正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵 第三十三 道得 註解(聞書・抄)

正法眼蔵 第三十三 道得 註解(聞書・抄)

 

 諸佛諸祖は道得なり。このゆゑに、佛祖の佛祖を選するには、かならず道得也未と問取するなり。この問取、こゝろにても問取す、身にても問取す。拄杖拂子にても問取す、露柱燈籠にても問取するなり。佛祖にあらざれば問取なし、道得なし、そのところなきがゆゑに。

詮慧

〇凡そ仏言は世間に云うが如くにはあらざるべし。たとえば道と仕うも、説と仕うも、同じかるべし。仏の説法と云う事、上聖の下位に蒙ぶらしむる事なれば、説は仏の能にて口業かと覚ゆれども、しかにはあらず。火焔三世の諸仏の為に説法す、三世諸仏立地聴法すと云う詞もあり。又圜悟禅師は烈焔互天には仏・法を説く、互天烈焔には法・仏を説くと云う詞あり。仏・法を説けば、必ず理として法・仏を説くべし。但し此理現成せば、仏の法を説くとも、法の仏を説くとも云い難きをや。仏の法を説くとも一口、法の仏を説くとも一口、これを両口と心得て、差別することあるべからず。只これ張公喫酒李公酔、或いは驢事未去馬事到来などと云う程の事也。

〇仏を仏の能と心得る分には、敵対にも不及事なり。

〇「仏祖の仏祖を選する」と云う、此の詞(は)、世間の理にては選せらるべからず。薬師仏、阿弥陀仏等を釈迦文仏の選すべき歟。仏に勝劣のありて、選し取選し、捨つべきかあるべき歟。選ぶ人も仏祖、選ばるるも仏祖、又選すと云う詞も、仏祖より外に置くべき所あらざるべし。

〇「道得也未と問取する也」と云う、此の問い(は)世間の問いとは不可心得。先に道得を云いつるが如く、問いは口業にて、問答自体あるべしと聞こゆれども、今は不可然。「道得也未」と云うは、仏祖也未と云うなり。得(と)答話なり、非問也。さればこそ、「心身・拄杖・払子・露柱・燈籠にて問取するなりとはあれ、仏祖にあらざれば問取なし、道得なし」とある時に、今の問取は道得なるべし。所詮「心(こころ)を以て問取し、身をもて問取す」と云う事は、心は如何ほど、身は如何ほどと云うなり。「道得也未と問取する」は、たとえば如何是仏と問す、麻三斤と答す。又如何是祖師西来意と問す、庭前柏樹子と答す。是等の丈なるべし。世間に聞こゆる禅師思わく、大疑の下に大悟ありとて、只いたづらに疑い居たれば、大悟はついとして現成す。祖師の詞とも総て可心得物にてなし。ただ祖師の言句を額に懸けて、三・五年も疑い居たれと教う。此の証拠に麻三斤、柏樹子等を引く、甚不可然。又疑いには大疑小疑あり、月与雪、花与雲、其の色白きゆえに、何れが月、何れが雪と疑う。これらは小疑なり、非大疑。墨与漆を黒き疑の証と云う(は)同事也。大疑は総て何れとも不被心得。麻三斤、柏樹子などとら云うと思う(は)、邪見の甚だなり。是什麽物恁麽来と云うか、やがて仏を云い表し、麻三斤は祖師意なるを、相伝の義とは云うべし。

〇「拄杖払子にても問取す、露柱燈籠にても問取する也」と云う、是れ柱ぞ燈ぞ如くは、道得と云う事は、何ぞと問うにてはあらず。ただ露柱燈籠を問うなり。たとえば牆壁瓦礫を仏心と云う程の事也、露柱燈籠これ道得也となり。露柱に問取すと云う事を。悪しく心得たる族あり。是れ柱に物を問わんに不可有返答。詞(は)都て不可有、詞(を)証拠に引いて、仏法には言語に関わらずと云う、ゆえに詞の無きが、やがて仏法にてあるなり、などと云う(は)甚不可然。

経豪

  • 「道得」と云う事は、打ち任すは三業の内には口業の能、六根の中には舌根の所作也。諸仏諸祖も衆生化度する時は、説法する姿とこそ思い習わしたるに、今は「諸仏諸祖は道得也」とある詞に、大いに旧見に相違しぬ。諸仏諸祖に道得ありとも、諸仏諸祖は道得を用うともこそ云いつべきに、「仏祖は道得也」の詞、返々被驚ぬべし。但し此の道理、此の詞に始めて非可驚。「仏祖の仏祖を選するに、道得也未と問取する也」とは、此の「道得也未」の詞(は)、問いにあらず。又道得は善し、未道得は悪ししと、非得失の詞。已に「諸仏諸祖は道得也」と云う程の道得の上には、争か勝劣も浅深もあるべき。只仏の道理・道得と云わるべき也。世間の法すら強ち道得(の)詞許りなるべからず。目くわしこわつくろい(?)、風情の気色にても知其意、乃至極楽浄土には、水鳥樹林皆深妙を囀ると云う。況や仏法の上の草木風水、道得の道理に非ずと云う事なき道理何疑之乎。
  • 此の道得の理、「心(こころ)にても身にても、拄杖払子、露柱燈籠にても、尤可問取」也。其の故は此の右に所挙の「心身已下乃至露柱燈籠皆悉道得なる」ゆえに、如此云わるるなり。実(に)此の道得の道理、仏祖にあらずば此理(は)談ずべからず。「その所なきがゆえに」とは、かく談ずる事なきが、ゆえにと云う心也。

 

 その道得は、佗人にしたがひてうるにあらず、わがちからの能にあらず、たゞまさに佛祖の究辦あれば、佛祖の道得あるなり。かの道得のなかに、むかしも修行し證究す、いまも功夫し辦道す。佛祖の佛祖を功夫して、佛祖の道得を辦肯するとき、この道得、おのづから三年、八年、三十年、四十年の功夫となりて、盡力道得するなり。

裡書云、三十年、二十年は、みな道得のなれる年月なり。この年月、ちからをあはせて道得せしむるなり。

詮慧

〇「その所なきがゆえに、その道得は他人に随いてうるにあらず、我がちからの能にあらず」と云う、いま云う「其の所」とは、何を指すべきぞと覚えたり。これ「仏祖にあらざれば問取なし、道得なし」と云う詞を、やがて取りて、「「その所なきがゆえに」とは云う也。「他人に随いても得るにあらず、我がちからの能にあらず」とは、是れ皆道徳の間隔なきゆえを説く也。たとえば成仏すれば顕本すと云うが如し。但し顕本の事を云うには、始覚の仏にこそ、修行をばもたすれ、本覚の仏には総修行を談ぜず。ただ修行を以て、昔とも今とも取るべき歟。

経豪

  • 実にも此の「道得、他人に随いてうるにあらず、我が力の能にあらず」、仏祖の参学する所に、此の道得の道理はあるべきなり。
  • 此の「昔」と云うも、「今」と云うも、古今に関わらず。「修行も証究も功夫も辦道」も道得なるべし。「仏祖の仏祖を功夫して、仏祖の道得を辦肯する」とは、仏祖ならぬ人がありて、仏祖の道を功夫するなるべし。「此の道得三年八年三十年四十年の功夫と成りて」とは、此の年月のいたづらなる時節にて、道得にあらざる時分にてはなし。此の年月がやがて道得の時節なるべき也。

 

 このときは、その何十年の間も、道得の間隙なかりけるなり。しかあればすなはち、證究のときの見得、それまことなるべし。かのときの見得をまこととするがゆゑに、いまの道得なることは不疑なり。ゆゑに、いまの道得、かのときの見得をそなへたるなり。かのときの見得、いまの道得をそなへたり。このゆゑにいま道得あり、いま見得あり。いまの道得とかのときの見得と、一條なり、萬里なり。いまの功夫すなはち道得と見得とに功夫せられゆくなり。

詮慧

〇「証究の時の見得、それまことなるべし。此(彼?)の時の見得をまこととするがゆえに、今の道得なることは不疑なり。ゆえに、今の道得と、かの時の見得をそなえたるなり。かの時の見得、今の道をそなえたり」と云う。

〇見得道得一なる道理分明也。ゆえに「道得の時の見得と一条也、万里なり」と云う。

経豪

  • 是は如前云、此の功夫の「年月間も、道得なる所を道得の間隔なかりける」とは云う也。
  • 「証究の時」とは、仏祖の当体を指すべき歟。道得の道理の上には、又「見得」と云う事あるべし、其の道理を今は釈せらるる也。尽十方界沙門一隻眼ぞ、見得の手本にてはあるべし。「証究の時の見得、彼の時の見得、今道得時分」も浅深不可有一物也。見得も道得も只同物なり。故に「見得まことなるべし、彼の時の見得まことなるがゆえに、今の道得なる事は不礙也」と云うなり。
  • 道得と見得と、各別ならざる道理が、「いまの道得、かの時の見得をそなえたる也」とは云わるる也。「此(彼?)の時の見得、今の道得をそなえたり」と云うも、只同じ詞也。見得と道得との親切なる道得を、云い表さんが為なり。此の下の詞も「一条万里」の詞も、見得と道得との程なるべし。一条と云わるる道理あるべし、只一法なり。
  • 此の道理は、「道得見得に功夫せられ」、道得は見得に功夫せられ、見得は道得に功夫せられ功夫功夫功夫せらるる道理也。

 

 この功夫の把定の、月ふかく年おほくかさなりて、さらに從來の年月の功夫を脱落するなり。脱落せんとするとき、皮肉骨髓おなじく脱落を辦肯す、國土山河ともに脱落を辦肯するなり。このとき、脱落を究竟の寶所として、いたらんと擬しゆくところに、この擬到はすなはち現出にてあるゆゑに、正當脱落のとき、またざるに現成する道得あり。心のちからにあらず、身のちからにあらずといへども、おのづから道得あり。すでに道得せらるるに、めづらしくあやしくおぼえざるなり。

詮慧

〇「脱落を究竟の宝所として、到らんと擬しゆく所に、擬到はすなわち現出にてあるなり」と云う、

宝所を待つと云う詞、能所あるように聞こゆ、彼此の差別に似たり。然而道得の時の擬到なるゆえに、「待たざるに現成す」と云う。

経豪

  • 功夫の月深く、年多く重なりたれども、未脱落は道得にあらずとこそ覚ゆれども、道得の方よりは総て道得ならぬ時分、不可有。ゆえに「月深く年多く重なる時分も、皆脱落也と云うなり。脱落せんとする時、皮肉骨髄同じく脱落を辦肯す国土山河ともに脱落を辦肯するなり」。

道得の脱落ならば、口業の能なるゆえに、舌根こそ脱落とも云うべけれども、しでに諸仏諸祖は道得也と一向にある上は、仏祖に仰ぎて皮肉骨髄とはあるなり。乃至皮肉骨髄許りなるべきにてなければ、「国土山河共に脱落を辦肯す」と云う也。所詮此の道得、横竪無礙なる道理也。

  • 是は此の道得は宝所を期して、後に到らんと擬し行く所が、やがて現出にてある也。此のゆえに「またざるに現成する道得ある」なり。
  • 実(に)「心の力にても、身の力にてもあるべからず」、只道得は道得の道理なるべし。此の道得又いま始めて、出で来たるにあらず、無始無終の道得也。めずらしかるべきにあらず。又誰人ありてか、道得の外にめずらしく思う者もあるべき。

 

 しかあれども、この道得を道得するとき、不道得を不道するなり。道得に道得すると認得せるも、いまだ不道得底を不道得底と證究せざるは、なほ佛祖の面目にあらず、佛祖の骨髓にあらず。しかあれば、三拝依位而立の道得底、いかにしてか皮肉骨髓のやからの道得底とひとしからん。皮肉骨髓のやからの道得底、さらに三拝依位而立の道得に接するにあらず、そなはれるにあらず。いまわれと佗と、異類中行と相見するは、いまかれと佗と、異類中行と相見するなり。われに道得底あり、不道得底あり。かれに道得底あり、不道得底あり。道底に自佗あり、不道底に自佗あり。

詮慧

〇「道得を道得する時、不道得を不道するなり。道得に道得すると認得せるも、いまだ不道得底を不道得底と証究せざるは、なを仏祖の面目にあらず」と云う、しかあれば道得不道得、無勝劣、無前後条勿論也。道得不道得を仏の面目とすべし、仏の一面出、両面出なるべし。

〇「三拝依位而立の道得底、いかにしてか皮肉骨髄のやからの道得底と等しからん」と云う、この「三拝依位而立」の事を、ここに引載せらるる事は、何事ぞと覚えたれども、道得底と不道得底とを一切勝劣を立てず、其のゆえは上に「この道得を道得する時、不道得を不道するなり。道得に道得すると認得せるも、いまだ不道得底を不道得底と証究せざるは、なを仏祖の面目にあらず、仏祖の骨髄にあらず」とある時は、道得道不得が同じき程に、皮肉骨髄の四人の得法をば許す。ゆえに引のせらる、「皮肉骨髄のやから」と嫌わるる体に至さるるは、皮肉骨髄に勝劣を立てて云う族を下げしむるなり。道得道不得は今の皮肉骨髄ほどのあわいなり。

〇「いまわれと他と、異類中行と相見するは、いまかれと他と、異類中行相見する也」と云う、此の自他は異類中行の自他なれば、仏法の自他なり相見と云うも、かれとかれと相見すれば、相見とは云えども、二人相い見るにてはなし。道得底不道得底の如し、ゆえに「道得に自他あり、不道得底に自他あり」と云うなり。「われに道得底あり、不道得底あり。かれに道得底あり、不道得底あり」と云う、自他これ同位の自他なり。

経豪

  • 是は此の道得の理の現成する時は、「不道得を不道するなり」とは、道得の上には必ず不道得の理あるなりと云う也。「道得に道得すると心得たりとも、いまだ不道得底を不道得底と不心得ざるは、仏祖の面目、仏祖の骨髄等にあらず」と被嫌なり。
  • 「三拝依位而立」とは、二祖の得髄の時の事を云う也。是を祖門のやから多く思わくは、四員の御弟子の中に、三人は不道得なれば不被許。二祖はすでに初祖の御心に叶いて、得髄て伝衣伝鉢し給いきと多分思う也。此事を大いに被嫌なり。初祖の皮肉更不可差別浅深、此見解を被嫌、ゆえに「三拝依位而立の道得底、いかにしてか皮肉骨髄のやからの道得底と等しからん」と云われ、又「皮肉骨髄の族の道得底、さらに三拝依位而立の道得に接するにあらず」とは被嫌なり。
  • 我与他さらに差別なきを差別したりと深く心得て、異類中行と替わりたるように心得てたるは、所詮「かれと他と異類中行」と云う程に、悪しく心得たりと云う也。彼与他(は)一物也。其れを異類中行と心得んは、まことに大いに相違すべし。是程の見也と被挙なり、是嫌心なるべし。
  • 我与他各別ならぬ所を、異類中行と思うは僻見なり、凡見也。又われが外に物なく、他の外に物なき、各独立の姿を異類中行と云わんは、仏法の上の所談なり。「我に不道得底あり、かれに道得底あり、不道得底あり」とは、われとかれとのあわい、道得底、不道得底程の理なり、只一物なり。道得の上に、又自他を立つれば、自他も道得も、不道得も得失にあらず。彼此に関わらず、只一物なる道理現前するなり。

 

 趙州眞際大師示衆云、儞若一生不離叢林、兀坐不道十年五載、無人喚作儞唖漢、已後諸佛也不及儞哉。

 しかあれば、十年五載の在叢林、しばしば霜華を經歴するに、一生不離叢林の功夫辦道をおもふに、坐斷せし兀坐は、いくばくの道得なり。不離叢林の經行坐臥、そこばくの無人喚作儞唖漢なるべし。一生は所從來をしらずといへども、不離叢林ならしむれば不離叢林なり。一生と叢林の、いかなる通霄路かある。たゞ兀坐を辦肯すべし。不道をいとふことなかれ。不道は道得の頭正尾正なり。

 兀坐は一生、二生なり。一時、二時にあらず。兀坐して不道なる十年五載あれば、諸佛もなんぢをないがしろにせんことあるべからず。まことにこの兀坐不道は、佛眼也覰不見なり、佛力也牽不及なり。諸佛也不奈儞何なるがゆゑに。

詮慧 趙州真際大師段

〇「大師示衆云、你若一生不離叢林・・不及你哉」、いまこの詞の出で来る事は、「兀坐不道」と云う詞を取るなり、『道得』の草子に大切なり。又不道は道得なる道理顕然なる証也。「一生不離叢林の功夫辦道を思うに、坐断せし兀坐は、いくばくの道得なり」とあれば、兀坐は道得也と可心得也。道得也未と云う詞も、不剃汝頭の詞とは同じかるべし。

〇「一生不離叢林」と云う、此の「一生」は一時二時、十年廿年等の一生にはあらず。不離叢林の兀坐を「一生」とは指す。不可有際限一生なるべし。六道輪廻の一生等にはあらざるべし。

〇「已後には諸仏も不及你哉」と云う、是は諸仏に不及と云う程の事也。諸仏と汝と二人あるを、勝劣に立ちて汝を褒めんとて、諸仏も及ばじと喩えを取るとは不可心得也。

〇「不道は道得の頭正尾正也」と云う、道得と不道得とを取り合わせて、正と云わんとにはあらず。只道得のとき頭正尾正、不道得のとき頭正尾正なり。心仏及衆生、是三無差別の如し。

経豪

  • 此の趙州の道は、「若一生不離叢林、兀坐不道十年五載なりとも、人の汝を唖漢とするなからん」と云う也、「唖漢」とは、おし(唖)なり。実(に)在叢林十年兀坐不道ならんを

唖漢とは云い難し。法身の姿ぞ唖漢の至極なるべき。是は法身の外に聴衆なし、やがて法身聞之なり。仏、華厳頓大の教を説き給いし時、二乗在座聞かしかども、如聾如唖なりき、是ぞ唖漢と云わるべき。此の唖漢は如此なるべからず。所詮今は「在叢林兀坐不道」の姿を、道得とも不道得とも可談也。「坐断せし兀坐は、いくばくの道得也」とは、「いくら」と云う数を不知、「そこばくの道得也」と云う也。「不離叢林の経行坐臥、そこばくの無人喚作你唖漢なるべし」と云うも、前の心なり。

  • 此の「一生」は、只人の上の生と不可心得。不離叢林の姿を一生と取るなり。ゆえに「一生と叢林の、いかなる通霄路かある」とは云う也。只此の兀坐の姿が、「不離叢林の道理も、道得不道得も、無人喚作你唖漢の詞も」、皆通霄路なるべきなり。
  • 是は不道と云えば悪しき事、道得こそいみじき(すばらしい・注)事なれと云う旧見、返々不可然事也。今の「不道」は、道得の上の不道なれば、「道得の頭正尾正」と云わるる也。不道、道得一物なるがゆえに、「兀坐の姿を一生二生」と談ず、只世間の「一時二時にあらざる」也。
  • 此の「兀坐不道十年五載」をもて諸仏とはするなり。仍諸仏の外に余物なき上は、誰人ありてか蔑(ないがし)ろにもせん勿論事也。「仏眼也覰不見、乃至仏力也牽不及、諸仏不奈你何」の詞も、相対すべき物なく、一法の独立したる道理、如此云わるるなり。

 

 趙州のいふところは、兀坐不道の道取は、諸佛もこれを唖漢といふにおよばず、不唖漢といふにおよばず。しかあれば、一生不離叢林は、一生不離道得なり。兀坐不道十年五載は、道得十年五載なり。一生不離不道得なり、道不得十年五載なり。坐斷百千諸佛なり、百千諸佛坐斷儞なり。

 しかあればすなはち、佛祖の道得底は、一生不離叢林なり。たとひ唖漢なりとも、道得底あるべし、唖漢は道得なかるべしと學することなかれ。道得あるもの、かならずしも唖漢にあらざるにあらず。唖漢また道得あるなり。唖聲きこゆべし、唖語きくべし。唖にあらずは、いかでか唖と相見せん、いかでか唖と相談せん。すでにこれ唖漢なり、作麼生相見、作麼生相談。かくのごとく參學して、唖漢を辦究すべし。

経豪

  • 兀坐の道理、如此なるべし。
  • 如文。一生不離叢林を以て、仏祖は道得と談ずるなり。唖漢なれば道得あるまじきと云うは凡見なり。仏祖の唖漢は道得底あるべき也。いみじく道得あるもの也とも、仏道の道得なからんは、唖漢なるべしとあり。尤有謂有謂。
  • 唖漢に道得ある程ならば、唖声も唖語もあるべしと也。此の「唖声・唖語」は、唖漢と等しき程の声語なるべし。唖与唖相見し、唖与唖相談する道理なるべし。
  • 此の「作麽生」の詞(は)、例事也。いづれも相見し、いづれも相談の道理なるべし。ゆえに「作麽生」とは云わるる也。如前云、唖与唖相見し、啞与啞相談する道理を、「作麽生」とは云うべき也。抑も一生不離叢林を以て、道得と云う事、強ち不可驚。仏を説くに身土不二と談ず、只是程の詞なるべし。

 

 雪峰の眞覺大師の會に一僧ありて、やまのほとりにゆきて、草をむすびて庵を卓す。としつもりぬれど、かみをそらざりけり。庵裡の活計たれかしらん、山中の消息悄然なり。みづから一柄の木杓をつくりて、谿のほとりにゆきて水をくみてのむ。まことにこれ飲谿のたぐひなるべし。

 かくて日往月來するほどに、家風ひそかに漏泄せりけるによりて、あるとき僧きたりて庵主にとふ、いかにあらんかこれ祖師西來意。庵主云、谿深杓柄長。とふ僧おくことあらず、禮拝せず、請益せず。やまにのぼりて雪峰に擧似す。雪峰ちなみに擧をきゝていはく、也甚奇怪、雖然如是、老僧自去勘過始得。

 雪峰のいふこころは、よさはすなはちあやしきまでによし、しかあれども、老僧みづからゆきてかんがへみるべしとなり。かくてあるに、ある日、雪峰たちまちに侍者に剃刀をもたせて卒しゆく。直に庵にいたりぬ。わづかに庵主をみるに、すなはちとふ、道得ならばなんぢが頭をそらじ。

 この問、こゝろうべし。道得不剃汝頭とは、不剃頭は道得なりときこゆ。いかん。この道得もし道得ならんには、畢竟じて不剃ならん。この道得、きくちからありてきくべし。きくべきちからあるもののために開演すべし。

詮慧 雪峰真覚大師段

〇不剃汝頭の詞も道得也、不道得也。庵主かしらを洗いて、雪峰の前に来たれるも道得也、不道得なりと可心得。又「僧問の祖師西来意を、答に谿深杓柄長」の詞、谿の深く浅きぞ、柄の長きぞ、短きぞを云うにはあらず。いま祖師意を問答の上は、世間の谿の浅深、柄の長短は無詮。谿浅く杓柄長と云いたらん。又短しと謂わんも、長者長法身、短者短法身程の事なれば、これ祖師意なれ。大方は「祖師意」を如何なる姿とも、色とも云うべきにあらず。谿浅く柄長からんも、祖師意に違(たが)うとは云うべからず。世間の情量に任せて云わば、如何に云わんも当るべからず。ゆえに以詞難定。仍雪峰云、「也甚奇怪、雖然如是、老僧自去勘過始得」と云うなるべし。

〇庵主を見て、雪峰云、道得ならば汝が頭を剃らじと云うに、庵主かしらを洗いて来たる。雪峰庵主の髪を剃る。「道得ならば汝が頭を剃らじ」とある心は、過去心ならば不可得ならじ、現在心ならば不可得ならじ、未来心ならば不道得ならじと謂わんが如し。三界ならば一心なしとも云うべし。此事旁難心得、道得ならば剃らじと云う。庵主剃られに来たる、不道得と聞こゆ。ただしこれは、庵主不道得とは云い難し。道得にて然も剃られたるか。そのゆえは道得不道得の道理知己の所なり。剃も道得、不剃も道得也。道得不道得無勝劣ゆえに、仏祖を表す丈無差別。雪峰と庵主と、唯仏与仏なり。凡そは道得ならば髪を剃らじと云う詞を聞くには、庵主の道得とこそ聞こゆれども、これは雪峰の道得也。剃らじと云うも道得なり、剃るも道得なり。道得と云えば口業に仰ぎてのみ、不可得。手を下して剃も道得なるべきなり。

経豪

  • 是等如文、無殊子細。「いかにあらんかこれ祖師西来意」の詞、例の不審と聞こえ。但し此の「西来意」の姿、西来意かかるべしとて、一法に定まりて、云わるべき道理あらず。いかなるも西来意なるべし。一物に局量せらるべきにあらず、いかなるか仏と問わんに同じ。されば西来意を問う時、庭前柏樹子とも答え、西来意の姿尽期あるべからざる也。此の答えに「庵主谿深杓柄長」と云う。此の詞の御釈不分明とも、法体の方より談ぜん時は、何れとも云わるべし。強ち詞に不可煩、此の詞を聞きて、雪峰侍者に剃刀を持たせ、庵主の許へ渡られたりけり。
  • 此の問答不審也。打ち任すは「谿深杓柄長」の詞に付けて、不審をもして就之問答もあるべきに、何と云う事もなくて、後日に庵に到りて、無左右ふと「道得ならば、汝が頭を剃らじ」と云う詞(は)、打ち放すに難心得。

 

 ときに庵主、かしらをあらひて雪峰のまへにきたれり。これも道得にてきたれるか、不道得にてきたれるか。雪峰すなはち庵主のかみをそる。

 この一段の因縁、まことに優曇の一現のごとし。あひがたきのみにあらず、きゝがたかるべし。七聖十聖の境界にあらず、三賢七賢の覰見にあらず。經師論師のやから、神通變化のやから、いかにもはかるべからざるなり。佛出世にあふといふは、かくのごとくの因縁をきくをいふなり。

経豪

  • 是又不審也。道得ならば、頭(かしら)を剃らじと、雪峰被仰上は、頭を剃らずまじきにてこそあれ。それに頭を洗いて、無左右雪峰の前へ参ずる条も、よく覚束(おぼつか)なし。又道得ならば頭を剃らじと、被仰に付きて、頭を洗いて参じたる上は、雪峰又此の頭を剃るべからず。剃るも剃らるるも、定んで有子細歟。所詮道得不道得の道理の表さん例の振舞也。是を被讃嘆御詞に、「優曇華の一現、難逢難聞」とある也。

 

 しばらく雪峰のいふ道得不剃汝頭、いかにあるべきぞ。未道得の人これをきゝて、ちからあらんは驚疑すべし、ちからあらざらんは茫然ならん。佛と問著せず、道といはず、三昧と問著せず、陀羅尼といはず、かくのごとく問著する、問に相似なりといへども、道に相似なり。審細に參學すべきなり。

 しかあるに、庵主まことあるによりて、道得に助發せらるゝに茫然ならざるなり。家風かくれず、洗頭してきたる。これ佛自智恵、不得其邊の法度なり。現身なるべし、説法なるべし、度生なるべし、洗頭來なるべし。ときに雪峰もしその人にあらずは、剃刀を放下して呵々大咲せん。しかあれども、雪峰そのちからあり、その人なるによりて、すなはち庵主のかみをそる。まことにこれ雪峰と庵主と、唯佛與佛にあらずよりは、かくのごとくならじ。一佛二佛にあらずよりは、かくのごとくならじ。龍と龍とにあらずよりは、かくのごとくならじ。驪珠は驪龍のをしむこゝろ懈倦なしといへども、おのづから解収の人の手にいるなり。

 しるべし、雪峰は庵主を勘過す、庵主は雪峰をみる。道得不道得、かみをそられ、かみをそる。しかあればすなはち、道得の良友は、期せざるにとぶらふみちあり。道不得のとも、またざれども知己のところありき。知己の參學あれば、道得の現成あるなり。

詮慧

〇「雪峰の云う道得不剃汝頭、いかにあるべきぞ。未道得の人、是れを聞きて、力あらんは驚疑すべし、力あらざらんは茫然ならん」と云う、この「未道得」は実にも世間に思う、未道得人なるべし。未道得人に取りて、力のあるとなきとの事也。「驚疑す」と云うは、不剃汝頭の詞を由々しく褒め信じて驚疑するなり。悪しく思いて驚き、疑うにてなし、執を動著する義也。

〇「かくの如く問著する問に、相似也と云えども、道に相似なり」と云うは、道得不剃汝頭の詞、問著に相似也と云う也。この「道得不剃汝頭」は、雪峰一句の道得也とこそ謂わめ。これをも「道に相似」と云う事が、首尾不相応聞こゆるなり。ただし、事は問著に相似すれども、道得ぞと云いきりなば、都て此の宗門には祖師の詞に、問と云う事のあるまじきように聞こゆる所を受けて、「道に相似也」とは云う。「道」と云うは道得と云う也。

〇「庵主の洗頭来は現身説法也、度生也」、道得ならば頭を剃らじと云いて、やがて頭を剃れば不道得と覚ゆ。但し道得不道得は、共に仏法の道得なるゆえに、勝劣善悪にあらず。「雪峰その人なるによりて、髪を剃るをそるなり、庵主与雪峰、唯仏与仏」也。

〇「道得の良友は、期せざるに訪(とぶら)う道あり。道不得の友、またざれども知己の所ありき。知己の参学あれば、道得の現成あるなり」と云う、いま云う「知己」は、又道得の現成あるなりと云う時に、道得道不得知己現成、ただ一仏の面目なるべし。

経豪

  • まことに「未道得の人これをきゝて、ちからあらんは驚疑すべし、ちからあらざらんは茫然なるべし」、打ち任せて仏法を問せんには、如何法性とも、三昧とも可問、今の詞(は)実(に)被驚疑しぬべし。仏とも問著せず、三昧とも陀羅尼とも云わず。但し今の詞、「問に相似也とも云えども、道に相似也」とは、問いの詞に非ず。此の詞がやがて道なるなりと云うなり。
  • 此の「洗頭して来たる姿を、仏自智慧、不得其辺」と被讃嘆也。この「洗頭の姿、法度とも、現身とも、説法度生とも」云わるる也。又説法度生と云わずとも、只「洗頭来」と可談と云う也。
  • 是は雪峰を讃嘆の御詞也。「雪峰与庵主とを、唯仏与仏乃至一仏二仏」と被讃ずなり。
  • 驪珠は驪龍の頤(おとがい)の下にあり、此の驪珠を惜しむ心、懈倦なけれども、是を得べき人には惜しむ事なし。「雪峰は庵主を勘過す、庵主は雪峰を見る。又髪を剃り髪を剃らる、誠(に)道得不道得の道理」なるべし。「道得の良友」とは、雪峰と庵主ともあわいを云うべし。「知己」と云うも、此のあわいなるべきなり。

道得(終)

 

2022年9月17日(タイ国にて擱筆

 

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。