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現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第五十九 家常 註解(聞書・抄)

詮慧・経豪 正法眼蔵第五十九 家常 註解(聞書・抄)

おほよそ仏祖の屋裡には、茶飯これ家常なり。この茶飯の義、ひさしくつたはれて而今の現成なり。このゆゑに、仏祖茶飯の活計きたれるなり。

詮慧

〇「仏祖の屋裡には、茶飯これ家常」と云う、茶飯ならぬ家常多き内を、先ず一通り出してあるにはあらず、その故はこの茶飯飯食の見をば超越すべし。すでに仏祖章句は、仏祖家常の茶飯と云う故に。凡そ家常と云うに、仏家には実相真如と説くを差し置きて茶飯と仕う。何事を超越すべき道理あるぞや。人間には実相真如なし、仏祖の屋裡には、我等が聞く処の法性真如を茶飯とや云うらん。天上に又何とか説くらん、難知人間界の内すら、猶処々に随って詞変わり、貴賤について有差別。また用うる器しなじなあり、仏教は応機と説くと云う、家常種々なるべし。いかさまにも先ず今の茶飯は我が如所見なるべからずと、ひとのけひとのけ手置くべき也、これ用心なるべし。始終又此の道理に落居すべきなり。仏家にあらん調度振る舞い、皆以家常と云いつべし。必ず茶飯に不可限と思うも、云われなきにあらねども、家常はただ茶飯なるべし。祖師多くこの事を挙ぐ、其の上仏法には一同一上の法と談じて、実なれば尽くして、あれこれを昆じうべきにあらず。喫茶喫飯と云いて残る所なし、故に家常の多かる中の其一とは取るべからず。只家常は茶飯と心得に不足ゆめゆめなし。この「家常」と云う詞は如是という詞に似たり。相・性・体・力・作・因縁も、一一爾如是あり、相の如是、性の如是と不各別、家常もしかなるべし。

経豪

  • 「家常」の詞は、よのつねと談ず也。此の「茶飯」世間出世まことに、よのつねの儀なるべし。雲堂裏の茶飯、世間にも打ち任せたる儀なるべし。但「仏祖茶飯」の詞は、よのつねにあらずとも云いぬべし。其の故は茶も法界を尽くし、飯も尽界を尽くすべし。是れ則ち仏祖の上の、茶飯の道理なるべし。

 

大陽山楷和尚、問投子曰、仏祖意句、如家常茶飯。離此之余、還有為人言句也無。投子曰、汝道、寰中天子勅、還仮禹湯堯舜也無。大陽擬開口。投子拈払子掩師口曰、汝発意来時、早有三十棒分也。大陽於此開悟、礼拝便行。投子曰、且来闍梨。大陽竟不回頭。投子曰、子到不疑之地耶。大陽以手掩耳而去。

しかあれば、あきらかに保任すべし、仏祖意句は、仏祖家常の茶飯なり。家常の麁茶淡飯は、仏意祖句なり。仏祖は茶飯をつくる。茶飯、仏祖を保任せしむ。しかあれども、このほかの茶飯力をからず、このうちの仏祖力をつひやさざるのみなり。

還仮堯舜禹湯也無の見示を、功夫参学すべきなり。離此之余、還有為人言句也無。この問頭の頂□(寧+頁)を参跳すべし。跳得也、跳不得也と試参看すべし。

詮慧

〇「楷和尚段、以手掩耳而去・・・仏祖意句如家常茶飯。離此之余、還有為人言句也無」と云えば、四教の詞、各々ならざれども、談ずるところ不同也。仏を習うに四つの姿あり、上を習うにも四種あり。水に四見の不同あり、これを離れて為人の言句ありやと云う。茶飯の詞の世間にありとも、又大道に通ずる道ありとも知るべし。仏祖の章句と云う故に、仏祖の章句に、何事か残るべき、欠けたる所不可有。已に茶飯を仏祖の章句と云う(は)、非可疑なり。「如茶飯」とある「如」の字(は)不審也。この家常茶飯の義は、不及同異論事歟。但同異の詞とは心得まじ、如も茶飯の如なるべし。欲知仏性義の時、欲知をやがて仏性と心得しが如し。

〇「寰中天子勅、還仮禹湯堯舜也無」と云う、これは寰中の天子は劣にて、むかしの禹湯堯舜を善かりし法なれば仮るにてはなし。無悪は天子の上にこそ在る時に、いづれの天子の法も変わらざるべきなり。「離此之余為人」の言句あるべからざるなり。此の「仮」と云う詞、さとりを仮るかと云う程の詞なり。仮ると云えばとて、可仮物のあるにてはなし。天子の道は昔、禹湯堯舜の道をこそ今の天子も行なえ、天子の道は、いづれも変わらねば仮らずとも、定め難し。

〇「拈払子掩師口」と云う、「掩口」と云うは為人の言句を仮るべしと云わず、仮るまじと云わず。此の理を説く時、掩口なり。かく云う時は、悪しく心得る輩をしいたたけて、只云うべき事の無きを、掩口の理と思えり、不可然也。此の口此の払子(は)、共に仏祖の言句とあらわるるなり。

〇「汝発意来時、早有三十棒分」と云う、来時発意也、其の時より仏法具わりたりと云う也。来時を先に置き、開悟を後に置くべきにあらず。前後に拘わらざる故に。たとえば初発心時辨成正覚の心なり、棒を与えぬる上は邪なしと可心得。

〇「到不疑之地耶」と云う、以開悟時節不疑の地という。拈払子掩師口と云う程の分なり。

〇「家常の麁茶淡飯は、仏意祖句なり」と云う、此の「麁淡」の詞は、善悪を云わんとにはあらず。ただ茶飯と談ずる上の詞にしばらく置く麁談之字者也。

〇「仏祖は茶飯をつくる」という、これは烈焔亘天には仏法を説き、亘天烈焔には法仏を説くと云う程の義なり。仏家には茶飯を、言句と云いつる故に。

〇「茶飯、仏祖を保任す」という、此義同上。仏祖は茶飯をつくる、茶飯は又仏祖を保任するなり。

〇「茶飯力をからず、仏祖力をついやさざるのみなり」という、他力を仮るぞ費やすとぞとは云うべからず。仏法を説き、法仏を説く故に費やすと云う。此の時ついやすと云う面目なき也。家常茶飯ぞ、ついやさざる義にてはあるべき。

〇「問頭の頂□(寧+頁)を参跳すべし。跳得也、跳不得也と試参看すべし」と云うは、問いと覚ゆる所が、いまの頂□(寧+頁)なる事を問頭とは仕う也。

経豪

  • 「楷和尚」とは芙蓉の道楷和尚事也。「投子」とは義青事也(是楷和尚師也)。「仏祖の意句」とは、頌をも作りなどせんずるかとこそ思うに、「家常の茶飯」とある難心得。但仏祖の上の茶飯の姿、尤も「仏祖の意句」と云わるべし。楷和尚の師に問する詞に、「離此之、還有為人言句也無」とは、此の茶飯を離れて有為人言句無と被問也、如文。此の「無」の詞、例え離ると云う理も不離と云う道理もあるべし。「投子曰、汝道、寰中天子勅、還仮禹湯堯舜也無」、是は当時の天子(は)、堯舜の政事をかるや否やと云う也。此の詞は離此還有為人言句也無と云う詞に、聊かも不違、只同事也。其の時「大陽擬開口。投子拈払子掩師口曰、汝発意来時、早有三十棒分也」と、是は汝は無始本有の仏祖の面目也と云う詞なるべし。大陽この時「開悟礼拝」す。其の時「投子曰、且来闍梨」、是は弟子を呼び返すか。而るに大陽ついに不帰。ここに投子又云く、「子到不疑之地耶」、此の詞を聞いて「手を以て掩耳而去くなり」。此の問答、文に聞こえたり。此の師弟の問答・振舞(は)、所詮悟道得法の上の所作なるべし。凡慮の境界の非所及べし。
  • 如前云、茶飯を仏祖の家常と云う。「麁茶淡飯」とはあらき茶、あらき飯と云う也。これは只茶飯と心得べき麁淡の詞に付けて、別の了見不可有。「仏祖は茶飯をつくる。茶飯、仏祖を保任せしむ」とは、ただ仏祖は茶飯、茶飯は仏祖と云うなり。無別子細、是は強為して仏祖を茶飯になし、茶飯を仏祖になすにあらず、ただ法爾法然の道理如此なる也。故に「この外の茶飯力をからず、この内の仏祖力をついやさず」とは云う也。
  • 此詞如前云、「無」の詞、例うけたる詞也、仮と云う義も、からずと云う義もあるべし。「為人の言句」も、有と云う義も、無と云う義もあるべし。此の道理を「問頭の頂□(寧+頁)を参跳すべし」とは云う也。「跳」はおどると云う歟、解脱の心地也。「跳得」は善く「跳不得」は悪ししとは不可心得。「跳得、跳不得」(は)、非得失只同理なるべし。

 

南嶽山石頭庵無際大師いはく、吾結草庵無宝貝。飯了従容図睡快。道来道去、道来去する飯了は、参飽仏祖意句なり。

未飯なるは未飽参なり。

しかあるに、この飯了従容の道理は、飯先にも現成す、飯中にも現成す、飯後にも現成す。飯了の屋裡に喫飯ありと錯認する、四五升の参学なり。

詮慧

○南嶽山庵無際大師段。「無宝貝」という、是は世間の宝なき也、貝と云うは、荘厳美麗の螺鈿などとの事也。実()に石頭草庵にはあるまじき調度也。但此の石頭の草庵は、世間の草にてつくる、民戸等には難類。仏祖の道場なる故に、草と云うにつきて「無宝貝」と云う許り也。

○「飯了従容図睡快」という、此の「飯了」は徒らに飯を食し終るにてはあるべからず。飯了は「参飽仏祖意句也」と可心得。此の飯了を「飯先にも現成す、飯中飯後にも現成す」と云う、飯の現成は仏祖の現成なり。「図睡快」と云う詞は、先に到不疑之地などと云う同じ詞なり。睡快と云うも此の「睡」の字が大切なるにてはなし。飯了の上に心よく云わんとての睡なり、また睡に付けて「従容」の詞もあり。飯了は仏祖の言句なる故に、総て世間の人の食飯了りて、いたづらにねぶる様には努々不可心得。仏道の喫飯睡快なるべし。

○「喫飯ありと錯認する」という、茶飯を飯了ぞとは云えども、いまだ「喫」の字聞こえず、この所に加うは喫の字なり。喫飯ありと錯認とは云えども、「喫」も「錯」も仏法の上なるべし。「飯了の屋裏」にとある故に、屋裏仏祖なり。この「錯認」は捨つべき、あやまりにはあらず。

経豪

  • 此の詞は石頭の草庵の歌と云う詞を一句被引出也、是は無別子細。「草庵に無宝貝」とは、宝なしと云う也。飯了して心よく、睡眠すと云う心地なり。但是も一向順世状では不可心得。此の「飯了従容図睡快」の姿、只我々が食了いたづらに休み、ねぶりたる義にてあるべからず。仏成道のあした、大地有情同時成道とも被仰たる程の詞と可心得。不可類凡慮事也。「道来道去、道来去する飯了は、参飽仏祖意句也」とは、「道来道去、道来去」とは、上の石頭の「吾結草庵無宝貝」已下の詞を云う歟。「飯了は、参飽仏祖意句」とは、所詮今の喫飯の姿を、仏祖意句と談ず也。
  • 是は此の飯了の道理を知らざれば、「未飽参也」とは嫌う心地也。実にも此理に到らず、昧からんは未飽参なるべき条、勿論事也。又仏法の上に、参飽未参飽と云う理なかるべきにはあらねども、ここの「未飽参」は嫌わるる詞と可心得。
  • 是は「飯了」と云えば、飯は先、了は後と聞こゆ。此の喫飯の道理必ず(しも)飯了許りなるべきに非ず。飯先も飯中も飯後もあるべきなり。初中後に拘わらぬ飯なるべきが故に、飯了なる時は、喫飯の理は不可有か。然而此の「飯了の屋裏」には、喫飯の道理あるべき所を「錯認する」とは云うなり。此の「錯認」の詞は、あやまりとて非嫌、将錯就錯などと云いし程の錯認なり。喫飯の道理を錯認とも談ず也。此の所右挙の「飯了従容の道理の飯先飯中飯後、飯了屋裏の喫飯」などと云わるる詞共を「四五升の参学也」とは云う也。四五升の字は、飯の詞に便りあるに付けて被呼出歟。

 

先師古仏示衆曰、記得、僧問百丈、如何是奇特事。百丈曰、独坐大雄峰。大衆不得動著、且教坐殺者漢。今日忽有人問浄上座、如何是奇特事。只向佗道、有甚奇特事。畢竟如何。浄慈鉢盂、移過天童喫飯。

仏祖の家裏にかならず奇特事あり。いはゆる独坐大雄峰なり。いま坐殺者漢せしむるにあふとも、なほこれ奇特事なり。さらにかれよりも奇特なるあり、いはゆる浄慈鉢盂、移過天童喫飯なり。

奇特事は条々面々みな喫飯なり。しかあれば、独坐大雄峰すなはちこれ喫飯なり。鉢盂は喫飯用なり、喫飯用は鉢盂なり。このゆゑに浄慈鉢盂なり、天童喫飯なり。

飽了知飯あり、喫飯了飽あり。知了飽飯あり、飽了更喫飯あり。

しばらく作麼生ならんかこれ鉢盂。おもはくは、祗是木頭にあらず、黒如漆にあらず。頑石ならんや、鉄漢ならんや。無底なり、無鼻孔なり。

一口呑虚空、虚空合掌受なり。

詮慧

○先師古仏示衆段。「移過天童喫飯、独坐大雄峰、大衆不得動著」という、大衆あらん大雄峰にては独坐と難云。但百丈の坐は大衆を残さず、坐者漢と云う心地也。・・・一仏成道観見法界、草木国土悉皆成仏と云う(は)、独坐大衆の詞に可心得合、釈迦一仏出世、「大衆不得動著」なり。

○「鉢盂を移天童に喫飯する事、奇特事」と云う事已に分明也。但此の鉢盂は浄慈寺の鉢歟、天童の鉢歟、和尚の鉢歟。如何うつすと云うも何様に移哉、吾亦如是なり。

○「飽了知飯、喫飯了飽」等は、喫飯すれば飽なり、あけば又知飯なり。世間には必ず喫を先に置いて、飽を後にす。仏家には喫(は)必ず(しも)不置前なり、教行証三と不心得。故に過去現在未来不置三世ゆえに。

○「木頭・黒漆・頑石」という、四河入海無復本名、四姓出家同称釈子と云うが如し。鉢も木・石・鉄互いの四種と思う事なかれ。只仏鉢也。木頭・黒漆・頑石にあらず、袈裟をも仏衣とこそ習え。布・絹・綿等の論には非ざる也、小乗に云うに同じかるべからず。

○「無底也、無鼻孔也」という、一鉢無底と云う事あり。常に此の義をいうには、乞食するに不得と説き、鉢底無物と云う事あり、今は不然。鉢盂の無底は、功徳無底也、限りなき故に。「無鼻孔」と云うは、鉢の姿なしと云う也。

○「一口呑虚空、虚空合掌受」と云う、此れ鉢の姿也。やがて無底の詞ぞ、一口に呑虚空たる姿にてはあるべき。

経豪

  • 「如何是奇特事」と云えば、普通にもなき珍事あらんずるように覚えたり。神通の詞も、神通と云えば身上より出水、身下より出水し、或いは虚空を飛び、大海の上を如陸地走らんずるをのみ、神通と思えり。手巾来と点茶来を、神通と談ぜし程の事也。百尺の答えに、「独坐大雄峰」とあり、是奇特事也。「大衆不得動著、且教坐殺者漢」とは如文。大衆不可動著、しばらく者漢を坐殺する也とあり、是坐禅の姿也。是は百丈の坐禅して、大衆を坐殺したるぞと被仰也。凡そは是に過ぎたる奇特事何事かあるべき。奇特に取りて、尤も奇特なるべし、已下如文。百丈は「独坐大雄峰」とあり、天童は「浄慈鉢盂移過天童喫飯」と云う、是奇特事なるべし。此の独坐大雄峰の姿、浄慈鉢盂移過天童喫飯する姿、只尋常に思い付きたる分にあらず、各法界を可尽。此の道理尤も奇特なるべき也。
  • 「猶これ奇特事有」とは、必ず(しも)勝劣あるべき詞にあらず。先には独坐大雄峰を奇特事と云い、ここには慈鉢盂移過天童喫飯を奇特事と云う也。是則天童の詞をもて、なさるる心地歟。
  • 「奇特事の条々面々」とは、右に所挙の独坐大雄峰をはじめて坐殺者漢、慈鉢盂移過天童喫飯等と云うを指す歟、是等を喫飯と可談也。又「鉢盂は喫飯用也」とあり、是は打ち任せたる詞に相似たり。但是も只尋常に飯を入れて可用器物也とは不可心得、鉢盂の姿(は)、可尽法界。鉢盂と喫飯と不可各別、鉢盂の上の喫飯なるべし。此の道理を述べらるるに「浄慈鉢盂也、天童喫飯也」と云う也。ここに浄慈鉢盂とあり天童喫飯也と、はじめには一句に書かれたるを、ここには両語になされたり。是は如前云、鉢盂も尽法界、喫飯も尽法界。只鉢盂喫飯の器物也と許り、心得させし料りとも可心得也。
  • 此の鉢盂の姿、作麽生と云わるべきにあらず。但今の鉢盂いかならんも、鉢盂の道理なるべき所が、如此いわるる也。鉢盂は只鉢盂なるべし、木ぞ黒ぞ、石ぞ鉄ぞなどと云うべからず。但鉢盂の上の荘厳に又如此の詞なかるべきにあらず。其の時の木・黒・石・鉄の姿、不可准凡見、各可尽法界、鉢盂の当体を如此可談也。「無底也、無鼻孔」とは、只鉢盂の解脱し、脱落したる姿なるべし。
  • 是も如前云、鉢盂の尽界をつくす道理なるべし。以虚空鉢盂とするなり、虚空が虚空を「呑」も「受」もすべき也。此の鉢盂喫飯の道理が、「一口呑虚空、虚空合掌受」の理なるべき也。

 

先師古仏、ちなみに台州瑞巌浄土禅院の方丈にして示衆するにいはく、飢来喫飯、困来打眠。爐韛亙天。いはゆる飢来は、喫飯来人の活計なり。未曾喫飯人は、飢不得なり。しかあればしるべし、飢一家常ならんわれは、飯了人なりと決定すべし。

困来は困中又困なるべし。困の頂□(寧+頁)上より全跳しきたれり。このゆゑに、渾身の活計に、都撥転渾身せらるゝ而今なり。

打眠は仏眼法眼、慧眼祖眼、露柱燈籠眼を仮借して打眠するなり。

詮慧

○先師古仏浄土院方丈示衆段。「爐韛亙天困」と云うは、ねぶりをもよおす、時刻朦々たる也。「飢来・喫飯」各別に聞こゆ、しかには非ず。「飢」と云うも「喫」と云うも、只飯の上の詞となる。その故を説くに「困来打眠」という、困は眠なり、眠は困也と心得合する時、又「爐韛亙天」という。是はたたらなり、今たたらと云う詞は、何れに仰せて出で来るぞと覚ゆ。但たたらは仏体よりはじめて、何れの姿も出だす物なる故にかく説く也。但又爐韛がありて、ことものを出だすとは不可云、亙天と取る故に。亙天ならんとは、いづれの暇ありてか、別に出で来る物あるべき。困と云うも「困中又困」と云う、これ迷中又迷程の困なり、嫌うべき困にあらず。「困の頂□(寧+頁)上より全跳しきたるという、渾身の活計」と云う、又この「渾身」は、困を指して渾身とは云う也。「打眠は仏眼、慧眼、祖眼、露柱燈籠」という、この詞を「仮借」とは云うなり。

○「喫飯せざる人の、飢不得也」という、喫を飯と仕う故に、「飢一家常」と云う也、都て喫せざる人は、又飢と云う事も不可有。

経豪

  • 「いわゆる飢来は、喫飯来人の活計也」とは、此の「飢」と「飯」とは全非別物、只同事なるべし。喫飯の上の荘厳なるべし、故に「未曾喫飯人は、飢不得人也」とは、嫌う也。是は此の喫飯の理を不知人は、飢をも不得也と云う、しばらく嫌う詞なるべし。実にも飯喫飯の理に昧からん輩は、飢の道理は不得なるべし。「飢一家常ならん我は、飯了人也と可決定」とは、此の飢の道理現前せば、飯了人と決定すべしと云う也。其の故は飢飯(は)只一物なる上は、飢が尽法界ならん時は飯了人の道理決定すべしと也。飢飯不各別ゆえに。
  • 是は「困来」の詞を被釈也。困とは、たとえば窮屈したる姿歟。打ち任す人の所行也、但此の「困」は全困なるべし。「困中又困」は、迷中又迷と云う程の詞なるべし。「困の頂□(寧+頁)上」と云うは困なるべし。ゆえに「全跳しきたれり」とは全困なる道理也。「渾身の活計に、都撥転渾身せらる」とは、只渾身は渾身に転ぜらると云う詞なり(困とは、ねむらんとするを云う。ねむりをもいう)。
  • 是は又「打眠」の詞を被釈なり。是は窮屈しぬれば、打眠(は)打ち任せたる人の所行かと覚ゆるを、今は打眠を被釈に、「仏眼祖眼等を仮借して打眠する也」とあり。此の「打眠」今は可尽法界也、所詮尽十方界沙門一隻の眼を打眠とは可談也。然者旧見の打眠の道理はすでに改了。「爐韛」とは、たたら、と云いて、かねわかす調度也。所詮今の「飢來」の姿、「喫飯」の様、「困来打眠」等が、詞は無尽なれども只一物なり。此の理が「爐韛亙天」とは云わるる也。かねをわかしぬれば、とろとろと成りて一味和合する後は、差別なし此謂歟。但仏法には彼是を取り合わせ、より合わせて無差別とも云う義にてはなし。一法究尽の理が、無差別とは云わるる也、三世不可得ぞ若しくは是三無差別ぞなどと談ぜしに不可違也。

 

先師古仏、ちなみに台州瑞巌寺より臨安府浄慈寺の請におもむきて、上堂にいはく、半年喫飯坐、坐断烟雲千万重忽地一声轟霹靂、帝郷春色杏花紅。仏代化儀の仏祖、その化みなこれ坐峰喫飯なり。続仏慧命の参究、これ喫飯の活計見成なり。

峰の半年、これを喫飯といふ。坐断する烟雲いくかさなりといふことをしらず。一声の霹靂たとひ忽地なりとも、杏花の春色くれなゐなるのみなり。

帝郷といふは、いまの赤々條々なり。これらの恁麼は喫飯なり。峰は瑞巌寺の峰の名なり

詮慧

○先師古仏浄慈寺上堂段。「半年喫飯住」等(時刻也、是半年歟)。此の喫飯はいたづらに、我等が飢えを除く喫飯にてはなし、「続仏慧命参究」の喫飯なり。仏祖の章句と云われし是なり。

○「坐鞔峰」と云うは鞔峰と云いし処に、坐禅せし事なり。「坐断烟雲千万重」とは、僧の坐禅のかたちを、思い寄せて説く也。烟雲千万重を坐断するなり。

○「忽地一声轟霹靂」という、此の「忽地」は別に去る地のあるにはあらず。一声轟霹靂がやがて忽地と云わる。「一声」も又何の声と云わず、「半年喫飯坐鞔峰、坐断烟雲千万重」が、響く声を一声と仕う也。

○「帝郷」という、別に宮城を云い出だすべき要めなし。「赤々條々也」と云えば、ただ尽界也と可心得。

○「杏花紅」と、この杏花又非別れば、一声の轟霹靂なるべし。杏と花と顕わるるとも非別也。

○「これらの恁麼は喫飯也」という、一声轟霹靂、帝郷春色杏花紅也となどと云う詞を「恁麽」と指す也。

経豪

  • 「半年喫飯坐鞔峰、坐断烟雲千万重」なる姿を喫飯と取るべき也。「坐断」とは坐禅の姿也。「烟雲」とは必ず(しも)烟雲許りに不可限、いづれも此道理なるべし。「忽地一声轟霹靂」とは、只隠れなく露わなる詞也。「轟」とは群車の声と釈すなり、車の群がりたる声也。此の喫飯の道理の隠れなく辺際なき道理が如此云わるる也。「帝郷春色杏花紅」とあり、是等皆、喫飯の道理なるべし。又「坐鞔峰喫飯」の姿を、「続仏慧命の参究」この喫飯と談ずなり。
  • 「坐鞔峰の半年を喫飯」と云う事、御釈分明也。坐禅の姿まことに不可有辺際。「一声の霹靂たとい忽地也とも、杏花の春色紅なるのみ也」とは、只今の姿の喫飯の姿の隠れなき道理を云う也。杏花の春色も所詮、喫飯の道理と云う也。
  • 「帝郷」と云えば、只一か所を示したるに限るべからず、只尽法界などと云う心地也。是を「赤々條々也」とは云うなり。是を「喫飯也」とあり非可不審。

 

先師古仏、ちなみに明州慶元府の瑞巌寺の仏殿にして示衆するにいはく、黄金妙相、著衣喫飯、因我礼你。早眠晏起。咦。談玄説妙太無端。切忌拈花自熱瞞。たちまちに透擔来すべし、黄金妙相といふは著衣喫飯なり、著衣喫飯は黄金妙相なり。さらにたれ人の著衣喫飯すると摸索せざれ、たれ人の黄金妙相なるといふことなかれ。かくのごとくするはこれ道著なり。因我礼你のしかあるなり。我既喫飯、你揖喫飯なり。切忌拈花のゆゑにしかあるなり。

詮慧

○先師古仏示衆黄金妙相・・・拈花自熱瞞段。「黄金の妙相」は仏の姿と云うべからず、黄金の妙相をぞ仏とも云うべき。

○この段、著衣喫飯は無人也。「たれ人の黄金妙相とする事なかれ」という、喫飯も「你揖喫飯也」という、飯が飯を揖する也。無別人。

○「切忌拈花」という、此の切忌拈花の時刻に成りぬれば、拈も誰か拈ずると云う事なし、拈花みづから昧ますと云う此の心地也。黄金妙相を切忌す、「切忌は自ら熱瞞」也。

経豪

  • 「著衣喫飯」と云うは、人の上の所作とこそ思い習わしたれ。「黄金妙相」は仏体とのみ思い付きたり。しかるを今御釈に黄金妙相と云うは、著衣喫飯也とあり、知りぬ此の著衣喫飯の当体、黄金の妙相也と云う事を。此の道理の上は、たれ人の著衣喫飯すと云う道理まことに不可有。「たれ人の黄金妙相なる」と云う義、不可有なり。「如此談ずれば、此れ道著也」と云うなり。
  • 「因我礼你」とは、我によりて你を礼す。と云う詞なり、此の我汝非誰ざる道理也。「我既喫飯、你揖喫飯也」とは、是は喫飯が喫飯なる道理なるべし、只喫飯の道理が如此いわるる也。「切忌拈花」とは、著衣喫飯なる時は著衣喫飯、黄金妙相なる時は黄金妙相なるべし。此の時は「拈花」と云う沙汰は、しばらく切忌すべしと云う也。切忌とて悪しく成りて、捨つべきにあらず。只一法独立なる姿が、「切忌拈花」と云わるべき也。

 

福州長院円智禅師大安和尚、上堂示衆云、大安在潙山三十来年、喫潙山飯、屙潙山屎、不学潙山禅。只看一頭水牯牛。若落路入草便牽出。若犯人苗稼即鞭撻。調伏既久、可憐生、受人言語。如今変作箇露地白牛。常在面前、終日露回々地。趁亦不去也。あきらかにこの示衆を受持すべし。

仏祖の会下に功夫なる三十来年は喫飯なり。さらに雑用心あらず。

喫飯の活計見成するは、おのづから看一頭水牯牛の標格あり。

詮慧

○福州長慶段・・・趁亦不去也。「喫潙山飯」という、此の詞許りを取らんとて被引哉也。「看一頭水牯牛」と云う(は)、潙山に住する本意なり。此の詞(は)必ず(しも)、円智禅師の身上とのみ不可取、仏法を説く姿(は)如此。この「水牯牛」はやがて大安和尚なり。「露地」は樹下などと云う同事也。「白牛」という、法華大乗の大白牛車の心也。ゆえに「受人言語変作」すと云う也。

○「趁亦不去也」という、追わんには去るべきにてこそ、世間の道理にてあれども、いまの道理如此。「不学禅」と云うにて可心得也。

経豪

  • 百丈の弟子に潙山、潙山の弟子に慶院円智禅師也。今の示衆(の)詞に「在潙山三十年来、喫潙山飯、屙潙山屎、不学潙山禅。只看一頭水牯牛」と(の)文、是は只徒らに喫飯して東司に居、学すべき潙山の禅をも不学して、一頭の牛を看たる許りとは不可心得。喫飯の姿(は)已に尽法界道理事旧了。「屙潙山屎」(の)姿も、此の道理なるべきか、すでに潙山の下にて悟道の禅師たり。何としてかいたづらに、不学潙山禅すべき、潙山の身心法界を尽くす上は、大安彼に蔵身する上は、「不学潙山禅」と云う道理あるべし。又此の「一頭水牯牛」と云うも、只普通の牛とは不可心得。三世諸仏、諸代祖師などと云う程の詞也、何としてやらん。祖門に常(に)此の一頭水牯牛と云う詞を仕い付けたり。悪しき詞にあらず、只我が身心は仏祖に蔵身する也と云う程との心と可心得。「若落路入草便牽出、若犯人苗稼即鞭撻、調伏」已下の詞は、此の一頭水牯牛の上に、たよりある詞共を、如此書かれたれども、不可類凡見詞、今所談の牯牛の上の荘厳なるべし。「受人言語」と文、人も尽十方界真実人体の人なり。「如今変作」と云う詞も悪しき物が、善く成るを変作と云うにはあらざるべし。喫飯の道理の千変万化する姿を「変」とも可云歟。然而非善悪改転変作也。「箇露地の白牛」とは、一乗を云う也。不可有差別、所詮潙山も大安も喫飯(の)姿も、一頭水牯牛も、白牛も只一体也。「終日露回々地。趁亦不去也」とは、「露回々」は露われたる心なり。「趁亦不去也」とは、白牛の道理如此なるべき也。
  • 分明也。所詮「三十年の姿、喫飯なるべし」。「雑用心あらず」とは又、喫飯の外に交わり物なき所を如此云也。
  • 今の「喫飯と看一頭水牯牛」とのあわいが、親切なる道理を如此云う也。水牯牛の姿は喫飯、喫飯の理は水牯牛なるべし。

 

趙州真際大師、問新到僧曰、曾到此間否。僧曰、曾到。師曰、喫茶去。又問一僧、曾到此間否。僧曰、不曾到。師曰、喫茶去。院主問師、為甚曾到此間也喫茶去、不曾到此間也喫茶去。師召院主。主応諾。師曰、喫茶去。いはゆる此間は、頂□(寧+頁)にあらず、鼻孔にあらず、趙州にあらず。此間を跳脱するゆゑに曾到此間なり、不曾到此間なり。

遮裏是甚麼処在、祗官道曾到不曾到なり。このゆゑに、先師いはく、誰在昼樓沽酒処、相邀来喫趙州茶。しかあれば、仏祖の家常は喫茶喫飯のみなり。

詮慧

○真際大師の段。「師曰、喫茶去、此間と云うは非頂□(寧+頁)、非鼻孔」という、其の処を置いて曾到・不曾到と云わば脱落の義なるべからず、ゆえに曾到も不曾到も「喫趙州茶」なり。喫茶去にあらざるなし。

○「昼樓沽酒処」という、悪しき所なれば、仏家にあらず、この所を「邀来」ぞ。趙州の茶を喫すべきならずなんとも聞こゆ。又やがて昼樓沽酒の処を接(す)とも聞こゆるなり。趙州の茶を喫する程の所をば、昼樓沽酒の処と云うべからず。いかなる所にても喫すべし。

経豪

  • 趙州の「此間」の詞(は)、只趙州の被坐一寺許りと不可心得。法界の内外此間の道理なるべし、ゆえに「曾到」と云うも、「不曾到」と云うも、共に「此間」上の理なるべし。又「喫茶去」の詞、是又只、普通の喫茶の理と許り不可心得。此の「喫茶」(は)可尽法界を、今趙州(は)以「喫茶去」の道理を被述なり。ゆえに「曾到・不曾到」共に喫茶去なるべし。故に二僧の詞は替わりたれども、師の詞は只「喫茶去」也。知りぬ又喫茶去の詞にて、法の理を被示すと云う事を。又院主が不審のよう文に見えたり、「院主が問師、為甚曾到此間也」の「為甚」の詞に聞こえたり。是又子細あるべし、曾到も不曾到も喫茶也も、皆「為甚麽」の道理なるべし。此間は又此間なるべし、ゆえに「頂□(寧+頁)にあらず、鼻孔・趙州ににあらず」と云わるる也。此れ等の道理を「此間を跳脱する」とは云うなり。「曾到此間も、不曾到此間」も、跳脱の上の道理なるべし。
  • 「遮裏是甚麼処在」は、古き詞也。このうち(裏)は、これいかなる処在と云う詞、例の不審にあらず。このうちの道理、いかなる処在にてもあるべき也、いわゆる曾到不曾到なるべし。又此の「誰在昼樓」とは、大国にある樓事歟、「沽酒処」とある詞ぞ不審なる、いかなる子細があらん、覚束なし。只所詮いかなる物も、趙州の茶を喫せざる物なしと云う心なるべし。一切皆仏性ならずと云う物なし、などと云う程の詞と可心得也。

家常(終)

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。