正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

十二巻本『正法眼蔵』の性格―重視説として

十二巻本『正法眼蔵』の性格―重視説として

 

『八大人覚』の「奥書」の意味する処を、筆者(石井修道・注)の結論‘を踏まえて、その文を大幅に補って解釈すると、ほぼ次のようだと考える。

 

  原本の先師の『八大人覚』の奥書に言う、「建長五年(1253)正月六日に永平寺

て書く」と。

今、建長七年乙卯(1255)の年の解安居の終る前日に、義演書記に原本の清書をさせて書写が終った。懐弉は、同じ日に先師の原本と義演の書写本とを校合した。

右の『八大人覚』は、先師の最後の御病気中の草稿である。先師が生前に言われたことは次のようになる。「前に書いた仮字の『正法眼蔵』の巻々は(先師は京都時代の四十巻までは暫定的に編集されたが、越前時代のものを含めては、まだ完全な編集を終えられることはなかった。そこで懐弉は、越前時代のものは、示衆の順序を基本にして列べて、旧草を仮に七十五巻として、病中の先師の生前の壬子(1252)の年に纏め、先師に確認しておいた。七十五巻の編集は暫定的であるから)、全てにおいて書き改めるつもりであり(書き改めるつもりとは、ある巻は大幅に書き改め、ある巻は全面的に書き改め、ある巻は部分的に書き改め、ある巻はほとんど書き改めなくてもよいものなどがある)、それら旧草のもの(懐弉が仮に七十五巻としたもの)と新草のもの(鎌倉息が転機となって、新たなる意図をもって新たに『正法眼蔵』を編集しようとされたが、十二巻しか残らなかった)とを、全部合わせて百巻の『正法眼蔵』を書くつもりである、などと」。

すでに新たな編集に加えるために始められた草稿のこの『八大人覚』の巻は、第十二巻目に相当する。この『八大人覚』を書いた後は、先師の病気がだんだんと重くなったので、新たな巻を書き進めたり、旧草を書き改めて新たな編集に加えることは、そのまま止まってしまった。それゆえに、この『八大人覚』(や『一百八法明門』)などは、先師の最後の教えとなった。私達は不幸にして百巻の草稿は拝見できない。このことは、私達にとって最も残念におもうところである。もしも先師を恋慕する人は、必ずこの第十二の巻の『八大人覚』を書写して、これを護持しなさい。(なぜならば、)この『八大人覚』の教えは、釈尊最後の教えであり、同時にそれはその釈尊の教えについて説かれた先師の最後に残された教えの巻であるからだ。

  懐弉が以上のことを(『八大人覚』の奥書として)記す。

 

(一)『出家』から『出家功徳』『受戒』へ

『出家』が七十五巻本『正法眼蔵』の最後に収められ、その示衆が寛元四年九月十五日であることは、すでに述べた。十二巻本『正法眼蔵』の最初に『出家功徳』『受戒』があるが、

その関係はどのようになっているのであろうか。

 『出家』の冒頭は、『禅苑清規』の引用で始まっている。

  禪苑清規云、三世諸佛、皆曰出家成道。西天二十八祖、唐土六祖、傳佛心印、盡是沙門。蓋以嚴淨毘尼、方能洪範三界。然則、參禪問道、戒律爲先。既非離過防非、何以成佛作祖。

受戒之法、應備三衣鉢具幷新淨衣物。如無新衣、浣染令淨、入壇受戒。不得借衣鉢。一心專注、愼勿異縁。像佛形儀、具佛戒律、得佛受用、此非小事、豈可輕心。若借衣鉢、雖登壇受戒、竝不得戒。若不曾受、一生爲無戒之人。濫厠空門、虚受信施。初心入道、法律未諳、師匠不言、陷人於此。今玆苦口、敢望銘心。

既受聲聞戒、應受菩薩戒。此入法之漸也。

あきらかにしるべし、諸佛諸祖の成道、たゞこれ出家受戒のみなり。諸佛諸祖の命脈、たゞこれ出家受戒のみなり。いまだかつて出家せざるものは、ならびに佛祖にあらざるなり。佛をみ、祖をみるとは、出家受戒するなり。

 この文は『出家功徳』の最後に引用され、次のようにまとめられる。

   禪苑清規第一云、三世諸佛、皆曰出家成道。西天二十八祖、唐土六祖、傳佛心印、盡是沙門。蓋以嚴淨毘尼、方能洪範三界。然則參禪問道、戒律爲先。既非離過防非、何以成佛作祖。

  しかあればすなはち、「三世諸佛、皆曰出家成道」の正傳、もともこれ最尊なり。さらに出家せざる三世諸佛おはしまさず。これ佛々祖々正傳の正法眼藏涅槃妙心、無上菩提なり。

 ここでは、出家に限定されている。そのことは、『出家』と同文の『禅苑清規』を冒頭

に引用した『受戒』では、これまた次の受戒の説示に限定されているのである。

   西天東地、佛祖相傳しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざればいまだ諸佛の弟子にあらず、祖師の兒孫にあらざるなり。

 この引用を見ただけでも、あきらかに『出家』が『出家功徳』と『受戒』に分けられ、

それぞれが示衆の目的をもって詳説されていることがわかるのである。

 次に『出家』に引用される『輔行伝弘決』巻二之五の文がある。

   大論第十三曰、佛在祇洹、有醉婆羅門、來至佛所、欲作比丘。佛勅諸比丘、與剃頭著袈裟。酒醒驚怪見身、變異忽爲比丘、即便走去。諸比丘問奉佛、何以聽此醉婆羅門、而作比丘、而今歸去。佛言、此婆羅門、無量劫中、無出家心。今因醉後、暫發微心、爲此縁故、後出家。如是種々因縁、出家破戒、猶勝在家持戒。以在家戒不爲解脱。

佛勅の宗旨あきらかにしりぬ、佛化はたゞ出家それ根本なり。いまだ出家せざるは佛法にあらず。如來在世、もろもろの外道、すでにみづからが邪道をすてて佛法に歸依するとき、かならずまづ出家をこふしなり。

 この文を『出家功徳』においては、その原文に相当する『大智度論』巻十三をわざわざ引用するのである。

    復次如佛在祇桓、有一醉婆羅門。來到佛所、求作比丘。佛勅阿難、與剃頭著法衣。醉酒既醒、驚怪己身忽爲比丘、即便走去。諸比丘問佛、「何以聽此婆羅門作比丘」。佛言、「此婆羅門、無量劫中、初無出家心、今因醉故、暫發微心。以此因縁故、後當出家得道」。如是種々因縁、出家之功徳無量。以是白衣雖有五戒、不如出家。

 『輔行伝弘決』の「出家破戒、猶勝在家持戒。以在家戒不爲解脱」の文より、『大智度論

の「出家之功徳無量。以是白衣雖有五戒、不如出家」の語が、『出家功徳』にふさわしいこ

とは一見して明らかである。その『大智度論』巻十三「釈初品中讃尸羅波羅蜜義」の酔婆羅

門の物語は、『出家功徳』冒頭にある長文の『大智度論』の引用から、蓮華色比丘尼の出家

の物語の引用に続き分離独立させ、十六条戒を説くに至っては、当然、新たな撰述目的が

存在するのである。それゆえに、秘本の『出家』の奥書にある「右出家後、有御龍草本、以

之可書改。仍可破之」の語は、「御龍草本」に相当する十二巻本の『出家功徳』の成立によ

り、『出家』は破棄されるべきだと云うことを述べたものと理解すべきで、たとい懐弉の語

ではないと認めたとしても、それ以外には考えられないであろう。

 

 (二)『伝衣』から『袈裟功徳』へ

 『伝衣』と『袈裟功徳』とは密接な関係がある。そのことはその他の諸研究論文にも指摘

されている。『伝衣』に袈裟の五聖功徳についての示衆があるが、興味ある問題が浮上する。

  佛言、若有衆生、入我法中、或犯重罪、或墮邪見、於一念中、敬心尊重僧伽梨衣、諸佛

及我、必於三乘授記。此人當得作佛。若天若龍、若人若鬼、若能恭敬此人袈裟少分功徳、

即得三乘不退不轉。若有鬼神及諸衆生、能得袈裟、乃至四寸、飲食充足。若有衆生、共

相違反、欲墮邪見、念袈裟力、依袈裟力、尋生悲心、還得清淨。若有人在兵陣、持此袈

裟少分、恭敬尊重、當得解脱。

しかあればしりぬ、袈裟の功徳、それ無上不可思議なり。これを信受護持するところに、

かならず得授記あるべし、得不退あるべし。

 この出典は『律宗新学名句』巻中によると思われる。

  袈裟五種功徳《悲華経》。一、入我法中、或犯重邪見、於一念中、敬心尊重、必於三乗授記。二、天龍人鬼、若能恭敬、此人袈裟少分、即得三乗不退。三、若能鬼神諸人、得袈裟乃至四寸、飲食充足。四、若衆生共相違反、念袈裟力、尋生悲深。五、若在兵陣、持此少分、恭敬尊重、当得解脱。(続蔵経一〇五・三一九左下)

 これに対して『袈裟功徳』は、直接に『悲華経』から長文の原文が引用されて、次のようにまとめられる。

  如来在世より今日にいたるまで、菩薩・声聞の経律のなかより、袈裟の功徳をえらびあぐるとき、かならずこの五聖功徳をむねとするなり。

 このまとめは『律宗新学名句』の文を介して『悲華経』から引用したことを示唆したと受

けとめられるのではあるまいか。つまり、『伝衣』と『袈裟功徳』との関連箇所を見てみる

と、『伝衣』は「五聖功徳」が明確ではないが、『袈裟功徳』は「五聖功徳」が明確なのであ

る。『悲華経』が直接引用されることによって、袈裟功徳の示衆の意図が明確になり、『伝衣』

を書き改められたことにより、両書の存在は必要でなくなるであろう。

 このように七十五巻本『正法眼蔵』の『出家』や『伝衣』が、『出家功徳』や『袈裟功徳』

へと書き改められていったことを認めてよいとすれば、十二巻本『正法眼蔵』の諸巻に関連

性があり、その順序に意味があるかどうかである。すでに『出家』に引用された『禅苑清規』

の一文が、『出家功徳』と『受戒』の順序にそれぞれに主題に沿って再び引用されているこ

とを指摘したが、このこと一つをとってみても、『出家』と『受戒』は切り離せない内容で

あり、また、順序としても前後することはない。それは出家受戒に必要な「袈裟」の受持に

繋がり、『袈裟功徳』で詳細に説かれるのも当然関連してくることは言うまでもないことで

ある。『出家功徳』で説く出家行法の四依の一つである「尽形寿著糞掃衣」は、『伝衣で』も

『出家』でも説かないところの「袈裟」の説であるが、『袈裟功徳』の重要な説示が「糞掃

衣」の問題となる。

 また、『出家功徳』に引用される「婆娑一百二十云、『発心出家尚名聖者、況得忍法』も、

『出家』に説かないが、『出家功徳』に「無上菩提のために菩提心をおこし出家受戒せん、

その功徳無量なるべし」と説くのは、明らかに『発菩提心』の示衆と関連してこようし、同

じく「まことにその発心得道、さだめて刹那よりするものなり」の「刹那」の説は、『発菩

提心』に詳しく出てくるのである。また、『出家功徳』に引用される『大毘婆沙論』巻七六

の「若無過去世、応無過去仏。若無過去仏、無出家受具」の偈が、『供養諸仏』の冒頭に引

用されていくのである。さらに『出家功徳』には、臨済義玄の「出家」説を解釈して、

  いはゆる「平常真正見解」といふは、深信因果、深信三宝なり

とあるのは、『帰依仏法僧宝』や『深信因果』がすでに予想されているとも言えよう。また、

『一百八法明門』は、『仏本行集経』に基づくが、『出家功徳』に『仏本行集経』を引用する

に当たって、「最後身の菩薩」として、仏伝が述べられるのも、『一百八法明門』と深く関係

している。このように新たに書かれた十二巻本『正法眼蔵』の最初の『出家功徳』に十二巻

の内の多くの巻の連関が考えられる。

 このようにして、『受戒』になると、『出家功徳』に引用の『禅苑清規』の文が改めて同じ

く引用され、加えて「受戒之法、応備三衣鉢具幷新浄衣物」以下が引用されるが、受戒で必

要とすべき「三衣」が『袈裟功徳』で取り上げられるのは当然のことであろう。

 『発菩提心』になると、「『発心』とは、はじめて『自未得度先度佗』の心をおこすなり、

これを初発菩提心といふ。この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸仏にあふたてまつ

り、供養したてまつるに、見仏聞法し、さらに菩提心をおこす、霜上加霜なり」とあって、

次の『供養諸仏』と繋がっているのである。また『発菩提心』の「菩薩の初心のとき、菩提

心を退転すること、おほくは正師にあはざるによる。正師にあはざれば正法をきかず、正法

をきかざればおそらくは因果を撥無し、解脱を撥無し、三宝を撥無し、三世等の諸法を撥無

す」の説は、『深信因果』の末尾の「澆季の學者、薄福にして正師にあはず、正法をきかず、

このゆゑに因果をあきらめざるなり。撥無因果すれば、このとがによりて、漭々蕩々として

殃禍をうくるなり」へと繋がっていくであろう。同時に『三時業』とも重なることにもなろ

う。さらに『発菩提心』には『仏本行集経』を引用するに当たって、「一生補処菩薩、まさ

に閻浮提にくだらんとするとき、覩史多天の諸天のために、最後の教をほどこすにいはく、

菩提心是法明門、不断三宝故』」と『一百八法明門』の一部が関連して引用され、「三宝

は『帰依仏法僧宝』と関連している。また、『供養諸仏』の「『諸法実相を大師とする』とい

ふは、仏法僧の三宝を供養恭敬したてなつるなり」も『帰依仏法僧宝』と関連しよう。同時

に、『供養諸仏』の重要な引用典籍が、『一百八法明門』を説く『仏本行集経』であることは、

言うまでもないことである。

 このようにして、十二巻本を書き進めるに当たって、第十一『一百八法明門』までは、関

連を持ちながら纏りを以て構成されたことが窺える。『三時業』には、三時の「業の不亡」

を主題にしながら、その中に次の文が見出せる。

  四禅比丘、臨命終のとき謗仏せしによりて四禅の中陰かくれて阿鼻地獄に堕せり。かくのごとくなるを順次生受業となづく。

 この文が『四禅比丘』と容易に結びつくことが察せられ、その関連を認められよう。一見、

関連が見出しにくいのが、『四馬』であろう。外道問仏で始まるこの巻は、良馬や快馬を話

題にしながら、「世尊に聖黙聖説の二種の施設」に言及する。それらは本書の注にも指摘す

るように、天台典籍と深く関係してくる。確かに『宗門統要集』と『景徳伝灯録』の合楺

説から始まった外道問仏の話であるが、それを纏めるのに、『法華玄義』や『輔行伝弘決』

と続いて展開していくのである。天台典籍でいえば、『三時業』の提婆達多への言及は、『法

華文句』や『法華文句記』で示衆され、『四禅比丘』の『輔行伝弘決』に引用へと関連して

いるのである。さらに『四禅比丘』に出る天台山外脈の孤山智円の三教一致説批判は、天台

学そのものの課題とも通じ合うのである。そのように捉えると、『四馬』の次の文はまさし

く十二巻本の課題ともいえよう。

   これを涅槃経の四馬となづく。学者ならはざるなし、諸仏ときたまはざるおはしまさず。ほとけにしたがひたてまつりてこれをきく、ほとけをみたてまつり、供養したてまつるごとには、かならず聴聞し、仏法を伝授するごとには、衆生のためにこれをとくこと、歴劫におこたらず。つひに仏果にいたりて、はじめ初発心のときのごとく、菩薩声聞、人天大会のためにこれをとく。このゆゑに、仏法僧宝種不断なり。

 「見仏・聞法」は『出家功徳』の四種最勝の説であり、「供養」は『供養諸仏』の主題で

あり、「初発心」が『発菩提心』と関連することは言うまでもない事であり、「仏法僧宝種不

断」は『帰依仏法僧宝』と結び付いているのである。このように『四馬』もまた十二巻本と

して決して例外とは言えない事が判明する。

 『八大人覚』が道元の病の為に、十二巻本の最後に位置づけられているが、百巻構想があ

ったとすれば、あるいは「第十二」でなかったであろう事は、認めて良いかも知れない。

 以上、概観したように、十二巻本は、各巻が互いに密接な関係を持ちながら、撰述された

事は認めてよいであろう。

 

これは石井修道氏による『正法眼蔵』に対する巻末に於ける「解題」としての文章を

書き改めたものであり、一部修訂を加えた。(タイ国にて・二谷)