正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第三十九 嗣書 註解(聞書・抄)

正法眼蔵第三十九 嗣書 註解(聞書・抄)

 

佛佛かならず佛佛に嗣法し、祖祖かならず祖祖に嗣法する、これ證契なり、これ單傳なり。このゆゑに無上菩提なり。佛にあらざれば佛を印證するにあたはず。佛の印證をえざれば、佛となることなし。佛にあらずよりは、たれかこれを最尊なりとし、無上なりと印することあらん。

経豪

  • 此帖無殊沙汰、只如文なり。今の詞は、葛藤の葛藤を纏う程の道理也。是を「無上菩提」とも云うべし。

 

 佛の印證をうるとき、無師獨悟するなり、無自獨悟するなり。このゆゑに、佛佛證嗣し、祖祖證契すといふなり。この道理の宗旨は、佛佛にあらざればあきらむべきにあらず。いはんや十地等覺の所量ならんや。いかにいはんや經師論師等の測度するところならんや。たとひ爲説すとも、かれらきくべからず。

 佛佛相嗣するがゆゑに、佛道はたゞ佛佛の究盡にして、佛佛にあらざる時節あらず。

詮慧

〇「無師独悟、無自独悟」とら云う、これ証不由他の義也。他によらずと云う時は、自にもよらずなどと云うが如し。又「無師独悟」と云うは、外道の見也。但し彼には不可准。天台は証を南嶽に申すと云う事あるなり。七仏の法道は七仏の法道の如しと云う、無師なるべし。一仏のさとりの外に余仏を置かず、自証自悟の義にてなし。師に得たる無師也。松ぞ菊ぞの如々の如し。

経豪

  • 「無師独悟」の詞、打ち任すは師もなくて、ひとり悟るを名づけたり。是は不爾、仏祖に随いて参学する時、「無師独悟」の理を得るなり。「無師独悟」只同心なるべし。

 

たとへば、石は石に相嗣し、玉は玉に相嗣することあり。菊も相嗣あり、松も印證するに、みな前菊後菊如如なり、前松後松如如なるがごとし。かくのごとくなるをあきらめざるともがら、佛佛正傳の道にあふといへども、いかにある道得ならんとあやしむにおよばず、佛佛相嗣の祖祖證契すといふ領覧あることなし。

経豪

  • 「石は石に相嗣し、玉は玉に相嗣す」と云う詞、何事ぞと立耳ように覚ゆれども、「相嗣」と云う詞をば、両人ありて、是が彼に相嗣するぞと、打ち任しては心得。「石は石に相嗣し、玉は玉に相嗣す」と云えば、両人相対して、相嗣すと云う分をば離れたり。一物の上に相嗣と談ずなり。仏々祖々相嗣の姿、如此なるべし。此の道理を「如々」とは名づく也。

 

あはれむべし、佛種族に相似なりといへども、佛子にあらざることを、子佛にあらざることを。

経豪

  • 「仏子、子仏」の詞、只親切の理也。一物の上に打ち返して談ずる例事なるべし。

 

曹谿あるとき衆にしめしていはく、七佛より慧能にいたるに四十祖あり、慧能より七佛にいたるに四十祖あり。この道理、あきらかに佛祖正嗣の宗旨なり。

経豪

  • 文に見えたり。仏よりは祖師はさかりたるとこそ思い習わしたるに、今の六祖の御詞に、仏祖のあわい相嗣のよう、分明にあらわれたり。

 

いはゆる七佛は、過去莊嚴劫に出現せるもあり、現在賢劫に出現せるもあり。しかあるを、四十祖の面授をつらぬるは、佛道なり、佛嗣なり。

経豪

  • 「過去荘厳劫」などと云えば、以外久かすかに聞こゆ。「現在賢劫」などと云えば、広博なるように覚えたり。今の「四十祖」などと云う(は)、祖師等の相嗣すべき分にあらず。是は打ち任せたる不審なり。今の仏道には如此談ずるを、相嗣すとは云うべき也。さればこそ仏道与凡見との差別にてはあれ、祖門所談の相嗣の様如此。

 

しかあればすなはち、六祖より向上して七佛にいたれば四十祖の佛嗣あり。七佛より向上して六祖にいたるに四十佛の佛嗣なるべし。佛道祖道、かくのごとし。證契にあらず、佛祖にあらざれば、佛智慧にあらず、祖究盡にあらず。佛智慧にあらざれば、佛信受なし。祖究盡にあらざれば、祖證契せず。

経豪

  • 此の「向上向下」(草本では「七仏より向上」とあるが、経豪の用いた写本は「七仏より向下」・注)のよう、仏向下の時、委しく沙汰しき不可違。彼(の)仏祖仏嗣のよう、又前段に載之。今の詞此分なるべし。

 

しばらく四十祖といふは、ちかきをかつかつ擧するなり。これによりて、佛佛の相嗣すること、深遠にして、不退不轉なり、不斷不絶なり。その宗旨は、釋迦牟尼佛は七佛以前に成道すといへども、ひさしく迦葉佛に嗣法せるなり。降生より三十歳、十二月八日に成道すといへども、七佛以前の成道なり。諸佛齊肩、同時の成道なり。諸佛以前の成道なり、一切諸佛より末上の成道なり。

詮慧

〇「釈迦牟尼仏迦葉仏に嗣法す」と云う、時代相違参差せり。迦葉仏入涅槃の後、釈迦牟尼仏出世成道し御す。賢劫の諸仏、荘厳劫の諸仏に嗣法せんこと無謂と覚えれども、是は聴教の解也。弥勒は釈迦の附属を受く、人間の見にこそ、五十六億七千万歳を経て、出世成道すべしとは思えども、すでに嗣法しき。この定めに迦葉仏の時も、釈迦は嗣法し御しと心得也。「七仏」とは近きを挙ぐる許り也。千仏万仏の嗣法も如此、都て仏道図り難し。釈迦牟尼仏は、往来娑婆八千返(『渓嵐拾葉集』「大正蔵」七六・七一八c二二・注)と云う事もあり。

経豪

  • 「四十祖は近きを挙すと云えども、仏々相嗣する事は深遠にして、不退不転不断不絶なるなり」。釈尊入滅はわづかに二千余年とこそ云えども、今は「七仏以前の成道」と云う。知りぬ仏々祖々の相嗣の様も、此道理にて明らむべき也。迦葉に釈尊は嗣法すと云う、釈尊と迦葉との嗣法のよう如此。

 

さらに迦葉佛は釋迦牟尼佛に嗣法すると參究する道理あり。この道理をしらざるは、佛道をあきらめず。佛道あきらめざれば佛嗣にあらず。佛嗣といふは、佛子といふことなり。

 釋迦牟尼佛、あるとき阿難にとはしむ、過去諸佛、これたれが弟子なるぞ。釋迦牟尼佛いはく、過去諸佛は、これ我釋迦牟尼佛の弟子なり。

 諸佛の佛儀、かくのごとし。この諸佛に奉覲して、佛嗣し、成就せん、すなはち佛佛の佛道にてあるべし。

 この佛道、かならず嗣法するとき、さだめて嗣書あり。もし嗣法なきは天然外道なり。佛道もし嗣法を決定するにあらずよりは、いかでか今日にいたらん。

経豪

  • 今の詞、頗る逆に聞こゆれども、仏祖嗣法の様、尤も如此なるべき也。已下如文。

 

これによりて、佛佛なるには、さだめて佛嗣佛の嗣書あるなり、佛嗣佛の嗣書をうるなり。その嗣書の爲體は、日月星辰をあきらめて嗣法す、あるいは皮肉骨髓を得せしめて嗣法す。あるいは袈裟を相嗣し、あるいは柱杖を相嗣し、あるいは松枝を相嗣し、あるいは拂子を相嗣し、あるいは優曇花を相嗣し、あるいは金襴衣を相嗣す。靸鞋の相嗣あり、竹篦の相嗣あり。

 これらの嗣法を相嗣するとき、あるいは指血をして書嗣し、あるいは舌血をして書嗣す。あるいは油乳をもてかき、嗣法する、ともにこれ嗣書なり。嗣せるもの、得せるもの、ともにこれ佛嗣なり。まことにそれ佛祖として現成するとき、嗣法かならず現成す。現成するとき、期せざれどもきたり、もとめざれども嗣法せる佛祖おほし。嗣法あるはかならず佛佛祖祖なり。

 第二十八祖、西來よりこのかた、佛道に嗣法ある宗旨を、東土に正聞するなり。それよりさきは、かつていまだきかざりしなり。西天の論師法師等、およばずしらざるところなり。および十聖三賢の境界およばざるところ、三藏義學の呪術師等、あるらんと疑著するにもおよばず。かなしむべし、かれら道器なる人身をうけながら、いたづらに教網にまつはれて透脱の法をしらず、跳出の期を期せざることを。かるがゆゑに、學道を審細にすべきなり、參究の志気をもはらすべきなり。

 道元在宋のとき、嗣書を禮拝することをえしに、多般の嗣書ありき。そのなかに、惟一西堂とて、天童に掛錫せしは、越上の人事なり、前住廣福寺の堂頭なり。先師と同郷人なり。先師つねにいはく、境風は一西堂に問取すべし。

 あるとき西堂いはく、古蹟の可觀は人間の珍玩なり、いくばくか見來せる。道元いはく、見來すくなし。ときに西堂いはく、吾那裏に壱軸の古蹟あり。甚麼次第なり、與老兄看といひて、携來をみれば、嗣書なり。法眼下のにてありけるを、老宿の衣鉢のなかよりえたりけり。惟一長老のにはあらざりけり。かれにかきたりしは、

 初祖摩訶迦葉、悟於釋迦牟尼佛。釋迦牟尼佛、悟於迦葉佛。

 かくのごとくかきたり。

 道元これをみしに、正嫡の正嫡に嗣法あることを決定信受す。未曾見の法なり。佛祖の冥感して兒孫を護持する時節なり。感激不勝なり。

 雲門下の嗣書とて、宗月長老の天童の首座職に充せしとき、道元にみせしは、いま嗣書をうる人のつぎかみの師、および西天東地の佛祖をならべつらねて、その下頭に、嗣書うる人の名字あり。諸佛祖より直にいまの新祖師の名字につらぬるなり。しかあれば、如來より四十餘代、ともに新嗣の名字へきたれり。たとへば、おのおの新祖にさづけたるがごとし。摩訶迦葉阿難陀等は、餘門のごとくにつらなれり。

 ときに道元、宗月首座にとふ、和尚、いま五家宗派をつらぬるに、いさゝか同異あり。そのこゝろいかん。西天より嫡々相嗣せらば、なんぞ同異あらんや。宗月いはく、たとひ同異はるかなりとも、たゞまさに雲門山の佛は、かくのごとくなると學すべし。釋迦老子、なにによりてか尊重佗なる、悟道によりて尊重なり。雲門大師、なにによりてか尊重佗なる、悟道によりて尊重なり。道元この語をきくに、いさゝか領覧あり。いま江浙に大刹の主とあるは、おほく臨濟雲門洞山等の嗣法なり。

詮慧

〇「嗣書の為体は、日月星辰を明らめて嗣法す」と云うより、「あるいは油乳を以て書き嗣法する、ともにこれ嗣書也」と云うまで、多くこれを挙ぐ。ただし「袈裟を相嗣す」と云う、是はただ世間に大衣を受持する時、受け継ぐ袈裟の義にてはなし。嗣法の袈裟を相伝相伝の袈裟なるべし。其礼儀又異なるべし。不可混乱者也。

経豪

  • 古くは、右に所挙の調度共を与えて、嗣とせる事を被挙也。文に委しく見えたり。以下無殊子細。只開山御在唐(宋?)の時、嗣書共を御拝見の次第を書かれたり。如文。

 

しかあるに、臨濟の遠孫と自稱するやから、まゝにくはだつる不是あり。いはく、善知識の會下に參じて、頂相壱副法語壱軸を懇請して、嗣法の標準にそなふ。しかあるに、一類の狗子あり、尊宿のほとりに法語頂相等を懇請して、かくしたくはふることあまたあるに、晩年におよんで、官家に陪錢し、一院を討得して、住持職に補するときは、法語頂相の師に嗣法せず、當代の名譽のともがら、あるいは王臣に親附なる長老等に嗣法するときは、得法をとはず、名譽をむさぼるのみなり。かなしむべし、末法惡時、かくのごとくの邪風あることを。かくのごとくのやからのなかに、いまだかつて一人としても佛祖の道を夢にも見聞せるあらず。

 おほよそ法語頂相等をゆるすことは、教家の講師および在家の男女等にもさづく、行者商客等にもゆるすなり。そのむね、諸家の録にあきらかなり。あるいはその人にあらざるが、みだりに嗣法の證據をのぞむによりて、壱軸の書をもとむるに、有道のいたむところなりといへども、なまじひに援筆するなり。しかのごときのときは、古來の書式によらず、いさゝか師吾のよしをかく。近來の法は、たゞその師の會にて得力すれば、すなはちかの師を師と嗣法するなり。かつてその師の印をえざれども、たゞ入室上堂に咨參して、長連牀にあるともがら、住院のときは、その師承を擧するにいとまあらざれども、大事打開するとき、その師を師とせるのみおほし。

 また龍門の佛眼禪師清遠和尚の遠孫にて、傳といふものありき。かの師傳藏主、また嗣書を帶せり。嘉定のはじめに、隆禪上座、日本國人なりといへども、かの傳藏やまひしけるに、隆禪よく傳藏を看病しけるに、勤勞しきりなるによりて、看病の勞を謝せんがために、嗣書をとりいだして、禮拝せしめけり。みがたきものなり。與儞禮拝といひけり。

 それよりこのかた、八年ののち、嘉定十六年癸未あきのころ、道元はじめて天童山に寓直するに、隆禪上座、ねんごろに傳藏主に請じて、嗣書を道元にみせし。その嗣書の様は、七佛よりのち、臨濟にいたるまで、四十五祖をつらねかきて、臨濟よりのちの師は、一圓相をつくりて、そのなかにめぐらして、法諱と花字とをうつしかけり。新嗣はをはりに、年月の下頭にかけり。臨濟の尊宿に、かくのごとくの不同ありとしるべし。

 先師天童堂頭、ふかく人のみだりに嗣法を稱ずることをいましむ。先師の會は、これ古佛の會なり、叢林の中興なり。みづからもまだらなる袈裟をかけず。芙蓉山の道楷禪師の衲法衣つたはれりといへども、上堂陞座にもちゐず。おほよそ住持職として、まだらなる法衣、かつて一生のうちにかけず。こゝろあるも、物しらざるも、ともにほめき。眞善知識なりと尊重す。

 先師古佛、上堂するに、つねに諸方をいましめていはく、近來おほく祖道に名をかれるやから、みだりに法衣を搭し、長髪をこのみ、師号に署するを出世の舟航とせり。あはれむべし、たれかこれをすくはん。うらむらくは、諸方長老無道心にして學道せざることを。嗣書嗣法の因縁を見聞せるものなほまれなり、百千人中一箇也無。これ祖道淩遲なり。

 かくのごとくよのつねにいましむるに、天下の長老うらみず。

 しかあればすなはち、誠心辦道することあらば、嗣書あることを見聞すべし。見聞することあるは學道なるべし。

 臨濟の嗣書は、まづその名字をかきて、某甲子われに參ずともかき、わが會にきたれりともかき、入吾堂奥ともかき、嗣吾ともかきて、ついでのごとく前代をつらぬるなり。かれもいさゝかいひきたれる法訓あり。いはゆる宗趣は、嗣はをはりはじめにかゝはれず、たゞ眞善知識に相見する的々の宗旨なり。臨濟にはかくのごとくかけるもあり。まのあたりみしによりてしるす。

 了派藏主者、威武人也。今吾子也。徳光參侍徑山杲和尚、徑山嗣夾山勤、勤嗣楊岐演、演嗣海會端、端嗣楊岐會、會嗣慈明圓、圓嗣汾陽昭、昭嗣首山念、念嗣風穴沼、沼嗣南院顒、顒嗣興化弉。弉是臨濟高祖之長嫡也。

 これは、阿育王山佛照禪師徳光、かきて派無際にあたふるを、天童の住持なりしとき、小師僧智庚、ひそかにもちきたりて、了然寮にて道元にみせし。ときに大宋嘉定十七年甲申正月二十一日、はじめてこれをみる、喜感いくそばくぞ。すなはち佛祖の冥感なり、燒香禮拝して披看す。

 この嗣書を請出することは、去年七月のころ、師廣都寺、ひそかに寂光堂にて道元にかたれり。

 道元ちなみに都寺にとふ、如今たれ人かこれを帶持せる。

 都寺いはく、堂頭老漢那裏有相似。のちに請出ねんごろにせば、さだめてみすることあらん。

 道元このことばをきゝしより、もとむるこゝろざし、日夜に休せず。このゆゑに今年ねんごろに小師の僧智庚を請し、一片心をなげて請得せりしなり。そのかける地は、白絹の表背せるにかく。表紙はあかき錦なり。軸は玉なり。長九寸ばかり、闊七尺餘なり。閑人にはみせず。道元すなはち智庚を謝す、さらに即時に堂頭に參じて燒香、禮謝無際和尚。ときに無際いはく、遮一段事、少得見知。如今老兄知得、便是學道之實歸也。ときに道元喜感無勝。

 のちに寶慶のころ、道元、台山鴈山等に雲遊するついでに、平田の萬年寺にいたる。ときの住持は福州の元鼒和尚なり。宗鑑長老退院ののち、鼒和尚補す、叢席を一興せり。

 人事のついでに、むかしよりの佛祖の家風を往來せしむるに、大潙仰山の令嗣話を君擧するに、長老いはく、曾看我箇裏嗣書也否。

 道元いはく、いかにしてかみることをえん。

 長老すなはちみづからたちて、嗣書をさゝげていはく、這箇はたとひ親人なりといへども、たとひ侍僧のとしをへたるといへども、これをみせしめず。これすなはち佛祖の法訓なり。しかあれども、元鼒ひごろ出城し、見知府のために在城のとき、一夢を感ずるにいはく、大梅山法常禪師とおぼしき高僧ありて、梅花一枝をさしあげていはく、もしすでに船舷をこゆる實人あらんには、花ををしむことなかれといひて、梅花をわれにあたふ。元鼒おぼえずして夢中に吟じていはく、未跨船舷、好與三十。しかあるに、不經五日、與老兄相見。いはんや老兄すでに船舷跨來、この嗣書また梅花綾にかけり。大梅のをしふるところならん。夢草と符合するゆゑにとりいだすなり。老兄もしわれに嗣法せんともとむや。たとひもとむとも、をしむべきにあらず。

 道元、信感おくところなし。嗣書を請ずべしといへども、たゞ燒香禮拝して、恭敬供養するのみなり。ときに燒香侍者法寧といふあり、はじめて嗣書をみるといひき。

 道元ひそかに思惟しき、この一段の事、まことに佛祖の冥資にあらざれば見聞なほかたし。邊地の愚人として、なんのさいはひありてか數番これをみる。感涙霑袖。ときに維摩室大舎堂等に、閑闃無人なり。

 この嗣書は、落地梅綾のしろきにかけり。長九寸餘、闊一尋餘なり。軸子は黄玉なり、表紙は錦なり。

 道元、台山より天童にかへる路程に、大梅山護聖寺の旦過に宿するに、

大梅祖師きたり、開花せる一枝の梅花をさづくる靈夢を感ず。祖鑑もとも仰憑するものなり。その一枝花の縱横は、壱尺餘なり。梅花あに優曇花にあらざらんや。夢中と覺中と、おなじく眞實なるべし。道元在宋のあひだ、歸國よりのち、いまだ人にかたらず。

 いまわが洞山門下に、嗣書をかけるは、臨濟等にかけるにはことなり。佛祖の衣裏にかゝれりけるを、青原高祖したしく曹谿の几前にして、手指より淨血をいだしてかき、正傳せられけるなり。この指血に、曹谿の指血を合して書傳せられけると相傳せり。初祖二祖のところにも、合血の儀おこなはれけると相傳す。これ、吾子參吾などはかゝず、諸佛および七佛のかきつたへられける嗣書の儀なり。

 しかあればしるべし、曹谿の血気は、かたじけなく青原の淨血に和合し、青原の淨血、したしく曹谿の親血に和合して、まのあたり印證をうることは、ひとり高祖青原和尚のみなり。餘祖のおよぶところにあらず。この事子をしれるともがらは、佛法はたゞ青原のみに正傳せると道取す。

 

 嗣 書

 

 先師古佛天童堂上大和尚、しめしていはく、諸佛かならず嗣法あり、いはゆる

釋迦牟尼佛者、迦葉佛に嗣法す、迦葉佛者、拘那含牟尼佛に嗣法す、拘那含牟尼佛者、拘留孫佛に嗣法するなり。かくのごとく佛佛相嗣して、いまにいたると信受すべし。これ學佛の道なり。

 ときに道元まうす、迦葉佛入涅槃ののち、釋迦牟尼佛はじめて出世成道せり。いはんやまた賢劫の諸佛、いかにしてか莊嚴劫の諸佛に嗣法せん。この道理いかん。

 先師いはく、なんぢがいふところは聽教の解なり、十聖三賢等の道なり、佛祖嫡々の道にあらず。わが佛佛相傳の道はしかあらず。釋迦牟尼佛、まさしく迦葉佛に嗣法せり、とならひきたるなり。釋迦佛の嗣法してのちに、迦葉佛は入涅槃すと參學するなり。釋迦佛もし迦葉佛に嗣法せざらんは、天然外道とおなじかるべし。たれか釋迦佛を信ずるあらん。かくのごとく佛佛相嗣して、いまにおよびきたれるによりて、箇々佛ともに正嗣なり。

経豪

  • 「頂相」とは師匠の影の事也。「法語一軸」とは、法文を弟子に書き能う事也。うるわしく法を明らめて、嗣法する義はなくて、只影を書き、法語を得たるを、嗣法の印とする族を、如此載せらるる也。以下文に見えたり。

 

つらなれるにあらず、あつまれるにあらず。まさにかくのごとく佛佛相嗣すると學するなり。諸阿笈摩教のいふところの劫量壽量等にかゝはれざるべし。もしひとへに釋迦佛よりおこれりといはば、わづかに二千餘年なり、ふるきにあらず。相嗣もわづかに四十餘代なり、あらたなるといひぬべし。この佛嗣は、しかのごとく學するにあらず。釋迦佛は迦葉佛に嗣法すると學し、迦葉佛は釋迦佛に嗣法すると學するなり。かくのごとく學するとき、まさに諸佛諸祖の嗣法にてはあるなり。このとき道元、はじめて佛祖の嗣法あることを稟受するのみにあらず、從來の舊窠をも脱落するなり。

経豪

  • 此の相嗣のよう、実に「つらぬとも集まれる」とも難云。只仏々相嗣の道理なるべし。「諸阿笈摩教」とは、小乗の事也。実にも争か彼の「劫量寿量等に関わるべき」勿論事也。所詮「釈迦仏は迦葉仏に嗣法し、迦葉仏は釈迦仏に嗣法すと学するを、諸仏諸祖の嗣法」とは云うなり。過去の諸仏より、先師祖師は嗣法すと云う道理あるべき也。

嗣書(終)

 

2022年10月18日(タイ国にて擱了)

 

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。