正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

詮慧・経豪 正法眼蔵第五十一 面授 (聞書・抄)

詮慧・経豪 正法眼蔵第五十一 面授 (聞書・抄)

爾時釈迦牟尼仏、西天竺国霊山会上、百万衆中、拈優曇花瞬目。於時摩訶迦葉尊者、破顔微笑。釈迦牟尼仏言、吾有正法眼蔵涅槃妙心、附嘱摩訶迦葉。これすなはち、仏々祖々、面授正法眼蔵の道理なり。七仏の正伝して迦葉尊者にいたる。

詮慧

先師永平寺大和尚、面授の儀を前後に挙げらる。これ初めには、ただ面授の次第を連ねられて、奥には悟道の時節を指さるる歟。所詮悟道を書かる。年紀日月又用之。大宋宝慶元年乙酉五月一日。

経豪

  • 面授口訣と云う事、師資相対してあるべき事也。今の「面授」の儀も、其の姿なきにあらず。但此の面授の道理は、只一面と談ず也。釈尊と迦葉と拈花瞬目の姿を以て、初めに挙げらるる如く「面授」とす。迦葉は釈尊に蔵身し、釈尊は迦葉に蔵身す。是を一面の面授とは云う也。たとえば経巻知識に随って参学する時、無師独悟と云い、吾亦如是、汝亦如是と云う程の面授の道理なるべし。

 

迦葉尊者より二十八授して菩提達磨尊者にいたる、菩提達磨尊者、みづから震旦国に降儀して、正宗太祖普覚大師慧可尊者に面授す。五伝して曹谿山大鑑慧能大師にいたる。一十七授して先師大宋国慶元府太白名山天童古仏にいたる。

経豪

  • 是は「迦葉より二十八授」とは、西天二十八祖の事なり。慧可より六祖までを五伝と云う、青原より天童までを一十七授と云う。

 

大宋宝慶元年乙酉五月一日、道元はじめて先師天童古仏を妙高臺に焼香礼拝す。先師古仏はじめて道元をみる。そのとき、道元に指授面授するにいはく、仏々祖々、面授の法門現成せり。これすなはち霊山の拈花なり、嵩山の得髄なり。黄梅の伝衣なり、洞山の面授なり。これは仏祖の眼蔵面授なり。吾屋裡のみあり、余人は夢也未見聞在なり。

経豪

  • 是は天童、開山に指授面授せらるる御詞也。釈尊と迦葉との拈花、祖師二祖との得髄、五祖六祖の伝衣、洞山の面授等、是等を挙げて、「仏祖の眼蔵面授也」と被示なり。「吾屋裏のみあり、余人は夢也未見聞在也」とあり。此の詞をなど、余力にも無からんと覚えたれども、定(んで)天童の指授子細あるらん。許されざる祖師等是多し。是等いと面授の分なしと許されざる心地歟。

 

この面授の道理は、釈迦牟尼仏まのあたり迦葉仏の会下にして面授し護持しきたれるがゆゑに、仏祖面なり。仏面より面授せざれば諸仏にあらざるなり。

経豪

  • 迦葉仏入寂の後、はるかに以後して、釈尊出世し給う。然者迦葉仏の会下にして、釈尊まのあたり面授を給わん事不審也。但此事先々能々沙汰旧了。今更不可貽疑。弥勒も都率の内院にましまして、五十六億七千万歳の後、出世して釈尊の遺法を伝えて、化度衆生し給えしと云う。彼(の)弥勒菩薩釈尊法華経を説かれし時は、まさしく対向衆にて御しき。仏道の上の事、以凡慮疑を為すべきにあらず。

 

釈迦牟尼仏まのあたり迦葉尊者をみること親附なり。阿難羅睺羅といへども迦葉の親附におよばず。諸大菩薩といへども迦葉の親附におよばず、迦葉尊者の座に坐することえず。世尊と迦葉と、同坐し同衣しきたるを、一代の仏儀とせり。

詮慧

〇「世尊と迦葉と同坐し、同衣し来たる」という、仏半座を迦葉に譲り、御事は聞きおよぶ所也。衣のこと不審也、但得吾皮肉骨髄程の義也。座と衣とに限るべからず、行住坐臥の儀式同じと云うべし。

 

迦葉尊者したしく世尊の面授を面授せり。心授せり、身授せり、眼授せり。

釈迦牟尼仏を供養恭敬、礼拝奉覲したてまつれり。その粉骨碎身、いく千万変といふことをしらず。自己の面目は面目にあらず、如来の面目を面授せり。

釈迦牟尼仏まさしく迦葉尊者をみまします。迦葉尊者まのあたり阿難尊者をみる。阿難尊者まのあたり迦葉尊者の仏面を礼拝す。これ面授なり。阿難尊者この面授を住持して、商那和修を接して面授す。商那和修尊者まさしく阿難尊者を奉覲するに、唯面与面、面授し面受す。かくのごとく代々嫡々の祖師、ともに弟子は師にみえ、師は弟子をみるによりて面授しきたれり。一祖一師一弟としても、あひ面授せざるは仏々祖々にあらず。

経豪

  • 「面授」という道理の上には、又「心授・身授・眼授」という道理もあるべき也。
  • 「粉骨碎身」という詞、打ち任すは礼拝恭敬し行道を励み、身を苦しめて行に付けて云う詞也。仏祖の「粉骨碎身」と云うは、師資のあわい、一面なる道理を粉骨碎身と云うべきなり。又此の一面の道理現成する時は、「自己の面目は、面目にあらざる也、如来の面目を面授」するなり。
  • 已下如文。

 

たとへば、水を朝宗せしめて宗派を長ぜしめ、灯を続して光明つねならしむるに、億千万法するにも、本枝一如なるなり。また啐啄の迅機なるなり。

詮慧

〇「又啐啄の迅機なる也」と云う、啐啄同時現、啐啄同時融という事あり。所詮啐啄は二の鳥ありて、足を差し違(ちが)うる也、違(たが)わず親しき義也。「迅機」とは速き義也。親しく違わず、速く伝うるとなり。

経豪

  • まことに水は何処へ流るるも、同じ流れの一水なるべし。灯も千灯万灯ともすも、只一灯なるべし。只一道理なる証拠に被引也。「又啐啄の迅機」と云うも、親切なる道理に被引也。

 

しかあればすなはち、まのあたり釈迦牟尼仏をまぼりたてまつりて一期の日夜をつめり。仏面に照臨せられたてまつりて一代の日夜をつめり。これいく無量を往来せりとしらず。しづかにおもひやりて随喜すべきなり。

経豪

  • 是は仏を奉拝りて「日夜をつみ、仏面に照臨せられ奉りて、一代の日夜をつめり、是はいく劫を往来せりと不知」とあり、まことに我等が心地のこそ蹔時也と思えども、法の無辺際道理の方よりは、辺際あるべからず。『法華経』にも、五十小劫以如食頃(「大正蔵」九・四上・注・但し五十は「六十」の勘違い歟)とあり。

 

釈迦牟尼仏の仏面を礼拝したてまつり、釈迦牟尼仏の仏眼をわがまなこにうつしたてまつり、わがまなこを仏眼にうつしたてまつりし仏眼睛なり、仏面目なり。これをあひつたへていまにいたるまで、一世も間断せず面授しきたれるはこの面授なり。

経豪

  • 是は釈尊与迦葉のあわいか、但是に不可限。五十代のいづれも、この道理あるべき也。「釈迦牟尼仏の仏眼をわが眼にうつす」と云わるる時は、迦葉なるべし。「わが眼を仏眼にうつし奉る」と云わん時は、釈尊なるべき道理が、如此いわるる也。

 

而今の数十代の嫡々は、面々なる仏面なり。本初の仏面に面受なり。この正伝面授を礼拝する、まさしく七仏釈迦牟尼仏を礼拝したてまつるなり。

迦葉尊者等の二十八仏祖を礼拝供養したてまつるなり。仏祖の面目眼睛かくのごとし。この仏祖にまみゆるは、釈迦牟尼仏等の七仏にみえたてまつるなり。仏祖したしく自己を面授する正当恁麼時なり。

面授仏の面授仏に面授するなり。葛藤をもて葛藤に面授してさらに断絶せず。

経豪

  • 此の五十代、面々なる姿を「仏面也」とあり。実(に)仏祖のあわい、今更非可疑。「本初の仏面」とは、釈尊の御事也。
  • 如文。二十八仏祖とありと覚ゆ。仏祖のあわい、或る時は仏と号し、或る時は祖と号す。不始于今事也。已下如文。
  • 此の仏祖代々、面授の道理の落居する所は、「面授仏の面授仏に面授する」道理なり。「葛藤の葛藤に面授する」理なるべし。

 

眼を開して眼に眼授し、眼受す。面をあらはして面に面授し、面受す。面授は面処の受授なり。心を拈じて心に心授し、心受す。身を現じて身を身授するなり。佗方佗国もこれを本祖とせり。震旦国以東、ただこの仏正伝の屋裏のみ面授面受あり、あらたに如来をみたてまつる正眼をあひつたへきたれり。

経豪

  • 「眼を開する」とは、尽十方界沙門一隻の眼なるべし。此眼の道理が「眼に眼授し眼受するなり、面をあらわして、面に面授し面受する」理もあるべき也。又「面授は面処の受授也」とは、面授と云うは、一箇の面の現成公按なるべし。此理の上には「心を拈じて、心に心授し、心受す、身を現じて身を身授する」道理もあるべき也と云うなり。

 

釈迦牟尼仏面を礼拝するとき、五十一世ならびに七仏釈尊を祖宗、ならべるにあらず、つらなるにあらざれども、倶時の面授あり。一世も師をみざれば弟子にあらず、弟子をみざれば師にあらず。さだまりてあひみ、あひみえて、面授しきたれり。嗣法しきたれるは、祖宗の面授処道現成なり。このゆゑに、如来の面光を直拈しきたれるなり。

経豪

  • 釈尊を奉礼拝時、五十一世竝七仏祖宗」、残らず面授あるなり。実にも一仏一祖に各蔵身のよう、「ならべるにあらず、つらなれるにもあらざる」姿なるべし。「倶時の面授」とは、只一時の面授などと云う程の詞也。

 

しかあればすなはち、千年万年、百劫億劫といへども、この面授これ釈迦牟尼仏の面現成授なり。この仏祖現成せるには、世尊迦葉、五十一世、七代祖宗の影現成なり、光現成なり。身現成なり、心現成なり。失脚来なり、尖鼻来なり。

経豪

  • 百年万億劫より以来の面授と云えども、只是「釈迦牟尼仏の面現成授也」と云う也。此の仏祖一面也とも、「現成せるは世尊迦葉等の、五十一世(五十一世と云うは、開山を奉入定也)祖宗の影現成也」とあり、此の道理なる上には「光現成也、身現成也、心眼現成也、失脚来也、尖鼻来也」、と云う道理あるべき也。

 

一言いまだ領覧せず、半句いまだ不会せずといふとも、師すでに裏頭より弟子をみ、弟子すでに頂□(寧+頁)より師を拝しきたれるは、正伝の面授なり。かくのごとくの面授を尊重すべきなり。

わづかに心跡を心田にあらはせるがごとくならん、かならずしも太尊貴生なるべからず。換面に面受し、廻頭に面授あらんは、面皮厚三寸なるべし、面皮薄一丈なるべし。

すなはちの面皮、それ諸仏大円鏡なるべし。大円鑑を面皮とせるがゆゑに、内外無瑕翳なり。大円鑑の大円鑑を面授しきたれるなり。

詮慧

〇「一言いまだ領覧せず、半句いまだ不会せずと云うとも、師すでに裏頭より弟子を見、弟子すでに頂□(寧+頁)より拝す」という、此の詞かたかた疑いあり。其の故は「一言いまだ領覧せず」と云うは、我等分上の事と覚ゆ。「半句いまだ不会せずと云うとも」とある、これを一言いまだ不領覧の詞に、等しめて云わば、「不」の字はなくて、只会せずと云うともぞありたき。「不会せず」とあれば、会したるに当たる。しからば、よくこそ覚ゆれども、仏法の詞に会不会ともに用いたれる事、不始于今事なれば、驚くべきにあらず。凡そは領覧の詞、会不会の詞、世間と出世と共にこれを用いる。然而又其見解つかいよう天地懸隔せり。今もこの領覧不会の詞、仏道の方より見るには可疑ならねど、世間より見れば参差して覚ゆ。『見成公按』に、「諸仏のまさしく諸仏なる時は、自己は諸仏也と覚知する事を用いず、しかれども証仏なり仏を証しもてゆく」とある、此心なるべし。覚知する事を不用して仏を証しもてゆくべくば、「心跡を心田にあらわさんも、尊貴なるべからず」と也。又同じ『見成公按』に、「身心を乱想して、万法を辨肯するには、自心自性は、常行なるかとあやまる。もし行李をしたしくして、箇裏に帰すれば、万法の、われにあらぬ道理あきらけし」とある、箇裏の裏なり。箇の裏(うち)と云うは、やがて只今の面授を指して「裏頭」とは仕う也。「頂□(寧+頁)」と云う詞、又此の門につかう頂□(寧+頁)ぞ、眼睛ぞ、鼻孔ぞ、払子ぞ、聞きなれたる詞也。又「頂□(寧+頁)より師を拝し、裏頭より弟子を見る」と云うは、汝得吾髄なるべし。さそこそ弟子を見、師を拝する詮にてもあれ、只世間の人の、人を見んように見又拝せん事、仏法には不可用詮。ゆえに頂□(寧+頁)より拝し、裏頭より見る面授なり、是正伝也。汝得吾髄なるゆえに、尤も尊重すべし。「わづかに心跡を心田にあらわせるが如くならん、かならずしも太尊貴生なるべからず」と、下さるるは先の一言領覧せず、半句不会せずの所を、慮知念覚に令同故なり、会不会にもよるまじ。心跡心田の会は、面授に不可同と也。「換面廻頭に面授あらば、面皮厚三寸、面皮薄一丈なるべし」とあり、是又面皮の厚薄、寸与丈無勝劣(の)所を明かさるる也。厚き方には寸と説き、薄き方には丈と説く、是無差別儀也。『大悟』草子日、「多処添些子、少処添些子」の心地也。長短多少説、行無差別哉。凡そ面の字に就きて、皮の厚薄寸丈の詞いでく、但無勝劣也。「厚三寸、薄一丈」の詞も、是に始めて(と)不可驚。『坐禅箴』「頭長三尺、頸長二寸」とも説き、『行持の下』には、「説得行取を寸ぞ尺ぞ丈ぞ」によせて説かる。然而其心皆同じ、可准知哉。面授を挙げらるるには、「面皮それ諸仏大円鏡なるべし、大円鑑を面皮とせるがゆゑに、内外無瑕翳也」とあり。

〇経には慈身菩薩の生ずる国の禽獣は、生天上と云う。何況逢師哉、禽獣の生天は、天にても禽獣なるにてはなし、天人となるなり。

〇「面皮厚三寸、面皮薄一丈」と云う、付厚薄不立勝劣。依寸丈不置善悪、只面皮を厚とも薄とも、三寸とも一丈とも解するなり。

〇「諸仏大円鏡」という、面授の仏祖と同位の義を云う也。

経豪

  • 如文。一言を領覧せず、半句をも明らめずとも、明眼の師を拝し、明眼の師に見(まみ)え奉らん。是又一の正伝の面授なるべしと云うなり。返々正嫡の仏祖を拝すべき物なり。
  • 「心跡を心田にあらわさん」とは、師の法を得たらんと云う心地也、是こそ本体なれ。これに過ぎたる事不可有とこそ覚えたれども、面授の一筋を讃嘆の詞也。「換面廻頭等に面授」とは、伝法師匠などとに見え焼香礼拝せんは、「面皮厚三寸、面皮薄一丈」とは、たとえば此の面授の功徳には、仏祖の皮肉に通ずる所が、面皮厚三寸とも面皮薄一丈とも云わるるなり。
  • 「面皮それ諸仏大円鏡なるべし」とあり、非可疑。此理の所落居、「大円鑑の大円鑑を面授し来たれる」道理なり。

 

まのあたり釈迦牟尼仏をみたてまつる正眼を正伝しきたれるは、釈迦牟尼仏よりも親曾なり。眼尖より前後三々の釈迦牟尼仏を見出現せしむるなり。

かるがゆゑに、釈迦牟尼仏をおもくしたてまつり、釈迦牟尼仏を恋慕したてまつらんは、この面授正伝をおもくし尊宗し、難値難遇の敬重礼拝すべし。すなはち如来を礼拝したてまつるなり。如来に面授せられたてまつるなり。あらたに面授如来の正伝参学の宛然なるを拝見するは、自己なりとおもひきたりつる自己なりとも、佗己なりとも、愛惜すべきなり、護持すべきなり。

経豪

  • 釈迦牟尼仏よりも親曾也」と云う事は、いかなるべきぞと覚えたれども、只釈迦牟尼仏の上に、此の道理あるべき也「前後三々の釈迦牟尼仏を、見出現せしむる也」とは、たとえば釈迦牟尼仏ならぬ道理なき所が、如此云わるるなり。「眼尖にて」見ん時は、かかる道理あるべきなり。

経豪

  • 是は無別子細。「釈迦牟尼仏を恋慕し奉らん」は、今の面授正伝の人を、敬重礼拝すべき也と云うなり。已下如文。

 

屋裏に正伝しいはく、八塔を礼拝するものは罪障解脱し、道果感得す。これ釈迦牟尼仏の道現成処を生処に建立し、転法輪処に建立し、成道処に建立し、涅槃処に建立し、曲女城辺にのこり、菴羅衛林にのこれる、大地を成じ、大空を成ぜり。乃至声香味触法色処等に塔成せるを礼拝するによりて、道果現成す。この八塔を礼拝するを、西天竺国のあまねき勤修として、在家出家、天衆人衆、きほうて礼拝供養するなり。これすなはち一巻の経典なり。仏経はかくのごとし。いはんやまた、三十七品の法を修行して、道果を箇々生々に成就するは、釈迦牟尼仏の亙古亙今の修行修治の蹤跡を、処々の古路に流布せしめて、古今に歴然せるがゆゑに成道す。

詮慧

〇「八塔」という、八相の所、殊に塔婆を立つ。これ仏在世の儀なり。

〇「曲女城辺、菴羅衛林」とら云う、此の両所は天竺国の所の名也。八塔の在りし所々也。塔を尽界尽地と談ずるゆえに、此地ともを残さずと云う心地なり。八相の時節一一に尽界なり。

〇「乃至声香味触法色処等、塔成せるを礼拝するによりて、道果現成す」という、是は転法輪の処を建てて云う時は、色声香味触法、みな転法輪処とあり。

経豪

  • 如御釈。是は天竺に八塔を所々に立て、西天竺国の習いとして、在家出家礼拝供養するなり。それなを道果現成すと云えり。況や仏祖の面授、彼等に比準すべからずと云う也。・・浄飯王宮生処塔・菩提樹下成仏塔・鹿野園中法輪塔・給孤独園名称塔・曲女城辺宝階塔・耆闍崛山般若塔・菴羅衞林維摩塔・娑羅林中円寂塔、(大乗本生)心地観経(「大正蔵」三・二九六上・注)文也。

 

しるべし、かの八塔の層々なる、霜華いくばくかあらたまる。風雨しばしばをかさんとすれど、るその功徳を、いまの人にをしまざること減少せず。

かの根力覚道、いま修行せんとするに、煩悩あり、惑障ありといへども、修証するに、そのちからなほいまあらたなり。釈迦牟尼仏の功徳、それかくのごとし。いはんやいまの面授は、かれらに比準すべからず。

経豪

  • まことに「八塔の層々なる」、幾ばくの霜華が積もるらん。然而其のあと、「空にあとせり、色にあとせり」其の功徳、今礼拝恭敬するに、「をしまざる事、于今減少せず」と云う也。

経豪

  • 「根力覚道を修行す」と云えども、一度に其の理を得ず。「煩悩あり、惑障ありと云えども、猶修行すれば」、其の益あり。「今の面授、これに不可准」と云う也。

 

かの三十七品菩提分法は、かの仏面仏心、仏身仏道、仏尖仏舌等を根元とせり。かの八塔の功徳聚、また仏面等を本基とせり。いま学仏の漢として、透脱の活路に行履せんに、閑静の昼夜、つらつら思量功夫すべし、懽喜随喜すべきなり。

経豪

  • 三十七品菩提分法と云うも、今の「仏面・仏心・仏身・仏道尖・仏舌等を元と」して学道す。「八塔の功徳」と云うも、仏面等を元としてこそ学すれと云う也。是を「閑かに昼夜に、つくづく思量すべし」と云う也。

 

いはゆるわがくには佗国よりもすぐれ、わが道はひとり無上なり。佗方にはわれらがごとくならざるともがらおほかり。わがくに、わが道の無上独尊なるといふは、霊山の衆会、あまねく十方に化導すといへども、少林の正嫡まさしく震旦の教主なり。曹谿の児孫、いまに面授せり。このとき、これ仏法あらたに入泥入水の好時節なり。このとき証果せずは、いづれのときか証果せん。このとき断惑せずは、いづれのときか断惑せん。このとき作仏ならざらんは、いづれのときか作仏ならん。このとき坐仏ならざらんは、いづれのときか行仏ならん。審細の功夫なるべし。

経豪

  • 国土雖多、五十代嫡々相承の仏祖に逢う国土まれなり、ゆえに「他国よりもすぐれたり」という。教文多しと云えども、「少林の正嫡、まさしくして震旦の教主也。曹谿の児孫いまに面授す」、ゆえに「わが道はひとり無上なり」と云う也。「入泥入水の好時節」とは、此の面授の遍く及ぼす事を云う也。已下如文。

 

釈迦牟尼仏かたじけなく迦葉尊者に附嘱面授するにいはく、吾有正法眼蔵、附嘱摩訶迦葉とあり。嵩山会上には、菩提達磨尊者まさしく二祖にしめしていはく、汝得吾髄。はかりしりぬ、正法眼蔵を面授し、汝得吾髄の面授なるは、たゞこの面授のみなり。この正当恁麼時、なんぢがひごろの骨髄を透脱するとき、仏祖面授あり。大悟を面授し、心印を面授するも、一隅の特地なり。伝尽にあらずといへども、いまだ欠悟の道理を参究せず。

詮慧

〇「大悟を面授し、心印を面授するも、一隅の特地也」という、此の大悟こそ、面授にてはある時に大悟にて、別に如何なる詞、出で来るべしとにはあらず。「一隅の特地」と云うも、仏の成道も一隅の特地なり。

〇「伝尽にあらずと云えども、いまだ欠悟の道理を参究せず」と云う、伝尽にあらずと云えば不尽と聞こゆれども、これは一隅という詞に付けて伝尽せずと云う。但「欠悟の道理を参究せず」と云うにて心得べし。不尽にてはなし、不尽は欠悟あるべき也。

経豪

  • 今仏祖所談の面授を談ずる時、「日来の骨髄を透脱する」也。打ち任すは「大悟を面授し、心印を面授する」を由々しき事と思い、極果と存ず。是は只「一隅の特地にてこそあれ、伝尽にあらず」とは、大悟心印の外に、椅子竹木にも払子拄杖にも乃至山河大地、日月星辰等にも面授せん。何れの子細かあらんと云う心地也。但「伝尽にあらずと云えども、欠悟の道理を参究せず」とは、たとえば心印を面授と云う詞の外に、多くの面授の詞、右に挙げるが如くあるべき所を、伝尽せずとは云う也。然而此の心印に面授すと云えばとて、欠悟ありとは不可思となり。此の心印の理、無闕減がゆえに、自余も可准知之也。

 

おほよそ仏祖大道は、唯面授面受、受面授面のみなり。さらに剰法あらず、虧闕あらず。この面授のあふにあへる自己の面目をも、随喜懽喜、信受奉行すべきなり。

経豪

  • 此の「唯面授面受、受面授面」とは、授面をば師に付け、受面をば弟子に付くる詞也。今仏祖の道理には、只唯面の道理が、授面とも受面とも云わるる也。此の面授の時は、師資両面不可相対。此の道理なるゆえは、只一面也。一面の理なるゆえに、面を以て授受と談じ、授受を以て面と可云也。又「面授のあうにあえる自己の面目をも、随喜すべし」とは、今の尋常自己也とも、是にあわん自己の面目をも、随喜すべしと心得も強ち非邪見ざるべし。

 

道元、大宋宝慶元年乙酉五月一日、はじめて先師天童古仏を礼拝面授す。やゝ堂奥を聴許せらる。わづかに身心を脱落するに、面授を保任することありて、日本国に本来せり。

経豪

  • 如文。「堂奥を聴許せらる」とは、只堂中若しくは、方丈の内外などとを、縦横に出入りあらんずるにてはなし。只不嫌時刻、任心法を訪う事を、堂奥を聴許するとは云う也。「身心を脱落するに」とは、故方丈天童に相見悟道の御詞。参禅者、身心脱落と云うなり。其れをいま被書載歟。

   五十一帖了

 

仏道の面授かくのごとくなる道理をかつて見聞せず、参学なきともがらあるなかに、大宋国仁宗皇帝の御宇、景祐年中に薦福寺の承古禅師といふものあり。

上堂云、雲門匡真大師、如今現在、諸人還見麼。若也見得、便是山僧同参。見麼々々。此事直須諦当始得、不可自謾。且如往古黄檗、聞百丈和尚挙馬大師下喝因縁、佗因大省。百丈問、子向後莫嗣大師否。黄檗云、某雖識大師、要且不見大師。若承嗣大師、恐喪我児孫。大衆、当時馬大師遷化、未得五年。黄檗自言不見、当知、黄檗見処不円。要且祇具一隻眼。山僧即不然、識得雲門大師、亦見得雲門大師。方可承嗣雲門大師。祇如雲門、入滅已得一百余年。如今作麼生説箇親見底道理。会麼。通人達士、方可証明。眇劣之徒、心生疑謗、見得不在言之、未見者、如今看取不。請久立珍重。

詮慧

〇年号奥段、承古禅師上堂日・・珍重。此の段は承古自称不可用と云う段なり。匡真大師は青原派雪峰下也。黄檗者馬祖孫、百丈弟子なり南嶽流なり。

〇六祖―南嶽大慧禅師(懐譲)―馬祖大寂禅師(道一)―百丈大智禅師(懐海)―黄檗山断際禅師(希運)。

「馬大師遷化、未得五年。黄檗自言不見、当知、黄檗見処不円。要且祇具一隻眼。山僧即不然、識得雲門大師、亦見得雲門大師。方可承嗣雲門」云々、これ薦福寺承古禅師見甚僻見也。雲門大師入滅より已得一百余年。

六祖―青原弘済大師(行思)―石頭無際大師(希遷)―天皇寺道悟禅師―龍潭崇信禅師―徳山見性大師(宣鑑)―雪峰真覚大師(義存)―匡真大師(文偃)。

経豪

  • 此の承古上堂詞、雖多所詮依雲門詞、我宗を得たり。其の上は雲門に嗣法せんと、みだりに自由して、死して一百余年を経たる雲門に嗣法すと云う、此の事を一一に被非也。見于奥御釈、「雲門大師、如今現在せり」とは、入滅已後百余年の後の詞也、甚不可然。「還見すや否や」と云うも、皆凡見の見不見を云う也。見得と云わば、「便山僧同参也」とは、我と同じと云う心也。「直須諦当始得、不可自謾」とは、よく諦むべしと云う心なり。「且如往古黄檗、聞百丈和尚挙馬大師下喝因縁、他因大省」とは、馬大師は馬祖道一禅師事也。黄檗に「百丈問、子向後莫嗣大師否。黄檗日、某雖識大師、要且不見大師、若承嗣大師、恐喪我児孫」云々、奥に此の御釈委細也。「馬大師遷化、未得五年。黄檗自言不見、当知、黄檗見処不円。要且祇具一隻眼、山僧即不然」とは、我れ百余年の師を見るには、黄檗馬大師、遷化わづかに得五年に不見と云う、不円也。只一の眼を具せり(片眼事歟)。我は不然と、黄檗を下す詞なり。「識得雲門大師、亦見得雲門大師。方可承嗣雲門大師」とは、我は雲門しれり。雲門を見、雲門を承嗣すと、承古自讃の詞歟。「通人達士方可証明、眇劣之徒、心生疑謗、見得不在言之、未見者如今看取不、請久立珍重」とは、達人此の事を可証明。愚昧之輩は心に生疑となり。

 

いまなんぢ雲門大師をしり、雲門大師をみることをたとひゆるすとも、雲門大師まのあたりなんぢをみるやいまだしや。雲門大師なんぢをみずは、なんぢ承嗣雲門大師不得ならん。雲門大師いまだなんぢをゆるさざるがゆゑに、なんぢもまた雲門大師われをみるといはず。しりぬ、なんぢ雲門大師といまだ相見せざりといふことを。

経豪

  • 御釈に分明也。此れ承古の詞を、一一に当たらざる事を、文々句々に被非也。

 

七仏諸仏の過去現在未来に、いづれの仏祖か師資相見せざるに嗣法せる。なんぢ黄檗を見処不円といふことなかれ。

なんぢいかでか黄檗の行履をはからん。黄檗の言句をはからん。黄檗は古仏なり、嗣法に究参なり。なんぢは嗣法の道理かつて夢也未見聞参学在なり。黄檗は師に嗣法せり、祖を保任せり。黄檗は師にまみえ、師をみる。なんぢはすべて師をみず、祖をしらず。自己をしらず、自己をみず。なんぢをみる師なし、なんぢ師眼いまだ参開せず。真箇なんぢ見処不円なり、嗣法未円なり。なんぢしるやいなや。雲門大師はこれ黄檗の法孫なること。なんぢいかでか百丈黄檗の道処を測量せん。雲門大師の道処、なんぢなほ測量すべからず。百丈黄檗の道処は、参学のちからあるもの、これを拈挙するなり。直指の落処あるもの、測量すべし。なんぢは参学なし、落処なし。しるべからず、はかるべからざるなり。馬大師遷化未得五年なるに、馬大師に嗣法せずといふ、まことにわらふにもたらず。

経豪

  • 承古が一百年より先、入滅の雲門に嗣法すと云う事を被嫌うに付けて、七仏諸仏の過去現在未来に、何れの仏祖、師資不相見して、妄りに得法したる者あると云う事を被釈なり。
  • 已下如文。
  • 馬祖弟子に百丈、百丈弟子に黄檗なり。天皇、龍潭、徳山、雪峰、雲門也。

 

たとひ嗣法すべくは、無量劫ののちなりとも嗣法すべし。嗣法すべからざらんは、半日なりとも須臾なりとも、嗣法すべからず。なんぢすべて仏道の日面月面をみざる暗者愚蒙なり。雲門大師入滅已得一百余年なれども雲門に承嗣すといふ、なんぢにゆゝしきちからありて雲門に承嗣するか。三祖の孩児よりはかなし。一千年ののち雲門に嗣法せんものは、なんぢに十倍せるちからあらん。

経豪

  • 如文。師資嗣法して後は、無量劫の後、過去仏よりも嗣法の道理あるべし。それも嗣法の後こそ、此の理をも聞くべけれ。無其儀は半日須臾なりとも、嗣法の理不可有なり。

 

われいまなんぢをすくふ、しばらく話頭を参学すべし。百丈の道取する子向後莫承嗣大師否の道取は、馬大師に嗣法せよといふにはあらぬなり。しばらくなんぢ獅子奮迅話を参学すべし、烏亀倒上樹話を参学して、進歩退歩の活路を参究すべし。嗣法に恁麼の参学力あるなり。

詮慧

〇「獅子奮迅話、烏亀倒上樹話」という、獅子のちから、強きことを喩えて、強く学すべしとなり。又獅子は大小の畜類を食するに、小なれども大に逢う力を尽して食す。其儀也、尽力なり。

〇「烏亀倒上樹話」とは、百丈の竿を上下すという詞あり、上も下もただ竿上の事と心得程の事也。「倒上樹」とは、木に逆さまに登るとなり。

経豪

  • 先(の)仏祖所談の話頭を、能々参学すべしと也。百丈の子向後の詞、馬大師に嗣法せよと云うにはあらずとあり、如文。「獅子奮迅、烏亀倒上樹話」とは、古き詞也。仏祖の詞を参学して、進退の活路をも参究すべしとなり。ゆえに嗣法に恁麽の、参学力ある也と云うなり。

 

黄檗のいふ恐喪我児孫のことば、すべてなんぢはかるべからず。我の道取および児孫の人、これたれなりとかしれる。審細に参学すべし。かくれずあらはれて道現成せり。

経豪

  • 如御釈。「喪我児孫」と云えば、我が弟子は皆喪(う)せんずると云う様に聞こゆ。是は黄檗已下、我児孫等も、皆百丈に蔵身するなり。此の道理を喪せんとは云うなり。悪しく成りて喪する様には不可心得。不可求例於外、嗣法せざる咎に依りて、承古如此僻見あるなり。此理隠れず、顕われて現成せりと云う也。

 

しかあるを、仏国禅師惟白といふ、仏祖の嗣法にくらきによりて、承古を雲門の法嗣に排列せり、あやまりなるべし。晩進しらずして、承古も参学あらんとおもふことなかれ。なんぢがごとく文字によりて嗣法すべくは、経書をみて発明するものはみな釈迦牟尼仏に嗣法するか、さらにしかあらざるなり。経書によれる発明、かならず正師の印可をもとむるなり。なんぢ承古がいふごとくには、なんぢ雲門の語録なほいまだみざるなり。雲門の語をみしともがらのみ雲門には嗣法せり。

経豪

  • 已下如文。

 

なんぢ自己眼をもていまだ雲門をみず、自己眼をもて自己をみず、雲門眼をもて雲門をみず、雲門眼をもて自己をみず。かくのごとくの未参究おほし。

経豪

  • 此の「自己眼」といわるる眼は、沙門一隻眼の眼なるべし。ゆえに「自己眼を以て雲門を見ず、自己を見ず」とある也。

 

さらに草鞋を買来買去して、正師をもとめて嗣法すべし。なんぢ雲門大師に嗣すといふことなかれ。もしかくのごとくいはば、すなはち外道の流類なるべし。たとひ百丈なりとも、なんぢがいふがごとくいはば、おほきなるあやまりなるべし。

経豪

  • 已下如文。

面授(終)

 

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。