正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

十二巻本 第二 「受戒」を読み解く                       二谷正信

十二巻本 第二 「受戒」を読み解く

                      二谷正信

   一

 禪苑清規云、三世諸佛、皆曰出家成道。西天二十八祖、唐土六祖、傳佛心印、盡是沙門。蓋以嚴淨毘尼、方能洪範三界。然則參禪問道、戒律爲先。既非離過防非、何以成佛作祖。

 受戒之法、應備參衣鉢具幷新淨衣物。如無新衣、浣洗令淨。入壇受戒、不得借賃衣鉢。一心專注、愼勿異縁。像佛形儀、具佛戒律、得佛受用、此非小事。豈可輕心。若借賃衣鉢、雖登壇受戒、幷不得戒。若不曾受、一生爲無戒之人。濫厠空門、虚消信施。初心入道、法律未諳、師匠不言、陷人於此。今玆苦口、敢望銘心。

 既受聲聞戒、應受菩薩戒。此入法之漸也。

 西天東地、佛祖相傳しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざればいまだ諸佛の弟子にあらず、祖師の兒孫にあらざるなり。離過防非を參禪問道とせるがゆゑなり。戒律爲先の言、すでにまさしく正法眼藏なり。成佛作祖、かならず正法眼藏を傳持するによりて、正法眼藏を正傳する祖師、かならず佛戒を受持するなり、佛戒を受持せざる佛祖あるべからざるなり。あるいは如来にしたがひたてまつりてこれを受持し、あるいは佛弟子にしたがひてこれを受持す、みなこれ命脈稟受せるところなり。

 いま佛々祖々正傳するところの佛戒、ただ嵩嶽曩祖まさしく傳来し、震旦五傳して曹谿高祖にいたれり。青原南嶽等の正傳、いまにつたはれりといへども、杜撰の長老等かつてしらざるもあり、もともあはれむべし。

 いはゆる應受菩薩戒、此入法之漸也、これすなはち參學のしるべきところなり。その應受菩薩戒の儀、ひさしく佛祖の堂奥に參學するもの、かならず正傳す。疎怠のともがらのうるところにあらず。

 その儀は、かならず祖師を燒香礼拝し、應受菩薩戒を求請するなり。すでに聽許せられて、沐浴清淨にして新淨の衣服を著し、あるいは衣服を浣洗して、花を散じ、香をたき、礼拝恭敬してその身に著す。あまねく形像を礼拝し、三寶を礼拝し、尊宿を礼拝し、諸障を除去し、身心清淨なることをうべし。その儀ひさしく佛祖の堂奥に正傳せり。

 

「禅苑清規云、三世諸仏、皆曰出家成道。西天二十八祖、唐土六祖、伝仏心印、尽是沙門。蓋以厳浄毘尼、方能洪範三界。然則参禅問道、戒律為先。既非離過防非、何以成仏作祖」(『禅苑清規』「続蔵」六三・五二三a一七)

<禅苑清規に云くは、三世諸仏、皆な出家成道と曰う。西天の二十八祖、唐土の六祖は、仏心印を伝うは、尽く是れ沙門なり。蓋し以て毘尼を厳浄して、方に能く三界に洪範たり。然あれば則ち参禅問道は、戒律を先と為す。既に過を離れ非を防ぐに非ずは、何を以てか成仏作祖せん>

 これより『受戒』に入るわけですが、『出家功徳』最後部に於いても詳述したように、この部位は『出家』『出家功徳』『受戒』び共通する本則でありますが、ただ一か所冒頭部の「禅苑清規云」に対し『出家功徳』のみに「第一」つまり第一章の意でありますが、付加されている点であります。

「受戒之法、応備参衣鉢具幷新浄衣物。如無新衣、浣洗令浄。入壇受戒、不得借衣鉢。一心専注、愼勿異縁。像仏形儀、具仏戒律、得仏受用、此非小事。豈可軽心。若借衣鉢、雖登壇受戒、幷不得戒。若不受、一生為無戒之人。濫厠空門、虚消信施。初心入道、法律未諳、師匠不言、陷人於此。今玆苦口、敢望銘心。既受声聞戒、応受菩薩戒。此入法之漸也」(「同」a二〇・―部「賃」は原「借」、―部「曾」原「増」)

<受戒之法は、応に三衣鉢具幷びに新浄の衣物を備うべし。新衣無きが如きは、浣洗して浄くすべし。入壇受戒には、衣鉢を借賃すること得ざれ。一心に専注して、愼んで異縁ありこと勿れ。仏の形儀に像(かたど)り、仏の戒律を具す、仏の受用を得る、此れ小事に非ず。豈に軽心なる可(べ)けんや。若し衣鉢を借賃せば、登壇受戒すと雖も、幷びに得戒せず。若し曾て受けずは、一生無戒之人と為らん。濫りに空門に厠(はじま)り、虚しく信施を消せん。初心の入道は、法律未だ諳(そら)んぜず、師匠言わずは、人を於此(ここ)に陷(おとしい)れん。今玆(ここ)に苦口す、敢て望むらくは心に銘すべし。既に声聞戒を受くれば、応に菩薩戒を受くべし。此れ入法之漸也>

 「三衣鉢具」とは五条・七条・大衣の袈裟衣一式と鉢(応量器)坐具。「衣物」とは袈裟の下に著ける下着であるが、本来は五条衣が下着となる。「入壇受戒」とは一定規模の戒壇を設け、授戒師と受戒者が戒の授受を行う訳であるが、一般寺院では本堂の畳上で、長机を置き、師資ともに相向い戒の唱和するを云う。「借賃衣鉢」とは賃料を払って衣鉢を揃える事は不可とされる。私が住するタイ国では三千バーツ(日本円で一万円)の金銭にて授戒師への御礼、衣鉢代となり、金額足らざる者は、寺院の信者(優婆塞・優婆夷)に代替してもらう制度があるようである(カンチャナブリ県サイヨーク郡スナンタワラナーム僧院にて)。

 この部位は前巻『出家功徳』には付加されず「七十五巻」『出家』では同文が添付されるが、その違いは如何な理由であろうか。

「西天東地、仏祖相伝しきたれるところ、必ず入法の最初に受戒あり。戒を受けざれば未だ諸仏の弟子にあらず、祖師の児孫にあらざるなり。離過防非を参禅問道とせるがゆゑなり。戒律為先の言、すでにまさしく正法眼蔵なり」

 此処での拈提部、『出家』『出家功徳』『受戒』と三者三様なる表現法ではあるが、ここでの表態は経意を祖述するようであるが、「すでにまさしく正法眼蔵なり」との述法は、前巻『出家功徳』での「正法眼蔵涅槃妙心」を承けての語法と理解する。

「成仏作祖、必ず正法眼蔵を伝持するによりて、正法眼蔵を正伝する祖師、必ず仏戒を受持するなり、仏戒を受持せざる仏祖あるべからざるなり。あるいは如来に従がひたてまつりてこれを受持し、あるいは仏弟子に従がひてこれを受持す、みなこれ命脈稟受せるところなり」

此処においても、「正法眼蔵」つまり仏法の眼目は「仏戒の受持」を強調する所であるが、文体構成の点からして「正法眼蔵を伝持」「正法眼蔵を正伝」と重複するような語法になったは、書き上げる為の時間の問題か、それとも自身の語彙表現の不足か知れぬが、やや文章が平易的である事も否めない。

「いま仏々祖々正伝するところの仏戒、ただ嵩嶽曩祖まさしく伝来し、震旦五伝して曹谿高祖に至れり。青原南嶽等の正伝、今に伝はれりと云へども、杜撰の長老等かつて知らざるもあり、もともあはれむべし」

 此処では「嵩嶽曩祖」つまり菩提達磨が「仏戒の伝来・伝持」を説き、その嗣続として達磨―慧可―僧璨―道信―弘忍―慧能―青原・南嶽と正伝されている事実を正法眼蔵と位置づけるのであろうが、この事実を認得せず知らない「杜撰の長老」とは誰を指すのか、また誰に対して説いているのであろうか。道元晩年に参随する人物で、このような仏教史を知らない参学者が居たのであろうか、「最も憐れむべし」と表記するわけであるから。

「いはゆる応受菩薩戒、此入法之漸也、これ即ち参学の知るべき処なり。その応受菩薩戒の儀、久しく仏祖の堂奥に参学する者、必ず正伝す。疎怠の輩の得る処にあらず」

 「清規」では「受声聞戒」とあるが、拈提では「声聞戒」つまり小乗戒とされる二百五十条の具足戒には触れず、大乗戒である「菩薩戒」を受けてから入法の順序である。と、「これ即ち参学の知るべき処なり」と即断する辺りは、自身が「建保三年(1213)の四月十日、延暦寺戒壇院にて公円僧正より菩薩戒を受け比丘と作る(『建撕記』河村本七頁参照)」との体験からも「受戒」=「菩薩戒」との定型化が出来上がっているのかも知れない。

「その儀は、必ず祖師を焼香礼拝し、応受菩薩戒を求請するなり。すでに聴許せられて、沐浴清浄にして新浄の衣服を著し、あるいは衣服を浣洗して、花を散じ、香をたき、礼拝恭敬してその身に著す。あまねく形像を礼拝し、三宝を礼拝し、尊宿を礼拝し、諸障を除去し、身心清浄なることを得べし。その儀ひさしく仏祖の堂奥に正伝せり」

 この一連の言動は「菩薩戒」を受ける際の作法を詳述したものであるが、先程も論じたように自身の体現を語っているのかも知れない。

   二

 そののち、道場にして和尚阿闍梨、まさに受者ををしへて礼拝し、長跪せしめて合掌し、この語をなさしむ。

 歸依佛、歸依法、歸依僧。

 歸依佛陀兩足中尊、歸依達磨離欲中尊、歸依僧伽衆中尊。

 歸依佛竟、歸依法竟、歸依僧竟。

 如来至眞無上正等覺是我大師。我今歸依、従今已後、更不歸依邪魔外道。慈愍故。〈三説。第三疊慈愍故三遍〉

 善男子、既捨邪歸正、戒已周圓。應受三聚清淨戒。

 第一、攝律儀戒。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第二、攝善法戒。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第三、饒益衆生戒。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 上来三聚清淨戒、一々不得犯。汝従今身至佛身、能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 是事如是持。

 受者礼三拝、長跪合掌。

 善男子、汝既受三聚清淨戒、應受十戒。是乃諸佛菩薩清淨大戒也。

 第一、不殺生。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第二、不偸盗。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第三、不貪婬。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第四、不妄語。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第五、不酤酒。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第六、不説在家出家菩薩罪過。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第七、不自讚毀佗。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第八、不慳法財。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第九、不瞋恚。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 第十、不癡謗三寶。汝従今身至佛身、此戒能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 上来十戒、一々不得犯。汝従今身至佛身、能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 是事如是持。

 受者礼三拝。

 上来三歸三聚淨戒十重禁戒、是諸佛之所受持。汝従今身至佛身、此十六支戒、能持否。

    答云、能持。〈三問三答〉

 是事如是持。

 受者礼三拝。

 次作處世界梵訖云、

 歸依佛、歸依法、歸依僧。

 次受者出道場。

 この受戒の儀、かならず佛祖正傳せり。丹霞天然、藥山高沙彌等、おなじく受持しきたれり。此丘戒をうけざる祖師、かくのごとくあれども、この佛祖正傳菩薩戒うけざる祖師、いまだあらず。必ず受持するなり。

 

「そののち、道場にして和尚・阿闍梨、まさに受者を教へて礼拝し、長跪せしめて合掌し、この語をなさしむ。帰依仏、帰依法、帰依僧。帰依仏陀両足中尊、帰依達磨離欲中尊、帰依僧伽衆中尊。帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟。如来至真無上正等覚是我大師。我今帰依、従今已後、更不帰依邪魔外道。慈愍故。〈三説。第三疊慈愍故三遍〉」

 「和尚(upajjhaya)」とは、原則では法臘一〇歳以上の比丘を指す。「阿闍梨acariya)」は五夏以上とされ、受戒の時のは三師が必要とされ、第一の和尚(これが本師となり)の他に、教授阿闍梨・羯磨阿闍梨の二師が必要とされる(『禅学大辞典』上一二九頁参照)。

 道元が寛元二年(1244)三月二十一日の吉峰精舎にて示衆した『大已五夏・十夏法』十五に於ては「五夏以上即闍梨位十夏已上是和尚。切須知之、即是甘露白法」と示され、奥書にては「是れ則ち諸仏諸祖の身心也、実に是れ大乗の極致也(原漢文)」と記される。「長跪」とは礼法の一種で、両膝を地に著け腰とももを伸ばし、身を支える状態を云うが、上座仏教にても長跪の姿勢を保ち三拝するを、正式な行法となす。また長跪の状態から右膝を地に著け、左膝を竪てる(胡跪)形もある。要は相手に対し遜(へりくだ)る意を示すことであろう。

「帰依仏、帰依法、帰依僧。帰依仏陀両足中尊、帰依達磨離欲中尊、帰依僧伽衆中尊。帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟」の出典は、『禅苑清規』+『長爪梵志請問経』の合楺語である。「帰依仏、帰依法、帰依僧」は『禅苑清規』九沙弥受戒文(「続蔵」六三・五四七b八)、「帰依仏陀両足中尊、帰依達磨離欲中尊、帰依僧伽衆中尊」は『長爪梵志請問経』(「大正蔵」一四・九六八c八)、「帰依仏、帰依法、帰依僧」は先の『禅苑清規』(「同所」)である。

如来至真無上正等覚是我大師。我今帰依、従今已後、更不帰依邪魔外道。慈愍故。〈三説。第三疊慈愍故三遍〉」に関しても『禅苑清規』でありましょうが多少異句あり、記載す「如来尊等正等覚是我道師。我今帰依従今已去、称為師、更不帰依邪魔外道慈愍故三説第三疊慈愍故三遍〉」(「続蔵」六三・五四七b一一)

「善男子、既捨邪帰正、戒已周円。応受三聚清浄戒。第一、攝律儀戒。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第二、攝善法戒。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第三、饒益衆生戒。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉上来三聚清浄戒、一々不得犯。汝従今身至仏身、能持否。答云、能持。〈三問三答〉是事如是持。受者礼三拝、長跪合掌」

 この文言は『教授戒文』で説く処ではあるが『禅戒鈔』「万仭道坦」によると、「攝律儀戒」とは「諸仏法律所窟宅也、諸仏法律所根源也」<諸仏は法律の窟宅とする所也、諸仏は法律の根源とする所也>また「攝善法戒」は「三藐三菩提法、能行所行之道也」<三藐三菩提の法は、能行所行之道也>、「饒益衆生戒」は「超凡越聖、度自度他也」<凡を超え聖を越え、自を度し他を度す也>。また「饒益衆生戒」は「攝衆生戒」と呼ぶこともある。

 

「善男子、汝既受三聚清浄戒、応受十戒。是乃諸仏菩薩清浄大戒也。第一、不殺生。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第二、不偸盗。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第三、不貪婬。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第四、不妄語。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第五、不酤酒。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第六、不説在家出家菩薩罪過。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第七、不自讃毀佗。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第八、不慳法財。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第九、不瞋恚。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉第十、不癡謗三宝。汝従今身至仏身、此戒能持否。答云、能持。〈三問三答〉上来十戒、一々不得犯。汝従今身至仏身、能持否。答云、能持。〈三問三答〉是事如是持。受者礼三拝」

 同じく『教授戒文』によれば、第一「不殺生」は「生命不殺、仏種増長、可続仏慧命、莫殺生命也」<生命を殺さざれば、仏種増長す、仏の慧命を続(つ)ぐ可し、生命を殺すこと

莫れ也>。第二「不偸盗」は「心境如如、解脱門開也」<心境は如如にして、解脱門を開く也>。第三「不貪婬(不婬欲)」は「三輪清浄無所希望、諸仏同道者」<三輪清浄にして希望(けも)する所無ければ、諸仏は同道する者>。第四「不妄語」は「法輪本転無剰無缼、甘露一潤得真得実也」<法輪は本(もと)より転じて剰(あま)ること無く缼くること無く、甘露一たび潤せば真を得て実を得る也>。第五「不酤酒」は「未将来莫教侵、正是大明也」<未だ将来せざるに侵さしむこと莫れ、正(まさ)しく是れ大明也>。「酤」とは酒の売り買いを示す。この酒は陶酔させるものを云い、真実の中には陶酔させるものを持ち込む余地がないことを云う。第六「不説在家出家菩薩罪過」は「於仏法中同道同法同証同行也、莫教説過、莫令乱道」<仏法の中に於て(出家在家の菩薩は)同道、同法、同証、同行也、過(とが)を説かしむ莫れ、莫道を乱しむ莫れ>。この第六の呼び名は一般的には「不説過(戒)」と略されることが多いが、『菩薩瓔珞本業経』では「不沽酒不説在家出家菩薩罪過」(「大正蔵」二四・二二c二二)とある。また在家出家の菩薩とは仏徒を指すものですから、仲間内の罪や過失を大声に申すな、との意。第七「不自讃毀佗」は「乃仏乃祖証尽空証大地、或現大身空無内外、或現法身」<乃ち仏乃ち祖は、尽空を証し大地を証す、或いは大身を現じて空は内外無し、或いは法身を現じて地は寸土無し>。文字通り、自分には讃(ほ)め、他人には謗(そし)る、ことをしない戒であり、第六とは表裏を為す文意であろうが、これは原始経典で云われる「犀の角のように、ただ独り歩め」と説かるる『スッタニパータ』「第一章第三」に代弁されるものであろう。第八「不慳法財」は「一句一偈万象百草也、一法一証諸仏諸祖也、従来未曾慳也」<一句一偈は万象百草也、一法一証は諸仏諸祖也、従来未だ曾て慳しまざる也>。仏徒(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)の社会システムを考えるなら、僧尼は法を与え、信者は財を与える構造は宗教では両輪の如くに機能するのである。第九「不瞋恚」は「非退非進、非実非虚、有光明雲海、有荘厳雲海」<退に非ず進に非ず、実に非ず虚に非ず、光明に雲海有り、荘厳に雲海有り>。「瞋」は眼を怒らせる、瞋目。「恚」は怒る、恨む、恚恨。「瞋恚(しんに)」本来は「しんい」であろうが、連声の語法で「しんに」と読む。第十「不(癡)謗三宝」は「現身演(説)法、世間津梁、徳帰薩婆若海、不可称量、頂戴奉勤也」<現身演(説)法は、世間の津梁なり、徳は薩婆若海に帰して、称量すべからず、頂戴奉勤する也>。「不癡謗三宝」なる語は「大正蔵データベース」にて検索しても見当たらず。「薩婆若」とは梵語(sarva-jna)の音写語で「一切智」と訳される(wikiArc参照)。

「次作処世界梵訖云、帰依仏、帰依法、帰依僧。次受者出道場。この受戒の儀、必ず仏祖正伝せり。丹霞天然、薬山高沙弥等、同じく受持しきたれり。此丘戒をうけざる祖師、かくの如くあれども、この仏祖正伝菩薩戒うけざる祖師、いまだあらず。必ず受持するなり」

「処世界梵」とは僧堂内にて唱えられる偈文である。『赴粥飯法』には「維那作処世界梵」、是用祥(葉上=栄西)僧正之古儀也」(「大正蔵」八二・三二九a二三)と示され、栄西の住した建仁寺に於ても実修されていた事がわかる。「処世界梵」とは「処世界如虚空(シー

シ、カイジキクン)、如蓮華不著水(ジレンカ、フジャシイ)、心清浄超於彼(シンシンジン、チョウイヒ)、稽首礼無上尊(キシュリン、ブジヨウソン)と六言四句を現今に於いても唐音の発声にて唱和される。なおこれは『禅苑清規』九()続蔵」六三・五四八a六)に記載されるが、そのあとには「帰依仏得菩提道心常不退、帰依法薩般若得大総持門、帰依僧息諍論同入和合海」とあることから、下位の語を略しての「帰依仏、帰依法、帰依僧」と記したのであろう。

 「丹霞天然(739―824)」については『景徳伝灯録』十四に説く処であるが、冒頭では「鄧州丹霞天然禅師、不知何許人也。初習儒学、将入長安応挙、方宿於逆旅。忽夢白光満室。占者曰、解空之祥也」(「大正蔵」五一・三一〇b二〇)<鄧州(河南省鄧州市)丹霞の天然禅師は、何許(いずく)の人なるかも知らず也。初め儒学を習い、将に長安に入り(科)挙に応ぜんとして、方(まさ)に逆旅(はたご)に宿り。忽ち白光の室に満つるを夢む。占者曰く、解空之祥也>。

 このように記す処ではあるが、肝腎の「受戒の儀」であるが、「独師以盆盛水浄頭、於和尚前胡跪。石頭見而笑之、便与剃髮。又為説戒法、師乃掩耳而出」(「同」三一〇c三)<独り師のみは以盆を以て水を盛り頭を浄め、和尚の前に胡跪す。石頭は之を見て笑い、便ち与(ため)に剃髮す。又戒法を説き為すに、師は乃ち耳を掩いて出づ>と記載するのみである。

「薬山高沙弥」に関しても『景徳伝灯録』十四を手掛かりに「受戒の儀」を尋ねるに、

「高沙弥、薬山住庵、初参薬山。薬山問師。什麼処来。師曰。南嶽来。薬山云。何処去。師曰。江陵受戒去。薬山云。受戒図什麼。師曰。図免生死。薬山云。有一人不受戒亦免生死。汝還知否。師曰。恁麼即仏戒何用。薬山云。猶掛脣歯在。便召維那云。遮跛脚沙弥不任僧務。安排向後庵著」(「大正蔵」五一・三一五c五)<高沙弥、薬山に住庵す、初めて薬山に参ず。薬山が師に問う、什麼処(いずこ)より来る。師曰く、南嶽より来る。薬山云、何処に去(ゆ)く。師曰く、江陵(湖北省荊沙市江陵区)に受戒に去く。薬山云く、戒を受けて什麼をか図(ほっ)す。師曰く、生死を免れんと図す。薬山云く、一人有り戒を受けず亦生死を免がる、汝還(は)たと知るや否や。師曰く、恁麼(かく)なれば即ち仏戒を何ぞ用いん。薬山云く、猶お脣歯を掛て在る、便ち維那を召んで云く、遮の跛脚の沙弥は僧務に任(た)えず、安排して後庵に向け著(お)け>(『景徳伝灯録研究会』編・「禅文化研究所」四〇九頁参照)

 このように「丹霞・高沙弥」両者の事蹟にかんする資料は、他の灯録(『聯灯会要』『祖堂集』等にも具体的な記載は確認されないが、道元の膝下の思量群には彼らの行状を記したものから、このように記述されたとしよう。

 最後部では「比丘戒を受けざる祖師・仏祖正伝菩薩戒を受けざる祖師」と二種の戒法を説かれるが、「比丘戒」とは二百五十条の戒文、つまりテラワーダ(Theravada)仏教での戒法。「菩薩戒」とは中国・日本での大乗(maha-yana)仏教の戒法であろうが、僧籍を有する者たちは「必ず受持するなり」と、受戒の必要性・重要性を示され結語とされる。

 最後に一言しておきたい。当巻の対象者は永平寺僧と思われるが、すでに彼らは「受戒の儀」を終えて各地より参集した者に、このような基本的受戒の内容の必要性が有ったのであろうか。または道元晩年の永平寺山内には、未出家者のグループが存在し、彼らに対する提示であろうか。その点、聊か疑問な点であり、不審な点でも有るを記し擱筆とする。

(終)

2023年3月9日(タイ国にて・二谷)