正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第七四 王索仙陀婆 註解(聞書・抄)

詮慧・経豪 正法眼蔵第七四 王索仙陀婆 註解(聞書・抄)

有句無句、如藤如樹。餧驢餧馬、透水透雲。すでに恁麼なるゆゑに、

大般涅槃経中、世尊道、譬如大王告諸群臣仙陀婆来。仙陀婆者、一名四実。一者鹽、二者器、三者水、四者馬。如是四物、共同一名。有智之臣善知此名。若王洗時索仙陀婆、即便奉水。若王食時索仙陀婆、即便奉鹽。若王食已欲飲漿時索仙陀婆、即便奉器。若王欲遊索仙陀婆、即便奉馬。如是智臣、善解大王四種密語。

この王索仙陀婆ならびに臣奉仙陀婆、きたれることひさし、法服とおなじくつたはれり。世尊すでにまぬかれず挙拈したまふゆゑに、児孫しげく挙拈せり。

疑著すらくは、世尊と同参しきたれるは仙陀婆を履践とせり、世尊と不同参ならば、更買草鞋行脚、進一歩始得。すでに仏祖屋裏の仙陀婆、ひそかに漏泄して大王家裏に仙陀婆あり。

詮慧 大涅槃経中。

〇「善解大王四種密語。有句無句」と云う。是は無別義、有無の詞と也。正法眼蔵第一『見成公案』に、「諸法(の)仏法なる時節」有るのみあり。又、無のみ挙げらるるが如く、「有句無句も如藤如樹」とあれば、無能所(の)よう(に)、仏見の方には索仙陀婆ならぬ者なし。衆生見(と)仏見(は)変わるに似たれども、仏法と談ずる他心通の義も只如此。

法華経の時にてこそあれ無量義経の時になれば、一法より外の物なし(を)一法出生(の)無量義と談ず。

〇生滅の四諦、常住の四諦(と)仏法の詞(に)同不同なり。四教(の)差別(は)又同じ。

〇在世滅後、其の気異なり、但生滅の詞を不改、生也全機現死也全機現なれば、生滅(は)更不改。一法纔かに通ずれば万法共に通ずと云う。所詮、衆生処々著引之令得土(出典不明)と云う詞を不可忘者也。

〇「如藤如樹」と云う。打ち任せて世間には、藤ばかり生長する事はなし、必ず物に灰掛かりて生長する物なる故に如藤如樹とて、淵の植物に寄るが如しと云うなり。しかれども、かく云う時は能所彼我の差別ありと聞こゆる時に、こなたには藤々によると云い来たれり、其の心地にて今「如藤如樹」と云うなり。有と云えばとて無に対して可心得にあらず、ただ有は有、無は無なるべしと云う心地を「藤如樹」と云うなるべし。

〇「餧驢餧馬」とは驢と馬とを飼うなり。是も無別子細、驢を飼い馬を飼うなり。

〇「透水透雲」とは、透は解脱の心地なり、水をも解脱し、雲をも解脱するとなり。

〇「恁麼なる故に」と云う、「有句無句、如藤如樹。餧驢餧馬、透水透雲」すでに恁麽なる故にと云う(は)皆索仙陀婆なり、この有無事在現成公案これ索仙陀婆なり。

〇抑も今の「王索仙陀婆(は)一名四実」の事を「有無藤樹驢馬雲水」等に引き寄すらん事(は)不審也。仙陀婆の詞一(ツ)なれども鹽器水馬の四(ツ)をも奉る。「有句無句、如藤如樹」などと云う心地は、無能所彼此心地なれば相望の法なるべきをは何可被引寄哉。但宏智上堂の段を可了見。王索仙陀婆時如何と向かう時(に)趙州曲躬叉手し、雪竇拈じて云うには索盬奉馬とあり。「一名四実」と云えばとて必ず「盬・器・水・馬」を立て、食(する)時、必ず(しも)奉盬のみならず。索盬の時、奉馬と云う程になりぬれば、「有句無句、如藤如樹」の詞にも不可相違。一名一実とも一名四実とも四名四実とも云いつべし。

〇「世尊と不同参ならば、更買草鞋行脚、進一歩始得」と云う。この仙陀婆(は)法眼と同じく伝われりと云えば、世尊と同参と聞こゆ。故に「仙陀婆を履践とせり」と、この故(に)不同参なるは、更買草鞋行脚進一すべしと也。

〇大王家の仙陀婆、ひそかに仏家裏より漏泄すと云う(は)如文。

経豪

  • 「有句無句、如藤如樹」とて繋縛の詞に打ち任せては仕うなり。樹倒藤枯とて解脱の詞に仕付たり、此の有無の詞、世間には水火の事也。今仏法の上に「有句無句」の詞を談(ずる)は「如藤如樹」とて、有なれば全有、無なれば全無なるべし。「餧」と「驢」とは共に馬なり、只一体の物也。「透水透雲」の義も、雲水の差別不可有。「水」と談ぜん時は水の一法なるべし、「雲」と談ぜん時、又同(じく)有句無句の道理の下に、皆此の道理あるべきなり(餧は飼うと読む詞)
  • 是は大王の仙陀婆と云う時は、如経文。「有智之臣善知此名」(は)王の願いに随って「盬器水馬」等を王に奉る事、如願索物を奉る。以今理、仏法の上に置きて仙陀婆の理を被述なり。一名四実と云い、一名は仙陀婆也、四実者、盬・水・器・馬等を指す也。
  • 「智臣知王」(の)意、「随索奉四種物」(の)事、経文等(にて)分明也。但是は大王与智臣のあわい(間)如此なり。仏法の上には不可然、其の故は大王索洗時奉盬、大王欲遊時奉水、大王食訖求漿時奉馬ならん、更不可有相違。或索仏性時奉狗子並蚯蚓等、乃至索僧堂仏殿等時奉三昧陀羅尼等、是如智臣仏弟子なるべし。
  • 此の「王索仙陀婆、並びに臣奉仙陀婆」昔より久(しく)伝えて法眼と同(じく)伝われりと云う也。世尊すでに此事を免れず。「挙拈し給う」と云うは、今の経文是なり。この故に児孫此の仙陀婆を挙拈すと云うなり。世間には大王に索を付け臣に索を付けて談ぜん、不可有相違。錯まりて猶、親切なる義とも云いぬべし。
  • 是れは「世尊と同参しきたれるは仙陀婆を履践とせり」と云うは、世尊の法を同参したらん者は、仙陀婆を履践とすべしと云う也。又「世尊と不同参ならば、更買草鞋行脚、進一歩始得」とは、世尊(は)法を不通達、物は更買草鞋行脚して、進一歩して得べしと云う心(地)也。証は只能々、功夫参学すべしと云うなり。又、今の草子の面の如きは、大王家裏の仙陀婆ひそかに漏泄して、仏祖屋裏の仙陀婆ありとぞ云いぬべき。頗(すこぶ)る今の御詞(は)逆なるように聞こえれども、必ず仙陀婆の上の前後不可有不知。又、仏祖屋裏の仙陀婆が漏泄して、王家裏の仙陀婆ともや成りけん、不審の事也。

 

大宋慶元府天童山宏智古仏上堂示衆云、挙、僧問趙州、王索仙陀婆時如何。趙州曲躬叉手。雪竇拈云、索鹽奉馬。師云、雪竇一百年前作家、趙州百二十歳古仏。趙州若是雪竇不是、雪竇若是趙州不是。且道、畢竟如何天童不免下箇注脚。差之毫釐、失之千里。会也打草驚蛇、不会也焼銭引鬼。荒田不揀老倶胝、只今信手拈来底

先師古仏上堂のとき、よのつねにいはく、宏智古仏。しかあるを、宏智古仏を古仏と相見せる、ひとり先師古仏のみなり。宏智のとき、径山の大慧禅師宗杲といふあり、南嶽の遠孫なるべし。大宋一国の天下おもはく、大慧は宏智にひとしかるべし、あまりさへ宏智よりもその人なりとおもへり。このあやまりは、大宋国内の道俗、ともに疎学にして、道眼いまだあきらかならず、知人のあきらめなし、知己のちからなきによりてなり。

宏智のあぐるところ、真箇の立志あり。趙州古仏、曲躬叉手の道理を参学すべし。正当恁麼時、これ王索仙陀婆なりやいなや、臣奉仙陀婆なりやいなや。

雪竇の索鹽奉馬の宗旨を参学すべし。いはゆる索鹽奉馬、ともに王索仙陀婆なり、臣索仙陀婆なり。

世尊索仙陀婆、迦葉破顔微笑なり。初祖索仙陀婆、四子、馬鹽水器を奉す。馬鹽水器のすなはち索仙陀婆なるとき、奉馬奉水する関棙子、学すべし。

詮慧 宏智上堂段 大宋慶元府。

〇「信手拈来底」、「趙州曲躬叉手」、只今何と云う事見えず。索奉の詞も只曲躬程に、しばらく承けて置くべきなり。始終道理に符合(する)也。

〇「索鹽奉馬」と云う此の詞、「如何仙陀婆」の義は索鹽すれば奉盬にてこそ有るべきに、盬を求むる奉馬(の)理(は)当たらずと聞こえ、但王臣の索仙陀婆よりは仏家の索仙陀婆はるかに超越すべし。ただ盬を索むれば奉盬し、索水すれば奉水(の)義も有るべし。諸法(は)諸法なり、実相(は)実相なりと云わん(が)如し。又索鹽に奉馬の義も有りぬべし、盬に滞り馬に滞らば似世間法。又、水の要ならんには馬を以ても使い、馬の要ならんには盬を以ても用いるこそ、仏家の世間に超越したるにては有るべけれ。故に雪竇は「索鹽奉馬」と(の)云い方にも心得ぬべし。但是は「曲躬の正当恁麼時、これ王索仙陀婆なりやいなや」と云う時に、「索」と「奉」と同別かと云うにてこそ有れば、「鹽」と「馬」とをば不審すべからず。「索」と「奉」と心得うべし、索と云うも奉と云うも別也とは不可云。故に「索鹽奉馬」はともに「王索仙陀婆也、臣索仙陀婆也」と云う。所詮「世尊索仙陀婆、迦葉破顔微笑なり。初祖索仙陀婆、四子、馬鹽水器を奉す」と云う。初祖の四子(四人弟子なり)得皮肉骨髄なり、索水能所にあらず彼此にあらず、仏家には索奉を分くべからず。又求めずとも奉の義もあるべし、仏法には更に不足闕如と云う事あるべからず。「索」と「奉」と「王」と「臣」と自他各別し、彼此相対の法に作らば不可謂仏法なり。

〇「王索仙陀婆」は共に一切衆生悉有仏性と心得べし。「悉」は一切衆生の方、「有」は仏性の方とこそ覚えたれども、すでに「悉有」の一分を衆生と云い仏性とこそ談ずる時に、王臣と分くべからず。我本立誓願欲令一切衆如我等無異(我本(もよ)誓願を立てて、一切の衆をして我が如く等しくして異なる無からしめん)と云う故に(『法華経』方便品「大正蔵」九・八中)。

〇「趙州と雪竇と是不是事」。これは迦葉仏是ならば釈迦仏は不是、迦葉仏不是ならば釈迦仏是と云わんが如し。「差之」と云うも「失之」と云うも喩えば同じ詞なるべし。「毫釐」と云い「千里」と云う、これは遥かに事(が)変わりたる詞と聞こゆれども、較べて云う時こそあれ、只毫釐とも千里とも一を挙げて云わん。何の差別懸隔か有らん、会不会(と)同じ上に仕う程の事也。

〇「会也打草驚蛇、不会也焼銭引鬼」と云う会也。ただ一の道理、不対・不会也。ただ一の道理不対、会打草驚蛇も其の一なり、焼銭引鬼に相い対する事なし、ただ此の道理なり。

〇「荒田不揀老倶胝、只今信手拈来底」と云う「荒田」は所名也。「倶胝」は禅師の名なり。荒田に必ず、倶胝ばかりて長老と定めるにあらず、後にも前にも長老あるべし。故に倶胝を揀(えら)ばぬとなり。「信手拈来底」とは只手を延べて拈(じ)来るとなり。喩えば物を結する詞駐車場也底ぞ而已などと云うが如し。「信手」の両字は拈来に著きて「手」と云う。

経豪

  • 今、宏智の上堂詞を被挙。「僧、趙州に王索仙陀婆と問する時、趙州、曲躬叉手す。是を後に雪竇、被拈(ずるに)、索鹽奉馬と云えり」。此の趙州の曲躬叉手の姿は、索鹽奉馬の理なるべし。打ち任せては「索鹽奉馬」は、大いに相違の法王の意にも可違と聞こえたり。仏法の上にては此の索鹽奉馬の理、殊(に)親切なるべし。然者、趙州曲躬叉手の理与雪竇索鹽奉馬の理、尤も可普(符)合也。「一百年前作家、百二十歳古仏」と云うは、趙州と雪竇とを讃嘆(する)詞なるべし。又「趙州若是は雪竇不是、雪竇若是、趙州不是」とは、此是不是、全非得失義。趙州与雪竇のあわい程のなり、「是不是なるべし。「且道、畢竟如何天童不免下箇注脚」とは、宏智我が詞を可下と云う也。又「差之毫釐、失之千里。会也打草驚蛇、不会也焼銭引鬼。荒田不揀老倶胝、只今信手拈来底」とは、「差」と云うも「失」と云うも会也不会也。仏法の上の所談也。得失浅深に関わるべからず。「打草驚蛇引鬼」と云うは古き詞也、只それかれと云う程の詞(で)違わぬ心なり。「荒田」とは所名なり。「老倶胝」とは祖師名也。「信手拈来底」とは、此の倶胝は人の法を問いけるに、いづれの詞にも、只指を挙げたり。一法究尽なる理を、ここに被引寄歟不審なり。
  • 是は無別子細、如御釈。古仏を古仏と知るは古仏也と云う也。且与宏智古仏相見『如浄録』下・六則「大正蔵」四八・一二七上)。先師を被讃嘆(する)詞歟。又宗杲禅師を宏智よりも、猶その人なりと思える僻見を次に被述也。如文。
  • 此の「趙州の曲躬叉手」の姿が、「王索仙陀婆」とも云われ、「臣奉仙陀婆」とも云わるべき道理を、「なりやなりや」とは被述なり。
  • 趙州曲躬叉手の姿を王索仙陀婆・臣索仙陀婆と取り、今は「雪竇の索鹽奉馬の宗旨」を又、「王索仙陀婆・臣索仙陀婆」と談(ずる)也。打ち任せては王索仙陀婆は本(もと)の詞なり、臣奉仙陀婆とぞ云うべきを、今は「臣索仙陀婆」とあり。相違して聞こゆれども、索奉の道理、王臣のあわい(間)、更(に)不各別差別すべからざる道理を、如此云い表されたるなり。
  • 世尊の拈華瞬目し迦葉破顔微笑の姿。初祖の四人の門人に汝得吾髄等を被授(するは)、今の「馬鹽水器を奉ずる」道理なるべし。是等の道理を挙ぐるを「関棙子を学すべし」とは云う也。

 

南泉一日見鄧隠峰来、遂指浄甁曰、浄甁即境、甁中有水、不得動著境、与老僧将水来。峰遂将甁水、向南泉面前瀉。泉即休。すでにこれ南泉索水、徹底海枯。隠峰奉器、甁漏傾湫。しかもかくのごとくなりといへども、境中有水、水中有境を参学すべし。動水也未、動境也未。

詮慧 南泉段。 南嶽―馬祖―南泉・鄧隠峰(は)兄弟也。

〇「南泉一日―瀉泉即休」。此の甁水の動不動の問答は、「南泉の索水は徹底海枯・「隠峰の奉器、甁漏傾湫」なり。南泉の索水は徹底海枯なれば、水ならぬ所あるべからず、然者何をか奉ずべき、この故に甁漏傾湫と云う。「甁漏」とはもるなり、「傾湫」は水のある所、傾きぬる時に海枯の心なるべし。此の公案に仙陀婆の詞(は)不聞、但以義云うべしとなり。南泉の索仙陀婆は「索水徹底海枯」にあて、「隠峰の奉器」をば「甁漏傾湫」にて当てんとにはあらず。今はこの索仙陀婆(の)奉水奉馬は仏法に談ずる所、已前の儀にも可超越。これ索鹽奉馬なるべし。

〇「境中有水、水中有境」と云う(は)、尽十方界沙門一隻眼ほどの心地なるべし。「水中有境」(は)如此親切(の)義なり。この時は何境何水と難定、故に「動水也未、動境也未」なるべし。「也未」と云う心は受けて歟と云う程の詞也。

〇たとえば、今の水瓶の道理は六道輪廻の衆生境にて、水は仏性と心得べし。(又は)真如実相と可心得歟。然者、三界の悪を断じ終わりて、法性を表すと習うを、この煩悩の瓶を動かさずして法性と明らむるぞ。瓶を動ぜずして水を持ち来たるにては有るべき。今の「動」と云うは世間の動に不可准。「瓶の不動」は今持て来たるぞ、不動なる瓶の能なる故に。例えば針を云うに、物を縫う針は曲ならんをば嫌うべし、曲がれと。又釣り針は直ならんをば嫌うべし、曲ならずと。此の定めにも心得て「動不動」は明らむべし。いわんや又「境中有水、水中有境」と云う時は、いづれか「境」いづれか「水」(の)心境二と云うべからず。衆生の中には仏性あり、仏性の中に仏性あり、仏性の中に衆生ありと云う程の事也。

経豪

  • 南泉の「索水徹底海枯」とは、此海の姿(が)全海なる時、索水徹底海枯と云わるる也。「隠峰奉器、甁漏傾湫」とは破木杓黒漆桶などと云うように,解脱の姿を如此挙也。「缺け漏れ傾く」と云うは、悪しき詞に似たれども、皆解脱の詞なるべし。又「境中有水、水中有境を参学すべし」とは、境与水(は)無差別なる道理也。此の道理が「動水也未、動境也未」とは所詮、動水も動境も只同じ理なるべし。

 

香厳襲燈大師、因僧問、如何是王索仙陀婆。厳云、過遮辺来。僧過去。厳云、鈍置殺人。しばらくとふ、香厳道底の過遮辺来、これ索仙陀婆なりや、奉仙陀婆なりや。試請道看。

ちなみに僧過遮辺去せる、香厳の索底なりや、香厳の奉底なりや、香厳の本期なりや。

もし本期にあらずは鈍置殺人といふべからず。もし本期ならば鈍置殺人なるべからず。

香厳一期の尽力道底なりといへども、いまだ喪身失命をまぬかれず。たとへばこれ敗軍之将さらに武勇をかたる。

おほよそ説黄道黒、頂□(寧+頁)眼睛、おのれづから仙陀婆の索奉、審々細々なり。拈柱杖挙払子、たれかしらざらんといひぬべし。

しかあれども、膠柱調絃するともがらの分上にあらず。このともがら、膠柱調絃をしらざるがゆゑに、分上にあらざるなり。

詮慧 香厳段 香厳襲燈大師。

〇「厳云、鈍置殺人」。先(の)いかなるかこれ王索仙陀婆と云う詞あたらざる事也。すでに一名四実とて仙陀婆と云えば、鹽器水馬等を奉ずる如きならん。上問のことば(は)不似世間道理。すでに仏家の法変わる処顕然也。「如何是」と云うは臣奉仙陀婆の心地也。「過遮辺来」は王索仙陀婆也。王索仙陀婆は鈍置殺人」。しからば索仙陀婆なりや奉仙陀婆なりや。

〇「香厳の索底なりや奉底なりや本期なりや。もし本期にあらずは鈍置殺人と云うべからず。もし本期ならば鈍置殺人なるべからず」と云う。索奉無二の義を「なりやなりや」とは明かす也。「本期にあらず」(とは)誠(に)云うべからず。又(は)本期也とも、本期の上は何の詞か有らんとなり。

〇凡そ仙陀婆の義は、一名四実とは云えども世間の実にはあらざるべし。すでに索鹽奉馬と云う相違の詞なり。又索奉をも二とは云わず王と臣とも能所に置かず。又香厳の詞の「過遮辺来」と云うも、相違の詞と聞こゆ、すぐと云うに来と云うべからず。又来たれと云うに過去これ相違也。香厳の「本期と鈍置殺人」と相違すべきものか、一つなるべきかと不審也。「本期にあらずは鈍置殺人と云うべからず」とあれば、相対の名目と聞く程に、もし本期ならば鈍置殺人なるべからずと、ある時に相違の法と聞こゆ。又奥に「敗軍の将さらに武勇を語る」という事も、敗れたる戦の将いかでか武勇を語るべき。これも相違して聞こゆ「説黄道黒、頂□(寧+頁)眼睛」と云う。「膠柱調絃」と云う全て此の仙陀婆を仏家に可心得事、如此「鈍置殺人の詞」(を)雖非可棄、先ずこれは鈍置なりと謗りて殺人とは云う也。

〇「膠柱調絃」と云う。喩えば絃の調子を調べて合いたればとて、其の柱を膠に付けたらん後の調子に合うべからずと云う也。今「膠柱調絃する輩の分上にあらず」と云いて、又「この輩、膠柱調絃を知らざるが故に、分上にあらざるなり」と云うは、膠にて作ると知りたらん由、膠にて作ると知らざる也。仏法には膠にて付けぬ物なしと習うべし、真如(も)仏性(も)皆膠にて付けたるなり、実相付けたるなり、如三世諸仏説法之儀式なるなり。

〇仏法にはいづれの調子の琴柱(ことじ)も膠に付けたりとも、作法には用いんずるに違(たが)う調子あるべからず。皆合う調子なるべし、琴柱に違う事なき也。琴柱に膠を作るは違うべしと、世間に仰せて心得所を、分上にあらずとは云う也。食事(に)鹽を奉り、水の時(は)器物を奉るぞ(とは)世間の心地なる。如此心得付けたる琴柱こそ膠にて付けたるにあれ、境を不動して水を持ち来たる風情を膠に付けたるとは云うべし。

経豪

  • 是は僧(が)香厳に「如何是王索仙陀婆」と問して、厳云く「過遮辺来」と云われて、「僧忽ちに過ぎ去る」、その時「香厳云、鈍置殺人」と被仰、是の詞を被釈に、「香厳道底の過遮辺来、これ索仙陀婆なりや」とあれば、此の過遮辺来の詞か。索仙陀婆にてもあり、奉仙陀婆にてもあるべきなり。詮は一事已上仙陀婆ならぬ一法あるべからずと可心得也。
  • 是は過遮辺来せる香厳の索とすべきか、香厳の奉底とすべきかと云う也。此の過遮辺来せる詞(は)、香厳の索底なり香厳の奉底也。索与奉のあわい(間)、都(て)不可隔一物なるべき故に、如此云う也。香厳の本期とは過遮辺来の詞を指(す)歟、香厳の所存に叶わばと云う心歟。
  • 打ち任せては、世間に利鈍の二を立つるに、利根は善く利鈍は悪しし、今の詞も嫌いたる詞と聞こゆ。今の「鈍置殺人」と云うは、利鈍の二を分けて云うにあらず。詮は香厳と今の僧と、例の非各別体鈍置殺人と云うも、鈍置殺人なるべからずと云うも、得失にあらず。会・不会ほどに可心得歟、香厳上の理に仰せて可心得合也。
  • 「香厳一期の尽力道底」とは、今の過遮辺来等の詞を指す歟。是は香厳の云い出したる詞に似たれども、一切仏祖の尽力道底なるべし。故に「いまだ喪身失命をまぬかれず」とは云う也。敗軍の将の軍に負けたらんは、無面目の人に語るべからず。しかれども、是は喪身失命を不免程の理なる上は、武勇を語るべき也。香厳の面目ならず、三世十方の仏祖、尽力道成なるが故に、私ならず隠れぬ義なるべし。
  • 如文。所詮黄也と説き黒と道い、頂□(寧+頁)眼睛、悉今は仙陀婆の索奉、審々細々なるべしと也。仙陀婆ならぬ一法あるべからず。一一(の)諸法、皆仙陀婆なるべき道理、分明に聞きたり、拄杖を拈じ払子を挙ぐる、誰か仙陀婆にあらずと知らんと云う也。
  • これは琴の琴柱を立つるには、時の調子に随って、ともかくも立て替えて六調子の楽をば可引也。琴の琴柱を膠にて付け固めなん後は、彼是の調子に成して用いる事不可叶。其の定めに凡見と云うは、迷悟去来有無善悪等の法、思い付けつる見解を、あちこち成す事、都てふ叶也。故に膠柱調絃の輩は、文上にあらずとは被嫌なり。今(の)仏法の上の膠柱調絃と云わんずるは、膠柱調絃とば云えども、自在無窮に六調子に渡りて、少しも無煩を仏法の関捩子とは云うべき也。故に此の膠柱調絃を知らざるが故に、文上にあらずとは云う也。

 

世尊一日陞座、文殊白槌云、諦観法王法、法王法如是。世尊下座。雪竇山明覚禅師重顕云、

列聖叢中作者知、法王法令不如斯。衆中若有仙陀客、何必文殊下一槌。

しかあれば、雪竇道は、一槌もし渾身無孔ならんがごとくは、下了未下、ともに脱落無孔ならん。もしかくのごとくならんは、一槌すなはち仙陀婆なり。すでに恁麼人ならん、これ列聖一叢仙陀客なり。このゆゑに法王法如是なり。

使得十二時、これ索仙陀婆なり。被十二時使、これ索仙陀婆なり。索拳頭、奉拳頭すべし。索払子、奉払子すべし。しかあれども、いま大宋国の諸山にある長老と称ずるともがら、仙陀婆すべて夢也未見在なり。苦哉々々、祖道陵夷なり。苦学おこたらざれ、仏祖命脈まさに嗣続すべし。

たとへば、如何是仏といふがごとき、即心是仏と道取する、その宗旨いかん。これ仙陀婆にあらざらんや。即心是仏といふはたれといふぞと、審細に参究すべし。たれかしらん、仙陀婆の築著磕著なることを。

詮慧 世尊段 世尊一日陞座。

〇「世尊下座。雪竇山明覚禅師重顕云、列聖叢中作者知」。「列聖」と云うは諸仏集会中程なるべし、諸仏叢林中也。此の「作」は造作の作にてはあるまじ、作仏作祖と云う程に可心得。「知」は又仏知なるべし、列聖中の作なるが故に、造作の作にはあるまじ。

〇「法王法令不如斯。衆中若有仙陀客」(この仙陀客は田舎人とは、うまし仙陀婆なり)。仏

陞座の上は衆中の仙陀客(と)ある条(は)勿論、仍って「何必文殊下一槌」とあるなり。

〇「世尊一日陞座、文殊白槌」。これは世尊(は)仙陀婆也。雪竇頌の心は一槌、即ち仙陀婆也。「下了未下。脱落無孔」ならんには、何(ぞ)一槌を下すとなり。

〇「法王法如是」なりと云うは、「十二時を使得する、索仙陀婆也、十二時を使得せらるる索仙陀婆也、索拳頭、奉拳頭すべし」なり。

〇「如何是仏と云い即心是仏と道取する」これ仙陀婆也。

〇「仙陀婆の築著磕著」と云う(は)、当たらずと云う事なき心なり。

経豪

  • 是は如文。「世尊一日説法其時、文殊一槌して、諦観法王法如是と被仰せたり、其後世尊何と被仰事なくして、下座し給えり」。其れを雪竇(は)前の道理を述べ給う、今の偈是也。「列聖叢中作者知」とは、今の世尊陞座の時、列する衆を云う歟。「法王法令不如斯」とは、前の文殊の詞を指す歟、「如斯」ぞとあるべきを、の字(を)加えたる(は)頗る難心得けれども、是又、必ずしも不の字に滞るべきにあらず。此の一字に付けて、其理の向背すべきにあらず。「衆中若有仙陀客」とは、此の列衆中に若仙陀客の詞を聞き知りたるにあらば、「何ぞ必ずしも文殊一槌を下して」という様に聞こえたり。右に委有御釈。
  • 此の「一槌」の姿に、無量無辺の義闕けたる事不可有。此の道理が「渾身無孔」とは云わるべき也。「下了未下ともに脱落無孔ならしむ」とは、諦観法王法、法王法如是と、文殊の被仰たりし後、世尊下座し給いき。下不下この心地は、只同じかるべしと云う義なり。所詮、只此の「一槌」の姿に満足すべき故也。
  • 「十二時を使得すと云うも、十二時に被使と云うも、索仙陀婆なるべし」。今の十二時と云うも、寅卯辰などの十二時にあらず、索仙陀婆なるべし。「索拳頭、奉拳頭すべし」とは索奉・拳頭ともに非各別。索も奉も拳頭も一物なるべし。「索払子、奉払子」の理(も)又同じかるべし、是又「仙陀婆」なるべし。「諸山の長老と称する輩、仙陀婆の道理かつて不知」を被載なり。
  • 是は「如何是仏と云う時、即心是仏と云う程の道理也」とは、索鹽のとき奉鹽、欲遊のとき奉馬。或いは又索鹽奉馬の姿、如此なるべしと云う也。実にも仙陀婆の理、索鹽の時、何物も不中(あたらず)と云う物(は)不可有。即心是仏と問わん時、無量無辺の調度を取り出さんずる時、如此被引出也と可心得、故に仙陀婆にあらざらんやと云う也。「即心是仏と云うは、たれぞと審細に可参究」とは、即心是仏(は)一物に関わるべからざる道理か、如此云わるるなり。仙陀婆の理の法界に周遍する理が「築著磕著」とは云わるべき也。

王索仙陀婆(終)

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。