正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵五十七 徧参(聞書・抄)

詮慧・経豪 正法眼蔵五十七 徧参(聞書・抄)

仏祖の大道は、究竟参徹なり。足下無糸去なり。足下雲生なり。しかもかくのごとくなりといへども、花開世界起なり、吾常於此切なり。

このゆゑに甜苽徹蔕甜なり、苦瓠連根苦なり。甜々徹蔕甜なり。かくのごとく参学しきたれり。

詮慧

〇出嶺を勧むにあらず、北往南来を勧むにあらず参学を云うなり。

〇「足下無糸去」という、此の詞のある様は、たとえば足の下なる程は糸すじ程も残る所なし。足を上げぬれば、また足の下の義あるべからずとなり。但しここには「此の足の下」と云う「下」の詞が、尽十方界なる故に「無糸去也」。仍って「参徹」と云う也。尽界無客塵と云う程なり。

〇「足下雲生」と云うは、糸すじだにもなしと云う。是は「雲生」と云うは、雲ありと聞こゆ。相似に似たれども「雲生」と云う詞は、すべて無辺際道理なり、無の見解を超越するなり。「大道の究竟」とも「参徹」とも云わるるは、無辺際処を云う也。故に廻りては「無糸去」の詞も、「雲生」も一心也。

〇「花開世界起」というは、此の三界の「起」を指して云うにはあらず。只一花開は世界起となり、一花開と云う心は、ただ世間に春ほころぶる花をば云わず、解脱する所を今「花開」と云う。一花開五葉、結果自然成の花開なるべし。

〇「吾常於此切」と云うは、何れに「切也」と云わず、只此に切なりと云う。今の「大道究竟」これ也。この「究竟」何事を究と云わざる程なり。

〇「甜苽徹蔕甜」という、甘き瓜がいづくまでも通りて、つるまで甘きように、無糸去とも」心得、雲生とも心得なり。

〇「苦瓠連根苦」という、この心同上。

〇「甜々徹蔕甜」と云う、苽の字を交えずして重点になる事は、大道究竟の心地也。何物と云わず、ただ究竟と云う様に、甜が甜なる也。然者「徹蔕」の詞無詮、何れにもつかず聞こえ、但「甜々」と云いぬれば、甜のつるとこそは心得、苽を置く時は、苽蔕と聞こえれども、今は甘きがつるとなるなり。「苦瓠連根苦」と云うべき也。「花開世界起」と云うも、花開花開起とも云うべき也。

経豪

  • 先ず「遍参」と云う事、仏法を参学するに付けて、諸方尋師訪道す、是を「遍参」と思い習わしたり。東西南北に師を尋ねて参学せん、尤も遍参の理に叶うべし。但今の祖門に所談の遍参(は)、非爾なり。「仏祖の大道は、究竟参徹也」と(の)文、此の心は祖門の参学、多少に拘わらず、一師の下にも遍参なり、一句の内にも遍参也。一偈一句皆是「究竟参徹」ならずと云う故、不可有。以之先ず仏祖の遍参の道理とすべし。「遍」の字をば師に蒙ぶらしめ、「参」の詞をば弟子に付けて心得、今の義非爾也。「究竟参徹」の理を以て遍参と談ずる上は、師弟に仰ぎて非可談道理なり。又「足下無糸去」と云えば少なく、「足下雲生」と云えば多いように聞こゆ、只同じ道理也。其故に此の「足」の字、遍参の「参」の詞に付けて、出で来たるか。しかれども、打ち任せたる人の上の、非手足尽界足下なる理を以て、「無糸去」とは可云歟。「足下雲生」とは、是も此の「足下」の理の下に、いくらも其の詞あるべし。是を「足下雲生」とは可云歟、多少あるに似たれども、無其義。たとえば仏性の上に、狗子あり、蚯蚓あり、乃至莫妄想。有仏性、無仏性と云う詞もありき。是ぞ「足下雲生」にあたるべき、あまたの詞あるに似たれども、更非多少。只仏性を説く道理許り也。非狗子非蚯蚓、只仏性は仏法也と談ずる筋もあるべし。是を「足下無糸去」にあたるべき、此の道理只一也。多少浅深の義にあらず。又「花開世界起」、是は常詞也。春は総にて、花は別の物にて、開くなどとは不可心得、花開を世界起と談ず也。又「吾常於此切」の詞、古き詞也。此の「吾」は只仏祖を指して、吾と可云歟。吾亦如是の吾なるべし。此の「吾常」の当体をやがて「於此切」とは可談也。吾常の外の於此切あるべからざるが故に。
  • 是は仏法の理を示す詞也。「あまきうりは、ほぞをとおしてあまし。にがきひさごは、ねをつらねてにがし」と云う也。今の遍参の理「究竟参徹」の姿、如此なるべき也。仏法究尽の理、一法を通ずる所のこる所なく、その一理ならぬ交わり物なき道理に、此の詞を被引出也。是は文殊の御詞也、於五台県無遮の大会を行ぜし時、文殊来現して貧女と成りて受施行事ありき。知事此の貧女に会いて、為胎内子惜施き、種々に恥かしめたる事ありき。其時現文殊形、入雲給えし時、此の詞の瓜と云う詞も、猶寄せ付けず。「甜苽徹蔕甜」とあれば、只あまき理の外には又不可交也。

 

玄沙山宗一大師、因雪峰召師云、備頭陀、何不遍参去。師云、達磨不来東土、二祖不往西天。雪峰深然之。いはく、遍参底の道理は、翻巾斗参なり。聖諦亦不為なり、何階級之有なり。

詮慧

○玄沙山宗一大師段。「雪峰深然之、何不遍参去」と云うは、たとえば何ぞ一句を不問と云わんが如し也。此の遍参の心地如此。

○「遍参」と云うは、今はありく(歩く)とは不可心得。此の寺より彼の寺へ移る事は、知識を訪うなり、これこそ遍参とも云わめ。ただ人々の面を替えたるを遍参とは不可云、不参徹なるべし。一句を一所に明らめなば、諸方の遍参無益歟。

○「達磨不来東土、二祖不往西天」という、達磨をば西天の人と定め、二祖をば東土の人と心得る時こそ、「不来」ぞ「不往」ぞと云う詞にも迷え、仏祖となりぬる皮肉は、西天東土と分くる事なし。超越三界法界究尽する人なり。ゆえにいづれの詞こそ、不当と不可云。ただ達磨の一句となり、二祖の半句となる也。遍参に今この「不来不往」を引かるる事は、一向不可用往来義故なり。

○玄沙道の「達磨不来東土」は、来而不来の乱道にあらず。大地無寸土の道理也という。是は達磨と二祖と、無寸土となり。

○「翻巾斗参」と云うは、もの入りたる斗(ます)を返す程に、日来の見を変ずるなり。

○「聖諦亦不為なり、何階級之有也」という、仏道にはもとより、階級なき事なれば、何か有らんと聞こゆ。但只何の階級か有らんと云う詞をば受くべし。仏法に階級なければならんと云うと許り心得ん、猶仏法にならず(と)、聞こゆ。仏法の上に、「何階級之有」と云う詞あるべきか。

○「聖諦亦不為」という、たとえば無作無為などと程の詞也。聖諦何事を為すと云わぬ也。

経豪

  • 雪峰玄沙の問答見于文。「備頭陀、何不遍参」と云う詞は、など遍参して、諸方に法を不訪と云うように聞けれども、非爾也。備頭陀の当体遍参なるべし。又遍参の上には、不遍参の道理もあるべき也。又「達磨不来東土」の詞不審也。正しく東土へ来給いて、この祖門の仏法をば弘め給いしが故に、祖師西来意と云う詞も出でく。但達磨の皮肉ならぬ所あるべからず。然者何れの所に東西を立て、来不来の詞に可滞乎。二祖は又、一定西天へ不往なれば、有謂と聞こゆ。但是も前の義ならば、今の不往の詞も、如此心得るは、首尾不可相応。「不来東土」も「不往西天」も只同理也。達磨与二祖、皮肉骨髄更不可有差別。是れ則ち今の遍参の道理なるべし。西天へは不往なれば、「ゆかず」と云うぞなどと心得んは凡見なるべし、不可不用。「雪峰然之す」とは印可の詞なるべし、解脱の詞に仕う也。「聖諦亦不為」と云う詞、強いて聖諦第一義と云いても詮なし、聖諦また為さずと云う道理あるべし。聖諦と云いても要なしと云う心地歟。又「何階級之有」と云うは、仏法に階級を不立、ゆえに何ぞ階級之有の道理なるべし。是等皆、古き詞を引きよせ被書出なり。

 

南嶽大慧慧師、はじめて曹谿古仏に参ずるに、古仏いはく、是甚麼物恁麼来。この泥彈子を遍参すること、始終八年なり。末上に遍参する一著子を古仏に白してまをさく、懷譲会得当初来時、和尚接懷譲、是甚麼物恁麼来。ちなみに曹谿古仏道、你作麼生会。ときに大慧まうさく、説似一物即不中。

これ遍参現成なり、八年現成なり。曹谿古仏とふ、還仮修証否。大慧まうさく、修証不無、染汚即不得。すなはち曹谿いはく、吾亦如是、如亦如是、乃至西天諸仏諸祖亦如是。

これよりさらに八載遍参す。頭正尾正かぞふるに十五白の遍参なり。

詮慧

○「是甚麼物恁麼来」は、達磨不来東土也、遍参也。南嶽八ケ年参学遅き様に思う族あるべし、不可然事也。八ケ年尤頓也。

○「説似一物即不中」は、二祖不往西天也、遍参なり。「即不中」は何れの詞に向けても、即不中なるべし。三界唯一心も、諸法実相も「即不中」と心得べし。泥彈子に限るべからず、一物のみにあらず。「即不中」の「不」の字(は)本意にあらず。何れにもあたりたらんこそ、よかりぬべけれども、「不中」を仏法と云うべし。教家にも説似一物は釈せられぬべけれども、今の遍参の道理に、心得合する心地不及。所詮又一句もあたらずと云う事なし。諸法仏法なる時節、有迷有悟、有生有死と云う、これ遍参なり。「不中」の詞にて心とも説くべし、仍遍参見成也。抑も八年見成と云うは、是甚麼物恁麼来と聞し、初めより即不中也。仏語に本来成仏の事を説くに、生死涅槃猶如昨夢と被仰是也、八年見成に心得合すべし。「八年」と云うは、無量劫の遍参也。吾亦如是、汝亦如是遍参なり。

○「泥彈子一著子」という、曹谿古仏の遍参と聞こゆ。達磨眼睛を泥彈子につくるなどと云う詞、古くよりあり。初祖の仏法を「泥彈子」とも「一著子」とも心得べし。

○「末上に遍参する一著子」と云う事、難心得し。「末」と云うはすえなり、「上」はかみとこそ聞こゆる時に不審なれども、向上の向、直下の下承当ともいう。大方世間の上下の詞に難准也。

○「還仮修証否」という、説似一物即不中の上は、更不可有修証故に「無染汚」と説く也。

経豪

  • 是はあまりに諸方口遊し、めずらしからぬ詞也、如文。「泥彈子」とは、「是甚麼物恁麼来」の詞を指す也。八箇年此の詞を南嶽功夫せし所を、遍参する事始終八箇年也とは云うなり。実にも是に過ぎたる遍参あるべからず。「一著子」とは、此の前の詞を又指す也。八箇年功夫の後、「説似一物即不中」と心得たりと被示なり。
  • 是は南嶽を印可せらるる御詞也。「還仮修証否」の詞、不審の詞と聞こゆ、不可有爾。修証をかるとあるべし、又からずと云う義もあるべし。又「修証不無、染汚即不得」、この詞修証はあり。然而世間に思い習わしたる修証にはあらず。今有りと云う修証は、不染汚の修証なるべしと答えたるように、文の面は聞こえたりしかば不可心得。「修証」も「不無」も、「染汚」も「即不得」も、只各々の詞、皆同じだけの詞なるべし。各々に独立の詞なるべしと可心得なり。
  • 南嶽印可の後、差し置く事なく、又「八載遍参す」。是甚麼物恁麼来の詞を、八箇年遍参し、又印可の後八箇年遍参すれば、前後共に「十五白」也。一年を二箇度に計うるゆえに、十五年にあたり、「白」の字は五天竺に、一天竺を一白とも名づけ、一黄とも名づくる事あり。所詮一年と云う心地也。黄葉落つる国あるを一黄と名づく。此の心地を以て、「十五白」と云う歟、詮は只十五年也(白と云うは別の心あり)。

 

恁麼来は遍参なり。説似一物即不中に諸仏諸祖を開殿参見する、すなはち亦如是遍参なり。入画看よりこのかた、六十五百千万億の転身遍参す。等閑の入一叢林、出一叢林を遍参とするにあらず。

全眼睛の参見を遍参とす。打得徹を遍参とす。面皮厚多少を見徹する、すなはち遍参なり。

詮慧

○「入画看」という、入画図などと云う詞あり、入仏祖画となり。

○「等閑の入一叢林、出一叢林にあらず」という、入一叢林、出一叢林をくだすにあらず。等閑の詞が付きたる事をもて、まことの遍参とは云わぬなり。祖師先に「入出」の字に付けて、開演仏法する事多し、然而ここにはただ遍参に付けてこの叢林に入り、この叢林を出と云う詞に、引かるる時、なおざりぬとは置かるる也。

経豪

  • 「恁麼来の姿、遍参なるべし、開殿参見す」と云えば、開堂見仏せんずるように覚ゆ。諸仏諸祖を「開殿参見」とも談ず也。此の諸仏諸祖に相見の理、「亦如是」の道理なるべし。「亦如是参」とは、六祖の印可の御詞に、西天諸仏諸祖亦如是の詞を取る。「参」は遍参の参なるべし。
  • 此の「入画」の「画」は仏法を指すなり。所詮仏法に入りしより、このかたと云う詞也。「此の六十五百千万億」の詞は、何事ぞと覚えたり、又数量に関わりたるとも覚えぬべし。但あながちに此数の大切にはあらず。『法華経』の厳王品(妙荘厳王本事品)に、浄蔵浄眼の二子(「大正蔵」九・五九下・注)、父母の邪見をあらためし時、是は一旦翻邪見に似たれども、六十五百千万億の雲雷音王仏の先より、法華の値遇によりて、今如此なるなりと仏言ありし所の経文の詞を被引出也。所詮無始無終辺際なき、六十五百千万億なるべし。「入一叢林、出一叢林を遍参と云うべからず」とは、打ち任せては只出叢林して所々へ尋師訪道すと、遍参をば心得なり。今の祖門所談の遍参、此義にはあらざる所を示さん料りの詞也と可心得也。
  • 此の詞は沙門一隻眼、則ち遍参なるべし。「打得徹」とは、打ち徹す詞也、解脱の理也。実(に)今の遍参の義、如此なるべし。「面皮厚多少を見徹す」とは、面の皮のそこばく厚きを見徹と云うも、解脱の理なり。此の面皮厚多少則見徹の理なるべし、是則遍参の道理なり。

 

雪峰道の遍参の宗旨、もとより出嶺をすゝむるにあらず、北往南来をすゝむるにあらず。

玄沙道の達磨不来東土、二祖不往西天の遍参を助発するなり。

玄沙道の達磨不来東土は、来而不来の乱道にあらず、大地無寸土の道理なり。

いはゆる達磨は、命脈一尖なり。たとひ東土の全土たちまちに極涌して参侍すとも、転身にあらず。さらに語脈の翻身にあらず。不来東土なるゆゑに東土に見面するなり。

東土たとひ仏面祖面相見すとも、来東土にあらず。拈得仏祖、失却鼻孔なり。おほよそ土は東西にあらず、東西は土にかかはれず。

経豪

  • 如文、前には遍参の大都を被釈、ここよりは雪峰の遍参の詞を被釈也。此の雪峰の備頭陀なんぞ不遍参の詞を被釈也。此の雪峰の備頭陀なんぞ不遍参の詞、弟子を教訓して尋師訪道すべしと被仰にあらず。玄沙の姿、遍参にあらざるべきが故に、「出嶺を勧めず、北往南来を勧むるあらず」と云う也。
  • 是は雪峰弟子の玄沙の分際、能々存知せられたる上に、今雪峰の詞に付けて、今の「不来東土」等の詞を、玄沙に云わせんとて、被云出したるやと云う也。「遍参を助発する也」とある、此の心地なるべし。
  • 達磨の皮肉骨髄、尽界に弥綸して、初祖の身心にあらざる所なし、「大地無寸土の理也」。ゆえに「来を不来などと、打ち任せて談ずる乱道にはあらず」と云う也。
  • 「達磨の命脈一尖」とは、尽界皆達磨の皮肉と云う心なり。又「東土の全土」とは西に対したる東土にあらず。東土の全土と云わん時は、西と云う事あるべからず。尽十方界東土なるべし、是を全土と仕う也。如此「参侍すとも」、彼より是へ来不来とは不可心得、ゆえに「転身にあらず」とは云う也。「語脈の翻身にあらざるべし、不来東土なるべくは東土見面」と云う詞、不被心得聞こゆ。但不来東土の道理前に聞こえぬ、所詮不来東土の道理の上に、東土に見面すと云う道理も出で来たるなり。
  • 是は仏面祖面せば、来東土と云う義不可有、一方を証すればの風情也。「拈得仏祖、失却鼻孔也」とは、是も仏祖を拈得せば、失却鼻孔の道理なるべし。只前の詞に同じき也。「土は東西にあらず」とは、実(に)土と談ぜん時は、東西にあらざるべし。此の道理の上には、東西は土にあらざる道理、又勿論也。

 

二祖不往西天は、西天を遍参するには、不往西天なり。二祖もし西天にゆかば、一臂落了也。しばらく、二祖なにとしてか西天にゆかざる。いはゆる碧眼の眼睛裏に跳入するゆゑに不往西天なり。もし碧眼裏に跳入せずは、必定して西天にゆくべし。

抉出達磨眼睛を遍参とす。西天にゆき東土にきたる、遍参にあらず。天台南嶽にいたり、五台上天にゆくをもて遍参とするにあらず。四海五湖もし透脱せざらんは遍参にあらず。四海五湖に往来するは四海五湖をして遍参せしめず、路頭を滑ならしむ、脚下を滑ならしむ。ゆゑに遍参を打失せしむ。 

おほよそ尽十方界、是箇真実人体の参徹を遍参とするゆゑに、達磨不来東土、二祖不往西天の参究あるなり。

詮慧

〇「一臂落了也」という、二祖のひぢを切りし因縁也。所詮二祖の一臂落了也の道理は、西天の往不往の義いずれもそるべからず。

〇「路頭を滑ならしむ、脚下を滑ならしむ」と云う、是は祖道の事也。「滑」と云うは褒むる詞也。

経豪

  • 前には達磨不来東土の詞を説き、ここよりは「二祖不往西天」の詞を被釈、所詮今の不往西天の道理が、遍参の理なるべき也。二祖は祖師にて、此の上に西天へ行くゆかずの論にあらず。二祖の皮肉ならぬ道理なき故に不往とも云わる、来不来に不拘なり。又「一臂了也」とは、二祖与西天非各別。行と云うも不行と云わんも同理也。又一臂了也と云えば、悪しく成りたるように聞こゆ、なじかば其義あるべき。祖師の一臂又不可有辺際・千手を談ぜし時、手にあたる物なく、眼に見る物なかりき。今の「一臂」も此の手眼に不可違歟。
  • 「二祖不往」とは、いかなる道理に云わるるぞと云えば、如今云。「眼睛裏に跳入するゆゑに不往西天」と云うとあれば、如前云。二祖の皮肉尽界に遍参する道理を、「眼睛裏に跳入す」と云う也。此理の上に、「不往西天」とは云わるる也。この道理「跳入せずは、必定して西天に行くべし」とあり、是は今の理に不及ときは、西天に行くと云う理も、只尋常思い付きたる定めに、可心得と云う心地也。
  • 「抉出眼睛、実に遍参なるべし」、打ち任すは西天東地へ行くを遍参と思う所を如此被嫌なり、如文。「路頭を滑ならしむ、脚下を滑ならしむ」とは、十方世界を往来するを遍参と思う処を、遍参を打失せしむとあり。今の遍参の道理に背く所を、如此打失とは被嫌也。
  • 如文。実にも「尽十方界是箇真実人体の参徹を遍参とすべき」道理必然なり。此の道理を以て、今は「達磨不来東土、二祖不往西天」とは云うなり。

 

遍参は石頭大底大、石頭小底小なり。石頭を動著せしめず、大参小参ならしむるなり。

百千万箇を百千万頭に参見するは、いまだ遍参にあらず。半語脈裏に百千万転身なるを遍参とす。たとへば、打地唯打地は遍参なり。一番打地、一番打空、一番打四方八面来は遍参にあらず。

倶胝参天龍、得一指頭は遍参なり。倶胝唯豎一指は遍参なり。

経豪

  • 是はいかなるか山中の仏法と問いしたりし時、如今詞「石頭大底大、石頭小底小」と答えたる事ありき。其を今被引載歟。此の石(は)、蚯蚓にも狗子にも、乃至椅子竹木等に不可違。此石可尽法界、是遍参の道理なり。大小の石を遍参と学する事、実(に)打ち任すは不可有事也。又「石頭を動著せしめず、大参小参ならしむ」と云うは、石の姿をあらためずして、只此の「石頭大底大、石頭小底小」を「大参小参」とは云うなり。
  • 東西南北参見する遍参に非ずと被嫌。如前云う、「半語脈裏に百千万転身なるを遍参とす」と云う也。此義先に沙汰旧了。打地和尚と云いし人は、諸人法文を尋ねしかば打地しき、是を今は遍参とす。「一番は打地、一番は打空、一番は打四方八面来は非遍参」と被嫌。其ゆえに十方を往来して、遍参と心得る義に、今の一番打地、一番打空、乃至打四方八面来の姿相似たり。仍てしばらく被嫌なり。「打地唯打地は遍参也」と云うは、半語脈裏に百千万転身なるを遍参とす、と云う理に符合するゆえに被許之也。
  • 倶胝は天龍の弟子也。倶胝は法を人に示すには、豎一指き、是を今は遍参と許さるる也。其心地如前云。

 

玄沙示衆云、与我釈迦老子同参。時有僧出問、未審、参見甚麼人。師云、釣魚船上謝三郎。

釈迦老子参底の頭正尾正、おのづから釈迦老子と同参なり。玄沙老漢参底の頭正尾正、おのづから玄沙老漢と同参なるがゆゑに、釈迦老子と玄沙老漢と同参なり。

釈迦老子と玄沙老漢と、参足参不足を究竟するを遍参の道理とす。

釈迦老子は玄沙老漢と同参するゆゑに古仏なり。玄沙老漢は釈迦老子と同参なるゆゑに児孫なり。この道理、審細に遍参すべし。

釣魚船上謝三郎。この宗旨、あきらめ参学すべし。いはゆる釈迦老子と玄沙老漢と、同時同参の時節を遍参功夫するなり。釣魚船上謝三郎を参見する玄沙老漢ありて同参す。玄沙山上禿頭漢を参見する謝三郎ありて同参す。同参不同参、みづから功夫せしめ、佗づから功夫ならしむべし。

玄沙老漢と釈迦老子と同参す、遍参す。謝三郎与我、参見甚麼人の道理を遍参すべし同参すべし。

いまだ遍参の道理現在前せざれば、参自不得なり、参自不足なり。参佗不得なり、参佗不足なり。参人不得なり、参我不得なり。参拳頭不得なり、参眼睛不得なり。自釣自上不得なり、未釣先上不得なり。すでに遍参究尽なるには、脱落遍参なり。

海枯不見底なり、人死不留心なり。海枯といふは、全海全枯なり。しかあれども、海もし枯竭しぬれば不見底なり。不留全留、ともに人心なり。

人死のとき、心不留なり。死を拈来せるがゆゑに、心不留なり。

このゆゑに、全人は心なり、全心は人なりとしりぬべし。かくのごとくの一方の表裏を参究するなり。

詮慧

〇玄沙示衆段。「釣魚船上謝三郎、仏と同参」と云う事、打ち任せては仏与衆生同じと説くを仏法の至極と思う。誠(に)衆生輪転の法なるを仏に同ずる勝りたり。但仏は三祇百大劫の修行を経、仍て修得の如来と名づく。衆生は迷妄のものなるを仏に同ずる如何、又凡身は生死にうつさる仏に難同乎。又仏の生滅と云う時は、ただ衆生応問の義なり。同ずる時は心にやくす、三界唯心是なり。仏の心衆生に同ずる事は理の義也。其の時は事理不二なる故に、如此云えどもやがて、事の上に理あらわると難云。今の玄沙の詞、釈迦と玄沙と同参という。

〇「未審参見甚麼人」という、釈迦と玄沙と同参なれば、相互見んぞ。此理と覚えれども、さにはあらず。釈迦は釈迦を参見し、玄沙は玄沙を参見すと心得とき、玄沙の謝三郎とを致すなり。名二つなれども、非二人この同参をよく心得て、後釈迦と玄沙と同参也と可云也。但これも同ぞ違ぞの談にてはあるまじ。いかさまにも釈迦と玄沙とを混じて同也とは云うまじ。此の「未審参見甚麼人」の詞を疑いとは心得まじ。「釣魚船上謝三郎」を参見甚麼人とは云うなり。釈迦老子は釈迦老子と同参なり、玄沙老漢は玄沙老漢と同参也と云う心地は、心仏及衆生是三無差別の心地也。心・仏・衆生この三つを取り集めて、無差別とにはあらず是も釈迦を強為して、玄沙と云うにはあらず。

〇「参足参不足」という、釈迦と玄沙と参足参不足とを二つに置くなり。参足を釈迦に付くとも、又参不足をげに付く也。これが釈迦老子の頭正尾正とも、玄沙老漢の頭正尾正とも云うべき道理なり。

〇「釈迦老子は玄沙老漢と同参するゆえに、古仏也」という、これ過去の諸仏は我弟子也という義是なり。只釈迦は古の仏なれば、古仏と云うにてはなし。玄沙を児孫にてある故に古仏也。「玄沙は又釈迦と同参なる故に児孫也」と云うと可心得。

〇「自釣自上不得」という、釣を下す時、釣らるると云わず、やがて「自釣」するなり。これを遍参の参学とす、不究尽を不得とは仕うなり。

〇「未釣先上不得」という、此の「不得」は実の不得也。而(るに)疎学の人会不会ぞ、得不得などと云う事に思いわたりて、不得は得(と)同事也と思う事なかれ。実の不得なるべし。

〇「いまだつらざるさきにあがる」と也。是は父母未生以前と仕わるる詞也、ゆえに遍参也。不究尽の時は不得也、この不得の字を捨てて、自釣自上に得の字は付くなり。いまだつらざらんさきより得ざらんは、世間の詞也。いかなる人を置きて、自釣の道理を得させんとにはあらず。是は過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得の「得」と可心得。

〇「海枯不見底」と云う、此の詞を世間に心得には、海枯さるときはうしをにへだてられて底不見、海枯れぬれば又いたずらなる、平沙となりて底の義なし。このゆえに底不見と云う、ただし仏法に云う時は、この法性海より外に又あるべき法なし、尽十方界皆海底也。誰人ありてか、底を見るとも不見とも云うべき。又底とはいづくを指すべきぞ、表裏あるべからずと可心得。不見底の道理は、底にも限らず、岸も浜も不見なり。全海のゆえに、大海と説く時は、不宿死屍と云わんが如し。

〇「人死不留心」という、是も子細同上。人与心各別に難置、心外にありて留むとも留まらずとも難云。この「不留」は三世不可得の得程の事也。

〇「一方の表裏を参究す」という、此の詞首尾からあいても聞こえず。そゆえは「表裏」と云わば、二方になりぬべし、一方と云うべくば、表裏と難置。然而今の仏法の習い事には斯く云うべきなり。会不会とも仕い、いま又打坐の上にも遍参也と云わんが如し、一方の上に表裏あるなり。

〇「いまだ遍参の道理現在前せざれば、参自不得也、参自不足也、参他不得也」。・・・「未釣先上不得也」などという、是は実に遍参の道理が現前せずば不得不足と云う也。但又遍参の究尽、脱落の時も得ぞ足ぞとは不可云。不得不足の詞こそ、遍参の本意なるべければ所詮詞は同じけれども、義は迷悟にわたる事、今始めて非可驚とや。「海枯」の道理も「人死不留」の道理も、全海全枯、全人全心と脱落する同事也。一方と仕いても、表裏を参究する也と云う程の事也。

経豪

  • 此の玄沙の示衆の詞、以外の自讃と聞こえたり。釈尊は五百塵点劫の久遠実成の仏也。玄沙は今の祖師一体と云う義、不可有と覚えたり。然而法体の道理、釈尊与玄沙なにの隔てかあらん。迷い此の理ゆえに顛倒の衆生、流転の迷身となる也。口惜事也、以此理与「我釈迦老子同参也」とは云う也。又「僧問の未審参見甚麼人」の詞も、いかにと可心得を、甚麼人の詞事旧了。甚麼人の上には参見の理もあるべし、不参見(の)理(も)又あるべし。是れ則ち不中の理也、ここに師釣魚船上謝三郎とあり。玄沙は釣り人也、三十にして発心、雪峰の下にて得法悟道す。謝三郎とは玄沙の俗名なり、それをみづから、我昔の俗名を被呼出也。是は奥の御釈に委細也。「釈迦老子参底の頭正尾正、おのづから釈迦老子と同参なり。玄沙老漢参底の頭正尾正、おのづから玄沙老漢と同参なるがゆえに、釈迦老子と玄沙老漢と同参也」とは云わるるなり。
  • 釈迦与玄沙のあわい、参足は満じ、参不足は不足也と不可心得。見仏の上の不見仏程の道理なるべし。釈迦与玄沙あわいも是程なるべし。
  • 此御釈所詮、釈迦与玄沙、皮肉の所通、聊かも隔てなき道理が如此いわるる也。釈迦に玄沙は蔵身すれば古仏と云われ、玄沙に釈迦は蔵身するゆえに児孫と云わる。此の古仏の詞と、児孫の詞と総不可違。只同詞同心なるべし。
  • 釣魚船上謝三郎は、玄沙発心已前の名なれば、ここには可被呼出とも不覚。但仏法には嫌いて、徒らなる時節と云う事、総不可談事也。ゆえに謝三郎は発心より先の名字とて非可棄置。此遍参の理の所及、いたらざる所なく、可嫌跡なし。玄沙の玄沙と同参する理なるべし、只釈迦与玄沙、同時同参の時節を遍参功夫する道理なるべし。又「釣魚船上謝三郎を参見する玄沙老漢ありて同参す、玄沙山上禿頭漢を参見する謝三郎ありて、同参す」とは如前云、詞は替われども玄沙与玄沙同参する理也。釣魚船上謝三郎と一体なる故なり。但ここには聊か意これあるべきか、其故は玄沙は悟道已後なれば釣魚船上謝三郎を参見する、玄沙老漢有りて同参す。「玄沙山上禿頭漢を参見する謝三郎ありて同参す」と云えば、いたづらなる発心以前の釣魚船上謝三郎と云う詞の、捨てられぬ遍参の理なる道理があらわるる也。此の同参不同参の詞、如例同参なる理あり不同参なる理あるべし。釈迦与玄沙、乃至釣魚船上謝三郎と玄沙と同じ也、又別也。此理なるべし、是理を「功夫すべし」とは云うなり。
  • 是は釈迦と玄沙と、同参遍参の理事旧了。「謝三郎と与我と参見甚麼人」と云う「与我」とは玄沙也。已本の詞に与我釈迦老子同参也とあり。然而釈迦と玄沙と謝三郎と、与我との参見が甚麼人と云わるるなり。
  • 是は今祖門所談の遍参の理、現前せざれば、参自と云うも参他と云うも、乃至人と云うも、我と云うも、拳頭も眼睛も、皆不得也と被嫌也。尤有謂、「自釣自上」も、「未釣先上不得」も古き詞也。是等も皆不得不得と被嫌なり。「遍参究尽なるには、脱落遍参也」とは、東西南北十方の師を、訪行を遍参と心得る方を嫌われ、一師一言半句が遍参なる方を、今の「遍参究尽」とは取るなり。此の遍参究尽なる時、脱落遍参也とは許すなり。
  • 海枯ならば底みゆべし、今(の)詞(は)逆に聞こゆ。但「全海全枯」とあり、実(に)全海の上には「不見底」の道理なるべし。「人死不留心也」とあり、是は打ち任せて心得たるに、今(の)詞は不違。但今の「人死不留心」の詞は、人と云うは尽十方界真実人体の人也。不留心の「心」は三界唯一心の心也。ゆえに人と云う時は、不留心の道理現前なり。心と云わん時は人の詞より付くべからず。人与心相対する義、仏法には不可有、ゆえに「人死不留心」なり。此の「死」(は)又死也、全機現の死なり。然者不留心なる理顕然なり。「不留全留、ともに人心也」とは、人死不留心の不留なり。此の「不留」と云わるるは、全留の理なり。「不留全留、ともに人心」を指して如此云う也。此の「人心」の道理が、不留とも全留とも云わるる也。
  • 此の人死の時は、実(に)心不留なるべし、如前云う「死を拈来せるがゆえに心不留也」とは、死の正当恁麽時は、心不留なるべき道理顕然也。
  • 是は「全人」と云う道理を、「全心」とも談ず。全心なる道理を全人とも云うべし。「一方の表裏を参究する」とは、全人と談ずる所を全心の道理あり、乃至人死と談ずる所に不留心の理のあらわるる事を、一方の表裏を参究する道理なるべし。

 

先師天童古仏、あるとき諸方の長老の道旧なる、いたりあつまりて上堂を請ずるに、上堂云、大道無門、諸方頂□(寧+頁)上跳出。虚空絶路、清涼鼻孔裏入来。恁麼相見、瞿曇賊種、臨済禍胎。咦。大家顛倒舞春風、驚落杏花飛乱紅。而今の上堂は、先師古仏、ときに建康府の清涼寺に住持のとき、諸方の長老きたれり。これらの道旧とは、あるときは賓主とありき、あるいは隣単なりき。諸方にしてかくのごとくの旧友なり、おほからざらめやは。あつまりて上堂を請ずるときなり。

渾無箇話の長老は交友ならず、請ずるとものかずにあらず。太尊貴なるをかしづき請ずるなり。おほよそ先師の遍参は、諸方のきはむるところにあらず。大宋国二三百年来は、先師のごとくなる古仏あらざるなり。

大道無門は、四五千条花柳巷、二三万座管絃樓なり。しかあるを、渾身跳出するに、余外をもちゐず、頂□(寧+頁)上に跳出するなり、鼻孔裏に入来するなり。ともにこれ参学なり。頂□(寧+頁)上の跳脱いまだあらず、鼻孔裏の転身いまだあらざるは、参学人ならず、遍参漢にあらず。

遍参の宗旨、たゞ玄沙に参学すべし。

四祖かつて三祖に参学すること九載せし、すなはち遍参なり。南泉願禅師、そのかみ池陽に一住してやゝ三十年やまをいでざる、遍参なり。雲巌道吾等、在薬山四十年のあひだ功夫参学する、これ遍参なり。二祖そのかみ嵩山に参学すること八載なり。皮肉骨髄を遍参しつくす。遍参はたゞ祗管打坐、身心脱落なり。

而今の去那辺去、来遮裏来、その間隙あらざるがごとくなる、渾体遍参なり、

大道の渾体なり。毘盧頂上行は、無諍三昧なり。決得恁麼は毘盧行なり。跳出の遍参を参徹する、これ葫蘆の葫蘆を跳出する、葫蘆頂上を選仏道場とせることひさし。命如絲なり。葫蘆遍参葫蘆なり。一莖草を建立するを遍参とせるのみなり。

詮慧

〇先師天童上堂段・・・杏花飛亂紅。「大道無門」という(は)、指仏道也。仏道は無門なるなり、辺際に拘わらざるゆえに。たとえば帝釈宮に一方四門あり、四方都合十六門也。而(るに)仏教には四門を立つるに、有門・空門・亦有亦空・非有非空これを四門という。中央に仏を置きて、此門より入るに、いづれの門よりも中央に到ると説く。但今仏法には、この四門を立てざるゆえに、無門と説く。此の「無門」は又「四五千条花柳巷、二三万座管絃樓」という、この「花柳巷、管絃樓」は、別に此の詞の大切なるべき云われなし。何と云わんも是程の道理なるべし、麻三斤と説くが如し。辺際なければ斯く云わるる也。

〇「渾身跳出」という、頂□(寧+頁)鼻孔などと云うは、天童の頂鼻なるべし。今天童を請して、今上堂する時の御詞なるゆえに。

〇「虚空絶路」と云う、無門道理にて絶路なる也。

〇「清涼鼻孔裏入来」という、諸方の長老に入来する事を取り寄せて被仰歟。但絶路の詞を鼻孔裏入来と仕う也。

〇「瞿曇種賊」という、大道無門也という詞を受けて瞿曇種賊と云う、此の詞(は)難心得。但輪転生死の方には、瞿曇種は賊とも云われぬべし。諸方(法)には実相を説くと云いつべし。

〇「臨済禍胎」という、臨済の面目と云わん程の詞なり。又諸法の為には実相が説くと云わるるが如く、臨済面目禍とも云いつべし。

〇「顛倒」と云うは、仏道より見れば世間顛倒し、世間より見れば仏道も顛倒と云いぬべし。

〇「驚落飛乱」の詞、是は共に解脱と云わんが如し。

経豪

  • 今の上堂の詞の「大道無門」とは、大道は指仏法歟。大道には門あるべし、而るを仏法の大道には無門なる也。然者亦出入すべき人もなし。「諸方頂□(寧+頁)上に跳出す」とは、所詮無門の上に跳出とも入来と云わば、「諸方頂□(寧+頁)上」とは仏祖なるべし。指彼して「跳出」と可云也。「清涼鼻孔裏」とは、天童清涼寺に住持の時なりし間、清涼の鼻孔とは被仰歟、今は天童の鼻孔を指して「入来」とも可云なり。又別物ありて出入すべき事なし。又「瞿曇種賊、臨済禍胎」とは、頂□(寧+頁)上に跳出すと云う詞、或いは清涼鼻孔裏に入来すと云う詞共が、瞿曇種賊、臨済禍胎とは云わるる也。「大家顛倒」などと云えば、悪しく成りたる詞かと聞こゆ、不然也。「驚落杏花飛乱紅」と云う詞は、雪裏梅花只一枝などと云う程の詞也。
  • 是は詞もなき無鼻孔の長老は、談ずるに不及と云うなり。已下如文。
  • 「四五千条花柳巷、二三万座管絃樓」とは古き詞也。是は只四五千条もあれ、只一通りにて又物の交わらぬ心地を云うなり。「二三万座管絃樓」も只同心なるべし。是は今の大道無門の詞、仏法の一理、余外の交わらず、只一通りなる事に被引なり。
  • 是は前段に、「遍参の道理現在前せざれば、参自不得也、参自不足也」と云いしが如く、此の「頂□(寧+頁)上に跳脱せず、鼻孔裏の転身いまだあらざらん参学人にあらず、遍参漢にあらず」と被釈なり。
  • 是は玄沙の達磨不来東土、祖不往西来の詞を被讃嘆なり。
  • 如文。所古挙の姿を、皆今は遍参と可云なり。諸方経歴して訪道するのみ、遍参と思う所を破せん料りに如此被挙也。「祗管打坐・身心脱落」とは、坐禅の事也。坐禅の姿、専ら遍参の至極なるべき也。
  • 是はここかしこと云えば、各別なるように聞こゆ。「去来」の詞も又相対の詞と覚えたり。所詮「那辺」の姿を指して「去」とは談ず也。「遮裏」の当体を「来」とは談ず也。然者日来の去来彼此には不満なり、日来の如く心得は、いかにも彼是去来に間隔あるべし、渾身遍参とは云わるべからず。如今談ずるとき、「間隔なく渾体遍参」とは云わるる也。

徧参(終)

 

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。