽取して、まさに與奪せば、諸聖得聞の道取する諸聖は無情なるべし。無情得聞と道取する無情は諸聖なるべし。無情所説無情なり、無情説法即無情なるがゆゑに。しかあればすなはち、無情説法なり、説法無情なり。

これは洞山の問いに対する雲巌の答話である「無情説法、無情得聞」に対する拈提ですが、先の大証国師の本則では「諸聖得聞」に比定されるものです。

「この血脈を正伝して、身心脱落の参学あるべし。云わゆる無情説法、無情得聞は、諸仏説法、諸仏得聞の性相なるべし」

「この血脈」とは無情説法を意味し、その正伝する処に身心脱落の参学あるべしとは、無情説法と身心脱落は異語同類を示唆するものですが、無情と身心は共に生命活動の絶え間ない情動を表徴した語で、説法と脱落を当態とした対句語法と成ります。さらに言い換えて「諸仏説法、諸仏得聞」とも代替可能との拈提ですが、慧忠和尚が説いた「諸聖得聞」とも相い通底するものです。

「無情説法を聴取せん衆会、たとひ有情無情なりとも、たとい凡夫賢聖なりとも、これ無情なるべし。この性相によりて、古今の真偽を批判すべきなり」

ここでの「聴取」の意は、無情の真実底を認知し続ける真実人体、または本来の姿を称して「聴取せん衆会」と名づけます。この本来底から眺めると有情無情や凡夫賢聖などと云う区別は有り得ず、皆有情の真実態・本来態に未分節の状態に収まるのです。「性相」は本質と解しますから、この本質的観点から古今の事例の真偽を見分け判断すべきである。

「たとい西天より将来すとも、正伝まことの祖師にあらざらんは、用いるべからず。たとい千万年より習学すること聯綿なりとも、嫡々相承にあらずは嗣続し難し。いま正伝すでに東土に通達せり、真偽の通塞わきまえ易からん」

「まことの祖師」とは、この場合は無情説法得聞の人を示唆し、インドから正伝が伝播しても、まことの祖師が媒介しなければ正伝名称のみになります。例えば千万年昔より伝統が受け嗣がれても、「嫡々相承」という理法がインドから支那に正伝した事で、真偽の通達通塞の見分けが容易になった。

「たとい衆生説法、衆生得聞の道取を聴取しても、諸仏諸祖の骨髄を稟受しつべし」

雲巌の「無情説法、無情得聞」に対する拈提でしたが、ここに来て無情説法―衆生説法―諸仏諸祖とが、それぞれの分節的立場から未分節状態にと深化する拈提ですが、一般常識では同じカテゴリー内とは云いながら、各々の独立した存在を同列に置換する事はタブー的手法ですが、文字不立を標榜する門派に於いては、言語の意味分節機能を未分節機能にとパラダイム(規範)シフトする事で、仏法の一元性に帰属する様子を「此の衆生説法、衆生得聞の姿は、諸仏説法諸仏得聞の理に等しく、無情説法無情得聞、無情説法諸聖得聞と云うとも詮無し」と『御抄』では説かれます。

「雲巖曩祖の道を聞取し、大証国師の道を聴取して、まさに与奪せば、諸聖得聞の道取する諸聖は無情なるべし。無情得聞と道取する無情は諸聖なるべし。無情所説無情なり、無情説法即無情なるが故に。しか有れば即ち、無情説法なり、説法無情なり」

先程から繰り返しの用法で以て、雲巌の無情得聞も大証慧忠の諸聖得聞も無情の一点に凝集される拈提の言用ですが、この言い回しを経豪和尚は「親切なる上に、此のように談ずる」と涙声にも似た註解が、この拈提文の要旨を物語るものです。

高祖道の若恁麼、則某甲不聞和尚説法也。いまきくところの若恁麼は、無情説法、無情得聞の宗旨を擧拈するなり。無情説法、無情得聞の道理によりて、某甲不聞、和尚説法也なり。高祖このとき、無情説法の席末を接するのみにあらず、爲無情説法の志気あらはれて衝天するなり。たゞ無情説法を體達するのみにあらず、無情説法の聞不聞を體究せり。すゝみて有情説法の説不説、已説今説當説にも體達せしなり。さらに聞不聞の説法の、これは有情なり、これは無情なる道理をあきらめをはりぬ。

ここでの話頭は本則からは「高祖曰、和尚聞否。曩祖曰、我若聞、汝即不得聞吾説法也」を省略した拈提則になりますが、意味する処は省略しても何ら支障はないものです。また本則では即であるものを拈提では則にするのは、恐らくは草稿本の間違いでしょうが、敢えて筆録者が訂正せずの姿勢が「正法眼蔵」を通貫する基底が窺えます。

「今聞く処の若恁麼は、無情説法、無情得聞の宗旨を挙拈するなり。無情説法、無情得聞の道理によりて、某甲不聞、和尚説法也なり」

若恁麼の説明からも、途中の話頭を省略した意図が読み取れます。「無情説法、無情得聞の道理」とは、無情説法と無情得聞との関係を同一線上に未分節化したものです。「某甲不聞」は聞く聞かないの問題ではなく、無情の真実態の事象・現成を説法、又は不聞とも和尚説法也とも如何用とも表明出来得る拈提です。

「高祖この時、無情説法の席末を接するのみに非ず、為無情説法の志気表れて衝天するなり。ただ無情説法を体達するのみに非ず、無情説法の聞不聞を体究せり」

洞山は潙山霊祐に云われるままに雲巌の道場に出向き、初相見時の商量がこの無情説法の話頭で有った為に、席末を接すと言われますが、雲巌とは初対面とは云いながらも、幼歳にて般若心経に精通したり、南泉普願には「此子雖後生、甚堪彫琢」と云われ、潙山霊祐の会下では南陽慧忠国師の有情無情の法話を聞いていたので、機縁熟して雲巌処での「某甲不聞、和尚説法也」を「洞山自身が無情の説法となって衝天の志気を表した」と。更には「無情説法の聞不聞をも体究せり」と洞山と雲巌との啐啄同期的因縁を説くものですが、「聞不聞を体究せり」の文言で思い出される道元禅師の拈提語に『大悟』巻での臨済に対する未足の言

「不悟者難得のみを知りて悟者難得を知らずは、未足為足なり」は、「臨済院慧照大師云、大唐国裏、覓一人不悟者」に対するものですが、不悟者があれば悟者をも並存させる話頭解釈が、ここでの「聞不聞を体究せり」を讃する根底に有るようです。

「進みて有情説法の説不説、已説今説当説にも体達せしなり。さらに聞不聞の説法の、これは有情なり、これは無情なる道理を明らめ終わりぬ」

さらに論を展開し、有情の説法にも様々な綾模様を説不説を已に説き、今説き未来に説く、と説明されます。そこで聞の説法・不聞の説法を見極め、有情・無情なる道理の境界は無くなってしまうのである。

おほよそ聞法は、たゞ耳根耳識の境界のみにあらず、父母未生已前、威音以前、乃至盡未來際、無盡未來際にいたるまでの擧力擧心、擧體擧道をもて聞法するなり。身先心後の聞法あるなり。これらの聞法、ともに得益あり。心識に縁ぜざれば聞法の益あらずといふことなかれ。心滅身没のもの、聞法得益すべし。無心無身のもの、聞法得益すべし。諸佛諸祖、かならずかくのごとくの時節を經歴して、作佛し、成祖するなり。法力の身心を接する、凡慮いかにしてか覺知しつくさん。身心の際限、みづからあきらめつくすことえざるなり。聞法功徳の、身心の田地に下種する、くつる時節あらず。つひに生長ときとともにして、果成必然なるものなり。

ここでは「聞法」についての考察となります。

「おおよそ聞法は、たゞ耳根耳識の境界のみにあらず、父母未生已前、威音以前、乃至尽未來際、無尽未來際に至るまでの挙力挙心、挙体挙道をもて聞法するなり。身先心後の聞法あるなり。これらの聞法、ともに得益あり」

普通に聞法するとは、法会や講座での随喜功徳を云うが、昔から語られるように一声耳に触れれば七世不沈で、毛穴をそばだて聞けとの言の如く、生命活動(父母未生已前等)そのもの。全身全霊(挙力挙心等)での聞法であるなら得益ありと。

「心識に縁ぜざれば聞法の益あらずと云う事なかれ。心滅身没の者、聞法得益すべし。無心無身の者、聞法得益すべし」

我々の認識では、相手方の音声が耳の器官を通じて脳内での複雑な処理に依り聞法が自覚され、この心識が生命活動の全存在のように錯覚されがちですが、この常識では計り知れない聞法の理の方より考えれば、すべて漏れるものは無いとの事になります。

「諸仏諸祖、必ずかくの如くの時節を経歴して、作仏し、成祖するなり。法力の身心を接する、凡慮如何にしてか覚知し尽さん。身心の際限、みづから明らめ尽す事得ざるなり。聞法功徳の、身心の田地に下種する、朽つる時節あらず。終に生長時と共にして、果成必然なるものなり」

仏祖は先に述べたように渾身心の聞法得聞により作仏成祖と成り得るのであり、この法力と身心との関係は凡慮の者には如何して覚知出来るで有ろうか。身心の際限は我々凡夫では明らめ尽す事得ざるとの事ですが、身体の生理学的知見からも、この真実人体的なる臭皮袋は単なる入れ物ではなく、当に宇宙空間に匹敵する複雑な連結網が交叉する小宇宙である事実と照らし合わせても、「明らめ尽す事得ざるなり」が納得できます。聞法の功徳の説明として、身心の田地に種まき(下種)すると結果が成り必ず然りとするが、聞法の姿を果成と言う主旨です。

愚人おもはくは、たとひ聞法おこたらずとも、解路に進歩なく、記持に不敢ならんは、その益あるべからず。人天の身心を擧して博記多聞ならん、これ至要なるべし。即座に忘記し、退席に茫然とあらん、なにの益かあらんとおもひ、なにの學功かあらんといふは、正師にあはず、その人をみざるゆゑなり。正傳の面授あらざるを、正師にあらずとはいふ。佛々正傳しきたれるは正師なり。愚人のいふ心識に記持せられて、しばらくわすれざるは、聞法の功、いさゝか心識にも蓋心蓋識する時節なり。この正當恁麼時は、蓋身蓋身先、蓋心蓋心先、蓋心後、蓋因縁報業相性體力、蓋佛蓋祖、蓋自佗、蓋皮肉骨髓等の功徳あり。蓋言説、蓋坐臥等の功徳現成して、彌淪彌天なるなり。まことにかくのごとくある聞法の功徳、たやすくしるべきにあらざれども、佛祖の大會に會して、皮肉骨髓を參究せん、説法の功力ひかざる時節あらず、聞法の法力かうぶらしめざるところあるべからず。かくのごとくして時節劫波を頓漸ならしめて、結果の現成をみるなり。かの多聞博記も、あながちになげすつべきにあらざれども、その一隅をのみ要機とするにはあらざるなり。參學これをしるべし、高祖これを體達せしなり。

「愚人思わくはーいささか心識にも蓋心蓋識する時節なり」の文章は素意そのままに解せられますが、複雑極まる形而上的考察による道元禅師の文体と較べると、常人の思う所感を代弁した如くのものですが、聞法しても何ら身心の為にならない原因は、正師に会わず正伝の面授が無いとする旨は、法を説く者と聞く側との啐啄迪感応道交が欠如しているとも読み込まれるものです。

「この正当恁麼時は、蓋身蓋身先、蓋心蓋心先、蓋心後、蓋因縁報業相性体力、蓋仏蓋祖、蓋自他、蓋皮肉骨髄等の功徳あり。蓋言説、蓋坐臥等の功徳現成して、弥淪弥天なるなり」

正当恁麼時とは、正師に聞法する時には尽十方界の全ての事象・事物・因縁所生が、聞法功徳を助生するとの文言ですが、このような表現態の発想は何処から湧き出すのだろうか。

「誠にかくの如くある聞法の功徳、たやすく知るべきに非ざれども、仏祖の大会に会して、皮肉骨髄を参究せん、説法の功力引かざる時節あらず、聞法の法力蒙ぶらしめざる処あるべからず」

先述の例言の如くに、聞法の功徳は我々の実感以上に多大で知る術も持ち得ませんが、これを説法の功力あるいは聞法の法力と呼ばしめるものです。

「かくの如くして時節劫波を頓漸ならしめて、結果の現成を見るなり。かの多聞博記も、強ちに投げ棄つべきに非ざれども、その一隅をのみ要機とするには非ざるなり。参学これを知るべし、高祖これを体達せしなり」

カルパ(劫波)と云われる長時間の頓悟漸修を以て結果の現成を見、多聞博記も否定する訳ではないが、一隅ばかりに固執し全体性の参学が大事である事実を説かれ、それが出来たのは高祖洞山良价が体達したのである。

曩祖道、我説汝尚不聞、何況無情説法也。

これは高祖たちまちに證上になほ證契を證しもてゆく現成を、曩祖ちなみに開襟して、父祖の骨髓を印證するなり。なんぢなほ我説に不聞なり、これ凡流の然にあらず。無情説法たとひ萬端なりとも、爲慮あるべからずと證明するなり。このときの嗣續、まことに秘要なり。凡聖の境界、たやすくおよびうかがふべきにあらず。高祖ときに偈を理して雲巖曩祖に呈するにいはく、無情説法不思議は、也太奇、也太奇なり。しかあれば、無情および無情説法、ともに思議すべきことかたし。いはくの無情、なにものなりとかせん。凡聖にあらず、情無情にあらずと參學すべし。凡聖、情無情は、説不説ともに思議の境界およびぬべし。いま不思議にして太奇なり、また太奇ならん凡夫賢聖の智慧心識、およぶべからず。天衆人間の籌量にかゝはるにあらざるべし。若將耳聽終難會は、たとひ天耳なりとも、たとひ彌界彌時の法耳なりとも、將耳聽を擬するには、終難會なり。壁上耳、棒頭耳ありとも、無情説法を會すべからず。聲塵にあらざるがゆゑに。若將耳聽はなきにあらず、百千劫の工夫をつひやすとも、終難會なり。すでに聲色のほかの一道の威儀なり、凡聖のほとりの窠窟にあらず。

眼處聞聲方得知。

この道取を、箇々おもはくは、いま人眼の所見する草木花鳥の往來を、眼處の聞聲といふならんとおもふ。この見處は、さらにあやまりぬ。またく佛法にあらず。佛法はかくのごとくいふ道理なし。高祖道の眼處聞聲の參學するには、聞無情説法聲のところ、これ眼處なり。現無情説法聲のところ、これ眼處なり。眼處さらにひろく參究すべし。眼處の聞聲は耳處の聞聲にひとしかるべきがゆゑに、眼處の聞聲は耳處の聞聲にひとしからざるなり。眼處に耳根ありと參學すべからず。眼即耳と參學すべからず。眼裏聲現と參學すべからず。

洞山無情説法話に対する最後の拈提に入ります。

「これは高祖忽ちに証上になお証契を証しもてゆく現成を、曩祖因みに開襟して、父祖の骨髄を印証するなり」

親鳥と雛との啐啄同期的情景を、このような「証上に証契を証する現成を印証するなり」と、それぞれが仏祖であることを言う比喩表現となります。

「汝なお我説に不聞なり、これ凡流の然にあらず。無情説法たとい万端なりとも、為慮あるべからずと証明するなり。このときの嗣続、誠に秘要なり。凡聖の境界、たやすくおよび窺うべきにあらず」

雲巌が提示する「我説汝尚不聞」の道元解釈と一般解釈では隔たりが有るとの認識が、此の処で言う「無情説法は万事万端であるが、そこには人間の慮知が働かないと証明した」に連なり、雲巌と洞山との嗣法相続は誠に秘訣要訣であり、有情と無情や凡や聖の線引きは安易に出来得る事ではない。という凡流との違いを述べるものです。

「高祖ときに偈を理して雲巌曩祖に呈するに云わく、無情説法不思議は、也太奇、也太奇なり。しか有れば、無情および無情説法、ともに思議すべき事難し。云わくの、無情なにものなりとかせん。凡聖にあらず、情無情にあらずと参学すべし。凡聖、情無情は、説不説ともに思議の境界及びぬべし」

本則偈文では「也太奇 也太奇、無情説法不思議」とする処を拈提では、「無情説法不思議は、也太奇、也太奇」と改変された主旨を『御抄』註解では、「其の故は、無情説法の上に也太奇と云えば、無情説法を別に置いて云うに似て、無情説法不思議は也太奇と云えば上手く文意が連なり、同じ偈文同じ意味で相似するけれど、聊か其の心地は違うべき歟」(趣意)との註解で、拈提される道元禅師の心情を察する者の書きぶりです。

ここは無情説法の不思議を説くものですが、「無情なにものなりとかせん」の言句に答話も包含されると思われ、無情の真実態は「什麼物をも包摂する」との未分化状態に深化できれば、読み解く事が可能である。

「いま不思議にして太奇なり、また太奇ならん凡夫賢聖の智慧心識、及ぶべからず。天衆人間の寿量に関わるに非ざるべし」

前文と同様な言い回しで凡聖を凡夫・賢聖と分節し、三善道に該当する天・人を持ち込んでの無情不思議を説かれます。

「若将耳聴終難会は、たとい天耳なりとも、たとひ弥界弥時の法耳なりとも、将耳聴を擬するには、終難会なり。壁上耳、棒頭耳ありとも、無情説法を会すべからず。声塵にあらざるが故に。若将耳聴は無きに非ず、百千劫の工夫を費やすとも、終難会なり。すでに声色の外の一道の威儀なり、凡聖のほとりの窠窟に非ず」

凡夫・賢聖の智慧心識や、人間界の範囲でも及びつかないとの事でしたから、更に具象例で天耳通の耳・時間空間一杯の耳を以てしても会する事難しで有り、俗諺に云う壁に耳あり障子に眼ありの言を捩った、壁の上の耳や棒の上の耳と云った想像上での比喩を出し、勿論聴覚の対象としての声塵では無情説法は不可聞なり。

「声色のほかの一道の威儀」とは香厳智閑による悟道の偈「一撃亡所知、更不自修治。動容揚古路、不堕悄然機。処々無蹤跡、声色外威儀。諸方達道者、咸言上々機。」の一句を援用したもので、さらには凡夫賢聖の近辺の窠窟(ほら穴)を云っているのではない。

「眼処聞声方得知。この道取を、箇々思わくは、いま人眼の所見する草木花鳥の往来を、眼処の聞声と云うならんと思う。この見処は、更に誤まりぬ。全く仏法に非ず。仏法はかくの如く云う道理なし。高祖道の眼処聞声の参学するには、聞無情説法声の処、これ眼処なり。現無情説法声の処、これ眼処なり。眼処更に広く参究すべし。眼処の聞声は耳処の聞声に等しかるべきが故に、眼処の聞声は耳処の聞声に等しからざるなり。眼処に耳根ありと参学すべからず。眼即耳と参学すべからず。眼裏声現と参学すべからず」

眼処にて聞声して方に知り得る。これを普通は「眼処の聞声」と主客の関係性で以て見得しようとするが、仏法の道理は人眼の所見する草木花鳥の往来を示すものではない。洞山高祖が云う「眼処聞声」を参究学道する要旨は「聞無情説法声・現無情説法声」することが眼処だと説かれますが、先に指摘した主客能所を離隔する述法になり、言わんとする旨は実眼処の聞声・耳処の聞声に等しく、眼処の聞声は只眼処の聞声だけであり、耳処の聞声の介入する余地は無く、ですから等しからざるなりと説かれます。一方を証すれば一方は暗しの道理です。「眼処」を何時何処でも眼処以外には有り得ず、眼の処に耳が有り、眼が即ち耳などと、凡庸が云うような参究学道はするなとの戒めです。

 

    四

古云、盡十方界是沙門一隻眼。

この眼處に聞聲せば、高祖道の眼處聞聲ならんと擬議商量すべからず。たとひ古人道の盡十方界一隻眼の道を學すとも、盡十方はこれ壱隻眼なり。さらに千手頭眼あり、千正法眼あり。千耳眼あり、千舌頭眼あり。千心頭眼あり。千通心眼あり、千通身眼あり。千棒頭眼あり、千身先眼あり、千心先眼あり。千死中死眼あり、千活中活眼あり。千自眼あり、千佗眼あり。千眼頭眼あり、千參學眼あり。千豎眼あり、千横眼あり。しかあれば、盡眼を盡界と學すとも、なほ眼處に體究あらず。たゞ聞無情説法を眼處に參究せんことを急務すべし。いま高祖道の宗旨は、耳處は無情説法に難會なり。眼處は聞聲す。さらに通身處の聞聲あり、遍身處の聞聲あり。たとひ眼處聞聲を體究せずとも、無情説法、無情得聞を體達すべし、脱落すべし。この道理つたはれるゆゑに、

先師天童古佛道、葫蘆藤種纏葫蘆。

これ曩祖の正眼のつたはれる、骨髓のつたはれる説法無情なり。一切説法無情なる道理によりて無情説法なり、いはゆる典故なり。無情は爲無情説法なり、喚什麼作無情。しるべし、聽無情説法者是なり。喚什麼作説法。しるべし、不知吾無情者是なり。

舒州投子山慈濟大師〈嗣翠微無學禪師、諱大同。明覺云、投子古佛〉、因僧問、如何無情説法。師曰、莫惡口。

いまこの投子の道取するところ、まさしくこれ古佛の法謨なり、祖宗の治象なり。無情説法ならびに説法無情等、おほよそ莫惡口なり。しるべし、無情説法は、佛祖の總章これなり。臨濟徳山のともがらしるべからず、ひとり佛祖なるのみ參究す。

拈提としては引き続き「眼処」についての考究ですが、本則「尽十方界是沙門一隻眼」を挙している事から新たなチャプターとして注解に当たります。

この本則は長沙景岑(生没年不詳)の語録(「大正蔵」五十一・二百七十四・上)からの引用ですが、すでに『光明』巻冒頭にて提唱されたものですが、その時の文は「大宋国湖南長沙招賢大師、上堂。示衆云、尽十方界是沙門眼。」と一隻が欠落していますが、この一隻は道元禅師による添造語に成ります。もちろん「眼」を主体的に説く為の援用ですから、長沙語録の「是沙門眼」でも構わないのでしょうが、敢えて「一隻眼」としたのは、これに続く「千手頭眼」の如くに千を句頭に付す拈提の為だと考えられます。この一例でもわかるように、提唱拈提の作業は練りに練られた文章構成です。

「この眼処に聞声せば、高祖道の眼処聞声ならんと擬議商量すべからず。たとい古人道の尽十方界一隻眼の道を学すとも、尽十方はこれ壱隻眼なり。さらに千手頭眼あり、千正法眼あり。千耳眼あり、千舌頭眼あり。千心頭眼あり。千通心眼あり、千通身眼あり。千棒頭眼あり、千身先眼あり、千心先眼あり。千死中死眼あり、千活中活眼あり。千自眼あり、千他眼あり。千眼頭眼あり、千参学眼あり。千豎眼あり、千横眼あり」

「この眼処」とは、長沙が云う尽十方界是沙門一隻眼と洞山が云う眼処聞声は一緒にしてはいけないを「擬議商量すべからず」と釘を刺し、本来は一隻眼で事足れりとする所を、「一隻眼だけの限定値に落居させる事を嫌う為、様々な眼の道理を説かれる訳です。」(『御抄』による取意)

「しか有れば、尽眼を尽界と学すとも、なお眼処に体究あらず。たゞ聞無情説法を眼処に参究せん事を急務すべし。いま高祖道の宗旨は、耳処は無情説法に難会なり。眼処は聞声す。さらに通身処の聞声あり、遍身処の聞声あり。たとい眼処聞声を体究せずとも、無情説法、無情得聞を体達すべし、脱落すべし」

千手頭眼・千正法眼等と例示を挙げて尽眼と尽界との関係性を説いて来ても、眼処自体は無限数で言い表す事が可能ですから、無情説法を聞く処を参学究明に急いで務めなさいと。参究精進を述べるものです。

本則で説かれた高祖洞山の大切な趣旨(宗旨)は、若将耳聴終難会を「耳処は無情説法に難会なり」と言い直し、次句の眼処聞声を「眼処は聞声す」とする箇所、つまり洞山の偈文の終句二句が肝腎では有るが、更なる「通身処・遍身処」に渉る身心全体での考究も有りとの拈提で、今一度の提言で洞山の「眼処聞声」が体学究明出来なくても、曩祖雲巌が説く「無情説法、無情得聞」を体達したなら、それも脱落の一形態であるとの拈提になるわけですが、洞山・雲巌をも向上事の一途にしなさいとの事と思われます。

「この道理伝われる故に、先師天童古仏道、葫蘆藤種纏葫蘆。これ曩祖の正眼の伝われる、骨髄の伝われる説法無情なり。一切説法無情なる道理によりて無情説法なり、いわゆる典故なり。無情は爲無情説法なり、喚什麼作無情。知るべし、聴無情説法者是なり。喚什麼作説法。知るべし、不知吾無情者是なり」

「この道理」とは「無情説法、無情得聞」であり、その伝われる所が、『如浄語録』下・三十四則(「大正蔵」四十八・百二十八・中)結語で説かれる「葫蘆藤種纏葫蘆」の喩えである。謂う所は同事なる比喩で以てのものですが、この語は『葛藤』巻では「この示衆、曾て古今の諸方に見聞せざる処なり。始めて先師一人道示せり。葫蘆藤の葫蘆藤をまつふは、仏祖の仏祖を参究し、仏祖の仏祖を証契するなり。たとへばこれ以心伝心なり。」との拈語をされます。さらには『永平広録』二百九十三則(宝治二年(1248)十月頃・四百三十六則(建長三年(1251)六月頃)にも収録されますが、いづれも鎌倉帰郷以後のものです。

「一切説法無情なる道理によりて無情説法なり」とは、単に語句を入れ換えただけに見受けられますが、『御抄』グループの人達は「無情説法と云えば猶、無情と説法は親しくなく聞こえる所を、説法無情と云えば猶親切なる理が現る」との解説ですが、ややこじつけ的牽強付会的云い回しに見られます。

この場合の説明としては、洞山による「眼処は聞声す」の参究を望み、それが体究不可なら雲巌の「無情説法、無情得聞」を体達・脱落を説かれての、先師如浄による「葛藤は葛藤を纏(まつ)わる」を説いての「一切説法無情なる道理によりて無情説法」の論述ですから、単なる語句の入れ換え・読み替えでは無く、分節機能から未分節機能へと導く論法の典故(拠)になる訳です。

「無情は無情の為に説法する」とは、無情は通身・遍身処の事実ですから、それ以外の世界は無いわけで「無情は無情に」と言うしか方途は有りません。また「喚什麼作説法」に対しては「吾れが無情であると知らない者が是(それ)である」とは、自己が無情である事をも意識しない者であり、無情それ自体であるから能所の区立てが成り立たないのである。

「舒州投子山慈済大師〈嗣翠微無学禅師、諱大同。明覚云、投子古仏〉、因僧問、如何無情説法。師曰、莫悪口。いまこの投子の道取する処、まさしくこれ古仏の法謨なり、祖宗の治象なり。無情説法ならびに説法無情等、おおよそ莫悪口なり。知るべし、無情説法は、仏祖の總章これなり。臨済徳山の輩知るべからず、ひとり仏祖なるのみ参究す」

最後の本則は『聯灯会要』二十一・投子章からの引用になります。添書による「明覚」は雪竇重顕(980―1052)を指し、随所に雪竇の著語が付されて居ります。「投子古仏」も雪竇による著語になりますが、「無情説法」話則に対する著語ではなく、他の話則に対するものを、ここの付属したものです。因みに『景徳伝灯録』十五・投子大同章では、「問、如何是無情説法。師日、悪。」と記され、ここでは法眼(885―958)による著語が付される形式と成って居ります。

舒州投子山は安徽省桐城県の東北三里にあり、投子大同(819―914)禅師は翠微無学(生没年不詳)禅師に嗣法する。受業師は保唐満(生没年不詳)禅師で、そこでは安般観(安那般那)である数息観による禅観を習い、次いで華厳経教学を学び、雪峰義存(822―908)・趙州従諗(778―897)らとも商量を交わす。

投子大同が僧からの「如何無情説法」「如何無情説法」に対する「莫悪口」は諸悪莫作の「莫」に同意義語でありまして、なかれとの戒めの語ではなく、「なし」と読み、知不知・分別無分別を離れた事を「莫悪口」と解します。「古仏の法謨」の謨は「あり方・範・規模」と解し、古仏の法則とします。「祖宗の治象」の治象とは太平の世のあり方を云うもので、天下の善き治世には無象の喩えであり、所謂は祖宗の姿であると解す。「無情説法も説法無情も莫悪口」とは、何も表現するものが無いと云う意になります。無情説法の真実態が仏祖の中心(総章)的位置づけであります(『行持』巻には「合宮総章はともに草をふくなり。草蓋を明堂とせり。俗なお草屋に居す、出家人いかでか高堂大観を所居に擬せん。慚愧すべきなり。」との説明あり)。以上のような事実・事象は臨済義玄(―866)や徳山宣鑑(780―865)などには、これまで説いてきた無感覚的仏法観は知るべくもなく、無情説法・説法無情は仏祖と呼ばれる人のみが参究出来るとの言にて擱筆されますが、この言明からすると臨済も徳山も仏祖としては認得されない事態になります。徳山に続く雪峰・玄沙・雲門等も仏祖から除外され兼ねない文体ですが、この「臨済・徳山のともがら知るべからず」に対する註解は『聞書』『御抄』には見受けられない事を記して、当巻注解作業を終える事に致します。